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中说 · 第2巻

隋 · 王通 · 第2巻 / 7

文中子曰甚矣王道難行也吾家頃銅川六世矣【上黨有銅堤縣】未嘗不篤於斯【斯文】然亦未嘗得宣其用【不遇時】退而鹹有述焉則以志其道也【志記】蓋先生之述曰時變論六篇其言化俗推移之理竭矣江州府君之述曰五經決録五篇其言聖賢制述之意備矣晉陽穆公之述曰政大論八篇其言帝王之道著矣同州府君之述曰政小論八篇其言王霸之業盡矣安康獻公之述曰皇極讜義九篇其言三才之去就深矣銅川府君之述曰興衰要論七篇其言六代之得失明矣【自先生至銅川文中子世家言之備矣時變論至興衰要論今皆亡六代晉宋後魏北齊後周隋也】餘小子獲覩成訓勤九載矣【大業九年自長安歸著六經至九年功畢】服先人之義稽仲尼之心天人之事帝王之道昭昭乎【因祖徳考聖師而明】子謂董常曰吾欲修元經稽諸史論不足徵也【董常字履常弟子亞聖者元經春秋異名也義包五始故曰元經史論謂厯代史臣於紀傳後贊論之類是也】吾得皇極讜義焉【去就適中權衡褒貶】吾欲續詩考諸集記不足徵也【前賢文集所記】吾得時變論焉【化俗推移以正風雅】吾欲續書按諸載録不足徵也【史官載言所録】吾得政大論焉【王言大道其制明白】董常曰夫子之得蓋其志焉【非以文體】子曰然子謂薛收曰昔聖人述史三焉【薛收字伯褒隋內史道衡之子昔聖謂孔子】其述書也帝王之製備矣故索焉而皆獲【史有記言求言則制度得矣】其述詩也興衰之由顯故究焉而皆得【史有明得失窮政化則詩明矣】其述春秋也邪正之跡明故考焉而皆當【史有記事稽邪正則法當矣】此三者同出於史而不可雜也故聖人分焉【載言載事明得失皆史職也職同體異故曰分】文中子曰吾視遷固而下述作何其紛紛乎【史記漢書而下文體相模無經制紛紛多且亂】帝王之道其暗而不明乎天人之意其否而不交乎制理者參而不一乎陳事者亂而無緒乎【四者由紛亂故】子不豫【屬疾】聞江都有變【大業十三年煬帝幸江都宮宇文化及弒逆】然而興曰生民厭亂久矣【自漢末亂至隋胡畎反】天其或者將啟堯舜之運吾不與焉命也【唐太宗行堯舜之道而文中子已死】文中子曰道之不勝時久矣吾將若之何【自孔子孟軻已來不勝時故曰久矣】董常曰夫子自秦歸晉宅居汾陽然後三才五常各得其所【秦長安隋都也晉汾陽子鄉也三才五常謂續經】薛收曰敢問續書之始於漢何也子曰六國之弊亡秦之酷吾不忍聞也又焉取皇綱乎【六國燕王喜魏王假齊王建楚王負芻韓王安趙王嘉也亡秦始皇也秦竊皇之名無綱紀之實】漢之統天下也其除殘穢與民更始而興其視聴乎【變民耳目使知有王道興】薛收曰敢問續詩之備六代何也【六代注見上】子曰其以仲尼三百始終於周乎【三百篇週一代】收曰然子曰餘安敢望仲尼然至興衰之際未嘗不再三焉故具六代始終所以告也【告猶貢也貢其俗於時君】文中子曰天下無賞罰三百載矣【自晉惠帝永平元年至隋開皇十年凡三百載】元經可得不興乎【言必興】薛收曰始於晉惠何也【惠帝名衷武帝子也政由賈后天下大亂故元經起於此】子曰昔者明王在上賞罰其有差乎【言不差】元經褒貶所以代賞罰者也其以天下無主而賞罰不明乎【晉忠猶無王】薛收曰然則春秋之始周平魯隠其志亦若斯乎【周平王幽王之子王室衰防東遷居洛魯隠公惠公之子平王同時】子曰其然乎而人莫之知也【後人不知代行衰周之法謂東周始王讓國賢君非也】薛收曰今乃知天下之治聖人斯在上矣天下之亂聖人斯在下矣【周公上仲尼下】聖人達而賞罰行聖人窮而褒貶作皇極所以復建而斯文不喪也【春秋無經行禮法之皇極】不其深乎再拜而出以告董生董生曰仲尼沒而文在茲乎【前聖後聖一也】文中子曰卓哉周孔之道其神之所為乎【孟子曰大而化之謂聖而不可知之謂神】順之則吉逆之則兇【神在易中】子述元經皇始之事嘆焉【後魏初年】門人未達叔恬曰【王凝字叔恬子之弟也為御史彈侯君集為長孫無忌所惡出為太原令王氏家書稱太原府君】夫子之嘆蓋嘆命矣書云天命不於常惟歸乃有徳戎狄之徳黎民懐之三才其舍諸【後魏徳被黎民亦天地命之也人其舍之乎】子聞之曰凝爾知命哉子在長安楊素蘇防李徳林皆請見【楊素字處道煬帝時為司徒専朝政蘇防字伯尼善鐘律隋樂多從防議李徳林字公輔佐命掌軍書為儀同頗自負三人知文中子賢來請謁見】子與之言歸而有憂色門人問子子曰素與吾言終日言政而不及化【上正下曰政下從上曰化】夔與吾言終日言聲而不及雅【知音為聲知徳為雅】徳林與吾言終日言文而不及理【修詞為文知道為理】門人曰然則何憂子曰非爾所知也二三子皆朝之預議者也【預朝政】今言政而不及化是天下無禮也【知正人不知使人從】言聲而不及雅是天下無樂也【知文音不知和徳】言文而不及理是天下無文也【知華辭不知實道】王道從何而興乎吾所以憂也【禮壊樂崩文喪天下可憂】門人退子援琴鼓盪之什【蕩傷周室大壊之詩也天下蕩蕩無綱紀文章援於春反】門人皆霑襟焉【哀隋將亡霑知廉反】子曰或安而行之【聖人安仁】或利而行之【賢人利仁】或畏而行之【中人強仁】及其成功一也稽徳則逺【功則同而聖賢中人之徳異】賈瓊【門人未見】習書至桓榮之命【續書有桓榮之命篇榮字春卿漢光武太子】曰洋洋乎光明之業【光武明帝】天實監爾能不以揖讓終乎【初光武立東海王強為太子強讓其弟陽陽立是謂明帝蓋天命授陽而使榮之所以終讓成美也】繁師【未見】將著北齊録以告子【李徳林父子俱有北齊書王邵有北齊志師撮其要為録】子曰無苟作也【勿苟且表文詞而已】越公以食經遺子子不受曰羮藜含糗無所用也答之以酒誥及洪範三徳【越公楊素也食經淮南王撰盧仁宗崔浩亦有之酒誥雲越小大邦用喪亦罔非酒惟辜洪範三徳雲臣無有作福作威玉食其害於而家兇於而國時素專政故因答食經以戒之】子曰小人不激不勵不見利不勸【勵勸皆勉也】靖君亮問辱【門人未見】子曰言不中【不中節】行不謹【不謹宻】辱也【言行榮辱之主也】子曰化至九變王道其明乎【變變於道也孔子曰三年冇成九成二十七年僅必世之仁矣故曰王道明】故樂至九變而淳氣洽矣【樂仁之聲也】裴晞曰何謂也【晞子之舅未見】子曰夫樂象成者也象成莫大於形而流於聲王化始終所可見也【象成功而形容其徳一而變九而成見王化之然】故韶之成也虞氏之恩被動植矣烏鵲之巢可俯而窺也鳳皇何為而藏乎【引古驗今】子曰封禪之費非古也【費費耗國用也三代已前無此禮齊桓公欲封太山禪梁甫管仲言七十二君須得逺方珍貢乃可封禪特設詞諫止耳非典禮所載之實】徒以誇天下其秦漢之侈心乎【始皇東巡上太山立石封祠下禪梁甫以頌秦徳漢武帝用齊人公孫卿言封禪登仙遂升中嶽又上太山封土有玉牒使方士求神仙千數無驗而回此皆誇侈以欺天下非事天致誠之本】子曰易樂者必多哀輕施者必好奪【家國皆然】子曰無赦之國其刑必平【無倖免則不深犯】多斂之國其財必削【既富侈則用益耗】子曰廉者常樂無求貪者常憂不足【相反】子曰杜如晦若逢其明王於萬民其猶天乎【杜如晦字克明唐太宗時朝政典章文物皆杜所定】董常房元齡賈瓊問曰何謂也【疑稱天太過】子曰春生之夏長之秋成之冬斂之父得其為父子得其為子君得其為君臣得其為臣萬類咸宜百姓日用而不知者杜氏之任不謂其猶天乎【用元跡物自化天也太宗治平嵗斷死罪二十餘人幾乎刑厝粟鬥三文行道千里不齎糧王道盛矣非如天之効歟】吾察之久矣目光惚然心神忽然【恍惚憂貌】此其識時運者憂不逢真主以然哉【知隋運亡又未遇太宗所以恍忽憂也】叔恬曰舜一歳而巡五嶽國不費而民不勞何也【書稱四嶽此言五舉成數歟】子曰無他道也兵衛少而徵求寡也【簡則用省】子曰王國之有風天子與諸侯夷乎【黍離列於國風夷等也】誰居乎【居音姬禮記曰何居】幽王之罪也【幽王惑褒姒廢申後申侯弒之周遂微】故始之以黍離於是雅道息矣【王國十篇黍離為始】子曰五行不相沴則王者可以制禮矣【治臻皇極則五行各敘故禮行皇極也沴閭計反】四靈為畜則王者可以作樂矣【仁及飛走則龍麟鳯在沼藪故樂形仁聲也】子游孔子之廟【漢已後郡國立孔子祠】出而歌曰大哉乎君君臣臣父父子子兄兄弟弟夫夫婦婦夫子之力也【春秋行法君父尊詩序人倫夫婦正】其與太極合徳神道並行乎【言無窮】王孝逸曰夫子之道豈少是乎【孝逸未見夫子謂文中子也】子曰子未三復白圭乎【責言玷】天地生我而不能鞠我父母鞠我而不能成我成我者夫子也道不啻天地父母通於夫子受罔極之恩【詩云欲報之徳吳天罔極言孔子生民之師大於生我鞠我者之恩】吾子汩彞倫乎【儗人必於其倫不可汩亂謙也】孝逸再拜謝之終身不敢臧否韋鼎請見子三見而三不語恭恭若不足【韋鼎未見不言謂日撃道存】鼎出謂門人曰夫子得志於朝廷有不言之化不殺之嚴矣【不得其言而得其志】楊素謂子曰天子求善御邊者素聞惟賢知賢敢問夫子子曰羊祜陸遜仁人也可使【祜字叔子晉欲平吳以祜督荊州祜綏懐吳人吳之降者欲去則聴之遜字伯言為吳大將軍攻晉襄陽獲生口即還之二賢皆仁】素曰已死矣何可復使【不悟諷已】子曰今公能為羊陸之事則可如不能廣求何益通聞邇者悅逺者來折沖樽爼可矣何必臨邊也【折橫也沖直也麾兵橫直猶辯縱橫晏子用此】子之家六經畢備朝服祭器不假【不假借】曰三綱五常自可出也【正家以正天下】子曰悠悠素餐者天下皆是王道從何而興乎【隋多無功食祿】子曰七制之主其人可以即戎矣【續書有七制皆漢之賢君立文武之功業者髙祖孝文孝武孝宣光武孝明孝章是也】董常死子哭於寢門之外【不可視猶子也哭寢則太親不可視猶朋友也哭野則太疎故折中於寢門之外】拜而受吊【知生者吊彼吊我失其助故拜之】裴晞問曰衛玠稱人有不及可以情恕非意相干可以理遣何如【玠字叔寶善談理有情恕理遣之論】子曰寛矣【量寛而已】曰仁乎【寛似仁】子曰不知也【仁道至大非但寛】阮嗣宗與人談則及逺未嘗臧否人物何如【籍字嗣宗口不論人之過】子曰慎矣【慎言而已】曰仁乎【慎似仁】子曰不知也【仁非止慎】子曰恕哉凌敬【凌敬未見】視人之孤猶已也【以已心為人之心曰恕孟子曰防吾防以及人之防是恕也】子曰仁者吾不得而見也得見智者斯可矣智者吾不得而見也得見義者斯可矣【仁無為而理智達於未亂之前義制於已然之後】如不得見必也剛介乎剛者好斷介者殊俗【剛必果介自異】薛收問至徳要道子曰至徳其道之本乎要道其徳之行乎【行成徳徳成道徳行成身道施天下】禮不云乎至徳為道本【周禮師氏三徳雲】易不云乎顯道神徳行【繫辭雲】子曰大哉神乎所自出也【本諸身曰自出】至哉易也其知神之所為乎【無體則無方】子曰我未見嗜義如嗜利者也【和而有宜曰義反是曰利】子登雲中之城【漢雲中郡唐延州】望龍門之關【河中有龍門縣】曰壯哉山河之固賈瓊曰既壯矣又何加焉子曰守之以道【險不可恃】降而宿於禹廟觀其碑首曰先君獻公之所作也其文典以達【文未見】子見劉孝標絶交論曰惜乎舉任公而毀也任公於是乎不可謂知人矣【劉峻字孝標性率多毀時任昉死有子東里冬衣葛裘孝標作絶交論以譏任公之友然又彰任公不知人耳】見辯命論曰人道廢矣【峻又有辯命論言管輅才髙不遇乃謂窮達由天殊不由人是不知命廢人道也】子曰使諸葛亮而無死禮樂其有興乎【孔明言普天之下莫非漢民志在天下非蜀而已亮未死必可功成治定】子讀樂毅論曰仁哉樂毅善藏其用智哉太初善發其蘊【夏侯字太初著樂毅論言不拔即墨及莒二城者其志以天下為心非兼併齊國而已仁哉美毅不屠城善藏用也智哉美太初能發明毅之仁也】子讀無論曰未知人焉知【阮瞻作無論謂可以辯幽明蓋不知聖人不語之旨】

文中子説く、王道は太だ行い難し。我家銅川に遷ることすでに六世【上黨に銅堤縣有り】。從來此に於て篤厚ならざる無し【此れ即ち斯文なり】も可くも從來能く其の用を宣揚せず【時運に遇わざればなり】、退きては皆著述有りて、以て彼の道を記す【志は即ち記】。先生の著述は《時變論》六篇と曰い、化俗推移の理を講じて説き盡くす。江州府君の著述は《五經決錄》五篇と曰い、聖賢制作述作の意を講じて完備す。晉陽穆公の著述は《政大論》八篇と曰い、帝王の道を講じて顯明す。同州府君の著述は《政小論》八篇と曰い、王霸の業を講じて説き盡くす。安康獻公の著述は《皇極讜義》九篇と曰い、三才の去就を講じて甚だ深し。銅川府君の著述は《興衰要論》七篇と曰い、六代の得失を講じて甚だ明白なり【先生より銅川に至るまで、《文中子世家》の説く所甚だ完備す。《時變論》より《興衰要論》に至るまで如今皆亡佚す。六代は晉・宋・後魏・北齊・後周・隋を指す】。我小子は現成の訓誨を見るを得て、勤勉することすでに九年【大業元年に長安より回りて六經を著し、九年に至りて功成る】。先人の義に服膺し、仲尼の心を稽考して、天人の事・帝王の道は昭昭然として明白なり【祖德に憑藉し聖師を考求して明白す】。子は董常に對えて曰く、「我《元經》を修めんと欲す。各史の論贊を稽考して徵驗するに足らず【董常は字は履常、弟子の聖人に亞ぐ者。《元經》は《春秋》の異名、義は五始を包含す。故に《元經》と曰う。史論は歷代の史臣が紀傳の後に在る贊論の類を指す】。我《皇極讜義》を得たり【去就適中にして、褒貶を權衡す】。我《詩》を續かんと欲す。各家の集記を考求して徵驗するに足らず【前代の賢人の文集の記す所】。我《時變論》を得たり【化俗推移して、以て風雅を端正す】。我《書》を續かんと欲す。諸種の載錄を按じて徵驗するに足らず【史官の載言の錄す所】。我《政大論》を得たり【王者の言・大道にして、制度明白なり】」と。董常曰く、「夫子の得る所は、蓋し彼の志ならんか【文體に靠るにあらず】」と。子曰く、「是れなり」と。子は薛收に對えて曰く、「從前聖人の史を述ぶるに三種有り【薛收は字は伯褒、隋の内史薛道衡の子。從前の聖人は孔子を指す】。彼の《書》を述ぶるは、帝王の制度完備す。故に求索すれば皆獲るを得【史に記言有り、言を求めれば則ち制度得られり】。彼の《詩》を述ぶるは、興衰の緣由顯明す。故に追究すれば皆得るを得【史に得失を標明し政化を窮むる有れば、則ち《詩》就いて明らかなり】。彼の《春秋》を述ぶるは、邪正の形迹顯明す。故に考求すれば皆恰當す【史に記事有り、邪正を稽考すれば、則ち法就いて恰當す】。此の三者は同じく史に出づるも、混雜すべからず。故に聖人分ちたり【載言・載事・得失を標明するは皆史職、職同じくして體異なり。故に分と曰う】」と。文中子曰く、「我司馬遷・班固以下の述作を觀るに、何ぞ紛紛亂亂たるや【《史記》《漢書》以下の文體は互相模仿して經制無し。紛紛として既に多く又亂る】。帝王の道は暗くして明ならざるか。天人の意は隔てて交わらざるか。制理の人は參錯して一統せざるか。陳事の人は雜亂して頭緒無きか【四者皆紛亂に由る】」と。子不豫す【病に染む】。江都に變有るを聞きて【大業十三年煬帝江都宮に至り、宇文化及弑逆す】瞿然として起ち、曰く、「生民の動亂を惡む久し【漢末の亂より隋に至る。注音:此の字は胡畎反、即ち瞿】。天或いは將に堯舜の運を開かんとす。我與らず。是れ命なり【唐太宗堯舜の道を行い、而して文中子すでに死せり】」と。文中子曰く、「道の時に勝つ能わざるは已に久し。我將に何を爲さん【孔子・孟軻以來已に時に勝つ能わず。故に久しと曰う】」と。董常曰く、「夫子秦地より晉地に回り、汾陽に宅居す。然る後三才五常各自ら其の所を得【秦は長安を指し、隋の都城なり。晉は汾陽を指し、夫子の鄉里なり。三才五常は續經を指す】」と。薛收曰く、「敢えて問う、續《書》は漢より始まるは何ぞや」と。子曰く、「六國の弊壞・亡秦の酷虐は、我聞くに忍びず。又何處よりか皇綱を取らん【六國は燕王喜・魏王假・齊王建・楚王負芻・韓王安・趙王嘉、亡秦は秦始皇。秦は皇の名號を竊取して、綱紀の實無し】。漢天下を統べて、殘穢を除去し、民與更始して、其の視聽を興起せん【民の耳目を改變して、王道興る有るを知らしむ】」と。薛收曰く、「敢えて問う、續《詩》は六代を備えるは何ぞや【六代の注は上に見ゆ】」と。子曰く、「蓋し仲尼の三百篇は始終皆周に在るを因るか【三百篇は周一代なり】」と。薛收曰く、「是なり」と。子曰く、「我何ぞ敢えて仲尼を望まん。可し興衰の際に至りては、未だ嘗て再三意を致さずんばあらず。故に六代の始終を備えて、以て告ぐ【告は猶お貢、彼の風俗を時君に貢ぐ】」と。文中子曰く、「天下賞罰無きこと三百年【晉惠帝永平元年より隋開皇十年に至りて共に三百年】。《元經》能く興らざらんや【是れ必ず興ると説く】」と。薛收曰く、「晉惠帝より始まるは何ぞや【惠帝の名は衷、武帝の子、政は賈后に由り、天下大亂す。故に《元經》此より起る】」と。子曰く、「從前明王上に在りて、賞罰豈に差錯有らんや【是れ差錯無きを説く】。《元經》の褒貶は以て賞罰に代るを爲す。蓋し天下主無くして賞罰明白ならざるを因るか【晉室は王無きに等し】」と。薛收曰く、「然らば則ち《春秋》は周平王・魯隱公に始まる。彼の志も亦是の如しや【周平王は幽王の子、王室衰微して東に遷り洛に居る。魯隱公は惠公の子、平王と同時なり。底本「衰防」の「防」は「微」の訛】」と。子曰く、「是の如きか、而して人誰か知る有らん【後人は是れ衰周の法を代行するを知らず、卻って東周の始王・國を讓る賢君と説く。則ち是ならず】」と。薛收曰く、「如今纔かに知る。天下治まれば聖人便ち上に在り、天下亂れれば聖人便ち下に在る【周公は上に在り、仲尼は下に在り】。聖人顯達すれば則ち賞罰施行し、聖人困窮すれば則ち褒貶興起し、皇極此に因りて重新して建立し斯文喪われず【《春秋》は王者の經無きも、卻って禮法の皇極を實行す】。此れ深からざらんや」と。再拜して出で、此の話を董生に告ぐ。董生曰く、「仲尼沒せりと雖も、文卻って茲に在るか【前聖後聖は一つなり】」と。文中子曰く、「卓越せりかな、周孔の道、蓋し神の爲す所ならんか【孟子曰く、大にして之を化するを聖と謂い、知るべからざるを神と謂う、と】。之に順えば則ち吉、之に逆えば則ち凶【神は《易》の裡に在り】」と。子《元經》の裡皇始の事を述ぶるに、歎息す【後魏の初年】。門人明白せず。叔恬曰く【王凝は字は叔恬、子の弟、御史と爲りて侯君集を彈劾し、長孫無忌に惡まれて、出でて太原令と爲る。《王氏家書》は彼を稱して太原府君】、「夫子の歎息は、蓋し命を歎くなり。《尚書》に天命常ならず、ただ德有る者に歸すと曰く。戎狄德有れば黎民便ち彼に歸向す。三才豈に舍棄せんや【後魏の德は黎民を覆蓋す。亦是れ天地彼に命するなり。人豈に彼を舍棄せんや】」と。子之を聞きて、曰く、「凝や、汝命を知れるなり」と。子長安に在りて、楊素・蘇夔・李德林皆進見を請求す【楊素は字は處道、煬帝の時司徒と爲りて朝政を專擅す。蘇夔は字は伯尼、鍾律に精通し、隋の樂多く其の議論に從う。底本は「蘇防」と作す、即ち蘇夔。李德林は字は公輔、佐命して軍書を掌り、儀同と爲り、頗る自負す。三人文中子の賢なるを知りて、前に來りて見を求む】。子彼ら與交談して、回りて臉上憂色有り。門人子に問う。子曰く、「楊素我與終日談ずるも、ただ政を講じて化に及ばず【上端正して下端るを政と曰い、下上に從うを化と曰う】。蘇夔我與終日談ずるも、ただ聲を講じて雅に及ばず【音を知るは聲、德を知るは雅】。德林我與終日談ずるも、ただ文を講じて理に及ばず【詞句を修飾するは文、是を知るは理】」と。門人曰く、「然らば則ち何を憂うるや」と。子曰く、「汝らの知る能う所にあらず。此の數位は皆朝廷に議論を預聞する人【朝政に參預】なり。如今政を講じて化に及ばざれば、是れ天下禮無し【ただ人を端正するを知りて、人をして從わしむるを知らず】。聲を講じて雅に及ばざれば、是れ天下樂無し【ただ聲音を文飾するを知りて、和諧の德を知らず】。文を講じて理に及ばざれば、是れ天下文無し【ただ華麗の辭藻を知りて、實際の道を知らず】。王道何處より興らんや。我の憂うる所以なり【禮壞し樂崩れ文喪わる、天下憂う可し】」と。門人退き下る。子琴を拿りて來りて《蕩》此の什を彈奏す【《蕩》は周室大壞を傷悼するの詩。天下蕩蕩として綱紀文章無し。注音:「援」は于春反】。門人皆淚衣襟を濕す【隋の將に亡びんとするを哀傷す。注音:「沾」は知廉反】。子曰く、「或いは安然として以て實行し【聖人は仁に安んず】、或いは利に因りて以て實行し【賢人は仁に利す】、或いは畏に因りて以て實行す【中人は勉强して仁を爲す】。成功に及んで是一樣、德を稽考すれば差は遠し【功は相同じくして聖賢・中人の德は同じからず】」と。賈瓊【門人、事迹未だ見ず】《書》を學習して、《桓榮之命》に至りて【續《書》に《桓榮之命》篇有り。桓榮は字は春卿、漢光武の太子の師傅。底本此の字轉録後に失われた、即ち傅】曰く、「洋洋乎、光明の事業【光武・明帝】なり。天實に汝を監視す。能く揖讓に因りて終結せざらんや【初め光武東海王彊を立てて太子と爲す。彊弟の陽に讓り、陽立てらる。即ち明帝なり。蓋し天命は陽に授け、而して桓榮をして師傅を爲らしむ。故に終に讓に因りて以て美を成全せり】」と。繁師玄【事迹未だ見ず】將に《北齊錄》を著さんとす。來りて子に告ぐ【李德林父子皆《北齊書》有り、王劭に《北齊志》有り、繁師玄要點を撮取して錄と作成す】。子曰く、「苟且に著作する勿れ【ただ苟且に文詞を表露するのみにする勿れ】」と。越公《食經》を把りて子に送る。子受けずして曰く、「野菜の羹を啜り乾糧を含むは、用處無し」と。《酒誥》と《洪範》三德を以て回答す【越公は即ち楊素。《食經》は淮南王の撰む所、盧仁宗・崔浩も亦有り。酒誥に曰く、小大の邦國喪亡するも、亦酒の罪過を造成するにあらざる無し、と。《洪範》三德に曰く、臣子福を作し威を作し玉食する無し。彼は汝が家に害を及ぼし汝が國に凶を及ぼさん、と。當時楊素政を專らにす。故に《食經》に回答するに借りて以て彼を告誡す】。子曰く、「小人は激勵せざれば則ち奮勉せず、利を見ざれば則ち勸勉せず【勵・勸は皆勉なり】」と。靖君亮何をか辱と爲すを問う【門人、事迹未だ見ず】。子曰く、「言中たらず【節に中たらず】行謹まず【謹慎周密ならず】、即ち辱なり【言行は榮辱の主宰なり】」と。子曰く、「敎化九變に至れば、王道蓋し顯明ならんか【變は道に變ずるなり。孔子三年にして成有りと曰く。九成は二十七年、纔かに必世の後仁に近し。故に王道明と曰う】。故に樂九變に至れば、淳氣和洽す【樂は仁の聲音なり】」と。裴晞曰く、「何の意ぞや【晞は子の舅舅、事迹未だ見ず。底本此の字轉録後に失われた、即ち傅】」と。子曰く、「樂は成功を象徵するなり。成功を象徵するに、形より大きく又聲に流布するに如くは莫し。王化の始終此に由りて見るべし【成功を象徵して其の德を形容す。一にして變じ九にして成る。王化の樣子を見る】。故に《韶》の成る時、虞氏の恩惠動物植物を覆蓋し、烏鵲の巢は頭を低くして窺看すべく、鳳凰何をか尚お隱藏せん【古を引きて以て今を驗證す】」と。子曰く、「封禪の耗費は古代より有るにあらず【費は國用を耗費す。三代以前此の禮無し。齊桓公泰山に封し梁父に禪せんと欲す。管仲七十二君は必ず遠方の珍貢を得て乃ち封禪すべしと曰い、特に此の話を説きて以て諫止す。典禮の記載する實事にあらず】。ただ以て天下に向かいて夸耀するのみ。蓋し秦漢の侈心ならんか【始皇東に巡り泰山に上り、石を立てて封祠し、下りて梁父に禪し、以て秦德を頌す。漢武帝は齊人公孫卿の話を用いて、封禪して登仙を求め、於是に中岳に升り、又泰山に上りて土を封じ、玉牒有り、方士を派して神仙を求むること上千人、應驗無くして回る。此ら皆夸侈にして以て天下を欺く。天に事え誠を致すの本にあらず】」と。子曰く、「快樂し易き者は必ず哀多く、施予し易き者は必ず奪取を好む【家も國も皆是の如し】」と。子曰く、「赦免無きの國は其の刑必ず平なり【幸免無ければ則ち深深犯さず】。聚斂多きの國は其の財必ず削減す【すでに富侈なれば用度更に耗費す】」と。子曰く、「廉潔の人は常常として求無きを樂しみ、貪婪の人は常常として足らざるを憂う【相反す】」と。子曰く、「杜如晦若し明王に遇上らば、萬民に於て蓋し天の如くならんか【杜如晦は字は克明。唐太宗の時朝政の典章文物は皆杜の定む所】」と。董常・房玄齡・賈瓊問いて曰く、「何の意ぞや【天と稱する太だ分に過ぐと疑う】」と。子曰く、「春之を生じ、夏之を長ぜしめ、秋之を成し、冬之を斂め、父之を得て父と爲り、子之を得て子と爲り、君之を得て君と爲り、臣之を得て臣と爲り、萬類皆適宜し、百姓日に用いて知らざるは、是れ杜氏の職任なり。彼の天に如くと曰わざらんや【作用痕跡を見ず、物自ら變化す。即ち天なり。太宗治平の年死罪を判決すること二十餘人、幾に刑措し、粟一斗三個の錢、行路千里糧食を帶びず。王道盛んなり。天に如くの效驗にあらざらんや】。我察するに甚だ久しく、目光惚然として心神忽然たり【恍惚は憂愁の樣子】。此れ蓋し時運を識る人、眞主に遇わざるを憂うるにして、纔かに此の如きならんか【隋運將に亡びんとするを知りて、又未だ太宗に遇わず。故に恍惚として憂愁す】」と。叔恬曰く、「舜一年に五岳を巡視し、國耗費せず民勞苦せざるは何ぞや【《尚書》は四岳と稱す、此處五と曰うは、成數を擧ぐるか】」と。子曰く、「別に道理無し。兵衛少なく徵求少なし【簡約なれば則ち用度省ゆ】」と。子曰く、「王國風有れば、天子與諸侯平等なるか【《黍離》は國風に列す。夷は即ち平等なり】。是れ誰の造成するぞ【注音:「居」は音姬。《禮記》に「何居」有り】。是れ幽王の罪なり【幽王は褒姒に迷惑せられ、申后を廢し、申侯彼を弑殺す。周便ち衰微す】。故に《黍離》より始まりて、於是に雅道停息す【王國十篇は《黍離》を以て開始と爲す】」と。子曰く、「五行互相傷せざれば、王者便ち以て禮を制すべし【治皇極に達すれば則ち五行各自序有り。故に禮皇極を行う。注音:「沴」は閭計反】。四靈家畜と爲れば、王者便ち以て樂を作るべし【仁飛禽走獸に及べば、則ち龜龍麟鳳沼藪に在り。故に樂成りて仁の聲音と爲る。底本「龜」の字轉録後に失われた】」と。子孔子廟に游び【漢以後郡國孔子祠を設立す】出でて唱えて曰く、「大なるかな。君君臣臣・父父子子・兄兄弟弟・夫夫婦婦は、是れ夫子の力なり【《春秋》は法を實行して君父尊せらる。《詩》は人倫を序して夫婦端正す】。蓋し太極與德を合し神道與並行せんか【是れ無窮を説く】」と。王孝逸曰く、「夫子の道は豈に此を缺少せんや【孝逸の事迹未だ見ず。夫子は文中子を指す】」と。子曰く、「汝は白圭を三たび復誦せざるか【言語污點有るを責む】。天地我を生じて我を養育する能わず、父母我を養育して我を成就する能わず。我を成就するは夫子なり。道はただ天地父母にのみならず、夫子に通達して、無窮の恩を受く【《詩經》に之を報いんと欲する德、昊天罔極と曰く。是れ孔子の生民の師と爲る、恩は我を生み我を養う人より大なりを説く】。吾子常倫を擾亂するか【人を比擬するは必ず其の倫類に比すべく、擾亂すべからず。此れ謙辭なり】」と。孝逸再拜して道歉し、終身敢えて人物を褒貶せず。韋鼎進見を請求す。子見ること三次にして三度言わず。恭恭敬敬として不足の樣子の如し【韋鼎の事迹未だ見ず。言わざるは、是れ目光相接すれば道即ち在るを説く】。鼎出でて門人に對えて曰く、「夫子若し朝廷に於て志を得ば、不言の化・不殺の嚴有らん【其の話を得ざるも、卻って其の志を得り】」と。楊素子に對えて曰く、「天子善く邊を御する人を求む。素聞く、ただ賢人のみ賢人を知ると。敢えて夫子に問う」と。子曰く、「羊祜・陸遜は仁人、使うべし【羊祜は字は叔子、晉吳を平げんと欲して、祜を用いて荊州を督せしむ。祜は吳人を安撫して、吳の投降する者走らんと欲すれば則ち聽任す。陸遜は字は伯言、吳の大將軍と爲り、晉の襄陽を攻めて、俘虜を獲れば便ち送還す。二賢皆仁なり】」と。楊素曰く、「すでに死せり。何ぞ還お能く使わん【是れ自らを諷するを領悟せず】」と。子曰く、「如今公能く羊祜・陸遜の事を爲せば即可。若し能わざれば、廣く求む何の益有らん。通聞く、近處の人喜悅し遠處の人來至す。樽俎の間に於て折衝すれば即可。何ぞ必ずしも邊疆に親臨せん【折は橫、衝は直。軍隊を指揮して橫直するは、猶お辯論の縱橫の如し。晏子嘗て此を用いたり】」と。子の家裡六經完備して、朝服祭器は外に借さず【假借せず】。曰く、「三綱五常は自ら此より出づるべし【家を端正して以て天下を端正す】」と。子曰く、「悠悠然として白飯を喫する人は天下皆然り。王道何處より興らんや【隋朝多く功無くして祿を食む者有り】」と。子曰く、「七制の主は、彼らの人は戎事に就く可し【續《書》に七制有り。皆漢の賢君、文武の功業を立てし者。高祖・孝文・孝武・孝宣・光武・孝明・孝章】」と。董常死す。子寢門の外に於て之を哭す【看待するに兒子の如くすべからず、寢に哭せば則ち太だ親し。看待するに朋友の如くすべからず、野に哭せば則ち太だ疏し。故に寢門の外に折中す】。下拜して吊唁を接受す【活ける人の來り吊うを知る。彼我が助手を失うを吊うを來る。故に拜す】。裴晞問いて曰く、「衛玠は人の達する能わざる所は情を以て寬恕すべく、故意に相犯するにあらざれば理を以て排遣すべしと稱す。如何【衛玠は字は叔寶、玄理を談ずるに善し。情恕理遣の議論有り】」と。子曰く、「寬し【器量寬きのみ】」と。問う、「是れ仁か【寬は仁に似たり】」と。子曰く、「知らず【仁道極めて大、寛のみならず】」と。又問う、「阮嗣宗は人與談ずれば便ち玄遠に説き至りて、嘗て人物を褒貶せず。如何【阮籍は字は嗣宗、口に人の過錯を論ぜず】」と。子曰く、「愼れり【愼言のみ】」と。問う、「是れ仁か【愼は仁に似たり】」と。子曰く、「知らず【仁はただ愼のみならず】」と。子曰く、「恕かな、凌敬【凌敬の事迹未だ見ず】は人の孤兒を看待するに自らの如し【自らの心を以て人の心と當つるを恕と謂う。孟子に吾が老を老として以て人の老に及ぼすと曰く、即ち恕なり。底本「防」は「老」の訛】」と。子曰く、「仁者は我見るを得ざる所なり。能く智者を見るを得ば即可。智者は我見るを得ざる所なり。能く義者を見るを得ば即可【仁は無爲にして理まり、智は未亂の前に通達し、義は已然の後に制裁す】。若し能く見るを得ざれば、必ず剛・介なるべし。剛の人は決斷を好み、介の人は流俗と同じからず【剛は必ず果決、介は自ら異を立つ】」と。薛收至德要道を問う。子曰く、「至德は蓋し道の根本ならんか。要道は蓋し德の實行ならんか【行は德を成就し、德は道を成就す。德行は自身を成就し、道は天下に施行す】。《周禮》は曰わざらんか、至德は道の本と爲ると【《周禮・師氏》の三德の説く所】。《周易》は曰わざらんか、道を顯し德を行い神する所と【《繫辭》の説く所】」と。子曰く、「大なるかな神なるかな、是れ自身より出づ【身に本づくを自出と謂う】。至なるかな《易》なるかな、蓋し神の作爲を知るならんか【體無くんば則ち方無し】」と。子曰く、「我未だ義を嗜むこと利を嗜むが如き人を見ず【和諧して宜有るを義と謂い、反るを利と謂う】」と。子雲中城に登り【漢の雲中郡、唐は延州に屬す】龍門關を望みて【河の中に龍門縣有り】曰く、「壯なるかな、山河の險固」と。賈瓊曰く、「すでに壯なり。還お何を加えん」と。子曰く、「道を以て之を守る【險は依仗すべからず】」と。下りて禹廟に宿す。碑額を看て曰く、「是れ先君獻公の作る所。其の文章典雅にして通達す【文章未だ見ず】」と。子劉孝標の《絕交論》を見て曰く、「惜しいかな、任公を擧げて卻って彼を毁る。任公是に於て知人と謂うべからず【劉峻は字は孝標、性情直率にして多く毁謗す。當時任昉死して、子の東里は冬に葛裘を穿く。孝標《絕交論》を作して以て任公の朋友を譏刺す。可し又任公の人を知らざるを顯出す】」と。《辯命論》を見て曰く、「人道廢れたり【劉峻又《辯命論》有りて、管輅才高くして遇わざるを説き、便ち窮達天に由りて絶に人に由らずと曰う。此れ命を知らず人道を廢棄す】」と。子曰く、「假令諸葛亮死せざらば、禮樂蓋し興起せんか【孔明は普天の下漢民にあらざる莫しと曰う。志は天下に在りて、ただ蜀のみならず。亮死せざれば、必ず功を成し治を定むるべし】」と。子《樂毅論》を讀みて曰く、「仁かな、樂毅善く自らの用を藏す。智かな、太初善く其の蘊藏を發明す【夏侯玄は字は太初、《樂毅論》を著して、即墨と莒の兩城を攻拔せざるを説き、是れ志天下を以て心と爲し、ただ齊國を兼并するのみならずと曰く。仁かなは、樂毅の城を屠らず善く用を藏するを贊美す。智かなは、太初の能く樂毅の仁を發明するを贊美す】」と。子《無鬼論》を讀みて曰く、「尚お人を知らず。何ぞ鬼を知らんや【阮瞻《無鬼論》を作して、以て幽明を辯明すべしと爲す。蓋し聖人の語らざるの旨意を知らず。底本此の字轉録後に失われた、即ち鬼】」と。

中說卷一

中説卷一

欽定四庫全書

欽定四庫全書

中說卷二

中説卷二

宋阮逸注

宋の阮逸注

天地篇

天地篇

子曰圓者動方者靜其見天地之心乎【天圓動地方靜人動靜之中也中也者心可見矣】子曰智者樂其存物之所為乎【物之所存我從而利之故樂】仁者夀其忘我之所為乎【我忘厥功物將自化故夀】子曰義也清而莊【姚義傳未見清潔而端莊】靖也惠而斷【李靖本名藥師其舅韓擒虎伏其善論兵惠物而勇斷】威也和而博【竇威字文蔚竇後從兄也和容而博識】收也曠而肅【薛收體曠而志肅】瓊也明而毅【賈瓊通明而果毅】淹也誠而厲【杜淹字執禮隋隠太白山來學於子誠慤而威厲】齡志而宻【房喬字齡隋彥謙之子也志精而用宻】徵也直而遂【魏徵字成直道而遂行】大雅深而【溫大雅字彥量深而寛】叔達簡而正【陳叔達字子聰陳宣帝之防子也簡靜中正】若逢其時不減卿相然禮樂則未備【靖彥博皆為僕射威為內史令淹為御史大夫齡為司空徵為太師大雅叔達皆為尚書是皆卿相也然各有二徳而未成全才故曰禮樂未備】或曰董常何人也子曰其動也權【權變才也】其靜也至【至極性也】其顔氏之流乎【動之微者其庶幾乎靜之極者其屢空乎】叔恬曰山濤為吏部拔賢進善時無知者身歿之後天子出其奏於朝然後知群才皆濤所進如何子曰宻矣【山濤字巨源為吏部典選十餘年天下稱為得士然吏非吏隠非隠是宻而已】曰仁乎【似忘所為】子曰吾不知也李宻見子而論兵【宻字法主襲爵為公與楊感謀亂自謂能兵】子曰禮信仁義則吾論之孤虛詐力吾不與也【孤虛兵家之術】李伯藥見子而論詩【伯藥字仲規徳林子也論南朝詩】子不答伯藥退謂薛收曰吾上陳應劉下述沈謝【魏應璩劉公幹梁沈約謝靈運】分四聲八病【四聲韻起自沈約八病未詳】剛柔清濁各有端序【語健為剛旨逺為柔標逸則清質實則濁】音若壎箎【壎土音剛而濁箎竹音柔而清周禮小師掌壎銳上平底六竅箎橫吹七孔】而夫子不應我其未達歟薛收曰吾嘗聞夫子之論詩矣上明三綱下達五常【風化夫婦三綱之首也吟詠情性五常之本也】於是徵存亡辯得失故小人歌之以貢其俗君子賦之以見其志【貢告也歌緑竹則知衛風歌板屋則知秦俗鄭六卿餞韓宣子宣子曰吾以知鄭志】聖人採之以觀其變【設采詩官】今子營營馳騁乎末流【齊梁文弊之末也】是夫子之所痛也不答則有由矣子曰學者博誦云乎哉必也貫乎道文者苟作云乎哉必也濟乎義【學文本為道義】內史薛公見子於長安退謂子收曰河圖洛書盡在是矣汝往事之無失也【薛道衡時為內史侍郎知文中子聖人謂八卦九疇盡則之矣】子曰士有靡衣鮮食而樂道者吾未之見也【奢罕徳】子謂魏徵曰汝與凝皆天之直人也徵也遂凝也挺【遂果行也挺謂挺特】若並行於時有用舍焉【遂行挺執】子謂李靖曰凝也若容於時則王法不撓矣【不撓曲】李靖問任智如何子曰仁以為已任小人任智而背仁為賊【盜亦有道】君子任智而背仁為亂【攻異端害也】薛收問仲長子光何人也【子光字不耀遊於河東人問者書老易二字為對王績有仲長先生傳】子曰天人也收曰何謂天人子曰眇然小乎所以屬於人曠哉大乎獨能成其天【以形言之則人以道言之則天禮曰安則久久則天】賈瓊問君子之道子曰必先恕乎曰敢問恕之說子曰為人子者以其父之心為心【孝則知父之慈】為人弟者以其兄之心為心【弟則知兄之友】推而達之於天下斯可矣【至孝近王至悌近霸推王道於天下可謂君子】子曰君子之學進於道【濟天下】小人之學進於利【營一身】楚難作使使召子子不往謂使者曰為我謝楚公【楊感襲封楚國公舉黎陽叛故曰難作】天下崩亂非至公血誠不能安苟非其道無為禍先【非應天順人則禍已】李宻問王霸之畧子曰不以天下易一民之命【易為輕易之易一民至細也不可以天下之大輕小民之命】李宻出子謂賈瓊曰亂天下者必是夫也幸災而念禍愛強而願勝神明不與也【竟叛伏誅】子居家雖孩孺必狎【不威】其使人也雖童僕必斂容【不慢】子曰我未見知命者也【命天命也徳合於天而心復於性是謂知命孔子五十而知天命孟子曰盡其心則知性知性則知天易曰窮理盡性以至於命是則命非性無能知者文中子嘆知性者尚少故曰未見知命者也】子曰不就利不違害不強交不苟絶【四者惟義所在】惟有道者能之【有道義】子躬耕或問曰不亦勞乎子曰一夫不耕或受其飢且庶人之職也【舜在畎畆志存天下聖賢躬耕蓋職其俗】亡職者罪無所逃天地之間吾得逃乎【不仕即農四民何逃】子藝黍登嵗不過數石以供祭祀冠婚賓客之酒也成禮則止子之室酒不絶【用有節禮不闕】薛方士問【方士未見】子曰貧者斂手足富者具棺槨【孔子謂子路曰斂手足形而顔回有棺無槨】封域之制無廣也【古不封不樹孔子謂不可不志也故封之後代因有文尺之制】不居良田【妨農】古者不以死傷生不以厚為禮【帝王陵惟漢文及唐太宗無珍寳盜不發】陳叔達問事神之道子曰敬而逺之【敬謂不敢無之逺謂不敢有之】問祭子曰何獨祭也亦有祀焉有祭焉有享焉三者不同古先聖人所以接三才之奧也【周禮祭天曰祀祭地曰祭祭宗廟曰享異其名言神道幽奧禮宜分也分而接之則配天而天人統和】達茲三者之說則無不至矣【祭多名不出三才之奧耳】叔達俛其首【因問祭得天人之道故俛首思之甚】子曰王猛有君子之徳三焉其事上也宻其接下也溫其臨事也斷【猛字景略為符堅相議赦而青蠅洩之宻矣兵至鄴而逺近恬然溫矣先黜屍素然後舉賢斷矣】或問蘇綽子曰俊人也曰其道何如子曰行於戰國可以強行於太平則亂矣【蘇綽字令綽後周文帝時為尚書掌機宻長於筭術申韓之學厚於用法非正道故云太平則亂】問牛子曰厚人也【牛字裡仁隋文時作相宣勑而口不能言時稱其質重故曰厚人】子觀田魏徵杜淹董常至子曰各言志乎徵曰願事明王進思盡忠退思補過【直而逐好諫】淹曰願執明王之法使天下無寃人【誠而厲常好平刑】常曰願聖人之道行於時【其動權】常也無事於出處【其靜至】子曰大哉吾與常也【可與權可與至其道入性命矣】子在長安曰歸來乎今之好異輕進者率然而作無所取焉【仁夀四年在長安謁文帝見公卿異端輕率文辭不根道義苟媚其主使無所取治焉遂歸】子在絳【絳州】程元者因薛收而來【元門人未見】子與之言六經元退謂收曰夫子載造彝倫一匡皇極微夫子吾其失道左見矣【晉尚虎言至南朝淫靡左道變雅天下遂亂續經既造人文乃正】子曰蓋有慕名而作者吾不為也【虛名失實】叔恬曰文中子之教興其當隋之季世皇家之末造乎將敗者吾傷其不得用【隋敗】將興者吾惜其不得見【唐興】其志勤其言徵其事以蒼生為心乎【時門人千數至卿相者十餘人蓋蒼生受賜多矣】文中子曰二帝三王吾不得而見也舍兩漢將安之乎【之往也】大哉七制之主其以仁義公恕統天下乎【仁若文帝感緹縈去肉刑義若武帝殺釣弋防後族之亂公若明帝不許管陶求郎恕若章帝救楚王徙者是也】其役簡【仁也】其刑清【義也】君子樂其道【公也】小人懐其生【恕也】四百年間【髙祖至獻帝四百一十六年】天下無二志其有以結人心乎終之以禮樂則三王之舉也【禮樂者王道淳則舉漢雜霸道故不及三代】子曰王道之駁久矣【駁雜】禮樂可以不正乎【禮論樂論所以正之】大義之蕪甚矣【荒蕪】詩書可以不續乎【續詩續書所以明之】子曰唐虞之道直以大故以揖讓終焉【堯直讓舜大也】必也有聖人承之何必定法【以聖承聖其何常法之有】其道甚濶不可格於後【後若無聖安能格及】夏商之道直以簡故以放弒終焉【湯直伐桀簡也】必也有聖人扶之何必在我【我謂我君】其道亦曠不可制於下【下若有奸臣則無君之心難制矣】如有用我者吾其為周公所為乎【可以承則承可以扶則扶此周公之為】子燕居董常竇威侍子曰吾視千載已上聖人在上者未有若周公焉其道則一而經制大備【一謂堯舜湯武一歸於道也公羊傳曰周公何以不之魯欲天下之一乎周也大備謂設官分職制禮作樂也禮曰禮器是謂大備大備盛徳也】後之為政有所持循【一本作脩漢史作循】吾視千載而下未有若仲尼焉其道則一而述作大明【謂吾道一以貫之是也述詩書作春秋所以明周公也禮曰述者之謂明】後之修文者有所折中矣【無位則修而取中焉】千載而下有申周公之事者吾不得而見也【時異事殊】千載而下有紹宣尼之業者吾不得而讓也【當仁】子曰常也其殆坐忘乎【顔子坐忘遺照】靜不證理而足用焉【靜則本性也本性則不待外徵物理而後致用也如此則當其無有證之用】思則或妙【妙謂幾微也知幾其神神妙萬物不思而得坐忘是也董生雖不證理而未能無思故曰思則或妙以解上文其殆之義】李靖問聖人之道子曰無所由亦不至於彼門人曰徵也至或曰未也門人惑子曰徵也去此矣而未至於彼【已離中賢之見然未至上哲之性】或問彼之說子曰彼道之方也【達者無方未達者迷焉故設之以方使趍於彼也】必也無至乎【待至彼然後見道亦未為達者也猶一隅以知三隅是亦有隅也大方無隅而神無方聖人與神道並行無所至無不至】董常聞之悅【知道自至】門人不達【若房魏尚未至彼安能無至故不達】董常曰夫子之道與物而來與物而去【致知在格物物格然後知至是以來而應之若與俱來去則忘之若與俱去道之應物如是無方非至惟幾妙乎萬物則安能通其去來哉】來無所從去無所視【去來既通則何有來何有去】薛收曰大哉夫子之道一而已矣【無所來去混然圓神若大衍之一不可得而見】子謂程元曰汝與董常何如程元曰不敢企常常也遺道徳【遺猶忘也道大而無所道徳髙而無所徳是忘矣】元也志仁義【志求仁則仁志求義則義無志則無得是志矣】子曰常則然矣而汝於仁義未數數然也【數數頻也】其於彼有所至乎【由専至一隅故也】子曰董常時有慮焉【時謂時中也雖未能不思而得不勉而中然思則或妙慮必時中】其餘則動靜慮矣【其餘程薛房魏輩慮非時中然防其有動靜則慮之耳猶顔回三月不違仁其餘日月至焉而已】子曰孝哉薛收行無負於幽明【收父道衡非辜見戮收遁於首陽山以免此行全幽明矣】子於是日弔祭則終日不笑【哀未忘】或問王隠【隠字處叔多知西都舊章撰晉書文體混漫義不可解世不甚傳】子曰敏人也其器明其才富其學贍或問其道子曰述作多而經制淺其道不足稱也【器謂才學而已若加之識則三長具可以知道矣】子謂陳夀有志於史依大義而削異端【夀字永祚著三國志善敘事初王沈撰魏書韋耀續成之夀乃具吳蜀三國變史稱志大抵簡畧存其大義】謂範寗有志於春秋徵聖經而詰眾傳【範寗字武子為穀梁集解謂左氏失誣公羊失俗穀梁失短皆詰正於道耳詰奚吉反】子曰使陳夀不美於史遷固之罪也【史記雜黃老之道壯奸雄之詞漢書又模範紀傳愈加文飾是史筆之罪也】使範寗不盡美於春秋歆向之罪也【劉向治穀梁劉歆好左氏各守一家而不能貫聖經之本是古學之罪也】裴晞曰何謂也子曰史之失自遷固始也記繁而志寡【但務廣記而不原聖人教化之志】春秋之失自歆向始也棄經而任傳【但爭眾傳而不原聖人權衡之法】子曰蓋九師興而易道微【淮南王聘九人明易者撰道訓二十篇號九師易】三傳作而春秋散【公羊髙穀梁喜左丘明皆孔子門人】賈瓊曰何謂也子曰白黑相渝能無微乎【白黑渝正色渝弋朱反】是非相擾能無散乎【是非擾正道】故齊韓毛鄭詩之末也【後蒼所傳為齊詩韓嬰所傳為韓詩毛鄭詩毛萇注鄭箋也】大戴小戴禮之衰也【二戴因曲臺記論於石渠成禮記戴徳號大戴戴聖號小戴】書殘於古今【孔安國家藏科斗尚書以今文易之劉歆別得古本奏立古文尚書】詩失於齊魯【齊轅固生治詩為博士齊人宗之魯申公漢初為儒學魯人宗之於是有齊魯詩】汝知之乎賈瓊曰然則無師無傳可乎子曰神而明之存乎其人【聖性神受天縱無師】苟非其人道不虛行【人能道】必也傳又不可廢也【傳之在師得之在已所傳有限所得無窮故周公師天下仲尼自得之仲尼師萬世仲淹自得之皆神契其道不盡由師明矣孟子曰君子之深造於道也欲其自得之自得之則居之安居之安則取諸左右逢其原然學不可無師而得之不由師也】子謂叔恬曰汝不為續詩乎則其視七代損益終懣然也【七代注見上懣昏也懣七困反】子謂續詩可以諷可以達【諷時政達下情】可以蕩可以獨處【盪滌鬰結獨處無邪】出則悌入則孝【上四徳備矣則孝悌動天地感神】多見治亂之情【治之情樂亂之情哀】文中子曰吾師也詞達而已矣【聖人不煩文惟達意而已】或問揚雄張衡子曰古之振竒人也其思苦其言艱【揚雄作太經及倉頡訓綦沈黙精思好學竒字張衡作渾天及地動儀如揚雄之學大抵好竒多艱若】曰其道何如子曰靖矣【艱苦而竒未足適變蓋守靖而已】子曰過而不文【不文過】犯而不校有功而不伐君子人哉子曰我未見見謗而喜聞譽而懼者子曰富觀其所與【與貧則仁與奸則賊】貧觀其所取【取於義則安取於利則危】達觀其所好【好賢則治好佞則亂】窮觀其所為【為善則生為惡則死】可也【四者可以知人不須多察】或問魏孝文子曰可與興化【後魏元氏名宏始都洛陽修文物制度太和詔冊帝自為之可與興文化矣】銅川夫人好藥【子之母】子始述方【伎術非事親不暇為也】芮城府君重隂陽【子之兄也為芮城令陜州縣名芮而銳反】子始著厯日且曰吾懼覽者或費日也【聖人與天地合徳安在推步隂陽蓋以事兄之心始著星厯恐門人拘忌妄習災福故特雲懼費日而已】子謂薛知仁善處俗【知仁未見處俗謂能隨俗而處】以芮城之子妻之子曰內難而能正其志【引明夷彖辭】同州府君以之【文中子髙祖名彥為同州刺史內難未詳】子曰吾於天下無去也無就也惟道之從【從中道】

先生曰く、圓の動、方の靜は、此に由りて天地の心を見るべからんか【天は圓にして動き、地は方にして靜かり。人は動靜の中に在り。「中」は即ち心、見るべし】。先生曰く、智者の樂は、蓋し存する所の物に因りて作爲有るならんか【物の存する所に、我從りて之を利す。所以に樂しむ】。仁者の壽は、蓋し我を忘るるに因りて作爲有るならんか【我彼の功勞を忘れ、物將に自ら化せん。所以に壽す】。先生曰く、姚義は清潔にして端莊【姚義の傳は未だ見ず。清潔にして端莊】、李靖は惠愛にして果斷【李靖は本名藥師、其の舅韓擒虎は彼の兵を論ずるに善なるを佩服す。物を惠みて勇斷す】、竇威は和柔にして博識【竇威は字は文蔚、竇后の從兄なり。和容にして博識】、薛收は曠達にして嚴肅【薛收は體度曠にして志向肅】、賈瓊は明達にして堅毅【賈瓊は通明にして果毅】、杜淹は誠懇にして威厲【杜淹は字は執禮、隋の時太白の山に隱居して、來りて先生に學ぶ。誠愨にして威厲】、玄齡は志有りて細密【房喬は字は玄齡(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)、隋の房彥謙の子。志精して用密】、魏征は直道にして事を遂げ【魏征は字は玄成(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)、直道にして遂行す】、大雅は深沉にして寬弘【溫大雅は字は彥弘(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)、度量深くして寬弘(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)】、叔達は簡靜にして中正【陳叔達は字は子聰、陳宣帝の次子(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)。簡靜中正】。若し彼らの時運に逢わば、卿相に減らず、然れども禮樂は則ち未だ備わらず【李靖・彥博は皆僕射と爲り、竇威は内史令と爲り、杜淹は御史大夫と爲り、玄齡は司空と爲り、魏征は太師と爲り、大雅・叔達は皆尚書と爲り、此ら皆卿相なり。然れども各お二德有りて、未だ全才と爲らず。故に禮樂未備と曰う】。或る人曰く、董常は何人ぞや。先生曰く、彼動く時能く權變し【權變は才なり】、靜かなる時能く至極す【至極は性なり】。蓋し顏氏一流ならんか【動の微なるは、其れ庶幾ならんか。靜の極なるは、其れ屢空ならんか】。叔恬曰く、山濤吏部と爲りて、賢を拔き善を進め、當時人知る無し。身死の後、天子其の奏章を拿到し朝上に於て、然る後纔かに群才皆山濤の進む所と知る。如何。先生曰く、密れり【山濤は字は巨源、吏部典選と爲ること十餘年、天下得士と稱す。然れども吏に似ず隱に似ず、ただ密のみ】。問う、仁か【所爲を忘れたるが如し】。先生曰く、我知らず。李密先生を見て兵を論ず【李密は字は法主、爵を襲ぎて公と爲り、楊玄感(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)與亂を謀りて、自ら以て兵に能しと爲す】。先生曰く、禮信仁義ならば、則ち我之を論ぜん。孤虚詐力は、我與らず【孤虚は兵家の術なり】。李伯藥先生を見て詩を論ず【伯藥は字は仲規、德林の子、南朝の詩を論ず】。先生答えず。伯藥退き下りて薛收に對えて曰く、我上は應・劉を陳べ、下は沈・謝を述べ【魏の應璩・劉公幹、梁の沈約・謝靈運】、四聲八病を分ち【四聲韻は沈約より起こり、八病は未詳】、剛柔清濁各お端序有り【語健は剛、旨遠は柔、標逸ならば則ち清、質實ならば則ち濁】、音は埙箎に象り【埙は土音、剛にして濁。箎は竹音、柔にして清。《周禮》小師埙を掌る、銳上平底六竅。箎は横吹七孔】、而して夫子答えず。我蓋し未だ通達せざるか。薛收曰く、我嘗て夫子の詩を論ずるを聞けり。上は三綱を明らかにし、下は五常に達し【夫婦を風化するは、三綱の首。情性を吟詠するは、五常の本】、於是に存亡を徵し得失を辯ず。故に小人は之を歌唱して以て風俗を貢獻し、君子は之を賦して以て志向を表現す【「貢」は即ち告。綠竹を歌えば便ち衛風を知り、板屋を歌えば便ち秦俗を知る。鄭の六卿韓宣子を餞して、宣子曰く、我此に由りて鄭志を知る、と】、聖人は之を采集して以て變化を觀察す【采詩官を設立す】。如今汝營營として末流に馳騁す【齊梁文弊の末流】。此れ夫子の痛心する所なり。答えざるは是れ緣由有るなり。先生曰く、學者は豈にただ博誦のみならんや。必ずや道に貫通せん。文を爲る人は豈にただ苟且に著作するのみならんや。必ずや義に濟有らん【學與文は本より道義の爲めなり】。内史薛公長安に於て先生を見て、退き下りて子の薛收に對えて曰く、河圖洛書は皆茲に在り。汝往きて彼に事え、錯過する勿れ【薛道衡當時内史侍郎と爲る。文中子の聖人なるを知りて、八卦・九疇皆彼の身上に取則すべしと曰う】。先生曰く、士の華美の衣服を穿き新鮮の食物を喫して而して道を樂しむ者有れば、我未だ之を見ず【奢侈ならば則ち德少なし】。先生魏征に對えて曰く、汝與王凝は皆天生の直人なり。征は遂、凝は挺【「遂」は果行、「挺」は挺特】。若し時に並行せば、則ち用有り舍有り【遂は行、挺は執】。先生李靖に對えて曰く、凝若し時に見容せられば、則ち王法は撓曲せざらん【撓曲せず】。李靖任智如何を問う。先生曰く、仁を以て己任と爲せ。小人智を任びて仁に背けば、即ち賊【盜も亦道有り】。君子智を任びて仁に背けば、即ち亂【異端を攻めるの害】。薛收仲長子光は何人ぞやを問う【子光は字は不耀、河東に游び、人彼を問う者有れば、便ち「老」「易」の二字を寫して以て答と爲す。王績に《仲長先生傳》有り】。先生曰く、是れ天人なり。薛收曰く、何をか天人と謂う。先生曰く、眇然として小なれば、所以に人に屬す。曠なるかな大なれば、獨り能く其の天を成す【形を就りて言えば人、道を就りて言えば天。《禮》に曰く、安ければ則ち久しく、久しければ則ち天、と】。賈瓊君子の道を問う。先生曰く、必ず先に恕ならんか。問う、敢えて恕の説を問う。先生曰く、人子を爲るは、其の父の心を把りて自らの心と當つ【孝なれば便ち父の慈を知る】。人弟を爲るは、其の兄長の心を把りて自らの心と當つ【悌なれば便ち兄の友を知る】。推して之を天下に達すれば、即可【至孝は王に近く、至悌は霸に近し。王道を天下に推せば、以て君子と謂うべし】。先生曰く、君子の學は道に進み【天下を濟う】、小人の學は利に進む【一身を營む】。楚の難發生し、人を遣わして先生を召す。先生往かず、使者に對えて曰く、我に代りて楚公に謝せ【楊玄感(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)は楚國公を襲封し、黎陽に於て兵を擧げて反叛す。故に難作と曰う】。天下崩亂すれば、至公血誠にあらざれば安んずる能わず。若し彼の道にあらざれば、禍亂の先導と爲る勿れ【天に應え人に順うにあらざれば、則ち禍自らの頭上に落つ】。李密王霸の方略を問う。先生曰く、天下を以て一個の民の性命を輕易せず【「易」は輕易の「易」。一民は至細、以て天下の大を以て小民の命を輕んずべからず】。李密出で去る。先生賈瓊に對えて曰く、天下を亂るは必ず此の人ならん。災を幸い禍を想着し、強を愛し勝を願うは、神明彼を與えず【後來竟に叛して、誅に伏せり】。先生家に居るに、孩孺と雖も必ず親昵【威猛ならず】。其人を使嗾するも、童僕と雖も必ず正容【傲慢ならず】。先生曰く、我未だ命を知る人を見ず【命は天命。德は天に合して心は性に復するを、知命と謂う。孔子五十にして天命を知る。孟子に曰く、其の心を盡くせば則ち性を知り、性を知れば則ち天を知る、と。《易》に曰く、理を窮め性を盡くして以て命に至る、と。此の如くならば則ち命は性にあらざれば知る能わず。文中子は性を知る人の尚お少なきを歎じて、故に未だ命を知る人を見ずと曰う】。先生曰く、利に就かず、害に違わず、交を強せず、絶を苟せず【四者はただ義の在る所に在り】。ただ道有る人のみ能く此の如し【道義有り】。先生自ら耕種す。或る人問う、亦勞苦せざるか。先生曰く、一夫耕らざれば、人の饑を受くる者有り。況んや此れ庶人の職分なり【舜畎畝に在りて、志は天下に存す。聖賢躬耕するは、是れ彼の風俗を職守す】。職分を丟掉するの罪は、天地之間逃るべき所無し。我能く逃れんか【仕えざれば則ち農を務む。四民何の處にか逃れん】。先生黍を種う。收穫し(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)、一年に過ぎず數石。以て祭祀・冠婚・賓客の酒を供す。禮を成せば即ち停止す。先生屋裡酒斷えず【用節制有りて、禮缺けず】。薛方士葬を問う(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)【方士の事迹未だ見ず】。先生曰く、貧なる人は手足を收斂し、富める人は棺槨を具備す【孔子子路に對えて曰く、手足形體を收斂して葬れ(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)と。顏回は棺有りて槨無し】。封域の制度は廣きを要せず【古時は封せず樹えず。孔子標記せざるべからずと曰く。故に土を封ず。後代此に因りて丈尺の制度有り】、良田を占むる勿れ【農事を妨げん】。古人は死を以て生を傷せず、厚を以て禮と爲さず【帝王の陵はただ漢文帝及び唐太宗のみ珍寶無し。盜發掘せず】。陳叔達神に事うる(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)の道を問う。先生曰く、之を敬して之に遠し【「敬」は是れ敢えて無しと以て爲さざるを説き、「遠」は是れ敢えて有りと以て爲さざるを説く】。祭を問う。先生曰く、何ぞただ祭のみならん。亦祀有り、祭有り、享有り。三者同じからず。是れ古先の聖人の以て三才の奧に接する所以なり【《周禮》:天を祭るを祀と謂い、地を祭るを祭と謂い、宗廟を祭るを享と謂う。其の名を異にするは、是れ神道幽奧にして禮當に分別すべきを説く。分別して之に接すれば、則ち天に配して天人統和す】。此の三者の説に通達すれば、達せざる有る無し【祭の名甚だ多し。三才の奧を超出せざるのみ】。叔達頭を低れたり【祭を問うに因りて天人の道を得たり。故に俯首して深思す】。先生曰く、王猛に君子の德三樣有り。上に事うるに密に、下に接するに溫に、事に臨むに斷なり【王猛は字は景略、苻堅の相と爲る。赦免を議論して青蠅泄露す。此れ密なり。兵鄴に到りて遠近恬然す。此れ溫なり。先に尸位素餐のを黜退して、然る後賢を擧ぐ。此れ斷なり】。或る人蘇綽を問う。先生曰く、是れ俊人なり。問う、其の道如何。先生曰く、戰國に行えば以て強むべく、太平に行えば則ち亂る【蘇綽は字は令綽、後周文帝の時尚書と爲りて機要を掌り、算術・申韓の學に長ず。法を用うること甚だ重く、正道にあらず。故に太平ならば則ち亂ると曰う】。牛弘を問う(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)。先生曰く、是れ厚人なり【牛弘(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)は字は里仁、隋文帝の時相と爲り、敕を宣して口能く言わず。當時彼を稱して質重とす。故に厚人と曰う】。先生田を看るに、魏征・杜淹・董常到る。先生曰く、各お志向を説かん。魏征曰く、明王に事えんを願う。進めば忠を盡くし、退けば過を補うと思う【直にして遂、諫を好む】。杜淹曰く、明王の法を執掌して、天下に冤人無からしめんを願う【誠にして厲、常に刑を平げるを好む】。董常曰く、聖人の道の時に行われんを願う【彼は動けば能く權】。我董常は仕え隱るるに執着無し【彼は靜ければ能く至る】。先生曰く、大なるかな、我常を贊同す【權に與うべく、至に與うべく、其の道は性命に入る】。先生長安に在りて、曰く、歸り來らん。如今異を好み進を輕んずる人率然として作るは、取るべき無し【仁壽四年に長安に於て文帝に謁見し、公卿の異端を持ち文辭を輕率にして道義に根ざらず苟且に主に媚るを見て、治道をして取る所無からしむ。於是に歸去す】。先生絳に在り【絳州】、程元薛收を通じて來る【程元は門人、事迹未だ見ず】。先生彼與六經を講ず。程元退き下りて薛收に對えて曰く、夫子は重新して彝倫を造立し、皇極を一匡す。夫子無くんば、我蓋し道を失い左見せんとす【晉虚言を崇尚して、南朝に至りて淫靡し、左道雅に變わり、天下於是に亂る。續經すでに造りて、人文纔かに正し】。先生曰く、蓋し名を慕いて著作する者有りて、我爲さず【虚名實を失う】。叔恬曰く、文中子の教の興起は、蓋し正に隋の季世・皇家の末造に當れるか。將に敗れんとするは、我彼の用を得ざるを傷む【隋敗】。將に興らんとするは、我彼の見を得ざるを惜む【唐興】。其の志勤に、其の言徵驗有りて、其の事は蒼生を以て心と爲せるならんか【當時門人上千、卿相と爲る十餘人。蓋し蒼生の賜を受くる者多し】。文中子曰く、二帝三王は、我見るを得ざるなり。兩漢を舍てて將に何處にか往かん【「之」は往】。大なるかな七制の主は、蓋し仁義公恕を以て天下を統べるならんか【仁は文帝の緹縈に感じて肉刑を去るが如く。義は武帝の鉤弋を殺して以て後族の亂を防ぐが如く。公は明帝の管陶の郎を求むを許さざるが如く。恕は章帝の楚王に遷徙する人を救うが如く】。役簡にして【仁】、刑清にして【義】、君子は其の道を樂しみ【公】、小人は其の生を懷く【恕】。四百年間【高祖より獻帝に至るまで四百一十六年】、天下二志無し。蓋し以て人心を維繫する有るならんか。若し禮樂を以て之を終えば、即ち三王の擧動なり【禮樂は王道淳にして纔かに擧行す。漢は霸道に雜る。故に三代に及ばず】。先生曰く、王道駁雜なる已に久し【駁は駁雜】。禮樂は正さざるべからざるか【《禮論》《樂論》は以て之を正す所なり】。大義荒蕪なる甚だし【荒蕪】。《詩》《書》は續がざるべからざるか【續《詩》・續《書》は以て之を明らかにする所なり】。先生曰く、唐・虞の道は直にして大なり。故に揖讓を以て終結す【堯は直、舜に讓る。是れ大なり】。必ずや聖人來りて承接すること有らん。何ぞ必ずしも一定の成法せん【聖を以て聖に承げば、何ぞ常法有らん】。彼の道は甚だ闊大にして、以て後人を範圍すべからず【後人若し聖無くんば、何ぞ能く達せん】。夏・商の道は直にして簡なり。故に放弑を以て終結す【湯は直、桀を伐つ。是れ簡なり】。必ずや聖人來りて扶持すること有らん。何ぞ必ずしも我に在らん【「我」は是れ我が君を説く】。彼の道も亦甚だ空曠にして、以て下面を制裁すべからず【下面若し奸臣有らば、君無きの心は制し難し】。若し我を用うる有らば、我蓋し周公の爲す所を爲さんか【承ぐべければ則ち承げ、扶くべければ則ち扶く。此れ周公の作爲なり】。先生閑居す。董常・竇威侍坐す。先生曰く、我千載以上を觀るに、聖人の上に在るは、周公の如き有ること無し。其の道は一にして、經制大備す【「一」は是れ堯・舜・湯・武皆道に歸することを説く。《公羊傳》に曰く、周公何の故に魯に去らざるや。是れ天下をして周に一統せしめんと欲すなり、と。「大備」は是れ官を設け職を分ち禮を制し樂を作るを説く。《禮》に曰く、禮器は是れ大備と謂い、大備は盛德なり、と】。後來政を爲る人は持循する所有り【別の一本は「修」の別の字形を用う。《漢史》は「循」と作す】。我千載以下を觀るに、仲尼の如き有ること無し。其の道は一にして、述作大明す【是れ吾が道一を以て之を貫くを説く。《詩》《書》を述べ《春秋》を作るは、以て周公を明らかにする所なり。《禮》に曰く、述者は之を明と謂う、と】。後來文を修める人は折中する所有り【位無ければ則ち修めて中を取る】。千載而下周公の事を申明する有れば、我見るを得ざるなり【時異なり事殊なり】。千載而下宣尼の業を紹述する有れば、我讓るを得ざるなり【仁に當る】。先生曰く、常は蓋し坐忘に近からんか【顏子坐忘・遺照】。靜かにして理に證を求めずして用を足る【靜は即ち本性。本性ならば則ち外證物理を待たずして後に用を致す。此の如くなれば則ち其の無に當りて、證する用有り】、思えば則ち或いは能く妙ならん【「妙」は幾微。幾を知れば其れ神、神は萬物を妙なり。思わずして得は、即ち坐忘。董生は理を證せずと雖も、卻って還お未だ思無き能わず。故に「思えば則ち或いは妙」と曰い、以て上文「其れ殆」の意を解釋す】。李靖聖人の道を問う。先生曰く、由る所無く、亦彼に至らず。門人曰く、征は達したり。或る人曰く、未だ有らず。門人疑惑す。先生曰く、征は此を離れたるも、卻って未だ彼に到らず【すでに中賢の見を離れたるも、卻って未だ上哲の性に到らず】。或る人彼の説を問う。先生曰く、彼は道の方向なり【達する人は方無く、未達の人は迷惑す。故に一個の方向を設けて、彼をして彼に趨向せしむ】。必ずや至る無かるべし【彼に到りて然る後道を見るを等しかば、も亦達と算せず。猶お一隅を以て三隅を知るが如く、も亦還お隅有り。大方は隅無く、神は方無し。聖人は神道與並行して、至る所無くして至らざる無し】。董常聞いて喜悅す【道自ら至らんを知る】。門人通達せず【房・魏の如きは還お彼に到らず。何ぞ能く至る無からん。故に達せず】。董常曰く、夫子の道は、物與俱に來り、物與俱に去る【知を致すは物に格るに在り。物格して然る後知至る。故に來れば則ち之に應じ、與と俱に來るが如し。去れば則ち之を忘れ、與と俱に去るが如し。道の物に應ずる此の如く方無し。至(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)にあらざれば、惟幾・萬物を妙ならば、何ぞ能く其の去來を通ぜん】。來る所從無く、去る所視無し【去來すでに通ずれば、何ぞ來有り何ぞ去有らん】。薛收曰く、大なるかな夫子の道は、ただ一の已のみ【來去する所無く、混然として圓神なり。大衍の一の如く、得て見るべからず】。先生程元に對えて曰く、汝董常與比すれば如何。程元曰く、敢えて常を企望せず。常は道德を遺忘する能し【「遺」は猶お忘。道大にして道とする所無く、德高くして德とする所無し。此れ忘なり】。我程元は志を仁義に有り【志仁を求めれば則ち仁、志義を求めれば則ち義。志無くんば則ち得る無し。此れ志なり】。先生曰く、常は此の如し。而して汝は仁義に於て未だ數數然せず【「數數」は頻繁なり】。汝彼に於て蓋し至る所有らんか【專至一隅するに由るが故なり】。先生曰く、董常は時時に慮有り【「時」は時中。未だ思わずして得・勉めずして中る能わずと雖も、然れども思えば則ち或いは妙にして、慮は必ず時中】。其餘の人は則ち動靜有りて纔かに慮る【其餘の程・薛・房・魏の一輩は、慮は時中にあらず、然れども(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)動靜有れば則ち慮るのみ。猶お顏回三月仁に違わず、其餘は日月焉に至るのみの如し】。先生曰く、孝なるかな薛收。行爲幽明に負う無し【薛收の父道衡は罪無くして殺され、薛收は首陽山に逃げて以て禍を免れたり。此の行爲は幽明を保全せり】。先生は吊祭の日に在りては、便ち終日笑わず【哀は未だ忘れず】。或る人王隱を問う【王隱は字は處叔、多く西都の舊章を知り、《晉書》を撰ず。文體混漫にして義解すべからず。世上甚だ流傳せず】。先生曰く、是れ敏人なり。其の器明に、才富に、學贍なり。或る人其の道を問う。先生曰く、述作多くして經制淺し。其の道稱するに足らず【器はただ才學のみ。若し識を加うれば、則ち三長具備し、以て知るべし】。先生は陳壽志を史に有りて、大義に依りて異端を削去すと説く【陳壽は字は承祚(底本は「永祚」と作す)、《三國志》を著して、事を叙するに善し。初め王沈《魏書》を撰し、韋曜續きて成し、陳壽纔かに呉・蜀を具備して、三國史を改めて志と稱す。大抵簡略にして、其の大義を存す】。范甯志を《春秋》に有りて、聖經を徵して衆傳を詰するを説く【范甯は字は武子、《穀梁集解》を作して、左氏は誣に失し、公羊は俗に失し、穀梁は短に失すと説き、皆道を按じて以て詰正す。注音:「詰」は奚吉反】。先生曰く、假令陳壽史に於て美を盡くさざるは、是れ遷・固の罪なり【《史記》は黄老の道に雜り、奸雄の詞を壯んにす。《漢書》は又紀傳を模範して、愈いよ文飾を加う。此れ史筆の罪なり】。假令范甯《春秋》に於て美を盡くさざるは、是れ歆・向の罪なり【劉向は《穀梁》を治め、劉歆は《左氏》を好みて、各お一家を守りて、而能く聖經の本を貫通せず。此れ古學の罪なり】。裴晞曰く、何の意ぞや。先生曰く、史の失誤は遷・固より始まる。記は繁にして志は寡し【ただ廣記を務めて、卻って聖人敎化の志を推原せず】。《春秋》の失誤は歆・向より始まる。經を棄てて傳を任ぶ【ただ衆傳を爭いて、卻って聖人權衡の法を推原せず】。先生曰く、蓋し九師興りて《易》道便ち微せり【淮南王九個の《易》に明るき人を聘して、《道訓》二十篇を撰して、九師易と號す】。三傳著作して《春秋》便ち散れり【公羊高・穀梁喜・左丘明は、皆孔子の門人】。賈瓊曰く、何の意ぞや。先生曰く、白黒互相變亂して、能く微せざらんや【白黒は正色を變亂す。注音:「渝」は弋朱反】。是非互相攪擾して、能く散れざらんや【是非は正道を攪擾す】。故に齊・韓・毛・鄭は、是れ《詩》の末流【後蒼の傳うるを齊詩と爲し、韓嬰の傳うるを韓詩と爲し、毛・鄭の詩は毛萇の注・鄭玄(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)の箋】。大戴・小戴は、是れ《禮》の衰【二戴は《曲臺記》に因りて石渠に於て議論し、集成して《禮記》と爲す。戴德は大戴と號し、戴聖は小戴と號す】。《書》は古今に殘し【孔安國家に科斗《尚書》を藏え、今文を用いて改易す。劉歆別に古本を得て、奏して古文尚書を立つ】、《詩》は齊魯に失う【齊の轅固生《詩》を治めて博士と爲り、齊人彼を宗とす。魯の申公漢初に儒學と爲り、魯人彼を宗とす。於是に齊詩・魯詩有り】。汝之を知るか。賈瓊曰く、然らば則ち師無く傳無くば、可なりや。先生曰く、神にして之を明らかにするは、其の人に存す【聖性は神受・天縱。師無し】。若し其の人にあらざれば、道は虚に行われず【人能く道を弘める(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)】。必ずや、傳も又廢すべからず【傳は師に在り、得は己に在り。傳うる所は有限、得る所は無窮。故に周公は天下に師し、仲尼は自ら之を得。仲尼は萬世に師し、仲淹は自ら之を得。皆神其の道を契す。師に由らざるを盡くせず。此れ明白なり。孟子に曰く、君子道に深造するは、是れ自ら之を得んと欲すなり。自ら之を得れば則ち之に居ること安く、之に居ること安ければ則ち諸を左右に取れば其の原に逢う、と。然れども學は師無くべからず、而して之を得るは師に由らず】。先生叔恬に對えて曰く、汝續《詩》を爲さざるか。然らば則ち七代の損益を觀れば、終に昏然せん【七代の注は上に見ゆ。「懣」は昏。注音:「懣」は七困反】。先生は續《詩》は以て諷すべく、以て達すべく【時政を諷し、下情を達し】、以て盪すべく、以て獨處すべく【鬱結を盪滌し、獨處して邪無し】、出でれば則ち悌に、入れば則ち孝に【上面の四德具備すれば、則ち孝悌天地を動かし、神を感ぜん(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)】、多く治亂の情を見ると曰く【治の情は樂、亂の情は哀】。文中子曰く、我の師法は、詞達するの已なり【聖人は文采を煩わず、ただ意を達するのみ】。或る人揚雄・張衡を問う。先生曰く、古の振奇の人。其の思苦しく、言艱し【揚雄《太玄(底本此の字は生僻字、轉録後に失われた)經》及び《倉頡訓纂》を作して、沉默精思して、奇字を好み學ぶ。張衡渾天及び地動儀を作る。揚雄の學の如きは、大抵奇を好み多艱】。問う、其の道如何。先生曰く、靖れり【艱苦にして奇なり。變に適するに足らず。蓋し靖を守るのみ】。先生曰く、過有りて文飾せず【過を文せず】、冒犯せられて計較せず、功有りて夸耀せざれば、是れ君子人なり。先生曰く、我未だ謗を見て喜び譽を聞いて懼るる人を見ず。先生曰く、富は其の與うる所を觀【貧に與えば則ち仁、奸に與えば則ち賊】、貧は其の取る所を觀【義に於て取れば則ち安、利に於て取れば則ち危】、達は其の喜好する所を觀【賢を好めば則ち治、佞を好めば則ち亂】、窮は其の作爲する所を觀るに【善を爲れば則ち生、惡を爲れば則ち死】、即ち可なり【四者は以て人を知るべし。多く察するを須いず】。或る人魏孝文を問う。先生曰く、彼與教化を興す可し【後魏の元氏、名は宏。始めて洛陽に都し、文物制度を修め、太和の詔册は帝自ら撰寫す。彼與文化を興す可し】。銅川夫人藥を喜好す【先生の母】。先生纔かに方を述べ始む【伎術若し親に事うるにあらざれば、則ち閑暇之を爲る無し】。芮城府君陰陽を看重す【先生の兄長、芮城令と爲る。陜州の縣名。注音:「芮」は而銳反】。先生纔かに歷日を著し始め、且つ曰く、我閲覽する人或いは時日を浪費せんを怕る【聖人は天地與德を合す。何ぞ推步陰陽に在らん。蓋し兄に事うるの心を以て、纔かに星歷を著し始む。門人の拘忌・妄りに災福を習うを怕る。故に特に日を費やすを怕ると曰うのみ】。先生は薛知仁善く俗に處すと曰く【知仁の事迹未だ見ず。「處俗」は是れ能く俗に隨いて處るを説く】。芮城の女を把りて彼に嫁がす。先生曰く、内難にして能く其の志を正す【《明夷》の彖辭を引く】。同州府君は便ち此の如し【文中子の高祖の名は彥、同州刺史と爲る。内難は未詳】。先生曰く、我天下に於て、去る所無く就る所無し。ただ道に從うのみ【中道に從う】。

中說卷二

中説卷二

欽定四庫全書

欽定四庫全書

中說卷三

中説卷三

宋阮逸注

宋の阮逸注

事君篇

事君篇

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