泰(卦十一)·乾下坤上
《泰》:小往大來,吉,亨。《彖》曰:“泰,小往大來。吉,亨。”則是天地交而萬物通也,上下交而其志同也。內陽而外陰,內健而外順,內君子而外小人,君子道長,小人道消也。《象》曰:天地交,泰。后以財成天地之道,輔相天地之宜,以左右民。
《泰》の卦は下乾上坤、天気は下降し地気は上昇し、二気が交感する。ゆえに「泰」と言い、通泰の義である。卦辞に言う。小さき者(陰)は外に往き、大いなる者(陽)は裡に来たる。吉、亨通する。《彖伝》は解釈する。いわゆる「泰、小往大来、吉、亨」は、天地の気が交合して万物が通暢し、君臣上下が相交わって心志が相同じいことを言う。この卦は内卦が陽、外卦が陰、内卦は剛健、外卦は柔順、内に君子あり外に小人あり、まさに君子の道が日増しに増長し、小人の道が日に日に消退する局面である。《大象伝》に言う。天地の気が交合するは《泰》の卦象である。君主はこれに取り法り、天地の運行の道を裁成し、天地の生養の宜を輔助し、以て百姓を引導し幇助すべきである。
初九,拔茅茹,以其匯。征吉。《象》曰:“拔茅征吉”,志在外也。九二,包荒,用馮河,不遐遺。朋亡,得尚于中行。《象》曰:“包荒,得尚于中行”,以光大也。九三,無平不陂,無往不復。艱貞無咎。勿恤其孚,于食有福。《象》曰:“無往不復”,天地際也。
初九は一株の茅草を抜き起こし、根鬚に連なって同類を併せて帯出する。賢者が出仕すれば必ず同道を引見するを譬える。このように往けば吉である。《小象》に言う。「拔茅征吉」は、彼の心志が外に向かって世を用いることに在る。九二は陽剛にして中に居り、泰を治する主である。能く荒穢汚濁を包容し、能く徒歩河を渉るがごとき果決あり、疏遠の人を遺棄しない。また朋党私交を結ばない。これによって中正の道に配得上する。《小象》に言う。「包荒、得尚于中行」は、彼の徳量が光明博大だからである。九三は内外卦の交界に処し、一直に平坦にして傾かざるはなく、一直に往きて返らざるもなし。能く艱難の中に正を守れば過ちはない。己の誠信が信じられないことを憂慮するには及ばず、飲食享用の上におのずから福分がある。《小象》に言う。「无往不復」は、ここはまさに天地陰陽の交接転折の処だからである。
六四,翩翩,不富以其鄰,不戒以孚。《象》曰:“翩翩,不富”,皆失實也。“不戒以孚”,中心願也。六五,帝乙歸妹,以祉元吉。《象》曰:“以祉元吉”,中以行願也。上六,城復于隍,勿用師,自邑告命。貞吝。《象》曰:“城復于隍”,其命亂也。
六四以下の三陰は翩翩然として聯翩と下り、自身は空虚にして富まざるも鄰近の同類を帯して一起に行動し、告誡せずとも彼此誠信に相従する。《小象》に言う。「翩翩、不富」は、陰爻が中に虚しく皆充実しないからである。「不戒以孚」は、内心の共同願望に出づるからである。六五は陰柔にして尊位に居り下に九二に応ずる。商王帝乙が妹妹を下して賢者に嫁がせ、尊を屈して下に交わるに正しきがごとく、これによって福祉を獲得する。大吉である。《小象》に言う。「以祉元吉」は、それが中道を秉持して己の心願を実現するからである。上六は泰極まりて将に否ならんとする時で、城墻が倒塌して城下の干壕に回る。このとき更に兵を興し衆を動かすべからず、ただ己の采邑の中より政令を発布するのみである。たとえ正を守るも、憾惜を免れ難い。《小象》に言う。「城復于隍」は、政令がすでに紊乱失序したからである。
否(卦十二)·坤下乾上
《否》:否之匪人,不利君子貞,大往小來。《彖》曰:“否之匪人,不利君子貞,大往小來。”則是天地不交而萬物不通也,上下不交而天下無邦也;內陰而外陽,內柔而外剛,內小人而外君子,小人道長,君子道消也。《象》曰:天地不交,“否”。君子以儉德辟難,不可榮以祿。
《否》の卦は下坤上乾、《泰》と正に相反する。天気は上昇し地気は下沈し、二気は交わらない。ゆえに閉塞する。卦辞に言う。閉塞の世は人道に合わず、君子が正を守りて自処するに利せず、大いなる者(陽)は外に往き、小さき者(陰)は裡に来たる。《彖伝》は解釈する。いわゆる「否之匪人、不利君子貞、大往小来」は、天地の気が交合せず万物が通暢せず、上下が相交わらずして天下は邦国なきに等しいことを言う。この卦は内卦が陰、外卦が陽、内卦は柔弱、外卦は剛強、内に小人あり外に君子あり、まさに小人の道が日増しに増長し、君子の道が日に日に消退する局面である。《大象伝》に言う。天地の気が相交わらざるは《否》の卦象である。君子はこれに取り法り、儉約収斂の徳行を以て禍難を躲避し、爵禄の栄顕を貪図すべからず。
初六,拔茅茹以其匯。貞吉,亨。《象》曰:“拔茅貞吉”,志在君也。六二,包承,小人吉,大人否。亨。《象》曰:“大人否亨”,不亂群也。六三,包羞。《象》曰:“包羞”,位不當也。
初六は《泰》卦の初九と同じく「拔茅連茹」の比喻を用いるが、方向は相反する。否塞の世においては、同類の賢者が相牽引して退隠し正を守る。ゆえに正を守れば吉で、反って亨通し得る。《小象》に言う。「拔茅貞吉」は、彼の心志がなお君国に在りて私利に在らざるからである。六二は陰柔中正にして上に在る者に包容承順し得る。小人は奉承を以て吉を取るが、大人は寧ろ否塞を守りて苟合せず、これによって反って亨通を得る。《小象》に言う。「大人否亨」は、彼が小人と混雑して群を成さないからである。六三は陰柔にして中に居らず正ならず、一味に逢迎して、羞ずべき事を包蔵する。《小象》に言う。「包羞」は、それが居る所の爻位が当たらないからである。
九四,有命,無咎,疇離祉。《象》曰:“有命無咎”,志行也。九五,休否,大人吉。其亡其亡,繫于苞桑。《象》曰:大人之吉,位正當也。上九,傾否,先否後喜。《象》曰:否終則傾,何可長也。
九四は陽剛にして上に在り、天命を秉承して行い以て否を済す。過ちなく、同類の人は皆従って福を受ける。《小象》に言う。「有命无咎」は、彼の心志が施行し得るからである。九五は陽剛中正にして尊位に居り、閉塞の局を止息し得る。大人はこれによって吉を得る。しかし彼はなお常に「まさに滅亡せん、まさに滅亡せん」の憂懼を存せねばならない。こうして国運は叢生の桑樹の根に係るがごとき牢固さを得る。《小象》に言う。大人の吉なる所以は、彼が居る所はまさに中正の君位だからである。上九は否の極に居り、閉塞の局を徹底に傾覆して回し、先ず否塞にして後に喜慶に転ずる。《小象》に言う。閉塞は盡頭に至れば傾覆する。このような局面はどうして長久であり得ようか。
同人(卦十三)·離下乾上
《同人》:同人于野,亨。利涉大川。利君子貞。《彖》曰:“同人”,柔得位得中,而應乎乾,曰同人。同人曰:“同人于野,亨。利涉大川”,乾行也。文明以健,中正而應,君子正也。唯君子為能通天下之志。《象》曰:天與火,同人。君子以類族辨物。
《同人》の卦は下離上乾、離は火・明、乾は天・健である。「同人」は人と和同し衆を結びて一と為す。卦辞に言う。曠遠の郊野にて人と和同すれば、亨通する。大河巨険を渡るに利あり、君子が正を守るに利あり。《彖伝》は解釈する。「同人」は、六二の柔爻がその正位を得てまた中に居り、上に九五の乾に応ずる。ゆえに同人と言う。《同人》の卦辞に「同人于野、亨。利渉大川」と言うは、乾陽の剛健の徳を頼りて之を行うからである。内卦は文明、外卦は剛健、六二と九五は中正にして相応ずる。これこそ君子の正道である。君子のみが能く天下人の心志を貫通する。《大象伝》に言う。天は上に在り火は上に炎え、二者は同じく上に趨る。これが《同人》の卦象である。君子はこれに取り法り、族類を分弁し事物を区別し、同異をして各々その分を得しむべきである。
初九,同人于門,無咎。《象》曰:“出門同人”,又誰咎也。六二,同人于宗,吝。《象》曰:“同人于宗”,吝道也。九三,伏戎于莽,升其高陵,三歲不興。《象》曰:“伏戎于莽”,敵剛也。“三歲不興”,安行也。
初九は和同の始めに居り、門を出て行って人と和同し、偏私する所なし。過ちはない。《小象》に言う。門を出てこそ人と和同する。誰が彼を怪罪せんや。六二は陰柔中正なるも、ただ己の宗族門戸の内の人と和同するのみで、これを狭隘に失す。ゆえに憾惜である。《小象》に言う。「同人于宗」は、憾惜を招致する一条の路である。九三は陽剛にして過ぎ、六二を争奪せんと欲するも九五に敵し得ず、そこで兵を草莽の中に埋伏し、また高丘に登って窺探し、三年も敢えて発動しない。《小象》に言う。「伏戎于莽」は、敵する所の九五が太だ剛強だからである。「三歳不興」は、このようにしてどうして安らかに行事できようかを言う。
九四,乘其墉,弗克攻,吉。《象》曰:“乘其墉”,義弗克也。其“吉”,則困而反則也。九五,同人先號咷而後笑,大師克,相遇。《象》曰:同人之先,以中直也。大師相遇,言相剋也。上九,同人于郊,無悔。《象》曰:“同人于郊”,志未得也。
九四もまた六二を争奪せんと欲し、すでに対方の墻頭に登ったが、終に攻め下すことができない。まさに攻め成さざるがゆえに返るを知る。ゆえに吉である。《小象》に言う。「乗其墉」は、道義の上で言えば本来攻め下すべからざるである。それが「吉」なる所以は、困窘の余り能く法則に回帰するからである。九五は陽剛中正にして六二と本是正応であるが、三・四の両陽に隔てられ、これによって先ず号啕大哭し、後に終に歓笑する。大軍を動用して阻隔する者に戦勝し、両人は相遇ることを得た。《小象》に言う。同人が先ず号啕する所以は、九五が中に居り直を守り心に守る所有るからである。「大師相遇」は、必ず阻撓を戦勝してこそ会合し得ることを言う。上九は卦終わりに居り、荒遠の郊外にて人と和同し、同志相応ずるはないも、悔恨に至るに至らない。《小象》に言う。「同人于郊」は、彼の天下と和同せんとする心志がまだ実現していないからである。
大有(卦十四)·乾下離上
《大有》:元亨。《彖》曰:“大有”,柔得尊位大中,而上下應之,曰“大有”。其德剛健而文明,應乎天而時行,是以元亨。《象》曰:火在天上,“大有”。君子以遏惡揚善,順天休命。
《大有》の卦は下乾上離、五陽一陰で、六五は一柔を以て尊位に居り衆陽を統領し、所有する所は極めて盛大である。ゆえに「大有」と言う。卦辞はただ二字――大いに亨通する。《彖伝》は解釈する。「大有」は、六五の柔爻が尊貴の位を得てまた大中の道に居り、上下の五つの陽爻が皆来たりてそれに応和する。ゆえに「大有」と言う。この卦の徳は、下体剛健、上体文明で、天道に順応して時序に按じて運行する。これによって大いに亨通する。《大象伝》に言う。火は天上にあり、光は万物を照らして及ばざるなし。これが《大有》の卦象である。君子はこれに取り法り、邪悪を遏止し善良を表彰し、上天の美しき命令に順承すべきである。
初九,無交害匪咎。艱則無咎。《象》曰:大有初九,無交害也。九二,大車以載,有攸往,無咎。《象》曰:“大車以載”,積中不敗也。九三,公用亨于天子,小人弗克。《象》曰:公用亨于天子,小人害也。
初九は大有の始めに居り、まだ人と交接せず、すなわち禍害と謂うべきなく、本は過ちではない。しかし富有は驕惰を生じ易い。常に艱難戒懼の心を存しさえすれば、過ちはない。《小象》に言う。《大有》卦の初九は、まだ相交わりて生ずる禍害がない。九二は陽剛にして中に居り、堅固の大車が能く重物を載せるがごときで、往く所あれば過ちはない。《小象》に言う。「大車以載」は、積載する所が中に居りて穏やかで、これによって傾覆敗壊しない。九三は陽剛にして正を得て下卦の上に居り、諸侯が天子に進献して宴饗の礼を得るに似たり。このような位分と担当は、小人には承当し得ない。《小象》に言う。諸侯が天子に進献し得るは、小人に換えてこの位に処せば、禍害を生ずるであろう。
九四,匪其彭,無咎。《象》曰:“匪其彭,無咎。”明辨晢也。六五,厥孚交如威如,吉。《象》曰:“厥孚交如”,信以發志也。“威如之吉”,易而無備也。上九,自天祐之,吉,無不利。《象》曰:大有上吉,自天祐也。
九四は君位に逼近し、「彭」は盛大の貌で、自ら盛満に居らずし得れば、過ちはない。《小象》に言う。「匪其彭、无咎」は、彼が事理を明察し弁識清楚にして、自我収斂を知るからである。六五は陰柔にして尊位に居り、誠信を以て上下と交接し、同時にまた威厳を保有する。ゆえに吉である。《小象》に言う。「厥孚交如」は、誠信を以て衆人の心志を啓発するからである。「威如之吉」は、一味平易にして毫も戒備なければ軽慢される。ゆえに威を以て之に済すを要す。上九は大有の極に居りて能く柔順謙下する。これによって上天の保佑を得る。吉で、不利なことはない。《小象》に言う。《大有》上爻の吉なる所以は、上天の保佑より来る。
謙(卦十五)·艮下坤上
《謙》:亨。君子有終。《彖》曰:謙,亨。天道下濟而光明,地道卑而上行。天道虧盈而益謙,地道變盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。謙,尊而光,卑而不可逾,君子之終也。《象》曰:地中有山,謙。君子以裒多益寡,稱物平施。
《謙》の卦は下艮上坤、山は本は高大なれど地下に屈居する。まさに謙退の象である。卦辞に言う。亨通する。君子は謙徳を到底に保持して好い結局を有することができる。《彖伝》は解釈する。謙、亨通する所以。天道は下りて万物を済助してその徳は光明であり、地道は卑下に処してその気は上行する。天道は盈満する者を虧損せしめ、謙退する者を増益せしめる。地道は盈満する者を崩塌改易せしめ、謙退する者を充盈流注せしめる。鬼神は盈満する者に加害して謙退する者に降福する。人情は盈満する者を厭悪して謙退する者を喜好する。謙徳は人をして尊位に居りてますます光大を顕わし、卑位に処しても人の逾越し得るなからしむ。これが君子が好い結局を有し得る所以である。《大象伝》に言う。地中に高山を蔵するは《謙》の卦象である。君子はこれに取り法り、多きを減損し少なきを増補し、事物の軽重を衡量して施与を均平ならしむべきである。
初六,謙謙君子,用涉大川,吉。《象》曰:“謙謙君子”,卑以自牧也。六二,鳴謙,貞吉。《象》曰:“鳴謙貞吉”,中心得也。九三,勞謙君子,有終,吉。《象》曰:“勞謙君子”,萬民服也。
初六は謙の最下に居り、謙にしてまた謙なる君子である。このような徳行を憑りて大河険阻を渡れば、吉である。《小象》に言う。「謙謙君子」は、卑下の姿態を以て己の徳性を養護する。六二は陰柔中正にして謙徳はすでに声名に発せられ、人に称道される。正を守れば吉である。《小象》に言う。「鳴謙貞吉」は、この種の謙徳は真に内心より之を得、外飾に非ざるからである。九三は全卦唯一の陽爻で、大きな功労ありながらなお能く謙退する。ゆえに能く好い結局を保有する。吉である。《小象》に言う。「労謙君子」は、まさに功あって伐れざるがゆえに、万民は心より悦服する。
六四,無不利,捴謙。《象》曰:“無不利,捴謙”,不違則也。六五,不富以其鄰,利用侵伐,無不利。《象》曰:“利用侵伐”,征不服也。上六,鳴謙,利用行師征邑國。《象》曰:“鳴謙”,志未得也。“可用行師”,征邑國也。
六四は陰柔にして正を得、九三の上に居りて能く謙徳を発揮・施行する(底本は「捴謙」と作り、通行本は多く「撝謙」と作る。即ち揮いて之を散ずるの義。今は底本の用字を照録する)。これによって不利なことはない。《小象》に言う。「无不利、捴謙」は、それが謙の法則に背かないからである。六五は陰柔にして尊位に居り、自身は富有ならざるも鄰近の衆爻の帰附を得ることができる。なお順服せざる者に対しては、兵を興して討伐するに利あり、不利なことはない。《小象》に言う。「利用侵伐」は、帰服せざる者を征討する。上六は謙の極に居り、謙の名は遠く播れるも志愿は未だ遂げられていない。このとき兵を興して己の属下の邑国を征討するに利あり。《小象》に言う。「鳴謙」は、彼の心志がまだ実現していないからである。「可用行師」は、征する所もただ己の邑国の内の服せざる者のみである。
豫(卦十六)·坤下震上
《豫》:利建侯行師。《彖》曰:豫,剛應而志行,順以動,豫。豫順以動,故天地如之,而況建侯行師乎?天地以順動,故日月不過,而四時不忒。聖人以順動,則刑罰清而民服,豫之時義大矣哉!《象》曰:雷出地奮,豫。先王以作樂崇德,殷薦之上帝,以配祖考。
《豫》の卦は下坤上震、雷は地中より奮起し、声気は暢達する。ゆえに「豫」と言い、和楽と預備の二義を兼ねる。卦辞に言う。諸侯を分封し師を興して兵を用いるに利あり。《彖伝》は解釈する。豫とは、九四のこの剛爻が衆陰の响应を得て心志が施行し得、形勢に順応して後に行動する。ゆえに豫と言う。豫卦は時に順って動く。天地でさえ皆このように運行する。いわんや諸侯を分封し師を興して兵を用いるのごとき人事においてをや。天地が時に順って動く。ゆえに日月の運行は差錯なく、四季の更替は偏失ない。聖人が時に順って動けば、刑罰は清簡にして百姓は順服する。《豫》卦の含む時機と義理はまことに重大である!《大象伝》に言う。雷が地下より震出し、万物が奮発するは《豫》の卦象である。先王はこれに取り法り、音楽を制作して功徳を推崇し、隆重に上帝に献祭し、祖先を以て配享した。
初六,鳴豫,凶。《象》曰:“初六鳴豫”,志窮凶也。六二,介于石,不終日,貞吉。《象》曰:“不終日貞吉”,以中正也。六三,盱豫,悔,遲有悔。《象》曰:“盱豫不悔”,位不當也。
初六は陰柔にして下に在りて上に九四に応じ、得意忘形して、安楽を人人皆聞くまでに張揚する。凶である。《小象》に言う。「初六鳴豫」は、心志がすでに窮極放縦し、ゆえに凶を招く。六二は陰柔中正にして操守は堅定にして石のごとく、幾を見て作し、一日の過ぐるを待たずして決断を作す。正を守れば吉である。《小象》に言う。「不終日貞吉」は、それが中に居りて正を守るからである。六三は陰柔にして中に居らず正ならず、眼を大きく開いて九四を仰望して安楽を求め、必ず悔恨を生ずる。もしさらに遅疑して改めざれば、悔恨はさらに深い。《小象》に言う。(底本はここ「盱豫不悔」と作り、「不」字は爻辞の「悔」の義と合わず、「之」字の訛と疑う。今は照録して改めない。)このようである所以は、それが居る所の爻位が当たらないからである。
九四,由豫,大有得,勿疑。朋盍簪。《象》曰:“由豫大有得”,志大行也。六五,貞疾,恆不死。《象》曰:“六五貞疾”,乘剛也。“恆不死”,中未亡也。上六,冥豫,成有渝。無咎。《象》曰:“冥豫”在上,何可長也?
九四は全卦唯一の陽爻で、天下の安楽は皆彼より生ずる。これによって大いに獲る所有る。衆人を猜疑さえしなければ、朋友は髪簪が頭髪を聚攏するがごとき迅速に会合して来る。《小象》に言う。「由豫大有得」は、彼の心志が大いに施行し得るからである。六五は陰柔にして尊位に居るも九四の剛に凌乗し、権柄は旁落し、久病に纏われるに似たり。しかし中に居りて失わず、ゆえに長久にしても死亡に至らない。《小象》に言う。「六五貞疾」は、剛爻に乗凌するからである。「恒不死」は、中に居る徳がまだ喪失していないからである。上六は豫の極に居り、昏冥の享楽に沈溺する。しかし事はすでに極を成して変改あり得れば、過ちはない。《小象》に言う。「冥豫」にしてまた上位に高居すれば、このような局面はどうして長久であり得ようか。
随(卦十七)·震下兌上
《隨》:元亨,利貞,無咎。《彖》曰:隨,剛來而下柔,動而說,隨。大亨貞無咎,而天下隨時,隨時之義大矣哉!《象》曰:澤中有雷,隨。君子以嚮晦入宴息。
《随》の卦は下震上兌、震は動、兌は悦である。「随」は随従である。卦辞に言う。大いに亨通し、正を守るに利あり。こうすれば過ちはない。《彖伝》は解釈する。随とは、剛爻が外より来たりて柔爻の下に屈居し、一動すれば人を喜悅せしむ。ゆえに随と言う。能く大いに亨通して正を守り過ちなければ、天下の万物は皆時勢に随順する。時勢に随順する意義はまことに重大である!《大象伝》に言う。雷は沢中に蔵して止息するは《随》の卦象である。君子はこれに取り法り、天色が晩に向かえば屋に入りて休息し、作息は天时に随順すべきである。
初九,官有渝,貞吉,出門交有功。《象》曰:“官有渝”,從正吉也。“出門交有功”,不失也。六二,係小子,失丈夫。《象》曰:“係小子”,弗兼與也。六三,係丈夫,失小子,隨有求,得。利居貞。《象》曰:“係丈夫”,志舍下也。
初九は随の始めに居り、主とする事に変動あり。正を守れば吉で、家門を出でて外人と交われば成功し得る。《小象》に言う。「官有渝」は、正道に随従してこそ吉を得る。「出門交有功」は、偏私に失わない。六二は陰柔中正にして初九のこの「小子」に近く係り、九五のあの「丈夫」を失う。《小象》に言う。「係小子」は、両辺を兼ね得ることができない。六三は上に九四のこの「丈夫」に係り、初九のあの「小子」を捨棄する。随従して求む所有れば、獲ることを得る。しかしなお安居して正を守るを宜とする。《小象》に言う。「係丈夫」は、心志の上で下面の初九を捨棄したからである。
九四,隨有獲,貞凶。有孚在道,以明,何咎?《象》曰:“隨有獲”,其義凶也。“有孚在道”,明功也。九五,孚于嘉,吉。《象》曰:“孚于嘉吉”,位正中也。上六,拘係之,乃從維之,王用亨于西山。《象》曰:“拘係之”,上窮也。
九四は位は君側に近く衆人が彼に随従する。これによって大いに獲る所有る。このような局面はたとえ正を守るも凶險ある。忌みを招き易いからである。心に誠信を存し行事は正道に合し、しかも処置は明智であれば、またどんな過ちがあろうか。《小象》に言う。「随有獲」は、道理の上で言えば本来凶險を含んでいる。「有孚在道」は、明智の帯来する功效である。九五は陽剛中正にして、誠信する所は嘉美善良の人と事である。ゆえに吉である。《小象》に言う。「孚于嘉吉」は、それが位に居り端正にして適中だからである。上六は随の極に居り、随従の情は極処に至り、人を拘禁してまた繩索を以て捆縛するがごときである。昔周文王はこのようにして虔誠に西山にて神霊を祭享し、人心を係留した。《小象》に言う。「拘係之」は、随道が上位に至りてすでに窮極したからである。
蠱(卦十八)·巽下艮上
《蠱》:元亨。利涉大川,先甲三日,後甲三日。《彖》曰:蠱,剛上而柔下,巽而止,蠱。蠱,元亨而天下治也。“利涉大川”,往有事也。“先甲三日,後甲三日”,終則有始,天行也。《象》曰:山下有風,蠱。君子以振民育德。
《蠱》の卦は下巽上艮。「蠱」は本は器皿を久しく置きて虫を生ずるを指し、引申して積弊すでに深く加えて整治すべしを言う。卦辞に言う。大いに亨通する。大河を渡りて事に任ずるに利あり。事を行うには「甲」の日の前の三日・後の三日に反復審度すべし。《彖伝》は解釈する。蠱とは、剛爻は上に在り柔爻は下に在り、下体は柔順にして上体は停止して進まず、因循して積弊する。ゆえに蠱を成す。積弊を整治して能く大いに亨通すれば、天下は治を得る。「利渉大川」は、往けば必ず一番の事業為すべき有るを言う。「先甲三日、後甲三日」は、事の終結する処はまさに新たな開端であり、これは天道運行の規律――新法を立てるには必ず先ずその弊を詳審し、頒行した後はまたその効を查核すべしを言う。《大象伝》に言う。山下に風あり、風は山に阻まれて回旋して物多く敗壞するは《蠱》の卦象である。君子はこれに取り法り、百姓を振済し徳行を培育すべきである。
初六,幹父之蠱,有子,考無咎。厲,終吉。《象》曰:“幹父之蠱”,意承考也。九二,幹母之蠱,不可貞。《象》曰:“幹母之蠱”,得中道也。九三,幹父之蠱,小有悔,無大咎。《象》曰:“幹父之蠱”,終無咎也。
初六は蠱の始めに居り、積弊はなお浅く、能く父輩の遺留した弊病を匡正することができる。このような兒子あれば、先父は過ちを遺さない。危厲あるも、最終的に吉を得る。《小象》に言う。「幹父之蠱」は、その用意は先父の心志を承継することに在り、先人を攻訐するに非ず。九二は陽剛にして中に居り六五の柔に応じ、母輩の遺留した弊病を匡正する。母親に対しては剛直固執に己見を堅持し過ぎるべからず。《小象》に言う。「幹母之蠱」は、彼が中和の道を得、剛柔相済するを得るからである。九三は陽剛にして過ぎ、父輩の弊を匡正して急切に失し、少少の悔恨あるも、大きな過ちはない。《小象》に言う。「幹父之蠱」は、その用心が正なるがゆえに、終に過ちはない。
六四,裕父之蠱,往見吝。《象》曰:“裕父之蠱”,往未得也。六五,幹父之蠱,用譽。《象》曰:“幹父用譽”,承以德也。上九,不事王侯,高尚其事。《象》曰:“不事王侯”,志可則也。
六四は陰柔にして力なく、父輩の弊に対してはただ寛緩姑息しその発展に聴任するのみである。このように下去すれば必ず憾惜を致す。《小象》に言う。「裕父之蠱」は、このように走下去れば獲る所有らざるを言う。六五は陰柔にして尊位に居り下に九二に応じ、父輩の弊を匡正して美誉を獲得する。《小象》に言う。「幹父用誉」は、彼が徳行を以て先業を承継するからである。上九は卦終わりに居り、蠱を治する事の外に超然とし、王侯に事えず、己の志節を爵禄よりも高く視る。《小象》に言う。「不事王侯」は、このような心志は世人の效法する所たるに足る。
臨(卦十九)·兌下坤上
《臨》:元亨,利貞。至于八月有凶。《彖》曰:臨,剛浸而長,說而順,剛中而應。大亨以正,天之道也。“至于八月有凶”,消不久也。《象》曰:澤上有地,臨。君子以教思無窮,容保民無疆。
《臨》の卦は下兌上坤、二陽は下に在りて漸長し四陰の上に臨む。「臨」は上に居りて下に臨み、尊を以て卑に莅む。卦辞に言う。大いに亨通し、正を守るに利あり。しかし八月の陰長陽消の時に至れば凶險あり。《彖伝》は解釈する。臨とは、陽剛の気が逐漸生長し、下体は和悦にして上体は柔順、九二は陽剛にして中に居り六五に相応ずる。能く大いに亨通してまた正道を持守するは、天道運行の規律である。「至于八月有凶」は、陽長の勢が長久でなく、消退の期がすでに遠からざるを言う。《大象伝》に言う。沢の上面は地、地は沢に臨むは《臨》の卦象である。君子はこれに取り法り、百姓を教誨する心思に窮尽なく、百姓を容納保護する気量に辺際なきを要す。
初九,咸臨,貞吉。《象》曰:“咸臨貞吉”,志行正也。九二,咸臨,吉,無不利。《象》曰:“咸臨吉無不利”,未順命也。六三,甘臨,無攸利;既憂之,無咎。《象》曰:“甘臨”,位不當也。“既憂之”。咎不長也。
初九は陽剛にして正を得て六四に相応じ、感通の道を以て下に臨む。正を守れば吉である。《小象》に言う。「咸臨貞吉」は、彼の心志の行う所が端正だからである。九二は陽剛にして中に居り六五に相応じ、同じく感通の道を以て下に臨む。吉で、不利なことはない。《小象》に言う。「咸臨吉无不利」は、彼が一味に上命に順従するに非ず、剛中の徳を以て自ら任ずるを言う。六三は陰柔にして中に居らず正ならず、甜言媚悦の態を以て下に臨む。利益なし。しかし能く憂懼して改めれば、過ちはない。《小象》に言う。「甘臨」は、それが居る所の爻位が当たらないからである。「既憂之」は、過ちは持続しない。
六四,至臨,無咎。《象》曰:“至臨無咎”,位當也。六五,知臨,大君之宜,吉。《象》曰:“大君之宜”,行中之謂也。上六,敦臨,吉,無咎。《象》曰:“敦臨之吉”,志在內也。
六四は陰柔にして正を得、下卦に緊接して初九に相応じ、親身に切近に下に臨むことである。過ちはない。《小象》に言う。「至臨无咎」は、それが居る所の爻位が得当だからである。六五は陰柔にして尊位に居り九二の賢を任用する。智慧を以て下に臨むことで、これはまさに大君が有すべき做法である。吉である。《小象》に言う。「大君之宜」は、行事が中道に合することを言う。上六は臨の極に居りて能く敦厚に下に待す。吉で、過ちはない。《小象》に言う。「敦臨之吉」は、彼の心志がなお内卦の二つの陽爻に係り、賢に親しみて自ら棄てないからである。
観(卦二十)·坤下巽上
《觀》:盥而不薦。有孚顒若。《彖》曰:大觀在上,順而巽,中正以觀天下,觀。“盥而不薦,有孚顒若”,下觀而化也。觀天之神道,而四時不忒,聖人以神道設教,而天下服矣。《象》曰:風行地上,觀。先王以省方觀民設教。
《観》の卦は下坤上巽、二陽は上に在りて四陰は仰観する。「観」はすなわち下に観示するとともに、上に仰観することでもある。卦辞に言う。祭祀のときちょうど手を洗い終え、まだ祭品を献上していないその一刻のように、心中に誠敬至極であり、人々はその荘厳粛穆の様子を仰望する。《彖伝》は解釈する。偉大なる観仰の対象は上位に高居し、下体は柔順、上体は謙遜、中正の徳を以て天下に展示する。ゆえに観と言う。「盥而不薦、有孚顒若」は、下の人が観仰して感化を受けるからである。上天の神妙なる運行の道を観察すれば、四季の更替に毫も差錯なし。聖人はこの神道に取り法って教化を設立すれば、天下は皆順服する。《大象伝》に言う。風が大地の上を吹行して到らざるなきは《観》の卦象である。先王はこれに取り法り、四方を巡視し民情を考察し教化を施行した。
初六,童觀,小人無咎,君子吝。《象》曰:“初六童觀”,“小人”道也。六二,窺觀,利女貞。《象》曰:“窺觀女貞”,亦可醜也。六三,觀我生,進退。《象》曰:“觀我生進退”,未失道也。
初六は最下に居りて九五に最も遠く、見る所は兒童のごとき浅陋である。これは小人においては過ちと算えないが、君子がこのようであれば憾惜とすべきである。《小象》に言う。「初六童観」、これは小人の路数である。六二は陰柔中正なるも内に居り、ただ門の縫より窺看するのみで、見る所は限りある。この種の見識は内室に深く居る女子にとっては正と称し得る。《小象》に言う。「窺観女貞」、もし男子がこのようであれば、また羞ずべきである。六三は内外卦の交に処し、反って己の行為の得失を観し、これに拠りて進むべきか退くべきかを決定する。《小象》に言う。「観我生進退」、能くこのように己を審して行えば、正道に背離していない。
六四,觀國之光,利用賓于王。《象》曰:“觀國之光”,尚賓也。九五,觀我生,君子無咎。《象》曰:“觀我生”,觀民也。上九,觀其生,君子無咎。《象》曰:“觀其生”,志未平也。
六四は九五に最も近く、近く一国の光輝文明を観瞻し得る。このとき賓客の礼を以て王廷に出仕するに利あり。《小象》に言う。「観国之光」は、このような人が上賓に尊ばれることを言う。九五は陽剛中正にして尊位に居り、天下の観仰する所の対象である。彼は己の施為教化を反省する。君子たりてこのように自察すれば、過ちはない。《小象》に言う。「観我生」、己の施為を観察することは、実は民風民俗の上より検験する。上九は卦終わりに居り、位に当たらないも、なお天下の観る所と為る。彼もまた己の所作所為を審視すべきである。君子たりてこのように自察すれば、過ちはない。《小象》に言う。「観其生」は、彼の心志がまだ平静自安し得ず、なお天下の観瞻を念と為すことを言う。
噬嗑(卦二十一)·震下離上
《噬嗑》:亨。利用獄。《彖》曰:頤中有物曰噬嗑。噬嗑而亨,剛柔分,動而明,雷電合而章。柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。《象》曰:雷電,噬嗑。先王以明罰敕法。
《噬嗑》の卦は下震上離、全卦の六爻の中間に一つの九四の陽爻を隔て、口に物を含むがごときである。「噬」は咬む、「嗑」は合する。阻梗を咬み断ってこそ上下相合することができる。卦辞に言う。亨通し、刑獄を審理するに利あり。《彖伝》は解釈する。口腔の中に物が阻隔するを噬嗑と言う。それを咬み断ってこそ亨通を得る。この卦は剛爻柔爻が分布均勻で、下体は震動し上体は光明、雷と電が相配合して声威が顕著である。六五の柔爻は中に居りて上行し尊位に居る。陰を以て陽に居り爻位当たらないも、まさに獄を断ずるに適宜である――明察は電のごとく、威断は雷のごとし。《大象伝》に言う。雷電が交作するは《噬嗑》の卦象である。先王はこれに取り法り、刑罰を明確にし法令を整飭した。
初九,屨校滅趾,無咎。《象》曰:“屨校滅趾”,不行也。六二,噬膚滅鼻,無咎。《象》曰:“噬膚滅鼻”,乘剛也。六三,噬臘肉遇毒,小吝,無咎。《象》曰:“遇毒”,位不當也。
初九は卦の最下に居り、刑を受ける者にして刑を用いる者に非ず。脚に木枷を戴き、脚指まで遮没する。これは小懲大戒であり、ゆえに過ちはない。《小象》に言う。「屨校滅趾」は、彼をして再び前に行き犯罪の路に走る能わざらしめる。六二は陰柔中正にして、用刑の対象は柔脆にして治し易く、柔嫩の肌膚に咬み入り、深く鼻子さえ陥入するがごときである。用刑は深いれど、過ちはない。《小象》に言う。「噬膚滅鼻」は、六二が初九の剛に凌乗しているため、深く咬み力を用いざるを得ないからである。六三は陰柔にして中に居らず正ならず、治する所は頑梗で、風干の腊肉を咬みて毒味に吃ったがごときである。稍々憾惜あるも、過ちはない。《小象》に言う。「遇毒」する所以は、それが居る所の爻位が当たらず、威信が人を服するに足らないからである。
九四,“噬乾胏,得金矢。利艱貞,吉。《象》曰:“利艱貞吉”,未光也。六五,噬乾肉得黃金。貞厲,無咎。《象》曰:“貞厲無咎”,得當也。上九,何校滅耳,凶。《象》曰:“何校滅耳”,聰不明也。
九四は陽剛で、治する所はさらに堅硬で、骨附きの干肉を咬みて銅の箭頭に咬み着いたがごとき――古时は訴訟に先ず箭矢を納めて質と為した。このとき艱難の中に正を守るに利あり。吉である。(底本はこの爻辞の前に一つの引号を多くして下に収束なし。今は照録して削除しない。)《小象》に言う。「利艱貞吉」は、功業がまだ光大せず、なお謹慎を要するを言う。六五は陰柔にして尊位に居り中道を秉り、干肉を咬みて黄金を得るがごとき――古时は訴訟に先ず銅鈞を納めて質と為した。正を守りて危懼を知れば、過ちはない。《小象》に言う。「貞厲无咎」は、その処置が得当だからである。上九は噬嗑の極に居り、悪積み罪大いなる者である。肩に大枷を扛げて耳朵まで遮没する。凶である。《小象》に言う。「何校滅耳」は、彼は聴覚ありといえど勧めを聴かず事理を明らかにせず、罪大きく赦し難きに致った。
賁(卦二十二)·離下艮上
《賁》:亨。小利有攸往。《彖》曰:賁亨,柔來而文剛,故亨。分,剛上而文柔,故小利有攸往。剛柔交錯,天文也。文明以止,人文也。觀乎天文,以察時變;觀乎人文,以化成天下。《象》曰:山下有火,賁。君子以明庶政,無敢折獄。
《賁》の卦は下離上艮。「賁」は文飾である。卦辞に言う。亨通する。小事の上で往くに利あり。《彖伝》は解釈する。賁の亨通する所以は、柔爻が下りて剛爻を文飾する。ゆえに亨通する。また剛爻を分けて上りて柔爻を文飾せしむ。ゆえに小処に往くのみ利あり。剛と柔が交錯して章を成すは、天の文采である。文明の徳を以て節止する所を知るは、人の文采である。天の文采を観察すれば、四時の変化を考察し得る。人の文采を観察すれば、天下を教化して風俗を成就し得る。《大象伝》に言う。山下に火あり、火光は山間の草木を照亮するは《賁》の卦象である。君子はこれに取り法り、各項の政務を明察するも、敢えて文飾の明のみを憑りて刑獄を判決しない。
初九,賁其趾,舍車而徒。《象》曰:“舍車而徒”,義弗乘也。六二,賁其須。《象》曰:“賁其須”,與上興也。九三,賁如,濡如,永貞吉。《象》曰:“永貞之吉”,終莫之陵也。
初九は最下に居り、己の脚趾を文飾し、寧ろ乗るべからざる車子を捨てて徒歩で行走する。《小象》に言う。「舍車而徒」は、道義の上で言えば本来あの車に乗るべからず、歩行に安んずるこそ節を守る。六二は陰柔中正にして九三に緊附し、鬍鬚が下巴に依附して生ずるがごときで、その文采は附する所の人に随って動くを要す。《小象》に言う。「賁其須」は、上面の九三と一同に興起するに随う。九三の陽爻は両陰の間に処し、文飾して光彩あり、また潤沢にして光あり。長久に正を守れば吉である。《小象》に言う。「永貞之吉」は、長久に正を守るから、終に彼を欺凌し得る人なし。
六四,賁如皤如,白馬翰如。匪寇,婚媾。《象》曰:六四,當位疑也。“匪寇婚媾”,終無尤也。六五,賁于丘園,束帛戔戔,吝,終吉。《象》曰:“六五之吉”,有喜也。上九,白賁,無咎。《象》曰:“白賁無咎”,上得志也。
六四は初九と本是正応であるが、九三に阻隔され、これによって文飾は素白に変じ、白馬に騎りて疾馳飛のごとく来る。来る者は強盗に非ず、婚配を求める者である。《小象》に言う。六四は位に居り得当なるも、受阻するがゆえに心に疑慮を生ず。「匪寇婚媾」は、終に過失はない。六五は陰柔にして尊位に居り、文飾を山丘園圃のごとき質朴の処に用い、用いる所の束帛は微薄少小で、吝啬憾惜のごとく見えるが、儉素を崇尚すれば、最終的に吉を得る。《小象》に言う。「六五之吉」は、可喜の処ある。上九は賁の極に居り、素白無飾に返帰し、過ちはない。《小象》に言う。「白賁无咎」は、上位に居る者が朴に返り真に帰って心志の遂げるを得たからである。
剥(卦二十三)·坤下艮上
《剝》:不利有攸往。《彖》曰:剝,剝也。柔變剛也。“不利有攸往”,小人長也。順而止之,觀象也。君子尚消息盈虛,天行也。《象》曰:出附於地,剝。上以厚下安宅。
《剥》の卦は下坤上艮、五陰は下に在りて上の一陽を逼迫し、陽気は尽きんとする。「剥」は剥落・剥蝕である。卦辞に言う。往く所有るに利せず。《彖伝》は解釈する。剥とは剥落で、柔爻が剛爻を侵蝕改変する。「不利有攸往」は、小人の勢力がまさに増長しているからである。このときただ柔順を以て之に待し止住して動かずするのみである。これは卦象の上より看出した道理である。君子は消退・生長・盈満・虧虚の循環を看重する。これは本是天道運行の規律だからである。《大象伝》に言う。山は地に附着してまさに崩落せんとするは《剥》の卦象である(底本の「出附于地」の「出」は、通行本は「山」と作る。今は照録して改めない)。上位に在る者はこれに取り法り、下民を厚くして己の居所を安固すべきである。
初六:剝床以足,蔑貞凶。《象》曰:“剝床以足”,以滅下也。六二:剝床以辨,蔑貞凶。《象》曰:“剝床以辨”,未有與也。六三:剝之,無咎。《象》曰:“剝之無咎”,失上下也。
初六は剥落の始めで、床脚より剥蝕を始め、正道は滅除される。凶である。《小象》に言う。「剥床以足」は、最も下より毀滅を始める。六二は剥蝕がすでに床身と床脚の相交わる部位に至り、正道は滅除される。凶である。《小象》に言う。「剥床以辨」は、それが上下ともに応援なきからである。六三もまた剥落の中に在るが、それは独り上九に相応じ、群陰と同流せずし得る。ゆえに過ちはない。《小象》に言う。「剥之无咎」は、それが上下の同類陰爻に背離して心は陽剛に向かうからである。
六四:剝床以膚,凶。《象》曰:“剝床以膚”,切近災也。六五:貫魚以宮人寵,無不利。《象》曰:“以宮人寵”,終無尤也。上九:碩果不食,君子得輿,小人剝廬。《象》曰:“君子得輿”,民所載也。“小人剝廬”,終不可用也。
六四は剥蝕がすでに床上の人の肌膚に及び、凶である。《小象》に言う。「剥床以膚」は、災禍がすでに眉睫に迫った。六五は陰柔にして尊位に居り、能く衆陰を率いて上九に順承せしむ。繩を以て一串の魚を串起すがごとき、また宮中の妃嬪が次々に君王の恩寵を承受するがごときで、各々その分に安んず。不利なことはない。《小象》に言う。「以宮人寵」は、こうすれば終に過失はない。上九は全卦僅存の一つの陽爻で、樹梢に残る大果実が食されざるがごときで、その中に復生の種子を含んでいる。君子はこれによって民衆の擁戴を車輿を得るがごとくに得るが、小人は己の棲身する屋廬さえ剥毀する。《小象》に言う。「君子得輿」は、百姓が彼を承載擁戴せんと願う。「小人剥廬」は、小人は到頭一用する所なく、自らその居を毀すを言う。
復(卦二十四)·震下坤上
《復》:亨。出入無疾。朋來無咎。反復其道,七日來復,利有攸往。《彖》曰:“復,亨”。剛反,動而以順行。是以“出入無疾,朋來無咎”。“反復其道,七日來復”,天行也。“利有攸往”,剛長也。復,其見天地之心乎。《象》曰:雷在地中,復。先王以至日閉關,商旅不行,后不省方。
《復》の卦は下震上坤、一陽は五陰の下に生じ、まさに冬至一陽来復の象である。卦辞に言う。亨通する。出入往来に疾患なく、同類の朋友が来るも過ちはない。往复循環にその常道あり、七日すれば一回回来する。往く所有るに利あり。《彖伝》は解釈する。「復、亨」は、陽剛の気が返回し、動きて順理に依って行く。ゆえに「出入无疾、朋来无咎」。「反復其道、七日来復」は、これは天道運行の規律――《姤》卦一陰生じより、六爻の変を歴て《復》に至るは、まさに第七である。「利有攸往」は、陽剛がまさに生長しているからである。《復》卦の上より、ほぼ天地の生々して息まざる本心を見ることができるであろう!《大象伝》に言う。雷は地中に蔵し、陽気は初動して未だ発せざるは《復》の卦象である。先王はこれに取り法り、冬至のこの日に関口を閉鎖し、商旅は路に上がらず、君主も四方を巡視せず、以て初生の陽気を安養した。
初九,不遠復,無祗悔,元吉。《象》曰:“不遠之復”,以修身也。六二,休復,吉。《象》曰:“休復之吉”,以下仁也。六三,頻復,厲,無咎。《象》曰:“頻復之厲”,義無咎也。
初九は復卦の主爻で、出でて遠からずして正道に返回し、大きな悔恨を造成するに至らず。大吉である。《小象》に言う。「不遠之復」は、まさに自身を修養する功夫に用いる――過あれば即ち改め、積を成さしめない。六二は陰柔中正にして、能く下面の初九に親近して善道に返回する。これは美好の返回である。吉である。《小象》に言う。「休復之吉」は、それが能く己を屈して仁徳の人に下交するからである。六三は陰柔にして中に居らず正ならず、屢々返回してまた屢々失足する。危厲あるも、それが善に向かう心に就て言えばなお過ちはない。《小象》に言う。「頻復之厲」は、道義の上で言えば過ちはない。
六四,中行獨復。《象》曰:“中行獨復”,以從道也。六五,敦復,無悔。《象》曰:“敦復無悔”,中以自考也。上六,迷復,凶,有災眚。用行師,終有大敗,以其國君凶,至于十年不克征。《象》曰:“迷復之凶”,反君道也。
六四は五陰の中に居り、独りそれのみが初九に相応じ、衆陰の間において独り正道に返回し得る。《小象》に言う。「中行独復」は、それが随従する所は道義であって同類に非ざるからである。六五は陰柔にして尊位に居り中道を秉り、敦厚篤実の心を以て善道に返回する。これによって悔恨なし。《小象》に言う。「敦復无悔」は、能く中道を以て自我省察考核する。上六は復の極に居りて昏迷して返らず。凶で、天災人禍あるべし。この状態を以て兵を出して戦えば、終に大敗し、国君にまで連累して凶險を遭わせ、十年の久しきに至るまで出征し得ない。《小象》に言う。「迷復之凶」は、それが為君の道に違背したからである。
