Libo

中論 巻第一

姚秦 · 龙树造,鸠摩罗什译 · 第25巻 / 28

「若涅槃是有,云何名無受?

「もし涅槃が有なれば、どうして無受と名づけんか。

無有不從受,而名為有法。」

本より受に随わずして有法と名づくことなし。」

若謂涅槃是有法者,經則不應說無受是涅槃。何以故?無有有法不受而有,是故涅槃非有。

もし涅槃は有法と言うならば、経は無受は涅槃と説くべきではない。なぜか。有法は受に随わずして有ることなきがゆえである。ゆえに涅槃は有ではない。

問曰:若有非涅槃者,無應是涅槃耶?

問う者曰く、もし有が涅槃でなければ、無は涅槃であるべきか。

答曰:

答える者曰く、

「有尚非涅槃,何況於無耶!

「有すらなお涅槃にあらず。いわんや無をや。

涅槃無有有,何處當有無?」

涅槃に有なければ、どうしてなお無があらんか。」

若有非涅槃,無云何是涅槃?何以故?因有故有無;若無有,何有無?如經說,先有今無則名無。涅槃則不爾。何以故?非有法變為無故。是故無亦不作涅槃。復次:

もし有が涅槃でなければ、無はどうして涅槃ならんか。なぜか。有有るに因ってこそ無有るがゆえである。もし有なければ、どうして無があらんか。経の上の説くが如く、先前に有りて今に無し、こそ無と名づく。涅槃はしかくはない。なぜか。有法が変じて無と為るのではない。ゆえに無もまた涅槃を作さない。さらにいえば、

「若無是涅槃,云何名不受?

「もし無が涅槃なれば、どうして不受と名づけんか。

未曾有不受,而名為無法。」

本より不受にして無法と名づくことなし。」

若謂無是涅槃,經則不應說不受名涅槃。何以故?無有不受而名無法,是故知涅槃非無。

もし無が涅槃と言うならば、経は不受を涅槃と名づくと説くべきではない。なぜか。不受にして無法と名づくことなきがゆえに、涅槃は無ではないと知る。

問曰:若涅槃非有非無者,何等是涅槃?

問う者曰く、もし涅槃が有でもなく無でもなければ、何をか涅槃と為すか。

答曰:

答える者曰く、

「受諸因緣故,輪轉生死中;

「諸の因縁を受くるがゆえに、生死の中に輪転す。

不受諸因緣,是名為涅槃。」

諸の因縁を受けざれば、これをこそ涅槃と名づく。」

不如實知顛倒故,因五受陰往來生死。如實知顛倒故,則不復因五受陰往來生死。無性五陰不復相續故,說名涅槃。復次:

如実に知らず顛倒なるに因って、五受陰に依って生死に往来す。如実に顛倒を知れば、さらに五受陰に依って生死に往来せず。無性の五陰はさらに相続せず。ゆえに涅槃と名づく。さらにいえば、

「如佛經中說,斷有斷非有;

「仏経の中の説くが如く、有を断じ非有を断ず。

是故知涅槃,非有亦非無。」

ゆえに知るべし、涅槃は非有また非無なりと。」

有名三有,非有名三有斷滅。佛說斷此二事故,當知涅槃非有亦非無。

有とは三有と名づけ、非有とは三有の断滅と名づく。仏はこの二事を断ずと説く。知るべし、涅槃は非有また非無なりと。

問曰:若有若無非涅槃者,今有無共合是涅槃耶?

問う者曰く、もし有も無も涅槃でなければ、いま有と無とを合せたるが涅槃か。

答曰:

答える者曰く、

「若謂於有無,合為涅槃者,

「もし有無を合せたるを涅槃と為すと言うならば、

有無即解脫,是事則不然。」

有無はすなわち解脱なり。この事は当らず。」

若謂於有無合為涅槃者,即有無二事合為解脫。是事不然。何以故?有無二事相違故,云何一處有?復次:

もし有無を合せたるを涅槃と為すと言うならば、すなわち有・無の両事を合せて解脱と為すなり。この事は当らない。なぜか。有・無の両事は相い違す。どうして一処に有らんか。さらにいえば、

「若謂於有無,合為涅槃者;

「もし有無を合せたるを涅槃と為すと言うならば、

涅槃非無受,是二從受生。」

涅槃はすなわち無受にあらず。この二様は皆受に随って生ず。」

若謂有無合為涅槃者,經不應說涅槃名無受。何以故?有無二事從受生,相因而有。是故有無二事,不得合為涅槃。復次:

もし有無を合せたるを涅槃と為すと言うならば、経は涅槃は無受と名づくと説くべきではない。なぜか。有・無の両事は受に随って生じ、相因して有るがゆえである。ゆえに有・無の両事は合せて涅槃と為すこと能わず。さらにいえば、

「有無共合成,云何名涅槃?

「有無が共に合成するは、どうして涅槃と名づけんか。

涅槃名無為,有無是有為。」

涅槃は無為と名づく。有無は是れ有為なり。」

有無二事共合,不得名涅槃。涅槃名無為,有無是有為,是故有無非是涅槃。復次:

有・無の両事が共に合成するは、涅槃と名づくこと能わず。涅槃は無為と名づき、有無は是れ有為なり。ゆえに有無は涅槃ではない。さらにいえば、

「有無二事共,云何是涅槃?

「有無の両事が共なるは、どうして涅槃ならんか。

是二不同處,如明暗不俱。」

この二様は同じ処ならず。明暗は同時に能わざるが如し。」

有無二事不得名涅槃。何以故?有無相違,一處不可得,如明暗不俱。是故有時無無、無時無有,云何有無共合而名為涅槃?

有・無の両事は涅槃と名づくこと能わず。なぜか。有無は相い違して、一処に求めて得られず、明暗は同時に能わざるが如し。ゆえに有の時には無なく、無の時には有なし。どうして有無が共に合成して涅槃と名づけんか。

問曰:若有無共合非涅槃者,今非有非無應是涅槃。

問う者曰く、もし有無の共に合成するが涅槃でなければ、いま非有非無が涅槃であるべきである。

答曰:

答える者曰く、

「若非有非無,名之為涅槃;

「もし非有非無を涅槃と名づくれば、

此非有非無,以何而分別?」

この非有非無は、何を以てか分別せんか。」

若涅槃非有非無者,此非有非無因何而分別?是故非有非無是涅槃者,是事不然。復次:

もし涅槃が非有非無なれば、この非有非無は何を以てか分別せんか。ゆえに非有非無が涅槃とは、この事は当らない。さらにいえば、

「分別非有無,如是名涅槃;

「非有非無を分別して、このようであってこそ涅槃と名づく。

若有無成者,非有非無成。」

もし有無が能く成立せば、こそ非有非無もまた成立せん。」

汝分別非有非無是涅槃者,是事不然。何以故?若有無成者,然後非有非無成。有相違名無、無相違名有,是有無第三句中已破。有無無故,云何有非有非無?是故涅槃非非有非非無。復次:

あなたが非有非無を分別して涅槃と為すは、この事は当らない。なぜか。もし有無が能く成立して、しかる後にこそ非有非無もまた成立す。有に相い違するを無と名づけ、無に相い違するを有と名づく。この有無は第三句の中にすでに破った。有無なきに、どうしてなお非有非無があらんか。ゆえに涅槃は非非有・非非無ではない。さらにいえば、

「如來滅度後,不言有與無,

「如来が滅度して後、有と無とを説かず。

亦不言有無,非有及非無。

また又有又無を説かず、および非有と非無をも。

如來現在時,不言有與無,

如来が現在の時に、有と無とを説かず。

亦不言有無,非有及非無。」

また又有又無を説かず、および非有と非無をも。」

若如來滅後、若現在,有如來亦不受,無如來亦不受,亦有如來亦無如來亦不受,非有如來非無如來亦不受。以不受故,不應分別涅槃有無等。離如來,誰當得涅槃?何時何處以何法說涅槃?是故一切時一切種、求涅槃相不可得。復次:

如来の滅後であれ現在であれ、如来有りも受けず、如来無きも受けず、又有如来又無如来も受けず、非有如来非無如来も受けない。不受なるがゆえに、涅槃の有無等を分別すべきではない。如来を離れて、誰が涅槃を得るべきか。何の時・何の処・何の法を以てか涅槃を説かんか。ゆえに一切の時・一切の種に、涅槃の相を推し求めて皆得られない。さらにいえば、

「涅槃與世間,無有少分別;

「涅槃と世間とは、少許の分別もなし。

世間與涅槃,亦無少分別。」

世間と涅槃とも、また少許の分別なし。」

五陰相續往來因緣故,說名世間。五陰性畢竟空無受寂滅,此義先已說。以一切法不生不滅故,世間與涅槃無有分別,涅槃與世間亦無分別。復次:

五陰が相続して往来する因縁を、世間と名づく。五陰の性は畢竟空・無受・寂滅なり。この義理は先前にすでに説いた。一切法が不生不滅なるに因って、世間と涅槃と分別なく、涅槃と世間ともまた分別なし。さらにいえば、

「涅槃之實際,及與世間際,

「涅槃の実際、および世間の際は、

如是二際者,無毫釐差別。」

このように二つの際は、毫厘の差別なし。」

究竟推求世間、涅槃、實際、無生際,以平等不可得故,無毫釐差別。復次:

究竟に世間・涅槃・実際・無生際を推し求めれば、平等にして求めて得られざるに因って、毫厘の差別なし。さらにいえば、

「滅後有無等,有邊等常等,

「滅後の有無等、有辺等・常等は、

諸見依涅槃,未來過去世。」

諸の見は涅槃・未来・過去世に依るなり。」

如來滅後有如來、無如來、亦有如來亦無如來、非有如來非無如來。世間有邊、世間無邊、世間亦有邊亦無邊、世間非有邊非無邊。世間常、世間無常、世間亦常亦無常、世間非有常非無常。此三種十二見。如來滅後有無等四見,依涅槃起。世間有邊無邊等四見,依未來世起。世間常無常等四見,依過去世起。如來滅後有無等不可得,涅槃亦如是。如世間前際後際、有邊無邊、有常無常等不可得,涅槃亦如是。是故說世間、涅槃等無有異。復次:

如来の滅後に如来有り・如来無し・又有如来又無如来・非有如来非無如来。世間は辺有り・世間は辺なし・世間は又有辺又無辺・世間は非有辺非無辺。世間は常・世間は無常・世間は又常又無常・世間は非有常非無常。この三種の十二見。如来の滅後の有無等の四見は、涅槃に依って生起す。世間の有辺無辺等の四見は、未来世に依って生起す。世間の常無常等の四見は、過去世に依って生起す。如来の滅後の有無等は求めて得られず、涅槃もまたこのようである。世間の前際後際・有辺無辺・有常無常等が求めて得られざるが如く、涅槃もまたこのようである。ゆえに世間・涅槃等に差異なしと説く。さらにいえば、

「一切法空故,何有邊無邊,

「一切法空なれば、どうしてなお辺・無辺有らんか、

亦邊亦無邊,非有非無邊?

又辺又無辺・非有辺非無辺があらんか。

何者為一異,何有常無常,

何をか一・異と為し、どうして常・無常有らんか、

亦常亦無常,非常非無常?

又常又無常・非常非無常があらんか。

諸法不可得,滅一切戲論,

諸法は求めて得られず、一切の戯論を滅して、

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