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巻十・学易の正宗を論ず(郝敬《談経》《学易枝言》)

清 · 胡渭 · 第15巻 / 15

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

邵堯夫造為先天方圓等圖,好事詫為新竒,修煉羽流緣飾龍虎、鉛汞、奼女、嬰兒為《參同》《悟真》等書,乍見竒僻,叩之不過存神馭氣以求長生,而珍秘自喜,援易為口實。聖人作易,易簡開物,患人不知;而小說誣世,唯恐人知,心術已冰炭矣。《禮》云:「假鬼神、時日、卜筮疑眾者殺。」學者反尊崇其說,甚矣人之好怪也。

北宋の邵雍(字は堯夫)は先天方円の一類の図を造り出し、好事の人は便ち新奇怪異の説と驚詫す。丹道を修錬する道士はまた「龍虎」「鉛汞」「姹女」「嬰兒」此れらの隠語を用いて以て縁飾を加え、《周易参同契》《悟真篇》一類の書を編成す。一見するに奇詭冷僻なりと乍ら、追問して下れば、亦た過ぎず神を存し気を馭して以て長生を求むるのみ、而も秘宝と当作して自ら得意と鳴り、なお《周易》を拉らし来りて借口を為す。聖人の《易》を作るは、本来平易簡明にして民智を開通して事務を成就し、惟だ人の明白せざるを恐る。此れらの小道の説は世人を欺蒙して、惟だ人に看破せられんことを恐る。両者の居心は已に氷炭の如く相反す。《礼記・王制》は曰く、「鬼神・時日・卜筮を假借して以て民衆を惑乱する者は、処死す」と。学者は却って此の類の学説を尊崇す、人々の怪を好む毛病は、実在太だ厳重なり。

《學易枝言》曰:羲聖世無文字,三才義理無憑發揮,爰始畫卦設象,不得已也。設有文字,便敷演成辭,豈好為隠乎?揚雄識字既多,而索隠鉤藏,別構方、州、部、家為《玄》儗易,則心勞而日拙矣。

郝敬《学易枝言》は曰く、伏羲あの時代はなお文字なく、天・地・人三才の義理は表述発揮するに処なし、此れ才めて卦を画き象を立て始む、実在是れ已むを得ざりき。仮使当時已に文字有らば、伏羲は便ち文辞に鋪陳して成さん、あに彼は故に隠晦を作るを好まんや。西漢の揚雄は認得の字は已に多しと夠すれど、而も偏に隠僻を探索し幽蔵を鉤取し、別に「方」「州」「部」「家」の名目を立て、《太玄》を写し成して以て《周易》を摹擬す、此れ就中叫ぶに心思は愈々用いるほど愈々拙笨なり。

易爻辭象義誠有不可盡解者,前人不傳,後人何述?要之,精微中之易簡,愚不肖可知;易簡中之精微,聰明才辯者未悉。如管公明、郭景純卜筮,焉可謂之非易?然亦四道之一端耳。子云:「知之為知之,不知為不知。」三才之要,人所當知者,王輔嗣、程正叔諸君子所言,不可勝用矣。

《周易》の爻辞と象義は確かに講じ透さざる処有り、前人は伝え下らず、後人は何を憑りて追述せん。総じて言えば、精微の裡頭の平易簡明は、愚笨不才の人も亦能く懂り、平易簡明の裡頭の精微は、聡明善弁の人に連ねても未だ必ずしも尽く通ぜず。三国魏の管輅(字は公明)・晋代の郭璞(字は景純)の如き占筮は、どうして《易》にあらずと言う能わん。ただあれも亦たただ「辞・象・変・占」四道の中の一端のみ。孔子は曰く、「知るを知ると為し、知らざるを知らずと為す」と。三才要義の中人の当に明白すべき所は、王弼(字は輔嗣)・程頤(字は正叔)此れらの先生は已に講じて用い尽くさざるを得たり。

聖人作易,立人之道而已;學易者,亦學為立人之道而已。又曰:朱元晦謂孔子之易非文王、周公之易,愚謂孔子贊易,秖為立人之道,學者日用切要而言,誠有之。但聖人說理發揮人道,即函蓋三才萬象無不脗合,與羲、文、周公無二。

聖人の《易》を作るは、過ぎず是れ人の為る道理を確立せんと要するのみ。《易》を学ぶ人も、亦た過ぎず人の為る道理を践実し学ばんと要するのみ。また曰く、朱熹(字は元晦)は孔子の《易》は文王・周公の《易》にあらずと認む。我は以て孔子の《易》を賛するは、ただ人の道を確立し学者日用の最も切要の処に就いて言を立つ、此の話は確かに幾分の道理有り。但し聖人は義理を闡説し人道を発揮すれば、同時に就中三才万象を涵盖して吻合せざるなし、伏羲・文王・周公と併せて両様ならず。

按:莊生曰「易以道陰陽」,此非周之言,而古之言也。蓋古者三易之法掌於太卜,一曰《連山》,二曰《歸藏》,三曰《周易》,其經卦皆八,其別皆六十有四。非但彖爻之辭自為一書,即如《春秋》內外傳所載諸繇辭亦不得與焉。其所見者唯二體六畫剛柔雜居之象,以為道陰陽宜也。至扵文王繫彖、周公繫爻,則固以陰陽推之於人事,而所言無非仁義中正之歸矣。孔子作十翼,則又發彖爻之蘊,竭盡而無餘焉。聖人之所以窮理而盡性,君子之所以反身而寡過,皆在此書,奚止道陰陽哉!

胡渭按:荘周は「《易》は以て陰陽を講ず」と言う、此の句の話は併せて荘周自らの創見にあらず、而も是れ古来相伝の旧説なり。上古の三种の《易》法は太卜に帰して掌管せしめ、一は《連山》、二は《帰蔵》、三は《周易》、彼らの経卦は皆八箇、重卦は皆六十四箇。あの時は不但に文王・周公の彖辞爻辞はなお自ら一書を成さず、連ねて《左伝》《国語》の載する所のあの占繇の辞も亦た其の中に在らず。人々の看る能くする所は、ただ上下二体・六画剛柔交錯の卦象のみ、故に《易》は以て陰陽を講ずと言うも、亦た理所当然なり。文王が彖辞を繫げ周公が爻辞を繫ぐるに及ぶに至りて、已に陰陽を推衍して人事の上に至らしめ、講ずる所は仁義中正に帰結せざるなし。孔子の《十翼》を作るは、更に彖辞爻辞の蘊涵を発揮して淋漓盡致ならしむ。聖人の以て天理を窮究し人性を極尽し、君子の以て身に反躬し過失を減少するは、全く此の部の書の中に在り、あにただ陰陽を講ずるのみならんや。

微三聖之辭,則伏羲作易之旨鬱而不明,萬古如長夜矣,而顧謂三聖不如伏羲,何歟?且夫三才之道,在天曰陰陽,在地曰剛柔,在人曰仁義,其為性命之理則一也。《洪範》由天道以推之人道,《中庸》由人道以合之天道,蓋天人之理未有不歸於一致者也。三聖所重在人道,而天地之道亦無不備焉。伏羲時未有文字,不得已而畫竒耦以垂教,陰陽可以畫見,而仁義不可以畫見,故說者但以為道陰陽,而不知伏羲之旨専在立人之道也。

若し文王・周公・孔子三位の聖人の文辞無からば、伏羲の《易》を作る本意は鬱結して明白ならず、千秋万代は長夜の如くならん。然るに竟に人有りて三聖は伏羲に及ばずと言うは、此れ何の道理か。再び三才の道を言えば、天に在りては陰陽と叫び、地に在りては剛柔と叫び、人に在りては仁義と叫ぶも、性命の理と為せば却是れ同一なり。《尚書・洪範》は天道より推して人道に及び、《礼記・中庸》は人道より上は天道に合す、見るべく天と人の道理は帰一致せざるなし。三聖の着重する所は人道に在り、而も天地の道も亦た一として完備せざるなし。伏羲の時はなお文字なく、已むを得ず才めて奇画を画きて陽と為し偶画を為して陰と為し、以て教化を垂示す。陰陽は以て卦画に表現すべく、仁義は卦画に表現するに法なし。故に《易》を講ずる人はただ之を以て陰陽を講ずと為すも、而も伏羲の本意は専ら人の為る道理を確立するに在るを知らず。

苟其有文字,則亦必言及仁義矣。伏羲而無言也;伏羲而有言,安知不與三聖同辭乎?老莊之徒掊擊仁義,故厭薄周孔之辭,以為不足道;儒者不能辭而闢之,反為之推波助瀾,尊伏羲不言之教,抑三聖闡幽之辭,豈不悖哉!仲輿解經多所創穫,而尤不喜宋儒,愚未敢深信;獨論易數則最為精確,其曰「聖人作易,立人之道而已」,此語大有裨於來學,故特表而出之,且為之暢其指趣焉。

仮使あの時已に文字有らば、伏羲も亦た必ず仁義に講じ及ばん。伏羲はただ言辞を留下せざるのみ。伏羲若し言辞有らば、どうして三聖と言う所同じからざらんを知らん。老子・荘子一派は仁義を攻撃す、故に周公・孔子の文辞を看軽して、言うに足らずと認む。儒者は能く理に拠りて駁斥せずして、却って彼らの為に波を推し瀾を助け、伏羲の言を立てざる教法を抬高し、三聖の幽微を闡発する文辞を圧低す、あに是れ本末を顛倒するにあらずや。郝敬(字は仲興)の経を解するは多く独得の发明有り、尤も宋儒を喜ばざるは、此の点は我は敢て深信せず。独り彼の《易》を論ずる此の幾条は最も精確にして、彼の言う「聖人の《易》を作るは、過ぎず是れ人の為る道理を確立せんと要するのみ」は、此の句の話は後学に対し大いに裨益有り、故に特に之を標挙し出し、併せて彼に替わりて意旨を申説明白す。

巻十・学易の正宗を論ず(陳言《易疑》と《易経精蘊》諸序)

東涯陳氏言《易疑》自序曰:易非聖人卜筮之書也,卜筮以聖人之書爾。伏羲畫卦,原神於太乙,起數於陰陽,類象於萬物,通幽於神明,和順於道徳性命,無乎弗括。文王於卦為之辭以明其象類,周公於爻為之辭以盡其變化,孔子於卦爻為之彖、象、文言、繫辭、說、序、雜卦,以闡羲、文、周公之義理,使學者修此而吉,悖此而凶,淵乎廣矣,而非作之以卜筮也。

明代の陳言(号は東涯)《易疑》の自序は曰く、《易》は併せて聖人が卜筮の為に作る書にあらず、是れ卜筮が聖人の書を借用したのみ。伏羲の卦を画くは、本は「太乙」に源して神妙に通じ、数を陰陽に起し、象を万物に取り、神明と幽隱に相通じ、道徳性命と相和顺にして、包まざる所なし。文王は卦の下に辞を繫げ、以て卦の象徴する物類を闡明し、周公は爻の下に辞を繫げ、以て爻の変化を窮尽し、孔子はまた卦爻の為に《彖伝》《象伝》《文言》《繋辞》《説卦》《序卦》《雑卦》を作り、以て伏羲・文王・周公の義理を闡発し、《易》を学ぶ人をして此れに依りて身を修めれば則ち吉、之に違背すれば則ち凶ならしむ——是れ何等なる深広、併せて卜筮の為に作るにあらず。

子曰:「易有聖人之道四焉」,辭、象、變、占是也。孔子見卦爻之有辭象變占,言焉而廣大,動焉而吉凶,制器焉而網罟舟楫之用,卜筮焉而神物大衍之策,斯徧舉之矣,而未嘗専於卜筮也。夫易何止五經之原、天地神化之奧,而於卜筮之技精之則末矣。秦漢諸儒考象辭則泥術數,論義理則淪空寂,而不知孔子之易先義理而托象數者也。蓋體其卦爻之蘊,察乎辭象變占之理,通乎言動制器卜筮之用,用之所向即理也,理之所協即占也,占之所利即用也,是孔子之易也,而非専於卜筮明矣。是故學者索卜筮於卦爻之外,參《程傳》於《本義》之中,斯孔子之易備矣,作《易疑》。

孔子は「《易》の中に聖人の道四种有り」と言う、即ち辞・象・変・占なり。孔子は卦爻が辞象変占を兼具するを見て:言語に就いて言えば則ち広大周備、行動に就いて言えば則ち吉凶を見、制器に就いて言えば則ち網を結び舟楫を造るの功用有り、卜筮に就いて言えば則ち蓍亀神物と大衍之数の籌策有り——是れ四者を全部挙出したるにして、併せて曾て偏りて卜筮を主とせず。《易》はあにただ五経の本源・天地神化の奥秘の在所のみならん、卜筮あの点の技芸に至っては、たとい精通するも亦た末节のみ。秦漢の儒者は象と辞を考求すれば則ち術数に拘泥し、義理を討論すればまた空寂に沉溺して、全く孔子の《易》は義理を以て先と為して象数に寄托すること明白せず。若能く卦爻の蘊涵を体察し、辞・象・変・占の道理を明白し、言語・行動・制器・卜筮の功用を貫通せば、則ち功用の指向する所は即ち理、理の契合する所は即ち占、占の利する所は即ち用、此れ才めて孔子の《易》なり、顕然として併せて専ら卜筮を主とせず。故に学者はまさに卦爻の外に到りて卜筮を寻求し、朱熹《周易本義》の中に在りて程頤《伊川易伝》を参看すべし、孔子の《易》は即ち完備なり——遂に《易疑》一書を写り成せり。

朱氏綬《易經精蘊》自序曰:周子曰「聖人之精,畫卦以示;聖人之蘊,因卦以發」。其蘊維何?凡彖、象、文言、繫辭、說卦皆是。宋儒以《周禮》言大卜掌三易,故専作卜筮之書,歴詆大聖理義之言,不少假借。愚於此大懼,深求其病,只在「太卜掌三易」之一言耳。不知易有理、有象、有數:理即蘊之發,象即精之寓,數因一以積。畫卦示象之吉凶,繫辭論理之吉凶,數之吉凶未之明,故立筮人掌三易以辨九筮之吉凶也。

明代の朱綬(字は文佩)《易経精蘊》の自序は曰く、周敦頤は講じたり、「聖人の精微は、卦を画くを以て顕示し、聖人の蘊涵は、卦を憑借して発揮す」と。いわゆる蘊涵は是れ何ぞや。《彖伝》《象伝》《文言》《繋辞》《説卦》は皆是れなり。宋儒は《周礼》が太卜は三《易》を掌ると言うを以て、即ち《易》は専ら是れ卜筮の書と断定し、一々大聖人の義理を講ずる言論を詆斥して、毫も寛假せず。我は此れに対し十分に憂懼し、此の毛病の根源を深究すれば、ただ「太卜三易を掌る」の此の一句の話の上に在るのみ。彼らは《易》に理有り象有り数有るを懂得せず:理は即ち蘊涵の発揮、象は即ち精微の寄寓、数は則ち一より逐步累積して成る。卦を画くは是れ象の吉凶を顕示し、辞を繫ぐるは是れ理の吉凶を論説し、数の吉凶に至ってはなお未だ講明せざれば、故に《周礼》はまた「筮人」の官を設けて三《易》を掌管せしめ、以て九种の筮法の吉凶を辨别す。

觀象玩辭,聖人體易、君子學易以成盛徳大業,至矣;庸人不能,故立占人、筮人。七八九六揲蓍求卦,不過筮更、筮咸,尤細事耳。易無不該,天地有此數,不立筮法以成變化,則天地間缺此一藝,非謂易道易象舉在此筮,専作卜筮之書也。夫子欲加年學易,期無大過,豈在占筮乎?

卦象を観察し文辞を玩味するは、聖人は此れより以て《易》道を体認し、君子は此れより以て《易》を学びて以て盛大の徳業を成就す、此れ是れ最高の境界なり。平常人は做る能わざれば、才めて「占人」「筮人」の官職を設立す。七・八・九・六を以て蓍草を分揲して卦を求むるは、過ぎず《周礼》の九筮の裡の「筮更」「筮咸」之の類、更に是れ細枝末节なり。《易》は包まざる所なし、天地間は既に此の套の数有れば、筮法を立下せざれば以て変化を完成せず、天地間は即ち此の一門の技芸を缺く。此れ併せて《易》の道理と《易》の卦象は全く占筮の上に在りと言うにあらず、《易》は専ら是れ卜筮の為に作る書なり。孔子は幾年かを多く活きて《易》を学ばんと欲し、自ら大の過失なからんと期望す、用意はあに占筮の上に在らんや。

況占筮専於動而不主於靜,一於用而不求於體,求諸神而不求諸已,失無算矣。使一委之卜筮,而平日無玩易之功,遇吉行之而已,遇凶避之而已,君子將何以自強不息?將何以厚徳載物?學者無用辨悔吝之介,無用震無咎之悔,六十四卦訓戒之言皆作虛文矣。洪惟聖朝用易為首經取士,而只在占筮授受,豈不誤甚?無由挽之回車就道,徒抱憤耳。自知得罪於先儒,取譏當世,獨賴聖人為之依歸,用以自解雲。

況んや占筮はただ動を管して静を管せず、ただ用を求めて体を求めず、一味に鬼神に求めて而も自らに反求せざれば、失誤は即ち多くして数え得ざるなり。若し一切を卜筮に交給し、平日に毫も《易》理を玩味する功夫なく、吉に碰上れば即ち照做し、凶に碰上れば即ち躲开すれば、君子はなお何を憑りて「自強して息まず」、なお何を憑りて「厚徳を以て物を載す」。《易》を学ぶ人も亦た細微の征兆と悔吝の関係を辨明するを用いず、悔悟を憑りて以て震動して過失に致らざらしむるを做るを用いず、六十四卦の訓誡の話は全部空文と成らん。本朝は《易》を以て首経と為して士を取るも、而もただ占筮の上に伝授接受す、あに是れ大錯にあらずや。之を挽回して正路の上に至るに従なし、ただ能く白白に恨を抱くのみ。我は自ら知る此の如くすれば先儒に得罪し当世の譏笑を招来せん、唯だ聖人の言を以て帰依と為し、以て自らの為に解説す。

二泉邵氏寳序《精蘊》曰:易為性命道徳之原,而開物成務,仲尼贊之詳矣。惟其道無不備,故百氏宗之。卜筮者,技之至微者也。自朱子《本義》一出,學者翕然從之。夫方術談於庸醫,聴者不能什一;惟夫和、扁一言,雖或盡變軒岐之書,人將謂其有據也。朱子名冠諸儒,道行今古,誠吾儒之和、扁矣,専主卜筮之說,疇不謂其有據乎哉?庠序以之而教人,科目因之而取士,習尚成風,安固而不搖矣。

明代の邵宝(号は二泉)が《易経精蘊》の為に作る序は曰く、《易》是れ性命道徳の本源にして、又能く民智を開通し事務を成就す、孔子は已に賛述する甚だ詳尽なり。正に其の道の備らざる所なきを以て、故に諸子百家は皆之を宗奉す。卜筮は、ただ是れ技芸の中最も細微の一种のみ。朱熹《周易本義》が一出してより、学者は紛紛として跟従す。同じ一套の方術は、庸医の口より出でれば、聴信する人は十分之一に到らず。若し名医の医和・扁鵲の言う所なれば、たとい黄帝・岐伯の相伝する医書を全部改掉するも、人々は皆彼に根拠有りと認めん。朱熹の名望は諸儒に冠絶し、其の学は古今に通行す、実在是れ我ら儒門の医和・扁鵲なり。彼は専ら卜筮の説を主とす、誰か彼に根拠有りと認めざらん。学校は之を拿げて人を教え、科挙は之に依りて士を取り、風気は一成すれば、牢固にして動揺すべからざるなり。

嗚呼!此文佩朱公所以深懼,而《精蘊》之書不容於不作也。書凡二十四卷,一以孔子義理之言為主,按卦推辭,隨爻悉義,一覽之間而四聖之心昭然在目,其有功於斯道也大矣。雖然,《本義》無心於晦道,《精蘊》豈有心於矯弊哉?一念所主而得失因之,紫陽有知,必將感其救正之功也,君曰有罪,夫豈然哉!

唉、此れ正に朱文佩先生の深深に憂懼して、《易経精蘊》を写らざるを得ざる所以なり。全書は共に二十四巻、一概に孔子の義理を講ずる話を以て主と為し、卦に依りて辞義を推求し、爻を逐いて詳尽に発揮す、一覧の下に、伏羲・文王・周公・孔子四位の聖人の用心は便ち昭然として目に在り、其の《易》学に対する功労は是れ甚だ大なり。話は此の如しと雖も、《本義》は併せて意図を以て《易》道を晦蔽せんと要するにあらず、《精蘊》は又たあに是れ意図を以て時弊を糾弾せんと要せんや。過ぎず是れ一念の主とする所にして、得失は便ち此れより以て分かるのみ。朱熹(世は紫陽先生と称す)は若し地下に知有らば、必ず此の部の書の救正する功労を感念せん。朱君は自ら「罪有り」と言う、あに真に是れ此の如くならんや。

都氏穆序《精蘊》曰:客有問穆者曰:「易有卜筮之道乎?」穆曰:「然。」「主卜筮而作乎?」曰:「否。請以水喻:崑崙上源,發而為江、漢、河、淮,以迨溝、澗、溪、渠,皆水也。居溪者曰水以溪而生也,濱澗者曰水以澗而出也,舉一廢百,知水不亦淺乎?」孔子曰:「假我數年,卒以學易,可以無大過矣。」夫以大成之聖,欲學易以免過,易之道可知矣,豈卜筮所可盡哉?

明代の都穆(字は玄敬)が《易経精蘊》の為に作る序は曰く、客人有りて我に問うて曰く、「《易》の中に卜筮の道有るか」と。我は曰く、「有り」と。客人また問うて曰く、「《易》是れ卜筮に主として作るか」と。我は曰く、「否。請うて我をして水を拿げて比方を打たしめよ。崑崙山の上游は源を発して、長江・漢水・黄河・淮水に流れ成り、溝・澗・谿・渠に至るまで、全都是れ水なり。谿辺に住む者は水は谿の裡より生じ出づと言い、澗辺に住む者は水は澗の裡より流れ出づと言い、其の一を挙げて其の百を廃す、此の如くにして水を認識せんは、あにも太だ浅陋ならずや」と。孔子は曰く、「我に再び幾年かを与えて、最終に《易》を学び完うる能くせば、即ち以て大の過失なからしむべし」と。孔子の此の如く大成を集めたる聖人を以てすら、なお《易》を学びて以て過失を免れんと欲すれば、《易》の道理の多大なるは想い知るべく、あに是れ卜筮の窮尽する能くする所ならんや。

巻十・学易の正宗を論ず(顧炎武《日知録》の卜筮を論ず)

顧氏《日知録》:舜曰「官占惟先蔽志,昆命於元龜」,《詩》云「爰始爰謀,爰契我龜」,《洪範》曰「謀及乃心,謀及卿士,謀及庶人,謀及卜筮」,孔子之贊易也,亦曰「人謀鬼謀」。[祖伊告紂,言格人元龜,亦先人後龜。]夫庶人至賤也,而猶在蓍龜之前,故盡人之明而不能決,然後謀之鬼焉。故古人之於人事信而有功,於鬼也嚴而不瀆。

清代の顧炎武《日知録》は曰く、舜は講じたり「官占の法は、先ず自ら主意を拿定し、然る後に才めて之を大亀に交付す」と。《詩経・大雅・緜》は曰く「爰に始めて謀し、爰に亀を灼きて兆を取る」と。《尚書・洪範》は曰く「先ず之を自らの心に謀し、再び之を卿士に謀し、再び之を庶人に謀し、最後に才めて之を卜筮に謀す」と。孔子の《易》を賛するも、亦た「人謀鬼謀」と言う。[祖伊が商紂を勧諫するに、「格人」と大亀に講じ及ぶも、亦た先ず人にして後に亀なり。]庶人是れ最も卑賤にして、なお蓍草大亀の前に排す、見るべく人の智慧を用い尽くしてなお決断する能わざれば、然る後に才めて鬼神に問う。故に古人は人事に対し、是れ之を信任して能く実効を収め、鬼神に対し、是れ之を敬畏して而も軽慢褻瀆せざるなり。

子之必孝,臣之必忠,此不待卜而可知也,其所當為,雖凶而不可避也。故曰「欲從靈氛之吉占兮,心猶豫而狐疑」,又曰「用君之心,行君之意,龜策誠不能知此事」。善哉屈子之言,其聖人之徒歟!

児子を做るは必ず孝ならざる可からず、臣子を做るは必ず忠ならざる可からず、此れは占卜を用いずして明白なり。およそ分内当に做るべき事は、たとい卜して凶兆を得るも亦た回避すべからず。故に屈原《離騒》は曰く「靈氛の吉占に聴従せんと欲するも、心の中は猶豫して遅疑す」と、《卜居》また曰く「您の自らの心に按じて做り、您の自らの意に照らして行え、亀甲蓍草は実在此の類の事を知る能わざるなり」と。屈原の此れらの話は言うこと好し、彼は大概聖人の門徒と称するに足らん。

《卜居》,屈原自作,設為問答,以見此心非鬼神吉凶之所得而移耳。王逸序乃曰「心迷意惑,不知所為,往之太卜之家,決之蓍龜,冀聞異策,以定嫌疑」,則與屈子之旨大相背戾矣。洪興祖《補註》曰「此篇上句皆原所從,下句皆原所去,時之人去其所當從,從其所當去,其所謂吉乃原所謂凶也」,可謂得屈子之心者矣。

《卜居》是れ屈原自ら作る所、一番の問答を仮設して、以て自らの此の顆の心は鬼神吉凶の能く動揺する所にあらざるを表明す。東漢の王逸は序を作りて却って屈原は「心迷い意惑い、どうするかを知らず、才めて太卜の家に到りて、蓍亀に決断を請い、別様の策告を聴かんことを希望して、以て疑難を判定す」と言う、此れ即ち屈原の本意と大相違背す。宋代の洪興祖《楚辞補注》は曰く、「此の篇の裡の上一句は皆屈原の遵従せんと要する所、下一句は皆屈原の捨棄せんと要する所。当時の人は却って遵従すべきを捨棄し、捨棄すべきを遵従す。彼らのいわゆる吉は、正に屈原のいわゆる凶なり」と。此れは屈原の用心を懂得するを算すべし。

《禮記·少儀》:「問卜筮曰:義與?志與?義則可問,志則否。」子孝臣忠,義也;違害就利,志也。卜筮者,先王所以教人去利懷仁義也。

《礼記・少儀》は曰く、「人に向かって卜筮を請教するに要して問わん、卜する所は是れ道義の上の事か、猶お是れ私意の上の事か。道義に属するは以て問うべく、私意に属するは即ち以て問うべからず」と。児子の孝を行い臣子の忠を尽くすは、此れ是れ道義。禍害を躲开し利益に趨就するは、此れ是れ私意。卜筮は、正に是れ先王の以て人を教えて私利を去らしめ仁義を懐抱せしむる手段なり。

石駘仲卒,無適子,有庶子六人,卜所以為後者,曰「沐浴佩玉則兆」。五人者皆沐浴佩玉,石祁子曰「孰有執親之喪而沐浴佩玉者乎」,不沐浴佩玉,石祁子兆,衛人以龜為有知也。南蒯將叛,枚筮之,遇《坤》之《比》,曰「黃裳元吉」,子服恵伯曰「忠信之事則可,不然必敗。外強內溫,忠也;和以率貞,信也,故曰黃裳元吉。黃,中之色也;裳,下之飾也;元,善之長也。中不忠,不得其色;下不共,不得其飾;事不善,不得其極。且夫易不可以占險,猶有闕也,筮雖吉,未也」,南蒯果敗。是以嚴君平之卜筮也,與人子言依於孝,與人弟言依於順,與人臣言依於忠,而髙允亦有「筮者當依附爻象,勸以忠孝」之論,其知卜筮之旨矣。

《礼記・檀弓》に記載す:衛国の大夫石駘仲は死して、嫡子なく、ただ六箇の庶子有るのみ、誰か継承人を做すべきかを占卜し、卜辞は曰く「沐浴して玉を佩ぶれば即ち吉兆を得」と。その中の五人は皆沐浴して玉を佩びて往き、ただ石祁子のみ曰く「あに父の為に服喪してなお沐浴して玉を佩ぶるの道理有らん」、便ち沐浴して玉を佩びず、結果吉兆は偏に石祁子の身上に応じ、衛国人は此れに因りて亀は有りて霊知と認めたり。《左伝》に記載す:魯国の季氏の家臣南蒯は将に叛変せんとして、事由を説明せずして占筮し、《坤》卦の《比》卦に変ずるを得、爻辞是れ「黄裳元吉」。子服恵伯は曰く、「忠信の事の上に用いれば才めて可なり、然らざれば一定に失敗す。外表剛強にして内裏温和は、是れ忠。和順を以て正道を遵行するは、是れ信。故に『黄裳元吉』と言う。黄は、是れ中に居るの色。裳は、是れ下に在るの服飾。元は、是れ衆善の長。心中忠ならざれば、即ちあの顔色に配上せず。下に居りて恭ならざれば、即ちあの服飾に配上せず。事善ならざれば、即ちあの極致に達せず。況んや《易》は以て険悪の事を占る能わざるは、此の外にまた欠缺有り。筮辞は是れ吉と雖も、亦た算して吉を得るに足らず」と。後に南蒯は果たして失敗す。故に漢代の厳遵(字は君平)は人に替わりて卜筮し、人子と話すれば即ち孝に依り、人弟と話すれば即ち順に依り、人臣と話すれば即ち忠に依る。北魏の高允もまた「占筮する人は当に爻象に就着し、忠孝を以て人を勧勉すべし」の議論有り——彼らは皆卜筮の宗旨を懂得するを算すべし。

《申鑑》[後漢荀悅撰]:或問卜筮,曰:「徳斯益,否斯損。」曰:「何謂也?」「吉而濟,凶而救,之謂徳;吉而恃,凶而怠,之謂損。」

《申鑑》[東漢の荀悦の撰する所]の裡に人有りて卜筮を問う、答えて曰く、「徳有れば即ち益を得、徳無ければ即ち損を受く」と。また問うて曰く、「此の話は如何に講ずるか」と。答えて曰く、「吉兆を得て而努力して以て之を成就すれば、凶兆を得て而も設法して以て之を補救すれば、此れを徳有りと叫ぶ。吉兆を得れば即ち之に依頼し、凶兆を得れば即ち懈怠して下る、此れ即ち損を受くと叫ぶ」と。

君子將有為也,將有行也,問焉而以言,其受命也如向,告其為也,告其行也。死生有命,富貴在天,若是則無可為也,無可行也,不當問,問亦不告也。易以前民用也,非以為人前知也;求前知非聖人之道也。是以《少儀》之訓曰「毋測未至」。

君子は将に作為有らんとし将に行動有らんとする時、才めて蓍卦に向かって発問して其の言を求め、蓍卦は問命を承受して回声の如く即刻応答し、彼に該当に如何做り該当に如何行うべきかを告げる。死生は命有り富貴は天に在る此の類の事に至っては、既に作為すべからく、亦た行動すべからざれば、即ち問うべからず。たとい問うも、蓍卦も亦た告げざるなり。《易》是れ以て百姓に先んじて其の日用を開導する、併せて人に替わりて未来を預知せんと要するにあらず。一味に預知を求むるは、本来即ち聖人の路数にあらず。故に《礼記・少儀》の訓誡は曰く「未だ到来せざる事を測度する毋かれ」と。

郭璞嘗過顏含,欲為之筮,含曰:「年在天,位在人,修已而天不與者,命也;守道而人不知者,性也。自有性命,無勞蓍龜。」《文中子》:子謂北山黃公善醫,先寢食而後針藥;汾陰侯生善筮,先人事而後說卦。

郭璞は曾て晋人の顔含を拝訪し、彼に替わりて占筮せんと欲すれば、顔含は曰く、「寿数是天に在り、官位是人に在り。身を修養して而も上天は給与せざれば、あれ是れ命。正道を守住して而も世人は了解せざれば、あれ是れ性。我は自ら我が性命有り、蓍草大亀を労煩するを必とせず」と。隋代の王通《文中子》の裡に曰く、北山の黄公は医術に擅長し、先ず病人の睡眠飲食を調理し、然る後に才めて針薬を用いる。汾陰の侯生は占筮に擅長し、先ず人事を講じ清め、然る後に才めて卦象を講説す。

《金史·方伎傳》序曰:古之為術,以吉凶導人而為善;後世術者,以休咎導人而為不善。

《金史・方伎伝》の序は曰く、古時術数を搞する人は、吉凶を用いて人を引導して善事を做らしむ。後世の術士は、却って禍福を用いて人を引導して不善の事を做らしむ。

易為卜筮之書,與醫藥、種樹並稱,秦人之見也,然其說亦有所自來。古者太卜所掌,唯夏商以來相傳之繇辭,如《左氏》之所載者;而文王、周公易象之書,則藏於周、魯之太史氏。故陳厲公時,周史始有以《周易》見陳侯者,陳侯使筮之,而有《觀》六四之占;及昭公二年,韓宣子來聘,觀書於太史氏,始見《易象》與《魯春秋》,可見易象之書他國不皆有。孔子十翼則作於晚年,而傳之商瞿子木,尚未流行於世。[杜預曰:汲縣有發舊冢者,得《周易》上下篇,與今正同,而無彖、象、文言、繫辭,疑於時仲尼造之於魯,尚未播之於逺國也。]

胡渭按:《易》を以て卜筮の書と看成し、医薬・種樹之の類と並列す、此れ是れ秦人の見識、ただ此の種の説法も亦た其の来歴有り。古時太卜の掌管する所は、ただ是れ夏商以来相伝の占繇の辞のみ、《左伝》の裡の記載するあれらの如し。文王・周公の易象を講ずる書は、則ち周王室と魯国の太史の手裡に收藏す。故に陳厲公の時、才めて周朝の史官有りて《周易》を帯びて陳侯に見えに往き、陳侯は彼をして占筮せしめ、遂に《観》卦六四のあの次の占断有り。魯昭公二年に至りて、晋国の韓宣子は来りて聘問し、太史の処に在りて書を観し、此れ才めて《易象》と《魯春秋》を見る——見るべく易象を講ずる書は併せて各国皆具有するにあらず。孔子の《十翼》は晚年に作られ、弟子の商瞿(字は子木)に伝え、当時はなお未だ世に流行せず。[杜預曰く、汲県に人有りて古墓を挖開し、《周易》上下篇を得、今本と完全相同にして、而も《彖》《象》《文言》《繋辞》なく、あの時孔子は魯国に在りて此の幾篇を作り、なお未だ遠方の国家に伝播せざりしと懐疑す。]

秦僻在西垂,何由得見?李斯未必知,即知之亦必不信,其以易為卜筮之書無足怪者,而儒者遂謂易専為卜筮而作。夫伏羲既畫八卦而即制蓍為筮法,孔子贊易亦以蓍龜為神物而深明其用,謂易為卜筮之書無甚礙,但謂伏羲作易専為卜筮,而文王、周公、孔子卻說出許多義理,非伏羲之本義,是則大可疑耳。

秦国は偏りて西陲に処り、何処より此れらの書を看るを得ん。李斯は未だ必ずしも知らず、たとい知るも亦た必ず信ぜず、彼は《易》を以て卜筮の書と当作すは併せて奇怪ならず。然るに儒者は竟に亦た跟いて《易》は専ら卜筮の為に作られたりと言う。伏羲は既に八卦を画けば、即ち随に蓍草を用いて筮を起す方法を制定し、孔子の《易》を賛するも亦た蓍亀を以て神物と看作して而も深く其の功用を明白す、《易》は一部の卜筮の書と言うは、本来即ち多大の妨げなし。然るに若し伏羲の《易》を作るは専ら卜筮の為、而も文王・周公・孔子は却って許多の義理を講じ出し、併せて伏羲の本意にあらずと言えば、此れ即ち大可なりて懐疑すべし。

夫義理必藉文字以傳,伏羲時書契未興,故立象以盡意。卦畫有形而義理無形,有形者可見而無形者不可見,然其意實在立人之道曰仁與義也。三聖遞相祖述,發揮仁義之旨,而伏羲之意乃大白於天下,安得謂孔子之易非文王、周公之易,文王、周公之易非伏羲之易乎?伏羲之易有畫無辭,農夫、紅女、百工、商賈皆得而用之者也。[如後世楚巫打瓦、越人雞卜,雖無辭亦自有占法。]

義理は必ず文字を借りて以て流伝せざる可からず、伏羲の時は文字未だ興らざれば、才めて卦象を立てて以て心意を窮尽す。卦画は有形にして義理は無形、有形は看るべく、無形は看る能わざるも、然るに伏羲の用意は実在人の為る道理を確立するに在り、即ち仁と義なり。文王・周公・孔子三位の聖人は逓相承述して、仁義の宗旨を発揮し、伏羲の本意は才めて天下に大白す、どうして孔子の《易》是れ文王・周公の《易》にあらず、文王・周公の《易》是れ伏羲の《易》にあらずと言う能わん。伏羲の《易》は卦画有りて文辞無し、故に農夫・織婦・各行の工匠・商販は皆之を拿げて来りて使用し得。[即ち後世の楚地の巫者の「瓦を打つ」・越人の「鶏卜」の如く、文辞無しと雖も、亦た自ら一套の占法有り。]

若夫夏商以來之繇辭及文王、周公之彖爻,唯卜史能用之;至於孔子之十翼,則卜史亦不能知,唯士大夫好學深思者能知之耳。蓋易至孔子而其道始為處憂患、無大過之具,與《詩》《書》《禮》《樂》同其切要,人倫日用所不可斯須去者,而非徒卜筮之書矣。幸而秦火不及,學者得見完書,上之可以窮理而盡性,下之可以反身而寡過。顧徒以農夫、紅女、百工、商賈不能用,而欲崇不言之教,視《繫辭》如糟粕,毋乃過為髙論,墮老莊之環中而不覺也乎?

夏商以来の占繇の辞および文王の彖辞・周公の爻辞に至っては、則ちただ卜官史官のみ能く使用す。孔子の《十翼》に至れば、卜官史官に連ねても亦た読み懂す能わず、唯だ好学深思の士大夫のみ才めて明白す。大抵《易》は孔子の手裡に至りて、才めて憂患に身を処し大過を免るるの憑借と成り、《詩》《書》《礼》《楽》と一般に切要にして、是れ人倫日用に片刻も離れ得ざる所、而もただ一部の卜筮の書のみにあらず。幸いに秦火は之を焼き到らず、学者は完整の書を見るを得、上は以て理を窮め性を尽くすべく、下は以て身に反躬し過失を減少すべし。今却ってただ農夫・織婦・工匠・商販は之を用上せざるが為に、就中言を立てざる教法を推崇し、《繋辞》を以て糟粕と看成す、此れあに是れ話を太だ高く言い、老荘の圈套の裡に堕進して而も未だ自覚せざるにあらずや。

且夫卜筮之事,非君子所常有也。善當為,惡不可為,乃心自明,何必筮?死生富貴非人之所能為,亦焉用筮?惟天下大事,人但能料其可否,而氣數推移,有非鬼神不能知者,是之謂大疑,於是乎謀及乃心,謀及卿士庶人,而復謀及卜筮焉,故曰「人謀鬼謀,百姓與能」。然必其居也有觀象玩辭之學,而後其動也有觀變玩占之明。[動謂將有為、將有行。《洪範》曰「龜筮共違於人,用靜吉,用作凶」,靜即此所謂居,作即此所謂動也。]

再び卜筮此の件の事を言えば、本来即ち君子の経常に做る要する所にあらず。善は当に做るべく、悪は做る可からず、自ら心の中に明明白白、何ぞ必ずしも占筮せん。死生富貴是れ人力の左右する能くする所にあらず、又た何ぞ須らく占筮せん。ただ天下の大事は、人はただ能く可行与否を料到するも、而も気運数理の推移は、非ずんば鬼神の知る能わざる有り、此れ才めて「大疑」と叫ぶ。遂に先ず之を自らの心に謀し、再び之を卿士庶人に謀し、最後に才めて之を卜筮に謀す。故に《繋辞》は曰く「人謀鬼謀、百姓与に能くす」と。但し必是れ平居の時に象を観じ辞を玩むの学問有りて、然る後に行動の時に才めて変を観じ占を玩むの明断有り。[「動」は将に作為有らんとし将に行動有らんとするを指す。《尚書・洪範》は曰く「亀卜と筮占は皆人の意見と相違せば、則ち安静に常を守りて吉利、挙動有らば即ち凶」、「静」は即ち此処の言う「居」なり、「作」は即ち此処の言う「動」なり。]

計一歲之中,居之時多,動之時少,及其動也,不疑之事什九,可疑之事什一,其大疑者又加少焉,君子之於卜筮亦未嘗數數也。聖人豈専為卜筮而著一書,使天下後世之人日日端策拂龜,聴命於鬼神而不務民義也哉?亭林論卜筮十則,可以箴宋人之膏肓,餘故備錄之,而綴以管見如此。

算して来れば一年の中、静処する時は多く、行動する時は少なし。行動に及ぶとも、疑慮するを必とせざる事は十分の九を占め、疑うべき事はただ十分の一を占め、其の中「大疑」に夠上するは又た更に少なし、見るべく君子の卜筮に対するも亦た併せて頻繁ならず。聖人はあに会して専ら卜筮の為に一部の書を写して、天下後世の人をして天天蓍策を摆弄し亀甲を擦拭せしめ、一味に鬼神に聴命して而も民衆の義事に尽力せざらしめんや。顧炎武(号は亭林)の卜筮を論ずる此の十則は、以て宋人の膏肓の疾を鍼砭すべし、故に我は彼らを全部抄録して下し、併せて上面の如く自らの浅見を附上す。

《日知録》曰:孔子論易,見於《論語》者二章而已:曰「假我數年,五十以學易,可以無大過矣」;曰「南人有言曰:人而無恆,不可以作巫醫。善夫!不恆其徳,或承之羞」,子曰「不占而已矣」。是則聖人之所以學易者,不過庸言庸行之間,而不在乎圖書象數也。今之穿鑿圖象以自為能者,畔也。

《日知録》は曰く、孔子の《易》を論ずるは、《論語》に見るはただ両章のみ有り:一は「我に再び幾年かを与えて、五十歳に到りて《易》を学べば、即ち以て大の過失なからしむべし」、一は「南方人有りて句の話を言う、人若し恒心無からば、巫医すら做る能わず。言うこと好し。《恒》卦九三は曰く『徳行を長久に保持する能わざれば、即ち羞辱を招来せん』」、孔子は続けて曰く「此の種の人は占卜するを必とせざるのみ」と。見るべく聖人の《易》を学ぶは、過ぎず平常の言語行事の間に着落し、併せて河図洛書・象数の学の上に在らず。今あの図象を穿凿して以て自ら本事を逞する人は、是れ聖人の道に背離す。

記者於夫子學易之言而即繼之曰「子所雅言,詩、書、執禮,皆雅言也」,是知夫子平日不言易,而其言詩、書、執禮者皆言易也。人苟循乎詩、書、執禮之常而不越焉,則自天佑之,吉無不到矣。故其作《繫辭傳》,於悔吝無咎之旨特諄諄焉,而《大象》所言,凡其體之於身、施之於政者,無非用易之事。

《論語》の記録する者は孔子の《易》を学ぶを談ずる話の後面に、緊接して写して曰く「孔子の経常に談論するは、是れ《詩》《書》および礼を守る、此れらは皆彼の日常に談ずる所」、見るべく孔子は平日《易》を談ぜず、而も彼の《詩》《書》を談じ礼を守るを談ずるは、其実処処に皆《易》を談ずるなり。人はただ《詩》《書》および礼を守るの常道に循いて而も逾越せざれば、則ち上天は即ち之を保佑し、吉利は来らざるなし。故に孔子の《繋辞伝》を作るは、悔・吝および如何に過失を免るるかの宗旨に対し、格外に反復叮嚀す。而も《大象伝》の講ずる所は、およそ自身に体現し政事の上に施行するは、一として《易》を運用する事にあらざるなし。

然辭本乎象,故曰「君子居則觀其象而玩其辭」,觀之者淺,玩之者深矣。其所以與民同患者,必於辭焉著之,故曰「聖人之情見乎辭」。若「天一地二」「易有太極」二章,皆言數之所起,亦贊易之所不可遺,而未嘗専以象數教人為學也。是故「出入以度」「無有師保,如臨父母」,文王、周公、孔子之易也;希夷之圖、康節之書,道家之易也。自二子之學興,而空疎之人、迂怪之士舉竄跡於其中以為易,而其易為方術之書,於聖人寡過反身之學去之逺矣。

然るに文辞は卦象に本づく、故に「君子は平居すれば即ち卦象を観察して爻辞を玩味す」と言う。観察はなおただ浅き一層のみ、玩味は才めて深き一層なり。聖人の百姓と忧患を同じくする所以は、必ず文辞の裡に表明することを要す、故に「聖人の心意は文辞の上に顕現す」と言う。「天一地二」「易に太極有り」此の両章に至っては、皆是れ数の起源を講ずるも、亦た是れ《易》を賛する時に缺少すべからざる部分なり、但し孔子は併せて曾て専ら象数を拿げて人に教えて学問を做らしめず。故に「出入に法度有り」「師保在る傍ら無しと雖も、亦た父母に面对するが如し」の如き話は、才めて是れ文王・周公・孔子の《易》。陳抟(号は希夷)の図・邵雍(諡は康節)の書は、則ち是れ道家の《易》。此の両人の学説が興起してより、空疏の人・迂怪の士は统统あの裡面に躲進して之を以て《易》と当作す、遂に彼らの《易》は方術の書と成りて、聖人の過を寡くし身に反る学問を離れること甚だ遠し。

巻十・学易の正宗を論ず(黄宗羲《易学象数論》の序と胡渭の総断)

黃氏《象數論序》曰:夫易者,範圍天地之書也,廣大無所不備,故九流百家之學俱可竄入焉;自九流百家借之以行其說,而於易之本意反晦矣。《漢·儒林傳》:孔子六傳至菑川田何,易道大興。吾不知田何之說何如也。降而焦、京,世應、飛伏、動爻、互體、五行、納甲之變無不具者。吾讀李鼎祚《易解》,一時諸儒之說蕪穢康荘,使觀象玩占之理盡入於淫瞽方技之流,可不悲夫!

清代の黄宗羲《易学象数論》の序は曰く、《易》是れ天地を籠罩する書、広大にして備らざる所なし、故に九流百家の学説は皆其の中に钻進し得。九流百家が之を借りて以て自家の主張を推行してより、《易》の本意は却って晦暗なり。《漢書・儒林伝》は曰く、孔子の《易》学は六伝して菑川人の田何に至り、《易》道は大いに興盛す——我は却って田何の学説は究竟如何なるかを知らず。往後に西漢の焦延寿・京房に至りて、世応・飛伏・動爻・互体・五行・納甲種種の変例は一として備らざるなし。我は唐代の李鼎祚《周易集解》を読み、ただ当時の諸儒の説法は一条の大路を弄りて荒穢不堪と為し、象を観じ占を玩むの道理をして全部巫瞽方技一流の手裡に落進せしむるを見、能く人をして痛心せしめざらんや。

有魏王輔嗣出而注易,得意忘象,得象忘言,日時歲月、五氣相推悉皆擯落,多所不闗,庶幾潦水盡而寒潭清矣。顧論者謂其以老莊解易,試讀其注,簡當而無浮義,何曽籠落玄旨,故能逺歴於唐,發為《正義》,其廓清之功不可泯也。然而魏伯陽之《參同契》、陳希夷之圖書逺有端緒,世之好竒者卑王注之淡薄,未嘗不以別傳私之。

曹魏の王弼は出でて《易》に注して、其の意を得れば即ち象を忘るべく其の象を得れば即ち言を忘るべしと主張し、日・時・歳・月および五気相推あの一套を统统掃除して、大多は《易》と関係なしと認む、此れ才めて些か積水退尽し寒潭澄清の気象有り。然るに議論する人は彼は老荘を以て《易》を解すと言う、試みに其の注を読めば、簡明恰当成りて而も浮泛の談無く、何曾か玄理を拿げて経文を籠罩せしめん。故に其の注は能く一直に唐代まで流伝し、衍して《周易正義》と為す、彼の《易》学を廓清する功労是れ抹殺する能わざる所なり。然るに東漢の魏伯陽の《周易参同契》・陳抟の図書の学は源頭甚だ早く、世上の奇を好む人は王弼の注は太だ淡薄なりと嫌み、総じて免れず此れらを以て別に師承有るの秘伝と当作して私下に珍視す。

逮伊川作《易傳》,收其崑崙旁薄者散之於六十四卦中,理到語精,易道於是而大定矣。其時康節上接种放、穆修、李之才之傳,而創為河圖先天之說,是亦不過一家之學耳。晦庵作《本義》,加之於開卷,讀易者從之,後世頒之學官,初猶兼《易傳》並行,久而止行《本義》,於是經生學士信以為羲、文、周、孔其道不同,所謂象數者又語焉而不詳,將夫子之韋編三絶者須求之賣醬箍桶之徒,而易學之榛蕪蓋仍如京、焦之時矣。自科舉之學一定,世不敢複議,稍有出入其說者,即以穿鑿誣之。

程頤(世は伊川先生と称す)が《伊川易伝》を作るに至りて、あの渾淪磅礴の道理を分散して六十四卦の中に安顿し、理を説くは透彻し措辞は精当にして、《易》道は此処に至りて才めて大定と算す。当時邵雍は上は種放・穆修・李之才の伝授を承け、河図および先天の説を創立す、此れも亦た過ぎず是れ一家の学のみ。朱熹(号は晦庵)は《周易本義》を作り、此れらの図を巻首に加え、《易》を読む人は便ち跟いて信従す。後世の朝廷は之を学官に頒行し、起初はなお《伊川易伝》と並行すれど、久之しくしてただ《本義》のみ行われ、遂に経生学士は竟に真に伏羲・文王・周公・孔子は各々各の道有りと認め、而もいわゆる象数は又た講じて含糊不清、孔子の韋編三絶して読んだあの部の書を弄りて、却って醤を売る・桶を箍する一類の市井の術士の処に到りて求めんとせしめ、《易》学の荒蕪は大概なお旧来京房・焦延寿の時代と一般なり。科挙の学が一尊に定まってより、世人は敢て再び異議有るを為さず、稍微あの套の説法と出入一点すれば、即ち穿凿附会と指さる。

夫所謂穿鑿者,必其與聖經不合者也,摘發傳注之訛,復還經文之舊,不可謂之穿鑿也。河圖洛書,歐陽子言其怪妄之尤甚者,且與漢儒異趣,不特不見於經,亦是不見於傳。先天之方位,明與出震齊巽之文相背,而晦翁反致疑於經文之卦位。生十六、生三十二,卦不成卦,爻不成爻,一切非經文所有,顧可謂之不穿鑿乎?

いわゆる穿凿は、必定に是れ聖人の経文と合わざるを指す。伝注の訛誤を指摘し経文の本来面目を恢復するに至っては、能く穿凿と叫作する能わざるなり。河図洛書は、欧陽修は之を怪妄の説の中最も厲害と言い、而も且つ漢儒の路数と同じからず、不但に経の裡に有らざるのみならず、伝の裡も亦た見る能わざるなり。先天図の方位は、明明《説卦》の「帝は震より出で巽に斉し」の文字と相違背すれど、朱熹は却って経文の裡の卦位を懐疑す。いわゆる八卦より十六を生じ三十二を生ずるに至っては、卦は卦と為るを成さず爻は爻と為るを成さず、一概に皆経文の裡の有る所にあらず、あになお能く是れ穿凿にあらずと言う能わんや。

晦翁曰:「談易者譬之燭籠,添得一條骨子則障了一路光明,若能盡去其障,使之統體光明,豈不更好?」斯言是也,奈何添入康節之學,使之統體皆障乎!世儒過視象數以為絶學,故為所欺,餘一一疏通之,知其於易本了無干涉,而後反求之《程傳》,或亦廓清之一端也。

朱熹は言うたり:「《易》を講ずるは譬えば灯籠の如く、一根の骨架を添えれば即ち一路の光明を挡住す。若能く遮損を全部去掉して、之を通体透亮ならしめば、あに更に好からずや」と。此の話は言うこと對なり、然るに彼自らは却って邵雍あの一套を添進して、通体皆遮損と弄り成せり。世上の儒者は象数を看得太だ重く、之を以て絶学と当成し、此れに因りて其の蒙蔽を受く。我は逐条に之を疏解清楚して、人をして此れらは《易》と本来毫も相干らざるを知らしめ、然る後に再び頭を回して之を程頤《伊川易伝》に求めん、此れ或いは亦た《易》学を廓清する一条の路子ならん。

按:史,魏正始中,何晏、王弼等好《老》《莊》書,祖尚虛無,以六經為聖人之糟粕,天下士大夫慕效成風,迄江左而未艾,故范寧謂王、何之罪深於桀、紂。今觀弼所注易,各依彖爻以立解,間有涉於老莊者亦千百之一二,未嘗以文王、周公、孔子之辭為不足貴而糟粕視之也。獨為先天學者,欲盡廢周孔之言而専從羲皇心地上尋求,是其罪更浮於王、何矣。儒者不之闢,而反助其狂瀾,以為三聖人之易非即伏羲之易,何邪?亭林、棃洲之論大有造於易學,故殿之篇末,以告天下之習非而不悟者。

胡渭按:史書の記載に拠れば、曹魏正始年間、何晏・王弼らは《老子》《荘子》を喜好し、虚无を崇尚して、六経を以て聖人の糟粕と看作す、天下の士大夫は競りて仿效して風と成り、東晋南朝に至るまでなお未だ止息せず、故に東晋の范寧は王弼・何晏の罪過は桀・紂よりなお深しと言う。今王弼の注する所の《周易》を看れば、各々彖辞爻辞に依りて解を立て、偶々老荘に涉及するも亦た過ぎず千百分の一二、併せて曾て文王・周公・孔子の文辞を以て珍貴するに足らざる糟粕と看作せず。倒是れあの先天の学を講ずる人は、周公・孔子の言語を全部廃掉して、専ら伏羲の「心地」の上に到りて寻求せんと要す、此の罪過は王弼・何晏よりなお重し。儒者は彼らを駁斥せずして、却って此の股の狂瀾を助長し、三位の聖人の《易》は即ち伏羲の《易》にあらずと認む、此れ何の道理か。顧炎武・黄宗羲(号は梨洲)の議論は《易》学に対し大いに功労有り、故に我は彼らを全書の末尾に放り、以て天下のあの非を習い是と成して而も覚悟せざる人に告誡す。

右論學易正宗。

以上の一節は、《易》を学ぶの正宗の門径を論ずる所なり。

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