Libo

奇門源流

唐 · 徐道符 · 第1巻 / 6

作盤ガイド: 奇門遁甲作盤

注釈煙波釣叟歌、又名鬼谷三元歌

奇門遁甲典籍

排盤規則をまず明確にしないと格局の部分が落とし所を失う。歌訣を読むときは、同時に手で一盤を排して対照するのがよい。

奇門之說,論者謂始於黃帝,刪於呂望、張良。漢以前,往往散見於他書,至於《隋志·藝文》專書,始有一十三家。唐益倍之,則其學之來,亦不在近矣。

「奇門」について語る人は皆、この学問は黄帝に始まり、後に呂望(姜太公)と張良によって刪定整理されたと言います。漢代以前は、これに関する記述は他の書物に断片的に散見されるだけでしたが、《隋書・経籍志》が専門の著作を著録するようになると十三家にも及び、唐代の著録は隋代の倍の数になりました。ここから見ても、この学問の来歴は決して近いものではありません。

《陰符經》曰:「爰有奇器,是生萬象,八卦甲子,神機鬼藏。」張良注云:「六癸為天藏,可以伏藏。」由是言之,即奇門之權輿也。

《陰符経》に曰く、「爰に奇器あり、これ万象を生じ、八卦甲子、神機鬼蔵」と。張良がこれらの句に注を施して言います、「六癸は天蔵の位であり、伏蔵するのに用いることができる」と。いわゆる「六癸」とは、六十甲子のうち天干が癸である六つの時辰を指し、奇門では癸の臨む宮を最も形を蔵するのに適した処とします。ここから見ても、《陰符経》のこの数句は奇門遁甲という学問の端緒です。

《大戴禮記·明堂篇》曰:「明堂者,古有之也,凡九室,二九四、七五三、六一八。」蓋即河圖之義,而奇學之九宮。《漢·藝文志》有《明堂陰陽》二十三篇,又《明堂陰陽》五篇。宣帝時,魏相表採《易》陰陽及《明堂月令》,言五帝所司各有時,東方之卦不可以治西方,南方之卦不可以治北方,乃以八卦方位配明堂之九室。《後漢·張衡傳》,鄭元既注九宮之說;而《南齊·高帝本紀》注云:「九宮者,一為天蓬,二為天內,三為天沖,四為天輔,五為天禽,六為天心,七為天柱,八為天任,九為天英,皆有太過不及之占。」

《大戴礼記・明堂篇》に曰く、「明堂という建築は古くからあり、合計九つの屋からなり、その配列の順序は二九四、七五三、六一八である」と。これはまさに河図洛書の義理であり、すなわち奇門の学が用いる「九宮」――方位を九つの格に分け、五を中央に置き、残りの八宮を上記の数順で四周に環列させたものです。《漢書・芸文志》には《明堂陰陽》二十三篇が著録され、また《明堂陰陽》五篇があります。漢の宣帝の時、魏相が上表し、《易》の陰陽の説と《明堂月令》を採り入れて、五帝がそれぞれ一つの時令を主管し、東方の卦をもって西方を治めることはできず、南方の卦をもって北方を治めることはできないと説き、そこで八卦の方位を明堂の九つの屋に配しました。《後漢書・張衡伝》では鄭玄がすでに九宮の説に注を施しており、《南斉書・高帝本紀》の注にはまた「いわゆる九宮とは、一宮は天蓬、二宮は天内(すなわち天芮)、三宮は天冲、四宮は天輔、五宮は天禽、六宮は天心、七宮は天柱、八宮は天任、九宮は天英で、各宮に気の太过と不及の占いがある」と言います。この九つの名目が、後世の奇門「九星」の由来です。

《唐會要》:元宗三戴十月,術士蘇嘉慶上言,請於京城置九宮壇,五數為中,戴九履一、左三右七、二四為上、六八為下,符於遁甲。武宗會昌二年正月,左僕射王起等奏按《黃帝九宮經》及蕭吉《五行大義》,所謂一宮天逢、卦坎、行水方、白者,與今奇門之宮星無異。惜乎隋唐志所列諸家,今皆不傳,豈其秘之勿洩耶?抑顯晦各有時也。

《唐会要》に記されます。唐の玄宗・天宝三載十月、術士の蘇嘉慶が上奏し、京城に九宮壇を設けることを請い、五を中央とし、九を上に・一を下に、三を左に・七を右に、二と四を上に・六と八を下に据えました。この配列は遁甲の九宮と完全に符合します。唐の武宗・会昌二年正月、左僕射の王起らが上奏し、《黄帝九宮経》と隋人・蕭吉の《五行大義》を考按しましたが、そこに説かれる一宮の名が天逢、卦が坎に属し、五行が水、方位が北、色が白であることは、今日の奇門が用いる宮と星と少しも違いがありません。惜しいことに、《隋書》《唐書》の経籍志に列挙されたそれらの奇門の著作は、今日ではすべて失われています。はたして各家が秘蔵して外に洩らさなかったのでしょうか。それともこの学問は本来、顕れる時と隠れる時とがそれぞれ定まっていたのでしょうか。

宋之仁宗,以洗馬楊維德簒六壬則曰《神應經》,奇門則曰《符應經》,今亦不能見其全。得毋好古之士,尚有什襲而藏者乎?明之宸濠稱亂,王守仁收攬異術,乃有李成吾者進以奇門真傳,今之所謂李氏奇門者也。

宋の仁宗の時、太子洗馬の楊維徳に術数の書を編纂させ、六壬を講ずるものを《神応経》と題し、奇門を講ずるものを《符応経》と題しましたが、この二部の書も今や完全な本を見ることはできません。まさか好古の士の中に、これを幾重にも包んで秘蔵し出さない者がいるのでしょうか。明代に至り、寧王・朱宸濠が兵を起こして乱を為し、王守仁が平定のためにあらゆる異術を広く集めたところ、李成吾という者が奇門の真伝を献上しました。この系統が今日いうところの「李氏奇門」です。

仇鸞門下士有林士徵者,以奇門占兵屢有有奇驗,錦衣陸炳序其書而傳之,人呼為林氏奇門。陶仲文以李林二氏之書,忝以他書而謬紊之,曰《陶真人遁甲神書》。蓋勝國之以奇門著見者三家而巳矣。

大将軍・仇鸞の門客の中に林士徵という者がおり、奇門で軍事を占ってしばしば的中したので、錦衣衛都督の陸炳が彼の書に序を付して流布させ、人々はこれを「林氏奇門」と呼びました。後に陶仲文がまた李・林両家の書を取り寄せ、他の書を混ぜ入れてでたらめに攪乱し編次して《陶真人遁甲神書》と題しました。前朝(明代)に奇門の一術で世に名を成した者を合計しても、李・林・陶の三家に過ぎません。

考諸奇門之序,出於《都天撼龍經》八十一論者凡九:其一曰都天九卦,二曰人地三元,三曰行軍三奇,四曰造宅三白,五曰遁形太白之書,六曰八山撼龍之訣,七曰轉山移水九字元經,八曰建國安基萬年金鏡,九曰玄宮入福救貧、生仙產聖。今所傳者,造宅三白耳,外俱不得而見聞。或者名山石室之藏,精光不能終廢,更有取而修明者乎?廢幾拭目俟之矣。【天芮《漢書》作內、天蓬《唐書》作逢。】

奇門の書目の次第を考究すると、《都天撼龍経》八十一論に出るものが全部で九種あります。第一は「都天九卦」、第二は「人地三元」、第三は「行軍三奇」、第四は「造宅三白」、第五は「遁形太白の書」、第六は「八山撼龍の訣」、第七は「転山移水九字元経」、第八は「建国安基万年金鏡」、第九は「玄宮入福救貧、生仙産聖」です。今日伝わっているのは「造宅三白」の一種のみで、残りはすべて見聞することができません。おそらく名山の石室の中に蔵されていて、その精光はついに埋没することなく、将来またそれを取り出して新たに闡明する人が現れるでしょう。私は筆を擱いて目を拭いて待ちます。原書の夾注:天芮という星は《漢書》では「天内」と作り、天蓬という星は《唐書》では「天逢」と作ります。

遁甲総論

遁甲為兵而設,兵為陰象,為詭道,故取諸遁,謂其遁於六儀之下而不見其形也。蓋甲為至尊之神,宜藏而不宜露,宜和而不宜乘,宜生扶而不宜剋制。所喜者惟土,所憎者惟金。惟其喜土也,故奇門始起之宮,例以六戊隨之,甲逆而戊亦逆,甲順而戊亦順,如形之與影,兩相附而不相離。惟其憎金也,故有乙之合以伺其內,有丙丁之威以制其外。乙者甲之同氣,丙丁者甲之子嗣,如手足之衛腹心,臣子之衛君父,鼎足之形成,而後甲有苞桑之固矣。

遁甲という術数は本来、用兵のために設けられたものです。用兵は陰に属し、詭詐の道であるから、「遁」(隠蔵)を名に取るのです。甲が「六儀」(戊・己・庚・辛・壬・癸の六つの天干)の下に隠遁して形形跡を顕さないという意味です。甲は十干のうち最も尊貴な神であり、蔵するべきで顕すべきではなく、人と和すべきで他の干に乘凌されるべきではなく、生扶を得るべきで克制に遭うべきではありません。その喜ぶものは土だけであり、その憎むものは金だけです。甲が土を喜ぶからこそ、奇門の起局では頭の一宮に必ず六戊を甲に随わせるのです。甲が逆行すれば戊も逆行し、甲が順行すれば戊も順行し、形と影のように互いに依附して離れません。甲が金を憎むからこそ、乙を庚と合させて内部から庚を牽制し、丙・丁の火威を外部から庚を剋するよう配置するのです。乙は甲の同類の気(同じく木に属す)であり、丙丁は甲の生ずる子嗣(木は火を生ず)であり、手足が腹心を衛り、臣子が君父を衛るようなものです。乙丙丁の三者の鼎足の勢いが一成すれば、甲ははじめて苞桑に繫がれたような穏固さを得ます。

先王之建萬國、親諸侯,其義亦準諸此。故陰陽順逆者,造化之定理;戴九履一者,河洛之精蘊。配以八門、八卦列矣,加以三盤、三才正矣,重以三奇、三光耀矣,積時置閏、歲功成矣。

古代の聖王が万国を分封し、諸侯を親しませて屏藩としたのも、道理はこれに照らして出てきたものです。だから陽遁の順行・陰遁の逆行は造化不易の定則であり、「戴九履一」(九が上、一が下という洛書の数序)は河図洛書の精髓です。八門を配せば八卦の方位が定まり、天盤・地盤・人盤の三盤を加えれば天地人三才の位次が正しくなり、さらに乙丙丁の三奇を加えれば日月星の三光が光輝を放ち、時辰の盈余を積んで閏局を設ければ一年の功用が備わります。

一節三元、二十四氣備矣。以六十時干為經,以四時八節為緯,二九四、七五三、六一八,相摩相蕩,而四千三百二十之局以成。大之為風雲龍虎之機宜,小之為動靜行藏之趨避,範圍天地而不過,曲成萬物而不遺,百姓曰用而不知。雖其中不無詭譎荒唐,悖於聖賢之論,今但取其生剋制伏,近於理者,著之於篇,以前民用,而輔易道之所未備。凡欲教為子者之思孝,教為臣者之思忠,不至於前有讒而不知,後有賊而不見,未必非修齊治平者一助也。至於書符誦咒,似屬不經,槩不錄入。

一つの節気は上・中・下の三元を統べ、二十四節気がこれで斉備します。六十の時辰の干支を経線とし、四季八節を緯線とし、二九四、七五三、六一八の九宮の数序に従って互いに摩蕩推移すれば、四千三百二十の局が構成されます。大きく用いれば風雲龍虎の軍国の機宜であり、小さく用いれば一動一静・或行或蔵の趨吉避凶です。天地を籠罩してその外に出ず、万物を成就して遺漏することなく、百姓は日々これを用いて知らないのです。その中には詭譎荒唐で聖賢の論に背く成分が免れないとはいえ、今はただ五行の生克制伏を説く事理に近い部分を取って本書に書き入れ、百姓の日用を指導し、《易》の道がまだ具えていない一面を補います。おおよそ人の子たる者に孝を尽くすことを思わせ、臣たる者に忠を尽くすことを思わせ、人が前に讒人があって覚らず、後ろに賊人があって見えないという事態に陥らないようにするのも、修身斉家治国平天下の一助でないとは言えません。画符念呪の類については、荒唐無稽のようであるので一切収録しません。

凡例

——奇門久巳失傳,人樹一幟,敝帚千金,無從別白。今一字一義,有兩說三說者並存之,以備參考。 ——奇門眾說紛然,取其理之正者為首行,列於後或分注者為次,不敢私心去取,然亦略見低昂。

奇門の一術は失伝して久しく、各家がそれぞれ旗を樹て、皆が自らの弊帚を千金と見なし、誰が是で誰が非かを弁ずるすべがありません。今はおおよそ一つの字・一つの義理に二説三説あるものは、並べて保存し、読者の参考に供します。奇門に衆説紛紛たるものは、本書では義理の最も正しい一説を取って正文の首行とし、残りを後に附列するか下に分注して次の等の説とします。私意をもって取捨する敢えてはしませんが、読者もこの順序から高下軽重をおよそ見ることができるでしょう。

——奇門兵事,避忌甚多。凡三勝地五不擊之外,又有太歲、月建俱不可擊,旺氣所在,亦宜避之,所謂春不東伐、秋不西征者是也。與夫亭亭白奸、三門四戶、天馬方之類,須從歲月太陽查筭,書中未能預載。

奇門を兵事に用いるには、忌諱が多くあります。「三勝地」「五不撃」のほか、太歳と月建のある方位もいずれも攻撃してはなりません。当令旺気のある方向も同じく回避すべきであり、いわゆる春は東に征伐せず、秋は西に出兵しないということです。「亭亭」「白奸」という二神および「天三門」「地四戸」、天馬のある方などは、いずれも当年当月の太陽の所在に拠って別途推算しなければならず、本書には予め列挙することができません。

——奇門最重格局,如龍回首、鳥跌穴吉矣,如逢庚為直符,則為格勃,勃格又不可用;龍走、雀投凶矣,為主者不害;虎狂、蛇矯凶矣,為客者不害。皆有活訣,不可一例。

奇門が最も重視するのは格局です。たとえば「青龍返首」「飛鳥跌穴」はもともと吉格ですが、もし庚が直符となることに出くわせば「格」と「勃」になり、この時勃格はまた用いることができません。「青龍逃走」「朱雀投江」はもともと凶格ですが、「主」(守る方、後に動く方)には害がありません。「白虎猖狂」「螣蛇夭矯」はもともと凶格ですが、「客」(攻める方、先に動く方)には害がありません。これらにはすべて融通の訣竅があり、一概に論ずることはできません。

——奇門選擇,最重衰旺休囚。如開門本吉,但其性屬金,如臨土宮金位,及當季夏三秋,所謂得時得地,時之最吉者也;如在春夏,而臨於木火,則金氣大衰,豈得為吉。凡八門皆然,三奇亦然。

奇門で時日方位を選ぶには、五行の衰・旺・休・囚を最も重視します。たとえば開門はもともと吉門ですが、その性は金に属します。もし土に属する宮(土は金を生ず)または金に属する宮(同気相扶助)に臨み、さらに季夏六月の土旺と秋季の三ヶ月に正に当たれば、これを「得時得地」と言い、最も吉の時です。もし春夏にあって木・火に属する宮に臨めば、金気は大いに衰え、どうして吉と称することができましょうか。八門は皆この道理であり、乙丙丁の三奇も同じです。

——選擇以奇門會合為上吉。若有門無奇猶為可用,有奇無門則當另擇矣。然如捕獵用傷門,逃亡用杜門,弔唁用死門之類,皆當擇其得時得地,即為上吉,又不專重奇門也。

時を選ぶには三奇と吉門が同一の宮に会合するのを最上吉とします。もし吉門だけあって三奇がなければ、まだ強いて用いることはできます。もし三奇だけあって吉門がなければ、別の時辰を選ぶべきです。ただし捕猟に傷門を用い、逃亡に杜門を用い、弔喪に死門を用いるという類は、用いる門が得時得地でさえあれば上吉であり、むしろ奇と門が会合するかどうかを専ら重視しません。

——陰陽宅選擇粗工,但知奇門會合為吉,不知陽宅須與宅主生命,配合門奇之生旺;陰宅須與山頭化命,配合門奇之生旺。若德祿貴馬、三合六合之理,皆宜參考。

陽宅・陰宅の日を選ぶ粗浅な工匠は、奇と門が会合すれば吉だということだけを知り、陽宅ではなお宅主の生年本命を取って門と奇の生旺に配合しなければならないこと、陰宅ではなお墳塋の坐山と亡者の「化命」(亡くなった人の生年の所属)を取って門と奇の生旺に配合しなければならないことを知りません。このほか天徳・禄神・貴人・駅馬および三合・六合の道理も、いずれも併せて参考すべきです。

——選擇止用奇門,則諸家可廢,然亦須檢點,必當配合斗首五行、太陽吉凶星煞,無有避忌,而又能合於奇門,方為萬吉。故造宅遷塟之家,往往有查至十餘年而後得,蓋欲求其純吉無凶者,甚難也。

日を選ぶに奇門の一法だけを用いれば、他家の方法はすべて廃してよいのですが、それでもなお細かく検点し、必ず同時に「斗首五行」と太陽の臨む吉凶の星煞に配合し、各項の忌諱にいずれも触犯せず、また奇門に相合することができて、はじめて万全大吉と算します。だから家屋を営造し墳墓を遷葬する家は、往々にして十余年の暦日を繰り返し調べてようやく一つの日を選び出します。純吉無凶の時を求めることが実に難しいからです。

——奇門占法,要分動靜之用。靜則止查直符、直使時干,看其生克衰旺何如;動則專看方向。蓋動者幾之先見者也。如聞南方之事,則占離位;聞北方之事,則占坎位。凡鴉鳴鵲噪,東鳴則看震,西鳴則看兌。此皆不能膠柱鼓瑟、刻舟求劍者也,諸占例此。

奇門で占うには、「静占」と「動占」の二つの用法を分けます。静占はただ「直符」(当旬に事を値する星)、「直使」(当旬に事を値する門)と用いる時辰の天干を調べ、それらの互いの生剋・当令の可否を見ます。動占はひとえに事の発生する方向を見ます。動象はまさに事機が予め顕露する処だからです。たとえば南方の事を聞けば離宮を占い、北方の事を聞けば坎宮を占います。烏や鵲が鳴き噪ぐ時、東で鳴けば震宮を見、西で鳴けば兌宮を見ます。これらは皆成法を死守し、柱に膠り瑟を鼓し、舟を刻して剣を求めるようなことをしてはなりません。残りの各類の占法もこれに照らして行います。

——奇門占法,其說不一。如占天時之法,有專看直符者,有專看格局者,有專看天蓬、天英為水火二星者,有專看壬癸丙丁為時雨所司者,有專看雨師風伯、雷公電母等神者。其說既不可全非,其理亦不可偏廢,臨時會意,頭緒紛然,靈機所觸,皆難預決,諸占放此。

奇門の占法は各家の説が一でありません。たとえば天気を占うには、ひとえに直符を見る者、ひとえに格局を見る者、ひとえに天蓬(水星)・天英(火星)という水火の二星を見る者、ひとえに壬・癸・丙・丁の四干を見てそれらが時雨晴陰を主管すると考える者、またひとえに雨師・風伯・雷公・電母という神煞を見る者がいます。これらの説は全否定することもできず、それぞれの道理も偏廃することはできず、占いに臨む時はすべて融会して意を取ります。頭緒は紛繁で、霊機の触発する処はいずれも予め規定することができません。残りの各類の占法もこのように見ます。

釈義四十四則

釈奇

乙為日奇、丙為月奇、丁為星奇,故名三奇。然讀如奇偶之奇亦通。蓋戊己庚辛壬癸,皆有六甲遁乎其中,是甲與六儀相偶也;乙丙丁則單行矣,故名奇。兵家所謂《握奇經》者,亦音奇偶之奇,義亦相同。

乙を「日奇」、丙を「月奇」、丁を「星奇」と呼び、合わせて「三奇」と称します。ただし「奇」の字を奇偶の「奇」(単数の義)と読んでも通じます。戊・己・庚・辛・壬・癸の六つの天干のうちにはそれぞれ一つの甲旬の旬首が隠遁しており、甲と「六儀」は双を成して対になっています。それに対して乙・丙・丁の三干は単行で配がないので「奇」と呼ぶのです。兵家のいう《握奇経》の「奇」の字も奇偶の奇と読み、取義はこれと同じです。

釈儀

儀者用也,為甲所用也,亦有儀衛之義。蓋甲遁於儀中,而儀則衛乎其外也。

「儀」とは用のことで、戊己庚辛壬癸の六つの天干が甲に駆使されて用いられるものを指します。同時に儀仗護衛の意味も含みます。甲が儀の中に隠遁するので、儀は外でそれを護衛するのです。

釈門

五行之理,畏克喜生。甲木位於東,庚金位於西,東西相對,木之畏金也甚矣,故用奇以制庚。庚制而退休於坎,以就水之生,故正北為休門。休於北而對於南,有嚮明而治之象,景者大也,故正南為景門。水能滋木,金能生水,生則金氣洩,洩則木氣舒,故金水之間,西北為開門。有開必有闔,故對開為杜門,杜者言陽氣欲盡也。木既休於水,則木氣暢,故水木之間,東北為生門。有生必有死,故對生為死門,死者言落其實而取材也。庚欲犯甲,甲既休於北,而對之者惟有卯木,不無受傷之患,此傷而彼亦驚,故正西為驚門,正東為傷門。

五行の道理は剋を怕れて生を喜びます。甲木は東方に居り、庚金は西方に居り、東西は正しく相対し、木が最も怕れるのは金です。だから三奇を用いて庚を制します。庚が制服されれば、坎宮(正北)に退いて休息し、水に就いて自らを生じさせます。だから正北を「休門」と定めます。休が北にあってそれと相対するのは南であり、南方には光明に面して天下を治める象があり、「景」は大の意味であるから、正南を「景門」と定めます。水は木を滋養することができ、金は水を生ずることができます。金が水を生ぜば金気は泄れ、金気が泄れば木気は舒展します。だから金と水との間の西北を「開門」と定めます。開があれば必ず閉があります。だから開と相対するのは「杜門」であり、「杜」とは陽気が将に窮まろうとすることを言います。木はすでに水中で休養し、木気は暢達します。だから水と木との間の東北を「生門」と定めます。生があれば必ず死があります。だから生と相対するのは「死門」であり、「死」とは草木が果実を結び、材を取れる時を言います。庚が来て甲を侵犯しようとする時、甲はすでに北方で休息し、庚と正対するのは卯位の木だけが残り、受傷の患を免れません。こちらが傷つけば、かなたも驚懼します。だから正西を「驚門」、正東を「傷門」と定めます。

釈星

蓬、任、沖、輔、英、芮、柱、心、禽,其立義皆本於甲,而其取義則因於節氣。蓋甲既遁而星乃顯其用,謂之星者,必晦而後現,猶夫甲之必遁而後顯也。冬至之木,陽意已動,蓬者逢也,言能復逢其陽也,故一宮曰蓬。立春乃可以任其性矣,故八宮曰任。春分則其氣益暢,故三宮曰沖,沖者動也。至於立夏,扶蘇四蔭,附之者益眾,故四宮曰輔。夏至而英華盡露矣,故九宮曰英。立秋而斂,故二宮曰芮,芮之為言內也。秋分黃落,厥干獨存,故七宮曰柱。立冬則體竭內含,中藏仁德,故六宮曰心。惟土則四時相依於木,有禽之象焉,故中五曰禽。

天蓬・天任・天冲・天輔・天英・天芮・天柱・天心・天禽という「九星」は、名を立てる意旨は皆甲木に本づき、取義は節気に依拠します。甲がすでに隠遁してこそ、九星はその用を顕します。「星」と称するのは、星は必ず先に隠晦して後に現れるもので、まさに甲が必ず先に隠遁して後に用を顕すのと同じだからです。冬至の木は陽意がすでに萌動しており、「蓬」はすなわち「逢」で、また陽気の帰ることに逢うことを言います。だから坎一宮を天蓬と呼びます。立春の時、木ははじめて本性を任せて生長することができます。だから艮八宮を天任と呼びます。春分には木気がいっそう暢達します。だから震三宮を天冲と呼び、「冲」は動の意味です。立夏に至ると枝葉が扶疎して四面に陰を成し、それに依附する者がいよいよ多くなります。だから巽四宮を天輔と呼びます。夏至には精華が尽く顕露します。だから離九宮を天英と呼びます。立秋には収斂を始めます。だから坤二宮を天芮と呼び、「芮」はすなわち「内」です。秋分には葉が黄ばみ凋落し、樹幹だけが独り残ります。だから兌七宮を天柱と呼びます。立冬には形体が尽きて生機が内に含まれ、中に果核の仁を蔵します。だから乾六宮を天心と呼びます。土に至っては四季を通じて木に依托して存し、禽鳥の栖止する象があります。だから中五宮を天禽と呼びます。

釈九宮之色

兩儀立而後五性分,青黃赤白黑者,五方之正色。九宮之色有七,而色不同,不可以五方論。如坎在北,色主黑,而九宮主白;坤土宜黃,而九宮主黑;兌金主白,而九宮主赤。此從九宮時氣之色而言也。坎、艮皆白,萬物未萌之色也。方春而芽,白者漸有青意而猶未青,故曰碧,屬震。初夏屬巽,色重於青,故曰綠。盛夏在離,其氣薰灼,故不曰赤而曰紫。過夏而神色漸穠,故曰黑。秋深在兌為赤,丹黃凋落矣。交冬為干,萬物歸根,無色可見,故亦曰白。黃主土,四季有之,故不配於八月,非正色間色之謂也。

陰陽両儀が確立して後、五行の性が分かれ、青・黄・赤・白・黒は五方の正色です。しかし九宮の色は七種あり、しかも五方の正色と合わず、五方の色をもって論ずることはできません。たとえば坎は北方で本色は黒であるべきところ、九宮では一白と称します。坤は土で本色は黄であるべきところ、九宮では二黒と称します。兌は金で本色は白であるべきところ、九宮では七赤と称します。これは九宮の値する時気の色から言うのです。坎一・艮八はいずれも白と称し、それは万物がまだ萌発しない時の色です。春の萌芽に至ると白の中に漸く青意が透きてまだ全く青くはならず、だから「碧」と呼び、震三に属します。初夏は巽四に属し、色は青よりいっそう深いので「緑」と呼びます。盛夏は離にあり気息が薫灼するので、赤と呼ばず「紫」と呼びます。夏を過ぎると物色が漸く濃くなるので「黒」と呼びます。深秋は兌にあって「赤」で、この時紅黄の葉が凋落します。冬に交わると乾に属し、万物は根に帰って色は見えず、だからまた「白」と呼びます。黄色は土を主り四季すべてにこれがあるので、専らある月に配せず、これは正色と間色の区別ではありません。

釈八神

八神者,天乙、螣蛇、太陰、六合、朱雀、白虎、九地、九天也。天乙常隨甲而加時干,故亦名直符。陽局順行、陰局逆行,依次臨方,不循宮次序。凡兵占以天乙所在,坐擊其沖;揚兵於九天,安營於九地,伏兵於太陰,匿形於六合,間諜用朱雀,偵探用白虎,驚擾用螣蛇,各有所司也。或有用元武、勾陳者,朱雀之下即可兼看玄武,勾陳之下即可兼看白虎。

「八神」とは天乙・螣蛇・太陰・六合・朱雀・白虎・九地・九天を指します。天乙は常に甲に随って用いる時辰の天干に加わるので、別名「直符」とも言います。陽遁局では八神は順行に排布し、陰遁局では逆行に排布して順次各方に落ち、一二三四の宮数に従っては行きません。およそ兵事を占うには、皆天乙のある宮を自己の坐守する地としてその正対面の一宮を攻撃します。兵威を張揚するには九天の方を用い、営寨を安んずるには九地の方を用い、兵馬を埋伏するには太陰の方を用い、行跡を隠匿するには六合の方を用い、間諜を遣るには朱雀の方を用い、偵察を遣るには白虎の方を用い、驚擾を作るには螣蛇の方を用い、それぞれ職司があります。玄武・勾陳の二神を兼用する者もいて、その場合は朱雀を見る時に玄武を兼ねて見、勾陳を見る時に白虎を兼ねて見ることができます。

釈八卦分八節

八節者,冬至、立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬也。冬至一陽生,生於陰之極也;夏至一陰生,生於陽之極也。故冬至起於坤,夏至起於干,以先天卦之接應也。是以立春起於震,春分起於離,立夏起於兌,行東蔀之生氣而隸於北;立秋起於巽,秋分起於坎,立冬起於艮,行西蔀之殺氣而隸於南。一節統三氣,一元統五日,一日統十二時,一時為一局,五百四十局為一卦,八卦合得四千三百二十局,以成一歲,此軒轅氏之始制也。一節分三氣,一氣立四十五局,歲得一千零八十局,此風后演軒轅氏四局為一局之制也。

「八節」とは冬至・立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬の八つの節を指します。冬至には一陽が来復し、これは陰が極点に至った処から生じ出るのです。夏至には一陰が初生し、これは陽が極点に至った処から生じ出るのです。だから先天八卦に従えば、冬至は坤に起こり(先天の坤は北)、夏至は乾に起こり(先天の乾は南)、これは先天の卦位と相接応するのです。これに照らして推すと、立春は震に起こり、春分は離に起こり、立夏は兌に起こり、東半部の生気を走って北方に隸属します。立秋は巽に起こり、秋分は坎に起こり、立冬は艮に起こり、西半部の殺気を走って南方に隸属します。一節は三つの気を統べ、一元は五日を統べ、一日は十二の時辰を統べ、一時辰は一つの局を用い、五百四十の局を合わせて一卦とし、八卦を合わせて全部で四千三百二十局、ちょうど一年を満たします。これは軒轅黄帝が最初に定めた制度です。後に一節を三つの気に分け、一気に四十五局を立て、一年に一千八十局を得たのは、風后が黄帝の四局を併せて一局として推演し出した制度です。

冬至甲子生於一,一數之始也;夏至甲子生於九,九數之終也。故冬至起於坎、夏至起於離,此後天卦之節應也。是以立春起於艮,春分起於震,立夏起於巽,順行陽氣而履於左;立秋起於坤,秋分起於兌,立冬起於干,逆行陰氣而戴於右。一節統三氣、一氣統三候、一候為一局、九局為一卦,八卦合得七十二局,以成一歲,此太公望約十五局為一局也。

冬至の甲子は一宮に起こり、一は数の始めです。夏至の甲子は九宮に起こり、九は数の終わりです。だから冬至は坎一宮に起こり、夏至は離九宮に起こるのは、これは後天の卦位と相応するのです。これに照らして推すと、立春は艮八宮に起こり、春分は震三宮に起こり、立夏は巽四宮に起こり、陽気に順って左に行きます。立秋は坤二宮に起こり、秋分は兌七宮に起こり、立冬は乾六宮に起こり、陰気に逆らって右に行きます。一節は三つの気を統べ、一気は三候を統べ、一候は一つの局を用い、九つの局を合わせて一卦とし、八卦を合わせて七十二局、一年を満たします。これは姜太公が十五の局を約して一つの局に併せた算法です。前の段は先天卦の起法を講じ、この段は後天卦の起法を講じています。先天は坤北乾南をもって二至を定め、後天は坎一離九をもって二至を定め、方位は異なりますが陰陽消長の道理は一致します。後世の排局が実際に用いるのはこの後天の一套です。

八節分二至,二至分陰陽,陽統十二氣順行九宮為陽九局:冬至、驚蟄、清明、立夏四氣,三元甲子起於一七四宮;小寒、立春、穀雨、小滿四氣,三元甲子起於二八五宮;大寒、春分、雨水、芒種四氣,三元甲子起於三九六宮。陰統十二氣逆行九宮為陰九局:夏至、白露、寒露、立冬四氣,三元甲子起於九三六宮;小暑、立秋、霜降、小雪四氣,三元甲子起於八二五宮;大暑、秋分、處暑、大雪四氣,三元甲子起於七一四宮。每一宮統四元,每一元統六十時,四元分得二百四十時為一局,歲四千三百二十時為十八局,此留侯又約四局為一局也。

八節は冬至・夏至の両至に統領され、両至はまた陰陽両遁を分け出します。陽遁は十二の気を統べ、九宮を順行し、合わせて陽九局を成します――冬至・驚蟄・清明・立夏の四つの気は、上・中・下三元の甲子をそれぞれ一宮・七宮・四宮に起こし、小寒・立春・穀雨・小満の四つの気は、三元の甲子をそれぞれ二宮・八宮・五宮に起こし、大寒・春分・雨水・芒種の四つの気は、三元の甲子をそれぞれ三宮・九宮・六宮に起こします。陰遁は十二の気を統べ、九宮を逆行し、合わせて陰九局を成します――夏至・白露・寒露・立冬の四つの気は、三元の甲子をそれぞれ九宮・三宮・六宮に起こし、小暑・立秋・霜降・小雪の四つの気は、三元の甲子をそれぞれ八宮・二宮・五宮に起こし、大暑・秋分・処暑・大雪の四つの気は、三元の甲子をそれぞれ七宮・一宮・四宮に起こします。実際に局を定める時は、まず当下の節気がどの組に属するかを見てから、所在の上元・中元または下元に従って対応するあの宮に甲子を起こします。一宮は四元を統べ、一元は六十の時辰を統べ、四元を合わせて二百四十の時辰をもって一局と算し、一年四千三百二十の時辰はすなわち十八局となります。これは張良(留侯)がまた四つの局を約して一つの局に併せた算法です。

漢陰居士曰:天地之理,陰陽生殺而已矣。含兩間而吐四時者,理中氣也。氣無理不畜,理無氣不舒。陰陽生殺者,所以畜其氣而舒其理者也。故庖羲氏俯仰以畫卦、軒轅氏即卦以分節,亦各緣陰陽生殺,發其含吐舒畜而已矣。八節之義:冬者陰也,其音翕,陰之理也;夏者陽也,其音張,陽之理也;春者陽之生氣也,故其音張而發;秋者陰之殺氣也,故其翕而斂。此陰陽理氣自然之翕張斂發,故運行四時而生成百物也。

漢陰居士が言います。天地間の道理は、ただ陰陽の生と殺だけです。天地間に含藴して春夏秋冬を吐き出すのは、理の中に含まれるあの気です。気に理がなければ蓄積することができず、理に気がなければ舒展することができません。陰陽の生と殺は、まさにあの気を蓄積し、あの理を舒展するためのものです。だから伏羲は仰ぎ観俯ぎ察して八卦を画き、黄帝は八卦に依って八節を区画し、またそれぞれ陰陽の生殺に依循して、この一含一吐・一舒一蓄を発揮し出しただけです。八節の意義はこうです。冬は陰に属し、その声気は収斂の「翕」で、これは陰の道理です。夏は陽に属し、その声気は張開の「張」で、これは陽の道理です。春は陽の生気であるからその気は張って外に発し、秋は陰の殺気であるからその気は翕して内に斂まります。この一収一放・一斂一発は、皆陰陽理気の自然の有様であり、だから四時を運転し万物を生成することができるのです。

至者拯也,分者中也,立者止也。先天坤以純陰居北,陰至於純而陰極矣,故曰冬至;陰極則陽生,陽生則陰止,故震一陽生於東北曰立春。離以陽含陰而居東,陽之生氣得乎中,是以二陽含一陰而中分之,故曰春分。陽過其中而氣漸盛,若不知其所止,則必至於極,故兌以一陰止二陽於東南曰:立夏。干以純陽居南,陽至於純而陽極矣,故曰:夏至。陽極則陰生,陰生則陽止,故巽一陰生於西南曰:立秋。坎以陰含陽而居西,陰之殺氣得乎中,是以二陰含一陽而中分之,故曰:秋分。陰過其中而氣漸盛,若不知其所止,則必至於極,故艮以一陽止二陰於西北曰:立冬,此羲皇二聖,卦節一揆之旨也。後天卦位雖易,而八方八節不能易。其所能易者,則陰陽升降之氣;而所不能易者,則陰陽配合之理也。故曰天地之理,陰陽生殺而已矣。

「至」とは極まった処に至って後に転ずるということ、「分」とは中間から平分すること、「立」とは止まることです。先天卦の坤は純陰をもって北方に居り、陰が純粋の処に至れば陰極なので冬至と呼びます。陰極まれば陽を生じ、陽が一たび生じれば陰は止まります。だから震卦は一陽が東北に生じて立春と呼びます。離卦は陽の中に陰を含んで東方に居り、陽の生気がちょうどその中を得て、二陽が一陰を挟んで中から平分するので春分と呼びます。陽が中位を過ぎると気勢が漸く盛んになり、もし止まることを知らなければ必ず極処に行き着きます。だから兌卦は一陰をもって二陽を東南に止めて立夏と呼びます。乾卦は純陽をもって南方に居り、陽が純粋の処に至れば陽極なので夏至と呼びます。陽極まれば陰を生じ、陰が一たび生じれば陽は止まります。だから巽卦は一陰が西南に生じて立秋と呼びます。坎卦は陰の中に陽を含んで西方に居り、陰の殺気がちょうどその中を得て、二陰が一陽を挟んで中から平分するので秋分と呼びます。陰が中位を過ぎると気勢が漸く盛んになり、もし止まることを知らなければ必ず極処に行き着きます。だから艮卦は一陽をもって二陰を西北に止めて立冬と呼びます。これが伏羲・黄帝の二聖が卦位と節気を同一の道理と見なした意旨です。後天の卦位は改められたとはいえ、八方と八節の対応は改めることができません。改められるのは陰陽昇降の気だけであり、改められないのは陰陽配合の理です。だから言います。天地間の道理は、ただ陰陽の生と殺だけだと。この段は先天八卦をもって八節が名を得た由来を逐一説明します。二至は陰陽の極を取り、二分は陰陽の中を取り、四立は陰陽の止まり転ずる点を取るので、読者はこれによって八節が随意の分割ではなく卦爻の陰陽増減の自然な節点であることを知ります。

釈九宮

九宮者,四正四維中央也。其體則先天陰陽往來順逆之序,其用則洛書戴履左右肩足之數,其義則一也。但先天之序隱,隱則佈局繁而難;洛書之數顯,顯則佈局簡而易。是以太公留侯於奇門佈局,則用洛書之數,起元仍用先天之節。蓋去難而取易,舍繁而用簡耳。《易贊》曰:「易則易知,簡則易從。」太公留侯,真明易簡而得其理者也。

「九宮」とは四正(坎・離・震・兌)・四維(乾・坤・艮・巽)にさらに中央を加えた九つの位置です。その体は先天八卦の陰陽往来順逆の次序であり、その用は洛書の「戴九履一、左三右七、二四為肩、六八為足」のあの数の組であり、両者の義理は実は一つです。ただ先天の次序は隠晦であり、隠晦であれば布局が繁瑣で行い難くなり、洛書の数は顕明であり、顕明であれば布局が簡便で行い易くなります。だから姜太公と張良が奇門局を排する時は洛書の数を用い、起元定節には依然として先天の節序を沿襲したのは、難を去って易に就き、繁を捨てて簡を取るに過ぎません。《易賛》に「平易であれば知り易く、簡約であれば従い易い」と言います。太公と留侯は、真に易簡の理を悟って要領を捉えた人です。

釈虚中合宮

五行分位五方,左旋相生:正北水生正東木,正東木生正南火,正南火至中央土,中央土生正西金,正西金生正北水。惟中央無門,故虛而土寄合於西南,以續金火之氣,亦見坤為萬物之母也,以中五所以合於坤二也。

五行は五つの方位に分布し、左に旋回して順次相生します。正北の水が正東の木を生じ、正東の木が正南の火を生じ、正南の火が中央の土に接し、中央の土が正西の金を生じ、正西の金が再び正北の水を生じます。ただ中央だけが八門に配されないので、中五の宮は空にしてその土を西南の坤二宮に寄合し、火と金との間の気脈を接続します。これはまた坤が万物の母であることを見せるもので、中五が坤二に合する所以の道理はまさにここにあります。

一本陽局中五合於二,陰局中五合於八。先天巽以一陰生於西南,震以一陽生於東北;冬至一陽生於陰之極,故用陽局,而以中五寄巽,以姤其陰氣;夏至一陰生於陽之極,故用陰局,而以中五寄震,以復其陽氣。是陽局順陰而逆陽,陰局順陽而逆陰,陰陽互交於五之寄宮,而後得乙與庚合,而甲始無畏。脫中五不寄於震巽,則後天之坤艮不得屬土,而洛書之二八不能相交,且中五之土,有陽無陰,有死門而無生門,亦非通論。所以《悟真》結胎,用先天之數,東南合五、西北合五、中宮分五為三家相見。蓋其分陰陽於震巽者,即二少之合陰陽於二長也。其說於理尤為周備,但舊本多從前說,故遵之。

別に一種の本があって言います。陽遁の時は中五を坤二宮に寄合し、陰遁の時は中五を艮八宮に寄合すると。先天卦に拠れば、巽は一陰を西南に生じ、震は一陽を東北に生じます。冬至の時、一陽が陰の極点に生ずるので陽遁局を用い、中五を巽宮に寄せてあの一点の陰気と相遇させます(即ち《姤》の義)。夏至の時、一陰が陽の極点に生ずるので陰遁局を用い、中五を震宮に寄せてあの一点の陽気と相接させます(即ち《復》の義)。こうなれば、陽局は陰に順い陽に逆らい、陰局は陽に順い陰に逆らい、陰と陽は中五の寄宮で互いに交わり、然る後に乙は庚と合することができ、甲は畏れるところがありません。仮に中五を震・巽の両宮に寄せなければ、後天の坤・艮は土に属することができず、洛書の二と八も交わるところがありません。しかも中五の土は陽だけあって陰なく、死門だけあって生門ないということになり、これもまた理に通じません。だから《悟真篇》が結丹成胎を講ずるに先天の数を用いるのは、東南が合して五を成し、西北が合して五を成し、中宮が五を分かちて三家相見を成すからです。それが陰陽を震・巽に分寄するのは、実は少男少女の陰陽を長男長女の身に合わせることです。この説は道理の上でいっそう周備ですが、旧本は多く前の一説に依るので、本書は依然として前説を沿用します。

東南合五者,木往生火,木三火二合成五也。木往必經兌,故後天巽代兌為木。西北合五者,金來生水,金四水一合成五也。金來必經艮,故後天乾代艮為金。蓋以途圖之生數合之也。不言成數有合者,以其去本位之生數即成五,不必合也。中分五者,分土之成數,西南東北各得其五也。故曰數往者順,知來者逆也。

いわゆる「東南合五」とは、木が前に行って火を生ずるので、木の生数三に火の生数二を加えればちょうど五を成します。木が火を生じに行く途中で必ず兌位を経るので、後天卦は巽をもって兌に代えて木に属させます。いわゆる「西北合五」とは、金が前に来て水を生ずるので、金の生数四に水の生数一を加えればちょうど五を成します。金が水を生じに来る途中で必ず艮位を経るので、後天卦は乾をもって艮に代えて金に属させます。これらは皆河図の生数を相加して得たものです。成数の相合を言わないのは、成数から本位の生数を減ずれば五が残るので、あらためて合する必要がないからです。いわゆる「中分五」とは、土の成数を分かち、西南と東北がそれぞれその中の五を得ることです。だから《説卦》に「往かんとする事を数えるには順推を用い、来たるべき事を知るには逆推を用いる」と言います。

釈六儀遁六甲

六儀遁六甲者,六甲統六儀,儀用而甲不用也。其儀維何?干有十而宮惟九,甲不入宮則奇儀無首,甲若居宮則奇儀缺位。是以甲統其儀,用儀之用以為用,而不自用也。假令甲以奇儀分佈九宮,順則儀在前、奇在後,逆則儀在後、奇在前。今舉順布以類其餘。如布冬至第一局,先布三奇於後,乙居九、丙居八、丁居七;次布六儀於前,戊居一、己居二、庚居三、辛居四、壬居五、癸居六,此奇本局之定位也。

いわゆる「六儀遁六甲」とは、六つの甲が六つの儀を統轄し、実際に用いるのは儀であって甲を直接用いないことです。なぜ儀を設けるのでしょうか。天干は十あるのに宮は九しかないからです。甲が宮に入らなければ三奇六儀に首領がなく、甲が一宮を占めれば奇儀は一つの位を欠きます。だから甲に自らの儀を統べさせ、儀の作用を借りて自らの作用を発揮させ、自ら出馬させないのです。仮に甲が三奇六儀を九宮に分布する時、順布では儀が前に・奇が後に、逆布では儀が後に・奇が前になります。ここでは順布の一例を挙げ、残りはこれに類推します。たとえば冬至上元陽遁一局を排する時、まず三奇を後に布し、乙を九宮に・丙を八宮に・丁を七宮に落とします。次に六儀を前に布し、戊を一宮に・己を二宮に・庚を三宮に・辛を四宮に・壬を五宮に・癸を六宮に落とします。これが本局の奇儀の地盤上の固定位置です。

一局為一元,一元統五日,五日統六十時,六十時分六甲,六甲統六儀。自甲至癸,一宮一干,遍歷九宮,為終一甲;六歷九宮,為終一元;一元終又起首甲為第二局。本局甲子起一宮,順遁九宮,至癸酉仍歸一宮,則首甲所監之九干,終於一戊之本局,定位居一。甲子十干始於一而終於一,甲子與戊同宮,是戊遁甲子,故統曰甲子戊。甲戌續癸酉起二宮,宮遁一干至癸未,仍歸二宮,二為己本局之定位,是甲戌與己同宮,統曰甲戌己。甲申續癸未起三宮,宮遁一干至癸巳,仍歸三宮,三為庚本局之定位,是庚遁甲申,故統曰甲申庚。

一つの局はすなわち一元であり、一元は五日を統べ、五日は合わせて六十の時辰、六十の時辰は六つの甲旬に分属し、六つの甲旬はそれぞれ一つの儀を統べます。甲から癸まで数え、一つの宮に一つの干を安じて九宮を走り尽くせば、一つの甲旬を走り終えます。こうして九宮を六遍走れば一元を走り終え、一元が尽きればまた頭の甲から第二局を起こします。本局は甲子が一宮に起こり、九宮を順に遁行して癸酉に至るとまた一宮に帰ります。このように旬首の甲の管する九つの天干は、最終的に戊の本局における定位である一宮に落ち帰ります。甲子という旬の十干は一宮に始まり一宮に終わり、甲子と戊が同一宮に処するのは、戊が甲子を隠遁しているので、合わせて「甲子戊」と称します。甲戌旬は癸酉に接続して二宮から起こり、一宮一干を遁し、癸未に至るとまた二宮に帰ります。二宮は己の本局における定位であり、甲戌と己が同宮であることが見え、合わせて「甲戌己」と称します。甲申旬は癸未に接続して三宮から起こり、一宮一干を遁し、癸巳に至るとまた三宮に帰ります。三宮は庚の本局における定位であり、庚が甲申を隠遁していることが見えるので、合わせて「甲申庚」と称します。この走法を帰納すると、毎旬の十干は前旬末の癸のある宮の次の宮から起歩し、順次一宮一干で十宮を走り満たし(即ち九宮を一圈してさらに一宮)、末位の癸がちょうど起歩の宮に落ち帰り、そしてこの宮がまさに本旬に配されるあの儀の地盤定位です――これが「甲は儀に遁する」の由来です。

甲午續癸巳起四宮,宮近遁一干至癸卯,仍歸四宮,四為辛本局之定位,是甲午與辛同宮,故曰辛遁甲午,而統曰甲午辛。甲辰續癸卯起五宮,宮遁一干至癸丑,仍歸五宮,五為壬本局之定位,是甲辰與壬同宮,故曰壬遁甲辰,而統曰甲辰壬。甲寅續癸丑起六宮,宮遁一干至癸亥,仍歸六宮,六為癸本局之定位,故曰癸遁甲寅,而統曰甲寅癸。舉此一局,而局局如是;布此一元,而元元如是。故甲子戊、甲戌己、甲申庚、甲午辛、甲辰壬、甲寅癸,旬首之甲莫不統儀以遁,則儀用即甲用,故曰用儀之用以為用,而不自用也。

甲午旬は癸巳に接続して四宮から起こり、一宮一干を遁し、癸卯に至るとまた四宮に帰ります。四宮は辛の本局における定位であり、甲午と辛が同宮であることが見えるので、辛が甲午を隠遁していると言い、合わせて「甲午辛」と称します。甲辰旬は癸卯に接続して五宮から起こり、一宮一干を遁し、癸丑に至るとまた五宮に帰ります。五宮は壬の本局における定位であり、甲辰と壬が同宮であることが見えるので、壬が甲辰を隠遁していると言い、合わせて「甲辰壬」と称します。甲寅旬は癸丑に接続して六宮から起こり、一宮一干を遁し、癸亥に至るとまた六宮に帰ります。六宮は癸の本局における定位なので、癸が甲寅を隠遁していると言い、合わせて「甲寅癸」と称します。この一局を挙げれば局局すべてこのようであり、この一元を布けば元元すべてこのようです。だから甲子戊・甲戌己・甲申庚・甲午辛・甲辰壬・甲寅癸の六組の「旬首」は、それぞれの旬首の甲が自らの儀を統べてその下に隠遁しています。儀が作用を起こせばすなわち甲が作用を起こすので、「儀の作用を借りて自らの作用を発揮し、自ら出馬しない」と言うのです。実際の排盤ではこの六組の配搭だけを記憶しておけばよく、戊を見れば甲子が下に蔵されていることを知り、己を見れば甲戌を、庚を見れば甲申を、辛を見れば甲午を、壬を見れば甲辰を、癸を見れば甲寅を知り、用いる時は儀をもって甲に代えればよいのです。

六甲統儀不統奇者,儀為庚之黨羽,奇為甲之腹心也。奇儀分佈九宮,六甲又遁諸干於九宮者,備星門之為符使,所為遁宮也。

六甲が六儀だけを統べて三奇を統べないのは、儀は庚の党羽に属するからです(戊己庚辛壬癸のうち庚はその間にあり)、奇は甲の心腹だからです。三奇六儀が九宮に分布した後、六甲はまた各旬の天干を九宮の中に遁蔵します。これは九星と八門にそれぞれ「直符」「直使」となり得る依托を持たせるためで、これがいわゆる「遁宮」です。

釈符頭

符頭者,符合上元首甲也。甲子、己卯、甲午、己酉四日為符頭。蓋一氣統三元,分上中下三局,一局統五日,五日統六十時為一紀。一紀即一元紀法,以十干加十二支,首尾相合為一終;干以甲為首、癸為尾,支以子為首、亥為尾,故自甲子至癸亥,合得六十為一紀,謂之一元,奇門選時之法也。

「符頭」とは、上元の最初の甲に符合するあの日です。甲子・己卯・甲午・己酉の四種の日はいずれも符頭に充てることができます。一つの節気が上・中・下三元を統べて三つの局に分かれ、一つの局が五日を管し、五日は合わせて六十の時辰で、これを一紀と称します。一紀とは一元の紀法で、十の天干をもって十二の地支に配し、首尾相接して一圈を転じて一終とします。天干は甲を首とし癸を尾とし、地支は子を首とし亥を尾とするので、甲子から癸亥まで数えて全部で六十を得、これを一紀と称し、すなわち一元です。これが奇門が時辰を選取する根本の算法です。

時非日不能得元,元非氣不能得局,是以一氣統三元為三局,分上中下以別之,再別為周,再周為變,故終十二紀。而天地之氣,是以謂之六氣也。凡變氣一,統節氣四,故四分日紀以起各氣之元。用甲己二干遁起甲子時為元首,二干加仲為上、加孟為中、加季為下。以仲之甲己四日,遁起甲子時,合時紀上元之首,故曰:符頭也。

時辰は日を離れては元を定めることができず、元は節気を離れては局を定めることができません。だから一つの節気が三元を統べて三つの局を成し、上・中・下の三字をもって区別します。さらに一層の区別を「周」と呼び、周にまた周するのを「変」と呼び、こうしてついに十二紀に至り、天地の気はこれによってまた六気と称されます。一つの変気ごとに四つの節気を統べるので、日紀を四等分して各節気の元を起こさなければなりません。具体的なやり方は、甲・己の二つの天干の日を取って甲子時から遁を始め、一元の首とします。甲己の日が子午卯酉の「四仲」に落ちれば上元と算し、寅申巳亥の「四孟」に落ちれば中元と算し、辰戌丑未の「四季」に落ちれば下元と算します。およそ四仲の位に落ちる甲・己の四日、すなわち甲子・己卯・甲午・己酉は、甲子時から遁を起こしてちょうど一紀上元の頭に合するので、これらを「符頭」と称します。

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