新序 · 第3巻
楚惠王食寒葅而得蛭,因遂吞之,腹有疾而不能食。令尹入問曰:"王安得此疾也?"王曰:"我食寒葅而得蛭,念譴之而不行其罪乎?是法廢而威不立也,非所以使國聞也;譴而行其誅乎?則庖宰食監法皆當死,心又不忍也,故吾恐蛭之見也,因遂吞之?"令尹避席再拜而賀曰:"臣聞大道無親,惟德是輔。君有仁德,天之所奉也,病不為傷。"是夕也,惠王之後蛭出,故其久病心腹之積皆愈,天之視聽,不可不察也。
楚惠王寒い醃菜を喫して水蛭を得て、於是卽ち吞下去し、腹中病有りて飯を喫する能わず。令尹進み入りて問う、「王何を以て此の病を得たるか」と。王曰く、「我寒い醃菜を喫して水蛭を得たり、譴責せんと欲するも彼らの罪を施行せざるか?かくのごとくば法廢して威立たず、是れ以て國中をして聽聞せしむるに用うるにあらず;譴責して誅殺を施行せんか?則ち庖宰・食監法に依りて皆死すべし、心裏又忍びず。ゆえに我水蛭の見えらるるを怕れて、於是卽ち吞めり」と。令尹席を離れて再拜祝賀して曰く、「臣聞く大道偏私なく、只德有る人を輔助すと。君仁德有るは、是れ天の奉持する所、病傷害と爲ることなからん」と。此の日晚上、惠王之後水蛭出でて、ゆえに其の長久の心腹積病皆痊愈せり。天の視聽は、體察せざる可からず。
鄭人遊於鄉校,以議執政之善否?然明謂子產曰:"何不毀鄉校?"子產曰:"胡為?夫人朝夕遊焉,以議執政之善否。其所善者,吾將行之;其所惡者,吾將改之。是吾師也,如之何毀之?吾聞為國忠信以損怨,不聞作威以防怨。譬之若防川也,大決所犯,傷人必多,吾不能救也,不如小決之,使導吾聞而藥之也。"然明曰:"蔑也,乃今知吾子之信可事也。小人實不材,若果行,此其鄭國實賴之,豈惟二三臣。"仲尼聞是語也,曰:"以是觀人,謂子產不仁,吾不信也。"
鄭人鄉校に於て游びて、以て執政の好壞を議論す。然明子產に對して曰く、「何ぞ鄉校を毀掉せざるか」と。子產曰く、「何ぞや?それらの人早晚其處に於て游びて、以て執政の好壞を議論す。彼らの善とする所は、我將に實行せん;彼らの惡とする所は、我將に改正せん。是れ我が老師、何を以て之を毀掉せん?我聞く國を治むるに忠信を以て怨を減損すと、未だ威を作して以て怨を防止するを聞かず。譬えば水を防ぐがごとし、大決の犯す所は、人を傷する必ず多し、我能く救わず、小決に如かずして、之をして疏導せしめ、我聞きて以て藥と作す」と。然明曰く、「蔑や、如今纔かに您確かに事奉する可きを知る。小人實に不材、若し果して實行せば、此れ鄭國實に之を依賴す、何處にか只兩三個の臣のみならんや」と。孔子此の話を聞きて、曰く、「此を以て人を看れば、子產不仁と説く、我信ぜず」と。
桓公與管仲,鮑叔,甯戚飲酒。桓公謂鮑叔:"姑為寡人祝乎?"鮑叔奉酒而起曰:"祝吾君無忘其出而在莒也,使管仲無忘其束縛而從魯,使寧子無忘其飯牛於車下也。"桓公避席再拜曰:"寡人與二大夫,皆無忘夫子之言,齊之社稷,必不廢矣。"此言常思困隘之時,必不驕矣。
桓公管仲・鮑叔・寧戚と酒を飲む。桓公鮑叔に對して曰く、「姑且寡人のため祝禱せんか」と。鮑叔酒を捧げて起身して曰く、「祝わくは我らの君莒に於て出亡するの時を忘記せざらん、管仲をして魯より捆綁せられて來るの時を忘記せざらん、寧子をして車下に於て牛を餧うの時を忘記せざらんことを」と。桓公席を離れて再拜して曰く、「寡人と兩位の大夫と皆夫子の話を忘記せず、齊の社稷一定廢せざらん」と。是れ常常困厄の時を想着せば、一定驕傲せずと説くなり。
桓公田,至於麥丘,見麥丘邑人,問之:"子何為也?"對曰:"麥丘邑人也。"公曰:"年幾何?"對曰:"八十有三矣。"公曰:"美哉壽乎!子其以子壽祝寡人。"麥丘邑人曰:"祝主君,使主君萬壽,金玉是賤,人為寶。"桓公曰:"善哉!至德不孤,善言必再,吾子其復之。"麥丘邑人曰:"祝主君,使主君無羞學,無下問,賢者在傍,諫者得人。"桓公曰:"善哉!至德不孤,善言必三,吾子其復之。"麥丘邑人曰:"祝主君,使主君無得罪群臣百姓。"桓公拂然作色曰:"吾聞之,子得罪於父,臣得罪於君,未嘗聞君得罪於臣者也,此一言者,非夫二言者之匹也,子更之。"麥丘邑人坐拜而起曰:"此一言者,夫二言之長也,子得罪於父,可以因姑□叔父而解之,父能赦之。臣得罪於君,可以因便辟左右而謝之,君能赦之。昔桀得罪於湯,紂得罪於武王,此則君之得罪於其臣者也。莫為謝,至今不赦。"公曰:"善,賴國家之福,社稷之靈,使寡人得吾子於此。"扶而載之,自御以歸,禮之於朝,封之以麥丘,而斷政焉。
桓公獵を打ちて、麥丘に到りて、麥丘邑人を見て、彼に問う、「您何を爲すか」と。答えて曰く、「麥丘邑人」と。公曰く、「年紀多少か」と。答えて曰く、「八十三及」と。公曰く、「美なるかな長壽!您您の壽を以て寡人に祝禱せよ」と。麥丘邑人曰く、「祝わくは主君、主君をして萬壽ならしめ、金玉看輕して、人をして寶と作さしめんことを」と。桓公曰く、「好き哉!至德孤立せず、善言一定再び説く、您再び一回祝せよ」と。麥丘邑人曰く、「祝わくは主君、主君をして學に向かうを以て羞と爲さず、下に向かいて問うを以て下と爲さず、賢者旁邊に在りて、進諫の人進むを得しめんことを」と。桓公曰く、「好き哉!至德孤立せず、善言一定三次、您再び一回祝せよ」と。麥丘邑人曰く、「祝わくは主君、主君をして群臣百姓に得罪せざらしめんことを」と。桓公勃然として色を變じて曰く、「我聞く、兒子父親に得罪し、臣君に得罪す、未だ曾て君臣に得罪するを聞かず、此の一句話是れ其の兩句話の匹敵にあらず、您一句を換えよ」と。麥丘邑人坐して拜して再び起身して曰く、「此の一句話是れ其の兩句話の中の最重要なり。兒子父親に得罪するは、姑姑叔父を靠りて以て和解する可く、父親能く赦免す。臣君に得罪するは、便嬖左右を靠りて以て道歉する可く、君能く赦免す。從前桀湯に得罪し、紂武王に得罪せり、此れ卽ち君臣に得罪するなり。人彼のため道歉するなく、至今赦免せられず」と。公曰く、「好し。國家の福・社稷の靈を靠りて、寡人をして此處に於て您を得しめり」と。彼を扶けて車に上り、自己駕車して囘去り、朝上に於て禮を以て相待して、麥丘を以て彼に封じて、彼をして政事を決斷せしむ。
哀公問孔子曰:"寡人生乎深宮之中,長於婦人之手,寡人未嘗知哀也,未嘗知憂也,未嘗知勞也,未嘗知懼也,未嘗知危也。"孔子闢席曰:"吾君之問,乃聖君之問也,丘小人也,何足以言之?"哀公曰:"否。吾子就席,微吾子,無所聞之矣。"孔子就席曰:"君入廟門,升自阼階,仰見榱棟,俯見幾筵,其器存,其人亡,君以此思哀,則哀將安不至矣?君昧爽而櫛冠,平旦而聽朝,一物不應,亂之端也,君以此思憂,則憂將安不至矣?君平旦而聽朝,日昃而退,諸侯之子孫,必有在君之門廷者,君以此思勞,則勞將安不至矣?君出魯之四門,以望魯之四郊,亡國之墟,列必有數矣,君以此思懼,則懼將安不至矣?丘聞之君者舟也,庶人者水也,水則載舟,水則覆舟,君以此思危,則危將安不至矣。夫執國之柄,履民之上,懍乎如腐索御奔馬。易曰:'履虎尾。’詩曰:'如履薄在。’不亦危乎?"哀公再拜曰:"寡人雖不敏,請事斯語矣。"
哀公孔子に問う、「寡人深宮の中に生れ、婦人の手に長ちて、寡人曾て哀を知らず、曾て憂を知らず、曾て勞を知らず、曾て懼を知らず、曾て危を知らず」と。孔子席を離れて曰く、「吾君の問は、是れ聖君の問、丘是れ小人、何處にか足りて此を講ずらんや」と。哀公曰く、「不。您席に就け、您なくば、卽ち此を聽く處なし」と。孔子席に就きて曰く、「君廟門に入りて、阼階より上去りて、擡頭して榱棟を見て、低頭して几筵を見れば、器物還りて在るに、人已に在らず、君此を以て哀を想えば、則ち哀將に何處にか到らざらんや?君天未だ亮けざるに卽ち冠を梳し、天亮きて朝を聽きて、一件事應せざれば、卽ち亂の端緒、君此を以て憂を想えば、則ち憂將に何處にか到らざらんや?君天亮きて朝を聽きて、日西に偏りて纔かに退く、諸侯の子孫一定君の門廷に在る有り、君此を以て勞を想えば、則ち勞將に何處にか到らざらんや?君魯の四門を出でて、魯の四郊を望めば、亡國の廢墟排列一定好幾處有り、君此を以て懼を想えば、則ち懼將に何處にか到らざらんや?丘聞く君是れ船、庶人是れ水、水能く船を載せ、水能く船を翻す、君此を以て危を想えば、則ち危將に何處にか到らざらんや。國柄を執掌して、民の上に踏めば、懔然として腐朽の繩子を以て奔馬を駕馭するがごとし。『周易』に曰く、『虎尾を踩む』と。『詩經』に曰く、『薄氷を踩むがごとし』と。亦危險ならずや」と。哀公再拜して曰く、「寡人雖然不敏なれど、請う此れらの話を實行せん」と。
昔者,齊桓公出遊於野,見亡國故城郭氏之墟。問於野人曰:"是為何墟?"野人曰:"是為郭氏之墟。"桓公曰:"郭氏者曷為墟?"野人曰:"郭氏者善善而惡惡。"桓公曰:"善善而惡惡,人之善行也,其所以為墟者,何也?"野人曰:"善善而不能行,惡惡而不能去,是以為墟也。"桓公歸,以語管仲,管仲曰:"其人為誰?"桓公曰:"不知也。"管仲曰:"君亦一郭氏也。"於是桓公招野人而賞焉。
從前、齊桓公野外に出游して、亡國故城郭氏の廢墟を見る。野人に問う、「此れ是れ何の廢墟か」と。野人曰く、「此れ是れ郭氏の廢墟」と。桓公曰く、「郭氏何を以て廢墟と成りたるか」と。野人曰く、「郭氏善を稱して善と爲し、惡を稱して惡と爲せり」と。桓公曰く、「善を稱して善と爲し、惡を稱して惡と爲すは、是れ人の善行、ゆえに廢墟を成すの緣故是れ何か」と。野人曰く、「善を稱して善と爲すも能く實行せず、惡を稱して惡と爲すも能く除去せず、此に因りて廢墟を成せり」と。桓公囘去りて管仲に告ぐ、管仲曰く、「其の人是れ誰か」と。桓公曰く、「知らず」と。管仲曰く、「君亦一個の郭氏なり」と。於是桓公野人を招來して賞賜す。
晉文公田於虢,遇一老夫而問曰:"虢之為虢久矣,子處此故矣,虢亡其有說乎?"對曰:"虢君斷則不能,諫則無與也。不能斷又不能用人,此虢之所以亡。"文公以輟田而歸,遇趙衰而告之。趙衰曰:"今其人安在?"君曰:"吾不與之來也。"趙衰曰:"古之君子,聽其言而用其人,今之君子,聽其言而棄其身,哀哉!晉國之憂也。"文公乃召賞之,於是晉國樂納善言,文公卒以霸。
晉文公虢に於て獵を打ちて、一個の老夫に遇見して問う、「虢虢と爲る久し、您此處に住む本來久し、虢滅亡するに説法有るか」と。答えて曰く、「虢君決斷すれば則ち能わず、進諫すれば則ち人彼に給するなし。能く決斷せず能く人を用いざる、是れ虢の滅亡する所以の緣故なり」と。文公此に因りて獵を停止して囘去りて、趙衰に遇見して之に告ぐ。趙衰曰く、「如今其の人何處に在るか」と。君曰く、「我彼と一起来らず」と。趙衰曰く、「古代の君子は、其の話を聽きて其の人を用い;如今の君子は、其の話を聽きて其の人本身を拋棄す、悲哀なるかな!晉國の憂患」と。文公於是召來して賞賜し、於是晉國善言を接納するを樂しみて、文公終に稱霸す。
晉平公過九原而嘆曰:"嗟呼!此地之蘊吾良臣多矣,若使死者起也,吾將誰與歸乎?"叔向對曰:"與趙武乎?"平公曰:"子黨於子之師也。"對曰:"臣聽言趙武之為人也,立若不勝衣,言若不出於口,然其身舉士於白屋下者四十六人,皆得其意,而公家甚賴之。及文子之死也,四十六人皆就賓位,是以無私德也。臣故以為賢也。"平公曰:"善。"夫趙武賢臣也,相晉,天下無兵革者九年。春秋曰:"晉趙武之力盡得人也。"
晉平公九原を經過して歎息して曰く、「唉!此の地方我が良臣を埋むる多し、若し死者をして起きしめば、我將に誰と一起に囘去らんか」と。叔向答えて曰く、「趙武とか?」と。平公曰く、「您您の老師を偏袒す」と。答えて曰く、「臣聞く趙武の爲人は、立てば衣を撑起するに似ず、説話口より出づるに從わざるに似るも、而して彼自身白屋の下より士四十六人を擧薦して、皆各々其の所を得て、而して公家甚だ依賴せり。文子死するに及びて、四十六人皆賓位に就きて、此に因りて私德なし。臣以爲賢たる所以」と。平公曰く、「好し」と。趙武是れ賢臣にして、晉相を爲りて、天下兵革九年なし。『春秋』に曰く、「晉趙武の力量盡く人を得るに在り」と。
葉公諸梁問樂王鮒曰:"晉大夫趙文子為人何若?"對曰:"好學而受規諫。"葉公曰:"疑未盡之矣。"對曰:"好學!智也;受規諫,仁也。江出汶山,其源若甕口,至楚國,其廣十里,無他故,其下流多也。人而好學受規諫,宜哉其立也。"詩曰:"其惟哲人,告之話言,順德之行。"此之謂也。
葉公諸梁樂王鮒に問う、「晉大夫趙文子爲人如何」と。答えて曰く、「學を好みて規諫を接受す」と。葉公曰く、「恐怕還りて未だ説き盡くさず」と。答えて曰く、「學を好むは、是れ智;規諫を接受するは、是れ仁。江水汶山より出でて、源頭瓮口のごとく、楚國に至りて、寬廣十里、別の緣故なく、是れ下游支流多きなり。人而學を好みて規諫を接受するは、彼能く身を立つるは亦應然ならずや」と。『詩經』に曰く、「其の明智の人、彼に善言を告げれば、彼德に順いて以て實行す」と。是れ此を説くなり。
鍾子期夜聞擊磬者而悲且召問之曰:"何哉!子之擊磬若此之悲也。"對曰:"臣之父殺人而不得生,臣之母得生而為公家隸,臣得生而為公家擊磬。臣不睹臣之母三年於此矣,昨日為舍市而睹之,意欲贖之而無財,身又公家之有也,是以悲也。"鍾子期曰:"悲在心也,非在手也,非木非石也,悲於心而木石應之,以至誠故也。"人君苟能至誠動於內。萬民必應而感移,堯舜之誠,感於萬國,動於天地,故荒外從風,鳳麟翔舞,下及微物,鹹得其所。易曰:"中孚處魚吉。"此之謂也。
鍾子期夜裏磬を擊つ人の悲哀を聽見して、并せて召來して問う、「何ぞや!您磬を擊つことかくのごとく悲哀なるか」と。答えて曰く、「臣の父親人を殺して生を得ず、臣の母親生を得て公家の奴隸を爲り、臣生を得て公家に磬を擊ち給う。臣臣の母親を見ざる至今三年、昨天市舍に於て彼女を見て、心裏贖回せんと想うも財なく、自身亦是れ公家の有、此に因りて悲哀す」と。鍾子期曰く、「悲哀心裏に在りて、手上に在らず、是れ木にあらず石にあらず、悲哀心裏に在りて木石應和するは、因りて至誠の緣故なり」と。人君若し能く至誠內に於て發動せば、萬民一定應和して感化轉移せん。堯舜の誠は、萬國を感動し、天地を振動し、ゆえに荒外風に從い、鳳凰麒麟飛翔舞蹈し、下微小の物に及ぶまで、皆各々其の所を得。『周易』に曰く、「中孚、豚魚吉」と。是れ此を説くなり。
勇士一呼,三軍皆闢,士之誠也。昔者,楚熊渠子夜行,見寢石以為伏虎,關弓射之,滅矢飲羽,下視,知石也。卻復射之,矢摧無跡。熊渠子見其誠心而金石為之開,況人心乎?唱而不和,動而不隨,中必有不全者矣。夫不降席而匡天下者,求之己也。孔子曰:"其身正,不令而行;其身不正,雖令不從。"先王之所以拱揖指揮,而四海賓者,誠德之至,已形於外。故詩曰:"王猶允塞,徐方既來。"此之謂也。
勇士一聲呼喊して、三軍皆退避す、是れ士の誠なり。從前、楚熊渠子夜裏路を走りて、躺く石頭を見て以爲伏虎とし、弓を拉いて之を射て、箭沒入り箭羽吞沒せられ、下去りて看れば、是れ石頭なるを知る。再び射れば、箭折斷して痕迹なし。熊渠子誠心を顯現して金石之がため開く、況んや人心をや!唱して應和せざれば、動して跟隨せざれば、中間一定不全有るなり。席を離れずして天下を匡正するは、是れ之を自己に求むるなり。孔子曰く、「自身端正なれば、令を下さずして亦推行する能し;自身端正ならざれば、たとい令を下すとも聽從せず」と。先王拱手作揖して指揮して四海賓服する所以は、是れ誠德極點に至りて、已に外に顯現せり。ゆえに『詩經』に曰く、「王の謀略誠信充實なり、徐方已に來りて歸す」と。是れ此を説くなり。
齊有彗星,齊侯使祝禳之。晏子曰:"無益也,只取誣焉。天道不□,不貳其君,若之何禳也。且夫天之有彗,以除穢德,君無穢德,又何禳焉?若德之穢也,禳之何益?詩云:'惟此文王,小心翼翼,昭事上帝,聿懷多福,厥德不回,以受方國。’君無違德,方國將至,何患於彗?詩曰:'我無所監,夏後及商,用亂之故,民卒流亡。’若德之回,亂民將流亡。祝史之無能補也。"公說,乃止。
齊彗星有り、齊侯祝をして禳除せしむ。晏子曰く、「益處なく、只誣妄を取るのみ。天道疑わず(底本此の字殘缺)、其の君をして貳心有らしめず、何を以て禳除せん。況んや天彗有るは、是れ以て穢德を除去す、君穢德なく、又何を禳除せん?若し德污穢ならば、禳除するも又何の益處か有らん?『詩經』に曰く、『只此の文王有り、小心翼翼として、明白に上帝を事奉して、於是多くの福を懷き、其の德邪僻ならず、此に因りて四方の國を受く』と。君違德なくば、方國將に到來せん、彗を怕れて何を爲さん?『詩經』に曰く、『我鑑戒す可きなく、夏后と商と、亂の緣故に因りて、百姓終に流亡す』と。若し德邪僻ならば、亂民將に流亡せん。祝史能く補救する能わず」と。公喜悅して、於是停止す。
宋景公時,熒惑在心,公懼,召子韋而問焉"熒惑在心,何也?"子韋曰:"熒惑,天罰也;心,宋分野也,禍當君身。雖然,可移於宰相。"公曰:"宰相,使治國也,而移死焉,不詳,寡人請自當也。"子韋曰:"可移於民!"公曰:"民死,將誰君乎?寧獨死耳。"子韋曰:"可移於歲。"公曰:"歲飢,民餓必死,為人君欲殺其民以自活,其誰以我為君乎?是寡人之命固盡矣。子無復言。"子韋還走,北而再拜曰:"臣敢賀君,天之處高而聽卑,君有仁之言三,天必三賞君,今夕星必徙三會,君延壽二十一歲。"公曰:"子何以知之?"對曰:"君有三善,故三賞,星必三舍,舍行七星,星當一年,三七二十一,故曰延壽二十一年,臣請伏於陛下,以伺之,星不徙,臣請死之。"公曰:"可。"是夕也,星果三徙舍,如子韋言。老子曰:"能受國之不祥,是謂天下之王也。"
宋景公の時候、熒惑心宿に停留す、公恐懼して、子韋を召して問う、「熒惑心に在り、是れ何か」と。子韋曰く、「熒惑是れ天の懲罰;心是れ宋の分野、禍該に君の身に在るべし。然るにと雖も、宰相に轉移す可し」と。公曰く、「宰相是れ彼をして國を治めしむる、卽ち死を彼に轉ずるは、不祥、寡人請う自己承當せん」と。子韋曰く、「民に轉移す可し!」と。公曰く、「民死せば、將に誰に君を爲さしめん?寧ろ獨自死せん」と。子韋曰く、「年成に轉移す可し」と。公曰く、「年成饑なれば、民餓えて一定死せん、人君を爲りて民を殺して以て自己活かんと欲す、誰か還りて我を以て君と當てん?是れ寡人の命本來盡きたり。您再び説く勿れ」と。子韋身を轉じて跑し、北に向かいて再拜して曰く、「臣敢えて君を祝賀す。天高處に處りて低下を聽く、君三句の仁の話有れば、天一定三次君を賞し、今晚上星一定三次遷徙して停留し、君壽を延ばすこと二十一歳」と。公曰く、「您何を憑りて知るか」と。答えて曰く、「君三善有り、ゆえに三賞し、星一定三舍し、每舍七星を走りて、星一年を當て、三七二十一、ゆえに壽を延ばすこと二十一年と説く。臣請う陛下に伏して、以て伺候せん、星遷徙せざれば、臣請う死せん」と。公曰く、「可」と。此の日晚上、星果然として三次遷徙停留し、子韻の説くがごとし。
宋康王時有爵生鸇於城之陬,使史占之,曰:"小而生巨,必霸天下。"康王大喜,於是滅滕伐薛,取淮北之地,乃愈自信,欲霸之前成,故射天笞地,斬社稷而焚之,曰:"威嚴伏天地鬼神。"罵國老之諫臣者,為無頭之冠以示有勇,剖傴者之背,鍥朝涉之脛,而國人大駭。齊聞而伐之,民散城不守,王乃逃兒侯之館,遂得病而死,故見祥而為不可,祥反為禍。臣向愚以檻範傳推之,宋史之占非也,此黑祥傳所謂黑青者也,猶魯之有鴝鵒為黑祥也。屬於不謀其咎急也。鸇者,黑色食爵,大於爵害。爵也●擊之物,貪叨之類,爵而生鸇者,是宋君且行急暴擊伐貪叨之行,距諫以生大禍,以自害也。故爵生鸇於城陬者,以亡國也,明禍且害國也,康王不悟,遂以滅亡,此其效也。
宋康王の時候麻雀城角に於て鸇を生む有り、史官をして卜を問わしむ、曰く、「小なるは大なるを生出す、一定天下に稱霸せん」と。康王大喜して、於是滕を滅し薛を伐ちて、淮北の土地を取得し、卽ち更加に自信して、稱霸する前に成功せんと欲し、ゆえに天を射て地を笞ち、社稷を斬りて焚燒して、曰く、「威嚴天地鬼神をして降伏せしむ」と。國老の中進諫する臣を罵り、無頭の冠を作して以て勇有るを顯示し、駝背の背を剖開し、早晨水を涉る人の小腿を砍斷して、而して國人大いに驚駭す。齊聞きて討伐して、民散り城守られず、王於是兒侯の館に逃到して、終に病を得て死す。ゆえに祥瑞を見て卽ち爲す可からざるを爲すは、祥反つて禍と爲る。臣劉向愚昧にして、『洪範傳』を以て推すれば、宋史の占是れかくのごとくならず、此れ是れ黑祥傳の所謂黑眚、卽ち魯鴝鵒有るが黑祥なりがごとし。其の咎を謀らずして急暴するに屬す。鸇是れ黑色にして、麻雀を喫し、麻雀より大にして麻雀を害す、是れ搏擊一類・貪叨一類、麻雀鸇を生むは、是れ宋君將に急暴擊伐貪叨の行爲を實行し、進諫を拒絕して以て大禍を生じ、以て自己を害せんとするなり。ゆえに麻雀城角に於て鸇を生むは、是れ因りて將に國を亡ぼさんとし、禍將に國を害するを表明す。康王醒悟せず、終に滅亡す、此れ卽ち效驗なり。
雜事第五
雜事第五
魯哀公問子夏曰:"必學而後可以安國保民乎?"子夏曰:"不學而能安國保民者,未嘗聞也。"哀公曰:"然則五帝有師乎?"子夏曰:"有。臣聞黃帝學乎大真,顓頊學乎綠圖,帝嚳學乎赤松子,堯學乎尹壽,舜學乎務成跗,禹學乎西王國,湯學乎威子伯,文王學乎鉸時子斯,武王學乎郭叔,周公學乎太公,仲尼學乎老聃。此十一聖人,未遭此師,則功業不著乎天下,名號不傳乎千世。"詩曰:"不愆不忘,率由舊章。"此之謂也。夫不學不明古道,而能安國者,未之有也。
魯哀公子夏に問う、「一定學して然る後國を安くし民を保つ可きか」と。子夏曰く、「學ばずして能く國を安くし民を保つは、曾て聞かず」と。哀公曰く、「然らば五帝老師有るか」と。子夏曰く、「有り。臣聞く黃帝大眞に向かいて學び、顓頊綠圖に向かいて學び、帝嚳赤松子に向かいて學び、堯尹壽に向かいて學び、舜務成跗に向かいて學び、禹西王國に向かいて學び、湯威子伯に向かいて學び、文王鉸時子斯に向かいて學び、武王郭叔に向かいて學び、周公太公に向かいて學び、仲尼老聃に向かいて學べりと。此の十一位の聖人、若し此れらの老師に遇上せざれば、則ち功業天下に顯著せず、名號千世に流傳せず」と。『詩經』に曰く、「愆過せず遺忘せず、舊有の章程を遵循す」と。是れ此を説くなり。學ばずして古道を明らかにせずして能く國を安くするは、從來有らず。
呂子曰:"神農學悉老,黃帝學大真,顓頊學伯夷父,帝嚳學伯招,帝堯學州文父,帝舜學許由,禹學大成執,湯學小臣,文王武王學太公望周公旦,齊桓公學管夷吾隰朋,晉文公學咎犯隨會,秦穆公學百里奚公孫支,楚莊王學孫叔敖沈尹竺,吳王闔閭學伍子胥文之儀,越王勾踐學范蠡大夫種,此皆聖王之所學也。且夫天生人而使其耳可以聞,不學其聞則不若聾;使其目可以見,不學其見則不若盲;使其口可以言,不學其言則不若喑;使其心可以智,不學其智則不若狂,故凡學非能益之也,違天性也,能全天之所生而勿敗之,可謂善學者矣。"
呂子曰く、「神農悉老に向かいて學び、黃帝大眞に向かいて學び、顓頊伯夷父に向かいて學び、帝嚳伯招に向かいて學び、帝堯州文父に向かいて學び、帝舜許由に向かいて學び、禹大成執に向かいて學び、湯小臣に向かいて學び、文王・武王太公望・周公旦に向かいて學び、齊桓公管夷吾・隰朋に向かいて學び、晉文公咎犯・隨會に向かいて學び、秦穆公百里奚・公孫支に向かいて學び、楚莊王孫叔敖・沈尹竺に向かいて學び、吳王闔閭伍子胥・文之儀に向かいて學び、越王勾踐范蠡・大夫種に向かいて學べり、此れら皆是れ聖王の學習する所なり。況んや天生下人其の耳をして聽く可からしむ、其の聽く所を學ばざれば則ち聾に如かず;其の目をして看る可からしむ、其の看る所を學ばざれば則ち盲に如かず;其の口をして説話す可からしむ、其の説く所を學ばざれば則ち啞に如かず;其の心をして智有る可からしむ、其の智を學ばざれば則ち狂に如かず。ゆえに凡是れ學は并せて能く彼を增益するにあらずして、而して天性に違背するか?能く天の生ずる所を保全して敗壞せざれば、善く學ぶと稱する可し」と。
湯見祝網者置四面,其祝曰:"從天墜者,從地出者,從四方來者,皆離吾網。"湯曰:"嘻!盡之矣,非桀其庸為此?"湯乃解其三面,置其一面,更教之祝曰:"昔蛛蝥作網,今之人循序,欲左則左,欲右則右,欲高則高,欲下則下,吾取其犯命者。"漢南之國聞之曰:"湯之德及禽獸矣。"四十國歸之。人置四面,未必得鳥,湯去三面,置其一面,以網四十國,非徒網鳥也。
湯祝禱して網を張る人四面皆設置するを見て、彼祝禱して曰く、「天上より掉下する、地上より出來する、四方より來る、皆我が網に落入れ」と。湯曰く、「嘻!窮盡せり。桀にあらざれば、誰か此を爲さん?」と。湯於是三面を解開して、只一面を設置して、別に彼に教えて祝禱して曰く、「從前蜘蛛網を作れり、如今の人遵循す。左せんと欲すれば卽ち左、右せんと欲すれば卽ち右、高せんと欲すれば卽ち高、下せんと欲すれば卽ち下、我只それらの命運に觸犯するを取る」と。漢南の國聞きて後曰く、「湯の德禽獸に到れり」と。四十國歸附す。人四面を設置するも、未必鳥を得ず;湯三面を去掉して、只一面を設置して、以て四十國を網羅す、不只網鳥のみ。
周文王作靈臺及為池沼,掘地得死人之骨,吏以聞於文王。文王曰:"更葬之。"吏曰:"此無主矣。"文王曰:"有天下者,天下之主也;有一國者,一國之主也。寡人固其主,又安求主?"遂令吏以衣棺更葬之。天下聞之,皆曰:"文王賢矣,澤及枯骨,又況於人乎?"或得寶以危國,文王得朽骨,以喻其意,而天下歸心焉。
周文王靈台および池沼を建造して、地を掘りて死人の骨頭を得て、吏文王に稟報す。文王曰く、「別行安葬せよ」と。吏曰く、「此れ主人なし」と。文王曰く、「天下有るは是れ天下の主人;一國有るは是れ一國の主人。寡人本來卽ち主人、又何處にか主人を求めん?」と。於是吏に命令して衣棺を以て別行安葬せしむ。天下聞きて、皆曰く、「文王賢なるかな、恩澤枯骨に到る、又何況人に對してをや?」と。人寶を得て卽ち國家を危害する有り、文王朽骨を得て、以て心意を表明して、而して天下心を歸す。
管仲傅齊公子糾,鮑叔傅公子小白,齊公孫無知殺襄公,公子糾奔魯,小白奔莒。齊人誅無知迎公子糾於魯,公子糾與小白爭入,管仲射小白,中其帶鉤,小白佯死,遂先入,是為齊桓公。公子糾死,管仲奔魯,桓公立國定,使人迎管仲於魯,遂立以為仲父,委國而聽之,九合諸侯,一匡天下,為五伯長。
管仲齊公子糾を輔佐し、鮑叔公子小白を輔佐す。齊公孫無知襄公を殺し、公子糾魯に奔り、小白莒に奔る。齊人無知を誅殺して、魯に到りて公子糾を迎接す、公子糾と小白と爭いて國に入り、管仲小白を射て、射て帶鉤に中り、小白假裝して死し、於是先に國に入る、此れ卽ち齊桓公なり。公子糾死し、管仲魯に奔り、桓公國を立てて安定し、人を派して魯に至りて管仲を迎接して、於是彼を立てて仲父を爲し、國事を彼に委託して聽從し、九合諸侯し、天下を一匡し、五伯の長を爲る。
裡鳧須,晉公子重耳之守府者也。公子重耳出亡於晉,裡鳧須竊其寶貨而逃。公子重耳返國,立為君,裡鳧須造門願見,文公方沐,其謁者復,文公握髮而應之曰:"吾鳧須邪?"曰:"然。"謂鳧須曰:"若猶有以面目而復見我乎?"謁者謂裡鳧須。鳧須對曰:"臣聞之沐者其心覆,心覆者言悖,君意沐邪?何悖也?"謁者覆文公,見之曰:"若竊我貨寶而逃,我謂汝猶有面目而見我邪?汝曰:'君何悖也?’是何也?"鳧須曰:"然。君反國,國之半不自安也,君寧棄國之半乎?其寧有全晉乎?"文公曰:"何謂也?"鳧須曰:"得罪於君者,莫大於鳧須矣,君謂赦鳧須,顯出以為右,如鳧須之罪重也,君猶赦之,況有輕於鳧須者乎?"文公曰:"聞命矣。"遂赦之,明日出行國,使為右,翕然晉國皆安。語曰:"桓公任其賊,而文公用其盜。"故曰:"明主任計不任怒,闇主任怒不任計。計勝怒者強,怒勝計者亡。"此之謂也。
里鳧須是れ晉公子重耳の府庫を看守する人。公子重耳晉より出亡して、里鳧須其の寶貨を偷して逃走す。公子重耳國に返り、立ちて君を爲る、里鳧須門に上りて見えんと願う。文公正に髮を洗う、謁者囘報す、文公頭髮を握りて應答す、「是れ我が鳧須か」と。曰く、「是れ」と。鳧須に對して曰く、「你還りて臉有りて再び我を見るか」と。謁者里鳧須に告ぐ。鳧須答えて曰く、「臣聞く髮を洗う人心覆す、心覆する人説話悖亂す、君大概髮を洗うか?何ぞ悖亂するか」と。謁者囘報文公す、文公彼を見て曰く、「你我が貨寶を偷して逃走す、我你還りて臉有りて我を見るかと説く?你曰く、『君何ぞ悖亂するか』と。此れ是れ何の意思か」と。鳧須曰く、「是れ。君國に返回す、國の一半自己安んぜず、君寧ろ國の一半を拋棄せんか、還りて寧ろ整個の晉有らんか」と。文公曰く、「何の意思か」と。鳧須曰く、「君に得罪するは、鳧須より更大なるなし。君鳧須を赦免すと説き、明顯に彼をして出でて車右を爲らしめば、鳧須のごとき罪此のごとく重きも、君還りて赦免す、況んや鳧須より輕きをや?」と。文公曰く、「教命を聽到せり」と。於是彼を赦免す。第二天國中を出行して、彼をして車右を爲らしめ、翕然として晉國皆安定す。俗語曰く、「桓公彼を刺殺する人を任用し、文公彼を偷するの盜を任用す」と。ゆえに曰く、「明主計謀を任用して怒を任用せず、暗主怒を任用して計謀を任用せず。計怒に勝てるは強く、怒計に勝てるは亡ぶ」と。是れ此を説くなり。
甯戚欲幹齊桓公,窮困無以進,於是為商旅,賃車以適齊,暮宿於郭門之外。桓公郊迎客,夜開門,闢賃車者執火甚盛從者甚眾,甯戚飯牛於車下,望桓公而悲,擊牛角,疾商歌。桓公聞之,執其僕之手曰:"異哉!此歌者非常人也。"命後車載之。桓公反至,從者以請。桓公曰:"賜之衣冠,將見之。"甯戚見,說桓公以合境內。明日復見,說桓公以為天下,桓公大說,將任之。群臣爭之曰:"客衛人,去齊五百里,不遠,不若使人問之,固賢人也,任之未晚也。"桓公曰:"不然,問之,恐有小惡,以其小惡,忘人之大美,此人主所以失天下之士也。且人固難全,權用其長者。"逐舉大用之,而授之以為卿。當此舉也,桓公得之矣,所以霸也。
寧戚齊桓公に求見せんと欲して、窮困にして進見するに辦法なく、於是商旅を爲り、車を租りて齊に到り、傍晚郭門の外に住す。桓公郊外に到りて客人を迎接し、夜裏門を開き、租車の人を避けて、火を執ること甚だ盛んにして隨從甚だ多し。寧戚車下に於て牛を餧い、桓公を望見して悲哀して、牛角を敲きて、急切に商歌を唱う。桓公聽見して、僕人の手を握りて曰く、「奇異なるかな!此の唱歌する是れ尋常の人にあらず」と。後車に命令して彼を載上せしむ。桓公返囘して到りて、隨從請示す。桓公曰く、「彼に衣冠を賜給して、將に接見せん」と。寧戚進見して、境內を會合するの道理を以て桓公を游說す。第二天再び進見して、天下を治理するを以て桓公を游說す、桓公大悅して、將に任用せんとす。群臣爭論して曰く、「客人是れ衛人、齊を離るること五百里、遠からず、人を派して問うに如かず、確かに是れ賢人なれば、任用するも還りて晚からず」と。桓公曰く、「不對。去りて問えば、恐怕小惡有らん、因りて小惡人大美を忘記するを以て、此れ人主天下の士を失去する所以の緣故なり。況んや人本來全美し難し、權且其の長處を用いよ」と。於是大いに擧用して、彼に授給して卿を爲さしむ。此の次の擧用に當たりて、桓公人を得るに對せり、ゆえに能く稱霸す。
齊桓公見小臣稷,一日三至不得見也,從者曰:"萬乘之主,見布衣之士,一日三至而不得見,亦可以止矣。"桓公曰:"不然,士之傲爵祿者,固輕其主;其主傲霸王者,亦輕其士,縱夫子傲爵祿,吾庸敢傲霸王乎?"五往而後得見,天下聞之,皆曰:"桓公猶下布衣之士,而況國君乎?"於是相率而朝,靡有不至。桓公所以九合諸侯,一匡天下者,遇士於是也。詩云:"有覺德行,四國順之。"桓公其以之矣。
齊桓公小臣稷を見るに、一天三次到るも皆見るを得ず。隨從曰く、「萬乘の主布衣の士を見るに、一天三次到るも皆見るを得ず、亦停止す可し」と。桓公曰く、「不對。士爵祿を傲視するは、固然其の主を看輕す;主霸王を傲視するは、亦其の士を看輕す。縱然夫子爵祿を傲視するも、我何處にか敢えて霸王を傲視せんや?」と。五次前往して然る後見るを得たり。天下聞きて、皆曰く、「桓公尚お布衣の士に屈下す、況んや國君をや?」と。於是相繼いで來りて朝し、到らざるなし。桓公の九合諸侯・天下を一匡する所以は、是れ此の事上に於て士に對待す。『詩經』に曰く、「正直の德行有れば、四國順從す」と。桓公大概是れ此を憑れり。
魏文侯過段幹木之閭而軾,其僕曰:"君何為軾?"曰:"此非段幹木之閭乎?段幹木蓋賢者也,吾安敢不軾?且吾聞段幹木未嘗肯以己易寡人也,吾安敢高之?段幹木光乎德,寡人光乎地;段幹木富乎義,寡人富乎財。地不如德,財不如義。寡人當事之者也。"遂致祿百萬,而時往問之,國人皆喜,相與誦之曰:"吾君好正,段幹木之敬;吾思好忠,段幹木之隆。"居無幾何,秦興兵欲攻魏,司馬唐且諫秦君曰:"段幹木,賢者也,而魏禮之,天下莫不聞,無乃不可加兵乎?"秦君以為然,乃案兵而輟,不攻魏。文侯可謂善用兵矣。夫君子善用兵也,不見其形,而攻已成,其此之謂也。野人之用兵,鼓聲則似雷,號呼則動天,塵氣充天,流矢如雨。扶傷輿死,履腸涉血,無罪之民,其死者已量於澤矣,而國之存亡,主之死生,猶未可知也,其離仁義亦遠矣。
魏文侯段干木の閭巷を經過して軾に憑りて致敬す、僕人曰く、「君何ぞ軾に憑るか」と。曰く、「此れ段干木の閭巷にあらずや?段干木大概是れ賢者、我何を以て敢えて軾に憑らざらん?況んや我聞く段干木曾て肯んじて自己を以て寡人と交換せず、我何を以て敢えて彼に對して高傲せん?段干木德に於て光耀し、寡人地に於て光耀す;段干木義に於て富み、寡人財に於て富む。地德に如かず、財義に如かず。寡人是れ彼を事奉すべき人なり」と。於是俸祿百萬を致送して、時時前往して問候す、國人皆喜悅して、互相いに誦讀して曰く、「我らの君正直を愛好し、段干木に對して敬重す;我ら忠誠を愛好せんと想う、段干木推崇せらる」と。多久を過ぎずして、秦兵を起こして魏を攻めんと欲す、司馬唐且秦君に進諫して曰く、「段干木是れ賢者にして、而して魏禮を以て對待す、天下聽聞せざるなく、恐怕兵を加う可からざらんか?」と。秦君以爲對とし、於是兵を按じて停止して、魏を攻めず。文侯善く兵を用うると稱する可し。君子善く兵を用うるは、形を見ずして、而して攻已に成功す、是れ此を説くなり。野人兵を用うるは、鼓聲雷のごとく、號呼天を震動し、塵氣天に充滿し、流矢雨のごとし。傷つきたるを扶け死せるを抬げ、腸を踩み血を踏みて、罪なきの民、死する已に澤を以て量る可きも、而して國の存亡・主の死生は、還りて知る可からず、仁義を距離ること亦遠し。
秦昭王問孫卿曰:"儒無益於人國。"孫卿曰:"儒者法先王,隆禮義,謹乎臣子,而能致貴其上者也。人主用之,則進在本朝;置而不用,則退編百姓,而敵必為順下矣。雖窮困凍餒,必不以邪道為食,置無錐之地,而明於持社稷之大計,叫呼而莫之能應,然而通呼裁萬物,養百姓之經紀。勢在人上,則王公之才也;在人下,則社稷之臣,國君之寶也。雖隱於窮閭漏屋,人莫不貴之,道誠存也。仲尼為魯司寇,沈猶氏不敢朝飲其羊,公慎氏出其妻,慎潰氏踰境而走,魯之鬻牛馬不豫賈,布正以待之也。居於闕黨,闕黨之子弟,罔罟分有親者取多,孝悌以化之也。儒者在本朝則美政,在下位則美俗,儒之為人下如是矣。"
秦昭王孫卿に問う、「儒人の國に對して益處なし」と。孫卿曰く、「儒者先王を效法し、禮義を推崇し、謹愼に臣子を爲りて、而して能く尊貴を其の上に加う。人主彼を任用せば、則ち本朝に於て進用す;擱置して用いざれば、則ち退下して百姓に編入して、而して敵に對して一定順從の下民と爲る。たとい窮困凍餓するも、一定邪道を用いて食を求めず;立錐の地なきに安置せられても、卽ち社稷の大計を持守することを明白にす;呼叫して人應ずる能くするなく、可是萬物を裁成し百姓を養育するの經紀に通達す。勢人の上に在れば、則ち王公の才;人の下に在れば、則ち社稷の臣・國君の寶なり。たとい窮巷漏屋に隱るるも、人彼を尊貴せざるなし、道確かに存在す。仲尼魯司寇を爲るに、沈猶氏敢えて早晨羊に水を灌がず、公愼氏妻子を休掉し、愼潰氏境を越えて逃走し、魯國牛馬を賣る再び預先價を抬げず、正經の貨色を擺出して等待す。闕黨に住せば、闕黨の子弟網罟を以て分配する時父母有る人多く取るは、是れ孝悌彼らを感化せしめり。儒者本朝に在れば則ち政治を美化し、下位に在れば則ち習俗を美化す、儒人の下を爲るは是れかくのごとし」と。
王曰:"然則其為人上何如?"孫卿對曰:"其為人也廣大矣。志意定乎內,禮節修乎朝,法則度量正乎官,忠信愛利形乎下,行一不義,殺一無罪而得天下,不為也。若義信乎人矣,通於四海,則天下之外,應之而懷之,是何也?則貴名白而天下治也。故近者歌謳而樂之,遠者竭走而超之,四海之內若一家,通達之屬,莫不從服,夫是之謂人師。詩曰:'自西自東,自南自北,無思不服。’此之謂也。夫其為人下也,如彼為人上也,如此何為其無益人之國乎?"昭王曰:"善。"
王曰く、「然らば彼人の上を爲れば如何」と。孫卿答えて曰く、「彼人の上を爲れば廣大なり。志意內に於て安定し、禮節朝に於て修整し、法則度量官に於て端正し、忠信愛利下に於て顯現す。一件の不義の事を爲し一個の罪なき人を殺して天下を得るも、亦爲さず。若し義と信と人に相信せられて、四海に通達せば、則ち天下の外應和して歸向す、此れ是れ何ぞや?則ち尊貴の名聲顯白にして天下治理するなり。ゆえに近處の人歌謳して快樂し、遠處の人竭力奔走して來りて、四海の內一家のごとく、通達の及ぶ所從服せざるなし、此れ卽ち人師と叫ぶなり。『詩經』に曰く、『西より東より、南より北より、想着して服從せざるなし』と。是れ此を説くなり。彼人の下を爲るは彼のごとく、人の上を爲るは此のごとし、何を以て人の國に對して益處なしと説くか?」昭王曰く、「好し」と。
田贊衣儒衣而見荊王,荊王曰:"先生之衣,何其惡也?"贊對曰:"衣又有惡此者。"荊王曰:"可得而聞邪?"對曰:"甲惡於此。"王曰:"何謂也?"對曰:"冬日則寒,夏日則熱,衣無惡於甲矣。贊貧,故衣惡也。今大王,萬乘之主也,富厚無敵,而好衣人以甲,臣竊為大王不取也。意者為其義耶?甲兵之事;析人之音,刳人之腹,墮人城郭,系人子女,其名尤甚不榮。意者為其貴邪?苟慮害人,人亦必慮害之;苟慮危人,人亦必慮危之,其實人甚不安之,二者為大王無取焉。"荊王無以應也。昔衛靈公問陣,孔子言俎豆,賤兵而貴禮也。夫儒服先王之服也,而荊王惡之。兵者,國之兇器也,而荊王喜之,所以屈于田贊,而危其國也。故春秋曰:"善為國者不師。"此之謂也。
田贊儒衣を穿きて荊王に進見す、荊王曰く、「先生の衣服、何と惡劣なるか」と。田贊答えて曰く、「還りて此より更に惡劣の衣服有り」と。荊王曰く、「聽く可きか」と。答えて曰く、「甲此より更に惡劣なり」と。王曰く、「何の意思か」と。答えて曰く、「冬天則ち冷く、夏天則ち熱く、衣服甲より更に惡劣なるなし。贊貧窮にして、ゆえに衣服惡劣なり。如今大王是れ萬乘の主、富厚無敵にして、卽ち人に甲を穿かしむるを喜歡す、臣私下以爲大王此を取るべからずと。心裏是れ義のためか?甲兵の事は、人の骨を分裂し、人の腹を刳開き、人の城郭を毀壞し、人の子女を繫住す、其の名聲尤其として甚だ不光榮なり。心裏是れ貴のためか?若し人を害せんと謀劃せば、人亦一定彼を害せんと謀劃し;若し人を危うくせんと謀劃せば、人亦一定彼を危うくせんと謀劃す、其の實人甚だ安んぜず、此の兩樣大王皆取るべからず」と。荊王對す可き話なし。從前衞靈公戰陣を問う、孔子俎豆を講じて、兵を看輕して禮を看重せり。儒服是れ先王の衣服にして、而して荊王厭惡す;兵是れ國の凶器にして、而して荊王喜歡す、ゆえに田贊に屈服して、而して其の國を危害す。ゆえに『春秋』に曰く、「善く國を治むるは師旅を用いず」と。是れ此を説くなり。
哀公問於孔子曰:"寡人聞之,東益宅不祥,信有之乎?"孔子曰:"不祥有五,而東益不與焉。夫損人而益己,身之不祥也;棄老取幼,家之不祥也;釋賢用不肖,國之不祥也;老者不教,幼者不學,俗之不祥也;聖人伏匿,愚者擅權,天下之不祥也。故不祥有五,而東益不與焉。詩曰:'各敬爾儀,天命不又。’未聞東益之與為命也。"
哀公孔子に問う、「寡人聞く、東に向かいて住宅を擴建するは不祥、確かに此の回事有るか」と。孔子曰く、「不祥五種有りて、而して東に向かいて擴建する其の中に在らず。人を損して己を利するは、是れ身の不祥;老きを拋棄し幼きを娶るは、是れ家の不祥;賢人を放下し不肖を用いるは、是れ國の不祥;老き教えず幼き學ばざるは、是れ俗の不祥;聖人隱伏し愚人權を擅むるは、是れ天下の不祥。ゆえに不祥五種有りて、而して東に向かいて擴建する其の中に在らず。『詩經』に曰く、『各々你の儀容を敬愼せよ、天命再び來らず』と。未だ東に向かいて擴建する天命と關聯有るを聞かず」と。
顏淵侍魯定公於臺,東野畢御馬於臺下。定公曰:"善哉!東野之御。"顏淵曰:"善則善矣,雖然,其馬將失。"定公不悅,以告左右曰:"吾聞之,君子不讒人,君子亦讒人乎?"顏淵不悅,歷階而去。須臾馬敗聞矣,定公躐席而起曰:"趨駕請顏淵。"顏淵至,定公曰:"向寡人曰:'善哉,東野畢御也。’吾子曰:'善則善矣,雖然,其馬將失矣。’不識吾子何以知之也?"顏淵曰:"臣以政知之。昔者,舜工於使人,造父工於使馬。舜不窮其民,造父不盡其馬,是以舜無失民,造父無失馬。今東野之御也,上馬執轡,御體正矣,周旅灸驟;朝禮畢矣,歷險致遠,而馬力殫矣,然求不已,是以知其失也。"定公曰:"善,可少進與?"顏淵曰:"獸窮則觸,鳥窮則喙,人窮則軸。自古及今,有窮其下能無危者,未之有也。詩曰:'執轡如組,兩驂如舞。’善御之謂也。"定公曰:"善哉!寡人之過也。"
顏淵台上に於て魯定公に陪侍し、東野畢台下に於て馬を駕す。定公曰く、「好き哉!東野の駕馭」と。顏淵曰く、「好きは好き、然るにと雖も、其の馬將に失控せん」と。定公高興せず、左右に告げて曰く、「我聞く、君子人を讒害せず、君子亦人を讒害するか」と。顏淵高興せず、一級級臺階を走下りて離去す。一會兒馬敗壞の消息傳來す、定公席を越えて起身して曰く、「趕快車を駕りて顏淵を請え」と。顏淵到りて、定公曰く、「剛才寡人曰く、『好き哉、東野畢の駕馭』と。您曰く、『好きは好き、然るにと雖も、其の馬將に失控せん』と。您何を憑りて知るを知らず」と。顏淵曰く、「臣政治を以て知る。從前、舜善く人を使用し、造父善く馬を使用す。舜其の民を窮盡せず、造父其の馬を窮盡せず、此に因りて舜失控の民なく、造父失控の馬なし。如今東野の駕馭は、馬に上り轡を執りて、駕馭の體態端正し、周旋馳驟し;朝禮完畢して、險阻を經歷して遠方に到達して、而して馬力盡きるも、卽ち求取停止せず、此に因りて失控するを知る」と。定公曰く、「好し、稍微再び講ず可きか」と。顏淵曰く、「獸窮すれば卽ち抵觸し、鳥窮すれば卽ち啄み、人窮すれば卽ち作亂す。古より今に至るまで、其の下民を窮盡して能く危險なからんは、從來有らず。『詩經』に曰く、『轡を執ること織組のごとく、兩驂舞蹈のごとし』と。是れ善く駕馭するを説くなり」と。定公曰く、「好き哉!是れ寡人の過失なり」と。
孔子北之山戎氏,有婦人哭於路者,其哭甚哀,孔子立輿而問曰:"曷為哭哀至於此也。"婦人對曰:"往年虎食我夫,今虎食我子,是以哀也。"孔子曰:"嘻,若是,則曷為不去也?"曰:"其政平,其吏不苛,吾以是不能去也。"孔子顧子貢曰:"弟子記之,夫政之不平而吏苛,乃等於虎狼矣。"詩曰:"降喪饑饉,斬伐四國。"夫政不平也,乃斬伐四國,而況二人乎?其不去宜哉?
孔子北行して山戎氏に到りて、婦人路上に於て哭く有り、哭くこと甚だ哀し。孔子車子を停下して問う、「何ぞ哀に哭くこと此の地步に到るか」と。婦人答えて曰く、「往年老虎我が丈夫を喫い、如今老虎我が兒子を喫えり、此に因りて哀なり」と。孔子曰く、「嘻、かくのごとき、何ぞ離去せざるか」と。曰く、「此處政治公平にして、官吏苛刻ならず、我此に因りて能く離去せず」と。孔子頭を囘して子貢に對して曰く、「弟子記住せよ、政治公平ならずして官吏苛刻なれば、卽ち虎狼に等し」と。『詩經』に曰く、「喪亂飢饉を降下して、四方の國を斬伐す」と。政治公平ならざれば、卽ち四方の國を斬伐す、況んや兩個人をや?彼女の離去せざるは是れ應然なり。
魏文侯問李克曰:"吳之所以亡者,何也?"李克對曰:"數戰數勝。"文侯曰:"數戰數勝,國之福也,其所以亡,何也?"李克曰:"數戰則民疲,數勝則主驕。以驕主治疲民,此其所以亡也。"是故好戰窮兵,未有不亡者也。
魏文侯李克に問う、「吳の滅亡する所以は、是れ何のためか」と。李克答えて曰く、「屢戰屢勝せり」と。文侯曰く、「屢戰屢勝するは、是れ國の福、滅亡する所以是れ何のためか」と。李克曰く、「屢戰すれば則ち民疲憊し、屢勝すれば則ち主驕傲す。驕傲の主を以て疲憊の民を治理す、此れ卽ち滅亡する所以なり。此に因りて戰を好み兵を窮めるは、滅亡せざるなし」と。
趙襄子問於王子維曰:"吳之所以亡者,何也?"對曰:"吳君□而不忍。"襄子曰:"宜哉吳之亡也。□則不能賞賢,不忍則不能罰奸。賢者不賞,有罪不罰,不亡何待?"
趙襄子王子維に問う、「吳の滅亡する所以は、是れ何のためか」と。答えて曰く、「吳君剛愎(底本此の字殘缺)して忍びず」と。襄子曰く、「吳滅亡するは是れ應然なり。剛愎なれば卽ち能く賢を賞せず、忍びざれば卽ち能く奸を罰せず。賢者賞せず、罪有りて罰せざれば、滅亡せずして還りて何を待たんか」と。
孔子侍坐於季孫,季孫之宰通曰:"君使人假馬,其與之乎?"孔子曰:"吾聞取於臣謂之取,不曰假。"季孫悟,告宰通曰:"自今以來,君有取謂之取,無曰假。"故孔子正假馬之名,而君臣之義定矣。論語曰:"必也正名。"詩曰:"無易由言,無曰苟矣。"可不慎乎?
孔子季孫其の處に陪坐す、季孫の宰通報して曰く、「君人を派して馬を借りに來る、彼に給するか給せざるか」と。孔子曰く、「我聞く臣其の處より取るを取ると叫ぶ、借と叫ばず」と。季孫醒悟して、宰に告げて通報して曰く、「今以後、君取る所有れば取ると叫べ、借と叫ぶ勿れ」と。ゆえに孔子馬を借るの名を端正して、而して君臣の義卽ち確定せり。『論語』に曰く、「一定要名を正しくせん」と。『詩經』に曰く、「輕易に説話する勿れ、苟且可と説く勿れ」と。愼重せざる可けんや?
君子曰:"天子居闉闕之中,帷帳之內,廣廈之下,旃茵之上,不出襜幄,而知天下者,以有賢左右也。"故獨視不如與眾視之明也,獨聽不如與眾聽之聰也。
君子曰く、「天子城門外曲闕の中・帷帳の內・廣厦の下・氈茵の上に住して、帷幄を出でずして天下を知るは、是れ因りて賢能の左右有るなり」と。ゆえに獨自看るは衆人と一起看るに明白ならず、獨自聽くは衆人と一起に聽くに淸楚ならず。
晉平公問於叔向曰:"國家之患,庸為大?"對曰:"大臣重祿而不極諫,近臣畏罰而不敢言,下情不上通,此患之大者也。"公曰:"善。"於是令國曰:"欲進善言,謁者不通,罪當死。"
晉平公叔向に問う、「國家の患、哪個最も大なりか」と。答えて曰く、「大臣俸祿を看重して極力進諫せず、近臣罰を怕れて敢えて説話せず、下情上に通ぜず、是れ患の中の最も大なり」と。公曰く、「好し」と。於是國中に命令して曰く、「善言を進めんと欲して、謁者通報せざるは、罪該に處死すべし」と。
楚人有善相人,所言無遺策,聞於國。莊王見而問於情,對曰:"臣非能相人,能觀人之交也。布衣也,其交皆孝悌,篤謹畏令,如此者其家必日益,身必日安,此所謂吉人也。官事君者也,其交皆誠信,有好善如此者,事君日益,官職日益,此所謂吉士也。主明臣賢,左右多忠,主有失皆敢分爭正諫,如此者國日安,主日尊,天下日富,此所謂吉主也。臣非能相人,能觀人之交也。"莊王曰:"善。"於是乃招聘四方之士,夙夜不懈,遂得孫叔敖,將軍子重之屬,以備卿相,遂成霸功。詩曰:"濟濟多士,文王以寧。"此之謂也。
楚人善く人を相する有りて、説く所遺漏の策なく、國に於て聞名す。莊王接見して實情を問う、答えて曰く、「臣是れ能く人を相するにあらず、是れ能く人の交游を觀察す。布衣は、其の交游皆孝悌・篤謹・法令を畏懼する、かくのごとき人其の家一定一天比一天增益し、自身一定一天比一天安し、此れ卽ち所謂吉人なり。官を爲りて君を事奉するは、其の交游皆誠信・善を愛好する、かくのごとき人君を事奉して一天比一天增益し、官職一天比一天增益す、此れ卽ち所謂吉士なり。主明く臣賢く、左右忠多く、主過失有れば皆敢えて爭辯正諫す、かくのごとき國一天比一天安く、主一天比一天尊く、天下一天比一天富む、此れ卽ち所謂吉主なり。臣是れ能く人を相するにあらず、是れ能く人の交游を觀察す」と。莊王曰く、「好し」と。於是四方の士を招聘して、夙夜懈らず、終に孫叔敖・將軍子重一類の人を得て、以て卿相を備齊して、終に霸功を成就す。『詩經』に曰く、「賢士濟濟衆多なり、文王因りて安寧を得」と。是れ此を説くなり。
齊閔王亡居衛,盡日灸走,謂公玉丹曰;"我已亡矣,而不知其故?吾所以亡者,其何哉?"公玉丹對曰:"臣以王為已知之矣,王故尚未之知耶?王之所以亡者,以賢也,以天下之主皆不肖,而惡王之賢也,因相與合兵而攻王,此王之所以亡也。"閔王慨然太息曰:"賢固若是之苦邪?"丹又謂閔王曰:"古人有辭,天下無憂色者,臣聞其聲,於王見其實,王名稱東帝,實有天下,去國居衛,容貌充盈,顏色發揚,無重國之意。"王曰:"甚善。丹知寡人自去國而居衛也,帶三益矣。"遂以自賢,驕盈不遜。閔王亡走衛,衛君避宮舍之,稱臣而供具,閔王不遜,衛人侵之,閔王去走鄒。魯,有驕色,鄒。魯不納,遂走莒,楚使淖齒將兵救齊,因相閔王,淖齒擢閔王之筋,而縣之廟梁,宿昔而殺之,而與燕共分齊地。悲乎!閔王臨大齊之國,地方數千裡,然而兵敗於諸侯,地奪於燕昭,宗廟喪亡,社稷不祀,宮室空虛,身亡逃竄,甚於徒隸,尚不知所以亡,甚可痛也,猶自以為賢,豈不哀哉!公玉丹徒隸之中,而道之諂佞,甚矣!閔王不覺,追而善之,以辱為榮,以憂為樂,其亡晚矣,而卒見殺。
齊閔王出亡して衛に住し、整日奔走して、公玉丹に對して曰く、「我已に亡びたるも、卽ち緣故を知らず。我の亡びたる所以は、是れ何か」と。公玉丹答えて曰く、「臣以爲王已に知之れりと、王竟に還りて知らずや?王の亡びたる所以は、是れ因りて賢なり。因りて天下の主皆不肖にして、而して王の賢を厭惡し、於是互相いに兵を合して王を攻む、此れ卽ち王の亡びたる所以なり」と。閔王慨然として長歎して曰く、「賢原來かくのごとく苦なるか」と。丹又閔王に對して曰く、「古人天下を辭去して憂色なき有り、臣其の名聲を聞きて、王の身に於て其の實際を見る。王名稱東帝にして、實際天下有り、國を離れて衛に住し、容貌充盈し、顏色發揚して、國を看重するの意思なし」と。王曰く、「甚だ好し。丹知る寡人自ら國を離れて衛に住してより、衣帶三寸を增加せりと」と。於是自ら以爲賢とし、驕盈遜らず。閔王出亡して衛に到りて、衛君宮舍を避けて彼に住せしめ、臣と稱して器具を供給す、閔王遜らず、衛人彼を侵逼し、閔王離去して鄒・魯に到り、驕色有り、鄒・魯接納せず、於是莒に到る。楚淖齒を派して兵を率いて齊を救わしめ、於是閔王の相を爲る、淖齒閔王の筋を抽きて、廟梁に懸挂して、一夜を過ぎて彼を殺掉し、燕と共同に齊地を瓜分す。悲哀なるかな!閔王大齊の國に面對して、土地方圓幾千里、然るに兵諸侯に打敗せられ、地燕昭に奪取せられ、宗廟喪亡し、社稷祭祀せられず、宮室空虛にして、自身逃亡竄走し、徒隸より還りて甚だしく、還りて亡びたる所以を知らず、甚だ痛心す可く、還りて自ら以爲賢とす、豈悲哀ならずや!公玉丹徒隸の中に在りて、卽ち諂佞を以て引導す、太だ過分なり!閔王覺察せず、反つて善と稱し、辱を以て榮と爲し、憂を以て樂と爲す、其の滅亡已に晚くして、而して終に殺せらる。
先是靖郭君殘賊其百姓,害傷其群臣,國人將背叛共逐之,其御知之,豫裝齎食,及亂作,靖郭君出亡,至於野而飢,其御出所裝食進之。靖郭君曰:"何以知之而齎食?"對曰:"君之暴虐,其臣下之謀久矣。"靖郭君怒,不食。曰:"以吾賢至聞也,何謂暴虐?"其御懼曰:"臣言過也,君實賢,唯群臣不肖共害賢。"然後靖郭君悅,然後食。故齊閔王。靖郭君,雖至死亡,終身不諭者也。悲夫!
此の之前靖郭君百姓を殘害し、群臣を傷害し、國人將に背叛して共同に彼を驅逐せんとす。其の御者知之、預先乾糧を裝好して、亂發作するに及びて、靖郭君出亡して、野外に到りて飢餓す、御者裝する所の食物を拿出して進上す。靖郭君曰く、「何を憑りて知りて食物を帶びたるか」と。答えて曰く、「君の暴虐は、臣下の謀劃已に久し」と。靖郭君發怒して、喫せず。曰く、「我が賢を憑りて遠處に傳へて皆聞到せり、何を以て暴虐と説くか」と。御者恐懼して曰く、「臣の話錯なり、君確かに賢なり、只是れ群臣不肖にして共同に賢を害す」と。然る後靖郭君喜悅して、然る後喫す。ゆえに齊閔王・靖郭君は、たとい死亡に至るとも、終身醒悟せず。悲哀なるかな!
宋昭公出亡於鄙,喟然嘆曰:"吾知所以亡矣。吾朝臣千人,發政舉事,無不曰吾君聖者;侍御數百人,被服以立,無不曰吾君麗者。內外不聞吾過,是以至此。"由宋君觀之,人主之所以離國家,失社稷者,諂諛者眾也。故宋昭亡而能悟,蓋得反國雲。
宋昭公出亡して邊鄙に到りて、喟然として歎息して曰く、「我亡びたる所以を知れり。我朝臣一千人、政令を發布して事情を擧辦するに、吾君是れ聖人と説かざるなし;侍御幾百人、衣を穿きて立つに、吾君美麗と説かざるなし。內外我が過失を聽到せず、此に因りて此の地步に到れり」と。宋君より來れば、人主國家を離れ社稷を失去する所以は、是れ諂諛の人多きなり。ゆえに宋昭亡びて還りて能く醒悟す、大概國に返回するを得たり。
秦二世胡亥之為公子也,昆弟數人,詔置酒饗群臣,召諸子,諸子賜食先罷,胡亥下皆視群臣,陳履狀善者,因行踐敗而去。諸子聞見之者,莫不太息。及二世即位,皆知天下必棄之也。故二世惑於趙高,輕大臣,不顧下民。是以陳勝奮臂於關東,閻樂作亂於望夷。閻樂,趙高之惑也,為咸陽令,軸為逐賊,將吏率入望夷宮,攻射二世,就數二世,欲加刃,二世懼,入將自殺,有一宦者從之,二世謂:"何謂至於此也?"宦者曰:"知此久矣。"二世曰:"子何不早言?"對曰:"臣以不言,故得至於此,使臣言,死久矣。"然後二世喟然悔之,遂自殺。
秦二世胡亥公子を爲るの時候、兄弟幾人、詔令酒宴を設けて群臣を饗し、各位の兒子を召す。各位の兒子食を賜うて先に罷退し、胡亥下去りて皆群臣を看て、陳列の鞋子形狀好きを、於是走過して踩壞して離去す。各位の兒子聽見看見する、大いに歎息せざるなし。二世位に即くに及びて、皆天下一定彼を拋棄せんを知れり。ゆえに二世趙高に迷惑せられ、大臣を輕視し、下民を顧みず。此に因りて陳勝關東に於て臂を奮い、閻樂望夷に於て作亂す。閻樂是れ趙高の迷惑する人にして、咸陽令を爲り、假裝して賊を追逐し、將吏を率領して望夷宮に進入し、二世を攻射して、就近二世を數落し、刀を加えんと欲し、二世恐懼して、進み入りて將に自殺せんとす、一個の宦者跟隨する有り、二世曰く、「何ぞ此の地步に到りたるか」と。宦者曰く、「此を知ること久し」と。二世曰く、「您何ぞ早く説かざりしか」と。答えて曰く、「臣因りて説かざる、ゆえに能く此の地步に到れり、假如臣説かば、死する已に久し」と。然る後二世喟然として後悔して、於是自殺す。
齊侯問於晏子曰:"忠臣之事君,何若?"對曰:"有難不死,出亡不送。"君曰:"列地而與之,疏爵而貴之,君有難不死,出亡不送,可謂忠乎?"對曰:"言而見用,終身無難,臣奚死焉?諫而見從,終身不亡,臣奚送焉?若言而不見用,有難而死,是妄死也;諫不見從,出亡而送,是軸為也。故忠臣也者,能盡善與君,而不能陷於難。
齊侯晏子に問う、「忠臣君を事奉するは、如何」と。答えて曰く、「難有りて死せず、出亡して送らず」と。君曰く、「土地を劃分して彼に給し、爵位を疏通して彼を貴からしむ、君難有りて死せず、出亡して送らざれば、忠と稱する可きか」と。答えて曰く、「話採用せられて、終身難なく、臣何必死せん?進諫聽從せられて、終身出亡せず、臣何必送らん?若し話採用せられずして、難有りて死するは、是れ妄死;進諫聽從せられずして、出亡して送るは、是れ假裝爲すなり。ゆえに忠臣は、能く善を君に盡くして、能く難中に陷入せず」と。
宋玉因其友以見於楚襄王,襄王待之無以異。宋玉讓其友。其友曰:"夫薑桂因地而生,不因地而辛;婦人因媒而嫁,不因媒而親。子之事王未耳,何怨於我?"宋玉曰:"昔者,齊有良兔曰東郭●,蓋一旦而走五百里,於是齊有良狗曰韓盧,亦一旦而走五百里,使之遙見而指屬,則雖韓盧不及眾兔之塵,若躡跡而縱□,則雖東郭●亦不能離。今子之屬臣也,躡跡而縱□與?遙見而指屬與?詩曰:'將安將樂,棄我如遺。’此之謂也。"其友人曰:"僕人有過,僕人有過。"
宋玉朋友の引薦を靠りて楚襄王に進見す、襄王彼に對待する特別なし。宋玉朋友を責備す。朋友曰く、「姜桂地を靠りて生じ、地を靠らずして辛辣ならず;婦人媒を靠りて嫁し、媒を靠らずして親ならず。您王を事奉して還りて未だ家に到らざるのみ、我を怨みて何を爲さんか」と。宋玉曰く、「從前、齊良兔有りて東郭魏と叫ぶ(底本此の字殘缺)、大概一天五百里を跑る能し、於是齊良狗有りて韓盧と叫ぶ、亦一天五百里を跑る能し。之をして遠く望見して手指を以て點せしめば、則ちたとい韓盧も衆兔の塵土に趕上せず;若し踪迹に循いて放開せば(底本此の字殘缺)、則ちたとい東郭魏も離去する能わず。如今您臣に屬意するは、是れ踪迹に循いて放開するか、還りて遠く望見して手指を以て點するか?『詩經』に曰く、『將に安樂せんとして、我を拋棄すること遺棄のごとし』と。是れ此を説くなり」と。其の友人曰く、「僕人過有り、僕人過有り」と。
宋玉事楚襄王而不見察,意氣不得形於顏色;或謂曰:"先生何談說之不揚,計畫之疑也。"宋玉曰:"不然。子獨不見夫玄蝯乎?當其居桂林之中,峻葉之上,從容遊戲,超騰往來,龍興而鳥集,悲嘯長吟,當此之時,雖羿逢蒙,不得正目而視也。及其在枳棘之中也,恐懼而掉栗,危視而跡行,眾人皆得意焉。此彼筋非加急而體益短也,處勢不便故也。夫處勢不便,豈何以量功校能哉?詩不云乎?'駕彼四牡,四牡項領。’夫久駕而長,不得行項領,不亦宜乎?易曰:'臀無膚,其行□趄。’此之謂也。"
宋玉楚襄王を事奉して察識せられず、意氣顏色上に顯現するを得ず。人彼に對して曰く、「先生何ぞ談説顯揚せざる、計劃懷疑せらる」と。宋玉曰く、「不對。您豈彼の黑猿を見ざらんや?其れ桂林の中・高葉の上に住するに當たりて、從容游戲し、超騰往來して、龍興起するがごとく鳥聚集するがごとく、悲嘯長吟す、此の時候に於ては、たとい羿・逢蒙も能く正眼に看る能わず。其れ枳棘の中に在るに及びて、恐懼發抖し、危險に看て小心に走れば、衆人皆得意する能し。此れ是れ筋加緊して身體更に短くするにあらず、是れ處するの勢不便の緣故なり。處するの勢不便なれば、何處にか何を用いて功を量り能を校えんや?『詩經』是れ説かずや:『其四匹の牡馬を駕りて、四匹の牡馬脖子粗し』と。長久駕して行走するを得ざれば、脖子粗きは亦應然ならずや?『周易』に曰く、『臀部膚なく、行走趑趄す』(底本此の字殘缺)と。是れ此を説くなり」と。
田饒事魯哀公而不見察。田饒謂哀公曰:"臣將去君而檻鵠舉矣。"哀公曰:"何謂也?"田饒曰:"君獨不見夫雞乎?頭戴冠者,文也;足傅距者,武也;敵在前敢鬥者,勇也;見食相呼,仁也;守夜不失時,信也。雞雖有此五者,君猶日瀹而食之,何則?以其所從來近也。夫檻鵠一舉千里,止君園池,食君魚鱉,啄君菽粟,無此五者,君猶貴之,以其所從來遠也。臣請檻鵠舉矣。"哀公曰:"止。吾書子之言也。"田饒曰:"臣聞食其食者,不毀其器;蔭其樹者,不析其枝。有士不用,何書其言為?"遂去之燕,燕立為相。三年,燕之政太平,國無盜賊。哀公聞之,慨然太息,為之避寢三月,抽損上服,曰:"不慎其前,而悔其後,何可復得?"詩曰:"逝將去汝,適彼樂土;適彼樂土,爰得我所?"春秋曰:"少長於君,則君輕之。"此之謂也。
田饒魯哀公を事奉して察識せられず。田饒哀公に對して曰く、「臣將に君を離れて鴻鵠のごとく高飛せん」と。哀公曰く、「何の意思か」と。田饒曰く、「君豈彼の雞を見ざらんや?頭冠を戴くは、是れ文;脚距を附着するは、是れ武;敵人前に在りて敢えて鬥うは、是れ勇;食物を見て互相いに呼叫するは、是れ仁;夜を守りて時を誤らざるは、是れ信。雞雖然此の五樣有るも、君還りて每天烹煮して以て喫す、何ぞや?因りて其の來る所の地方近きなり。其の鴻鵠一擧千里にして、君の園池に停まり、君の魚鼈を喫し、君の菽粟を啄むも、此の五樣なく、君還りて之を看重す、因りて其の來る所の地方遠きなり。臣請う鴻鵠のごとく高飛せん」と。哀公曰く、「停下せよ。我您の話を記下せん」と。田饒曰く、「臣聞く其の食物を喫するは、其の器具を毀せず;其の樹下に於て遮蔭するは、其の樹枝を折らず。士有りて用いず、其の話を記して何を爲さんか」と。於是離れて燕に到りて、燕彼を立てて相を爲さしむ。三年、燕の政治太平にして、國盜賊なし。哀公聞きて、慨然として長歎して、此のため正寢を避けること三個月、上等の衣服を抽減して、曰く、「前に於て謹愼せずして、而して後に於て後悔す、何處にか再び得る可けんや?」と。『詩經』に曰く、「將に你を離れて、其の樂土に到らん;其の樂土に到らば、於是我が安處する所を得ん」と。『春秋』に曰く、「小さきより君家に長大すれば、則ち君之を看輕す」と。是れ此を説くなり。
子張見魯哀公,七日而哀公不禮,托僕伕而去曰:"臣聞君好士,故不遠千里之外,犯霜露,冒塵垢,百舍重趼,不敢休息以見君,七日而君不禮,君之好士也,有似葉公子高之好龍也,葉公子高好龍,鉤以寫龍,鑿以寫龍,屋室雕文以寫龍,於是夫龍聞而下之,窺頭於牖,拖尾於堂,葉公見之,棄而還走,失其魂魄,五色無主,是葉公非好龍也,好夫似龍而非龍者也。今臣聞君好士,不遠千里之外以見君,七日不禮,君非好士也,好夫似士而非士者也。詩曰:'中心藏之,何日忘之。’敢托而去。"
子張魯哀公に進見して、七天して哀公禮を以て相待せず、僕人に托して離去して曰く、「臣聞く君士を好むと、ゆえに千里の外を遠からずとせず、霜露を冒犯し、塵垢を頂いて、一百舍を走りて脚上多層の繭を生じ、敢えて休息せずして君を見んと來れり、七天して君禮を以て相待せず。君の士を好むは、有點葉公子高の龍を好むに似たり。葉公子高龍を好みて、帶鉤上龍を畫き、鑿上龍を畫き、屋室雕紋龍を畫き、於是其の眞龍聞きて下りて、頭窗より探り入れ、尾巴堂上に拖る、葉公見て、丢下して轉身して卽ち跑して、魂魄を失い、五色主なし。此れ是れ葉公是れ龍を好むにあらず、是れ其の龍に似て龍にあらざるを好むなり。如今臣聞く君士を好むと、千里の外を遠からずとせずして來りて君を見るに、七天禮を以て相待せず、君是れ士を好むにあらず、是れ其の士に似て士にあらざるを好むなり。『詩經』に曰く、『心裏藏して、哪一日忘れんや』と。敢えて人に托して離去す」と。
