金剛般若波羅蜜経
法会因由分第一『説法の会聚、ここに由る起因』
仏家典籍
短いものは心経・金剛経・四十二章経・壇経から読み始められる。浄土は阿弥陀経・無量寿経・観経を見る。大乗の叙事と禅を見るなら、法華・維摩・楞厳・円覚・地蔵へ進む。
*鳩摩羅什譯·後秦弘始年間(公元402-413年)*
*鳩摩羅什訳・後秦弘始年間(402〜413年)*
法会因由分第一『説法の会聚、ここに由る起因』
如是我聞。
わたしはこのように仏の説かれるのを聞いた。
一時,佛在舍衛國祇樹給孤獨園,與大比丘眾千二百五十人俱。
ある時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園にお住まいで、千二百五十人の大比丘とともにおられた。
爾時,世尊食時,著衣持缽,入舍衛大城乞食。
その時、食の時に至り、世尊は袈裟を著け鉢盂を執りて、舎衛大城に入りて乞食された。
於其城中,次第乞已,還至本處。
城中において挨門挨戸、次々に乞い終えて、もとの住処に帰られた。
飯食訖,收衣缽,洗足已,敷座而坐。
食を終えて、袈裟と鉢盂を収め、足を洗い、座位を敷いて坐られた。
善現啓請分第二『善現長老、仏の訓を啓請す』
時,長老須菩提,在大眾中,即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬。而白佛言:
この時、長老須菩提は大衆の中より座より起ち、袈裟を偏に披き右肩を露にし、右膝を地につけ、恭しく合掌して仏に言った。
「希有世尊!如來善護念諸菩薩,善付囑諸菩薩。
「希有難得の世尊よ!如来は善く諸々の菩薩を護念し、また善く諸々の菩薩に重任を付嘱されます。
世尊!善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心,應云何住?云何降伏其心?」
世尊!善男子・善女人が阿耨多羅三藐三菩提心(「無上正等正覚」の心、すなわち成仏を志すあの心)を発したのち、この心はどこに安住すべきでしょうか。またどのようにそれを降伏すべきでしょうか。」
佛言:「善哉,善哉。須菩提!
仏は言われた。「問うこと善し、問うこと善し。須菩提!
如汝所說:如來善護念諸菩薩,善付囑諸菩薩。
まさに汝の言うごとく、如来は善く諸々の菩薩を護念し、また善く諸々の菩薩に重任を付嘱する。
汝今諦聽,當為汝說:善男子、善女人,發阿耨多羅三藐三菩提心,應如是住,如是降伏其心。」
汝いま諦かに聞け。わたしが汝のために説こう。善男子・善女人が無上正等正覚の心を発したなら、まさに下に説くところのごとく安住し、下に説くところのごとく自らの心を降伏すべきである。」
「唯然,世尊!願樂欲聞。」
須菩提は言った。「はい、世尊!わたしは喜んで聞かせていただきます。」
大乗正宗分第三『最大の乗、最正の宗』
佛告須菩提:「諸菩薩摩訶薩,應如是降伏其心:
仏は須菩提に告げた。「諸々の大菩薩は、このように自らの心を降伏すべきである:
所有一切眾生之類,若卵生、若胎生、若溼生、若化生;
一切衆生は、卵生のもの、胎生のもの、湿気の中より生ずるもの、あるいは変化して生ずるもの、
若有色、若無色;若有想、若無想、若非有想非無想,
形色あるもの、形色なきもの、思想あるもの、思想なきもの、あるいは思想あるともなきともいえないもの——
我皆令入無餘涅槃而滅度之。如是滅度無量無數無邊眾生,實無眾生得滅度者。
わたしは皆彼らを無余涅槃に入らせて度脱せしめる。このように度脱して無量無数無辺の衆生を度しながら、実際には度脱された衆生はひとりもいない。
何以故?須菩提!若菩薩有我相、人相、眾生相、壽者相,即非菩薩。」
なぜか。須菩提!もし菩薩の心にまだ我相・人相・衆生相・寿者相——すなわち「我あり、他人あり、衆生あり、一段の寿命あり」と分別執着するなら——それは菩薩ではない。」
妙行無住分第四『奥妙の行、もとより住著なし』
「復次,須菩提!
「次に、須菩提!
菩薩於法,應無所住,行於佈施。所謂不住色佈施,不住聲、香、味、觸、法佈施。
菩薩は一切の事物について執着して停留すべきではなく、そのまま布施を行ずべきである。すなわち色に執着せず布施し、声・香・味・触・法に執着せず布施する。
須菩提!菩薩應如是佈施,不住於相。
須菩提!菩薩はこのように布施し、いかなる相にも執着すべきではない。
何以故?若菩薩不住相佈施。其福德不可思量。」
なぜか。もし菩薩が相に執着せず布施すれば、その福徳は測量し得ないほど大きいからである。」
「須菩提!於意云何?東方虛空,可思量不?」
「須菩提!汝はどう思うか。東方の虚空は測量できるか。」
「不也,世尊!」
「できません、世尊!」
「須菩提!南、西、北方,四維上下虛空,可思量不?」
「須菩提!南方・西方・北方、四隅および上方下方の虚空は、測量できるか。」
「不也,世尊!」
「できません、世尊!」
「須菩提!菩薩無住相佈施,福德亦復如是不可思量。須菩提!菩薩但應如所教住。」
「須菩提!菩薩が相に執着せず布施すれば、福徳もまた虚空のように測量できない。須菩提!菩薩はただわたしの教えるごとく心を安住すべきである。」
如理実見分第五『如理の理、すなわち真実を見る』
「須菩提。於意云何?可以身相見如來不?」
「須菩提!汝はどう思うか。外在の身形相貌をもって如来を見ることができるか。」
「不也,世尊,不可以身相得見如來。何以故?如來所說身相,即非身相。」
「できません、世尊。身形相貌をもって如来を見ることはできません。なぜか。如来の説く身相は、真実不変の身相ではないからです。」
佛告須菩提:「凡所有相,皆是虛妄。若見諸相非相,即見如來。」
仏は須菩提に告げた。「およそ形相あるものは、みな虚妄で実でない。もし種々の相が真実の相でないと見るならば、すなわち如来を見るのである。」
正信希有分第六『正信を生ずる、最も希有』
須菩提白佛言:「世尊!頗有眾生,得聞如是言說章句,生實信不?」
須菩提は仏に言った。「世尊!衆生がこのような言説章句を聞いて真実の信心を生ずることがあるでしょうか。」
佛告須菩提:「莫作是說。如來滅後,後五百歲,有持戒修福者,於此章句能生信心,
仏は須菩提に告げた。「そのように言うな。如来が滅度したのち、後の五百年に至っても、なお戒を持し福を修する人がいて、これらの章句について信心を生ずることができ、
以此為實,當知是人不於一佛、二佛、三四五佛而種善根,已於無量千萬佛所種諸善根,
それを真実とする。そのような人は一仏・二仏・三四五仏のもとにのみ善根を種したのではなく、すでに無量千万の仏のもとに種々の善根を種したのであると知るべきである。
聞是章句,乃至一念生淨信者,須菩提!如來悉知悉見,是諸眾生得如是無量福德。
これらの章句を聞いて、たとえ一念の清浄な信心を生ずるだけでも、須菩提!如来は皆悉く知り悉く見る。これらの衆生はこのような無量の福徳を得るであろう。
何以故?是諸眾生無復我相、人相、眾生相、壽者相。」
なぜか。これらの衆生はすでに我相・人相・衆生相・寿者相がないからである。」
「無法相,亦無非法相。
「彼らは「法」の相に執着せず、「非法」の相にも執着しない。
何以故?是諸眾生若心取相,則為著我、人、眾生、壽者。」
なぜか。これらの衆生がもし心にいかなる相をも執取すれば、すなわち我あり・人あり・衆生あり・寿者ありと執着するに等しいからである。」
「若取法相,即著我、人、眾生、壽者。何以故?
「もし「法」の相を執取すれば、すなわち我あり・人あり・衆生あり・寿者ありと執着するのである。なぜか。
若取非法相,即著我、人、眾生、壽者。
もし「非法」の相を執取しても、同じく我あり・人あり・衆生あり・寿者ありと執着するのである。
是故不應取法,不應取非法。以是義故,如來常說:
ゆえに「法」を執取すべきではなく、「非法」をも執取すべきではない。まさにこの道理ゆえに、如来はつねに説く——
汝等比丘,知我說法,如筏喻者,法尚應舍,何況非法。」
汝ら比丘は知るべきである。わたしの説く法は、河を渡る木筏のようである——河を渡れば筏は放下すべきである。法ですら捨て去るべきなのだから、まして非法においてをや。」
