Libo

五、真武・勾陳・金轝・火土の四格

明 · 西窗老人 · 第4巻 / 5

作盤ガイド: 八字作盤

魚躍龍池,攀龍誠易。魚即亥,亥乃雙魚也。龍即辰,辰屬龍。亥生人得壬辰時,乃合此格。辰人得亥則非,亥遇辰亦非。然以龍嫌豬面黑,果時無刑戰,有官星貴人,此魚躍龍池格無疑也。

魚が龍池に躍入れば、攀龍附鳳は実に易し。「魚」とは亥を指し、亥の星象はまさに双魚である。「龍」とは辰を指し、辰の生肖は龍に属す。亥年生の人が壬辰時を得て、こそこの格に合する。辰年生の人が亥を得るは算せず、亥が他の辰に遇うも算しない。俗説に龍は猪の面の黒きを嫌うというは、ただ時柱の上に刑戦なく、また官星貴人の相扶あらば、それは確かに魚躍龍池の格で、疑慮するに及ばない。

三奇三合,為邦家柱石之臣。三合寅午戌,三奇見前,干帶三奇,支帶三合最好。三奇乃陰陽精氣,見在三才者也。況支逢三合,有忽然相契之義,其福氣渾涵,相資相得,豈不為貴哉。

三奇と三合が併見すれば、命主は邦国の柱石の臣である。三合はたとえば寅午戌のごときで、三奇はすでに前文に見えたり。天干が三奇を帯び地支が三合を帯ぶるは、最も上好である。三奇は陰陽の精気で、天・地・人の三才の間に顕現する。まして地支にまた三合に逢い、期せずして然りて彼此相契る意を含む。こうあれば福気は渾厚涵蓄して、互相資助し互相成全する。何ぞ貴ならざらん。

重蓋重金,作廟堂瑰偉之客。辰戌丑未為蓋。命帶二金,則重一金,此格極貴。或乙丑乙未庚辰生見庚戌,或庚戌生見乙丑乙未,互相見之,不畏刑沖。

華蓋重叠・金気重叠なれば、廟堂の上の瑰奇偉岸の人物と作りうる。辰・戌・丑・未はいずれも「蓋」と算す。命中に两位の金を帯びて、さらに一位の金を重ねれば、この一格は極貴である。たとえば乙丑・乙未・庚辰生の人が柱中に庚戌を見、あるいは庚戌生の人が柱中に乙丑・乙未を見れば、両相照応して、たとい刑冲ありとも怕れない。

五星朝北,虛斗宿而名動縉紳。五星,即五行金木水火土也。即非五星,北方正位,北辰躔斗牛分野之宮,視子尢重。命有戌有子有寅,虛拱一丑,乃五星朝北。更帶五行全,格局乃為貴。

五星が北方に朝拱して、斗宿の位を虚拱すれば、名声は縉紳の列を驚動す。「五星」とはすなわち五行の金・木・水・火・土である。この格の重んずる所は単に五星にあらずして、北方の正位にあり。北辰の行う斗牛分野の宮は、子位より看るよりも重し。命中に戌あり子あり寅ありて、中間に丑を虚拱すれば、すなわち五星朝北である。もしさらに五行斉備を帯びれば、格局こそ貴と算す。

萬派流東,拱雷門而聲振天地。千源萬派,無非水也。朝宗之勢,未始不一。蓋天高西北,地陷東南,水自西北以發源,自東南而順注。天上有星皆拱北,世間無水不朝東。命中若三四水俱朝東,日時虛拱卯位,乃合此格。

万道の支流が一斉に東に注ぎ、雷門を拱して声勢が天地を震動す。千源万派は、それをいえばみな水であり、それらが大海に奔赴する勢いは、従来一にして同じ。天は西北に傾きて高く、地は東南に陥りて低し。ゆえに水は西北より発源して、東南に向かって順流下る。天上の星宿はみな北極に拱向し、世間の江河は東に朝せざるなし。命中に三四位の水ありて一斉に東に向かい、日・時の間にまた卯位を虚拱せば、この格に合する。

故陰陽之理,欲探其端倪,而造化之機,當識其變通。五行或隱而顯,四柱或晦而明,或無生旺而壽康,或乏貴官而顯達,勢若難辨,理或易曉,格局可據。如對鏡以別妍醜,機緘悉露;若臨水以照鬚眉,斯理一融,至神自悟。

このゆえに陰陽の理は、それの端倪を探究すべく、造化の機枢は、それの変通を認識すべし。五行は時に隠より転じて顕となり、四柱は時に晦より転じて明となる。あるいは生旺なきに長寿康健なるあり、あるいは貴人官星を缺きて照様顕達するあり。形勢を看れば分辯し難きがごとく、道理を論ずれば実に明白なり易し。格局には憑拠の依るべきあり。鏡に対して美醜を分かつがごときは、機関内情ことごとく顕露し、また水に臨みて須眉を照見するがごとし。この一層の道理を一たび融會貫通すれば、最も精微の処は自ら豁然と領悟す。

中篇 もっぱら悪煞疾病、夭折貧愚の類を論ず

命中貴賤,格分細微。詳究淵源之旨,洞知造化之規。窮四柱之興衰,深明得失;括五行之進退,便曉盈虧。純粹全而高明,駁雜深而微賤。數切推於順逆,殺要詳而通變。

命の貴と賤とは、分別は格局の細微の処に在り。詳細に其中の淵源の旨趣を推究し、造化の規矩を透徹に了解すべし。四柱の興衰を窮究すれば、得失を深く明らめ、五行の進退を総括すれば、盈虧を通暁す。気象の純粹周全なるは高明なり、駁雑深重なるは卑微なり。数は切実に順逆を按じて推し、煞は詳盡に通変に就いて看よ。

人謂鬼人,而生必乖時;物謂鬼物,而殺反破吉。煞中逢鬼,謂乖時也。生時遇眾煞所聚,反克年干,是吉位逢凶,謂鬼物也。日時生吉時之宮,反惡煞沖刑剋害。珞琭子曰:人有鬼人,物有鬼物,此之謂也。

人の中にいわゆる「鬼人」ありて、生まれて必ず時運に乖違す。物の中にいわゆる「鬼物」ありて、煞気はかえって吉神を破壊す。煞の中にまた鬼に逢うを、乖時という。生時の処に衆煞聚集して、かえって年干を克傷すれば、これは吉位が凶に遇うのであり、これを鬼物という。日・時はもと吉時の宮に生まれて、かえって悪煞の冲刑克害を受く。《珞琭子三命消息賦》にいう、人に鬼人あり、物に鬼物あり、講ずるはまさにこの道理である。

八、悪煞刑傷、鬼臨破敗の象

甲辛帶煞而傷體,刺面懸針;刑刃逢凶而克身,分尸鋒劍。甲辛二字為懸針,更逢巳酉二字,乃配字。或更日克本主者,為刺面懸針之格。刑刃者,三刑上帶羊刃,在煞宮刑剋本生身命者,為分尸鋒劍之格,刑死不見尸。

甲・辛の両字が煞を帯びて形体を傷損するは、面を刺して軍に充る懸針の厄を主る。三刑羊刃がまた凶に逢いて身を克すは、身を鋒刃の下に分つを主る。甲・辛の二字は筆画が針の懸垂するがごときゆえに、「懸針」という。さらに巳・酉の二字に逢えば、まさにそれと相配の字である。もし日柱がまた来て本命の主を克せば、刺面懸針の格と成る。いわゆる「刑刃」とは、三刑の上にまた羊刃を帯び、煞宮に落ちて本生身命を刑克すれば、分尸鋒劍の格と成り、横死して尸首全からず。

或有降福以就禍,或有降尊以就卑。必先富後貧,先貧後富。祿馬貴人逢死絕,氣衰不能逢旺中之鬼,氣囚不能救生旺之財。降福就禍者,吉中有凶。降尊就卑者,先旺後衰,先明後晦,先通後塞。謂火焰光即晦,木葉落無蔭。

あるいは福位より跌落成して禍となり、あるいは尊位より降落して卑となる。このようの命は必ず先に富みて後に貧し、あるいは先に貧して後に富む。禄・馬・貴人が死絶に逢えば、気衰えて旺地裡の鬼煞に抵えず、気囚えて生旺の処の財を救いえず。いわゆる降福就禍とは、吉の中に凶を蔵するなり。いわゆる降尊就卑とは、先に旺えて後に衰え、先に明らかにして後に暗く、先に通じて後に塞がるなり。まさに火焰の最も亮しきに燒き至るや随って昏暗となり、樹葉の落ち尽くしたるのちは再び蔭を遮る能わざるがごとし。

白虎銜尸則殞身塗炭,元武披髮則明鏡塵埃。白虎者,甲乙下有庚辛者。庚辛金乃白虎煞也。元武者,壬癸水。命中見寅卯辰者,必主凶危。

白虎が口に尸首を銜ぶは、身を塗炭の中に喪うを主る。玄武が髪を披きて散ずは、明鏡の塵に蒙り光彩ことごとく失うを主る。いわゆる白虎とは、甲乙の下に庚辛ありて、庚辛の金がすなわち白虎煞である。いわゆる玄武とは、壬癸の水である。命中にもしさらに寅・卯・辰を見れば、必ず凶險危亡を主る。

信失禮虧,仁空義塞,風動燈滅,水湧土潰。土主信,火主禮,土火受沖,同歸空絕,故謂之信失禮虧。木仁金義,木困而受制,金困而受克,故謂之仁空義塞。甲辰乙巳,乃燈光之火。木多招風,或甲乙不可動。犯則風動燈滅,一土孤虛,四水浮泛,必有崩塌之禍,則水湧土潰。犯此格此局者,貧者流,富者夭,或在僧道之命,亦主荒迷性惡之類。

信義喪失して礼数虧缺し、仁徳落空して義気壅塞す。風一たび動けば灯は滅し、水一たび涌けば土は崩る。土は信を主り、火は礼を主る。土と火とが冲を受けて同じく空絶に帰すゆえに、信失礼虧という。木は仁を主り、金は義を主る。木は困せられて制を受け、金は困せられて克を受くゆえに、仁空義塞という。甲辰・乙巳の納音は覆灯火で、灯上の一点の光である。木多ければ風を招くべしゆえに、甲乙の木は再び動かすべからず。一動すれば風起きて灯滅す。一位の土孤单虚弱にして、四面水勢浮泛せば、必ず崩塌の禍あり。これがすなわち水涌土潰である。この種の格局を犯す人は、貧なれば流落の輩に淪落し、富むも夭折を免れず。たとい僧道の命に入るとも、多くは荒唐迷亂・性情乖惡の流である。

破刑之體,而陰鬼躡足;蕩產之家,而干鬼臨頭。胎克時,時剋日,日克月,月克年,下克上,謂之陰鬼躡足。干鬼壬癸全,或見胎干克時,時干剋日,日干克月,月干克年,故謂之干鬼臨頭,此為極凶之兆。後學宜細推之。

形体が破れ刑せられるは、陰鬼が脚下に緊く尾行するなり。家産が蕩尽して余りなきは、干鬼が当頭に壓し来たるなり。胎が時を克し、時が日を克し、日が月を克し、月が年を克して、一路下より上を克するを、陰鬼躡足という。天干上の鬼煞が壬癸斉備するか、あるいは胎干が時干を克し、時干が日干を克し、日干が月干を克し、月干が年干を克するを、干鬼臨頭という。これは極凶の兆で、後学の人は子細に推詳すべし。

天誅神殛,而殺犯雷公;火焚水淹,而鬼截根蒂。雷公煞者,正二三月在寅,四五六月在亥,七八九月在申,十十一十二月在巳,犯之者重重克身。五行煞重者,疑被殛死。鬼絕根蒂者,五行死絕逢鬼是也。

上天に誅戮され神明に殛殺されるは、煞が雷公を犯すなり。火に焚かれ水に淹れて亡ぶは、鬼煞が根蔕を截断するなり。雷公煞の起法は、正・二・三月は寅に、四・五・六月は亥に、七・八・九月は申に、十・十一・十二月は巳に在り。これを犯す人は重ね重ね克を受く。五行の中で煞気が重すぎるものは、多くは雷殛に死す。いわゆる鬼絶根蔕とは、五行がすでに死絶の地に至ってまた鬼煞に逢うことである。

仇讎金煞,富貴定不長年;火煨骷髏,疲廢必無鶴髮。仇讎金煞者,二酉二巳,乃蛇須殃咎,雞須分碎是也。一木四火,乃火煨骷髏,是乖中不乖,和中反乖,必然夭死者也。

仇を結ぶ金煞を帯ぶれば、たとい富貴あれども定めて久しく活きえず。火煨髑髏を犯せば、衰疲廃棄の身は必ず鶴髮の年を待たず。いわゆる仇讐金煞とは、柱中に二つの酉・二つの巳あるなり。蛇は必ず殃咎に遭い、鶏は必ず分碎せらる。一位の木に四位の火を配するは、すなわち火煨髑髏。乖違なるがごとく見えて偏に乖違せず、和順なるがごとく見えてかえって乖違す。この種の人は必ず短命にして死す。

木衰火炎兮,有心而無力;金寒水冷兮,有力而無心。木衰而不能當旺火之光,火上木下,富貴極夭。木上火下,貧而無福。金寒水冷者,謂四位庚辛見一壬生冬,或納音四金一水,冬月而無氣也。

木衰えて火炎なるは、その人に心有りて力なし。金寒くして水冷なるは、その人に力ありて心なし。木がすでに衰弱せば、旺火の光焰を承受しえず。火が上にあり木が下にあるは、たとい富貴でも極めて夭折しやすし。木が上にあり火が下にあるは、貧窮にして福なし。いわゆる金寒水冷とは、四位の庚辛の上に一位の壬を見て冬に生まれ、あるいは納音の四位の金に一位の水を配して、また冬月に生まれて全く生気なきものである。

白虎焚身兮,寧無徒刑;青龍退鱗兮,豈逃汨沒。白虎,庚辛金也。交於離,丙丁為白虎焚身,且如一庚三丙,一辛三丁,至重者。青龍,甲乙是也。怕見壬申癸酉,金損氣也。

白虎が火に焚かれて身を焼かるれば、豈に徒刑を免れんや。青龍が鱗甲を褪去せば、何ぞ沈淪埋没を逃れんや。白虎とは庚辛の金を指し、離位に行って丙丁と相交われば、すなわち白虎焚身である。たとえば一位の庚に三位の丙を配し、一位の辛に三位の丁を配するは、最も重し。青龍とは甲乙の木を指し、最も壬申・癸酉の剣鋒金を見るを怕る。金が木気を損傷せんとするがゆえに。

鰥寡孤獨而最殃,破刑傷滯而災深。孤神曰孤宿之神,曰鰥寡,曰孤獨,四位俱刑,鰥夫寡婦,獨女獨子是也。空亡克身也破,金神曰刑,羊刃曰傷,三刑曰滯。

鰥・寡・孤・独の四者は最も災殃を招き、破・刑・傷・滞の四者は禍患ことに深し。孤神とはすなわちいわゆる孤宿の神で、また鰥寡ともいい、また孤独ともいう。四柱の位がことごとく刑を受くるは、鰥夫寡婦・独女独子を主る。空亡が来て身を克するも破と作し、金神を刑と作し、羊刃を傷と作し、三刑を滞と作す。

五行怕奪紀綱,四干最嫌繁冗。紀綱者,謂下三壬一亥,三甲一未,三辛一丙之類。分奪,秀氣不專也。繁冗者,謂下一壬三亥,一甲三未,一辛三丙,是繁冗不勻,而無秀氣也。

五行は最も紀綱の分奪せらるるを怕れ、四干は最も頭緒の繁冗なるを嫌う。いわゆる紀綱とは、下に三つの壬が一つの亥に配し、三つの甲が一つの未に配し、三つの辛が一つの丙に配する類を指す。衆多が来て一つを分奪すれば、秀気は専一ならず。いわゆる繁冗とは、一つの壬に三つの亥を配し、一つの甲に三つの未を配し、一つの辛に三つの丙を配するを指す。これは繁雑にして勻称ならず、同じく秀気を生ぜず。

印破馬破,必是巧胥滑吏;刃橫刑截,豈非市井屠沽。印破馬破,指正印被沖破刑剋。前刃後刑,更怕相(克)。刃橫刑截者,如乙卯鼠[水],前有庚辰,後有庚子,乃市井屠沽之輩也。

印が冲破され馬が冲破されれば、必ず機巧滑頭の胥吏となる。羊刃が横行し刑煞が截断せば、豈に市井の屠戸酒保と成らざらんや。印破馬破とは、正印が冲破刑克せらるるを指す。前に羊刃あり後に刑煞あれば、さらに彼此相克するを怕る。いわゆる刃横刑截とは、たとえば乙卯の納音が水に属する命が、前に庚辰あり後に庚子あれば、それは市井屠沽の輩である。

耗鬼值殺,而財若浮雲;天中絕跡,而家無儋石。耗鬼值殺者,劫殺同大耗,或六害三刑,同耗克身也。貧當夭壽,貴反刑傷。天中者,甲戌乙亥墓絕之火。又見甲申乙酉水,日時逢空帶鬼煞,天中絕跡之謂也。

耗鬼がまた煞に値すれば、錢財は浮雲のごとく留め難し。天中に絶迹すれば、家に一石の存糧もなし。いわゆる耗鬼値煞とは、劫煞と大耗が同じ一位に居るか、あるいは六害・三刑が大耗とともに来て身を克することである。このようの命は、貧なれば短寿、貴なればかえって刑傷に遭う。いわゆる「天中」とは、甲戌・乙亥のこの墓絶の火が、また甲申・乙酉の水を見、日・時が空亡に逢いて鬼煞を帯ぶる。これを天中絶迹という。

九、貧夭疾厄と格破局傷の象

自縊兮懸絲帛影;自殘兮截命傷魂。若自縊,命中帶戌亥。有患惡煞重疊者,是自殘。如辛酉生見庚戌,後見壬申,前羊刃,後亡煞,皆克生年,誠可畏也。

自縊の命は、懸絲垂帛の影を映す。自殘の命は、性命を截断し魂魄を傷損す。自縊に就いていえば、命中に戌・亥の两位を帯ぶることである。もしまた悪煞が重重に疊加に逢えば、それは自殘の象である。たとえば辛酉年生の人が柱中に庚戌を見、後ろにまた壬申を見れば、前に羊刃あり後に亡神煞ありて、いずれも来て年柱を克傷す。実に畏るべし。

局內有傷,格中有破,朱門餓莩,貧死夭亡。遇此格者,家徒四壁。若無救者,壽豈長年。局內有傷,謂五行自旺處,逢鬼相剋,福身刑空破敗。格中有破者,合前貴格,重逢貴煞相沖是也。朱門餓莩者,入格之命,下見三空四空,三刃四刃,三劫四劫之類。生於華屋,死於窮途,必主九流僧道,藝術之士也。

局裡に傷あり格裡に破あれば、たとい朱門大戸でも飢餓して、ついに貧困して死し短命して亡ぶ。この種の格に遇うは、家に四壁のみ。もしさらに救神なければ、壽数は豈に久しからんや。いわゆる局内有傷とは、五行がもとより自旺すべき処に偏に鬼が来て相克し、福神と身宮とがまた刑・空・破敗を受くること。いわゆる格中有破とは、前の貴格に合したるに、重重貴煞の相冲に逢うこと。いわゆる朱門餓莩とは、もとより格に入りたる命が、下に三重四重の空亡、三重四重の羊刃、三重四重の劫煞の類を見ること。華屋の中に生まれて、窮途の上に死す。多くは九流僧道・方技藝術の士に淪落す。

燭影當風,豈有長久富貴;丘壑滯水,何須去問功名。甲辰乙巳,燈燭之火,怕戊辰己巳,巽風或下有木,木能招風,風動燈滅。丘壑者,辰戌丑未是也。更不宜壬癸水多,謂之水入丘壑,則不流也。

燭光がまさに風口に對すれば、何ぞ久しき富貴あらん。死水が丘壑の中に積れば、すなわち更に功名を問うに及ばず。甲辰・乙巳の納音は覆灯火で、灯燭の光である。最も戊辰・己巳のこの巽風の位を怕れ、あるいは下に木あれば、木は能く風を招き、風一たび動けば灯は滅す。いわゆる丘壑とは、辰・戌・丑・未の四庫を指す。ここはさらに壬癸の水の多きを宜とせず、水が丘壑に流れ入れば、これを停滞不流という。

羊刃重重而克命,溝壑土埋;金神疊疊以傷身,陣前分首。大抵羊刃之煞,最可畏也。三重克身帶煞,必主征伐而終。金神亦為煞中之要,二重克身,必主牢獄征伐而死無疑。

羊刃が重重疊疊に命を克すれば、尸骨は溝壑の中に埋めんとす。金神が層層累累に身を傷れば、頭顱は陣前に斷ぜんとす。大抵羊刃のこの一煞は最も畏るべし。三重に身を克してまた煞を帯ぶるは、必ず征戦に死す。金神もまた衆煞中の要なる者で、両重に身を克するは、必ず牢獄あるいは征戦に死す。これは疑いなし。

蛟龍失水,華摛彈鼓之人;鳳凰焚巢,浪流失業之士。辰生人,見辰戌丑未四時,荒丘之地,納音無水,則龍失水無歸。鳳凰乃酉字,納音火多,則有鳳凰焚巢之禍也。

蛟龍が水を失えば、ただ彈弦擊鼓して藝を賣り生を謀る人に淪す。鳳凰が巢穴を燒かれれば、ただ漂泊流浪して生業を失う士と作す。辰年生の人が柱中に辰・戌・丑・未の四季の位を見るは、それは荒丘の地で、納音にまた水なければ、龍は水を失って歸依する所なし。鳳凰とは酉字を指し、もし納音の火が多すぎれば、鳳凰焚巢の禍あり。

太陽損明,戊午不禁於水溢;太陰薄食,己未豈堪於土多。戊午太陽火,水多則損明,水克火也。己未太陰水,土多則薄蝕相剋也。

太陽が光明を損ずるは、戊午が大水の泛濫に堪えざるなり。太陰が薄蝕を受くるは、己未が重土の掩埋に禁えざるなり。戊午は取象を太陽の火とし、水が多ければ光明は損を受く。水は能く火を克するがゆえに。己未は取象を太陰とし、土が多すぎれば、土に侵克せられて虧蝕を生ず。

夫妻反目,刃劫臨於日宮;父子悖逆,劫刃坐於時位。日逢羊刃,則夫妻反目。時逢羊刃劫煞,則父子悖逆。如更相剋,尢為重害。據理而推。

夫妻が反目して仇と成るは、羊刃と劫煞が日宮に臨むなり。父子が悖逆不和なるは、劫煞と羊刃が時位に坐するなり。日柱が羊刃に逢えば、夫妻は反目す。時柱が羊刃劫煞に逢えば、父子は悖逆す。もし彼此さらに相克せば、害處ことに深重なり。理に依りて細推すべし。

根苗薄淺,則家貲劈若虀粉;財庫空虛,則衣食輕於繳繒。根苗者,如木命人見火多,為火飛煙滅。水命人土多,則壅塞不通。金命人水多,則金瀋水底,火命人土多,則晦暗不明。土命人火盛,則土崩而不能載物。財庫空虛者,財庫在空亡是也。

根苗の淺薄なるは、家財が齏粉に剁成せられたるがごとく零落す。財庫の空虚なるは、衣食は一層の薄繒のごとく輕薄なり。いわゆる根苗とは、たとえば木命の人が火の多きを見れば、すなわち火飛煙滅。水命の人が土の多きを見れば、すなわち壅塞不通。金命の人が水の多きを見れば、金は水底に沈む。火命の人が土の多きを見れば、すなわち晦暗不明。土命の人が火の盛んを見れば、土は崩散して萬物を載せえず。いわゆる財庫空虚とは、財庫が空亡の上に落つるなり。

威而不猛者,祿貴有害;屈而不伸者,造化無情。威而不猛者,謂祿馬貴人,有空煞空亡之害。屈而不伸者,謂煞{神}四墓,伏藏不能伸舒。干支各不相綴也。

威名ありて威猛ならざるは、禄神貴人が損害を受くるなり。屈曲して伸展しえざるは、造化が彼に對して無情なり。いわゆる威而不猛とは、禄・馬・貴人が空煞空亡に害せらるるなり。いわゆる屈而不伸とは、煞神が辰戌丑未の四墓の中に落ちて、伏藏して舒展しえず、干と支とが彼此また相連綴せざるなり。

寒冰凍結,畢世天涯;絕跡滅形,終身多疾。寒冰者,或壬癸命,見子丑亥全者,生於冬月,乃北方煞,凍結凝滯也。絕跡者,年沖月破,互換空亡,羊刃克身,命有沖擊之患,此二格最不好,女多淫亂,男多疾病。

寒冰が凍結して解けざるは、一世天涯に漂泊す。絶迹滅形するは、終身疾病に纏わる。いわゆる寒冰とは、壬癸の命が子・丑・亥の斉備を見て冬月に生まるるなり。これは北方の煞で、凍結凝滞を主る。いわゆる絶迹とは、年柱が冲を受け月柱が破られ、彼此空亡を互換し、羊刃がまた来て身を克して、命裡に冲擊の患滿つるなり。この両格は最も良からず。女子は多く淫亂に失し、男子は多く疾病に苦しむ。

龍蟠泥沙,多招危辱;鬼投母腹,幼必離親。辰生人,四柱納音而無水者是也。故龍無水而不能活,無變化之意。鬼投母腹,年月日時四水,而胎無一土者是也。

龍が泥沙の中に蟠曲するは、多く危難屈辱を招く。鬼が母腹裡に投ずるは、幼年に必ず双親と別離す。龍蟠泥沙とは、辰年生の人の四柱納音の中に一点の水もなきを指す。龍に水なければ活きるを成さず、すなわち騰躍變化の余地なし。鬼投母腹とは、年・月・日・時の四柱がことごとく水で、胎元の裡に一点の土もなきを指す。

劍殞鋒芒,勾陳失力,源清流濁,天乙星嗔,若無救援之神,必是摽掠之輩,更臨空煞,終始窮寒。壬申癸酉,見火多必殞。劍鋒勾陳,即戊己也。戊忌甲,己忌乙,如見木多亦畏之。源清流濁者,水命下見土多也。水輕土重,如壬輕戊重,癸輕己重,水被土濁故也。天乙生嗔者,甲寅見丑,甲申見未也。此謂之天乙生嗔。

寶劍が鋒芒を折り、勾陳が氣力を失い、源頭は清きに下流混濁なれば、天乙貴人もまたこれがために怒を動かす。もし救援の神なければ、必ず搶掠をもって生とする輩。さらに空亡凶煞に臨めば、頭より尾まで一世窮寒なり。壬申・癸酉の納音は劍鋒金で、火の多きを見れば必ず折損す。劍鋒と相對する勾陳はすなわち戊己で、戊は甲を忌み己は乙を忌み、木の多きを見るも同じく畏るべし。いわゆる源清流濁とは、水命の下に土の多きを見るなり。水輕くして土重ければ、たとえば壬弱く戊強く、癸弱く己強ければ、水は土に攪渾せらる。いわゆる天乙生嗔とは、甲寅が丑を見、甲申が未を見るなり。これを天乙生嗔という。

裸身帶花,女播淫奔,而男迷酒色。咸池乃桃花煞,更在沐浴之地是也。

赤身にしてまた花を帯ぶれば、女子は私奔の聲を傳え、男子は酒色に沈迷す。いわゆる「花」とは、すなわち咸池桃花煞である。もしそれがまた沐浴の地に落ちれば、まさにこの象に合す。

飛廉值煞,男犯徒流,而女落風塵。飛廉,正五九酉,二六十三七十一卯,四八十二午,周而復始。見煞更帶之者,不宜也。男子見之主犯凶惡,女人亦不宜也。

飛廉がまた煞に値すれば、男は徒刑流放を犯し、女は風塵に淪落す。飛廉の起法は、正月・五月・九月は酉に、二月・六月・十月と三月・七月・十一月は卯に、四月・八月・十二月は午に在り、このごとく周而復始す。柱中にすでに煞を見てまた飛廉を帯ぶるは、最も宜しからず。男子がこれを見れば凶惡を犯すを主り、女子がこれを見るも同じく不吉なり。

貲財淺薄,而黑煞臨門;父母刑傷,而梟神入命。逢黑煞,乃壬癸二字,帶煞是命前五辰為宅,命後五辰為墓。黑煞不可入墓也。宅墓受煞,落梁塵以呻吟。梟神者,二重三重倒食是也。若克年於納音重。

資財の淺薄なるは、黑煞が門戸に臨むなり。父母が刑傷に遭うは、梟神が命中に進入するなり。いわゆる黑煞とは、すなわち壬・癸の二字が煞を帯ぶるなり。本命の前の第五位を宅とし、本命の後の第五位を墓とす。黑煞は萬萬墓に入るべからず。宅と墓とが一たび煞を受くれば、屋梁に塵を積み家道零落して、呻吟嘆息を餘りにすのみ。いわゆる梟神とは、兩重三重の倒食である。もしそれが來て年干を克せば、納音の上に害することことに重し。

探陰陽並格局,等分有象之幽元,旁燭無窮之造化。用之則百發百中,明之則萬舉萬通。究此精微,留傳後世。留心博考,音旨分明,驗往察來,賢愚可見。

陰陽と格局を探究し、等を分かち類を辨じ、有象の中の幽微なる本原に窮まり、傍ら無窮無尽の造化を照らす。これを用いれば百發百中し、明白にすれば萬舉萬通する。この一層の精微の處を研究し盡くして、後世に留傳せん。後人がただ留心して廣博に考究せば、音義旨趣は自ら分明となり、既往を驗證し將來を推察して、賢と愚とは一目で瞭然たる。

下篇

且夫神機妙論,默契精微。談元虛以言人物,即本經而照是非。必三元可據,四柱堪憑。格清為臺閣之臣,局妙居鈞衡之任。

この一篇の講ずる所は、神妙なる機要の論で、精微の理と默然として相契る。玄虛の處より人物を談じ、本經に依據して是非を照察す。つねに三元に據あり、四柱に憑るべきあらんことを要す。格局の清純なるは、台閣の臣と作り、局面の精妙なるは、宰輔鈞衡の任に居る。

日輪當表,毫光豈被猛風吹。戊午為日輪,巳午為當表。如戊午生於五月,又逢巳午日時,謂有輝光於天下。如有毫光,風吹不得也。人命得之,有貴祿則為文官,有吉煞則為貴神,亦有威權聲名。

太陽がまさに中かりける表位に高く懸かれば、その一線の毫光は豈に猛風の吹き熄す所ならんや。戊午は取象を日輪とし、巳・午の两位は當表の處である。たとえば戊午生の人が五月に生まれ、また巳・午の日と時に逢えば、光輝が天下に照臨するなり。すでにこのごとき毫光あれば、風もまたこれを吹き動かさず。人命がこの格を得れば、貴禄を帶ぶるは文官と作り、吉煞を帶ぶるは貴神と成る。同じく威權と聲名と有り。

人立畫橋,沉影不隨流水去。己亥木逢壬寅金,又逢丙午,或癸亥水,為駕海畫橋,此格得之,可以言貴也。

人が畫橋の上に立てば、水中の沈影は流水に随って漂い去らず。安然として自ら守り、世情に遷らざるを喩う。己亥の納音平地木が壬寅の納音金に遇い、また丙午に逢うか、あるいは癸亥の水に逢えば、海上に横跨する畫橋なり。この格を得るは貴を論じうる。

桃花滾浪,龍門宜三月之先登;桂影橫波,鳳闕占季秋之早步。庚申為桃花,生於春月,有水多為奇,遇貴神祿馬,必龍門之一跳。高登桂影者,辛卯辛酉木人見巳{己}未,即水多者,或丙午癸亥皆是。故八月半以前為妙,已後則福輕也。

桃花が波に随いて翻滾すれば、三月の内に先んじて龍門を躍り越ゆるを宜とす。桂影が清波に横映すれば、季秋の時に早く鳳闕に踏み登るを宜とす。傳えいう、三月桃花の水漲する時、鯉魚が龍門を躍り越ゆればすなわち化して龍となると。ゆえに借りて科第を比喩す。庚申は取象を桃花とし、春月に生まれて水多きは最も奇なり。もしさらに貴神禄馬に遇えば、必ず一躍して龍門を跳過しうる。高く桂影に登るに至っては、辛卯・辛酉の木命の人が己未を見るなり。すなわち水多きの一路であり、あるいは丙午・癸亥を見るもいずれも算す。ゆえに八月半以前に生まるるを最も妙とし、八月半以後は福氣が輕し。

風生粉籟,若夏月必是清閒。太陽盛暑之時,能喜風蔭。己巳為生風,逢庚寅,更值夏月,若遇祿馬貴人,則為極貴大臣,旁招賢士。若命宮無祿馬貴人,亦是鄉閭顯達之人,若生不當時,及死絕帶凶煞者,為下賤之人也。

微風が吹き動いて細碎の聲籟を生ずれば、もし夏月に生まれん、必ず一生清閒を主る。烈日盛暑の時、最も喜ぶは風の来ると樹蔭なり。己巳は取象を生風とし、柱中に庚寅に逢い、またまさに夏月に當たり、もしさらに禄馬貴人に遇えば、極貴の大臣となり、能く賢士を廣く招きうる。命宮中にたとい禄馬貴人なくとも、鄉里の間の顯達の人物である。もし生が時に逢わず、あるいは死絕の地に落ちて凶煞を帶ぶれば、下賤の人と成る。

水結池塘,生冬月必然濁溢。冬天丙午丁未天河水,生逢庚午辛未,土高有水多,又是夜生,為水結池塘,有水土之怨,人生遇者,生必嫉[妒],殘害宗支,為人沉毒。生春夏乃佳,可以滋生潤物,又不可水多,遇寅卯為淋漓之患,傷義之人。

水が積して池塘と成れば、もし冬月に生まれん、必ず污濁して外に溢る。冬天の丙午・丁未の納音は天河水で、柱中にまた庚午・辛未の路旁土に逢えば、土高く水多く、加うるに夜に生まれれば、水結池塘と成り、水と土とが互いに怨を結ぶ。人命がこれに遇えば、生性は必ず嫉妬し、同宗支屬を殘害し、人と為りて陰沈狠毒なり。春夏に生まれればこそ良く、なお滋生して物を潤しうる。ただし水多きも能わず、寅・卯に遇えば淋漓止まざるの患ありて、義氣を傷損する人と成る。

文星入於河漢,得時者為仕途清政之人,失時者為濁世勞力之輩。丁巳乙亥為文星,乙亥生人見丙午丁未,遇八月生,則眾星明朗,謂得時必清政之人。若生餘月皆是失時。於丙子見丁丑癸亥亦是。要生於秋月,無不貴也。

文星が銀河天漢に入れば、生がその時を得たるは、仕途上の政聲清白の人なり。生が時を得ざれば、ただ濁世中の勞苦出力の輩なり。丁巳・乙亥を文星とす。乙亥生の人が柱中に丙午・丁未を見、また八月に逢いて生まれれば、衆星明朗にして時を得たと算し、必ず政聲清白の人なり。その余の月に生まれれば、いずれも失時と算す。丙子が丁丑・癸亥を見るも、またこの象に屬す。つねに秋月に生まれてこそ、貴ならざるなし。

一聲平地,播四海之威名;一德昇天,清四方之德化。一聲平地者,言雷也。為正東艮寅甲卯乙,辰巽己(巳)亥者,雷也。獨乙卯真雷,乙屬木,木旺卯,又卯為雷。以乙卯生人,三四月,逢辛未戊申己亥,其必播四海之威名。秋季只虛名之兆,冬月生人有貴人,亦是虛名之兆。一德昇天者,言天月二德遇乙丙丁,為昇天。乙丙丁人遇天德,亦為昇天,或四月逢辛未戊申己亥者,必播四海之名,秋季即虛名之兆。冬月生人有貴人,亦是虛名之兆。命值此格者名標萬里,德化四方,為人間享福之人,人惜民。心中不藏事,無嫉(妒),與人善處。蓋十二月內,皆有天德昇天,當詳之。

平地に一聲の驚雷ありて、威名は四海に傳遍す。一徳が天に上通すれば、徳化は四方を清正す。いわゆる一聲平地とは、雷をいう。正東方の艮・寅・甲・卯・乙、および辰・巽・巳・亥は、いずれも雷象を取りうる。その中でただ乙卯のみが真雷なり。乙は木に屬し木は卯に旺んじ、しかも卯位それ自体がまた雷なればなり。乙卯生の人が三四月に生まれ、柱中に辛未・戊申・己亥に逢えば、必ず威名は四海に遠播す。秋季に生まれれば虚名の兆のみ、冬月に生まれればたとい貴人あれども、虚名に過ぎず。いわゆる一徳昇天とは、天徳・月徳が乙・丙・丁に遇えば昇天と算するをいう。乙丙丁日干の人が天徳に遇うも、同じく昇天なり。あるいは四月の裡に辛未・戊申・己亥に逢うも、また必ず名は四海に播らん。秋季は虚名の兆のみ、冬月生の人はたとい貴人あれども、虚名なり。命中にこの格に值する人は名は萬里に標り徳は四方に化する、人間の福を享くる人なり。百姓を愛惜し、心中に城府を蔵さず、嫉妒を生ぜず、人と和善に相處す。十二か月の内に各々天徳昇天の位あり。細かに分辨すべし。

帝旺親於帝座,生居坎離者,參朝謁帝之人。凡人遇坎離,上逢旺氣,臨於帝座,同貴人祿馬,命上定是參朝大臣。何以知之?蓋坎離子午,為陰陽之初,陰陽造化,子午運用,遍歷四時,為萬物之始,故為子為午,為冬為夏,為正南北。人遇之,為朝而南,故聖人端北面南,坐子面午,是謂明堂也。然子見午為水火既濟。惟子午二字欣逢於帝座,旺加臨貴祿之神,以此為貴顯之人也。貴人喜,則為臺主談笑。貴人怒,則為宰相紀年。水人遇之,得其正者,真不怒而威,為卿相之貴。

帝旺と帝座と相親しみ、また坎離の位に生まるるは、朝に參し帝に謁する人物なり。およそ人が坎離に遇い、上にまた旺氣に逢い、帝座に臨み、さらに貴人禄馬と会合すれば、命裡は定めて參朝の大臣なり。何をもって見えん。坎離はすなわち子午で、陰陽の開端なり。陰陽造化はみな子午より運轉し、遍く四時を歷て、萬物の始と為る。ゆえに子と午とは、一は冬、一は夏、一は正北に在り、一は正南に在り。人がこの象を得れば、すなわち正南に朝向する勢いあり。古の聖人は端坐して北面して南に朝し、子に坐して午に面す。これを明堂という。子が午を見ればまた水火既濟と成る。ただ子午の二字が欣然として帝座に會し、旺氣がさらに貴人禄神に加臨せば、すなわち貴顯の人なり。貴人が喜悅せば、彼は台省の中に談笑自如す。貴人が震怒すれば、彼もまた宰輔の身をもって鎮定持重す。水命の人が遇い、かつその正位を得れば、真に怒らずして自ら威あり、卿相の貴あらん。

官祿會於官星,格在子午者,拜書受恩之客。子午,是明堂。祿元當卯,丁祿在午。六丁生人見壬午,六己生人見甲午,六癸生人見戊午,此為明堂。上近真祿星會官,更吉神相聚,德合同臨,豈不貴哉。

官禄と官星と相会し、格局がまた子午に落つるは、詔書を拜受し身に君恩を承くる人なり。子午はすなわち明堂なり。禄元はもとより卯に在るべしとすれども、丁の禄は午に在り。六丁日生の人が壬午を見、六己日生の人が甲午を見、六癸日生の人が戊午を見れば、これらはいずれも明堂と算す。上にまた真禄に貼り近づき、禄星と官星と相会し、さらに吉神聚集・徳合同臨を加えれば、何ぞ貴ならざらん。

天澤生逢仲夏,用辛亥者,入格則德潤乾坤。天澤,天河水也。仲夏,五月也。蓋天河之水,冬月為水結道途,故傷物,無所不折。惟夏月為天澤,丙午丁未人,生於五六月,逢辛亥者是。辛亥乃天門也。得其全,謂之天門降天澤。故有德潤乾坤。四月逢丙午丁未辛亥尢妙。蓋四月用辛亥為天德,極好。起例以天德三壬四辛是也。

天澤の水が仲夏に生に逢い、また辛亥を取用するは、格に入れば徳澤は乾坤に潤い及ぶ。「天澤」とはすなわち天河水、「仲夏」とはすなわち五月なり。天河の水は冬月に至れば道路上に結氷し、因りて萬物を摧傷して折らざるなし。ただ夏月のみこれが天澤と成る。丙午・丁未の人が五・六月に生まれて柱中に辛亥に逢うはそうなり。辛亥はすなわち天門で、両者俱に備われば、天門が天澤を降すという。ゆえに徳が乾坤を潤す象あり。四月の裡に丙午・丁未に逢いさらに辛亥を加うるはことに妙なり。四月は辛亥をもって天徳とするがゆえに、極めて良し。天徳の起例は三月は壬を用い四月は辛を用ゆ。

月華生於仲秋,用甲辰者,入格則光輝天下。月華,是己未也。仲秋,八月也。見甲辰,更當近夜之時。燈火配作金運(蓮),八月又是金白之時,故金運(蓮)得此時,或八月十五日前是也。己未逢甲辰,己用甲為官星,甲辰逢己未,甲與己合,見未貴人,二者皆大貴公卿。小者為監司,故謂之光輝天下。八月十五日以後,雖貴不顯,皆時不奇。

月華が仲秋に生じ、また甲辰を取用するは、格に入れば光輝は天下に照耀す。「月華」とはすなわち己未、「仲秋」とはすなわち八月なり。柱中に甲辰を見、またまさに夜に近き時に當たれば、覆燈の火は金蓮を配成す。八月はもとより金氣潔白の時なれば、金蓮がこの時節を得るは最も良く、ことに八月十五以前に在り。己未が甲辰に逢えば、己は甲をもって官星とす。甲辰が己未に逢えば、甲と己とは相合し、また未を見れば貴人なり。この兩種はいずれも大貴を主りて公卿に至り、小さきも監司に至るをなしうる。ゆえに光輝天下という。もし八月十五以後なれば、たとい貴でも顯れず。みな時節の奇ならざるに因る。

日合辛卯,成功烜赫貫山河。日在戊午,是生夏逢辛卯。松柏潔苑地,輪光穿入枝。是謂日合。辛卯逢巽地巳時,必為山河節度之臣。不全者無貴。下輩之人,趕腳之命。

日と辛卯と相合すれば、功業は烜赫にして山河を貫通す。日とは戊午を指し、すなわち夏に生まれて柱中に辛卯に逢うなり。辛卯の納音は松柏木で、松柏は潔く庭苑の中に立ち、日輪の光は枝葉を穿透して灑落す。これを日合という。辛卯がさらに巽地の巳時に逢えば、必ず一方の山河を執掌する節度の臣なり。もし配合全からずんば貴と言うべきなく、ただ下等の人物、脚を趕いて生を謀るの命なり。

月時庚寅,慈性明靈光世寶。己未生人,於八月之時,月兔清潔,光射星河,遇庚寅之木,倒影壓江波,故有慈性明靈之寶。中秋尢妙,十五以後不佳矣。

月と時上の庚寅と相配すれば、その人は慈善明慧にして、世間を照耀する珍寶なり。己未生の人が八月に生まれれば、月中の玉兔は清潔にして、月光は星河に直射す。さらに庚寅松柏の木に遇えば、樹影は江波の上に倒壓す。ゆえに慈性明慧の寶ありとす。中秋に生まるるはことに妙なり。八月十五以後は良からず。

吉逢羊刃,身屬武職鎮邊疆;吉遇懸針,掌握兵符威華夏。羊刃逢祿馬生旺之神,入格輕清者,必為武帥之臣。重濁者,教習槌棒,干僕之命。五行四柱無氣者,盲目愚奸之人。懸針遇吉,貴人祿馬生旺喜神,兼格局清者,為兵權武將之臣,濁者教習拳手,干僕之命。凶神犯者,必是徒(徙)流之輩。

吉神と羊刃と相逢えば、その身は武職に歸して邊疆を鎭守す。吉神と懸針と相遇えば、兵符を掌握して威は華夏を震す。羊刃が禄馬と生旺の神に遇い、格に入りて氣象輕清なるは、必ず兵を統ぶる武帥と為る。氣象重濁なるは、棍棒の技を教習し人に驅使せらるるの命に過ぎず。四柱五行に全く生氣なきは、盲目愚昧姦猾の人なり。懸針が吉神に遇い、また貴人・禄馬・生旺喜神あり、兼ねて格局清純なるは、兵權を掌る武將なり。氣象渾濁なるは、ただ人に拳脚を教え人に役使せらるるの命なり。もし凶神に犯されば、必ず徒刑流放の輩なり。

本乎天者,觀於賢人之心;本乎地者,會於眾人之見。本乎天,謂天干合起祿馬貴人吉神,入格者,進招賢者,為長善遏惡之人。本乎地,謂祿馬吉神,地支官貴入格者,為鄉閭能幹事務,和氣之人也。

天を本とするは、賢人の用心を體察しうる。地を本とするは、衆人の識見を會合しうる。いわゆる本乎天とは、天干の上に禄・馬・貴人これらの吉神を合起すなり。格に入る人は能く賢才を進用招納し、善行を助長し惡行を遏止する人なり。いわゆる本乎地とは、禄馬吉神と地支官貴と相配するなり。格に入る人は鄉里の間に幹練に任事し、人と為りて和氣なり。

廣揚碩德,只緣龍虎會風雲。辰龍,寅虎,巽風,卯云,四字全,更帶祿馬貴人,主慈善心德,與佛同也。

徳望の廣大傳揚なるは、ただ龍虎が風雲に會上するに因る。辰は龍、寅は虎、巽は風、卯は雲なり。この四字斉備して、さらに禄馬貴人を帶ぶれば、その人の心地慈善にして、徳行は佛家のごとくあるを主る。

大闡經綸,善為斗牛見月露。丑為斗牛之星,如己丑遇己未,生於夏末秋初,其人大闡經綸,掌乾坤於筆下,為國家棟樑之材。己丑為天上真牛斗之巢。夏末秋初,天清月明。己未丁未為月露,得金為最貴也。

經綸の才を大展するは、妙は斗牛の間に月色と清露とを見るに在り。丑は斗・牛の二宿の在る所なり。たとえば己丑が己未に遇い、また夏末秋初に生まれれば、その人は能く經綸を大展し、天地を筆下に收めて、國家棟梁の材と成る。己丑はまさに天上真の牛斗の巢なり。夏末秋初は、天清くして月明なり。己未・丁未は取象を月露とし、もしさらに金の相配を得れば、最も貴し。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

Hexagrams in this volume