新序 · 第4巻
昔者,楚丘先生行年七十,披裘帶索,往見孟嘗君,欲趨不能進。孟嘗君曰:"先生老矣,春秋高矣,何以教之?"楚丘先生曰:"噫!將我而老乎?噫!將使我追車而赴馬乎?投石而超距乎?逐麋鹿而搏虎豹乎?吾已死矣!何暇老哉!噫!將使我出正辭而當諸侯乎?決嫌疑而定猶豫乎?吾始壯矣,何老之有!"孟嘗君逡巡避席,面有愧色。詩曰:"老夫灌灌,小子蹻蹻。"言老夫欲盡其謀,而少者驕而不受也。秦穆公所以敗其師,殷紂所以亡天下也。故書曰:"黃髮之言,則無所愆。"詩曰:"壽胥與試。"美用老人之言以安國也。
從前、楚丘先生年紀七十、裘を披きて繩索を繫えて、孟嘗君を見に往きて、快步せんと欲するも能く進み前へせず。孟嘗君曰く、「先生老了して、年紀高し、何を以て來りて教えんか」と。楚丘先生曰く、「噫!將に我を以て老と爲さんか?噫!將に我をして車を追い馬を趕かしめんか?石を投げ遠く跳ばんか?麋鹿を追逐し虎豹を搏擊せんか?我已に死せり!何處にか老を顧及せんや!噫!將に我をして正辭を出して以て諸侯に應對せしめんか?嫌疑を決斷して以て猶豫を確定せしめんか?我纔かに壯を開始す、何處にか老有らんや!」孟嘗君遲疑して席を離れて、臉上愧色有り。『詩經』に曰く、「老夫情意懇切なり、小子驕躁なり」と。是れ老夫其の謀を盡くさんと欲するも、而して年少の驕傲接受せざるを説くなり。秦穆公其の軍隊を失敗せしめたる所以、殷紂天下を丟失したる所以なり。ゆえに『尚書』に曰く、「黃髮の話は、則ち愆過なし」と。『詩經』に曰く、「長壽の人一起に試用す」と。是れ老人の話を以て國家を安定するを讚美するなり。
齊有閭丘邛年十八,道鞍宣王曰:"家貧親老,願得小仕。"宣王曰:"子年尚稚,未可也。"閭丘邛曰:"不然,昔有顓頊行年十二而治天下,秦項橐七歲為聖人師,由此觀之,邛不肖耳,年不稚矣。"宣王曰:"未有咫角驂駒而能服重致遠者也,由此觀之,夫士亦華髮墮顛而後可用耳。"閭丘邛曰:"不然。夫尺有所短,寸有所長,驊騮綠驥,天下之俊馬也,使之與狸鼬試於釜灶之間,其疾未必能過狸鼬也;黃鵠白鶴,一舉千里,使之與燕服翼,試之堂廡之下,廬室之間,其便未必能過燕服翼也。闢閭巨闕,天下之利器也,擊石不缺,刺石不銼,使之與管槁決目出眯,其便未必能過管槁也,由此觀之,華髮墮顛與邛,何以異哉?"宣王曰:"善。子有善言,何見寡人之晚也?"邛對曰:"夫雞處讙嗷,則奪鐘鼓之音;雲霞充咽則奪日月之明,讒人在側,是見晚也。詩曰:'聽言則對,□言則退。’庸得進乎?"宣王拊軾曰:"寡人有過。"遂載與之俱歸而用焉。故孔子曰:"後生可畏,安知來者之不如今?"此之謂也。
齊閭丘邛有りて、十八歳、路上に於て齊宣王を攔して曰く、「家貧しく雙親老いて、願わくは小官職を得ん」と。宣王曰く、「您年紀還りて小さく、還りて可ならず」と。閭丘邛曰く、「不對。從前顓頊年紀十二にして天下を治理し、秦項橐七歳にして聖人の老師を爲れり、此より觀れば、邛不肖なるのみ、年紀小ならず」と。宣王曰く、「剛だちて角を長ずるの小馬にして能く重を負いで遠方に到るなし、此より觀れば、士亦花白の頭髮・頭頂脱落して然る後纔かに用いる可し」と。閭丘邛曰く、「不對。尺短き所有り、寸長き所有り。驊騮綠驥是れ天下の駿馬、彼らをして狸鼬と釜竈の間に於て比賽せしめば、其の快未必能く狸鼬を超過せず;黃鵠白鶴一擧千里、彼らをして燕子・蝙蝠と堂廡の下・廬室の間に於て比賽せしめば、其の便捷未必能く燕子・蝙蝠を超過せず;辟閭・巨闕是れ天下の利器、石を擊ても缺けず、石を刺しても鈍らず、彼らをして竹管と眼裏の眯物を決開せしめば、其の便捷未必能く竹管を超過せず。此より觀れば、花白の頭髮・頭頂脱落と邛と、何の同じからざる有らんか?」宣王曰く、「好し。您善言有り、何ぞ寡人を見ることかくのごとく晚きか」と。邛答えて曰く、「雞喧譁の裏に處れば、卽ち鍾鼓の聲音を奪去す;雲霞咽喉を塡塞せば、卽ち日月の光明を奪去す。讒人旁邊に在り、ゆえに見ること晚し。『詩經』に曰く、『善言を聽けば卽ち對答し、讒言なれば卽ち斥退す』(底本此の字殘缺)と。何處にか能く進まんや?」宣王軾を拍ちて曰く、「寡人過失有り」と。於是彼を載せて一起に囘來りて任用す。ゆえに孔子曰く、「後生畏る可し、何を以て後來の如今に如かざるを知らん」と。是れ此を説くなり。
荊人卞和得玉璞而獻之荊厲王,使玉尹相之曰:"石也。"王以為慢,而斷其左足。厲王薨,武王即位,和復捧玉璞而獻之武王。武王使玉尹相之曰:"石也。"又以為慢,而斷其右足。武王薨,共王即位,和乃奉玉璞而哭於荊山中,三日三夜,泣盡,而繼之以血,共王聞之,使人問之曰:"天下刑之者眾矣,子刑何哭之悲也?"對曰:"寶玉而名之曰石,貞士而戮之以慢,此臣之所以悲也。"共王曰:"惜矣,吾先王之聽難,剖石而易,斬人之足!夫死者不可生,斷者不可屬,何聽之殊也?"乃使人理其璞而得寶焉。故名之曰和氏之璧。故曰珠玉者,人主之所貴也,和雖獻寶,而美未為玉尹用也。進寶且若彼之難也,況進賢人乎?賢人與奸臣,猶仇讎也,於庸君意不合。夫欲使奸臣進其讎於不合意之君,其難萬倍於和氏之璧,又無斷兩足之臣以推其難,猶拔山也,千歲一合,若繼踵,然後霸王之君興焉。其賢而不用,不可勝載,故有道者之不戮也,宜白玉之璞未獻耳。
荊人卞和玉璞を得て荊厲王に獻じ、玉尹をして相看せしむるに曰く、「是れ石頭」と。王以爲怠慢とし、其の左脚を砍斷す。厲王去世し、武王位に即き、卞和又玉璞を捧げて武王に獻ず。武王玉尹をして相看せしむるに曰く、「是れ石頭」と。又以爲怠慢とし、其の右脚を砍斷す。武王去世し、共王位に即き、卞和於是玉璞を捧げて荊山の中に於て哭き、三天三夜、眼淚哭き盡くして、繼いで血を流す。共王聞きて、人を派して問う、「天下刑を受くる人多し、您刑を受けて何ぞ哭くことかくのごとく悲しきか」と。答えて曰く、「寶玉卽ち石頭と叫ばれ、貞士卽ち怠慢を以て刑戮せらる、是れ臣の悲哀する所以なり」と。共王曰く、「可惜なるかな、我先王聽信困難にして、石頭を剖開するは卽ち容易く、人の脚を斬る!死せる再生す可からず、斷たる再接す可からず、聽信何等同じからざるか!」と。於是人を派して其の璞を治理して寶を得たり。ゆえに和氏之璧と叫ぶ。ゆえに珠玉是れ人主の看重する所と説く、卞和雖然寶を獻ずも、而して美還りて未だ玉尹に採用せられず。寶を進むる尚お彼のごとく難し、況んや賢人を進めんをや?賢人と奸臣とは、卽ち仇敵のごとく、庸君と心意合せず。奸臣をして其の仇人を心意合せざるの君に進めしめんと欲するは、其の難處和氏之璧に比して萬倍し、又兩脚を砍斷せらるるの臣なくして其の難處を推進せば、卽ち山を拔くがごとく、千年一遇合して、若し接踵して來れば、然る後霸王の君興起す。それらの賢にして任用せられざるは、記載盡くさず、ゆえに道有る人刑戮せられざるは、應に白玉の璞還りて未だ獻上せざるのみ。
刺奢第六
刺奢第六
桀作瑤臺,罷民力,殫民財,為酒池糟堤,縱靡靡之樂,一鼓而牛飲者三千人,群臣相持歌曰:"江水沛沛兮,舟楫敗兮,我王廢兮,趣歸薄兮,薄亦大兮。"又曰:"樂兮樂兮,四牡蹻兮,六轡沃兮,去不善而從善,何不樂兮?"伊尹知天命之至,舉觴而告桀曰:"君王不聽臣之言,亡無日矣。"桀拍然而作,唾然而笑曰:"子何妖言,吾有天下,如天之有日也,日有亡乎?日亡吾亦亡矣。"於是接履而趣,遂適湯,湯立為相。故伊尹去官入殷,殷王而夏亡。
桀瑤台を建造して、民力をして疲憊せしめ、民財をして枯竭せしめ、酒池糟堤を作して、靡靡の樂を放縱し、一擊鼓して牛のごとく喝する三千人有り。群臣互相いに扶持して歌唱す、「江水沛沛たり、舟楫敗壞せり、我王廢棄せり、趕快亳に歸向せよ、亳亦大なり」と。又曰く、「快樂なるかな快樂なるかな、四匹の牡馬驕健なり、六根の轡繩柔潤なり、不善を離れて善に跟隨せば、何ぞ快樂ならざらん?」と。伊尹天命到るを知りて、觴を擧起して桀に告げて曰く、「君王臣の話を聽かざれば、滅亡幾日なからん」と。桀拍然として起き、唾然として笑いて曰く、「您何の妖言を説く、我天下有るは、天太陽有るがごとく、太陽滅亡有らんや?太陽滅亡せば我亦滅亡せん」と。於是鞋子を提げて快走し、於是湯其の處に到りて、湯彼を立てて相を爲さしむ。ゆえに伊尹官職を離れて殷に入りて、殷王と稱して夏滅亡せり。
紂為鹿臺,七年而成,其大三里,高千尺,臨望雲雨。作炮烙之刑,戮無辜,奪民力。冤暴施於百姓,慘毒加於大臣,天下叛之,願臣文王。及周師至,令不行於左右。悲乎!當是時,求為匹夫不可得也,紂自取之也。
紂鹿台を建造して、七年纔かに成り、大きさ三里、高き千尺、雲雨を臨望す。炮烙の刑を作して、無辜を殺戮し、民力を奪取す。冤暴百姓に施加し、慘毒大臣に加うれば、天下反叛して、文王に臣服せんと願う。周師到るに及びて、命令能く左右に推行せず。悲哀なるかな!其の時候に在りて、匹夫を爲らんと求むるも亦得る可からず、是れ紂自己の取れるなり。
魏王將起中天台,令曰:"敢諫者死。"許綰負虆操鍤入曰:"聞大王將起中天台,臣願加一力。"王曰:"子何力有加?"綰曰:"雖無力,能商臺。"王曰:"若何?"曰:"臣聞天與地相去萬五千裡,今王因而半之,當起七千五百里之臺,高既如是,其趾須方八千里,盡王之地,不足以為臺趾。古者堯舜建諸侯,地方五千裡,王必起此臺,先以兵伐諸侯,盡有其地猶不足,又伐四夷,得方八千里乃足以為臺趾,材木之積,人徒之眾,倉廩之儲,數以萬億度。八千里以外,當盡農畝之地,足以奉給王之臺者,臺具以備,乃可以作。"魏王默然無以應,乃罷起臺。
魏王將に中天台を建造せんとして、下令す、「敢えて進諫するは處死す」と。許綰土を盛るの筐を背負い鐵鍬を持ちて進み入りて曰く、「聞く大王將に中天台を建造せんとす、臣願わくは一份の力を加えん」と。王曰く、「您何の力か加う可き有らんか」と。許綰曰く、「雖然力なけれど、能く台を商量せん」と。王曰く、「如何」と。曰く、「臣聞く天と地と相距ること一萬五千里、如今王因りて一半を取れば、該に七千五百里の台を建造すべし。高き已にかくのごとき、台基須く方圓八千里なるべし、王の地を盡くすも、台基を爲るに足らず。古代堯舜諸侯を封建して、土地方圓五千里、王一定此の台を建造せんと欲せば、先用ちて兵諸侯を伐ちて、彼らの地を盡有しても還りて足らず、再び四夷を伐ちて、方圓八千里を得て纔かに台基を爲るに足らん。材木の積蓄・人徒の衆多・倉廩の儲備は、萬億を以て度量す。八千里以外は、該に農畝の地を盡くして、纔かに足りて王の台を供給せん。台の器具備齊して、纔かに動工す可し」と。魏王沈默して對す可き話なく、於是台を建造するを停止す。
衛靈公以天寒鑿池,宛春諫曰:"天寒起役,恐傷民。"公曰:"天寒乎?"宛春曰:"君衣狐裘,坐熊席,隩隅有灶,是以不寒,今民衣弊不補,履決不苴。君則不寒,民則寒矣。"公曰:"善。"令罷役。左右諫曰:"君鑿池不知天寒,以宛春知而罷役,是德歸宛春,怨歸於君。"公曰:"不然。宛春,魯國之匹夫,吾舉之,民未有見焉,今將令民,以此見之。且春也有善,寡人有春之善,非寡人之善與?"靈公論宛春,可謂知君之道矣。
衞靈公因りて天寒池を開鑿す、宛春進諫して曰く、「天寒役を興せば、恐怕民を傷つけん」と。公曰く、「天寒なるか」と。宛春曰く、「君狐裘を穿きて、熊席に坐し、溫暖の角落竈有り、此に因りて寒からず。如今民衣服破れて補せず、鞋子裂けて縫わず。君則ち寒からず、民則ち寒し」と。公曰く、「好し」と。下令して役を停止す。左右進諫して曰く、「君池を開鑿して天寒を知らず、因りて宛春知りて役を停止す、かくのごとくば德宛春に歸し、怨君に歸せん」と。公曰く、「不對。宛春是れ魯國の匹夫、我彼を擧用して、民還りて未だ彼を見ず、如今將に民をして此を以て彼を見しめん。況んや宛春善有れば、寡人宛春の善有り、卽ち寡人の善ならずや」と。靈公宛春を評論するは、君を爲るの道理を知ると稱する可し。
齊宣王為大室,大蓋百畝,堂上三百戶,以齊國之大,具之三年而未能成,群臣莫敢諫者。香居問宣王曰:"荊王釋先王之禮樂而為淫樂,敢問荊邦為有主乎?"王曰:"為無主。""敢問荊邦為有臣乎?"王曰:"為無臣。"居曰:"今主為大室,三年不能成,而群臣莫敢諫者,敢問王為有臣乎?"王曰:"為無臣。"香居曰:"臣請避矣。"趨而出。王曰:"香子留,何諫寡人之晚也?"遽召尚書曰:"書之,寡人不肖,為大室,香子止寡人也。"
齊宣王大室を建造して、大きさ蓋し百畝、堂上三百戸、齊國かくのごとき大を憑るも、備辦三年して還りて未だ能く成らず、群臣敢えて進諫するなし。香居宣王に問う、「荊王先王の禮樂を放下して淫樂を爲す、敢えて問う荊邦算して主有るか」と。王曰く、「算して主なし」と。「敢えて問う荊邦算して臣有るか」と。王曰く、「算して臣なし」と。香居曰く、「如今主大室を建造して、三年能く成らずして、而して群臣敢えて進諫するなし、敢えて問う王算して臣有るか」と。王曰く、「算して臣なし」と。香居曰く、「臣請う囘避せん」と。快步して出去る。王曰く、「香子留下せよ、何ぞ寡人に進諫することかくのごとく晚きか」と。立刻尙書を召して曰く、「記下せよ、寡人不肖にして、大室を建造す、香子寡人を制止せり」と。
趙襄子飲酒五日五夜,不廢酒,謂侍者曰:"我誠邦士也。夫飲酒五日五夜矣,而殊不病。"優莫曰:"君勉之,不及紂二日耳。紂七日七夜,今君五日。"襄子懼,謂優莫曰:"然則吾亡乎?"優莫曰:"不亡。"襄子曰:"不及紂二日耳,不亡何待?"優莫曰:"桀紂之亡也遇湯武,今天下盡桀也,而君紂也,桀紂並世,焉能相亡,然亦殆矣。"
趙襄子酒を飲むこと五天五夜、酒を停止せず、侍者に對して曰く、「我確かに是れ邦國の士。酒を飲むこと五天五夜なりて、卽ち一點も病せず」と。優莫曰く、「君勉力せよ、只差紂に兩天のみ。紂七天七夜、如今君五天」と。襄子恐懼して、優莫に對して曰く、「然らば我將に滅亡せんか」と。優莫曰く、「滅亡せず」と。襄子曰く、「只差紂に兩天のみ、滅亡せずして還りて何を待たんか」と。優莫曰く、「桀紂の滅亡するは是れ湯武に遇上せり、如今天下皆是れ桀にして、而して君是れ紂、桀紂同時に世に在りて、何處にか能く互相いに滅亡せん、可是亦危險なり」と。
齊景公飲酒而樂,釋衣冠自鼓缶,謂侍者曰:"仁人亦樂是夫?"梁丘子曰:"仁人耳目亦猶人也?奚為獨不樂此也。"公曰:"速駕迎晏子。"晏子朝服以至。公曰:"寡人甚樂此樂也,願與夫子共之,請去禮。"晏子對曰:"君之言過矣,齊國五尺之童子,力盡勝嬰而又勝君,所以不敢亂者,畏禮也。上若無禮,無以使其下;下若無禮,無以事其上。夫麋鹿唯無禮,故父子同塵。人之所以貴於禽獸者,以有禮也,詩曰:'人而無禮,胡不遄死?’故禮不可去也。"公曰:"寡人無良,左右淫琨寡人,以至於此,請殺之。"晏子曰:"左右無罪,君若好禮,左右有禮者至,無禮者去。君若惡禮,亦將如之。"公曰:"善。請革衣冠,更受命。"乃廢酒而更尊朝服而坐,觴三行,晏子趨出。
齊景公酒を飲みて快樂し、衣冠を脫下して自己缶を敲きて、侍者に對して曰く、「仁人亦此を快樂するか」と。梁丘子曰く、「仁人の耳目還りて是れ人なるか?何ぞ獨自此を快樂せざらん」と。公曰く、「趕快車を駕りて晏子を迎接せよ」と。晏子朝服を穿きて到來す。公曰く、「寡人甚だ此の快樂を快樂す、願わくは夫子と共享せん、請う禮を去掉せよ」と。晏子答えて曰く、「君の話錯なり。齊國五尺の童子は、力氣盡く婴に勝ち又君に勝つ可きも、敢えて作亂せざる所以は、是れ禮を怕るるなり。上若し禮なければ、以て下を役使するなく;下若し禮なければ、以て上を事奉するなし。麋鹿只因りて禮なきが、ゆえに父子同處す。人の禽獸より貴き所以は、是れ因りて禮有るなり。『詩經』に曰く、『人而禮なからば、何ぞ趕快死せざらん?』と。ゆえに禮去掉す可からず」と。公曰く、「寡人好からず、左右淫亂を以て寡人を迷惑して、以致此に至れり、請う彼らを殺掉せん」と。晏子曰く、「左右罪なし。君若し禮を愛好せば、左右禮有る來りて、禮なき離去す。君若し禮を厭惡せば、亦將に此のごとくならん」と。公曰く、「好し。請う衣冠を更換して、再び命を受けん」と。於是酒を廢して尊位を更換し、朝服を穿きて坐下して、觴行三次して、晏子快步して出去る。
魏文侯見箕季其牆壞而不築,文侯曰:"何為不築?"對曰:"不時,其牆枉而不端。"問曰:"何不端?"曰:"固然。"從者食其園之桃,箕季禁之。少焉日晏,進糲餐之食,瓜瓠之羹。文侯出,其僕曰:"君亦無得於箕季矣。曩者進食,臣竊窺之,糲餐之食,瓜瓠之羹。"文侯曰:"吾何無得於季也?吾一見季而得四焉。其牆壞不築,雲待時者,教我無奪農時也。牆枉而不端,對曰固然者,是教我無侵封疆也。從者食園桃,箕季禁之,豈愛桃哉!是教我下無侵上也。食我以糲餐者,季豈不能具五味哉!教我無多歛於百姓,以省飲食之養也。"
魏文侯箕季を見るに、其の墻壞れて卽ち修築せず。文侯曰く、「何ぞ修築せざるか」と。答えて曰く、「時節に到らず。其の墻彎曲して端正ならず」と。問う、「何ぞ端正ならざるか」と。曰く、「本來かくのごとし」と。隨從其の園裏の桃を喫す、箕季禁止す。一會兒天晚くなりて、粗糙の飯・瓜瓠の羹を進上す。文侯出去りて、僕人曰く、「君亦箕季其の處より何を得たるなし。剛才食を進むるに、臣私下窺看せば、是れ粗糙の飯・瓜瓠の羹なり」と。文侯曰く、「我何を以て季其の處より得ざらん?我一見季すれば卽ち四樣を得たり。墻壞れて修築せず、時節を等待すと説くは、是れ我に教えて農時を奪取する勿れと。墻彎曲して端正ならず、本來かくのごとしと答えたるは、是れ我に教えて封疆を侵奪する勿れと。隨從園桃を喫するに、箕季禁止す、何處にか是れ桃を愛せんや!是れ我に教えて下面上を侵する勿れと。粗糙の飯を以て我に喫せしむるは、季何處にか能く五味を具備せざらんや!是れ我に教えて百姓に對して賦斂を多收する勿れ、以て飲食の供養を減省せよと」と。
士尹池為荊使於宋,司城子罕止而觴之,南家之牆,擁於前而不直,西家之潦,經其宮而不止。士尹池問其故,司城子罕曰:"南家,工人也,為鞔者也,吾將徙之,其父曰:'吾特為鞔,已食三世矣,今徙,是宋邦之束鞔者,不知吾處也,吾將不食,願相國之憂吾不食也。’為是故吾不徙。西家高,吾宮卑,潦之經吾宮也利,為是故不禁也。"士尹池歸荊,適興兵欲攻宋,士尹池諫於王曰:"宋不可攻也,其主賢,其相仁。賢者能得民,仁者能用人,攻之無功,為天下笑。"楚釋宋而攻鄭。孔子聞之曰:"夫修之於廟堂之上,而折沖於千里之外者,司城子罕之謂也"。
士尹池荊のため宋に出使して、司城子罕留下して彼に酒を請う。南家の墻擁して前にして直ならず、西家の積水其の宮を經過して停止せず。士尹池緣故を問う、司城子罕曰く、「南家是れ工人、鞔を爲る。我將に彼らを遷徙せんとす、其の父曰く、『我只鞔を爲り、已に此の行を喫すること三世、如今遷徙せば、宋邦鞔を買う人我が住處を知らず、我將に喫するなからん、願わくは相國我の喫するなきを憂慮せん』と。此の緣故に因りて我遷徙せず。西家高く、我が宮低く、積水我が宮を經過して彼らに對して利有り、此の緣故に因りて禁止せず」と。士尹池荊に囘りて、正に兵を起こして宋を攻めんと欲するに遇上し、士尹池王に向かいて進諫して曰く、「宋攻む可からず、其の主賢く、其の相仁なり。賢者能く民を得、仁者能く人を用う、之を攻めて功なく、天下に笑われん」と。楚宋を放下して鄭を攻む。孔子聞きて後曰く、「廟堂の上に於て修治して、而して千里の外に於て折衝するは、是れ司城子罕を説くなり」と。
魯孟獻子聘於晉,宣子觴之三徙,鍾石之縣,不移而具。獻子曰:"富哉冢!"宣子曰:"子之家庸與我家富?"獻子曰:"吾家甚貧,惟有二士,曰顏回,茲無靈者,使吾邦家安平,百姓和協,惟此二者耳!吾盡於此矣。"客出,宣子曰:"彼君子也,以養賢為富。我鄙人也,以鍾石金玉為富。"孔子曰:"孟獻子之富,可著於春秋。"
魯孟獻子晉に到りて聘問す、宣子彼に酒を請うて三次席を遷し、鍾石の懸挂移動せずして卽ち齊備す。獻子曰く、「富なるかな此の家族!」と。宣子曰く、「您の家何處にか我が家と富同じくせんや」と。獻子曰く、「我が家甚だ貧く、只有りて兩個の士、顏囘・茲無靈と叫び、我らの邦家をして安平せしめ、百姓和協せしむ、只此の兩個人のみ!我盡く此處に在り」と。客人出去りて、宣子曰く、「彼是れ君子、賢を養うを以て富と爲す。我是れ鄙人、鍾石金玉を以て富と爲す」と。孔子曰く、「孟獻子の富は、『春秋』に著錄す可し」と。
鄒穆公有令食鳧鷹必以秕,無得以粟,於是倉無秕,而求易於民,二石粟而得一石秕,吏以為費,請以粟食之。穆公曰:"去,非汝所知也!夫百姓飽牛而耕,暴背而耘,勤而不惰者,豈為鳥獸哉?粟米,人之上食,奈何其以養鳥?且爾知小計,不知大會。周諺曰:'囊漏貯中。’而獨不聞歟?夫君者,民之父母,取食之粟,移之於民,此非吾之粟乎?鳥苟食鄒之秕,不害鄒之粟也,粟之在倉與在民,於我何擇?"鄒民聞之,皆知私積與公家為一體也,此之謂知富邦。
鄒穆公令有りて、鴨鷹を餧うに一定秕を用い、粟を用いるを得ず。於是倉裏秕なく、民に向かいて交換すれば、兩石の粟纔かに一石の秕を得、吏以爲浪費とし、粟を以て餧わんを請求す。穆公曰く、「去れ、是れ你らの知る所にあらず!百姓牛を餧い飽かして以て耕し、背を曬して以て耘し、勤勞して懶惰せず、豈是れ鳥獸のためならんや?粟米是れ人の上等の食物、何を以て鳥を養わんや?況んや你ら小計算を知るも、大合計を知らず。周の諺語曰く、『口袋漏れても還りて倉庫の裏に在り』と。你ら豈聞かざらんや?君是れ民の父母、喫する粟を取りて來りて民に轉移す、此れ卽ち我が粟ならずや?鳥若し鄒の秕を喫せば、鄒の粟を害せず。粟倉に在ると民に在るとは、我に對して何の分別か有らん?」鄒民聞きて、皆私積と公家と是れ一體なるを知る、此れ卽ち邦を富ますを知ると叫ぶなり。
節士第七
節士第七
堯治天下,伯成子高立為諸侯焉。堯授舜,舜授禹,伯成子高辭為諸侯而耕,禹往見之,則耕在野,禹趨就下位而問焉,曰:"昔者堯治天下,吾子立為諸侯焉,堯授舜,吾子猶存焉。及吾在位,子辭諸侯而耕,何故?"伯成子高曰:"昔堯之治天下,舉天下而傳之他人,至無慾也,擇賢而與之其位,至公也。以至無慾至公之行示天下,故不賞而民勸,不罰而民畏,舜亦猶然。今君賞罰而民欲且多私,是君之所懷者私也,百姓知之,貪爭之端,自此始矣。德至此衰,刑自此繁矣,吾不忍見,以是野處也。今君又何求而見我?君行矣,無留吾事。"耕而不顧。書曰:"旁施象,刑維明,及禹不能。"春秋曰:"五帝不告誓。"信厚也。
堯天下を治理す、伯成子高立ちて諸侯を爲る。堯舜に授給し、舜禹に授給す、伯成子高諸侯を辭去して田を耕す。禹往きて彼を見るに、彼卽ち野裏に於て耕す、禹快步して低下の位子に就きて問う、「從前堯天下を治理するに、您立ちて諸侯を爲る、堯舜に授給す、您還りて在り。我位に在るに及びて、您諸侯を辭去して耕す、何ぞや」と。伯成子高曰く、「從前堯天下を治理するに、天下を擧げて別人に傳へるは、是れ至りて欲なし;賢人を選擇して彼に位子を給するは、是れ至りて公なり。至りて欲なし・至りて公の行爲を以て天下に看せしむ、ゆえに賞せずして民勤勉し、罰せずして民畏懼す、舜亦還りて是れかくのごとし。如今君賞罰して而して民欲望して并せて私多し、是れ君の懷抱する是れ私、百姓知之、貪爭の端緒此より開始す。德此處に到りて衰落し、刑此より繁多す、我忍びて見ず、此に因りて野裏に處る。如今君又何を求めて以て我を見るか?君走れ、留下して我が事を耽誤する勿れ」と。田を耕して頭を囘さず。『尙書』に曰く、「普遍に象刑を施加して、刑罰纔かに明なり、禹に至るも能わず」と。『春秋』に曰く、「五帝告誓せず」と。是れ誠信厚きなり。
桀為酒池,足以鉉舟,糟丘,足以望七里,一鼓而牛飲者三千人。關龍逢進諫曰:"為人君,身行禮義,愛民節財,故國安而身壽也。今君用財若無盡,用人恐不能死,不革,天禍必降,而誅必至矣,君其革之。"立而不去朝,桀因囚拘之,君子聞之曰:"天之命矣夫。"
桀酒池を作して、足りて船を浮起す、糟丘足りて七里を望見す、一擊鼓して牛のごとく喝する三千人有り。關龍逢進諫して曰く、「人君を爲るは、自身禮義を實行し、民を愛し財を節省す、ゆえに國安くして自身長壽す。如今君財を用うること盡頭なきがごとく、人を用いて彼らの能く死せざるを怕る、改正せざれば、天禍一定降下して、而して誅一定到らん、君還りて改正せよ」と。立ちて朝を離れず、桀此に因りて彼を囚禁す。君子聞きて後曰く、「此れ是れ天の命なり」と。
紂作炮烙之刑,王子比干曰:"主暴不諫,非忠臣也;畏死不言,非勇士也。見過則諫,不用則死,忠之至也。"遂進諫,三日不去朝,紂因而殺之。詩曰:"昊天太憮,予慎無辜。"無辜而死,不亦哀哉!
紂炮烙の刑を作す、王子比干曰く、「主暴虐して進諫せざるは、是れ忠臣にあらず;死を怕れて説話せざるは、是れ勇士にあらず。過失を見れば卽ち進諫し、用いられざれば卽ち死するは、是れ忠の極致なり」と。於是進諫して、三天朝を離れず、紂此に因りて彼を殺せり。『詩經』に曰く、「昊天太だ糊涂なり、我謹愼して卽ち辜なし」と。辜なくして死するは、亦悲哀ならずや!
曹公子喜時,字子臧,曹宣公子也。宣公與諸侯伐秦,卒於師,曹人使子臧迎喪,使公子負芻,與太子留守,負芻殺太子而自立,子臧見負芻之當主也,宣公即葬,子臧將亡,國人皆從之,負芻立,是為曹成公,成公懼,告罪,且請子臧,子臧乃返,成公遂為君。其後晉侯會諸侯,執曹成公,歸之京師,將見子臧於周天子而立之。子臧曰:"前記有之,聖達節,次守節,下失節,為君非吾節也,雖不能聖,敢失守乎?"遂亡奔宋,曹人數請晉侯謂:"子臧返國,吾歸爾君。"於是子臧返國,晉乃言天子歸成公於曹,子臧遂以國致成公,成公為君,子臧不出,曹國乃安,子臧讓千乘之國,可謂賢矣,故春秋賢而褒其後。
曹公子喜時、字子臧、是れ曹宣公の兒子。宣公諸侯と秦を伐ちて、軍中に死す、曹人子臧をして喪を迎接せしめ、公子負芻と太子とをして留守せしむ、負芻太子を殺して自立す。子臧負芻の當に主を爲るべきを見て、宣公已に安葬せられて、子臧將に出亡せんとす、國人皆彼に跟隨す。負芻位に即く、此れ卽ち曹成公なり。成公恐懼して、罪を告げ、并せて子臧を請求す、子臧纔かに返囘して、成公於是君を爲る。後來晉侯諸侯を會し、曹成公を捉住して、京師に送りて、將に子臧をして周天子に進見して彼を立てしめんとす。子臧曰く、「前代記載有りて曰く、聖人節に通達し、其次節を守り、下等節を失うと。君を爲るは是れ我が節にあらず、雖然能く聖せざるとも、敢えて守を失わんか」と。於是出亡して宋に奔る。曹人屢々晉侯に請求して曰く、「子臧國に返回せば、我ら你らの君を歸還せん」と。於是子臧國に返回して、晉纔かに天子に對して成公を曹に歸還すと説き、子臧卽ち國を成公に交給して、成公君を爲り、子臧出でず、曹國纔かに安定す。子臧千乘の國を讓るは、賢と稱する可し、ゆえに『春秋』彼を賢として其の後代を褒揚す。
延陵季子者,吳王之子也,嫡同母昆弟四人,長曰遏,次曰餘祭,次曰夷昧,次曰札。札即曰季子,最小而賢,兄弟皆愛之。既除喪,將立季子,季子辭曰:"曹宣公之卒也,諸侯與曹人不義曹君,將立子臧,子臧去之,遂不為也,以成曹君,君子曰能守節義。君義嗣也,誰敢幹君?有國非吾節也。札雖不才,願附臧,以無失節。"固立之,棄其室而耕,乃舍之。遏曰:"今若是迮而與季子,季子必不受,請無與子而與弟,弟兄迭為君而致諸侯乎季子。"皆曰:"諾。"故諸其為君者皆輕死為勇,飲食必祝曰:"天若有吾國,必疾有禍於身。"故遏也死,餘祭立;餘祭死,夷昧立;夷昧死,而國宜之季子也,季子使而未還。僚者,長子之庶兄也,自立為吳王,季子使而還,至則君適之。遏之子曰王子光,號曰闔閭。不悅曰:"先君所為,不與子而與弟者,凡為季子也,將從先君之命,則國宜之季子也,如不從先君之命而與子,我宜當立者也,僚惡得為君?"於是使專諸刺僚,而致國乎季子。季子曰:"爾殺吾君,吾授爾國,是吾與爾為亂也。爾殺我兄,吾又殺爾,是父子兄弟相殺,終身無已也。"去而之延陵,終身不入吳國,故號曰延陵季子。君子以其不受國為義,以其不殺為仁,是以春秋賢季子而尊貴之也。
延陵季子是れ吳王の兒子、嫡出同母兄弟四人、長き遏と叫び、其次余祭と叫び、其次夷昧と叫び、其次札と叫ぶ。札卽ち季子、最も小にして賢く、兄弟皆彼を愛す。已に喪を除去して、將に季子を立てんとす、季子推辭して曰く、「曹宣公死するの時候、諸侯と曹人と曹君を以て不義と爲して、將に子臧を立てんとし、子臧離去して、於是爲さずして、以て曹君を成就せり、君子能く節義を守ると説く。君是れ義の繼承人、誰か敢えて君に觸犯せん?國有るは是れ我が節にあらず。札雖然不才なれど、願わくは子臧に依附して、以て節を失去せざらん」と。堅決に彼を立てんとす、彼家室を拋棄して田を耕しに往きて、於是放下す。遏曰く、「如今かくのごとく急切に季子に給せば、季子一定接受せず、請う兒子に給せずして弟弟に給せん、弟兄輪流して君を爲りて諸侯の位を季子に送らん」と。皆曰く、「是れ」と。ゆえにそれらの君を爲る皆死を看輕し勇を爲して、飲食一定祝禱して曰く、「天若し我が國を保有せば、一定趕快禍を我が身に加えよ」と。ゆえに遏死せば、余祭立ち;余祭死せば、夷昧立ち;夷昧死せば、而して國應に季子に到るべきも、季子出使して還りて未だ囘來らず。僚是れ長子の庶兄、自立して吳王を爲る。季子出使囘來して、到れば卽ち君禮を以て彼に對待す。遏の兒子王子光と叫び、號闔閭。高興せずして曰く、「先君兒子に給せずして弟弟に給する所以は、皆爲りて季子なり。將に先君の命を遵循せば、則ち國應に季子に到るべし;若し先君の命を遵循せずして兒子に給せば、我當に立つべし、僚何處にか能く君を爲らんや?」と。於是專諸を派して僚を刺さしめて、而して國を季子に交給す。季子曰く、「你我が君を殺し、我你に國を授給す、是れ我你と作亂するなり。你我が兄を殺し、我又你を殺せば、是れ父子兄弟相殺して、終身停止なからん」と。離去して延陵に到りて、終身吳國に進入せず、ゆえに延陵季子と號稱す。君子因りて彼の國を接受せざるを以て義と爲し、因りて彼の人を殺さざるを以て仁と爲す、此に因りて『春秋』季子を賢として彼を尊貴す。
延陵季子將西聘晉,帶寶劍以過徐君,徐君觀劍,不言而色慾之。延陵季子為有上國之使,未獻也,然其心許之矣,使於晉,顧反,則徐君死於楚,於是脫劍致之嗣君。從者止之曰:"此吳國之寶,非所以贈也。"延陵季子曰:"吾非贈之也,先日吾來,徐君觀吾劍,不言而其色慾之,吾為上國之使,未獻也。雖然,吾心許之矣。今死而不進,是欺心也。愛劍偽心,廉者不為也。"遂脫劍致之嗣君。嗣君曰:"先君無命,孤不敢受劍。"於是季子以劍帶徐君墓即去。徐人嘉而歌之曰:"延陵季子兮不忘故,脫千金之劍兮帶丘墓。"
延陵季子將に西行して晉を聘問せんとして、寶劍を帶びて徐君を經過す。徐君劍を看て、説話せずして神色欲しがる。延陵季子因りて上國の出使有るを以て、獻上せず、可是心裏已に許諾せり。晉に出使して、囘頭囘來して、徐君已に楚に於て死せり、於是劍を解下して嗣君に交給す。隨從制止して曰く、「此れ是れ吳國の寶、是れ以て贈送するに用うるにあらず」と。延陵季子曰く、「我是れ贈送するにあらず。前些日子我來るに、徐君我が劍を看て、説話せずして神色欲しがり、我因りて是れ上國の使者、獻上せず。然るにと雖も、我心裏已に許諾せり。如今死して卽ち進上せざれば、是れ心を欺騙す。劍を愛して心に於て作僞するは、廉潔の人爲さず」と。於是劍を解下して嗣君に交給す。嗣君曰く、「先君命令なし、孤敢えて劍を受けず」と。於是季子劍を以て徐君墓上に繫いで卽ち離去す。徐人讚美して歌唱す、「延陵季子や故舊を忘れず、千金の劍を解下してや丘墓に繫ぐ」と。
許悼公疾瘧,飲藥毒而死,太子止自責不嘗藥,不立其位。與其弟緯專哭泣,啜餰粥,嗌不容粒,痛己之不嘗藥,未逾年而死,故春秋義之。
許悼公瘧疾を患えて、藥を喝みて中毒して死す。太子止自ら責めて藥を嘗めざりしを、君位に即かず。其の弟弟緯と專心哭泣し、稀粥を喝みて、咽喉米粒を容下せず、自己藥を嘗めざりしを痛心して、一年を過ぎずして死す、ゆえに『春秋』彼を以て義と爲す。
衛宣公之子急也,壽也,朔也。急前母子也。壽與朔後母子也,壽之母與朔謀,欲殺太子急而立壽,使人與急乘舟於河中,將沈而殺之,壽知不能止也,因與之同舟,舟人不得殺急。方乘舟時,急傅母恐其死也,閔而作詩,二子乘舟之詩是也。其詩曰:"二子乘舟,泛泛其景,顧言思子,中心養養。"於是壽閔其兄之且見害,作憂思之詩,黍離之詩是也。其詩曰:"行邁靡靡,中心搖搖,知我者謂我心憂;不知我者,謂我何求?悠悠蒼天,此何人哉?"又使急之齊,將使,盜見載旌,要而殺之,壽止急,急曰:"棄父之節,非子道也,不可。"壽又與之偕行,壽之母不能止也,因戒之曰:"壽無為前也。"壽又為前,竊急旌以先行,幾及齊矣,盜見而殺之,急至,見壽之死,痛其代己死,涕泣悲哀,遂載其屍還,至境而自殺,兄弟俱死,故君子義此二人,而傷宣公之聽讒也。
衞宣公の兒子急・壽・朔有り。急是れ前母の兒子。壽と朔とは是れ後母の兒子。壽の母親朔と謀劃して、太子急を殺して壽を立てんと欲し、人を派して急をして河中に於て船に乘らしめ、將に船を沈めて彼を殺さんとす。壽能く制止せざるを知りて、於是彼と同船す、舟人能く急を殺さず。正に船に乘る時、急の傅母彼の死せんを怕れて、憫惜して詩を作る、『二子乘舟』此の詩卽ち是れ。其の詩曰く、「兩個の兒子船に乘りて、影子漂漂蕩蕩たり、頭を囘して兒子を思念して、心裏憂愁定まらず」と。於是壽其の兄將に害せられんとするを憫惜して、憂思の詩を作る、『黍離』此の詩卽ち是れ。其の詩曰く、「路を走ること遲遲たり、心裏搖搖たり、我を知るは我が心憂えると説き;我を知らざるは、我何を求めると説く?悠悠たる蒼天、此れ是れ何の人か?」と。又急を派して齊に到らしめ、將に盜をして所載の旌旗を見せて、路を攔りて殺掉せんとす。壽急を制止す、急曰く、「父親の節を拋棄するは、是れ子を爲るの道にあらず、不可」と。壽又彼と同行す。壽の母親能く制止せず、於是告誡して曰く、「壽前に走る勿れ」と。壽又前に走りて、急の旌旗を偷して先行し、幾乎として齊に到らんとす、盜見て彼を殺掉す。急到りて、壽死するを見て、彼の自己を代替して死するを痛心して、涕泣悲哀して、於是屍體を載せて囘來りて、邊境に到りて自殺す。兄弟皆死せり、ゆえに君子此の兩人を以て義と爲して、而して宣公の讒言を聽信したるを傷痛す。
魯宣公者,魯文公之子也,文公薨,文公之子赤立,為魯侯。宣公殺子赤而奪之國,立為魯侯。公子肸者,宣公之同母弟也,宣公殺子赤而肸非之,宣公與之祿,則曰:"我足矣!何以兄之食為哉?"織履而食,終身不食宣公之食,其仁恩厚矣,其守節固矣,故春秋美而貴之。
魯宣公是れ魯文公の兒子。文公去世して、文公の兒子赤立ちて魯侯を爲る。宣公子赤を殺して國を奪取して、立ちて魯侯を爲る。公子肸是れ宣公の同母弟、宣公子赤を殺して肸非議す、宣公彼に俸祿を給すれば、彼卽ち曰く、「我足れり!兄の食を要して何を爲さん?」と。鞋を織りて以て喫し、終身宣公の食を喫せず。其の仁恩厚く、其の節を守る堅固なり、ゆえに『春秋』讚美して彼を看重す。
晉獻公太子之至靈臺,蛇繞左輪,御曰:"太子下拜。吾聞國君之子蛇,繞左輪者速得國。"太子遂不行,返乎舍。御人見太子,太子曰:"吾聞為人子者,盡和順於君,不行私慾;恭嚴承命,不逆君安。今吾得國,是君失安也,見國之利而忘君安,非子道也;聞得國而拜其孽,非君欲也。廢子道,不孝;逆君欲,不忠。而使我行之,殆欲吾國之危明也。"拔劍將死。御止之曰:"夫禨祥妖孽天之道也;恭嚴承命,人之行也。拜祥戒孽,禮也;恭嚴承命,不以身恨君,孝也。今太子見福不拜,失禮;殺身恨君,失孝。從僻心,棄正行,非臣之所聞也。"太子曰:"不然,我得國,君之孽也。拜君之孽,不可謂禮。見禨祥而忘君之安,國之賊也,懷賊心以事國,不可謂孝。挾偽意以御天下,懷賊心以事君,邪之大者也,而使我行之,是欲國之危明也。"遂伏劍而死。君子曰:"晉太子徒御使之拜蛇,祥猶惡之,至於自殺者,為見疑於欲國也,己之不欲國以安君,亦以明矣。為一愚御過言之故,至於身死,廢子道,絕祭祀,不可謂孝,可謂遠嫌,一節之士也。"
晉獻公の太子靈台に到りて、蛇左邊の車輪を繞く。御者曰く、「太子車を下りて拜せよ。我聞く國君の兒子蛇左邊の車輪を繞く有るは、疾く國を得」と。太子於是前行せず、館舍に返回す。御者太子に進見す、太子曰く、「我聞く人子を爲るは、君に對して和順を盡くし、私欲を實行せず;恭敬嚴肅に命令を承受して、君の安に違逆せず。如今我國を得るは、是れ君安を失去す。國の利を見て君の安を忘記するは、是れ子を爲るの道にあらず;國を得るを聞きて其の妖孽を拜するは、是れ君の願望にあらず。子道を廢するは、不孝;君の願望に違逆するは、不忠。而して我をして實行せしむるは、大概是れ我が國危險ならんと欲するの明證なり」と。劍を拔きて將に死せんとす。御者制止して曰く、「禨祥妖孽是れ天の道;恭敬嚴肅に命令を承受するは是れ人の行爲。祥を拜し孽を警戒するは是れ禮;恭敬嚴肅に命令を承受して、自身を用いて君を怨恨せざるは、是れ孝。如今太子福を見て拜せざるは、禮を失う;身を殺して君を怨恨するは、孝を失う。偏僻の心に跟隨して、正直の行を拋棄するは、是れ臣の聽聞する所にあらず」と。太子曰く、「不對。我國を得るは、是れ君の孽。君の孽を拜するは、禮と叫ぶ可からず。禨祥を見て君の安を忘記するは、是れ國の賊、賊心を懷きて以て國を事奉するは、孝と叫ぶ可からず。僞意を挾持して以て天下を駕馭し、賊心を懷きて以て君を事奉するは、是れ邪の中の最大、而して我をして實行せしむるは、是れ國危險ならんと欲するの明證なり」と。於是劍に伏して死す。君子曰く、「晉太子の御者彼をして蛇を拜せしむ、祥尚お厭惡して、自殺するに至るは、是れ因りて國を欲すると懷疑せられたるなり。自己國を欲せずして以て君を安定するは、亦已に明白なり。因りて一個の愚御説話錯過するの緣故、身死するに至りて、子道を廢し、祭祀を絕つ、孝と叫ぶ可からず、嫌疑を遠離すると叫ぶ可し、是れ一節を守るの士なり」と。
申包胥者,楚人也。吳敗楚兵於柏舉,遂入郢,昭王出亡在隨,申包胥不受命而赴於秦乞師,曰:"吳為無道行,封豕長蛇,蠶食天下,從上國始於楚,寡君失社稷,越在草莽,使下臣告急曰:'吳,夷狄也。夷狄之求無厭,滅楚則西與君接境,若鄰於君,疆埸之患也,逮吳之未定,君其圖之,若得君之靈,存撫楚國,世以事君。’"秦伯使辭焉。曰:"寡君聞命矣,子其就館,將圖而告子。"對曰:"寡君越在草莽,未獲所休,下臣何敢即安。"倚於庭牆立哭,日夜不絕聲,水漿不入口,七日七夜。秦哀公為賦無衣之詩,言兵今出。包胥九頓首而坐,秦哀公曰:"楚有臣若此而亡,吾無臣若此,吾亡無日矣。"於是乃出師救楚。申包胥以秦師至楚,秦大夫子滿,子虎帥車五百乘,子滿曰:"吾未知吳道。"使楚人先與吳人戰而會之。大敗吳師,吳師既退,昭王復國,而賞始於包胥。包胥曰:"輔君安國,非為身也;救急除害,非為名也,功成而受賞,是賣勇也。君既定,又何求焉?"遂逃賞,終身不見。君子曰:"申子之不受命赴秦,忠矣,七日七夜不絕聲,厚矣,不受賞,不伐矣。然賞所以勸善也,辭賞,亦非常法。"
申包胥是れ楚人。吳柏擧に於て楚兵を打敗して、於是郢に進入し、昭王出亡して隨に在り。申包胥命令を接受せずして秦に奔赴して軍隊を乞求して、曰く、「吳無道の行爲を爲す、大豬長蛇のごとく、天下を蠶食して、上國より楚に於て開始す。寡君社稷を失去して、草莽に流落し、下臣を派して急を告げて曰く、『吳是れ夷狄。夷狄の求取滿足なく、楚を滅せば則ち西面君と境を接し、若し君と相鄰せば、是れ疆埸の患。吳未だ安定せざるに趁りて、君還りて謀劃せよ。若し君の威靈を得て、楚國を存撫せば、世世代代君を事奉せん』と」と。秦伯人を派して推辭す。曰く、「寡君命令を聽到せり、您館舍に到れ、將に謀劃して後您に告げん」と。答えて曰く、「寡君草莽に流落して、還りて未だ休息の地方を得ず、下臣何處にか敢えて安に就かんや」と。庭墻に靠りて立ちて哭きて、日夜聲音斷えず、水漿口に入れず、七天七夜。秦哀公彼のため『無衣』此の詩を賦して、曰く兵如今卽ち出づと。包胥九次頭を叩きて然る後坐下す。秦哀公曰く、「楚臣かくのごとき有りて卽ち亡ぶ、我臣かくのごときなく、我滅亡幾日なからん」と。於是師を出して楚を救う。申包胥秦師を帶びて楚に到りて、秦大夫子滿・子虎戰車五百乘を率領す。子滿曰く、「我還りて吳の戰法を知らず」と。楚人をして先に吳人と交戰して再び會合せしむ。大いに吳師を敗りて、吳師已に退く、昭王國を恢復して、賞賜包胥より開始す。包胥曰く、「君を輔助して國を安定するは、是れ自身のためならず;急を救い害を除くは、是れ名のためならず。功成りて賞を受くるは、是れ勇を出賣す。君已に安定せり、又何を求めんか?」と。於是賞賜を逃避して、終身出現せず。君子曰く、「申子命令を接受せずして秦に奔赴するは、是れ忠;七天七夜聲音斷えざるは、是れ厚;賞を接受せざるは、是れ自誇せざるなり。可是賞是れ以て還りて善を鼓勵するを用う、賞を推辭するは、亦常法にあらず」と。
齊崔杼者,齊之相也,弒莊公。止太史無書君弒及賊,太史不聽,遂書賊曰:"崔杼弒其君。"崔子殺之,其弟又嗣書之,崔子又殺之,死者二人,其弟又嗣復書之,乃舍之。南史氏是其族也,聞太史盡死,執簡以往,將復書之,聞既書矣,乃還。君子曰:"古之良史。"
齊崔杼是れ齊の相、莊公を弑殺す。太史を制止して君弑せらるおよび賊人を寫る勿れとす、太史聽かず、於是賊を寫りて曰く、「崔杼其の君を弑す」と。崔子彼を殺せり。其の弟弟又接着して寫る、崔子又殺して、死する兩人有り。其の弟弟又接着して再び寫る、纔かに放過す。南史氏是れ其の族人、太史皆死せりを聞きて、簡を持ちて前往して、將に再び寫らんとし、已に寫られりを聞きて、纔かに囘來る。君子曰く、「此れ是れ古代の良史なり」と。
齊攻魯,求岑鼎,魯公載他鼎往,齊侯不信而反之,以為非也,使人告魯君,柳下惠以為是,因請受之,魯君請於柳下惠,柳下惠對曰:"君子欲以為岑鼎也,以免國也,臣亦有國於此,破臣之國,以免君之國,此臣所難也。"魯君乃以真鼎往。柳下惠可謂守信矣,非獨存己之國也,又存魯君之國。信之於人,重矣,猶輿之輗軏也。故孔子曰:"大車無輗,小車無軏,其何以行之哉!"此之謂也。
齊魯を攻めて、岑鼎を求取す。魯公別の鼎を載せて前往す、齊侯信ぜずして退回して、以爲是ならずとし、人を派して魯君に告げて、柳下惠以爲是とす、於是接受を請求す。魯君柳下惠に向かいて請求す、柳下惠答えて曰く、「君子此を以て岑鼎と當てんと想う、以て國難を免れんと。臣此處に於て亦國有り、臣の國を破壞して、以て君の國を免れんは、是れ臣の難とする所なり」と。魯君於是眞鼎を以て前往す。柳下惠信を守ると稱する可し、不只自己の國を保存し、又魯君の國を保存す。信人に對して、重要なるかな、卽ち車子の轅銷のごとし。ゆえに孔子曰く、「大車轅銷なく、小車轅銷なければ、何を憑りて行走せんや!」と。是れ此を説くなり。
宋人有得玉者,獻諸司城子罕,子罕不受。獻玉者曰:"以示玉人,玉人以為寶,故敢獻之。"子罕曰:"我以不貪為寶,爾以為寶,若與我者,皆喪寶也,不若人有其寶。"故宋國之長者曰:"子罕非無寶也,所寶者異也。今以白金與摶黍以示兒子,兒子必取摶黍矣;以和氏之璧與百金以示鄙人,鄙人必取百金矣,以和氏之璧與道德之至言,以示賢者,賢者必取至言矣。其知彌精,其取彌精;其知彌觕,其取彌觕。子罕之所寶者至矣。"
宋人玉を得る有りて、司城子罕に獻ず、子罕接受せず。玉を獻ずる人曰く、「拿して玉人に看さば、玉人以爲寶とせり、ゆえに敢えて獻ず」と。子罕曰く、「我貪ならざるを以て寶と爲し、你玉を以て寶と爲す、若し我に給せば、皆寶を喪失す、各々人各々其の寶有るに如かず」と。ゆえに宋國の長者曰く、「子罕是れ寶なきにあらず、寶とする所同じからず。如今白金と摶成するの黍とを以て小孩に看さば、小孩一定摶黍を取らん;和氏璧と百金とを以て鄙人に看さば、鄙人一定百金を取らん;和氏璧と道德の至言とを以て賢者に看さば、賢者一定至言を取らん。其の知愈精なれば、其の取る所愈精なり;其の知愈粗なれば、其の取る所愈粗なり。子罕の寶とする所極點に到れり」と。
昔者,有饋魚於鄭相者,鄭相不受。或謂鄭相曰:"子嗜魚,何故不受?"對曰:"吾以嗜魚,故不受魚。受魚失祿,無以食魚;不受得祿,終身食魚。"
從前、人鄭相に魚を送る有り、鄭相接受せず。人鄭相に對して曰く、「您魚を嗜好す、何ぞ接受せざるか」と。答えて曰く、「我因りて魚を嗜好す、ゆえに魚を接受せず。魚を接受せば卽ち俸祿を失去して、以て魚を喫するに用うるなし;接受せずして俸祿を得て、終身魚を喫す」と。
原憲居魯,環堵之室,茨以生蒿,蓬戶甕牖,揉桑以為樞,上漏下溼,匡坐而絃歌。子髖聞之,乘肥馬,衣輕裘,中紺而表素,軒車不容巷,往見原憲。原憲冠桑葉冠,杖藜杖而應門,正冠則纓絕,衽襟則肘見,納履則踵決。子髖曰:"嘻,先生何病也?"原憲仰而應之曰:"憲聞之無財謂之貧,學而不能行謂之病。憲貧也,非病也。若夫希世而行,此周而交,學以為人,教以為己,仁義之慝,輿馬之飭,憲不忍為也。"子髖逡巡,面有愧色,不辭而去。原憲曳杖拖履,行歌商頌而反,聲滿天地,如出金石,天子不得而臣也,諸侯不得而友也。故養志者忘身,身且不愛,庸能累之。詩曰:"我心匪石,不可轉也;我心匪席,不可卷也。"此之謂也。
原憲魯に住し、環堵の屋子、生蒿を以て頂を蓋い、蓬を以て門を爲り瓮を以て窗を爲り、桑を揉みて門樞を爲り、上漏り下濕れど、端正に坐して弦歌す。子貢聞きて、肥馬に乘りて、輕裘を穿きて、裏面紺色外面素色、軒車巷に容下せず、原憲を見に往く。原憲桑葉冠を戴きて、藜杖を拄きて門に應じ、冠を正せば則ち帽纓斷え、衣襟を整えば則ち肘露出し、鞋を穿けば則ち脚跟裂開す。子貢曰く、「嘻、先生何の病か有らんか」と。原憲頭を擡げて應答す、「憲聞く財なきを貧と叫び、學して能く實行せざるを病と叫ぶと。憲是れ貧、是れ病にあらず。至りて世道に迎合して行い、黨を結びて交わり、學習爲りて人に看さんとし、教導爲りて自己のため、仁義の奸慝、車馬の修飾は、憲忍びて爲さず」と。子貢遲疑して後退して、臉上愧色有り、告辭せずして卽ち離去す。原憲杖を拖き鞋を拉きて、走りながら『商頌』を唱して返囘して、聲音天地に充滿して、金石より發出するがごとく、天子能く彼を臣服せず、諸侯能く彼と交友せず。ゆえに志を養う人自身を忘記し、自身尚お愛せず、何處にか能く彼を牽累せんや。『詩經』に曰く、「我が心是れ石頭にあらず、轉動す可からず;我が心是れ席子にあらず、卷起す可からず」と。是れ此を説くなり。
晏子之晉,見披裘負芻息於途者,以為君子也,使人問焉。曰:"曷為而至此?"對曰:"齊人累之。吾名越石甫。"晏子曰:"嘻。"遽解左驂以贖之,載而與歸,至舍,不辭而入,越石甫怒而請絕,晏子使人應之曰:"嬰未嘗得交也,今免子於患,吾於子猶未可邪?"越石甫曰:"吾聞君子詘乎不知己,而信乎知己者,吾是以請絕也。"晏子乃出見之曰:"向也見客之容,而今見客之意。嬰聞察實者不留聲,觀行者不幾辭,嬰可以辭而無棄乎?"越石甫曰:"夫子禮之,敢不敬從。"晏子遂以為上客。俗人之有功則德,德則驕。晏子有功,免人於危,而反詘下之,其去俗亦遠矣,此全功之道也。
晏子晉に到りて、裘を披きて芻草を背負いて路上に於て休息する人を見て、以爲君子とし、人を派して問う。曰く、「何を以て此處に到りたるか」と。答えて曰く、「齊人我を牽累せり。我名越石甫と叫ぶ」と。晏子曰く、「嘻」と。立刻左邊の驂馬を解下して以て彼を贖い、載せて一起に囘去る。館舍に到りて、告辭せずして卽ち進み入る、越石甫發怒して絕交を請求す。晏子人を派して應答す、「嬰曾て交を結ぶを得ず、如今您を患より免れしむ、我您に對して還りて可ならずや」と。越石甫曰く、「我聞く君子己を知らざる人其の處に於て屈を受け、己を知る人其の處に於て伸直す、我此に因りて絕交を請求す」と。晏子於是出でて彼を見て曰く、「剛才客人の容貌を見て、如今客人の心意を見る。嬰聞く實際を察看する聲音に停留せず、品行を觀察する言辭を在意せず、嬰告辭して拋棄せられざる可きか」と。越石甫曰く、「夫子禮を以て對待す、敢えて敬從せざらん」と。晏子於是彼を以て上客と當てる。俗人功有れば卽ち自ら以爲德有りとし、德有れば卽ち驕傲す。晏子功有りて、人を危より免れしめ、反つて屈下す、流俗を距離ること亦遠し、此れ是れ功を保全するの道理なり。
子列子窮容貌,有飢色。客有言於鄭子陽者曰:"子列子禦寇,蓋有道之士也,居君之國而窮,君乃為不好士乎?"子陽令官遺之粟數十秉,子列子出見使者,再拜而辭。使者去,子列子入,其妻望而拊心曰:"聞為有道者,妻子皆佚樂,今妻皆有飢色矣,君過而遺先生食,先生又辭,豈非命也哉!"子列子笑而謂之曰:"君非自知我者也,以人之言而知我,以人之言以遺我粟也,其罪我也,又將以人之言,此吾所以不受也。且受人之養,不死其難,不義也;死其難,是死無道之人,豈義哉!"其後,民果作難,殺子陽。子列子之見微除不義遠矣。且子列子內有飢寒之憂,猶不苟取,見得思義,見利思害,況其在富貴乎?故子列子通乎性命之情,可謂能守節矣。
子列子窮困して、容貌飢色有り。客人鄭子陽に對して曰く、「子列子御寇大概是れ道有るの士、君の國に住して卽ち窮す、君竟に是れ士を好まざるか」と。子陽官吏に命令して彼に粟幾十秉を送らしむ。子列子出でて使者を見て、再拜推辭す。使者離去して、子列子進み入りて、妻子望みて心を按じて曰く、「聞く道有る人を爲るは、妻子皆安逸快樂すと、如今妻子皆飢色有り、君過來して先生に食物を送るに、先生又推辭す、豈是れ命ならずや!」と。子列子笑いて彼女に對して曰く、「君是れ自己我を知る人にあらず、因りて別人の話纔かに我を知り、因りて別人の話纔かに我に粟を送る、彼我に罪を加えんは、又將に因りて別人の話、是れ我の接受せざる所以なり。況んや人の供養を接受して、其の難のため死せざるは、不義;其の難のため死するは、是れ無道の人のため死するなり、何處にか是れ義ならんや!」と。後來、民果然として作難して、子陽を殺せり。子列子微兆を見て不義を除去す、遠し。況んや子列子內飢寒の憂有りて、還りて苟取せず、得を見て義を想い、利を見て害を想う、況んや彼富貴に在らんをや?ゆえに子列子性命の實情に通達す、能く節を守ると稱する可し。
屈原者,名平,楚之同姓大夫。有博通之知,清潔之行,懷王用之。秦欲吞滅諸侯,幷兼天下。屈原為楚東使於齊,以結強黨。秦國患之,使張儀之楚,貨楚貴臣上官大夫靳尚之屬,上及令子闌,司馬子椒;內賂夫人鄭袖,共譖屈原。屈原遂放於外,乃作離騷。張儀因使楚絕齊,許謝地六百里,懷王信左右之奸謀,聽張儀之邪說,遂絕強齊之大輔。楚既絕齊,而秦欺以六里。懷王大怒,舉兵伐秦,大戰者數,秦兵大敗楚師,斬首數萬級。秦使人願以漢中地謝懷王,不聽,願得張儀而甘心焉。張儀曰:"以一儀而易漢中地,何愛儀!"請行,遂至楚,楚囚之。上官大夫之屬共言之王,王歸之。是時懷王悔不用屈原之策,以至於此,於是複用屈原。屈原使齊,還聞張儀已去,大為王言張儀之罪,懷王使人追之,不及。後秦嫁女於楚,與懷王歡,為藍田之會,屈原以為秦不可信,願勿會,群臣皆以為可會,懷王遂會,果見囚拘,客死於秦,為天下笑。懷王子頃襄王,亦知群臣諂誤懷王,不察其罪,反聽群讒之口,復放屈原。屈原疾闇王亂俗,汶汶嘿嘿,以是為非,以清為瘻,不忍見於世,將自投於淵,漁父止之。屈原曰:"世皆醉,我獨醒;世皆瘻,我獨清。吾獨聞之,新浴者必振衣,新沐者必彈冠。又惡能以其冷冷,更世事之嘿嘿者哉?吾寧投淵而死。"遂自投湘水汨羅之中而死。
屈原名を平と叫ぶ、是れ楚の同姓の大夫。博通の知有りて、淸潔の品行、懷王彼を任用す。秦諸侯を吞滅せんと想い、天下を兼倂す。屈原楚のため東齊に使いして、以て強黨を結交せんとす。秦國憂慮して、張儀を派して楚に到らしめ、楚の貴臣上官大夫靳尚一類を賄賂し、上令尹子蘭・司馬子椒に及び;內裏夫人鄭袖を賄賂して、共同に屈原を讒害す。屈原於是放逐せられて外に在り、卽ち『離騷』を作る。張儀於是楚をして齊と交を絕たしめて、謝罪して地六百里を給すと許諾す。懷王左右の奸謀を相信し、張儀の邪説を聽信して、於是強齊此の大輔助を斷絕す。楚已に齊と交を絕ちて、而して秦欺騙して只六里を給す。懷王大怒して、兵を起こして秦を伐ちて、大戰幾次、秦兵大いに楚師を敗りて、首を斬ること幾萬級。秦人を派して漢中地を以て懷王に道歉せんと願う、聽かず、張儀を得て纔かに甘心せんと願う。張儀曰く、「一個の張儀を以て漢中地を換う、儀を愛惜して何を爲さん!」と。前往を請求して、於是楚に到りて、楚彼を囚禁す。上官大夫一類共同に王に對して説く、王彼を放して囘去らしむ。此の時懷王後悔して屈原の策を用いざりしを、以致此に至れり、於是再び屈原を任用す。屈原齊に出使して、囘來りて張儀已に離去せりを聞きて、大力王に張儀の罪を講じて、懷王人を派して追えども、趕上せず。後來秦女兒を以て楚に嫁して、懷王と交好して、藍田の會を爲す。屈原以爲秦信ず可からずとし、會に往く勿れを願う、群臣皆以爲會す可し、懷王於是往きて會して、果然囚禁せられて、秦に於て客死して、天下に笑わる。懷王の兒子頃襄王も、亦群臣の諂以て懷王を誤導したるを知るも、彼らの罪を察せずして、反つて群讒の口を聽信して、再び屈原を放逐す。屈原暗主亂俗を痛恨し、昏昏嘿嘿として、是を以て非と爲し、淸を以て濁と爲し、世上に出現するを忍びず、將に自己淵に投进せんとす、漁父制止す。屈原曰く、「世人皆醉えども、我獨自醒めり;世人皆濁れども、我獨自淸し。我獨自聞く、新たに洗浴する人一定衣を抖い、新たに髮を洗う人一定帽を彈くと。又何を以て自己の淸泠を以て、世事の嘿嘿を更換せんや?我寧ろ淵に投げて死せん」と。於是自己湘水汨羅の中に投进して死す。
楚昭王有士曰石奢,其為人也,公正而好義,王使為理,於是廷有殺人者,石奢追之,則其父也,遂反於廷曰:"殺人者,僕之父也,以父成政,不孝,不行君法,不忠。弛罪廢法而伏其辜,僕之所守也。伏斧鑕命在君。"君曰:"追而不及。庸有罪乎?子其治事矣。"石奢曰:"不私其父,非孝也;不行君法,非忠也;以死罪生,非廉也。君赦之,上之惠也,臣不敢失法,下之行也。"遂不離鈇鑕。刎頭而死於廷中。君子聞之曰:"貞夫法哉!"孔子曰:"子為父隱,父為子隱,直在其中矣。"詩曰:"彼己之子,邦之司直。"石子之謂也。
楚昭王士石奢と叫ぶ有りて、其の爲人公正にして義を好み、王彼をして法官を爲らしむ。於是朝廷人を殺す有りて、石奢追趕すれば、卽ち是れ其の父親、於是朝廷に返回して曰く、「人を殺すは是れ僕の父親。父親を以て政を成就するは、不孝;君法を實行せざるは、不忠。罪を放きて法を廢棄して其の罪過を承擔するは、是れ僕の守る所。斧鑕に伏して、命君に在り」と。君曰く、「追趕して卽ち趕上せざれば、何處にか罪有らん?您還りて事を治理せよ」と。石奢曰く、「父親を偏私せざるは、是れ孝にあらず;君法を實行せざるは、是れ忠にあらず;死罪を以て生を換うは、是れ廉にあらず。君赦免するは、是れ上の恩惠;臣敢えて法を失わざるは、是れ下の品行なり」と。於是鍘刀砧板を離れずして、頸を刎ねて廷中に死す。君子聞きて後曰く、「法を守ること貞固なるかな!」と。孔子曰く、「兒子父親のため隱瞞し、父親兒子のため隱瞞す、直卽ち其の中に在り」と。『詩經』に曰く、「其の人や、是れ邦國の正直を主持する」と。是れ石子を説くなり。
晉文公反國,李離為大理,過殺不辜,自系曰:"臣之罪當死。"文公令之曰:"官有上下,罰有輕重,是下吏之罪也,非子之過也。"李離曰:"臣居官為長,不與下讓位;受祿為多,不與下分利。過聽殺無辜,委下畏死,非義也,臣之罪當死矣。"文公曰:"子必自以為有罪,則寡人亦有過矣。"李離曰:"君量能而授官,臣奉職而任事,臣受印綬之日,君命曰:'必以仁義輔政,寧過於生,無失於殺。’臣受命不稱,壅惠蔽恩,如臣之罪乃當死,君何過之有?且理有法,失生即生,失殺即死,君以臣為能聽微決疑,故任臣以理,今離刻深,不顧仁義,信文墨,不察是非,聽他辭,不精事實,掠服無罪,使百姓怨,天下聞之,必議吾君,諸侯聞之,必輕吾國。積怨於百姓,惡揚於天下,權輕於諸侯,如臣之罪,是當重死。"文公曰:"吾聞之也,直而不枉,不可與往;方而不圓,不可與長存,願子以此聽寡人也。"李離曰:"吾以所私害公法,殺無罪而生當死,二者非所以教於國也,離不敢受命。"文公曰:"子獨不聞管仲之為人臣邪?身辱而君肆,行汙而霸成。"李離曰:"臣無管仲之賢,而有辱汙之名,無霸王之功,而有射鉤之累。夫無能以臨官,借汙名以治人,君雖不忍加之於法,臣亦不敢汙官亂治以生,臣聞命矣。"遂伏劍而死。
晉文公國に返回して、李離大理を爲りて、誤つて無辜を殺し、自己捆綁して曰く、「臣の罪該に處死すべし」と。文公下令して曰く、「官上下有り、罰輕重有り、此れ是れ下吏の罪、是れ您の過失にあらず」と。李離曰く、「臣官に居りて長と爲りて、位子を下に讓らず;祿を受くること多くして、下と利を分かたず。誤聽して無辜を殺し、下に推して死を怕るるは、不義、臣の罪該に處死すべし」と。文公曰く、「您一定自ら以爲罪有りとせば、則ち寡人亦過有らん」と。李離曰く、「君才能を衡量して官を授け、臣職を奉じて事を任ず。臣印綬を接受するの日子、君命令せり、『一定仁義を以て政治を輔助し、寧ろ人を活かすに錯れ、人を殺すに錯る勿れ』と。臣命を受けて相稱せず、恩惠を壅塞す、臣のごとき罪纔かに處死すべし、君何の過か有らん?況んや法官を爲るに法有り、人を活かすに錯れば自己活かし、人を殺すに錯れば自己死す。君以爲臣能く微を聽き疑を決すとし、ゆえに法官を臣に任用せり。如今離刻薄深刻にして、仁義を顧みず、文墨を相信して、是非を察せず、別人の辭を聽きて、事實を精審せず、罪なき人を拷打して服せしめて、百姓をして怨ましむれば、天下聞きて一定吾君を議論し、諸侯聞きて一定我が國を看輕せん。怨を百姓に積み、惡を天下に宣揚し、權諸侯に看輕せらる、臣のごとき罪は、該に死を加重すべし」と。文公曰く、「我聞く、直にして彎曲せざるは、彼と前往す可からず;方にして圓ならざるは、彼と長存す可からず。願わくは您此に因りて寡人を聽け」と。李離曰く、「我所私を以て公法を害し、罪なきを殺して該に死すべきを活かす、此の兩樣是れ以て國を教うるに用うるにあらず、離敢えて命を受けず」と。文公曰く、「您豈聞かざらんや管仲の人臣を爲るを?自身辱を受けて君放縱し、行爲污穢して霸業成就せり」と。李離曰く、「臣管仲の賢なくして、卽ち污辱の名有り;霸王の功なくして、卽ち鉤を射るの牽累有り。能力なくして官に臨み、污名を借りて以て人を治む、君雖然忍びて之に於て法を加えざるとも、臣亦敢えて官を污し治を亂して以て活かず。臣命令を聽到せり」と。於是劍に伏して死す。
晉文公反,酌士大夫酒,召咎犯而將之,召艾陵而相之,授田百萬。介子推無爵齒而就位,觴三行,介子推奉觴而起曰:"有龍繅繅,將失其所,有蛇從之,周流天下,龍既入深淵,得其安所,蛇脂盡幹,獨不得甘雨,此何謂也?"文公曰:"嘻!是寡人之過也。吾為子爵,與待旦之朝也;吾為子田,與河東陽之間。"介子推曰:"推聞君子之道,謁而得位,道士不居也;爭而得財,廉士不受也。"文公曰:"使我得反國者,子也,吾將以成子之名。"介子推曰:"推聞君子之道,為人子而不能成其父者,則不敢當其後;為人臣而不見察於其君者,則不敢立於其朝,然推亦無索於天下矣。"遂去而之介山之上。文公使人求之不得,為之避寢三月,號呼期年。詩曰:"逝將去汝,適彼樂郊,誰之永號。"此之謂也。文公待之不肯出,求之不能得,以謂焚其山宜出,及焚其山,遂不出而焚死。
晉文公返回して、士大夫に酒を斟し、咎犯を召して將に彼を用いんとし、艾陵を召して將に彼を用いて相を爲らしめんとして、田百萬を授けんとす。介子推爵位年齒なくして位に就く。觴行三次して、介子推觴を捧げて起身して曰く、「龍盤旋する有りて、將に住所を失去せんとす、蛇跟隨する有りて、天下を周流す。龍已に深淵に進入して、安定の住所を得て、蛇の脂盡く皆枯竭して、獨自甘雨を得ず、此れ是れ何を説くか」と。文公曰く、「嘻!此れ是れ寡人の過失。我您に爵を給す、天亮くの朝と同じく待たん;我您に田を給す、河東陽の間に在らん」と。介子推曰く、「推聞く君子の道は、見るを求めて位子を得るは、道有るの士居らず;爭奪して財を得るは、廉潔の士接受せず」と。文公曰く、「我をして國に返回するを得しめたる是れ您、我將に您の名を成就せん」と。介子推曰く、「推聞く君子の道は、人子を爲りて能く父親を成就せざれば、則ち敢えて其の後を當てず;人臣を爲りて君に察識せられざれば、則ち敢えて其の朝に立たず。可是推天下に對して亦求索なし」と。於是離去して介山の上に到る。文公公人を派して彼を求めて得ず、此のため正寢を避けること三個月、號呼一年に滿つ。『詩經』に曰く、「將に你を離れて、其の樂郊に到らん、誰か還りて長號せん」と。是れ此を説くなり。文公彼を等待して肯んじて出でず、彼を求めて能く得ずして、以爲其の山を焚燒せば該に出で來らんとし、其の山を焚燒するに及びて、終に出でずして燒死せり。
申徒狄非其世,將自投於河,崔嘉聞而止之曰:"吾聞聖人仁士之於天地之間,民之父母也,今為濡足之故,不救溺人,可乎?"申徒狄曰:"不然。昔者,桀殺關龍逢,紂殺王子比干而亡天下;吳殺子胥,陳殺洩治而滅其國。故亡國殘家,非無聖智也,不用故也。"遂負石沈於河。君子聞之曰:"廉矣乎,如仁與智,吾未見也。"詩曰:"天實為之,謂之何哉?"此之謂也。
申徒狄其の世道を非議して、將に自己河に投げんとす。崔嘉聞きて制止して曰く、「我聞く聖人仁士天地の間に在るは、是れ民の父母、如今因りて脚を濕らすの緣故、水に溺るる人を救わざるは、可なりか」と。申徒狄曰く、「不對。從前、桀關龍逢を殺し、紂王子比干を殺して天下を丟失し;吳子胥を殺し、陳泄冶を殺して其の國を滅亡せり。ゆえに亡國殘家は、是れ聖智なきにあらず、是れ用いざるの緣故なり」と。於是石を負いで河の裏に沈む。君子聞きて後曰く、「廉潔なるかな、至りて仁と智とは、我未だ見ず」と。『詩經』に曰く、「天實に此を爲す、之を何と叫ばんや?」と。是れ此を説くなり。
齊大飢,黔敖為食於路,以待飢者而食之,有飢者蒙袂接履貿貿然來,黔敖左奉食,右執飲曰:"嗟!來食!"餓者揚其目而視之曰:"予唯不食嗟來之食,以至於此也。"從而謝焉,終不食而死。曾子聞之曰:"微與,其嗟也可去,其謝也可食。"
齊大饑して、黔敖路邊に於て食物を作して、以て飢者を等待して彼に喫せしむ。飢者袖を蒙えて鞋を拖きて、迷迷糊糊と走來る有り。黔敖左手食物を捧げて、右手飲を持ちて曰く、「嗟!來りて喫せ!」と。餓える人眼を擡げて彼を看て曰く、「我只因りて嗟來の食を喫せざるが、纔かに此の地步に到れり」と。隨後道歉して、終に喫せずして死す。曾子聞きて後曰く、「此のごとくせんを必ずとせず、其の嗟離去す可く、其の道歉喫す可し」と。
東方有士曰袁旌目,將有所適,而飢於道,孤父之盜丘人也見之,下壺餐以與之。袁旌目三餔而能視,仰而問焉。曰:"子誰也?"曰:"我孤父之盜丘人也。"袁旌目曰:"嘻!汝乃盜也,何為而食我?以吾不食也。"兩手●地而歐之,不出,喀喀然,遂伏地而死。縣名為勝母,曾子不入,邑號朝歌,墨子回車。故孔子席不正不坐,割不正不食,不飲盜泉之水,積正也。旌目不食而死,潔之至也。
東方士袁旌目と叫ぶ有りて、將に往く所有らんとして、路上に於て飢餓す。孤父の盜丘と叫ぶ人彼を見て、壺餐を放下して彼に給す。袁旌目三口を喫して纔かに見る能くして、頭を擡げて問う、「您是れ誰か」と。曰く、「我是れ孤父の盜丘」と。袁旌目曰く、「嘻!你竟に是れ盜、何を以て我に喫せしむるか?因りて我喫せず」と。兩手地を按じて嘔吐す(底本此の字殘缺)、吐き出す能わず、喀喀として、於是地に伏して死す。縣名を勝母と叫ぶは、曾子進入せず;邑號を朝歌と叫ぶは、墨子車子を掉轉す。ゆえに孔子席端正ならざれば坐せず、割端正ならざれば喫せず、盜泉の水を喝まず、是れ端正を積聚す。旌目喫せずして死するは、是れ潔の極致なり。
鮑焦衣弊膚見,挈畚將蔬,遇子貢將於道。子貢曰:"吾子何以至此也?"焦曰:"天下之遺德教者眾矣!吾何以不至於此也。吾聞之,世不己知,而行之不己者,是爽行也;上不己知,而幹之不止者,是毀廉也。行爽廉毀,然且不捨,惑於利者也。"子貢曰:"吾聞之,非其世者不生其利,汙其君者,不履其土。今吾子汙其君而履其土,非其而將其蔬,此諸之有哉?"鮑焦曰:"嗚呼!吾聞賢者重進而輕退,廉者易醜而輕死。"乃棄其蔬而立,槁死於洛水之上。君子聞之曰:"廉夫剛哉!夫山銳則不高,水狹而不深,行特者其德不厚,志與天地疑者,其為人不祥。鮑子可謂不祥矣,其節度深淺,適至而止矣。"詩曰:"已焉哉!天實為之,謂之何哉?"。
鮑焦衣服破れ皮膚露出して、畚を提げて將に蔬を採りに往かんとして、路上子貢に遇見す。子貢曰く、「您何を以て此の地步に到りたるか」と。鮑焦曰く、「天下德教を遺棄する人多し!我何を以て此の地步に到らざらん。我聞く、世道自己を知らずして、而行爲停止せざるは、是れ品行に違背す;上に在りて自己を知らずして、而して進を求めて停止せざるは、是れ廉潔を毀壞す。品行違背し廉潔毀壞して、卽ち還りて舍棄せざるは、是れ利に迷惑せらるる人なり」と。子貢曰く、「我聞く、其の世道を非議するは之を靠りて利を生ぜず、其の君を污穢するは其の土を踏まずと。如今您君を污穢して卽ち其の土を踏み、世道を非議して卽ち蔬を採りに往く、此の道理何處にか有らんか」と。鮑焦曰く、「嗚呼!我聞く賢者進用を看重して退を看輕し、廉潔の人羞恥を容易しとして死を看輕すと」。於是蔬菜を拋棄して立ちて、洛水の上に於て枯死す。君子聞きて後曰く、「廉潔剛強なるかな!山尖鋭なれば卽ち高からず、水狹窄なれば卽ち深からず、行爲獨特の人德厚からず、志向天地と相比擬するは、其の爲人祥ならず。鮑子不祥と稱する可し、其の節度深淺は、適可到れば卽ち停止す」と。『詩經』に曰く、「罷了なるかな!天實に此を爲す、之を何と叫ばんや?」と。
公孫杵臼,程嬰者,晉大夫趙朔客也。晉趙穿弒靈公,趙盾時為貴大夫,亡不出境,還不討賊,故春秋責之,以盾為弒君。屠岸賈者,幸於靈公,晉景公時,賈為司寇,欲討靈公之賊,盾已死,欲誅盾之子趙朔,遍告諸將曰:"盾雖不知,猶為賊首,賊乃弒君,子孫在朝,何以懲罰?請誅之。"韓厥曰:"靈公遇賊,趙盾在外,吾先君以為無罪,故不誅。今請君將妄誅,妄誅謂之亂臣,有大事君不聞,是無君也。"屠岸賈不聽,韓厥告趙朔趣亡,趙朔不肯。曰:"子必不絕趙祀,予死不恨。"韓厥許諾,稱疾不出。賈不請而擅與諸將攻趙氏於下宮,殺趙朔,趙同,趙括,趙嬰齊,皆滅其族。趙朔妻成公姊,有遺腹,走公宮匿。公孫杵臼謂程嬰曰:"胡不死。"嬰曰:"朔之妻有遺腹,若幸而男,吾奉之,即女也,吾徐死耳。"無何而朔妻免生男。屠岸賈聞之,索於宮,朔妻置兒□中,祝曰:"趙宗滅乎,若號;即不滅乎,若無聲。"及索,兒竟無聲。已脫,程嬰謂杵臼曰:"今一索不得,後必且復之,奈何?"杵臼曰:"立孤與死,庸難?"嬰曰:"立孤亦難耳!"杵臼曰:"趙氏先君遇子厚,子強為其難者,吾為其易者,吾請先死。"而二人謀取他嬰兒,負以文褓匿山中。嬰謂諸將曰:"嬰不肖,不能立孤,誰能予吾千金,吾告趙氏孤處。"諸將皆喜,許之,發師隨嬰攻杵臼。杵臼曰:"小人哉程嬰!下宮之難不能死,與我謀匿趙氏孤兒,今又賣之。縱不能立孤兒,忍賣之乎?"抱而呼天曰:"趙氏孤兒何罪?請活之,獨殺杵臼也。"諸將不許,遂幷殺杵臼與兒。
公孫杵臼・程嬰是れ晉大夫趙朔の門客。晉趙穿靈公を弑殺して、趙盾當時是れ貴大夫、出亡して國境を出でず、囘來りて賊を討たず、ゆえに『春秋』責備して、盾を以て君を弑すると爲す。屠岸賈靈公に幸せられて、晉景公の時、賈司寇を爲りて、靈公の賊を討伐せんと欲す。盾已に死せり、盾の兒子趙朔を誅殺せんと欲し、遍く各位の將領に告げて曰く、「盾雖然知らざれども、還りて是れ賊首、賊竟に君を弑して、子孫朝に在り、何を以て懲罰せん?請う誅殺せん」と。韓厥曰く、「靈公賊に遇上して、趙盾外に在り、我らの先君以爲罪なしとせり、ゆえに誅せず。如今各位の將領將に妄誅せんとす、妄誅亂臣と叫ぶ。大事有りて君聽聞せざるは、是れ君なきなり」と。屠岸賈聽かず。韓厥趙朔に告げて趕快逃亡せよと、趙朔肯んぜず。曰く、「您一定趙の祭祀をして斷絕せしめざらば、我死する恨なし」と。韓厥許諾して、病と稱して出でず。賈請示せずして擅自各位の將領と下宮に於て趙氏を攻めて、趙朔・趙同・趙括・趙嬰齊を殺し、皆其の族を滅せり。趙朔の妻是れ成公の姐姐、遺腹有りて、公宮に逃げて藏匿す。公孫杵臼程嬰に對して曰く、「何ぞ死せざるか」と。程嬰曰く、「朔の妻遺腹有り、若し幸にして男なれば、我彼を奉養せん;若し是れ女なれば、我慢慢死せん」と。多久を過ぎずして朔の妻分娩して男孩を生む。屠岸賈聞きて、宮中に於て搜索す。朔の妻孩子を以て褲中に放し(底本此の字殘缺)、祝禱して曰く、「趙宗滅亡するか、你就に哭け;若し滅亡せざれば、你就に聲音無かれ」と。搜索するに及びて、孩子竟に聲音なし。已に身を脫して、程嬰杵臼に對して曰く、「如今一次搜索得ざれば、以後一定再び來らん、如何せん」と。杵臼曰く、「孤を立つると死と、哪個難きか」と。程嬰曰く、「孤を立つるは亦難き哉!」と。杵臼曰く、「趙氏先君您に待すること厚し、您勉强其の難きを爲れ、我其の容易きを爲らん、我請う先に死せん」と。兩人謀劃して別人の嬰兒を取りて、文褓を以て背負いて山中に藏す。程嬰各位の將領に對して曰く、「嬰不肖にして、能く孤を立てず、誰か能く我に千金を給せば、我趙氏孤兒の住處を告げん」と。各位の將領皆喜悅して、答應して、兵を發して程嬰に跟隨して杵臼を攻む。杵臼曰く、「小人なるかな程嬰!下宮の災難能く死せずして、我と趙氏孤兒を藏匿すると謀劃して、如今又出賣す。縱然能く孤兒を立てずとも、忍びて出賣するか?」と。抱きて天を呼叫して曰く、「趙氏孤兒何の罪か有らん?請う彼をして活かしめ、只杵臼を殺せ」と。各位の將領許さずして、於是幷せて杵臼と孩子とを殺せり。
諸將以為趙氏孤兒已死,皆喜。然趙氏真孤兒乃在,程嬰卒與俱匿山中,居十五年。晉景公病,卜之,大業之胄者為祟,景公問韓厥,韓厥知趙孤存,乃曰:"大業之後,在晉絕祀者,其趙氏乎?夫自中行衍皆嬴姓也。中行衍人面鳥嶵,降佐帝大戊及周天子,皆有明德,下及幽厲無道,而叔帶去周適晉,事先君繆侯,至於成公,世有立功,未嘗絕祀。今及吾君,獨滅之趙宗,國人哀之,故見龜筴出現,唯君圖之。"景公問趙尚有後子孫乎?韓厥具以實告。景公乃以韓厥謀立趙氏孤兒,召匿之宮中。諸將入問病,景公因韓厥之眾以脅諸將,而見趙氏孤兒,孤兒名武,諸將不得已乃曰:"昔下宮之難,屠岸賈為之,繅以君命,幷命群臣。非然,庸敢作難?微君之病,群臣固將請立趙後,今君有命,群臣願之。"於是乃召趙武,程嬰遍拜諸將,遂俱與程嬰趙氏攻屠岸賈,滅其族。復興趙氏田邑如故。趙武冠為成人,程嬰乃辭大夫,謂趙武曰:"昔下宮之難皆能死,我非不能死,思立趙氏後,今子既立為成人,趙宗復故,我將下報趙孟與公孫杵臼。"趙武號泣,固請曰:"武願苦筋骨以報子至死,而子忍棄我而死乎?"程嬰曰:"不可,彼以我為能成事故,皆先我死,今我不下報之,是以我事為不成也。"遂以殺。趙武服哀三年,為祭邑,春秋祠之,世不絕。君子曰:"程嬰公孫杵臼,可謂信交厚士矣。嬰之自殺下報亦過矣。"
各位の將領以爲趙氏孤兒已に死せりとし、皆喜悅す。可是趙氏眞正の孤兒還りて在り、程嬰終に彼と一起に山中に藏れて、住すこと十五年。晉景公病して、卜を問えば、大業の後裔作祟す。景公韓厥に問う、韓厥趙孤還りて在るを知りて、卽ち曰く、「大業の後代、晉に於て祭祀を斷絕するは、大概是れ趙氏なるか?中衍より皆嬴姓。中衍人臉鳥嘴にして、降りて帝大戊および周天子を輔佐して、皆明德有り、下幽・厲無道に至りて、而して叔帶周を離れて晉に至り、先君繆侯を事奉して、成公に到るまで、世代功を立つ有りて、曾て祭祀を斷絕せず。如今吾君に至りて、獨自趙宗を滅掉し、國人哀痛す、ゆえに龜策より顯現す、只請う君謀劃せん」と。景公問う趙還りて後嗣子孫有るか?韓厥全部實を據りて稟告す。景公於是韓厥と謀劃して趙氏孤兒を立てて、召來して宮中に藏す。各位の將領進み入りて病を問えば、景公韓厥の部衆を靠りて以て各位の將領を脅迫して、而して趙氏孤兒に接見す。孤兒名を武と叫ぶ。各位の將領已に已むを得ずして卽ち曰く、「從前下宮の災難は、是れ屠岸賈の爲す所、君命を假託して、幷せて群臣に命令せり。此のごとくにあらざれば、何處にか敢えて難を作さんや?君の病なくば、群臣本來將に趙の後を立てんを請求せんとす、如今君命有れば、群臣願意なり」と。於是趙武・程嬰を召して遍く各位の將領を拜さしめ、卽ち一起に程嬰・趙氏と屠岸賈を攻めて、其の族を滅せり。重新趙氏の田邑を恢復して從前のごとくす。趙武冠を加えて成人と爲りて、程嬰纔かに大夫に辭別して、趙武に對して曰く、「從前下宮の災難皆能く死す、我是れ能く死せざるにあらず、趙氏の後を立てんと想えり。如今您已に立ちて成人と爲り、趙宗原狀を恢復す、我將に下去りて趙孟と公孫杵臼とに報答せん」と。趙武號哭して、堅決に請求して曰く、「武願わくは筋骨を勞苦して以て您に報答するに死まで、而して您忍びて我を拋棄して死せんか?」と。程嬰曰く、「不可。彼ら以爲我能く事を成就すとし、ゆえに皆我より先に死せり。如今我死せずして下去りて報答せざれば、是れ以爲我が事未だ成就せずとするなり」と。於是自殺す。趙武喪を服すること三年、祭邑を設置して、春秋祭祀して、世代斷絕せず。君子曰く、「程嬰・公孫杵臼は、誠信交誼・厚道の士と稱する可し。程嬰自殺して下去りて報答するは亦過分なり」と。
吳有士曰張胥鄙,譚夫吾,前交而後絕。張胥鄙有罪,拘將死。譚夫吾合徒而取之,出至於道,而後乃知其夫吾也。輟行而辭曰:"義不同於子,故前交而後絕。吾聞之君子不以安肆志,不為危易行,今吾從子,是安則肆志,危則易行也。與吾因子而生,不若反拘而死。"闔閭聞之,令吏釋之。張胥鄙曰:"吾義不同於譚夫吾,故不受其任矣,今吏以是出我,以譚夫吾故免也,吾庸遽受之乎?"遂觸牆而死。譚夫吾聞之曰:"我任而不受,佞也;不知而出之,愚也。佞不可以接士,愚不可以事君,吾行虛矣。人惡以吾力生,吾亦恥以此立於世。"乃絕頸而死。君子曰:"譚夫吾其以失士矣,張胥鄙亦為未得也,可謂剛勇矣,未可謂得節也。"
吳士張胥鄙・譚夫吾と叫ぶ有りて、先前交を結びて後來絕交す。張胥鄙罪有りて、拘せられて將に死せんとす。譚夫吾徒衆を會合して來りて彼を奪取して、出でて路上に到りて、然る後纔かに是れ夫吾なるを知る。脚步を停下して推辭して曰く、「義您と同じくせず、ゆえに先前交を結びて後來絕交せり。我聞く君子因りて安して志向を放縱せず、因りて危して品行を改變せずと。如今我您に跟隨するは、是れ安なれば卽ち志向を放縱し、危なれば則ち品行を改變す。其れ我您を靠りて生くるより、返回して拘せられて死するに如かず」と。闔閭聞きて、吏に命令して釋放せしむ。張胥鄙曰く、「我が義譚夫吾と同じくせず、ゆえに其の擔當を接受せず。如今吏此に因りて我を放出するは、是れ因りて譚夫吾の緣故免れたるなり、我何處にか能く接受せんや?」と。於是墻に碰つて死す。譚夫吾聞きて後曰く、「我擔當して卽ち接受せられざるは、是れ佞;知らずして彼を放出するは、是れ愚。佞以て士を交接す可からず、愚以て君を事奉す可からず、我が行爲落空せり。別人我が力を靠りて活くるを厭惡す、我亦此を憑りて世上に立つを恥とす」と。於是頸を割きて死す。君子曰く、「譚夫吾大概此に因りて士を失えり、張胥鄙亦算して得ず、剛勇と稱する可し、節を得ると稱する可からず」と。
