七政四余・乾元秘旨・舒継英
作盤ガイド: 八字作盤
恩難仇用(おんなんきゅうよう)
八字命理典籍
初学はまず体例の整った通論の書で枠組みを立て、次に歌賦類、最後に評注と進むのがよい。断語集から入ると、結論は覚えても導出の過程を組み立てられないことが多い。
九重天
《楚詞》言:闤則九重,孰營度之?則天有九重,古昔已言之矣。西人之言九重天也,曰:最上為宗動天,無星辰,每日帶各重天自東而西左旋一周。次曰列宿天,次曰鎮星天,次日歲星天,次曰熒惑天,次曰太陽天,次曰金星天,次曰水星天,最下曰太陰天。自恆星以下,八重天皆隨宗動天左旋,然各天皆有右旋之度,自西而東,與蟻行磨上之喻相符,由是往復循環,運行不息,以氤以氳,眾物憑生,而人於其間得氣之吉者則吉,得氣之凶者則凶,細細按之,不爽毫末。有志者所當詳察焉。
『楚辞・天問』に「圜則九重、孰かこれを営度せん」(天は円くして九重なり、誰がこれを測り区画したか)と問うている。天が九層に分かれることは、古人がすでに言い尽くしていた。西洋の暦家の言う九重天では、最上層を「宗動天」とし、そこには星辰がなく、毎日その下の各重天を率いて東より西へ左旋して一周する。その下より、第二層は「列宿天」すなわち衆恒星のある天、第三層は「鎮星天」すなわち土星の天、第四層は「歳星天」すなわち木星の天、第五層は「熒惑天」すなわち火星の天、第六層は「太陽天」、第七層は「金星天」、第八層は「水星天」、最下層は「太陰天」すなわち月の行く天である。恒星の層より下の八重天はすべて宗動天に随って左旋するが、各天それ自体にも右旋する度があり、西より東へ進む。これはまさに古人の「蟻が磨盤の上を這う」たとえに合致する。磨盤は左に回り、蟻は磨面上を右に行き、二つの方向が重なり合う。天体はこのように往復循環して運行止まず、陰陽二気が交感して氤氳し、万物はこれに凭りて生を得る。人はその間に生まれ、吉気を禀ければ吉、凶気を禀ければ凶となり、一つ一つ細かく按じていけば毫末も違わない。星命の学に志す者は、この根本の理を詳しく考察すべきである。
正五行
水生木,又生氣;火生土,又生計;木生火,又生羅;金生水,又生孛;羅生計,又生土;氣生羅,又生火;孛生氣,又生木。土計生金,金扶月,金水孛扶日。水克火,又克羅;木克土,又克計;金克木,又克氣;土克水,又克孛;計克孛,又克水;氣克計,又克土;孛克羅,又克火;火羅克金,木氣蔽日,土計掩月。
これは「七政四余」十一曜を正五行に依って推し並べた生剋の次序である。七政とは日・月と水・火・木・金・土の五星を指し、四余とは「紫気」(木の余)、「羅睺」(火の余)、「計都」(土の余)、「月孛」(水の余)を指す。相生の路:水は木を生じ、また「紫気」を生ず。火は土を生じ、また「計都」を生ず。木は火を生じ、また「羅睺」を生ず。金は水を生じ、また「月孛」を生ず。「羅睺」は「計都」を生じ、また土を生ず。「紫気」は「羅睺」を生じ、また火を生ず。「月孛」は「紫気」を生じ、また木を生ず。土星と「計都」はともに金を生じ、金は太陰を扶け、金・水と「月孛」はともに太陽を扶ける。相剋の路:水は火を剋し、また「羅睺」を剋す。木は土を剋し、また「計都」を剋す。金は木を剋し、また「紫気」を剋す。土は水を剋し、また「月孛」を剋す。「計都」は「月孛」を剋し、また水を剋す。「紫気」は「計都」を剋し、また土を剋す。「月孛」は「羅睺」を剋し、また火を剋す。火と「羅睺」は金を剋す。このほか二曜に限った特例が二条ある。木と「紫気」は太陽を遮蔽し、土と「計都」は太陰を掩蝕するのである。
変五行
水生計,又生羅;火生木,又生金;木生土,又生月;金生月,又生土;土生水,又生氣;計生火,又生孛;羅生孛,又生火;氣生羅,又生計;孛生金,又生木;月生氣,又生水。水克火,又克孛;火克土,又克月;木克水,又克氣;金克氣,又克水;土克計,又克羅;計克木,又克金;羅克金,又克木;氣克孛,又克火;孛克月,又克土;月克羅,又克計;太陽至尊獨不與。
これは十一曜を「変五行」に依って推し並べた生剋で、上の正五行とはまったく異なり、本門の別に立てた一套の用法である。相生の路:水は「計都」を生じ、また「羅睺」を生ず。火は木を生じ、また金を生ず。木は土を生じ、また太陰を生ず。金は太陰を生じ、また土を生ず。土は水を生じ、また「紫気」を生ず。「計都」は火を生じ、また「月孛」を生ず。「羅睺」は「月孛」を生じ、また火を生ず。「紫気」は「羅睺」を生じ、また「計都」を生ず。「月孛」は金を生じ、また木を生ず。太陰は「紫気」を生じ、また水を生ず。相剋の路:水は火を剋し、また「月孛」を剋す。火は土を剋し、また太陰を剋す。木は水を剋し、また「紫気」を剋す。金は「紫気」を剋し、また水を剋す。土は「計都」を剋し、また「羅睺」を剋す。「計都」は木を剋し、また金を剋す。「羅睺」は金を剋し、また木を剋す。「紫気」は「月孛」を剋し、また火を剋す。「月孛」は太陰を剋し、また土を剋す。太陰は「羅睺」を剋し、また「計都」を剋す。ただ太陽のみ至尊の象で、独りこの変五行の生剋には参与しない。
正五行の変
木正旺則畏金,太旺又借金以成其器。火正旺則怯於水孛,太旺又借水孛以殺其威。土正旺則懮乎木氣,太旺又借木氣以疏其硬。金正旺則嫌於火羅,太旺又借火羅以化其頑鈍。水正旺則妨於土計,太旺又借土計以防其浸淫。且寒日偏替於金水,而素月獨隆於火羅。
同じ正五行でも、旺の度合いがどの程度かによって、取用は逆に見なければならない。木は当令して正しく旺するときは金に伐られるのを惧れるが、いったん旺の極みに達すれば、かえって金の斧鑿を借りてこそ器となる。火が正しく旺するときは水と「月孛」に潑き消されるのを怯れるが、旺りすぎればかえって水・「月孛」を借りてその威焔を殺がねばならない。土が正しく旺するときは木と「紫気」に疏剋されるのを憂えるが、旺りすぎればかえって木・「紫気」を借りてその堅く板結したのを疏らさねばならない。金が正しく旺するときは火と「羅睺」に熔練されるのを嫌うが、旺りすぎればかえって火・「羅睺」を借りてその頑鈍を熔かさねばならない。水が正しく旺するときは土と「計都」に壅塞されるのを忌むが、旺りすぎればかえって土・「計都」を借りてその氾濫浸淫を堤防せねばならない。このほか対挙の理がもう一層ある。冬の日の陽は最も金水を惧れ、金水が多ければ日光はかえって衰替を顕す。素浄の太陰は独り火と「羅睺」の照映を喜び、これを得て光華はいよいよ盛んとなる。
《摘奧經》云:「冬水輔陽,水借光溫暖,而太陽則凝寒矣,主克父。夏水輔陽,陽借水滋潤,而水則枯涸矣,主短壽。」
『摘奥経』にいう。冬に生まれた人が水星をもって太陽を輔けば、水は日光を借りて暖を得るが、太陽は寒水に凍えて凝滞し明るさを失い、このような命は父を剋する。夏に生まれた人が水星をもって太陽を輔けば、太陽は水を借りて潤いを得るが、水は烈日に蒸されて枯涸し、このような命は寿数が長くない。同じ「水輔陽」でも、冬夏二季の結果はまったく相反することが分かる。命を断ずるに一概に論じてはならない。
耶律楚材云:「如木為財而在春,春木本旺,旺而逢生,不幾生之太過乎?以富斷之則誤矣。蓋春木宜逢金,夏宜逢水,秋宜躔木,冬宜躔火,反是非天地之中和,恐不免於貧,命主等星亦如之。再以月論,春月,火羅照之不明不燥,金水扶之,有光。夏月,逢金無益,值木亦損,不惟土計是凶,即火羅亦難,惟水孛扶之,斯元精不散。秋月,獨畏土計,不妨獨行,亦喜金水以助華。至冬,失之太寒,金水孛皆忌,火羅相照為美。」合此二書觀之,一一皆可類推。
耶律楚材(やりつそざい。元初の名臣で星命に通じた)がいう。もし木星を財星とし、人がまた春に生まれたとすれば、春の木はもともと旺で、旺の上にさらに生扶に逢う。これでは生が過ぎるのではないか。このとき仍お「財旺」として富有と断ずれば、断ち違いとなる。大凡そ、春の木は金に遇い裁制を受けるを宜とし、夏は水に遇い滋潤を受けるを宜とし、秋は木宿の度に行るを宜とし、冬は火宿の度に行るを宜とする。この次序に違えば天地中和の気に合わず、貧寒を免れまい。命主星およびその余諸星の取用も、みなこの理による。再び太陰を取って言えば、春の月は火と「羅睺」の照映を得て、昏からず燥からず、さらに金水が来て扶けば格別に光がある。夏の月は金に遇いて益なく、木に遇いて損を受け、土と「計都」が凶なるのみならず、火と「羅睺」すら受け難く、ただ水と「月孛」が来て扶けるとき、元精は耗散を免れる。秋の月は単に土と「計都」を惧れ、独行無侣も妨げず、また金水がその光華を助けるを喜ぶ。冬に至れば月は寒さ過ぎるの失があり、金・水・「月孛」はいずれも忌むところ、火と「羅睺」の相照を得てこそ美とする。『摘奥経』と耶律楚材の二家の言を合わせ見れば、その余各曜が四時に依って取用される理も、この筋に照らして一々類推できる。
変五行の正五行の変(化禄)
變於十干,化祿也。甲火,乙孛,丙木,丁金,戊土,己月,庚水,辛氣,壬計,癸羅,其中自有正理存焉。竊嘗從元星天道立極之圖及元星仰觀天文之圖而窮極之。
いわゆる「変五行の正五行の変」とは、その変化を十干に落とし込むこと、すなわち「化禄」の一法である。甲干は火に化し、乙干は「月孛」に化し、丙干は木に化し、丁干は金に化し、戊干は土に化し、己干は太陰に化し、庚干は水に化し、辛干は「紫気」に化し、壬干は「計都」に化し、癸干は「羅睺」に化す。この配法は漫然と按じたものではなく、内におのずから一定の正理がある。私はかつて『元星』の書に載る「元星天道立極之図」と「元星仰観天文之図」の二図に依拠して、その所以然を推し究め尽くした。
日月麗乎天,日午月未,地勢起於北,子丑皆土;天道左旋,寅配春屬木,卯配夏屬火,辰配秋屬金,巳配冬屬水;地道右轉,亥配春屬木,戌配夏屬火,酉配秋屬金,申配冬屬水。
日月は天に附麗し、太陽の本位は午にあり、太陰の本位は未にある。地勢は正北に起るから、子・丑の二位はともに土に属する。天道は左より旋り、寅より数え起す。寅は春に配して木に属し、卯は夏に配して火に属し、辰は秋に配して金に属し、巳は冬に配して水に属する。地道は右より回り、亥より数え起す。亥は春に配して木に属し、戌は夏に配して火に属し、酉は秋に配して金に属し、申は冬に配して水に属する。天道・地道の一左一右は、ちょうど子丑と午未の二箇所で交わり会し、十二支の五行の帰属はこれによって定まる。
惟子丑合而屬土,故戊歸丑,己歸子;寅亥合而屬木,故甲歸寅,乙歸亥;卯戌合而屬火,故丙歸卯,丁歸戌;辰酉合而屬金,故庚歸辰,辛歸酉;巳申合而屬水,故壬歸巳,癸歸申。寅卯辰巳皆陽位也,陽居陽位,故甲丙庚壬居之;申酉戌亥皆陰位也,陰居陰位,故癸辛丁乙居之。子之視亥戌酉申,乃自西而北,陰之極也,故己居之;丑之視寅卯辰巳,乃由北而東南,陽之始也,故戊居之。
ただ子と丑は相合してともに土に属するから、陽土の戊は丑に帰し、陰土の己は子に帰する。寅と亥は相合してともに木に属するから、陽木の甲は寅に帰し、陰木の乙は亥に帰する。卯と戌は相合してともに火に属するから、陽火の丙は卯に帰し、陰火の丁は戌に帰する。辰と酉は相合してともに金に属するから、陽金の庚は辰に帰し、陰金の辛は酉に帰する。巳と申は相合してともに水に属するから、陽水の壬は巳に帰し、陰水の癸は申に帰する。さらに陰陽の分配を見れば、寅・卯・辰・巳はみな陽位で、陽干は陽位に住すべきゆえ、甲・丙・庚・壬の四陽干をこの四支に安ず。申・酉・戌・亥はみな陰位で、陰干は陰位に住すべきゆえ、癸・辛・丁・乙の四陰干をこの四支に安ず。子丑の二つの土位に至っては、子より亥・戌・酉・申を回顧すれば西より北に転ずる一路で、まさに陰気の尽きるところ、ゆえに陰土の己は子に居る。丑より寅・卯・辰・巳を望めば北より東南に転ずる一路で、まさに陽気の萌動し始めるところ、ゆえに陽土の戊は丑に居る。
丑為土之初基,巳為土之中位,故土歸丑,計歸巳;寅乃火甫見之方,申乃火將滅之地,故火歸寅,羅歸申;卯為木之盛,酉為木之衰,故木歸卯,氣歸酉;辰為納水之府,亥為出水之區,故水歸辰,孛歸亥;獨金好殺,而天地好生,故藏金於戌並使無餘氣也。午為日位,日居之;未為月位,月居之。月固借日之光以為光,必對始望,日既居午,故月亦居子。
続いて五星四余の各々帰する宮を言う。丑は土の初基、巳は土の中位ゆえ、土星は丑に帰し、土の余「計都」は巳に帰する。寅は火の剛い顕れる方位、申は火の将に熄まんとする所ゆえ、火星は寅に帰し、火の余「羅睺」は申に帰する。卯は木の最も盛んな処、酉は木の最も衰える処ゆえ、木星は卯に帰し、木の余「紫気」は酉に帰する。辰は衆水を収める庫府、亥は水源の湧き出る区域ゆえ、水星は辰に帰し、水の余「月孛」は亥に帰する。ただ金の性のみ殺を好み、天地の心は生を好むゆえ、金を戌庫の中に蔵し、しかも余曜を留めず。「金无余(金に余なし)」はこれに由来する。午は太陽の本位、太陽これに居る。未は太陰の本位、太陰これに居る。月はもと日光を借りて光あるもの、必ず日と正対してこそ望月となる。太陽すでに午に居るから、月はまた子に居るを取るのである。(底本のこの句は上文「未を月位とし月これに居る」と牴牾し、訛脱あるを疑う。今は原文のまま実録し、敢えて臆改しない。)
此甲火,乙孛,丙木,丁金,戊土,己月,庚水,辛氣,壬計,癸羅之所由化也;金無餘,特端列一宮,水木火土孛氣羅計,皆以遞生。
以上に講じたのが、甲は火に化、乙は「月孛」に化、丙は木に化、丁は金に化、戊は土に化、己は太陰に化、庚は水に化、辛は「紫気」に化、壬は「計都」に化、癸は「羅睺」に化するという十条の化禄の由来である。金は配属する余曜がないゆえに単独で端居して一宮を占め、水・木・火・土の四星と「月孛」「紫気」「羅睺」「計都」の四余は、二々相配して順に递い相生发し、首尾相接する一条の脈絡を串成する。
至於甲與己合,月借火暖;乙與庚合,孛資水勢;丙與辛合,氣叨木蔭;丁與壬合,金賴計生;戊與癸合,土用羅恩;午與未合,月藉日光;蓋化祿之合,適以相成如此。子午而犯君,丑未沖而掩光,寅申而炎燥,巳亥而克害,卯酉而侵凌,辰戌而洩漏,蓋化祿之,實以相虧如此。
さらに化禄の後に彼此相合する効果を見る。甲己の相合は、甲は火に化し己は太陰に化すから、太陰は便ち火気を借りて暖を得る。乙庚の相合は、乙は「月孛」に化し庚は水に化すから、「月孛」は便ち水勢に藉りていよいよ盛んとなる。丙辛の相合は、丙は木に化し辛は「紫気」に化すから、「紫気」は便ち木の蔭庇を得る。丁壬の相合は、丁は金に化し壬は「計都」に化すから、金は便ち「計都」という土余に倚りて生を受ける。戊癸の相合は、戊は土に化し癸は「羅睺」に化すから、土は便ち「羅睺」の火を得て恩星とする。午未の相合は、午は太陽、未は太陰ゆえ、月は便ち日光を借りる。これで化禄の「合」はまさに彼此成就であると見える。反対に相冲を見れば、子午の相冲は君象たる太陽を冲犯し、丑未の相冲は月光を掩蔽し、寅申の相冲は火気炎燥し、巳亥の相冲は水火剋害し、卯酉の相冲は木金侵凌し、辰戌の相冲は庫気泄漏する。これで化禄の「冲」は実に彼此の虧損であると見える。(底本「子午而犯君」と末句「蓋化禄之」の二箇所に各々「冲」の一字を脱す。今は照録して補わない。)
或又曰:己加子,子為寄宮,月方明,子宜從月;月在晦,子宜從計,二者必並推而得之,姑存其說,以俟好學者。若夫戊甲丙庚壬為五陽,五陽各與正財合,癸辛丁乙己為五陰,五陰各與正官合,是尤見合之為義大,而化祿之體精用博也。
別に一説あり。己干は太陰に化して子に加臨し、子はその寄宮である。もし月の正しく明るき時に逢えば、子位は太陰に随うべし。もし月の晦暗の時に逢えば、子位は「計都」に随うべし。この二つの情形は必ず並び推求してこそ取用を定め得る。この説は姑く存置し、後の好学の人の印証を待つ。戊・甲・丙・庚・壬は五陽干、五陽干は化禄の後に各々自己の「正財」と相合す。癸・辛・丁・乙・己は五陰干、五陰干は化禄の後に各々自己の「正官」と相合す。これにより「合」のこの学問における意義の大なるがいよいよ見え、化禄の一法の体例精厳にして用途広博なるも見える。
元星二図
計——日——月——羅水——元星天道——氣木——立極之圖——金火——土——計——孛。計壬——太陽——太陰——羅癸水庚——元星仰觀——氣辛木丙——天文之圖——金丁火甲——土戊——月己——孛乙。
この二行は『元星』の書中の二幅の図の文字配列で、伝写の際に字の順序のみが残り図形は存しないため、そのままの形で録出する。上の一行は「元星天道立極之図」の環列の次序で、順に「計都」、太陽、太陰、「羅睺」と水星、「紫気」と木星、金星と火星、土星、「計都」、「月孛」と並び、図題の八字は環列の間に挟み書きされる。下の一行は「元星仰観天文之図」の配位で、「計都」は壬に配し、太陽・太陰は中に居り、「羅睺」は癸に配して水星は庚に配し、「紫気」は辛に配して木星は丙に配し、金星は丁に配して火星は甲に配し、土星は戊に配し、太陰は己に配し、「月孛」は乙に配す。図題の八字は同じくその間に挟み書きされる。この一行に載せたのは、まさに上文に講じた十干化禄の配属である。
右將元星天道立極之圖、元星仰觀天文之圖,依元星一書開載。
以上に挙げた「元星天道立極之図」と「元星仰観天文之図」の二幅は、いずれも『元星』一書の原本に刊載された様式に照らして抄録したもので、本書の創作ではない。読者はこれを以て原書と互いに校えることができる。
日
太陽者君象也,用天下之星,而不為諸星之用,無遠弗□,無幽弗燭,不分日晝夜,不分南北,其光炯然,其氣勃然。
太陽は君主の象である。それは天下の衆星を役使して衆星に役使されることがなく、どれほど遠くても照らし届かぬところはなく、どれほど幽暗でも燭照し明るくせぬところはない。白昼黑夜を分たず、南方北方を分たず、その光明は炯然として見え、その気象は勃然として発する。(「無遠弗□」の一句は底本に一字を欠き、「照」「届」などの類であろう。今は欠文の号を存し、敢えて臆補しない。下句「不分日昼夜」の「日」の字もまた「是」の字の訛りと疑う。)
凡星居日之前後,謂之內夾;居日列之最前最後,謂之外輔,必值四餘乃止。近日之度至十五度內,謂之密;自十五度至二十度外,謂之疏;眾星密,獨一星在遠,謂之特;羅計間隔一星朝日,謂之間;二星共一度輔日,謂之疊;一二星近密,謂之聚。
およそ星曜が太陽の前後に緊列するのを「内夾」といい、この一隊の星の最前頭と最末尾に列なるのを「外輔」という。外輔は「四余」の星までずっと排してこそ尽きる。太陽から十五度以内にあるのを「密」といい、十五度より外に出て二十度以上までを「疏」という。衆星が皆日辺に密聚するのに、独り一星が遥か外にあるのを「特」という。「羅睺」「計都」が一星を隔てて太陽を朝拱するのを「間」という。二つの星が共に一度を占めて日を輔けるのを「畳」という。一二の星が日側に緊貼するのを「聚」という。この七つの名目は下文で科第功名を論ずる根柢であり、まず一々分辨し清楚にせねばならない。
昔人有歌云:「疏中外輔密中密,不中密兮即中日,眾密出特特上取,特不如間升階明,疏密只就日邊說,數者又不如一疊,疊日疊輔皆登第,經緯連處可登雲,聚處逢之魁南北,遇日須遇日度數,日度亦是度末年。」此雖端為科第而言,然由其意推而廣之,則固一一應之如響矣。
前人に一首の歌訣があっていう。疏散の中に「外輔」あり、密聚の中にはさらに密なるものあり。取用するには最も密なる星を取るか、正しく太陽に当たる一顆を取るかである。衆星が密聚して独り「特」星が出れば、便ち特星の上に取用する。しかし特星はまた「間」の格に如かず、「間」の格を得れば升階顕達を主る。疏と密はただ日辺の遠近に就いて言うのみで、この数種はまた一つの「畳」の格が来るのに如かない。太陽の上に畳み、輔星の上に畳むは、いずれも登科及第を主る。経度緯度の相連なる処は、青雲直ちに上ることができる。「聚」の地で吉曜に遇えば、南北榜の魁首を奪うことができる。およそ太陽の吉に応ずるには、必ず太陽の躔る度数に行り至らねばならない。そして日度に行るその年は、すなわちこの一段の行度の末年である。この歌はもと専ら科第功名のために作られたが、その意を推し広げて別の事に用いても、一々応験して響の如しである。
嘗見命主及吉星夾輔太陽者,不為公卿,亦作侍從臣,且行至日度,或由督撫內升正卿,或由正卿晉爵宰輔,比比皆是。若與日氣不通,縱使吉曜有情,亦不過外任而已。
私はかつて命主星と吉星とがともに太陽を夾輔する命を見たことがある。このような人は公卿に至らずとも、必ず天子の侍従近臣となる。しかも行限がいったん太陽の躔る度に走れば、ある者は督撫の任より内調して九卿の正卿に升り、ある者は正卿より宰輔に晋位する。この類の例は比々そこにある。反対に言えば、命主が太陽と気脈の通ぜざるものなら、たとえ吉曜がそれに情を有しても、外省の官を為すに過ぎず、ついに君側に接することはない。
更有近君之員,一交木度,其像蔽陽,非主眷稍衰,即退居林下,或由京官外放,或降罰重重。更有候選及候升出差等,即使限度果利,必是年得太陽照臨,或流太陽釣大限之月,始能有獲。
またもとより侍従して君に近い官員であっても、行限がいったん木宿の度に交われば、木は日を蔽う能くし、その象はまさに太陽を遮蔽するものであるから、聖眷の稍や衰えるか、罷職して田園に帰り隠れるか、京官より外放されるか、重々の降罰に遭うかのいずれかであろう。別に銓選を待ち、升遷を待ち、差委を待つ者は、たとえ行る限度が確かに有利でも、必ず当年に太陽の照臨を得るか、あるいは流年の太陽が大限の在る宮を釣照するその月に遇ってこそ、真に獲るところがある。
若傷煞在日前後,及與日有關會,即難宦遊,宦遊亦不能見君,見君亦不能優旨,且恐終於賈禍。若命主是金,火羅拱夾日,或火羅同緯日,繫春夏生人遇日度必死。命主是火,水孛輔日,雖係春生人,遇日度亦死。餘仿此。
もし「傷官」「七煞」といった悪曜が太陽の前後に列したり、太陽と関会牽連したりすれば、この人は出仕して遠く游ぶことが難しい。たとえ出仕しても君主に見えず、たとえ君主に見えても優旨褒奨を得られず、下手をすればこれによって禍事を招きさえする。また命主が金であって、火星と「羅睺」が太陽を拱夾し、あるいは火・「羅睺」が太陽と同一の緯度上にあれば、この人が春夏二季に生まれた場合、行限がいったん日度に遇えば必ず死する。火羅が当令して、正しく金主を剋するからである。命主が火であって、水星と「月孛」が日を輔けば、たとえ春に生まれても、行限が日度に遇えばやはり死する。水孛が火を剋し、日光がまた奪われるからである。その余の各種の情形は、みなこの二つの例に照らして推すのである。
月
月到中秋則分外明。凡在上弦,以迄於望,謂之得令,有權;在下弦,則光短而力薄;在廿七至初二,畢竟無光。若與陽合,朔之前後七八度內生人,以月為命主,大率不永。倘月躔土而遇土計掩蝕,或土計躔四月度,則自其母以及其目皆主不利。
太陰は中秋に至れば分外に明るくなる。これが得時の験である。およそ上弦以後から望日の間までを「得令」といい、この時月は権勢を有する。下弦以後に至れば、月光は短促して力量は単薄となる。毎月二十七日から次月の初二日までの数日は、月はほぼ全然光なし。もし太陰が太陽と相合する、すなわち朔日前後の七八度以内に生まれた人で、またちょうど太陰を以て命主とするなら、大抵は寿数が長くない。もし太陰が土星の度に躔って土星・「計都」に掩蝕されるか、あるいは土・「計都」が太陰の在る度に躔り至れば、その母から自身に至るまで皆不利を主る。(末句の「四月度」「其目」の二箇所は底本に訛字があり、文義は通ずるも字は強いて解し難い。今は原様のまま録出する。)
五星四余
五星臣象也,一遇日即遲留伏逆,遠於日則見。譬之王者出,諸臣或趨避或俯伏;王者遠去,諸臣即呈顏色,怡怡如也。吉以此分忌喜,凶以此分喜忌。但吉星與命主在陽前,又喜其逆,逆則其氣轉親;在陽後,又忌其逆,逆則其氣轉疏,凶星反是。
五星は臣子の象である。それらは太陽に近づくや、遅行・留守・伏して見えず・逆行といった状態を現し、太陽を離れて遠くなってから、やっと再び顕れ出る。これは君王が出行するに、群臣が趨避するものあり俯伏するものあり、君王が遠く去ってから群臣はやっと敢えて神色を露わにし、一団和悦となるに似たり。吉星はこれによって忌む所と喜ぶ所とを分かち、凶星もまたこれによって喜ぶ所と忌む所とを分かち、方向はちょうど相反する。ただしさらに細分の一層がある。吉星と命主とが太陽の前にあれば、その逆行を喜ぶ。逆行は回頭して日に向かい、その気はかえって親に転ずるからである。もし太陽の後にあれば、その逆行を忌む。逆行は日を背いて去り、その気はかえって疏に転ずるからである。凶星の取舍は、これとまったく顛倒して見る。
耶律楚材云:「難逆用伏,凶災不能解救。文伏魁逆,吉祥又難並臻。主伏不顯,倘逢難亦可斷吉。恩逆不祥,倘生主未可談凶。」誠哉是言,推此可廣驗。至與春木得時,一望亦當情適;冬火失令,已過始能神怡;亦自然之理。木吏、土戶、火禮、金兵刑、水司空,皆歷歷不爽。
耶律楚材がいう。「難星」が逆行して「用星」が伏没すれば、凶災は救う途なし。「文星」が伏没して「魁星」が逆行すれば、吉祥もまた来り揃い難し。命主星が伏没すれば、人は顕達せず。ただしそれが正しく「難星」を冲れば、仍お吉と断ずべし。「恩星」が逆行するはもとより好事ならざるも、ただしそれがなお命主を生扶するなら、未だ凶と断ずべからず。この数句は実に言い得たもので、この筋に照らして推せば、処処に験あり。春の木星は正しく得令の時なれば、遥かに相望むだけで情意相適うと覚え、冬の火星はすでに失令なれば、それが行り過ぎた後を待ってこそ心神舒暢となる。これも自然の理である。このほか五星はまた各々一部の職を主る。木星は吏部を主り、土星は戸部を主り、火星は礼部を主り、金星は兵部と刑部を主り、水星は工部・司空の任を主り、一々分明にして、曾て差錯なし。
四餘奴象也,主旺則竊,主衰則救。奴統於主,行主度即作奴度行,必謂氣羅之貴、金孛之淫、土月之迍、火羅之燥,單孛為拗、單計多謀,何其妄甚!若夫木司令朝日,已為青龍扶硯,何嘗蔽陽?孛乘旺凌金,方將妾奪妻權,奚啻犯主?
四余は奴僕の象である。本主の星が旺盛の時は、余曜は来てその気を分窃する。本主の星が衰弱の時は、余曜はかえってそれを救助し得る。奴僕はつねに主人に統属するから、行限が本主星の度に走れば、即ち奴星の度をも併せ行るに等しい。ある人は偏に一堆の死条文を立てて、「紫気」が「羅睺」に配すれば便ち貴を主り、金星が「月孛」に配すれば便ち淫を主り、土星が太陰に配すれば便ち困頓を主り、火星が「羅睺」に配すれば便ち燥烈を主り、単に「月孛」を見れば性情拗執、単に「計都」を見れば機謀多端——これらの説はなんと荒謬なるか。木星が当令して太陽を朝拱するは、青龍が文硯を扶持する吉象で、どうして太陽を遮蔽するものであろうか。「月孛」が旺に乗じて金星を欺凌するは、侍妾が正妻の権を奪うの象で、またどうして本主を冒犯するのみであろうか。一切はみな具体の格局を見るべきで、死に成例を執るべからざるを知れ。
科名
從年干取用,甲乙木、丙丁火、庚辛金、戊己土、壬癸水,敬天迎神,乘時布用。
「科名」という星は出生の年の年干の上に取用し、取るのは年干と同気のあの本星である。甲年・乙年は木星を取り、丙年・丁年は火星を取り、庚年・辛年は金星を取り、戊年・己年は土星を取り、壬年・癸年は水星を取る。取り定めた後には、なお天時を敬奉し神機に迎合して、この星の時を得地を得たときに乗じて布置使用してこそ、科第の験に応うことができる。もし时令を顧みず強いて硬用すれば、霊験の言うべきなし。
文星
五行相濟而成。甲見羅,其色青赤;乙見計,其色碧黃;己見氣,其色絳青;丙見金,其色赤白;丁見火,其色紫赤;戊見金,其色黃白;庚見木,其色白青;辛見土,其色粟黃;壬見日,其色黑赤;癸見月,其色綠白;發焰呈祥。含輝吐秀,獨不以水孛為文者,其無質也。
「文星」は二種の五行が互いに調済することによって成る。ゆえに毎組には二種の顔色を配する。甲年は「羅睺」を以て文星とし、木と火とが相済し、その色は青の中に赤を帯ぶ。乙年は「計都」を以て文星とし、木と土とが相済し、その色は碧の中に黄を帯ぶ。己年は「紫気」を以て文星とし、土と木とが相済し、その色は絳の中に青を帯ぶ。丙年は金星を以て文星とし、火と金とが相済し、その色は赤の中に白を帯ぶ。丁年は火星を以て文星とし、火と火とが相扶け、その色は紫の中に赤を帯ぶ。戊年は金星を以て文星とし、土と金とが相済し、その色は黄の中に白を帯ぶ。庚年は木星を以て文星とし、金と木とが相済し、その色は白の中に青を帯ぶ。辛年は土星を以て文星とし、金と土とが相済し、その色は粟の黄の如し。壬年は太陽を以て文星とし、水と火とが相済し、その色は黒の中に赤を帯ぶ。癸年は太陰を以て文星とし、水と金とが相済し、その色は緑の中に白を帯ぶ。二色相配して、はじめて光焔を発し祥瑞を呈し、光輝を含蓄して秀気を吐露し得る。ただ水星と「月孛」を取って文星とせぬは、水の性が虚にして質なく、凝聚して文采を成せぬが故である。(底本のこの条は己年の一項を乙丙の間に列し、次序が参差する。今はその旧に仍る。)
魁星
陰陽和合,相生而成。甲月木受水生,乙日木生火,丙羅火生火,丁計火生土,戊火土受火生,己金土生金,庚水辛孛金生水,壬氣癸木水生木。借勢向榮,權抒採。獨遺土者,以土性混濁之故。
「魁星」は陰陽和合し彼此相生して成るを取る。配法は年干の五行と取る所の星とがちょうど一層の生扶関係を成す。甲年は太陰を以て魁とし、甲は木に属し月は水に属す、是れ木が水の生を受くるなり。乙年は太陽を以て魁とし、乙は木に属し日は火に属す、是れ木が火を生ずるなり。丙年は「羅睺」を以て魁とし、丙は火に属し羅もまた火に属す、是れ火が火を扶くるなり。丁年は「計都」を以て魁とし、丁は火に属し計は土に属す、是れ火が土を生ずるなり。戊年は火星を以て魁とし、戊は土に属し火は土を生ぜしめ得、是れ土が火の生を受くるなり。己年は金星を以て魁とし、己は土に属し土は金を生ず。庚年は水星を以て魁とし、辛年は「月孛」を以て魁とし、いずれも金が水を生ずるなり。壬年は「紫気」を以て魁とし、癸年は木星を以て魁とし、いずれも水が木を生ずるなり。この一層の生気有れば、便ち勢に借りて栄に向かい、権柄と文采とが一斉に舒展する。ただ土星を漏らして用いぬは、土の性が混濁にして魁星清貴の義に合わざればなり。(「権抒采」の句中、疑うらくは一字を脱す。今は照録して補わず。)
三台
子年辰,丑年巳,寅年午,卯年未,辰年申,巳年酉,午年戌,未年亥,申年子,酉年丑,戌年寅,亥年卯;分年挨定,尚需參詳。但大拜諸公,非三臺貫命、三臺貫度,即行三臺度高遷,姑存之以待用。
「三台」は出生年支に按じて挨次排定し、いずれも本年支より前へ数えて四位とする。子年は辰に在り、丑年は巳に在り、寅年は午に在り、卯年は未に在り、辰年は申に在り、巳年は酉に在り、午年は戌に在り、未年は亥に在り、申年は子に在り、酉年は丑に在り、戌年は寅に在り、亥年は卯に在り。このように逐年排定すれば条理あるも、頼りになるや否やはなお参詳を要す。ただ実例より見るに、およそ官が宰輔に至り大拜の礼を行った諸公は、「三台」が命宮を貫くか、「三台」が立たる所の度を貫くか、さもなくば行限が三台の度に走到して高遷を得るかのいずれかである。ゆえにこの星も姑く保存し、後日の取用を留め置く。
金轝
轝者車也,金者貴重之義。譬諸君子居官得祿,須坐車以載之,故常居祿前二辰,如甲年祿在寅,辰為金轝之類。此煞乃祿命之旌旗、三才之節鉞。如生旺得地,婦人不富即貴,男子多得賢妻妾,子孫茂盛,或主作贅,且皇族每與此煞關通。
「轝」は即ち車、「金」は貴重の意で、合わせれば禄を載せる貴車である。譬えば君子が官を為して俸禄を得れば、須く車馬が彼を載せて行かしめねばならぬ。ゆえにこの星は常に禄位より前へ数えて二辰の地に安ず。甲年の禄は寅に在り、寅より前進二位して辰に至る。辰は即ち甲年の「金轝」で、その余の各年はこれに照らして類推する。この煞は禄命の旌旗であり、また天地人三才の節鉞でもあり、主る所は儀従威儀である。もしそれが生旺してまた地を得れば、女命は富まずとも貴し、男命は多く賢徳の妻妾を娶ることができ、子孫も繁茂する。時にまた女家に入り婿することを主る。しかも歴来皇族の命盤は、毎々この煞と相関通ずる。
爵星
子申年土,未亥年火,丑午年水,寅巳年木,酉戌年金,卯年氣,辰年孛。按之頗有驗,亦姑存之。
「爵星」は出生年支に按じて一曜を取り定める。子年・申年は土星を取り、未年・亥年は火星を取り、丑年・午年は水星を取り、寅年・巳年は木星を取り、酉年・戌年は金星を取り、卯年は「紫気」を取り、辰年は「月孛」を取る。実際の命例に照らして核对するに、この星は頗る応験あり。ゆえにまた「三台」と同じく姑く保存し、参用を留め置く。
将星
子辰申年在子,丑巳酉年在酉,寅午戌年在午,卯未亥年在卯。水金火木之年,各就帝旺之地。經云:「將星文武兩相宜,祿重權高自可知,不作宰臣清要職,便居帥府擁旌旗。」
「将星」は三合局に按じて取る。子・辰・申の三年は子に在り、丑・巳・酉の三年は酉に在り、寅・午・戌の三年は午に在り、卯・未・亥の三年は卯に在る。この四處は正しく水局・金局・火局・木局それぞれの帝旺の地。ゆえに将星は本局の旺地に安ず。経書に詩があっていう。「将星文武両相宜、禄重権高自可知。不作宰臣清要職、便居帥府擁旌旗。」意味は、将星を得た人は文武の二途いずれも合宜し、禄厚く権大なるは言うを俟たず、朝中の清要なる宰輔の臣と為らずとも、必ず軍府の中に居りて旌旗を執掌する、ということである。
刃星
刃取宰割之義。祿過則刃生,故刃居祿前一位。亦劫財為刃,以旺處即劫財。卯午酉子為甲丙戊庚壬之祿前一位,並皆劫財旺地,故謂之刃。
「刃」は宰割の義を取り、殺伐を主る一星である。禄気が一たび頭を過ぎれば刃を生ず。ゆえに刃は禄位より前へ数えて一位の地に安ず。別の言い方をすれば、「劫財」も即ち刃である。五行の旺極の処は正しく劫財の在所だからである。甲の禄は寅に在り、丙・戊の禄は巳に在り、庚の禄は申に在り、壬の禄は亥に在り、各々前へ一位して、便ち卯・午・酉・子の四處を得る。この四處はまた各々の劫財の旺地である。ゆえにこれを「刃」と呼ぶ。
乙祿卯,寅為祿之前位;丁己祿午,巳為祿之前位;辛祿酉,申為祿之前位;癸祿子,亥為祿之前位;亦即劫財旺地,其為刃何疑?乃乙丁己辛癸反刃於戌丑辰未,傳襲之謬,亟宜改正。得用則掌重權,失用則構奇禍。
五つの陰干もこの法に照らして算する。ただ陰干は逆行する。乙の禄は卯に在り、寅は即ちその禄位の前一位。丁・己の禄は午に在り、巳は即ちその禄位の前一位。辛の禄は酉に在り、申は即ちその禄位の前一位。癸の禄は子に在り、亥は即ちその禄位の前一位。この数處も同じく各々の劫財の旺地である。これを刃と言うに何の疑いがあろうか。しかるに旧法は偏に乙・丁・己・辛・癸の五つの陰干の刃を戌・丑・辰・未の四つの墓庫の上に安ず。これは歴代の輾転抄袭から伝わった謬誤で、急いで改正すべきである。刃という星は、用いるに値すれば重権を執掌し、用いるに値せざれば奇禍を惹き起す。
神煞
神煞甚夥,大抵皆穿鑿支離,絕無理解,故多不錄。即卦氣、斗柄、貴人、文昌、馬元、祿元、壽元、的殺、陰殺、大殺、天雄、地雌、大耗、小耗等項,似皆可解,然按之於命十不一驗,故並削之。
神煞の名目は極めて多いが、大抵はみな穿鑿附会・支離砕裂にして、まったく道理を講じ得ない。ゆえに本書は大半を収録しない。たとえ「卦気」「斗柄」「貴人」「文昌」「馬元」「禄元」「寿元」「的殺」「陰殺」「大殺」「天雄」「地雌」「大耗」「小耗」の類のように、見たところまだ所以然を言い得そうでも、実際の命盤に持って行って核对すれば、十個のうちに応験を得ること稀れである。ゆえにまた併せて刪去して用いない。
至於催官、科甲二名尤為誕妄,既曰催官,何以甲年人官在氣,而催官乃在金?直傷官矣,漫云催乎?果老云:「與元祿相催克。」夫與元祿相催,謂之催官可也,與元祿相剋亦謂之催官,何歟?用之則顧此失彼,殊為紊亂。科甲既不問其於年干何如,又不問其於官魁科文何如,而直以對宮主星當之,更屬矯誣,均不可從。
「催官」「科甲」という二つの名目に至っては、殊に荒誕不経である。既に催官と呼ぶ以上、なぜ甲年人の「天官」は「紫気」であるのに、いわゆる催官は金の上に落ちるのか。金は甲年人にとって正しく「傷官」で、あれは傷官傷尽であり、なんの催を談ずるに足るか。果老の説は「元禄と相催克する」——元禄と相催するを以て催官と称するは、なお講じ通ず。元禄と相克するもまた催官と呼ぶは、これはどんな道理か。用いれば顧此失彼して、実に紊乱である。さらに「科甲」を言うに、それが出生年干に対して如何なる関係かを問わず、また「天官」「魁星」「科名」「文星」に対して如何なる関係かを問わず、径に命宮の対宮の主星を取って充当する。更に虚妄不実に属す。この二つの名目はいずれも依従すべからず。
万年書暦の由来
萬年書歷之由來久矣,自漢至明修輯者七十餘家,創制者十有三家,其中如《太初》、《大衍》,皆稱精當,至元郭守敬《授時曆》出,而前人莫有及焉。迨西法行,而後更由疏入密,由同得異,識者遂以為觀止也。
万年暦書の由来はすでに久しい。漢代より明代に至るまで、修訂整理に参与した者は七十餘家あり、別に新法を立てて自ら一家を成した者は十三家ある。そのうち漢代の『太初暦』、唐代の一行が造った『大衍暦』は、いずれも精密妥当と称し得る。元代に至り郭守敬の『授時暦』が一出すると、前人は再びそれに及ぶ者がなかった。西洋暦法の通行するに及んで、推歩の術はさらに粗疏より精密に入り、旧法と相同じる処よりまた相異なる処を生じ、識者はここに暦法の精はすでに観止めた、復た加えることなしと認めた。
天を觀る器
試撮其大概言之,凡造歷必造觀天之器,自古觀天者三家:周髀、宣夜、渾天。周髀、宣夜多所違失,惟渾天為得其情,郭守敬循之,更為簡儀、仰儀、懸坐、正坐諸器,乃用二線推測餘分,測景之所凡二十有七,東極高麗、西至滇池、南逾珠崖、北盡鐵勒,中法以天儀而盡地矣。
いま試しに大概について言う。およそ暦を造るには、必ず先に天を觀る器具を造らねばならない。古来天を論ずる者は合わせて三家ある。周髀家・宣夜家・渾天家である。周髀・宣夜の両家の説は多く違失あり、ただ渾天家のみ最も天体の実情を得たり。郭守敬は渾天の一路に沿って推衍し、また簡儀・仰儀・懸坐儀・正坐儀などの器を造り、二条の準線を以て度数の零余を推測した。彼の設けた測影の所は全部で二十七處あり、東は高麗に遠く達し、西は滇池に至り、南は珠崖を越え、北は鉄勒に尽きた。これは中法が一架の天儀を以て、大地全体を量り尽くしたのである。
西法則增置測儀六式,曰象限懸儀、平面懸儀、象限立運儀、象限坐正儀、象限大儀、三直遊儀,又有子午儀、黃赤全儀、弩儀、天環、天球等器,而最巧者無如遠鏡,用之能詳日蝕分秒,能見太白上下弦,能見鎮星為撱形,能見歲星旁四小星,能見鬼宿中之積尸氣,能見天漢中之無算微星;西法更以地儀而盡天,器之疏密不同矣。
西法はまた別に六式の測儀を増設し、象限懸儀・平面懸儀・象限立運儀・象限坐正儀・象限大儀・三直游儀と呼ぶ。このほか子午儀・黄赤全儀・弩儀・天環・天球などの器がある。そのうち最も精巧なるは遠鏡、すなわち望遠鏡に過ぎない。これを以て日蝕の分秒を詳しく知ることができ、金星にもまた上弦下弦の形あるを見ることができ、土星が楕円の状を呈するを見ることができ、木星の傍に別に四顆の小星あるを見ることができ、鬼宿の中の積尸気を見ることができ、銀河の中の数え切れぬ微細な星点を見ることができる。これは西法が一架の地上の儀器を以て、天空全体を看尽くしたのである。中西両家の器具の粗疏と精密は、ここに高下を分けた。
度分と時刻
中法以天為三百六十五度二十五分,度析百分,分析百秒;西法則以三百六十平剖之,度析六十分,分析六十秒。中法以一日為百刻,時各八刻,子午卯酉為九刻;西法則以齊之以九十六刻,減天之度,正日之刻,此又於疏之中寓密也。
中法は周天を三百六十五度二十五分と定め、一度を百分に分け、一分を百秒に分ける。西法は周天を平均して三百六十度に剖し、一度を六十分に分け、一分を六十秒に分ける。中法は一昼夜を百刻と定め、十二時辰は毎時八刻で、ただ子・午・卯・酉の四正時のみ各々九刻を占める。西法は一律に斉整して九十六刻とする。西法は周天の度数を減らしたが、一日の刻数を匀停に据えた。これはまた粗疏に見える中に精密を暗藏したものである。
