新书 · 第7巻
然後,卜王太子名,上毋取於天,下毋取於地,毋取於名山通谷,毋悖於鄉俗。是故君子名難知而易諱也,此所以養恩之道也。
然る後、王太子の名を占卜す、上天に取る勿れ、下地に取る勿れ、名山通谷に取る勿れ、鄉俗に悖る勿れ。此に因りて君子の名知り難くして避諱し易し、是れ以て恩を養うの道なり。
正之禮者,王太子無羞臣領臣之子也,故謂領臣之子也?身朝王者,妻朝後,之子朝王太子,是謂臣之子也,此正禮胎教也。周妃後妊成王於身,立而不跛,坐而不差,笑而不諠,獨處不倨,雖怒不罵,胎教之謂也。成王生,仁者養之,孝者襁之,四賢傍之。成王有知,而選太公為師,周公為傅,前有與計,而後有與慮也。是以封於泰山而禪於梁父,朝諸侯,一天下。由此觀之,主左右不可不練也。
正の禮、王太子臣領臣の子に羞せず、ゆえに之を領臣の子と謂うか?自身王を朝するは、妻后を朝し、子王太子を朝す、是れを臣の子と謂う、是れ正禮胎教なり。周妃后成王を身に懷く、立ちて跛せず、坐りて差わず、笑いて喧せず、獨處倨傲せず、たとい怒るとも罵らず、卽ち是れ胎教なり。成王生まれ、仁者之を養い、孝者之を襁し、四賢旁に在り。成王知有りて、而して太公を選びて師を爲し、周公を爲りて傅を爲し、前人と共に謀劃する有り、後人と共に思慮する有り。此に因りて泰山に封し梁父に禪し、諸侯を朝し、天下を統一す。此より觀れば、主の左右選擇せざる可からず。
昔禹以夏王,而桀以夏亡:湯以殷王,而紂以殷亡:闔閭以吳戰勝無敵,而夫差以之見禽于越:文公以晉伯,而厲公以見殺於匠麗之宮:威王以齊強於天下,而簡公以殺於檀臺:穆公以秦顯名尊號,而二世以劫於望夷之宮。其所以君王同,而功跡不等者,所任異也。
從前禹夏に因りて王と稱し、桀夏に因りて滅亡す;湯殷に因りて王と稱し、紂殷に因りて滅亡す;闔閭呉に因りて戰勝無敵し、夫差因りて越に擒獲せらる;文公晉に因りて稱霸し、厲公因りて匠麗の宮に於て殺せらる;威王齊に因りて天下に強く、簡公因りて檀台に於て殺せらる;穆公秦に因りて名を顯し號を尊し、二世因りて望夷宮に於て劫せらる。彼ら君王を爲る所以相同じくして、而して功跡等しからざるは、是れ任用する所同じからざるなり。
故成王處襁褓之中,朝諸侯,周公用事也。武靈王五十而弒於沙丘,任李兌也。齊桓公得管仲,九合諸侯,一匡天下,稱為義主:失管仲,任豎刀,而身死不葬,為天下笑。一人之身,榮辱具施焉者,在所任也。故魏有公子無忌,而削地復:趙任藺相如,而秦兵不敢出:安陵任周瞻,而國獨立:楚有申包胥,而昭王復反:齊有陳單,襄王得其國。由此觀之,無賢佐俊士,能成功立名,安危繼絕者,未之有也。是以國不務大而務得民心,佐不務多而務得賢者。得民心而民往之,得賢者而賢者歸之。
ゆえに成王襁褓の中に處りて、諸侯を朝するは、是れ周公事を用うるなり。武靈王五十歲沙丘に於て弑せらるは、是れ李兌を任用す。齊桓公管仲を得て、九合諸侯し、天下を一匡し、義主と稱す;管仲を失い、豎刁を任用して、而して身死して葬られず、天下に笑わる。一個人の身は、榮辱皆施加し、任用する所に在り。ゆえに魏公子無忌有りて、地を削られて恢復を得;趙藺相如を任用して、秦兵敢えて出でず;安陵周瞻を任用して、國獨立す;楚申包胥有りて、昭王返回を得;齊陳單有りて、襄王其の國を得。此より觀れば、賢佐俊士なくして、能く功成り名立ち、安危繼絕するは、未だ曾てあらず。此に因りて國大を求むるを務めずして民心を得るを務め、佐多きを求むるを務めずして賢者を得るを務む。民心を得て民歸往し、賢者を得て賢者歸向す。
文王請除炮烙之刑,而殷民從:湯去張網者之三面,而二垂至:越王不頹舊冢,而吳人服。以其所為順於人也。故同聲則處異而相應,意合則未見而相親。賢者立於本朝,而天下之士相率而趨之,何以知其然也?管仲者,桓公之讎也。鮑叔以為賢於己,而進之桓公。七十言說,乃聽。遂使桓公除仇讎之心,而委之國政焉。桓公垂拱無事而朝諸侯,鮑叔之力也。管仲之所以趨桓公,而無自危之心者,同聲於鮑叔也。
文王炮烙の刑を除去するを請う、殷民跟從す;湯網を張る者の三面を去り、兩邊來りて歸す;越王舊冢を毀らず、呉人服從す。是れ其の作爲人に順從するに因るなり。ゆえに同聲卽ち異處に處りて相應し、意合すれば卽ち未だ見えざるに相親しむ。賢者本朝に立てば、天下の士相率い趨赴す、何を以てかくのごときを知らん?管仲は、是れ桓公の仇なり。鮑叔以爲彼己より賢なりとし、而して桓公に進給す。七十次進言游說して、纔かに聽かる。於是桓公をして仇敵の心を除去せしめて、而して國政を彼に委託す。桓公垂拱事なくして諸侯を朝するは、是れ鮑叔の力なり。管仲桓公に趨赴する所以、而して自危の心なきは、是れ鮑叔と同聲なり。
衛靈公之時,蘧伯玉賢而不用,彌子瑕不肖而任事。史?患之,數言蘧伯玉賢而不聽。病且死,謂其子曰:"我即死,治喪於北堂。吾生不能進蘧伯玉而退彌子瑕,是不能正君也。生不能正君者,死不當成禮。死而置屍於北堂,於我足矣。"靈公往吊,問其故,其子以父言聞。靈公戚然易容而寤曰:"吾失矣。"立召蘧伯玉而進之,召彌子瑕而退之。徙喪於堂,成禮而後去。衛國以治,史?之力也。夫生進賢而退不肖,死且未止,又以尸諫,可謂忠不衰矣。
衛靈公の時候、蘧伯玉賢にして用いられず、彌子瑕不肖にして事に任ず。史魚(底本缺字)此を憂患し、屢々蘧伯玉賢なりと説くも聽かれず。病將に死せんとして、其の子に對して曰く、「我一旦死せば、北堂に於て喪を治めよ。我生きて蘧伯玉を進用して彌子瑕を斥退する能わざれば、是れ君を端正する能わざるなり。生きて君を端正する能わざるは、死して禮を成すに當らず。死して屍を北堂に放くは、我に對して足れり」と。靈公前往して弔い、緣故を問う、其の子父親の言を以て稟告す。靈公戚然として容を改めて覺悟して曰く、「我錯れり」と。立刻蘧伯玉を召して進用し、彌子瑕を召して斥退す。喪を堂に遷し、禮を成して然る後離る。衛國因りて治理す、是れ史魚の力なり。生きて賢を進めて不肖を退け、死して還りて停止せず、また屍を以て進諫す、忠衰えずと謂う可し。
紂殺王子比干,而箕子被髮而佯狂。陳靈公殺洩冶,而鄧元去陳以族徙。自是之後,殷幷於周,陳亡於楚,以其殺比干與洩冶而失箕子與鄧元也。燕昭王得郭隗,而鄒衍。樂毅自齊。魏至,於是舉兵而攻齊,棲閔王於莒。燕度地計眾,不與齊均也,然而所以能信意至於此者,由得士故也。故無常安之國,無宜治之民,得賢者顯昌,失賢者危亡。自古及今,未有不然者也。
紂王子比干を殺し、箕子髮を披きて狂を假裝す。陳靈公泄冶を殺し、鄧元陳を離れて族を帶びて遷徙す。此より後、殷周に兼倂せられ、陳楚に亡ぼす、比干と泄冶とを殺して箕子と鄧元とを失うに因るなり。燕昭王郭隗を得て、鄒衍・樂毅齊・魏より到來し、於是兵を擧げて齊を攻め、閔王をして莒に栖止せしむ。燕土地を度量し部衆を計算すれども、齊と均等ならず、然るに意をかくのごとくに至るまで伸ぶる能くする所以は、士を得るの緣故に由るなり。ゆえに常安の國なく、一定治む可きの民なし、賢を得れば顯昌し、賢を失えば危亡す。古より今に至るまで、かくのごとくならざるなし。
明鑑所以照形也,往古所以知今也。夫知惡古之所以危亡,不務襲跡於其所安存,則未有異於卻走而求及前人也。太公知之,故國微子之後,而封比干之墓。夫聖人之於聖者之死,尚如此其厚也,況當世存者乎!其弗失可知矣。
明鑑は以て形を照らすに用い、往古は以て今を知るに用う。古の危亡する所以を厭惡するを知りて、沿襲安存する所以の事跡を務求めざれば、卽ち倒れて走りて前の人に趕上せんを求むると異なることなし。太公此を知る、ゆえに微子の後代に國を建てて、而して比干の墓を封ず。聖人聖者の死に對して、尚かくのごとく厚し、況んや當代還りて在る人をや!彼失わざる知る可し。
立後義
立後義
古之聖帝,將立世子,則帝自朝服,升自阼階上,西鄉於妃。妃抱世子自房出,東鄉。太史奉書西上堂,當兩階之閒,北面立,曰世子名曰某者參。帝執禮稱辭命世子曰度太祖。太宗與社稷於子者參。其命也妃曰不敢者再。於三命曰謹受命,拜而退。太史以告太祝,太祝以告太祖。太宗與社稷。太史出,以告太宰,太宰以告州伯,州伯命藏之州府。凡諸貴已下,至於百姓,男女無敢與世子同名者。以此防民,百姓猶有爭為君者。
古の聖帝、將に世子を立てんとすれば、帝自ら朝服を穿ち、東階より登り、西に向かいて妃に對す。妃世子を抱きて房より出で、東に向かう。太史書を捧げて西より堂に上り、兩階の間に當たり、北に面して立ちて、世子名某と曰うこと三次。帝禮を執りて辭命を稱して世子に曰く太祖・太宗と社稷とを汝に託付すと(底本「度」、疑らく「托」)三次。命の時妃不敢と曰うこと兩次。第三次命に至りて謹みて命を受くと曰い、拜して退く。太史太祝に告げ、太祝太祖・太宗と社稷とに告ぐ。太史出去りて、太宰に告げ、太宰州伯に告げ、州伯命して州府に藏めしむ。凡是れ諸貴以下、百姓に至るまで、男女敢えて世子と同名せず。此を以て民を防範す、百姓還りて君を爲さんと爭う有り。
夫勢明,則民定,而出於一道,故人皆爭為宰相,而不奸為世子。非宰相尊而世子卑也,不可以智求,不可以力爭也。今以為知子莫如父,故疾死置後者,恣父之所以,比使親戚不相親,兄弟不相愛,亂天下之紀,使天下之俗失,明尊敬而不讓,其道莫經於此。疾死置後,以嫡長子,如此則親戚相愛而兄弟不爭,此天下之至義也。民之不爭,亦惟學王宮國君室也。
勢分明すれば、民卽ち安定し、而して一道より出づ、ゆえに人皆宰相を爲らんと爭いて、而して世子を爲らんと奸謀せず。是れ宰相尊くして世子卑きにあらず、是れ智を以て求む可からず、力を以て爭う可からざるなり。今以爲子を知る父に及ぶなしとす、ゆえに急病死し後嗣を設置するは、父の所以を放恣す、親戚をして相親しまざらしめ、兄弟をして相愛せざらしめ、天下の紀を亂り、天下の俗をして失わしめ、尊敬を彰明して讓らざるに比ぶれば、其道此より經常なるはなし。急病死し後嗣を設置するに、嫡長子を以てすれば、かくのごとければ親戚相愛して兄弟爭わず、是れ天下の至義なり。民爭わざるは、亦只王宮國君の室を學ぶのみ。
殷湯放桀,武王弒紂,此天下之所同聞也。為人臣而放其君,為人下而弒其上,天下之至逆也。而所以有天下者,以為天下開利除害,以義繼之也,故聲名稱於天下而傳於後世。隱其惡而揚其德美,立其功烈而傳之於久遠,故天下皆稱聖帝。至治其道之下,當天下之散亂,以強凌弱,眾暴寡,智欺愚,士卒罷弊,死於甲兵,老弱騷動,不得治產業,以天下之無天子也。
殷湯桀を放逐し、武王紂を弑す、是れ天下の共に聞く所なり。人臣を爲りて其の君を放ち、人下を爲りて其の上を弑するは、是れ天下の至逆なり。而して天下を有する所以は、以て天下のため利を開き害を除き、義を以て繼承す、ゆえに聲名天下に稱して後世に傳わる。其の惡を隱藏して其の德美を顯揚し、功烈を樹立して久遠に傳う、ゆえに天下皆聖帝と稱す。其の道下に在るに及びて、まさに天下散亂し、強を以て弱を凌ぎ、人多く暴虐人少なし、智愚を欺き、士卒疲弊し、甲兵に死し、老弱騷動し、產業を治理する能わず、是れ天下天子なきに因るなり。
高皇帝起於布衣,而兼有天下,臣萬方諸侯,為天下闢興利除害,寢天下之兵,天下之至德也,而天下莫能明高皇帝之德美,定功烈而施之於後世也,故天下猶行弊世德與其功烈風俗也。夫帝王者,莫不相時而立儀,度務而制事,以馴其時也。欲變古易常者,不死必亡,此聖人之所制也。惡民更之,故拘為書使結之也,所以聞於後世也。
高皇帝布衣より興起して、而して天下を兼有し、萬方諸侯を臣服し、天下の君を爲りて利を興起し害を除去し、天下の兵を止息す、是れ天下の至德なり、而して天下能く高皇帝の德美を彰明し、功烈を確定して後世に施加するなきは、ゆえに天下還りて弊世の德と其の功烈風俗とを實行す。帝王は、時に相じて儀を立て、事務を度量して事を制し、以て其の時を馴服せしめざるなし。古を變え常規を改易せんと欲するは、死せざるも亦必ず亡ぶ、是れ聖人の制約する所なり。民の更改するを怕れて、ゆえに拘束して寫して書を成りて人をして結記せしむ、是れ以て後世に傳聞するに用うるなり。
