Libo

九宮

清 · 胡渭 · 第5巻 / 15

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

《參同契》曰:「物無陰陽,違天背元。牝雞自卵,其雛不全。夫何故乎?配合未連,三五不交,剛柔離分。」(陳顯微曰:張紫陽詩云「莫把孤陰謂有陽,獨修一物轉羸尩」,鍾離先生詩云「莫謂此身亡是道,獨修一物是孤陰」。須知一陰一陽之謂遒,男女構精,萬物化生,而後可語還丹矣。苟二物不合,三五不交,水火未濟,剛柔離分,則陰陽隔絶,天地閉塞,所謂偏陰偏陽謂之疾也。)

《周易参同契》にいう:「事物に若し陰陽配合なければ、天道に背き本原に乖離す。雌鶏が自らの下した蛋を孵しても、孵り出る雛鶏は完全ならず。これは何の故か。配合が接続せず、『三五』が交会せず、剛と柔とが彼此分離したためである。」陳顕微が解釈していう:張紫陽(張伯端)の詩に「孤零零たる陰をもって陽あると説くなかれ、一物を単修すればかえって修めるほど瘦弱す」と講じ、鍾離先生の詩に「この身体を抛てばこそ道だと言うなかれ、一物を単修するはすなわち孤陰」と講ずる。知るべきである。一陰一陽が交替往復してこそ大道という。男女が交合して精気を為し、万物が化育生成して、然る後に「還丹」を言い得る。もし両物が結合せず三五が交会せず水火が既済と成らず剛柔が各自分離すれば、陰陽は隔絶し天地は閉塞する。これがまさにいわゆる「陰に偏し陽に偏すれば即ち病と呼ぶ」である。

又曰:「三五與一,天地至精,可以口訣,難以書傳。子當右轉,午乃東旋,夘酉界隔,主客二名。金水合處,木火為侶,四者混沌,列為龍虎。龍陽數奇,虎陰數偶。肝青為父,肺白為母,腎黑為子,心赤為女,脾黃為祖,子五行始。三物一家,都歸戊巳。」(彭曉曰:子水數一,為五行始;金火木三物同功,首尾造化俱歸戊巳者,是故脾黃為藥之祖也。)

《参同契》はまたいう:「三・五と一は、天地間の最も精微の道理で、口頭の伝诀をもってし得、文字に形し難し。子位は右に旋回すべく、午位は東に向かって回転し、卯と酉とが界限を画し、主と客の二名目を分かつ。金と水とは一処に会合し、木と火とは伴侣を結び、四者は混同して分れず、排列して龍と虎と為る。龍は陽に属しその数は奇、虎は陰に属しその数は偶。肝の色は青で父、肺の色は白で母、腎の色は黒で子、心の色は赤で女、脾の色は黄で祖。子は五行の開端である。三物は一家に同帰し、すべて戊己の土に帰結す。」彭暁が解釈していう:子は水に属し数は一で、五行の起始である。金・火・木の三物は功用同じく、造化の首尾はみな戊己土に帰結するので、黄色の脾がすなわち丹薬之祖と成る。

「剛柔迭興,更歴分佈,龍西虎東,建緯夘酉,刑德並會,相見歡喜,刑主伏殺,德主生起。」(陳致虛曰:青龍屬東,白虎屬西,此其正也。更歴分佈者,青龍建緯於酉,白虎建緯於夘,是刑德並會而龍虎歡喜顛倒相見。)「子南午北,互為綱紀,一九之數,終而復始,含元虛危,播精於子。」

《参同契》は続けていう:「剛と柔とは交替に興起し、輪流に経歴し分かち布列す。龍は西方に移り虎は東方に移り、経緯を卯位と酉位に立つ。刑と徳とは一同に会合し、彼此相見て歓喜す。刑は潜伏と粛殺を主管し、徳は生長と興起を主管す。」陳致虚が解釈していう:青龍は東方に属し白虎は西方に属す。これがそれらの正位である。いわゆる「更歴分布」は、青龍が緯を酉方に立て白虎が緯を卯方に立てるを言う。これがすなわち刑徳の一同会合・龍虎の顛倒相見の歓喜である。《参同契》はまたいう:「子位は南に移り午位は北に移り、互相いに綱紀と為る。一より九の数は、尽きる所に至りまた重新に始まる。元気は虚宿・危宿の間に含藴し、真精を子位に播散す。」

(陳致虛曰:子南午北者,顛倒五行也。仙聖云「五行順行,法界火坑;五行顛倒,大地七寶」,所以水火互為綱紀,方能既濟也。陽生於一,成於九,陽數至九則極,極則復於一,此謂一九之數終而復始。「含元虛危,播精於子」者,丹之神功在此兩句。葢虛危之次,日月合璧之地,一陽初生之方,龜蛇蟠結之所,故太一所含先天之元氣,其真精遇子則播施,此復應前文「子五行始」之義也。俞琰曰:子午即南北水火,夘酉即東西金木。右轉左旋,一伏一起,則水火相交,金木自然不間隔矣。然東西夘酉皆金木異名,非天地方位,亦非人身左右。)

陳致虚が解釈していう:「子南午北」は五行を顛倒させることである。仙家の聖人は「五行順く行けば世界は即ち火坑、五行顛倒すれば大地は即ち七宝」という。ゆえに水火が互いに綱紀と為り、はじめて既済之象と成り得る。陽は一より生じて九に至って成る。陽数は九に至れば極点に達し、極点に至ればまた一に帰る。これを「一九之数は終わりて復始まる」という。「含元虚危、播精于子」に至っては、煉丹の神妙な功夫は尽くこの両句にある。虚宿・危宿の所在する星次は、日月合璧の処・一陽初生の方位・亀蛇盤結の所在なので、太一の含む先天元気は、その真精は子位に遇えばすなわち播撒する。これはまた前文の「子は五行の開端」の意に回応する。兪琰が解釈していう:子午はすなわち南北の水火、卯酉はすなわち東西の金木。一は右転し一は左旋し、一伏一起して、水火はすなわち相交じ、金木は自然にもはや隔閡なし。ただ東西卯酉はみな金木の別名で、天地の実際の方位でもなく、人身の左右でもない。

張氏伯端《悟真篇》曰:「三五一都三個字,古今明者實然稀。東三南二同成五,北一西方四共之,戊巳自居生數五,三家相見結嬰兒。嬰兒是一含真氣,十月胎圎入聖機。」

張伯端《悟真篇》にいう:「『三五一』は合わせて三字、古今真に明白なる者は実に稀少なり。東方之三は南方之二と合して一つの五を成し、北方之一は西方之四と合してまた一つの五を成す。戊己土は自身生数之五を占む。この三家相見れば、すなわち嬰児を結成す。嬰児はすなわちあの『一』で、真気を含み、十箇月懐満して胎児円成し、便ち成聖の関捩に入る。」

毛氏曰:「三五至精圗者,取『三五與一,天地至精』語,而分五行為三五。中央土一五也,天五生土也;左火與木共一五也,地二生火,天三生木也,二三五也;右水與金又共一五也,天一生水,地四生金也,一四亦五也。故其為生序,則水承坎下,火承離下;其為行序,則金盛為水,木盛為火,而合而復歸於一元也(合三五而皆鉤連於下之一)。則此一○者,三五之合,非二五之合;三五之精,非二五之精。葢丹家水火必還一元,故其後復有含元播精、三五歸一之語。」(見《太極圖說遺議》)

毛奇齢がいう:いわゆる「三五至精図」は、「三五与一、天地至精」という句を取り、五行を三つの「五」に分ける。中央の土は一つの五。それは「天五生土」のため。左辺は火と木とが合して一つの五。それは「地二生火、天三生木」で、二加三は五。右辺は水と金とがまた合して一つの五。それは「天一生水、地四生金」で、一加四もまた五。ゆえに生成の次序に拠れば、水は坎卦の下に承接し、火は離卦の下に承接する。運行の次序に拠れば、金は盛んにして水に化し、木は盛んにして火に化し、最後に合攏して一元に重帰する(三つの五はいずれも線をもって下面のあの「一」に鈎連する)。これを見れば図中のあの一つの円圈は、三つの五の会合であって二つの五の会合ではなく、三つの五の精華であって二つの五の精華ではない。たいてい丹家が水火を講ずるには必ず一元に帰す。ゆえに後文にまた「含元播精」「三五帰一」の説法がある。この説は毛奇齢《太極図説遺議》に見える。

按:三輪肖坎離二卦,五行即天地之生數。然伯陽專心修煉,特藉此以明作丹之意,初非為易而設。葢三輪不可以為兩儀,五行不可以為四象,其所謂易,專指坎離水火,非聖人生生之易也。唐《真元妙經品》有太極先天圗,合三輪五行為一,而以三輪中一○、五行下一○為太極,又加以陰靜、陽動、男女、萬物之象,凡四大○。陰靜在三輪之上,陽動在三輪之下(三輪左離右坎者,水火既濟之象;二○上陰下陽者,天地交泰之象。《鼎器歌》云「陰在上,陽下奔」,即此義也)。

胡渭の按語:あの三つの円環は坎・離の両卦を模仿し、五行の用いるはすなわち天地の生数である。しかし魏伯陽の一心は修錬の上にあり、ただこれらを借りて結丹の意を説明したにすぎず、もともと《易》を解くために設けたのではない。三つの円環は「両儀」と為すべからず、五行は「四象」と為すべからず。彼のいわゆる「易」は、専ら坎離水火を指し、聖人のあの生生不息の《易》ではない。唐代の《真元妙経品》の中に一幅の「太極先天図」があり、三輪と五行とを一體に合成し、また三輪中間の円圈と五行下面の円圈をもって太極と為し、別に陰静・陽動・男女・万物之象を加えて、合わせて四つの大円圈とした。陰静は三輪の上に画き、陽動は三輪の下に画く(三輪は左辺が離・右辺が坎で、水火既済之象を取る。上下の両円圈は上陰下陽で、天地交泰之象を取る。《参同契・鼎器歌》に「陰は上に在り、陽は下に奔る」というは、すなわちこの意)。

男女萬物皆在五行之下,與宋紹興甲寅朱震在經筵所進周子太極圗正同。今《性理大全》所載者,以三輪之左為陽動、右為陰靜,而虛其上下之二○以為太極,乃後人所改,非其舊也。此不在《本義》九圗之列。或曰陳摶傳穆修,穆修傳周子;或曰周子所自作,而道家竊之以入藏。疑不能明,存而弗論雲。

男女・万物はみな五行の下に排する。これは南宋・紹興甲寅年に朱震が経筵で進呈した周敦頤《太極図》と完全相同である。今日《性理大全》の載せるあの一幅は、三輪の左の左辺を陽動・右辺を陰静と為し、また上下の両円圈を空けて太極と為す。あれは後人が改動したもので、元の様子ではない。この図は朱熹《周易本義》の巻首九図の列に入らない。ある者はそれを陳摶が穆修に伝え穆修が周敦頤に伝えたと言い、ある者は周敦頤の自作で道家がそれを盗んで道蔵に収めたと言う。この事は疑しく明らかにし難いので、姑く保留して論断を加えない。

右論二用三五。

以上は《参同契》の「二用」と「三五」の両図に関する論述である。

《參同契》曰:「言不苟造,論不虛生,引驗見效,校度神明,推類結字,原理為徵。坎戊月精,離己日光,日月為易,剛柔相當。土旺四季,羅絡始終,青赤白黑,各居一方,皆稟中宮戊己之功。」(彭曉曰:「坎戊月精」者,月陰也,戊陽也,乃陰中有陽,象水中生金虎也;「離己日先」者,日陽也,己陰也,乃陽中有陰,象虎中生柔龍也。)

《周易参同契》にいう:「話は随便に造作せず、議論は空から生ぜず。みな引証験め実効を見、校核揣度して神明に合す。推類の法をもって文字を拼合し、本来の道理をもって凭证と為す。坎中の戊土は月の精華、離中の己土は日の光輝。『日』『月』の二字を合わせればすなわち『易』字で、剛と柔とが正好相当す。土は四季之末に旺し、始と終とを网羅貫穿す。青・赤・白・黒は各々一方に居り、すべて中宮戊己土の功用を禀受す。」彭暁が解釈していう:いわゆる「坎戊月精」は、月は陰に属し戊は陽に属する。これは陰中に陽ありで、水の中より金虎を生ずるを象徴す。いわゆる「離己日光」(ここの原文は「日先」と作す)は、日は陽に属し己は陰に属する。これは陽中に陰ありで、虎の中より柔龍を生ずるを象徴す。

(陳顯微曰:《易》卦納甲法,坎納六戊,離納六己,坎為月,離為日,故曰「坎戊月精,離已日光」。「日月」二字合為「易」字,故曰「推類結字」,是皆原理為證,而非虛造言論也。易既不外乎日月,丹豈不本乎坎離?然坎之與離皆存戊巳,古人云「都綠彼此懷真土,遂使金丹有返還」。況土旺四季,羅絡始終,水火木金雖各居一方,而皆稟中宮土徳也。張紫陽詩云「四象五行全藉土」,土德之功大矣哉!葢土者金母也,知五行之俱歸於土,則知五行之俱變為金,然後能會造化於中宮,種黃芽於后土矣。)

陳顕微が解釈していう:《易》卦の納甲法は、坎卦は六戊を納し離卦は六己を納す。坎は月を象徴し離は日を象徴す。ゆえに「坎中の戊土は月の精華、離中の己土は日の光輝」という。「日」「月」の両字は合して「易」字と成る。ゆえに「推類結字」という。これらはみな本来の道理をもって凭证と為し、空から造り出した言論にあらず。すでに「易」は日月より外ならず、煉丹は豈に坎離を本とせざるを得ようか。しかも坎と離との中にいずれも戊己土を存す。古人は「全く彼此が真土を懐むに因りて、はじめて金丹を返還せしめ得」と言った。しかも土は四季之末に旺し、始終を貫穿する。水火木金は各々一方に居るが、すべて中宮土の徳性を禀受す。張紫陽の詩に「四象五行は尽く土に頼る」という。土徳の功用は実に大きい。土は金之母なり。五行が尽く土に帰するを知れば、五行が尽く金に変じ得るを知り、然る後に中宮で造化に会合し、后土の上に「黄芽」を種うることを得る。

「晦朔之間,合符行中,混沌鴻蒙,牝牡相從,滋液潤澤,施化流通,天地神明,不可度量,利用安身,隠形而藏。始於東北,箕斗之鄉,旋而右轉,嘔輪吐萌,潛潭見象,發散清光,昴畢之上,震出為徵。」(陳顯微曰:晦朔之間,當合符行中,如混沌鴻蒙不可度量,葢牝牡相從、滋液潤澤、施化流通之時也,豈可用功乎?故利用安身,隠形而藏,卻自箕斗之鄉嘔輪吐萌、發散輝光可也。寒山子詩云「不得露其根,根虛則子墜」,葢體用不同,施功亦異故也。)

《参同契》にいう:「晦日と朔日の交は、日月は合符して中道を運行し、混沌鴻蒙一片にして、牝と牡とが相随い、津液は滋潤し施化は流通す。天地神明の運作は測度し難く、此時己身を安頓し形跡を隠して潜蔵するに宜し。それは東北方の箕宿・斗宿の分野に起こり、隨いで右に旋転し、輪のごとき月輪の萌芽を吐出し、深潭の中に物象を初現し、清亮の光を発散す。昴宿・畢宿の上に至れば、震卦の一陽が出現し、すなわちこれ兆である。」陳顕微が解釈していう:晦朔之交は、日月はまさに合符して中道を行き、混沌鴻蒙として測度し難きがごとし。あれは牝牡が相随い津液が滋潤し施化が流通する時で、どうして用功を言い得ようか。ゆえに此時は身を安じ形を隠して潜蔵すべく、箕斗の分野より月輪の萌芽を吐出し光輝を発散する時を待ってはじめて下手すべきである。寒山子の詩に「根を露出せしむべからず。根虚ければ果実は墜落せん」という。これは体と用とが異なり、用功の時機もまた異なるためである。

「聖人不虛生,上觀顯天符。天符有進退,詘伸以應時,故易統天心。復卦建始萌,長子繼父體,因母立兆丌(音其,薦物之具),消息應鍾律,升降據斗樞。三日出為爽,震庚受西方;八日兊受丁,上弦平如繩;十五乾體就,盛滿甲東方。蟾蜍與兔魄,日月氣雙明,蟾蜍視卦節,兔者吐生光。七八道已訖,屈折低下降,十六轉就綂,巽辛見平明;艮直於丙南,下弦二十三;坤乙三十日,東北喪其朋。節盡相禪與,繼體復生龍,壬癸配甲乙,乾坤括始終。七八數十五,九六亦相應,四者合三十,陽氣索滅藏。」

《参同契》にいう:「聖人は徒らに降生せず、上は天象を観て天の符信を彰明す。天符は進有り退有り、屈伸して時令に順応す。ゆえに《易》は天心を統摂す。復卦は一陽の始めて生じ萌動する時なり。長子・震は父・乾の形体を承継し、母・坤に凭って承物の器具を立つ(『丌』は『其』と読む。祭品を承放する器具)。消長盈虚は鍾律に合し、昇降は北斗の斗枢に依拠す。初三の日、月光初めて出づるを『爽』という。震卦は西方の庚位より承受す。初八の日、兌卦は南方の丁位を承受す。上弦月は平直にして縄のごとし。十五の日、乾卦之體は完成し、月光は東方の甲位に盛満す。蟾蜍と兎魄は、日月之気が双々顕明なり。蟾蜍は卦の節度を映現し、兎子は新生の光を吐く。七と八の道は行き尽くして、すなわち屈折して低降す。十六の日は統属に転じ入り、巽卦は西方の辛位にて平明の時に見ゆ。艮卦は南方の丙位に当直す。下弦は二十三の日なり。坤卦は乙位に在り。三十の日は東北方にて同伴を喪失す。一節走り尽くしてすなわち相互に禅譲交替し、承継する者はまた蒼龍を生ず。壬癸は甲乙と相配し、乾坤は始と終とを包括す。七加八は十五、九加六もまた相応じ、四者合して三十、陽気は此に至りて耗盡して潜蔵す。」

(陳顯微曰:魏君以一月之間月形圎缺喻卦象進退:自初三日為一陽,初八日為二陽,十五則三陽全而乾體就;十六則一陰生,二十三則二陰生,三十日則三陰全而坤體成。)

陳顕微が解釈していう:魏伯陽は一箇月の中の月形体の円缺を用いて、卦象の進退を比喻す。初三日より一陽と算し、初八日より二陽と算し、十五日三陽は斉全して乾卦之體は完成す。十六日一陰は始生し、二十三日二陰は生じ、三十日三陰は斉全して坤卦之體は形成す。

(昴畢在西方庚位,每月初三日月現微明於西方庚位,應震之一陽初生,而《周易》納甲法震卦納六庚,其造化之理參合如此。初八日月現上弦於南方丁位,應兊卦二陽生,而納甲法則兊納六丁。以至十五日月滿於東方甲位,則乾卦又納六甲,其時卦備三陽,三五之道已終,則滿者虧而伸者屈,髙者低而升者降。至十六日一陰生而當陰用事,月於平旦現在西方辛位,以應巽卦納辛;至二十三日月於平旦現南方丙位,應艮卦納丙;至三十日月沒東方乙位,應坤卦納乙。節盡則又相禪與,陽復用事。)

陳顕微が続けていう:昴宿・畢宿は西方の庚位にある。毎月の初三、月は西方の庚位に一線の微明を顕し、震卦の一陽初生に対応し、《周易》の納甲法では震卦はまさに六庚を納す。天地造化の道理はこのように彼此吻合す。初八日、月は南方の丁位に現れて上弦と為り、兌卦の二陽生に対応し、納甲法では兌卦は六丁を納す。十五日に至り月は東方の甲位に円して、乾卦はまた六甲を納す。此の時卦中の三陽は斉備し、「三五」之道はすでに走り尽くし、そこで円満なるは始めて亏欠し、伸展なるは始めて屈曲し、高きは低に転じ、昇るは降に転ず。十六日に至り一陰は始生して陰より権を当て、月は清晨に西方の辛位に出現して巽卦の辛を納するに対応す。二十三日に至り月は清晨に南方の丙位に出現して艮卦の丙を納するに対応す。三十日に至り月は東方の乙位に隠没して坤卦の乙を納するに対応す。一節走り尽くしてすなわちまた相互に禅譲交替し、陽気は重新に権を当つ。

(俞琰曰:火候之妙,有未易明言者,於是古之至人觀天之道,設為法象以示人:以天地喻鼎器,以日月喻藥物,以日月往來喻火候。月行於天,一月一度與日交合,故謂天符。應時者,十二時也。月自初一以後光漸進,魂長魄消,陰屈陽伸,象一日之子至已;十六日以後光漸退,魄長魂消,陰伸陽屈,象一日之午至亥。火候進退屈伸,猶是也。)

兪琰が解釈していう:火候の奥妙には、講じ明らかにし易からざる者あり。そこで古代の至人は天道を観察し、一套の天象を取法する図式を設立して後人に指示した。天地をもって煉丹の鼎器に比喻し、日月をもって薬物に比喻し、日月の往来をもって火候に比喻す。月は天上を運行し、一箇月に太陽と一度交会す。ゆえに「天符」と呼ぶ。いわゆる「応時」は、十二個の時辰を指す。月は初一以後、光は漸く増長し、魂は長じ魄は消え、陰は屈し陽は伸び、一日の中の子時より巳時に至るを象徴す。十六日以後は光は漸く退去し、魄は長じ魂は消え、陰は伸び陽は屈し、一日の中の午時より亥時に至るを象徴す。火候の進退屈伸もまた、まさにこの様子である。

「謬誤失事緒,言還自敗傷。別序斯四象(謂七八九六),以曉後生盲。八卦佈列曜,運移不失中,元精眇難睹,推度效符徵。上觀天河(今本作「河圗」,非)文,下序地形流,中稽於人心,參合考三才。」

《参同契》にいう:「若し誤れば即ち事情の頭緒を失い、説き出す話はかえって自ら敗傷を取る。別にこの四象を排出し(七・八・九・六を指す)、もって後世の盲昧の人を点醒す。八卦は群星のごとく布列して閃耀し、運転推移してその中を失わず。元精微渺にして見ること難く、ただ推算揣度してその符応征兆を験すべし。上は天河の文彩を観(今本は『天河』を『河図』と改作す。誤りなり)、下は地形水流の走向を叙し、中は人心を考究し、三方は参照合験して、天地人の三才を考求す。」

(陳顯微曰:上察天文,下察潮候,中稽人心。俞琰曰:古之修丹者,仰觀天文,俯察地理,中稽人心,於是虛吾心,運吾神,迴天闗,轉地軸,上應河漢昭回,下應海潮升降。天地雖大,而其日月星辰、五行八卦皆掇入於吾身,或為爐鼎,或為藥物,或為火候,一反觀而三才皆備於我,未嘗外身而他求也。)「動則觀卦節,靜則因彖辭,乾坤用施行,天地然後治。」

陳顕微が解釈していう:これは上は天文を観、下は潮汐節候を観、中は人心を考究するもの。兪琰が解釈していう:古代の金丹を修錬する者は、頭を抬げて天文を観、頭を低れて地理を考察し、中に人心を考究した。そこで心を空しくして己の神を運転し、天関を扭転し地軸を旋動し、上は銀河の回旋照映に応合し、下は海潮の昇降起落に応合した。天地は大なりといえども、その中の日月星辰・五行八卦はみな自らの身上に摂取され、あるものは炉鼎に充てられ、あるものは薬物に充てられ、あるものは火候に充てられた。ただ一回頭して内観すれば、三才はすべて己の身上に具備し、従来この身を離れて外に求める必要なし。《参同契》の最後にいう:「動の時は即ち卦の節度を観察し、静の時は即ち彖辞を依循し、乾坤の功用は施行を得て、天地は然る後に治理を得る。」

鄒欣曰:「《參同》之說見一日之間有晦朔弦望。上弦者,氣之方息,自上而下也;下弦者,氣之方消,自下而上也;望者,氣之盈,日沈於下而月圎於上也;晦朔之間者,日月之合乎上下,所謂『舉水以滅火,金來歸性初』之類是也。」又曰:「《參同》本不為明易,借納甲之法以寓行持進退之候雲。甲乙丙丁庚辛者,乃以月之昬旦出沒言之,非以分六卦之方也。」

鄒欣がいう:《参同契》の説法は、一日の内にもまた晦・朔・弦・望あることから見出し得る。「上弦」は気がまさに生長して自上より下に、「下弦」は気がまさに消退して自下より上に、「望」は気がすでに円満して日は下に沈み月は上に円し、「晦朔之間」は日月が上下に会合して、いわゆる「水を挙げて火を滅ぼし、金は本性之初に帰る」のたぐいである。鄒欣はまたいう:《参同契》はもともと《易》を闡明するために作られたのではなく、ただ納甲の方法を借りて行功修持の中の進退の時機を寄托した。文中の甲・乙・丙・丁・庚・辛のこれら天干は、月が黄昏か清晨に出没する方位についていうので、六つの卦の方位を画分するためではない。

朱子答袁機仲書曰:「《參同契》所言納甲之法,則今所傳京房占法見於《火珠林》者是其遺說。此雖非為明易而設,然易中無所不有,苟其言自成一說,可推而通,則亦無害於易,恐不必輕肆詆排也。」

朱熹は《答袁機仲書》の中でいう:《周易参同契》の中に講ずる納甲之法は、すなわち今日伝わる京房の占法・《火珠林》一書に見えるあの一套の遺説である。それは《易》を闡明するために設けられたのではないが、《易》の中には包まざるなし。その説法が自ら一家を成し推衍貫通し得さえすれば、《易》に対しても妨害はなく、おそらく軽率に毀謗排斥を加える必要はない。

漢上朱氏《周易卦圖說》曰:「納甲何也?曰:舉甲以該十日也。乾納甲壬,坤納乙癸,震巽納庚辛,坎離納戊巳,艮兊納丙丁,皆自下生。聖人仰觀日月之運,配之以坎離之象,而八卦十日之義著矣。」

漢上先生・朱震は《周易卦図説》の中でいう:何を「納甲」というか。答えていう:「甲」を挙出して十天干を概括す。乾卦は甲と壬を納し、坤卦は乙と癸を納し、震卦・巽卦は庚と辛を納し、坎卦・離卦は戊と己を納し、艮卦・兌卦は丙と丁を納す。みな自下より上に生起す。聖人は頭を抬げて日月の運行を観察し、坎離之象をもってそれに配合した。そこで八卦と十天干と相配の意義は彰顕し出でた。

《繫辭傳》「懸象著明莫大乎日月」,虞翻曰:「謂日月懸天成八卦象:三日暮震象月出庚,八日兊象月見丁,十五日乾象月盈甲壬,十六日旦巽象月退辛,二十三日艮象月消丙,三十日坤象月滅乙。晦夕朔旦則坎,坎象水流戊;日中則離,離象火就己。戊巳土位象見於中,日月相推而明生焉。」《坤·彖》「西南得朋」,虞曰:「陽喪滅坤,坤終復生,此指說易道陰陽之大要也。」又曰:「消乙入坤,滅藏於癸。」

《周易・繋辞伝》に「物象を懸けて顕明なるは、日月より大なるは莫し」といい、虞翻が注解していう:これは日月が天上に懸かりて八卦之象を形成するを指す――初三日の傍晚は震象で、月は庚位に出現す。初八日は兌象で、月は丁位に見ゆ。十五日は乾象で、月は甲位・壬位に盈満す。十六日の清晨は巽象で、月光は辛位に退く。二十三日は艮象で、月は丙位に消ゆ。三十日は坤象で、月は乙位に滅す。晦日の夜晚より朔日の清晨に至っては坎に属し、坎は水流を象徴し戊に配す。正午は離に属し、離は火を象徴し己に配す。戊己は土位で、その象は中央に顕現す。日月は互相いに推移して光明は産生す。《坤卦・彖伝》に「西南に朋を得」といい、虞翻が注解していう:陽気は喪亡して坤に消滅し、坤は尽きてまた重新に陽を生ず。これは《易》道の陰陽の大要を指明するもの。虞翻はまたいう:陽気は乙位に消えて坤に入り、最後に癸位に滅蔵す。

按:鄒欣注本圗悉刪去,唯存納甲一環,葢以彭本之昏見、晨見合而為一圗也。甲乙丙丁庚辛指月昏旦出沒之方,而圗移六卦於月體之下,悖矣。漢上圗較勝,然坎離寄納戊巳、乾坤兼納壬癸之義,皆不能有所發揮,因更定附列於左而為之說焉。

胡渭の按語:鄒欣の注本は《参同契》の原有の各図を全て刪去し、ただ納甲の一環を保留した。おそらく彭暁本の中の「昏見図」と「晨見図」を合併して一図と成したのであろう。甲・乙・丙・丁・庚・辛はもともと月が黄昏か清晨に出没する方位を指したのに、あの図は六つの卦を月体の下に挪してしまった。これは講じ通らない。朱震の図は相対的にやや良いが、坎離が戊己を寄納し乾坤が壬癸を兼納する道理を、彼はいずれも闡発を加えられなかった。ゆえに私は別に一図を訂定して左に附列し、かつそれに一番の解説を為す。

按:納甲者,始於京房之積算,以甲為十干之首,舉一干以該其餘,故謂之納甲。魏伯陽以月象附會之,以寓丹家行持進退之候,葢以月之明魄多少取象於卦畫,而以所見之方為所納之甲。震一陽始生,於月為生明□,三日夕出於庚,故曰震納庚,謂一陽之氣納於西方之庚也;兊二陽為上弦□,八日夕見於丁,故曰兊納丁,謂二陽之氣納於南方之丁也;乾純陽為望○,十五夕盈於甲,故曰乾納甲,謂三陽之氣納於東方之甲也。此望前三候陽息陰消之月象也(月分六候,每五日為一候)。

胡渭の按語:納甲之法は京房の積算に起源する。甲は十天干の首なので、一つの天干を挙げてその余を概括する。ゆえに「納甲」と呼ぶ。魏伯陽は月相を取ってそれに比附し、もって丹家の行功修持の中の進退の時機を寄托した。たいてい月の明る部分と暗魄部分の多少に拠って卦画に取象し、さらに月が出現する方位をもってそれの納する天干と為す。震卦の一陽初生は、月相の上では初生の明光で、初三日の傍晚に庚位に出現す。ゆえに「震は庚を納す」という。意は一陽之気が西方の庚に納する。兌卦の二陽は、上弦月で、初八日の傍晚に丁位に見ゆ。ゆえに「兌は丁を納す」という。意は二陽之気が南方の丁に納する。乾卦の純陽は、満月で、十五日の傍晚に甲位に盈満す。ゆえに「乾は甲を納す」という。意は三陽之気が東方の甲に納する。これは望日以前の三候・陽長陰消の月相である(一箇月は六候に分かれ、毎五日を一候と為す)。

巽一陰始生,於月為生魄□,十六旦明初退於辛,故曰巽納辛,渭以一陰之氣納於西方之辛也;退二陰為下弦□,二十三旦明半消於丙,故曰艮納丙,謂二陰之氣納於南方之丙也;坤純陰為晦●,三十旦明盡滅於乙,故曰坤納乙,謂三陰之氣納於東方之乙也。此望後三候陽消陰息之月象也。

巽卦の一陰初生は、月相の上では初生の暗魄で、十六日の清晨に月光は辛位より退き始む。ゆえに「巽は辛を納す」という。意は一陰之気が西方の辛に納する。艮卦の二陰は、下弦月で、二十三日の清晨に月光は丙位に半ば消ゆ。ゆえに「艮は丙を納す」という。意は二陰之気が南方の丙に納する。坤卦の純陰は、晦日の無月で、三十日の清晨に月光は乙位に尽滅す。ゆえに「坤は乙を納す」という。意は三陰之気が東方の乙に納する。これは望日以後の三候・陽消陰長の月相である。(原文の「渭以一陰之気」の「渭」は「謂」と作るべきで、「退二陰為下弦」の「退」は「艮」と作るべきである。)

離為日,日生於東,故離位乎東;坎為月,月生於西,故坎位乎西。至望夕,則日西月東,坎離易位,其離中一陰即是月魄,坎中一陽即是日光,東西正對,交注於中,此二用之氣所以納戊巳也。故曰「坎戊月精,離己日光,日月為易,剛柔相當」,「蟾蜍與兔魄,日月氣雙明」也。

離卦は太陽を象徴し、太陽は東方に生ずるので、離位は東にある。坎卦は月を象徴し、月は西方に生ずるので、坎位は西にある。望日の傍晚に至っては、太陽は西に月は東にあり、坎離は位置を交換した。離卦の中間のあの一爻の陰は、すなわち月の暗魄。坎卦の中間のあの一爻の陽は、すなわち日の光輝。東西はちょうど相対し、両者の気は交相に中央に注入する。これが坎離のこの「二用」之気が戊己土を納する所以である。ゆえに《参同契》に「坎中の戊土は月の精華、離中の己土は日の光輝、日月合して『易』字を成し剛柔正好相当す」といい、また「蟾蜍と兎魄、日月之気は双々顕明なり」という。

乾納甲而又納壬,坤納乙而又納癸者,何也?謂乾之中畫即太陰之精,望夕夜半,月當乾,納其氣於壬方地中對月之日;坤之中畫即太陽之精,晦朔之間,日在坤,納其氣於癸方地中合日之月也。

乾卦はすでに甲を納しまた壬を納し、坤卦はすでに乙を納しまた癸を納す。これは何の故か。乾卦の中間のあの一画はすなわち太陰の精華で、望日の夜半に月はまさに乾位に当たり、それは気を壬方に納する。あれは地底下にて月と正相対する太陽である。坤卦の中間のあの一画はすなわち太陽の精華で、��朔��交に日はまさに坤位に在り、それは気を癸方に納する。あれは地底下にて日と相合する月である。

徐敬可云:「望夕之陽既盈於甲矣,其夜半日行至壬而月與為衡。日中原有陰魄,所謂離中一陰者,平時含蘊而不出,至是則盛陽將革,又感正對之陰,乃充溢流滋而為生陰之本,故其象為□,即望夕夜半壬方之日也。晦旦之陽既盡於乙矣,其夜半日行至癸而月與同躔。月中原有陽精,所謂坎中一陽者,平時胚渾而不分,至是則盛陰將革,又感摩戛之陽,乃剖發迸洩而為生陽之本,故其象為□,即晦朔間癸方之月也。」故曰「壬癸配甲乙,乾坤括始終」,此尤易象之要樞也。

徐敬可がいう:望日の傍晚に陽気はすでに甲位に盈満し、その日の夜半に太陽は壬位に運行し、月はそれと遥かに相対して秤衡の両端のごとし。太陽の中にはもともと陰魄を含有する。すなわちいわゆる「離卦の中間のあの一爻の陰」で、平常は含藴して顕露せず、此の時に至り盛盛極の陽はまさに変革せんとして、また正対面の陰に感応し、そこで充溢流布して、陰気初生の根本と為る。ゆえにその象はすなわち一陰初生之象であり、すなわち望日夜半の壬方のあの太陽である。晦日の清晨に陽気はすでに乙位に尽き、その日の夜半に太陽は癸位に運行し、月はそれと同じ一度に処る。月の中にはもともと陽精を含有する。すなわちいわゆる「坎卦の中間のあの一爻の陽」で、平常は混沌一体にして分離せず、此の時に至り盛極の陰はまさに変革せんとして、また摩蕩相接の陽に感応し、そこで剖裂迸発して、陽気初生の根本と為る。ゆえにその象はすなわち一陽初生之象であり、すなわち晦朔之間の癸方のあの月である。ゆえに《参同契》に「壬癸は甲乙と相配し、乾坤は始と終とを包括す」という。これはなおさら《易》象の関鍵枢紐である。

「七八數十五,九六亦相應,四者合三十,陽氣索滅藏」,葢即明堂九室縱橫十五之數。雖不言九宮,而九宮在其中矣。橫言之,二四為六之與九也,三五為八之與七也,一八為九之與六也,七八九六皆十五也;縱言之,三四為七之與八也,一五為六之與九也,二六為八之與七也,七八九六皆十五也;四維斜對言之,二五為七之與八也,四五為九之與六也,七八九六皆十五也。

「七と八とを加えれば十五、九と六とを加えてもまた相応じ、四者合して三十、陽気は此に至りて尽く潜蔵す」。これは実は明堂九室の縦横相加して皆十五を得るあの数である。文中は「九宮」に言及しないが、九宮はすでにその中に包含されている。横行に拠れば:二加四は六を得て九に相配し、三加五は八を得て七に相配し、一加八は九を得て六に相配する――七・八・九・六は両両相加していずれも十五。縦列に拠れば:三加四は七を得て八に相配し、一加五は六を得て九に相配し、二加六は八を得て七に相配する――七・八・九・六もまたみな十五。四角斜対に拠れば:二加五は七を得て八に相配し、四加五は九を得て六に相配する――七・八・九・六は同じくみな十五。

七八數十五,九六數亦十五,合之為三十,當一月之日數。陽氣謂目光也,月本無光,感日之明以為光。明,陽也;魄,陰也。三日生明,十五而望,十六生魄,三十而晦,故曰「四者合三十,陽氣索滅藏」。索者,盡也,謂月所感日之光至是盡滅,全體皆魄也。

七と八之数は十五、九と六之数もまた十五で、合して三十。ちょうど一箇月の天数に当たる。ここの「陽気」は日光を指す(原文は「目光」と作すが、「日光」の誤りに当たる):月は自身発光せず、太陽の明亮を感受してはじめて光有り。「明」は陽に属し、「魄」は陰に属す。初三に月光は初生し、十五日円満して望と為り、十六日暗魄は始めて生長し、三十日全く暗く晦と為る。ゆえに「四者合して三十、陽気は尽くて潜蔵す」という。「索」はすなわち尽。月の感受する日光が此の時に至り全部消滅し、全月体がみな暗魄と成ることを言う。

此雖言月體之消長,而未嘗不合於九宮之數。然其卦則以子午為綱,夘酉為緯,所謂「乾坤定上下之位,離坎列左右之門」者是也,與明堂九室之卦位不同。觀漢上納甲圗用乾南坤北、離東坎西之位,則可知矣。彭本有九宮八卦圗,舉二者合而為一,殊覺齟齬。

これは月体の消長を講じたものだが、九宮之数に合せざるにはあらず。しかしそれは卦位の上で子午をもって経綱と為し卯酉をもって緯線と為す。すなわちいわゆる「乾坤は上下の位置を定め、離坎は左右の門戸を排列す」。これは明堂九室の卦位と同じからず。朱震の納甲図が乾を南・坤を北・離を東・坎を西の方位を採用したを見れば、明らかにし得る。彭暁本の中に一幅の「九宮八卦図」があり、この両套の物を一つに合併したが、実に彼此抵牾・格格不入である。

「上觀天河文,下察地形流」,注家皆以「天河文」為雲漢,「地形流」為海潮。今本云「上觀河圗文」,葢後人妄改,以應九為河圗之說。河圗非天象,安得云「上觀」?其為俗子點竄可知。且淳于叔通《五相類》曰:「法象莫大乎天地兮,玄溝數萬里;河鼓臨星紀兮,人民皆驚駭。」

《参同契》の原文は「上は天河文を観、下は地形流を察」といい、従来の注家はみな「天河文」を銀河と解し、「地形流」を海潮と解した。今日の通行本は「上は河図文を観」と作すが、これは後人の擅自改動で、「戴九履一之数は河図に出る」の説法に迎合せんがためである。河図は天上の星象にあらず。どうして「向上観察」を言い得ようか。これは俗人の妄りに竄改したと見える。しかも淳于叔通《五相類》にいう:「取法之象は天地より大なるは莫きかな、あの玄沟は綿延数万里。河鼓星は星紀之次に臨近するかな、人民はみな驚駭不安。」

俞琰注云:「玄溝者,天河也,自箕尾之間至栁星之分,介斷天盤,不知幾萬里。修丹者法天象地,反身而求,則身中自有一壺天也。河鼓星位在天河邊斗牛之間,星紀,天盤之丑位也。丹法火臨於丑,則驅回尾穴連雲焰,趕入天衢直上奔(其氣自尾閭升於泥丸也),正當斬闗出路之時,一身之人民豈不竦然驚駭乎?」觀此文及注,則天河正有精義,不得作河圗。以是知七八九六,伯陽特以為晦朔弦望之候,雖有「別序斯四象」句,而實於河圗之四象絶無交涉也。

兪琰が注解していう:「玄沟」はすなわち天河で、箕宿・尾宿の間より柳宿・星宿の分野に至るまで、天盤全体を横断し、幾万里あるか知れない。修丹の人は天に取法し地に取象し、回頭して自身に求めれば、身体の中に自然にもう一片の天地がある。河鼓星の位置は天河辺の斗宿・牛宿の間にある。「星紀」は天盤上の丑位である。丹法で火候が丑位に臨むときは、尾閭の一穴に駆り帰り連天の火焰を帯起し、天衢に趕入して一路直上する(あの気が尾閭より泥丸に上昇することを言う)が、まさに斬関奪路の時で、一身の「人民」はどうして悚然として驚駭せざるを得ようか。この本文と注解を見れば、「天河」の二字は確かに精義あり、「河図」に改めるべからざるが見える。これによって知れる。七・八・九・六は、魏伯陽はただそれを取って晦・朔・弦・望の時を指したので、「別にこの四象を排出す」という句はあるが、実際は河図の四象と毛のほども関係がない。

右論月體納甲。

以上は「月体納甲」の一図に関する論述である。

呂純陽《沁園春》丹詞(按《宋史·陳摶傳》:闗西逸人呂洞賓,世以為神仙,數來摶齊中。希夷丹道,豈即純陽所授邪?詞云「不因師指,此事爭知」,葢雖有希夷之風骨,不遇神仙終難成就金丹,歲晚無消息,能不重嘆乎):「七返還丹,在人先須煉已待時。」

以下は呂純陽(呂洞賓)の《沁園春》の丹詞である。胡渭の按:《宋史・陳摶伝》に記す、関西の隠士・呂洞賓は、世人はみな彼を神仙と為し、度々陳摶の住処に来た。陳摶・希夷先生の丹道は、まさか呂純陽の伝授したものか。詞の中に「師父の指点有らざれば、この事はどうして知るを得ん」と言う。これを見れば希夷のごとき風骨を具備すとも、神仙に遇わざれば終始金丹を煉成し難し。年歳老いてなお消息なきに至れば、どうして再三慨嘆せざるを得ようか。詞の冒頭にいう:「七返還丹、人はまず必ず己を煉って時機を待つべし。」

石澗俞氏曰:「七,火數也。煉丹之法,其先以紅投黑而生藥,既有藥,然後進火,煉黑入紅而成丹,故曰七返還丹,即非自寅至申之七時也。張紫陽《悟真篇》云『金公本是東家子,送在西鄰寄體生,認得喚來歸舍養,配將奼女作親情』,是此義也。」

石澗先生・兪琰が解釈していう:七は火之数である。煉丹の法は、まず「紅」を「黒」の中に投じて薬を生じ、薬有りて然る後に火を進め、「黒」を「紅」の中に煉入して丹を結成す。ゆえに「七返還丹」と呼ぶ。寅時より申時に至るあの七個の時辰を指すのではない。張紫陽《悟真篇》に「金公はもと東家の子、西隣の人家に送り寄養せられ、認め出でて彼を喚び家に帰り養わしめ、さらに姹女を配して姻親を結ぶ」という。講ずるはまさにこの意である。

《離騷·逺遊》篇云:「毋滑而魂兮,彼將自然;一氣孔神兮,於中夜存;虛以待之兮,無為之先。」即「煉已待時」之謂也。要在收視返聽,寂然不動,凝神於太虛,無一毫雜想,少焉神入氣中,氣與神合,則真息自定,神明自來,不過片晌間耳。邵康節《先天吟》云:「若問先天一字無,後天方要著工夫。」丹法亦然:採藥於先天則無為,進火於後天則有為,不可以一律齊也。

《楚辞・遠遊》篇にいう:「汝の魂魄を擾乱することなかれや、それは自ずと順然ならん。一気は極めて神妙なるかな、夜半に存養せん。虚静にしてそれを待つかな、無為に先んじて妄動するなかれ。」これはまさに「煉己待時」の意である。要領は視聴を收回し内に向かって返照し、寂然として動かず、神を太虚に凝聚し、一絲の雑念もなきこと。しばらく過ぎれば神は気の中に入り、気は神と相合し、そこで真息は自然に安定し、神明は自然に到来す。ただ片刻の間の事にすぎない。邵雍《先天吟》にいう:「若し先天を問わば、あれは一字も無し。後天に至りて、はじめて工夫を下すを要す。」丹法もまたこのよう。先天において薬を採るは「無為」、後天において火を進むるは「有為」で、一概に論じ得ない。

「正一陽初動,中宵漏永,溫溫鉛鼎,光透簾帷。」俞氏曰:「白紫清《珠玉集·丹髓歌》云『煉丹不用尋冬至,身中自有一陽生』,然吾何以知身中之一陽生也?葢彈指聲中巽門豁開,而心覺恍忽之時是也。吾於此時鼓之以槖鑰,煅之以猛火,則真鉛出坎,而河車不敢暫停,直運入崑崙峰頂,乃可以為還丹。邵康節《恍忽吟》云『恍忽陰陽初變化,絪縕天地乍迴旋,中間些子好光景,安得功夫入語言』,非洞曉陰陽造化,疇克知此。」

詞は続けていう:「まさに一陽初動の時に当たり、半夜に漏声は悠長に、丹田の中の鉛鼎は温温として暖を発し、光亮は垂簾に似た眼帘を透過す。」兪琰が解釈していう:白紫清(白玉蟾)《珠玉集・丹髄歌》に「煉丹は冬至のあの日を尋ねるを要せず、身体の中に自ずと一陽生ず」という。では我は何を凭って身中の一陽がすでに生じたと知るか。たいてい弾指一声の間に「巽門」が豁然として開啓し、心裏に恍恍惚惚たるを覚えるあの時である。我は此の時に風箱のごとき呼吸をもってそれを鼓動し、猛火をもってそれを煅錬すれば、真鉛は坎中より出て、「河車」は一刻も停歇を敢えてせず、径直に昆崙の峰頂に運送する。これをもってはじめて還丹と称し得る。邵雍《恍惚吟》に「恍恍惚惚の間に陰陽は剛に変化を始め、氤氳の中に天地は忽然として回旋す。この中間の一點の好光景を、どの本事をもってか言語で説き出さん」という。透徹して陰陽造化に通暁する人でなければ、誰がこれを懂得し得よう。

中宵即半夜子時也。《參同契》云「含元虛危,播精於子」是也。又云「晦朔之間,合符行中」,謂三十日半夜子時之前介乎晦朔之間也。若蹙之於一日,則每夜子時之前即晦朔之間,初不拘於三十日之半夜也。《悟真篇》云「日月三旬一遍逢,以時易日法神功」,其說明矣。鉛即藥也,鼎謂下丹田也。子時將至而陽氣潛萌於其下,所以溫溫也。簾帷者,眼也,垂眼下視有垂簾之象,故曰簾帷。惟丹田有藥而陽氣上升,透於兩睂之間,是以有光也。

「中宵」はすなわち半夜の子時。《参同契》に「元気は虚宿危宿に含藴し、真精を子位に播散す」というはまさにこれを指す。また「晦朔之交、合符して中道を行く」というは、三十日の夜半子時以前に、まさに晦と朔の間に処るを言う。もし一箇月を一日の上に圧縮すれば、毎夜の子時以前はすなわち「晦朔之間」で、もともと三十日の夜半に限定しない。《悟真篇》に「日月は三十天に一回相逢し、時辰をもって日子に替換す。法門は神妙なり」という。この道理はすなわち明白に講じられた。「鉛」はすなわち薬、「鼎」は下丹田を指す。子時まさに至らんとして陽気は下に悄々として萌動するので、「温温」の暖を発すと言う。「帘帷」は眼睛を指し、眼帘を垂れて下に看るは垂帘のごとき有様なので、帘帷と呼ぶ。丹田に薬有りて陽気上昇し、両眉の間に透到するがゆえに、はじめて光有り。

「造化爭馳,虎龍交媾,進火工夫牛斗危。」俞氏曰:「造化爭馳,謂坤之末、復之初也。《參同契》云『龍呼於虎,虎吸龍精,兩相飲食,俱相吞併』,作丹之時,要在心息相依,然後神凝氣聚,交媾而為藥。陳朝元《玉芝書》云『玄黃若也無交媾,爭得陽從坎下飛』,故必陰陽交媾,丹田有藥,乃可以進火也。」

詞は続けていう:「造化之機は競い馳走し、虎と龍とが交合す。進火の工夫は牛・斗・危のこれらの宿の方位に至るべし。」兪琰が解釈していう:「造化争馳」は坤卦之末・復卦之初のあの一刻を指す。《参同契》に「龍は虎に向かって呼喚し、虎は龍の精気を吸取し、両下は互相いに吞食し彼此に吞并す」という。結丹の時は、関鍵は心と呼吸とが相依るにあり、然る後に神は凝聚し気は積聚して、交合して薬と為る。陳朝元《玉芝書》に「玄と黄と若し交合せざれば、どうして陽気を坎位の下より飛昇せしめ得ん」という。ゆえに必ず陰陽が交合し丹田に薬有りてこそ、はじめて火を進むるべし。

牛斗危,乃身中火候之方位,謂進火工夫至寅而般運,如天之生物胚胎於子,至寅而出也。《參同契》云「始於東北,箕斗之鄉,旋而右轉,嘔輪吐萌」,《翠虛篇》云「有一子母分胎路,妙在尾箕斗牛女」,與此同旨。

「牛・斗・危」は身体内部の火候の方位で、進火の工夫は「寅」の位置に至ってはじめて搬運を始むるを言う。ちょうど天地が万物を生養するに、子位に於て胚胎を結成し、寅位に至ってはじめて生発し出すがごとし。《参同契》に「東北方の箕宿・斗宿の分野に起こり、隨いで右に旋転し、輪のごとき萌芽を吐出す」といい、《翠虚篇》に「一条の子母分胎の路径有り、奥妙は尾・箕・斗・牛・女のこれらの宿の間に在り」という。ここと同一の旨趣である。

「曲江上,見月華瑩淨,有個烏飛。」俞氏曰:「《翠虛篇》云『西南路上月華明,大藥還從此處生』,記得古人詩一句『曲江之上鵲橋橫』。古仙本以小腸有九盤十二曲,是為曲江,而《翠虛》又以西南路上發明其說,可謂深切著明矣。葢西南屬坤,坤為腹,藥生於丹田之時,陽氣上達麗於目而有光,故自目至臍一路皆虛白晃耀,如月華之明也。有個烏飛者,身中之天地交、坎離合,二氣絪縕,結成一滴露珠而飛落丹田中也。陳希夷《指玄篇》云『有個烏飛入桂宮』,《翠虛篇》云『紅蓮含蕊露珠凝碧,飛落華池滴滴』。」

詞はまたいう:「曲江の上にて、月光の瑩潔明浄なるを見、一只の烏鴉飛び過ぐる有り。」兪琰が解釈していう:《翠虚篇》に「西南の路上に月光明亮にして、大薬は即ち此処より生出す」といい、また古人の一句の詩に「曲江の上に鵲橋横たわる」と記す。古代の仙家はもともと小腸に九盤十二曲有るに因りて、それを「曲江」と呼び、《翠虚篇》はまた「西南路上」をもってこの説法を闡発した。非常に透徹明白に講じたと言い得る。たいてい西南は坤に属し、坤は腹部に配す。薬が丹田に生成する時、陽気は上達して眼に附麗し、因って光有り。ゆえに眼より臍に至るこの一路はみな虚明白亮にして、晃耀として月光のごとし。いわゆる「烏の飛ぶ有り」は、身中の天地交合・坎離会合し、両種の気が氤氳相激して、一滴の露珠に凝結して丹田の中に飛落することを言う。陳摶《指玄篇》に「一只の烏鴉が桂宮に飛び入る」といい、《翠虚篇》に「紅蓮は花蕊を含み露珠は碧色に凝り、一滴々として華池の中に飛落す」という。

「當時自飲刀圭(謂但以服食為事),又誰信無中養就兒(即所謂三家相見結嬰兒也)。」俞氏曰:「金丹大道,至簡至易,於無中生有,養就嬰兒。如涕唾精津氣血液之類,止可按助以為階梯,非丹質也。學者局於管見,往往以先入之說為主,更不肻參究丹書,雖有道者欲與開發,孰為之信?《翠虛篇》云『怪事敎人笑幾回,男兒今也會懷胎,自家精血自交結,身裡夫妻是妙哉』。葢夫婦即陰陽之異名,非真有所謂夫婦也。或者偏執竹破竹補之說,遂謂以人補人,而專意於三峰邪術,又安信金丹乃清淨無為之道,而專於無中生有哉!」

詞はまたいう:「時に己が刀圭を飲み下す(服食を要務と為すのみを言う)、また誰か信ぜん、『無』の中より嬰児を養い出だしたるを(すなわち前に説いた三家相見て嬰児を結成する)。」兪琰が解釈していう:金丹の大道は極めて簡・極めて易で、「無」の中に「有」を生じ、嬰児を養成する。涕・唾・精・津・気・血・液のこのたぐいに至っては、ただ取って輔助と為し入門の階梯に充てるのみで、丹の本質ではない。道を学ぶ者は一孔の見に拘わり、往々先入と為す説に占められ、さらに丹書を参究しようとしない。仮に道を得た人が彼のために開導せんと願うとも、誰か信ぜんとするや。《翠虚篇》に「怪事は人をして笑はしめること幾回なり、男子はいまやまた懐胎を会す、自家の精血は自ずと交結し、身体の中の夫妻はまさに妙なり」という。ここの「夫婦」はただ陰陽の別名で、真に何らかの夫婦があるのではない。ある者は「竹破れるには須らく竹を用いて補うべし」の説に偏執し、すなわち「人をもって人を補う」べしと思い、一心に三峰のたぐいの邪術を搞す。それならまたどうして金丹が実は清浄無為之道で、専ら無中より有を生ずると信じ得ようか。

「辨水源清濁,木金間隔,不因師指,此事爭知。」俞氏曰:「人身有一物,分而為二,其浮者為木,沈者為金,一東一西,故謂之間隔。若得斗柄之機斡運,使之上下循環,如天河之流轉,則木性愛金,金情戀木,而刑德並會,不間隔矣。」

詞はまたいう:「水源の清濁を辨別すべし、木と金とは彼此隔閡す。若し師父の指点なからんは、この事はどうして知るを得ん。」兪琰が解釈していう:人の身上に一物あり、分かれて両様と成る。軽浮なるは木、沈重なるは金。一は東に一は西に在るので「間隔」と呼ぶ。若し北斗斗柄のごとき枢機を得て斡旋運転せしめ、それらを上下循環せしめて天河のごとく流転して息まざらしめれば、木の本性は金を愛し金の情意は木に恋し、刑と徳とは一同に会合して、もはや隔閡なからん。

(按:人身之水有清有濁,東坡《天慶觀乳泉賦》謂若汗、血、涕、洟、涎、沬之類,皆水之外騖者,一出而不復返;唯華池之真液,下湧於舌底而上流於牙頰,甘而不壞,白而不濁,宜古之仙者以是為金丹之祖、長生不死之藥也。故水源之清濁不可以不辨。木金間隔,即東家西鄰之謂。)

胡渭の按語:人の身上の水には清有り濁有り。蘇軾《天慶観乳泉賦》にいう、汗・血・眼泪・鼻涕・口涎・唾沫のこのたぐいは、みな外に奔逸する水で、一旦流出すればすなわち帰らず。ただ「華池」の真液のみ、舌根の下より湧出して上行して歯と両頬の間に至り、甘甜にして腐壊せず、色白くして渾濁せず。古代の仙家がそれを金丹之祖・長生不死の薬と為したのも無理はない。ゆえに水源の清濁は辨別せざるを得ない。「木金間隔」に至っては、すなわち前に説いた「東家」「西隣」のあの意である。

《悟真篇》云:「饒君聰慧過顏閔,不遇真人莫強猜。」葢丹經所陳,或假物以明理,或設象以寓意,名義不同,學者卒然讀之,莫不有望洋之嘆。且以五行言之,或曰金木,或曰水土,或曰水火,或曰金火,或曰金水,或曰木火,或曰水土,使人心目俱眩,誠不易知也。

《悟真篇》にいう:「汝を縦うて顔回・閔子騫に聡慧勝れりとも、真人に遇わざれば硬に猜るなかれ。」たいてい丹経の陳述する所は、あるいは外物を借りて道理を説明し、あるいは象征を設立して深意を寄寓し、名目と含義とは各々相同じからず。学者は猛然として読むや、望洋興嘆の感有らざるなし。五行を取って言えば、ある時は金木を講じ、ある時は水土を講じ、ある時は水火を講じ、ある時は金火を講じ、ある時は金水を講じ、ある時は木火を講じ、ある時はまた水土を講じ、人をして眼花繚乱せしめ、実に懂得し易からず。

「道要玄微,天機深逺,下手速修猶太遲。」俞氏曰:「丹道之要有二:曰交媾,曰進火。雖有先後次序,要皆一片功夫。天機謂半夜子陽初動之時也。天機將至,人能動吾之機以應之,則天人合發,內外相符,結而為丹矣。雖曰一日十二時,凡相交處亦皆可為,而古仙必用半夜子陽初動之時者,其時太陽正在北方,而人身氣到尾閭闗,葢與天時相應,所謂盜天地、奪造化,惟此時為然。乃若丑時則太陽已偏,人身之氣已過尾閭矣;寅時則太陽已出地,人身之氣已過腎堂矣,皆不可用也。《玉芝書》云『凡煉丹隨子時陽氣而起火,其火方全;餘外別時起火,其火不全』,斯言盡之矣。」

詞はまたいう:「大道の要領は玄妙精微にして、天機は深邃悠遠なり。马上に手を下して修せんとも、なお遅きを嫌う。」兪琰が解釈していう:丹道の要領は二条あり、一は「交媾」、一は「進火」。先後の次序有りといえども、実は通じて一片の工夫である。「天機」は半夜子時に一陽初動の時を指す。天機まさに至らんとして、人能く自身の機を起動してそれに応合せば、すなわちそれは天と人とが同時に発動し、内と外とが彼此相符して、凝結して丹と成る。一日十二時辰有りと説き、凡そ陰陽相交の処はみな下手すべきだが、古代の仙家は必ず半夜子時の一陽初動の際を用いる。それはあの時太陽がまさに北方に在り、人身の気がちょうど尾閭関に行き至り、正しく天時に相応ずるためである。いわゆる「天地を盗取し造化を奪取す」は、ただこの時のみ辦じ得る。丑時に至っては太陽はすでに偏离し、人身の気はすでに尾閭を過ぎ、寅時は太陽はすでに地を出で、人身の気はすでに腎堂を過ぎる。みな用い得ない。《玉芝書》に「凡そ煉丹は子時の陽気に順いて火を起こせば、火ははじめて完全。別の時辰に火を起こせば、火は完全ならず」という。この言は道理を説き尽くした。

「蓬萊路,仗三千行滿,獨步雲歸。」(尸解則能輕舉,然只成地仙,故歸名山洞府也。)俞氏曰:「三千行滿,謂九年三千日也。三千日內,務要積功累行,十二時中不可須臾離道。劉虛谷《還丹篇》云『大功欲就三千日,妙用無虧十二時』是也。丹法片晌結胎,百日而功靈,週年而胎圎,九年而行滿,皆有程度,決無今日遇師、明日便能成仙之理。當知一年而小成,九年而大變:始而易氣,次而易血,次而易脈,次而易肉,次而易髓,次而易筋,次而易骨,次而易髮,次而易形,積九年而閱九變,煉盡純陰,變成純陽,然後可以遺世獨立,羽化而登仙也。」

詞の結尾にいう:「蓬莱に通ずる路は、全く三千日の功行円満に頼りて、はじめて独自雲を踏みて帰ることを得。」(胡渭の注:尸解は軽身飛挙し得といえども、ただ地仙を成し得るのみで、ゆえに帰宿は名山洞府に在る。)兪琰が解釈していう:「三千行満」は九年三千天を指す。この三千天の中は、務めて功徳を積み修行し、一日十二時辰みな片刻も道を離れてはならない。劉虚谷《還丹篇》に「大功は成せんに三千日を要し、妙用は十二時に亏らず」という。まさにこの意。丹法の上では、片刻の間に胎を結び、一百天にして功効霊験あり、一年満ちて胎円し、九年にして功行円満す。みな進度循べきあり、決して今日師父に遇い明日すなわち仙と成る道理なし。知るべきである。一年は小成、九年ははじめて大変。まず気を換え、次に血を換え、次に脈を換え、次に肉を換え、次に髄を換え、次に筋を換え、次に骨を換え、次に頭髪を換え、次に形体を換え、九年積満して九次の変化を経歴し、純陰を煉り尽くし、純陽に変成し、然る後に塵世を超脱し独立して高挙し、羽化して登仙し得る。

渭按:丹家之煉已,一曰交媾,亦曰生藥、採藥,又曰作丹,此其事在亥子之交,《參同契》云「晦朔之間,合符行中,混沌洪蒙,牝牡相從」是也;進火一曰起火,此其事在子丑之會,《參同契》云「始於東北,箕斗之鄉,旋而右轉,嘔輪吐萌」是也。陳致虛云「人先須養性,乃可修命,臨爐一差百錯,總由煉已無功」,言生藥不可不早也;俞琰云「丹法火臨於丑,則驅回尾穴連雲焰,趕入天衢直上奔」,言進火不可不力也。

胡渭の按語:丹家のいう「煉己」は、一に「交媾」と呼び、また「生薬」「採薬」とも呼び、また「作丹」とも呼ぶ。この事は亥時と子時の交に発生す。《参同契》のいう「晦朔之交、合符して中道を行く、混沌鴻蒙一片、牝牡相随い」はまさにそれを指す。「進火」はまた「起火」とも呼び、この事は子時と丑時の会に発生す。《参同契》のいう「東北方の箕斗の分野に起こり、隨いで右に旋転し、輪のごとき萌芽を吐出す」はまさにそれを指す。陳致虚の「人は必ず先ず性を養い、はじめて命を修するを言い得。一たび炉前に至れば毫厘を差え千里を謬る。全て煉己に功夫なきに因る」は、これは生薬は早めざるべからずを言う。兪琰の「丹法で火候が丑位に臨めば、尾閭の一穴に駆り帰り連天の火焰を帯起し、天衢に趕入して一路直上す」は、これは進火は力を用いざるべからずを言う。

其於天地之撰、陰陽之義、水火之情、日月之運,亦可謂探其微而抉其奧矣。惜乎其以聖人之大道而小試之也!惜乎其以聖人之公心而私用之也!聖人能盡其性則能盡人物之性,贊天地之化育,何其大也;丹家之功效止於一身,小之至矣。孔子曰「死生有命」,又曰「朝聞道,夕死可矣」;孟子曰「夭壽不貳,修身以俟之」;張子曰「存吾順事,沒吾寧也」。聖人於死生之際如是而已,何其公也;丹家日孳孳唯以長生久視為念,私亦甚矣。故謂丹道出於易則可,謂聖人之作易意在明丹道則不可也。

丹家は天地の構造・陰陽の義理・水火の性情・日月の運行に対しても、またその精微を探りその奥秘を掘り出したと言い得る。惜しいかな、彼らは聖人の大道を取って小さな試験と為した。惜しいかな、彼らは聖人の公心を取って私自の用途と為した。聖人は己の本性を尽くし得、すなわち他人と万物の本性を尽くし得、天地の化育に参賛す。これは何等の宏大か。丹家の功効はただ己の一身に限る。実に渺小の極みである。孔子は「死生は自ずと天命有り」といい、また「朝に大道を聞けば、夕に死すとも可なり」という。孟子は「短命長寿を問わず其志を改めず、己身を修養して天命を待つ」という。張載は「生くれば吾は順事して行い、死せば吾は安寧す」という。聖人の生死に対する態度はこのようなに過ぎず、これは何等の公正か。丹家は却って日々孜々として求め、一心にただ長生久視を念ず。未だ私されすぎたを免れない。ゆえに丹道が《易》に出ると言うは可であるが、聖人の《易》を作る用意が丹道を闡明するに在ると言えば、すなわち可ならず。

右論煉已進火。

以上は「煉己」と「進火」の両項の丹訣に関する論述である。

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