Libo

卷二・穿山透地三盤卦例

明 · 宜丰李三素(旧题九天玄女授) · 第3巻 / 6

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

或問:天地之理必無兩是,地理則不變,則當有一定之說。乃遍觀群書,或此是而彼非,謬無定見;同此穿山,同此透地,而或以審龍,或以坐穴,紛然驟頌,學者何以適從。答曰:《天機貫旨》所由作也。《青囊奧語》有《青囊序》,即地理之學《庸》《論》《孟》也,人人能言之,人人不能言之,以至穿山透地三七八從無定解。其實穿山、透地、坐穴截然三事:穿山者,穿來龍逐節之山也;透地者,透入穴中之氣也;坐穴者,坐四十八局之穴也。氣有真偽,穴有醇疵,非三者則不能決所從,是以三盤例必須熟察。

人問ふ。天地間の道理は兩個皆對なるを會せず、地理は既然に不變なれば便ち一個の確定の説法有るを應ず。可是れ遍く各家の書を看れば此の一家は是と説き那の一家は非と説き荒謬なること毫も定見無し。同じく穿山を講じ同じく透地を講じて或る人は之を拿りて來りて龍を審し或る人は之を拿りて來りて穴を坐し衆説紛紜として一齊に嚷ぎて學者は應に誰に聽くべきや。回答に曰く、我の此の部の《天機貫旨》は正に此の為に作るなり。《青囊奧語》は《青囊序》と連帶して就中譬へば地理ば地理學の裏の《中庸》《論語》《孟子》の如くに人人皆幾句を背誦する能く人人又皆講透す能はずして以致穿山・透地と三七・二八の此れ等の名目は從來定解無し。其の實穿山・透地・坐穴は截然不同的三件事なり。穿山は來龍の一節一節の山を穿透するにして、透地は穴中の那股の氣に透入するにして、坐穴は四十八局の中の某の一局の穴を坐定するなり。氣に真僞有り穴に純疵有りて此の三層を用ゐざれば便ち應に哪の一樣に依從すべきかを決定するの法無し、故に三盤の卦例は必ず熟看するを須とす。

後之人因奉國禁,諱言平分遂有盈縮,言七十二遂有一百二十分金,諱言穿山審龍遂有七十二為穿山。始而奉禁,得訣者明知其偽;既而相沿傳者浸妄其初喪,轉傳偽之所由始也。楊曾之旨,龍有生穴雖歸一卦,審龍有坐穴又分三層,故七十二之外原有穿山。謂七十二既其名,若遂以審龍,則八干四維皆虛位,其義將何屬。

後來の人は朝廷の禁令を遵守するに因りて「平分六十龍」の此の名目を避諱して便ち盈縮六十龍を造出し、「七十二龍」を避諱して便ち一百二十分金を造出し、穿山を用ゐて龍を審するを避諱して便ち乾脆に七十二龍を以て穿山盤と當る。起初は禁令に迫られたるにして訣を得たる人は明かに此れ等は假なるを知れども、日子久しきや輾轉相傳して便ち漸漸に最初の真義を丢失しぬ——此れ正に訛を以て訛を傳ふるの開端なり。楊・曾の本旨に曰く、龍と其の生ずる所の穴とは雖も一卦に同歸するも、但し審龍と坐穴とは又幾層を分かつを要す、故に七十二龍の外に原本別に穿山の一盤有り。既然に七十二龍已に別に名目有れば、若し强ひて之を拿りて去りて龍を審せば則ち八天干と乾坤艮巽の四維とは便ち皆虛位と成りて其等の意義は又哪處に歸すべきや。

且透地之外另有坐穴。若以坐穴為透地,則氣從左來穴何以居右,氣從右來穴何以居左,二說藏有谷等之之半耳。今考甲子止有三層,而用之則為三盤。穿山尋宗問祖也,透地則到頭審氣也,用平分六十挨星,雖換而不外震兌坎離,故曰用先天以統龍;坐穴者饒減放棺也,耑用七十二作,雖巧而不外申子辰、寅午戌、亥卯未、已酉丑,故曰後天所以佈局。

况且透地の外に別に坐穴の一層有り。若し坐穴を以て透地と當れば則ち氣は左邊より來る時穴は何の故に右邊に坐する可きや。氣は右邊より來る時穴は何の故に左邊に坐する可きや。此の兩種の説法は各々只道理の一半を藏着するのみなり。如今考究するに六十甲子は只有る三層にして用ゐ起れば便ち三盤と成る。穿山盤は用ゐて來りて宗を尋ね祖を問ひ來龍の出身を追溯するにして、透地盤は用ゐて來りて到頭して氣を審するにして其れは平分六十龍の挨星を用ゐて雖も變換有るも亦震・兌・坎・離の四卦を出でず、故に「先天を用ゐて以て龍を統る」と曰ふ。坐穴盤は用ゐて來りて饒減放棺・棺位を微調するにして專ら七十二龍を用ゐて做して雖も精巧なるも亦申子辰・寅午戌・亥卯未・巳酉丑の四大三合局を出でず、故に「后天は所以に局を布く」と曰ふ。

總之葬乘生氣,有穿山而無透地,其氣必不真;有透地而無穿山,其福必不久;有穿山透地而坐穴不知,其消納砂水不能化殺生權。故坐穴所以乘此氣,是為既至之氣;透地所以迎此氣,是為將至之氣;穿山所以槒此氣,是為未至之氣。於此醒悟,則三盤不待外求而得矣,其餘《青囊》《玉尺》《天玉》探麗珠在手矣。

總じて之、安葬は生氣に乘るが為なり。只穿山有りて透地無ければ那股の氣は必定真ならず。只透地有りて穿山無ければ那份の福は必定久からず。穿山透地は皆有りて坐穴を懂らざれば則ち砂水を消納する時に煞を化して權と為すこと能はず。故に坐穴は此の股の氣に乘住するに用ゐるにして其の乘る所は已に到達したるの氣なり。透地は此の股の氣を迎接するに用ゐるにして其の迎ふる所は將に到達せんとするの氣なり。穿山は此の股の氣を接引するに用ゐるにして其の接する所は未だ到達せざるの氣なり。此處に於て一旦醒悟せば三盤の法は外に向りて求めずして便ち得、其の餘の《青囊經》《玉尺經》《天玉經》の珠寶も亦便ち皆手裏に握らん。

三七審龍、二八坐穴,皆從二十四山之多寡,認取渾天五行,其用之法秘而不傳。《玉涵經》序有云:庚子土山坤申水朝為吉,壬子木山坤申水朝為凶。地理家千言萬語,無非發明此義。所恨謬種偽傳,以至一卷之書不勝互異。餘作《天機貫旨》而融會貫通,無往不合,一索萬錢自始至今能免此非彼是甲乙之患矣。

三七の分を用ゐて龍を審し二八の分を用ゐて穴を坐するは皆二十四山の各占分數の多少の上より眼を着けて渾天五行を認取す、此の套の用法は向來秘して傳へざりしなり。《玉涵經》の序に曰く「庚子は土山にして坤・申方より水來りて堂に朝するは吉と為す。壬子は木山にして坤・申方より水來りて堂に朝するは凶と為す」と。同じく坤申の來水にして龍の納音は同ならざれば吉凶は便ち相反す。地理家の千言萬語は無非是れ此の道理を闡明せんと要するなり。恨む可し僞法は亂傳して以致同一卷の書の裏に前後互相矛盾して數ふるも數盡くすべからず。我は《天機貫旨》を作して其等を融會貫通して處處皆合得上して從此彼の種の一句の口訣に價萬錢を索め而も甲は此れを是と説き乙は彼れを非と説くの毛病を免掉しぬ。

卷二・陰陽論

或問:夫婦、雄雌、牝牡,《玉尺》之所謂陰陽也。議者以八卦屬天干屬陰,故艮丙、巽辛、兌丁為陰陽相見。先賢云:陰陽相見,福祿永貞;陰陽相棄,禍咎臨門。《玉尺》又云:陰偶陽而非其類,號曰陽差;陰見陰而失其偶,名陰錯。其同其異孰從而辨之。

人問ふ。夫と婦・雄と雌・牝と牡とは即ち《玉尺經》の所謂陰陽なり。議論する人は八卦は陽に屬し天干は陰に屬すと認りて故に艮は丙に配し巽は辛に配し兌は丁に配して「陰陽相見」と叫作す。先賢の曰く「陰陽相見すれば福祿永貞、陰陽相棄すれば禍咎門に臨まん」と。《玉尺經》に又曰く「陰は陽に偶して其の類に非ざれば號して陽差と曰ふ。陰は陰を見て其の偶を失へば名づけて陰錯と曰ふ」と。此の幾種の説法は哪處に同じく哪處に同ならざるや、究竟甚を憑りて去りて分辨せんや。

答曰:先賢之所謂陰陽,即《天玉經》之陰陽也,唯不知看雌雄,遂強為之解耳。天地合而萬物興,故葬乘生氣總不離陰陽。所謂陰用陽朝、陽用陰應,以乙辛丁癸之水配甲庚丙壬之龍也。夫婦之道求其生育,未有不唱隨而能生育者。甲庚丙壬四龍神俱屬陽干,順行歸於墓;乙辛丁癸四龍神俱屬陰干,逆行而歸於墓。則以癸配甲、以丁配庚、以乙配丙、以辛配壬,生旺同歸,共成三合,如夫婦之一唱一隨。

回答に曰く、先賢の講ずる所の陰陽は即ち《天玉經》の講ずる所の陰陽なり。只後人は「雌雄を看る」を懂らざるを以て勉强に別に解釋を作せるのみ。天地は交合して萬物興盛す、故に安葬して生氣に乘るは總じて陰陽を離れず。所謂「陰は陽朝を用ゐ陽は陰應を用ゐ」は即ち乙・辛・丁・癸の水を拿りて去りて甲・庚・丙・壬の龍に配す。夫婦の道は生育の為なり、一唱一隨せずして生育する能くの無し。甲・庚・丙・壬の四條の龍神は皆陽干に屬して順行して墓庫に歸入し、乙・辛・丁・癸の四條の龍神は皆陰干に屬して逆行して墓庫に歸入す。是に於て癸は甲に配し丁は庚に配し乙は丙に配し辛は壬に配して生方旺方は一處に同歸して共に三合を成して正に夫婦の間の一個は唱へ一個は隨ふが如し。

若甲龍本配癸水,而局中反見乙辛丁水,則曰陰錯;癸水本配甲龍,而後換庚丙壬龍,則曰陽差,是為兄妹不交。如初二三節合而後龍不合,後二三節合始終不合,是夫婦路遇。又如本龍本出未坤而至戌方出,則為過亢;火龍本出戌乾而至丁未即出,是為不及。其所謂不取也,非沖生破旺,則必遇病死墓絕之水也。

假如甲龍は本に應に癸水に配すべきに局中に反って乙・辛・丁の水を見れば此れを「陰錯」と叫ぶ。癸水は本に應に甲龍に配すべきに後面に卻て庚・丙・壬の龍に換れば此れを「陽差」と叫ぶ、兄妹の婚配する能はざるに等し。又前の一二節は合せども而も後龍は合せざるの如く、或は後の二三節は合せども而も首尾始終は合せざるは此れを「夫婦路遇」と叫ぶ、只是れ路上に於て碰見するのみなり。再び本局の龍の水口は本に應に未・坤に出ずべきに卻て戌方に拖りて乃ち出づれば那れを「過亢」と叫ぶ。火龍の水口は本に應に戌・乾に出ずべきに卻て丁・未に提前して便ち出去せば那れを「不及」と叫ぶ。此れ等の取る可からざる所以は生を冲し旺を破るに非ざれば便ち必定病・死・墓・絕方の水に碰上るなり。

《鐵彈子》之山運水運,彈子之四龍四局,皆乙辛丁癸配甲庚丙壬。蓋婦從夫猶相其夫,故水火木之相配妙在相生,而五金不能成器,獨以相剋為配,生成雖異,相夫則一。是玄竅相通即為陰陽相見,玄竅不通即為陰陽相乖。所謂雌碓牝牡之外別無陰陽,正所謂楊公養老看雌雄,天下諸書對不同。

《鐵彈子》は山運・水運を講じ四龍四局を講じて亦皆是れ乙・辛・丁・癸を用ゐて去りて甲・庚・丙・壬に配す。妻子は丈夫に跟從し同時に又丈夫を輔助す、故に水・火・木の三者の相配するは妙處は相生に在り。唯獨金は火煉を經ざれば器を成す能はずして便ち單單に相克を用ゐて相配す。生成の方式は雖も同ならざるも丈夫を輔助するの此の一點は是れ一樣なり。此に因りて玄竅相通便れば便ち「陰陽相見」と叫び玄竅通ぜざれば便ち「陰陽相乖」と叫ぶ。見るべし雌雄牝牡の此の一層の外に除きて再び別の陰陽無し、此れ正に「楊公は老を養ひて雌雄を看る、天下の諸書は對して同ならず」の意思なり。

卷二・神功を奪ひ天命を改むるは必ず三針を兼用す

或問:周公作指南車必用正針,正無縫針,《玉髓經》子午論為有理。余謂為中針、針,皆為造葬之用,然則《玉髓經》非歟。《金彈子》云:大中針內乘生氣。是乘氣以用中針也。厲公云:先將子午定山崗,卻把中針細較量,更加三七與四八,莫與時師說短長。所謂三七二八又在中針之外,千古疑團從何下手。

人問ふ。周公の指南車を造るに用ゐたるは必定正針にして那の時は根本に縫針無し、故に《玉髓真經》は只正針の子午を論じて似有りて道理なり。可是れ汝は卻て中針・縫針は皆是れ造葬の時に用ゐるを要すと説く、則ち《玉髓真經》は豈に錯へるならんや。《金彈子》に曰く「大中針の内に生氣に乘る」と。見るべし氣に乘るは中針を用ゐるを要するを。厲伯韶の曰く「先ず子午を將りて山崗を定め、卻て中針を將りて細細に較量し、更加ふるに三七と四八とを以てし、時師と短長を説くこと莫れ」と。所謂三七・二八は又中針の外に在り。此の千古の疑團は究竟應に哪處より手を下すべきや。

答曰:正針不始於周公而始於黃帝。當其戰琢鹿之野,蟄尤作大露,士卒昏迷,黃帝乃作指南車以辨四方,遂克蟄尤。後至越裳來貢,歸路莫辨,周公仍從其制,皆為地理子午而設,此中針縫針所以不著於當日。文明漸啟,俯察之學必仰觀,然後知天地之關會、氣運之轉移,是知上古之縫針,然地理鏠針一其自不同,未可以昔日之無遂非今日之有。

回答に曰く、正針は並びに周公に始まらずして而も黃帝に始まる。當年黃帝は涿鹿の野に於て作戰して蚩尤は大霧を興して士卒は昏迷して方向を辨せず、黃帝は是に於て指南車を造出して來りて四方を辨別して終に蚩尤に戰勝せり。後來越裳國は前に來りて進貢して使者は回程に路を認得せず、周公は仍お黃帝の舊制に沿用して車を造りて相贈せり。此れ等は皆是れ地理上の子午を辨定するが為に設くるにして故に中針・縫針は當時に於て還た出現せず。文明漸開するに到りて地理を俯察するの學問は必ず天象を仰觀するに配合して而して後天地交會の關鍵・氣運推移の機理を知りて此れ乃ち縫針有りぬ。雖も上古已に類似の東西有りと説くも、但し地理上の縫針は其れと本自同ならず、從前無かりしを以て便ち今天の有る所を否定する能はず。

張子微著書自論《玉髓》,某形必某條,某物必下其穴,庸夫牧覽局為奇,孰知貽笑大方。考諸《天玉》《青囊》從無所說。厲伯韶因鷓鴣飛起處卜得佳穴,即號鷓鴣飛,以此命名,原非取象於此,則子微陋可知。子微論《玉髓》出自門人,故有指南車而抹殺縫針也。

張子微は自ら書を著して《玉髓真經》を講じて某種の形狀は必ず某の一條の法則に配し某種の物象は必ず某の一處の穴を點ずと説き、庸人と牧童とは看て新奇と覺るも誰か知らん正に行家に笑話せらるるを。《天玉經》《青囊經》を考究するに從來此の類の説法無し。厲伯韶の當年は鷓鴣の某處より飛起るを見るに因りて便ち彼處に於て佳穴を卜得して是に於て那の地を「鷓鴣飛」と叫作したるも不過是れ事に隨て命名するにして原は鳥の形象の上より義を取るにあらず。此に由りて見るべし張子微の淺陋を。張子微の論ずる所の《玉髓》は其の實は其の門人の手に出づ、故に乃ち只指南車を講じて一筆に縫針を抹殺するの説法有りぬ。

天之漸西有歲之漸東,旋轉同而東西不同。經所謂渾天寶鏡,金水日月逢皆子,是取之。是以鏠針又不可無中針。今徽州經有一層分一板,蓋以漸東漸西終古無定位,故設此盤便於轉移,尚不失古人之遺意。

天度は逐年漸漸に西に移り節氣は逐年漸漸に東に移りて二者の旋轉する方向は同じくして東西の偏差は同ならず。經書の上の所謂「渾天寶鏡、金水日月は逢へば皆子なり」は取る所は正に此の意思なり。故に縫針有れば又中針無かる可からず。如今徽州の出ずるの羅盤は一層を加ふる毎に一板を分かつは便ち東移西移は永に定位無きに因りて乃ち此の一盤を設けて以て隨時轉換するに便せしむ、此れは還た古人の遺意を失掉せずと算す。

其用針之法,既以子午定其山崗,即以中針縫針審其星緾節氣,然後以本龍之三七、本穴之二八再三禘視,觀其合有不合。合則天之吉氣交環,一山不合則上下不交,純陰不生長。不獨造葬之時以此定吉凶,即行至後龍亦可以此是禍福。如地氣決於啼鶻,天星鑑於盤水,皆以天道之變觀地氣之常。

針を用ゐるの方法は先ず正針の子午を用ゐて山岡の方位を定下して隨即中針・縫針を用ゐて星宿の纏度と節氣とを審察し、而して後本龍の三七分數・本穴の二八分數を拿りて再三審視して其等は合すや合せざるやを看る。合せば天上の吉氣は便ち交互環抱す。只要く一座の山の合せざる有れば上下の氣は便ち相交らずして純是れ一片の陰氣にして生長すること能はず。此不單に造葬の時候に於て用ゐて來りて吉凶を定むるのみならず、就中後龍遠處に推到するも亦此に據りて禍福を判斷することを得。譬へば古人は鶻鳥の啼聲を憑りて來りて地氣を判定し盤中の水の映照を憑りて來りて天星を査驗するは皆天道の變化より地氣の常態を觀察するなり。

此九天玄女之妙用,所以奪神功改天命,實有聖賢之前同歸至理。自魏孝文收葬書,唐一行倒裝五行,精地理者更詳天文,正以中針縫針開其端,久之而成絕學。耑用正針,已非立法之本意;至於縫針之法等於餼手,則楊曾廖賴之全能終古不著於天下矣。

此れ即ち九天玄女の妙用にして故に能く神功を奪ひ天命を改む、實に古聖先賢の講ずる所の至理と一轍に同歸す。北魏孝文帝の葬書を收繳し唐代の一行禪師が故意に五行を顛倒排布しより以來、地理に精する人は反って更加に天文を講究して正に中針・縫針より頭を開きて日子久しければ便ち絕學と成りぬ。只正針を用ゐるは已に法を立つの本意に合せず。若し縫針の法を以て有無足らざるの贈品と當りて随手に抛開せば則ち楊筠松・曾文遄・廖瑀・賴文俊の全副の本領は便ち永遠に天下に顯揚すること能はず。

天與地是一非一,是二非二。知其是一非一,故用正針之後必用中針縫針;知其是二非二,故用中針縫針之時即用正針。所謂中針乘氣者,天與地合則為生,不合則為死。《鐵彈子》云:地無精氣,以星光為精氣;地無吉凶,以星氣為吉凶。實為楊曾必旨,是以舉其端而竟不明其說。先賢見一名山,即預知其某元甲子中出,至此而天地始合。楊文敏公祀墳二百年始生文敏,前此天光未照也。宇宙大關會氣運為先,而氣運之轉移繫乎天星之照臨也。

天と地とは一個と説けば又完全に一個にあらず、兩個と説けば又完全に兩個にあらず。其れ「是一非一」なるを知れば故に正針を用ゐ過ぎて後必定還た中針・縫針を用ゐるを要す。其れ「是二非二」なるを知れば故に中針・縫針を用ゐるの同時に仍お正針を用ゐるを要す。所謂中針乘氣は即ち天と地とは相合せば便ち生氣にして合せざれば便ち死氣なり。《鐵彈子》に曰く「地に精氣無し、星光を以て精氣と為す。地に吉凶無し、星氣を以て吉凶と為す」と。此れ確確實に楊・曾の要旨なれど惜むらくは只話頭を提出し出して終竟道理を講明白せず。先賢は一座の名山を看れば便ち豫め其れ某の一元某の一甲子の中に於て人を出さんとするを知る、到れ彼の時天地の氣乃ち真に會合す。楊文敏公の家の祖墳は葬後二百年にして乃ち文敏公を生出す、彼の以前は是れ天光の未だ照到せざるなり。宇宙間の大關會は氣運を以て先と為して而も氣運の推移は又天星の照臨に係る。

此為兼用三針者知之,而耑用正針者不能知之也。然則地盤挨星是不足乎。非也。天地者一家之夫婦也,然水者一身之陰陽也。譬如閨中女子,其耳目必聰明,血氣必和平,然後可以迎祥集福;若其破旺沖生則陰陽不和,不待于歸早已知其發生百病矣。是以奪神功改天命須用三針,如果乘氣坐穴必先用正針為主。後之學者知天地有轉移而地運應之,則分天地為二亦可,合天地為一亦無不可也,其於三針兼用之理思過半矣。如其不然,亦唯迎生趨旺,以俟天地之自合而已。

此の一層は三針を兼用するの人乃ち懂得し、專ら正針を用ゐるの人は懂得せざらん。則ち地盤の挨星は便ち用ひ足らざるならんや。亦非ず。天と地とは譬へば一家の夫婦の如く、龍と水とは譬へば一身の陰陽の如し。譬へば閨中の女子は必ず耳目聰明・血氣和平して而して後乃ち祥を迎へ福を納るを談得上す。假如其れ本身は便ち旺を破り生を冲し陰陽調和せざれば未だ出嫁せざるに已に百病を生ぜんことを斷定するを得。故に神功を奪ひ天命を改めんと要せば必ず三針を兼用するを須とす。但し真に氣に乘り穴を坐するの時候に到れば仍お必ず正針を以て主と為すを須とす。後來の學者は只天地に推移有りて地運は之に隨て感應するを知らば則ち天地を分かちて兩截と作すも可なり天地を合して一體と作すも亦未だ嘗て可ならざるなり、三針を兼用するの道理に對して便ち領會の大半せり。如果此の一步を做到せざれば那れも亦只「生を迎へ旺に趨く」の四個の字を守住して靜に天地之氣の自ら會合するを等候するのみなり。

卷二・生死を論じて陰陽を論ぜず

或問:陰龍旺相、陽龍孤虛,《玉尺經》說也。後之論者謂乾坤辰戌龍俱發大福,歷觀古墳所在皆然,然則《玉尺》非歟。陰龍最貴者莫如真亥,《梅花院纂》云:亥無鱗甲不堪扦。豈真亥龍不足貴歟。

人問ふ。陰龍は旺相し陽龍は孤虛す、此れは《玉尺經》の説法なり。可是れ後來議論する人は乾・坤・辰・戌の四條の龍は皆能く大福を發すと説きて遍く各處の古墳を看れば亦確實に此の如し、則ち《玉尺經》は豈に錯へるならんや。再者陰龍の中に最も貴重は「真亥」に過ぎざるに而も《梅花院纂》は卻て説く「亥に鱗甲無ければ扦するに堪えず」と。豈に真亥の龍は反って看重するに値へざらんや。

答曰:天道有陽必有陰,人之道抑陰而扶陽。分陰分陽者,其體也;抑陰扶陽者,其用也。是以乙丑乙未納音之位在辛,而龍之生旺墓仍從庚;丁卯丁酉納音之位在丁,而龍之生旺墓仍從丙。律以呂為妻,則陰從陽也;地統乎天,母從乎父,是說也。

回答に曰く、天道に陽有れば便ち必ず陰有りて人道は則ち陰を抑えて陽を扶く。陰陽を分出すは本體を講ずるにして、陰を抑え陽を扶くは應用を講ず。故に乙丑・乙未の納音位次は雖も辛に在るも而も龍の生・旺・墓を論ずれば仍お庚より算を起し、丁卯・丁酉の納音位次は雖も丁に在るも而も龍の生・旺・墓を論ずれば仍お丙より算を起す。樂律は「呂」を以て「律」の妻と為すは那れ即ち陰は陽に從ふなり。地は天に統屬し母は父に從屬す、講ずる所は便ち此の道理なり。

金木水火土分旺於四時,並行而不悖,惟方位則各有旺相孤虛,則以卦畫論。乾卦六畫皆奇,其陽既極,故乾之甲王為孤,而非謂天地四時之甲王皆孤;坤卦六書皆偶,其陰既極,坤之癸乙為虗,而非謂天地四時之癸乙皆虗。一百二十分金必去其孤虗,只存丙庚丁辛旺相,不合四十八局,乃《銅涵經》之偽設,此以混四十八局之真,而非孤虗之實論。如果甲壬為孤、癸乙為虗,則是天地止有西南而無東北、有夏秋無春冬,有是理乎。

金・木・水・火・土は分別して四時に當旺して並行して相妨げず。只方位の上に於て乃ち各々旺・相・孤・虛の別有りて此れは要く卦畫に按じて論ずべし。乾卦の六畫は全是れ陽爻にして陽氣已に極まりて故に乾位の上の甲・壬は「孤」と叫作す、並びに天地四時の中に凡そ甲・壬は皆孤と説くにあらず。坤卦の六畫は全是れ陰爻にして陰氣已に極まりて故に坤位の上の癸・乙は「虛」と叫作す、並びに天地四時の中に凡そ癸・乙は皆虛と説くにあらず。一百二十分金は一定要して孤虛を去りて只留下丙・庚・丁・辛の四組を以て旺相と當る、此れは四十八局と對せずして乃ち《銅涵經》の僞造し出せるにして之を用ゐて來りて四十八局の真法を混淆す、並びに孤虛の真實の道理にあらず。假如甲・壬は真に皆孤ならば癸・乙は真に皆虛ならば、則ち天地は只西南有りて東北無く只夏秋有りて春冬無きに等し、豈に此の道理有らんや。

二十四位半屬陰、半屬陽,其數實相等,乃成其為天地。謬種偽傳以為反氣,故有取乎陰,不知候氣於黃泉既為陰之極,必求諸十二陰龍,揆之配偶之義則不均,揆之抑陰扶陽之理,則以陽為君子、陰為小人,踵謬承偽,不待智者而知之矣。發明楊曾之吉莫如《玉尺》,所以貴陽賤陰、三吉六秀者,孰卦氣而言之。其結句云:例難執乎納甲,法莫妙於變通。明以玄空為主,而陰陽故有終。餘洩天機之秘,收函石室,無非隱而不發也。未又云:造化關通,神文自見,俟其人耳。

二十四個の位次は一半は陰に屬し一半は陽に屬して數目は其の實相等しく此の如くして乃ち天地と配稱す。錯謬の僞傳は卻て之を以て反氣と當りて因りて陰の一面を偏取す。殊に知らず黄泉方に於て氣を候れば已に陰は極處に到れるに若し還た一味に十二條の陰龍の裏に於て找せんと要せば、配偶の道理に按じて講ずれば便ち均衡せず、抑陰扶陽の道理に按じて講ずれば則ち陽は君子にして陰は小人なり。此の如く謬を踵み僞を承ぐるは聰明人ならずとも亦看出すことを得ずや。楊・曾の説を闡發するは《玉尺經》より過ぎるは莫く、其れは陽を貴び陰を賤むを講じ三吉六秀を講じて皆卦氣に就て言ふなり。其れ結尾に曰く「例は難しく納甲に執るを、法は變通より妙なるは莫し」と。分明に玄空を以て主と為して而も陰陽の説は自から歸結有り。我は天機の秘を泄漏す、本に應に古人の如く石室の裏に封藏す、無非是れ隱して發せざるのみ。篇末に又曰く「造化は關通して神文は自ら見る」と。亦只是れ其の人を等待するのみなり。

審氣篇云:乾坤到頭雖發福,而終歸敗絕;辰戌兩龍入,縱利達而世受孤寒。時師因此遂謂四龍不可用,殊不知葬乘生氣,得生旺而富貴雙全,若衰沐病墓絕行龍,以上之格在所不取。蓋乾之乙亥乃是絕鄉,坤之丙申乃是病地,戌之庚戌乃是衰位,辰之丙辰壬辰乃是墓方,皆指六十龍言。舊注以為老亢四金不可,然則丁亥為臨官、甲申為長生、甲辰為冠帶、戊戌為養,亦將盡舉棄之。所謂臨胎冠養生旺位,不須更論陰陽,不幾大相刺謬乎。

《玉尺經・審氣篇》に曰く「乾坤は到頭して雖も發福するも而も終に敗絕に歸す。辰戌の兩龍入れば縱令利達するも世は孤寒を受く」と。當今の地師は此の話を看て便ち乾・坤・辰・戌の四條の龍は用ゐる可からずと説く。殊に知らず安葬は只求む生氣に乘るを。生旺を得れば便ち富貴雙全なり。若し走る所は衰・沐浴・病・墓・絕の龍なれば那の種の格局乃ち取らざる所に在り。原來乾山の下の乙亥は絕鄕にして坤山の下の丙申は病地にして戌山の下の庚戌は衰位にして辰山の下の丙辰・壬辰は墓方なり——説く所は皆六十龍なり。舊注は卻て以て「老亢の四金」は用ゐる可からずと為す。彼の樣に照らして説かば丁亥は臨官にして甲申は長生にして甲辰は冠帶にして戊戌は養にして豈に亦要く一併に丢掉せんや。經文は明説す「臨・胎・冠・養・生・旺の諸位は須く更に陰陽を論ずるを要せず」と、那れは豈に自相矛盾するや太も厲害ならざるや。

茲今時師矢口而談者,莫如真亥龍,然亥則不離乾壬也。《玉尺經》云:許通一路。癸亥乃水之臨官,已亥乃木之長生,是以許通一路也,方為楊曾之嫡泒。既無鱗甲,乃是正亥,縱有融結乃是病龍,所以到頭囚謝、入首衰微,雖發大福,故不堪扦。又云用心扦者何也。入首辛亥,坐西北向東南,易於沖生,難以立向,先賢所以審於扦寡龍也。經又云:巽地怕逢辰已,只愛單行。巽者辛已也,兼辰則兼已已,兼已則為癸已,龍居病絕皆所不取,此生旺休囚之說也。

如今の地師は口を開けば便ち談ずるは「真亥龍」に過ぎず、其の實亥は總じて乾と壬とを離れず。《玉尺經》の説く「一路を通ずるを許す」は、癸亥は水の臨官位にして己亥は木の長生位なり、故に只其等に此の一路を通行するを許す、此れ乃ち楊・曾の嫡傳なり。若し「鱗甲無し」と説かば那れは即ち正亥の一線にして縱令融結有るも亦是れ病龍なり、故に到頭囚謝し入首衰微して即ち一時大福を發するも終竟穴を扦するに堪えず。經文に又曰く「心を用ゐて扦す」とは何の意思なるや。入首若し辛亥龍なれば西北に坐して東南に朝して甚だ長生を冲犯し易く向を立て難し、先賢は正に此に因りて乃ち此の種の孤寡の龍を扦するに格外審愼なり。經文に又曰く「巽地は辰巳に逢ふを怕れ只單行を愛す」と。巽の指す所は辛巳なり。辰を兼ぬれば便ち己巳と成り巳を兼ぬれば便ち癸巳と成りて此の兩條の龍は皆病・絕の地に落つ、故に一概に取らず——此れは仍お生旺休囚の説なり。

即駁換之義亦明指納音。如壬駁癸、癸駁壬,乃是水駁水;丁駁丙、丙駁丁,乃是木駁木。以至壬為壬寅、甲為已卯、艮為戊寅,去水來山取用不同,何堪並至;惟庚酉辛則皆水土,乃可雙行。《天玉》云玄空為主,而重在不出卦,後人讀之多不能解,《玉尺·審氣篇》乃其確注也。

就中「駁換」の此の詞すらも亦明明に指す所は納音なり。譬へば壬は癸に換り癸は壬に換るは那れは水が水を換ふるなり。丁は丙に換り丙は丁に換るは那れは木が木を換ふるなり。至りて壬位の上は壬寅にして甲位の上は己卯にして艮位の上は戊寅にして其等の去水來山に對するの取用は各々相同ならず、怎ぞ能く並列して同用せんや。只庚・酉・辛の三位は同じく水土に屬して乃ち雙山並行するを得。《天玉經》は玄空を以て主と為すと説きて而も着重するは「卦を出でず」に在り、後人は讀みて大多數は能く理解せず、《玉尺經・審氣篇》は正に其れ最も確切の注解なり。

但丙屬木而云火氣相須,蓋隨俗以丙丁屬火尚隱而不發耳。《天機賦》云:年少蜚聲科第,必是水來寅甲。後又云:寅甲水來那堪瘋疾纏身。一篇之內自相矛盾,無非天機玄妙,必須分別五行生衰旺。後之學者思其何以矛盾,則知山山有生旺、山山有休囚,倘在病死墓絕之鄉,不獨陽不取而陰且必不嫌,又何貴陰賤陽之是哉。

只是れ丙は納音の上に本に木に屬するも《玉尺經》は卻て其れ火氣と相須すと説く、那れは世俗に隨順して仍お丙・丁を以て火と當るにして還お是れ隱して發せざるのみ。《天機賦》に曰く「年少にして科第に蜚聲するは必ず是れ水の寅甲に來るなり」と。後面に又曰く「寅甲の水來る、那ぞ堪えん瘋疾の身に纏はるるを」と。一篇の内に前後矛盾するは正に天機玄妙にして必ず五行の生・衰・旺を分辨するを須とすることを説明す。後來の學者は只其れ何の故に矛盾するかを想ひ一たび考へば便ち每一座の山に皆其の生旺有りて皆其の休囚有るを明白せん。倘若病・死・墓・絕の鄕に落ちば不單に陽龍は取る可からず陰龍も亦同じく躲れず、又哪裏に甚麼の陰を貴び陽を賤むを談得上せんや。

卷二・左右關の僞を論ず

左右關之說自古有之,如陽亥龍甲木、陰亥龍乙木,吳公《教子書》、劉賴《玉尺經注》莫不皆然。子獨言龍有甲庚丙壬而無乙辛丁癸,水有乙辛丁癸而無甲庚丙壬,豈前此之成書一切可廢乎,而子之臆見獨可信乎。

人有りて曰く、左關右關の説法は自古便ち有り、譬へば陽亥龍は甲木と算し陰亥龍は乙木と算し、吳公の《敎子書》・劉秉忠と賴文俊との《玉尺經注》は此の如く講ぜざる無し。汝は卻て單單に主張して龍は只甲・庚・丙・壬有りて乙・辛・丁・癸無く水は只乙・辛・丁・癸有りて甲・庚・丙・壬無しと。豈に從前の彼の現成の著作は統統作廢する可くして唯獨汝個人の臆見のみ乃ち可信ならんや。

答曰:此非餘之臆說,乃《玉尺經注》之說也。《玉尺》云:乙辛丁癸之婦,而配甲庚丙壬之夫。明以龍屬陽、水屬陰。又曰:左陽右陰分兩片,而陽順陰逆氣本一原。本一原者,木即甲木生、金即庚金。又陽龍左旋從生趨旺,陰龍右旋自旺朝生。自旺朝生者,自卯逆數至亥也。若以陰龍亥為乙木,則自午逆數至卯,仍是從生趨旺,奚言自旺朝生也。

回答に曰く、此れは我の臆説にあらずして正に《玉尺經注》の説法なり。《玉尺經》に曰く「乙辛丁癸の婦にして而も甲庚丙壬の夫に配す」と。分明に龍を以て陽に屬せしめ水を以て陰に屬せしむ。其れ又曰く「左陽右陰は兩片に分かちて而も陽順陰逆は氣は本一原なり」と。所謂本は一源に出づるは即ち木は即ち甲木の生にして金は即ち庚金の生なり。再者陽龍は左旋して是れ長生より帝旺に走向し、陰龍は右旋して是れ帝旺より回りて長生に朝す。所謂「旺自り生に朝す」は即ち卯位より逆數して亥位に到るなり。若し陰亥龍を以て乙木と當れば則ち要く午位より逆數して卯位に到るべく、那れは仍お生より旺に趨くにして哪裏に還た「自旺朝生」を談得上せんや。

審向篇云:四生三合是天機,雙山五行全秘訣。言五行在雙山之下,而三合以四生為主,實指甲庚丙壬。若有一龍則有一生,龍有八則生有八,胡為正言四者何也。雙山乃指二十四山之道,稱六十甲子設於雙山之下,而丑行始分,戌乾、亥壬皆為雙山,不止乾亥、甲卯、丁未也。

《玉尺經・審向篇》に曰く「四生三合は是れ天機にして雙山五行は全秘訣なり」と。此れは五行は雙山の下に安んじて而も三合は四長生を以て主と為すを説くにして實際指す所は正に甲・庚・丙・壬の四干なり。假如一條の龍有れば便ち一個の長生有りて龍八條有れば便ち八個の長生有るべし、經文は何の故に偏に只「四生」と説くや。所謂雙山は就中二十四山の排法に就て言ふにして六十甲子を雙山の下に安んじて丑位より起して乃ち分開くことを得。戌と乾・亥と壬とは皆雙山と算し並びに只乾亥・甲卯・丁未の此の幾組のみにあらず。

《天玉經》云:甲庚丙壬為四龍神,俱屬陽干行。不及陰干者,以其為水神也。人但知龍有陰陽,遂以乙辛丁癸亦為龍。故《雅》詩所言相其陰陽、觀其流泉,實地理之祖語。是以橫說豎說、分說合說,總不外陰陽合龍。有水而言,則龍屬陽而水屬陰;水之順行者亦謂之陽,龍之逆行者亦謂之陰。龍水之陰陽既相配,而陽龍取陰水、陰龍取陽水,無非孤陰不生、獨陽不長也,故雌雄必期於交會。

《天玉經》に曰く「甲庚丙壬は四龍神と為し俱に陽干行に屬す」と。其れ陰干を提げずは陰干は水神に屬するを以てなり。世人は只知道して龍に陰陽有りて便ち乙・辛・丁・癸をも亦龍と當る。《詩經・大雅・公劉》に曰く「其の陰陽を相し其の流泉を觀る」は實に是れ地理家の祖語なり。故に橫に説き豎に説き分かちて説き合はせて説くも總じて不外乎陰陽配合して龍を成す。若し水を連れて一緒に説かば則ち龍は陽に屬して水は陰に屬す。水の順行するも亦之を陽と叫作し龍の逆行するも亦之を陰と叫作す。龍と水との陰陽は既然に相配せば便要く陽龍は陰水を取り陰龍は陽水を取るを要す、無非是れ孤陰は生ぜず獨陽は長ぜざるに因りて故に雌雄は必ず其の交會を求めるを要す。

余初學堪輿,亦泥陽亥陰亥之說,歷觀古墳並無陰亥出戌乾,始悟其非。即今時師所習之《青囊》《玉尺》《天玉》而經文本的註釋,則以偽傳偽。後之學者能通解羅經,即當遍觀古墳名墓,用心揣摩其乘氣坐穴之法,皆可授古證今。至於汗牛充棟之書,即閉目不觀未為不可也。

我は初學の堪輿の時も亦陽亥・陰亥の説法に拘泥せり。遍く古墳を看て從來陰亥龍にして水口は戌・乾に出づるを見たる無し、此れ乃ち醒悟す那れは錯なりと。就中今日の地師の學ぶ所の《青囊經》《玉尺經》《天玉經》は經文本身は是れ對にして注释は卻て訛を以て訛を傳ふ。後來の學者は只能く羅盤を通解せば便ち應に遍く古墳名墓を看て其の中の氣に乘り穴を坐するの方法を心を用ゐて揣摩すべく、皆可なり古人を借りて來りて今日を印證すべし。至りて彼の山を堆積するが如きの書は便ち眼睛を閉じて看ざるも亦未だ嘗て可ならざるなり。

卷二・訣を得て歸り來りて書を看るに好し

或問曰:閉戶造車,輪出門合轍跡,天下之道路固無不同;至於山水之融結處處奇,安能執古人之成格而謂某水口必係某龍、某龍必係某向。山水有靈,未必盡合撤於楊曾也。汗牛充棟之書千古相傳,而子無師承,恐是承偽踵謬語。孰是熟非,安得起楊曾而問之。

人問ふ。門を關して來りて車を造り造り成して門を推出して正好く轍に合すは那れは天下の道路は本來一樣なるに因る。至りて山水の融結は卻て處處新奇にして怎ぞ能く古人の成格を執定して某の水口は必定某の條の龍に配し某の條の龍は必定某の個の向に配すと説かんや。山水に靈有りて未必皆楊・曾の車轍に合得上せず。何况山を堆積するが如きの書は千古相傳して汝は卻て師承無し、恐怕正に是れ錯謬を承襲せん。此れ等の話は到底誰が對にして誰が非なるや、又怎ぞ能く楊・曾を請じ回りて當面に彼に問はんや。

答曰:太古之初有師有承,聖人之所師者天地而已。當其仰觀俯察,見其天之道如此,則聞其說為天文,是千歲之日至可坐而致;是乎地之道如此,則闡其說為地理,是量山萬水百里江山一向間。蓋木旺於東,必胎養於西;金旺西,必胎養於東;火旺南,必胎養於北;水旺於北,必胎養於南。旺於偶然即為天地之變,楊曾心法用其常不用其變,乃人聽命於天地,非天地聽命於人也。

回答に曰く、太古の初も亦師有り承有りて聖人の師法する所は不過是れ天地のみなり。彼等は天象を仰觀し地理を俯察して看出す天道此の如しと、便ち此の套の説法を天文と稱呼して是に於て千年以後の冬至日も亦坐して推算し出すことを得。看出す地道此の如しと、便ち此の套の説法を闡發して地理と為して是に於て千山萬水・百里江山を丈量して皆一個の向の裏に收む。木は東方に旺すれば便ち必定西方に胎養し、金は西方に旺すれば便ち必定東方に胎養し、火は南方に旺すれば便ち必定北方に胎養し、水は北方に旺すれば便ち必定南方に胎養す。偶然別處に旺するは那れは天地の變例にして楊・曾の心法は只其の常規を用ゐて其の變例を用ゐず、人は要く天地に聽命して天地は人に聽命するにあらざるを以てなり。

余幼時不信風水,藏書雖富總不寓目。自乙已冬,有祖墳傍穴老母所分得,而伯姆爭之,餘跪地哀勸,懇其義讓老母,只得強從,而終不說離亂。之後每語及讓塚,不勝嗚咽,餘自是有私心焉。歷觀祖墳聚散向背之間確有私意,心自惴是或一道也。乃遍延術士,不惜金錢,不憚跋涉,言之登山不能辨穴,陰陽有無問之羅經,不明線路挨加,不知為物。於是搜討群書,日夜不遑,思維求得其說,奈此是彼非,漫無頭緒,常廢書而嘆。念及老母,憂從中來,則又挽首卒讀,一知半解,按圖索駟又無一驗,蓋夙興夜寐反側於斯者十餘年。

我は小時候は並びに風水を信ぜず、家中の藏書は雖も多しと從來之を看に去らず。乙巳年の冬より自りて祖墳の旁邊に一個の穴位有りて是れ家母の分得する所にして伯母は卻て來りて爭奪す。我は地に跪きて苦苦に勸説して彼女に情理に按じて家母に讓與せんことを懇求せば彼女は乃ち勉强に答應すれども心裏は終竟罷休を肯ぜず。此後墳を讓るの此の件事を説き起す毎に家母は總じて嗚咽を忍ぶこと能はず、我は從此便ち一點の心事を存せり。我は一一祖墳の氣脈の聚散・山水の向背を察看して其の中に確實に講究有ると覺えて暗自に揣度す此れ大概真に一門の學問ならんと。是に於て到處に術士を延請して錢財を吝惜せず奔波勞頓を怕れず。彼等を請して山に上らしむるも卻て穴の哪裏に在るかを分辨出來せず。彼等に陰陽の有無を問へば只會して羅盤を拿りて看看するのみにして線路の挨加は全然明ならず、連れ是れ甚麼の東西なるかすらも説き上る能はず。是に於て我自己に群書を搜羅して日夜停まらず思索して道理を求め出さんと想ふも無奈何此の家は是と説き那の家は非と説きて漫として頭緒無し、常常に書を丢開して長嘆す。一想ひ到りて家母に就けば憂愁は便ち心裏より湧上りて來りて只好く又頭を低れて讀み下る。一知半解にして圖に按じて驥を索むるも卻て一條も應驗無し。此の如く早く起き晚く睡り輾轉反側して十幾年なり。

憶崇禎庚午年間,有朱家瑗者登文質祖墳言福澤,既暫其後果驗,駭以為神,亟往審視。內出戌乾,外出未坤,而坐甲向庚兼卯酉,龍則火木相間,八節乃變甲寅數,其家世蔭七代,至八代而敗絕。餘豁然大悟,始信乎諸書皆妄,而破旺沖生不外乎六十龍、言七十二龍。執此以驗古墳,在在皆然。歸取《天玉》《青囊》《行程記》《紅囊經》讀之,如醉方醒,如夢初覺。得訣歸來好看書,是即余之師承也。雖不自附聞知之,而心疲力竭,爰取諸書而觀之,註釋盡為改正,豈敢故為好辨哉,亦為使天下仁人孝子皆避火坑而已。

記得す崇禎庚午年間に朱家瑗と叫ぶ一個の人有りて文質家の祖墳に登上りて他家の福澤を豫言して過ぐること不久に果然應驗して衆人は驚駭して以て神と為せり。我は趕緊に前去して審看す。那の地は内水口は戌・乾に出でて外水口は未・坤に出でて甲に坐し庚に向ひて卯酉を兼ね、來龍は火木相間して第八節に到りて乃ち甲寅の數に變ず——他家は世代に七代の蔭を受けて第八代に到れば便ち敗絕す。我は此れ乃ち豁然大悟して始めて相信す各家の書は皆妄説にして而も破旺冲生の此の件事は不外六十龍と七十二龍なりと。此の法則を拿りて去りて古墳を驗せば處處皆對得上す。家に歸りて《天玉經》《青囊經》《行程記》《紅囊經》を取りて來りて讀めば真に醉後の初醒・夢中の乍覺の如し。「訣を得て歸り來りて書を看るに好し」、此れ即ち我の師承なり。我は雖も敢へて聞きて之を知るの人に自比せざるも亦心力を耗盡し盡くせり。是に於て各家の書を取りて來りて看て注釋を一一改正す、哪裏に是れ意有りて辯を好まんや、亦不過是れ天下の仁人孝子をして皆火坑を避開せしめんと要するのみなり。

天機貫旨紅囊經卷之三(宜豊李三素著)

卷三・龍穴砂水釋名總説

堪輿之說,概而言之,不過龍穴砂水四法而已。然言龍則有祖宗、父母、枝幹、主從、退卸、博換、過峽、穿田等法;言穴則有穴星、穴形、穴情、太極圓暈、羅文土宿等法;言砂則有前朝、後坐、左龍、右虎、官鬼、禽星、曜、捍門、華表等法;言水則有來源、水口、水城、明堂等法。使不一一釋明於前,則不特不能入道,且不解讀古人之書矣。

堪輿の此の門の學問は大略説き來れば不過龍・穴・砂・水の四法のみなり。但し龍を講ぜば便ち祖宗山・父母山・枝龍干龍・主山從山・退卸・剝換・過峽・穿田の等等の名目有り。穴を講ぜば便ち穴星・穴形・穴情・太極圓暈・羅文土宿の等等の名目有り。砂を講ぜば便ち前朝・後坐・左青龍・右白虎・官星鬼星・禽星・曜氣・捍門・華表の等等の名目有り。水を講ぜば便ち來源・水口・水城・明堂の等等の名目有り。假如前面に於て一一解釋清楚せざれば則ち不單に門に入ることを得ざるのみならず而且連れ古人の書すらも讀懂すること能はず。

餘於龍則括之以星辰、枝幹、形格、化氣四種;於穴法則括之以正形正象、奇形怪穴二種;於葬法則括之以正葬、開鑿堆培二種;於砂法則括之以結作砂、用砂、秀砂三種;於水法則括之以配龍水、明堂、水城三種。四法各為專部,並不目力議論,俱取古仙最精最妙真如寶見之說,疏明於下,使人由此而了明山川之真性情、真結作。其人久久得悟,自難豁然於心、瞭然於目,覓然求穴探囊取物,始信地理果有一真道也。

我は龍を講ずるに星辰・枝干・形格・化氣の四類を用ゐて概括し、穴法を講ずるに正形正象・奇形怪穴の兩類を用ゐて概括し、葬法を講ずるに正葬・開鑿堆培の兩類を用ゐて概括し、砂法を講ずるに結作砂・用砂・秀砂の三類を用ゐて概括し、水法を講ずるに配龍之水・明堂・水城の三類を用ゐて概括す。四法は各々專門一部を成して並びに眼力を憑りて空しく議論を發せず、全て皆古代仙師の最精最妙にして真に親しく珍寶を見るが一般の説法を采取して逐條疏解して下面に在りて人をして此に由りて山川の真實の性情と真實の結作とを明了せしむ。學者は久久に領悟有れば縱令一時は豁然と心に於て了然と目に於てし難くも後來に到りて穴を尋ぬれば便ち囊中を探して物を取るが如く、此れ乃ち相信す地理は果然に一條の真正の道路有りと。

卷三・羅經を論ずるの説

地理而不可解者,莫如《天玉經》。予獨擯斥諸書,侈談《天玉》,得毋近於隱怪乎。《天玉》楊曾之心法,其詞秘之而不宣,則楊曾之不得已也。帝王之興自有天命,是以金陵兩鳳交翅地,吳公曾為宋朝指而不能為宋朝下,明熙祖始下之。宋以前帝王不知此義,天文地理之禁甚嚴,楊公注《天玉經》不得不隱其詞。

地理書の中に最も索解し難きは《天玉經》に過ぐるは莫し。我は偏偏として各家の書を排斥して大に《天玉》を講ずるは是れ故に玄虛を弄するに近きや否や。《天玉經》は楊・曾の心法にして其の文辭は秘して宣せざるは那れは楊・曾の不得已に出づるなり。帝王の興起は自から天命有り、故に金陵の那の塊の「兩鳳交翅」の大地は吳公は曾て宋朝の為に指點し出せども能く宋朝の為に葬り下ること能はず、明朝熙祖に到りて乃ち彼處に葬せり。宋以前の帝王は此の道理を明白せずして天文地理の學を禁ずるや極めて嚴にして楊公の《天玉經》を注する時は得已ずして話を説くや隱晦ならしめざるを得ざりき。

迄宋而禁稍弛,朱蔡二公作《天表解》,即指明六十十龍,耑專以納音為主。納音者,後天之河圖也。有河圖即有五方,有五方即有五音,有五音即有六律,有六律即有六十甲子。東木西金南火北水中土,河圖之方位而為納音之祖,河圖見納音原始,故曰老五行。其金中有木、木中有金、水中有火、火中有水,即所謂識得五行顛倒顛,便是大羅仙。其同類娶妻隔八相生,取諸陰陽消長,即所謂乾遇巽兮觀月屈,地逢雷處見天根。聖人測天之時、候地之氣,胥是為準,是以審龍乘氣則首重乎分六十,而坐穴則用七十二。

宋代に到りて禁令稍稍鬆弛して朱熹・蔡元定の二公は《天表解》を作して便ち六十龍を指明して專ら納音を以て主と為せり。所謂納音は即ち后天の《河圖》なり。《河圖》有れば便ち五方有り、五方有れば便ち五音有り、五音有れば便ち六律有り、六律有れば便ち六十甲子有り。東木・西金・南火・北水・中土は是れ《河圖》の方位にして亦納音の祖源なり。《河圖》より以て納音の起源を見る可し、故に又「老五行」と叫ぶ。其れ金の中に木有り木の中に金有り水の中に火有り火の中に水有りて正に所謂「五行の顛倒顛を識得せば便ち是れ大羅仙」なり。其れ同類は妻を娶り隔八相生して取る所は陰陽消長の義にして即ち「乾は巽に遇ひて兮月窟を觀、地は雷に逢ふ處に天根を見る」なり。聖人は天時を測し地氣を候るに皆此を以て準と為す。故に龍を審し氣に乘るは首に「平分六十龍」を重んじて而も坐穴は則ち七十二龍を用ゐるを要す。

《天玉》之挨星即花甲也,《天玉》之玄空即四局也,《天玉》之本卦即震兌坎離也,《天玉》之聯珠即三盤同歸一卦也,《天玉》之零神正神即三七二八也,《天玉》之雙山雙向即四十八局也,《天玉》之三卦二父母即從生趨旺、自旺朝生也,《天玉》之共路兩神為夫婦,即乙丙交而趨戌、辛壬會而趨辰、斗牛納丁庚之氣、金羊收癸甲炎靈也。此今刻本始於大全,不識挨星為何物也。興國有舊註名拆骨體,亦在疑似之間。餘反覆尋繹不啻二十年始悟為羅經解,凡《青囊》《玉尺》彈子書及前賢歌訣,無非發明《天玉》之旨,則《天玉》實為大宗,而諸書皆為餘緒,餘之所以廢群言而獨尊《天玉》也。

《天玉經》の所謂「挨星」は即ち六十花甲なり。所謂「玄空」は即ち水火木金の四局なり。所謂「本卦」は即ち震・兌・坎・離なり。所謂「聯珠」は即ち穿山・透地・坐穴の三盤は一卦に同歸す。所謂「零神正神」は即ち三七・二八の兩種の分數なり。所謂「雙山雙向」は即ち四十八局なり。所謂「三卦二父母」は即ち生より旺に趨き旺自り生に朝す。所謂「共路の兩神は夫婦と為る」は即ち「乙丙は交りて戌に趨き、辛壬は會して辰に趨き、斗牛は丁庚の氣を納し、金羊は癸甲の靈を收す」なり。如今通行の刻本は《地理大全》より來りて根本に挨星は甚麼の東西なるかを知らず。興國に別に一種の舊注有りて名を「拆骨體」と曰ひて亦似是而非の間に在り。我は反覆尋繹して二十年を下らずして乃ち悟出す其れ其の實は一部の羅盤の解説なりと。凡そ《青囊經》《玉尺經》・金彈子鐵彈子の一類の書および前賢の歌訣は無非皆《天玉經》の宗旨を闡發するに在りて、見るべし《天玉經》は實に大宗と為して其の餘の各書は皆其の餘緒なり、此れ即ち我の衆説を抛開して獨り《天玉》を尊ぶの緣故なり。

卷三・羅經禍福辨

或問:精於巒頭自合理氣,則知巒頭可以不必知理氣,羅經之設不贅瘤乎。答曰:巒頭猶人之肢體也,理氣則其脈息也。人固有一望而可知者,若其外貎可觀,而終身不能逆料,必胗其脈息始知;羅經審其脈息。歷觀古垣局,非不精奇,當貴不能驟至,而後龍出卦,終歸敗絕,此則天地自然之缺陷,定於羅經。如黃編修本出八代公卿,而一代不保;劉漢四世祖地本出屢世王侯,而兄弟做賊,皆由向背一差,反福為禍。然則全龍全穴而作用之妙尤有待於羅經。但知巒頭不知理氣,不惟後代禍福不能審擇,即現在之真龍正穴,或貪朝對,或嫌去水,必至破旺沖生,反福為禍,此羅經不可須臾離也。

人問ふ。巒頭形勢に精通すれば自然に理氣に合す、見るべし巒頭を懂れば便ち理氣を懂るを必とせず、則ち羅盤の設置は豈に是れ多餘の瘤子ならざるや。回答に曰く、巒頭は譬へば人の四肢軀體の如く理氣は譬へば人の脈息の如し。人は固然に一眼で其の好壞を看出す能く者有るも、若し外貌は觀る可くして一生の禍福は豫料する所無ければ便ち必ず其の脈息を診して乃ち知るを要す。羅盤は正に此の脈息を審察するに用ゐるなり。遍く古人の垣局を看れば形勢は精奇ならざるに非ざるも、可是れ富貴は遲遲として來らず而且後龍は卦を出でて終に敗絕に歸す——此れは天地自然の缺陷にして只靠く羅盤にて定め出すことを得。譬へば黃編修の家は本に應に八代の公卿を出ずべきに卻て一代すらも保得住せず、劉漢の家の四世祖の地は本に應に累世の王侯を出ずべきに卻て兄弟は盜賊と做れり、皆是れ向背の差たるや一點にして反って福を變じて禍と為せるに因る。見るべし即ち龍全く穴全くとも作用の妙處は仍お羅盤を靠るを要す。只巒頭を懂りて理氣を懂らざれば不單に後代の禍福は審擇する所無く、就中眼前の真龍正穴は或は朝案相對を貪圖し或は去水方位を嫌忌して亦必定破旺冲生に弄到して反って福を禍と為さん。故に羅盤は一刻も離れるを得ず。

要其所謂作用者,不過順其自然,正其差謬,而初非有矯揉。是以楊曾心法不須易地改穴,而分金一轉即能為人造福。古今避理氣者,或以巒頭為人、理氣為星命,已屬可笑;即以巒頭為體、理氣為用,猶岐而二之。其實太極未分先有是理,所難者一訣千金,妙處不傳,遂成千古疑團,夢中說夢。

根に歸り底に到れば所謂「作用」は不過是れ山水の自然に順て其の偏差を糾正するにして本來并びに甚麼の造作扭捏有らず。故に楊・曾の心法は地方を換へ穴を改むるを必とせず、只分金を一轉せば便ち人の為に福を造ることを得。古今の理氣を躲避する人は或は説く巒頭は譬へば人にして理氣は譬へば星命の如しと、此れ已に甚だ可笑なり。就中巒頭は體にして理氣は用なりと説くも亦還お其等を分かちて兩截と為す。其の實は太極未だ分かれざるの前に先有りて此の理有り。難處は只在りて一句の口訣は千金に値して最妙の地方は肯じて傳授せず、是に於て千古の疑團と成りて人人皆夢裏に於て夢を説くなり。

經勘破即不登山,而一觀水口能知其龍向,但言山向而可定其吉凶,以其有一定之理也。巒頭則千變萬化,不可名狀,自非踏皮鐵鞋揣摩有素,雖父不能以傳子。今之時師不知理氣,輒以巒頭自負,彼豈知巒頭之難言有十倍於理氣者乎。今而後有以巒頭為難知者,吾則與之言理氣矣。

此の層の道理は一旦勘破せば即ち山に上らずとも只水口を一眼看れば便ち其の龍と向とを知ることを得。只要く山向を説き出せば便ち其の吉凶を斷定することを得、其の中に一定不移の道理有るを以てなり。至りて巒頭は則ち千變萬化して名狀する所無し、若し鐵鞋を踏破し長年に揣摩素養有るに非ざれば即ち父も亦子に傳へ給ふこと能はず。如今の地師は理氣を懂らずして動もすれば巒頭に精通すを以て自負し、彼は哪裏に知らん巒頭の難説は理氣に比して還お十倍難上るを。今後若し人の巒頭は懂り難しと認る者有れば我は倒れて其れと理氣を談ずるを願ふ。

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