Libo

入首

明 · 周景一(张九仪增注) · 第8巻 / 10

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

入首者,到頭數節也,子微論龍格穿落傳變與廖公李氏之論龍格,皆以此數節定吉凶貴賤,蓋太祖太宗,猶是遠龍,惟此處最為切近,若入首不美,祖宗雖美何益(必有他結),入首既美,祖宗必美可知,故尋地捷徑,必以入首數節為主。

所謂「入首」は、到頭のその幾節を指す。子微の龍格の穿・落・傳・變を論じ、および廖瑀・李氏の龍格を論ずるるは、皆この幾節を用いて吉凶貴賤を斷ず。というのは太祖・太宗は還だ遠龍に屬し、唯だ此處のみ穴を離るる最も近し。もし入首美ならなければ、祖宗再び美であっても又何の用か有らん(その份の氣運は必定に別に結作有り)。入首既に美なれば、祖宗必定にもまた美である、此れ是れ推知すべきである。ゆえに地を尋る捷徑は、一定に入首のこの幾節を以て主とするである。

開面者真,不開面者假(尋地有二法,有自祖宗尋起隨龍看到結穴處,有自結穴處逆尋到祖山,然結穴既美,後龍必美,故從結穴處逆尋到祖山者為捷徑)。臺屏帳蓋成座,星辰護衛砂水重重真曏者,富貴,牽連小面單砂單水,拱高者小康。

入首の處開面するは是れ真、開面しないは是れ假(地を尋るに兩種の辦法有り。一種は祖宗より找し起こり、龍に隨いて一路結穴の處に到るまで見る。一種は結穴の處より倒れて來りて祖山に到るまで找す。結穴既に美なれば、後龍必定に美なれば、ゆえに結穴の處より逆尋して祖山に到るその一種は是れ捷徑である)。臺・屏・帳・蓋自ら一座を成し、星峰護衛・砂水重重にして真正に朝向するは、富貴を主す。ただ牽牽連連・面又小く、砂ただ一重・水ただ一道・勉强に拱抱するは、ただ小康をよくするのみ。

胎息孕育

語云:“千里來龍,只看到頭一節”,賦云:“入首成胎猶防死絕”。故胎息孕育,止入首更為切要(大成云:主星後一頂為胎,胎下束咽曰:息,主星頂口乃成穴),此處不成,穴必他閃,蓋元武后一節為父母(穴山之蓋山是也),父母開面出脈為受胎,開面者,陽氣發舒之象,出脈者,陰氣束聚之形,開面處有垂頭,是俯而施之之象,出脈處有還口,是仰而承之之形,陰陽相配,俯仰交孚,則受胎也,胎前跌斷細如蜂腰處,謂之息。如母之受胎而養息也(此論父母山陽面出脈)。

俗話に「千里來龍、只看到頭一節」と言い、賦文に「入首成胎猶防死絕」と言う。ゆえに「胎・息・孕・育」の四字は、入首より還して緊要である(《地理大成》に言う、主星の後面の一個の頂を胎といい、胎下の束細の咽喉の處を息といい、主星頂上の開口してすなわち穴を成す)。此處もし成形せなければ、穴必定に別處に閃去す。玄武後面の一節は父母(すなわち穴山の蓋山)。父母開面出脈するを、すなわち「受胎」という。開面は陽氣舒展發散の形象、出脈は陰氣收束凝聚の形狀。開面の處に垂頭有るは、俯下施與の樣子。出脈の處に回抬有るは、仰起承接の樣子。陰陽相配・俯仰交合して、於是受胎す。胎前の跌斷して蜂腰の如く細き地方を「息」といい、就好比て母親の受孕の後に調養生息するが如し(この一段は父母山の陽面より出脈するを講ずる)。

吞武頂前(是穴為頂前),有隱分隱矬之微者,是氣之呼而沉,又有前起貼體微泡,為化生腦,是氣之吸而浮,化生腦前,亦復有微分微矬之呼而沉,微動微起之吸而沉,謂之孕(此論化生腦,開面出脈孕以化生腦為主,上自穴山頂前下至半山遞脈節泡謂之孕也)。如母之懷孕,而孕之呼吸,浮沉,與母息相通也(言孕之前後呼吸浮沉與父終了母山之氣脈相聯也)。

玄武頂前(すなわち穴山頂の前方)に隠微の分開と低伏有るは、その是れ氣の呼出して下沉するである。前面又貼山体の一個の小泡を鼓起す、すなわち化生脳にして、その是れ氣の吸入して上浮するである。化生脳の前は、又再び微分微伏の呼して沉・微動微起の吸して浮有り、此を「孕」という(この一段は化生脳を講ずる。開面出脈の後、「孕」は化生脳を以て主とする。穴山頂前より一直到半山遞脈の節泡に至るまで、皆孕と見なす)。此れ就好比て母親の懷孕して、胎兒の呼吸浮沉は母親の氣息と相通ずるが如し(意思是れ孕の前後の呼吸浮沉は、父母山の氣脈と連貫相通ずるをいう)。

孕下起孩兒頭(一節臨穴之毬簷),開端然之面,又有隱分隱矬,微起之動氣,謂之育。如子離母腹,而自其呼吸沉浮之動氣,故能育也(此論毬簷開面出脈)。是以胎息孕育,全在開面方成,而生機又在呼吸浮沉之動氣也。

孕の下方は孩兒頭を鼓起し(すなわち臨穴のその一節の毬簷)、端正の面を開出し、又隠微の分開と低伏・微微隆起の動氣有り、此を「育」といい、就好比て嬰兒の母腹を離れて自ら呼吸浮沉の活氣有るが如し、ゆえによく生養す(この一段は毬簷の開面出脈を講ずる)。此れによって見るべし、胎・息・孕・育の四者は全く開面に靠りてすなわち成立し、而生機は又全く呼吸浮沉の動氣上に在るである。

附論:古人論胎息孕育,有始於少祖山,有始於父屏山及有以毬簷為胎,而息與孕育亦異者,何也?蓋時物之生,莫不有胎,天地亦一物也,太極未分之時,包天蘊地,渾沌即天地之胎,人之胚胎,亦混沌之象,及乾坤定位,而寒暑遞更,男女攸分,而子孫相繼,即寓息與孕育之義焉。

附論。古人の胎息孕育を講ずるるは、有りて少祖山より算し起こし、有りて父母屏山より算し起こし、もまた有りて毬簷を拿て胎と當作す、よって「息」と「孕育」の指す所ももまた各相同じからず、此れ是れ何をなすか。というのは凡そ物の生に胎有らない無し、天地ももまた一物である。太極還だ分判しない時、天を包裹し地を蘊含し、その一片の渾沌はすなわち天地の胎である。人の胚胎ももまた正是れ渾沌の樣子である。乾坤定位して寒暑交替し、男女分別して子孫相繼ぐに等到して、その中ももまた息と孕育の意思を寓含せり。

山川亦以二氣成形,得扶與凝靜之氣,高壓天下名山,綿亙東西南北,不知幾萬里者,崑崙是也,萬山之派始於是,萬山之胎亦成於是,其分枝臂脈,即是息也,各郡各都,特起名山,孕也,建都建邑之地,育也,以龍身發脈論,當以太祖山為胎,分龍為息,小祖山為孕,穴山為育,以行龍入首數節論,當以少祖山為胎,過脈為息,父母山為孕,穴山為育。

山川ももまた陰陽二氣によって形體を凝成す。扶助と凝靜の氣を得て、天下名山に高壓し、東西南北綿亘して幾萬里を知らないは、すなわち崑崙である。萬山の支派は此處より開始し、萬山の胎ももまた此處に形成す。その分出の枝臂の脈は、すなわち「息」である。各郡各都の特意に聳起する名山は、すなわち「孕」である。都を建て邑を建つる地方は、すなわち「育」である。もし整條の龍身發脈に就いて論ぜば、必ず太祖山を以て胎とし・分龍處を以て息とし・小祖山を以て孕とし・穴山を以て育とするべし。若就行龍入首のこの幾節に就いて論ぜば、すなわち必ず少祖山を以て胎とし・過脈處を以て息とし・父母山を以て孕とし・穴山を以て育とするべし。

先生以父母山為胎,出脈為息,穴山化生腦為孕,孩兒頭為育者,以真切近也,然此就大山博換,小山出脈結穴者言之,若僅繫穴山三分結穴者,則當以穴山化生腦為胎,垂頭出脈為息,半山突泡為孕,毬簷為育矣,其以毬簷為胎者,亦可遞推,乳突窩鉗篇,所謂承胎而葬,堪輿經所謂點穴須浮息是也,胡古人論雖不同,意各有在,先生因其意而申明之,是以切近最要者言而之。

周先生は父母山を以て胎とし・出脈處を以て息とし・穴山化生脳を以て孕とし・孩兒頭を以て育とする、取る所は最も貼近穴場の一層である。不過此れは大山の博換を經過し・小山より出脈結穴する情形に就いて説くである。もしただ穴山三段以內に於いて結穴するは、すなわち必ず穴山の化生脳を以て胎とし・垂頭出脈を以て息とし・半山突泡を以て孕とし・毬簷を以て育とするべし。至りて毬簷を拿て胎と當作するは、もまた此に依りて類推すべし――《乳突窝鉗面》篇のいう所の「承胎而葬」、《堪輿經》のいう所の「點穴須浮息」は、すなわちこの意思である。見るべし古人の説法は同じからずであっても、各々その着眼點有り。周先生は它们の意思に順いて申明を加え、ただ最も貼近・最も緊要のその一層を拿來て講ずるるのみである。

裀褥唇氈

裀褥者,坐下之軟肉也,唇氈者,穴前之餘氣也,有裀褥方有唇氈,則唇氈又為裀褥之餘氣也,分而名之,穴前平仰圓收者為唇,唇下又鋪一層平仰肉者為氈,有唇短而氈長,有唇長而氈短,有唇氈長短相等者,總宜有仰起托起之勢,兩角收上,中央彈出,四體寬平,不欹不削者為真。

所謂「裀褥」は、穴場坐處の下面のその層の柔軟の肉である。所謂「唇氈」は、穴前の餘氣である。裀褥有ればすなわち唇氈有る會す、ゆえに唇氈は又裀褥の餘氣と見なす。分開して講ずるれば、穴前の平坦上仰して圓圓收攏するを「唇」といい、唇の下面に又一層の平坦上仰の肉を鋪出すを「氈」という。有りて唇短くして氈長く、有りて唇長くして氈短く、もまた唇氈長短相當の有り。總じて皆必ず上仰托起の姿態有り・兩角向上收攏・中央微微彈出・四面寬平・不歪斜不削直なるべし、此すなわち真である。

開口穴唇吐口外,乳突穴唇吐口內,有口無唇為空穴,有唇無口為死穴,口者唇旁之兩邊砂兜收也,口開闊大而長者,口內應有小唇,突生臍靨而凹者,唇內宜有小口,臨田無近案者,唇氈俱全為妙,在山有近案者,只有唇收便佳,高結之穴圓唇非長大平坦而兜起不可,低結之穴與有近案者,只要有兜起之意,稍峻無妨,其唇短而高起者,氈宜闊大,唇長而平坦者,氈短亦無妨。

開口の穴は、唇は口外に吐く。乳穴突穴は、唇は口內に吐く。口有りて唇無きは空穴、唇有りて口無きは死穴。所謂「口」は、唇旁兩邊砂の兜收である。口の張る闊大にして長のは、口內必ず別に小唇有るべし。突起して中間に臍靨凹陷を生出するは、唇內必ず別に小口有るべし。田野に臨み・近案無きは、唇と氈俱全してすなわち好し。山中にして近案有るは、ただ唇の收攏有れば行けり。高處結の穴は、圓唇は長大平坦にして向上兜起せなければ不可である。低處結の穴および近案有るは、ただ兜起の意思有れば、稍微陡きももまた妨なし。唇短くして高起のは、氈はなるべく寬闊なるべし。唇長くして平坦のは、氈短しももまた妨なし。

若似反弓鱉裙者,地必假,蓋唇氈是裀褥之餘氣,鋪來無唇氈,則裀褥亦假,故所謂裀褥者,不惟穴旁坐下宜有,穴後穴前亦宜有之,穴旁無裀褥,則無胖腮,穴後坐下無之,則不和軟(穴後即毬簷之後),穴前無之,則無唇氈,何以成穴,惟有裀褥,自有唇氈,不致欹斜尖削,而見其餘氣之旺也,餘氣旺者,雖小地亦發人丁,左邊多者長盛,右邊多者幼盛,面前多者,眾房同盛。

もし形狀は反張の弓の如く・鱉の裙邊の如くなれば、その此塊地は必定に假である。というのは唇氈は裀褥の餘氣にして、鋪展開來しもし唇氈無ければ、その裀褥ももまた假である。ゆえに所謂裀褥は、不但に穴旁坐處必ず有るべく、穴後穴前ももまた必ず有るべし。穴旁に裀褥無ければ、穴腮はすなわち豐滿せず。穴後坐處に無ければ(穴後はすなわち毬簷の後面)、土はすなわち柔和鬆軟せず。穴前に無ければ、すなわち唇氈無し、その還怎麼穴を成さんや。ただ裀褥有れば、自然に唇氈有りて、歪斜尖削に至らず、もまた餘氣の旺盛を見るべし。餘氣旺のは、即すなわち小地であってももまた人丁を發するよくす。左邊餘氣多きは長房興盛し、右邊多きは幼房興盛し、正前方多きは各房同樣に興盛す。

故曰:每見穴前數尺餘氣,子孫則多,大片餘氣,子孫反少,何也?曰:穴前雖有餘地,而非本身鋪出,或從左或從右鋪來,而一邊界水,隱隱從穴前割腳過者,或左右俱鋪來而兩邊隱隱界水,從穴前割腳合者,或從本身鋪出,而托起平仰之勢,如覆鵝毛之削下,龜背之有脊者,或雖托起平仰,而穴後不開面,無矬平者,雖穴前鋪出一片餘地,皆非餘氣也。

於是ある人が問う、常見て穴前ただ幾尺の餘氣の反って子孫衆多、穴前一大片の餘地を鋪く反って子孫稀少なるは、此れ是れ何をなすか。答えて言う、穴前たとえ餘地有り、却も本山自ら鋪出するにないして、左邊或いは右邊より鋪過來し、同時に一邊の界水隠隠として穴前より脚を割りて流過す。或いは左右皆鋪過來して、而も兩邊隠隠の界水は穴前に於いて脚を割りて會合す。或いはたとえ本山の鋪出するである、托起の姿態却も倒扣の鵞毛の如く削下去・龜背の如く脊を帶ぶ。再或いはたとえ托起平仰すれど、可穴後開面せず・低伏平緩無し――この幾種の情形は、穴前たとえ一大片の餘地を鋪出すとも、皆真正の餘氣にない。

蓋氣隨脈行,脈隨氣止,氣脈凝聚,自然四體融和,精神發越,二邊界水割腳而過者,必唇側而無氈,兩邊界水割腳而合者,即有口而無唇氈,穴後無氣脈也,不能托起平仰者,生氣不收也,如覆鵝毛龜背者,陰煞不化也。

というのは氣は脈に隨いて行走し、脈は氣に隨いて停住す。氣脈一凝聚せば、自然に四面融和・精神煥發す。兩邊界水の脚を割りて流過するは、唇必定に偏斜して氈無し。兩邊界水の脚を割りて會合するは、就ただ口有りて唇氈無し、その是れ穴後に氣脈無きである。托起平仰することできないは、是れ生氣の收まらないである。倒扣の鵞毛の如く・龜背の如きは、是れ陰煞の化掉しないである。

後無矬平者,即無動脈,脈死氣散也,氣尚無有,何能有餘。真氣既無,雖有餘氣何益。此皆裀褥唇氈不真故也,餘氣少而下旺者,可不方言而喻矣。

穴後に低伏平緩無きは、すなわち活動の脈無く、脈死氣散す。氣連ねて無ければ、哪裏談ずるに餘氣有るに及ばん。真氣既に無ければ、その片の所謂餘氣又何の用か有らん。此等は皆裀褥唇氈の不真の緣故である。至りて餘氣たとえ少くして後代興旺のは、道理ももまた言うまでもなく喻すである。

餘氣

(此篇論龍身餘氣與前篇論穴前之餘氣有別)

(この一篇は龍身の餘氣を討論し、上一篇の穴前の餘氣を討論するに同じからない有り。)

古云:“大地多從腰裡落,迥轉餘枝作城廓”,餘枝即正結之餘氣也,蓋龍如瓜藤,瓜之結實,多在藤腰,反將盡未盡之間,近根之處,正藤之杪,即有所結不堪為種。真龍結穴亦然,正穴即結,其餘氣或從龍虎肘外,或從官鬼前後,及纏護禽曜邊曲折而去,或山或地,或作水口,或成陰地,陽基有數里而住,數十里而止者(只要真情拱向),無論遠近,去而不結者,力小,去而結地者,力大。

古話に「大地多從腰裏落、回轉餘枝作城郭」と言う、此處の餘枝はすなわち正結の後の餘氣である。というのは龍は就好比て瓜藤にして、瓜の果實を結ぶは多半藤の中段に在り、すなわち將盡未盡の間である。根部と藤梢の地方に靠近するは、即すなわち瓜を結出すとも堪えて種子に留作せず。真龍の結穴ももまたこの如し。正穴既に結成せば、その餘氣或いは龍虎の肘外より走出し、或いは官星鬼星の前後および纏護・禽星・曜星の旁辺より曲折して去り、或いは山を成し・或いは地を成し・或いは水口を作し・或いは陰宅の地を成し・或いは陽宅基址を成す。或いは走ること幾里にしてすなわち停住し、或いは走ること幾十里にしてすなわち止む(ただ真情の拱衛朝向有れば行けり)。遠近を論ぜず、走出して地を結しないは力量小、走出して還だ地を結するよくするは力量大である。

故省郡之大幹龍將盡處,閃落一枝結穴,而以省郡為用神者,封拜之地。經云:“餘氣不行數十里,定然不是王侯地”,蓋小地以砂為用神,大地以正龍為用神。如韓信將兵,漢高將將也,惟分落之小枝,如結瓜之子藤,但得獨立門戶,自然風藏氣聚,不論前去餘氣有無。

ゆえに省城郡城一帶の大干龍將盡の處は、一枝を閃落して穴を結し、而も整座の省城郡城を把ちて用神と當作するは、その是れ封拜を受くるよくする地である。經書の上に「餘氣不行數十里、定然不是王侯地」と言う。というのは小地は砂を以て用神と作し、大地は正龍を以て用神と作す――就好比て韓信の士兵を統率し、而も漢高祖の將領を統率するが如し。至りて分落出來の小枝は、就像て瓜を結ぶの子藤にして、ただよく獨立門戸すれば、自然に風を藏め氣を聚む、前面に餘氣有りや無きや皆計較するを必とせず。

然所謂餘氣者,內觀外觀,俱要真面向式而後去,去而復回顧者方真吉(有外背內面之真情拱向為有顧戀之意)。內觀似向,外觀似背,遠砂似向,而近砂反背者,乃鬼山也。撼龍經曰:鬼山亦自有真形,形隨三吉輔弼類,九星皆有鬼形樣,不類本身不入相。故真龍之鬼自有種類,有此龍必有類型之鬼,而小枝龍則另生頭面,不與本山類形,是以餘氣鬼劫小枝龍之鬼氣,三者又各有別。

不過所謂餘氣は、裏より看・外より看皆必要として真面を穴場に朝向して然る後にすなわち走出し、走出して還だ回頭顧盼するを必要として、此すなわち真吉である(外背內面の真情拱衛朝向有るは、すなわち顧戀の意有るである)。もし裏より見れば像是れ朝向し、外より見れば却も是れ反背し、遠處の砂像是れ朝向して近處の砂反って背離すれば、そのすなわち鬼山である。《撼龍經》に言う、「鬼山も自有真形、形隨三吉輔弼類。九星皆有鬼形樣、不類本身不入相」。見るべし真龍の鬼星は自ら品類有り。怎麼樣の龍有れば、就怎麼樣ののと同類の鬼有り。而も小枝龍はすなわち別に頭面を生出して、本山と並びに同類ならない。ゆえに餘氣・鬼劫・小枝龍の鬼氣、この三者は又各々分別有り。

論地歩本於開面

開面地步,雖分兩樣,然開大面,即是占地步,無地步,即是不開面,何也?大八字一統罩盡護帶數重,兩邊送從纏護,面面相向,非開大面乎,貫頂出脈,護帶全無,兄弟山挨近本身者,非無地步與不開面乎。故開大面,地步自廣,開小面,地步自狹,不開面,地步自無。

開面と地歩はたとえ兩件事に分作して講ずるるも、其實大面を開くはすなわち地歩を占するに等しく、地歩無きはもまたすなわち開面せずに等し。何をなしてこの如く説くか。大八字は一統して幾重の護帶を罩住し、兩旁の送從纏護は面面相向す――此れはすなわち大面を開くにないか。反って、貫頂出脈・護帶全無・兄弟山緊挨着本身す――此れはすなわち既に地歩無く・又開面せずにないか。ゆえに大面を開くは、地歩自然に寬廣である。小面を開くは、地歩自然に狹窄である。開面しないは、地歩自然に無し。

蓋面之大小,不專指本身言,亦兼羽翼護衛言之也,羽翼護衛多者,地步廣,雖本身之面小,亦為開大面,無羽翼護衛者,地步狹,雖本身之面大,亦為開小面。故開面地步,總是一事,但自身之肩臂眉目肌理之分言之,則為開面,自外層之羽翼護衛言之,則為占地步,論其真假,非肩臂眉目肌理之分不可,固一事而兩名者也。

というのは面の大小は不單に本山に就いて言うのみ、もまた兼ねて羽翼護衛に就いて言うである。羽翼護衛多きは、地歩寬廣にして、本山の面即すなわち小であっても、もまた大面を開くと見なす。羽翼護衛無きは、地歩狹窄にして、本山の面即すなわち大であっても、もまた小面を開くと見なす。ゆえに開面と地歩は歸根到頭は一回事である。本身の肩臂・眉目・肌理の分に就いて講ずるれば、すなわち開面と叫ぶ。外層の羽翼護衛に就いて講ずるれば、すなわち地歩を占すると叫ぶ。而もその真假を論ぜんと欲せば、肩臂眉目肌理の分を見るに非なければ不可なり――本來是れ一件事にして兩個の名稱有るのみである。

論開面地歩包括形勢星辰

秦漢時,論形勢。唐宋時,論星辰,今人止知論勢,其次論星與形,予獨論開面地步者。蓋以山川古今不改,吾人所見不同,總皆發明山川之秘,如狐首青鳥,葬經以形勢察性情,以性情察生氣,撼龍疑龍玉髓經洩天機之類,以地下山形,合上天星象,以人間庶物,狀山川變形,逐類推求,隨形模仿,皆格物以明理,非初學所能驟。

秦漢時候は形と勢を講じ、唐宋時候は星辰を講じ、如今の人はただ勢を講ずるるを知り、其次才に星と形を講ずる。我は却も單に開面と地歩を講ずる。此れ是れというのは山川古今不變にして、ただ我ら各人の見る所同じからないのみ、説到底は皆山川の奧祕を闡發するである。《狐首經》《青鳥經》《葬經》の如きは、形勢を用いて性情を察看し・性情を用いて生氣を察看す。《撼龍經》《疑龍經》《玉髓經》《泄天機》のこの一類の如きは、地上の山形を用いて天上の星象に比附し・人間の百物を用いて山川の變化を描摹し、一類一類に推求し・形狀に照らして模擬す――皆物を格して理を明らかにする工夫にして、初學者の一下子に掌握するよくするにない。

至於開面地步之說參悟萬山性情,總歸一貫機竅,意淺言詳,人所易曉,況形勢星辰,亦皆包括,誠以山龍無關開面地步,即不成形勢星辰,何也?未有不開面而能成形勢者也,未有不開面而能成尊嚴降勢者也,未有不疊疊輾轉開面,而能成飛舞踴躍之勢也,未有開面之羽翼,不面面相向,而能成團聚迴環之勢者也,未有不占地步之廣,而能有勢如重屋茂草喬木,勢如降龍水繞雲從者也,未有不占地步之極廣,而能有勢如巨浪重嶺疊嶂,勢如萬馬自天而下者也。

至りて開面地歩のこの套の説法は、萬山の性情を參透したる後に歸結して一以貫のの機竅とし、用意淺近にして講ずるる詳細、人人明白し易し。何況んや形と勢・星と辰ももまた皆のに包括せられて在るをや。實在はというのは山龍もし開面地歩と關係無ければ、すなわち形勢星辰を成すできない。何をなすか。從來開面せずしてよく其れ形勢を成す有らず。從來開面せずしてよく其れ尊嚴下降の勢を成す有らず。從來層層輾轉開面せずしてよく其れ飛舞踊躍の勢を成す有らず。從來開面の羽翼彼此相向せずしてよく其れ團聚迴環の勢を成す有らず。從來寬廣の地歩を占せずしてよく「勢如重屋」「勢如茂草喬木」「勢如降龍」「勢如水繞雲從」有る有らず。もまた從來極めて寬廣の地歩を占せずしてよく「勢如巨浪」「勢如重嶺疊嶂」「勢如萬馬自天而下」有る有らず。

廖氏曰:胃是脈從頂上柄,星峰不現頭,飽是渾如覆箕樣,醜惡那堪相。楊公曰:大抵星辰嫌破碎,不抱水身多作落,皆星辰不開面之說也。葬經曰:形如亂衣,妬女淫妻,形如仰刀,凶禍難逃,形如臥劍,誅夷逼僭,形如覆舟,女病男囚。又曰:勢如戈矛,兵死刑囚,勢如流水,生人皆鬼,勢如驚蛇,屈曲欹斜,滅國亡家,此皆不開面不占地步之說也。

廖瑀は言う、脈は頂上より直貫して下り、星峰は頭を顯出せず。山體は飽脹して倒扣の簸箕の如く、醜惡にして堪えて細看せずと。楊筠松は言う、「大抵星辰嫌破碎、不抱水身多作落」。此等講ずるる所は皆星辰の開面しないである。《葬經》に言う、「形如亂衣、妒女淫妻。形如仰刀、凶禍難逃。形如臥劍、誅夷逼僭。形如覆舟、女病男囚」。又言う、「勢如戈矛、兵死刑囚。勢如流水、生人皆鬼。勢如驚蛇、屈曲欹斜、滅國亡家」。此等講ずるる所は皆開面せず・地歩を占しないの害處である。

入式歌云:好格面平方合樣,面飽何勞相,不開面者,其面能平而不飽乎。撼龍經曰:作穴分金過如線,曰分金者非即開面之謂乎。又曰:高山頂上平如掌,中分細脈如蛇樣,平如掌即開陽獻面,如蛇樣即束陰吐氣,中分即隱顯之分,又非開面之謂乎,然則古人之論形勢星辰,未嘗不寓開面地步之意,但不明明道破,予故發其隱微,不言形勢星辰,而詳論開面地步也。

《入式歌》に言う、「好格面平方合樣、面飽何勞相」。開面しない山は、その面よく平して飽脹せざらんか。《撼龍經》に言う、「作穴分金過如線」。此處に説く「分金」は、どうしてに開面にないか。又言う、「高山頂上平如掌、中分細脈如蛇樣」。平如手掌はすなわち開陽獻面、細如蛇形はすなわち束陰吐氣、「中分」はすなわち隱分と顯分――此れは又開面を講ずるるにないか。見るべし古人の形勢星辰を論ずるるは、未かつて開面地歩の意思を暗含せざらず、ただ明白に點破しないのみ。ゆえに我はこの層の隱微の處を揭示出來し、形勢星辰を談ぜずして、專門に開面と地歩を詳論す。

饒滅

饒滅者,多者為饒,少者為滅,即挨加法也,蓋暈心標準,左右均勻,挨左則左少右多,謂之滅龍饒虎,挨右則右少左多,謂之滅虎饒龍。又如龍先到而在內,虎後到而在外,龍近虎遠,作穴挨近龍邊,即是滅龍饒虎,虎先到而龍後到,虎近龍遠,作穴挨近虎邊,即為滅虎饒龍是也。

所謂「饒滅」は、多き一辺を饒と呼び、少き一辺を滅と呼び、すなわち穴位を左右に挪移して增減する方法である。穴暈の中心を以て標準と為せば、本來左右は均勻である。もし穴を左辺に挨近せば、左辺は少なく右辺は多し、此を「滅龍饒虎」と呼ぶ。もし穴を右辺に挨近せば、右辺は少なく左辺は多し、此を「滅虎饒龍」と呼ぶ。又如青龍砂先到して內に在り、白虎砂後到して外に在る、龍近く虎遠きは、すなわち作穴するに龍辺に挨近せんことを要す、此すなわち滅龍饒虎である。反って白虎砂先到・青龍砂後到すれば、虎近く龍遠し、作穴するに虎辺に挨近せんことを要す、此すなわち滅虎饒龍である。

其龍虎不交抱,而龍山低虎山高者,亦宜滅龍饒虎,虎山低而龍山高者,則宜滅虎饒龍,又落脈饒滅之法,如脈從左落,勢必趨右,宜右邊受穴,左耳乘龍,棺頭宜親右邊,棺腳宜近左邊,亦曰:滅龍饒虎,右肩落脈,饒滅亦然。

もし龍虎並びに交抱せず、而も青龍山低く白虎山高きは、もまた必ず滅龍饒虎すべし。白虎山低く青龍山高きは、必ず滅虎饒龍すべし。この外に落脈によって饒滅する方法有り。譬如脈の左辺より落下せば、氣勢必定に右辺に趨向す、すなわち右辺に於いて穴を受け、左耳より龍氣を承接し、棺頭はなるべく右辺に靠近・棺脚はなるべく左辺に靠近すべし、此れもまた滅龍饒虎と呼ぶである。もし是れ右肩より落脈せば、饒滅の道理は此れと相同じく方向相反す。

大抵落脈左右之饒滅,與龍虎遠近之饒滅,常自相符,當饒而不饒滅者,禍在公分,如左砂先到,當挨不挨,長房必敗,左水不到穴前故也,右砂先到,當挨不挨,幼房必敗,右水不到穴前故也。又如水自左來,左邊是下砂,不挨右而挨左,則青龍順竄,禍及長房。水自右來,左邊是下砂,不挨左而挨右,則白虎順竄,禍及幼房。

大体上、落脈の左右によって饒滅するは、龍虎の遠近によって饒滅するに、兩者往々にして吻合す。必ず饒すべく必ず滅すべくして照辦しないは、禍事はすなわち某一房頭に落す。譬如左砂先到して、必ず挨り過去すべくして挨らなければ、長房必定に敗落す、左辺の水の穴前に到らないを以てである。右砂先到して、必ず挨り過去すべくして挨らなければ、幼房必定に敗落す、右辺の水の穴前に到らないを以てである。又如し水左辺より來れば、左辺すなわち下砂である、この時右に挨らずして反って左に挨らば、青龍はすなわち水に順い竄走し、禍は長房に及ぶ。水右辺より來れば、左辺なお下砂である、この時左に挨らずして反って右に挨らば、白虎はすなわち水に順い竄走し、禍は幼房に及ぶ。

挨棄

挨棄者,挨生處而棄死處也,如脈從左轉右,則左死右生,從右轉左,則右死左生,雙脈短者為生,齊脈小者為生,貼身砂長者為生,痕影水明者為生,口菱伶俐仰處為生,圓唇薄仰平鋪邊為生,穴腮圓胖為生,牝牡砂先到為生,龍虎灣環靦覥邊為生,氣脈陰陽變化呼吸浮沉之動氣為生,總之,動處、仰處、圓處、有情處、厚者薄處,均為生也,左生發長,右生發幼。

所謂「挨棄」は、すなわち生氣有るの一辺に挨向し、氣死せる一辺を捨棄するである。譬如脈左より右に轉ずれば、すなわち左辺死して右辺生である。右より左に轉ずれば、すなわち右辺死して左辺生である。雙脈の中短き一辺を以て生とし、齊脈の中小さき一辺を以て生とし、貼身護砂の長き一辺を以て生とし、痕影水の明顯なる一辺を以て生とし、口棱の清晰にして上仰の一辺を以て生とし、圓唇の薄くして上仰・平坦鋪展の一辺を以て生とし、穴腮の圓潤豐滿の一辺を以て生とし、牝牡砂の先到の一辺を以て生とし、龍虎の彎環含情の一辺を以て生とし、氣脈に陰陽變化・呼吸浮沉の動氣有るの一辺を以て生とする。總じての、活動の處・上仰の處・圓潤の處・有情の處・厚中の薄處は、皆生に屬す。左辺を以て生と為せばすなわち長房を發し、右辺を以て生と為せばすなわち幼房を發す。

淺深

作穴淺深之法,有以兩邊界水定者,有以穴前小明堂定者,有以一合水定者,窩鉗穴無貼身一合水(一合水即蟹眼水,窩鉗穴無一合水者,即堪輿經所謂:蟹眼不分插氣穴是也,蓋深大窩鉗穴結低處,平中取突,毬簷無蟹眼水分下即以貼穴分合為蟹眼水,金盆穴法亦然)。以兩邊二合水定者,從來議論不一,但兩旁界水之淺深(即二合水),與一合水之淺深,相去懸殊,一合水之淺深,與小明堂之淺深,相去亦懸殊(一合水從穴暈兩旁分下小明堂,即穴前一合水聚處,故二者深淺不同)。

穴位の深淺を定める方法。有りて兩邊界水によって定め、有りて穴前小明堂によって定め、有りて第一重合水によって定む。窝穴鉗穴は貼身の第一重合水無し(第一重合水はすなわち蟹眼水。窝鉗穴に一合水無きは、すなわち《堪輿經》のいう所の「蟹眼不分插氣穴」。というのは深大の窝鉗穴は低處に結し、平中に突を取るを要す。毬簷の下に蟹眼水の分流無ければ、貼穴の分合を挐て權且く蟹眼水に當て、金盆穴法ももまたこの如し)、すなわち兩邊第二重合水によって定む。歷來議論一ならない。但し兩旁界水(すなわち第二重合水)の深淺は、第一重合水の深淺と相差懸殊である。第一重合水の深淺は、小明堂の深淺と相差ももまた甚だ懸殊である(第一重合水は穴暈兩旁より分流して下り、小明堂才に穴前一合水聚集の處である、ゆえに兩者深淺同じからず)。

且穴旁痕影水(即一合水)淺者止一二尺,葬穴不就、應如是之淺,或兩旁溪溝成界,深者數丈,葬穴不應如是之深,即二合水合於圓唇之下,形俯者,或有數丈高低,葬穴亦不應如是之深,然則何以定之,惟小明堂之深淺,與穴高低相等,似可以此其定浮沉。

何況んや穴旁の痕影水(すなわち第一重合水)淺きはただ一兩尺、葬穴は總じてこの地步に淺してはならない。有るの處は兩旁は溪溝にして界を成し、深きは好幾丈有り、葬穴ももまたこの地步に深してはならない。すなわち第二重合水の圓唇の下に於いて會合し、形體俯下の處或いは幾丈高低有り、葬穴同樣にこの地步に深してはならない。では究竟何に靠りて定めん。ただ小明堂の深淺は穴の高低と大致相當し、似乎のを以て葬口の浮沉を定むべき有り。

然每因之過淺,則有風吹蟻入之患(風吹則氣散土影,故出蟻入之),過深則有水溼黑爛之虞(陰來陽受脈緩者,氣浮,陽來陰受脈急者,氣沉,況氣浮宜淺,氣沉宜深,浮沉得宜,全在深淺恰中,為則過深過淺,則氣不蓄,即為腐骨之藏,古云:穴吉葬凶者,亦兼乘平浮沉深淺而言也)。況小明堂上下任人指點,增卑損益隨意可更,其深淺亦無足據。

可是れどのに照らして葬れば常常失して過淺に過ぎ、すなわち風吹蟻入の禍患有り(風一吹けば、氣すなわち散じ土すなわち陰濕し、ゆえに螞蟻を生じて棺內に鑽入す)。失して過深に過ぎれば、又水濕にして棺骨をして發黑腐爛せしむの憂慮有り(陰來陽受・脈勢和緩のは、氣浮。陽來陰受・脈勢急促のは、氣沉。氣浮はなるべく淺く葬り、氣沉はなるべく深く葬るべし。浮沉得宜は全く深淺の恰到好處に在り。過深過淺、氣皆蓄まらず、そのすなわち腐骨の葬と成る。古話に「穴吉葬凶」と言う、もまた兼ねて浮沉深淺の掌握好かないを指して言うである)。何況んや小明堂の上下位置は人に任せて指點し、抬高压低隨意に改め可し、その深淺ももまた憑とするに足らず。

惟金銀爐之淺深,與小明堂界水之淺深(此界水指一合水言),常自相符,宜以小明堂界水淺深尺寸為準則,多留真土托棺,不得鑿至爐底,每掘出小孔探之,將到爐底而止,真土者堅而不浮,韌而不硬,幹而不枯,潤而不溼,明彩而不昏暗,即生氣土也,爐底土,比真土稍淡,稍昏,稍幹,稍溼,稍粗,稍變,不必過硬,方為爐底。

唯だ「金銀爐」の深淺と小明堂界水の深淺(此處の界水は第一重合水を指す)は常常吻合し、ゆえに必ず小明堂界水の深淺尺寸を以て準則とし、多く一層の真土を留めて棺木を托住し、爐底に凿到るべきではない。開挖の時不妨ち小孔を掘りて探試し、爐底に到るに快ければすなわち停手す。所謂真土は、堅實にして虛浮せず、柔韌にして僵硬せず、乾爽にして枯燥せず、潤澤にして潮濕せず、色澤明亮にして昏暗ならない――此すなわち生氣を含む土である。爐底の土は真土より略々淡く・略々暗く・略々乾き・略々濕し・略々粗く・略々變色有り、必定に甚だ硬からず、そのすなわち爐底である。

有等真土厚者,比小明堂更深數丈,若因土美深掘,過於小明堂,必有水溼之患(掘棄爐底穴深水入),故必須以小明堂為準,多留真土,托棺為是(地學云:穴之淺深,為葬法牧功一大著,如形粗勢大皮厚肉肥者,宜深。山小勢微皮嫩肉肥者,宜淺。此可預定,若求真土,必鑿而後見,不可預定。凡開穴先去浮沙浮石,真土有範圍有蓋底,或稍粗土為之範圍,蓋底之中方是精粹之土。太極之暈,有範圍狹小不足容棺止堪容棺者,亦天生自然,不容勉強,順勿打破外暈,暈有暈心多是碗人自土將透底乃見,見此即止,真土皮淺者,打下數尺見土變粗,或土盡見砂,見石急下真土作底三五寸,然後X棺穿可浮土外,取好土和灰堅X,則客水自消,不可掘穿爐底,術家以九星五星量淺深某山間當深幾丈,其說若妄,即量界水則淺深亦未必盡符,動手方知也)。

有一類の處真土甚だ厚く、小明堂よりも深きこと好幾丈。もし土色好きがよって一味に深掘し・小明堂の深度を超過せば、必定に水濕の患いを招來す(爐底を掘穿せば、穴一深ければ水すなわち進入す)。ゆえに必ず小明堂を以て準とし、多く一層の真土を留めて棺木を托住してすなわち對である(《地學》に言う、穴の深淺は葬法中收功の一大關鍵である。形體粗・氣勢大・表皮厚・土肉肥のはなるべく深く、山小・勢微・皮嫩・土肉薄のはなるべく淺し――此等は預め判定すべし。至りて真土を求むるは、必ず開鑿して後すなわち見ることを得、預定することできない。凡そ穴を開くは先ず浮沙浮石を去る。真土にその範圍有り・その蓋底有り、或いは稍々粗の土を以て範圍とし、蓋底の中才に精粹の土である。太極暈或いは範圍狹小・棺を容るに足らず或いは僅かに堪えて棺を容る、そのもまた天生自然にして勉强を容れず、切に外暈を打破する勿れ。暈中に暈心有り、多半碗底の如く一般、挖到して快透底の時にしてすなわち見ることを得、一見すればすなわち必ず停手すべし。真土層淺きは、往下挖すこと幾尺にしてすなわち土變粗を見、或いは土盡きて砂を見・石を見ん、この時赶紧して三五寸真土を鋪きて底を作し、然る後棺を安ず。棺外の浮土處は、好土を取りて石灰と夯實せば、客水自然に消退す、切に爐底を掘穿する勿れ。術士は九星五星によって深淺を量りて、某山必ず深きこと幾丈と説く、あの種の説法は妄斷に近し。たとえ界水によって量るも、深淺未必しも全然相符せず、總じて動手開挖してすなわち知るべし)。

巻四

平洋論

山龍以開面占地步者為勝,平洋亦然,蓋平洋開口,即如山龍面,山龍不開面為無氣,平洋不開口亦為無氣,其理一也(水分氣行,水合氣止,龍不開面,則水不分,平洋不開口,則水不合,故均為無氣)。

山龍はよく面を開きよく地歩を占するを以て上とする、平洋ももまた一樣である。平洋の「開口」は、山龍の「開面」に相當す。山龍は面を開かなければすなわち氣無く、平洋は口を開かなければ同樣に氣無し、道理は一致である(水一分かれれば、氣就行走す。水一會合すれば、氣就停住す。龍面を開かなければ、水就分かれ得ず。平洋口を開かなければ、水就合わらず――ゆえに兩者皆無氣と見なす)。

山龍有星體形勢帳峽纏護者,為占地步,平洋亦有星體形勢,帳峽纏護,其占地步亦一也,但平洋蹤跡,與山龍形體略有異同,今亦以縱橫收放,行止分合,向背斂割仰覆,枝幹大小分晰,龍體穴形,要之不外乎因水驗氣,古云:平洋得水為先,誠要語也。

山龍は星體形勢有り・帳峽纏護有りて、すなわち地歩を占したりと見なす。平洋同樣に星體形勢有り・帳峽纏護有りて、地歩を占する道理ももまた一致である。ただ平洋の形跡と山龍の形體は略々異同有れば、ゆえに此處ももまた縱横・收放・行止・分合・向背・斂割・仰覆・枝干大小によって、分別に龍の體態と穴の形狀を剖析す。歸結すれば、總じて「因水驗氣」の四字に外ならない。古話に「平洋得水為先」と言う、實在是れ要緊の話である。

因水驗氣

氣者,水之母也,水者,氣之子也,有氣斯有水,有水斯有氣,氣無形而難見,水有跡而可求,水來則氣來,水合則氣止,水抱則氣全,水匯則氣蓄,水有聚散,而氣聚散因之,水有淺深,而氣之厚薄因之,故因水可以驗氣也。

氣は水の母親、水は氣の兒子である。氣有ればすなわち水有り、水有ればすなわち氣有り。氣は形體無く、見ること難し。水は蹤跡有り、求むる可し。水來ればすなわち氣來、水合すればすなわち氣止、水抱すればすなわち氣全、水匯ればすなわち氣蓄まる。水に聚有り散有れば、氣ももまたのに隨いて聚散す。水に淺有り深有れば、氣ももまたのに隨いて厚薄す。ゆえに水を凭って氣を檢驗するを得。

若池湖蕩胸無收,則氣不能聚,江湖潑面無案,則勢不可當(入懷之水太寬為蕩胸,必須退後收小或近收貼穴小水,方可取城,入水當面直沖為潑面,宜有近案遮攔,不致直見汪洋為妙,詳後枝幹篇)。其易盈易涸,急去急來,倏淺倏深,或環或直者,亦有盛衰之應,惟大水之內又有小水,重重包裹,方見氣之藏而聚。大界之內,更有微茫,隱隱分合(貼穴痕隱水),方見氣之動而止。

もし池湖の水蕩漾して胸に及んで收束無ければ、氣就聚まらず。江湖の水撲面而來し又案山無ければ、その氣勢就抵擋し得ず(懷中に進入する水太寛なるを、「蕩胸」と叫ぶ。必ず往後一步を退いて小さき收束を取り、或いは就近して貼穴の小水を收取して、すなわち局を立つるよくす。水當面直衝するを「潑面」と呼び、必ず近案有りて遮攔し、一眼に汪洋を望見せずしてすなわち好し、詳しくは後面《枝干大小》篇を見よ)。その些の漲滿し易く乾涸し易く、急來急去、忽淺忽深、時に環抱し時に直流の水も、もまた各々興衰の應驗有り。ただ大水の內に又小水層層包裹有れば、すなわち氣藏してよく聚まるを見るべし。大界水の內に更に微茫の隠隠分合有れば(すなわち貼穴の痕影水)、すなわち氣動してよく止まるを見るべし。

故眷(去而回顧)、戀(深聚留戀)、回(迴環曲折)、環(繞抱有情)、交(兩水交會)、鎖(關萬緊密)、織(之口如織)、結(眾水匯瀦)皆氣之所在也。穿(穿胸破肋)、牽(天心直出,牽動土牛)、射(小水直來,形如箭射)、反(形如反弓),直(來去無情)、沖(大水沖來)皆氣之離也。如反者使之環抱,直者使之曲折,散者可以聚之,去者可以蔽之,挽回造化,亦在人功,但本身血脈有情顧後者(貼穴小水環繞也),務宜按親,幹龍大水,無意留戀者,不可扳援,若山谷之平洋,山多水少,雖見大水無害,總要自家界合為先耳(貼穴界合無論山洋,必不可少)。

ゆえに「眷」(水流走去て還だ回頭顧盼す)、「戀」(水深聚りて留連去らず)、「回」(回環曲折す)、「環」(環繞して穴を抱き有情である)、「交」(兩水交會す)、「鎖」(關攔緊密す)、「織」(水路交錯して織の如し)、「結」(衆水匯聚して潭を成す)、此等は皆氣の所在である。而して「穿」(胸を穿ち肋を破る)、「牽」(水天心より直出して、土牛を牽動す)、「射」(小水直來して箭の如し)、「反」(形如反弓)、「直」(來去無情)、「衝」(大水衝來)、此等は皆氣已に離散せり。もし反弓のよく環抱に改成し、直流のよく曲折に改成し、散漫のよく聚攏し、流走のよく遮擋するを設法せば、すなわち造化を挽回するももまた人力に在り。ただ本身血脈有情・回頭我を顧る(すなわち貼穴の小水環繞)、務めて親近取用すべし。干龍の大水本來留戀の意無きは、すなわち勉强攀附してはならない。至りて山谷中の平洋は、山多く水少く、たとえ大水を見るももまた妨なし、總じて自家に界水交合有るを以て第一要務とする(貼穴の界水交合は、山地平洋を論ぜず皆缺少してはならない)。

縱橫

兩水夾送龍身直行者為縱,兩邊枝水插入者為橫。大龍奔行數百十里,或數十里,或一二里,兩邊枝水插入,如八字樣者為帳,枝水分流,或數百里,或十餘里者為大帳,一二里者為小帳,兩邊枝水長短不齊,闊狹不一,帳之邊多邊少,龍之中出偏出,均於此辨之,帳大而多者龍大,帳小而少者龍小,亦有借縱為橫,借橫為縱者,總以枝葉茂地步廣者力大。

兩道の水夾みて護送し・龍身筆直に前行するを「縱」と叫ぶ。兩旁に枝水の插進して來りる有るを「橫」と叫ぶ。大龍の奔行幾百里・或いは幾十里・或いは一二里、兩旁に枝水插入して八字形を呈するは、すなわち帳である。枝水分流して幾百里或いは十幾里達するは大帳、ただ一二里のは小帳である。兩旁枝水の長短不齊・寬窄不一、帳は一邊多く一邊少く、龍は中出か還だ偏出か、皆此處より分辨す。帳大にして多きは龍すなわち大、帳小にして少きは龍すなわち小。もまた縱を借りて橫を作し・橫を借りて縱を作す有り、總じて枝葉茂盛・地歩寬廣の力量大を以てす。

但平洋縱橫,不如山龍易見,枝龍縱橫,又不如幹龍易見,蓋幹龍有大江大河為憑,而枝龍惟小河小濱,或低田低地,忽縱忽橫,難以體認,非遠著足力,細細推求不可,其龍身來去脊脈,只以兩邊小河小濱插入,或低田低地中,有一段高起處證之。

不過平洋の縱橫は山龍の如く見え易からず、枝龍の縱橫は又干龍の如く見え易からず。というのは干龍は大江大河有りて憑據を作すを得、而して枝龍はただ小河小浜、或いは低田低地、忽ち縱・忽ち橫、甚だ體察辨認し難し、多く遠路を走り・細々と推求せなければ不可である。その龍身來去の脊脈は、ただ兩旁小河小浜の插進して來りる形跡に靠る、或いは低田低地の當中に一段高起する處有るに靠りて、のを以て印證を加うべし。

河界田,而田之闊大處是橫,濱界田,而田之狹長處是縱,小濱橫生處是橫,直生處是縱,未分小濱之前是橫,已分小濱之後是縱,小河倏而橫流,小濱忽而直生,忽而橫生,低田低地,亦如是者,都是借縱為橫,借橫為縱也。

河は田を界開し、田面寬闊の處はすなわち橫。浜は田を界開し、田面狹長の處はすなわち縱。小浜横に生出するは橫、直に生出するは縱。還だ小浜を分出しない前は橫、已に小浜を分出したる後は縱。小河忽然として橫流し、小浜忽而直生・忽而橫生し、低田低地ももまたこの如く變來變去す、此等は皆縱を借りて橫を作し・橫を借りて縱を作すに屬す。

總之縱者中尊自主,橫者側體顧人,縱如菜臺花心,橫如菜葉花瓣,菜葉花瓣,為護其心,枝腳纏護,因衛其主,橫者是開為合之機,合者是收成縱之局,故有縱不可無橫,有橫不可無縱,有縱無橫者,即無蓋護,有橫無縱者,何以成龍,然亦有等龍身,在大江大河之中,或隔十餘里,或隔一二里,有圬田浮於水面,如鷗鷺之浴波,或如珪如壁,大小長短相間斷續而來,此以小而直長者為縱,大而橫闊者為橫,察其到頭,定有真止,故龍穴皆縱中之事,砂水皆橫中之事(龍脈雖多曲折,總居中而貫穴,砂水即有直長,皆在龍穴兩旁分餚)。

總じての、縱は居中を尊とし・自ら主宰を作し、橫は側過來て人を照顧す。縱は就好比て菜心・花心、橫は就好比て菜葉・花瓣。菜葉花瓣は菜心花心を護住するをなし、枝脚纏護はその主脈を衛護するをなす。橫は「開」にして「合」を準備する機括、合は又「收」にして縱の格局を形成す。ゆえに縱有れば橫無からないべきではない、橫有れば縱無からないべきではない。縱有りて橫無きは、すなわち蓋護無し。橫有りて縱無きは、又怎麼其れ龍を成さんや。此外に一類の龍身の大江大河の中に處する有り、或いは十幾里を隔て・或いは一二里を隔て、圩田の水面上に浮ぶ有り、鷗鷺浮波の如く、或いは圭の如く・璧の如く、大小長短相間・斷斷續續として過來す。この種の情形は、すなわち小而直長のを以て縱とし・大而橫闊のを以て橫とする。その到頭の處を察看すれば、必定に真の停止有り。ゆえに龍と穴は皆縱の此一邊の事に屬し、砂と水は皆橫の此一邊の事に屬す(龍脈はたとえ多く曲折す、總じて居中して穴に貫穿す。砂水はたとえ直して長しとも、もまた皆龍穴の兩旁に分列す)。

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