Libo

無得無説分第七『空なれば得なく、寂なれば説なし』

后秦 · 鸠摩罗什译 · 第2巻 / 6

「須菩提!於意云何?如來得阿耨多羅三藐三菩提耶?如來有所說法耶?」

「須菩提!汝はどう思うか。如来は無上正等正覚を証得したか。如来に説く法があったか。」

須菩提言:「如我解佛所說義,無有定法,名『阿耨多羅三藐三菩提』,

須菩提は言った。「わたしが仏の説かれる意を解するに、『阿耨多羅三藐三菩提』という固定したものはありません。

亦無有定法,如來可說。

また如来が説き出し得る固定した法もありません。

何以故?如來所說法。皆不可取、不可說;非法,非非法。

なぜか。如来の説く法は、皆執取し得ず、言説し得ず、それは「法」でもなく「非法」でもないからです。

所以者何?一切賢聖,皆以無為法而有差別。」

これはどういう故か。一切の賢者・聖者は、皆無為法(造作せず、生滅なき法)に依って修証の深浅の差別があるからです。」

依法出生分第八『諸仏の法、これに依りて生ず』

「須菩提!於意云何?若人滿三千大千世界七寶以用佈施,是人所得福德,寧為多不?」

「須菩提!汝はどう思うか。もし人が三千大千世界を満たす七宝をもって布施するなら、この人の得る福徳は多いか。」

須菩提言:「甚多,世尊!何以故?是福德即非福德性,是故如來說福德多。」

須菩提は言った。「甚だ多いです、世尊!なぜか。この福徳は福徳の本性ではなく、ただ有為の果報であるがゆえに、如来はそれを「多い」と説かれるのです。」

「若復有人,於此經中受持,乃至四句偈等,為他人說,其福勝彼。何以故?

「もしまた人がこの経を受持し、たとえその中の四句偈だけでも、また他人のために講説するなら、その福報は前の人に勝れます。なぜか。

須菩提!一切諸佛,及諸佛阿耨多羅三藐三菩提法,皆從此經出。

須菩提!一切の諸仏、および諸仏の証した無上正等正覚の法は、皆この経より出るからです。

須菩提!所謂佛法者,即非佛法,是名佛法。」

須菩提!いわゆる「仏法」は、執取し得る実体ではなく、ただ仮に仏法と名づけるだけです。」

一相無相分第九『ただ此一相、もとより形なし』

「須菩提!於意云何?須陀洹能作是念:『我得須陀洹果』不?」

「須菩提!汝はどう思うか。須陀洹(初果の聖者)はこのような念を起こし得るか——『わたしは須陀洹果を証得した』と。」

須菩提言:「不也,世尊!何以故?須陀洹名為入流,而無所入;

須菩提は言った。「できません、世尊!なぜか。須陀洹は「入流」の意、すなわち初めて聖者の流れに入るのであり、実際には入るべきところのどこかがあるわけではありません。

不入色、聲、香、味、觸、法,是名須陀洹。」

彼は色・声・香・味・触・法に堕ちることがない。ゆえに須陀洹というのです。」

「須菩提!於意云何?斯陀含能作是念:『我得斯陀含果』不?」

「須菩提!汝はどう思うか。斯陀含(二果の聖者)はこのような念を起こし得るか——『わたしは斯陀含果を証得した』と。」

須菩提言:「不也,世尊!何以故?斯陀含名一往來,而實無往來,是名斯陀含。」

須菩提は言った。「できません、世尊!なぜか。斯陀含は「一往來」の意、すなわちあと一度天上・人間に往反するだけですが、実際には往來というべきものがありません。ゆえに斯陀含というのです。」

「須菩提!於意云何?阿那含能作是念:『我得阿那含果』不?」

「須菩提!汝はどう思うか。阿那含(三果の聖者)はこのような念を起こし得るか——『わたしは阿那含果を証得した』と。」

須菩提言:「不也,世尊!何以故?阿那含名為不來,而實無不來,是故名阿那含。」

須菩提は言った。「できません、世尊!なぜか。阿那含は「不來」の意、すなわち再び欲界に受生しないということですが、実際には「不來」というべきものがありません。ゆえに阿那含というのです。」

「須菩提!於意云何?阿羅漢能作是念:『我得阿羅漢道』不?」

「須菩提!汝はどう思うか。阿羅漢はこのような念を起こし得るか——『わたしは阿羅漢道を証得した』と。」

須菩提言:「不也,世尊!何以故?實無有法名阿羅漢。

須菩提は言った。「できません、世尊!なぜか。実際には阿羅漢という固定したものがないからです。

世尊!若阿羅漢作是念:『我得阿羅漢道』即為著我、人、眾生、壽者。

世尊!もし阿羅漢が『わたしは阿羅漢道を証得した』という念を起こせば、それは我あり・人あり・衆生あり・寿者ありを執着するのです。

世尊!佛說我得無諍三昧,人中最為第一,是第一離欲阿羅漢。

世尊!仏はわたしが無諍三昧(心が人と争わず、対立を起こさない定境)を証得し、人中最も第一であり、第一等の離欲の阿羅漢であると説かれました。

世尊!我不作是念:『我是離欲阿羅漢。』

世尊!しかしわたしはこのような念を起こしません——『わたしは離欲の阿羅漢である』と。

世尊!我若作是念:『我得阿羅漢道。』世尊則不說須菩提是樂阿蘭那行者。

世尊!わたしがもし『わたしは阿羅漢道を証得した』という念を起こせば、世尊は須菩提が阿蘭那行(寂静無諍の修行)を好む人であるとは言わなかったでしょう。

以須菩提實無所行,而名須菩提,是樂阿蘭那行。」

まさに須菩提は実際に「わたしは何らかの行を修している」という念がないがゆえに、阿蘭那行を好む須菩提と呼ばれるのです。」

荘厳浄土分第十『荘厳を成就し、心地を浄明に』

佛告須菩提:「於意云何?如來昔在燃燈佛所,於法有所得不?」

仏は須菩提に告げた。「汝はどう思うか。如来は昔燃灯仏のところにあって、法について得るところがあったか。」

「不也,世尊!如來在燃燈佛所,於法實無所得。」

「ありません、世尊!如来は燃灯仏のところにあって、法について実際に得るところは何もありません。」

「須菩提!於意云何?菩薩莊嚴佛土不?」

「須菩提!汝はどう思うか。菩薩は仏土を荘厳しているか。」

「不也,世尊!何以故?莊嚴佛土者,即非莊嚴,是名莊嚴。」

「していません、世尊!なぜか。いわゆる荘厳仏土は、真実に執取し得る荘厳があるのではなく、ただ仮に荘厳と名づけるだけです。」

「是故,須菩提!諸菩薩摩訶薩,應如是生清淨心,

「ゆえに、須菩提!諸々の大菩薩はこのように清浄心を生起すべきである:

不應住色生心,不應住聲、香、味、觸、法生心,應無所住而生其心。」

色に執着して心を生ずべきではなく、声・香・味・触・法にも執着して心を生ずべきではなく、執着する所なくしてその心を生起すべきである。」

「須菩提!譬如有人,身如須彌山王,於意云何?是身為大不?」

「須菩提!譬えば人があって身が須弥山王のように高大だとする。汝はどう思うか。この身は大と言えるか。」

須菩提言:「甚大,世尊!何以故?佛說非身,是名大身。」

須菩提は言った。「甚だ大きいです、世尊!しかしなぜこう言うか。仏はそれが真実に執取し得る身ではなく、ただ仮に大身と名づけるだけと説かれるからです。」

無為福勝分第十一『無為の福を修すれば、布施に勝る』

「須菩提!如恆河中所有沙數,如是沙等恆河,於意云何?是諸恆河沙,寧為多不?」

「須菩提!恒河の中の沙粒ほど多くの恒河があるとする。汝はどう思うか。これらの恒河の中の沙粒は多いか。」

須菩提言:「甚多,世尊!但諸恆河,尚多無數,何況其沙。」

須菩提は言った。「甚だ多いです、世尊!ただそれらの恒河だけでも数え尽くせないほど多いのに、ましてその中の沙粒においてをや。」

「須菩提!我今實言告汝:若有善男子、善女人,

「須菩提!わたしはいま実語で汝に告げる。もし善男子・善女人があって、

以七寶滿爾所恆河沙數三千大千世界,以用佈施,得福多不?」

七宝をもってそのように恒河沙数の三千大千世界を満たして布施するなら、得る福は多いか。」

須菩提言:「甚多,世尊!」

須菩提は言った。「甚だ多いです、世尊!」

佛告須菩提:「若善男子、善女人,

仏は須菩提に告げた。「もし善男子・善女人が

於此經中,乃至受持四句偈等,為他人說,而此福德,勝前福德。」

この経について、たとえその中の四句偈だけでも受持し、また他人のために講説するなら、この福徳は前の福徳に勝れる。」

尊重正教分第十二『正教を受持すれば、天人尊重す』

「復次,須菩提!隨說是經,乃至四句偈等,

「次に、須菩提!随に処を問わずこの経を講説し、たとえその中の四句偈だけでも、

當知此處,一切世間,天、人、阿修羅,皆應供養,如佛塔廟。何況有人,盡能受持讀誦。

知るべきである——このところは、一切世間の天神・人・阿修羅が皆供養に来るべきで、仏の塔廟を供養するがごとし。まして人がこの経全体を尽く受持読誦できるにおいてをや。

須菩提!當知是人成就最上第一希有之法,若是經典所在之處,即為有佛,若尊重弟子。」

須菩提!知るべきである。このような人は最上・第一・希有の法を成就する。およそこの経典のあるところは、すなわち仏のあるに等しく、また仏の尊重する弟子のあるに等しい。」

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