Libo

新序 · 第1巻

西汉 · 刘向 · 第1巻 / 6

雜事第一

儒家典籍

初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。

雜事第一

雜事第一

昔者,舜自耕稼陶漁而躬孝友,父瞽□頑,母嚚,及弟象傲,皆下愚不移。舜盡孝道,以供養瞽□。瞽□與象,為浚井塗廩之謀,欲以殺舜,舜孝益篤。出田則號泣,年五十猶嬰兒慕,可謂至孝矣。

從前、舜親ら田を耕し、陶を燒き、魚を取り、親ら孝順友愛を實行す。父瞽瞍(底本此の字殘缺)頑固にして、母説話誠實ならず、弟象傲慢にして、皆是れ下等の愚人、改變す可からず。舜孝道を盡くして、瞽瞍を供養す。瞽瞍と象と井を淘し廩を塗るの計謀を定めて、舜を殺害せんと欲す、舜の孝更に篤厚なり。田に至れば卽ち號哭し、五十歲に至りて還りて嬰兒のごとく父母を依戀す、至孝と稱す可し。

故耕於歷山,歷山之耕者讓畔;陶於河濱,河濱之陶者,器不苦窳;漁於雷澤,雷澤之漁者分均。及立為天子,天下化之,蠻夷率服。北發渠搜,南撫交址,莫不慕義,麟鳳在郊。故孔子曰:"孝弟之至,通於神明,光於四座。"舜之謂也。

ゆえに彼歷山に於て田を耕せば、歷山の耕者互いに田界を讓り;河濱に於て陶を燒けば、河濱の陶器麤劣ならず;雷澤に於て魚を取れば、雷澤の漁者分配均勻なり。天子と立つに及びて、天下彼に感化せられ、蠻夷皆歸服す。北邊渠搜に到達し、南邊交趾を安撫して、道義を仰慕せざるなく、麒麟鳳凰郊野に出現す。ゆえに孔子曰く、「孝悌極點に至れば、卽ち神明に通達し、四海を光耀す」(底本「四座」と作す、當に「四海」と讀むべし)とは、舜を説くなり。

孔子在州里,篤行孝道,居於闕黨,闕黨之子弟畋漁,分有親者多,孝以化之也。是以七十二子,自遠方至,服從其德。魯有沈猶氏者,旦飲羊飽之,以欺市人。公慎氏有妻而淫,慎潰氏奢侈驕佚,魯市之鬻牛馬者善豫賈。孔子將為魯司寇,沈猶氏不敢朝飲其羊,公慎氏出其妻,慎潰氏踰境而徙,魯之鬻馬牛不豫賈,布正以待之也。既為司寇,季孟墮郈費之城,齊人歸所侵魯之地,由積正之所致也。故曰:"其身正,不令而行。"

孔子鄉里に在りて、切實に孝道を實行し、闕黨に住せば、闕黨の子弟獵し魚を打ちて、分配する時父母有る者多く分かつ、是れ孝之らを感化するなり。此に因りて七十二個の弟子遠方より到來して、其の德行に服從す。魯國沈猶氏有る者有りて、早晨羊に水を灌ぎて飽食せしめて、以て市人を欺騙す。公慎氏妻子有りて淫亂し、慎潰氏奢侈驕逸し、魯國市上牛馬を賣る者善く豫め價を抬ぐ。孔子將に魯國司寇を爲らんとするや、沈猶氏敢えて再び早晨羊に水を灌がず、公慎氏妻子を休し、慎潰氏境を越えて遷走し、魯國馬牛を賣る者再び豫め價を抬げず、正經の貨色を擺出して交易を待つ。已に司寇を爲るや、季孫氏・孟孫氏郈・費の城墻を拆毀し、齊人侵佔する所の魯地を歸還す、皆是れ端正を積聚する所の致すなり。ゆえに曰く、「自身端正なれば、令を下さずして亦推行する能し」と。

孫叔敖為嬰兒之時,出遊,見兩頭蛇,殺而埋之。歸而泣,其母問其故,叔敖對曰:"吾聞見兩頭之蛇者死,曏者吾見之,恐去母而死也。"其母曰:"蛇今安在?"曰:"恐他人又見,殺而埋之矣。"其母曰:"吾聞有陰德者,天報之以福,汝不死也。"及長,為楚令尹,未治,而國人信其仁也。

孫叔敖還りて小孩の時候、出去りて游玩し、兩頭蛇を見て、殺して埋む。家に歸りて哭泣す、母緣故を問う、孫叔敖答えて曰く、「我聞く兩頭蛇を見る人死すと、剛く我之を見たり、母親を離れて死せんことを怕る」と。母曰く、「蛇今何處に在るか」と。曰く、「別人の再び見るを怕れて、殺して埋めたり」と。母曰く、「我聞く陰德を積有る人は、天福を以て之に報答す、汝死せず」と。長大するに及びて、楚國令尹を爲り、未だ政を施さざるに、國人已に其の仁を信任す。

禹之興也,以塗山;桀之亡也,以末喜。湯之興也,以有莘;紂之亡也,以妲己。文武之興也,以任姒;幽王之亡也,以褒姒。是以詩正關睢,而春秋褒伯姬也。

禹の興起は、塗山氏に靠る;桀の滅亡は、末喜に因る。湯の興起は、有莘氏に靠る;紂の滅亡は、妲己に因る。文王・武王の興起は、太任・太姒に靠る;幽王の滅亡は、褒姒に因る。此に因りて『詩經』『關雎』を以て夫婦の道を端正し、『春秋』伯姬を褒揚す。

樊姬,楚國之夫人也,楚莊王罷朝而晏,問其故?莊王曰:"今日與賢相語,不知日之晏也。"樊姬曰:"賢相為誰?"王曰:"為虞丘子。"樊姬掩口而笑。王問其故。曰:"妾幸得執巾櫛以侍王,非不欲專貴擅愛也,以為傷王之義,故能進與妾同位者數人矣。今虞丘子為相十數年,未嘗進一賢,知而不進,是不忠也;不知,是不智也。不忠不智,安得為賢?"明日朝,王以樊姬之言告虞子,虞丘子稽首曰:"如樊姬之言。"於是辭位,而進孫叔敖相楚,國富兵強,莊王卒以霸,樊姬與有力焉。

樊姬是れ楚國夫人なり。楚莊王朝を退くこと甚だ晚し、樊姬緣故を問う。莊王曰く、「今天賢相と談話し、天已に晚きを知らず」と。樊姬曰く、「賢相是れ誰か」と。王曰く、「是れ虞丘子なり」と。樊姬口を掩いて笑う。王緣故を問う。曰く、「妾幸いに能く巾櫛を持ちて王に侍奉す、是れ王の尊貴恩愛を獨占せんと欲せざるにあらず、只是れ以爲かくのごとく王の道義を傷害せんとす、ゆえに能く妾と同位を擧薦する已に數個人有り。如今虞丘子相を爲ること十餘年、曾て一個の賢人を擧薦せず、知りて擧薦せざるは、是不忠;知らざるは、是不智。不忠不智なれば、何を以て賢と算せんか」と。第二天朝會、王樊姬の言を虞丘子に告ぐ、虞丘子頭を叩きて曰く、「正しく樊姬の説くがごとし」と。於是職を辭し、孫叔敖を擧薦して楚相を爲さしむ、國家富み軍隊強く、莊王終に稱霸す、樊姬亦力を出せり。

衛靈公之時,蘧伯玉賢而不用,彌子瑕不肖而任事。衛大夫史□患之,數以諫靈公而不聽。史□病且死,謂其子曰:"我即死,治喪於北堂。吾不能進蘧伯玉而退彌子瑕,是不能正君也,生不能正君者,死不當成禮,置屍於北堂,於我足矣。"

衛靈公の時候、蘧伯玉賢能にして任用せられず、彌子瑕不肖にして事を掌る。衛大夫史魚(底本此の字殘缺)此のため憂慮し、屢々靈公に進諫す、靈公聽かず。史魚病死せんとするに及びて、兒子に對して曰く、「我若し死せば、北堂に於て喪を治めよ。我能く蘧伯玉を進用して彌子瑕を斥退する能わざるは、是れ國君を匡正する能わざるなり。生きて國君を匡正する能わざる人は、死して喪禮を完成す可からず、屍體を北堂に放くは、我に對して足れり」と。

史□死,靈公往吊,見喪在北堂,問其故?其子以父言對靈公。靈公蹴然易容,寤然失位曰:"夫子生則欲進賢而退不肖,死且不懈,又以尸諫,可謂忠而不衰矣。"於是乃召蘧伯玉,而進之以為卿,退彌子瑕。徙喪正堂,成禮而後返,衛國以治。

史魚死す、靈公往きて喪を弔い、喪事北堂に設くるを見て、緣故を問う。其の兒子父親の言を以て靈公に對して説く。靈公顏色を變じ、驚覺して坐る能わず、曰く、「夫の子生きて卽ち賢を進め不肖を退けんと想い、死して還りて懈怠せず、また屍體を以て進諫す、忠誠衰えずと稱す可し」と。於是蘧伯玉を召して、之を進用して卿を爲し、彌子瑕を斥退す。喪事を正堂に遷し、喪禮を完成して後纔かに返回す、衛國因りて治理を得たり。

晉大夫祁奚老,晉君問曰:"庸可使嗣?"祁奚對曰:"解狐可。"君曰:"非子之讎耶?"對曰:"君問可,非問讎也。"晉遂舉解狐。後又問:"庸可以為國尉?"祁奚對曰:"午可也。"君曰:"非子之子耶?"對曰:"君問可,非問子也。"君子謂祁奚能舉善矣,稱其讎不為諂,立其子不為比。書曰:"不偏不黨,王道蕩蕩。"祁奚之謂也。外舉不避仇讎,內舉不回親戚,可謂至公矣。唯善,故能舉其類。詩曰:"唯其有之,是以似之。"祁奚有焉。

晉大夫祁奚年老い、晉君問う、「誰か繼任す可きか」と。祁奚答えて曰く、「解狐可なり」と。君曰く、「彼是れ您の仇人にあらずや」と。答えて曰く、「君の問う所是れ誰か可なりか、是れ誰か仇人かを問うにあらず」と。晉國於是解狐を擧用す。後來また問う、「誰か國尉を爲る可きか」と。祁奚答えて曰く、「午可なり」と。君曰く、「彼是れ您の兒子にあらずや」と。答えて曰く、「君の問う所是れ誰か可なりか、是れ誰か兒子かを問うにあらず」と。君子以爲祁奚能く善人を擧薦すとす:仇人を稱擧する是れ諂媚にあらず、自己の兒子を立つる是れ結黨にあらず。『尚書』に曰く、「偏私せず結黨せざれば、王道坦蕩なり」と。是れ祁奚を説くなり。外に對して擧薦仇人を避開せず、內に對して擧薦親戚を回避せず、至公と稱す可し。正に自身善有るに因りて、ゆえに能く同類を擧出す。『詩經』に曰く、「正に自身かくのごとき德有るに因りて、ゆえに能く己に似たる人を擧出す」と。祁奚正に是れなり。

楚共王有疾,召令尹曰:"常侍莞蘇與我處,常忠我以道,正我以義,吾與處不安也,不見不思也。雖然,吾有得也,其功不細,必厚爵之。申侯伯與處,常縱恣吾,吾所樂者,勸吾為之;吾所好者,先吾服之。吾與處歡樂之,不見慼慼。雖然,吾終無得也,其過不細,必前遣之。"令尹曰:"諾。"

楚共王病有りて、令尹を召して曰く、「常侍莞蘇我と相處し、常常道を以て我に忠告し、義を以て我を匡正す、我彼と相處して安寧せず、見えざれば亦想念せず。然るにと雖も、我得る所有りて、其の功勞小なからず、必ず厚く爵を封ぜよ。申侯伯我と相處して、常常我を放縱し、我の樂しむ所は、我に勸めて爲さしめ;我の好む所は、搶先して我のため準備す。我彼と相處して歡樂し、見えざれば憂愁せず。然るにと雖も、我終に得る所なし、其の過失小なからず、必ず先に之を遣送せよ」と。令尹曰く、「是なり」と。

明日,王薨。令尹即拜莞蘇為上卿,而逐申侯伯出之境。曾子曰:"鳥之將死,其鳴也哀;人之將死,其言也善。"言反其本性,共王之謂也。孔子曰:"朝聞道,夕死可矣。"於以開後嗣,覺來世,猶愈沒世不寤者也。

第二天、王去世す。令尹卽ち莞蘇を拜して上卿を爲し、申侯伯を境の外に驅逐す。曾子曰く、「鳥將に死せんとして、叫聲悲哀し;人將に死せんとして、説話善良す」と。是れ本性に囘歸することを説く、楚共王卽ちかくのごとし。孔子曰く、「早晨道を聽聞して、晚上死する亦可なり」と。以て後嗣を開啓し、來世を覺悟するは、還りて一輩子醒悟せざる人に勝る。

昔者,魏武侯謀事而當,群臣莫能逮,朝退而有喜色。吳起進曰:"今者有以楚莊王之語聞者乎?"武侯曰:"未也,莊王之語奈何?"吳起曰:"楚莊王謀事而當,群臣莫能逮,朝退而有憂色。申公巫臣進曰:'君朝有憂色,何也?’楚王曰:'吾聞之,諸侯自擇師者王,自擇友者霸,足己而群臣莫之若者亡。今以不穀之不肖而議於朝,且群臣莫能逮,吾國其幾於亡矣,是以有憂色也。’莊王之所以憂,而君獨有喜色,何也?"武侯逡巡而謝曰:"天使夫子振寡人之過也,天使夫子振寡人之過也。"

從前、魏武侯事を謀るに當を得て、群臣能く趕上するなく、朝を退きて後喜色有り。吳起進みて前に曰く、「今天人楚莊王の話を您に講じて聽かせたる有るか?」と。武侯曰く、「無し。莊王の話如何」と。吳起曰く、「楚莊王事を謀るに當を得て、群臣能く趕上するなく、朝を退きて後憂色有り。申公巫臣進みて前に曰く、『君朝見する時憂色有り、何ぞや』と。楚王曰く、『我聞く、諸侯自己老師を選擇するは能く王と稱し、自己朋友を選擇するは能く霸と稱し、自我滿足して群臣己に趕上するなきは卽ち滅亡す。如今我が不肖を以て、朝中に於て商議し、群臣還りて能く趕上するなし、我が國大概滅亡に近づかん、ゆえに憂色有り』と。莊王因りて憂慮するに、而して您獨自喜色有るは、何ぞや」と。武侯遲疑して後退し、道歉して曰く、「上天夫子をして寡人の過失を振救せしめ、上天夫子をして寡人の過失を振救せしむ」と。

衛國逐獻公,晉悼公謂師曠曰:"衛人出其君,不亦甚乎?"對曰:"或者,其君實甚也。夫天生民而立之君,使司牧之,無使失性。良君將賞善而除民患,愛民如子,蓋之如天,容之若地。民奉其君,愛之如父母,仰之如日月,敬之如神明,畏之若雷霆。夫君,神之主也。而民之望也,天之愛民甚矣,豈使一人肆於民上,以縱其淫而棄天地之性乎?必不然矣。若困民之性,乏神之祀,百姓絕望,社稷無主,將焉用之?不去為何?"公曰:"善。"

衛國衛獻公を驅逐す、晉悼公師曠に對して曰く、「衛人其の國君を趕出す、亦太だ過分ならずや」と。師曠答えて曰く、「或は是れ其の國君實に過分なるか。天百姓を生下して國君を設立し、彼をして治理牧養せしめ、百姓をして本性を失わせざるなり。好き國君將に善人を獎賞し民患を除去し、民を愛すること子のごとく、彼らを覆蓋すること天のごとく、彼らを容納すること地のごとくせん。百姓國君に事奉して、之を愛すること父母のごとく、之を仰望すること日月のごとく、之を敬すること神明のごとく、之を怕るること雷霆のごとし。國君是れ神靈の主祭者、亦是れ百姓の仰望なり。上天百姓を愛すること太だ深し、豈一人をして百姓の上に放肆して、淫慾を放縱して天地の本性を拋棄せしめんや?必ずせず。若し百姓の本性を困住し、神への祭祀を缺乏して、百姓絕望し、社稷主人なければ、還りて彼を用いて何を爲さん?之を除去せずして何を爲さん」と。悼公曰く、「好し」と。

趙簡子上羊腸之阪,群臣皆偏袒推車,而虎會獨擔戟行歌,不推車。簡子曰:"寡人上阪,群臣皆推車,會獨擔戟行歌不推車,是會為人臣侮其主,為人臣侮其主,其罪何若?"虎會曰:"為人臣而侮其主者,死而又死。"簡子曰"何謂死而又死?"虎會曰:"身死,妻子又死,若是謂死而又死,君既已聞為人臣而侮其主之罪矣,君亦聞為人君而侮其臣者乎?"簡子曰:"為人君而侮其臣者何若?"虎會對曰:"為人君而侮其臣者,智者不為謀,辯者不為使,勇者不為鬥。智者不為謀,則社稷危;辯者不為使,則使不通;勇者不為鬥,則邊境侵。"簡子曰:"善。"乃罷群臣不推車,為士大夫置酒,與群臣飲,以虎會為上客。

趙簡子羊腸坂に上る、群臣皆偏袒して車を推す、只虎會獨り戟を扛ぎて邊走邊唱して、車を推さず。簡子曰く、「寡人坂に上る、群臣皆車を推す、汝會獨り戟を扛ぎ唱歌して車を推さず、是れ汝會臣子を爲る而君主を侮辱す;臣子を爲りて君主を侮辱する、罪過如何」と。虎會曰く、「臣子を爲りて君主を侮辱するは、死して又死す」と。簡子曰く、「何を死して又死すと謂うか」と。虎會曰く、「自己死し、妻子兒女又死す、此を死して又死すと謂う。君已に臣子を爲りて君主を侮辱するの罪を聽聞せり、君亦曾て君主を爲りて臣子を侮辱するを聽聞せしや」と。簡子曰く、「君主を爲りて臣子を侮辱する如何」と。虎會答えて曰く、「君主を爲りて臣子を侮辱するは、智者彼のため謀劃せず、善辯者彼のため出使せず、勇者彼のため戰鬥せず。智者謀劃せざれば、社稷卽ち危險;善辯出使せざれば、使命卽ち通ぜず;勇者戰鬥せざれば、邊境卽ち侵奪せられん」と。簡子曰く、「好し」と。於是群臣をして車を推さしむるを停止し、士大夫のため酒を設け、群臣と對飲し、虎會を以て上客と作す。

昔者,周舍事趙簡子,立趙簡子之門,三日三夜。簡子使人出問之曰:"夫子將何以令我?"周舍曰:"願為諤諤之臣,墨筆操牘,隨君之後,司君之過而書之,日有記也,月有效也,歲有得也。"簡子悅之,與處,居無幾何而周舍死,簡子厚葬之。三年之後,與大夫飲,酒酣,簡子泣,諸大夫起而出曰:"臣有死罪而不自知也。"簡子曰:"大夫反無罪。昔者,吾友周舍有言曰:'百羊之皮,不如一狐之腋。’眾人之唯唯,不如周舍之諤諤。昔紂昏昏而亡,武王諤諤而昌。自周舍之死後,吾未嘗聞吾過也,故人君不聞其非,及聞而不改者亡,吾國其幾於亡矣,是以泣也。"

從前、周舍趙簡子に事奉し、趙簡子の門前に立つこと三天三夜。簡子人を遣りて出でて問わしめて曰く、「夫子將に何を以て我を教導せんか」と。周舍曰く、「願わくは直言不諱の臣子を爲り、墨筆と木牘とを持ちて、君の後に跟隨し、君の過失を伺察して寫下し、每日記錄有り、每月驗證有り、每年收穫有らん」と。簡子之を喜びて、彼と相處し、多くの間を過ぎずして周舍死す、簡子之を厚葬す。三年の後、大夫と酒を飲みて、酒酣にして、簡子哭泣す、各位の大夫起身して退出して曰く、「臣死罪有りて自己知らず」と。簡子曰く、「大夫歸來れ、罪なし。從前、我が朋友周舍話有りて曰く、『一百張の羊皮は、一塊狐狸腋下の皮に如かず』と。衆人の唯唯諾諾は、周舍の直言に如かず。從前紂昏昧にして滅亡し、武王能く直言を聽きて昌盛す。自ら周舍死したるの後、我曾て自己の過失を聽聞せず。ゆえに人君自己の不對を聽かざる、及び聽きて卽ち改めざるは、卽ち滅亡せん。我が國大概滅亡に近づかん、ゆえに哭泣す」と。

魏文侯與士大夫坐,問曰:"寡人何如君也?"群臣皆曰:"君仁君也。"次至翟黃曰:"君非仁君也。"曰:"子何以言之?"對曰:"君伐中山,不以封君之弟,而以封君之長子。臣以此知君之非仁君。"文侯大怒,而逐翟黃,黃起而出。次至任座,文侯問曰:"寡人何如君也?"任座對曰:"君仁君也。"曰:"子何以言之?"對曰:"臣聞之,其君仁,其臣直。向翟黃之言直,臣是以知君仁君也。"文侯曰:"善。"復召翟黃,拜為上卿。

魏文侯士大夫と坐して、問う、「寡人是れ如何なる君主か」と。群臣皆曰く、「君是れ仁君なり」と。翟黃に輪りて、彼曰く、「君是れ仁君にあらず」と。文侯曰く、「您何を以てかくのごとく説くか」と。答えて曰く、「君中山を攻伐して、之を君の弟弟に封ぜずして、而して君の長子に封ず。臣此に因りて君仁君にあらざるを知る」と。文侯大怒して、翟黃を驅逐す、翟黃起身して出去る。任座に輪りて、文侯問う、「寡人是れ如何なる君主か」と。任座答えて曰く、「君是れ仁君なり」と。曰く、「您何を以てかくのごとく説くか」と。答えて曰く、「臣聞く、君主仁なれば、臣子卽ち直なり。剛く翟黃の言直なり、臣此に因りて君仁君なるを知る」と。文侯曰く、「好し」と。重新たに翟黃を召回して、拜して上卿を爲さしむ。

中行寅將亡,乃召其太祝,而欲加罪焉。曰:"子為我祝,犧牲不肥澤耶?且齋戒不敬耶?使吾國亡,何哉?"祝簡對曰:"昔者吾先君中行穆子皮車十乘,不憂其薄也,憂德義之不足也。今主君有革車百乘,不憂德義之薄也,唯患車之不足也。夫舟車飾則賦歛厚,賦歛厚則民怨詛矣。且君以為祝有益於國乎?則詛亦將為亡矣,一人祝之,一國詛之,一祝不勝萬詛,國亡不亦宜乎?"中行子乃慚。

中行寅將に滅亡せんとして、卽ち太祝を召して、罪を加えんと欲す。曰く、「您我がため祝禱するに、是れ犧牲肥美せざるか?還りて齋戒恭敬せざるか?我が國をして滅亡せしむるは、何ぞや」と。祝簡答えて曰く、「從前我が先君中行穆子只皮革車十輛有るのみ、車輛少なきを憂慮せず、德義足らざるを憂慮せり。如今主君兵車百輛有りて、德義薄きを憂慮せず、只車輛足らざるを憂慮す。舟車裝飾せられれば、賦稅卽ち重し;賦稅重ければ、百姓卽ち怨恨詛咒す。況んや君以爲祝禱國家に益有りとするか?然らば詛咒亦將に國家をして滅亡せしめん。一個人祝禱し、一國人詛咒し、一祝萬詛に勝たず、國家滅亡するは亦應然ならずや」と。中行子於是慚愧す。

秦欲伐楚,使使者往觀楚之寶器,楚王聞之,召令尹子西而問焉:"秦欲觀楚之寶器,吾和氏之璧,隨侯之珠,可以示諸?"令尹子西對曰:"臣不知也。"召昭奚恤問焉,昭奚恤對曰:"此欲觀吾國之得失而圖之,國之寶器,在於賢臣,夫珠寶玩好之物,非國所寶之重者。"王遂使昭奚恤應之。

秦楚を攻伐せんと欲して、使者を派して楚の寶器を觀看せしむ。楚王聞きて、令尹子西を召して問う、「秦楚の寶器を觀看せんと欲す、我が和氏璧・隨侯珠は、以て彼らに看るに拿出す可きか」と。令尹子西答えて曰く、「臣知らず」と。昭奚恤を召して問えば、昭奚恤答えて曰く、「是れ我が國の得失を觀看して再び圖謀せんと欲するなり。國家の寶器賢臣に在り、珠寶玩好此類の東西は、國家の看重する所の寶にあらず」と。王於是昭奚恤をして應對せしむ。

昭奚恤發精兵三百人,陳於西門之內。為東面之壇一,為南面之壇四,為西面之壇一。秦使者至,昭奚恤曰:"君客也,請就上位東面。"令尹子西南面,太宗子敖次之,葉公子高次之,司馬子反次之,昭奚恤自居西面之壇,稱曰:"客欲觀楚國之寶器,楚國之所寶者賢臣也。理百姓,實倉廩,使民各得其所,令尹子西在此。秦圭璧,使諸侯,解忿悁之難,交兩國之歡,使無兵革之憂,太宗子敖在此。守封疆,謹境界,不侵鄰國,鄰國亦不見侵,葉公子高在此。理師旅,整兵戎,以當強敵,提枹鼓,以動百萬之師,所使皆趨湯火,蹈白刃,出萬死,不顧一生之難,司馬子反在此。若懷霸王之餘議,攝治亂之遺風,昭奚恤在此,唯大國之所觀。"秦使者懼然無以對,昭奚恤遂揖而去。秦使者反,言於秦君曰:"楚多賢臣,未可謀也。"遂不伐。詩云:"濟濟多士,文王以寧。"斯之謂也。

昭奚恤精兵三百人を派出して、西門の內に陳列す。東向の壇一座を設け、南向の壇四座、西向の壇一座。秦使者到りて、昭奚恤曰く、「您是れ客人、請う上位に就きて、面向東」と。令尹子西面向南、太宗子敖彼に挨り、葉公子高挨り、司馬子反挨り、昭奚恤自己西向の壇に坐して、宣稱す、「客人楚國の寶器を觀看せんと欲す、楚國の寶貴とする所是れ賢臣なり。百姓を治理し、倉廩を充實し、百姓をして各々其の所を得しむるは、令尹子西ここに在り。圭璧を持ちて諸侯に出使し、忿恨の災難を化解し、兩國の歡好を交結し、兵革の憂慮なからしむるは、太宗子敖ここに在り。封疆を守住し、邊界を謹慎し、鄰國を侵さず、鄰國亦侵されず、葉公子高ここに在り。師旅を治理し、兵戎を整頓し、以て強敵を抵當し、枹鼓を提起し、以て百萬の師を發動し、派遣する所の人皆湯火に奔赴し白刃を踏み、萬死に出でて一生を顧みざるの危難は、司馬子反ここに在り。若し霸王遺留する議論を懷想し、治亂遺留する風氣を攝取せんと欲せば、昭奚恤ここに在り、只請う大国觀看せん」と。秦使者惶恐して、對すべき話なく、昭奚恤於是揖を作して離去す。秦使者回去りて、秦君に對して曰く、「楚國賢臣多し、圖謀す可からず」と。於是攻伐せず。『詩經』に曰く、「賢士濟濟衆多なり、文王因りて安寧を得」と。是れ此を説くなり。

晉平公欲伐齊,使範昭往觀焉。景公賜之酒,酣,範昭曰:"願詣君之樽酌。"公曰:"酌寡人之樽,進之於客。"範昭已飲,晏子曰:"徹樽更之,樽觶具矣。"範昭佯醉,不悅而起舞,請太師曰:"能為我調成周之樂乎?吾為子舞之。"太師曰:"冥臣不習。"範昭趨而出。

晉平公齊を攻伐せんと欲して、范昭を派して前往して觀察せしむ。齊景公彼に酒を賜い、暢快に飲みて、范昭曰く、「願わくは君の酒樽に至りて酒を斟らん」と。景公曰く、「寡人の樽裏の酒を斟ぎて、客人に進給せよ」と。范昭已に飲みて、晏子曰く、「酒樽を撤掉して別に換えよ、樽觶皆齊備せり」と。范昭醉を假裝して、高興せず、起身して跳舞し、太師を請うて曰く、「能く我がため成周の樂を演奏するや?我您のため跳舞せん」と。太師曰く、「昏昧の臣熟習せず」と。范昭快步して出去る。

景公謂晏子曰:"晉大國也,使人來,將觀吾政也。今子怒大國之使者,將奈何?"晏子曰:"夫範昭之為人,非陋而不識禮也,且欲試吾君臣,故絕之也。"景公謂太師曰:"子何不為客調成周之樂乎?"太師對曰:"夫成周之樂,天子之樂也,若調之,必人主舞之。今範昭人臣也,而欲舞天子之樂,臣故不為也。"範昭歸以告平公曰:"齊未可伐也。臣欲試其君,而晏子識之;臣欲犯其禮,而太師知之。"仲尼聞之曰:"夫不出於樽俎之間,而知千里之外。"其晏子之謂也。可謂折沖矣,而太師其與焉。

景公晏子に對して曰く、「晉是れ大国、人を派して來らしめ、將に我らの政治を觀察せんとす。如今您大国の使者を觸怒す、將に如何せんか」と。晏子曰く、「范昭の爲人は、是れ鄙陋にして禮を識らずにあらず、并せて我らの君臣を試探せんと欲す、ゆえに彼を囘絕せり」と。景公太師に對して曰く、「您何ぞ客人のため成周の樂を演奏せざるか」と。太師答えて曰く、「成周の樂是れ天子の樂なり、若し演奏せば、必ず人主をして跳舞せしめん。如今范昭是れ人臣にして、卽ち天子の樂を以て跳舞せんと欲す、臣演奏せざる所以なり」と。范昭回去りて晉平公に告げて曰く、「齊攻伐す可からず。臣其の國君を試探せんと欲せば、晏子識破せり;臣其の禮を冒犯せんと欲せば、太師之を知れり」と。孔子聞きて後曰く、「樽俎の間を走出せずして、能く千里の外を知る」と。是れ晏子を説くなり。折衝と稱す可くして、而して太師亦其の中に參與せり。

晉平公畜西河,中流而嘆曰:"嗟乎!安得賢士與共此樂乎?"船人固桑進對曰:"君言過矣。夫劍產于越,珠產於江漢,玉產於崑山,此三寶者,皆無足而至,今君苟好士,則賢士至矣。"平公曰:"固桑,來。吾門下食客三千餘人,朝食不足,暮收市租;暮食不足,朝收市租,吾尚可謂不好士乎?"固桑對曰:"今夫檻鵠高飛沖天,然其所恃者六翮耳。夫腹下之毳,背上之毛,增去一把,飛不為高下。不知君之食客,六翮耶?將腹背之毳也?"平公默默而不應焉。

晉平公船に乘りて西河を游ぶ(底本「畜」と作す、疑らく「游」の訛)、中流に至りて歎息して曰く、「唉!何處にか賢士を得て我と此の歡樂を共享せんか」と。船人固桑進みて前に答えて曰く、「君の話錯誤せり。劍越に出產し、珠江漢に出產し、玉昆山に出產す、此の三樣の寶物皆脚なくして而して到來せり。如今君若し士を愛好せば、賢士卽ち到來せん」と。平公曰く、「固桑、過來れ。我が門下食客三千餘人、早飯足らざれば、傍晚卽ち往きて市租を收め;晚飯足らざれば、早晨卽ち往きて市租を收む、我還りて士を好まずと説く可きか」と。固桑答えて曰く、「それ籠中の鴻鵠高飛して天を衝く、其の依靠する所只是れ六根の健羽のみ。腹下の細毛・背上の毛は、增加し或は一把を去掉するも、飛ぶこと並びに此に因りて更高く或は更低くならず。君の食客を知らず、是れ六根の健羽か、還りて腹背の細毛か」と。平公沈默して、答えず。

楚威王問於宋玉曰:"先生其有遺行耶?何士民眾庶不譽之甚也?"宋玉對曰:"唯,然有之,願大王寬其罪,使得畢其辭。客有歌於郢中者,其始曰下里巴人,國中屬而和者數千人,其為陽陵采薇,國中屬而和者數百人;其為陽春白雪,國中屬而和者,數十人而已也;引商刻角,雜以流徵,國中屬而和者,不過數人。是其曲彌高者,其和彌寡。故鳥有鳳而魚有鯨,鳳鳥上擊於九千里,絕畜云,負蒼天,翱翔乎窈冥之上,夫糞田之鴳,豈能與之斷天地之高哉!鯨魚朝發崑崙之墟,暴鬐於碣石,暮宿於孟諸,夫尺澤之鯢,豈能與之量江海之大哉?故非獨鳥有鳳而魚有鯨也,士亦有之。夫聖人之瑰意奇行,超然獨處;世俗之民,又安知臣之所為哉!"

楚威王宋玉に問う、「先生該に過失の品行有るか?何ぞ士民庶人彼処までも您を稱讚せざるか」と。宋玉答えて曰く、「是、確かに有り、願わくは大王罪過を寬免して、我をして話を畢え盡くさしめよ。客人有りて郢中に於て歌を唱歌し、開始『下里』『巴人』を唱すれば、國中跟ちて應和する幾千人有り;『陽陵』『采薇』を唱すれば、國中跟ちて應和する幾百人有り;『陽春』『白雪』を唱すれば、國中跟ちて應和する不過幾十人;商音を引用し角音を刻畫し、流動する徵音を夾雜すれば、國中跟ちて應和する不過幾人。此れ卽ち曲子愈高ければ、應和する愈少なし。ゆえに鳥中鳳凰有り、魚中鯨魚有り。鳳凰向上搏擊して九千里に至り、層雲を穿過し、蒼天を背負し、窈冥の上に翱翔す、それ糞田裏の鷃雀は、豈能く彼と天地の高を評斷せんや?鯨魚早晨崑崙山腳下より出發し、碣石に於て鬣鰭を曬し、傍晚孟諸に停宿す、それ尺把深水澤裏の鯢魚は、豈能く彼と江海の大を計量せんや?ゆえに不只鳥鳳凰有り、魚鯨魚有るのみ、士亦かくのごとき有り。聖人瑰麗の心意・奇特の品行は、超然獨り彼處に處り;世俗の人は、又何處にか臣の作爲を知らんか!」

晉平公閒居,師曠侍坐。平公曰:"子生無目眹,甚矣!子之墨墨也。"師曠對曰:"天下有五墨墨,而臣不得與一焉。"平公曰:"何謂也?"師曠曰:"群臣行賂,以釆名譽,百姓侵冤,無所告訴,而君不悟,此一墨墨也。忠臣不用,用臣不忠,下才處高,不肖臨賢,而君不悟,此二墨墨也。奸臣欺軸,空虛府庫,以其少才,覆塞其惡,賢人逐,奸邪貴,而君不悟,此三墨墨也。國貧民罷,上下不和,而好財用兵,嗜慾無厭,諂諛之人,容容在旁,而君不悟,此四墨墨也。至道不明,法令不行,吏民不正,百姓不安,而君不悟,此五墨墨也。國有五墨墨而不危者,未之有也。臣之墨墨,小墨墨耳!何害乎國家哉!"

晉平公閑居す、師曠陪坐す。平公曰く、「您生まれ來りて眼珠なく、太だ過分なり!您眞に墨墨不明なり」と。師曠答えて曰く、「天下五種の墨墨不明有りて、而して臣一種亦挨らず」と。平公曰く、「何の意思か」と。師曠曰く、「群臣行賄して以て名譽を獵取し、百姓侵害を受け冤を含みて、告訴する處なく、而して君醒悟せず、是れ第一種の墨墨。忠臣任用せられず、任用せらるる臣忠ならず、下等人才高位に處り、不肖の人賢人の上に壓れ、而して君醒悟せず、是れ第二種の墨墨。奸臣欺騙蒙蔽し、府庫を掏空し、一點の小才に憑りて、自己の惡を掩蓋し、賢人驅逐せられ、奸邪尊貴せられ、而して君醒悟せず、是れ第三種の墨墨。國家貧にして百姓疲憊し、上下不和して、卽ち財貨を愛好し兵を喜用し、嗜欲滿足なく、諂諛の人聲に隨い附和して旁邊に待ち、而して君醒悟せず、是れ第四種の墨墨。至道明ならず、法令行われず、吏民正しからず、百姓安んぜず、而して君醒悟せず、是れ第五種の墨墨。國家此の五種の墨墨有りて危險ならざるは、未だ曾て有らず。臣の墨墨は、是小墨墨のみ!國家に對して何の害處か有らんか!」

趙文子問於叔向曰:"晉六將軍,庸先亡乎?"對曰:"其中行氏乎!"文子曰:"何故先亡?"對曰:"中行氏之為政也,以苛為察,以欺為明,以刻為忠,以計多為善,以聚歛為良。譬之其猶□革者也,大則大矣,裂之道也,當先亡。"

趙文子叔向に問う、「晉國六個の將軍、哪個先に滅亡せんか」と。答えて曰く、「大概是れ中行氏か!」と。文子曰く、「何ぞ先に滅亡せんか」と。答えて曰く、「中行氏政を施す、苛刻を以て明察と作し、欺詐を以て聰明と作し、刻薄を以て忠誠と作し、計謀多きを以て善と作し、聚斂を以て能幹と作す。譬えばそれ大皮革を撑ぐる人のごとし(底本此の字殘缺、文意是れ皮革を撑大す)、大は大なれど、卽ち是れ撕裂の路子、先に滅亡す可し」と。

楚莊王既討陳靈公之賊,殺夏徵舒,得夏姬而悅之。將近之,申公巫臣諫曰:"此女亂陳國,敗其群臣,嬖女不可近也。"莊王從之。令尹又欲取,申公巫臣諫,令尹從之。後襄尹取之,至恭王與晉戰於鄢陵,楚兵敗,襄尹死,其屍不反,數求晉,不與。夏姬請如晉求屍,楚方遣之,申公巫臣將使齊,私說夏姬與謀。及夏姬行,而申公巫臣廢使命,隨夏姬之晉。令尹將徙其族,言於王曰:"申公巫臣諫先王以無近夏姬,今身廢使命,與夏姬逃之晉,是欺先王也,請徙其族。"王曰:"申公巫臣為先王謀則忠,自為謀則不忠,是厚於先王而自薄也,何罪於先王?"遂不徙。

楚莊王已に陳靈公を殺害するの賊人を討伐し、夏征舒を殺し、夏姬を得て之を喜歡す。將に之を親近せんとして、申公巫臣進諫して曰く、「此の女子陳國を攪亂し、群臣を敗壞せり、寵幸の女子親近す可からず」と。莊王聽從す。令尹又之を娶らんと欲す、申公巫臣進諫し、令尹聽從す。後來襄尹之を娶る。楚共王と晉と鄢陵に於て交戰するに至りて、楚兵戰敗し、襄尹死し、屍體運回する能わず、屢々晉に求取す、晉給さず。夏姬晉に至りて屍體を求めんことを請求す、楚正に之を派遣せんとす、申公巫臣將に齊に出使せんとして、私下夏姬を勸說して一起に謀劃す。夏姬走り去るに及びて、申公巫臣使命を廢棄し、夏姬に跟隨して晉に至る。令尹將に其の族人を遷徙せんとして、王に對して曰く、「申公巫臣先王に進諫して夏姬を親近する勿れとせり、如今自身使命を廢棄して、夏姬と晉に逃げ到る、是れ先王を欺騙す、請う其の族人を遷徙せん」と。王曰く、「申公巫臣先王のため謀劃すれば則ち忠誠、自己のため謀劃すれば則ち不忠、是れ先王を厚待して自己を薄待す、先王に對して何の罪か有らん」と。於是遷徙せず。

雜事第二

雜事第二

昔者,唐虞崇舉九賢,布之於位,而海內大康,要荒來賓,麟鳳在郊。商湯用伊尹,而文武用太公閎夭,成王任周召,而海內大治,越裳重譯,祥瑞並降,遂安千載。皆由任賢之功也。無賢臣,雖五帝三王,不能以興。

從前、唐堯・虞舜九位の賢人を推擧して擧用し、職位に安置す、海內大いに安康し、要服・荒服皆來りて朝見し、麒麟鳳凰郊野に出現す。商湯伊尹を任用し、文王・武王太公・閎夭を任用し、成王周公・召公を任用す、海內大いに治理し、越裳多重の翻譯を經過して前來し、祥瑞一齊に降下し、於是安定長達千年なり。皆是れ賢人を任用するの功效に由る。賢臣なく、たとい五帝三王と雖も、亦興起する能わず。

齊桓公得管仲,有霸諸侯之榮;失管仲,而有危亂之辱。虞不用百里奚而亡,秦繆公用之而霸。楚不用伍子胥而破,吳闔廬用之而霸。夫差非不用子胥也,又殺之,而國卒以亡。燕昭王用樂毅,推弱燕之兵,破強齊之讎,屠七十城,而惠王廢樂毅,更代以騎劫,兵立破,亡七十城。此父用之,子不用,其事可見也。故闔廬用子胥以興,夫差殺之而以亡;昭王用樂毅以勝,惠王逐之而敗,此的的然若白黑。

齊桓公管仲を得て、諸侯に稱霸するの光榮有り;管仲を失えば、卽ち危亂の恥辱有り。虞國百里奚を用いずして滅亡し、秦穆公彼を任用して稱霸す。楚伍子胥を用いずして破敗し、吳王闔閭彼を任用して稱霸す。夫差並びに非ず子胥を用いず、又彼を殺害し、國家終に此に因りて滅亡す。燕昭王樂毅を任用し、弱燕の軍隊を推動して、強齊此の仇敵を攻破し、七十座の城を屠滅す、而して惠王樂毅を廢掉し、改用して騎劫を以て代替す、軍隊立刻攻破せられ、七十座の城を失去す。是れ父親任用し兒子用いず、事情看明白する可し。ゆえに闔閭子胥を任用して興起し、夫差彼を殺掉して滅亡す;昭王樂毅を任用して取勝し、惠王彼を驅逐して失敗す、此れ明明白黑白のごとし。

秦不用叔孫通,項王不用陳平。韓信而皆滅,漢用之而大興,此未遠也。夫失賢者,其禍如此。人君莫不求賢以自輔,然而國以亂亡者,所謂賢者不賢也。或使賢者為之,與不賢者議之,使智者圖之,與愚者謀之。不肖嫉賢,愚者嫉智,是賢者之所以隔蔽也,所以千載不合者也。或不肖用賢而不能久也,或久而不能終也;或不肖子廢賢父之忠臣,其禍敗難一二錄也,然其要在於己不明而聽眾口,□愬不行,斯為明也。

秦叔孫通を用いず、項王陳平・韓信を用いずして皆滅亡し、漢彼らを任用して大いに興起す、此れ還りて久遠ならず。賢人を失去するの禍患は、卽ちかくのごとし。人君賢人を求めて以て自己を輔助せざるなく、然るに國家此に因りて亂亡するは、是れ所謂の賢人並びに賢ならざるに因る。或は賢人をして事を爲さしめて、卽ち不賢の人と評議し;智者をして謀劃せしめて、卽ち愚人と商量す。不肖賢を嫉妬し、愚人智を嫉妬す、此れ卽ち賢人隔絕蒙蔽せられ、千年遇合する能わざるの緣故なり。或は不肖の人賢人を任用して能く長久せず、或は長久にして能く善終せず;或は不肖の兒子賢父の忠臣を廢掉す、禍敗一一記錄し難く、然るに要害在りて自己不明にして衆口を聽信す。讒言毀謗行われず(底本此の字殘缺)、此れ纔かに明智と算す。

魏龐恭與太子質於邯鄲,謂魏王曰:"今一人來言市中有虎,王信之乎?"王曰:"否。"曰:"二人言,王信之乎?"曰:"寡人疑矣。"曰:"三人言,王信之乎?"曰:"寡人信之矣。"龐恭曰:"夫市之無虎明矣,三人言而成虎。今邯鄲去魏遠於市,議臣者過三人,願王察之也。"魏王曰:"寡人知之矣。"及龐恭自邯鄲反,讒口果至,遂不得見。

魏國龐恭太子と邯鄲に至りて人質を爲りて、魏王に對して曰く、「如今一個人來りて市中虎有りと説く、王信ずるか」と。王曰く、「不」と。曰く、「兩個人説けば、王信ずるか」と。曰く、「寡人懷疑す」と。曰く、「三個人説けば、王信ずるか」と。曰く、「寡人相信す」と。龐恭曰く、「市中虎なきは明白なり、三個人一説して卽ち虎有りと成る。如今邯鄲魏を離れること市を離れるより更に遠く、臣を議論する三個人を超過す、願わくは王明察せん」と。魏王曰く、「寡人知之れり」と。龐恭邯鄲より囘來するに及びて、讒言果然として到來し、於是再び見るを得ず。

甘茂,下蔡人也。西入秦,數有功,至武王以為左丞相,樗裡子為右丞相。樗裡子及公孫子,皆秦諸公子也,其外家韓也,數攻韓。秦武王謂甘茂曰:"寡人慾容車至周室者,其道乎韓之宜陽。"欲使甘茂伐韓取宜陽,以信道至周室。甘茂曰:"請約魏以伐韓。"令向壽輔行。甘茂既約魏,魏許,甘茂還至息壤,謂向壽曰:"子歸言之王,魏聽臣矣,然願王勿伐也。"向壽歸以告王,王迎甘茂於息壤,問其故,對曰:"宜陽,大縣也。名為縣,其實郡也。今王倍數險,行千里攻之難。。。。。。。"

甘茂是れ下蔡人なり。西秦に入りて、屢々功有り、秦武王に至りて彼を以て左丞相を爲し、樗里子右丞相を爲す。樗里子と公孫子と皆是れ秦の公子、彼らの外家是れ韓、屢々韓を攻む。秦武王甘茂に對して曰く、「寡人車子をして周室に通達する能くせんと欲す、其の路韓の宜陽を經過せんと要す」と。甘茂をして韓を伐ち宜陽を奪取せしめ、以て周室に至る路を開通せんと欲す。甘茂曰く、「請う魏と約定して一起に韓を伐たん」と。向壽をして輔助して同行せしむ。甘茂已に魏を約定し、魏答應す、甘茂囘りて息壤に至りて、向壽に對して曰く、「您囘りて王に對して曰え、魏已に臣に聽從せり、可是願わくは王攻伐する勿れ」と。向壽囘りて王に告ぐ、王息壤に於て甘茂を迎接し、緣故を問う。甘茂答えて曰く、「宜陽是れ大縣なり。名は縣と謂うも、其の實是れ郡なり。如今王多重の險阻を背負し、千里を走りて之を攻打す、甚だ難し」(底本此處疑らく脫文有り)。

昔者,曾參之處,鄭人有與曾參同名姓者殺人,人告其母曰:'曾參殺人。’其母織自若也。頃然一人又來告之,其母曰:'吾子不殺人。’有頃,一人又來告,其母投杼下機,踰牆而走。夫以曾參之賢,與其母信之也,然三人疑之,其母懼焉。今臣之賢也不若曾參,王之信臣也,又不如曾參之母之信曾參也,疑臣者非特三人也,臣恐大王投杼也。

從前、曾參住する所、鄭人曾參と同名同姓有るの殺人す、人其の母親に告げて曰く、『曾參人を殺せり』と。其の母親織布して還りて泰然自若なり。一會兒又一人の來りて告ぐる有り、母曰く、『我が兒子人を殺さず』と。一會兒を過ぎて、又一人の來りて告ぐる有り、母梭子を扔下して織機を離れ、墻を翻りて逃走す。曾參の賢と、其の母親の彼に對する信任とを憑るも、而して三個人彼を懷疑せしむれば、母親卽ち害怕す。如今臣の賢曾參に及ばず、王臣に對する信任は、又曾參の母親の曾參を信任するに如かず、臣を懷疑する三個人のみならず、臣怕る大王亦將に梭子を扔下せんとす」と。

魏文侯令樂羊將攻中山,三年而拔之,樂羊反而語功,文侯示之謗書一篋。樂羊再拜稽首曰:'此非臣之功也,主君之力也。’今臣羈旅也,樗裡子,公孫子二人挾韓而議,王必信之,是王欺魏而臣受韓之怨也。"王曰:"寡人不聽也。"使伐宜陽,五月而宜陽未拔。樗裡子,公孫子果爭之,武王召甘茂,欲罷兵。甘茂曰:"息壤在彼。"王曰:"有之。"因悉起兵,使甘茂將擊之,遂拔宜陽。及武王薨,昭王立,樗裡子,公孫子讒之,甘茂遇罪,卒奔齊。故非至明,其庸能毋用讒乎?

魏文侯樂羊をして軍を率いて中山を攻めしめ、三年攻下す、樂羊囘來して功勞を談論す、文侯彼に看せしむるに一箱子の誹謗の書信を以てす。樂羊再拜頭を叩きて曰く、『此れ是れ臣の功勞にあらず、是れ主君の力量なり』と。如今臣是れ寄居の旅客、樗里子・公孫子兩人挾持韓を以て議論す、王必ず相信せん、かくのごとくば王卽ち魏を欺騙して臣韓の怨恨を承受せん」と。王曰く、「寡人聽かず」と。彼を派して宜陽を伐たしめ、五個月宜陽還りて攻下せず。樗里子・公孫子果然として爭論す、武王甘茂を召して、兵を罷めんと欲す。甘茂曰く、「息壤還りて彼處に在り」と。王曰く、「此の回事有り」と。於是盡數兵を起こして、甘茂をして軍を率いて進擊せしめ、終に宜陽を攻下す。武王去世するに及びて、昭王位に即き、樗里子・公孫子讒を進め、甘茂罪を獲て、終に齊に逃奔す。ゆえに是れ極其明智ならずして、何處にか能く讒言を用いざらんや?

楚王問群臣曰:"吾聞北方畏昭奚恤,亦誠何如?"江乙答曰:"虎求百獸食之,得一狐。狐曰:'子毋敢食我也,天帝令我長百獸,今子食我,是逆帝命也,以我為不信,吾為子先行,子隨我後,觀百獸見我無不走。’虎以為然,隨而行,獸見之皆走,虎不知獸畏己而走也,以為畏狐也。今王地方五千裡,帶甲百萬,而專任之於昭奚恤也,北方非畏昭奚恤也,其實畏王之甲兵也,猶百獸之畏虎。"故人臣而見畏者,是見君之威也,君不用則威亡矣。

楚王群臣に問う、「我聞く北方昭奚恤を畏懼す、究竟如何」と。江乙答えて曰く、「老虎百獸を找りて以て喫し、一隻の狐狸を捉到す。狐狸曰く、『您敢えて我を喫すなかれ、天帝我をして百獸の長を爲さしめり、如今您我を喫せば、是れ帝命を違逆す。若し我不誠實を以爲せば、我您のため前面に走り行き、您我の後面に跟從して、百獣我を見て逃走路せざるなきを看よ』と。老虎以爲對なりとし、跟ちて走れば、野獸見て皆逃走路し、老虎野獸の自己を怕れて纔かに逃ぐるを知らずして、以爲狐狸を怕るるなりとす。如今王土地方圓五千里、甲を披く百萬有りて、卽ち專一昭奚恤に任用給す、北方是れ昭奚恤を怕るるにあらず、其の實是れ王の甲兵を怕るる、卽ち百獣の老虎を怕るるがごとし」と。ゆえに人臣畏懼せらるるは、是れ君の威勢を見到るなり、君彼を用いざれば卽ち威勢消亡す。

魯君使宓子賤為單父宰,子賤辭去,因請借善書者二人,使書憲為教品;魯君予之。至單父,使書,子賤從旁引其肘,書醜則怒之,欲好書則又引之,書者患之,請辭而去。歸以告魯君,魯君曰:"子賤苦吾擾之。使不得施其善政也。"乃命有司無得擅徵發單父,單父之化大治。故孔子曰:"君子哉子賤,魯無君子者,斯安取斯?"美其德也。

魯君宓子賤を派して單父宰を爲らしむ、子賤告辭して離去す、於是兩個善く書寫する人を借用せんことを請求し、彼らをして憲令を書寫して以て教令條目を爲らしめん;魯君彼に給せり。單父に到りて、彼らをして書寫せしむ、子賤旁邊より彼らの肘を拉し、字寫れて醜ければ卽ち發怒し、寫好せんと欲して又肘を拉す、書寫の人苦惱して、告辭して離去せんことを請求す。囘去りて魯君に告ぐ、魯君曰く、「子賤我が彼を干擾するを苦しみて、彼をして善政を施行する能わからしめず」と。於是有關部門に命じて擅自に單父に向かいて徵發することを得ざらしむ、單父の教化大いに治理す。ゆえに孔子曰く、「君子や子賤、魯國若し君子なければ、彼何處よりかくのごとき德を取得せんか」と。是れ其の德を讚美す。

楚人有獻魚楚王者曰:"今日漁獲,食之不盡,賣之不售,棄之又惜,故來獻也。"左右曰:"鄙哉!辭也。"楚王曰:"子不知漁者仁人也。蓋聞囷倉粟有餘者,國有餓民;後宮多幽女者,下民多曠夫;餘衍之蓄,聚於府庫者,境內多貧困之民;皆失君人之道。故庖有肥魚,廄有肥馬,民有餓色,是以亡國之君,藏於府庫,寡人聞之久矣,未能行也。漁者知之,其以比喻寡人也,且今行之。"於是乃遣使恤鰥寡而存孤獨,出倉粟,發幣帛而振不足,罷去後宮不御者,出以妻鰥夫。楚民欣欣大悅,鄰國歸之。故漁者一獻餘魚,而楚國賴之,可謂仁智矣。

楚人楚王に魚を獻ずる有りて、曰く、「今天魚を打ちて收穫有り、喫し盡くさず、賣るに又賣掉せず、扔掉するに又可惜なり、ゆえに來りて獻ず」と。左右曰く、「此の話眞に鄙陋なり!」と。楚王曰く、「您漁者は是れ仁人なるを知らず。倉廩糧食餘有りて、國中挨餓の百姓有ると聞く;後宮幽閉の女子多きは、民間無妻の男子多し;多餘の積蓄府庫に聚まるは、境內貧困の百姓多し;皆君主治國の道理を失去せり。ゆえに厨房肥魚有り、馬廐肥馬有りて、百姓臉上饑色有り、此に因りて亡國の君東西を府庫に藏むるは、寡人聞くこと久し、還りて未だ實行する能わず。漁者此を知るは、是れ此を以て寡人を比喻し、并且我をして現在實行せしむ」と。於是使者を派遣して鰥寡を撫恤し、孤獨を存問し、倉粟を拿出して、幣帛を發放して以て不足の人を救濟し、後宮再び進御せざるを罷免し、放出して鰥夫に嫁せしむ。楚民欣欣大悅して、鄰國歸附す。ゆえに漁者一回餘魚を獻じて、楚國卽ち彼に依賴す、仁智と稱す可し。

昔者,鄒忌以鼓琴見齊宣王,宣王善之。鄒忌曰:"夫琴所以象政也。"遂為王言琴之象政狀及霸王之事。宣王大悅,與語三日,遂拜以為相。齊有稷下先生,喜議政事,鄒忌既為齊相,稷下先生淳于髡之屬七十二人,皆輕忌,以謂設以辭,鄒忌不能及。乃相與俱往見鄒忌。

從前、鄒忌鼓琴を憑りて齊宣王に進見す、宣王以爲彼好しとす。鄒忌曰く、「琴是れ以て政治を象徵するに用うなり」と。於是王に琴如何に政治を象徵する及び霸王の事を講じ給う。宣王大悅して、彼と三天談話して、卽ち彼を拜して相を爲さしむ。齊稷下先生有りて、政事を議論することを喜歡す、鄒忌已に齊相を爲りて、稷下先生淳于髡一類七十二人、皆鄒忌を輕視し、以爲言辭を設下して、鄒忌及ばずとす。於是一起に往きて鄒忌を見る。

淳于髡之徒禮倨,鄒忌之禮卑。淳于髡等曰:"狐白之裘,補之以弊羊皮,何如?"鄒忌曰:"敬諾,請不敢雜賢以不肖。"淳于髡等曰:"方內而員釭,如何?"鄒忌曰:"敬諾,請謹門內,不敢留賓客。"淳于髡等曰:"三人共牧一羊,羊不得食,人亦不得息,何如?"鄒忌曰:"敬諾,減吏省員,使無擾民也。"淳于髡等三稱,鄒忌三知之如應響。淳于髡等辭屈而去。鄒忌之禮倨,淳于髡等之禮卑。

淳于髡一夥禮節傲慢なり、鄒忌禮節謙卑なり。淳于髡等人曰く、「狐白の皮衣、破羊皮を以て之を補うは、如何」と。鄒忌曰く、「敬謹命を遵る、請う敢えて不肖を以て賢人を混雜せず」と。淳于髡等人曰く、「方の孔にして圓の釭、如何」と。鄒忌曰く、「敬謹命を遵る、請う門內を謹慎して、敢えて賓客を留めず」と。淳于髡等人曰く、「三個人一起に一隻の羊を牧して、羊草を喫到せず、人亦休息を得ず、如何」と。鄒忌曰く、「敬謹命を遵る、官吏員額を減省して、百姓を侵擾せしめず」と。淳于髡等人三次稱説し、鄒忌三次知之、囘聲應和のごとし。淳于髡等人辭窮りて離去す。鄒忌の禮節傲慢と變じ、淳于髡等人の禮節謙卑と變ず。

故所以尚干將莫邪者,貴其立斷也;所以貴騏驥者,為其立至也。必且歷日曠久乎?絲犛猶能挈石,駑馬亦能致遠,是以聰明捷敏,人之美材也。子貢曰:"回也,聞一以知十。"美敏捷也。

ゆえに干將・莫邪を崇尚するは、是れ彼ら立刻能く斬斷するを看重す;騏驥を看重するは、是れ因りて彼ら立刻能く到達す。必ず漫長の日子を經歷せんと要するや?絲線牦毛亦能く石頭を提起し、劣馬亦能く遠方に走到す、此に因りて聰明敏捷是れ人の美好の材質なり。子貢曰く、「顏回や、一件を聞きて能く十件を推知す」と。是れ敏捷を讚美す。

昔者,燕相得罪於君,將出亡,召門下諸大夫曰:"有能從我出者乎?"三問,諸大夫莫對,燕相曰:"嘻!亦有士之不足養也。"大夫有進者曰:"亦有君之不能養士,安有士之不足養者?凶年饑歲,糟粕不厭,而君之犬馬,有餘谷粟;隆冬烈寒,士短褐不完,四體不蔽,而君之臺觀,帷□錦繡,隨風飄飄而弊。財者,君之所輕;死者,士之所重也。君不能施君之所輕,而求得士之所重,不亦難乎?"燕相遂慚,遁逃不復敢見。

從前、燕相君に得罪して、將に出亡せんとして、門下各位の大夫を召して曰く、「能く我に跟隨して出去る有るか」と。三次問うて、各位の大夫回答なく。燕相曰く、「嘻!亦士供養するに足らざるの情形有りや」と。大夫有りて進みて前に曰く、「亦君能く士を供養せざるの情形有り、何處にか士供養するに足らざる有らん?荒年飢歲、酒糟豆渣皆喫飽せず、而して君の犬馬多餘の穀粟有り;隆冬酷寒、士短褐完整せず、四肢遮蔽する能わず、而して君の台觀、帷幕錦繡(底本此の字殘缺)風に隨いて飄飄として卽ち壞れり。財是れ君の看輕する所、死是れ士の看重する所。君能く自己所看輕するを施舍せずして、卽ち士の看重する所を求得せんと欲す、亦難からずや」と。燕相於是慚愧し、逃走して再び敢えて見面せず。

晉文公出獵,前驅曰:"前有大蛇,高如堤,阻道竟之。"文公曰:"寡人聞之,諸侯夢惡則修德,大夫夢惡則修官,士夢惡則修身,如是而禍不至矣。今寡人有過,天以戒寡人。"還車而反。前驅曰:"臣聞之,喜者無賞,怒者無刑。今禍福已在前矣,不可變,何不逐驅之?"文公曰:"不然,夫神不勝道,而妖亦不勝德,禍福未發,猶可化也。"還車反,宿齋三日,請於廟曰:"孤少犧不肥,幣不厚,罪一也。孤好弋獵,無度數,罪二也。孤多賦歛,重刑罰,罪三也。請自今以來者,關市無徵,澤梁無賦歛,赦罪人,舊田半稅,新田不稅。"行此令未半旬,守蛇吏夢天帝殺蛇曰:"何故當聖君道為,而罪當死。"發夢視蛇臭腐矣。謁之,文公曰:"然夫神果不勝道,而妖不勝德,奈何其無究理而任天也,應之以德而已。"

晉文公里に出去りて獵を打ちて、前驅曰く、「前面大蛇有り、堤のごとく高く、路を擋きて盡頭に至る」と。文公曰く、「寡人聞く、諸侯惡事を夢見れば卽ち德行を修養し、大夫惡事を夢見れば卽ち官職を整飭し、士惡事を夢見れば卽ち自身を修養す、かくのごとければ卽ち禍到來せず。如今寡人過失有り、天以て寡人を警戒す」と。車子を掉轉して返回す。前驅曰く、「臣聞く、喜歡する時賞する勿れ、發怒する時刑する勿れ。如今禍福已に前面に在り、改變す可からず、何ぞ之を驅趕せざるか」と。文公曰く、「不對。神道に勝たず、妖亦德に勝たず、禍福還りて發作せず、還りて轉化す可し」と。車子を掉轉して返回し、住宿齋戒三天して、廟に至りて請求して曰く、「孤少し時犧牲肥せず、幣帛厚からず、是れ第一條の罪。孤弋獵を愛好して、節度なく、是れ第二條の罪。孤賦稅を多收して、刑罰を加重す、是れ第三條の罪。請う今以後、關市徵稅せず、澤梁賦を收めず、罪人を赦免し、舊田半分の稅を收め、新田徵稅せず」と。此の道の令を施行して還りて半旬に到らず、蛇を守る吏天帝蛇を殺すを夢見て曰く、「何ぞ聖君の路を擋ぐるか、罪當に處死すべし」と。醒めて後往きて看れば、蛇已に腐臭せり。上に稟告す、文公曰く、「果然神道に勝たず、妖德に勝たず、何を以て事理を窮究せずして天に聽任せんか、德を以て應對するのみ」と。

梁君出獵,見白雁群,梁君下車,彀弓欲射之。道有行者,梁君謂行者止,行者不止,白雁群駭。梁君怒,欲射行者。其御公孫襲下車撫矢曰:"君止。"梁君忿然作色而怒曰:"襲不與其君,而顧與他人,何也?"公孫襲對曰:"昔齊景公之時,天大旱三年,卜之曰:'必以人祠,乃雨。’景公下堂頓首曰:'凡吾所以求雨者,為吾民也,今必使吾以人祠乃且雨,寡人將自當之。’言未卒而天大雨方千里者,何也?為有德於天而惠於民也。今主君以白雁之故而欲射人,襲謂主君無異於虎狼。"梁君援其手與上車,歸入廟門,呼萬歲,曰:"幸哉!今日也他人獵,皆得禽獸,吾獵得善言而歸。"

梁君出去りて獵を打ちて、一群の白雁を見て、梁君車を下りて、弓を拉滿して射んと欲す。路上行人有り、梁君行人をして停下せしむ、行人停まらず、白雁群驚を受く。梁君發怒して、行人を射んと欲す。其の御者公孫襲車を下りて箭を按住して曰く、「君停下せよ」と。梁君忿然として色を變じ發怒して曰く、「襲自己の君を幫助せず、反つて別人を幫助す、何ぞや」と。公孫襲答えて曰く、「從前齊景公の時候、天大旱すること三年、卜を問えば曰く、『必ず人を以て祭品と爲さば、纔かに雨下らん』と。景公堂を走下りて頭を叩きて曰く、『凡是れ我雨を求むるは、是れ我が百姓のためなり、如今必ず我をして人を以て祭品と爲さば纔かに雨下らんとせば、寡人自ら將に承當せん』と。話未だ說き盡くさずして、方圓千里卽ち大雨下る、何ぞや?是れ對して天に德有り、民に對して惠有るに因るなり。如今主君白雁の緣故に因りて人を射んと欲す、襲以爲主君虎狼と同じからざるなしと」と。梁君其の手を拉して一起に車に上り、囘來して廟門に入り、萬歲を呼叫して曰く、「幸運なるかな!今天別人獵を打ちて皆禽獸を得、我獵を打ちて善言を得て囘來せり」と。

武王勝殷,得二虜而問焉。曰:"而國有妖乎?"一虜答曰:"吾國有妖,晝見星而天雨血,比吾國之妖也。"一虜答曰:"此則妖也,雖然,非其大者也。吾國之妖,其大者子不聽父,弟不聽兄,君令不行,此妖之大者也。"

武王殷に戰勝して、兩個の俘虜を得て詢問す。曰く、「你ら國妖有るか」と。一個の俘虜答えて曰く、「我が國妖有り、白天星星を見、天上血を落下す、是れ我が國の妖なり」と。一個の俘虜答えて曰く、「此れ固然として是れ妖なり、然るにと雖も、是れ最大にあらず。我が國の妖は、大なるは兒子父親に聽從せず、弟弟兄長に聽從せず、君令推行する能わず、此れ纔かに是れ最大の妖なり」と。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.