Libo

旨(し)

清 · 舒继英 · 第4巻 / 5

作盤ガイド: 八字作盤

余論(よろん)

是書成而星命之理昭然可□矣,然亦有書不盡言,言不盡意之憾,所望好學深思者闢彼邪說,循此正規,引而伸之,觸類而長之。蓋入微之旨,可以意會不可以言傳。若必欲一一遍及焉,雖累牘盈編,豈有竟乎?

この書が写成(しゃせい)されてのち、星命の道理は昭然として見るべきものとなった。ただし写し下した文字は終わりにいうべき言を尽くすこと能くさず、いい出した言も終わりに心中の意を尽くすこと能くさない。これはつねに一層の遺憾である。朢(のぞ)むところは、好学深思の人があの邪説を排斥し、ここの正規を遵循して、それを引申して開き、類に触れて旁通し、愈(いよいよ)推していよいよ広くせんことである。精微にして裏に入る意旨は、ただ心領神会すべく、言語をもって一々伝授することができない。もし必ず条条講じ遍(あまね)くさんとすれば、連篇累牘(れんぺんるいとく)に写し滿たしても、又何処か尽頭(じんとう)あらん。(「昭然可□矣」の句のうち底本は一字を缺く。おそらく「見」「睹」の類か。今は缺文の号を存し、敢えて臆補しない。)

觜参先後(ししんせんご)

黃赤俱差,甚至前後易次;觜宿距星,漢測距參二度,唐測一度,宋祟寧測半度,元郭守敬測五分,明測之不啻無分,且侵入參宿二十四分。故舊法先觜後參,今不得不先參後觜也。

黄道と赤道にはともに歳差があって、日久しければ、宿次の前後は至って互いに調換しさえする。觜宿の距星についていえば、漢代に測って参宿に距ること二度、唐代に測って一度、宋徽宗の崇寧年間に測って半度、元代の郭守敬が測って五分、明代に至って再び測れば、すでに零に帰するに止まらず、かえって参宿に侵入すること二十四分である。だから旧法が宿次を排(なら)ぶるには先觜後参なりしが、今は改めて先参後觜とせざるを得ない。(「祟寧」は「崇寧」の訛(あやま)り。今は原様のままに録す。)

羅計首尾(らけいしゅび)

羅喉計都生於日月交行,謂之天首天尾,中法以天首屬羅,天尾屬計;西法改而易之,遂以羅為尾,計為首,爰自利瑪竇等入中土,與明宰輔徐光啟等所裁定,後有作者皆莫之及,應不可輕議紛更。

「羅睺」「計都」の両星は、日月の交会する所行の二つの交点より生じ、「天首」「天尾」と呼ぶ。中法は天首を羅睺に属し、天尾を計都に属す。西法はこれを調換して、羅睺をもって尾とし、計都をもって首とする。これは利瑪竇(マテオ・リッチ)らが中国に来てのち、明代の宰輔徐光啓らとともに裁定したもので、後に書を著す者も誰も彼らを超えなかった。だから軽率にまた更改を議すべきではない。

恒星東行と歧度(きど)

恆星之行即古歲差之度,古謂恆星千古不移,而黃度之節氣每歲西退。西法則謂黃道終古不動,而恆星每歲東行。由今考之,恆星實有動移,其說不謬,故各宮皆有歧度,如角十歧辰卯,房初歧卯寅之類,數十年後歧者便當盡移,須逐年挨查,一以欽天監七政經緯躔度書為準,不可草率遷就。

恒星の行度は、すなわち古人の講ずる歳差である。古人は恒星が千古動かず、黄道上の節気が毎年西に退くと思った。西法は黄道が終古動かず、恒星が毎年東に行くとする。今日の実測をもって考究すれば、恒星は確かに移動あり、西法の説は錯(あやま)らない。それゆえ毎一宮の交界処にはいわゆる「歧度(きど)」があって、たとえば角宿第十度はまさに辰宮と卯宮の間に歧(わか)れ、房宿初度はまさに卯宮と寅宮の間に歧れ、いずれも両属の地である。さらに数十年を過れば、これらの歧度は全部移り去る。だから必ず逐年に査対して、一律に欽天監の頒行する七政経緯躔度の書をもって準とし、草率に将就(まごつ)くべからず。

太陽逐時進度

太陽每日皆從子正起,如初一注女二,初二注虛四,初一子時在女二,丑時即在女三,寅時即在女四,挨查至亥時當在虛三,則初二子時便在虛四矣,一日之行常不止十二度,再分派於各時可也。

太陽の毎日の度数は、皆子時の正中より起算する。たとえば暦書に初一に太陽は女宿第二度に在りと注明し、初二に虚宿第四度に在りと注明すれば、初一の子時は女宿二度に在り、丑時はすなわち女宿三度に到り、寅時はすなわち女宿四度に到る。このように一時辰ずつ挨査し下って、亥時には応に虚宿三度に在るべく、ここにおいて初二の子時はちょうど虚宿四度に落つ。太陽の一日に行る所は往々にして十二度の数に止まらない。ただ当日に実際行った度数を、さらに十二時辰に分派すればよい。

日と木の孰先孰後(じくせんじくご)

每度六十分,日與木如同在卯宮氐十,孰先孰後,必須辨明。日每日行六十分,木或六日行六十分。生人在午時,日已及三十五分,木自前二日至後三日才行盡氐十,則本日午時只及二十五分有奇,是日前而木後也。

一度は六十分に分かつ。仮に太陽と木星がともに卯宮氐宿第十度の上に同じく在るとき、究竟(くっきょう)どちらが前でどちらが後かは、必ず辨別して明白にせねばならない。太陽は毎日六十分を行り滿(み)つが、木星は六日を要してようやく六十分を行る。設(も)し人が午時に生まれれば、太陽はこの時すでに三十五分に走り至り、木星は前の二日にやっと氐宿十度に入り、後の三日に至ってようやくこの度を走り盡(つ)くすので、本日の午時にそれはただ二十五分少し余に走り至るのみ。見るべし、この時は太陽が前にして木星が後である。

命度流転の辨

有另立異說者,如一命三月初一卯時生,命在戌躔奎,其奎環轉流行於卯,是奎在戌乃其空名,奎在卯正其實跡,安用此宮度為?不知奎既流卯,而亥子丑等十一宮,未嘗不從流卯之戌上循次排列也,其理仍不外此,又何必立異而鳴高乎?

別に人あって異説を立てる。たとえばある命は三月初一卯時に生まれ、命宮は戌宮に在って奎宿に躔する。彼らはいう、奎宿は転(めぐ)り転じて、実際はすでに流行して卯宮に至った。それなら「奎在戌」はただ空名であり、「奎在卯」こそその実蹟である。しかるにこの宮度をなお何に用いるか、と。知らざるなり、奎宿はすでに流れて卯宮に至る以上、亥・子・丑等その余の十一宮もまた、未(ま)だこの戌宮から流れて卯位に至るものに順次排列して下らざるにあらず。整副の盤はなお整副の盤であり、道理は旧来としてこの範囲を出ない。又何ぞ必ずしも故(わざ)と異を立てて自ら高明を鳴らさん。

官財煞同経の辨

釣之間正須詳看。如甲生人,天官辛氣在卯亢,正財己月在酉婁五,天官雖躔傷,卻與正財同經,傷方生財,生官;七煞庚水在酉婁三,雖旁正財卻躔傷而稍受制,限行至婁十二、十一、十、九、八、七、六、五等度,正財對生官,官場極順,及行過婁五,遂在正財之後,與七煞密邇,而正財且生煞,宜乎順中稍逆。

星と星との間の釣照の分寸は、まさに詳しく審看を要する。たとえば甲年生まれの人。天官は辛の化した「紫氣」で、卯宮亢宿に在り、正財は己の化した太陰で、酉宮婁宿第五度に在る。天官は傷官の度に躔すれども、正財と同じく一経に属す。傷官は先ず財を生じに往き、財はさらに回頭して官を生ずる。気脈は通ずる。七煞は庚の化した水星で、酉宮婁宿第三度に在り、正財に緊く挨(ちかづ)くれども、また傷官の度に躔してやや制約を受ける。ここにおいて行限が婁宿の十二・十一・十・九・八・七・六・五の几度に走り到るとき、正財はちょうど対面より官を生じ、官場は極めて順遂(じゅんすい)である。婁宿第五度を行り過ぐるを待つに至り、人は便ち正財の後に落ち、七煞と貼(は)り極めて近く、しかも正財はこの時かえって七煞を生じに往く。だから順境のうちにやや逆折(ぎゃくせつ)あるのである。(「釣之間」の句首と「傷方生財、生官」の句のうち、底本は各々一字を脱す。今は照録して補わない。)

一星数用(いっせいすうよう)

一星常有數用。即以日論,日君象亦父象,立命於午即命主,立命於子即妻主,立命於戌即男女主,立命於申即兄弟主。或化文、或化魁化刃,每有行一度而吉凶參半者,亦宜此不宜彼,宜彼不宜此之故,且吉中或微帶危機,凶中或偶挾貴氣,即一用之中亦有不同,所當細為查參。

同一の星はつねに身をもって数種の用途を兼ねる。試みに太陽を取っていえば、それはすなわち君主の象であり、また父の象である。命宮が午に立てば、太陽はすなわち命主。命宮が子に立てば、太陽はすなわち妻主。命宮が戌に立てば、太陽はすなわち子女の主。命宮が申に立てば、太陽はすなわち兄弟の主。それは時にまた「文星」に化し、時に「魁星」に化し、時に羊刃に化す。だからつねに同一の度に行って吉凶が各半する情況がある。縁(ゆか)りはこの星がここに在れば相宜しく、かしこに在れば宜しからず、かしこに在れば相宜しく、ここに在れば宜しからざるに在る。しかも吉のうちに或いは微(わず)かに危機を帯び、凶のうちに或いは偶(たま)に貴気を挾(はさ)む。たとい同一種の用途でも、前後は同じからざることあり。いずれも細(こま)かに査考して参詳すべきである。

分金度,先天五行,皆節外生枝,在所宜闢。

「分金度」「先天五行」という類の名目に至っては、いずれも節外生枝(せつがいせいし)のもので、応に一概に排斥して用うべからず。

諸家の謬説を辟(ふさ)ぐ

天盤地盤、竹籮三限等,固屬謬說,即華羅五星,出自周述學,亦牽合無理,均宜廓清。

「天盤地盤」「竹籮三限(ちくらさんげん)」の類は、固より謬説である。連(つい)て明人周述学の手より出た「華羅五星(からごせい)」も、牽強附会(けんきょうふかい)にして毫(ごう)も道理なく、いずれも併せて廓清(かくせい)すべし。

西法推算自謂獨開生面,但其所言,如某星在某方喜殺人生人,某星在某方好戲好色,何粗鄙乃爾!嘗取《天步真原》一書試之,從不一驗,亦宜屏棄。

西洋の星占推算は自ら別に生面を開くと称すれども、しかしその講ずるところは、たとえば某星が某方に在れば殺人を好みあるいは人を救い、某星が某方に在れば戯を看るを愛し女色を好むという類——何ぞ粗鄙(そひ)なるや。かつて《天歩真原》の一書を取りて試験したるに、従来一条も応験せざりき。これらもまた摒棄(へいき)して用うべからず。

《果老星宗》《琴堂指金》《神道大編》《望斗仙經》《星學綱目》《星學源流》《歷府大成》《星學大成》等書所載正五行甚詳,但僅合此理十之一。

《果老星宗》《琴堂指金》《神道大編》《望斗仙經》《星学綱目》《星学源流》《曆府大成》《星学大成》のこの一批の書は、載する所の正五行は頗る詳しく講ずれど、真に本書のこの一套の道理に合するは、十分之一に過ぎない。

《耶律神數》《元星樞要》《原星出入》《天官經》等書皆命理正宗,集中已將精華採取,不復全錄。

《耶律神数》《元星枢要》《原星出入》《天官經》のこの数部の書は、いずれも命理の正宗である。書中の精華は本書すでに采録して入れた。就(な)お全文を照抄するを為さない。

分野・子平と格局

歲在鶉火而武王克商,歲在實沉而晉文得位,淫於伭枵而裨□知楚子之將死,星見大火而梓慎知宋之將災;他若五星聚東井而漢王入關,慧掃之而符秦滅,四星聚牛女而晉元王吳,景星見箕尾而慕容垂復燕。

古(いにしえ)より星象と人事と相応ずる例は多い。歳星が鶉火の次に在れば、周武王は便ち商紂を攻克し、歳星が実沈の次に在れば、晋文公は便ち君位を得、歳星が次を失いて玄枵に淫行すれば、鄭国の裨竈(ひそう)は便ち楚子の将に死せんを預知し、大火の星が出現すれば、魯国の梓慎(ししん)は便ち宋国の将に災禍あらんを預知した。このほか五星が東井に聚れば、漢高祖は便ち関中に入り、彗星が掃い過ぎれば、前秦の苻氏は便ち覆滅を告げ、四星が牛女に聚れば、晋元帝は便ち呉地に王を称し、景星が箕尾に現われれば、慕容垂は便ち燕国を復興した。(「裨□」の下は底本一字を缺く。おそらく「竈」、すなわち鄭の大夫裨竈。「符秦」の「符」は「苻」の訛(あやま)り。今はいずれも照録す。)

分野之說原非無稽,但事關軍國之大如可取證,若止一人一身,在心尾則以為宜遷宋燕,在虛危則以為宜遷齊衛,又何以為終身不去其鄉,及數十年仕在一方者解也?

分野の説は原本として毫(ごう)も根拠なきにあらざれど、あれは軍国の大事に関係するときにのみ取りて印証すべきである。もしただ一人一身に就いて講じ、命が心宿・尾宿に在れば応に宋・燕の地に遷(うつ)るべし、命が虚宿・危宿に在れば応に斉・衛の地に遷るべしといわば、あの終身故郷を離れざる者と、数十年一処に官を為す者とは、またどう解釈すべきか。

子平原有至理,但前六十年某月某日某時出一大貴人,後六十年仍有此八字,其人卻與前迥異,及查閱五星,果宜高下懸絕,則子平似稍遜五星一籌。子平為體,五星為用,體同而用異,此前後六十年,八字相同而五星各異也。然體用一理,終不可詳用而略體。

子平の学は原本として極めて精到の道理あるが、つねにこのような情況がある。前の一甲子の某月某日某時に一人の大貴人が出て、後の一甲子に同じ月日時でなおこの八字だが、あの人の境遇は前人と迥然(けいぜん)として異なる。五星の命盤を査対するを待つに至り、果たして高下懸殊(けんしゅ)なるべし。このように見れば、子平は五星に比してやや一籌(いっちゅう)を輸すのようである。子平は体であり、五星は用である。体は同じくして用は異なり、これまさに前後の両甲子に八字相同じくして五星各々異なる所以(ゆえん)である。ただし体と用はもともと一つの道理で、終わりに用に詳しくして体を略するばかり能くさない。

格局皆形也,宜參形中之氣。如四餘在西北,五星同日在東南,太陰入西北,即四餘欄月,五曜環陽;太陰入東南,即四餘包七政,文東武西每每至兩三月皆如此,其賤作奴隸者亦多矣!乃一見便以為大格局,即許以宜尊顯,何愚昧至此?

格局はただ形のみで、なお形の裏頭(りとう)の気を参看しなければならない。たとえば四余が西北に分布し、五星は太陽を連ねて皆東南に在る。このとき太陰がもし西北に入れば、「四余攔月」に「五曜環陽」を加えたのを成し、太陰がもし東南に入れば、「四余包七政」を成し、文星は東に在り武星は西に在る。この種の星象は往々にして連ねて二三箇月皆このようで、その間に生まれ来る人は多少(たしょう)を知らず、その中に奴僕下賤に淪(おち)る者もまた甚(はなは)だ多い。ある人は一見して便ち大格局と作し、すぐ彼に尊貴顕達を許す——何ぞ愚昧(ぐまい)かくのごとくなるや。(「欄月」の「欄」は「攔」の訛(あやま)り。今は原様のままに録す。)

七曜相照の光

何為七曜?相照之光,多少不同,日前後光十五度,月一十二度,土木火各九度,金水各七度。假令火追逐土相離七度,則二星沾光,呼為相會。

何を七曜相照と呼ぶか。各曜の発光の及ぶ範囲の大小は同じからず。太陽は前後各々十五度に及び、太陰は各々十二度、土星・木星・火星は各々九度、金星・水星は各々七度に及ぶ。仮に火星が土星を追い趕(お)って、両者が相距ること七度であれば、火星の九度の光はすでに土星に及び、両星は便ち彼此の光に沾(うるお)う。これを「相会」と呼ぶ。

若星光度數均者相會,則各星度數減半同沾光。若星光度數多少不同者,初會時度數多者先沾光,少者光未沾及;少者度數相及,則二星同沾光,為正會。

もし相会する両星の光度が相等しければ、それは各々みずからの度数の半分に拠って起算し、両辺が同時に光に沾う。もし両星の光度の大小が等しからざれば、剛(まさ)に相会し始めるとき、光度の大なる方は先に相手の光に沾み、光度の小なる方はまだ及ばない。光度の小なる方もまた及ぶを待つに至り、両星が同時に光に沾いで、これをやっと「正会(せいかい)」と呼ぶ。

凡二星同度為相會,但遇一分為相離,雖相離力尚在,為二星後光未盡也。若二星相會後相離一分或二分,卻再有一星在後追及,星雖未到,光已相沾,即與後星又為初會。

およそ両星が同一度に同じく在れば、すなわち相会と算える。一たび一分の差あれば、すなわち「相離(そうり)」と算える。相離というも、会合の力はなお在る。両星の身の後ろの余光がまだ散じ尽くさないからである。もし両星が相会したのちにすでに一分または二分を離れたのに、別に一星が後ろより追い上げて来れば、その星はまだ走り至らざれど、光はすでに先に沾かっている。これはすなわち後来のその星とまた一度「初会(しょかい)」を構成する。

此論經度則然,若在緯度、或黃道南、或黃道北,更重。如二星緯度同,經度亦同,則下星能掩卻上星,故相會為尤緊。

以上は経度に就いていえばである。もしさらに緯度を論ずれば、あるいは黄道の南に在り、あるいは黄道の北に在り、分量はいよいよ重い。仮に両星の緯度が相同じく、経度も相同じければ、位置の低い星は位置の高い星を遮掩(しゃえん)し得る。だからこの一種の相会は格別に緊要である。

且此二星相會後,一星前去追及一星,即將先會星光移向後相會之星,假令二星東出度數與對黃道的赤道度數相同,如亥宮二十五度與戌宮五度同,或二星在兩處,日長短同,如一星在申宮二十五度,一星在未宮五度,亦呼為相遇。

さらに一層ある。この両星が相会したのち、そのうちの一星がさらに前へ往って別の一つの星を追い上げれば、先前に会したその星の光を、後来相会の星に転移する。また仮に両星の東方より昇る度数が、それらが黄道に対する赤道度数と相同じく、たとえば亥宮二十五度と戌宮五度とがちょうど相当するか、または両星は地を分かち処(お)るといえども、昼夜の長短が相同じく、たとえば一星が申宮二十五度に在り、一星が未宮五度に在るか——この二種の情況もまたみな「相遇(そうぐう)」と呼ぶ。

又如火星在戌宮,木星在巳宮,金星在申宮,金離火追及木,卻將火之光移向木星,似火與木亦為相遇,謂金先與火六合照後與木相弦照也。又火星在戌宮,木星在巳宮,土星在申宮,土與火六合照,與木相弦照,土將木火二星光聚於一處,亦為相遇。若一星在本宮,又在分定數上與一星或三合、或六合、或對、二絃相照,主星即受相照之星之榮落。

さらに例を挙げていえば、火星は戌宮に在り、木星は巳宮に在り、金星は申宮に在る。金星が火星を離れて木星を追いに往けば、火星の光を帯びて往きて木星に移す。見るに火と木とがまた「相遇」を成したがごとし。これは金星が先ず火星と六合の照を成し、随いで木星と弦照を成すが故である。またたとえば火星は戌宮に在り、木星は巳宮に在り、土星は申宮に在る。土星は火星と六合の照を成し、木星と弦照を成し、土星は便ち木・火の両星の光を聚めて一処とす。これもまた「相遇」と算える。要するに、ただ一星がその本宮に在り、また規定の度数の上でもう一つの星と三合・六合・対照あるいは二弦の照を結べば、命主星はすなわち来照するその星の帯び来る栄枯升沈を承受しなければならない。

政余類聚(せいよるいじゅ)

何謂政餘類聚?乃水與孛、木與氣、火與羅、土與計,一類分聚也。若金星居中,貴氣所屬,以之作命主,金無餘氣,理應位冠群僚。如水土木火作命主,非貴氣所屬,又不近陽,亦尋常人耳。貴氣所屬,又能近陽,終嫌其為餘星分竊,僅列卿貳而已。

何を「政余類聚(せいよるいじゅ)」と呼ぶか。すなわち水星と「月孛」、木星と「紫氣」、火星と「羅睺」、土星と「計都」が、各々同類をもって分かれて一処に聚まる。もし金星が当間に居り、貴気がまた金に帰属し、これを取りて命主と作れば、金には配属の余曜なく、人としてその気を分窃する者なく、理に照らせば応に位は群僚に冠たるべし。反対に、もし水・土・木・火を取りて命主と作れば、すなわち貴気の帰する所にあらず、また太陽に親近する能くさず、それもただ尋常の人に過ぎない。たとい貴気がそれに帰属し、また太陽に親近する能くとも、終わりにその気が同類の余星に一份を分け去られるを嫌(きら)い、至るところ卿貳(けいじ)の副職を為すに過ぎない。

五列(ごれつ)

五列形也,而氣存焉。三四五星同坐一宮,疏密勻停,謂之坐列。三四宮上,疏密勻停,謂之排列,宜命主居中及高地,猶四五人同坐,居中者尊也。

いわゆる「五列(ごれつ)」は、講ずるは形なれども、気もまたその中に寓(ぐう)する。三・四・五の星が同じく一宮に坐し、彼此疎密均匀なるを「坐列(ざれつ)」と呼ぶ。三四箇の宮に分布し、疎密均匀なるを「排列(はいれつ)」と呼ぶ。この二種は、いずれも命主が当中に居り、高処に居るを以て好とす。譬えるに四五人が同じく一席に坐して、正中に坐る者が最も尊きがごとし。

疏密不勻,謂之行列,行列宜命主居前,猶四五同行,居前者尊,居後者卑也,居最後而有計羅攔轉則非後也,乃前也,又上尊也,儼然旌旗導引,士卒擁衛之象。

もし疎密均からざれば、すなわち「行列(ぎょうれつ)」と呼ぶ。行列は命主が前に居るを以て好とす。譬えるに四五人が同行して、前頭に走る者が尊く、後頭に落ちる者が卑しきがごとし。ただしもし命主が最末に居るに、「計都」「羅睺」があって後ろに攔(ふせ)ぎて整隊を転回せしむれば、それは後と算えず、かえって前と算え、しかもいよいよ尊き位置である——その気象は儼然(げんぜん)として旌旗(せいき)が前に導引し、士卒が後ろに擁衛するがごとし。

命主獨居一宮,兩傍有官魁夾,官魁有日月夾,日月又有四餘包裹,謂之主列,自是左右並輔,文武環護之象,或待漏於端門,或拜拱天門皆妙。太陽同三政一餘在一連四宮,太陰同三餘一政在一連四宮,獨空中四宮,惟命主居之,謂之中列,自是超群出眾,獨立寡儔之象。

命主が独り一宮に占め、両旁に「天官」「魁星」が来て夾み、官・魁の外にまた日月が来て夾み、日月の外にさらに四余が包裹する。これを「主列(しゅれつ)」と呼ぶ。自ずから左右並び輔き、文武環護する気象である。あるいは百官が端門の前に漏(ろう)を待つが如く、あるいは群臣が天門の下に拜拱(はいきょう)するが如く、いずれも妙格である。またたとえば太陽が三政一余を連ねて相連なる四宮を占住し、太陰が三余一政を連ねて相連なる四宮を占住し、中間の四宮は独り空空しく、ただ命主のみその中に居る。これを「中列(ちゅうれつ)」と呼ぶ。自ずから群を超え衆を出で、卓立(たくりつ)して儔(ともがら)なき気象である。

命主朝君(めいしゅちょうくん)

命主朝君,命餘覲後,此為陰陽和會,大都貴顯。

命主の星が太陽を朝拱するは、臣子の君王に朝見するがごとし。命主の配する余曜が太陰に覲見するは、臣下が后妃に謁見(えっけん)するがごとし。これは陰陽の両面が各々その会合を得るので、この格局ある人は大抵貴顕である。

命を拱する諸格

或十一曜拱命垣、或計羅攔截、或空四正、或空三方、或空對兩宮、或空子午丑未、或空卯酉辰戌、或居三隔三、或守一空一,皆貴氣所屬,亦宜留意。

このほかにまた種種の格局がある。あるいは十一曜が一斉に命宮を拱し、あるいは「計都」「羅睺」が攔截の勢いを結び、あるいは四正の位が全く空しく、あるいは三方の位が全く空しく、あるいは相対の両宮が皆空しく、あるいは子午丑未の四宮が皆空しく、あるいは卯酉辰戌の四宮が皆空しく、あるいは三宮を占めてまた三宮を隔て、あるいは一宮を守りてまた一宮を空しくす——これらはいずれも貴気の帰する格局で、また皆留意すべきである。

帰垣升殿(きえんしょうでん)

或七政歸垣,或七政升殿,或五星齊與日有關照,或五星齊與月有關照,亦屬罕覯,均宜細審。

またたとえば七政が各々本垣に帰り、あるいは七政が各々本殿に升り、あるいは五星が一斉に太陽と照応あり、あるいは五星が一斉に太陰と照応あるの類。これらはみな見ることを得難き格局に属し、また皆詳しく審察すべきである。

有謂木氣之入子丑,金之入寅亥,水孛之入卯戌,火羅之入辰酉,土計之入巳申,木氣之入午,土計之入未,所主者之宮究竟受傷,此亦宜泛泛參觀,兼當揆時度勢,不可執泥。立命於子,木獨守命;立命於寅,金獨守命,現在皆作卿貳矣,必欲一一執泥焉,庸有當乎?

ある人がいう。木と「紫氣」は子丑に入り、金は寅亥に入り、水と「月孛」は卯戌に入り、火と「羅睺」は辰酉に入り、土と「計都」は巳申に入り、木と「紫氣」は午に入り、土と「計都」は未に入る。およそこれらの情況に遇えば、主どるその一宮は終わりに傷を受けると。これらの言もただ泛泛として参看すべきのみで、なお併せて時令の情勢を揣度(しどく)しなければならず、死執する能くさない。我は命宮が子に立って木星が独り命を守るを見たことあり、また命宮が寅に立って金星が独り命を守るを見たことある。今やいずれも卿貳の位に至れり。もし必ず条条に成例を死守せば、何処か準かることを得ん。

童限(どうげん)

童限或十歲出,或二十歲出。其在童限中,即將所立之度逐年挨查。如度是木,木原與日通,童限中即克父。度是土,土原與月通,童限中即克母。度是吉氣所鍾,童限中即發;度是凶氣所會,童限中即亡。

童限はあるいは十歳にして出づる者あり、あるいは二十歳に至ってやっと出づる者あり。人がなお童限の中に在るときは、すなわち立てたる度に就きて逐年挨(あい)査考する。たとえば立てたる度が木に属すれば、木はもともと太陽と気脈相通じ、木はまた日を蔽(おお)う能くすれば、童限のうちにすなわち父を克す。立てたる度が土に属すれば、土はもともと太陰と気脈相通じ、土はまた月を掩(おお)う能くすれば、童限のうちにすなわち母を克す。立てたる度がもし吉気の鐘聚(しょうじゅ)する所なれば、童限のうちにすなわち発達す。立てたる度がもし凶気の会集する所なれば、童限のうちにすなわち夭亡す。

女命(じょめい)

女命與男命略同,所異者命主之外,尤以夫星子星為重。從夫子星之生剋制化及經絡貫串攔拱夾上,細細推求其貧富貴賤,亦相應如響。

女命の看法は男命と大致相同じい。異なるところは、命主のほかに、殊に夫星と子星とを看重するにある。夫星・子星の生克制化と、およびそれらと命度との間の経・絡・貫・串・攔・拱・夾の種種の関係の上より、細(こま)かにその貧富・貴賤を推求すれば、同じく響(ひび)きのごとく応験する。

双生(そうせい)

雙生之別,命主太旺幼者勝,命主太弱長者勝;命主不旺不弱,長幼略同。又長主正,幼主餘,政餘恆不類,則長幼亦多異。

双生子の分別はこのようである。命主が太く旺えれば、後に生まれた弟が兄に勝り、命主が太く弱ければ、先に生まれた兄が弟に勝り、命主が旺えず弱くなければ、兄弟二人の際遇は大致相同じい。このほか先に生まれた者は七政をもって主とし、後に生まれた者は四余をもって主とする。七政と四余はもともと性情が同類でないから、兄弟二人の境遇もまた多半各々異なる。

中人の命

大吉大凶之命一望而知,易於推算;若中立之輩,只可斷其大概。必謂當為某等人,不作某等業,豈未知士農之子長為士農,工商之子長為工商乎?一日不過十二時,所產何止數萬人?雖五方風土不齊,要亦大率相類也。

大吉大凶の命は、一見して便ち見出(みいだ)し得て、推算するに易い。居中して上がらず下がらざるあの輩の人に至っては、ただ大概を断ずるのみ。もし必ず彼に応に或る一等の人を為すべく、或る一種の行業を為すべからずと指定せんとすれば、すなわち未(ま)だ忘るるに免(まぬか)れざるなり。読書人と農人の子は多半なお読書人と農人であり、工匠・商賈の子は多半なお工匠・商賈である。しかも一日は十二時辰に過ぎず、同時に降生する者は何(なん)ぞ数万人に止まらんや。五方の水土風気は斉(ひと)しからずというも、大体上はつねに相類する。

大富大貴之命往往不重生,而貧賤者恆層見疊出,何歟?蓋天地之精華獨蘊釀於此日之一時,譬之祥麟綵鳳原不多見,若泛泛化生於陰陽五行,不啻吠犬嗚雞,何地無之?

大富大貴の命は往々にして重ねて出現せず、貧賤の命は層出(そうしゅつ)して窮まりなし。これは何の故ぞや。天地の精華が単々として彼の一日の彼の一時辰のうちに醞釀(うんじょう)するがゆえに、祥麟・彩鳳(しょうりんさいほう)のもともと多く見えざるに譬(たと)ゆべし。泛泛として陰陽五行より化生するものに至っては、すなわち吠ゆる狗(いぬ)、暁を報ずる鶏のごとく、何れの処の地方か之を無からん。(「嗚鶏(うけい)」の「嗚」は「鳴」の訛(あやま)り。今は原様のままに録す。)

気尽きれば則ち死す

限度雖極危,其氣未盡,即不死;限度雖尚穩,其氣已盡,即必死。大貴之人常在極吉之度死者,何也?其氣盡也,且當受身後之榮也。若至凶度而死,必罹禍患矣,非其命所應有也。

行限の度はたとい極めて危険でも、ただその気がまだ尽きざれば、死せず。行限の度はたといなお平稳(へいおん)でも、ただその気がすでに尽きれば、必ず死す。大貴の人はつねに極吉の度の上に去世する。これは何の故ぞや。ただその気が尽きたればに因るのみ。しかも吉度の上に死すれば、身後はなお哀栄・褒贈(あいえいほうぞう)を受くべし。もし凶度の上に走り到ってやっと死するならば、それは必ず禍患に遭いし者で、その死法は決して彼のこの命の分内に応有するものにあらず。

気尽の遅速

命只合得一科第,弱冠得之,其氣已盡,即死。命必至一二品,雖六七十歲外,其氣未盡,必候到此地位才死。

一人の命がもしただ一度の科第に配すべくして、その人が二十歳の上下にして中れば、気もまたこれに就いて用い尽くし、随いで便ち死す。一人の命がもし注定して一品二品に為るべくなれば、たとい六七十歳の開(あま)りまで活くるとも、ただ気がまだ用い尽くさざれば、必ずこの地位に為りてこそ死するを待つべし。

有兩人之命,皆宜位至二品。一人於三二十歲時,猝於數年間超擢至二品,其氣已盡,即死。一人歷久不升,即升亦循序漸進,遷延至六七十歲得之,其氣不盡,總不死。

二人の命あって、いずれも二品に為るべし。そのうち一人は二三十歳の上に、忽然として数年の間に破格して二品に提拔され、気はこれに就いて用い尽くし、随いで便ち死す。別の一人は却って久しく升遷を得ず、たとい升るもまた按部就班(あんぶしゅうはん)に一級ずつ上に挪(ず)らして、一直に六七十歳まで拖(ひ)きてやっと二品に為る。その気は終始として用い尽くさず。だから総(ふさ)がりても死せざるなり。見るべし、同じく一つの品級にして、得ることの遅速同じからざれば、寿数は便ち截然として両樣なり。

有中年忽然折挫者,如氣正未盡,可決其復起;如其氣或已盡,即判以終身。

ある人は中年に到って忽然として挫折に遭いて跌倒(てっとう)する。このときは全く気を看る。もしその気がまさにまだ用い尽くさざれば、すなわち彼のなお東山再起(とうざんさいき)すべきを断定し得る。もしその気がすでに用い尽くされば、すなわち彼のこの一生はここに止まると判定し得る。

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