象数相須
象與數,不可相離。象為主,而數為用。如天是象,三百六十五度四分度之一是數;日、月是象,一日一度、一月十三度十九分度之七是數。天與日、月運而為春夏秋冬,又積為元、會、運、世,天與日月是象,春夏秋冬、元會運世是數。《易》之有象數,所以法天,卦主象,而蓍主數,二者相湏。但象有定而數無窮,故成變化、行鬼神,必歸之數也。
象与数、不能彼此分離:象是主体、数是它的功用。譬如天是象、周天三百六十五又四分之一度就是数;日・月是象、太陽一天行一度・月亮一天行十三又十九分之七度就是数。天与日月運行而成為春夏秋冬、再累積成為元・会・運・世:天与日月是象、春夏秋冬和元会運世是数。《周易》之所以有象有数、正是取法於天;卦主管象、蓍策主管数、両者互相依待。只是象有定体而数無窮尽、所以《繋辞伝》説「成変化・行鬼神」、最後一定要帰到数上。
又澤《舊說》云:卦以象告,而蓍以數行,二者不可相離。象具吉凶悔吝,而數以行其吉凶悔吝。蓋《繫辭》言天一、地二,止天九、地十,下文即繼之曰:夫《易》何為者也?止如斯而已者也。《易》道雖大,然亦不能外此。十數,夫天與日月星辰之運。非數,無以紀之四時迭運,萬物始終莫有逃乎數者,此成變化、行鬼神所以必歸之數也。
我従前的説法也講過:卦用象来告訴人、蓍用数来推行、両者不能分離。象裏具備着吉・凶・悔・吝、而数則把這吉凶悔吝推行出来。《繋辞伝》従「天一・地二」一直数到「天九・地十」、下文緊接着就説「夫《易》何為者也」、一直講到「如斯而已者也」。《易》道雖然広大、却也出不了這十個数。天和日月星辰的運行、没有数就无法記録;四季輪転・万物有始有終、没有一様能逃出数去。這就是「成変化・行鬼神」最終必定要帰到数上的縁故。
九卦処憂患
孔子曰:《易》之興也,其於中古乎?作《易》者,其有憂患乎?鄭仲復問:作《易》者,其有憂患乎?如何只取九卦,晦庵云:聖人論處憂患,偶然說此九卦,意思白足,若更添一卦也不妨。更不說一卦也不妨,只就此九卦中,亦自盡有道理,且《易》中盡有處憂患底卦,非除九卦之外皆非所以處憂患也。若以困為處憂患底卦,則屯、蹇非處憂患而何?晦庵之說如此。
孔子曰く:「《周易》の興起は、大概中古の時代ならんか。作《易》の人は、大概心裏に憂患あらんか」と。鄭仲復問う:作《易》の人は既に憂患あれば、何を以て《繋辞伝》は只だ履・謙・復・恒・損・益・困・井・巽の此の九卦を挙出するや。朱熹回答して曰く:聖人の憂患に処するの道を談ずるに、偶然此の九卦を挙げたり、意思は本已に自足す。再添一卦するも妨なからず、少説一卦するも妨なからず。単に此の九卦の裏頭に就くも、亦自ら講じ尽さざる道理あり。況んや《周易》の裏の憂患に処する卦は多甚し、併に此の九卦を除るの外は皆用いて憂患に処する能わざるに非ず。若し困を憂患に処する卦と説かば、然らば屯・蹇の両卦は憂患に処するに非ざれば又是何ぞ。朱熹の説法は則ち此の様なり。
澤謂:聖人處此九卦,必真有處憂患之理,決非偶然。今若於屯、蒙、需、訟、師、比、小畜、泰、否、同人、大有內再說一卦,亦恐不可。如屯本以象開闢之時、洪荒之事,其在中世,則是經營、創造之象,比於九卦,非其類也。蹇是險在前,教人以見險則止,不是在險中處險難之道,於九卦亦不類。
我が認むる所は:聖人の此の九卦を安置するは、必ず真に憂患に処する道理あり、決して偶然に湊出せるに非ず。今若し屯・蒙・需・訟・師・比・小畜・泰・否・同人・大有これらの卦の裏に再添一卦を挙げんと欲せば、恐怕則ち合適ならず。比へば屯卦は本来開天闢地の初・洪荒草昧の事を象征す。若し中古の人事上に放ちて説かば、則ち経営創業の象にして、あの九卦と比ぶれば、同一類に非ず。蹇卦は険阻当前にして、人を教えて危険を見れば則ち停下来しむ、併に身険中に処して如何に険難を応付するの道理に非ず、あの九卦とも亦同類ならず。
蓋此九卦,是以卦名、卦義、卦象取之,如上天、下地,豈不可以辨上下、定民志?卻取履卦者,以澤處於地,尤卑。此尊卑之極,蓋有感於君臣之際,故又極於卑順也。謙以九三一陽處於眾陰之間,又在下體,君子勞謙之象。復是有過則改,不逺之復,亦是。自剝而坤,自坤而復,渉歴艱難,而誠不已之象。雷風動盪卦之名恆,所以見其於勞擾之中而有恆者在。
此の九卦は、卦名・卦義・卦象の三方面に就きて取れるなり。譬へば上を天・下を地と為す否・泰の両卦は、豈に用いて上下を分辨し・民心を安定する能わざらんや。然るに偏に上天下沢の履卦を取るは、沢の地面の下に処して格外卑下なるを以てなり。これは尊卑懸隔の極点にして、其中大いに君臣相処の際に於ける意味を感ず、故に其の卑順の極点を取る。謙卦は九三の一個陽爻が衆陰の中に処して、又下卦に居り、正に君子の勤労にして能く謙退するの象なり。復卦は過あれば則ち改め・遠からずして則ち回頭す(「不遠復」)を講ず、亦是この意思なり。剥卦より坤卦に至り・坤卦より復卦に至るまで、艱難を歴経して一點の誠心は曾て断絶せず、正に此の様の象なり。雷風は交相動盪するに、此の一卦は却って名を取りて「恒」と為す、正に人の労攘紛擾の中に在りて仍お恒常の者あるを顕出せんと欲するなり。
損以懲忿窒欲,益以見善則遷、有過則改,困者人臣以致命遂志,井取其不變、不窮而常潔新。巽者,酌事而處始,終不失於卑順,所以巽卦辭稱“小亨”者,是主陰爻言之:初陰所處甚卑,至六四柔而得位,不失其正,夫柔而得位,所以能推行也;四乃人臣之位,而柔巽不失其正,文王所以率殷之叛國以事紂,則亦取諸此,但以此之事亦非得已,故稱“小亨”。
損卦は人を教えて忿怒を懲戒し・私欲を堵塞せしむ。益卦は人を教えて善行を見れば則ち遷りて之に従い・過失有れば則ち改めしむ。困卦は臣子たる者の性命を捨弃して志向を成全するなり。井卦は其の井体の変ぜず・井水の竭さずして常に潔浄常新を保つを取る。巽卦は事情を斟酌して而る後に動手し、自始至終卑順を失わず。巽卦の卦辞の只だ「小亨」を称する所以は、陰爻に就きて説くなり:初六の一陰の処する極めて卑く、六四に至りては、柔爻にして陰位に居り、位を得て其の正を失わず——柔にして位を得れば、故に能く政令を推行す。四は又是人臣の位、柔順謙遜にして其の正を失わず。文王は当年殷商の叛離せる属国を率領して紂王に侍奉せるに、取る所亦正に此の道理なり。只だ此の様に做するも亦不得已に出づ、故に只だ「小亨」を称す。
凡此九卦在《連山》、《歸藏》取義、取象,必不如是。文王衍易,實寓此意,但其用意雖深,而其言簡畧,微夫子孰能極其旨、發其微哉?澤又疑:九卦之中,巽是八純卦,恐卦名古亦如此,履、謙等卦當是文王所名。如此解尤為明白,蓋象義與名皆文王意也,其餘卦名出於文王者,亦不止此焉。
此の九卦の《連山》《帰蔵》両種の古易の裏に於ける取義取象は、一定此の様子に非ざらん。文王《周易》を推演するに、実実在在此の上の一層の意思を寄托せり。只だ彼の用意は深しといえども、措辞は却って簡略なり、孔子有るに非ざれば、誰か能く彼の旨趣を極処に推し・彼の隠微を掲発し出ださんや。我又一點の推測あり:九卦の中、巽は八個の純卦の一にして、卦名は恐怕自古此の如くならん。而して履・謙等の卦の名字は、応当に文王の定むる所ならん。此の様に解せば、則ち格外明白なり——象・義は卦名と連同して皆文王の用意より出づるを以てなり。其余の卦名の文王の手に出づるも、亦此の数個に止まらず。
禮以卑下為基,故履是徳之基。居下而有所守,不失其正,故謙是徳之柄。復則不妄,故復是徳之本。雷風動盪比於事變叢雜,而處之不失其常,故恆是徳之固。損其過,所以為徳之修。遭事變之多,而自處益厚,所以為徳之裕。處困窮之極,則識理愈精,操心危慮患深,諳悉情偽,而後處事各有所當,所以為徳之辨。不變不窮,所以為徳之地。巽順,則不違理,乃能制事,所以為徳之制。
礼は謙卑居下を以て根基と為す、故に《繋辞伝》は履は「徳の基」と説く。身下位に居りて持守する所有り、其の正を失わず、故に謙は「徳の柄」なり。能く本心に復帰すれば則ち虚妄ならず、故に復は「徳の本」なり。雷風交相動盪するは、好比事変の紛雑叢集するが如く、而して身其の中に処して常度を失わず、故に恒は「徳の固」なり。自己の過失を減損す、故に損は「徳の修」なり。遭遇する事変多ければ多いほど、自己の立身は越えて発して厚重なり、故に益は「徳の裕」なり。困窮の極点に処して、道理を認識するは反って更に精し。存心戒懼・憂患深切、人情の真偽を皆摸透し、此の後事情を処理する才ただ各々其の宜を得たり、故に困は「徳の辨」なり。井体改まらず・井水竭さず、故に井は「徳の地」なり。謙遜柔順すれば則ち道理に違背せず、能く事務を裁断す、故に巽は「徳の制」なり。
又據剝、明夷,亦當是憂患之卦,而不在此數者。剝自是陰陽消長之機,君子小人進退之理,於文王事不切。明夷義太顯。眾人所知,九卦是發其漸,乃人之所未識者也。困卦雖亦甚顯,然所謂徳之辨,窮而通,困以寡怨,亦是發其微。所謂寡怨者,蓋責已而不責人,亦文王之事也。退之《琴操》曰:“臣罪當誅兮,天王聖明。”可謂得文王之心者。凡人遇險陷,能責已而不責人,則心亨矣,何怨之有?
再看剥卦・明夷卦、理に按じても亦憂患の卦と算すべきに、却って此の九卦の数に在らず。剥卦は本來陰陽消長の機勢・君子小人進退の道理を講ず、文王本人の処境に対して併に貼切ならず。明夷卦は光明の受傷を講じ、意思是又太だ顕露にして、人人皆懂る。而して此の九卦は人々の未だ認識するに至らざる东西を一層層掲示せんとするなり。困卦の意思は雖然亦甚だ顕露なるも、但し所謂「徳の辨」・窮困して而る後通達・「困は寡怨を以てす」は、仍お其の隠微を掲発するに在り。所謂「寡怨」は、則ち只だ自己を責備して別人を責備せず、これ亦正に文王当年の行事なり。韓愈(字は退之)《琴操》の裏に文王に代わりて説く「臣罪誅に当る、天王聖明」は、深く文王の心を得たりと説くべし。凡人は艱険陥落に遇い、能く己を責めて人を責めざれば、心裏自然通泰、還た何の怨むべきかあらん。
朱子論取象
晦庵云:取象亦有來歴,不是假設、譬喻,但今以《說卦》求之,多所不通,故不得已而缺之,或且從先儒之說耳。又曰:易象也,湏有此理,但恁地零零碎碎去牽合傅會,得來不濟事,須是見他一個大,原許多名對象數皆通貫在裡面方是。又曰:象如此,而理在其中,卻不是因欲說道理,而後說象也。又曰:看《易》當靠定象看,便滋味長,若只懸空看,也沒甚意思。
朱熹曰く:《易》の取象は亦有りて来歴、不是憑空仮設・随口に比方を打つ。只だ今《説卦伝》を拿て核対すれば、多く講じ通じ通ぜざる有り、故に不得已にして只好空着す、或は姑且前輩儒者の説法に依従す。彼又曰く:《易》の講ずる是れ象、必ず此の道理の在るを得べし。但しあの様に零零碎碎に牽合附会に去れば、弄出来するも亦不済事、必ず其一個の大本原を看見し、許多の名目・対待と象数とを皆裏頭に貫通せしめて、才ただ数と算す。彼又曰く:象は此の様にして、而して理は則ち象の中に在り、併不是道理を講ぜんと想うを因りて、然る後に才去りて象を説く。彼又曰く:《周易》を看るは応当に緊く象に靠着して看るべし、才ただ滋味有り。若し只だ凌空に看らば、也没什麼意思なり。
又《易象說》云:《易》之有象,其取之有所從,其推之有所用,非茍為寓言也。然兩漢諸儒必欲究其所從,則既滯泥而不通;王弼以來直欲推其所用,則又疏畧而無據,二者皆失之一偏,而不能闕其所疑之過也。
朱熹又《易象説》の裏に講ず:《周易》の象有る所以は、取象は是れ来処有り、推用は是れ用途有り、併不是随便に些の寄托の言を説く。然れども両漢の儒者は必ず象の来処を追究せんとして、結果拘泥して講じ通ぜず。王弼以来の人は只想象の用処を推求せんとして、結果又疏略にして依据なし。両家は皆一辺に偏し、毛病は肯んじ疑難の処を空着して存疑せざるに出づ。
且以一端論之乾之為馬、坤之為牛,《說卦》有明文矣:馬之為健,牛之為順,在物有常理矣。至於案文索卦,若屯之有馬而無乾,離之有牛而無坤,乾之六龍則或疑於震,坤之牝馬則當反為乾,是皆有不可曉者。
姑且一端を挙げて説かば:乾は馬為り・坤は牛為りは、《説卦伝》に明文あり。馬性は剛健・牛性は柔順にして、物類上に於ても亦常理の循べき有り。然るに一旦経文に按して卦体に核対すれば、則ち発見す:屯卦の爻辞の裏に馬有りて卦中には併に乾なし。離卦辞の裏に牛有りて卦中には併に坤なし。乾卦は「六龍」を講じ、龍は又像て震に属すべし。坤卦は「牝馬」を講じ、馬は理に照らして反って乾に属すべし。これらは皆説き明白せざる処有り。
是以漢儒求之《說卦》而不得,則遂創為互體、變體、五行、納甲、飛伏之法,叅互以求,幸其偶合,其說雖詳,然其不可通者終不可通,其可通者又皆傅會穿鑿,而非有自然之勢,唯其一二之適,然而無待於巧說者為若可信,然上無所關於義理之本原,下無所資於人事之訓戒,則又何必苦心勞力以求於此而欲必得之哉!
此に因りて漢代の儒者は《説卦伝》の裏に答案を求め得ず、則ち互体・変体・五行・納甲・飛伏此の一套の弁法を創出し、交錯参較して湊りて、僥倖個の偶然吻合を求む。彼等の説法は雖然詳密なるも、然れども講じ通ぜざるは終究講じ通ぜず。講じ通ずるは又皆附会穿凿にして、併に自然而然の勢理なし。ただ其中の一両処の恰好吻合して巧弁を用いざるのみ、看起来還た算して可信なり。然るにこれらは上は義理の本原に関係せず、下は人事の訓戒に助なし、那麼又必ずしも心力を費尽して追求し・非得到它不可せんや!
故王弼曰:“義茍應健,何必乾乃為馬;爻茍合順,何必坤乃為牛?”而程子亦曰:“理,無形也,故假象以顕義。”其所以破先儒膠固支離之失,而開後學玩辭、玩占之方則至矣。然觀其意,又似直以《易》之取象無復有所自來,但如《詩》之比興、《孟子》之譬喻而已。如此,則《說卦》之作為,無所與於《易》,而“近取諸身,逺取諸物”者亦剩語矣!故疑其說,亦若有未盡者。
故に王弼曰く:「只だ意義の剛健に合せば、何必一定に乾に非ざれば馬と為らんや。只だ爻の柔順に合せば、何必一定に坤に非ざれば牛と為らんや」。程頤も亦曰く:「理は是れ形体なし、故に象を借りて義を顕明す」。彼等の用いて前輩儒者の膠固支離の毛病を打破し・後学に卦爻辞と占辞を玩味するの門径を開出するは、到家と説くべし。然れども彼等の意思を看れば、又像て干脆《周易》の取象は再没有什麼来歴にして、不过《詩経》の比興・《孟子》の譬喻の如きのみと認む。若し真に此の如くならば、那《説卦伝》此の部書は則ち《周易》と毫不相干ならん、而して《繋辞伝》の説く「近くは諸を身に取り、遠くは諸を物に取る」も亦多余の話と成らん。故に我は彼等の説法を懐疑す、亦是還た未だ講じ尽さざる処有るが如し。
因切論之,以為《易》之取象固必有所自來,而其說已具太卜之官,顧今不可復考,則姑闕之,而直據辭中之象,以求象中之意,使足以為訓戒而決吉凶。如王氏、程子與吾《本義》之雲者,其亦足矣,固不必深求其象之所自來,然亦不可直謂之假設而遽欲忘之也。
ここにおいて朱熹は深切に論定して曰く:《周易》の取象は固然一定に来処有り、あの套の説法は本来太卜の官の所に具備せり、只だ今再び考るに従るなし、那麼則ち姑且空着せよ。而して従直に卦爻辞中の現成の象に依据して、象中の意思を求め、它をして足りて訓戒と作為し・足りて吉凶を判定せしめよ。王弼・程頤及び我が《周易本義》の裏に講ずる所の如きは、也就ち够り:本不必象の来歴を深究せんや、然れども亦干脆它は仮設の辞なりと説いて、則ち急いで之を忘れんとするべからず。
澤謂:漢儒必欲求象之所自來,則泥而不通;王輔嗣只欲明其用而忘象,則疎畧而象學遂廢;晦庵亦已深知其非,而猶有取於“義茍應健,何必乾乃為馬;爻茍合順,何必坤乃為牛”之語,斯亦不得已之辭。
我が看法は:漢代の儒者は必ず象の来歴を追究せんとして、結果拘泥して講じ通ぜず。王弼は只想象の用処を講明せんとして象を忘れ、結果疏略にして象学を荒廃せしめり。朱熹も亦已に深く両家の皆対ならざるを知るに、却って仍お「只だ意義の剛健に合せば、何必一定に乾に非ざれば馬と為らんや。只だ爻の柔順に合せば、何必一定に坤に非ざれば牛と為らんや」此の句話を採信す——これも亦不得已にして才ただ説くの話なり。
後之慾求文王、周公、孔子之旨者,則不可以此而遂怠其稽古探索之志。蓋此心本無限量,豈可據王氏之說,以自界畫而忘其乾乾不息之誠乎?夫潛心玩索、求而不得者有之,未有不求而得者也。孔子曰:後生可畏。止如今學者,當以聖人勉人者而自勉。
後世文王・周公・孔子の本旨を探求せんと欲する人は、却って此の句話を借口と作して、就此に古法を稽考し・本原を探索するの志向を懈怠すべからず。人の心は本来限量なし、怎能く王弼の一句話に凭りて自己に地を画して牢と為し、あの自强不息の誠意を忘れんや。潜心玩味推求して仍お求め得ざるは、確実に有り。従来求めざりて能く得るの有ることなし。孔子曰く「後生畏るべし」、此の話は一直に今日の学者の身上に説き到る——正に聖人の人を勉励する話を拿て自ら勉励すべし。
象を明らかにして諸家の得失を辨ず
所貴於象學者,可以辯諸家之得失。凡紛紜雜錯之論,至明象而後定。象學不明,則如制器無尺度,作樂無律呂,舟車無指南,自然差錯。如晦庵解損上九得:“臣無家”。若以象求,則惠而不費之說太逺也。
象学の可貴なる所以は、其の能く各家説法の得失を分辨するに在り。凡そ紛紜錯雑の議論は、象を講明するに一到すれば、是非才ただ定下来るを得べし。象学明ならざれば、就好比器物を做るに尺寸法度なく・楽曲を制作するに十二律呂なく・船を行い車を駕するに指南なきが如く、自然差錯を出さん。譬へば朱熹が損卦上九の「臣を得て家無し」の一句を解するに、若し卦象を拿て求証せば、則ち発見す、彼のあの「恵にして費えず」の講法は本義を離るること太だ遠しと。
又按,《邵氏聞見錄》云:王弼注鼎“其形渥,凶,以為沾濡之形也”,蓋弼不知古《易》形作刑,渥作剭,故《新唐史》元載贊用“刑剭”亦用剭誅雲。按,元載以罪誅,贊雲《易》稱“鼎折足,其刑剭”。《周禮.秋官.司烜氏》:“軍旅修火禁,邦若屋誅”。鄭司農云:屋誅,謂夷三族。屋讀如其刑剭之剭,謂所殺不於市,而以適甸師者也。
再看邵伯温《邵氏聞見録》の説く所:王弼は鼎卦九四の「其の形渥、凶」に注して、「渥」は鼎中の汁液に沾湿せる様子と認む。これは王弼の古本《周易》に「形」は「刑」と写作し・「渥」は「剭」と写作すを知らざるを因る。故に《新唐書》の元載に写する賛語は「刑剭」を用い、也就是剭誅の義を用いり。査元載は罪に因りて処死せられ、賛語は《周易》を引きて「鼎足を折る、其の刑剭」と曰う。《周礼・秋官・司烜氏》に一条あり:「軍旅は火禁を修め、邦は屋誅の若し」。鄭衆(人は鄭司農と称す)の解釈して曰く:屋誅は則ち三族を誅滅す。「屋」は「其の刑剭」の「剭」と読作し、所殺の人は市朝に屍を陳せずして、是れ甸師氏の所に送到して処置すと。
澤謂:以屋誅解鼎折足,乃學秦法酷烈者之所為,非經意也。三公不稱其職,當以禮退,自非秦法,安可以屋誅為義?晦庵於此亦誤從之,此由象學不明,故訛錯如此。王弼雖不明象,然解作渥義,卻與象合。所以知王義為得者,餗既覆,則有鼎汁淋漓沾濡,此正是象,屋誅之說謬矣。一字之訛,所失如此,可不謹哉!
我が認むる所は:「屋誅」此の種の三族を誅滅するの酷刑を拿て鼎卦の「鼎足を折る」を解釈するは、是れ秦朝の酷法を学ぶ人の干し出し得る事にして、不是経文の本意なり。三公若し職に称せざれば、礼に按じて応当に彼をして体面に退位せしむべし。秦法を用いるに非ざれば、怎能く「屋誅」を経義と当作せんや。朱熹は此処に於ても亦此の説法に錯跟せり、此れ正に象学の明ならざるに由りて、才ただ訛錯して此の般の地步に到れり。王弼は雖然象を懂らざるも、但し「渥」を沾濡の義に解するは、却って恰好卦象と相合す。故に王弼の解釈を是と為すを知る——鼎中の美食は既に傾覆せり、自然鼎汁の淋漓沾湿する情形有り、此れ正に卦象の示す所。「屋誅」の説は則ち荒謬なり。一個字の訛誤、造成する損失は竟に此の個地步に到る、能く謹慎せざらんや!
《易》固非一象,亦非一用,聖人之意,但揀緊處說。如姤“勿用取女”是也。離“畜牝牛,吉”,想亦當然,但卻不可曉。
《周易》は本来一種の象に止まらず、亦一種の用法に止まらず。聖人の意思は、只だ要緊の地方を挑きて説出来せるのみ。姤卦の卦辞「女を取るに用うる勿れ」の如きは、人を告誡して此の女子を娶る勿らしめ、則ち要緊の処を挑きて説くなり。離卦の卦辞「牝牛を畜う、吉」は、想来も亦同様の道理ならん、只だ究竟何の象を取るか、我還た明白に弄らず。
豐,卦辭多不可曉,蓋本雷電,卻又稱王“照天下”,似即難解。剝,有床蓐之象,故六五稱“宮人”,無妄是戒其妄動,謂天下有雷,懼其過也。此是一義。又一義,則是天下雷行,物知儆懼,不敢有妄。又一義,是天下雷行,萬物之生,各正性命,亦是無妄。程子以無妄是誠,然無妄是儆戒之意多,若以誠言,乃是思:誠者,人之道。
豊卦の卦辞は講じ明白せざる処甚だ多し:豊卦は本来雷電相合の象にして、却又王者の「天下を照らす」に説き及ぶ、看上去則ち索解し難し。剥卦は床と臥席の象有り、故に六五の爻辞は「宮人」に説き到る。无妄卦は人を告誡して妄動せざらしむ:卦象は天下に雷有りて、人をして自己の過失有るを畏懼せしむ、これは一義なり。另一義は、天下雷声運行して、万物は戒懼を知り、敢えて虚妄有らざるなり。再び一義は、天下雷声運行して、万物は各自生長して其の性命を端正す、これも亦「无妄」なり。程頤は「无妄」を「誠」に解作す。但し无妄卦は告誡戒懼の意味居多し、若し必ず「誠」を用いて講ぜば、則ち要《中庸》の説く「誠を思う者は、人の道なり」のあの一路に照らして体会すべし。
屯、隨、無妄等卦,聖人立教之意甚深,或謂孔子之《易》說道理始多,不知文王之《易》已寓意焉,但未有其辭,至孔子始推明之耳。凡卦辭、爻象、取象、取義皆不一,亦多說未盡,所以孔子於乾坤二卦皆推致其義,使人知立象盡意,則未盡之意皆可推也。但六十四卦若皆如此推,則亦不可,故止推乾坤為例。或謂孔子《易》與文王、周公不同,此未然也。
屯・随・无妄此の一類の卦は、聖人の之を借りて教を立てるの用意甚だ深し。或る人曰く、孔子の《易》を解するに到りて才ただ開始して道理を多講せりと。殊に知らず、文王の《易》の裏に早已此らの意思を寄寓せり、只だ文字に形して来らざりしを、孔子に至りて才ただ之を推闡明白せり。凡そ卦辞・爻辞の取象・取義は、路数皆一種に止まらず、亦大多説き尽さざるなり。故に孔子は乾・坤両卦上に於て皆義理を極処に推し、人をして「象を立てて以て意を尽くす」の道理を明白せしめ、那麼未だ説き尽さざる意思は皆自ら推求すべし。但し六十四卦は若し皆此の様に一一推衍せば、那も亦行はざるなり、故に只だ乾・坤両卦を推して示範と作為す。或る人曰く孔子の《易》は文王・周公と同じからずと、これは不対なり。
象學多端,不可一例取。澤於《六經補註》已言其畧。其乾九三,是用象解“或躍在淵”,“龍戰于野”亦然,但所說未詳。象學當舉豐、明夷、蠱、巽為比,例豐與明夷相似,蠱與巽相似,故卦辭、爻辭有相似者,然此只是一例。
象学は頭緒甚だ多し、一個の格式を拿て套すること能わず。我は《六経補注》の裏に已に大略を講じ過せり:書中は乾卦九三の一段に於て、是れ象を用いて「或は淵に躍る」を解釈す、坤卦上六の「野に戦う」を解するも亦此の如し、只だ講じて還た詳細に够らず。象を学ぶは応当に豊・明夷・蠱・巽の数卦を拿来して対照して看べし:豊と明夷とは相似し、蠱と巽とは相似す、故に其の卦辞・爻辞は相近の処有り。但しこれも亦只だ其中の一種の類例のみ。
大凡易象,皆聖人用意深逺,當虛心以求,不可淺躁,仍竢其體會,不可牽合,茍精神之至,必有黙相之者。
大凡《周易》の象は、皆聖人の用意深遠の処にして、応当に心を虚しくして求め、浅薄急躁すべからず。還た耐心して其の自然に体会して得来るを待ち、勉强牽合すべからず。只だ精神を極処に専注せば、冥冥の中に必定暗暗相助する者有らん。
読易吟四章
澤嘗作《讀易吟》十二章,今錄四章,以見大意。
我曾経写過《読易吟》十二章、如今抄録其中四章、借以見出我読《易》所得的大意。
萬事多於近處迷,貪前說後更參差。 不從言外窺三聖,虛說淮南有九師。 井困乾枯乾有水,豐睽闇昧觀生輝。 如何天地都顛倒,卻道賢人正得時。
世間の万事は、往々最も切近の地方に於て反って迷失す。只だ顧て前頭を貪求し・又回頭して後頭を補説すれば、就更加参差错乱なり。《易》を読むに若し言語の外より窺見して伏羲・文王・孔子此の三位の聖人の用心を得ざれば、那麼縦ひ淮南王門下の「九師」と号称するあの一班の人の如く著書立説するも、亦只だ一片の空談なり。井・困両卦は本来干涸枯竭の象にして、偏偏乾卦の中に自ら水有り。豊・睽両卦は本来昏暗不明の象にして、偏偏其の裏頭より光輝を看出せしめんとす。怎麼天地は竟に整個顛倒して过来るが如きや。然るに正に此の顛倒の中に於て、才ただ賢人の恰好其の時に遇上せるを説く。
不是浮花爛漫開,有枝有乾有根荄。 一聲也自喉嚨出,六脈元從腑臟來。 莫向壁間看舊畫,也依火後撥寒灰。 要餐一斛黃連後,恐怕餘甘稍自回。
《易》の象数は併に浮浅の花朵の憑空に爛漫開放するに非ず、它有りて枝・干・根須、層層皆本原に連着す。人の口を開きて一個の声音を発するも、亦是喉嚨の裏より出る。医家の診する六部の脉象は、本来五臓六腑に通ず。只だ牆上のあの幅の旧画に対着して看る勿れ、一味に旧注に照らして講ずるな。亦火の滅するの後に等せずして再去りてあの一堆の冷灰を撥る勿れ、前人の余緒の裏に翻検するな。要して先ず満々一斛の黄連の如き苦を嚥下して、然る後に才ただ一點點の回甘を嘗るの指望有り。
天機地軸誰曾見,脈絡相關也要知。 隻眼不開千眼閉,一波才動萬波隨。 便成儡子終非活,已出蠶蛾不是絲。 直要渾然方見易,斷章取義且尋詩。
天の枢機・地の軸心は、誰か曾て親眼に見過せるや。然るに其中の脉絡の怎様に牽連相関するは、《易》を学ぶ人は却って知らざるべからず。只だ一只の眼睛の睜開せざるあれば、則ち千只の眼睛の全く閉づるに等し。水面上の一道の波纹才ただ動けば、万道の波纹は便ち跟着起る。牽合湊泊して出来る解説は、縦然木偶を做成すとも、終竟活人に非ず。蚕蛾は一旦繭を破りて飛出せば、剩下の空殻は則ち再び糸に非ず。一定要渾然貫通して、才ただ真に《易》を見到ると算す。断章取義のあの一路に至っては、姑且之を拿て詩を做るに好し。
卦情物理兩堪疑,此處誰能析隱微。 鳴鶴胡然逢子和,髙鴻何事不云飛。 干將有氣須沖斗,龍馬雖神必受羈。 役使陰陽全是易,躊躕未易洩天機。
卦の含む情状と物の具る道理は、両頭皆人をして疑を生ぜしむ、此の中間の幽隠細微の処は、誰か能く剖析して開かんや。中孚九二の曰く「鶴陰に鳴く、その子和す」、あの鶴は何を以て偏偏則ち同類の応和に来る有るや。漸卦は鴻雁に象を取る、高飛の鴻雁は又何を以て一直凌雲して去る能わざるや。干将の如き宝剣は、剣気は終究直に斗牛に沖す。龍馬は雖然神異なるも、亦終究羈絆籠頭を免れず。能く陰陽を役使するは、全く此の一部の《易》に在り。只だ我躊躇再三、天机は畢竟軽易に泄露し得べからざるなり。
後序·黄沢自述
易象兩端,不可一說取,不可一例求。如漸是山上有木,若推未盡之象,則亦是山上有風。又漸是漸進之義,卻取象於鴻,鴻飛髙舉,而取象於鴻,則不使之髙舉,蓋鴻雖有髙舉之資,然風物之中繫於氣運,受役於陰陽者,唯鴻為最甚。又其一南一北,亦必以其漸始,終不自由而卒,莫知其所以然。此鴻之謂也。大抵陰陽役使萬物,而萬物不自知。聖人作《易》,又所以役使陰陽而人亦未易知。
《易》象は両頭有り、只だ一種の説法を拿て取る能わず、亦只だ一個の格式に按して求む能わず。譬へば漸卦は上艮下巽にして、是れ山上に木有るの象。若し未だ説き尽さざる象を再び一層推さば、那も亦是山上に風有るの象なり。再び言えば、漸は循序漸進の義にして、却って鴻雁に象を取る:鴻雁は本来能く高飛すれども、之を取りて象と作る時、偏偏它をして一飛沖天せしめず。鴻雁は雖高飛の本事有るといえども、天地風物の中に於て、気運の牽系を受け・陰陽の駆使せらるること最も厲害なるは、則ち鴻雁を数う:它は一時南来・一時北往し、亦必定一步步漸々起程し、始終身は己に由らず、死に至るまで自己の何を以て此の如くなるかを知らず。これ則ち鴻を取りて象と為すの用意なり。大体説けば、陰陽は万物を駆使して、万物は自己知らず。聖人の《易》を作るは、又是之を用いて陰陽を駆使す、而して人は同様に容易に察覚し得ず。
太極既判,盈乎兩間者,有象有數,有形有聲,而《易》已用其三,唯聲音不可知。然康節邵先生明於先天之學,聲音之畧具於《經世書》。又《易.大象》曰:“先王以作樂崇徳,殷薦之上帝,以配祖考。”然則《易》於天地間,無所不該矣,萬世無康節,則聲音之學實亦未知。
太極は一分して二と為る以後、天地の間に充満する東西は、象・数・形・声有り。而して《周易》は已に其中の三様を用上せり、唯独声音の此一様は還た講じ明白せず。但し邵雍は先天の学に精通し、声音に関する大略は已に其の《皇極経世書》の裏に具載せり。又たとへば豫卦《大象伝》の曰く「先王以て楽を作り徳を崇め、殷しく之を上帝に薦め、以て祖考に配す」。此の様に看れば、《周易》は天地の間に真に包まざる無し。只だ万世の中に若し一個の邵雍出ざれば、那麼声音の学も亦仍旧人知暁する者なからん。
姑置勿論其形有分隸於卦者,自古通謂之象,有象則有數,故說《易》者只專從事於象數焉,二者之中數為最難。若總而言之,則聲音難於數,數難於象,是象為若易然。古之所傳通於音律者,率能知政治得失,世或有其人。而精於數者,如揚子雲、關朗、陳希夷之流,往往得數之用,是世蓋有得其難者?
声音の一路は姑且擱下して談ぜず。凡そ有形の物の各卦に隷属するは、自古一概に「象」と称為す。象有れば則ち数有り、故に《周易》を解説する人は只だ専門に象数の上に功夫を下し、両者の中に於て又数を以て最難と為す。若し総起来て講ぜば、声音は数より更に難く、数は又象より難し、此の様に看れば、象は算て容易なりと似たり。古来相伝の音律に精通する人は、大抵能く楽音に由りて政治の得失を判知し、世上偶尔還た此の様の人有り。而して数に精なるは、揚雄(字は子雲)・関朗・陳摶(号は希夷先生)此の一流の如きは、亦往々数の妙用を得るを得たり。見れば世上は原来人のあの更難の东西を得る者有るなり。
而於所謂象學,自虞周至兩漢,至今寥寥千七百年,諸儒非不精思力索,而竟未有得其彷佛者,故象學遂廢。而說《易》者率皆□□蹇淺、支離牽合,而凡聖經之文理密察,《易》之變通神妙,皆不可復知。是何?難者或易,而易者更愈難,而無復可通之機與!
唯独所謂象学の上に於ては、虞・周より一直到両漢に至り、今日に到るまで、冷冷清清一千七百年を過し、衆儒者は併に曾て精思苦索せざるに非ざるに、竟に一人も其の仿佛を得る者なし、此に因りて象学は則ち荒廃せり。而して《周易》を解説する人は大都□□滞塞浅陋・支離牽合。凡そ聖人経文のあの種の文理細密精審・《周易》のあの種の変通神妙の地方は、皆再び知るに法なし。これは為什麼。豈に更難のは反って容易にして、容易のは反って愈発難く、再び一条通達すべきの門径なからんや!
蓋諸儒明象僻而迂,王氏忘象決而野,唐李鼎祚著書自謂刋輔,“嗣之闕文,補康成之易象”,□□義生。漢氏諸儒之說,頼鼎祚以存。然以愚觀之,則亦各自以所見求象,而非文王、周公之本意矣。
大約是れ此の様なり:衆儒者の象を講ずるは、偏僻にして迂曲なり。王弼の象を忘るるは、決絶にして粗率なり。唐代の李鼎祚は《周易集解》を編して、自称是れ王弼の遺留せる闕文を刊正し・鄭玄(字は康成)の易象を補足し、□□新義を生出す。漢代諸儒の説法は、全く李鼎祚の此の部書に靠りて才ただ保存するを得たり。然れども我が見るに依れば、彼も亦不过是各自己の見る所に凭りて象を求め、併不是文王・周公の本意なり。
澤自早歳讀而病焉,磨勵積思,凡數十年。年五十始,黙有所悟,若神明陰有以啟之者。又積思十年,大抵十通五六,然構思既深,立例亦異,自其三聖精微曠代絶學,患其虧□,□不敢易言,稍欲發揚,又懼褻瀆區區弊帚之意,芹子之心,無以自明。此《思古吟》、《炙背吟》所由作也。
我は年軽の時《易》を読むに則ち此れを為に発愁し、磨礪苦思すること前後幾十年。五十歳の上に到りて、才ただ暗暗領悟する所有り、神明の暗中に我を啓発する有るが如し。此の後又苦思十年、大抵十分中に五六分を通ぜり。只だ構思は既に深く、立つる体例も亦旧説と同じからず。自ら念いて是れ三位の聖人の精微幽深・曠代絶伝の学問、它の虧□あるを怕れ、□敢えて軽易に口を開かず。稍々它を発揚出来せんと想えば、又怕て反って之を褻瀆せんことを。我が此の一點の敝帚自珍・献芹自薦の心意は、実に向い人に表白するに従るなし。これ則ち《思古吟》《炙背吟》両組の詩の作出来の縁由なり。
延佑五年,東平王子翼始為刋《六經辯釋補註》既成,重惟《易》、《春秋》二注,未能脫藁,而駸駸老境,事不可緩,若必待完備,亦貧者最難,倘黙而不言,又孰知所到,凡象學可以心悟而不可以言傳,今指其大義,含蓄頗深,比類與象學相邇,且補註所未有者為一卷,名曰《易學濫觴》。
延祐五年、東平人王子翼は才ただ我が為に《六経辨釈補注》を刊刻せり。書刻成の後、我再三《周易》《春秋》両部の注本の未だ脱稿せざるを想い、而して暮年は一步緊りて一步に似る、事情は耽擱すべからず。若し必ず全書の完備を待たば、一個の窮人に対して最も辦り難し。倘若口を閉じて説かざれば、又誰か我が究竟どの歩に做到したるを知らん。象学此の門の東西は、只だ心を用いて悟る能くして、言語を用いて伝授する能わず。今我は其中の大義を指點出来し、凡そ含蓄の較深く・類に按して推比して象学と相近く、又是《補注》の裏の有らざるを、合して一巻と為し、名を取りて《易学濫觴》と曰う。
雖曰涓流,而本原在焉,未可忽也。世傳黃河自崑崙來,伏流地中,數千里然後有渾灝之勢,今將發明曠絶之學,而更隱其義,蓋事大、體重難以直遂,不得不致慎焉!延佑七年夏五資中,後學黃澤敬書。
「濫觴」は雖説只だ一道の細流なれども、源頭本原は則ち此処に在り、軽忽すべからず。世上は黄河の崑崙に発源し、先ず地底に潜流する幾千里、然る後に乃ち浩浩蕩蕩の気勢有りと相伝す。今我は此の門の久しく已に断絶せる学問を闡発せんと欲して、反って義旨を幾分か隠蔵せり:事体重大にして、一下子直説到底し難きを以て、格外慎重せざるべからざるなり。延祐七年夏五月、資中後学黄沢恭敬に写す。
