Libo

新序 · 第2巻

西汉 · 刘向 · 第2巻 / 6

晉文公出田逐獸,碭入大澤,迷不知所出,其中有漁者,文公謂曰:"我若君也,道安從出,我且厚賜若。"漁者曰:"臣願有獻。"公曰:"出澤而受之。"於是遂出澤。公令曰:"子之所欲以教寡人者,何等也?願受之。"漁者曰:"檻鵠保河海之中,厭而欲移徙之小澤,則必有丸繒之憂,黿鼉保深淵,厭而出之淺渚,則必有羅網釣射之憂。今君逐獸,碭入至此。何行之太遠也?"文公曰:"善哉!"謂從者記漁者名。漁者曰:"君何以名,為君尊天事地,敬社稷,固四國,慈愛萬民,薄賦歛,輕租稅者,臣亦與焉。君不敬社稷,不固四國,外失禮於諸侯,內逆民心,一國流亡,漁者雖得厚賜,不能保也。"遂辭不受。曰:"君前歸國;臣亦反吾漁所。"

晉文公出去りて獵を打ちて野獸を追逐し、大澤に跌入りて、迷失して何處より出去るを知らず。裏面一個の漁者有り、文公彼に對して曰く、「我是れ國君、路何處より出去るか、我將に汝を厚く賞賜せん」と。漁者曰く、「臣願わくは進獻する所有らん」と。文公曰く、「澤を出でて再び接受せん」と。於是卽ち澤を出づ。文公下令して曰く、「您以て寡人を教導せんと欲するは、是れ何か?願わくは接受せん」と。漁者曰く、「鴻鵠河海の中に保存して、厭きて小澤に遷徙せんと想えば、一定彈丸繒繳の憂患有り;黿鼉深淵に保存して、厭きて出でて淺渚に至れば、一定羅網釣射の憂患有り。如今君野獸を追逐して、此處に跌入る。何ぞ走ること太だ遠きか」と。文公曰く、「好き哉!」と。隨從に對して漁者の名字を記下せしむ。漁者曰く、「君何必名を記さん?若し君天を尊し地に事え、社稷を敬し、四方鄰國を鞏固し、萬民を慈愛し、賦斂を減輕し、租稅を減輕せば、臣亦其の中に在りて受益せん。君社稷を敬せず、四方鄰國を鞏固せず、外に對して諸侯に失禮し、內に對して民心に違逆せば、一國流亡して、漁者たとい厚賜を得るとも、亦保全する能わず」と。於是推辭して接受せず。曰く、「君先ず囘國せよ;臣亦我が魚を打つ處に返回せん」と。

晉文公逐麋而失之,問農夫老古曰:"吾麋何在?"老古以足指曰:"如是往。"公曰:"寡人問子,子以足指,何也?"老古振衣而起曰:"一不意人君如此也,虎豹之居也,厭閒而近人,故得;魚鱉之居也,厭深而之淺,故得;諸侯之居也,厭眾而遠遊,故亡其國。詩云:'維鵲有巢,維鳩居之。’君放不歸,人將君之。"於是文公恐,歸遇欒武子。欒武子曰:"獵得獸乎?而有悅色!"文公曰:"寡人逐麋而失之,得善言,故有悅色。"欒武子曰:"其人安在乎?"曰:"吾未與來也。"欒武子曰:"居上位而不恤其下,驕也;緩令急誅,暴也;取人之善言而棄其身,盜也。"文公曰:"善。"還載老古,與俱歸。

晉文公麋鹿を追逐して卽ち丟失し、農夫老古に問う、「我が麋鹿何處に在るか」と。老古脚を以て指して曰く、「此邊に往き去れ」と。文公曰く、「寡人您を問うに、您脚を以て指す、何ぞや」と。老古衣を抖い起身して曰く、「竟に人君是れかくのごときを想到せず。虎豹居住して、閑靜に厭きて人に靠近す、ゆえに捉到せらる;魚鼈居住して、深處に厭きて淺處に到れば、ゆえに捉到せらる;諸侯居住して、衆人に厭きて遠游すれば、ゆえに其の國を丟失す。『詩經』に曰く、『喜鵲巢有り、鳩鳥來りて住む』と。君放縱して歸らざれば、別人將に您の君を爲らん」と。於是文公恐懼し、囘去りて欒武子に遇見す。欒武子曰く、「獵を打ちて野獸を得たるか?卽ち喜悅の神色有り!」と。文公曰く、「寡人麋鹿を追逐して丟失し、善言を得、ゆえに喜悅の神色有り」と。欒武子曰く、「其の人何處に在るか」と。曰く、「我彼と一起来らず」と。欒武子曰く、「上位に處りて卽ち下面の人を體恤せざるは、是れ驕;命令遲緩にして誅罰急迫なるは、是れ暴;人の善言を取りて其の人本身を拋棄するは、是れ盜なり」と。文公曰く、「好し」と。囘去りて老古を載上して、彼と一起に囘來す。

扁鵲見齊桓侯,立有間,扁鵲曰:"君有疾在腠理,不治,將恐深。"桓侯曰:"寡人無疾。"扁鵲出,桓侯曰:"醫之好利也,欲治不疾以為功。"居十日,扁鵲復見曰:"君之疾在肌膚,不治將深。"桓侯不應。扁鵲出,桓侯不悅。居十日,扁鵲復見曰:"君之疾在腸胃,不治將深。"桓侯不應。扁鵲出,桓侯不悅。居十日,扁鵲復見,望桓侯而還走。桓侯使人問之,扁鵲曰:"疾在腠理,湯熨之所及也;在肌膚,針石之所及也;在胃腸,大劑之所及也;在骨髓,司命之所無奈何也;今在骨髓,臣是以無請也。"居五日,桓侯體痛,使人索扁鵲,扁鵲已逃之秦國。桓侯遂死,故良醫之治疾也,攻之於腠理。此事皆治之於小者也。夫事之禍福,亦有腠理之地。故聖人蚤從事矣。

扁鵲齊桓侯に進見し、一會兒立ちて、扁鵲曰く、「君病腠理に在り、治せざれば、恐らく將に加深せん」と。桓侯曰く、「寡人病なし」と。扁鵲出去りて、桓侯曰く、「醫生利を貪り、病なき人を治して以て功勞を當てんと欲す」と。十天を過ぎて、扁鵲再び進見して曰く、「君の病肌膚に在り、治せざれば將に加深せん」と。桓侯應えず。扁鵲出去りて、桓侯高興せず。十天を過ぎて、扁鵲再び進見して曰く、「君の病腸胃に在り、治せざれば將に加深せん」と。桓侯應えず。扁鵲出去りて、桓侯高興せず。十天を過ぎて、扁鵲再び進見して、桓侯を望見すれば卽ち轉身して跑す。桓侯人を派して彼を問わしむ、扁鵲曰く、「病腠理に在れば、湯熨到達する能し;肌膚に在れば、針石到達する能し;胃腸に在れば、大劑藥到達する能し;骨髓に在れば、司命亦何とも奈何することなし;如今骨髓に在れば、臣因りて再び請求せず」と。五天を過ぎて、桓侯身體疼痛して、人を派して扁鵲を找る、扁鵲已に秦國に逃到せり。桓侯於是死す。ゆえに良醫病を治するに、腠理に於て卽ち攻治す。此れらの事皆小き時に於て治理するを在り。事情の禍福は、亦腠理のごとき階段有り。ゆえに聖人早早として事に從う。

莊辛諫楚襄王曰:"君王左州侯,右夏侯,從新安君與壽陵君同軒,淫衍侈靡而忘國政,郢其危矣。"王曰:"先生老●歟?妄為楚國妖歟?"莊辛對曰:"臣非敢為楚妖,誠見之也。君王卒近此四子者,則楚必亡矣!辛請留於趙以觀之。"於是不出十月,王果亡巫山江漢鄢郢之地。於是王乃使召莊辛至於趙。辛至,王曰:"嘻!先生來邪!寡人以不用先生言至於此,為之奈何?"莊辛曰:"君用辛言則可,不用辛言又將甚乎!此庶人有稱曰:'亡羊而固牢未為遲,見兔而呼狗未為晚。’湯武以百里王,桀紂以天下亡,今楚雖小,絕長繼短,以千里數,豈特百里哉!且君王獨不見夫青蛉乎?六足四翼,蜚翔乎天地之間,求蚊虻而食之,時甘露而飲之,自以為無患,與民無爭也。不知五尺之童子,膠絲竿,加之乎四仞之上,而下為蟲蛾食已。"

莊辛楚襄王に進諫して曰く、「君王左邊是れ州侯、右邊是れ夏侯、新安君と壽陵君とに跟隨して同じく一輛の軒車に坐し、淫衍侈靡にして國政を忘記す、郢都危險なり」と。王曰く、「先生老糊涂せるか(底本此の字殘缺、文意是れ昏悖)?還りて妄りに楚國の妖言を作すか」と。莊辛答えて曰く、「臣敢えて楚國の妖を作さず、確かに見到れり。君王終に此の四個人を親近せば、楚必ず滅亡せん!辛請う趙に留在して以て觀察せん」と。於是十個月を出でずして、王果然として巫山・江漢・鄢郢の土地を丟失す。於是王纔かに人を派して趙に至りて莊辛を召す。莊辛到りて、王曰く、「嘻!先生來れたるか!寡人因りて先生の話を用いずして此の地步に到れり、如何せん」と。莊辛曰く、「君辛の話を用いれば還りて可なり、辛の話を用いざれば又將に更に厲害ならん!是れ庶人一句話有りて曰く、『羊丟失して再び牢圈を加固して還りて晚からず、兔子を見て再び狗を呼ぶに還りて遲からず』と。湯・武百里を憑りて王と稱し、桀・紂天下を憑りて滅亡す、如今楚小なりと雖も、長を截り短を補いて、千里を以て計算せば、何處にか只百里のみならんや!況んや君王豈彼の蜻蜓を見ざらんや?六隻の脚四隻の翅膀、天地の間を飛翔し、蚊虻を找りて以て喫し、時に按じて甘露を喝み、自ら以爲禍患なく、人と爭奪なし。五尺童子、膠絲竿を用いて、四仞の上に加え、下りて來れば卽ち蟲蛾に喫掉せらるるを知らず」と。

青蛉猶其小者也,夫爵俛啄白粒,仰棲茂樹,鼓其翼,奮其身,自以為無患,與民無爭也。不知公子王孫,左把彈,右攝丸,定操持,審參連,故晝遊乎茂樹,夕和乎酸鹹。爵猶其小者也,檻鵠嬉遊乎江漢,息留乎大沼,俛啄鰋鯉,仰奮陵衡,修其六翮,而陵清風,麃搖高翔,一舉千里,自以為無患,與民無爭也。不知弋者選其弓弩,修其防翳,加繒繳其頸,投乎百仞之上,引纖繳,揚微波,折清風而殞,故朝遊乎江河,而暮調乎鼎俎,檻鵠猶其小者也,蔡侯之事故是也。蔡侯南遊乎高陵,北經乎巫山,逐麋□●鹿,彉溪子隨,時鳥嬉遊乎高蔡之囿,溢滿無涯,不以國家為事,不知子發受令宣王,厄以淮水,填以巫山,庚子之朝,纓以朱絲,臣而奏之乎宣王也。蔡侯之事猶其小者也,今君王之事,遂以左州侯,右夏侯,從新安君與壽陵君,淫衍侈靡,康樂遊娛,馳騁乎雲夢之中,不以天下與國家為事,不知穰侯方與奏王謀,窴之以黽厄之內,而投之乎黽塞之外。"襄王大懼,形體掉栗曰:"謹受令。"乃封莊辛為成陵君,而用計焉。與舉淮北之地十二諸侯。

蜻蜓還りて是れ小なり。其の麻雀頭を低くして白米を啄み、頭を仰ぎて茂樹に棲し、翅膀を鼓し、身子を奮起して、自ら以爲禍患なく、人と爭奪なし。公子王孫、左手彈弓を持ち、右手彈丸を裝め、穩を拿して、審定連續發射して、ゆえに白天茂樹に於て游玩し、晚上卽ち酸鹹に調和せらるるを知らず。麻雀還りて是れ小なり。鴻鵠江漢に於て嬉游し、大沼に於て停息し、頭を低くして鯰鯉を啄み、頭を仰ぎて陵衡を奮起し、六根の健羽を修整し、淸風に乘り、飄搖高翔し、一擧千里、自ら以爲禍患なく、人と爭奪なし。鳥を射る人好き弓弩を選び、隱蔽を修整し、繒繳を其の頸上に加え、百仞の上より投下して、細繳を牽引し、微波を揚げ、淸風を截斷して墜落す、ゆえに早晨江河に於て游び、傍晚卽ち鼎俎に調和せらるるを知らず。鴻鵠還りて是れ小なり、蔡侯の事卽ちかくのごとし。蔡侯南高陵に游び、北巫山を經て、麋鹿を追逐し(底本此の字殘缺)、溪子弩を張開して跟隨し、時時高蔡の苑囿に於て嬉游し、滿溢して邊際なく、國家を事と爲さず、子發宣王の命令を接受して、淮水を以て彼を困住し、巫山を以て填塞し、庚子其の日の早晨、朱絲を以て繫住して、以て臣子と爲りて宣王に進獻せらるるを知らず。蔡侯の事還りて是れ小なり、如今君王の事、於是左邊州侯、右邊夏侯、新安君と壽陵君とに跟隨して、淫衍侈靡し、康樂游娛し、雲夢の中に於て馳騁し、天下と國家とを事と爲さず、穰侯正に秦王と謀劃して、您を黽厄の內に填めて、黽塞の外に投ぜんとするを知らず」と。襄王大懼して、身體發抖して曰く、「謹みて教令を受く」と。於是莊辛を封じて成陵君と爲し、其の計謀を採用す。一起に淮北の地十二個の諸侯を收取す。

魏文侯出遊,見路人反裘而負芻。文侯曰:"胡為反裘而負芻。"對曰:"臣愛其毛。"文侯曰:"若不知其裡盡,而毛無所恃耶?"明年;東陽上計錢布十倍,大夫畢賀。文侯曰:"此非所以賀我也。譬無異夫路人反裘而負芻也,將愛其毛,不知其裡盡,毛無所恃也。今吾田不加廣,士民不加眾,而錢十倍,必取之士大夫也。吾聞之下不安者,上不可居也,此非所以賀我也。"

魏文侯出去りて游び、路人反穿して皮衣を著て芻草を背負うを見る。文侯曰く、「何ぞ皮衣を反穿して芻草を背負うか」と。答えて曰く、「臣其の毛を愛惜す」と。文侯曰く、「您裏子盡きれば、毛卽ち依靠なきを知らずや」と。第二年、東陽錢布十倍を上報す、大夫皆來りて祝賀す。文侯曰く、「此れ是れ以て我を祝賀するに用うるにあらず。譬えば其の路人皮衣を反穿して芻草を背負うがごとく、將に毛を愛惜せんとして、裏子盡きれば毛卽ち依靠なきを知らず。如今我が田加廣なく、士民加多なくして、而して錢十倍するは、一定是れ士大夫より取り來るなり。我聞く下面安んぜざるは、上面居住す可からず、此れ是れ以て我を祝賀するに用うるにあらず」と。

楚莊王問於孫叔敖曰:"寡人未得所以為國是也。"孫叔敖曰:"國之有是,眾非之所惡也。臣恐王之不能定也。"王曰:"不定獨在君乎?亦在臣乎?"孫叔敖曰:"國君驕士曰:'士非我無逌富貴。’士驕君曰:'國非士無逌安強。’人君或失國而不悟,士或至飢寒而不進,君臣不合,國是無逌定矣。夏桀殷紂,不定國是,而以合其取捨者為是,以不合其取捨者為非,故致亡而不知。"莊王曰:"善哉!願相國與諸侯士大夫共定國是,寡人豈敢以褊國驕士民哉!"

楚莊王孫叔敖に問う、「寡人還りて未だ以て國是と爲るを得ず」と。孫叔敖曰く、「國家『是』有りて、是れ衆人の非とする所、厭惡する所なり。臣怕る王能く確定せざらん」と。王曰く、「能く確定せざる只在りて君か?亦在りて臣か」と。孫叔敖曰く、「國君驕して士に對して曰く、『士我なくば卽ち富貴するに從なし』と。士驕して君に對して曰く、『國士なくば卽ち安定強大するに從なし』と。人君或は國を失去して還りて醒悟せず、士或は飢寒に至りて還りて進用せられず、君臣合せず、國是卽ち確定するに從なし。夏桀・殷紂國是を確定せずして、而して自己の取舍に合するを以て是と作し、自己の取舍に合せざるを以て非と作す、ゆえに滅亡を導致して還りて知らず」と。莊王曰く、「好き哉!願わくは相國諸侯士大夫と共同に國是を確定せよ、寡人豈敢えて狹小の國を憑りて士民に對して驕傲せんや!」

楚莊王蒞政三年,不治,而好隱戲。社稷危,國將亡,士慶問左右群臣曰:"王蒞政三年,不治,而好隱戲,社稷危,國將亡,胡不入諫?"左右曰:"子其入矣。"士慶入再拜而進曰:"隱有大鳥,來止南山之陽,三年不蜚不鳴,不審其故何也?"王曰:"子其去矣,寡人知之矣。"士慶曰:"臣言亦死,不言亦死,願聞其說。"王曰:"此鳥不蜚,以長羽翼;不鳴,以觀群臣之慝,是鳥雖不蜚,蜚必沖天;雖不鳴,鳴必驚人。"士慶稽首曰:"所願聞已。"王大悅士慶之問,而拜之以為令尹,授之相印。士慶喜,出門顧左右笑曰:"吾王成王也。"中庶子聞之,跪而泣曰:"臣尚衣冠御郎十三年矣,前為豪矢,而後為藩蔽。王賜士慶相印而不賜臣,臣死將有日矣。"王曰:"寡人居泥塗中,子所與寡人言者,內不及國家,外不及諸侯。如子者,可富而不可貴也。"於是乃出其國寶璧玉以賜之。曰:"忠信者,士之行也;言語者,士之道路也。道路不修,士無所行矣。"

楚莊王政に臨むこと三年、治理せずして、卽ち隱語游戲を愛好す。社稷危險にして、國家將に亡びなんとす、士慶左右群臣に問う、「王政に臨むこと三年、治理せずして、卽ち隱語游戲を愛好す、社稷危險にして、國家將に亡びなんとす、何ぞ進み入りて進諫せざるか」と。左右曰く、「您進み入れ」と。士慶進み入りて再拜進前して曰く、「隱語の裏に大鳥有り、來りて南山の南面に停まりて、三年飛ばず鳴かず、緣故是れ何なるを知らず」と。王曰く、「您下去れ、寡人知之れり」と。士慶曰く、「臣説くも亦死し、説かざるも亦死し、願わくは解説を聽かん」と。王曰く、「此の鳥飛ばざるは、是れ羽翼を長ぜんと欲してなり;鳴かざるは、是れ群臣の奸慝を觀察せんと欲してなり。此の鳥雖然飛ばざるも、飛ばば必ず天を衝かん;雖然鳴かざるも、鳴けば必ず人を驚かさん」と。士慶頭を叩きて曰く、「所願の聽く已に聽到せり」と。王甚だ士慶の提問を喜歡して、彼を拜して令尹を爲らしめ、彼に相印を授給す。士慶高興して、門を出でて頭を囘し左右に對して笑いて曰く、「我らの王是れ成王なり」と。中庶子聞きて、跪下して哭泣して曰く、「臣衣冠を掌管し郎官に侍奉すること十三年、前面先導の箭を爲り、後面藩蔽を爲る。王士慶に相印を賜うも臣に賜わず、臣死する大概日子有らん」と。王曰く、「寡人泥塗の中に處りて、您寡人と説く所は、對內國家に及ばず、對外諸侯に及ばず。您のごとき人は、富す可くして貴ぶ可からず」と。於是國寶璧玉を拿出して彼に賜う。曰く、「忠信是れ士の品行;言語是れ士の道路。道路修まらざれば、士卽ち行走する處なし」と。

靖郭君欲城薛;而客人多以諫,君告謁者,無為客通事。於是有一齊人曰:"臣願一言,過一言,臣請烹。"謁者客。客曰:"海大魚。"因返走。靖郭君曰:"請少進。"客曰:"否。臣不敢以死戲。"靖郭君曰:"嘻!寡人毋得已,試複道之。"客曰:"君獨不聞海大魚乎?網弗能止,繳不能牽,碭而失水,陸居則螻蟻得意焉。且夫齊,亦君之水也,君已有齊,奚以薛為?君若無齊,城薛猶且無益也。"靖郭君大悅,罷民弗城薛也。

靖郭君薛のため城を筑かんと欲す;客人多く來りて進諫す、君謁者に告げて、客人のため通報する勿れと。於是一個の齊人有りて曰く、「臣願わくは一句話を説かん、一句話を超過せば、請う臣を烹れよ」と。謁者客人をして進見せしむ(底本此の字是れ生僻字、轉錄の後失落)。客人曰く、「海大魚」と。於是轉身して卽ち跑す。靖郭君曰く、「請う稍微進み前へ」と。客人曰く、「不。臣敢えて死を以て戲弄せず」と。靖郭君曰く、「嘻!寡人已に已むを得ず、試みに再び説け」と。客人曰く、「君豈大海中の大魚を聞かざらんや?網能く攔住する能わず、繳能く牽引する能わず、一旦水を離れて、陸地上に住せば、螻蟻得意す。況んや齊亦是れ君の水、君已に齊有りて、薛を要して何を爲さん?君若し齊なからんば、薛に城を筑くも還りて益處なし」と。靖郭君大悅して、百姓を役使するを停止し、薛に城を筑かず。

齊有婦人,極醜無雙,號曰:"無□女"。其為人也,臼頭深目,長壯大節,昂鼻結喉,肥項少發,折腰出胸,皮膚若漆。行年三十,無所容人,衒嫁不售,流棄莫執,於是乃拂拭短褐,自詣宣王,願一見,謂謁者曰:"妾,齊之不售女也,閒君王之聖德,願備後宮之掃除,頓首司馬門外,唯王幸許之。"謁者以聞,宣王方置酒於漸臺,左右聞之,莫不揜口而大笑。曰:"此天下強顏女子也。"於是宣王乃召見之,謂曰:"昔先王為寡人取妃匹,皆已備有列位矣。寡人今日聽鄭衛之聲嘔吟感傷,揚瞠楚之遺風。今夫人不容鄉里布衣,而欲幹萬乘之王,亦有奇能乎?"無□女對曰:"無有。直竊慕大王之美義耳。"王曰:"雖然,何喜。"良久曰:"竊嘗喜隱。"王曰:"隱固寡人之所願也,試一行之。"言未卒,忽然不見矣。宣王大驚,立發隱書而讀之,退而惟之,又不能明。明日,復更召而問之,又不以隱對,但揚目銜齒,舉手拊肘曰:"殆哉!殆哉!"如此者四。宣王曰:"願遂聞命。"

齊婦人有りて、極醜くして第二個なし、號稱「無鹽女」(底本此の字殘缺、當に「鹽」と爲すべし)。其の模樣は、臼のごとき頭・深陷の眼睛、身材長大・骨節粗大、鼻梁高・喉結凸、脖子肥・頭髮少、腰折・胸出、皮膚漆のごとし。年近三十、容身する處なく、自己炫耀して嫁を求むも嫁げず、流落して拋棄せられ人要なし、於是短褐を擦拭して、自己宣王の處に到りて、一面を見えんと願い、謁者に對して曰く、「妾是れ齊國嫁げざるの女子、君王の聖德を聞きて、願わくは後宮の掃除を充當せん、司馬門外に於て頭を叩きて、只請う王幸いに許可せん」と。謁者稟報す、宣王正に漸台に於て酒を設く、左右聞きて、口を掩い大笑せざるなし。曰く、「此れ是れ天下厚臉皮の女子」と。於是宣王卽ち彼女を召見して、彼女に對して曰く、「從前先王寡人のため妃匹を娶りて、皆已に齊備列位有り。寡人今天鄭衛の聲音を聽きて嘔吟感傷し、楚地遺留の風氣を發揚す。如今夫人鄉里布衣に容れられずして、卽ち萬乘の王に求見せんと欲す、亦奇特的才能有るか」と。無鹽女答えて曰く、「無し。只是れ私下大王の美好の道義を仰慕するのみ」と。王曰く、「然るにと雖も、何を喜歡するか」と。很久を過ぎて曰く、「私下曾て隱語を喜歡せり」と。王曰く、「隱語本來卽ち寡人の所願、試みに一回爲せ」と。話未だ說き盡くさずして、忽然として見えず。宣王大驚して、立刻隱書を打開して讀み、退下して思量すれども、又不能く明白せず。第二天、再び召來して問えば、又隱語を拿して以て對えず、只是れ眼を睜き齒を露し、手を擧げ肘を拍ちて曰く、「危險なり!危險なり!」と。かくのごとく四次。宣王曰く、「願わくは終に教命を聽かん」と。

無□女曰:"今大王之君國也,西有衡秦之患,南有強楚之讎,外有二國之難,內聚奸臣,眾人不附。春秋四十,壯男不立,不矜眾子,而矜眾婦,尊所好而忽所恃,一旦山陵崩弛,社稷不定,此一殆也。漸臺五重,黃金白玉,琅玕龍疏,蓑蓑珠璣,莫落連飾,萬民罷極,此二殆也。賢者伏匿於山林,諂諛強於左右,邪偽立於本朝,諫者不得通入,此三殆也。酒漿沉琨,以夜續朝,女樂俳優,從橫大笑,外不修諸侯之禮,內不秉國家之治,此四殆也。故曰:'殆哉!殆哉!’。"於是宣王掩然無聲,意入黃泉,忽然而昂,喟然而嘆曰:"痛乎無□君之言,吾今乃一聞寡人之殆,寡人之殆幾不全。"於是立停漸臺,罷女樂,退諂諛,去雕琢,選兵馬,實府庫,四闢公門,招進直言,延及側陋,擇吉日,立太子,進慈母,顯隱女,拜無□君為王后,而國大安者,醜女之力也。

無鹽女曰く、「如今大王國家を治理す、西連衡の秦の禍患有り、南強楚の仇敵有り、外面兩國の災難有りて、內裏奸臣を聚集し、衆人親附せず。年近四十、壯年の兒子立てず、衆子を矜恤せずして、卽ち衆婦を矜恤し、所愛好するを尊崇して所依靠するを忽視す、一旦山陵崩塌せば、社稷定まらず、是れ第一の危。漸台五層、黃金白玉、琅玕龍疏、蓑蓑珠璣、錯落連飾、萬民疲憊極點に至る、是れ第二の危。賢者山林に隱伏し、諂諛左右に強盛し、邪僞本朝に立ち、進諫の人通入を得ず、是れ第三の危。酒漿沈溺し、夜を以て朝に續き、女樂俳優、縱橫大笑し、對外諸侯の禮を修めず、對內國家の治を秉持せず、是れ第四の危。ゆえに曰く、『危險なり!危險なり!』」と。於是宣王沈默聲なく、心意黃泉に沈入し、忽然として頭を擡げ、喟然として歎息して曰く、「痛心なるかな無鹽君の話、我如今纔かに一聽して寡人の危殆を知る、寡人の危殆幾乎として保全する能わず」と。於是立刻漸台を停止し、女樂を罷除し、諂諛を斥退し、雕琢を去掉し、兵馬を選練し、府庫を充實し、四面公門を打開し、直言を招進し、側陋に延及し、吉日を選擇し、太子を立て、慈母を進用し、隱女を顯揚し、無鹽君を拜して王后を爲さしむ、國家大いに安定す、是れ醜女の力量なり。

雜事第三

雜事第三

梁惠王謂孟子曰:"寡人有疾,寡人好色。"孟子曰:"王誠好色,於王何有?"王曰:"若之何?好色可以王?"孟子曰:"大王好色。詩曰:'古公亶父,來朝走馬,率西水滸,至於岐下。爰及姜女,聿來相宇。’大王愛厥妃,出入必與之偕。當是時,內無怨女,外無曠夫。王若好色,與百姓同之,民唯恐王之不好色也。"王曰:"寡人有疾,寡人好勇。"孟子曰:"王若好勇,於王何有?"王曰:"若之何?好勇可以王?"孟子曰:"詩曰:'王赫斯怒,爰整其旅,必按徂旅,以篤周佑,以對於天下。"此文王之勇也。文王一怒,而安天下之民。今王亦一怒,而安天下之民,民唯恐王之不好勇也。"

梁惠王孟子に對して曰く、「寡人毛病有り、寡人色を好む」と。孟子曰く、「王果して色を好まば、王王と稱するに對して何の妨礙か有らん」と。王曰く、「如何に説く?色を好みて以て王と稱す可きか」と。孟子曰く、「太王色を好めり。『詩經』に曰く、『古公亶父、清晨馬を趕りて、西邊水邊に沿いて、岐山腳下に到る。於是姜女を帶びて、一起に來りて居處を經營す』と。太王其の妃を愛し、出入必ず彼女と一起に在り。在其の時候、內怨女なく、外曠夫なし。王若し色を好まば、百姓と一同せば、百姓只怕る王色を好まざることを」と。王曰く、「寡人毛病有り、寡人勇を好む」と。孟子曰く、「王若し勇を好まば、王王と稱するに對して何の妨礙か有らん」と。王曰く、「如何に説く?勇を好みて以て王と稱す可きか」と。孟子曰く、「『詩經』に曰く、『王赫然として發怒し、於是軍隊を整頓し、必ず前來の敵旅を遏止して、以て周の福佑を加厚し、以て天下に應答す』と。是れ文王の勇なり。文王一怒すれば、卽ち天下の百姓を安定す。如今王亦一怒すれば、卽ち天下の百姓を安定せん、百姓只怕る王勇を好まざることを」と。

孫卿與臨武君議兵於趙孝成王前。王曰:"請問兵要?"臨武君對曰:"上得天時,下得地利,後之發,先之至,此用兵之要術也。"孫卿曰:"不然。臣之所聞,古之道,凡戰,用兵之術,在於一民,弓矢不調,羿不能以中徵,六馬不和,造父不能以御遠;士民不親附,湯武不能以勝。故善兵者,務在於善附民而已。"

孫卿臨武君と趙孝成王の面前に於て兵を用うるを議論す。王曰く、「請う兵を用うるの要領如何」と。臨武君答えて曰く、「上天時を得、下地利を得、後發して先到る、是れ兵を用うるの要術なり」と。孫卿曰く、「不對。臣の聽聞する所の古の道は、凡是れ作戰するに、兵を用うるの方法民をして一心ならしむるに在り。弓矢調わざれば、羿能く中て射る能わず;六馬和せざれば、造父能く遠方に駕到する能わず;士民親附せざれば、湯・武能く勝利を取る能わず。ゆえに善く兵を用うるは、務めて善く民をして親附せしむるに在るのみ」と。

臨武君曰:"不然,夫兵之所貴者,勢利也;所上者,變軸攻奪也。善用之者,奄忽焉莫知所從出,孫吳用之,無敵於天下。由此觀之,豈必待附民哉!"孫卿曰:"不然,臣之所言者,王者之兵,君人之事也。君之所言者,勢利也;所上者,變軸攻奪也。仁人之兵不可軸也,彼可軸者,怠慢者也,落單者也。君臣上下之間,渙然有離德者也。若以桀軸桀,猶有幸焉,若以桀軸堯,譬之若以卵投石,若以指繞沸,若羽蹈烈火,入則焦沒耳,夫又何可軸也。故仁人之兵,鋌則若莫邪之利刃,嬰之者斷,銳則若莫邪之利鋒,當之者潰。圓居而方止,若盤石然,觸之者隴種而退耳。夫又何可軸也?"

臨武君曰く、「不對。兵を用うるの看重する所是れ勢と利;崇尚する所是れ機變攻奪。善く之を用うるは、忽然の間人其の何處より出づるを知るなし、孫武・吳起此を用い、天下に無敵す。此より觀れば、何處にか必ず民の親附を等待せんと要するや!」孫卿曰く、「不對。臣の説く所是れ王者の兵、人君を爲るの事。您の説く所是れ勢と利;崇尚する所是れ機變攻奪なり。仁人の兵挫敗せらる可からず、彼らの挫敗せらる可きは、是れ怠慢の人、孤立の人なり。君臣上下の間、渙散して離心有る。若し桀を用いて桀を挫敗せば、還りて僥倖有り;若し桀を用いて堯を挫敗せんとせば、譬えば卵を以て石に投げ、手指を以て沸水を繞開し、羽毛を以て烈火を踏むがごとく、一入れば卽ち焦沒し、又安んぞ挫敗す可きや?ゆえに仁人の兵は、挺出すれば卽ち莫邪の利刃のごとく、碰上する卽ち斷つ;銳利すれば卽ち莫邪の利鋒のごとく、擋住する卽ち潰す。圓形に駐扎し方形に停止すれば、盤石のごとく、碰上する紛紛退却す。又安んぞ挫敗す可きや?」

故仁人之兵,或將三軍同力,上下一心,臣之於君也,下之於上也,若子之事父也,若弟之事兄也,若手足之捍頭目而覆胸腹也。軸而襲之,與先驚而後擊之一也,夫又何可軸也?且夫暴亂之君,將誰與至哉?彼其所與至者,必其民也,民之親我,驩然如父母,好我芳如椒蘭,反顧其上,如灼黥,如仇讎。人之情,雖桀蹠豈有肯為其所惡,而賊其所好者哉!是指使人之孫子,而賊其父母也。詩曰:'武王載旆,有虔秉鉞,如火烈烈,則莫我敢曷。’此之謂也。"孝成王臨武君曰:"善。"

ゆえに仁人の兵は、或は三軍を統率して同力し、上下一心して、臣君に對し、下上に對するは、譬えば兒子の父親を事奉し、弟弟の兄長を事奉し、手足の頭目を捍衛し胸腹を覆蓋するがごとし。突然彼を襲擊するは、先に驚動して再び打擊すると是れ一樣、又安んぞ挫敗す可きや?況んや暴亂の君は、將に誰と一起に來らんか?其の一起に來る所は、必ず是れ其の百姓、百姓我に親附し、歡然として父母のごとく、我が芬芳を喜歡すること椒蘭のごとく、囘頭して彼らの上を看るに、譬えば灼黥のごとく、譬えば仇敵のごとし。人の常情、たとい桀・跖と雖も、何處にか肯んじて其の厭惡する所のため其の愛好する所を傷害せんや!此れ是れ別人の孫子を指して其の父母を傷害せしむるを使う。『詩經』に曰く、「武王旆旗を載せ、虔敬に鉞を持ち、火のごとく猛烈なれば、卽ち人我を遏止するを敢えてするなし」と。是れ此を説くなり。」孝成王・臨武君曰く、「好し」と。

昔者,秦魏為與國,齊楚約而欲攻魏,魏使人求救於秦,冠蓋相望,秦救不出。魏人有唐且者,年九十餘,謂魏王曰:"老臣請西說秦,令兵先臣出,可乎?"魏王曰:"敬諾。"遂約車而遣之。且見秦王。秦王曰:"丈人罔然乃遠至此,甚苦矣。魏來求數矣,寡人知魏之急矣。"唐且答曰:"大王已知魏之急而救不至,是大王籌筴之臣失之也。且夫魏一萬乘之國也。稱東藩,受冠帶,祠春秋者,為秦之強,足以為與也。今齊楚之兵已在魏郊矣,大王之救不至,魏急則割地而約齊楚,王雖欲救之,豈有及哉?是亡一萬乘之魏,而強二敵之齊楚也。竊以為大王籌筴之臣失之矣。"秦王懼然而悟,遽發兵救之,馳攙而往,齊楚聞之,引兵而去,魏氏復故。唐且一說,定強秦之筴,解魏國之患,散齊楚之兵,一舉而折沖消難,辭之功也。孔子曰:"言語宰我。子貢。"故詩曰:"辭之集矣,民之洽矣;辭之懌矣,民之莫矣。"唐且有辭,魏國賴之,故不可以已。

從前、秦・魏是れ盟國、齊・楚相約して魏を攻めんと欲す、魏人を派して秦に求救す、使者冠蓋相望なり、秦の救兵出でず。魏人唐且有る者有り、年紀九十餘、魏王に對して曰く、「老臣請う西行して秦を游說し、軍隊をして臣より先に出でしめん、可なりか」と。魏王曰く、「敬謹答應す」と。於是車を備えて彼を派遣す。唐且秦王に進見す。秦王曰く、「丈人疲倦して還りて遠く此に到る、甚だ辛苦なり。魏來りて求救すること已に幾次、寡人魏緊急なるを知之れり」と。唐且答えて曰く、「大王已に魏緊急を知るも而して救兵到らず、是れ大王の籌劃する臣失策せり。況んや魏是れ萬乘の國。自ら東藩と稱し、冠帶を接受し、春秋祭祀するは、是れ秦強にして、足りて盟國を爲るに因るなり。如今齊・楚の兵已に魏郊に在りて、大王の救兵到らず、魏緊急なれば卽ち地を割きて齊・楚と結盟し、王たとい救わんと欲するも、何處にか還りて及ばんか?是れ一個の萬乘の魏を丟失して、而して兩個の敵國齊・楚を增強す。私下以爲大王の籌劃する臣失策せり」と。秦王惶恐醒悟して、立刻兵を發して往きて救い、馳騁前往す、齊・楚聞きて、兵を撤して離去す、魏氏原狀を恢復す。唐且一次游說して、強秦の策略を確定し、魏國の患難を解除し、齊・楚の兵を離散し、一擧にして折衝難を消す、是れ言辭の功效なり。孔子曰く、「言語の方面、宰我・子貢」と。ゆえに『詩經』に曰く、「言辭和集せば、百姓卽ち融洽し;言辭喜悅せば、百姓卽ち安定す」と。唐且言辭有りて、魏國彼に依賴す、ゆえに停止す可からず。

燕易王時,國大亂,齊閔王興師伐燕,屠燕國,載其寶器而歸。易王死,及燕國復,太子立為燕王,是為燕昭王。昭王賢,即位卑身厚幣,以招賢者。謂郭隗曰:"齊因孤國之亂,而襲破燕。孤極知燕小力少,不足以報,然得賢士與共國,以雪先王之醜,孤之願也。先生視可者得身事之。"隗曰:"臣聞古人之君,有以千金求千里馬者,三年不能得,馬已死,買其骨五百金,反以報君。君大怒曰:'所求者生馬,安用死馬捐五百金。’涓人對曰:'死馬且市之五百金,況生馬乎?天下必以王為能市馬,馬今至矣。’於是不期年,千里馬至者二。今王誠欲必致士,請從隗始。隗且見事,況賢於隗者乎?豈遠千里馬哉?"於是昭王為隗築宮而師之。樂毅自魏往,鄒衍自齊往,劇辛自趙往,士爭走燕。燕王弔死問孤,與百姓同甘苦二十八年,燕國殷富,士卒樂軼輕戰。於是遂以樂毅為上將軍,與秦楚三晉合謀以伐齊。樂毅之筴,得賢之功也。

燕易王の時候、國家大亂し、齊閔王兵を起こして燕を伐ち、燕國を屠滅して、寶器を裝載して回去る。易王死し、燕國恢復するに及びて、太子立ちて燕王を爲る、此れ卽ち燕昭王なり。昭王賢能にして、位に即きて後自己を降低し厚幣を以て賢を招く。郭隗に對して曰く、「齊孤國の混亂に趁りて、襲擊して燕を攻破せり。孤深く燕小にして力少なく、足りて報復するに足らざるを知る、可是賢士を得て共同に國を治めて、以て先王の恥辱を洗雪せんは、是れ孤の願望なり。先生可なる人を看よ、我親ら彼を事奉せん」と。郭隗曰く、「臣聞く古代の君、千金を用いて千里馬を求むる有り、三年得る能わず。馬已に死し、五百金を用いて其の骨頭を買い、囘來して君に報告す。君大怒して曰く、『求むる所是れ活馬、何處にか死馬を用いて五百金を花費せん』と。涓人答えて曰く、『死馬尚お五百金を用いて買う、況んや活馬をや?天下必ず以爲王能く馬を買うと、馬如今卽ち將に到らん』と。於是一年に到らずして、千里馬來る有りて兩匹。如今王果して必ず士を招致せんと欲せば、請う隗より開始せん。隗尚お事奉せらる、況んや隗より賢なる人をや?豈千里の遠きを嫌わんや?」と。於是昭王郭隗のため宮を筑きて而して彼を以て師と爲す。樂毅魏より來り、鄒衍齊より來り、劇辛趙より來り、士爭いて燕に奔向す。燕王死者を弔唁し孤兒を慰問し、百姓と甘苦を同じくすること二十八年、燕國殷實富裕し、士卒安逸を樂しみ戰作を看輕す。於是卽ち樂毅を用いて上將軍を爲し、秦・楚・三晉と合謀して齊を伐つ。樂毅の策略は、是れ賢を得るの功效なり。

樂毅為昭王謀,必待諸侯兵,齊乃可伐也。於是乃使樂毅使諸侯,遂合連四國之兵以伐齊,大破之。閔王亡逃,僅以身脫,匿莒,樂毅追之,遂屠七十餘城,臨淄盡降,唯莒即墨未下,盡復收燕寶器而歸,復易王之辱。樂毅謝罷諸侯之兵,而獨圍莒即墨,時田單為即墨令,患樂毅善用兵,田單不能軸也,欲去之,昭王又賢,不肯聽讒。會昭王死,惠王立,田單使人讒之惠王,惠王使騎劫代樂毅,樂毅之趙不歸。燕騎劫既為將軍,田單大喜,設軸大破燕軍,殺騎劫,盡復收七十餘城。是時齊閔公已死,田單得太子於莒,立為齊襄王。而燕惠王大慚。自悔易樂毅,以致此禍。

樂毅昭王のため謀劃して、必ず諸侯の兵を待ちて、齊纔かに攻伐す可しとす。於是樂毅を派して諸侯に出使せしめ、卽ち四國の兵を聯合して齊を伐たしめ、大いに齊を破る。閔王逃亡して、僅かに身を脫し、莒に藏まる、樂毅追擊して、於是七十餘座の城を屠滅し、臨淄全部投降す、只莒・即墨攻下せず、全部燕の寶器を收回して回去り、易王の恥辱を洗雪す。樂毅辭謝して諸侯の兵を罷去せしめ、獨自莒・即墨を圍困す。當時田單即墨令を爲り、樂毅の善く兵を用うるを憂慮し、田單能く彼を挫敗する能わず、彼を除去せんと欲す、昭王又賢くして、肯んじて讒言を聽かず。恰逢昭王死し、惠王位に即き、田單人を派して惠王に讒を進め、惠王騎劫を派して以て樂毅に代替せしむ、樂毅趙に至りて囘來せず。燕騎劫已に將軍を爲りて、田單大喜して、計謀を設下して大いに燕軍を破り、騎劫を殺し、全部七十餘座の城を收回す。此の時齊閔公已に死せり、田單莒に於て太子を得て、立てて齊襄王を爲さしむ。而して燕惠王大いに慚愧し、自己樂毅を更換したるを後悔して、以致此の禍有らしめり。

惠王乃使人遺樂毅書曰:"寡人不佞,不能奉順君志,故君捐國而去,寡人不肖明矣,敢謁其願而君弗肯聽也,故使使者陳愚志,君誠諭之。語曰:'仁不輕絕,智不輕怨’。君於先王,世之所明知也,寡人望有非,則君覆蓋之,不虞君明棄之也;望有過則君教誨之,不虞君明罪之也,寡人之罪,百姓弗聞,君微出明怨,以棄寡人,寡人必有罪矣,然怨君之未盡厚矣。語曰:'厚者不捐人以自益,仁者不危軀以要名。’故覆人之邪者,厚之行也,救人之過者,仁之道也。世有復寡人之邪,救寡人之過,非君惡所望之。今君厚受德於先王之成尊,輕棄寡人以快心,則覆邪救過,難得於君矣。且世有厚薄,故施異;行有得失,故患同。今寡人任不肖之罪,而君有失厚之累,於為君擇無所取。國有封疆,猶家之有垣牆,所以合好覆惡也。室不能相和,出訟鄰家。未為通計也。怨惡未見而明棄之,未為盡厚也。

惠王於是人を派して樂毅に信を送りて曰く、「寡人不才にして、能く君の志向を奉順せず、ゆえに君國家を拋棄して離去す、寡人不肖是れ明白なり、敢えて願望を陳述するも而して君肯んじて聽かず、ゆえに使者を派して愚志を陳述す、君果して此を明白せよ。俗語曰く、『仁者輕易に交を絕たず、智者輕易に怨を結ばず』と。君先王に對するは、是れ世上の明知する所なり、寡人希望不對有れば、君卽ち之を覆蓋せんを、君公然として拋棄すると想到せず;希望過失有れば、君卽ち教誨せんを、君公然として罪を加うると想到せず。寡人の罪は、百姓未だ聞かず、君暗中出去りて公然怨を結びて以て寡人を拋棄す、寡人必ず罪有らん、可是君を怨恨して還りて厚道を盡くさず。俗語曰く、『厚道の人別人を拋棄して以て自己益を得ず、仁者自身を危害して以て名を求めず』と。ゆえに別人の邪を覆蓋するは是れ厚の行爲、別人の過を挽救するは是れ仁の道理なり。世上寡人の邪を覆蓋し寡人の過を挽救するは、君ならずして還りて誰を指望せん。如今君先王の尊位を成就するの德を厚受して、輕易に寡人を拋棄して以て快意す、然らば邪を覆蓋し過を挽救するは、君の處より得ること難し。況んや世上厚有り薄有りて、ゆえに施予同じからず;行爲得有り失有りて、ゆえに禍患相同じ。如今寡人不肖の罪を承擔して、而して君厚を失うの牽累有り、君に對して選擇取る可きなし。國封疆有るは、譬えば家垣墻有るがごとし、是れ以て好を合し惡を覆蓋するに用う。室內能和せざれば、出去りて鄰家に訴訟す、通達の計策と算さず。怨惡未だ顯現せざるに公然として拋棄す、厚道を盡くしたりと算さず。

寡人雖不肖,未如殷紂之亂也;君雖未得志,未如商容箕子之累也。然不內盡寡人,明怨於外,恐其適足以傷高義而薄於行也。非然,苟可以成君之高,明君之義,寡人雖惡名,不難受也。本以明寡人之薄,而君不得厚;揚寡人之毀,而君不得榮,是一舉而兩失也。義者不毀人以自益,況傷人以自捐乎?願君無以寡人之不肖,累往事之美。昔者,柳下季為理於魯,三絀而不去,或曰可以去矣。柳下季曰:'苟與人異,惡往而不絀乎?猶且絀也,寧故國耳。’柳下季不以絀自累,故自業不忘,不以去為心,故遠近無議,寡人之罪,國人不知,而議寡人者遍天下,諺曰:'仁不輕絕,知不簡功。’簡功棄大者,仇也;輕絕厚利者,怨也。仇而棄之,怨而累之,宜在遠者,不望之乎君。今寡人無罪,君豈怨之乎?願君捐忿和怒,追順先王,以復教寡人,寡人意君之曰:"呈將快心以成而過,不顧先王以明而惡。’使寡人進不得循初,退不得變過,此君所制,唯君圖之。此寡人之愚志,敬以盡謁之。"

寡人雖然不肖なれど、還りて殷紂のごとく亂れるに似ず;君雖然不得志なれど、還りて商容・箕子のごとき牽累に似ず。可是內裏に在りて寡人に對して心を盡くさずして、對外公然怨を結ぶ、恐怕正好として高義を傷害して品行に薄し。若し此のごとくにあらざれば、假如能く君の高を成就し、君の義を顯明すれば、寡人たとい惡名有るとも、亦接受するに難しとせず。本來是れ寡人の薄を顯明せんと欲して、而して君厚を得ず;寡人の毀を宣揚して、而して君榮を得ず、是れ一擧にして兩失なり。義者別人を毀して以て自己益を得ず、況んや別人を傷害して以て自己を損害せんや?願わくは君寡人不肖に因りて、往事の美を連累する勿れ。從前、柳下季魯に於て法官を爲りて、三次黜退せられて還りて離去せず、人彼に可に離去す可しと説く有り。柳下季曰く、『若し人と同じからざれば、何處に至りて能く黜退せられざらんか?反正黜退せらるべし、寧ろ故國に在らん』と。柳下季黜退せらるるに因りて自己を連累せず、ゆえに自己の事業忘記せられず、離去するを心上に放かず、ゆえに遠近非議なし。寡人の罪は、國人之を知らずして、而して寡人を非議する天下に遍し。諺語曰く、『仁者輕易に交を絕たず、智者功勞を簡慢せず』と。功勞を簡慢し大功を拋棄するは、是れ仇;輕易に交を絕ち私利を看重するは、是れ怨。仇にして拋棄し、怨にして連累するは、應に疏遠の人に在るべく、君に於て指望せず。

樂毅使人獻書燕王曰:"臣不肖,不能奉承王命,以順左右之心,恐抵斧鉞之罪,以傷先王之明,有害足下之義,故遁逃自負,以不肖之罪,而不敢有辭說。今王數之以罪,恐侍御者不察先王之所以畜臣之理,不白乎臣之所以事先王之心,故不敢不以書對。臣聞賢聖之君,不以祿私親,功多者授之;不以官隨愛,能當者處之。故曰:'察能而授官者,成功之君也;論行而結交者,立名之士也。’臣以所學,觀先王舉措,有高世主之心,故假節於魏,以身得察於燕,先王過舉,擢之賓客之中,立之群臣之上,不謀父兄,以為亞卿,臣自以為奉令承教,可幸無罪,故受命不辭。先王命臣曰:'我有積怨深怒於齊,不量輕弱,欲以齊為事。’臣對曰:'夫齊者霸王之餘業,戰勝之遺事,閒於兵革,習於戰攻,王若欲攻之,必與天下圖之,圖之莫若往結趙,且淮北宋地,楚。魏之願也。趙若許,約楚。魏盡力,四國攻之,齊可大破也。’先王曰:'善。’臣乃受命具符節南使趙,顧反,起兵攻齊。以天下之道,先王之靈,河北之地,隨先王而舉之,齊上之兵,受命而勝之,輕卒銳兵,長驅至齊,齊王遁逃走莒,僅以身免,珠玉貨寶,車甲珍器,皆收入燕。大呂陳於元英,故鼎返於曆室,齊器設於寧臺,薊丘之植,植於汶篁。五伯以來,功業之盛,未有及先王者。先王以為快其志,以臣不捐令,故裂地而封臣,使比小國諸侯。臣聞賢聖之君,功立不廢,故著於春秋;蚤知之士;名成而不毀,故稱於後世。若先王之報怨雪醜,夷萬乘之齊,收八百年之積,及其棄群臣之日,餘令詔後嗣之義法,執政任事,循法令,順庶孽,施及萌隸,皆可以教後世。臣聞善作者不必善成,善始者不必善終。

樂毅人を派して燕王に書を獻じて曰く、「臣不肖にして、能く王命を奉承せずして、以て左右の心意に順從す、斧鉞の罪を抵觸するを怕れて、以て先王の明を傷害し、足下の義に害有らん、ゆえに逃遁して自負し、不肖の罪を帶びて、而して敢えて辯説有らず。如今王罪を以て數落す、侍御の人先王の臣を畜養する道理を體察せず、臣の先王に事奉する心を明白せざるを怕る、ゆえに敢えて書信を以て回答せざる得ず。臣聞く賢聖の君は、俸祿を用いて親人を私厚せず、功勞多き纔かに授給す;官職を用いて所愛に跟隨せず、能力相當する纔かに安置す。ゆえに曰く、『才能を察して官を授くるは、是れ成功の君;品行を論じて交を結ぶは、是れ名を立つるの士』と。臣學ぶ所を憑りて、先王の擧措を觀察すれば、當代の君主に高出するの心有り、ゆえに魏より節を借りて、親ら燕に於て察看せらるを得たり。先王過分に擧用して、賓客の中より提拔し、群臣の上に立てて、父兄と商量せずして、用いて亞卿を爲さしむ。臣自ら以爲令を奉じ教を承けて、以て僥倖罪なかる可しとし、ゆえに命を受けて推辭せず。先王臣に命令して曰く、『我齊に對して積怨深怒有り、自己輕弱を估量せずして、齊を把して事と爲らんと欲す』と。臣答えて曰く、『齊霸王の餘業・戰勝の遺事有りて、兵革を閑習し、戰攻を熟習す、王若し之を攻めんと欲せば、必ず天下と一起に圖謀すべし、圖謀先ず趙を交結するより好きなし、況んや淮北・宋地是れ楚・魏の願望。趙若し答應せば、楚・魏を約して力を盡くし、四國之を攻めば、齊大破す可し』と。先王曰く、『好し』と。臣於是命を受けて符節を備えて南趙に使い、囘頭囘來して、兵を起こして齊を攻む。天下の道・先王の威靈を憑りて、河北の土地、先王に跟隨して一起に擧起し、齊上の兵、命を受けて之に戰勝し、輕卒銳兵、長驅して齊に至り、齊王莒に逃奔し、僅かに身を脫し、珠玉貨寶・車甲珍器、皆燕に收入す。大呂元英に陳列し、故鼎歷室に返回し、齊器寧台に陳設し、薊丘の植物、汶上の竹田に種う。五伯以來、功業の盛大、先王に趕上するなし。先王以爲志向を快意せり、因りて臣命令を拋棄せず、ゆえに地を裂きて臣を封じて、小國諸侯に比せしむ。臣聞く賢聖の君は、功業建立して廢せず、ゆえに『春秋』に著錄せらる;早く預見有るの士は、名成りて毀れず、ゆえに後世に稱道せらる。先王のごとき怨を報じ恥を雪ぎ、萬乘の齊を夷平し、八百年の積蓄を收取し、彼群臣を拋棄するの日子に及びて、詔告後嗣の義法を留下し、執政任事して、法令を遵循し、庶孽を安撫し、百姓に施及す、皆後世を教導する可し。臣聞く善く開創するは必ずしも善く完成せず、善く開始するは必ずしも善く終結せずと。

昔伍子胥說聽於闔閭,吳為遠跡至郢,夫差不是也,賜之鴟夷,沈之江,故夫差不計先論之可以立功也,沈子胥而不悔,子胥不蚤見王之不同量也,故入江而不化。夫免身而全動,以明先王之跡,臣之上計也;離虧辱之誹,墮先王之明,臣之大恐也。臨不測之罪,以幸為利,義之所不敢出也。臣聞君子絕交無惡言,去臣無惡聲。臣雖不肖,數奉教於君子,臣恐侍御者親交之說,不察疏遠之行,故敢以書謝。"

從前伍子胥の話闔閭に聽用せられて、呉の足迹遠く郢に到る;夫差以爲是ならずとせず、彼に鴟夷皮袋を賜いて、江の裏に沈めり。ゆえに夫差先前の議論以て功を立つ可きを考慮せず、子胥を沈めて後悔せず;子胥早く王の器量同じからざるを見ず、ゆえに江に入りて化せず。自身をして禍を免れて功勳を保全せしめ、以て先王の事迹を顯明するは、是れ臣の上計;虧辱の誹謗を遭受し、先王の明を毀壞するは、是れ臣の最大の恐懼なり。測る可からざるの罪に面臨して、僥倖を以て利と當るは、是れ義の敢えて出でざる所。臣聞く君子交を絕つる惡言なく、離去の臣惡聲なしと。臣雖然不肖なれど、屢々君子其の處に於て教を奉じたり、臣怕る侍御の人親近交結するの説法、疏遠の品行を體察せざるを、ゆえに敢えて書信を以て辭謝す」。

齊人鄒陽客遊於梁,人或讒之於孝王,孝王怒,系而將欲殺之。鄒陽客遊,見讒自冤,乃從獄中上書,其辭曰:"臣聞忠無不報,信不見疑。臣常以為然,徒虛言爾。昔者,荊軻慕燕丹之義,白虹貫日,太子畏之;衛先生為秦畫長平之計,太白蝕昂,昭王疑之。夫精變天地,而信不諭兩主,豈不哀哉?今臣盡忠竭誠,畢義願知,左右不明,卒從吏訊,為世所疑,是使荊軻衛先生復起,而燕秦不悟也,願大王熟察之。昔者,玉人獻寶,楚王誅之;李斯竭忠,胡亥極刑。是以箕子狂佯,接輿避世,恐遭此變也。願大王熟察玉人李斯之意,而後楚王胡亥之聽,無使臣為箕子接輿所嘆。

齊人鄒陽客游梁に在り、人孝王に讒を進め、孝王發怒して、關入れて將に彼を殺さんとす。鄒陽客游して、讒せられて自ら冤枉を覺え、卽ち獄中より上書して、文辭曰く、「臣聞く忠報答せられざるなく、信懷疑せられずと。臣常常以爲是れかくのごとし、只是れ空話のみ。從前、荆軻燕丹の義を仰慕して、白虹日を貫くも、太子卽ち彼を怕れ;衞先生秦のため長平の計策を謀劃して、太白昴星を侵蝕すも、昭王卽ち彼を懷疑す。精誠天地をして變せしめ、而して誠信能く兩主をして明白せしめず、豈悲哀ならずや?如今臣忠を盡くし誠を竭くし、道義を竭盡して知られんと願うも、左右明ならず、終に獄吏の審訊に聽從して、世人に疑わる、是れ荆軻・衞先生をして再び起こして、而して燕・秦還りて醒悟せざらしむなり、願わくは大王仔細に體察せん。從前、玉人寶を獻じて、楚王之を誅殺し;李斯忠を竭くして、胡亥極刑に處せり。此に因りて箕子狂を裝い、接輿世を避くる、此種の變故に遭遇するを怕るるなり。願わくは大王仔細に玉人・李斯の心意を體察して、而して楚王・胡亥の聽信を後面に放きて、臣をして箕子・接輿に歎息せられざらしめよ」。

臣聞比干剖心,子胥鴟夷,臣始不信,乃今知之,願大王熟察之,少加憐焉。諺曰:'有白頭而新,傾蓋而故。’何則?知與不知也。昔者,樊於期逃秦之燕,籍荊軻首以奉丹之事;王奢去齊之魏,臨城自剄,以卻齊而存魏。王奢樊於期,非新於齊秦,而故於燕魏也,所以去二國,死兩君者,行合於志,而慕義無窮也。是以蘇秦不信於天下,為燕尾生,白圭戰亡六城,為魏取中山,何則?誠有以相知也。蘇秦相燕,燕人惡之於燕王,燕王按劍而怒,食之以駃騠;白圭顯於中山,中山人惡之於魏文侯,文侯投以夜光之璧。何則?兩主二臣,剖心析肝相信,豈移於畜辭哉!

臣聞く比干心を剖かれ、子胥鴟夷に裝められしを、臣起初信ぜざるも、如今纔かに知る、願わくは大王仔細に體察して、稍微憐憫を加以せん。諺語曰く、『白頭に至りて纔かに新交を成す有り、傾蓋して卽ち故交を成す有り』と。何ぞや?知と不知とに在るなり。從前、樊於期秦より燕に逃げて、腦袋を荆軻に借し給いて以て燕丹の事を成就せり;王奢齊を離れて魏に至り、城に臨みて自刎して、以て齊を退却して魏を保全せり。王奢・樊於期は、齊・秦に對して新交にあらず、燕・魏に對して故交にあらざるに、ゆえに兩國を離れて兩君のため死するは、是れ行爲志向に合して、而して道義を仰慕する窮盡なきなり。此に因りて蘇秦天下に信任せられざるも、卽ち燕の尾生を爲り;白圭作戰して六城を丟失せるも、卽ち魏のため中山を取得せり、何ぞや?確かに相知有るなり。蘇秦燕相を爲るに、燕人燕王に向かいて其の壞話を説くも、燕王劍を按じて發怒して、駿馬の肉を拿して彼に喫せしむ;白圭中山に於て顯達するに、中山人魏文侯に向かいて其の壞話を説くも、文侯夜光璧を以て彼に投給す。何ぞや?兩主二臣、心を剖き肝を析りて互相いに信任す、豈衆人の話に因りて改變せんや!

故女無美惡,居宮見妒;士無賢不肖,入朝見嫉。昔司馬喜臏於宋,卒相中山;範睢拉脅折齒於魏,卒為應侯。此二人者,皆信必然之畫,捐朋黨之私,挾孤獨之交,故不能自免於嫉妒之人也。是以申屠狄蹈流之河,徐衍負石入海,不容於世,義不苟取,比周於朝,以移主上之心。故百里奚乞食於道路,繆公委之以政,甯戚飯牛車下,而桓公任之以國。此二人者,豈借官於朝,假譽於左右,然後二主用之哉!感於心,合於行,堅於膠漆,昆弟不能離,豈惑於眾口哉!

ゆえに女子美醜を論ぜず、宮に住进せば卽ち嫉妒せられ;士賢不肖を論ぜず、朝に進入せば卽ち嫉恨せらる。從前司馬喜宋に於て臏刑を受けて、終に中山相を爲り;范雎魏に於て肋骨を打斷し牙齒を打掉せられて、終に應侯を爲る。此の兩個人は、皆確かに必然の謀劃を信じ、朋黨の私を拋棄し、孤獨の交誼を懷抱す、ゆえに能く自己嫉妒する人を免れず。此に因りて申屠狄河に投げ、徐衍石を負いで海に入り、世に容れられず、義苟取せず、朝に於て黨を結びて以て主上の心を轉移せしめず。ゆえに百里奚道路に於て食を乞えども、繆公政事を彼に委託し;寧戚車下に於て牛を餧えども、桓公國事を彼に任用せり。此の兩個人は、何處にか朝中の官を憑藉し、左右の聲譽を假借して、然る後二主纔かに彼らを任用せんや!心相感じ、行相合して、膠漆のごとく堅固なれば、兄弟能く離間せず、豈衆口に迷惑せられんや!

故偏聽生奸,獨任成亂。昔魯聽季孫之說逐孔子,宋信子冉之計逐墨翟。夫以孔墨之辯,而不能自免於諂諛,而二國以危。何則?眾口鑠金,積毀銷骨,是以秦用戎人由呈而霸中國,齊用越人子臧而強威宣,此二國豈拘於俗,牽於世,系奇偏之辭哉!公聽共觀,垂名當世,故意合,則胡越為兄弟,由呈子臧是也;不合,則骨肉為仇讎,朱象。管蔡是也。今人主如能用齊秦之明,後宋魯之聽,則五伯不足侔,三王易為比也。是以聖王覺悟,捐子之心,能不說于田常之賢,封比干之後,修孕婦之墓,故功業覆於天下。何則?欲善無厭也。夫晉文公親其讎,而強霸諸侯;齊桓公用其仇,而一匡天下,何則?慈仁殷勤,誠加於心,不可以虛辭借也。

ゆえに偏聽奸を生產し、獨自任用亂を造成す。從前魯季孫の話を聽きて孔子を驅逐し、宋子冉の計を信じて墨翟を驅逐す。孔・墨の辯才を憑るも、還りて能く自己諂諛を免れず、而して兩國因りて危險せり。何ぞや?衆口能く金子を熔化し、積累の毀謗能く骨頭を銷毀す。此に因りて秦戎人由余を用いて中國に稱霸し、齊越人子臧を用いて威・宣に於て強盛なり、此の兩國何處にか俗に拘泥し世に牽累し偏頗の言辭に繫せんや!公正に聽き共同に看て、當世に名を垂る、ゆえに心意相合せば、則ち胡越兄弟と爲る、由余・子臧卽ちかくのごとし;相合せざれば、則ち骨肉仇敵と爲る、丹朱・象・管叔・蔡叔卽ちかくのごとし。如今人主若し能く齊・秦の明智を用い、宋・魯の聽信を後面に放たば、則ち五伯足りて相比せず、三王並列し易し。此に因りて聖王覺悟して、兒子の心を拋棄し、能く田常の賢に喜悅せられず、比干の後代を封じ、孕婦の墓を修むるは、ゆえに功業天下を覆蓋す。何ぞや?善を爲さんと欲して滿足なきなり。晉文公其の仇人を親近して強く諸侯に霸し;齊桓公其の仇人を用いて天下を一匡す、何ぞや?慈仁殷勤にして、誠心に加えて、虛辭を以て假借す可からざるなり。

至夫秦用商鞅之法,東弱韓魏,立強天下,而卒車裂商君;越用大夫種之謀,擒勁吳,霸中國,卒誅其身,是以孫叔敖三去相而不悔;於陵仲子辭三公,為人灌園。今世主誠能去驕傲之心,懷可報之意,披心腹,見情素,隳肝膽,施德厚,終與之窮通,無愛於士,則桀之狗,可使吠堯;蹠之客,可使刺由。況因萬乘之權,假聖王之資乎?然則荊軻之沈七族,要離燔妻子,豈足為大王道哉!明月之珠,夜光之璧,以闇投入於道路,眾無不按劍相眄者,何則?無因至前也。幡木根柢,輪囷離奇,而為萬乘器者,以左右先為之容也。故無因而至前,雖出隨侯之珠,夜光之璧,只足以結怨而不見德。故有人先遊,則以枯木朽株,樹功而不忘,今使天下布衣窮居之士,身在貧賤,雖蒙堯舜之術,挾伊管之辯,素無根柢之容,而欲竭精神,開忠信,輔人主之治,則人主必襲按劍相眄之跡矣,是使布衣不得當枯木朽株之資也。

至りて秦商鞅の法を用いて、東面韓・魏を削弱して、立刻天下に強盛なりしも、而して終に商君を車裂し;越大夫種の謀を用いて、強呉を擒獲して、中國に稱霸せるも、終に其の自身を誅殺せり。此に因りて孫叔敖三次相位を離れて後悔せず;于陵仲子三公を辭して、人に灌園せり。如今世上の主若し能く驕傲の心を去掉し、報答する可きの意を懷き、胸腹を敞開し、眞情を顯現し、肝膽を披露し、厚德を施加し、始終彼と窮通を同じくして、士に對して吝嗇なからんば、則ち桀の狗も之をして堯に吠えしむ可し;跖の門客も之をして許由を刺しむ可し。況んや萬乘の權を憑藉し聖王の資を借助するをや?然らば荆軻七族を連累して沉せられ、要離妻子を燒死せしも、何處にか大王に説くに値せんや!明月珠・夜光璧を、暗處に於て道路の人の前に投ぜば、衆人劍を按じて斜視せざるなし、何ぞや?因由なくして前に到るなり。彎曲の木根は、輪囷離奇なれど、卽ち萬乘の器物と爲るは、是れ左右先だち之に修飾するに因るなり。ゆえに因由なくして前に到れば、たとい隨侯珠・夜光璧を拿出すとも、只足りて怨を結びて德を見えず。ゆえに人先に游揚すれば、卽ち枯木朽株も、能く功を立てて忘記せられず。如今天下布衣窮居の士をして、身貧賤に在り、たとい堯舜の術を蒙受し伊尹・管仲の辯才を挾持するも、素來根柢の修飾なく、卽ち精神を竭盡し、忠信を敞開して、人主の治理を輔助せんと欲せば、則ち人主必ず沿襲劍を按じ斜視するの做法せん、是れ布衣枯木朽株の資格を當てるを得ざらしむなり。

是以聖王制世御俗,獨化於陶鈞之丘,能不牽乎卑亂之言,不惑乎眾多之口,故秦皇帝任中庶子蒙之言,以信荊軻之說,故匕首竊發。周文王校獵涇渭,載呂尚而歸,以王天下。秦信左右而弒,周用烏集而王。何則?以其能越攣拘之語,馳域外之議,獨觀於昭曠之道也。今人主沈於諂諛之辭,牽於帷牆之制,使不羇之士,與牛驥同皁,此鮑焦之所以忿於世,而不留於富貴之樂也。臣聞盛飾以朝者,不以私行義;砥礪名號者,不以利傷行。故里名勝母,而曾子不入;邑號朝歌,墨子回車。今使天下寥廓之士,籠於威重之權,脅於勢位之貴,回面汙行,以事諂諛之人,求親近於左右,則士有伏死崛穴巖藪之中耳,安有盡精神而趨闕下者哉!"書奏孝王,孝王立出之,卒為上客。

此に因りて聖王世道を治理し習俗を駕馭するに、獨自陶鈞の上に於て變化し、能く卑亂の話に牽累せられず、衆多の口に迷惑せられず。ゆえに秦皇帝中庶子蒙の話を聽任して、以て荆軻の説法を相信せり、ゆえに匕首暗中發作せり。周文王涇渭に於て校獵して、呂尚を載せて囘來り、此に因りて天下に王と稱す。秦左右を信じて弑せられ、周烏鴉聚集するがごとき人を用いて王と稱す。何ぞや?因りて能く拘攣の話を超越し、域外の議論を馳騁し、獨自昭曠の道を觀察するを以てなり。如今人主諂諛の辭裏に沈溺し、帷墻の制約に牽累して、羈絆を受けざるの士をして牛・驥と同槽ならしむ、此れ卽ち鮑焦世に對して忿恨し、富貴の樂を留戀せざるの緣故なり。臣聞く盛裝して朝に上るは、私を用いて義を行わず;名號を砥礪するは、利を用いて品行を傷害せず。ゆえに里名勝母なるは、曾子進入せず;邑號朝歌なるは、墨子車子を掉轉す。如今天下寥廓の士をして、威重の權に籠罩せられ、勢位の貴に脅迫せられ、臉を轉じ品行を污穢して、以て諂諛の人を事奉し、左右に於て親近を求めんとせば、則ち士只有りて崛穴巖藪の中に隱伏して死するのみ、何處にか精神を竭盡して闕下に奔向する有らんや!」書孝王に奏上す、孝王立刻彼を放出して、終に上客を爲る。

雜事第四

雜事第四

管仲言齊桓公曰:"夫墾田刱邑,闢田殖穀,盡地之利,則臣不若甯戚,請置以為田官。登降揖讓,進退閒習,則臣不若隰朋,請置以為大行。蚤入晏出,犯君顏色,進諫必忠,不重富貴,不避死亡,則臣不若東郭牙,請置以為諫臣。決獄折中,不誣無罪,不殺無辜,則臣不若弦寧,請置以為大理。平原廣囿,車不結軌,士不旋踵,鼓之而三軍之士,視死若歸,則臣不若王子成甫,請署以為大司馬。君如欲治國強兵,則此五子者足矣,如欲霸王,則夷吾在此。"夫管仲能知人,桓公能任賢,所以九合諸侯,一匡天下,不用兵車,管仲之功也。詩曰:"濟濟多士,文王以寧。"桓公其似之矣。

管仲齊桓公に對して曰く、「田地を開墾し城邑を創立し、田土を開辟して穀物を種植し、地の利を盡くすは、則ち臣寧戚に及ばず、請う彼を安置して田官を爲らしめよ。登降揖讓し、進退熟習するは、則ち臣隰朋に及ばず、請う彼を安置して大行を爲らしめよ。早く入り晚く出で、君の臉色を冒犯して、進諫必ず忠誠し、富貴を看重せず、死亡を躲避せざるは、則ち臣東郭牙に及ばず、請う彼を安置して諫臣を爲らしめよ。獄訟を判決して適中を求取し、罪なきを誣陷せず、無辜を殺害せざるは、則ち臣弦寧に及ばず、請う彼を安置して大理を爲らしめよ。平原廣囿に於て、車子交錯して軌迹せず、士轉身して後退せず、一擊鼓して三軍の士死を視て歸のごとくするは、則ち臣王子成甫に及ばず、請う彼を署任して大司馬を爲らしめよ。君若し國を治め兵を強くせんと欲せば、此の五個人足れり;若し稱霸稱王せんと欲せば、則ち夷吾ここに在り」と。管仲能く人を知り、桓公能く賢を任せり、ゆえに九合諸侯し、天下を一匡し、兵車を用いず、是れ管仲の功勞なり。『詩經』に曰く、「賢士濟濟衆多なり、文王因りて安寧を得」と。桓公大概是れかくのごとし。

有司請事於齊桓公,桓公曰:"以告仲父。"有司又請,桓公曰:"以告仲父。"若是者三。在側者曰:"一則告仲父,二則告仲父,易哉為君。"桓公曰:"吾未得仲父則難,已得仲父,曷為其不易也。"故王者勞於求人,佚於得賢。舜舉眾賢在位,垂衣裳,恭己無為,而天下治。湯文用伊。呂,成王用周。邵,而刑措不用,兵偃而不動,用眾賢也。桓公用管仲則小也,故至於霸,而不能以王。故孔子曰:"小哉,管仲之器。"蓋善其遇桓公,惜其不能以王也。至明主則不然,所用大矣。詩曰:"濟濟多士,文王以寧。"此之謂也。

有司齊桓公に向かいて事情を請示す、桓公曰く、「往きて仲父に告げよ」と。有司又請示す、桓公曰く、「往きて仲父に告げよ」と。かくのごとく三次。旁邊に在る人曰く、「一次仲父に告げ、兩次仲父に告ぐ、君を爲ること眞に容易なり」と。桓公曰く、「我未だ仲父を得ざる時卽ち難く、已に仲父を得て、何ぞ容易ならざらん?」と。ゆえに王者人を求むる時勞苦し、賢人を得て後安逸す。舜衆賢を擧用して位に在りて、衣裳を垂れて、恭敬自己爲す所なくして、而して天下治理す。湯・文王伊尹・呂尚を任用し、成王周公・召公を任用して、而して刑罰擱置して用いられず、兵器停息して動かず、是れ衆賢を任用す。桓公管仲を任用して卽ち小なり、ゆえに稱霸に至りて、卽ち能く王と稱せず。ゆえに孔子曰く、「小なるかな、管仲の器量」と。大概是れ彼を稱讚して桓公に遇上したる、彼を惋惜して能く王と稱せざるを。明主に至れば則ち此のごとくならず、用いる所大なり。『詩經』に曰く、「賢士濟濟衆多なり、文王因りて安寧を得」と。是れ此を説くなり。

公季成謂魏文侯曰:"田子方雖賢人,然而非有土之君也,君常與之齊禮,假有賢於子方者;君又何以加之?"文侯曰:"如子方者,非成所得議也。子方,仁人也。仁人也者,國之寶也;智士也者,國之器也;博通士也者,國之尊也,故國有仁人,則群臣不爭,國有智士,則無四鄰諸侯之患,國有博通之士,則入主尊固,非成之所議也。"公季成自退於郊三日請罪。

公季成魏文侯に對して曰く、「田子方雖然是れ賢人なれど、可是是れ土地有るの君にあらず、君常常彼と同等の禮を行う、假如子方より更に賢なる人有らば、君又以て何を其の上に加えんか」と。文侯曰く、「子方のごとき人は、是れ季成の議論する能くする所にあらず。子方是れ仁人なり。仁人是れ國の寶;智士是れ國の器;博通の士是れ國の尊。ゆえに國仁人有れば、則ち群臣爭わず;國智士有れば、則ち四鄰諸侯の患なし;國博通の士有れば、則ち人主尊固なり。是れ季成の議論する能くする所にあらず」と。公季成自己郊外に退きて三天請罪す。

魏文侯弟曰季成,友曰翟黃,文侯欲相之而未能決,以問李克。克對曰:"君若置相,則問樂商與王孫苟端庸賢?"文侯曰:"善。"以王孫苟端為不肖,翟黃進之;樂商為賢,季成進之,故相季成。故知人則哲,進賢受上賞,季成以知賢,故文侯以為相。季成,翟黃,皆近臣親屬也,以所進者賢別之,故李克之言是也。

魏文侯の弟弟季成と叫ぶ、朋友翟黃と叫ぶ、文侯彼らを用いて相を爲らんと欲して能く決定せず、李克に問う。李克答えて曰く、「君若し相を設置せば、則ち樂商と王孫苟端と誰か賢なるを問え」と。文侯曰く、「好し」と。因りて王孫苟端不肖なるは、是れ翟黃の擧薦する所;樂商賢なるは、是れ季成の擧薦する所、ゆえに季成を用いて相を爲す。ゆえに人を知る卽ち是れ明智、賢を進めるは上等の賞を受く、季成因りて賢を知る、ゆえに文侯彼を用いて相を爲す。季成・翟黃皆是れ近臣親屬、擧薦する所の人賢不肖を以て分別す、ゆえに李克の話是れ對なり。

孟嘗君問於白圭曰:"魏文侯名過於桓公,而功不及五伯,何也?"白圭對曰:"魏文侯師子夏,友田子方,敬段幹木,此名之所以過於桓公也。卜相則曰:'成與黃庸可?’此功之所以不及王伯也。以私愛妨公舉,在職者不堪其事,故功廢,然而名號顯榮者,三士翊之也,如相三士,則王功成,豈特霸哉!"

孟嘗君白圭に問う、「魏文侯名聲桓公を超過して、而して功勞五伯に趕上せず、何ぞや」と。白圭答えて曰く、「魏文侯子夏を以て師と爲し、田子方を以て友と爲し、段干木を敬重す、是れ名聲の桓公を超過する所以の緣故なり。相を卜問して卽ち曰く、『季成と翟黃と誰か可なるか』と。是れ功勞の王伯に趕上せざる所以の緣故なり。私愛を用いて公擧を妨害し、在職の人事を擔當する能わず、ゆえに功勞廢す、然るに名號顯榮なるは、是れ三位の士彼を輔佐す。若し此の三位の士を用いて相を爲らば、則ち王功成就せん、何處にか只霸のみならんや!」

晉平公問於叔尚曰:"昔者齊桓公九合諸侯,一匡天下,不識其君之力乎?其臣之力乎?"叔尚對曰:"管仲善制割,隰朋善削縫,賓胥無善純緣,桓公知衣而已。亦其臣之力也。"師曠侍曰:"臣請譬之以五味,管仲善斷割之,隰朋善煎熬之,賓胥無善齊和之。羹以熟矣,奉而進之,而君不食,誰能強之,亦君之力也。"

晉平公叔向に問う、「從前齊桓公九合諸侯して、天下を一匡す、是れ君の力量か、還りて臣の力量かを知らず」と。叔向答えて曰く、「管仲善く裁割し、隰朋善く削縫し、賓胥無善く鑲邊す、桓公只衣を穿つことを知るのみ。亦是れ臣の力量なり」と。師曠陪侍して曰く、「臣請う五味を以て比喻せん:管仲善く切斷し、隰朋善く煎熬し、賓胥無善く調和す。羹已に熟し、捧げて進上す、而して君喫せざれば、誰か能く彼を強迫せん、亦是れ君の力量なり」と。

昔者,齊桓公與魯莊公為柯之盟,魯大夫曹劌謂莊公曰:"齊之侵魯,至於城下,城壞壓境,君不圖與?"莊公曰:"嘻!寡人之生不若死。"曹劌曰:"然,則君請當其君,臣請留其臣。"及會,兩君就壇,兩相相揖,曹劌手劍拔刀而進,迫桓公於壇上曰:"城壞壓境,君不圖與?"管仲曰:"然,則君何求?"曹劌曰:"願請汶陽田。"管仲謂桓公曰:"君其許之。"桓公許之,曹劌請盟,桓公遂與之盟。已盟,標劍而去。左右曰:"要盟可倍,曹劌可讎,請倍盟而討曹劌。"管仲曰:"要盟可負,而君不負;曹劌可讎,而君不讎,著信天下矣。"遂不倍。天下諸侯,翕然而歸之,為鄄之會,幽之盟,諸侯莫不至焉。為陽穀之會,貫澤之盟,遠國皆來,南伐強楚,以致菁茅之貫;北伐山戎,為燕開路,三存亡國,一繼絕世,尊事周室,九合諸侯,一匡天下,功次三王,為五伯長,本信起乎柯之盟也。

從前、齊桓公魯莊公と柯に於て結盟す、魯大夫曹劌莊公に對して曰く、「齊魯を侵して城下に至り、城壞れ國境壓迫せらる、君考慮せずや」と。莊公曰く、「嘻!寡人生きる死するに如かず」と。曹劌曰く、「然らば君請う其の君を抵當し、臣請う其の臣を扣留せん」と。會盟するに及びて、兩君壇に就き、兩相對揖を作す、曹劌劍を手持ち刀を拔きて進み前にして、壇上桓公を逼迫して曰く、「城壞れ國境壓迫せらる、君考慮せずや」と。管仲曰く、「然らば君何を要求するか」と。曹劌曰く、「願わくは汶陽の田を請求せん」と。管仲桓公に對して曰く、「君還りて答應せよ」と。桓公答應す、曹劌結盟を請求す、桓公卽ち彼と結盟す。已に結盟して、曹劌劍を收めて離去す。左右曰く、「要挾せらるるの盟背棄す可く、曹劌仇視す可し、請う盟を背きて曹劌を討伐せん」と。管仲曰く、「要挾せらるるの盟背負す可きも、而して君背負せず;曹劌仇視す可きも、而して君仇視せず、是れ天下に於て信用を樹立するなり」と。於是背棄せず。天下諸侯翕然として歸附して、鄄の會・幽の盟を爲り、諸侯到らざるなし。陽谷の會・貫澤の盟を爲り、遠國皆來り、南強楚を伐ちて、菁茅の貢を取得し;北山戎を伐ちて、燕のため路を開き、三次亡國を保存し、一次絕世を接續し、周室を尊事し、九合諸侯し、天下を一匡し、功勞僅かに三王に次ぎて、五伯の長を爲る、信用本來柯の盟より開始す。

晉文公伐原,與大夫期五日,五日而原不降,文公令去之。軍吏曰:"原不過三日,將降矣,君不待之?"君曰:"得原失信,吾不為也。"原人聞之曰:"有君義若此,不可不降也。"遂降,溫人聞之,亦請降。故曰:"伐原而溫降。"此之謂也。於是諸侯歸之,遂侵曹伐衛,為踐土之會,溫之盟後南破強楚,尊事周室,遂成霸功,上次齊桓,本信由伐原也。

晉文公原を伐ちて、大夫と五天を約定し、五天して原投降せず、文公下令して離去す。軍吏曰く、「原三天を超過せずして將に投降せん、君待たずや」と。君曰く、「原を得て信を失うは、我爲さず」と。原人聞きて後曰く、「君の義かくのごとき有るは、投降せざる可からず」と。於是投降す。溫人聞きて、亦投降を請求す。ゆえに曰く、「原を伐ちて溫投降す」と。是れ此を説くなり。於是諸侯歸附して、卽ち曹を侵し衛を伐ち、踐土の會・溫の盟を爲り、後來南強楚を破り、周室を尊事し、終に霸功を成就し、上齊桓と並列す、信用本來原を伐つより來れり。

昔者,趙之中牟叛,趙襄子率師伐之,圍未合而城自壞者十堵,襄子擊金而退。士軍吏曰:"君誅中牟之罪,而城自壞,是天助也,君曷為去之?"襄子曰:"吾聞之於叔尚曰:'君子不乘人於利,不迫人於險。’使之城而後攻。"中牟聞其義,乃請降。詩曰:"王猶允塞,徐方既來。"此之謂也。襄子遂滅知氏,幷代為天下強,本由伐中牟也。

從前、趙の中牟反叛す、趙襄子軍を率いて討伐し、包圍未だ合攏せざるに而して城墻自己十堵を壞す、襄子金を擊ちて兵を退く。士卒軍吏曰く、「君中牟の罪を誅するに、而して城自己壞るるは、是れ天の幫助、君何ぞ離去するか」と。襄子曰く、「我叔向其の處より聞く、『君子人有利の時に趁りて人を欺かず、人危險の時に於て人を逼迫せず』と。彼らをして城を修好して再び攻めしめよ」と。中牟其の義を聞きて、卽ち投降を請求す。『詩經』に曰く、「王の謀略誠信充實なり、徐方已に來りて歸す」と。是れ此を説くなり。襄子終に知氏を滅掉し、代を兼倂して、天下の強と爲る、本來中牟を伐つより來れり。

楚莊王伐鄭,克之。鄭伯肉袒,左執茅旌,右執鸞刀,以迎莊王。曰:"寡人無良邊陲之臣,以幹天下之禍。是以使君王昧焉,辱到弊邑,君如憐此喪人,錫之不毛之地,唯君王之命。"莊王曰:"君之不令臣交易為言,是以使寡人得見君王之玉面也,而微至乎此!"莊王親自手旌,左右麾軍,還舍七里。將軍子重進諫曰:"夫南郢之與鄭相去數千裡,諸大夫死者數人,斯役死者數百人,今克而不有,無乃失民力乎?"莊王曰:"吾聞之,古者盂不穿,皮不蠹,不出四方,以是君子重禮而賤利也,要其人不要其土,人告徙而不赦,不祥也,吾以不祥立乎天下,菑之及吾身,何日之有矣。"

楚莊王鄭を伐ちて、攻克せり。鄭伯上身を裸露し、左手茅旌を持ち、右手鸞刀を持ちて、來りて莊王を迎接す。曰く、「寡人好き邊陲の臣なく、以致天下の禍を觸犯せり。此に因りて君王をして辛苦を顧みずして、弊邑に辱臨せしめり。君若し此の喪國の人を憐憫せば、莊稼を長を長ぜざる土地を賜給して、只君王の命令を聽かん」と。莊王曰く、「君それらの不好き臣交替して進言して、此に因りて寡人をして君王の玉面を見るを得て、而して微微此の地步に到らしめり!」と。莊王親ら手旌旗を持ちて、左右軍隊を指揮して、後退して七里扎營す。將軍子重進諫して曰く、「南郢と鄭と相距ること幾千里、各位の大夫死す幾人、厮役死す幾百人、如今攻克して卽ち占有せず、恐怕民力を失去せんか」と。莊王曰く、「我聞く、古代盂穿破せず皮革蟲に蛀まれざれば、四方に出でず、此に因りて君子禮を看重して利を看輕し、其の人を要して其の土を要せず。人已に遷り告ぐるに還りて赦免せざれば、不祥。我不祥を用いて天下に立てば、災禍我が身に至る、還りて幾日か有らん」と。

既而晉人之救鄭者至,請戰,莊王許之,將軍子重進諫曰:"晉,強國也,道近力新,楚師疲勢,君請勿許。"莊王曰:"不可。強者我避之,弱者我威之,是寡人無以立乎天下也。"遂還師以逐晉寇,莊王援枹而鼓之,晉師大敗,晉人來渡河而南,及敗,奔走欲渡而北,卒爭舟,而以刃擊引,舟中之指可掬也,莊王曰:"嘻,吾兩君之不能相也,百姓何罪。"乃退師,以軼晉寇。詩曰:"柔亦不茹,剛亦不吐。不侮鰥寡,不畏強禦。"莊王之謂也。

隨後鄭を救うの晉人到りて、交戰を請求す、莊王答應す。將軍子重進諫して曰く、「晉是れ強國、路近く力新た、楚師疲憊す、君請う答應する勿れ」と。莊王曰く、「不可。強は我躲避し、弱は我威懾す、かくのごとくば寡人卽ち以て天下に立つ所なくせん」と。於是師を囘して晉寇を追逐し、莊王枹を拿起して鼓を擊ちて、晉師大敗す。晉人來る時河南を渡りて下り、戰敗するに及びて、奔走して河北を渡りて上らんと欲し、士卒船を爭い、刀を以て船舷を攀著するの手を砍りて、舟中の手指捧げ起す可し。莊王曰く、「嘻、我ら兩國の君能く相讓せず、百姓何の罪か有らん」と。於是師を退きて、晉寇を放走す。『詩經』に曰く、「柔も亦吞まず、剛も亦吐かず。鰥寡を欺侮せず、強御を畏懼せず」と。是れ莊王を説くなり。

晉人伐楚,三舍不止。大夫曰:"請擊之。"莊王曰:"先君之時,晉不伐楚,及孤之身,而晉伐楚,是寡人之過也。如何其辱諸大夫也?"大夫曰:"先君之時,晉不伐楚,及臣之身,而晉伐楚,是臣之罪也。請擊之。"莊王俛泣而起,拜諸大夫。晉人聞之曰:"君臣爭以過為在己,且君下其臣猶如此,所謂上下一心,三軍同力,未可攻也。"乃夜還師。孔子聞之曰:"楚莊王霸其有方矣。下士以一言而敵還,以安社稷,其霸不亦宜乎?"詩曰:"柔遠能邇,以定我王。"此之謂也。

晉人楚を伐ちて、後退三舍して還りて停止せず。大夫曰く、「請う攻擊せん」と。莊王曰く、「先君の時候、晉楚を伐たず、孤の身に至りて、晉卽ち楚を伐つ、是れ寡人の過失なり。何を以て各位の大夫をして受辱せしめんか」と。大夫曰く、「先君の時候、晉楚を伐たず、臣の身に至りて、晉卽ち楚を伐つ、是れ臣の罪なり。請う攻擊せん」と。莊王頭を低くして哭泣して起身し、各位の大夫を拜す。晉人聞きて後曰く、「君臣爭いて過失を自己に歸して、況んや君自己の臣に對して謙下するかくのごとき、所謂上下一心して、三軍同力す、攻む可からず」と。於是夜裏軍を撤す。孔子聞きて後曰く、「楚莊王稱霸するは方法有り。一句話を以て士を下して敵人退還して、以て社稷を安定す、其の稱霸は亦應然ならずや」と。『詩經』に曰く、「遠方を安撫し近處を親睦して、以て我らの王を安定す」と。是れ此を説くなり。

晉文公將伐鄴,趙衰言所以勝鄴,文公用之而勝鄴,將賞趙衰。趙衰曰:"君將賞其末乎?賞其本乎?賞其末則騎乘者存;賞其本則臣聞之郄虎。"公召郄虎曰:"衰言所以勝鄴,遂勝,將賞之。曰:'蓋聞之子,子當賞郄虎。’"對曰:"言之易,行之難,臣言之者也。"公曰:"子無辭。"郄虎不敢固辭,乃受賞。

晉文公將に鄴を伐たんとして、趙衰以て鄴に戰勝するの方法を講じ、文公文用いて而して鄴に戰勝し、將に趙衰を賞せんとす。趙衰曰く、「君將に末梢を賞するか?還りて根本を賞するか?末梢を賞せば則ち馬に騎り車に乘る人在り;根本を賞せば則ち臣是れ郄虎より聽聞せしなり」と。文公郄虎を召して曰く、「趙衰以て鄴に戰勝するの方法を講じ、於是戰勝せり、將に彼を賞せんとす。彼曰く、『大概是れ您より聽聞せし、您當に賞を受くべし』と」と。郄虎答えて曰く、「説くこと容易く、預測すること難し。臣是れ説くの人なり」と。文公曰く、「您推辭する勿れ」と。郄虎敢えて堅く推辭せず、卽ち賞を接受す。

梁大夫有宋就者,嘗為邊縣令,與楚鄰界。梁之邊亭,與楚之邊亭,皆種瓜,各有數。梁之邊亭人,劬力數灌其瓜,瓜美。楚人窳而稀灌其瓜,瓜惡。楚令因以梁瓜之美,怒其亭瓜之惡也。楚亭人心惡梁亭之賢己,因往夜竊搔梁亭之瓜,皆有死焦者矣。梁亭覺之,因請其尉,亦欲竊往報搔楚亭之瓜,尉以請宋就。就曰:"惡是何可構怨禍之道也,人惡亦惡,何偏之甚也。若我教子必每暮令人往竊為楚亭夜善灌其瓜,勿令知也。"於是梁亭乃每暮夜竊灌楚亭之瓜,楚亭旦而行瓜,則又皆以灌矣,瓜日以美,楚亭怪而察之,則乃梁亭之為也。楚令聞之大悅,因具以聞楚王,楚王聞之,惄然愧以意自閔也,告吏曰:"微搔瓜者,得無有他罪乎?此梁之陰讓也。"乃謝以重幣,而請交於梁王,楚王時則稱說,梁王以為信,故梁楚之歡,由宋就始。語曰:"轉敗而為功,因禍而為福。"老子曰:"報怨以德。"此之謂也。夫人既不善,胡足效哉!

梁大夫宋就有る者有り、曾て邊縣令を爲りて、楚と相鄰す。梁の邊亭と楚の邊亭と皆瓜を種り、各々定數有り。梁の邊亭人勤力して屢々瓜を澆灌して、瓜美し。楚人懶惰にして少しく瓜を澆まず、瓜惡し。楚令因りて梁瓜美なるに因りて、亭瓜惡きに對して發怒す。楚亭人心裏梁亭の自己に勝れるを厭惡して、於是夜裏偷偷として梁亭の瓜を搔擾して、皆死焦する有り。梁亭發覺して、於是尉に請求して、亦偷偷として往きて楚亭の瓜を報復搔擾せんと欲す。尉此の事を以て宋就に請示す。宋就曰く、「此れ何處にか可ならん、是れ怨を結び禍を惹くの路子なり。別人惡にして我亦惡なれば、何等偏激なるか。若し我に依りて你らに教えば、一定每日傍晚人を派して偷偷として楚亭に夜裏好く瓜を澆ましめ、彼らをして知らしむる勿れ」と。於是梁亭卽ち每日夜裏偷偷として楚亭の瓜を澆み、楚亭早晨瓜田を巡行すれば、則ち又皆已に澆まれて、瓜一天一天愈美し。楚亭奇怪として察看すれば、原來是れ梁亭の爲すなり。楚令聞きて大悅して、於是全部楚王に稟報す、楚王、楚王聞きて、憂愧として自己を憫惜し、吏に告げて曰く、「それらの偷偷として瓜を搔するは、該に別の罪有らざるか?此れ是れ梁暗中謙讓するなり」と。於是重幣を以て道歉し、梁王と結交するを請求す、楚王時時稱説して、梁王以爲可信なり、ゆえに梁楚の歡好宋就より開始す。

梁嘗有疑獄,群臣半以為當罪,半以為無罪,雖梁王亦疑。梁王曰:"陶之朱公,以布衣富侔國,是必有奇智。"乃召朱公而問曰:"梁有疑獄,獄吏半以為罪,半以為不當罪,雖寡人亦疑,吾子決是奈何?"朱公曰:"臣鄙民也,不知當獄,雖然,臣之家有二白璧,其色相如也,其徑相如也,其澤相如也。然其價一者千金,一者五百金。"王曰:"徑上色澤相如也,一者千金。一者五百金,何也?"朱公曰:"側而視之,一者厚倍,是以千金。"梁王曰:"善。"故獄疑則從去,賞疑則從與,梁國大悅。由此觀之,牆薄則前壞,繒薄則前裂,器薄則前毀,酒薄則前酸。夫薄而可以曠日持久者,殆未有也。故有國畜民施政教者,宜厚之而可耳。

梁曾て疑獄有りて、群臣一半以爲該に罪を定むべし、一半以爲罪なし、たとい梁王も亦懷疑す。梁王曰く、「陶の朱公、布衣を憑りて富國家に比す、一定奇智有らん」と。於是朱公を召して問う、「梁疑獄有りて、獄吏一半以爲罪有り、一半以爲該に罪を定む可からず、たとい寡人も亦懷疑す、您此の事を裁決する如何」と。朱公曰く、「臣是れ鄙陋の民、如何に獄を斷ずべきを知らず。然るにと雖も、臣家裏兩塊の白璧有りて、顏色相像、直徑相像、光澤相像す。可是價錢一塊是れ千金、一塊是れ五百金」と。王曰く、「直徑・上色・光澤相像して、一塊千金、一塊五百金、何ぞや」と。朱公曰く、「側面より看れば、一塊厚きこと一倍、此に因りて千金に値す」と。梁王曰く、「好し」と。ゆえに獄疑有れば則ち輕きに從りて放過し、賞疑有れば則ち優に從りて給與す、梁國大悅す。此より觀れば、墻薄ければ先に壞れ、繒薄ければ先に裂け、器薄ければ先に毀れ、酒薄ければ先に酸む。薄くして曠日持久す可きは、大概無し。ゆえに國有りて民を畜い政教を施行するは、應に厚き纔かに可なり。

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