Libo

蹇(卦三十九)·艮下坎上

周 · 佚名 · 第4巻 / 7

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

《蹇》:利西南,不利東北。利見大人。貞吉。《彖》曰:蹇,難也,險在前也。見險而能止,知矣哉!蹇,利西南”,往得中也。“不利東北”,其道窮也。“利見大人”,往有功也。當位”貞吉”,以正邦也。蹇之時用大矣哉!《象》曰:山上有水,蹇。君子以反身修德。

《蹇》の卦は下艮上坎、山上に水あり、行路は艱阻である。「蹇」は跛足にして行き難く、引申して険阻を言う。卦辞に言う。西南の平易の地に往くに利あり、東北の険阻の地に往くに利せず。徳位ある「大人」に見えるに利あり、正を守れば吉。《彖伝》は解釈する。蹇とは艱難で、険陷が前に横たわる。危険を見て能く停下して進まない。これはまことに明智である!「蹇、利西南」は、往けば中正の処境を得ることを得る。「不利東北」は、あの路はすでに窮尽に走った。「利見大人」は、往けば必ず功を建て得る。九五等の爻は位に居り得当にして「貞吉」は、邦国を端正するに用いる。《蹇》卦の含む時機と功用はまことに重大である!(底本は此段の引号が残缺不全。今は照録して補わない。)《大象伝》に言う。山上に水ありは《蹇》の卦象である。君子はこれに取り法り、難に遇えば先ず躬を反して自省し徳行を修養すべきである。

初六,往蹇來譽。《象》曰:“往蹇來譽”,宜待也。六二,王臣蹇蹇,匪躬之故。《象》曰:“王臣蹇蹇”,終無尤也。九三,往蹇來反。《象》曰:“往蹇來反”,內喜之也。

初六は蹇の始めに居り、往けば険に遇い、返れば美誉を得る。《小象》に言う。「往蹇来誉」は、このとき停下して時機を待つべきを言う。六二は陰柔中正にして上に九五に応じ、身は王の臣子として、重々の険難の中に奔走して已まない。これは自身の私事のためではない。《小象》に言う。「王臣蹇蹇」は、忠を尽くすことこのごとく、終に過失なし。九三は陽剛にして下卦の上に居り、往けば険に遇い、返って下りてこそ安穏する。《小象》に言う。「往蹇来反」は、内卦の二つの陰爻が皆それが帰って来て依靠と為るを喜ぶからである。

六四,往蹇來連。《象》曰:“往蹇來連”,當位實也。九五,大蹇朋來。《象》曰:“大蹇朋來”,以中節也。上六,往蹇來碩,吉,利見大人。《象》曰:“往蹇來碩”,志在內也。“利見大人”,以從貴也。

六四は陰柔にして正を得、往けば依然険難で、返れば九三と聯合相連し得る。《小象》に言う。「往蹇来連」は、それが位に居り得当にして心地誠実で、人と相合し得るからである。九五は陽剛中正にして尊位に居り、最大の艱難の中に身を処するも、衆爻は朋友のごとく前来して相助ける。《小象》に言う。「大蹇朋来」は、彼が能く中道を秉持して節度あるからである。上六は蹇の極に居り、往けば路なく、返って下れば反って収穫は碩大で、吉で、しかも九五のこの「大人」に見えるに利あり。《小象》に言う。「往蹇来碩」は、彼の心志が内卦の衆爻に係るからである。「利見大人」は、彼が九五のこの尊貴者に随従して難を済すからである。

解(卦四十)·坎下震上

《解》:利西南。無所往,其來復吉。有攸往,夙吉。《彖》曰:解,險以動,動而免乎險,解。“解,利西南”,往得眾也。“其來復吉”,乃得中也。“有攸往夙吉。”,往有功也。天地解而雷雨作,雷雨作而百果草木皆甲坼。解之時大矣哉!《象》曰:雷雨作,解。君子以赦過宥罪。

《解》の卦は下坎上震、動きて険の外に出る。「解」は解除・緩解である。卦辞に言う。西南の平易の地に往くに利あり。もし往くべき処なければ、旧位に回帰すれば吉。もし往く所有れば、早めに行動すれば吉。《彖伝》は解釈する。解とは、険に処して能く動き、一動すれば危険を脱離する。ゆえに解と言う。「解、利西南」は、往けば衆人の帰附を得るを得る。「其来復吉」は、回帰して中道を得る能くする。「有攸往夙吉」は、往けば必ず功を建て得る。天地の気が舒解すれば雷雨が興作し、雷雨が興作すれば百果草木の種子の外殻は皆迸裂して発芽する。《解》卦の含む時機意義はまことに重大である!《大象伝》に言う。雷雨が興作し、鬱結が疏解を得るは《解》の卦象である。君子はこれに取り法り、過失を赦免し罪愆を寛宥すべきである。

初六,無咎。《象》曰:剛柔之際,義無咎也。九二,田獲三狐,得黃矢,貞吉。《象》曰:九二貞吉,得中道也。六三,負且乘,致寇至,貞吝。《象》曰:“負且乘”,亦可醜也。自我致戎,又誰咎也?

初六は陰柔にして解の始めに居り、難は方が解けて作為する所なく、これによって過ちはない。《小象》に言う。それは九二と剛柔相接し上に九四に応ずれば、道義の上で言って過ちなし。九二は陽剛にして中に居り、田獵して三匹の狐狸を捕獲しまた黄銅の箭頭を得るがごとき――君上を媚惑する小人を除去して剛直中正の徳を守住した。正を守れば吉である。《小象》に言う。九二の「貞吉」なる所以は、それが中道を得たからである。六三は陰柔にして陽位に居り、本は物を負う小人なのに君子の車子に乗坐し、徳は位に称わず、これによって強盗を招来する。たとえ自守するも憾惜を免れ難い。《小象》に言う。「負且乗」は、実に羞ずべきである。盗寇は自ら招来したので、また誰を怪しまんや。

九四,解而拇,朋至斯孚。《象》曰:“解而拇”,未當位也。六五,君子維有解,吉,有孚于小人。《象》曰:君子有解,小人退也。上六,公用射隼于高墉之上,獲之,無不利。《象》曰:“公用射隼”,以解悖也。

九四は陽爻にして陰位に居り、初六のこの小人と牽連あり。ただ脚拇趾のごとき小さな牽累を解除してこそ、志同道合の朋友が前来して誠を以て相待する。《小象》に言う。「解而拇」は、それが居る所の爻位が当たらないから、ゆえに自らその累を解くを要す。六五は陰柔にして尊位に居り、君子はただ真に小人の党を解除し得てこそ吉。効を見せ得るか否かは、小人が退避するか否かに之を験す。《小象》に言う。君子が解除する所有れば、小人は自ずから退去する。上六は解の極に居り、王公が高墻の上にて凶猛の鷹隼を射獵し、一箭にして射獲するがごときである。不利なことはない。《小象》に言う。「公用射隼」は、悖乱の患を解除するに用いる。

損(卦四十一)·兌下艮上

《損》:有孚,元吉,無咎。可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。《彖》曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往,曷之用?二簋可用享。二簋應有時。損剛益柔有時,損益盈虛,與時偕行。《象》曰:山下有澤,損。君子以懲忿窒欲。

《損》の卦は下兌上艮、下卦の陽剛を減損して上卦に増益する。卦辞に言う。心に誠信を懐けば大吉、過ちなし。正を守るべし、往く所有るに利あり。何を以て祭祀するか。二簋の薄食を以て献享するに足る。《彖伝》は解釈する。損とは、下を減損して上を増益し、その道は上に向かって行く。減損するとき能く誠信を存すれば、大吉・過ちなし・正を守るべし・往くに利あり。何を以て祭祀するか。二簋の薄食で足る。ただ二簋の薄食を用いるも時宜に合するを要す。剛強を減損し柔弱を増益するは時機を看るを要し、減損・増益・盈満・虧虚は皆時勢に随って一同に推移するを得る。《大象伝》に言う。山下に沢あり、沢は自らその深を損して山はその高を益するは《損》の卦象である。君子はこれに取り法り、己の忿怒を懲戒し、己の欲望を堵塞すべきである。

初九,已事遄往,無咎。酌損之。《象》曰:“已事遄往”,尚合志也。九二,利貞。征凶,弗損,益之。《象》曰:“九二利貞”,中以為志也。六三,三人行則損一人,一人行則得其友。《象》曰:“一人行”,“三”則疑也。

初九は陽剛にして下に在りて六四に応じ、己の事を弁じ終われば速やかに前去して相助け、過ちはない。しかし相助けるときは分寸を斟酌し、己を損し過ぎるべからず。《小象》に言う。「已事遄往」は、上面の六四がまさに彼と心志相合する。九二は陽剛にして中に居り、正を守るに利あり。急切に往けば凶。己を減損する必用なく、ただ剛中の徳を守住すれば、本身が即ち上への増益である。《小象》に言う。「九二利貞」は、それが中を守るを以て己の志向と為すからである。六三は陰陽配合の理を講ず。三人同行すれば、一人を減損するを要す。一人独行すれば、反って一位の伴侣を得ることを得る。《小象》に言う。「一人行」してこそ専一に相得、「三」人同行すれば猜疑を生ずるを要す。

六四,損其疾,使遄有喜,無咎。《象》曰:“損其疾”,亦可喜也。六五,或益之十朋之龜,弗克違,元吉。《象》曰:六五元吉,自上祐也。上九,弗損,益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家。《象》曰:“弗損,益之”,大得志也。

六四は陰柔にして病多く、能く己の毛病を減損し、しかも初九をして速やかに前来して相助けしむれば、喜慶あり、過ちなし。《小象》に言う。「損其疾」は、これ本身就是可喜の事である。六五は陰柔にして尊位に居り虚心に益を受け、或る人が價値十朋の大宝亀を送り来たりて、推辞しても掉げない。大吉である。《小象》に言う。六五の大吉なる所以は、上天の保佑より来る。上九は損の終わりに居り、損は極まりて返る。更に下を減損せず、反って下に増益し、過ちなく、正を守れば吉、往く所有るに利あり、天下の臣民の帰心を得て一家一姓に限らざるを得る。《小象》に言う。「弗損、益之」は、彼の天下を利益する心志が大いに実現したからである。

益(卦四十二)·震下巽上

《益》:利有攸往。利涉大川。《彖》曰:“益”,損上益下,民說無疆。自上下下,其道大光。“利有攸往”,中正有慶。“利涉大川”,木道乃行。益動而巽,日進無疆。天施地生,其益無方。凡益之道,與時偕行。《象》曰:風雷,益。君子以見善則遷,有過則改。

《益》の卦は下震上巽、《損》と相反して、上を減損して下に増益する。卦辞に言う。往く所有るに利あり、大河巨険を渡るに利あり。《彖伝》は解釈する。「益」とは、上を減損して下を増益し、百姓の喜悦に辺際なし。上に在る者は尊を屈して下民に下就し、この路は極めて光大である。「利有攸往」は、九五・六二が中正相応して福慶あるからである。「利渉大川」は、巽は木で舟楫と為し得、木道が通行を得るからである。益卦は下動して上順し、これによって日々に増進して止境なし。上天は施与し大地は生育し、この種の増益は在る所なし。およそ増益の道は、皆時勢に随って一同に推行するを要す。《大象伝》に言う。風と雷が互相に増益するは《益》の卦象である。君子はこれに取り法り、善行を見ればそれに向かって靠攏し、過ち有れば即座に改正すべきである。

初九,利用為大作,元吉,無咎。《象》曰:“元吉無咎”,下不厚事也。六二,或益之十朋之龜,弗克違。永貞吉。王用享于帝,吉。《象》曰:“或益之”,自外來也。六三,益之用凶事,無咎。有孚。中行告公用圭。《象》曰:“益用凶事”,固有之也。

初九は上の益を得て陽剛にして下に在り、このとき大いに作為あるに利あり。しかし必ず大吉を為さねばならず、こうしてこそ過ちなし。《小象》に言う。「元吉」を要して「无咎」なるは、下位に居る人は本来このような厚重の大事を承当すべからざるがゆえに、一たび閃失あればその咎を辞し難い。六二は陰柔中正にして己を虚しくして益を受け、或る人が價値十朋の大宝亀を送り来たりて、推辞しても掉げない。長久に正を守れば吉。君王がこのような誠敬を以て上帝を祭享すれば、吉である。《小象》に言う。「或益之」は、この増益は外より自然に来たり、強求に出づるに非ず。六三は陰柔にして正ならず、得る所の増益を災を救うのごとき凶事の上に用いれば、過ちなし。心に誠信を存し、中道を秉持して行事し、なお圭を執りて信と為して王公に禀告するを要す。《小象》に言う。「益用凶事」は、この種の増益は本来このような処に用いるべきで、彼の分内固有の責だからである。

六四,中行告公,從,利用為依遷國。《象》曰:“告公從”,以益志也。九五,有孚惠心,勿問,元吉。有孚,惠我德。《象》曰:“有孚惠心”,勿問之矣。“惠我德”,大得志也。上九,莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。《象》曰:“莫益之”,偏辭也。“或擊之”,自外來也。

六四は陰柔にして正を得、中道を秉持して王公に禀告し、王公は聴従した。このとき大国に依托して国都を遷徙するのごとき大事に利あり。《小象》に言う。「告公従」は、彼が一心に下を益する志向のためだからである。九五は陽剛中正にして、誠信を懐いて恵愛の心有り、更に占問する必用なく、大吉である。天下もまた誠信を以て回報し、我が恩徳を感念する。《小象》に言う。「有孚恵心」は、問わずとも吉を知る。「恵我徳」は、彼の心志が大いに実現したからである。上九は益の極に居りて一味に人に益を求め、結果は誰も彼に増益せず、反って彼を攻撃する人有り。心を立てて恒久専一できず。凶である。《小象》に言う。「莫益之」は、一方に偏して益を求める辞である。「或撃之」は、禍患が外より上門して来る。

夬(卦四十三)·乾下兌上

《夬》:揚于王庭,孚號。有厲,告自邑。不利即戎,利有攸往。《彖》曰:“夬”,決也,剛決柔也。健而說,決而和。“揚于王庭”,柔乘五剛也。“孚號有厲”,其危乃光也。“告自邑,不利即戎”,所尚乃窮也。“利有攸往”,剛長乃終也。《象》曰:澤上於天,夬。君子以施祿及下,居德則忌。

《夬》の卦は下乾上兌、五陽は下より一陰を決去する。「夬」は決断・決去である。卦辞に言う。王庭の上にて小人の罪状を公開宣揚し、誠信を以て衆人に号令する。心に危懼を存し、まず己の城邑より号令を発布する。即座に武力を動用するに利せず、正道を堅持して往くに利あり。《彖伝》は解釈する。「夬」とは決去で、陽剛が陰柔を決去する。下体は剛健にして上体は和悦で、決断の中に於てなお和順を保持し得る。「揚于王庭」は、上六のこの柔爻が五つの剛爻の上に凌駕し、その罪は明白に揭示すべきだからである。「孚号有厲」は、まさに危懼を知るがゆえに、その道は光大する。「告自邑、不利即戎」は、一味に武力を崇尚すれば窮途に走入するを言う。「利有攸往」は、陽剛が極処まで生長し、陰を決する事は終に完成し得るからである。《大象伝》に言う。沢水が天上に昇り、蓄極まりて将に決せんとするは《夬》の卦象である。君子はこれに取り法り、俸禄を下の人に施与し、徳を積居して施して散ぜざるに対しては引いて戒めと為すべきである。

初九,壯于前趾,往不勝,為咎。《象》曰:不勝而往,咎也。九二,惕號,莫夜有戎,勿恤。《象》曰:“有戎勿恤”,得中道也。九三,壯于頄,有凶。君子夬夬獨行,遇雨若濡,有慍無咎。《象》曰:“君子夬夬”,終無咎也。

初九は最下に居りて前進の脚趾に強を逞しゅうし、往っても勝ち得なければ、すなわち過ちと成る。《小象》に言う。勝ち得ざるを知りてなお往く、これがすなわち過ちである。九二は陽剛にして中に居り、心に警惕を懐いて衆人に号令して戒備せしむ。たとえ傍晚天黑の時に兵戎突如来るとも、憂慮する必用なし。(「莫夜」は即ち「暮夜」で、日落の後を指す。)《小象》に言う。「有戎勿恤」は、それが中道を得て、備あれば患なしだからである。九三は陽剛にして過ぎ、剛強を面顴の上に顕露し、凶險あり。しかし君子は小人を決去するを決心して独り前行し、途中雨に遇いて沾湿される――即ち上六と牽渉あるを免れ難く人の非議を受ける――愠怒を招来するも、終に過ちはない。《小象》に言う。「君子夬夬」は、決心が堅定で、最終的に過ちはない。

九四,臀無膚,其行次且。牽羊悔亡,聞言不信。《象》曰:“其行次且”,位不當也。“聞言不信”,聰不明也。九五,莧陸夬夬中行,無咎。《象》曰:“中行無咎”,中未光也。上六,無號,終有凶。《象》曰:“無號之凶”,終不可長也。

九四は陽爻にして陰位に居り、進退に拠を失い、臀部の皮を磨破して坐立安んぜず、行走すれば趑趄して進み難きがごときである。もし羊を牽くがごとく衆に随って行き己の強を逞しゅうしなければ、悔恨は消失する。可惜なことに彼はこのような忠告を聴いても肯じて信じない。《小象》に言う。「其行次且」は、それが居る所の爻位が当たらないからである。「聞言不信」は、彼は聴覚ありといえど事理を明らかにせざるからである。九五は陽剛中正にして上六に緊鄰し、馬歯筧を鏟除するがごとく果断に之を決去し、中道を秉持して行えば、過ちなし。《小象》に言う。「中行无咎」は、彼が上六と親比し、中正の徳がまだ充分に光大していないからである。上六は決去されるその陰爻で、孤立して援なく、呼号して救いを求めるも用なし。終に凶あり。《小象》に言う。「无号之凶」は、小人の道は終に長久なり得ざるを言う。

姤(卦四十四)·巽下乾上

《姤》:女壯,勿用取女。《彖》曰:姤,遇也,柔遇剛也。勿用取女”,不可與長也。天地相遇,品物咸章也。剛遇中正,天下大行也。姤之時義大矣哉!《象》曰:天下有風,姤。后以施命誥四方。

《姤》の卦は下巽上乾、一陰は五陽の下に生じ、《夬》と正に相反する。「姤」は相遇・不期而遇である。卦辞に言う。この女子は太だ強壮で、このような女子を娶るべからず。《彖伝》は解釈する。姤とは相遇で、柔爻が剛爻に遇上する。「勿用取女」は、このような人と長久に相処すべからざるを言う。天地の気が相遇して、万物は皆彰顕生長する。陽剛が中正の道に遇上すれば、教化は天下に通行し得る。《姤》卦の含む時機意義はまことに重大である!(底本はここ引号が残缺する。今は照録して補わない。)《大象伝》に言う。天下に風吹拂して、物として之と相遇せざるなきは《姤》の卦象である。君主はこれに取り法り、命令を頒布し四方に誥諭した。

初六,繫于金柅,貞吉。有攸往,見凶,羸豕孚蹢躅。《象》曰:“繫于金柅”,柔道牽也。九二,包有魚,無咎,不利賓。《象》曰:“包有魚”,義不及賓也。九三,臀無膚,其行次且,厲,無大咎。《象》曰:“其行次且”,行未牽也。

初六は全卦唯一の陰爻で、銅製の止輪木を以て車を剎住するがごとくそれを係住するを要し、正を守れば吉。もし放任して往かしめれば、凶險を見る――一頭の瘦弱の母猪は、力なきごとく見えるも、実は躁動不安にして終に必ず事を生ず。《小象》に言う。「係于金柅」は、柔道は必ず牽制約束されねばならぬを言う。九二は陽剛にして中に居り、近く初六のこの「魚」を包住した。過ちなし。しかしこの魚を賓客――他の陽爻を指す――の手に落としめるべからず。《小象》に言う。「包有魚」は、道義の上で言えばこの魚は賓客に輪るべからず。九三は陽剛にして過ぎて下に遇う所なく、臀部の皮を磨破し、行走は趑趄して進み難く、危厲あるも、大きな過ちはない。《小象》に言う。「其行次且」は、それが前行するとき初六に牽連されていないから、ゆえに危なれど大咎なし。

九四,包無魚,起凶。《象》曰:“無魚之凶”,遠民也。九五,以杞包瓜,含章,有隕自天。《象》曰:九五含章,中正也。有隕自天,志不舍命也。上九,姤其角,吝,無咎。《象》曰:“姤其角”,上窮吝也。

九四は初六と本是正応なれど、初六はすでに九二に包まれたがゆえに、包中に魚なし。これによって凶險を生出す。《小象》に言う。「无魚之凶」は、彼が本来己に帰附すべき民衆を疏遠したからである。九五は陽剛中正にして尊位に居り、高大の杞樹の葉を以て底下の瓜を包住する――尊位を以て下面の陰柔を含容し、美德を含蓄して露さず、終に美善の事が天より降るがごとき有る。《小象》に言う。九五が能く美德を含蓄するは、それが中に居りて正を守るからである。「有隕自天」は、彼の心志が始終天命を捨棄するを肯んぜざるからである。上九は卦の極に居り、遇う所はただ己の頭上の角のみで、高亢にして遇合する所なし。憾惜なるも、過ちはない。《小象》に言う。「姤其角」は、上位に居りて窮極し、ゆえに憾惜あるのみだからである。

萃(卦四十五)·坤下兌上

《萃》:亨,王假有廟。利見大人。亨,利貞,用大牲吉。利有攸往。《彖》曰:“萃”,聚也。順以說,剛中而應,故聚也。“王假有廟”,致孝享也。“利見大人亨”,聚以正也。“用大牲吉,利有攸往”,順天命也。觀其所聚,而天地萬物之情可見矣。《象》曰:澤上於地,萃。君子以除戎器,戒不虞。

《萃》の卦は下坤上兌。「萃」は薈聚・会合である。卦辞に言う。亨通する。君王は宗廟に来たりて祖先を祭祀する。徳位ある「大人」に見えるに利あり、亨通し、正を守るに利あり。牛のごとき大牲を用いて献祭すれば吉。往く所有るに利あり。《彖伝》は解釈する。「萃」とは聚集である。下体は柔順にして上体は和悦、九五は陽剛にして中に居り六二に相応ずる。ゆえに聚まることを得る。「王假有廟」は、その孝心を致して祖先に献享する。「利見大人亨」は、聚合は必ず正道に依って進行せねばならぬ。「用大牲吉、利有攸往」は、天命に順応して行う。万物の聚合する所の道理を観察すれば、天地万物の真情は看清楚することができる。《大象伝》に言う。沢水が地面の上に聚まるは《萃》の卦象である。君子はこれに取り法り、兵器を修繕し、意料之外の変故に戒備すべきである――人衆の聚集する処は最も乱を生じ易い。

初六,有孚不終,乃亂乃萃,若號,一握為笑,勿恤,往無咎。《象》曰:“乃亂乃萃”,其志亂也。六二,引吉,無咎,孚乃利用禴。《象》曰:“引吉無咎”,中未變也。六三,萃如嗟如,無攸利,往無咎,小吝。《象》曰:“往無咎”,上巽也。

初六は九四と本は誠信の応あるも、終わりまで堅持することができず、そこで心緒は紛乱して胡乱に聚合する。ただ呼号して応を求めれば、転眼の間に悲より笑に転ずる。憂慮する必用なく、往けば過ちはない。《小象》に言う。「乃乱乃萃」は、彼の心志が先に乱れたからである。六二は陰柔中正にして、九五に牽引されて上れば吉で過ちなし。心に誠信を存しさえすれば、禴のごとき最も薄き春祭を用いても神に通ずるに足る。《小象》に言う。「引吉无咎」は、それが居中の徳が始終改変していないからである。六三は陰柔にして正ならず、聚合せんと欲して相応ずる人なく、ただ嗟嘆するのみで利益なし。上行して上六に依附すれば過ちなし、ただ稍々憾惜あるのみ。《小象》に言う。「往无咎」は、上面の上六が柔順にしてそれを接納するを肯んずるからである。

九四,大吉無咎。《象》曰:“大吉無咎”,位不當也。九五,萃有位,無咎。匪孚,元永貞,悔亡。《象》曰:“萃有位”,志未光也。上六,齎諮涕洟,無咎。《象》曰:“齎諮涕洟”,未安上也。

九四は陽爻にして陰位に居りて衆陰が帰附し、処境は嫌疑あり。大吉を為してこそ、過ちなしとすることができる。《小象》に言う。「大吉」を要して「无咎」なるは、それが居る所の爻位が当たらないからである。九五は陽剛中正にして、天下の衆を聚めてまた尊位に居る。過ちなし。もし誠服せざる人有れば、元善・長久・守正の徳を以て彼らを感化し、悔恨は自ずから消失する。《小象》に言う。「萃有位」は、位のみ憑りて未だ人心を服し尽くさず、彼の心志がまだ充分に光大していないからである。上六は萃の極に居りて帰聚する所なく、ただ咨嗟嘆息し涕泪が交流するのみである。能くこのように自ら傷んで警を知れば、過ちなし。《小象》に言う。「齎咨涕洟」は、彼が上位に高居して安く処する能わざるからである。

升(卦四十六)·巽下坤上

《升》:元亨。用見大人,勿恤。南征吉。《彖》曰:柔以時升,巽而順,剛中而應,是以大亨,“用見大人勿恤”,有慶也。“南征吉”,志行也。《象》曰:地中生木,升。君子以順德,積小以高大。

《升》の卦は下巽上坤、木は地中に生じて上に向かって生長する。「升」は上昇である。卦辞に言う。大いに亨通する。このような態度を以て徳位ある「大人」に見えれば、憂慮する必用なし。南方に向かって進発すれば吉。《彖伝》は解釈する。柔爻は時機に依循して上昇し、下体は謙遜にして上体は柔順、九二は陽剛にして中に居り六五に相応ずる。ゆえに大いに亨通する。「用見大人勿恤」は、必ず福慶ある。「南征吉」は、彼の心志が施行し得る――南方は明で、明に向かって行けば吉。《大象伝》に言う。地中に樹木を生出し、日に長じて覚えず、これが《升》の卦象である。君子はこれに取り法り、自然に順って徳性を培育し、細小を積累して高大に至るべきである。

初六,允升,大吉。《象》曰:“允升大吉”,上合志也。九二,孚乃利用禴,無咎。《象》曰:九二之孚,有喜也。九三,升虛邑。《象》曰:“升虛邑”,無所疑也。

初六は陰柔にして最下に在り、上面の二陽の信任を得て之に随って上昇し得る。大吉である。《小象》に言う。「允升大吉」は、それが上面の陽爻と心志相合するからである。九二は陽剛にして中に居り六五の柔に応じ、心に誠信を存しさえすれば、禴のごとき最も薄き春祭を用いても神に通じ、過ちはない。《小象》に言う。九二の誠信は、必ず可喜の事ある。九三は陽剛にして正を得、上行して毫も阻礙なく、空虚無人の城邑に入るがごときである。《小象》に言う。「升虚邑」は、前路が通暢して遲疑すべきことなきを言う。

六四,王用亨于岐山,吉,無咎。《象》曰:“王用亨于岐山”,順事也。六五,貞吉,升階。《象》曰:“貞吉升階”,大得志也。上六,冥升,利于不息之貞。《象》曰:冥升在上,消不富也。

六四は陰柔にして正を得、周文王が岐山に於て山川神霊を祭享するがごときで、柔順に自処して僭越せず。吉で、過ちはない。《小象》に言う。「王用亨于岐山」は、柔順に彼の分内の事を為す。六五は陰柔にして尊位に居り九二の賢を任用し、正を守れば吉で、上昇は階を登りて上るがごとく一歩一歩穩やかである。《小象》に言う。「貞吉升階」は、彼の心志が大いに実現したからである。上六は升の極に居り、昏昧無知に一味に升を求める。このときただこの止息せざる勁頭を正道を持守する上に用いてこそ利あり。《小象》に言う。昏昧に升を求めてまた上位に高居すれば、ただ日に消損するのみで充実富有することはない。

困(卦四十七)·坎下兌上

《困》:亨。貞大人吉,無咎。有言不信。《彖》曰:“困”,剛揜也。險以說,因而不失其所,亨,其唯君子乎。“貞大人吉”,以剛中也。“有言不信”,尚口乃窮也。《象》曰:澤無水,困。君子以致命遂志。

《困》の卦は下坎上兌、沢は上に在りて水は下に漏れ、沢中に水なし。「困」は困窮である。卦辞に言う。亨通する。正を守る大人は吉を得、過ちはない。このとき言話を為しても人に信ぜられない。《彖伝》は解釈する。「困」とは、陽剛が陰柔に掩蔽されることである。険境に身を処して心中はなお和悦し得、これによって困窮の中にその守る所を失わず。ゆえに能く亨通する――これはおそらく君子のみが為し得るであろう。「貞大人吉」は、九二・九五が陽剛にして中に居るからである。「有言不信」は、困の時に口舌弁解を崇尚すれば、ただ窮途に走入るのみを言う。《大象伝》に言う。沢中に水なきは《困》の卦象である。君子はこれに取り法り、寧ろ性命を捨棄しても己の志節を成就すべきである。

初六,臀困于株木,入于幽谷,三歲不覿。《象》曰:“入于幽谷”,幽不明也。九二,困于酒食,朱紱方來。利用享祀。征凶,無咎。《象》曰:“困于酒食”,中有慶也。六三,困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。《象》曰:“據于蒺藜”,乘剛也。“入于其宮,不見其妻”,不祥也。

初六は陰柔にして困の底に居り、枝なく蔭なき枯樹の桩の上に坐困し、また幽深の山谷に陷入し、三年も光明を見ない。《小象》に言う。「入于幽谷」は、幽暗にして明らかならず。九二は陽剛にして中に居り、酒食過豊にして進用の門なき処境に困る。まもなく朱紅の蔽膝――君命の栄寵を象徴する――が到来せんとする。このとき誠敬に祭祀して天命を待つに宜しく、急切に前往すれば凶、しかし終に過ちはない。《小象》に言う。「困于酒食」は、それが中に居りて正を守るがゆえに、その中に自ずから福慶ある。六三は陰柔にして中に居らず正ならず、前進すれば大石に阻まれ、退下すればまた蒺藜の上に坐り、家中に帰って妻子さえ見えない。凶である。《小象》に言う。「据于蒺藜」は、それが九二の剛に凌乗するからである。「入于其宮、不見其妻」は、これは不祥の兆である。

九四,來徐徐,困于金車,吝,有終。《象》曰:“來徐徐”,志在下也。雖不當位,有與也。九五,劓刖,困于赤紱,乃徐有說,利用祭祀。《象》曰:“劓刖”,志未得也。“乃徐有說”,以中直也。“利用祭祀”,受福也。上六,困于葛藟,于臲,曰動悔有悔,征吉。《象》曰:“困于葛藟”,未當也。“動悔有悔”,吉行也。

九四は下りて初六に相応じんと欲するも、遅緩にして前進せず、九二のこの堅固の金車に阻まれるがためである。憾惜あるも、終に相合し得る。《小象》に言う。「来徐徐」は、彼の心志が下面の初六に在るからである。爻位は当たらないも、畢竟なお相応ずる伴侣ある。九五は陽剛中正にして尊位に居り、上下皆陰に掩蔽され、割鼻断足の刑を受けたがごときで、あの身の赤色蔽膝の尊位に困られる。しかし緩緩と自ずから解脱し、このとき誠敬に祭祀して神明に感通するに宜し。《小象》に言う。「劓刖」は、彼の心志がまだ実現していない。「乃徐有説」は、彼が中に居りて正直だからである。「利用祭祀」は、これによって福沢を承受し得るからである。上六は葛藤に纏われて困し、動揺不安の地に処する(底本はここ「于臲」と作り、通行本は「于臲卼」と作り、一「卼」字を脱す。今は照録して補わない)。心裡に「一動すればまさに后悔せん」と言い、まさに先にこの悔意有るがゆえに改めるを肯んじ、前往すれば吉である。《小象》に言う。「困于葛藟」は、処する所の位置が妥当ならず。「動悔有悔」は、悔を知りて行う。ゆえに吉利の行動である。

井(卦四十八)·巽下坎上

《井》:改邑不改井,無喪無得。往來井井。汔至,亦未繘井,羸其瓶,凶。《彖》曰:巽乎水而上水,井。井養而不窮也。“改邑不改井,”乃以剛中也。“汔至,亦未繘井”,未有功也。“羸其瓶”,是以凶也。《象》曰:木上有水,井。君子以勞民勸相。

《井》の卦は下巽上坎。「井」は水井で、人を養うこと窮まらざるの義を取る。卦辞に言う。城邑は遷移し得るも、水井は搬走すること能わず。井水は減少せず、また增多せず。来来往往の人は皆井上に至りて水を汲む。もし水を打ちて井口に至らんとして繩子がまだ完全に井外に提出せず、反って水瓶を碰破せば、凶である。《彖伝》は解釈する。水中に入りて水を提げ上げるは、すなわち井である。井は衆人を養育して窮尽しない。「改邑不改井」は、九二・九五が陽剛にして中に居り、その徳は井の常あるがごとし。「汔至、亦未繘井」は、功敗垂成にしてまだ成就していない。「羸其瓶」は、ゆえに凶である。《大象伝》に言う。木桶の上に水あるは《井》の卦象である。君子はこれに取り法り、百姓を慰労し彼らの互相帮助を勉励すべきである。

初六,井泥不食。舊井無禽。《象》曰:“井泥不食”,下也。“舊井無禽”,時舍也。九二,井谷射鮒,甕敝漏。《象》曰:“井谷射鮒”,無與也。九三,井渫不食,為我心惻。可用汲,王明並受其福。《象》曰:“井渫不食”,行惻也。求“王明”,受福也。

初六は井の底に居り、井水は淤泥に混じりて飲用すること能わず。この廃旧の井は禽鳥さえ来ない。《小象》に言う。「井泥不食」は、それが最も下に処するからである。「舊井无禽」は、時勢がそれを廃棄した。九二は陽剛にして上に応ずるなく、井中の泉眼はただ下に向かって漏出して小魚を養うのみで、汲水の瓦瓮はまた破漏して、一成する所なし。《小象》に言う。「井谷射鮒」は、それが上面に相応ずる爻なく承接し得ざるからである。九三は陽剛にして正を得、井水はすでに淘洗干浄なるも来たりて飲む人なく、人をして心中惻然たらしむ。この井は本是汲用し得るもので、ただ君王が明察すれば、上下皆同じくその福を受けることができる。《小象》に言う。「井渫不食」は、行路の人皆之がために惻然とする。「王明」を求めるは、まさに君民が同じく福沢を受けんがためである。

六四,井甃,無咎。《象》曰:“井甃無咎”,修井也。九五,井洌,寒泉食。《象》曰:“寒泉之食”,中正也。上六,井收勿幕,有孚元吉。《象》曰:“元吉”在“上”,大成也。

六四は陰柔にして正を得て力は物に及ぶ能わず、ただ磚石を以て井壁を修砌するのみで、能く人を養う能わざるも、過ちはない。《小象》に言う。「井甃无咎」は、水井を整修し、日後に人を養うの準備を為す。九五は陽剛中正にして、井水は清洌で、供に飲用すべき寒泉である。《小象》に言う。「寒泉之食」は、それが中に居りて正を守り、その徳は泉の清のごとし。上六は井の上口に居り、汲水はすでに成り、井口を蓋住するべからず、人人皆来たりて取るを得させよ。心にこのような誠信を存すれば、大吉である。《小象》に言う。「元吉」が最「上」の一爻に現れるは、井道の人を養う功が大いに完成したからである。

革(卦四十九)·離下兌上

《革》:已日乃孚。元亨。利貞,悔亡。《彖》曰:革,水火相息,二女同居,其志不相得曰革。“已日乃孚”,革而信之。文明以說,大亨以正。革而當,其悔乃亡。天地革而四時成,湯武革命,順乎天而應乎人。革之時大矣哉!《象》曰:澤中有火,革。君子以治曆明時。

《革》の卦は下離上兌、沢中に火あり、水火は相滅する。「革」は変革である。卦辞に言う。変革の事は事の成る日に至ってこそ人に信ぜられる。大いに亨通し、正を守るに利あり、悔恨は消失する。《彖伝》は解釈する。革とは、水と火が互相に熄滅することである。また中女と少女が一家に同住して、心志が彼此相合せざるがごとき。ゆえに革と言う。「已日乃孚」は、変革の後に人々は初めて信服する。下体は文明にして上体は和悦で、これによって大いに亨通してまた正を守ることができる。変革が得当なれば、悔恨はこそ消失する。天地は変革して四季は形成を得る。商湯の桀を放ち周武の紂を伐つごとき革命は、上は天道に順い下は人心に応ずる。《革》卦の含む時機意義はまことに重大である!《大象伝》に言う。沢中に火あるは《革》の卦象である。君子はこれに取り法り、暦法を修治して四時の変化を明らかにすべきである。

初九,鞏用黃牛之革。《象》曰:“鞏用黃牛”,不可以有為也。六二,巳日乃革之,征吉,無咎。《象》曰:“巳日革之”,行有嘉也。九三,征凶。貞厲。革言三就,有孚。《象》曰:“革言三就”,又何之矣。

初九は変革の始めに居り、時機はまだ至らず、ただ黄牛皮を以て己を牢く捆住し、兵を按じて動かずするのみ。《小象》に言う。「鞏用黄牛」は、このときまだ作為あるべからざる。六二は陰柔中正にして、あの日に至ってこそ手を動かして変革し、往けば吉で過ちなし。《小象》に言う。「巳日革之」は、このように行動すれば必ず嘉美の結果ある。九三は陽剛にして過ぎ、急に変革すれば凶で、たとえ守るも危険である。変革の主張は反復審議三度して、三度皆妥当してこそ、人の信を取ることができる。《小象》に言う。「革言三就」は、この地步を為してこそ、またどこに往きて更に穩妥の方法を求めんや。

九四,悔亡。有孚改命,吉。《象》曰:“改命之吉”,信志也。九五,大人虎變,未占有孚。《象》曰:“大人虎變”,其文炳也。上六,君子豹變,小人革面,征凶,居貞吉。《象》曰:“君子豹變”,其文蔚也。“小人革面”,順以從君也。

九四は陽爻にして陰位に居り、本は悔あるべきにして悔恨は消失する。誠信を懐いて旧命を改革すれば、吉である。《小象》に言う。「改命之吉」は、彼の心志が人の信を取るからである。九五は陽剛中正にして尊位に居り、変革の主である。その変革は猛虎が毛を換えるがごとく、文采は焕然として新たなり、占問する必用なく自ずから天下の信服する所と為る。《小象》に言う。「大人虎変」は、彼の文采が光明炳耀するを言う。上六は革の終わりに居り、君子の変革は豹子が毛を換えるがごとく、文采は細密にして漸次観るべきあり。小人は則ち表面の順従を改変するのみである。このとき更に急に前進すれば凶、安居して正を守れば吉。《小象》に言う。「君子豹変」は、彼の文采が茂密にして観るべきあり。「小人革面」は、柔順に新君に服从するのみである。

鼎(卦五十)·巽下離上

《鼎》:元吉,亨。《彖》曰:鼎,象也。以木巽火,亨飪也。聖人亨以享上帝,而大亨以養聖賢。巽而耳目聰明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以元亨。《象》曰:木上有火,鼎。君子以正位凝命。

《鼎》の卦は下巽上離、全卦の形は正に一只の鼎に似たり。初爻を足と為し、二三四を腹と為し、五を耳と為し、上を鉉と為す。卦辞に言う。大吉、亨通する。《彖伝》は解釈する。鼎とは、器物の象を取る。木柴を火の中に送入するは、食物を烹飪するに用いる。聖人は烹飪して上帝を祭享し、また大規模に烹飪して聖賢を供養する。下体は謙遜にして上体は光明で、これによって耳聡目明である。六五の柔爻は上進して尊位に居り、中位を得て九二の剛に相応ずる。ゆえに大いに亨通する。《大象伝》に言う。木の上に火あり、まさに烹飪の象で、これが《鼎》の卦象である。君子はこれに取り法り、己の名位を端正し、受ける所の使命を穩凝すべきである。

初六,鼎顛趾,利出否。得妾以其子,無咎。《象》曰:“鼎顛趾”,未悖也。“利出否”,以從貴也。九二,鼎有實,我仇有疾,不我能即,吉。《象》曰:“鼎有實”,慎所之也。“我仇有疾”,終無尤也。

初六は鼎の底に居り、鼎足が天に向かって翻倒し、反常のごとく見えるが、ちょうど裡面の陳渣穢物を倒出するに好し。妾によって子を生んで彼女をして立身を得しむるがごときで、過ちはない。《小象》に言う。「鼎顛趾」は、常理に背かない。「利出否」は、新たに納るる貴物に順従するがために先ずその旧穢を去る。九二は陽剛にして中に居り、鼎中に実物を盛満する。我が対頭の初六は近いれど病痛の嫌あり、我に靠近する能わず。吉である。《小象》に言う。「鼎有実」は、まさに満載なるがゆえに、さらに往く所を謹慎するを要す。「我仇有疾」は、終に過失なし。

九三,鼎耳革,其行塞,雉膏不食,方雨,虧悔,終吉。《象》曰:“鼎耳革”,失其義也。九四,鼎折足,覆公餗,其形渥,凶。《象》曰:“覆公餗”,信如何也。六五,鼎黃耳金鉉,利貞。《象》曰:“鼎黃耳”,中以為實也。上九,鼎玉鉉,大吉,無不利。《象》曰:玉鉉在上,剛柔節也。

九三は陽剛にして応を失い、鼎耳が変形し、鼎を抬き動かす能わずして行進は受阻するがごときで、鼎中の肥美の野鶏肉も吃上できない。陰陽和洽して雨を降らすを待てば、先前の虧損悔恨は便ち漸々に消解し、最終的に吉を得る。《小象》に言う。「鼎耳革」は、それが有るべき義理の配合を失掉した。九四は陽を以て陰に居り下に初六の弱に応じ、鼎足が折断して王公の美食を一地に傾覆し、鼎身は汚濁に沾満するがごときである。凶である。《小象》に言う。「覆公餗」は、このような人の受ける所の信任はまたどう言うべきか――託する所は人に非ず、その咎は己に在る。六五は陰柔にして尊位に居り、鼎に黄色の耳・金属の挙鼎横杠を配するがごときで、正を守るに利あり。《小象》に言う。「鼎黄耳」は、居中の徳を以て其の充実の内容と為す。上九は陽剛にして鼎の極に居り、玉製の鉉を配するがごときで、剛の中に温を帯び、大吉で、不利なことはない。《小象》に言う。玉鉉が最上に居るは、剛と柔の配合が恰も節度あるからである。

震(卦五十一)·震下震上

《震》:亨。震來虩虩,笑言啞啞,震驚百里,不喪匕鬯。《彖》曰:震,亨。“震來虩虩”,恐致福也。“笑言啞啞”,後有則也。“震驚百里”,驚遠而懼邇也。“不喪匕鬯”,出可以守宗廟社稷,以為祭主也。《象》曰:洊雷,震。君子以恐懼修省。

《震》の卦は上下皆震、震は雷・動・長男である。卦辞に言う。亨通する。雷声が伝来するとき人人は惊恐不安で、過ぎればまた談笑自若である。巨雷は百里の遠を震驚するも、主祭者の手中の匙と香酒は畢竟喪失しない。《彖伝》は解釈する。震、亨通する所以。「震来虩虩」は、恐惧戒懼に因りて反って福気を招来する。「笑言啞啞」は、驚懼の後に行事に法則あり。「震驚百里」は、遠処の人は驚を受け近処の人は畏れる。「不喪匕鬯」は、このように鎮定の長子は外出しても宗廟社稷を守護するに足り、主祭の人を充当し得るを言う。《大象伝》に言う。雷声が連接して至るは《震》の卦象である。君子はこれに取り法り、恐惧の心を懐いて身心を修養し己を省察すべきである。

初九,震來虩虩,後笑言啞啞,吉。《象》曰:“震來虩虩”,恐致福也。“笑言啞啞”,後有則也。六二,震來厲,億喪貝,躋于九陵,勿逐,七日得。《象》曰:“震來厲”,乘剛也。六三,震蘇蘇,震行無眚。《象》曰:“震蘇蘇”,位不當也。

初九は震動の主で、雷来るとき惊恐戒懼し、過ぎれば談笑自若である。吉である。《小象》に言う。「震来虩虩」は、恐惧に因りて福気を招来する。「笑言啞啞」は、驚懼の後に行事に法則あり。六二は陰柔中正なるも初九の剛に凌乗し、雷来るとき危険あり、大量の財貨を喪失し、高高の山陵に登って躲避するほかない。追尋に行く必用なく、七日の後に自ずから失うて復た得る。《小象》に言う。「震来厲」は、剛爻に乗凌するからである。六三は陰柔にして中に居らず正ならず、震動の中に緩弱不安・神情恍惚である。もし震懼に因りて行動ある能わば、災眚なきべし。《小象》に言う。「震蘇蘇」は、それが居る所の爻位が当たらないからである。

九四,震遂泥。《象》曰:“震遂泥”,未光也。六五,震往來,厲,意無喪,有事。《象》曰:“震往來厲”,危行也。其事在中,大無喪也。上六,震索索,視矍矍,征凶。震不于其躬,于其鄰,無咎。婚媾有言。《象》曰:“震索索”,中未得也。雖凶無咎,畏鄰戒也。

九四は陽爻にして四陰の間に陷り、震動の勢は終に泥淖に墜入して振起しない。《小象》に言う。「震遂泥」は、その陽剛の徳がまだ光大していない。六五は陰柔にして尊位に居り、震動は来来往往し、皆危険あり。しかし心意の上に大きな喪失なく、なお祭祀の事を主持し得る。《小象》に言う。「震往来厲」は、行事が危険の中に処する。その主とする事が中道を守住するがゆえに、大きな損失なし。上六は震の極に居り、恐惧して脚歩は瑟縮し、眼神は驚惶して四顧する。このとき出行すれば凶。雷震はまだ己の身上に落ちず、ただ鄰近の処に落ちたのみなれば、先ず自ら戒懼し、便ち過ちなきべし。ただこのように謹慎すれば、婚配の親家は難免して閑話あるべし。《小象》に言う。「震索索」は、それが中道を得ていないからである。凶地に処して能く過ちなきは、鄰居の遭遇を見て先ず己を警戒するからである。

艮(卦五十二)·艮下艮上

《艮》:艮其背,不獲其身,行其庭,不見其人,無咎。《彖》曰:艮,止也。時止則止,時行則行,動靜不失其時,其道光明。“艮其止”,止其所也。上下敵應,不相與也。是以“不獲其身,行其庭,不見其人,無咎”也。《象》曰:兼山,艮。君子以思不出其位。

《艮》の卦は上下皆艮、艮は山・止である。卦辞に言う。背部に止住する――背は人体唯一の物を見ず欲を生ぜざる処――これによって己の身軀を覚察せず。彼の庭院を走過しても、庭中の人を見ない。こうすれば過ちなし。《彖伝》は解釈する。艮とはすなわち止である。停まるべき時に停まり、行くべき時に行き、動と静は皆時機を錯過しない。このような道理は光明正大である。「艮其止」は、止まるべき処に止まる。この卦は上下の各爻が両両同性で彼此敵と為りて相応ぜず、互いに牽扯しない。ゆえに「不獲其身、行其庭、不見其人、无咎」と言う。《大象伝》に言う。両山が重畳するは《艮》の卦象である。君子はこれに取り法り、思慮は己の職分の外に越出しないべきである。

初六,艮其趾,無咎。利永貞。《象》曰:“艮其趾”,未失正也。六二,艮其腓,不拯其隨,其心不快。《象》曰:“不拯其隨”,未退聽也。九三,艮其限,列其夤,厲,熏心。《象》曰:“艮其限”,危熏心也。

全卦はなお人身を以て下より上に向かって象を取る。初六は最下に在りて脚趾を止住し、動念の初めに於て停下する。過ちなく、しかも長久に正を守るに利あり。《小象》に言う。「艮其趾」は、まだ正道を失掉していない。六二は小腿肚を止住し、しかし九三のあの硬止の做法を挽救することができず、之に随って止まるほかなく、これによって心中痛快ならず。《小象》に言う。「不拯其随」は、九三が剛愎にして退讓して勧告を聴従するを肯んぜざるからである。九三は陽剛にして両卦の交に居り、腰際に止まり、硬として上下の脊肉を撕裂して開く。危険極まりて、憂懼は火の心を熏るがごとし。《小象》に言う。「艮其限」は、危険が彼の内心を煎熬する。

六四,艮其身,無咎。《象》曰:“艮其身”,止諸躬也。六五,艮其輔,言有序,悔亡。《象》曰:“艮其輔”,以中正也。上九,敦艮,吉。《象》曰:“敦艮之吉”,以厚終也。

六四は陰柔にして正を得、己の整个の身軀を止住し、妄動せず。過ちなし。《小象》に言う。「艮其身」は、止むべきを己の身上に止め、先ず己に求める。六五は陰柔にして尊位に居り、己の牙床口舌を止住し、言話は条条理ありて軽発せず。悔恨は消失する。《小象》に言う。「艮其輔」は、それが中に居りて正を得るからである。上九は艮の極に居り、止まること敦厚篤実である。吉である。《小象》に言う。「敦艮之吉」は、彼が敦厚の徳を以て善く終わるからである。

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