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03

西汉 · 扬雄 · 第2巻 / 7

修身以為弓,矯思以為矢,立義以為的,奠而後發,發必中矣。

修身を以て弓とし、心の矯正を以て箭とし、義の樹立を以て鵠とし、安穏して後射出せば、射出すれば必ず中る。

人之性也善惡混。修其善則為善人,修其惡則為惡人。氣也者,所以適善惡之馬也與?

人の性は善悪混じり合う。その中の善を修めれば善人となり、その中の悪を修めれば悪人となる。気とは、ほぼ人を善か悪かへ運ぶあの馬ではないか?

或曰:「孔子之事多矣,不用,則亦勤且憂乎?」曰:「聖人樂天知命,樂天則不勤,知命則不憂。」

ある人が言った。「孔子の為すべき事はあれほど多いのに任用されぬ、彼も労苦且つ憂愁するか?」揚雄は言った。「聖人は天を楽しみ命を知る。天を楽しめば労苦せず、命を知れば憂愁しない。」

或問「銘」。曰:「銘哉!銘哉!有意於慎也。」

ある人が「銘」を問うた。揚雄は言った。「銘よ!銘よ!あれは心あるを謹慎せんとするもの。」

聖人之辭,可為也;使人信之,所不可為也。是以君子彊學而力行。

聖人の文辞は、学んで作ることができるが、人にこれを信じさせるは、強いて作れるものではない。ゆえに君子は力めて学び且つ力めて行う。

珍其貨而後市,修其身而後交,善其謀而後動成道也。

先ず己の貨を珍しんで後市に入り、先ず己を修めて後人と交わり、先ず己の謀を完善して後行動す、これが事を成す正道である。

君子之所慎:言、禮、書。

君子の謹慎する所:言・礼・書写。

上交不諂,下交不驕,則可以有為矣。或曰:「君子自守,奚其交?」曰:「天地交,萬物生;人道交,功勳成,奚其守?」

上に交わりて諂わず、下に交わりて驕らざれば、以て為すことができる。ある人が言った。「君子は自ら守ればよい、何ぞ交わらんことを?」揚雄は言った。「天地交わりて、はじめて万物生ず。人道交わりて、はじめて功業成る。何ぞ守るのみならんや?」

好大而不為,大不大矣;好高而不為,高不高矣。

大を好みて行わざれば、大もまた大ならず。高を好みて行わざれば、高もまた高ならず。

仰天庭而知天下之居卑也哉!

天庭を仰げば、天下人の居る所がいかに低下なるかを知る!

公儀子、董仲舒之才之邵也,使見善不明,用心不剛,儔克爾?

公儀休・董仲舒の才徳のあれほど美好なるも、もし善を見るに明らかならず心を用うるに剛ならざれば、誰があのごとくなれよう?

或問「仁、義、禮、智、信之用」。曰:「仁,宅也;義,路也;禮,服也;智,燭也;信,符也。處宅,由路,正服,明燭,執符,君子不動,動斯得矣。」

ある人が「仁・義・礼・智・信の用处」を問うた。揚雄は言った。「仁は宅、義は路、礼は服、智は燭、信は符節である。宅に住み、路上を行き、衣服を端正し、燭火を点き、符節を持てば、君子は妄動せず、一動すれば当を得る。」

有意哉!孟子曰:「夫有意而不至者有矣,未有無意而至者也。」

志あるかな!孟子は言った。「志あって達せざる人はあるが、志なくして達したことはいまだかつてない。」

或問「治己」。曰:「治己以仲尼。」或曰:「治己以仲尼,仲尼奚寡也?」曰:「率馬以驥,不亦可乎?」或曰:「田圃田者,莠喬喬;思遠人者,心忉忉。」曰:「日有光,月有明。三年不目日,視必盲;三年不目月,精必矇。熒魂曠枯,糟莩曠沈,擿埴索塗,冥行而已矣。」

ある人が「己を治める」を問うた。揚雄は言った。「孔子をもって己を治めよ。」ある人が言った。「孔子をもって己を治めるに、孔子のごとき人がなぜあれほど少ない?」揚雄は言った。「千里の馬をもって群馬を率いるは、不可ならんや?」ある人が言った。「圃田を耕す者は、雑草が高く生い茂る。遠き人を思う者は、心に憂傷あり。」揚雄は言った。「日に光あり、月に明あり。三年日を見ざれば、目必ず瞎す。三年月を見ざれば、神必ず蒙る。魂魄長く枯竭し、糟粕の浮沫長く沈埋すれば、ただ盲人が杖を持ちて路を探り、黒闇の中を行くがごときのみ。」

或問:「何如斯謂之人?」曰:「取四重,去四輕,則可謂之人。」曰:「何謂四重?」曰:「重言,重行,重貌,重好。言重則有法,行重則有德,貌重則有威,好重則有觀。」「敢問四輕。」曰:「言輕則招憂,行輕則招辜,貌輕則招辱,好輕則招淫。」

ある人が問うた。「どうして人と呼ぶべきか?」揚雄は言った。「四つの穏重を取り、四つの軽浮を去れば、人と呼ぶべし。」「四重とは何か?」揚雄は言った。「言を重んじ、行を重んじ、貌を重んじ、好を重んず。言重んずれば法度あり、行重んずれば徳あり、貌重んずれば威厳あり、好重んずれば観むべきあり。」「四軽を請う。」揚雄は言った。「言軽ければ憂患を招き、行軽ければ罪過を招き、貌軽ければ羞辱を招き、好軽ければ淫濫を招く。」

《禮》多儀。或曰:「日𣅔不食肉,肉必乾;日𣅔不飲酒,酒必酸。賓主百拜而酒三行,不已華乎?」曰:「實無華則野,華無實則賈,華實副則禮。」

『礼』の中に儀節多し。ある人が言った。「日が西に偏ってもまだ肉を食わざれば、肉必ず乾く。日が西に偏ってもまだ酒を飲まざれば、酒必ず酸す。賓主が百拝して三巡の酒を行うは、あまりに浮華にあらずや?」揚雄は言った。「実質のみあって文采なければ粗野、文采のみあって実質なければ商賈のごとし、文采と実質と相称してこそ礼である。」

山雌之肥,其意得乎!或曰:「回之簞瓢,臞如之何?」曰:「明明在上,百官牛羊,亦山雌也;闇闇在上,簞瓢捽茹,亦山雌也,何其臞?千鈞之輕,烏獲力也;簞瓢之樂,顏氏德也。」

山の雌雉はあれほど肥え、その心意は満ち足りたか!ある人が言った。「顔回は一簞の食・一瓢の飲、あれほど痩せて、またどうか?」揚雄は言った。「上が光明ならば、百官・牛羊斉備しても、やはり山の雌雉。上が昏暗ならば、簞瓢・野菜でも、やはり山の雌雉。どうして痩せようか?千鈞の重さをもっても尚軽しとするは、烏獲の力。簞瓢の中にあっても尚楽しめるは、顔氏の徳。」

或問:「犂牛之鞹與玄騂之鞹有以異乎?」曰:「同。」「然則何以不犂也?」曰:「將致孝乎鬼神,不敢以其犂也。如刲羊刺豕,罷賓犒師,惡在犂不犂也!」

ある人が問うた。「雑色の牛の皮と黒赤色の牛の皮に分別あるか?」揚雄は言った。「同じ。」「ではなぜ雑色の牛で祭祀せぬ?」揚雄は言った。「鬼神に孝を致さんとして、あの雑色を以てするを敢えてしない。もし羊を宰し猪を殺し、賓客を慰労し軍隊を犒賞するならば、雑色か否かまた何の関係かあらん!」

有德者好問聖人。或曰:「魯人鮮德,奚其好問仲尼也?」曰:「魯未能好問仲尼故也。如好問仲尼,則魯作東周矣。」

徳ある人は聖人に請教するを好む。ある人が言った。「魯人は徳あること少ないのに、なぜ孔子に請教するを好む?」揚雄は言った。「まさに魯がいまだ真に孔子に請教するを好まざるがゆえ。もし孔子に請教するを好めば、魯は東方の周と成すことができる。」

或問:「人有倚孔子之牆,弦鄭、衛之聲,誦韓、莊之書,則引諸門乎?」曰:「在夷貉則引之,倚門牆則麾之,惜乎衣未成而轉為裳也。」

ある人が問うた。「孔子の墻に倚って、鄭・衛の楽声を弾奏し、韓非・荘子の書を誦読する者がいる、なお彼を門内に引き入れるか?」揚雄は言った。「彼が夷貉の中にあれば、引き入れよ。すでに門墻に倚ってこのごとくならば、揮て去らせよ。惜しいかな衣服まだ成さざるに、先に下裳に改めてしまった。」

聖人耳不順乎非、口不肄乎善,賢者耳擇、口擇,眾人無擇焉。或問「眾人」。曰:「富貴生。」「賢者」。曰:「義。」「聖人」。曰:「神。」觀乎賢人,則見眾人;觀乎聖人,則見賢人;觀乎天地,則見聖人。天下有三好:眾人好己從,賢人好己正,聖人好己師。天下有三檢:眾人用家檢,賢人用國檢,聖人用天下檢。天下有三門:由於情慾,入自禽門;由於禮義,入自人門;由於獨智,入自聖門。

聖人は耳をもって誤りに順従せず、口をもって不善を習練せず。賢人は聴くに選択あり、説くに選択あり。凡人は選択なし。ある人が「凡人」を問うた。揚雄は言った。「ただ富貴と活命のみを知る。」「賢人」を問う。揚雄は言った。「義。」「聖人」を問う。揚雄は言った。「神。」賢人を観れば、凡人を見出せる。聖人を観れば、賢人を見出せる。天地を観れば、聖人を見出せる。天下に三つの喜好あり:凡人は人が己に順従するを好み、賢人は人が己を匡正するを好み、聖人は人が己の師と為るを好む。天下に三つの検束あり:凡人は家をもって検束し、賢人は国をもって検束し、聖人は天下をもって検束す。天下に三つの門あり:情慾より行けば、禽獣の門に入る。礼義より行けば、人の門に入る。独特の智慧より行けば、聖人の門に入る。

或問:「士何如斯可以禔身?」曰:「其為中也弘深,其為外也肅括,則可以禔身矣。」

ある人が問うた。「士はどうして身を安んずべきか?」揚雄は言った。「内心弘大深沉、外表整粛端正、以て身を安んずべし。」

君子微慎厥德,悔吝不至,何元憞之有?

君子は細微の処に己の徳を謹慎すれば、悔吝も来らず、どこに大悪かあらん?

上士之耳訓乎德,下士之耳順乎己。

上士の耳は徳に従って訓導を受け、下士の耳はただ己に順従するのみ。

言不慙、行不恥者,孔子憚焉。

言うに慙愧を感じず、行うに羞恥を感じざる者は、孔子すらこれを憚る。

04

或問「道」。曰:「道也者,通也,無不通也。」或曰:「可以適它與?」曰:「適堯、舜、文王者為正道,非堯、舜、文王者為它道。君子正而不它。」

ある人が「道」を問うた。揚雄は言った。「道とは通ず、通、通ぜざるところなし。」ある人が言った。「別の所へ通ずることができるか?」揚雄は言った。「堯・舜・文王へ通ずるは正道、堯・舜・文王に非ざるは旁道。君子は正道を行き、旁道を行かない。」

或問「道」。曰:「道若塗若川,車航混混,不捨晝夜。」或曰:「焉得直道而由諸?」曰:「塗雖曲而通諸夏則由諸,川雖曲而通諸海則由諸。」或曰:「事雖曲而通諸聖則由諸乎?」

ある人が「道」を問うた。揚雄は言った。「道は路のごとく河のごとく、車船が滚滚として、昼夜に止まない。」ある人が言った。「どこに直道を得て行かん?」揚雄は言った。「路は弯曲するも、華夏に通ずればそれを行け。河は弯曲するも、海に通ずればそれを行け。」ある人が言った。「事は曲折するも、聖人に通ずればまたそれを行くか?」

道、德、仁、義、禮,譬諸身乎?夫道以導之,德以得之,仁以人之,義以宜之,禮以體之,天也。合則渾,離則散,一人而兼統四體者,其身全乎!

道・徳・仁・義・礼は、人の身体のごときではないか?道は以て導き、徳は以て得、仁は以て人たらしめ、義は以て宜を得、礼は以て体を得、これは天然である。合わされば渾然一体、分かれば散じる。一人が四肢を兼統できるとき、身体は完全と言えるだろう!

或問「德表」。曰:「莫知作,上作下。」「請問禮莫知。」曰:「行禮於彼,而民得於此,奚其知!」或曰:「孰若無禮而德?」曰:「禮,體也。人而無禮,焉以為德?」

ある人が「徳の表徴」を問うた。揚雄は言った。「上が為しても、下は誰が為したかを覚えない。」「礼も人に覚えさせぬかを請う。」揚雄は言った。「彼方で礼を行えば、百姓は此方で利益を得る。誰が為したかを知るを何とする!」ある人が言った。「礼なくして徳あるのみに何如?」揚雄は言った。「礼とは体。人もし礼なくば、何を以て徳を成さん?」

或問「天」。曰:「吾於天與,見無為之為矣!」或問:「彫刻眾形者匪天與?」曰:「以其不彫刻也。如物刻而彫之,焉得力而給諸?」

ある人が「天」を問うた。揚雄は言った。「我は天上に在りて、無為の中の作為を見る!」ある人が問うた。「万物の形を雕刻するは、天ではないか?」揚雄は言った。「まさにそれが雕刻せざるがゆえ。もし一物一物を刻み雕らば、どうしてあれほどの力气を供給し得よう?」

老子之言道德,吾有取焉耳。及搥提仁義,絕滅禮學,吾無取焉耳。

老子は道徳を講じ、我に取るべきところあり。彼が仁義を抨撃し礼学を滅絶するに至っては、我に取るべきところなし。

吾焉開明哉?惟聖人為可以開明,它則苓。大哉,聖人言之至也!開之,廓然見四海;閉之,閛然不覩牆之裡。

我はどうして開通光明できよう?ただ聖人のみ開通光明でき、他は苓草に過ぎない。偉大かな、聖人の言は極に達せり!これを開けば、開濶して四海を見渡し。これを閉ざれば、昏暗して墻の内を見ず。

聖人之言,似於水火。或問「水火」。曰:「水,測之而益深,窮之而益遠;火,用之而彌明,宿之而彌壯。」

聖人の言は、水のごとく火のごとし。ある人が「水火」を問うた。揚雄は言った。「水は、測れば測るほど深く、窮めれば窮めるほど遠い。火は、用いれば用いるほど明るく、停めれば停めるほど旺さかん。」

允治天下,不待禮文與五教,則吾以黃帝、堯、舜為疣贅。

果して天下を治めるに礼文と五教を待たずばよいならば、我は黄帝・堯・舜を贅疣と見做さん。

或曰:「太上無法而治,法非所以為治也。」曰:「鴻荒之世,聖人惡之,是以法始乎伏犧而成乎堯。匪伏匪堯,禮義哨哨,聖人不取也。」

ある人が言った。「最上等は法なくして治む、法は以て治めるに非ず。」揚雄は言った。「鴻荒の世を、聖人はこれを悪んだ。ゆえに法は伏羲に始まり、堯にて完成す。伏羲に非ず、堯に非ずば、礼義空空として呼号し、聖人は取らぬ。」

或問:「八荒之禮,禮也,樂也,孰是?」曰:「殷之以中國。」或曰:「孰為中國?」曰:「五政之所加,七賦之所養,中於天地者為中國。過此而往者,人也哉?」

ある人が問うた。「八方の荒遠の地の礼は、礼か、楽か、どちらが正しい?」揚雄は言った。「中国を以て標準とせよ。」ある人が言った。「何を中国と謂う?」揚雄は言った。「五政施しかれて得、七賦養しかれて得、天地の中に処る、これを中国という。これらを越えてさらに外なるは、なお人か?」

聖人之治天下也,礙諸以禮樂。無則禽,異則貉。吾見諸子之小禮樂也,不見聖人之小禮樂也。孰有書不由筆,言不由舌?吾見天常為帝王之筆、舌也。

聖人が天下を治めるに、礼楽をもってこれを範囲す。礼楽なくばすなわち禽獣、礼楽に異なるはすなわち夷貉。我は諸子が礼楽を小にするを見れども、聖人が礼楽を小にするを見ざるなり。どこに筆を経由せずして書し、舌を経由せずして話す者あらん?我はあの天常を看るに、帝王の筆と舌である。

智也者,知也。夫智用不用,益不益,則不贅虧矣。

智とは、知である。智を用いるべきと用いるべからざる、増益すべきと増益すべからざるに用いれば、多余せずも亏欠せず。

深知器械、舟車、宮室之為,則禮由已。

器械・舟車・宮室のいかに作られたかを深く知れば、礼もまた自身より出る。

或問「大聲」。曰:「非雷非霆,隱隱耾耾,久而愈盈,屍諸聖。」

ある人が「大声」を問うた。揚雄は言った。「雷に非ず霆に非ず、隠隠隆隆、久しければ久しいほど満ちて、その声音は聖人に寄托する。」

或問:「道有因無因乎?」曰:「可則因,否則革。」

ある人が問うた。「道に因襲あり、不因襲ありか?」揚雄は言った。「可なれば因襲し、不可なれば変革す。」

或問「無為」。曰:「奚為哉?在昔虞、夏,襲堯之爵,行堯之道,法度彰,禮樂著,垂拱而視天下民之阜也,無為矣。紹桀之後,纂紂之餘,法度廢,禮樂虧,安坐而視天下民之死,無為乎?」

ある人が「無為」を問うた。揚雄は言った。「なお何を為さん?昔虞・夏は堯の爵位を承襲し、堯の道理を実行し、法度彰明、礼楽顕著、衣を垂れ手を拱いて天下の百姓の富庶を観る、これが無為である。桀の後に接し、紂の余緒に続いて、法度廃弛、礼楽亏損して、安坐して天下の百姓の死するを観る、なお無為と謂うか?」

或問:「太古塗民耳目,惟其見也聞也,見則難蔽,聞則難塞。」曰:「天之肇降生民,使其目見耳聞,是以視之禮,聽之樂。如視不禮,聽不樂,雖有民,焉得而塗諸?」

ある人が言った。「太古は百姓の耳目を堵塞した、ただ彼らが見て聴いたがゆえに。見たれば再び蒙蔽し難く、聴いたれば再び堵塞し難し。」揚雄は言った。「上天は初めに生民を降下して、彼らに目能く見耳能く聴かしめた。ゆえに礼を以て彼らに看せ、楽を以て彼らに聴かす。もし看る所が礼に非ず、聴く所が楽に非ざれば、百姓あるといえども、どうして堵塞し得よう?」

或問「新敝」。曰:「新則襲之,敝則益損之。」

ある人が「新と旧敝」を問うた。揚雄は言った。「新しきはこれを沿袭し、旧敝せるはこれを増減す。」

或問:「太古德懷不禮懷,嬰兒慕,駒犢從,焉以禮?」曰:「嬰、犢乎!嬰、犢母懷不父懷。母懷,愛也;父懷,敬也。獨母而不父,未若父母之懿也。」

ある人が言った。「太古は徳を以て懐柔し、礼を以て懐柔せず。嬰児は母を思慕し、馬駒・牛犢は母獣に随従す。どこに礼を用いん?」揚雄は言った。「嬰児と牛犢か!嬰児・牛犢の懐くは母にして父に非ず。母の懐くは愛、父の懐くは敬。母のみあって父なければ、父母兼備の美好に及ばない。」

狙詐之家曰:「狙詐之計,不戰而屈人兵,堯、舜也。」曰:「不戰而屈人兵,堯、舜也;沾項漸襟,堯、舜乎?衒玉而賈石者,其狙詐乎!」或問:「狙詐與亡孰愈?」曰:「亡愈。」或曰:「子將六師,則誰使?」曰:「御得其道,則天下狙詐鹹作使;御失其道,則天下狙詐鹹作敵。故有天下者,審其御而已矣。」或問:「威震諸侯,須於徵與狙詐之力也,如其亡?」曰:「威震諸侯、須於狙詐可也,未若威震諸侯而不須狙詐也。」或曰:「無狙詐,將何以徵乎?」曰:「縱不得不徵,不有《司馬法》乎?何必狙詐乎!」

詭詐を玩弄する一家は言った。「詭詐の計謀は、戦わずして敵軍を屈服させ得る、これが堯・舜である。」揚雄は言った。「戦わずして敵軍を屈服するは、堯・舜である。血に頸を沾らせ衣襟を浸すは、なお堯・舜か?石を以て玉と売る、これが詭詐である!」ある人が問うた。「詭詐と無、どちらが良い?」揚雄は言った。「無が良い。」ある人が言った。「あなたが六軍を統領するなら、誰を使用する?」揚雄は言った。「駕馭法あれば、天下の詭詐を玩弄する者を駆使に供す。駕馭法なければ、天下の詭詐を玩弄する者を敵人と為す。ゆえに天下を有する者は、ただ己がいかに駕馭するかを審察すれば足りる。」ある人が問うた。「威震して諸侯たらんには、必ず征伐と詭詐の力に依る。これらなくんばどうか?」揚雄は言った。「威震して諸侯にして詭詐に依るを必すも、可なり。威震して諸侯にして詭詐に依るを必せずに如かず。」ある人が言った。「詭詐なくば、何を以て征伐せん?」揚雄は言った。「縦り征伐せざるを得ずとも、『司馬法』はまだあるではないか!何ぞ詭詐を用いんや!」

申、韓之術,不仁之至矣,若何牛羊之用人也?若牛羊用人,則狐狸、螻螾不膢臘也與?或曰:「刀不利,筆不銛,而獨加諸砥,不亦可乎?」曰:「人砥,則秦尚矣。」

申不害・韓非の法術は、不仁の極である。どうして牛羊のごとく人を使えようか?もし牛羊のごとく人を使えば、狐狸・螻蟻にも祭肉の食うべきあらん!ある人が言った。「刀利ならず笔尖ならず、別に取りて磨けば、不可ならんや?」揚雄は言った。「人を以て磨石と為すは、秦朝は頂に至ったと言うべし。」

或曰:「刑名非道邪?何自然也?」曰:「何必刑名?圍棊、擊劒、反目、眩形,亦皆自然也。由其大者作正道,由其小者作姦道。」

ある人が言った。「刑名の学は道に非ずや?それ何と自然なるか。」揚雄は言った。「何ぞ刑名ならん?囲棋・撃剣・翻眼・眩形も、みなとても自然である。大なる処より行けば正道、小なる処より行けば奸道。」

或曰:「申、韓之法非法與?」曰:「法者,謂唐、虞、成周之法也。如申、韓!如申、韓!」

ある人が言った。「申不害・韓非の法は、また法に非ずや?」揚雄は言った。「いわゆる法とは、唐堯・虞舜・成周の法を謂う。申・韓のごときか!申・韓のごときか!」

莊周、申、韓不乖寡聖人而漸諸篇,則顏氏之子、閔氏之孫其如臺?

荘周・申不害・韓非もし聖人に背离せず漸々あの篇章を写成せずば、顔氏の子・閔氏の孫はまたどうすべきか?

或曰:「莊周有取乎?」曰:「少欲。」「鄒衍有取乎?」曰:「自持。至周罔君臣之義,衍無知於天地之間,雖鄰不覿也。」

ある人が言った。「荘周に取るべきものあるか?」揚雄は言った。「欲を少なうする。」「鄒衍に取るべきものあるか?」揚雄は言った。「自ら持守する。荘周が君臣の義を無視し、鄒衍が天地の間を無知なるに至っては、隣居を為すとも我は往かず見ず。」

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