Libo

上巻八 山は龍に象り、配合して止まる

南唐 · 何溥(令通) · 第2巻 / 6

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

龍備五行之全,故山之形體象龍。龍極變化之神,故山之變換象龍。龍之體純乎陽,故山逢陽而化,遇陽而生;龍之性喜乎水,故山夾水為界,得水為住。龍之行御乎風,故山乘風則騰,藏風乃歇。龍必得巢乃棲,故山以有局有關乃聚,以無局無關為散。龍凡遇物則配,故山以有配有合而止,以無配無合而行。

龍は五行の全を具備す、故に山の形體は龍に取象す。龍は變化の神を極盡す、故に山の剝換變態も亦龍に取象す。龍の本體は純に陽に屬す、故に山は陽に屬する活動開暢・平坦圓滿の處に遇へば便ち變化し便ち生發す。龍の本性は水を喜ぶ、故に山は水を夾みて乃ち界限を成し、水を得著して乃ち止住することを得。龍の行走は風に乘るを要す、故に山は風に乘れば便ち奔騰して去り、風を藏得住れば乃ち歇まる。龍は必ず巢穴有りて乃ち棲息することを得、故に山は局有り關有りて乃ち氣を聚住り、無局無關なれば便ち氣散ず。龍は凡そ相配する物に遇へば便ち交配す、故に山は配有り合有りて乃ち止住し、無配無合なれば便ち一路行き去る。此の六句は龍の性情を以て山の性情に比擬す、正に「形止まりて氣蓄ふ」の一義の形象的説法なり。

此言論龍者必深得龍之性情,乃能得其精神血脈之所聚。此認龍氣者第一吃緊處也。幾宇宙間物理,雖各有五行,以一體而具五行者惟龍。龍之鱗為金,角,與爪為火,身為木,擺折為水,腹之黃為土。今人取天罷星亦備五行,又以辰為罷星,正以亢為金龍,正謂五行之全局也。龍能潛能見,能大能小,能升能降,山之行動,貴有起伏,有變換,正象乎龍,故以龍名。

これは説く、龍を論ずる人は必ず深く龍の性情を得て乃ち其の精神血脈の聚會する處を尋得することを得、是れ龍氣を認るの最も喫緊の處なり。宇宙間の萬物は各々五行を具ふと雖も、一身を以て五行を兼具するは唯だ龍のみ。龍の鱗は金に屬し、角と爪は火に屬し、身は木に屬し、擺折屈伸は水に屬し、腹下の黄色は土に屬す。今人は天上の「天罡星」を取りて亦其れ五行を備ふと謂ひ、又地支の辰を以て罡星と為す、正に亢宿の金龍為るを以てなり、説く所は五行齊全の格局なり。龍は能く潜能く現れ、能く大なり能く小なり、能く升り能く降る。而も山の行度も貴んで起有り伏有り剝有り換有り、正に龍と相象り、故に便ち「龍」を以て命名す。見るべし、龍を論ずるは先ず山を活物と作して看て乃ち形體の上に死せざらん。

夫辰肖龍,以辰居五陽之地,而龍之氣純乎陽,辰則肖之,故山之行度,遇活動開暢則為陽,乃龍變換之處,山之結穴,遇平坦圓滿則為陽,乃龍棲止之處,以其體本屬陽也。且以時序論,逢到三陽,則為驚蟄而龍動,及到四陽,則為飛龍在天,非以陽為得令之候乎!若逢夏至,以後漸及五陽,龍則藏之重淵之下矣。龍之性喜水,故山有界水,有大界水則為大界合,有小界水則為小界合。又如金魚,如蝦鬚,如蟹眼,皆以水言,正以象龍之得水為喜,得水而住也。

辰は十二生肖の中に龍に屬す、辰は五陽の地に居り而も龍の氣は純に陽に屬し、辰は恰も之と相肖るを以てなり。故に山の行度は活動開暢の處に遇へば便ち陽に屬し、那れは龍の變換する地方なり。山の結穴は平坦圓滿の處に遇へば亦陽に屬し、那れは龍の棲止する地方なり——皆龍體本もと陽に屬するに因る。再び時令を以て論ずれば三陽(正月泰卦)に到れば便ち驚蟄にして龍動き、四陽(二月大壯)に到れば便ち「飛龍在天」なり、見るべし陽は正に龍の令を得る時なり。若し夏至を過れば陰漸く生じ陽漸く退き、龍は便ち重淵の下に潜藏して去る。龍性は水を喜ぶ、故に山は必ず界水有らん。大界水あれば便ち大界合を成し、小界水あれば便ち小界合を成す。又如「金魚」「蝦鬚」「蟹眼」此の名目は説く所は皆水なり、正に龍の水を得れば喜び水を得て住まるに取象す。故に山の陰陽は方位の上に分かれずして形態の上に分かる。開暢圓滿の處は即ち陽と為し峻急硬直の處は即ち陰と為す。界水の大小は亦便ち界合の大小を決定す。

龍之起,必風雲從之,龍之藏,必其云散風靜,是故山之止處,亦必藏風乃為止也。龍有龍之巢穴,其巢穴必且深沈建密,乃為龍居。其在山谷,必有巖洞之深逮,其在平洋,必有江湖洲諸,為眾水所聚,淵深莫測之處,豈是洩露迫隘。故今堪輿家必取堂局之完密,四獸之俱來,有開有合,有關有鎖,正以象龍之巢穴,不得渙散而洩露也。今人論穴,只以安棺八足之所為穴,不知合龍穴砂水局面城垣而論之,乃為穴也。

龍の騰起する時は必ず風雲相從有り、龍の潜藏する時は必是れ雲散じ風靜かなり。故に山の止歇する處は亦必ず風を藏得住して乃ち真止と算す。龍に龍の巢穴有り、那の巢穴は一定に深沉隱密にして乃ち龍の居所と作るに配す。山谷の中に在らば必是れ巖洞深邃の處、平洋の地に在らば必是れ江湖洲渚・衆水の聚まる所・淵深測るべからざる處にして、豈に泄露逼窄の所在ならんや。故に今日の堪輿家は必ず堂局完密・青龍白虎朱雀玄武の四獸俱に來り、開有り合有り關有り鎖有るを取る、正に龍の巢穴に取象して涣散泄露を容れざるなり。今人の穴を論ずるは只棺木を安放する那の一小塊の地方を以て穴と當て、知らず龍・穴・砂・水と整個の局面城垣とを合はせて通盤に論ずるを要するを、那れ乃ち穴と叫ぶ、此の一層は最も忽略せられ易し。

龍氣純陽,其性至淫,凡遇物之雌者則配,是其所喜則與配合,故山家於龍穴砂水皆取其配合,即是此義。今人論龍穴砂水以四件備,不知只以龍為主,今其所謂配合之意,又只是一個他來有惰於我耳。如朝案,如龍虎,只是一個開面轉腳,拱揖環抱,便是與我配合,若有一山走去,一水傾流,不我回顧,便是不配,便非真龍之住,便不可言穴矣。

龍の氣は純陽にして其の性は最も交合を好む。凡そ雌に屬する對象に遇へば便ち之と相配し、凡そ其の喜ぶ所なれば便ち之と配合す。故に堪輿家は龍・穴・砂・水に於て皆「配合」を講究す、即ち此の意なり。今人の龍穴砂水を論ずるは只四件齊備を知りて、知らず一切は龍を以て主と為すを。而も所謂配合は説き穿てば亦是れ只「彼が我に對して情有り」の一點のみなり。朝山・案山の如く青龍・白虎の如く、只開面轉脚・拱揖環抱有れば便ち我と配合す。若し一山の徑自に走り去り一水の傾瀉して流れ、全く頭を回し我を顧みざる有らば、那れは便ち配せず、便ち真龍の止住する處にあらず、亦甚だ何の穴を談ずるに足らざるなり。

上巻九 龍は三陰三陽に分かれ、穴は陽多陰少を取る

辨龍生死,須分三陰三陽;辨穴生死,須識陽多陰少。

龍の生死を分辨するは必ず「三陰三陽」を懂得することを要す。金・木・火の三體は陽に屬し水・土の二體は陰に屬す、行龍は陰陽互換して乃ち變化有ると算す。穴の生死を分辨するは則ち「陽多陰少」を認得することを要し、穴情は開陽平坦を以て主と為し、陰中は還た須く陽を帶ぶべく、方に乃ち葬る可し。

此二段乃以脈絡之陰陽而認氣為一法。吳公間星之說,以金木火為陽,水土為陰,謂之三陰三陽。行龍必陰陽互換,乃為變化,乃能生物,故以此為間星。間者,脫換變化之謂也。龍不變化,不成真龍,故必金木火得水土,水土得金木火,兩相互濟,以成胎育,方結好穴。不然則純陰不生,純陽不成,不涸澡而為香火之居,則濫溢而為蛟龍之窟矣。

此の兩段は脈絡の陰陽に就て氣を認るの一種の法門なり。呉景鸞の「間星」の説は金・木・火の三體を定めて陽と為し、水・土の二體を定めて陰と為し、合して「三陰三陽」と稱す。行龍は必ず陰陽互いに脫換して乃ち變化有ると算し、乃ち萬物を生育すること能くす。故に之を「間星」と稱す——「間」は即ち脫換變化の意なり。龍は變化せざれば便ち真龍を成さず。故に必ず金木火の後に水土を得、水土の後に又得金木火し、兩者は交相調濟して乃ち胎育を結成し、方に好穴を結することを得。否れば純陰は生ぜず純陽は成らず、乾涸枯燥して只堪へて寺觀香火の居と作るか、或いは水多く濫溢して蛟龍盤踞の窟と成るかなり。

今人立穴,但於入首結作之處,如金開口,木生芽,土掛角,則為陰來陽受,或入首之脈斂而急,至入穴乃平而舒,有腦有窩,有小明堂,亦為陰來陽受,此所謂之葬口,如陽來陰受亦然。《三寶經》所謂陰少陽多得葬法,陰多陽少莫強求,何其專取陽多乎!

今人の立穴は只入首結作の處に於て看る。金星開口・木星生芽・土星挂角の如きは便ち「陰來陽受」と算す。或いは入首の脈收斂して急促にして入穴の處に到りて卻て轉じて平坦舒緩と為り化生腦有り窩有り小明堂有らば、亦「陰來陽受」と算す、此れ即ち所謂「葬口」なり。反って「陽來陰受」も亦同じ道理なり。《三寶經》に「陰少陽多は葬法を得、陰多陽少は强求すること莫れ」と曰ふ、何を以て此の如く偏に陽多を取るや。

不知經云惟取乎陽,不犯乎陰,大要萬物生於陽和,死於陰肅,故穴情以陽為主,總是陽來陰受,畢竟陰中又有陽,乃可葬也。如平地之突,是陽來陰受,必突頂平坦,乃有陽氣而無煞,如突頂削尖,則是純陰有煞矣,便不可葬,只宜於突旁坦氣為陰陽交攜之所,方可受穴。前段論龍之陰陽,後論穴中陰陽,皆以陰陽而論生氣者也。

知るべし經書の宗旨は只陽を取りて陰を冒犯せざるなり。大要は在りて、萬物は陽和の氣に生じ陰肅の氣に死す、故に穴情は陽を以て主と為す。雖も總じて陽來陰受と謂ふと雖も、畢竟須く陰中に還た陽を含着して乃ち下葬することを得べし。譬へば平地の上の突起は本もと陽來陰受なり、必ず突頂平坦にして乃ち陽氣有りて煞無きと算す。若し突頂削尖せば那れは即ち純陰にして煞有り、便ち葬るべからず、只宜しく突起の旁邊に氣脈平坦・陰陽交會する地方に於て穴を受くべし。前の一段は龍の陰陽を論じ後の一段は穴中の陰陽を論ず、皆是れ陰陽を拿りて生氣を論ず。見るべし、生死の判は全て陰陽の交濟する能否に在り。

上巻十 龍の頓住勒住、穴の墜宮纂宮

龍有變體,或為頓住勒住;穴有變格,則為墜官纂官。

龍に其の變體有り。緩弱に行り來りて忽然として高山を頓起し真氣自ら聚まるを「頓住」と謂ふ。狂奔飛騰して忽然として跌斷して再起し回顧翻轉して馬を勒するが如きを「勒住」と謂ふ。穴にも亦其の變格有り。棺を數尺墜低して以て遠處の朝照を承接するを「墜宮」と謂ふ。衆龍會聚の平洋の處に於て土を培して穴を定むるを「纂宮」と謂ふ。

此二段乃以大勢之緩急浮沈而為論氣者之變律也。凡龍之行度,如強弱相間而來,便能多結,有如枝條太長,節數太多,名為長行。金水行到十數節,是困憊無力,但一向行來,手足亦不偏枯,頭面亦不峻贈,似乎無力,不謂無體。及到立穴處,忽然頓起高山,巍然成一主星,其手足盡能轉翻扛起,則兩邊枝節皆為有力。若得左右山水湊集,朝案局、面拱注,及所去未盡之龍,又轉關有力而作水口,便是大地。

此の兩段は大勢の緩急浮沉に就て氣の變例を講論す。凡そ龍の行度、若し强弱相間に來れば便ち多く穴を結することを得。若し枝條太長・節數太多なれば便ち「長行」と謂ふ。金水の龍一路行りて十幾節に到れば氣已に困憊無力なれど、但一路行り來りて枝脚偏枯せず頭面峻峭陡削せざれば、雖も無力に似たれど之を無體と謂ふこと能はず。立穴の處に等到りて忽然として一座の高山を頓起し巍然として主星と為り、其の枝脚は皆能く翻轉して扛起すれば、則ち兩邊の枝節も亦皆有力なり。若し再び左右の山水凑集し朝山案山と整個の局面と拱抱注目し、而も未盡の餘龍又轉關有力にして水口を做成せば、那れは便ち一處の大地なり。見るべし、長行の龍は未必結なきにあらず、關鍵は只其の頭に到りて頓起する肯否を看るのみ。

此所謂內旺之格也。忽然頓起,故為頓住,此以緩嫩而得頓起,真氣自聚,其與穴之緩不取急者同義。又如龍之行來一向狂猛,其勢飛騰,收住不得,忽然跌斷,再起星辰,婉婉有駐足之意,接下二三節,手足盡為回顧翻轉,恰如勒馬之狀,此與急中取緩之義同其為有結無疑矣。此皆龍之變態,不可不細察也。

此れ即ち所謂「內旺の格」なり。其れ忽然の頓起なるを以て故に「頓住」と謂ふ。緩弱柔嫩の勢を以て頓起を得れば真氣自然凝聚す、穴法の上の「緩なれば則ち急を取らず」と同一個の道理なり。又如龍一路行り來りて極めて狂猛にして其の勢飛騰し、收煞すること住まず、忽然として跌斷し、再起して星峰と為り、婉轉して駐足の意有り、接下の兩三節の枝脚は皆回顧翻轉し、恰も勒住せる馬の如し、此れ「急中に緩を取る」の道理と相同なり、其の結作有るは疑無きなり。頓住は緩中に急を取り勒住は急中に緩を取る、一收一放、皆奔行の氣をして止聚を得しむるが爲なり。此れ等は皆龍の變態にして細察せざるべからず。

幾立穴必取陰陽沖和、神氣融洽為主,若於立穴之處界割深而蝦鬚不明,朝對遠而拱揖不密,然真氣所在,不得改移,縱穴場至高,亦須深取至一丈許,或至一文五六尺許,惟取前朝外照、雌雄交度處為深淺,此之謂乘除假借,全以外照為主也。以其墜下而按遠砂遠水,故法謂之墜宮。經曰:低藏高點納前朝,深淺得乘真氣聚。蓋如此。

凡そ立穴は必ず陰陽冲和・神氣融洽を以て主と為す。若し立穴の處に於て界水の割るや太だ深くして蝦鬚水分明ならず、朝對太だ遠くして拱揖緊密ならず、然れども真氣便ち此に在りて位置移動すること能はざれば、則ち縱ひ穴場極めて高くとも亦須く下りて深取して一丈上下或いは一丈五六尺上下に至り、只前面の朝山・外照と雌雄交度の處を以て深淺を定め、此れを「乘除假借」と謂ふ、全て外照を以て主と為す。其れ棺を墜低して來りて遠砂遠水を承按するを以て、故に葬法の上に「墜宮」と稱す。經文に「低藏高點納前朝、深淺得乘真氣聚」と曰ふは講ずる所は正に此種の情形なり。

又如諸山輻揍,於平洋有大池湖隱注之處,名天仙大會格,以諸龍會於中也。然深廣難下,須要認定氣勢,會定精神,的確何處,可收諸龍之會,可納四方之氣,乃於此立穴培土成墳。其取堂局,立向座,一從諸山之擁護朝案為憑,以其穴乃由聚會處纂定,故法謂之纂宮。經日:飢得飽而陰回,疾遇舒而陽住。蓋如此。幾此皆廖公之大作用處,亦穴法中之變體也。

又如衆山四面輻輳して平洋の中に大池大湖の隱隱として停蓄する有るを「天仙大會格」と謂ふ、衆龍皆此に會聚するを以てなり。然れども水面深廣にして下手し難し、必ず氣勢を認定し精神を會定し、確切に看出して何處にか衆龍の會を收め得べく四方の氣を納得べきかを見て、乃ち彼處に於て立穴し培土して墳と成す。其の堂局と坐向は全て四圍の衆山の擁護朝案を憑って依據と作す。此の穴は會聚の處より「纂定」して出づるを以て、故に葬法の上に「纂宮」と稱す。經文に「飢は飽を得て陰回り、疾は舒に遇ひて陽住まる」と曰ふは講ずる所は即ち此の道理なり。此れ等は皆廖瑀の施爲の大作用の處にして亦穴法の中の變體なり。

上巻十一 兼襯貼之辨、形氣影之詳

星體有正有附,兼襯貼之當辨;穴情有顯有晦,形氣影之宜詳。

入首の星體に正體有り亦附體有り、「兼」(本體の旁に明白に他星を帶出す)・「襯」(別に一物有りて旁に依傍し相襯す)・「貼」(本體の上に微微と一點の星象を貼露す)此の三者は應に辨清すべし。穴情に顯露のもの有り亦隱晦のもの有り、「形穴」(窩鉗乳突の見ゆるもの)・「氣穴」(氣有りて形無きもの)・「影穴」(靈光只影向の間に在るもの)此の三層は應に詳審すべし。

此言入首星辰形體不一,氣各有聚有變,不可不細認也。如今人於入首之星辰,只知五星九星合是何體,便為指籲,不知星辰多無正形。如金星到頭只是全全一個太陰太陽,有何難辨,不知一個星辰有三體之分,曰兼、日襯、曰貼。兼者如金星而轉土轉水,則為兼土兼水,又如金星而拖火拖木,則為兼火兼木。相生則吉,相剋則凶,此於本體上或左或右,或前或腰,明帶而易見者。

これは説く、入首星辰の形體は各々相同ならず、氣も亦各々凝聚有り各々變化有り、細認せざるべからず。今人の入首の星辰を看るは只五星九星に按じて是哪の一體なるかを比對するを知るのみ、指點明白と算するも、知らず星辰は多半純正の形無きを。譬へば金星頭に到れば一個の太陰或いは太陽の形に非ずして何ぞ難辨有らん。然れども知らず、一個の星辰に還た三種の體式の分有りて「兼」「襯」「貼」と謂ふ。所謂「兼」は金星にして土意・水意を轉出せば便ち兼土兼水なり、金星にして火意・木意を拖出せば便ち兼火兼木なり。相生すれば便ち吉、相克すれば便ち凶。此の一類は本體の上に於て或いは左或いは右、或いは前或いは腰に明白帶出して看見し易し。

如貼體則於穴情處僅僅微貼一些,星象乃形之微露處,須細認乃見,如所謂氣塊之類,又如所謂湯中酥、雲中雁之類,此一體而不分者也。正謂星辰之靈光發露處,最宜體認其美惡,俱自本體論生克也。若襯與貼不同,貼不分二件,襯猶分二件也。如所稱視衣之樣,實是二物而又相依,此於依靠襯貼最為親切,其吉凶亦以生克論。論氣者須於襯之得力、貼之有情、兼之有生處精而辨之,乃能得真氣也。

至りて「貼」は則ち穴情の處に於て僅に微微と一點を貼出し、星象は只形の微露の處にして須く細認して乃ち看見を得、所謂「氣塊」の如く又所謂「湯中酥」「雲中雁」の類の如し、此れ本體と合して一片と成りて分開すること能はず。其れ正に星辰の靈光發露の地方にして最も其の美惡を體認すべく、一概に本體に就て生克を論ず。「襯」は「貼」と同からず、貼は兩件の東西を分出すこと能はず、襯は則ち還た兩件を分出すことを得。所謂襯衣の樣子の如く實は兩物にして而又互相依附す、此れ依靠襯貼の上に最も親切にして吉凶も亦一樣に生克を以て論ず。氣を論ずる人は必ず襲の得力・貼の有情・兼の生を得る此の幾處に於て精細辨別して乃ち真氣を得著することを得。兼は明なり、襯は半明半暗なり、貼は則ち幾乎全く微茫の間に在り、三者は顯より微に入り愈々後なるほど愈々認り難し。

又如穴場所在,其證佐有窩鉗乳突,是形之可見者也。古人即依形葬之,所謂形葬是也。至有形而無窩鉗乳突之可證,只微微有凸有塊,又微微有塊有弦,謂之氣穴,以其有氣而無形也,古人便用氣葬之。又有本體星辰全無形亦無氣,帶飽而不開面,然真龍既到,必有真氣,乃至脫落平洋,或在田,或在坪,或在湖渚,隱隱隆隆,靈光若露,如所謂烏月沈江、其光在影之類,此即窗外月明窗內白,水邊花發水中紅之意,全於影上著精神也。

再び説く、穴場の所在は凡そ窩・鉗・乳・突有りて證佐と作す可きは形の見ゆる者にして古人は便ち形に依りて葬る、即ち所謂「形葬」なり。至りて穴有りて窩鉗乳突の憑るべき無く、只微微と些か凸起し些か塊狀有り、又微微に塊有り弦有るを「氣穴」と謂ふ、其れ氣有りて形無きを以て、古人は便ち「氣葬」の法を用ゐる。還た一種有り、本體星辰は既に形も無く氣も無く飽滿して面を開かず、然れども真龍既に此に到れば必ず真氣有り。脫落平洋に到るまで或いは田間に在り或いは坪上に在り或いは湖渚の中に在り、隱隱隆隆として靈光は露るに似て露らず、所謂「烏月江に沉み其の光影に在り」の類の如く、即ち「窗外月明窗内白、水邊花發水中紅」の意にして精神全て影の上に著落す。此種の穴は實處に求めずして虛處に求む、最も認取し難し、古人の形葬・氣葬の外に又別に一門を立つる所以なり。

以此古人又有影光之穴。夫氣穴無形,猶不離乎本體,乃影穴則脫本體而在影向之間。此等微茫,極精極妙,自非道眼,未易言此。今人只知葬形,蓋拘拘蝦鬚、蟹眼說耳,豈知造化之妙變化固無窮哉!

此に因りて古人に又「影光の穴」有り。氣穴は雖も形無きも還お本體を離れず、影穴は則ち已に本體を脫開して只影向の間に在るのみ。此の一類は微茫恍惚にして極精極妙、若し道眼有るの人にあらざれば容易に談論し能はざるなり。今人は只形を葬るを知りて一味死守して蝦鬚・蟹眼の那の一套の説法に、豈に造化の妙・變化本もと無窮無盡なるを曉るや。

上巻十二 蓋帳輪暈、束咽泥丸

蓋帳不開龍不窠,輪暈不覆穴不住,束咽不細氣不聚,泥丸不滿氣不充。

龍若し蓋帳を開出せざれば巢窠の棲む可きなく便ち止住せず、穴上若し一圈の「輪暈」(太極圈)を覆着せざれば穴は住下ることを得ず、入首の處の「束咽」若し收るや極細ならざれば氣は聚攏せず、結穴の處の「泥丸」(化生腦)若し飽滿光潤ならざれば氣は充足せず。此の四句は講ずる所は龍と穴と各々真氣凝結の處所有りて一も缺く可からず。

此言龍穴各有真氣凝結之處所,必不可少者。今人但見山勢所來,便以為龍,不知有龍之蟠,則有龍之巢,必須有帳有蓋,成得一個勢帳,而龍乃止。且龍一經蓋帳,則一向直來狂奔之氣,得此而開肩展翅,暢朗舒徐,煞氣盡脫,生氣自融,乃可結穴。若非蓋帳之龍,不為純陰,必為孤露,自然不結,縱結亦不大也。

これは説く、龍と穴と各々真氣凝結の處所有りて必須にして缺く可からざるなり。今人は只山勢の奔來を見て便ち龍と當て、知らず龍の盤踞有らば便ち龍の巢穴を得ざるべからざるを。必ず帳有り蓋有りて一副の「勢帳」を成せば龍乃ち止住す。況んや龍一たび蓋帳を開出せば、那の一路直來狂奔の氣は便ち肩を開き翅を展げ暢朗舒徐を得、煞氣脫盡して生氣自ら融け、此れ以て乃ち結穴すべし。若し開帳の龍にあらざれば純陰ならざれば必ず孤露にして自然結せず、縱ひ結作有りとも亦大ならず。故に蓋帳は正に龍止まり氣蓄ふの頭一道の憑證なり。

輪暈之說何盼乎?以穴場之所,上有橫紋細路。圓而且彎,若車之輪,然則陰氣不沖,陽氣自暢,昔人所謂穴有三輪,其貴無倫是也。暈即日之暈,有其形,無其形,圓而不缺,滿而不傾,今人所稱太極圈是也,以此認氣,則必不犯乎陰,而穴乃真矣。

「輪暈」の説は又應に怎樣に看るや。穴場の上に橫紋細路有りて圓にして且つ彎り、車輪の一般の如し。之ありて陰氣は便ち冲犯せず陽氣自然通暢す、前人の所謂「穴に三輪有れば其の貴倫無し」は即ち此を指す。「暈」は即ち日暈の暈にして形有るに似て又形無きに似て、圓にして缺けず滿ちて傾かず、即ち今人の稱する所の「太極圈」なり。此れを憑りて氣を認れば便ち必定陰氣を犯さず、穴乃ち真なり。輪は橫紋の棱なり、暈は圓渾の光なり、一は形有り一は形無きに近く、皆真氣の穴の上に覆蓋するの痕迹なり。

夫結咽之說,乃入首束氣之處,如人之喉然。昔人所謂結花結蒂,又譬之吹管者,眾竅齊開,必不成響,惟閉眾孔而放一孔,則可中律而響音乃成,此善喻也。是故龍之結束氣處不可不細。蓋氣不貴聚不能發散,必須束之至細。則氣方聚而穴可結,乃至結穴之處,則又要充滿光潤,如孩兒頭,然必其泥丸精髓滿足,而後頭面之間氣乃充溢,其色乃華,若有一缺陷薄削,則必枯稿,而不可穴矣。於此氣脈入首結作之處,最為緊要,不可不細認者。

至りて「結咽」の説は指す所は入首氣を束ぬるの地方にして人の咽喉の如し。前人の所謂「結花結蒂」は又吹管を拿りて比方と打つ。管上に衆孔齊しく開けば必定吹響せず、只衆孔を閉住して單に一孔を放ちて乃ち音律に合して響聲を發出すことを得——此の比喩は極めて好し。故に龍の氣を束ぬるの地方は細ならざるべからず。氣は先に聚攏せざれば發散すること能はず、必ず束るや極細にして氣乃ち聚住り穴乃ち結成を得。等到りて結穴の地方に至れば又要く充滿光潤して小孩の頭頂の一般の如し。必ず腦中の精髓飽滿して頭面の間の氣乃ち充溢し氣色乃ち華潤たらん。若し一處の缺陷薄削あれば必定枯槁して便ち穴と作ること能はず。氣脈入首結作の此の一段は最も緊要にして細認せざるべからず。蓋帳・輪暈・束咽・泥丸の此の四樣は説き到れば只是れ同一股の生氣の龍に在り穴に在るの四種の憑據なり。

上巻十三 五星水土、九星輔弼、蓋粘倚撞

五星不離水土體,九星常帶輔弼隨。土星不作倚,五星皆有撞,火木不可益,水土豈能粘。

五星(金・木・水・火・土)の結穴は總じて水體と土體を離れず——圓平の處は土(化生腦)なり、界合の處は水(蝦鬚・蟹眼)なり。九星の中に輔星と弼星は常に隱れて其の餘の七星の左右に隨ふ。至りて葬法は土星は「倚」を用ゐるを宜とせず、五星は皆「撞」を用ゐる可く、火體木體は「蓋」を用ゐるを宜とせず、水體土體は又豈に「粘」を用ゐるを得んや。これは星體の總體と分體とに就て分別に葬法を施用し以て生氣を乘取するなり。

此二段乃認星辰之總體分體而葬,以乘氣為一法。夫宇宙間無水不生,無土不成,龍非此不成龍,穴非此不成穴,故凡龍脈入首五星雖各有體,而要之水土必不可無。古人云:或結乳,或結鉗,且要從頭頂蓋圓。凡圓平處即是土體,所謂化生腦是也。又云:不管從頭來不來,只要金魚水蔭腮。幾水界合處便是水體,所謂蝦鬚、蟹眼是也。

此の兩段は星辰の總體と分體とに就て葬法を定め、乘氣の一種の法門と作す。宇宙の間、水なければ生ずること能はず土なければ成ること能はず。龍に水土なければ便ち龍を成さず、穴に水土なければ便ち穴を成さず。故に龍脈入首、五星は各々本體有ると雖も、根に歸り底に至れば水と土は斷じて少なからざるなり。古人の言に「或いは乳を結び或いは鉗を結び、且つ頭頂より蓋圓を要す」——凡そ圓平の處は便ち土體にして即ち所謂「化生腦」なり。又「頭より來る來らざるを管せず、只金魚水の腮を蔭するを要す」——凡そ水界合の處は便ち水體にして即ち所謂「蝦鬚」「蟹眼」なり。

如輔兩二星亦是水土之義。蓋輔星屬金,弱星屬水,在九星中隱而不見,常隨七星之左右,故凡立穴不拘食巨武,勁頭須要輔為之。蓋兩為之承,所謂來金相水,正是此意。此是星辰之總體化合處,最當體認者也。

再如九星の中の輔星・弼星も亦是れ水土の意なり。輔星は金に屬し弼星は水に屬し、九星の中に於て隱れて見えず、常に其の餘の七星の左右に隨ふ。故に凡そ立穴は乘る所が貪狼・巨門或いは武曲なるを論ぜず、頭に到りて總じて輔星有りて蓋覆し弼星有りて承托すること有らん、所謂「金來り水相たる」は正に此の意なり。これ星辰總體化合の處にして最も應に細加して體認すべし。

又如葬法中曰:蓋粘倚撞,今人只相剛柔緩急之勢而施之,便為的當,不知古人作則用星,仍要於星體上體認,如土葬其飢,豈可脫而粘,水葬其湧,豈可緩而粘,土星倚葬則崩,木星蓋腦則破,火星當峰則烈,一或犯此,不為關煞,則為脫氣,此於星辰之分體處各有真機也。

又如葬法の中の所謂「蓋・粘・倚・撞」の四字、今人は只山勢の剛柔緩急に按じて施用して便ち恰當と以為す。知らず古人の立法は星體に就て用ゐるに、仍お須く星體の上に體認すべし。土體は其の飽滿平坦の處を葬るを要す、怎ぞ能く脫開して來りて「粘」を用ゐんや。水體は其の涌起する處を葬るを要す、怎ぞ能く緩緩に「粘」を用ゐんや。土星は倚葬を用ゐれば便ち崩塌し、木星は腦頂に蓋葬を用ゐれば便ち破損し、火星は正に峰頭に當りて下葬すれば便ち燥烈す。一旦此れ等を犯せば關煞に撞著するか非ざれば氣脈を脫す。これ星辰分體の處に各々其の真機有るなり。

上巻十四 坐定坐旺坐煞、全胎保胎破胎

坐定坐旺坐煞,是謂坐法;全胎保胎破胎,是為作法。

「坐定」は怒急の煞を脫開して平坦處に坐す、「坐旺」は平緩弱龍の旺相處に於て乘る、「坐煞」は穴情恰も剛飽或いは金火相交の處に在りて只煞に騎りて取る、此の三樣を「坐法」と謂ふ。「全胎」「保胎」「破胎」の三樣は則ち「作法」と謂ふ。坐法の定むる所は穴の何處に坐するか、作法の定むる所は下手の時如何に裁制するかなり。

此條特語坐穴之法。何謂坐壽?如今強急之能,其氣正怒,怒不可犯,則於坦表之處看其四應,可以穴則穴。昔人所謂脫煞坐宕是也。何謂坐旺?如今平鋪緩嫩之龍,其氣正弱,弱不習一乘,當於旺相處乘之,此是葬法。如蘇湖一帶,凡見岡脊堆阜起處,即為村墳墓,亦是坐旺之法也。

此の一条は專ら坐穴の法を講ず。何をか「坐定」と謂ふや。譬へば强勁急促の龍は其の氣正に盛怒の中に在り、怒氣は冒犯すべからず。那れは則ち平坦の地方に於て四面呼應を察看し、立穴すべければ便ち立穴す、即ち前人の所謂「脫煞坐宕」なり。何をか「坐旺」と謂ふや。譬へば平鋪緩弱柔嫩の龍は其の氣正に衰弱にして弱くて承乘に堪へず、便ち應に旺相の處に於て之を乘ずべし、此れ亦一種の葬法なり。蘇州・湖州一帶の如く、凡そ岡脊堆阜隆起の地方を見れば便ち彼處に於て村を立て墓を建つ、正に坐旺の法なり。

何謂坐煞?有如金以剛飽為煞,而剛飽之上下又無穴情,只得從剛處開金取水而坐之。又如金以火為煞,而穴情又在金火相交之處,只得挨金剪火,劈火嘴而騎之,即如騎形之法是也。何謂全胎?如龍卸平洋,則煞氣盡脫,至入首之處,如印拿金盆之穴,又屬純陽,則用客堆培成坡,即古開井怕見土之法,是謂全胎。

何をか「坐煞」と謂ふや。譬へば金星は剛硬飽滿を以て煞と為し、而も剛飽の處は上下に又穴情の取る可き無ければ、那れは只得剛硬の處に於て金を開き水を取りて坐し下る。又如金星は火を以て煞と為し、而も穴情恰も金火相交の處に在れば、那れは只得金體に挨りて火氣を剪去し火嘴を劈開して騎上す、即ち「騎形」の法なり。何をか「全胎」と謂ふや。譬へば龍は平洋に卸落して煞氣已に脫盡し、入首の處に到りて「印」形・「金盆」形の穴の如く又純陽に屬せば、那れは客土を用ゐて堆培して坡と成す、即ち古人の「井を開くに土を見るを怕る」の做法、此れを全胎と謂ふ。

何謂保胎?如金珠嵌花答之類,半吞半吐而乘之,珠從旁入,花從正入,一廣分之氣,只取其四,是謂保胎。何謂破胎?如今頑金孤裡之類,陰氣居多,不大開深取水而成陽穴,則不可下,是謂破胎。全胎如梧桐子之結於葉上,輕浮而胎全露也;保胎如連子之藏於逢房,微露而大半合胎中;破胎如栗子之包於刺包,胡桃肉之藏於堅殼,必破胎而出,乃得髓體也。

何をか「保胎」と謂ふや。譬へば金珠を花蕊に嵌むる類の形は半吞半吐にして之を乘ず——珠形は旁邊より入り花形は正面より入り、一片寬廣の氣は只其の中の一小分を取る、此れを保胎と謂ふ。何をか「破胎」と謂ふや。譬へば頑硬の金體・孤露の星體の類は陰氣居多にして、若し大開深取して陽穴と作り成さざれば便ち下葬すること能はず、此れを破胎と謂ふ。全胎は梧桐子の葉の上に結ぶが如く輕浮して胎已に全露なり、保胎は蓮子の蓮蓬房の中に藏まるが如く微露して大半仍お胎の裡に合し、破胎は栗子の刺帶の殼斗の中に包まれ核桃肉の堅硬の殼の裡に藏まるが如く、必ず胎殼を破開して乃ち取出すことを得、方に其の裡面の精髓を得著すること能くす。

上巻十五 脫殼借胎、投母救母

挨生旁氣,成為脫殼借胎,或為子投母腹;脫煞連生,或為借母養子,或為以子救母。

生氣に挨傍して旁邊の氣を取る、或るは「脫殼借胎」と為る——孤硬の外殼を脫去し孤を開き水を取りて別に一胎を借る、或るは「子投母腹」と為る——木は搖蕩して水を帶ぶる處に葬り、水は堅實金の如き處に葬る。煞氣を脫去して生氣に接上する、或るは「借母養子」と為る——木體に金を帶び金を破り水を取りて以て木を蔭す、或るは「以子救母」と為る——金體に火を帶び大に水穴を開きて以て火を制す。此の四法は皆乘氣の時の挨生化煞の活用なり。

此為乘氣中挨生化煞之妙用也。何謂脫殼借胎?即九星論,如天罷乃孤罡,何以成胎?必開孤取水,則受氣斯脫,而水乃成胎,放謂之脫殼借胎也。何謂投母腹?如木星而帶蕩,水星而帶金,則原有胎育而子可投,故木不葬木,而莽木之搖盪有水處,水不葬水,而葬水之堅實如金處,非謂子投母腹乎I

これ乘氣の中の挨生化煞の妙用なり。何をか「脫殼借胎」と謂ふや。九星に就て論ずれば「天罡」の如きは孤硬の罡星にして怎ぞ能く胎を成さんや。必ず孤を開き水を取りて受來の孤硬の氣を脫掉し、水に由りて別に一胎を成す、故に脫殼借胎と謂ふ。何をか「子投母腹」と謂ふや。木星にして搖蕩の水意を帶び、水星にして堅實の金意を帶ぶるが如く、本身は元より胎育有れば子は便ち投入するを得。故に木體は木の上に葬らずして木の搖蕩して水有るの地方に葬り、水體は水の上に葬らずして水の堅實金の如き地方に葬る——此れ即ち子の母腹に投ずるならずや。

何謂借母養子?即以五星論,如木體帶金者,必破金取水以蔭木,是木受病不能養其子,而特借取水穴以蔭之,所謂借母養子也。何謂以子救母?如金體而帶火者,必於金火相間之處,大開水穴以制之,昔人有取水鎮火之法,正謂此耳。

何をか「借母養子」と謂ふや。五星に就て論ずれば木體にして金を帶ぶるが如きは必ず金體を破開し水を取りて來りて木を蔭養するを須とす——此れ木の自身病を受けて其の子を養ふこと能はず、故に特に一個の水穴を借りて來りて之を蔭護す、此れを借母養子と謂ふ。何をか「以子救母」と謂ふや。金體にして火を帶ぶるが如きは必ず金火相間の地方に於て大に水穴を開きて火を制住るを須とす、前人に「水を取りて火を鎮む」の法有り、説く所は正に此の道理なり。

夫金母遇火難而得水之為子者,且解且制,則煞不為我害而可化為權,又合作用中留煞為官之說矣。此非謂煞不必去也,以能剪鏟刑煞而制之,測在前可作官星,在左右便可作暖氣耳。夫造化無全功,安得星辰盡是純粹,只要曉得超生而避死,蛻煞而逢生,乃為裁成造化之殊功也。

金は母と為りて火難に遭ふ、水に屬する「子」を得て來り又解し又制すれば、煞は便ち再び我を害せず、反って權柄と化すること可なり、此れ又作用の中の「煞を留めて官と為す」の説法に合す。此れは並びに煞の去る可きを説くにあらず、能く刑煞を剪剷し節制を加へて後、煞若し穴前に在らば便ち「官星」と作し、左右に在らば便ち「曜氣」と作すべし。造化は本もと十全の功用なく、星辰は豈に個個純粹ならんや。只趨生避死・煞を蜕して生に逢ふを懂得せば、那れは即ち造化を裁成するの特殊本領なり。故に善く用ゐる人は煞有るを怕れず、只怕む煞を用ゐることを會せざるを。

上巻十六 脫龍就局、撩山劈硬

脫龍就局納前朝,只為半偽半真;撩山劈硬處平基,只畏直來直受。

來龍を脫開して局面に遷就し以て前面の朝山を納取するは、入首の脈半真半偽を以てなり——朝對は真なり、來脈は卻て駁雜不純なり。山土を撩去し硬脊を劈開して一塊の平基を退作するは、怕る所は正に「直來直受」なり——脈は陰にして硬直に冲來し煞氣太重なり。前の一句は進退消納の取捨を講じ、後の一句は剪裁避煞の作法を講ず。

此以前朝後勢而為乘氣中之進退消納,亦一法也。凡葬貴棺不離脈,而此之脫龍就局者,乃入首之脈,駁雜不純,直到一二節上乃為真脈,而前朝卻可取,是朝真而入首之脈非真也,如必直頂其脈,則初年不利,當於穴中放出棺二三尺,大作堆金以納前朝,且受水法之吉,以發初年為是。

これは前面の朝對と後面の來勢とに就て乘氣の中の進退消納を講ず、亦一種の法門なり。凡そ下葬は棺の脈を離れざるを貴ぶ、而も此處の説く「脫龍就局」は入首の脈駁雜不純にして最後の一二節に到りて乃ち真脈と為り、而も前面の朝山は卻て大いに取用すべきを以てなり——これ朝對は真と為りて入首の脈は真ならざるなり。此の時若し必ず正しく那の条の脈を頂いて下葬せんとせば初年便ち利あらず、應に穴中に於て棺を外に放出して二三尺し大いに堆金培土を作りて以て前面の朝山を納め、同時に又能く水法の吉を受けて初年に福を發せしむべし。

凡葬貴氣不脫脈,而此盲撩山劈硬、退出平基以為穴者,乃入首之脈陰來直硬則煞重。又如子龍作午向,謂之子午淋頭煞,則葬之必凶,故須撩山劈硬以作平基,將棺退出平基立穴,則無關煞沖棺之禍。或穴從兩邊微斜,又或上砌虛擴,下葬真棺,庶可避煞,乃為直來直受之作法也。古人有形葬,有法葬,夫順其穴之生成而葬者為形葬,或劈削或堆培而葬者為法葬,此皆古人作用之妙處,不可不理會也。

凡そ下葬は又氣の脈を脫せざるを貴ぶ、而も此處の説く「撩山劈硬・平基を退出」して穴を作るは入首の脈が陰に屬して來るや直硬にして煞氣太重なるを以てなり。又如子龍に午向を作るを「子午淋頭煞」と謂ふ、此の如く葬り下れば必ず凶なり。故に必ず山土を撩去し硬脊を劈開して一塊の平基を作出し、棺を平基の上に退けて立穴せば便ち關煞棺を冲するの禍なし。或いは穴を兩邊より略々一點斜過し、或いは上面を砌成して虛擴し下面に乃ち真棺を葬るも、亦煞を避くることを得——此れ即ち「直來直受」に對付するの作法なり。古人に「形葬」有り「法葬」有り。穴の天然生成に順て葬るを形葬と謂ひ、或いは劈削し或いは堆培して而して後葬るを法葬と謂ふ。此れ皆古人の施爲の妙處にして理會せざるべからず。

上巻十七 湯中浮酥、水面蟠蛇

平洋之氣,嘗舒嘗散,須要湯中浮酥;山壟之氣,嘗急嘗斂,當看水面蟠蛇。

平洋の地の氣は總じて舒展して散じ易し、故に那の熱湯の上に一塊の酥油浮き隱隱隆隆微微と聚起するが如き地方を尋ぬるを要す。山壟の地の氣は總じて急促して收斂す、故に那の水面に一条の蛇蟠るが如く活にして死せず盤旋して直硬無き地方を看るを要す。これは氣の聚散緩急に就て穴中の微茫を認るなり。

此以氣之聚散緩急而認穴之微茫。《葬書》中所云葬乘生氣者,正在於此。夫平洋之地,陽勝乎陰,故以斂而聚為有氣,如所云:“隱隱隆隆,穴在其中”之說,須要體認。蓋所謂隆隆者,正謂隱隱之中而有此豐露之象,古人取象於如酥在湯,艮有見也。《葬書》云吉氣所起,起即隆隆之謂、酥在湯之謂也。不然則亦鋪氈展席,散漫無收而已,何謂穴乎!

これは氣の聚散緩急に就て穴中の微茫の處を認るなり。《葬書》の所謂「葬は生氣に乘る」は正に此處に落つ。平洋の地は陽が陰に勝る、故に收斂して聚まるを以て氣有りと為す。所謂「隱隱隆隆、穴其の中に在り」の説法の如きは須く細細に體認すべし。所謂「隆隆」は正に隱約の中に而有りて那の一點豐潤顯露の氣象を指す。古人の取象する「酥の湯に在るが如し」は確實に見地有るなり。《葬書》に「吉氣の起る所」と曰ふ、此の「起」は即ち隆隆の樣子・酥の湯上に浮ぶ樣子なり。若し是の如くならざれば則ち只是れ氈を鋪き席を展ぐるが一般に散漫無收にして豈に穴と稱するに足らんや。平洋の穴を認るの難は正に此の一點の微起の上に難しとす。

至如山壟之勢,陰勝乎陽,不嫌脈之不到,而嫌氣之不和,所以多煞,故須結穴之所圓融平坦,不險不迫,有如水面播蛇之狀,活而不死,靜而不動,盤旋而無直硬,渾渾一個太極之圈,則形舒氣和而煞盡脫矣。古人所謂山壟之龍,葬氣不葬形者,正謂此意,此認穴之秘訣也。

至りて山壟の勢は陰が陽に勝り、脈の頭に到らざるを怕れず只怕む氣の平和ならざるを、故に多く煞氣を帶ぶ。此に因りて必ず結穴の地方を圓融平坦にして險峻ならず逼迫ならず、水面上に一条の蛇の蟠る樣子の如くせしむべし。活にして死せず靜にして動かず、盤旋回繞して直硬無く、渾然として一個の太極圓圈と為り、是の如く形舒かに氣和らぎ煞氣も亦脫盡す。古人の所謂「山壟の龍は氣を葬りて形を葬らず」は正に此の意にして是れ穴を認るの秘訣なり。見るべし、平洋は散漫の中に於て其の聚を求め、山壟は急斂の中に於て其の和を求むるを要す。一は無の中より有を看出し、一は剛の中より柔を看出す。

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