第十二章
顏淵侍坐魯定公於臺,東野畢御馬於臺下。定公曰:“善哉!東野畢之御也。”顏淵曰:“善則善矣,其馬將佚矣。”定公不說,以告左右曰:“聞君子不譖人。君子亦譖人乎?”顏淵退,俄而廐人以東野華馬佚聞矣。定公躐席而起,曰:“趣駕召顏淵。”顏淵至,定公曰:“鄉寡人曰:‘善哉東野畢之御也。’吾子曰:‘善則善矣,然則馬將佚矣。’不識吾子何以知之?”顏淵曰:“臣以政知之。昔者舜工於使人,造父工於使馬。舜不窮其民,造父不極其馬。是以舜無佚民,造父無佚馬也。今東野畢之御,上車執轡,銜體正矣,周旋步驟,朝禮畢矣,歷險致遠,馬力殫矣,然猶策之不已,所以知其佚也。”定公曰:“善,可少進乎?”顏淵曰:“獸窮則齧,鳥窮則啄,人窮則話。自古及今,窮其下能不危者,未之有也。《詩》曰:‘執轡如組,兩驂如舞。’善御之謂也。”定公曰:“寡人之過矣!”
顔淵は台上にて魯定公に陪坐し、東野畢は台下にて馬を駕す。定公は曰く、「好しかな!東野畢の駕馭」と。顔淵は曰く、「好しは好し、彼の馬将に失控せんとす」と。定公は喜ばず、左右に告げて曰く、「聞く、君子は人を讒害せずと。君子もまた人を讒害するか?」顔淵は退下し、しばらくして廐人は東野畢の馬失控の消息を報来した。定公は席を越えて起身して曰く、「速やかに車を駕りて顔淵を召せ」と。顔淵至れば、定公は曰く、「さきほど寡人は曰く、『好しかな東野畢の駕馭』と。あなたは曰く、『好しは好し、しかし馬将に失控せん』と。あなたが何を憑って知ったかを知らず」と。顔淵は曰く、「臣は政治を以て知った。昔舜は善く人を使用し、造父は善く馬を使用した。舜はその民を窮尽せず、造父はその馬を窮尽せず。ここを以て舜は失控の民なく、造父は失控の馬なし。今東野畢の駕馭は、車に上り轡を執り、衘勒の体态端正し、周旋馳驟し、朝礼完畢し、険阻を経歴して遠方に至るに、馬力尽きたれど、なお鞭策停止せず、ゆえに失控せんと知る」と。定公は曰く、「好し、稍微さらに講じてもらえぬか?」顔淵は曰く、「獣は窮すれば咬み、鳥は窮すれば啄み、人は窮すれば言説衝撞す。古より今に至るまで、その下民を窮尽して能く危険なからんは、いまだかつて有らず。『詩經』に曰く、『轡を執るは織組のごとく、両驂は舞蹈のごとし』と。言うは善く駕馭するなり」と。定公は曰く、「是れ寡人の過失なり!」
第十三章
崔杼殺莊公,令士大夫盟。盟者皆脫劍而入。言不疾,指不至血者死,所殺者十餘人。次及晏子。晏子捧杯血,仰天而嘆曰:“惡乎!崔杼將為天道而殺其君。”於是盟者皆視之。崔杼謂晏子曰:“子與我,吾將與子分國。子不與我,殺子。直兵將推之,曲兵將鉤之,吾願子圖之也。”晏子曰:“吾聞留以利而倍其君者非仁也,劫以刃而失其志者非勇也。《詩》曰:‘莫莫葛藟,延於條枚。愷悌君子,求富不回。’嬰其可回矣?直兵推之,曲兵鉤之,嬰不之革也。”崔杼曰:“舍晏子。”晏子起而出,援綏而乘。其僕馳。晏子撫其手曰:“麋鹿在山林,其命在庖廚。命有所縣,安在疾馳?”安行成節,然後去之。《詩》曰:“羔裘如濡,恂直且侯。彼己之子,捨命不偷。”
崔杼は荘公を殺し、士大夫に盟結せしむるを命じた。盟結する者はみな剣を解下して入る。言説急ならず手指血に到らざるは処死し、殺す所十余人。晏子に輪到した。晏子は杯血を捧げ、天を仰ぎて叹息して曰く、「恨むべきかな!崔杼将に天道に违背してその君を殺さんとす」と。すなわち盟結する者はみな見た。崔杼は晏子に対して曰く、「あなた我に随従せば、我将にあなたと国を分かたん。あなた我に随従せざれば、則ちあなたを殺さん。直兵将に推さん、曲兵将に鉤せん、我はあなたに謀劃せんことを願う」と。晏子は曰く、「我は聞く、利に留下せられて君を背叛するは仁に非ず、刃に劫持せられて志向を失うは勇に非ずと。『詩經』に曰く、『茂盛の葛藟、枝条に蔓延す。和楽平易の君子、富を求むに邪僻せず』と。嬰は邪僻すべきか?直兵推せよ、曲兵鉤せよ、嬰は改変せぬ」と。崔杼は曰く、「晏子を放過せよ」と。晏子は起身して出で、綏帯を接けて車に上る。僕人は奔馳す。晏子はその手を按住して曰く、「麋鹿は山林に在りて、その命は庖厨に在り。命は繋る所有り、どこに奔馳に在らんや?」安穏に歩行して節を成就し、然る後に去った。『詩經』に曰く、「羔裘は潤沢のごとく、誠信正直にしてしかも美好。あの人かな、命を捨てて苟且せず」と。
第十四章
楚昭王有士曰石奢,其為人公正而好直。王使為理。於是道有殺人者,石奢追之,則其父也。還返於廷曰:“殺人者,臣之父也。以成政非孝也。不行君法,非忠也。弛罪廢法,而伏其辜,臣之所守也。”遂伏斧鑕,曰:“命在君。”君曰:“追而不及,痛有罪乎?子其治事矣。”石奢曰:“不然。不私其父,非孝也。不行君法,非忠也。以死罪生,不廉也。君欲赦之,上之惠也。臣不能失法,下之義也。”遂不去鈇鑕,刎頸而死乎廷。君子聞之曰:“貞夫法哉,石先生乎!”孔子曰:“子為父隱,父為子隱,直在其中矣。”《詩》曰:“彼己之子,邦之司直。”石先生之謂也。
楚昭王に士ありて石奢と謂い、その為人は公正にして直を好む。王は彼を法官と為さしめた。ここに路上に人を殺す者あり、石奢追趕すれば、卻って彼の父なり。朝廷に返回して曰く、「人を殺すは臣の父なり。以て政を成就するは孝に非ず。君法を实行せざるは、忠に非ず。罪を放き法を廃棄してあの罪過を承担するは、臣の守る所なり」と。すなわち斧鑕に伏して曰く、「命は君に在り」と。君は曰く、「追趕して及ばざるは、どこに罪あらん?あなたはなお事を治理せよ」と。石奢は曰く、「然らず。父を偏私せざるは、孝に非ず。君法を实行せざるは、忠に非ず。死罪を以て生を換えるは、廉に非ず。君は赦免せんと欲すは、上の恩惠。臣は法を失う能わざるは、下の義」と。すなわち鍘刀砧板を離れず、頸を刎ねて廷中に死した。君子は聞きて後曰く、「貞固に法を守るかな、石先生!」孔子は言った。「子は父のために隠瞞し、父は子のために隠瞞す、直は則ちその中に在り。」『詩經』に曰く、「あの人かな、是れ邦国の正直を主持する」と。言うは石先生なり。
第十五章
外寬而內直,自設於隱括之中,直己而不直人,善廢而不悒悒,蘧伯玉之行也。故為人父者則願以為子,為人子者則願以為父,為人君者則願以為臣,為人臣者則願以為君,名昭諸侯,天下願焉。《詩》曰:“彼己之子,邦之彥兮。”此君子之行也。
外は寛にして内は直、自ら矯正の隠括の中に置き、己を端正して人を端正せず、善く廃棄して悒悒として楽しまず、是れ蘧伯玉の品行。ゆえに人父と為るは則ち彼を以て子と為すを願い、人子と為るは則ち彼を以て父と為すを願い、人君と為るは則ち彼を以て臣と為すを願い、人臣と為るは則ち彼を以て君と為すを願い、名声は諸侯に昭著し、天下みな彼に従うを願う。『詩經』に曰く、「あの人かな、是れ邦国の美士」と。是れ君子の品行なり。
第十六章
傳曰:孔子遭齊程本子於郯之間,傾蓋而語終日,有間,顧子路曰:“由來!取束帛以贈先生。”子路不對。有間,又顧曰:“取束帛以贈先生。”子路率爾而對曰:“聞之於夫子,士不中道相見。女無媒而嫁者,君子不行也。”孔子曰:“夫《詩》不云乎:‘野有蔓草,零露漙兮。有美一人,青陽宛兮,邂逅相遇,適我願兮?’且夫齊程本子,天下之賢士也,吾於是而不贈,終身不之見也。大德不踰閒,小德出入可也。”
伝に記す:孔子は郯地の間に斉国程本子に遇い、車蓋傾斜して談すること一整天。しばらくして、回頭して子路に曰く、「由、来れ!束帛を取りて先生に贈れ」と。子路は回答せず。しばらくして、また回頭して曰く、「束帛を取りて先生に贈れ」と。子路は軽率に回答す、「夫子より聞く、士は半路に相見せず、女子は媒人なくして嫁ぐは、君子の為さざる所と」と。孔子は言った。「あの『詩經』は言わざるか:『野に蔓延の草あり、落下の露濃密。一人の美人あり、鮮明宛然。邂逅相遇し、正に我が願いに合う』と。況んや斉国程本子は天下の賢士、我ここに贈らざれば、終身彼を見る能わず。大徳は界限を越えず、小徳は出入すべし。」
第十七章
君子有主善之心,而無勝人之色,德足以君天下,而無驕肆之容,行足以及後世,而不以一言非人之不善。故曰:君子盛德而卑,虛己以受人,旁行不流,應物而不窮。雖在下位,民願戴之。雖欲無尊,得乎哉?《詩》曰:“彼己之子,美如英,美如英,殊異乎公行。”
君子に善を主張する心有り、而して人に勝る神色なく、徳足りて天下に君臨するに、而して驕肆の容貌なく、行為足りて後世に伝わるに、而して一言を用いて人の不善を非議せず。ゆえに曰く、君子は盛徳にして謙卑、自己を空虚にして人を接受し、旁行して流失せず、物に応じて窮尽せず。たとい下位に在るも、民は擁戴を願う。たとい尊貴ならざらんと欲すとも、得られんや?『詩經』に曰く、「あの人かな、美しきこと花のごとく、美しきこと花のごとく、公行と大いに相同じからず」と。
第十八章
君子易和而難狎也,易懼而不可劫也,畏患而不避義死,好利而不為所非,交親而不比,言辯而不亂,蕩蕩乎其義不可失也,磏乎其廉而不劌也,溫乎其仁厚之寬大也,超乎其有以殊於世也。《詩》曰:“美如玉,美如玉,殊異乎公族。”
君子は和諧し易くして狎昵し難く、畏懼し易くして脅迫すべからず、禍患を畏懼するも義のために死するを躲避せず、利を喜ぶも為すべからざる所を為さず、親近するも党を結ばず、言語善弁するも乱れず、浩蕩かなその義は失うべからず、廉潔かなその廉は人を割傷せず、温和かなその仁厚の寛大、超然かなその有す以て世に異なる所。『詩經』に曰く、「美しきこと玉のごとく、美しきこと玉のごとく、公族と大いに相同じからず」と。
第十九章
商容嘗執羽鑰,馮於馬徒,欲以化紂而不能。遂去,伏於太行。及武王克殷,立為太子,欲以為三公。商容辭曰:“吾常馮於馬徒,欲以化紂而不能,愚也。不爭而隱,無勇也。愚且無勇,不足以備乎三公。”遂固辭不受命。君子聞之曰:商容可謂內省而不誣能矣。君子哉!去素餐遠矣。《詩》曰:“彼君子兮,不素餐兮。”商先生之謂也。
商容はかつて羽鑰を持ち、馬徒の辺に靠り、以て紂を感化せんと欲するも能わず。すなわち去りて、太行に隠伏した。武王が殷を克るに及び、太子と立てられ、彼を以て三公と為さんと欲した。商容は推辞して曰く、「我はかつて馬徒の辺に靠り、以て紂を感化せんと欲するも能わず、是れ愚なり。争わずして隱るるは、勇なきなり。愚にして且つ勇なくば、以て三公に充備するに足らず」と。すなわち堅決に推辞して任命を受けず。君子は聞きて後曰く、商容は内裏反省して虚しく才能を称せざると称すべし。君子かな!白飯を食うを離るること遠し。『詩經』に曰く、「あの君子かな、白く飯を食わざるかな」と。言うは商先生なり。
第二十章
晉文公使李離為理,過聽殺人,自拘於廷,請死於君。君曰:“官有貴賤,罰有輕重。下吏有罪,非子之罪也。”李離對曰:“臣居官為長,不與下吏讓位,受祿為多,不與下吏分利。今過聽殺人而下吏蒙其死,非所聞也。”不受命。君曰:“子必自以為有罪,則寡人亦有罪矣。”李離曰:“法,失刑則刑,失死則死。君以臣為能聽獄決疑,故使臣為理。今過聽殺人,臣之罪當死。”君曰:“棄位委官,伏法亡國,非所望也。趣出!無憂寡人之心。”李離對曰:“政亂國危,君之憂也。軍敗卒辭,將之憂也。夫無能以事君,闇行以臨官,是無功以食祿也。臣不能以虛自誣。”遂伏劍而死。君子聞之曰:忠矣乎!《詩》曰:“彼君子兮,不素餐兮。”李先生之謂也。
晋文公は李離を法官と為さしめ、誤聴して人を殺し、自ら廷中に拘禁し、君に死を請えた。君は曰く、「官に貴賤あり、罰に輕重あり。下吏に罪あるは、あなたの罪に非ず」と。李離は回答す、「臣は官に居りて長と為り、位子を下吏に譲らず、禄を受くること多く、下吏と利を分かたず。今誤聴して人を殺して下吏をして死を承当せしむるは、聞いたこと有るに非ず」と。命令を接受せず。君は曰く、「あなた必ず自ら以て罪ありと為せば、則ち寡人もまた罪あらん」と。李離は曰く、「法は、刑に失すれば刑を受け、死に失すれば死す。君は臣を以て能く獄を聴き疑を決すと為し、ゆえに臣を法官と為さしめた。今誤聴して人を殺すは、臣の罪は処死に該当す」と。君は曰く、「位子を拋棄し官職を委棄し、法に伏して国に人才を喪失せしむるは、希望する所に非ず。速やかに出でよ!寡人の心を憂慮する勿れ」と。李離は回答す、「政治乱れ国家危険は、君の憂。軍隊敗れ士卒離散は、将の憂。能力なきを以て君に事え、昏暗の行為を以て官に臨む、是れ功なくして禄を食む。臣は空虚を以て自己を欺騙する能わず」と。すなわち剣に伏して死した。君子は聞きて後曰く、忠誠かな!『詩經』に曰く、「あの君子かな、白く飯を食わざるかな」と。言うは李先生なり。
第二十一章
楚狂接輿躬耕以食。其妻之市未返。楚王使使者齎金百鎰造門,曰:“大王使臣奉金百鎰,願請先生治河南。”接輿笑而不應。使者遂不得辭而去。妻從市而來,曰:“先生少而為義,豈將老而遺之哉?門外車軼何其深也?”撥輿曰:“今者王使使者齎金百鎰,欲使我治河南。”其妻曰:“豈許之乎?”曰:“未也。”妻曰:“君使不從,非忠也。從之,是遺論文也。不如去之。”乃夫負釜甑,妻戴紝器,變易姓字,莫知其所之。《論語》曰:“色斯舉矣,翔而後集。”接輿之妻是也。《詩》曰:“逝將去汝,適彼樂土。適彼樂土,爰得我所。”
楚の狂接輿は自ら田を耕して食した。彼の妻は市上に往きて未だ返回せず。楚王は使者を派して金百鎰を帯びて門に上らせ、曰く、「大王は臣を派して金百鎰を奉上せしめ、先生に河南を治理せんことを願う」と。接輿は笑うて応えず。使者はすなわち告辞を得ずして去った。妻は市上より回来り、曰く、「先生は年軽きより義を行い、豈に将に年老いてそれを遺棄せんとするか?門外の車轍はなぜあれほど深い?」接輿は曰く、「さきほど王は使者を派して金百鎰を帯びせ、我に河南を治理せんと欲した」と。妻は曰く、「豈に応えたか?」曰く、「いまだ応えず。」妻は曰く、「君の使命に随従せざるは、忠に非ず。随従するは、義を遺棄するなり。去るに如かず」と。すなわち夫は釜甑を背負い、妻は紡織器具を頂き、姓名を改変し、彼らがどこへ去ったかを知る人なし。『論語』に曰く、「神色このごとくして飛起し、盘旋して然る後に落下す」と。接輿の妻はこのごとし。『詩經』に曰く、「将にあなたを離れて、あの楽土に至らん。あの楽土に至りて、すなわち我が安処する所を得ん」と。
第二十二章
昔者桀為酒池糟堤,縱靡靡之樂,一鼓而牛飮者三千人。群臣皆相持而歌曰:“江水沛兮,舟楫眣兮。我王廢兮,趣歸於亳,亳亦大兮。”又曰:“樂兮樂兮,四牡驕兮,六轡沃兮。去不善兮從善,何不樂兮!”伊尹知大命之將至,曰:“君王不聽臣言,大命至矣!亡無日矣!”桀拍然而抃,盍然而笑,曰:“子又妖言矣。吾有天下,猶天之有日也。日有亡乎?日亡吾亦亡也。”於是伊尹接履而趨,遂適於湯。湯以為相。可謂適彼樂土,爰得其所矣。《詩》曰:“逝將去汝,適彼樂土。適彼樂土,爰得我所。”
昔桀は酒池糟堤を作り、靡靡の楽を放縱し、一たび鼓を撃てば牛のごとく飲む者三千人あり。群臣はみな互相扶持して歌唱す、「江水沛然かな、舟楫敗壊かな。我が王廃棄かな、速やかに毫に帰向せよ、毫もまた大なり」と。また曰く、「快楽かな快楽かな、四匹の牡馬驕健かな、六根の轡繩柔潤かな。不善を離れ善に随従せよ、なぜ快楽せざらん!」伊尹は大命の将至らんを知り、曰く、「君王は臣の言を聴かず、大命至れり!滅亡すること日幾ばくもなからん!」桀は手を拍ち、口を張りて笑い、曰く、「あなたまた妖言を説く。我は天下を有す、天に太陽あるがごとし。太陽に滅亡あらんや?太陽滅びれば我もまた滅びん」と。すなわち伊尹は鞋を提げて快く走り、すなわち湯の所に至った。湯は彼を用いて相と為した。あの楽土に至りて、すなわち彼の安処する所を得たと称すべし。『詩經』に曰く、「将にあなたを離れて、あの楽土に至らん。あの楽土に至りて、すなわち我が安処する所を得ん」と。
第二十三章
伊尹去夏入殷。田饒去魯適燕。介子推去晉入山。田饒事魯哀公而不見察,謂哀公曰:“臣將去君,黃鵠舉矣。”哀公曰:“何謂也?”由饒曰:“君獨不見夫雞乎?敵在前敢鬬者勇也,見食相呼者仁也,守夜不失時者信也。雞雖有此五德,君猶日瀹而食之者何也?則以其所從來者近也。夫黃鵠一舉千里,止君園池,食君魚鱉,啄君黍粱,無此五德者,君猶貴之者何也?以其所從來者遠也。故臣將去君,黃鵠舉矣。”哀公曰:“止!吾將書子之言也。”田饒曰:“臣聞食其食者,不毀其器。陰其樹者,不折其枝。有臣不用,何書其言為?”遂去之燕。燕立以為相。三年,燕政大平,國無盜賊。哀公喟然太息,為之闢寢三月,減損上服。曰:“不慎其前無悔其後,何可復得?”《詩》云:“近將去汝,適彼樂國。適彼樂國,爰得我直。”晉文公反國,酌士大夫酒,召舅犯而將之,召艾陵而相之,授田百萬。介子推無爵。齒而就位。觴三行,介子推奉觴而起,曰:“有龍矯矯,將失其所。龍既入深淵。得其安所。蛇脂盡幹,獨不得甘雨。此何謂也。”文公曰:“嘻!是寡人之過也。吾為子爵與,待旦之朝也。吾為子田與,河東陽之間。”介子推曰:“推聞君子之道,謁而得位,道士不居也,爭而得財,廉士不受也。”文公曰:“使我得反國者,子也。吾將以成子之名。”介子推曰:“推聞君子之道,為人子而不能承其父者,則不敢當其後。為人臣而不見察於其君者,則不敢立於其朝。然推亦無索於天下矣。”遂去而之介山之上。文公使人求之,不得。為之闢寢三月,號呼朞年。《詩》曰:“逝將去汝,適彼樂郊。適彼樂郊,誰之永號。”此之謂也。
伊尹は夏を離れて殷に入り、田饒は魯を離れて燕に至り、介子推は晋を離れて山に入った。田饒は魯哀公に事えて察識せられず、哀公に対して曰く、「臣将に君を離れん、黄鵠高く飛べり」と。哀公は曰く、「何の意か?」田饒は曰く、「君は豈にあの鶏を見ざらんや?敵人前に在れば敢えて斗うは、勇。食物を見て互相呼叫するは、仁。夜を守りて時を誤らざるは、信。鶏はこの五様の徳ありといえども、君はなお毎日烹煮して食う、なぜか?それが来る所近きを以て。あの黄鵠は一挙千里、君の園池に停まり、君の魚鱉を食い、君の黍粱を啄み、この五様の徳なきも、君はなおそれを重んず、なぜか?それが来る所遠きを以て。ゆえに臣将に君を離れん、黄鵠高く飛べり」と。哀公は曰く、「止まれ!我将にあなたの言を記さん」と。田饒は曰く、「臣は聞く、あの食物を食う者は、あの器具を毀らず。あの樹下に遮蔭する者は、あの樹枝を折らずと。臣ありて用いず、その言を記して何を為さん?」すなわち去りて燕に至る。燕は彼を立てて相と為した。三年、燕の政治太平にして、国に盗賊なし。哀公は慨然として長嘆し、これがために正寝を避くること三箇月、上等の衣服を抽減した。曰く、「前に謹慎せず、後に后悔なし、どこに再び得られんや?」『詩經』に曰く、「将にあなたを離れて、あの楽国に至らん。あの楽国に至りて、すなわち我が正直を得ん」と。晋文公は国に返回し、士大夫に酒を斟ぎ、舅犯を召して将に彼を用いんとし、艾陵を召して彼を用いて相と為し、田百万を授けた。介子推は爵位年齢なくして就位した。觴三たび行われ、介子推は觴を捧げて起身して曰く、「龍ありて矯健、将に住所を失わんとす。龍はすでに深淵に入り、安定の住所を得たり。蛇の脂は尽きて皆枯竭し、独り甘雨を得ず。これは何を言うか?」文公は曰く、「ああ!是れ寡人の過失。我はあなたに爵を給せん、天亮を待つ朝のごとく。我はあなたに田を給せん、河東陽の間に在り」と。介子推は曰く、「推は聞く、君子の道は、見を求めて位子を得るは、有道の士の居らざる所。争奪して財を得るは、廉潔の士の受けざる所」と。文公は曰く、「我をして国に返回し得せしめたはあなたなり。我将にあなたの名を成就せん」と。介子推は曰く、「推は聞く、君子の道は、人子と為りて父を成就する能わざれば、則ち敢えてその後に当たらず。人臣と為りて君に察識せられざれば、則ち敢えてその朝に立たず。しかして推は天下に対しても求索なきなり」と。すなわち去りて介山の上に至る。文公は人を派して彼を求むるも、得ず。これがために正寝を避くること三箇月、号呼すること満一年。『詩經』に曰く、「将にあなたを離れて、あの楽郊に至らん。あの楽郊に至りて、誰かまた長号せん」と。言うはこのことなり。
第二十四章
子賤治單父,彈鳴琴,身不下堂,而單父治。巫馬期以星出,以星入,日夜不處,以身親之,而單父亦治。巫馬期於子賤。子賤曰:“我任人,子任力。任人者佚,任力者勞。”人謂子賤則君子矣,佚四肢,全耳目,平心氣,而百官理,任其數而已。巫馬期則不然。弊性事情,勞力教詔,雖治猶未至也。《詩》曰:“子有衣裳,弗曳弗摟。”
子賤は単父を治理し、鳴琴を弾じ、自身は堂を下らずして、而して単父は治まった。巫馬期は星を披きて出で、星を披きて帰り、日夜休息せず、自ら往きて為し、而して単父もまた治まった。巫馬期は子賤に問うた。子賤は曰く、「我は人を任用し、あなたは気力を任用す。人を任用するは安逸、気力を任用するは労累」と。人は子賤を則ち君子と謂えり、四肢安逸し、耳目保全し、心気平和にして、而して百官治理す、あの術数を任用するのみ。巫馬期は則ちこのごとくあらず。性情を損耗し事情を労累し、力を用いて教導詔令す、たとい治理するも未だ極に至らず。『詩經』に曰く、「あなたに衣裳あり、拖せず搂せず」と。
第二十五章
子路曰:“士不能勤苦,不能輕死亡,不能恬貧窮,而曰我能行義,吾不信也。昔者申包胥立於秦廷,七日七夜,哭不絕聲,是以存楚。不能勸革,焉能行此?比干且死,而諫愈忠。伯夷叔齊餓於首陽,而志益彰。不輕無記名投票亡,焉能行此?曾子褐衣縕緒,未嘗完也。糲米之食,未嘗飽也。義不合,則辭上卿。不恬貧窮,焉能行此?夫士欲立身行道,無顧難易,然後能行之。欲行義白名,無顧利害,然後能行之。《詩》曰:“彼己之子,碩大且篤。”非良篤修身行之君子其執能與之哉?
子路は曰く、「士は勤苦する能わず、死亡を看輕する能わず、貧窮に安んずる能わずして、我は能く義を行うと言うは、我は信ぜず。昔申包胥は秦廷に立ち、七天七夜哭声断えず、ここを以て楚を保存した。勤苦する能わざれば、どこに能くこのごとくせん?比干将に死せんとして、進諫愈え忠誠なり。伯夷・叔斉は首陽に挨餓し、志向愈え彰明なり。死亡を看輕する能わざれば、どこに能くこのごとくせん?曾子は褐衣縕絮を穿ち、かつて完好せず。糙米の飯、かつて飽食せず。義合わざれば、則ち上卿を辞した。貧窮に安んずる能わざれば、どこに能くこのごとくせん?士は身を立て道を行わんと欲すれば、難易を顧みず、然る後に能く实行す。義を行い名を顕さんと欲すれば、利害を顧みず、然る後に能く实行す」と。『詩經』に曰く、「あの人かな、高大にしてしかも篤厚」と。善良篤厚にして身を修め实行する君子に非ざれば、誰か彼と并列せん?
第二十六章
子路與巫馬期薪於韞丘之下。陳之富人有處師氏者,脂車百乘,觴於韞丘之上。子路與巫馬期曰:“使子無忘子之所知,亦無進子之所能,得此富,終身無復見夫子,子為之乎?”巫馬期喟然仰天而嘆,闟然投鎌於地,曰:“吾嘗聞之夫子:‘勇士不忘喪其元,志士仁人不忘在溝壑。’子不知予與?試予與?意者其志與?”子路心慚,負薪先歸。孔子曰:“由來!何為偕出而先返也?”子路曰:“向也由與巫馬期薪於韞丘之下,陳之富人有處師氏者,脂車百乘,觴於韞丘之上。由謂巫馬期曰:‘使子無忘子之所知,亦無進子之所能,得此富,終身無復見夫子,子為之乎?’巫馬期喟然仰天而嘆,闟然投鎌於地,曰:‘吾嘗聞之夫子,勇士不忘喪其元,志士仁人不忘在溝壑。子不知予與?試予與?意者其志與?’由也心慚,故先負薪歸。”孔子援琴而彈。《詩》曰:“肅肅鴇羽,集於苞栩。王事靡盬,不能蓻稷黍。父母何怙?悠悠倉天,曷其有所!”予道不行邪?使汝願者。
子路と巫馬期は韞丘の下に柴を砍った。陳国の富人に処師氏という者あり、脂車百乗、韓丘の上に飲酒す。子路は巫馬期に対して曰く、「もしあなたが知る所を忘れず、また能くする所を増進せずして、このごとき富を得、終身再び夫子を見ざらば、あなたは為すか?」巫馬期は慨然として天を仰ぎ叹息し、猛然として鎌刀を地上に扔げて曰く、「我はかつて夫子より聞く、『勇士は頭顱を喪失するを忘れず、志士仁人は沟壑に処るを忘れず』と。あなたは我を了解せざるか?我を試探するか?それともあの志向に意あらんか?」子路は心に慚愧し、柴を背負いて先に帰った。孔子は曰く、「由、来れ!なぜともに出でて先に返回した?」子路は曰く、「さきほど由と巫馬期は韞丘の下に柴を砍り、陳国の富人に処師氏あり、脂車百乗、韓丘の上に飲酒せり。由は巫馬期に対して曰く、『もしあなたが知る所を忘れず、また能くする所を増進せずして、このごとき富を得、終身再び夫子を見ざらば、あなたは為すか?』と。巫馬期は慨然として天を仰ぎ叹息し、猛然として鎌刀を地上に扔げて曰く、『我はかつて夫子より聞く、勇士は頭顱を喪失するを忘れず、志士仁人は沟壑に処るを忘れず。あなたは我を了解せざるか?我を試探するか?それともあの志向に意あらんか?』と。由は心に慚愧し、ゆえに先に柴を背負いて帰れり」と。孔子は琴を取りて弾いた。『詩經』に曰く、「肅肅の鴇羽、叢生の栩樹に落つ。王事止息なし、稷黍を種植する能わず。父母は何に依靠せん?悠悠たる蒼天、どこに安処あらん!」我が道は实行せられぬか?あなたらをしてこのごとき願望を生出せしむ。
第二十七章
孔子曰:“士有五。有埶尊貴者,有家富厚者,有資勇悍者,有心智能者,不以愛民行義理,而反以暴敖凌物。家富厚者,不以振窮救不足,而反以侈靡無度。資勇悍者,不以衛上攻戰,而反以侵陵私鬥。心智能者,不以端計數,而反以事奸飾詐。貌美好者,不以統朝蒞民,而反以蠱女從欲。此五者,所謂士失其美質者也。”《詩》曰:“溫其如玉,在其板屋,亂我心曲。”
孔子は言った。「士に五種あり。勢位尊貴なるあり、家業富厚なるあり、資質勇悍なるあり、心思智能なるあり、以て民を愛し義理を实行せず、反って以て物を暴傲欺凌す。家業富厚なるは、以て窮困を賑済し不足を救助せず、反って以て奢侈して限度なし。資質勇悍なるは、以て上を保衛し攻戦せず、反って以て侵陵私斗す。心思智能なるは、以て計数を端正せず、反って以て奸邪に事奉し欺詐を粉飾す。容貌美好なるは、以て朝廷を統領し民を臨視せず、反って以て女子を蠱惑し欲望を放縱す。この五種は、則ちいわゆる士の美好資質を失うなり。」『詩經』に曰く、「温和なること玉のごとく、あの板屋に在り、我が心曲を擾乱す」と。
第二十八章
上之人所遇,容色為先,聲音次之,事行為後。故望而知宜為人君者容也,近而可信者色也,發而安中者言也,久而可觀者行也。故君子容色,天下儀象而望之,不假言而知宜為人君者。《詩》曰:“彥如渥沰。”其君也哉!
上に在る人の遇する所は、容色が先、声音その次、事行は後なり。ゆえに遠望すれば則ち人君たるに適宜なるを知るは容、靠近すれば信任すべきは色、発出して中に安んずるは言、長久に観看すべきは行なり。ゆえに君子の容色は、天下は以て儀象と為して仰望し、言語を借助せずして人君たるに適宜なるを知る。『詩經』に曰く、「容顔は潤沢の赤色のごとし」と。彼は君かな!
第二十九章
子夏讀書已畢。夫子問曰:“爾亦可言於書矣。”子夏對曰:“書之於事也。昭昭乎若日月之光明,燎燎乎如星辰之錯行,上有堯舜之道,下有三王之義,子弟所受於夫子者,志之於心不敢忘。雖居蓬戶之中,彈琴以詠先生之風,有人亦樂之,無人亦樂之,亦可發憤忘食矣。《詩》曰:‘衡門之下,可以棲遲。泌之洋洋,可以療飢。’”夫子造然變容曰:“嘻!吾子殆可以言書已矣。然子以見其表,未見其裡。”彥淵曰:“其表已見,其裡又何有哉?”孔子曰:“窺其門,不入其中,安知其奧藏之所在乎?然藏又非難也。丘嘗悉心盡志,已入其中,前有高岸,後有深谷,泠泠然如此,既立而已矣。”
子夏は書を読み畢えり。夫子は問う、「あなたもまた書を談論すべし」と。子夏は回答す、「書は事に対して、昭昭として日月の光明のごとく、燎燎として星辰の交錯運行のごとく、上に堯舜の道あり、下に三王の義あり、子弟が夫子より受けた所は、心に記して敢えて忘れず。たとい蓬戸の中に住すとも、琴を弾じて先王の風を歌詠し、人あるも快楽、人なきも快楽、また発憤して飯を忘るべし。『詩經』に曰く、『横木を門と為すの下、栖息すべし。泌水洋洋として、飢餓を解除すべし』と」と。夫子は忽然として臉色を変じて曰く、「ああ!吾子はほぼ書を談論すべし。しかしあなたはその外表を見たれど、その裏を見ず」と。顔淵は曰く、「外表すでに見たり、裏面はまた何かある?」孔子は言った。「あの門を窺看して、その中に入らざれば、どこに奥蔵の在るを知らんや?しかし蔵はまた困難ならず。丘はかつて尽心尽志し、すでにその中に入り、前に高岸あり、後に深谷あり、泠泠然としてこのごとく、すでに立定するのみ」と。
第三十章
傳曰:國無道則飄風厲疾,暴雨折木,陰陽錯氣,夏寒冬溫,春熱秋榮,日月無光,星辰錯行,民多疾病,國多不祥,群生不壽,而五穀不登。當成周之時,陰陽調,寒暑平,群生遂,萬物寧。故曰:其風治,其樂連,其驅馬舒,其民依依,其行遲遲,其意好好。《詩》曰:“匪風發兮,匪車揭兮,顧瞻周道,中心制(下加心)兮。”
伝に記す:国に道なくば則ち飄風猛烈迅疾にして、暴雨は樹木を折断し、陰陽錯乱し、夏寒冷し冬温暖し、春熱し秋に花開き、日月に光なく、星辰錯行し、民に疾病多く、国に不祥多く、群生長寿ならず、而して五谷成熟せず。成周の時に当たりては、陰陽調和し、寒暑平和し、群生順遂し、万物安寧す。ゆえに曰く、その風和治し、その楽連綿とし、その駆馬舒緩にし、その民依依とし、その行走遅遅とし、その心意好好たりと。『詩經』に曰く、「あの風発作かな、あの車疾馳かな、回頭して周道を看れば、心中憂傷かな」と。
第三十一章
夫治氣養心之術,血氣剛強則務之以調和,智慮潛深則一之以易諒,勇毅強果則輔之以道術,齊給便捷則安之以靜退,卑攝貪利則抗之以高志,容眾駑散則劫之以師友,怠慢摽棄,則慰之以禍災。願婉端愨則合之以禮樂。凡治氣養心之術,莫徑由禮,莫優得師,莫慎一好。好一則摶,摶則精,精則神,神則化。是以君子務結心乎一也。《詩》曰:“淑人君子,其儀一兮。其儀一兮,心如結兮。”
気を治め心を養うの法は、血気剛強なれば務めて調和を以て対待し、智慮深沉なれば則ち簡易誠信を以て専一にし、勇毅強果なれば則ち道術を以て輔助し、敏捷快速なれば則ち静退を以て安定し、卑下貪利なれば則ち高志を以て抗衡し、寛容駑鈍散漫なれば則ち師友を以て約束し、怠慢拋棄なれば則ち禍災を以て警戒す。朴実端謹なれば則ち礼楽を以て会合す。およそ気を治め心を養うの法は、礼を経由するより直なるなく、老師を得るより優なるなく、専一愛好するより慎なるなし。愛好専一なれば則ち専一し、専一なれば則ち精し、精なれば則ち神し、神なれば則ち化す。ここを以て君子は務めて心を専一の上に結ぶ。『詩經』に曰く、「善人君子、その儀度専一かな。その儀度専一かな、心は結びつくがごとし」と。
第三十二章
玉不琢,不成器。人不學,不成行。家有千金之玉,不知治,猶之貧也。良工宰之,則富及子孫。君子謀之,則為國用。故動則安百姓,議則延民命。《詩》曰:“淑人君子,正是國人。正是國人,胡不萬年!”
玉は雕琢せざれば、器物を成さず。人は学習せざれば、品行を成さず。家に価千金の玉あり、治理を知らざれば、なお貧窮なり。良工がそれを整治すれば、則ち富は子孫に伝わる。君子がそれを謀劃すれば、則ち国に用いらる。ゆえに行動すれば百姓を安定し、議論すれば民命を延長す。『詩經』に曰く、「善人君子、これらの国人を端正す。これらの国人を端正す、なぜ万年ならざらん!」
第三十三章
嫁女之家,三夜不息燭,思相離也。取婦之家,三日不舉樂,思嗣親也。是故昏禮不賀,人之序也。三月而廟見,稱來婦也。厥明見舅姑,舅姑降於西階,婦降自阼階,授之室也。孝子之情也。故禮者,因人情為文。《詩》曰:“親結其褵,九十其儀。”言多儀也。
女を嫁がす家は、三夜燭を熄めず、是れ互いに分離するを思念す。婦を娶る家は、三天楽を挙げず、是れ親を接続するを思念す。ここを以て婚礼は祝賀せず、是れ人の倫序なり。三箇月に廟に至りて拝見し、来りて婦と為すと称す。第二天早晨に舅姑を見、舅姑は西階より下り、婦は阼階より下り、室を彼女に授く。是れ孝子の情なり。ゆえに礼は人情に順って文を成すなり。『詩經』に曰く、「親は彼女に佩巾を結び、儀節九十様あり」と。是れ儀節多きを言うなり。
第三十四章
原天命,治心術,理好惡,適情性,而治道畢矣。原天命則不惑禍福,不惑禍福則動靜循理矣。治心術則不妄喜怒。不妄喜怒則賞罰不阿矣。理好惡則不貪無用。不貪無用則不以物害性矣。適情性則欲不過節,欲不過節則養性知足矣。四者不求於外,不假於人,反諸己而存矣。夫人者說人者也,形而為仁義,動而為法則。《詩》曰::“伐柯伐柯,其則不遠。”
天命を推原し、心術を治理し、好悪を条理し、情性を調適すれば、治道は完備す。天命を推原すれば則ち禍福に迷惑せられず、禍福に迷惑せられざれば則ち動静は理に遵循す。心術を治理すれば則ち妄りに喜怒せず、妄りに喜怒せざれば則ち賞罰偏私せず。好悪を条理すれば則ち用なきを貪らず、用なきを貪らざれば則ち物を以て性を傷害せず。情性を調適すれば則ち欲望は節度を超過せず、欲望が節度を超過せざれば則ち性を養い知足す。四様は外に求めず、人に借助せず、己に返回してすなわち存す。人は人に喜悦するなり、形を成せばすなわち仁義、動作すればすなわち法則なり。『詩經』に曰く、「斧柄を砍る斧柄を砍る、その法則遠からず」と。
韓詩外伝巻第三
第一章
傳曰:昔者舜甑盆無羶,而下不以餘獲罪。飯乎土簋,啜乎土型,而工不以巧獲罪。麑衣而執(下加皿)領,而女不以侈獲罪。法下易由,事寡易為,而民不以政獲罪。故大道多容,大德多下,聖人寡為,故用物常壯也。傳曰:易簡而天下之理得矣。忠易為禮,誠易為辭,賢人易為民,工巧易為材。《詩》曰:“岐有夷之行,子孫保之。”
伝に記す:昔舜の甑盆に膻味なく、而して下は余剩を以て罪を獲ず。土簋を以て飯を食い、土型を以て湯を飲み、而して工匠は工巧を以て罪を獲ず。麑衣を穿着して衣領を整理し、而して女子は奢侈を以て罪を獲ず。法は下に容易に遵循し、事少なくして為し易く、而して民は政令を以て罪を獲ず。ゆえに大道は多く能く容纳し、大徳は多く能く謙下し、聖人は作為少なく、ゆえに物を用う常に壮盛なり。伝に記す:簡易にして天下の理は得られたりと。忠は容易に礼と為り、誠は容易に辞と為り、賢人は容易に民と為り、工巧は容易に材と為る。『詩經』に曰く、「岐に平坦の道路あり、子孫これを保守す」と。
第二章
有殷之時,谷生湯之廷,三日而大拱。湯問伊尹曰:“何物也?”對曰:“谷樹也。”湯問:“何為而生於此?”伊尹曰:“谷之出澤野物也,今生天子之庭,殆不吉也。”湯曰:“奈何?”伊尹曰:“臣聞妖者禍之先,祥者福之先。見妖而為善,則禍不至,見祥而為不善,則福不臻。”湯乃齋戒靜處,夙興夜寐,弔死問疾,赦過賑窮,七日而谷亡。妖孽不見,國家其昌。《詩》曰:“畏天之威,於時保之。”
殷の時、谷は湯の廷中に生れ、三天にして大なること両手合抱す。湯は伊尹に問う、「何の物か?」回答す、「谷樹」と。湯は問う、「なぜここに生ず?」伊尹は曰く、「谷は沢野より出ず、是れ野物、今や天子の庭に生ず、ほぼ不吉利ならん」と。湯は曰く、「どう為さん?」伊尹は曰く、「臣は聞く、妖は禍の先兆、祥は福の先兆と。妖を見て善を為せば、則ち禍至らず。祥を見て不善を為せば、則ち福来らず」と。湯はすなわち斎戒静処し、早起晩睡し、死者を吊唁し病人を探問し、過失を赦免し窮困を賑済す、七天にして谷消失した。妖孽は再び出現せず、国家昌盛した。『詩經』に曰く、「天の威を畏懼し、すなわちこれを保守す」と。
第三章
昔者周文王之時,蒞國八年,夏六月,文王寢疾。五日而地動,東西南北不出國郊。有司皆曰:“臣聞地之動,為人主也。今者君王寢疾,五日而地動,四面不出國郊。群臣皆恐,請移之。”文王曰:“奈何其移之也?”對曰:“興事動眾以增國城,其可以移之乎。”文王曰:“不可。夫天之見妖,是罰有罪也。我必有罪,故天以此罰我也。今又專動眾以增國城,是重吾罪也。不可以移之。昌也請改行重善以移之,其可以免乎。”於是遂謹其禮袟、皮革,以交諸侯;飾其辭令幣帛,以禮俊士;頒其爵列、等級、田疇,以賞群臣。行此無幾何而疾止。文王即位八年而地動,地動之後四十三年,凡蒞國五十一年而終。此文王之所以踐妖也。《詩》曰:“畏天之威,於時保之。”
昔周文王の時、国に臨むこと八年、夏六月、文王は病に卧す。五天地動し、東西南北国郊を出でず。有司はみな曰く、「臣は聞く、地動は、人主を以てすと。今君王は病に卧し、五天地動し、四面国郊を出でず。群臣みな恐懼す、それを遷移せんことを請う」と。文王は曰く、「どうしてそれを遷移せん?」回答す、「事を興し衆人を発動して国城を增高すれば、ほぼ遷移すべきか」と。文王は曰く、「不可。天は妖を顕現するは、有罪を懲罰す。我は必ず罪あり、ゆえに天はこれを以て我を懲罰す。今また専ら衆人を発動して国城を增高するは、我が罪を加重するなり。遷移すべからず。昌は行為を改進し善を加重してそれを遷移せんことを請う、ほぼ免れんか」と。すなわち礼籍・皮革を謹慎し、以て諸侯を結交し、辞令幣帛を修飾し、以て俊士を礼待し、爵列・等級・田疇を頒布し、以て群臣を賞賜した。これらを实行して没久しく、病は則ち止住した。文王は位に即くこと八年にして地動し、地動の後四十三年、一共に国に臨むこと五十一年にして終わった。是れ文王が妖を践踏した所以なり。『詩經』に曰く、「天の威を畏懼し、すなわちこれを保守す」と。
第四章
王者之論德也,不尊無功,不官無德,不誅無罪,朝無幸位,民無幸生。故上賢使能而等級不踰,折暴禁悍而刑罰不過,百姓曉然皆知夫為善於家,取賞於朝也,為不善於幽而蒙刑于顯也。《詩》曰:“明昭有周,式序在位。”
王者は徳を論じ、功なきを尊崇せず、徳なきに官を授けず、罪なきを誅殺せず、朝廷に僥倖の位子なく、民に僥倖の生存なし。ゆえに上賢・能人を使用して等級越えず、暴虐を折服し強悍を禁止して刑罰過分せず、百姓は明白にみな家に善を為し、朝廷にて賞を取得し、暗処に不善を為して顕処にて刑を蒙受するを知る。『詩經』に曰く、「昭明の周、次序に按じて位に在るを排列す」と。
第五章
傳曰:以從俗為善,以貨財為寶,以養性為已至道,是民德也,未及於士也。行法而志堅,不以私慾害其所聞,是勁士也,未及於君子也。行法而志堅,好修其所聞以矯其情,言行多當,未安諭也,知慮多當,未周密也,上則能大其所隆也,下則開道不若己者,是篤厚君子,未及聖人也。若夫修百王之法,若別白黑,應當世之變,若數一二,行禮要節,若性四支,因化立功,若推四時,天下得序,群物安居,是聖人也。《詩》曰:“明昭有周,式序在位。”
伝に記す:習俗に順従するを以て善と做し、貨財を以て宝と做し、性を養うを以て自己極至の道と做す、是れ民の徳、いまだ士に至らず。法を实行して志向堅定し、私欲を以て聞説する所を傷害せず、是れ剛勁の士、いまだ君子に至らず。法を实行して志向堅定し、聞説する所を修養して性情を矯正するを好み、言行多く得当なるもいまだ安穏曉諭せず、智慮多く得当なるもいまだ周密ならず、上に対しては則ち尊崇する所を拡大し、下に対しては則ち己に如かざるを開導す、是れ篤厚の君子、いまだ聖人に至らず。百王の法を修養し、白黒を分別するがごとく、当世の変化に応対し、一二を数うるがごとく、礼を实行し要约節し、四肢を使用するがごとく、変化に順って功を立て、四時を推移するがごとく、天下は次序を得、群物は安居す、是れ聖人。『詩經』に曰く、「昭明の周、次序に按じて位に在るを排列す」と。
第六章
魏文侯欲置相,召李克問曰:“寡人慾置相,非翟黃則魏成子。願卜之於先生。”李克避席而辭曰:“臣聞之:‘卑不謀尊疎不間親。’臣外居者也,不敢當命。”文侯曰:“先生臨事勿讓。”李克曰:“夫觀士也,居則視其所親,富則視其所與,達則視其所舉,窮則視其所不為,貧則視其所不取。此五者足以覌矣。”文侯曰:“請先生就舍,寡人之相定矣。”李克出遇翟黃,翟黃曰:“今日聞君召先生而卜相,果誰為之?”李克曰:“魏成子為之。”翟黃悖然作色曰:“吾何負於魏成子?西河之守,吾所進也。君以鄴為憂,吾進西門豹。君欲伐中山,吾進樂羊。中山既拔,無守之者,吾進先生。君欲置太子傅,吾進趙蒼唐。皆有成功就事。吾何負於魏成子?”克曰:“子之言克於子之君也,豈比周以求大官哉?君問置相非成則黃,二子如何?臣對曰:‘君不察故也。居則視其所親,富則視其所與,達則視其所舉,窮則視其所不為,貧則視其所不取。五者足以定矣,何待克哉!’以知魏成子為相也。且子焉得與魏成子比乎?魏成子食祿千鍾,什一在內,九在外,以聘約天下之士。是以東得卜子夏、田子方、段幹木。此三人君皆師友之。子之所進皆臣之,子焉得與魏成子比乎?”翟黃逡巡再拜曰:“鄙人固陋,失對於夫子。”“明昭有周,式序在位。”
魏文侯は相を設置せんと欲し、李克を召して問うた、「寡人は相を設置せんと欲す、翟黄に非ざれば則ち魏成子。先生に問卜せんことを願う」と。李克は席位を離れて推辞して曰く、「臣は聞く、『地位低きは尊貴を謀劃せず、疏遠は親近を離間せず』と。臣は外居の人、敢えて命令を担当せず」と。文侯は曰く、「先生は事に臨みて謙譲する勿れ」と。李克は曰く、「士を観察するは、閑居なれば則ちその親近する所を看、富なれば則ちその給与する所を看、顕達なれば則ちその挙荐する所を看、困窮なれば則ちその為さざる所を看、貧なれば則ちその取らざる所を看る。この五様は足りて観察す」と。文侯は曰く、「先生に館舎に回らんことを請う、寡人の相は定まった」と。李克は出でて翟黄に遇い、翟黄は曰く、「今日君が先生を召して設相を問卜したを聞く、究竟誰が為す?」李克は曰く、「魏成子が為す」と。翟黄は勃然として色を変じて曰く、「我はどこに魏成子に比べざらん?西河の守は、我が進荐する所。君は鄴を以て憂と為し、我は西門豹を進荐した。君は中山を伐たんと欲し、我は楽羊を進荐した。中山すでに攻下せられ、守る人なく、我は先生を進荐した。君は太子傅を設置せんと欲し、我は趙蒼唐を進荐した。みな成功あり成就事あり。我はどこに魏成子に比べざらん?」李克は曰く、「あなたはあなたの君に克を称説す、豈に党を結びて大官を求めんとするか?君は設相を問うに成に非ざれば黄、こ両人はどうか?臣は回答す、『君は考察せざるの縁故。閑居なれば則ちその親近する所を看、富なれば則ちその給与する所を看、顕達なれば則ちその挙荐する所を看、困窮なれば則ちその為さざる所を看、貧なれば則ちその取らざる所を看る。五様足りて決定す、何ぞ必ずしも克を待たんや!』ここを以て魏成子が相を為すを知る。況んやあなたはどうして魏成子と比べられんや?魏成子は禄千鐘を食み、十分之一は内に在り、十分之九は外に在り、以て天下の士を聘約す。ここを以て東に卜子夏・田子方・段干木を得たり。こ三人是れ君みな以て師友と為す。あなたの進荐する所はみな臣、あなたはどうして魏成子と比べられんや?」翟黄は遅疑後退して再拝して曰く、「鄙人は本来浅陋、夫子に答え誤れり」と。『詩經』に曰く、「昭明の周、次序に按じて位に在るを排列す」と。
第七章
成侯嗣公,聚斂計數之君也,未及取民也。子產取民者也,未及為政也。管仲為政者也,未及修禮也。故修禮者王,為政者強,取民者安,聚斂者亡。聚斂以招寇,積財以肥敵,危身亡國之道也,故明君不蹈也。將修禮以齊朝,正法以齊官,平政以齊下,然後節奏齊乎朝,法則度量正乎官,忠信愛利刑乎下。如是百姓愛之如父母,畏之如神明,是以德澤洋乎海內,福祉歸乎王公。《詩》曰:“降福簡簡,威儀昄昄。”
成侯嗣公は、聚斂計数の君、いまだ民心を取得するに至らず。子産は民心を取得する、いまだ為政に至らず。管仲は為政する、いまだ礼を修むるに至らず。ゆえに礼を修むるは王と称し、為政するは強、民心を取得するは安、聚斂するは滅亡す。聚斂して寇を招き、財を積みて敵を肥やすは、危身亡国の道、ゆえに明君は走らず。将に礼を修めて朝廷を斉整し、法を端正して官を斉整し、政を平和にして下を斉整せんとして、然る後に節奏は朝に斉整し、法則度量は官に端正し、忠信愛利は下に形成す。このごとくなれば百姓は彼を愛すること父母のごとく、彼を畏懼すること神明のごとく、ここを以て徳沢は海内に洋溢し、福祉は王公に帰到す。『詩經』に曰く、「降下する福盛大、威儀壮盛」と。
第八章
楚莊王寢疾,卜之,曰“可為祟”。大夫曰:“請用牲。”莊王曰:“止。古者聖王之制,祭不過望。濉、漳、江、漢,楚之望也。寡人雖不德,河非所獲罪也。”三日而疾有瘳。孔子聞之曰:“楚莊王之霸,其有方矣。制節守職,其霸不亦宜乎!”《詩》曰:“嗟嗟保介。”莊王之謂也。
楚荘王は病に卧し、卜に問えば、曰く「河神が作祟す」と。大夫は曰く、「犠牲を用いんことを請う」と。荘王は曰く、「止まれ。古代聖王の制度は、祭祀は望祭を超過せず。濉・漳・江・漢は、楚の望なり。寡人はたとい徳なくとも、河は獲罪する所に非ず」と。三天にして病愈えた。孔子は聞きて後曰く、「楚荘王の覇を称するは、方法あるなり。節度を制し職分を守る、彼が覇を称するもまた適宜ならずや!」『詩經』に曰く、「嘆くべきかな保護輔助する人」と。言うは荘王なり。
第九章
人主之疾,十有二發,非有賢醫,莫能治也。何謂十二發?曰:支、隔、肓、煩、喘、痺、風,此之曰十二發。賢醫治之如何?曰:省事輕刑,則痿不作。無使小民飢寒,則蹶不作。無令財貨上流,則逆不作。無令倉廩積腐,則脹不作。無使府庫充實,則滿不作。無使群臣縱恣,則支不作。無使下情不上通,則隔不作。上振恤下,則肓不作。法令奉行,則煩不作。無使下怨,則喘不作。無使賢人伏匿,則痺不作。無使百姓歌吟誹謗,則風不作。夫重臣群下者,人主之心腹支體也。心腹支體無疾,則人主無疾矣。故非有賢醫,莫能治也。人主皆有此十二疾而不用賢醫,則國非其國也。《詩》曰:“多將熇熇,不可救藥。”終亦必亡而已矣。故賢醫用,則眾庶無疾,況人主乎?
人主の病は、十二種の発作あり、賢医なくば、治する能くする人なし。何を十二種発作と謂う?曰く、痿・蹶・逆・脹・満・支・隔・肓・煩・喘・痹・風、これを則ち十二種発作と謂う。賢医はどう治する?曰く、事を省み刑を軽くすれば、則ち痿発作せず。小民を饑寒せしめざれば、則ち蹶発作せず。財貨を上に流れしめざれば、則ち逆発作せず。倉廩を積腐せしめざれば、則ち脹発作せず。府庫を充実せしめざれば、則ち満発作せず。群臣を放縱せしめざれば、則ち支発作せず。下情を上に通ぜしめざれば、則ち隔発作せず。上に在りて下を賑恤すれば、則ち肓発作せず。法令奉行すれば、則ち煩発作せず。下を怨せしめざれば、則ち喘発作せず。賢人を隠伏せしめざれば、則ち痹発作せず。百姓を歌吟誹謗せしめざれば、則ち風発作せず。重臣群下は、人主の心腹肢体なり。心腹肢体に病なくば、則ち人主に病なし。ゆえに賢医なくば、治する能くする人なし。人主はみなこの十二種の病ありて賢医を用いざれば、則ち国は則ち彼の国に非ざらん。『詩經』に曰く、「多く烈火を焼旺せば、救薬すべからず」と。終に必ず滅亡するのみ。ゆえに賢医用いらるれば、則ち衆庶に病なし、まして人主においてをや?
第十章
傳曰:太平之時,無瘖龍(加疒),跛眇,尫蹇,侏儒,折知,父不哭子,兄不哭弟,道無襁負之遺育。然各以其序終者,賢醫之用也。故安止平正,除疾之道無他焉,用賢而已矣。《詩》曰:“有瞽有瞽,在周之庭。”紂之餘民也。
伝に記す:太平の時は、瘖聾・跛眇・尫蹇・侏儒・折断智慧なく、父は子を哭せず、兄は弟を哭せず、路上に襁褓遺失の幼孩なし。しかるに各々次序に按じて終結するは、賢医の任用なり。ゆえに安定平正、病を除く道は他なく、賢を用いるのみ。『詩経』に曰く、「盲楽師あり盲楽師あり、周の庭に在り」と。是れ紂の剩余の民なり。
第十一章
傳曰:喪祭之禮廢,則臣子之恩薄。臣子之恩薄,則背死亡生者眾。《小雅》曰:“子子孫孫,勿替引之。”
伝に記す:喪祭の礼廃棄すれば、則ち臣子の恩薄し。臣子の恩薄ければ、則ち死亡を背棄し生存を軽視する人多し。『小雅』に曰く、「子子孫孫、廃棄する勿れ、長久延續せよ」と。
第十二章
人事倫則順於鬼神,順於鬼神則降福孔皆。《詩》曰:“以享以祀,以介景福。”
人事に倫あれば則ち鬼神に順従し、鬼神に順従すれば則ち降下する福甚だ周遍す。『詩經』に曰く、「以て献享し以て祭祀し、以て大福を求め得ん」と。
第十三章
武王伐紂,到於邢丘,軛折為三,天雨三日不體。武王心懼,召太公而問。曰:“意者紂未可伐乎?”太公對曰:“不然。軛折為三者,連當分為三也。天雨三日不休,欲灑吾兵也。”武王曰:“然何若矣?”太公曰:“愛其人者,及屋上烏,惡其人者,憎其胥餘。鹹劉厥敵,靡使有餘。”武王曰:“於戲維遹案:天下未定也。”周公趨而進曰:“不然,使各度其宅,而佃其田,無獲舊新。百姓有過,在予一人。”武王曰:“於戲!天下已定矣。”乃修武勒兵於寧,更名邢丘曰懷寧,曰修武,行克紂於牧之野。《詩》曰:“牧野洋洋,檀車皇皇,駟騵彭彭。維師尚父,時為鷹揚,亮彼武王,肆伐大商,會朝清明。”既反商,封黃帝之後於薊,封帝堯之後於祝,封舜之後於陳。下車而封夏后氏之後於杞,封殷之後於宋,比干之墓,釋箕子之囚,表商之閭。濟河而西,馬放華山之陽,示不復乘也。牛放桃林之野,未不復服也。車甲釁而藏之於府庫,示不復用也。於是廢軍而郊射,左射狸首,右射騶虞,然後天下知武王不復用兵也。祀乎是月堂項目民知孝,朝覲然後諸侯知所以臣,耕籍然後諸侯知所以敬。坐三老五更於大學,天子執醤而饋,執爵而酳,所以教諸侯之悌也。此四者,天下之大教也。夫武之久不亦宜乎?《詩》曰:“勝殷遏劉,耆定爾功。”言武伐紂而殷亡也。
武王が紂を伐ち、邢丘に至り、車軛は三截に折れ、天は雨三天にして停まらず。武王は心に恐懼し、太公を召して問う。曰く、「恐らく紂はなお伐つべからざるか?」太公は回答す、「然らず。軛が三截に折るるは、軍隊は三部に分かるべし。天の雨が三天にして停まらざるは、我が兵器を洒洗せんと欲す」と。武王は曰く、「然らばどうすべきか?」太公は曰く、「あの人を愛するは、屋上の烏鴉に連えりても愛す。あの人を厭悪するは、その胥余に連えりても憎悪す。あの敵人を全部殺し尽くし、剩余あらしめざれ」と。武王は曰く、「嗚呼、天下はいまだ安定せず」と。周公は快步進前して曰く、「然らず、各人をしてその宅に居住せしめ、その田を耕種せしめ、旧人と新人を分別せず。百姓に過失あれば、我が一人に在り」と。武王は曰く、「嗚呼!天下はすでに安定せり」と。すなわち寧地にて武備を修整し軍隊を約束し、邢丘を懐と改名し、寧を修武と改名し、終に牧野にて紂に戦勝した。『詩経』に曰く、「牧野広闊、檀木戦車煌煌、四匹の赤身白腹の馬彭彭。太師尚父、こ時鷹のごとく飛揚し、あの武王を輔佐し、すなわち大商を討伐し、会合の朝清明」と。すでに商に入り、黄帝の後裔を薊に封じ、帝堯の後裔を祝に封じ、舜の後裔を陳に封じた。車を下りて夏后氏の後裔を杞に封じ、殷の後裔を宋に封じ、比干の墓を培修し、箕子の囚を釋放し、商容の閭巷を表彰した。河を渡りて西に向かい、馬を華山の南面に放ち、以て再び乗らざるを表示し、牛を桃林の野に放ち、以て再び役使せざるを表示した。車甲に血を涂りて府庫に收藏し、以て再び用いざるを表示した。すなわち軍旅を廃除して郊外にて射箭し、左は狸首を射、右は騶虞を射し、然る後に天下は武王が再び兵を用いぬを知った。明堂にて祭祀して然る後に民は孝を知り、朝覲して然る後に諸侯は臣たる所以を知り、籍田を耕して然る後に諸侯は敬する所以を知った。三老五更をして太学に坐せしめ、天子は醤を持ちて饋食し、爵を持ちて酳酒し、以て諸侯に悌を教えた。この四様は、天下の大教なり。武功の長久なるもまた適宜ならずや?『詩経』に曰く、「殷に戦勝し殺戮を制止し、あなたの功を成就す」と。是れ武王が紂を伐ちて殷滅亡したを言うなり。
第十四章
孟嘗君請學於閔子,使車往迎閔子。閔子曰:“禮有來學無往教。致師而學不能學,往教則不能化君也。君所謂不能學者也,臣所謂不能化者也。”於是孟嘗君曰:“敬聞命矣。”明日袪衣請受業。《詩》曰:“敬聞命矣。”
孟嘗君は閔子に学ぶを請い、車を派して閔子を迎接せしめた。閔子は曰く、「礼は来り学ぶありて往き教うるなし。老師を招致して来り学ばしむるは能く学ばず、往き教うるは則ち君を感化する能わず。君はいわゆる能く学ばざる、臣はいわゆる能く感化せざるなり」と。すなわち孟嘗君は曰く、「恭敬して命令を聞いた」と。第二天は衣襟を提起して受業を請うた。『詩經』に曰く、「恭敬して命令を聞いた」と。
第十五章
劍雖利,不厲不斷。材雖美,不學不高。雖有旨酒嘉殽,不嘗不知其旨。雖有善道,不學不達其功。故學然後知不足,教然後知不究。不足,故自愧而勉。不究,故盡師而熟。由此觀之,則教學相長也。子夏問《詩》,學一以知二。孔子曰:“起予者,商也。始可與言《詩》已矣!”孔子賢乎英傑而聖德備,弟子被光景而德彰。《詩》曰:“日就月將。”
剣は鋒利といえども、磨がざれば断つ能わず。材は美といえども、学ばざれば高からず。たとい美酒佳肴あるも、嚐めざればその美味を知らず。たとい善道あるも、学ばざればその功に達せず。ゆえに学んで然る後に不足を知り、教えて然る後に窮尽せざるを知る。不足なれば、ゆえに自ら慚愧して勉励す。窮尽せざれば、ゆえに師に尽心して熟練す。これより観れば、教学は互相増長す。子夏は『詩』を問い、一様を学びて両様を知る。孔子は言った。「我を啓発するは商なり。はじめて彼とともに『詩』を談論すべし!」孔子は英杰より賢にして聖徳完備し、弟子は光影を承受して徳彰明す。『詩經』に曰く、「日に成る所有り月に進む所有り」と。
第十六章
凡學之道,嚴師為難。師嚴,然後道尊。道尊,然後民知敬學。故太學之禮,雖詔於天子,無北面,尊師尚道也。故不言而信,不怒而威,師之謂也。《詩》曰:“日就月將,學有緝熙於光明。”
およそ学習の道は、老師を尊厳するが最難。老師尊厳なれば、然る後に道は尊崇せらる。道尊崇せられれば、然る後に民は敬学を知る。ゆえに太学の礼は、たとい天子に詔告するも、北面せず、是れ老師を尊崇し道を崇尚するなり。ゆえに言せずして人を信せしめ、怒らずして威有るは、言うは老師なり。『詩經』に曰く、「日に成る所有り月に進む所有り、学習連続光明して大明に至る」と。
第十七章
傳曰:宋大水,魯人吊之曰:“天降淫雨,延及君地,以憂執政,使臣敬吊。”宋人應之曰:“寡人不仁,齋戒不修,使民不時。天加以災,又遺君憂。拜命之辱。”孔子聞之,曰:“宋國其庶幾矣!”弟子曰:“何謂?”孔子曰:“昔桀紂不任其過,其亡也忽焉。成湯文王知任其過,其興也勃焉。過而改之,是不過也。”宋人聞之,乃夙興夜寐,弔死問疾,戮力宇內。三歲,年豐政平。鄉使宋人不聞孔子之言,則年穀未豐,而國家未寧。《詩》曰:“弗時仔肩,示我顯德行。”
伝に記す:宋に大水を発し、魯人は吊唁して曰く、「天は过量の雨を降下し、君の地に延及し、執政を憂慮せしめに来り、臣を派して恭敬に吊唁せしむ」と。宋人は応答す、「寡人は不仁、斎戒修めず、民を役使するに時に按せず。天は災を加え、また君に憂慮を留む。命令の屈辱を拜謝す」と。孔子は聞きて後曰く、「宋国はほぼそうであろう!」弟子は曰く、「何の意か?」孔子は言った。「昔桀紂は過失を承担せず、滅亡すること甚だ速し。成湯文王は過失を承担するを知り、興起すること甚だ迅猛なり。過失ありて改正すれば、則ち過失なし。」宋人は聞きて、すなわち早起晩睡し、死者を吊唁し病人を探問し、宇内にて力を尽くした。三年、年成豊収・政治平和す。もし宋人が孔子の言を聞かざりしならば、則ち年谷は豊収せざらん、而して国家は安寧せざらん。『詩經』に曰く、「時に非ずして重任を担当し、顕明の徳行を我に指示す」と。
