太乙風雲飛鳥助戦の法を推す
《經》曰:助戰之法,常須觀風雲之勢,察飛烏之情。若太乙所在宮有風雲、飛鳥等來沖格、迫擊太乙者,大敗之兆。若追擊大將宮者,主敗。若從它日上去擊客,客敗。若從骼目上擊主,主敗。若從主人形上來,客敗。
『経』の上に言う。助戦の法は、須らく時常風雲の形勢を観察し、飛鳥の動静を審視せよ。もし太乙の居る宮に風雲・飛鳥が来りて太乙を衝格あるいは迫撃すれば、これは大敗の徴兆である。もし風雲飛鳥が大将の居る宮を追撃すれば、主方敗れる。もし他方の目の上より前去して客方を衝撃すれば、客方敗れる。もし客目の上より主方を衝撃すれば、主方敗れる。もし主方の形位の上より衝来すれば、則ち客方敗れる。占う者はまず風雲飛鳥が何方より起こり何方へ向かうかを分かち清めてから、誰勝誰負を定めるべきである。
若有風雲、飛鳥從太歲、大陰、月建上來擊主人,主人敗;擊客,客敗。若有風雲、飛鳥扶主人陣者,主人勝;扶客陣者,客勝。若其日有迴風起伏、飛烏旋轉,於陣中旗折,大敗之兆,若眾來噪陣者,及有風雲沖突主人陣,主人敗;沖突客陣,客敗也。
もし風雲・飛鳥が太歳・太陰・月建の方位の上より衝来して主方に撃向すれば、主方敗れ、客方に撃向すれば、客方敗れる。もし風雲・飛鳥が勢に順って主方の軍陣を扶助すれば、主方勝ち、客方の軍陣を扶助すれば、客方勝つ。もし当日旋風が忽ち起こり忽ち伏し、飛鳥が盤旋回転し、しかも陣中の旗杆が折断すれば、これは大敗の徴兆である。もし敵衆が鼓噪して我が陣に撲し、同時にまた風雲が直ちに主方の陣地を衝けば、主方敗れ、直ちに客方の陣地を衝けば、客方敗れる。
陣上の風雲気を推して勝負を定む
臣按:前篇但雲氣在敵上擊我,我敗者,大義如此。中不無至妙令世之言。
臣王希明按す。前の一篇はただ雲気が敵軍の上方に在りて我が軍を衝撃すれば我が軍すなわち敗ると説くのみで、大体の道理は確かにそのごとしだが、その中にはなお更に精微・当世に垂示するに足る講法が言い尽くされずにあるので、別にこの篇を立て、敵軍の処する方位に按じて分かれて雲気の顔色と勝負を論ずる。
假令敵在北方,若有黑氣,氣在敵陣上,敵大勝;若壬癸日,彌佳。若白雲氣在敵陣上,敵欲罷陣求和。若青雲氣在敵陣上,將寬緩,急擊則平。若紅雲氣在敵陣上,客勝。若黃雲氣在敵陣上,大敗;壬癸彌惡也。
仮に敵軍が北方に在りとす(北方は水に属し、その色は黒)。もし黒気が敵陣の上に籠罩すれば、これは本方の気がその正を得たもので、敵軍は大勝す。壬日・癸日に逢えばさらに得力である。もし白雲の気が敵陣の上にあれば、金が水を生じて気が泄れ、敵軍が兵を収め和を求めんとすることを主る。もし青雲の気が敵陣の上にあれば、水が木を生じて気が外泄し、敵将の行動が遅緩で、我が方が急攻すれば平手に打てる。もし紅雲の気が敵陣の上にあれば、火が来て克を受け、客方の勝利を主る。もし黄雲の気が敵陣の上にあれば、土が来て水を克し、敵軍は大敗す。壬癸の日に逢えば敵に対してさらに不利である。
假令敵在南方,若有赤雲氣在敵陣上,大勝;丙丁日彌佳。若青雲氣在敵陣上,欲罷陣求解。若黃雲氣在敵陣上,敵將遲鈍,急擊則平。若白雲氣在敵陣上,失利。若黑雲氣在敵陣上,敵大敗;丙丁日彌惡。
仮に敵軍が南方に在りとす(南方は火に属し、その色は赤)。もし赤雲の気が敵陣の上にあれば、本方の気と相合し、敵軍は大勝す。丙日・丁日に逢えばさらに得力である。もし青雲の気が敵陣の上にあれば、木が来て火を生じて力が分かれ、敵軍が兵を罷め和を求めんとすることを主る。もし黄雲の気が敵陣の上にあれば、火気が土に外泄し、敵将は遅鈍で、我が方が急攻すれば打平できる。もし白雲の気が敵陣の上にあれば、金が来て克を受け、敵方の失利を主る。もし黒雲の気が敵陣の上にあれば、水が来て火を克し、敵軍は大敗す。丙丁の日に逢えば敵に対してさらに不利である。
假令敵在西方,有白雲氣在敵陣上,庚辛日彌佳。若得黃雲氣在敵陣上,欲求解。若黑雲氣在敵陣上,將寬緩,急擊平。若青雲氣在敵陣上,敵敗。若赤雲氣在敵陣上,放大敗;庚辛日彌惡。
仮に敵軍が西方に在りとす(西方は金に属し、その色は白)。もし白雲の気が敵陣の上にあれば、まさに本方の気と合し、庚日・辛日に逢えばさらに得力である。もし黄雲の気が敵陣の上にあれば、土が金を生じて気が緩み、敵方が和解を求めんとすることを主る。もし黒雲の気が敵陣の上にあれば、金気が水に外泄し、敵将の行動が遅緩で、我が方が急攻すれば打平できる。もし青雲の気が敵陣の上にあれば、木が来て克を受け、敵軍の敗を主る。もし赤雲の気が敵陣の上にあれば、火が来て金を克し、敵軍は大敗す。庚辛の日に逢えば敵に対してさらに不利である。
假令敵在東方,若青雲氣在敵陣上,大勝;甲乙日彌佳。若黑雲氣在敵陣上,欲求和。若赤雲氣在敵陣上,敵將遲鈍,然不可擊。若黃雲氣在敵陣上,大敗;甲乙日彌惡。
仮に敵軍が東方に在りとす(東方は木に属し、その色は青)。もし青雲の気が敵陣の上にあれば、まさに本方の気と合し、敵軍は大勝す。甲日・乙日に逢えばさらに得力である。もし黒雲の気が敵陣の上にあれば、水が来て木を生じて力が分かれ、敵方が和を求めんとすることを主る。もし赤雲の気が敵陣の上にあれば、木気が火に外泄し、敵将は遅鈍なれども、我が方はかえって贸然として進撃すべからず。もし黄雲の気が敵陣の上にあれば、木が土を克して反ってその累を受け、大敗を主る。甲乙の日に逢えば敵に対してさらに不利である。四方の気はみな本色をもって旺とし、克せらるる色をもって敗とし、其余は五行生克に依って類推する。
此諸雲氣在敵陣上既然。若在我陣上亦爾。諸勝氣動利,大勝。雖得勝雲氣,若斷續不次,或南北潰亂,亦敗。若得敗雲氣堅實,動大利。則雖得敗氣,若斷續潰亂,不至全惡。
以上の各種の雲気が敵陣の上に現るるはこのように断ずる。我が方の陣上に現るるも同じ道理に照らして断ずる。およそ得勝の気に属してしかも流動力あるは、大勝を主る。ただし縦令勝気を得ても、もし雲気が断続し参差して次第を成さず、あるいは南北に飄散潰乱すれば、なお敗るべし。これに反して、もし得るは敗気なれども、形質が堅実にして流動力あれば、なお大いに利あり。すなわちたとえ敗気に遇うとも、それが断続潰散すれば、全然凶悪には至らない。
若對陣之時,若勝雲氣在大將上,大勝;參將上,參將勝。若敗雲氣,反此。則前諸格、迫或太乙雲氣皆須約其方面,審候雲氣勝負,以定吉凶。若都無雲氣多少方分,無戰或復相勻也。
両軍の陣対する時、もし得勝の気が大将の位の上に籠罩すれば、大勝を主り、参将の位の上に籠罩すれば、則ち参将の一路が勝利を取る。もし敗気ならば、断法はちょうどその反対である。前に講じた各種の格・迫および太乙の主る雲気は、みなまずその所在の方位を約定し、さらに仔細に雲気の勝敗の状を伺察して、これに拠って吉凶を判定せねばならない。もし上空に全く雲気なく、多少と方位をも分かたざれば、それはあるいは交戦せざるか、あるいは両軍が勢均力敵して互いに勝負ありであろう。
太乙金鏡式経巻四
積年の法を推す
自上元甲寅之歲至大唐開元十二年甲於歲積,很二十八萬五千一十一算。臣今恐速要自漢安帝元初甲寅為近至開元十二年甲子歲,積得六百十一算。
上元甲寅の年より大唐開元十二年甲子歳まで推して、累積して二十八万五千十一算を得る。臣は上元が今に距ることあまりに遠く、推算が不便であるを慮り、別に漢の安帝元初甲寅の年を取って近元と為す。この年より開元十二年甲子歳まで推して、累積して六百十一算を得る。以下の諸神の行度は、みなこの近元より起算することができ、用るに簡便なことはるかに勝る。
君基太乙の法を推す
《經》曰:君基所臨之地,至宜服其地,或幸其方,以應兆也。置上元以來,以大周三百六十去之;不盡,為入周以來年數。置入周以來年數,以三十除之,為邦數;不滿,為入邦以來年數。其邦數命起戍邦、順行十二邦算外,得君基所在也。
『経』の上に言う。君基太乙の臨む地方は、君主が最も親臨巡幸するに宜しく、あるいはその方位に駕幸して、天降の吉兆に応合するのに用いる。推法は、上元以来の積年を列し、大周法三百六十をもって整周を除き、除ききれぬ余数がすなわち本周に入って以来の年数である。さらに入周年数を取り、三十をもって除し、得た商がすなわち「邦数」(君基は三十年に一邦を迁移)で、三十に満たぬ端数がすなわち本邦に入って以来の年数である。邦数を得たのち、戌邦より起首し、十二邦を順行し、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得たものがすなわち君基太乙の居る邦である。
臣基太乙の法を推す
《經》曰:臣基所臨之分,宜進獻以供聖人也。置上元積年以來,以大周法三百六十去之;不盡,為入周以來年數。置入周以來年,以小周法三十六除之;不盡,為入周以來年數。又以三約之,為邦數;不滿,為入邦以來年數。命起戌邦、順行十二邦算外,即臣基所在也。
『経』の上に言う。臣基太乙の臨む分野は、そこの臣民は貢物を進献して聖人を供奉すべきである。推法は、上元以来の積年を列し、大周法三百六十をもって整周を除き、余数がすなわち本周に入って以来の年数である。さらに入周年数を取り、小周法三十六をもって除し、余数はなお入周年数と為す。ついで三をもって約し、得た商がすなわち邦数(臣基は三年に一邦を迁移)で、三に満たぬ端数がすなわち本邦に入って以来の年数である。同じく戌邦より起首し、十二邦を順行し、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得たものがすなわち臣基太乙の居る邦である。
民基太乙の法を推す
置上元積年,以大周法三百六十去之;不盡,為入周以來年數,又以小周十二去之;不盡,為入小周以來年數。置小周以來年,命起戌邦、順行十二邦算外,即民基太乙所在也。
民基太乙を推す。上元以来の積年を列し、大周法三百六十をもって整周を除き、余数がすなわち本周に入って以来の年数。さらに小周十二をもって除し、余数がすなわち小周に入って以来の年数である。この入小周の年数を取り、戌邦より起首し、十二邦を順行し、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得たものがすなわち民基太乙の居る邦である。民基は一年に一邦を迁移し、十二年で周行一遍し、君基・臣基に比べて行度が皆速い。君基・臣基・民基の三者を合わせて「三基」と称し、君・臣・民の三方面の休咎を分主する。
五福太乙の法を推す
《經》曰:五福太乙所臨之分,無兵革、疾疫、饑荒、水早之災。行宮有五、四、十五年移一宮,二百二十五年一周。
『経』の上に言う。五福太乙の臨む分野には、兵革・瘟疫・饑饉と水旱の災いがなく、天下最も安寧の一方である。それが行る宮はあわせて五つで、四十五年ごとに一宮を迁移し、二百二十五年でちょうど周行一遍する(五宮各々四十五年、五に四十五を乗ずればすなわち二百二十五)。
其一曰黃秘宮,在西河之乾地,西北方也;其二曰黃始官,在遼東之艮地,東方也;其三曰黃室宮,在東吳之巽地,東南方也;其四曰黃庭宮,在西蜀之坤地,西南方也;其五曰玄師宮,在京都洛陽之地,中原也。
五福の行る五宮は各々名号と分野がある。第一を「黄秘宮」といい、西河一帯の乾位にあり、すなわち西北方。第二を「黄始宮」といい、遼東一帯の艮位にあり、すなわち東北方(底本は「東方」と作る)。第三を「黄室宮」といい、東呉一帯の巽位にあり、すなわち東南方。第四を「黄庭宮」といい、西蜀一帯の坤位にあり、すなわち西南方。第五を「玄師宮」といい、京都洛陽の所在の地にあり、すなわち中原の中宮である。五福は乾・艮・巽・坤・中宮の次序に依って輪転する。
置上元積年以來至開元十二年甲子歲積,得一萬三干三百三十一歲。若上考往古,每年減一;下檢將來,每年加一。置積年,以大周法二百二十五去之;不盡,為入周以來年數。又以四、五約之,為宮之口;不滿,為入官以來年數。命起乾、艮、巽、坤、中宮算外,即五福所在也。今開元十二年甲子,在遼東十一年也。
上元以来から開元十二年甲子歳までの積年を列し、あわせて一万三千三百三十一年を得る。もし上に往古を考えば、前へ一年ごとに一算を減じ、下に未来を検せば、後へ一年ごとに一算を加える。推法は、積年を取り、大周法二百二十五をもって整周を除き、余数がすなわち本周に入って以来の年数。さらに四十五をもって約し(底本は「四、五」と作る。中に脱字あり、補うは敢えてせず)、得た商がすなわち宮数で、満たぬ端数がすなわち本宮に入って以来の年数である。乾宮より起首し、乾・艮・巽・坤・中宮の次序に依って数え去り、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得たものがすなわち五福太乙の居る宮である。当今開元十二年甲子をもってこれを推せば、五福はまさに遼東の黄始宮に在り、すでにこの宮に入って第十一年である。
游太乙人紀年および天目の法を推す
紀法七百二十(以六紀通用,得紀法也);元法四千三百二十(是六紀法,亦名元紀也)。乘行率一百二十;太乙小周二百八十八(以八乘三十六,得行率)。太乙行宮三十六(以三乘十二也);天目周率二百一十六(以十二乘十八);天目行率十八。
大游・小游太乙を推するに需む常数は次のごとし。紀法七百二十、これは六紀を合わせて通用して得る。元法四千三百二十、六つの紀法を相乗して来るもので、また元紀とも呼ぶ。乗行率百二十。太乙小周二百八十八、これは八宮に三十六年を乗じて出た行率。太乙行宮三十六年、これは三に十二を乗じて出る。天目周率二百一十六、これは十二に十八を乗じて出る。天目行率はすなわち十八である。この幾つの数は本篇一切の推歩の根本で、須らく先に記熟せよ。
自上元甲寅歲,太乙在七官,天道為天目,子為計神(三十六年一移宮)。命起七宮,順行八宮,不遊中五,為大遊所在也。自上元甲寅歲距今開元十二年甲子,積一萬三干三百三十一年。上元年以來,以元法除之,得無數也;不盡,為入元年也。以紀除之,得紀數;不盡,為人紀年也。
上元甲寅の年より、太乙は第七宮に在り、「天道」(未位の神)をもって天目とし、子を計神とする。大游太乙は三十六年に一宮を迁移す。推算するに第七宮より起首し、八宮を順行し、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、得たものがすなわち大游太乙の所在である。上元甲寅より当今開元十二年甲子まで、累積して一万三千三百三十一年。上元以来の積年を取り、元法四千三百二十をもって除し、商がすなわち元数で、除ききれぬ余数がすなわち本元に入って以来の年数。さらに紀法七百二十をもって除し、商がすなわち紀数で、除ききれぬ余数がすなわち本紀に入って以来の年数である。
今從晉穆帝水和十年甲寅為上元,至今開元十二甲子,計三百七十一年也。不足,以紀法除之,十一年。
今、別に晋の穆帝永和十年甲寅を取って近上元と為し、この年より当今開元十二年甲子まで推して、あわせて三百七十一年。この数は一つの紀法七百二十に足らず、紀法をもって除しても一周に満たず、ただ十一年を余出するのみで、すなわち本紀に入って以来第十一年である。近元を取って起算すれば、遠上元より推し起こすに比べて簡便なことはるかに勝る。
大游太乙の所在を推す(天目、大煞時)
《經》曰:大游太乙者,巡考八宮,與小遊同宮。一考三十六年,十二年治天,十二年治地,十二年治人,考較人君善惡。二百八十八年一周,而行其伐。太乙在陽宮,遼東不見兵;太乙在陰官,蜀漢可以全身。八、三、四、九為陽宮,二、十、七、六、一為陰宮。
『経』の上に言う。大游太乙は八宮を巡行考察し、小游太乙と同じ一宮に居る。一宮ごとに三十六年を考察し、そのうち十二年は天を治め、十二年は地を治め、十二年は人を治め、もって人君の善悪を考較する。二百八十八年で周行一遍し、随いて誅伐を施行す。大游太乙が陽宮に居る時は、遼東一帯に兵禍見えず、陰宮に居る時は、蜀漢一帯は保全し得る。八・三・四・九の四宮は陽宮に属し、二・七・六・一の諸宮は陰宮に属す(底本は陰宮の中に一つ「十」の字を多く出す)。
置上元甲寅所求積年,以無法四千三百二十去之;不盡,為元以來年數。以大遊小周法二百八十八去之,得周數,不盡,以三十六除之,為宮數;不盡,為入宮以來年數。其宮數命起七宮,順行八宮,不遊中五,算外,即大游太乙所在宮。
大游太乙の所在を推す。上元甲寅より求める年までの積年を列し、元法四千三百二十をもって整元を除き、余数がすなわち本元に入って以来の年数。さらに大游小周法二百八十八をもって除し、商を周数とし、余数を三十六をもって除し、商がすなわち宮数で、除ききれぬ端数がすなわち本宮に入って以来の年数である。宮数を得たのち、第七宮より起首し、八宮を順行し、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得たものがすなわち大游太乙の居る宮である。
大游天目の所在を推す法
置上元以來積年,以天目元法七十二去之,不盡,以天目周法十八去之。命起天道,順行十六神,遇大武陰德,重留一算,外即天目所在也。
大游の天目の所在を推す。上元以来の積年を列し、天目元法七十二をもって整元を除き、余数をさらに天目周法十八で除する。余った数を「天道」(未位の神)より起首し、十六神の次序に沿って数え下り、「大武」「陰徳」の二位の維神に遇うときは重复して一算に停まり、数え満たしたのち一位を進めて取れば、得た神位がすなわち大游の天目の所在である。大游天目は天道より起こり、歳計天目が武徳より起こると同じからず。分かれて記し清めるを須う。
小游太乙積年の法を推す(四神・天乙・地乙・直符と同用)
置演紀上元甲子歲至大唐開元十二年甲於歲積,得三千三百六十一算。
演紀上元甲子の年より大唐開元十二年甲子歳までの積年を列し、あわせて三千三百六十一算を得る。この積数はただ小游太乙に用いるのみならず、四神・天乙・地乙・直符の諸神の推歩もまた一並びに取用するので、本篇は「四神・天乙・地乙・直符と同用」と標明する。
置積,以小遊大周法二百四十去之;不盡,以小周二十四除之;不盡,以三約之,為宮數;不滿,入宮以來年數。命起一宮,順行八宮,不遊中五,算外,即得小游太乙所在及入宮以來年數也。小遊主事見在歲計中,自此不復載,天目亦然也。
小游太乙を推す。上の積算を取り、小游大周法二百四十をもって整周を除き、余数をさらに小周二十四で除し、なお余数があれば三をもって約し、商がすなわち宮数で、三に満たぬ端数がすなわち本宮に入って以来の年数である。第一宮より起首し、八宮を順行し、中央第五宮は空しく過ぎて入らず、数え満たしたのち一位を進めて取れば、すなわち小游太乙の居る宮および入宮して歴た年数を得る。小游の主る事はすでに前の歳計の一門に見え、ここでは重複して記載せず、その天目の推法もまた同じである。
四神太乙の法を推す
《經》曰:四神太乙者,水神也。紀綱有道之代則昌,無道之代則殃。若臨克賊之鄉,兼君無道,則兵革、水旱、饑荒也。
『経』の上に言う。四神太乙は水徳の神で、その職は綱紀を整飭するに在り。それが臨む時代に道あれば天下は昌盛し、道なければ天下は殃いを受ける。もしそれが自ら克傷する郷に臨み、かつ当時の君主がまた道なければ、兵革・水旱と饑饉が一斉に発生するであろう。
置上元甲子所求積年,以一百八十去之;不盡,以三十六除之,為紀數。不滿算外,為入紀來年數。其紀數命起第一紀算外,即得四神太乙所在及入紀以來年數也。入紀有五、三、十、六為一紀:第一甲子;第二庚子;第三丙子;第四壬子;第五戊子。
四神太乙を推す。上元甲子より求める年までの積年を列し、百八十をもって整周を除き、余数をさらに三十六で除し、商がすなわち紀数で、三十六に満たぬ端数を一位進めて取れば、すなわち本紀に入って以来の年数である。紀数を得たのち、第一紀より数え去り、数え満たして一位を進めて取れば、すなわち四神太乙の在る紀および入紀して歴た年数を得る。入る所の紀はあわせて五つで、毎紀三十六年である(底本のここの数字に訛あり)。第一紀甲子、第二紀庚子、第三紀丙子、第四紀壬子、第五紀戊子。
置人紀年,以三除之,為宮數;不滿,為入宮以來年數。命起一宮,順行盡九宮。又以絳宮明堂、玉堂接之,算外,即得四神太乙所在及入宮以來年數也。
さらに本紀に入って以来の年数を取り、三をもって除し、商がすなわち宮数で、三に満たぬ端数がすなわち本宮に入って以来の年数である。第一宮より起首し、九宮を順行して遍歴す。九宮を数え終わったのち、さらに絳宮・明堂・玉堂の三処に接続して数え、数え満たしたのち一位を進めて取れば、すなわち四神太乙の在る宮および入宮して歴た年数を得る。四神は前の諸神と同じからず、それは九宮のほかにさらに三宮の入るべきものあるゆえ、行度が長い。
天乙太乙の法を推す
《經》曰:天以太乙者,金神也。取六宮金氣,主兵革。若累年兵革相接者,天乙臨之,即有勝負。為金能決斷,主兵喪也。
『経』の上に言う。天乙太乙は金徳の神で、第六宮の金気を取って立ち、兵革の事を主管する。もし年を連ねて戦事が相接するとき、ただ天乙のある方に臨めば、その一方は勝負を分出する。これは金性がよく断ずればこそ、それで兵戈喪乱の事を主るのである(底本の「天乙」は多く「天以」と訛作る)。
置入紀年與四神同,以三除之,為宮數;不滿算外,為入宮以來年數。命起六宮,順行盡九宮。又以三宮接之,算外,即得天以太乙所在及入官以來年數也。
天乙太乙を推す。用いる入紀年数は四神太乙と同じく、三をもって除し、商がすなわち宮数で、三に満たぬ端数を一位進めて取れば、すなわち本宮に入って以来の年数である。第六宮より起首し、九宮を順行して遍歴す。九宮を数え終わったのち、さらに絳宮・明堂・玉堂の三宮に接続して数え、数え満たしたのち一位を進めて取れば、すなわち天乙太乙の在る宮および入宮して歴た年数を得る。それと四神との差はただ起宮の位に在るのみ。四神は一宮に起こり、天乙は六宮に起こる。
直符太乙の法を推す
《經》曰;直符大乙者,火神也。乃天帝之使者,天遺觀察理道於萬民。若臨無道之邦,即兵革、水旱、疾疫、飢謹、流亡也。
『経』の上に言う。直符太乙は火徳の神で、すなわち天帝の使者で、上天はそれを遣わして下りて治道の万民に施行せらるや否やを考察せしむ。もしそれが道なき邦に臨めば、そこに兵革・水旱・瘟疫・饑饉と百姓流亡が現れる。
置入紀年與四神、大一同,以三除之,為宮數;不滿,為入宮以來年數。命起五宮,順行盡九宮。又以三宮接之,算外,即直符太乙術所在及入宮以來年數也。
直符太乙を推す。用いる入紀年数は四神・天乙と同じく、三をもって除し、商がすなわち宮数で、三に満たぬ端数がすなわち本宮に入って以来の年数である。第五宮より起首し、九宮を順行して遍歴す。九宮を数え終わったのち、さらに絳宮・明堂・玉堂の三宮に接続して数え、数え満たしたのち一位を進めて取れば、すなわち直符太乙の在る宮および入宮して歴た年数を得る。四神は一宮に起こり、天乙は六宮に起こり、直符は五宮に起こる。三者はただ起宮が同じからざるのみで、其余の行法は全く一致する。
四神三元五紀立成(略)
太乙金鏡式経巻五
太乙七術の序を推す
太乙術者,昔玄女傳授於黃帝,黃帝獲之,敗蚩尤於琢鹿,則前術也。其後范蠡習之,佐越王勾踐而平吳國,終成霸業,治平。嬴秦失道,炎漢將興,張良用輔沛公,西入關中;子嬰銜壁,東會該下,項羽摧鋒。若然,入則為師,出授將略,或攻或守,靡不喻茲。其法有心,故謂之七術焉。
太乙の術は、昔、九天玄女より黄帝に伝授され、黄帝はこれを得て、涿鹿で蚩尤を破った。これがこの術の最も早い一回の応用である。後に范蠡がこれを研習し、越王勾践を輔佐して呉国を平らげ、ついに覇業を成就し、天下大治した。嬴秦が道を失い炎漢が興らんとするの際、張良がまたこれをもって沛公劉邦を輔佐して西に入り関中を取らしめた。秦王の子嬰は玉璧を口に銜んで出降し、項羽は東の垓下で合囲されて鋒芒を尽く折られた。これより観るに、この術は朝に在れば帝王の師を充て、出ずれば将帥の方略を伝授でき、進攻でも防守でもそれより推明せざるはない。その法度は全て心をもって体会するに在り、共に七条に分かつ。ゆえに「七術」と名づく。
臨津問道の術・一を推す
臨津問道者,常以呂申加敵兵起年,當視大神之下,是破年;又以呂申加破年大神下,是破月;又以呂申加破月大神下,是破日;又以呂申下加破日大神下,是破時。
第一の術は「臨津問道」という。做法は、「呂申」(寅位の神)を敵人の起兵した年の地支の上に加え、大神が何位の下に落ちるかを見れば、その一位がすなわち敵軍の敗破の年である。さらに呂申を破年大神の臨む下に加えて推したものがすなわち破月、また呂申を破月大神の臨む下に加えて推したものがすなわち破日、さらに呂申を破日大神の臨む下に加えて推したものがすなわち破時である。層層相加えて、年・月・日・時の四重の敗期がみな推し出せる。
假令敵以甲子年起兵征,便以呂申加子,則大神臨卯,則敵當在丁卯年五月酉日子時破也。
例を挙げて言う。仮に敵人が甲子年に起兵出征したとすれば、呂申を子位の上に加え、大神は卯位に臨む。上の次序に照らして層層に推して下れば、敵軍は丁卯年五月の酉日子時に攻破さるべきと知れる。
獅子反擲の術・二を推す
獅子反擲者,常以呂申加敵起年,常視大神之下臨囚死休,合破,如在旺相間,則不破。
第二の術は「獅子反擲」という。做法は、呂申を敵人の起兵の年の上に加え、ただ大神の臨む処が何の気数に落ちるかを見る。もし囚・死・休の類の衰敗の気に臨めば、敵軍は敗破さるべし。もし旺気・相気のあいだに臨めば、敵軍は攻破し難い。この術は前の一術と同じく呂申を加臨するが、ただ逐層に月・日・時を推さず、単に大神の乗る気の盛衰を見るのみ。
假令敵以甲戍年起兵,便以呂申加戍,則大神臨丑。丑且屬《艮》,在東北,即知其敵當在辛卯年破也。
例を挙げて言う。仮に敵人が甲戌年に起兵したとすれば、呂申を戌位の上に加え、大神は丑位に臨む。丑位は艮卦に隷属し、方位は東北。これの一位より推し去れば、敵軍は辛卯年に攻破さるべきと知れる。
白雲巻空の術・三を推す
白雲卷空者,謂兩陣相敵則課大乙,悉宜主客。便以呂申加主大將宮,看大神囚死休廢者。若展旗、交鋒、功戰,大敗;若臨冠帶,士卒戰死,若臨帝王,不可觸犯。
第三の術は「白雲巻空」という。両陣の相対する時、まず太乙の課を起こし、主客双方の将位算数を皆排定してのち、呂申を主大将の居る宮の上に加え、大神が囚・死・休・廃の類の衰気の上に落ちるや否やを察看する。もしこの種の気数の下に旗を展げ交鋒し・攻戦を発起せば、必ず大敗を遭う。もし大神が冠帯の位に臨めば、士卒は沙場に戦死す。もし帝王の位に臨めば、それは万万触犯すべからざるものである。
假令兩軍相見太乙上元第一紀第二局,太乙在一宮,武德為天目,主算七,大將七,參將一,寅為計神。始擊將臨大武,客算十三,大將三,參將九。
例を挙げて言う。仮に両軍の相遇する日に太乙上元第一紀第二局を排し得たとすれば、太乙は第一宮に在り、「武徳」をもって天目とし、主算は七を得、主大将は第七宮に在り、主参将は第一宮に在り、寅を計神とし、始撃将は「大武」に臨み、客算は十三を得、客大将は第三宮に在り、客参将は第九宮に在る。主客の算数と将位はすでに排定せられたれば、すなわち下の弁法に按じて加臨し断を取ることができる。
先以呂申加主大將七宮,則大神臨一宮金神,火克金。《經》曰:我克者囚,此名主大將乘囚氣,則主大敗。次以呂申加客大將於三宮,則大神臨九宮木神。《經》曰:生我者為相,此名大神乘相氣,則大勝也。
まず呂申を主大将の居る第七宮の上に加えれば、大神は第一宮に臨み、第一宮は金神に属す。しかるに呂申の主る火は金を克す。『経』に「我が克つ所を囚と謂う」と言う。これを主大将の囚気に乗ずと謂い、主方は必ず大敗を遭う。さらに呂申を客大将の居る第三宮の上に加えれば、大神は第九宮に臨み、第九宮は木神に属す。『経』に「我を生ずる者を相と謂う」と言い、木は火を生ず。このを大神の相気に乗ずと謂い、客方は大勝す。
猛虎相拒の術・四を推す
猛虎相拒者,視敵下營日,以呂申加其日太乙。大神臨王相,其營不可攻擊;衰死兼墓,其營不久見破矣。
第四の術は「猛虎相拒」という。做法は、敵人の営を扎したその日を看て、呂申を当日太乙の在る宮の上に加える。大神がもし旺気・相気の上に臨めば、敵営は堅固で強攻すべからず。もし衰・死の気に臨みしかも墓庫に兼入すれば、敵営は久しからずして攻破される。この術は専ら敵方の営壘の攻むべきか否かを判断するのに用いる。
假令上元第一紀第七局庚午日下營其日,太乙在三宮,便以呂申加三宮,則大神臨九宮木神。《經》曰:生我為相,此名大神乘相氣,此宮不可攻也。
例を挙げて言う。仮に上元第一紀第七局を排し得て、庚午日に敵人が営を扎し、当日太乙は第三宮に在れば、呂申を第三宮の上に加え、大神は第九宮の木神の位に臨む。『経』に「我を生ずる者を相と謂う」と言い、木は火を生ず。このを大神の相気に乗ずと謂う。気数が正に盛えれば、ゆえにこの一处の営壘は攻打すべからず。
