09
「先知其幾於神乎!敢問先知。」曰:「不知。知其道者其如視,忽、眇、緜作昞。」
「先知はほぼ神であろう!先知を請う。」揚雄は言った。「知らない。その道を懂る者は、事を看るに物を看るがごとく、忽微・眇小・綿遠もみな明白となる。」
先甲一日易,後甲一日難。
甲日の前一日は容易、甲日の後一日は困難。
或問:「何以治國?」曰:「立政。」曰:「何以立政?」曰:「政之本,身也,身立則政立矣。」
ある人が問うた。「何を以て国を治める?」揚雄は言った。「政を立てよ。」問う。「何を以て政を立てる?」揚雄は言った。「政の根本は自身、自身が立てば、政は立つ。」
或問:「為政有幾?」曰:「思斁。」或問「思斁」。曰:「昔在周公,徵於東方,四國是王;召伯述職,蔽芾甘棠,其思矣夫!齊桓欲徑陳,陳不果內,執袁濤塗,其斁矣夫!於戲,從政者審其思斁而已矣!」或問:「何思?何斁?」曰:「老人老、孤人孤、病者養、死者葬、男子畝、婦人桑之謂思。若汙人老、屈人孤、病者獨、死者逋、田畝荒、杼軸空之謂斁。」
ある人が問うた。「政を為すに枢機ありか?」揚雄は言った。「思と斁(人に思念され人に厭弃される)。」ある人が「思と斁」を問うた。揚雄は言った。「昔周公が東征すれば、四方の国が帰往した。召伯が職を述べれば、甘棠の樹蔭がなお人に愛護された。あれは思なり!斉桓公が近道して陳を過ぎらんとし、陳が入れず、袁涛涂を捕えた。あれは斁なり!ああ、政に従う者は思と斁を審察すれば足りる!」ある人が問うた。「何を思と謂い、何を斁と謂う?」揚雄は言った。「老人を老人として養い、孤児を孤児として恤え、病人に奉養あり、死者に安葬あり、男子は田を耕し、婦人は桑を養う、これを思という。老人を糟蹋し、孤児を委屈し、病人を孤独にし、死者に葬を得せず、田畝荒蕪し、織機空しきを、斁という。」
為政日新。或人:「敢問日新。」曰:「使之利其仁,樂其義,厲之以名,引之以美,使之陶陶然之謂日新。」
政を為すは日新を要す。ある人が「日新を請う。」揚雄は言った。「百姓に仁が己に利ありと覚えさせ、義を行うを楽しませ、名声を以て砥礪し、美好を以て引導し、彼らを陶陶然たらしむ、これを日新という。」
或問「民所勤」。曰:「民有三勤。」曰:「何哉所謂三勤?」曰:「政善而吏惡,一勤也;吏善而政惡,二勤也;政、吏駢惡,三勤也。禽獸食人之食,土木衣人之帛,穀人不足於晝,絲人不足於夜之謂惡政。」
ある人が「百姓の憂労する所」を問うた。揚雄は言った。「百姓に三つの憂労あり。」問う。「いわゆる三勤とは何か?」揚雄は言った。「政好くして吏壞るるは、第一の憂労。吏好くして政壞るるは、第二。政と吏とともに壞るるは、第三。禽獣が人の粮食を食い、土木が人の糸帛を穿つ。穀を種くる者は昼に足らず、糸を繅る者は夜に足らず、これを悪政という。」
聖人,文質者也。車服以彰之,藻色以明之,聲音以揚之,《詩》《書》以光之。籩豆不陳,玉帛不分,琴瑟不鏗,鍾鼓不抎,則吾無以見聖人矣。
聖人は文と質と相成する人である。車服を以て彰顕し、藻色を以て標明し、声音を以て発揚し、『詩』『書』を以て光大す。籩豆陳列せず、玉帛分別せず、琴瑟鏗鏘せず、鐘鼓揺動せずば、我は聖人を見る由なし。
或曰:「以往聖人之法治將來,譬猶膠柱而調瑟,有諸?」曰:「有之。」曰:「聖君少而庸君多,如獨守仲尼之道,是漆也。」曰:「聖人之法,未嘗不關盛衰焉。昔者堯有天下,舉大綱,命舜、禹;夏、殷、周屬其子,不膠者卓矣!唐、虞象刑惟明,夏後肉闢三千,不膠者卓矣!堯親九族,協和萬國;湯、武桓桓,征伐四克。由是言之,不膠者卓矣!禮樂征伐自天子所出,春秋之時,齊、晉實與,不膠者卓矣!」
ある人が言った。「已往の聖人の法を以て将来を治めるは、瑟柱を膠着して調絃するに比す、こ事あるか?」揚雄は言った。「ある。」問う。「聖君少なく庸君多し、もし孔子の道を守るのみならば、それは漆に死すなり。」揚雄は言った。「聖人の法は、いまだかつて盛衰に關聯せざらず。昔堯は天下を有して、大綱領を挙げ、舜・禹を任命した。夏・殷・周は天下を子に伝え、膠着せざるがこそ卓越なれ!唐・虞の象刑は彰明するのみ、夏后の肉刑は三千条あり、膠着せざるがこそ卓越なれ!堯は九族を親睦し、万国を協和した。湯・武は威武にして、征伐して四方みな勝つ。これより言えば、膠着せざるがこそ卓越なれ!礼楽征伐は天子より出、春秋の時は、斉・晋が実際に参与した、膠着せざるがこそ卓越なれ!」
或曰:「人君不可不學《律》《令》。」曰:「君子為國,張其綱紀,謹其教化。導之以仁,則下不相賊;蒞之以廉,則下不相盜;臨之以正,則下不相詐;修之以禮義,則下多德讓。此君子所當學也。如有犯法,則司獄在。」
ある人が言った。「人君は『律』『令』を学ばざるべからず。」揚雄は言った。「君子が国を治むるに、綱紀を張り、教化を謹む。仁を以て誘導すれば、下は互いに賊害せず。廉潔を以て臨莅すれば、下は互いに盗取せず。正を以て面対すれば、下は互いに欺詐せず。礼義を以て修治すれば、下は徳譲多し。これがこそ君子の学ぶべき所。もし法を犯す人あらば、司獄が自ずから在る。」
或苦亂。曰:「綱紀。」曰:「惡在於綱紀?」曰:「大作綱,小作紀。如綱不綱,紀不紀,雖有羅網,惡得一目而正諸?」
ある人が乱世を苦痛とした。揚雄は言った。「綱紀に靠れ。」問う。「綱紀はどこに作用する?」揚雄は言った。「大なるを綱と為し、小なるを紀と為す。もし綱が綱に似ず紀が紀に似ずば、羅網あるといえども、またどうして一只眼を以てこれを摆正せんや?」
或曰:「齊得夷吾而霸,仲尼曰小器。請問大器。」曰:「大器其猶規矩準繩乎?先自治而後治人之謂大器。」
ある人が言った。「斉は管仲を得て覇を称したが、孔子は彼を小器と言った。何を大器と謂うかを請う。」揚雄は言った。「大器はほぼ規矩準繩のごときか?先に己を治めて后人を治めるを、大器という。」
或曰:「正國何先?」曰:「躬工人績。」
ある人が言った。「国家を端正するに何を先とする?」揚雄は言った。「自身が事を為せば、功績は自ずから随う。」
或曰:「為政先殺後教。」曰:「於乎!天先秋而後春乎?將先春而後秋乎?」
ある人が言った。「政を為すは先に殺し後に教う。」揚雄は言った。「ああ!天は先に秋して後に春か、それとも先に春して後に秋か?」
吾見玄駒之步,雉之晨雊也,化其可以已矣哉!
我は黒蟻の走るを見、雉鶏の清晨に鳴くを見る、教化は豈に止められんや!
民可使覿德,不可使覿刑。覿德則純,覿刑則亂。
百姓に徳を見せしむべし、百姓に刑を見せしむべからず。徳を見れば純、刑を見れば乱る。
象龍之致雨也,難矣哉!曰:「龍乎!龍乎!」
土龍に雨を求むるは、難しいなあ!曰く、「龍よ!龍よ!」
或問「政核」。曰:「真偽。真偽則政核。如真不真,偽不偽,則政不核。」
ある人が「政をいかに核実するか」を問うた。揚雄は言った。「真偽を分かて。真偽分かれれば、政は核実す。もし真が真に似ず偽が偽に似ずば、政は核実せぬ。」
鼓舞萬物者,雷風乎!鼓舞萬民者,號令乎!雷不一,風不再。
万物を鼓舞するは、雷と風か!万民を鼓舞するは、号令か!雷は一たびのみ響かず、風は再び来らず。
聖人樂陶成天下之化,使人有士君子之器者也,故不遁於世,不離於群。遁離者,是聖人乎?
聖人は陶冶して天下の教化を成就するを楽しみ、人に士君子の器量を具えさせ、ゆえに人世を逃避せず、群衆を離れず。逃避し離れるは、なお聖人か?
雌之不才,其卵毈矣;君之不才,其民野矣。
雌に才なくば、卵は孵り成らず。君主に才なくば、百姓は粗野となる。
或問曰:「載使子草律。」曰:「吾不如弘恭。」「草奏。」曰:「吾不如陳湯。」曰:「何為?」曰:「必也律不犯,奏不剡。」
ある人が問うた。「もしあなたに法律を起草させたら。」揚雄は言った。「我は弘恭に如かず。」「奏章を起草せよ。」揚雄は言った。「我は陳湯に如かず。」問う。「ではあなたは何を為す?」揚雄は言った。「必ず法律をして人の犯すなく、奏章をして再び削改を要せざるを致さん。」
甄陶天下者,其在和乎?剛則甈,柔則壞。
天下を陶冶するは、調和に関するか?あまりに剛なれば裂け、あまりに柔なれば壞れる。
龍之潛亢,不獲其中矣。是以過中則惕,不及中則躍,其近於中乎!
龍の潜と亢は、いずれも中を得ず。ゆえに中を過ぎれば警惕し、中に至らざれば躍起す、これがこそ中に近づくか!
聖人之道,譬猶日之中矣。不及則未,過則𣅔。
聖人の道は、太陽のまさに正中なるに比す。至らざればすなわち未至、過ぐればすなわち偏斜。
什一,天下之中正也。多則桀,寡則貉。
十分に一を取るは、天下の中正。多ければすなわち桀、少なければすなわち貉。
井田之田,田也;肉刑之刑,刑也。田也者,與眾田之;刑也者,與眾棄之。
井田のごとき田は、こそ田。肉刑のごとき刑は、こそ刑。いわゆる田とは、衆人とともに耕す。いわゆる刑とは、衆人とともに棄絶す。
法無限,則庶人田侯田,處侯宅,食侯食,服侯服,人亦多不足矣。
法に限度なくば、庶人は侯爵の田を種え、侯爵の宅に住み、侯爵の食を食い、侯爵の服を穿ち、人もまた大多く足らざらん。
為國不迪其法,而望其效,譬諸算乎?
国を治めて法に遵循せずして、その功效を盼望するは、算数に比せんや?
10
或問:「南正重司天,北正黎司地,今何僚也?」曰:「近羲,近和。」「孰重?孰黎?」曰:「羲近重,和近黎。」
ある人が問うた。「南正重は天を主管し、北正黎は地を主管した、今は何の官か?」揚雄は言った。「羲に近く、和に近し。」「誰が重か?誰が黎か?」揚雄は言った。「羲は重に近く、和は黎に近し。」
或問「黃帝終始」。曰:「託也。昔者姒氏治水土,而巫步多禹;扁鵲,盧人也,而醫多盧。夫欲讎偽者必假真。禹乎?盧乎?終始乎?」
ある人が「黄帝終始」を問うた。揚雄は言った。「仮託である。昔姒氏が水土を治めれば、巫師は歩くに多く禹歩を学び、扁鵲は盧人なれば、医は多く盧を称す。假を販売せんと欲する者は必ず真を假借す。禹か?盧か?終始か?」
或問「渾天」。曰:「下閎營之,鮮於妄人度之,耿中丞象之,幾乎!幾乎!莫之能違也。」「請問蓋天。」曰:「蓋哉!蓋哉!應難未幾也。」
ある人が「渾天」を問うた。揚雄は言った。「落下閎がこれを営造し、鮮于妄人がこれを測度し、耿中丞がこれを模拟した、ほぼそうであろう!ほぼそうであろう!誰もこれに违背できない。」「蓋天を請う。」揚雄は言った。「蓋かな!蓋かな!問難に応じるにはほど遠い。」
或問:「趙世多神,何也?」曰:「神怪茫茫,若存若亡,聖人曼雲。」
ある人が問うた。「趙世に神异多きは、なぜか?」揚雄は言った。「神怪茫茫として、あるがごとく無きがごとし、聖人は言わない。」
或問:「子胥、種、蠡孰賢?」曰:「胥也,俾吳作亂,破楚入郢,鞭屍藉館,皆不由德。謀越諫齊不式,不能去,卒眼之。種、蠡不彊諫而山棲,俾其君詘社稷之靈而童僕,又終弊吳。賢皆不足卲也。至蠡策種而遁,肥矣哉!」
ある人が問うた。「伍子胥・文種・范蠡は誰が賢か?」揚雄は言った。「子胥は呉をして乱作せしめ、楚を破り郢都に入り、屍を鞭打ち楚宮に寝た、みな徳を経由せず。越を対付するを謀り斉を伐つを勧諫するも効なく、また離れる能わず、終に目を挖られた。文種・范蠡は強諫できずして国君を山栖せしめ、国君をして社稷の霊を委屈して童僕と為さしめ、また終に呉を弊害した。賢はみな高尚に足らず。范蠡が文種に策を出して後自ら逃走したに至っては、あれこそ肥美かな!」
或問「陳勝、吳廣」。曰:「亂。」曰:「不若是則秦不亡。」曰:「亡秦乎?恐秦未亡而先亡矣。」
ある人が「陳勝・呉広」を問うた。揚雄は言った。「乱。」問う。「そうでなくば秦は亡びざりき。」揚雄は言った。「秦を亡ぼすか?恐らく秦いまだ亡びず、自ら先に亡びたなり。」
或問:「六國竝,其已久矣。一病一瘳,迄始皇三載而鹹。時激、地保、人事乎?」曰:「具。」「請問事。」曰:「孝公以下,彊兵力農,以蠶食六國,事也。」「保。」曰:「東溝大河,南阻高山,西採雍、梁,北鹵涇垠,便則申,否則蟠,保也。」「激。」曰:「始皇方斧,將相方刀,六國方木,將相方肉,激也。」
ある人が問うた。「六国が并立すですでに久しい。一病一愈して、始皇三年に至ってみな平定した。是れ時勢の激発か、地勢の保障か、人事か?」揚雄は言った。「みなある。」「人事を請う。」揚雄は言った。「孝公以下、兵を強め農を力めて、以て六国を蚕食するは、人事。」「保障。」揚雄は言った。「東面は大河を以て溝と為し、南面は高山に阻み、西面は雍・梁に資を取り、北面は鹽鹵して涇水辺に至る。便利なれば伸展し、不利なれば蟠曲す、是れ保障。」「激発。」揚雄は言った。「始皇は斧のごとく、将相は刀のごとく、六国は木のごとく、将相は肉のごとし、是れ激発。」
或問:「秦伯列為侯衛,卒吞天下,而赧曾無以制乎?」曰:「天子制公、侯、伯、子、男也,庸節。節莫差於僭,僭莫重於祭,祭莫重於地,地莫重於天,則襄、文、宣、靈其兆也。昔者襄公始僭,西畤以祭白帝;文、宣、靈宗,興鄜、密、上、下,用事四帝,而天王不匡,反致文、武胙。是以四疆之內各以其力來侵,攘肌及骨,而赧獨何以制秦乎?」
ある人が問うた。「秦伯は侯衛に列して、終に天下を呑倂した、周赧王は竟に制止できざりしか?」揚雄は言った。「天子が公・侯・伯・子・男を制約するは、節度に靠る。節度は僭越差錯より大なるなく、僭越は祭祀より重きなく、祭祀は土地より重きなく、土地は天より重きなし。されば襄公・文公・宣公・霊公はすでに先兆あり。昔襄公はじめて僭越し、西畤を建て白帝を祭祀した。文・宣・霊は尊崇し、鄜畤・密畤・上畤・下畤を興して、四帝に用事した。しかるに天王は匡正を加えず、反って文・武の祭肉を賜えり。ゆえに四境の内は各々力気を凭って侵し、肌肉より骨に搶るに至り、赧王一人がまたどうして秦を制止できんや?」
或問:「嬴政二十六載,天下擅秦。秦十五載而楚,楚五載而漢。五十載之際,而天下三擅,天邪?人邪?」曰:「具。周建子弟,列名城,班五爵,流之十二,當時雖欲漢,得乎?六國蚩蚩,為嬴弱姬,卒之屏營。嬴擅其政,故天下擅秦。秦失其猷,罷侯置守,守失其微,天下孤睽。項氏暴強,改宰侯王,故天下擅楚。擅楚之月,有漢創業山南,發跡三秦,追項山東,故天下擅漢,天也。」「人。」曰:「兼才尚權,右計左數,動謹於時,人也。天不人不因,人不天不成。」
ある人が問うた。「嬴政二十六年、天下は秦に専属した。秦は十五年して楚に帰し、楚は五年して漢に帰した。五十年の間、天下は三たび専属した、是れ天か、それとも人か?」揚雄は言った。「みなある。周は子弟を封建し、名城を分列し、五等爵を頒行し、十二世に流伝した。当時漢を得んと欲するも、得られんや?六国昏昏として、嬴のために姫周を削弱し、終に惶恐して依るなし。嬴がその政を専掌した、ゆえに天下は秦に専属す。秦は謀略を丢れ、諸侯を廃して郡守を置き、郡守は統御を失い、天下は孤立乖離した。項羽は暴強にして、侯王を改封した、ゆえに天下は楚に専属す。楚に専属するの月、漢はすでに山南に創業し、三秦より発跡し、山東にて項羽を追撃した、ゆえに天下は漢に専属す、是れ天なり。」「人。」揚雄は言った。「才能を兼備し、権変を崇尚し、左右みな計算あり、行動は時に謹慎す、是れ人なり。天は人なくば因依する由なく、人は天なくば成就する能わず。」
或問:「楚敗垓下,方死,曰:『天也。』諒乎?」曰:「漢屈群策,群策屈群力。楚憞群策而自屈其力。屈人者克,自屈者負。天曷故焉?」
ある人が問うた。「楚は垓下に戦敗し、将に死せんとして曰く『是れ天なり』と、然りか?」揚雄は言った。「漢は群策をして屈服せしめ、群策はまた群力をして屈服せしめた。楚は群策を厭悪して自らその力を屈服した。人を屈服せしむるは勝ち、自ら屈服するは敗る。天に何の縁故かあらん?」
或問:「秦、楚既為天典命矣,秦縊灞上,楚分江西,興廢何速乎?」曰:「天胙光德而隕明忒。昔在有熊、高陽、高辛、唐、虞、三代,鹹有顯懿,故天胙之,為神明主,且著在天庭,是生民之願也,厥饗國久長。若秦、楚彊鬩震撲,胎藉三正,播其虐於黎苗,子弟且欲喪之,況於民乎?況於鬼神乎?廢未速也!」
ある人が問うた。「秦・楚はすでに天の授命されしに、秦は灞上にて自縊し、楚は江西にて分かれた、興廃はなぜあれほど速い?」揚雄は言った。「天は光明の徳を福佑し、顕明の差忒を陨落す。昔有熊・高陽・高辛・唐・虞・三代は、みな顕著の美徳あり、ゆえに天は彼らを福佑し、神明の主と為し、かつ天庭に写した。是れ生民の願望、ゆえに国を享くること久し。秦・楚のごとき強横に相斗い、震撃搏撃して、三正を践踏し、暴虐を黎民苗裔に播き至らしむるは、子弟ですら彼らを喪亡せしめんと欲すに、まして百姓においてをや?まして鬼神においてをや?廃するはなお速きと算えず!」
或問:「仲尼大聖,則天曷不胙?」曰:「無土。」「然則舜、禹有土乎?」曰:「舜以堯作土,禹以舜作土。」
ある人が問うた。「孔子は大聖、天はなぜ福佑せぬ?」揚雄は言った。「土地なし。」「では舜・禹は土地ありしか?」揚雄は言った。「舜は堯を以て土地と為し、禹は舜を以て土地と為す。」
或問「聖人表裡」。曰:「威儀文辭,表也;德行忠信,裡也。」
ある人が「聖人の表裏」を問うた。揚雄は言った。「威儀文辞は表、徳行忠信は裏。」
或問:「義帝初矯,劉龕南陽,項救河北。二方分崩,一離一合。設秦得人,如何?」曰:「人無為秦也,喪其靈久矣。」
ある人が問うた。「義帝が剛て尊立せられ、劉邦は南陽を攻取し、項羽は河北を救援した。两方分崩し、一離一合す。もし秦が人才を得たら、どうであったか?」揚雄は言った。「人は秦のために力せざらん、秦は神霊を喪うことすでに久し。」
韓信、黥布皆劒立,南面稱孤,卒窮時戮,無乃勿乎?或曰:「勿則無名,如何?」曰:「名者,謂令名也。忠不終而躬逆,焉攸令?」
韓信・黥布はみな剣を按じて自立し、南面して孤を称し、終に当時に戮を受けた、糊涂に非ずや?ある人が言った。「糊涂なれば名なし、またどうか?」揚雄は言った。「名とは、美名を謂う。忠を貫徹せずして自ら叛逆するは、どこになお美を談ぜん?」
或問「淳于越」。曰:「伎曲。」「請問。」曰:「始皇方虎挒而梟磔,噬士猶臘肉也。越與亢眉,終無撓辭,可謂伎矣。仕無妄之國,食無妄之粟,分無妄之橈,自令之間而不違,可謂曲矣。」
ある人が「淳于越」を問うた。揚雄は言った。「剛直にしてまた屈曲。」「さらに講じてください。」揚雄は言った。「始皇はまさに虎のごとく搏撃し、梟のごとく撕裂して、士人を咬むこと干肉を食うがごとし。淳于越は彼と眉を対して抗い、終始屈服の言なく、剛直と呼ぶべし。測り知れぬ国に官を為し、測り知れぬ粟を食い、測り知れぬ弯曲を分擔し、自ら間隙に処りて去らざるは、屈曲と呼ぶべし。」
或問:「茅焦歷井幹之死,使始皇奉虛左之乘。蔡生欲安項鹹陽,不能移,又亨之,其者未辯與?」曰:「生捨其木侯而謂人木侯,亨不亦宜乎?焦逆訐而順守之,雖辯,劘虎牙矣。」
ある人が問うた。「茅焦は井欄のごとき一排の人の殺されしを経歴して、始皇に左辺の車位を空けて太后を迎えしめた。蔡生は項羽に咸陽に定都せんと欲し、彼を打動できず、また烹られた、ほぼ善辯ならざるか?」揚雄は言った。「蔡生は己の木偶を丢れて人を木偶と言う、烹られるもまた正好ならずや?茅焦は逆らいて短を揭げ、順いて来りて守住す、善辯といえども、また虎牙を磨くなり。」
或問:「甘羅之悟呂不韋,張闢彊之覺平、勃,皆以十二齡,戊、良乎?」曰:「才也戊、良,不必父祖。」
ある人が問うた。「甘羅は呂不韋を感悟し、張辟彊は陳平・周勃を提醒した、みな十二歳に在り、項橐・張良の類か?」揚雄は言った。「才能は項橐・張良のごとく、必ずしも父祖に依らず。」
或問:「酈食其說陳留,下敖倉;說齊,罷歷下軍,何辯也?韓信襲齊,以身脂鼎,何訥也?」曰:「夫辯也者,自辯也。如辯人,幾矣!」
ある人が問うた。「酈食其は陳留を遊説し、敖倉を拿下した。斉を遊説し、歴下の守軍を撤した、何と善辯か?韓信が斉を襲撃し、酈食其は自ら鼎中の油脂と為った、また何と木訥か?」揚雄は言った。「いわゆる辯とは、己を辯する。もし人を辯するに往けば、危険なり!」
或問:「蒯通抵韓信,不能下,又狂之。」曰:「方遭信閉,如其抵!」曰:「巇可抵乎?」曰:「賢者司禮,小人司巇,況拊鍵乎?」
ある人が問うた。「蒯通は隙に抵りて韓信を遊説し、説き動かせず、また狂を装った。」揚雄は言った。「まさに韓信の閉拒に逢う、隙に抵るもまたどうせん!」問う。「縫隙は抵るべきか?」揚雄は言った。「賢人の守るは礼、小人の守るは縫隙、ましてまた門閂を按じて在るにおいてをや?」
或問:「李斯盡忠,胡亥極刑,忠乎?」曰:「斯以留客至作相,用狂人之言,從浮大海,立趙高之邪說,廢沙丘之正,阿意督責,焉用忠?」「霍?」曰:「始元之初,擁少帝之微,摧燕、上官之鋒,處廢興之分,堂堂乎忠,難矣哉!至顯,不終矣。」
ある人が問うた。「李斯は忠を尽くし、胡亥は極刑を以てした、忠と算えるか?」揚雄は言った。「李斯は客卿を留住より丞相と為るに至り、狂人の言を聴信し、随いて大海を渡り、趙高の邪説を成立し、沙丘の正命を廃掉し、阿意督責した、どこに忠を用いんや?」「霍光は?」揚雄は言った。「始元初年、年幼の少帝を護持し、燕王・上官の鋒芒を摧折し、廃興の分際に処り、堂堂の忠は、難し!霍顕に至っては、貫徹し終る能わざりき。」
或問:「馮唐面文帝得廉頗、李牧不能用也,諒乎?」曰:「彼將有激也。親屈帝尊,信亞夫之軍,至頗、牧,曷不用哉?」「德?」曰:「罪不孥,宮不女,館不新,陵不墳。」
ある人が問うた。「馮唐は面して文帝に廉頗・李牧を得ても用い得ぬと言った、然りか?」揚雄は言った。「彼は激発せんと欲する所あり。文帝は能く親しく尊を屈し、周亜夫の軍営を信任す、廉頗・李牧に至っては、どうして用いざらん?」「文帝の徳は?」揚雄は言った。「罪は子孫に連及せず、宮中に女子を充斥せず、館舎に新を求めず、陵墓に高墳を堆まず。」
或問「交」。曰:「仁。」問「餘、耳」。曰:「光初。」「竇、灌」。曰:「兇終。」
ある人が「交友」を問うた。揚雄は言った。「仁。」「陳余・張耳」を問う。揚雄は言った。「開始は光明。」「竇嬰・灌夫」。揚雄は言った。「結局は凶険。」
或問「信」。曰:「不食其言。」「請人。」曰:「晉荀息、趙程嬰、公子杵臼,秦大夫鑿穆公之側。」問「義」。曰:「事得其宜之謂義。」
ある人が「信」を問うた。揚雄は言った。「己の言を呑まず。」「人を挙げてください。」揚雄は言った。「晋の荀息・趙の程嬰・公孫杵臼、秦大夫の穆公の辺に死した者たち。」「義」を問う。揚雄は言った。「事がその応有の適宜を得るを、義という。」
或問:「季布忍焉,可為也?」曰:「能者為之,明哲不為也。」或曰:「當布之急,雖明哲之如何?」曰:「明哲不終項仕。如終項仕,焉攸避?」
ある人が問うた。「季布は能く忍ぶ、学ぶべきか?」揚雄は言った。「能力ある者は為す、明哲の者は為さず。」ある人が言った。「季布が危急の当時、明哲といえどもまたどうせん?」揚雄は言った。「明哲は底まで為してもなお項羽の官を為さず。もし底まで為してなお項羽の官を為せば、またどこへ躲れん?」
或問「賢」。曰:「為人所不能。」「請人。」曰:「顏淵、黔婁、四皓、韋玄。」問「長者」。曰:「藺相如申秦而屈廉頗,欒布之不倍,朱家之不德,直不疑之不校,韓安國之通使。」
ある人が「賢」を問うた。揚雄は言った。「人の為し得ぬを為す。」「人を挙げてください。」揚雄は言った。「顔淵・黔婁・四皓・韋玄成。」「長者」を問う。揚雄は言った。「藺相如は秦に強硬して廉頗に委屈し、欒布は彭越を背棄せず、朱家は自ら徳有りと居らず、直不疑は人と計較せず、韓安国は人のために疏通す。」
或問「臣自得」。曰:「石太僕之對,金將軍之謹,張衛將軍之慎,丙大夫之不伐善。」「請問臣自失。」曰:「李貳師之執貳,田祁連之濫帥,韓馮翊之愬蕭,趙京兆之犯魏。」
ある人が「臣子の自ら得たる」を問うた。揚雄は言った。「石太僕の対答、金将軍の謹慎、張衛将軍の慎重、丙大夫の己の好さを誇らざる。」「臣子の自ら失いたるを請う。」揚雄は言った。「李貳師の二心を懐く、田祁连の帥たるに濫る、韓馮翊の蕭望之を誣告する、趙京兆の魏相を冒犯する。」
或問「持滿」。曰:「扼欹。」
ある人が「盈満を保持する」を問うた。揚雄は言った。「傾斜する器皿を按住せよ。」
揚王孫倮葬以矯世。曰:「矯世以禮,倮乎?如矯世,則葛溝尚矣。」
楊王孫は裸葬を以て世俗を矯正した。揚雄は言った。「世俗を矯正するは礼を以てすべし、裸葬か?もし世俗を矯正せんと欲せば、葛布を以て裹みて溝に丢るがこそ更早し。」
或問「《周官》」。曰:「立事。」「《左氏》」。曰:「品藻。」「太史遷。」曰:「實錄。」
ある人が「『周官』」を問うた。揚雄は言った。「職事を建立す。」「『左氏』」。揚雄は言った。「品評藻飾。」「太史遷」。揚雄は言った。「実に拠って記録す。」
