姓字
子主姓劉,丑主姓孫田牛,丑加辰為兵,寅主趙、高,寅卯外加亥子姓李,卯主絲竹木、千里,未主構、井、田,辰主山,申主張韓袁候,卯申為劉,辰戌丑未加亥子為王,卯加巳為杞,卯加酉為劉,酉主人為金刀口字又姓劉,丑加巳紀,
以下は課の上より姓氏を取るの口訣にして、みな地支・天将の字形と物象を拼合して出せるを拠ると為す。子は劉姓を主る。丑は孫・田・牛の三姓を主る。丑を辰の上に加えれば兵姓を為す。寅は趙姓・高姓を主る。寅・卯の外に再加えて亥・子は、是れ李姓(木旁に子を配す)なり。卯は糸・竹・木の一類の偏旁を主り、また「千里」の二字の合する所の姓を主る。未は構・井・田の三姓を主る。辰は山旁の姓を主る。申は張・韓・袁・候の四姓を主る。卯と申と相配して劉を為す。辰・戌・丑・未はどの一位をも亥・子の上に加えてもみな王姓を成す(土は水数一を配す)。卯を巳に加えて杞を為す。卯を酉に加えて劉を為す。酉は本身に「人」を取り、また「金刀」と「口」の字を取る、ゆえにも亦は劉姓なり。丑を巳に加えて紀姓を為す。
六合加亥為鄧,太陰加酉為呂,天后加子為聶,六合臨巳午郝,卯酉相加六合披辛姓關,貴人加酉鄭,六合太陰邵,未加子姓姜,卯加寅姓柳,六合加酉姓閻,朱雀螣蛇加寅卯姓李,
六合を亥の上に加えれば鄧姓を為す。太陰を酉の上に加えれば呂姓を為す。天后を子の上に加えれば聶姓を為す。六合は巳・午に臨めば郝姓を為す。卯と酉と相加して、六合は再び辛を配し、為す関姓なり。貴人を酉の上に加えれば鄭姓を為す。六合と太陰と同見すれば邵姓を為す。未を子の上に加えれば姜姓を為す。卯を寅の上に加えれば柳姓を為す。六合を酉の上に加えれば閻姓を為す。朱雀・螣蛇を寅・卯の上に加えれば李姓を為す。
子卯相加為柳,太陰加土姓周,天罡加勾陳姓龐,月將加酉姓時,辰加寅姓翟,神后臨卯姓藺,寅卯相加宋林,天罡加酉姓龔,六合加子姓孔加巳為杞,六合臨酉為蘭,青龍加卯姓關,卯加未為開,子加丑為孟。
子と卯と相加して柳姓を為す。太陰を土位の上に加えれば周姓を為す。天罡辰と勾陳と同見すれば龐姓を為す。月将を酉の上に加えれば時姓を為す。辰を寅の上に加えれば翟姓を為す。神后子を卯の上に臨ませれば藺姓を為す。寅と卯と相加して宋姓あるいは林姓を為す。天罡を酉の上に加えれば龔姓を為す。六合を子の上に加えれば孔姓を為し、巳の上に加えれば杞姓を為す。六合を酉の上に臨ませれば蘭姓を為す。青龍を卯の上に加えれば関姓を為す。卯を未の上に加えれば開姓を為す。子を丑の上に加えれば孟姓を為す。巻首の目次に拠れば、本篇の後に還た応に「定十二支相貌法」「十干形貌」「占人形貌」の三篇有るべし、底本は却って接して便ち跋語、この三篇は目有りて文無く、底本の脱佚に属す、今原樣に照らして存録し、補綴を作らず。
右一字訣又名玉連環,盧溪徐次賓述,翠微樵隱王順氏序其端,蓋大金人書也。余昔於苕溪,得羅子曼先生所傳陳狀元玉連環一書,題曰管輅公明撰,與此大略相似,而次序有異,後七言歌章,占風雨等論舊館兵失去久矣。
以上のこの部の『一字訣』はまたの名を『玉連環』と曰い、是れ廬渓人の徐次賓の撰述、自ら翠微樵隠と号する王順よりそれのために巻首のあの篇の序を写したる、原は金朝人の著作なり。我従前苕渓に在りて、得たり羅子曼先生の伝える所・題して「陳状元玉連環」と為すの一部の書、署名は説く三国の管輅(字は公明)の撰すると、内容はこの一部と大致相似するも、ただ篇章の次序不同なり。あの書の後面に還た七言の歌訣および占風雨等の篇有り、可惜旧日館舎に存放のとき兵乱に遭い散失し、已に很久なり。
子曼亦以江西再不復見,今錄是書有動厥中不能無慨嘆耳,次賓雲中間,假令悉是分城元先生所傳,不知次賓於分城為何人耶,知之者必有教諸,然嘉言妙理必有原委,要當參透何必考為何人也。
羅子曼は後来江西に去り、此後再び見面すること有らず。如今この部の書を抄録するに、心裏に触動する所有り、能く感慨する一番せざらざるを得ず。徐次賓は書の裏に説く、その中の各条の実例は全く分城元先生の伝える所と。しかれども徐次賓とこの位の分城先生とは什麼の関係かを知らず、あの位の先生はまた何許人なるか。内情を知る人は、想必教を賜うことを肯んずるならん。不過話を帰して言えば、凡是の好話妙理は必定各々来歴有り、要緊なるは道理を参りて透る、また何ぞ必ずしも彼が誰なるかを考出せんと要せんや。
洪武丁巳五月端陽後一日 松江朱恆 識
明太祖洪武の丁巳年(洪武十年、公元一三七七年)五月の端午節の後の一天、松江人朱恒の題記。
