天機貫旨紅囊經・卷首
卷一・放水十四局(放とは順なり)
風水堪輿典籍
まず読む書が形勢か理気かを見極めてから条文に入るのがよい。派を跨いだ術語の混用が、この門で最もありがちな誤読の源である。
地理秘訣。紅囊經,宜豐李三素著。兩議堂藏版。天機貫旨紅囊經原序,宜豐李三素註解。
此の書は堪輿家の地理秘訣にして書名を《紅囊經》と曰ひ、江西宜豊の人李三素の撰著にして兩議堂が刻板して印行す。以下は《天機貫旨紅囊經》の原序にして仍お宜豊李三素が逐句に加注して解説す。
天機貫旨紅囊經原序
陰陽地理山家卦,總是閒言話。更向山頭指撥砂,都是眼前花。休說閒星並祿馬,謾言災禍陰陽卦。休說六秀水,恰似眼前花。自言誇道會星辰,都是要傳名。連山鬼運固為妙,究竟亦非好。又向山頭指貴人,顛倒轉家貧。天星鬼卦都無用,諸星壺中空。說道黃泉十二路,的是無真趨。番見絕命諸卦,財一動見殃災。不曉紅囊經坐穴,下後人丁絕。卻將說惑愚蒙,聖術豈知蹤。
世に陰陽地理を講ずる那一套の「山家卦例」は説き極めれば皆是れ用ひ無きの閒話なり。再び山頭の上に跑りて哪の一塊の砂は撥するを要す收するを要すと指點するも亦不過是れ眼前に一閃して即逝れるの虛花なり。再び甚麼の閒星・祿存・天馬を談ずるを要せず、亦陰陽卦を拿りて胡亂に災禍を推斷するを要せず。「六秀」の方位に水來れば則ち必定好しと説くは亦同じく眼前の虛花なり。人の星辰の學に精通すと自誇するは其の實只是想ひて此を借りて一個の名聲を博せんとするなり。「連山」「鬼運」の此類の卦法は看似る玄妙なるも究竟亦好法門と算すべからず。又人山頭の上に亂りに貴人峰を指して方位一たび顛倒すれば反って人家を指點して家道貧窮ならしむ。天星・鬼卦は全て派して用場に上らず、各種の星名は不過是れ葫蘆裏の空話なり。甚麼の「黄泉十二路」を説くは實に一條も真に趨從する可き無し。翻り覆りて彼の絕命・五鬼の類の卦例を看れば錢財一たび動けば便ち災殃を招來す。《紅囊經》の坐穴の法を懂らずして葬り下りて後人丁斷絕するも、卻て還た此れ等の説法を拿りて去りて愚昧無知の人を迷惑す、聖人の地を相する術の真蹤跡は彼等豈に摸著る所あらんや。
九天玄女真口訣,逐一為君說。山合紅囊青囊,便得真,救得世間人。合得九星宗妙訣,五行要分別。七十二龍分五音,仔細認天星。六十甲子循環布,認得吉凶處。四十八局是分金,逐位細推尋。明穴明山明水路,尋取五行布。金木水火義精通,番值八山奇。分局佈局排星卦,五行通用也。番山番值五行蹤,世間少人逢。但將牢記取,禍福靈如鬼。不信但覆古人墳,處處合神文。此是楊曾真口訣,匪人休浪洩。有人傳得值千金,便是當年司馬身。
九天玄女の傳へ下るの真口訣を我は現在一条一条汝に講じ聽かさん。坐山若能く《紅囊經》《青囊經》の法度と相合せば乃ち真傳を得着したりと算し乃ち世間の人を救ふことを得ん。上九星の根本妙訣に合せんと要せば先ず五行を分辨清楚するを得べし。七十二龍は各々宮商角徵羽の「五音」を分かちて其の屬する所の天星を仔細に辨認するを要す。六十甲子は循環排布して二十四山の下に在り認清せば便ち吉凶の哪の一處に落つるかを知る。四十八局は即ち所謂「分金」にして一位一位細細に推尋す。穴場・坐山・水路の三者を皆弄明白して而して後五行的分佈を尋取せよ。金木水火の四局の義理一たび精通せば翻山翻值して八山に配上せば便ち奇效を見る。分局・布局・排定星卦は五行の法は處處通用す。翻山・翻值して以て五行の蹤跡を求むるの此の門の功夫は世間に甚だ人少なし。只之を牢牢に記着せば禍福を判斷するや靈驗なること鬼神の相助有るが如し。若し信信ぜざれば只管去りて古人の墳墓を覆看せよ、處處皆經文と相合す。これ楊筠松・曾文遄の師徒の真口訣にして托すべきの人にあらざれば切に輕易に泄露するを得ず。人若能く此の套の法門を傳へ得ば價千金に値ひ便ち當年の道を得たる司馬頭陀の一般の如し。
此乃序諸家之偽,而七十二龍也。地理穿山透地,皆言審龍。紅囊則專言坐穴。蓋龍係生成,而穴則待高人之妙用。古人謂一毫千里,一指萬山者,皆指此也,故不可不慎。後之人抱殘守缺,不信真傳,惟熟讀此篇,遍觀古墳,自當盡棄所學,岐路之悲,庶乎可免。
李三素按す。此の篇の序文は各家の僞法を一一排列し出して駁斥を加へ而も「七十二龍」の此の真法の上に歸結す。地理書は「穿山」「透地」を講じ講ずる所は皆來龍を審察するなり。《紅囊經》は卻て專ら「坐穴」を講ず。龍脈は天生自然形成するにして穴位は卻て高明の地師を等りて妙用裁定するを要するを以てなり。古人の言に「一毫を差せば謬りて千里を以てす」「一指の差は誤りて萬山を盡くす」は指す所は正に坐穴の此の一件事にして故に愼重せざるべからず。後世の人は殘缺の舊説を抱きて放さず真傳を信ずるを肯ぜず、只能く此の一篇を熟讀して再び遍く各處の古墳を看て印證せば自然に從前の學んだ所を全部丢開せん。岔路を走るの悲哀も亦大概免るることを得ん。
天機貫旨凡例
地理之學等於天文,是以一訣千金,妙處不傳。曾公得教於楊公最為親切,其《青囊》云:楊公養老看雌雄,天下諸書對不同。又云:以偽傳偽竟不明,所以禍福為胡亂。故汗牛充棟之書顛倒參差,皆係偽種奇橫。是書出於《天玉》《青囊》《玉尺》與先賢歌訣,皆索一萬錢先之以問答,使略見大意。經中有辨疑者,不惜重言以審之。羅經口訣,不外於得金得卦,又不外於三七二八,總之則乘氣坐穴而已。
地理の此の門の學問は其の難其の精は天文に亞ならず、故に一句の真訣は千金に値し最要緊の地方は從來肯じて輕傳せず。曾文遄は親しく楊筠松の傳授を受け最も直接可靠にして其の作る所の《青囊序》に曰く「楊公は老を養ひて雌雄を看る、天下の諸書は對して同ならず」と。又曰く「僞を以て僞を傳へて竟に明ならず、所以の禍福は胡亂と為る」と。故に彼の山を堆積するが如きの地理書は説法前後顛倒し彼此參差して全是れ僞法の亂傳し出づるの怪種なり。本書の根據は《天玉經》《青囊經》《玉尺經》および歷代の先賢の歌訣に出づ。此れ等の口訣は從前は皆價萬錢を索めて乃ち相授するを肯じ我は先ず問答の方式を用ゐて寫出して讀者に略く大意を見せしむ。經文の中に凡そ疑難有りて辨析を須とする處は我は重複申説を怕れず務めて審明を求む。羅盤の上の口訣は歸結し來れば不外「得金」(七十二龍の分金に合す)と「得卦」(六十龍の本卦に合す)の兩件事にして又不外「三七」「二八」の兩種の加減法度なり。總じて言へば則ち生氣に乘り坐穴を定むるの此の一件事のみなり。
《青囊》《玉尺》與先賢歌訣,皆地理家童而習之者耳。餘所發明即在耳之前,而非隱怪。尊《天玉》祭其祖之所自始。《紅囊經》專言坐穴,久無刻本,時為抄出,在得訣之人口傳心授,固不須文字。然守先待後,惟恐天下之人盡入火坑,則是書不可一日無。理者一定之理氣,趨避之訣可習可傳;巒頭則千變萬化,非踏破鐵鞋揣摩有素,雖父不能教其子。茲不及者,神而明之存乎其人。
《青囊經》《玉尺經》と先賢の留下する歌訣とは皆是れ地理を學ぶ人の小にして便要く讀むべき書なり。我の闡發する道理は便ち人の耳目の前に擺れて並びに甚麼の隱僻怪異の談にあらず。我は特に《天玉經》を尊崇す、正に祭祀は要く最初の那位の祖先に追溯するが一般の如く其れ此の門の學問の源頭なるを以てなり。《紅囊經》は專ら坐穴の法を講じ長久にして刻本の流傳なく只是れ時時に抄錄する人有り。已に訣を得たる人に對しては口傳心授は本來便ち文字に依靠するを必とせず。然れども前人に承接し後學に留待せんが為に我は實に天下の人の皆火坑の裏に掉り入らんことを擔心す、則ち此の部の書は一天も無かる可からず。所謂「理」は一定不移の理氣にして吉に趨き凶を避くるの口訣は學ぶ可く亦傳ふ可し。至りて「巒頭」は則ち千變萬化にして若し鐵鞋を踏破し長年に揣摩して素養有るを得ざれば、即ち是れ父と雖も亦法なくして子に敎ふること能はず。本書の講じ到らざる那一部分は便ち只能く讀者自ら心領神會するに靠るのみなり。
然聚散向背之義,既發明於墳堂;惟《穴心賦》極其精微,《穴情賦》最極活潑乃為生氣,熟觀古墓才能自得。選擇之利害多在一紀,今以古墓定吉凶,豈能悉其造墓之期。固知年月日時,治近不能治遠也。先賢:方方位位有神殺,避得山通向又侵,惟有山家生氣旺,天機妙訣好留心。又云:七十二龍逢旺相。觀此則補山相主、弱孤造命之外,皆偽傳也。但選擇莫要於天文,惟秦西為最精,假我數年尚其矣之。
至りて氣脈の聚散・山水の向背の此の層の道理は我は已に墳堂形勢を講ずる部分に於て説明せり。只《穴心賦》は講ずるや極めて精微にして《穴情賦》は講ずるや最も靈活にして那れ乃ち生氣有るの文字と算し須く古墓を熟看して乃ち自ら體會することを得。至りて葬期を選擇するの利害は其の應驗は大多數一紀(十二年)の内に在り。如今我等は古墓を憑りて吉凶を判定するも又怎ぞ能く一一當年造墓の確切の日期を査明せんや。此に由り知るべし、年月日時の選擇は只能く近期を管して長遠を管すること能はず。先賢の説く「方方位位に神殺有り、避け得ば山通じて向又侵す、惟だ山家の生氣旺有るのみ、天機妙訣留心を好し」と。又説く「七十二龍は旺相に逢ふ」と。此の兩句に照らして看れば選擇の學は山を補し・主を相し・弱を扶け・孤を濟ふの此の幾項の造命の法以外には其の餘は皆僞傳なり。不過選擇を論ずるは最要緊のは還お是れ天文曆算にして此の方面は惟だ西洋の學最も精密なり。假若再び我に幾年の工夫を給はらば或いは之を更に明白に講ずることを得ん。
天機妙訣總在平分六十甲子,奉國禁則以盈縮代之,至朱蔡亦未知之,復還其固有而於坐穴。《天玉》《青囊》《玉尺》其傳未廣,二公亦竟不知。術家有知之者,疑盈縮為本來、平分為添設,而與楊曾截然異路。仰觀俯察之學皆始黃帝,惟楊曾得其緒耳。盈縮之非,大度六十一之謬,《頂門針》辨之既詳,茲不再贅。
天機の妙訣は總じて歸じて「六十甲子を平分す」の此の一層の上に落つ。六十甲子を均勻分佈して二十四山の下に到らしむ。後來朝廷が民間の地理を習ふを禁ずるに因りて術家は敢へて明言せず、便ち「盈縮六十龍」を拿りて來りて之に頂替す。朱熹・蔡元定の如きの大儒すらも亦其の中の原委を知らず。如今我は之を其の本來の面目に恢復して來りて坐穴の上に用ゐん。《天玉經》《青囊經》《玉尺經》は當時流傳廣からずして朱・蔡の二公は竟に亦見ることを得ず。術家の中に偶々此の囘の事を知る者有るも反って盈縮こそ本來の法にして平分は後人の添へ出したると懷疑して是に於て一條の楊筠松・曾文遄と截然不同的路を走上りぬ。天象を仰觀し地理を俯察するの學問は皆黃帝に始まり惟だ楊・曾の師徒こそ此の一線の餘緒に接上することを得。盈縮六十龍の誤および周天を分かちて「大度六十一」と作すの謬説は《頂門針》の一書の辨析する所已に甚だ詳細にして此處には重複せず。
大五行即金木水火土,在先天為河圖,在後天為挨星,箕子之《洪範》實不外此。自《銅涵》《滅蠻》乃《洪範》之名,使人易信,非真《洪範》也。嗣後有一真談,即說一謬解,因奉國禁乃亦以偽傳偽。自宋及今,國禁既馳,必使此道明於中天,不惟有禆於富庶,實有助於國家養育人才矣,可不明辨之乎。
所謂「大五行」は即ち金・木・水・火・土なり。其れ先天に在りては即ち《河圖》にして后天に在りては即ち「挨星」なり。箕子が《尚書・洪範》の裏に講ずる五行は實際も亦此の範圍を出でず。後世の《銅涵經》《滅蠻經》は只是れ「洪範」の此の名目を借用して人に容易に信ぜしめんと好むに而も並びに真正の洪範五行にあらず。彼れ以來一種の真説法の出現する毎に便ち跟著して一種の謬解の冒出し、又因りて朝廷に禁令有りて術家も亦錯に將りて錯を就け以て僞を傳へ僞とせり。宋代より今天に至るまで禁令既に鬆弛せば便ち必定要して此の門の學問をして日の中天に在るが如く明白ならしめん。此不單に百姓の富庶に對して好處有るのみならず實に亦國家の人才を培育するに助有り、怎ぞ能く辨析清楚せざる可けんや。
謬種偽傳汗牛充棟,削不勝削,摘不勝摘,即《摧官篇》《頂門針》亦合者二三,離者七八。蔓草不除,則嘉禾不莠;辨之不早,真偽不分。惟《玉尺經》乃楊曾心法,引而不發,尚不如《天玉》《青囊》《紅囊》之奧,細心讀之,人人可以自得,故此未註,以待將來。河圖為先天,納音為後天,必尋到源頭,而五行之名始不虛設。餘也遍考性理並及河圖所論,納音總無不是,否則其圖愈多,觀與念亂。張思先有言曰:所恨古人不我見。我亦特為大息耳。宜豐李三素識。
荒謬の僞法は傳はるや天を鋪き地を蓋ひて删ふるも删盡くすべからず摘むるも摘盡くすべからず。賴文俊の《催官篇》と徐試可の《頂門針》とすらも能く合するも不過十の二三にして相違するは反って十の七八有り。野草除き淨せざれば好莊稼は長起ることを得ず。辨僞辨むるや早からざれば真假は分開くことを得ず。只《玉尺經》こそ乃ち楊・曾の心法なれど惜むらくは其れ只弓を拉開して箭を射出さず含蓄して盡言を肯ぜず、反って《天玉經》《青囊經》《紅囊經》に來たりて深奧なるに如かず。只細心を以て之を讀まば人人皆自ら領會することを得、故に我此の次は之の為に注を作らず將來に留待す。《河圖》は先天に屬し納音は后天に屬す、必定要して源頭の上に尋ね至りて五行の此の名目乃ち空設と為らざるを致さん。我は遍く宋儒の性理の書を考へ兼ねて《河圖》の種種の議論に及べども凡そ納音を講ずるは一處も對せざるなし。否れば圖畫は畫くや愈々多くして看る人の心念は反って愈々亂る。張思先の説く「恨むらくは古人我に見えず」と。我此處に讀み到りて亦只之の為に一聲の長嘆を為すのみ。宜豊李三素記す。
天機貫旨紅囊經目次
宜豐李三素著。一卷:經囊經註解、九星歌訣、四下十八局定例、放水十四局(放水順也)、逆水局十六、收右水九局、收左水九局、十二支正神向、兌卦詳斷、破局詳斷兌卦、紅囊經四十八局坐穴。二卷:天機賦(論房分吉凶)、論挨星聯珠訣辨、論龍三謬辨、頂門針是非辨、穿山透地三盤卦例辨、論陰陽辨、奪神功改天命必兼用三針、論生死不論陰陽辨、論左右關之偽辨、得訣歸來好看書。
全書は宜豊李三素の撰著す。第一卷は收む。《紅囊經》正文注解・九星歌訣・四十八局定例・順水放水十四局(「放」は即ち水に順て去るなり)・逆水立向十六局・右邊來水を收むる九局・左邊來水を收むる九局・十二地支の正神向・兌卦一宮の吉凶詳斷・兌卦破局の詳斷・および《紅囊經》四十八局坐穴總説。第二卷は收む。《天機賦》(專ら各房分の吉凶を論ず)・挨星聯珠訣を辨析す・龍を論ずる三種の謬説を辨析す・《頂門針》の是非を辨析す・穿山透地三盤卦例を辨析す・陰陽の説を辨析す・神功を奪ひ天命を改むるは必ず正針中針縫針の三盤を兼用するを須とす・只生死を論じて陰陽を論て陰陽を論ぜざるを辨析す・左關右關の説の虛僞を辨析す・および《訣を得て歸り來りて書を看るに好し》の一篇。
三卷:龍穴砂水釋名總說、論羅經說、羅經禍福辨、登山不用開羅經、望氣論、論認水立向、嘗水辨、求福即孝子、秘訣辨、論五行之謬、俯察提綱、論小玄空生克不論龍向、辨別地師法、萬物轉移天地之氣、天星卦例、辨真偽總綱、論雙金煞。四卷:天機出煞賦、夾竹梅花、論心訣、定向受法、論干支生旺、四路黃泉水斷、論八煞黃泉斷、論祿馬貴人砂、梅花穴向水路吉凶斷、論二十四龍斷、五星形勢、五星葬法、扦穴法、尋龍經上篇、中篇、下篇、論尋龍之法甚有關節。目次終。
第三卷は收む。龍・穴・砂・水の四法名目の總釋・羅盤を論ず・羅盤の主する所の禍福を辨ず・山に登りて羅盤を開かざる可きの説・氣を望むの論・水を認りて向を立つの論・水を嘗めて味を辨ずるの法・福を求むるは正に孝子の事なり・所謂「秘訣」を辨ず・五行の諸家の謬を論ず・俯察提綱・小玄空は只管穴前の水を放るの生克を管して龍と向とを論を論ぜざるを論ず・地師の優劣を辨別するの法・萬物は皆天地之氣に隨て轉移す・天星卦例・真僞を辨別するの總綱・および雙金煞を論ず。第四卷は收む。《天機出煞賦》・夾竹梅花訣・心訣を論ず・向を定め法を受く・天干地支の生旺を論ず・四路黄泉水斷・八煞黄泉斷を論ず・祿馬貴人砂を論ず・梅花穴向水路吉凶斷・二十四龍斷を論ず・五星形勢・五星葬法・穴を扦するの法・《尋龍經》上中下の三篇・および尋龍の法は極めて關節有るを論ずるの一篇。目次は此處に到りて止まりぬ。
後序
紅囊經,上按周天七十二星,中應七十二節骨龍氣,下應七十二候。若能排列,真能發福如雷;不依此經,則一毫千里、一指萬山,其禍立見。唐喜宗廣平元年,黃巢做亂,楊筠松出江南,將此經傳與虔化曾文遄,有七十二穿山,名為七十二條來去水法。梅州虔化楊公作地,皆依此經。蓋內外六十甲子取諸陰陽消長,隔八相生,天地人物總不出陰陽消長之外,是以吉凶如向。
《紅囊經》の此の部の書は上は周天の七十二顆の星に對應し中は龍身の七十二節の骨節の行く所の氣に對應し下は一年の七十二候に對應す。若し能く之に依りて排布して當を得ば發福真に雷霆の速きが如し。若し此の部の經に依らざれば則ち毫釐を差えて謬りて千里を以てし一指の誤は便ち誤りて萬山を盡くし禍患は立刻に便ち見ゆ。唐僖宗廣明元年に黃巢は兵を起して亂を作し楊筠松は亂を避けて南下して江南に到り此の部の經を虔化(今の江西寧都)の人曾文遄に傳へ、其の中に七十二穿山の法有りて又七十二条の來去水法と叫作す。梅州・虔化の一帯の楊公の親手の點したる地は皆是れ此の部の經に依りて做したるなり。内盤外盤の六十甲子は取る所は陰陽消長の理にして「隔八相生」の法則を用ゐて推排す。天地之間の人と物とは總じて陰陽消長の範圍を跳出すべからず、故に吉凶の應驗は回聲の應答するが如く準なり。
時師但知東西南北,不知五行有內外。臟腑調和則百病不生。紅囊經得自甲子,有盲師不識何物,因以授餘。餘細讀之,知為坐穴消長之用。前後兩序俱失作者姓名,中有避玄空者,未知燈是火,因消去。末有七十二圖,乃七十二條來去水法,無非喜生旺、忌休囚。《行程記》云:九天玄女有經文,此卷世間無。則此言之秘而不傳,已非一日。但七十二龍中有去取,而非七十二向,在奉禁時不是不諱言之。今則指明四十八局,務使楊曾心法如日中天,是以刪定其歌訣,竟削其圖。奧語之珠寶火坑、天玉經之雙山雙向,皆賴此書為註腳。今表而出之,使仁人孝子共讀神文,亦以見餘之專以七十二為分金而避百二十分金,非無所本也。
現今の地師は只東西南北の方位を知りて知らず五行に還た内外兩層を分かつを。人身の臓腑の調和せば百病自然に生ぜざるが如し。此の部の《紅囊經》は我は某の甲子年に得之、當時一個の瞎眼の術士は何の書なるかを認得せずして便ち轉じて我に與へり。我は仔細に讀過して乃ち知る其れ坐穴と氣の消長の用法を講ずるを。書前書後の兩篇の序は皆作者の姓名を失落し、其の中に一位の「玄空」の二字を避諱せんが為に繞りて説く者有りて竟に「燈」は即ち「火」にして同じく一物なるを知らず、故に我は彼の一段を删去せり。書末は原に七十二幅の圖を附有す、即ち七十二条の來去水法にして内容は無非是れ生を喜び旺を喜び休を忌み囚を忌むなり。《行程記》に曰く「九天玄女に經文有り、此の卷は世間に無し」と。見るべし此の套の説法は秘して傳へざるは已に一天兩天の事にあらず。不過七十二龍の中は是れ取有り舍有りにして並びに七十二個の向皆用ひる可きにあらず。朝廷の禁令の下に術家も亦非ざるにあらず明説を忌諱せず。如今我は索性指明して只四十八局のみ用ひる可しとし務めて楊・曾の心法をして太陽の空に當るが如く明白ならしめ、故に其の歌訣を删定して索性に彼の圖をも亦去りぬ。《青囊奧語》の所謂「珠寶」と「火坑」《天玉經》の所謂「雙山雙向」は皆要く此の部の書に靠りて注脚を作る。現在我は之を表彰し出して仁人孝子をして共に此の篇の神妙の文字を讀ましむ。亦此に由り見るべし、我の專ら七十二龍を用ゐて分金を定めて一百二十分金の法を避くるは並びに根據無きにあらざるを。
卷一・紅囊經注解
天南地北說東西,不識東西有玄微。五行真妙無人會,謬種星辰說是非。五行有先天、後天。後天之納音,即先天之河圖也。但先天本體,後天致用,徒拘方位則泛而無主。譬之某縣某家,止知其姓而不知其家中之人,各有賢愚,各有喜忌。故不用老五行,而用後天之納音耳。
經文に曰く、世人は口に滿ちて天南地北・東金西木と方位を講じて曉らず此の「東」「西」の二字の裏に別に一層の玄微有るを。五行の真正の妙處は人の領會する無く只會して一堆の錯傳の星名を拿りて去りて是非を爭論す。李三素注す。五行に先天・后天の兩套有り。后天の「納音五行」は即ち先天《河圖》五行の另一副の面孔なり。但し先天は本體を講じ后天は應用を講ず。若し只方位を死守して放さざれば便ち泛泛として主宰無し。此れ譬へば某縣某の一戸人家を説くに汝は只其の家の何の姓なるかを知りて知らず家裏の人は各々賢愚同ならず各々喜忌同ならざるを。故に本書は「老五行」(正五行、即ち東木西金南火北水)を用ゐずして吉凶を定めずして改めて后天の納音五行を用ゐる。
八山排舉五行論,位位分金有五星。二十四山排易識,得師口訣始為真。分金者,七十二龍也。其中有龜甲、有空亡,皆所不取,如淘沙撿金,故謂之分金。五星者,分金所屬之五行也。分金之偽,世俗止別有一百二十。至於同山論向而有兼左兼右,五行各別,則舉世茫茫,此二十四山所以不易識也。
經文に曰く、八卦八山は各々五行を排出して論ず、每一位の分金の下に皆其の屬する所の五星有り。二十四山は看似る一排すれば便ち認得す、其の實必ず明師の口訣を得て乃ち真に懂ると算す。李三素注す。所謂「分金」は即ち七十二龍なり。七十二は即ち七十二龍なり。七十二龍の裏に「龜甲」(十二地支の正中の中氣線)有り「空亡」(兩山交界の界縫線)有り、此の兩類は皆取りて用ゐる可からず。沙を淘して金を揀ぶが如く用ふ可きを挑出す、故に分金と叫作す。所謂「五星」は即ち每一条の分金の屬する所の五行なり。分金の僞法は世俗は只知道して別に一套の「一百二十分金」有り。至りて同じ一座の坐山にして向を立つる時に兼左・兼右の分有りて兼左兼右の得る所の五行は又各々相同ならざるの此の一層は便ち舉世茫然なり——二十四山の容易に認清し難き所以の原因は正に此處に在り。
先將水步究天星,山合紅囊七二神。若還會得其中趣,便是陰陽地理人。天星者,貪、巨、祿、文、廉、武、破、輔弼也。此云天星以生死旺衰言。蓋龍穴無吉凶,以水為吉凶;水無吉凶,以龍穴之生旺為吉,死絕為凶。時師家消水,每云水法多端,理難一致,遂將此是彼非,茫無定論。紅囊經以七十二龍為主,所喜迎生趨旺,所忌破旺沖生,此楊曾秘旨,非是俗師得知。
經文に曰く、先ず一步一步來水去水を量清して此に據りて天星を推究す。坐山は則ち《紅囊經》七十二龍の此の一套の神機に合上するを要す。若能く其の中の旨趣を領會せば汝は即ち真正に陰陽地理を懂るの人なり。李三素注す。所謂「天星」は貪狼・巨門・祿存・文曲・廉貞・武曲・破軍・輔弼の此の九星を指す。此處の説く天星は就中十二長生の生・旺・衰・死に就て講ずるなり。龍穴本身は並びに吉凶無くして其の吉凶は水を看るを要すを以てなり。水本身も亦吉凶無くして水は龍穴の生方旺方に流れ到れば便ち吉にして死方絕方に流れ到れば便ち凶なり。當今の地師は水口を消納するに動もすれば水法の門派太多にして道理は歸一し難しと説き是に於て各執一詞にして互相攻訐して始終定論無し。《紅囊經》は則ち七十二龍を以て主と為す。喜ぶ所は「生を迎へ旺に趨く」——來水をして生方旺方より堂に入らしむ。忌む所は「旺を破り生を冲す」——水をして去りて旺方生方を冲破せしむ。これ楊筠松・曾文遄の秘旨にして俗師の知る所能にあらず。
論山論水便論龍,水凶山吉不堪逢,龍凶山吉何須說,水吉龍凶百世窮。山者坐山也,水者流水也,龍者六十龍。吉以生養官旺言,凶以病死墓絕言。更論者以龍為主也。龍不合而求之坐山者,謬種偽傳,皆無定論。即水合旺而龍在病死墓絕之方,終難發福。窮者固窮也。
經文に曰く、既に坐山を論じ又來水を論じ根に歸り底に至れば還お龍を論ずるを要す。水凶にして山吉なるは此の如きの地は碰る可からず。龍凶にして山吉なるは更に説くを多くとせず。即ち水吉にして龍凶なるも亦窮すこと一百代せん。李三素注す。「山」は坐山を指し「水」は流水を指し「龍」は六十龍を指す(六十甲子を平分して二十四山の下に排したるの來龍)。所謂吉は龍の長生・養・臨官・帝旺の此の幾個の位次の上に落つるを指し、所謂凶は龍の病・死・墓・絕の此の幾個の位次の上に落つるを指す。經文は特意に「便ち龍を論ず」と説きて表明す三者の中に龍を以て主と為すを。龍既に合せずして卻て回頭して坐山の上に補ふを找ふは那れは錯は錯傳の僞法にして永遠に定論を出すことを得ず。就中水法は旺に合すれども來龍は卻て病・死・墓・絕の方に落ちて終竟發福し難し。所謂「窮」は那れは真に窮し下るのなり。
乙丁已辛癸,甲丙戊庚壬,智人能辨別,袖裡藏珍珠。按此分金語,子丑戌亥是,其餘地八支,居中非戊已。八干四維之正不載六甲,惟地支始有之。其各為七十二者,應七十二候也。居中非戊已,中氣當避;雖非戊已,而十二支之正名為龜甲也。此七十二換次排列二十四山。
經文に曰く、乙・丁・己・辛・癸の此の五個の陰干と甲・丙・戊・庚・壬の此の五個の陽干とを智慧有る人は能く之等を分辨清楚せば便ち袖子の裏に一顆の珠寶を藏るに等し。此の幾句に按ずれば講ずる所は分金なり。子・丑・戌・亥の各山の下面は正に此の如く排す、其の餘の八個の地支も亦此に照らして類推す。只是れ每一支の正中の那一格は並びに戊・己にあらず。李三素注す。八天干(甲乙丙丁庚辛壬癸)と四維(乾坤艮巽)の正線の上には六十甲子を安せず、只地支の下にて乃ち排し入ることを得。七十二龍の七十二条なる所以は一年の七十二候に對應せんが為なり。所謂「中に居りて戊己に非ず」は説く所は地支の正中の那一線は「中氣」に屬して應に回避すべく、其れは雖も並びに真に戊・己の兩干ならざるも十二地支の正中線は別に一個の名目有りて「龜甲」と叫作す。此の七十二条は便ち此の如く排り下るなり。
仙輩露真機,時師不知體。甲子循環布,徹首而徹尾。乾卦為君統九州,丙巽朝來甲艮流。於中盡道無門戶,豈識貪狼錯路遊。二十四山共成四十八局,此言八卦者,舉一卦而概三山也。乾山右壬戌左乙亥,丙巽乃水之祿存,甲艮乃水之廉貞,惟坐穴乙亥即艮為貪狼,兼戌便非,故錯路也。愚按恐是金局,丙巽為貪狼,甲艮為門戶;若言乾山,則門戶非貪狼,能不錯路遊乎。
經文に曰く、前輩の仙師は已に真機を透露し出せども如今の地師は其の本體を明白せず。六十甲子は循環排布して頭より尾に至るまで始終を貫徹す。乾卦は君と為りて九州を統領し丙・巽方より水來りて堂に朝し甲・艮方に從りて流去る。人人皆此の中間に門戶は講ず可き無しと説きて曉らず連れ貪狼星すらも亦路を走錯ることを。李三素注す。二十四山は合はせて共に四十八局を成す。此處は只八卦を説くは一卦を擧げて其の轄する所の三山を概括す。乾山の下は右邊は壬戌龍にして左邊は乙亥龍なり。丙・巽の二方は水の祿存位にして甲・艮の二方は水の廉貞位なり。只乙亥龍に坐する時に艮方乃ち貪狼と算し、若し戌の上に兼ぬれば便ち是れにあらず、故に「錯路」と曰ふ。我は私に推想す此の一条は恐らく金局を講ずるならん。丙・巽は金局の貪狼位にして甲・艮は水口の門戶なり。若し乾山に照らして講ずれば門戶は便ち貪狼にあらず、那れは還た路を走錯らざるを得んや。
坎山流水是坤離,妙用時師怎得知。天上祿存人不識,貪狼流水向狐疑。坎山右丙子左庚子,兼右兼左皆宜。坤離者,胎養生之方也。但水歸巽已必流寅甲,若作單向則是戊子。坎為火之祿存,寅甲乃是貪狼,必疑流破,卻不知龜甲宜避,子山無單向之理。此舉一坎宮為例,以四十八局習用二八。
經文に曰く、坎山の來水は坤方・離方に出づ、此の種の妙用は今日の地師豈に知らんや。天上の祿存星は彼等は認出ださず、貪狼方に水の流走るを見て便ち神を疑ひ鬼を疑ふ。李三素注す。坎山の下は右邊は丙子龍にして左邊は庚子龍にして右を兼ね左を兼ねともに用ゐる可し。坤・離の二方は正に胎・養・長生の在る所の方位なり。但し水若し巽・巳方に歸り去れば便ち必定寅・甲方より流出す。若し左右を兼ねずして只子山單向を立てば則ち戊子の此の條の中氣線の上に落つ。坎方は火局の祿存位にして寅・甲方は卻て貪狼位なり。一たび水の貪狼方より流走るを見れば便ち「流破」なりと疑心するも知らず正中の龜甲線は本來便ち應に回避すべくして子山は根本に單向を立つるの道理無きを。此處は只坎宮の一宮を擧げて例子と作して説明す四十八局の通例は皆「二八」(左に偏し右に偏して二分八分)を用ゐて坐穴することを。
艮山流水自乾來,丑寅二山符安排。時師盡道貪狼照,誰知其中福不來。艮宮右癸丑左丙寅,論天星則艮為貪狼,不知兼丑兼寅有木火之別。水自乾來須兼丑,若兼寅則為破軍,福不足而禍有餘。
經文に曰く、艮山の來水は乾方より過來せば便ち丑・寅の兩條の龍の上に妥當に安排するを要す。當今の地師は一律に此れ貪狼星の照臨なりと説き誰か知らん福氣は偏に來らざるを。李三素注す。艮宮の下は右邊は癸丑龍にして左邊は丙寅龍なり。若し單に天星を論ぜば艮位は固より貪狼なり。彼等は卻て知らず丑を兼ぬると寅を兼ぬるとに一は木に屬し一は火に屬して五行完全に同ならざるを。水既に乾方より來れば坐穴は必ず丑を兼ぬるを須とす(癸丑は木に屬し乾亥の來水は正に木局の生方なり)。若し寅を兼ぬれば寅方は此の一局に對して破軍位にして則ち福分足らずして禍患は餘有りなり。
震宮納甲本相同,巽已貪狼自本宮。其中妙理無人識,卻向東邊認木龍。震宮右已卯左癸卯,此以巽已為貪狼者,宜兼左也。而正卯為辛卯,七十二作辛卯,作庚酉辛向,即乘木龍之氣,故本宮。
經文に曰く、震宮の納甲は本來此れと相同にして巽・巳方の貪狼は便ち本宮の内に出づ。此の裏頭の妙理は人の認る無く反って只會して東方に到りて木龍を認る。李三素注す。震宮の下は右邊は己卯龍にして左邊は癸卯龍なり。此處に巽・巳方を貪狼と定むるは就中左を兼ぬる(癸卯)に就て言ふなり。至りて卯山の正中の一線は辛卯にして七十二龍も亦辛卯と作す。此の條の龍に坐して庚・酉・辛の向を立つは正に木龍の氣に乘上るにして故に貪狼は「本宮自ら」出づと曰ふ。
巽風分佈要先知,水入山趣有利宜。土木山頭有一撥,坤坎照人不便知。巽山右丙辰左已已,各有生旺。若從木而坤坎來照,則不便知。蓋坤為木破軍,坎乃木之文曲也,宜作土局。
經文に曰く、巽方の風氣の分佈は先ず弄清楚するを要し水は哪處より堂に入り坐山は哪邊に朝りて勢を取るか各々其の合宜の處有り。土局と木局とは此の一座の山頭の上に差は一撥の間に在りて若し坤方・坎方の水を照し入れば人は便ち頭腦を摸著らず。李三素注す。巽山の下は右邊は丙辰龍にして左邊は己巳龍にして各々其の生方旺方有り。假如木局に按じて取るに而も水は卻て坤方・坎方より照射して入れば則ち辦り難し。木局に對して言へば坤方は破軍位にして坎方は文曲位にして皆吉ならざるを以てなり。此の種の情形は應に土局(即ち金局の土に寄する)に改作して向を立て水を消すべし。
離宮坎滿事難明,要識其中旺那星。天上五行似倒用,總取貪狼本路行。離山本音金,右壬午左丙午,然各有生旺。以老五行作火,而另作水木論,故曰五行顛倒用。貪狼本生氣者,但逢死氣皆無取。
經文に曰く、離宮の穴にして坎方の水滿つるは此の裏頭の道理は最も説明白し難くして要緊のは此の局は到底哪の一顆の星の上に旺するかを認清するに在り。天上の五行は好像是れ倒れ來りて用ゐるにして總じて歸するは還お要く貪狼の此の條の正路を取りて來りて行る。李三素注す。離山(午山)の納音は本に金に屬して右邊は壬午龍にして左邊は丙午龍にして兩條の龍は各々其の生旺有り。老五行(正五行)に按ずれば午位は火に屬すれども此處に卻て別に水局・木局を作して來りて論ず、故に「五行は顛倒して用ゐ」と曰ふ。貪狼は本來生氣を代表するも若し此の一條の龍は死氣の上に落ちば即ち貪狼と名づくるも亦一概に取る可からず。
以母原來納火金,貪狼武曲一般尋。父子相生成配合,須認流神合那音。坤宮右已未左壬申,金之貪狼、火之武曲,故曰一般尋。父子相生者,三合也。三合起於納音,納音起於隔八相生。如甲子為夫,取乙丑為妻,數到八位則生子壬申;壬申為夫,取癸酉為妻,數至八位則生庚辰。此申子辰三合立向之法。須認流水為主,合納音生旺則吉,死絕則凶。
經文に曰く、母卦を以て論ぜば坤宮は原本納する所は火と金にして故に貪狼・武曲は要く一樣の地に去りて尋ぬべし。父と子と相生して乃ち配合し得上して還た來去の水神は哪の一個の納音に合するかを認清するを須とす。李三素注す。坤宮の下は右邊は己未龍にして左邊は壬申龍なり。坤申方は金局に對しては是れ貪狼(長生)位にして火局に對しては是れ武曲(臨官)位にして故に「一般尋」と曰ふ。所謂「父子相生」は即ち三合なり。三合の法は納音に起りて納音の法は又「隔八相生」に起る。例へば甲子を以て夫と為して乙丑を取りて妻と為して下に數へて第八位に到れば便ち兒子の壬申を生出す。壬申を以て夫と為して癸酉を取りて妻と為して再び數へて第八位に到れば便ち庚辰を生出す——此れ即ち申・子・辰の三合立向の由來なり。用ゐる時は須く流水を以て主と為す。水は納音の生方旺方に合すれば便ち吉にして死方絕方に落つれば便ち凶なり。
兌上無頭是水源,五行顛倒要求玄。金火二星人未識,看他流水在何邊。兌上論西方則為金,論七十二龍則丁酉火。其實右水左土而用金火,顛倒求玄,總以流水為主。
經文に曰く、兌方の上首の頭無き處は正に水の源頭にして五行は要く倒れ來りて推して乃ち玄機を求得るを得。金・火の兩顆の星は世人は認出ださずして只須く其の水は哪の一邊に流るるかを看るのみ。李三素注す。兌位は若し西方に按じて論ぜば正五行は金に屬し、若し七十二龍に按じて論ぜば酉山の正中は丁酉にして納音は火に屬す。其の實酉山の右邊の一條は水に屬し左邊の一條は土に屬して而も取用する時は卻て金局・火局を當りて來りて看る、此れ即ち「顛倒して玄を求む」なり。根に歸り底に到れば仍お流水の來去を以て主と為す。
坎離震兌並四維,五行相配是玄機。細察流神分音坐,父子相生福可稽。前言八卦,此專言坎離坤兌,以納音之屬分四局也。四維者,五行之四生四墓四臨官也。知山龍之陽干,而後以水龍之陰干相配,如甲以癸配、壬以辛配、丙以乙配、庚以丁配是也。分音生者,以水神為主也,五音坐穴也。
經文に曰く、坎・離・震・兌は再び乾坤艮巽の四維を加へて五行は如何に相配せば乃ち真正の玄機なるか。細細に來去の水神を察看して納音に按じて坐穴を分定し父子相生すれば福分は便ち稽考する可し。李三素注す。前面の幾條の講ずる所は八卦にして此の一條は專ら坎・離・坤・兌を講ず、是れ納音の屬する所に按じて全盤を分かちて水・火・金・木の四局と為す。所謂「四維」の指す所は五行の四長生(亥卯巳申の屬)・四墓庫(辰戌丑未)と四臨官の位なり。先ず山龍の屬する所の陽干を認清して而して後水龍の陰干を拿りて去りて其れに配す。甲龍は癸水に配し壬龍は辛水に配し丙龍は乙水に配し庚龍は丁水に配す、便ち此の法則なり。所謂「分音」に而も生旺を論ずるは是れ水神を以て主と為して、所謂「五音」は即ち宮商角徵羽に按じて坐穴を定むるなり。
翻天倒地對不同,須教七二奪神功。穿透功夫斟酌用,兒孫代代福不窮。甲庚丙壬為龍,乙辛丁癸為水,不在羅經方,在納音之所屬。是以古今名墓,以老五行求之不合,以三合五行求之又不合,惟七十二龍之納音則禍福如向。但坐穴雖合,必須穿得真龍、透得真氣,然後三盤卦例總歸一卦,而福澤悠久。此七十二龍坐穴,所以又在穿山透地之外。
經文に曰く、天を翻し地を倒りて推排すれば各家の對する所は皆同ならず、必ず七十二龍の此の一套を用ゐて乃ち神功を奪得する能くん。穿山と透地との兩層の功夫を斟酌して用ゐれば子孫代代は福澤窮まらず。李三素注す。甲・庚・丙・壬の四陽干は山龍と為して乙・辛・丁・癸の四陰干は水龍と為す、此れは並びに羅盤の上の方位を指すにあらずして而も是れ其等の納音の屬する所の五行を指す。故に古今の名墓は老五行を用ゐて套して對せず一般の三合五行を用ゐて套するも亦對せず、只七十二龍の納音を用ゐて來りて推せば禍福は乃ち回聲の如く應驗す。不過坐穴は雖も合せども還た必ず真龍を「穿」得着し真氣を「透」得着して而して後穿山・透地・坐穴の此の三盤卦例は一卦に同歸して福澤乃ち久遠する能くん。七十二龍の坐穴の法は正に此の如きを以て乃ち穿山・透地の兩層の外に擺りて別に一層を立つるを要す。
流破生方主少亡,流破旺方財狼擋,養生官旺皆朝穴,子子孫孫福澤長。凡長生、冠帶、臨官、帝旺、胎、養皆不宜破,獨言生旺者,舉一隅也。生成之龍穴未有破生旺者,惟不明挨星,是以誤坐穴也。《青囊序》云:若還勘破箇中理,妙用本來同一體。楊曾心法不過順其自然,無拂其所當然而已。
經文に曰く、水流は長生方を冲破すれば主として家中に少年夭亡す。水流は帝旺方を冲破すれば財氣は便ち挡住せられぬ。若し胎・養・長生・臨官・帝旺の諸方の水は皆穴場に朝向して來れば子子孫孫は福澤綿長なり。李三素注す。凡そ長生・冠帶・臨官・帝旺・胎・養の此の幾個の吉位は皆水に冲破せらるるを宜しとせず。經文は只「生」「旺」の兩處を説くは是れ一隅を擧げて人をして三を反せしむるなり。天生自然に結成したるの龍穴は本來生方旺方を冲破するを會せざるに只地師は挨星の法を明白せざるに因りて乃ち穴を坐錯せしなり。《青囊序》に曰く「若し還た個中の理を勘破せば妙用は本來一體に同じ」と。楊・曾の心法は不過是れ山水の自然の勢に順て而も其の本來是の如くなるべきの道理に違拗せざるのみ。
假如金山到頭,作寅山申向、卯山酉向,各帶天干,細看何方來水,即熟七十二龍分金。木水火土,取生旺巨三神潮入,放死墓絕水去,為永遠富貴之地。若不合此,雖富貴不久。其訣在水源頭上尋龍,龍上辨脈,龍上審氣,龍上立向。貧賤富貴壽夭,詳看龍,一代一節而斷之,萬無一失。
李三素總説す。譬へば來龍は到頭して金局なれば則ち寅山申向或は卯山酉向を作して各々天干の兼線を帶上して再び細看す水は哪の一方より來るか、隨即七十二龍の分金を推熟す。木局・水局・火局・土局と論ぜず皆要く長生・帝旺・巨門(衰方)の此の三個の吉神方の水を取りて堂に朝り涌入せしめて而も病・死・墓・絕方の水を放出し去らしめて此の如くして乃ち永遠の富貴の地なり。若し此の格局に合せざれば即ち一時の富貴も亦長久ならず。此の套の口訣の關鍵は水の源頭の上より去りて龍を尋ね龍身の上に於て脈絡を辨認し龍身の上に於て氣脈を審察して亦龍身の上に於て立向を決定するに在り。一家人の貧賤・富貴・長壽・短命は皆要く龍を詳細に看て一節の龍は一代の人を斷して此の如く推斷すれば萬一の失無し。
卷一・九星歌訣
養生貪狼位,沐浴冠帶文,武曲臨官旺,逢衰是巨門,病死廉貞是,大墓是破軍,絕胎是祿存,輔弼夾巨門。貪狼雖從養生起,實兼後面一辰數。假如水土論貪狼,未坤申同。拙指酉辛戌乾四個文,亥壬子方三個武,癸弼丑巨艮為輔,寅甲卯乙四個廉,辰巽二位是破軍,已丙午丁祿存主。金木水火在此分,仔細詳推莫著課。四局仿此。
歌訣に曰く、胎・養・長生の三位は貪狼星に屬し沐浴・冠帶の二位は文曲星に屬し臨官・帝旺の二位は武曲星に屬し衰方に逢へば便ち是れ巨門星にして病・死の二位は廉貞星に屬し墓庫の大方位は破軍星に屬し絕・胎の二位は祿存星に屬し輔・弼の二星は則ち巨門(衰方)の左右に夾る。歌訣に又曰く、貪狼は雖も養・生の二位より算起するも實際上は還た其の後面の一辰に連れて一併に計入するを要す。譬へば水土同宮の局は貪狼を論ずれば未・坤・申の三位は同じく貪狼に屬す。接き下りて酉・辛・戌・乾の四位は文曲に屬し亥・壬・子の三位は武曲に屬し癸位は弼と為し丑位は巨門と為し艮位は輔と為し寅・甲・卯・乙の四位は廉貞に屬し辰・巽の二位は是れ破軍にして巳・丙・午・丁の四位は祿存に由りて主を作す。金・木・水・火の四局の分別は便ち此處に於て定下して要く仔細に推詳して現成の課式に照らして亂套するを要せず。其の餘の三局は皆此の一局の排法に仿照して推し去る。
卷一・天機貫旨四十八局定例
《青囊序》云:二十四山分順逆,共成四十又八局。即七十二龍中四十八局。《紅囊經》七十二龍分為七十二條水法來去,或出於玄女,或為後人偽託,皆未知。不知淘沙揀金有去有取,遂謂七十二皆可立向。卜則魏乃有雙向單向,但取有情之說。龜甲、差錯、空亡久矣置之不講矣。
《青囊序》に曰く「二十四山は順逆を分かちて共に四十又八局を成す」と。此の四十八局は即ち七十二龍の裏より挑び出せるの用ゐる可きの四十八條なり。《紅囊經》は七十二龍を分かちて七十二条の來去水法と為す、此の套の東西は究竟九天玄女に出づるや是れ後人の假託なるや皆考定する從無し。世人は其の中に要く沙を淘して金を揀ぶが如く取有り舍有るを懂得せずして便ち以て七十二条は統統皆向を立つる可しと為す。卜應天・魏氏の一派は是に於て雙向・單向の説有りて只一個の「水は要く情有る」と講ずれば便ち數と算す。至りて「龜甲」(中氣線)・「差錯」(陰陽駁雜線)・「空亡」(界縫線)の此の三樣の忌諱は早く已に一邊に擱りて講ぜられざりき。
《天玉經》雙山雙向水,零神富貴永無貧,若遇正神須敗絕,五行當分別。所謂正神即龜甲空亡也,然猶引其端,未嘗竟其說。魯公四十八局直指心傳,《玉尺》從而審之,乃云立向朝迎察七十二龍之關煞,惟中氣為煞、界縫為關,是以去其二十四,止存四十八局。又有正神零神之分,前兼後兼之異。厲伯韶語以二八坐穴,郭楊衣缽實不外此。
《天玉經》は「雙山雙向」の水法を講じて零神の一邊に立てば則ち富貴にして永に貧窮せず若し正神に碰上れば便要く敗絕すと説きて見るべし五行は必ず分辨清楚するを須とす。此處の所謂「正神」の指す所は正に龜甲線と空亡線なり。不過《天玉經》は只話頭を引き出せるのみにして並びに之を講完せず。魯公(曾文遄の傳)の《四十八局》は直接に心傳を指點し《玉尺經》は接着して審定を加へて向を立て朝迎するは必ず七十二龍の關煞を察看するを須とすと説く。正中の中氣線は是れ「煞」にして兩山交界の界縫線は是れ「關」にして此の二十四條を把りて去れば只留下四十八局の用ゐる可き有り。此の外に還た正神と零神の分・前兼と後兼の別有り。厲伯韶の所説の「二八」分數を用ゐて坐穴するは郭璞・楊筠松の一脈相傳の衣鉢は實際皆此の範圍を出でず。
自魏孝文、唐玄宗嚴禁地理穿山透地,猶有能舉其名者,坐穴則帳之秘,又成絕學。張子微竊位國師,力舉單向,所謂七十二龍偽為七十二節之傳變。蔡西山發揮《玉髓》,仍其固陋,但知甲子平分,而單向雙向猶未豁然,以致庸術貽笑,謂教外別傳,朱蔡未解。嗣後坊刻展轉傳偽,皆以墓合、化合、納甲、三合,一龍分為數穴。至於同一山向而兼互異,五行不同,則慒然莫辨,茫茫千古,所以破旺沖生而不知。
北魏孝文帝・唐玄宗の兩朝が民間の地理の穿山・透地の法を講習するを嚴禁しより自りて穿山透地は還た人の名目を叫出す能くる有るも坐穴の法は卻て帳幕の中に藏れて密して人に示さず、是に於て絕學と成りぬ。張子微は國師の名位を竊據して極力に只單向を立つるを主張して所謂七十二龍を訛傳して七十二節氣の變化と為せり。蔡元定(西山)は《玉髓真經》を發揮して仍お此の陋見に沿襲して只知道して六十甲子は要く平分排列すべくして單向雙向の別に對しては始終想通せずして以致平庸の術士は反って譏笑し起して此れは敎外別傳の東西にして連れ朱熹・蔡元定すらも皆能理解すること能はずと曰ふ。此後坊間の刻本は輾轉傳抄して訛を以て訛を傳へて一律に墓合・化合・納甲・三合の此れ等の法子を拿りて去りて湊して一條の龍を硬に幾個の穴に分かつ。至りて同一個の山向にして兼線同ならざれば五行は之に隨て同ならざるの此の一層は便ち更に是れ懵懂莫辨なり。千百年來茫茫然として故に水は旺方・生方を冲破するも亦自知せず。
餘悲赤子之無知,昔日何以富庶,今何以貧窮;昔日何以蕃衍,今何以伶看。堯舜周公孔子之道猶有待而行,惟此楊曾心法家喻戶曉則無可待,所以四十八局著為定例。便知龍有定方,水有定位,向有定局,合則為吉,反則為凶,按圖可以索解,沖生破旺之病庶其有謬矣。餘足跡所到,遍觀古墳,凡得金者果能得穴,福應如嚮;得穴者若不得金,反福為禍,又葬下泉而蟻、砂礫壘之應。苟能財丁救是列雙金之外,此為最要。必欲吝此珠寶,而坐視天下之人盡入火坑,寧非餘之罪也乎。
我は百姓の嬰孩の如く無知なるを痛惜す。從前は何の故に富庶なりしか如今は何の故に貧窮なるか。從前は何の故に人丁繁衍せりしか如今は何の故に孤零なるか。堯・舜・周公・孔子の道は尚ほ且つ時機を等待して乃ち推行する能くるを要すれども唯獨楊・曾の此の一套の心法は只要く家喻戶曉せば便ち立刻に可行にして等待するを用ゐず、故に我は四十八局を寫出して定例と成せり。之を有れば便ち龍に一定の方位有り水に一定の位次有り向に一定の局有りて合せば便ち吉にして反れば便ち凶なるを知りて圖に照らせば便ち索解する可く生を冲し旺を破るの毛病は大概免るることを得。我の足跡の到る所の處は遍く古墳を看て凡そ「金を得る」(七十二龍の分金に合す)は果然も亦「穴を得」て福應は回聲の如し。凡そ穴を得て金を得ざるは反って福を轉じて禍と為して甚には至りて葬り下りて後棺中に水を出で蟻を生じ或は砂礫堆積の類の敗象に應ず。倘若還た財丁を保住する能くば那れは多半是れ雙金線の外に避開するを靠るの緣故なり——此の一點は最も要緊なり。我は若し一定要して此の份の珠寶を吝惜せば天下人を眼看して統統火坑の裏に掉り入らしむ、豈に我の罪過と成らざらんや。
或者謂恐洩天機,收函石室,昔人所秘,今豈容洩乎。余曰不然。中針鏠針無定之天機也,宇宙有大關會,氣運為先,欲洩之而不可;真龍正穴有定之天機也,只為時師眼不的,亂把山崗覓,欲盡洩之而不能者。然則讀是書者必具楊曾之眼目,乃可以幾神化;否則名山大地詅落道傍,終成苦李。吾所洩者猶是紙上之空言而已,雖家喻戶曉,又何異石室之藏也哉。
或いは人有りて説かん、此の如くは恐怕天機を泄漏するならん。古人は之を石室の裏に封藏して前輩の秘して宣せざるの東西を今天は怎ぞ能く泄露する可けんや。我曰く然らず。中針・縫針の主する所は是れ定數無きの天機にして宇宙に大きの氣運關會有りて一切は氣運を以て先と為し汝は泄さんと想ふとも亦泄し出す能はず。真龍正穴は則ち定數有るの天機にして只因るに當今の地師は眼力準ならずして胡亂に山岡の上に亂找して汝は全盤に彼に告げんと想ふとも亦説明白し能はず。既然に此の如くなれば此の部の書を讀むの人は必ず楊・曾の如きの眼力を具備して乃ち神化の境に接近する可し。否れば名山大地は就中路旁に叫賣するの苦李の如く白く彼處に丢れて人の識る無し。我の泄漏する所も亦不過是れ紙上の空話のみにして即ち家喻戶曉するも又石室の裏に藏るると甚麼の兩樣有らんや。
《金彈》云:四龍剝換為專一,四局瀠洄問靜湍。四龍木火水金也,四局者乙丙交而趨戌、辛壬會而趨辰、斗牛納庚丁之氣、金羊收癸甲之靈。土居中而旺四季,是以五行獨出一位,其局寄於水者,與水相附而行也。自二十四山言之則有四十八局,自五行言之則為四局。以龍統局,以局合龍,而玄空大卦綱舉目張矣。
《金彈子》に曰く「四龍は剝換して專一と為り、四局は瀠洄して靜湍を問ふ」と。所謂四龍は即ち木・火・水・金の四種の龍にして、所謂四局は即ち《青囊奧語》の講ずる「乙丙は交りて戌に趨く」(火局の水口は戌に在り)、「辛壬は會して辰に趨く」(水局の水口は辰に在り)、「斗牛は庚丁の氣を納す」(金局の水口は丑に在り)、「金羊は癸甲の靈を收す」(木局の水口は未に在り)なり。土行は中に居りて辰・戌・丑・未の四季月に旺を寄す、故に五行の中に土は單獨に一局を立てずして其の局は水局の上に附し水に跟著して一同に運行す。二十四山の上より説けば共有して四十八局有りて、五行の上より説けば只有る四局なり。龍を以て局を統轄し局を以て龍を印證す、此の如くして來れば玄空大卦の綱領は便ち綱擧げて目張らん。
挨星四局・木局(亥卯未)
挨星木震也,是為甲木生亥、旺卯、墓未,以癸水配,為能生木也,生卯、旺亥、墓未。其龍以辛酉(三辛 七酉)、戊戌(五戊 五辛)、已亥(五亥 五乾)、癸丑(三艮 七丑)、庚寅(五寅 五艮)、辛卯(五卯 五甲)、戊辰(三卯 七乙)為生旺;以壬子(三癸 七子)、已已(三辰 七巽)、壬午(正丙)、癸未(正丁)、庚申(七申 三庚)為休囚。其水以庚酉、辛戌、乾亥、正壬、癸丑、艮寅、甲卯、乙辰為吉,以正子、巽已、丙午、丁未、坤申為凶。四十八局屬木,亥卯未者以此為例。
挨星の木に屬する此の一局は卦に在りては震なり。其れ甲木を以て山龍と為す。甲木は亥に長生し卯に帝旺し未に入墓す。之に配するの水龍は癸水にして水は能く木を生ずるを以てなり。癸水は逆行して卯に長生し亥に帝旺し同じく未に墓す。此の一局に屬するの生旺の龍は七條有り。辛酉(辛に偏する三分・酉に偏する七分)・戊戌(戊に偏する五分・辛に偏する五分)・己亥(亥に偏する五分・乾に偏する五分)・癸丑(艮に偏する三分・丑に偏する七分)・庚寅(寅に偏する五分・艮に偏する五分)・辛卯(卯に偏する五分・甲に偏する五分)・戊辰(卯に偏する三分・乙に偏する七分)。此の一局に屬するの休囚の龍は五條有り。壬子(癸に偏する三分・子に偏する七分)・己巳(辰に偏する三分・巽に偏する七分)・壬午(正丙線)・癸未(正丁線)・庚申(申に偏する七分・庚に偏する三分)。水法の上に來水の庚酉・辛戌・乾亥・正壬・癸丑・艮寅・甲卯・乙辰の此の幾方に出づるは吉と為し、正子・巽巳・丙午・丁未・坤申の此の幾方より來るは凶と為す。四十八局の中に凡そ木に屬するは亥卯未の三合は一律に此に照らして例と為して推排す。
挨星四局・火局(寅午戌)
挨星火離也,是為丙火生寅、旺午、墓戌,以乙木配,為能生火也,生午、旺寅、墓戌。其龍以戊子(五子 五壬)、已丑(五癸 五丑)、丙寅(三寅 七艮)、甲辰(正辰)、乙已(正已)、戊午(三丁 七午)、已未(三坤 七未)為生旺;以丁卯(七甲 三寅)、丙申(五申 五坤)、丁酉(五庚 五酉)、乙亥(三戌 七乾)為休囚。其水以壬子、癸丑、艮寅、正甲、乙辰、巽已、丙午、丁未為吉,以正卯、坤申、庚酉、辛戌、乾亥為凶。四十八局屬火,寅午戌局以此為例。
挨星の火に屬する此の一局は卦に在りては離なり。其れ丙火を以て山龍と為す。丙火は寅に長生し午に帝旺し戌に入墓す。之に配するの水龍は乙木にして木は能く火を生ずるを以てなり。乙木は逆行して午に長生し寅に帝旺し同じく戌に墓す。此の一局に屬するの生旺の龍は七條有り。戊子(子に偏する五分・壬に偏する五分)・己丑(癸に偏する五分・丑に偏する五分)・丙寅(寅に偏する三分・艮に偏する七分)・甲辰(正辰線)・乙巳(正巳線)・戊午(丁に偏する三分・午に偏する七分)・己未(坤に偏する三分・未に偏する七分)。此の一局に屬するの休囚の龍は四條有り。丁卯(甲に偏する七分・寅に偏する三分)・丙申(申に偏する五分・坤に偏する五分)・丁酉(庚に偏する五分・酉に偏する五分)・乙亥(戌に偏する三分・乾に偏する七分)。水法の上に來水の壬子・癸丑・艮寅・正甲・乙辰・巽巳・丙午・丁未の此の幾方に出づるは吉と為し、正卯・坤申・庚酉・辛戌・乾亥の此の幾方より來るは凶と為す。四十八局の中に凡そ火に屬するは寅午戌の三合は一律に此に照らして例と為して推排す。
