第二十六章
晏子之妻布衣紵表。田無宇譏之曰:“出於室何為者也?”晏子曰:“臣家也。”田無宇曰:“位為中卿,食田七十萬,何用是人為畜之?”晏子曰:“棄老取少謂之瞽,貴而忘賤謂之亂,見色而說謂之逆。吾豈以逆辭之瞽之道哉。”
晏子の妻子は布衣纻表を穿着せり。田無宇は譏諷して曰く、「室里より出づるは何を爲す?」晏子は曰く、「是れ臣の家人」と。田無宇は曰く、「位子は中卿、食田七十萬、なぜこ人を用いて畜養する?」晏子は曰く、「老いたるを拋棄して少なきを娶るを瞽と謂い、貴にして賤を忘るるを亂と謂い、色を見て喜悅するを逆と謂う。我はどこに逆・亂・瞽の道を用いんや」と。
第二十七章
夫鳳凰之初起也,翾翾十步,藩籬之雀,喔吚而笑之。一詘一信,展羽雲間,藩籬之雀超然自知不及遠矣。士褐衣縕著未嘗完也,糲荅之食未嘗飽也,世俗之士即以為羞耳。及其出則安百議,用則延民命,世俗之士超然自知不及遠矣。《詩》曰:“正是國人,胡不萬年!”
鳳凰は剛く飛起し、翾翾として十步、藩籬の雀は喔咿として彼を嘲笑す。一屈一伸して、雲間に羽を展開すれば、藩籬の雀は超然として自ら趕上せざる遠きを知れり。士は褐衣縕絮を穿着してかつて完好せず、糙豆の飯はかつて飽食せず、世俗の士は則ち以て羞恥と爲す。彼が出でれば則ち百議を安定し、用いられれば則ち民命を延長するに及び、世俗の士は超然として自ら趕上せざる遠きを知れり。『詩經』に曰く、「こ國人を端正せよ、なぜ萬年ならざらん!」
第二十八章
齊王厚送女,欲妻奢牛吐。屠牛吐辭以疾。其友曰:“子終死腥臭之肆而已乎,何謂辭之?”吐應之曰:“其女丑。”其友曰:“子何以知之?”吐曰:“以吾屠知之。”其友曰:“何謂也?”吐曰:“吾肉善,如量而去苦少耳。吾肉不善,雖以他附益之,尚猶賈不售。今厚送子,子丑故耳。”其友後見之,果醜。傳曰:目如擗杏,齒如編蠁。
齊王は厚く女兒を送り、屠牛吐に嫁さんと欲せり。屠牛吐は病を用いて推辭せり。彼の朋友は曰く、「您は終に腥臭の肆裏に死せんとするか、なぜ推辭する?」吐は應答す、「あの女兒は醜し」と。朋友は曰く、「您は何を憑りて知る?」吐は曰く、「我が屠宰を用いて知れり」と。朋友は曰く、「何の意思か?」吐は曰く、「我が肉好ければ、量に按じて去るになお少なしと嫌う。我が肉好からざれば、たとい別のを以て附益すとも、なお賣掉せず。今厚く您に送るは、是れ女兒の醜きの緣故のみ」と。朋友は後に見て、果して醜し。傳に記す:眼睛は裂開の杏のごとく、牙齒は編起の蛹のごとし。
第二十九章
傳曰:孔子過康子,子張子夏從。孔子入坐,二子相與論,終日不決。子夏辭氣甚隘,顏色甚變。子張曰:“子亦聞夫子之議論邪?徐言誾誾,威儀翼翼,後言先默,得之推讓,巍巍乎,蕩蕩乎,道有歸矣!小人之論也,專意自是,言人之非,瞋目搤腕,疾言噴噴,口沸目赤。一幸得勝,疾笑嗌嗌。威儀固陋,辭氣鄙俗,是以君子賤之也。”
傳に記す:孔子は康子を拜訪し、子張・子夏は跟隨せり。孔子は進入して坐し、二人は互相に論じ、整天して決せず。子夏は辭氣甚だ狹隘にして、臉色大變せり。子張は曰く、「您もまた夫子の議論を聞いたるか?慢慢と説き訚訚とし、威儀翼翼とし、後に説き先に沉默し、得れば則ち推讓し、巍巍かな、蕩蕩かな、道に歸宿有り!小人の論は、專意に自己を是と爲し、別人の不對を説き、眼を瞪え腕を扼え、話は急得噴噴として、口は沸き眼睛は紅し。一旦僥倖に勝を得れば、笑い急に嗌嗌たり。威儀は固陋にして、辭氣は鄙俗、こを以て君子は看輕す」と。
韓詩外傳 卷第十
第一章
齊桓公逐白鹿,至麥丘,見邦人曰:“爾何謂者也?”對曰:“臣麥丘之邦人。”桓公曰:“叟年幾何?”對曰:“臣年八十有三矣。”桓公曰:“美哉壽也!”與之飲。曰:“叟盍為寡人壽也?”對曰:“野人不知為君王之壽。”桓公曰:“盍以叟之壽祝寡人矣!”邦人奉觴再拜曰:“使吾君固壽,金玉之賤,人民是寶。”桓公曰:“善哉祝乎!寡人聞之矣,至德不孤,善言必再,叟盍復之。”邦人奉觴再拜曰:“使吾君好學而不惡下問。賢者在側,諫者得入。”桓公曰:“善哉客乎!寡人聞之,至德不孤,善言必三,叟盍復之。”邦人奉觴再拜曰:“無使群臣百姓得罪於吾君,亦無使吾君得罪於群臣百姓。”桓公不說曰:“此一言者,非夫前二言之祝,叟其革之矣。”邦人瀾然而涕下,此一言者,夫前二言之上也。臣聞子得於父,可因姑姊妹而謝也,父乃赦之。臣得罪於君,可使左右而謝也,君乃赦之。昔者桀得罪湯,紂得罪於武王,此君得罪於臣也,至今未有為謝者。”桓公曰:“善哉!寡人賴宗廟之福,社稷之靈,使寡人遇叟於此。”扶而載之,自御以歸,薦之於廟而斷政焉。桓公之所以九合諸侯,一匡天下,不以兵車,非獨管仲也,亦遇之於是。《詩》曰:“濟濟多士,文王以寧。”
齊桓公は白鹿を追逐し、麥丘に至り、邦人を見て曰く、「あなたは何を爲す?」回答す、「臣是れ麥丘の邦人」と。桓公は曰く、「叟の年紀は多少?」回答す、「臣の年紀は八十三」と。桓公は曰く、「美かな長壽!」彼と飲酒す。曰く、「叟はなぜ寡人に替わりて祝壽せざる?」回答す、「野人は君王のために祝壽するを懂得せず」と。桓公は曰く、「なぜ叟の壽を以て寡人に祝せざる!」邦人は觴を捧げ再拜して曰く、「我らの君をして實に長壽ならしめ、金玉は看輕し、人民を寶と當てん」と。桓公は曰く、「好しかなこ祝!寡人は聞けり、至德は孤單ならず、善言は一定に再説す、叟はなぜ重複せざる」と。邦人は觴を捧げ再拜して曰く、「我らの君をして學を愛好して下に問うを厭惡せざらしめん。賢者は旁邊に在り、進諫するは得て進入せん」と。桓公は曰く、「好しかなこ客!寡人は聞く、至德は孤單ならず、善言は一定に三次す、叟はなぜ重複せざる」と。邦人は觴を捧げ再拜して曰く、「群臣百姓をして吾君に得罪せしむる勿れ、また吾君をして群臣百姓に得罪せしむる勿れ」と。桓公は高興せず曰く、「こ一句話は、前兩句の祝に非ず、叟はなお改めよ」と。邦人は瀾然として淚を流し、こ一句話は、是れ前兩句の上なり。臣は聞く、兒子は父に得罪すれば、以て姑姊妹を通じて謝罪すべく、父は則ち赦免す。臣は君に得罪すれば、以て左右に謝罪せしむべく、君は則ち赦免す。從前桀は湯に得罪し、紂は武王に得罪せり、是れ君が臣に得罪する、今に至るまで彼らに替わりて謝罪するなし」と。桓公は曰く、「好しかな!寡人は宗廟の福、社稷の靈に依賴し、寡人をしてここに叟に遇わしめり」と。扶持して載上し、自ら車を駕して歸り、廟に推薦して彼に政を決斷せしめたり。桓公の九合諸侯し、一匡天下し、兵車を用いざる所以は、ただ管仲のみならず、亦たここに遇上せり。『詩經』に曰く、「濟濟たる多士、文王はこを以て安寧す」と。
第二章
鮑叔薦管仲曰:“臣所不如管夷吾者五。寬惠柔愛,臣弗如也。忠信可結於百姓,臣弗如也,制禮約法於四方,臣弗如也。決獄折中,臣弗如也。執枹鼓立於軍門,使士卒勇,臣弗如也。”《詩》曰:“濟濟多士,文王以寧。”
鮑叔は管仲を擧薦して曰く、「臣の管夷吾に如かざるは五樣有り。寬惠柔愛は、臣は如かず。忠信は以て百姓と結交すべき、臣は如かず。禮を制定し四方に法を約束するは、臣は如かず。獄を決し折中するは、臣は如かず。枹鼓を持ちて軍門に立ち、士卒を勇ならしむは、臣は如かず」と。『詩經』に曰く、「濟濟たる多士、文王はこを以て安寧す」と。
第三章
晉文公重耳亡過曹,裡鳧須眾,因盜重耳資而亡。重耳無糧,餒不能行,子推割股肉以食重耳,然後能行。及重耳反國,國中多不附重耳者。於是裡鳧須造見曰:“臣能安晉國。”文公使人應之曰:“子尚何面目來見寡人慾安晉也!”裡鳧須曰:“君沐邪?”使者曰:“否。”裡鳧須曰:“臣聞沐者其心倒,心倒者其言悖。今君不沐,何言之悖也?”使者以聞。文公見之,裡鳧須仰首曰:“離國久,臣民多過君,君反國而民皆自危。裡鳧須又襲竭君之資,避於深山,而君以餒,介子推割股,天下莫不聞。臣之為賊亦大矣,罪至十族,未足塞責。然君誠赦之罪,與驂乘遊於國中,百姓見之,必知不念舊惡,人自安矣。”於是文公大悅,從其計,使驂乘於國中。百姓見之,皆曰:“夫裡鳧須且不誅而驂乘,吾何懼也!”是以晉國大寧。故《書》云:“文王卑服,即康功田功。”若裡鳧須,罪無赦者也。《詩》曰:“濟濟多士,文王以寧。”
晋文公重耳は出亡して曹を經過し、里鳧須衆人は、こを以て重耳の資財を盜取して逃れり。重耳は糧なく、餓えて走る能わず、子推は股肉を割きて重耳に吃さしめ、然る後に能く走れり。重耳が國に返回するに及び、國中に多く重耳に親附せざる有り。すなわち里鳧須は前來して見んことを求めて曰く、「臣は能く晋國を安定せん」と。文公は人を派して應答せしめて曰く、「您はなお何の面目有りて寡人を見て晋を安定せんと欲する!」里鳧須は曰く、「君は頭を洗うか?」使者は曰く、「無し」と。里鳧須は曰く、「臣は聞く、頭を洗う人は心は倒轉し、心倒轉すれば話は悖亂す。今君は頭を洗わず、なぜ話悖亂する?」使者は告げたり。文公は彼を見、里鳧須は頭を擡げて曰く、「國を離開すること久し、臣民多く君に對不起する有り、君は國に返回して民は皆自ら危險す。里鳧須はまた襲擊して君の資財を取盡し、深山に躲避し、而して君はこを以て挨餓し、介子推は股を割き、天下に聞こえざるなし。臣の賊を爲すは亦た大なり、罪は十族に至り、なお足らずして責を抵塞す。しかるに君が若し罪を赦免し、彼と驂乘して國中に游べば、百姓見て、必ず舊惡を記さざるを知り、人は自ら安定せん」と。すなわち文公は非常に喜悅し、彼の計に跟從し、彼をして國中に驂乘せしめたり。百姓は見て、皆曰く、「あの里鳧須はなお誅せられずして驂乘す、我らは何を怕れん!」こを以て晋國は大いに安寧せり。ゆえに『尚書』に曰く、「文王は卑服し、安民功田功に就着す」と。里鳧須のごときは、是れ罪赦免すべからざるなり。『詩經』に曰く、「濟濟たる多士、文王はこを以て安寧す」と。
第四章
傳曰:言為王之不易也。大命之至,其太宗、太史、太祝,斯素服執策,北面而吊乎天子曰:“享以祭,永主天命,畏之無疆,厥躬無敢寧。”授天子策二矣,曰:“敬之!夙夜伊,厥躬無怠。萬民望之。”授天子策三矣,曰:“天子南面受於帝位,以治為憂,未以位為樂也。”《詩》曰:“天難諶斯,不易惟王。”
傳に記す:是れ王を爲すの容易ならざるを言う。大命は到來し、あの太宗・太史・太祝は、素服を穿着し策を手持し、北面して天子に吊唁して曰く、「享用して以て祭り、永遠に天命を主持し、それを畏懼して疆界なく、自身敢えて安寧せず」と。天子に策を授給すること二、曰く、「敬なり!早朝より晩夕まで、自身怠慢する勿れ。萬民は仰望す」と。天子に策を授給すること三、曰く、「天子は南面して帝位より接受し、以て治理を憂と爲し、以て位子を樂と爲さず」と。『詩經』に曰く、「天は誠信し難く、容易ならざるはただ王なり」と。
第五章
君子溫儉以求於仁,恭讓以求於禮,得之自是,不得自是。故君子之於道也,猶農夫之耕,雖不獲年,優之無以易也。大王亶甫有子曰太伯、仲雍、季歷。歷有子曰昌。太伯知大王賢昌而欲季為後也,太伯去之吳。大王將死,謂曰:“我死,汝往讓兩兄,彼不來,汝有義而安。”大王薨,季之吳告伯仲,伯仲從季而歸。群臣欲伯之立季,季又讓。伯謂仲曰:“今群臣欲我立季,季又讓,何以處之?”仲曰:“刑有所謂矣,要於扶微者。可以立季。”季遂立而養文王,果受命而王。孔子曰:“太伯獨見,王季獨知。伯見父志,季知父心。故大王、太伯、王季,可謂見始知終而能承志矣。”《詩》曰:“自太伯王季。惟此王季,因心則友,則友其兄,則篤其慶,載錫之光,受祿無喪,奄有四方。”此之謂也。太伯反吳,吳以為君,至夫差二十八世而滅。
君子は溫儉を以て仁を求め、恭讓を以て禮を求め、得れば自然このごとく、得ざるも亦た自然このごとし。ゆえに君子の道に對するは、農夫の田を耕すがごとく、たとい年成を獲得せずとも、優游として改易するに用いるなし。大王亶甫に兒子有りて太伯・仲雍・季歷と曰う。歷に兒子有りて昌と曰う。太伯は大王が昌を以て賢と爲し季をして後を爲さしめんと欲するを知り、太伯は離開して吳に至れり。大王は將に死せんとして、曰く、「我死せば、あなたは前往して兩兄に讓れ、彼ら來らざれば、あなたは義有りて安寧せん」と。大王薨ずれば、季は吳に至り伯仲に告げ、伯仲は季に跟從して歸れり。群臣は伯に季を立てしめんと欲す、季はまた讓れり。伯は仲に對して曰く、「今群臣は我に季を立てしめんと欲す、季はまた讓る、どう處置せん?」仲は曰く、「刑に説く所有り、要約は微弱を扶持するに在り。以て季を立つべし」と。季はすなわち立ちて文王を養い、果して命を受け王と稱せり。孔子は言った。「太伯は獨り見、王季は獨り知れり。伯は父の志向を見、季は父の心を知れり。ゆえに大王・太伯・王季は、以て始を見て終を知りて能く志向を承受すると稱すべし」と。『詩經』に曰く、「太伯王季より。ただこ王季のみ、心に因りて友愛し、則ち彼の兄を友愛し、則ちあの慶を篤厚し、すなわち光を賜與し、祿を受けて喪失なく、四方を奄有す」と。言うはこのことなり。太伯は吳に返回し、吳は彼を用いて君と爲し、夫差に至るまで二十八世して滅亡せり。
第六章
齊宣王與魏惠王會田於郊。魏王曰:“亦有寶乎?”齊王曰:“無有。”魏王曰:“若寡人之小國也,尚有徑過之珠照車前後十二乘者十枚,奈何以萬乘之國無寶乎?”齊王曰:“寡人之小所以為寶與王異。吾臣有檀子者,使之守南城,則楚人不敢北郷為寇,泗水上有十二諸侯皆起來朝。吾臣有朌子者,使之守高唐,則趙人不敢東漁於河。吾臣有黔夫者,使之守徐州,則燕人祭北門,趙人祭西門,從而歸之者七千餘家。吾臣有種首者,使之備盜賊,而道不拾遺。吾將以照千里之外,豈特十二乘哉!”魏王慚,不懌而去。《詩》曰:“辭之懌矣,民之莫矣。”
齊宣王と魏惠王は郊に會獵せり。魏王は曰く、「亦た寶有るか?」齊王は曰く、「無し」と。魏王は曰く、「寡人のごとき小國も、なお直徑超過し、車前後十二乘を照らす珠十枚有り、なぜ萬乘之國を憑りて寶なからん?」齊王は曰く、「寡人の寶と當てる所以は王と同じからず。吾臣に檀子有り、彼をして南城を守らしめば、則ち楚人は敢えて北に向かいて寇を爲さず、泗水上に十二諸侯は皆起きて朝す。吾臣に朌子有り、彼をして高唐を守らしめば、則ち趙人は敢えて東に向かいて河裏に魚を打たず。吾臣に黔夫有り、彼をして徐州を守らしめば、則ち燕人は北門を祭り、趙人は西門を祭り、跟從して歸向する七千餘家有り。吾臣に種首有り、彼をして盜賊を防備せしむれば、而して道路は遺を拾わず。我は將にこれらを用いて千里の外を照らさん、どこにただ十二乘のみあらん!」魏王は慚愧し、不悅にして離去せり。『詩經』に曰く、「辭は喜悅せり、民は安定す」と。
第七章
東海有勇士,曰菑丘欣,以勇猛聞於天下。過神淵,曰:“飲馬。”其僕曰:“飲馬於此者,馬必死。”曰:“以欣之言飲之。”其馬果沉。菑丘欣去朝服拔劍而入,三日三夜,殺三蛟一龍而出。雷神隨而擊之,十日十夜,眇其左目。要離聞之,往見之,曰:“欣在乎?”曰:“送有喪者。”往見欣於墓。曰:“聞雷神擊子十日十夜,眇子左目。夫天怨不全日,人怨不旋踵。至今弗報,何也?”叱而去,墓上振憤者不可勝數。要離歸,謂門人曰:“菑丘欣,天下勇士也。今日我辱之人中,是其必來攻我。暮無閉門,寢無閉戶。”菑丘欣果夜來,拔劍拄要離頸,曰:“子有死罪三。辱我以人中,死罪一也。暮無閉門,死罪二也。寢不閉戶,死罪三也。”要離曰:“子待我一言。來謁,不肖一也。拔劍不刺,不肖二也。刃先辭後,不肖三也。能殺我者,是毒藥之死耳。”菑丘欣引劍而去曰:“嘻!所不若者,天下惟此子爾!”傳曰:公子目夷以辭得國,今要離以辭得身。言不可不文,猶若此乎?《詩》曰:“辭之懌矣,民之莫矣。”
東海に勇士有り、菑丘欣と曰い、勇猛を以て天下に聞こえり。神淵を經過し、曰く、「馬を飲め」と。僕人は曰く、「ここに馬を飲ましむるは、馬は一定に死す」と。曰く、「欣の話に按じて飲め」と。あの馬は果して沉沒せり。菑丘欣は朝服を去掉し劍を拔きて進入し、三天三夜、三蛟一龍を殺して出づ。雷神は跟從して擊打し、十天十夜、左眼を眇めり。要離は聞き、前往して彼を見て、曰く、「欣は在るか?」曰く、「喪事有るを送る」と。墓上に到り欣を見たり。曰く、「雷神が您を擊ち十天十夜、您の左眼を眇めたるを聞けり。天の怨は一天を超過せず、人の怨は腳跟を轉ぜず。今に至りて報せず、なぜか?」叱責して離去す、墓上に振憤するは勝數すべからず。要離は歸り、門人に對して曰く、「菑丘欣は、是れ天下の勇士。今天我は人中に彼を侮辱せり、彼は一定に來りて我を攻めん。晚上は門を關する勿れ、睡は戸を閉する勿れ」と。菑丘欣は果して夜裏に來り、劍を拔きて要離の頸に拄えて曰く、「您に死罪三樣有り。人中に我を侮辱す、是れ死罪一。晚上門を關せず、是れ死罪二。睡に戸を閉せず、是れ死罪三」と。要離は曰く、「您は我の一句話を待て。來りて謁見するは、不肖一。劍を拔きて刺さざるは、不肖二。刃は先にして辭は後なるは、不肖三。能く我を殺すは、是れ毒藥の死のみ」と。菑丘欣は劍を引き離去して曰く、「嘻!比上せざる所は、天下にただこ人一個のみ!」傳に記す:公子目夷は辭を用いて國を得、今要離は辭を用いて身を得たり。言語は文せざるべからず、なおこのごときか?『詩經』に曰く、「辭は喜悅せり、民は安定す」と。
第八章
傳曰:齊使使獻鴻於楚,鴻渇,使者道飲,鴻攫筥潰失。使者遂之楚,曰:“齊使臣獻鴻,鴻渇,道飲,攫筥潰失。臣欲亡去,為兩君之使不通。欲拔劍而死,人將以吾君賤士貴鴻也。攫筥在此,願以將事。”楚王賢其言,辯其詞,因留而賜之,終身以為上客。故使者必矜文辭,喻誠信,明氣志,解結申屈,然後可使也。《詩》曰:“辭之懌矣,民之莫矣。”
傳に記す:齊は使者を派して楚に鴻を獻ぜしめ、鴻は渴き、使者は路上に彼を飲ましめ、鴻は攫破して筥を逃失せり。使者はすなわち楚に至り、曰く、「齊は臣を派して鴻を獻ぜしむ、鴻は渴き、路上に飲み、攫破して筥を逃失せり。臣は逃亡して離去せんと欲すれど、兩君の使節の通ぜざらんことを怕る。劍を拔きて死せんと欲すれど、人は將に以て吾君は士を看輕し鴻を看重すと爲さん。破筥はここに在り、願わくは以て事を將せん」と。楚王は以て彼の話は賢、彼の辭は善辯と爲し、こを以て留下して彼に賜い、終身上客と當てり。ゆえに使者は一定に文辭を矜持し、誠信を曉喻し、氣志を顯明し、結を解開し屈を申述し、然る後に纔めて派すべし。『詩經』に曰く、「辭は喜悅せり、民は安定す」と。
第九章
扁鵲過虢侯,世子暴病而死。扁鵲造宮門,曰:“吾聞國中卒有壞土之事,得無有急乎?”曰:“世子暴病而死。”扁鵲曰:“入言鄭醫秦越人能活之。”中庶子好方者出應之,曰:“吾聞上古醫曰茅父,茅父之為醫也,以莞為席,以蒭為狗,北面而祝之,發十言耳,諸扶輿而來者皆平復如故。子之方豈能若是乎?”扁鵲曰:“不能。”又曰:“吾聞中古之為醫者曰踰跗,踰之為醫也,搦腦髓,爪荒莫,吹區九竅,定腦脫,死者復生。子之方豈能若是乎?”扁鵲曰:“不能。”中庶子曰:“茍如子之方,譬如以管窺天,以錐刺地,所窺者大,所見者小,所刺者巨,所中者少。如子之方,豈足以變駭童子哉?”扁鵲曰:“不然。事故有昧投而中蠡(上改為民)頭,掩目別白黑者。夫世子病所謂屍蹶者。以為不然,試入診世子股陰當溫,耳焦焦如有啼者聲。若此者,皆可活也。”中庶子遂入診世子,以病報虢侯。虢侯聞之,足跣而起,至門曰:“先生遠辱,幸臨寡人。先生幸而治之,則糞土之息,得蒙天載地長為人。先生弗治之,則先犬馬填溝壑矣。”言未卒而涕泣沾襟。扁鵲入,砥針礪石,取三陽五輸,子同搗藥,子明灸陽,子游按摩,子儀反神,子越扶形,於是世子復生。天下聞之,皆以扁鵲能起死人也。扁鵲曰:“吾不能起死人,直使夫當生者起耳。”夫死者猶可藥,而況生乎?悲夫!罷君之治,無可藥而息也。《詩》曰:“不可救藥。”言必亡而已矣。
扁鵲は虢侯を經過し、世子は暴病して死せり。扁鵲は宮門に至り、曰く、「我は聞く、國中に突然壞土の事有り、該りて急ならざらんか?」曰く、「世子は暴病して死せり」と。扁鵲は曰く、「進入して鄭醫秦越人は能く救活すと言え」と。中庶子の方術を愛好するは出でて應答して曰く、「我は聞く、上古の醫は茅父と曰い、茅父は醫を爲し、莞を用いて席を爲し、芻を用いて狗を爲し、北面して祝禱し、ただ十句話を發するのみ、凡そ扶輿して來るは皆平復して故のごとし。您の方は豈に能くこのごとくせんか?」扁鵲は曰く、「能わず」と。又曰く、「我は聞く、中古に醫を爲すは俞跗と曰い、俞跗は醫を爲し、腦髓を按じ、膏膜を抓み、九竅を吹嘘し、腦脫を安定し、死者は復生す。您の方は豈に能くこのごとくせんか?」扁鵲は曰く、「能わず」と。中庶子は曰く、「若し您の方のごときは、好比して管を用いて天を窺い、錐を用いて地を刺す、窺う所は大、見る所は小、刺す所は巨、中る所は少。您の方のごときは、どこに足りて驚駭童子を改變せん?」扁鵲は曰く、「然らず。事は本來暗投して蠓頭に中り、眼を掩いて黑白を分別する有り。世子の病は是れ説く所の尸蹶。以て是れのごとくならずと爲さば、試みに進入して世子の股陰を診れば該りて溫く、耳焦焦として啼の聲有るがごとし。こごときは、皆救活すべし」と。中庶子はすなわち進入して世子を診し、病を虢侯に報告せり。虢侯は聞き、腳を光にして起身し、門に至りて曰く、「先生は遠道を受辱し、幸いに寡人に臨めり。先生は幸いに治療せば、則ち糞土の子息は、得て天覆地載を蒙受して長く人を成さん。先生は治療せざれば、則ち先に犬馬に溝壑を塡めん」と。話は未だ說盡さずして涕泣は襟を沾せり。扁鵲は進入し、鍼を磨き石を礪し、三陽五輸を取り、子同は藥を搗き、子明は陽を灸し、子游は按摩し、子儀は神を返し、子越は形を扶け、すなわち世子は復生せり。天下は聞き、皆以て扁鵲は能く死を起こし生を回すと爲せり。扁鵲は曰く、「我は能く死人を起こさず、ただあの該りて活すべきをして起きしむるのみ」と。死人はなお藥を以てすべし、何を況んや活けるをや?可悲かな!疲罷の君の治理は、藥の救うべきなくして止息す。『詩經』に曰く、「藥に救うべからず」と。是れ一定に滅亡するのみを言うなり。
第十章
楚丘先生披蓑帶索,往見孟嘗君。孟嘗君曰:“先生老矣,春秋高矣,多遺忘矣,何以教文?”楚丘先生曰:“惡將使我老?惡將使我老?意者將使我投石超距乎?追車赴馬乎?逐麋鹿搏虎豹乎?吾則死矣,何暇老哉?將使我深計遠謀乎?役精神而決嫌疑乎?出正辭而當諸侯乎?吾乃始壯現,何老之有!”孟嘗君赧然,汗出至踵,曰:“文過矣,文過矣!”《詩》曰:“老夫灌灌。”
楚丘先生は蓑を披き索を帶び、前往して孟嘗君を見たり。孟嘗君は曰く、「先生は老いたり、春秋は高く、多く遺忘す、何を憑りて文を敎導せん?」楚丘先生は曰く、「どうして將に我を老せしめん?どうして將に我を老せしめん?恐らく將に我をして石を投げ距を超えしめんか?車を追い馬に赴かしめんか?麋鹿を追逐し虎豹を搏擊せしめんか?我は則ち死せん、どこに閒暇有りて老いん?將に我をして深計遠謀せしめんか?精神を役使して嫌疑を決斷せしめんか?正辭を出して諸侯に應對せしめんか?我は纔めて壯を開始す、どこに老あらん!」孟嘗君は赧然として、汗は腳跟に至りて出で、曰く、「文は錯えり、文は錯えり!」『詩經』に曰く、「老夫は懇懇たり」と。
第十一章
齊景公遊於牛山之上,而北望齊,曰:“美哉國乎!鬰鬰蓁蓁,使古而無死者,則寡人將去而何之!”俯而泣下沾襟。國子高曰:“然!臣賴君之賜,疏食惡肉可得而食也,駑馬柴車可得而乘也,且猶不欲死,而況君乎!”又俯而泣。晏子笑曰:“樂哉,今日嬰之遊也!見怯君一而諛臣二。使古而無死者,則太公至今猶存。吾君方今將被蓑苙而立乎畎畝之中,惟農事之恤,何暇念死乎!”景公慚而舉觴自罰,因罰二臣。
齊景公は牛山の上に游び、北に望みて齊を見て曰く、「美かなこ國!郁郁蓁蓁、假令古代に死する人なくば、則ち寡人は將に離開してどこに至らん!」頭を低くして哭泣し襟を沾せり。國子高は曰く、「是!臣は君の賜に依賴し、疏食惡肉は得て以て吃すべく、駑馬柴車は得て以て乘るべし、なお死せんと欲せず、何を況んや君をや!」また頭を低くして哭せり。晏子は笑い曰く、「快樂かな、今日の嬰の游!怯君一個と諛臣二個を見たり。假令古代に死する人なくば、則ち太公は今に至るまでなお在り。吾君は今將に蓑笠を披きて畎畝の中に立ち、ただ農事を憂慮し、どこに閒暇有りて死を思念せん!」景公は慚愧して觴を擧げ自ら罰し、こを以て二臣を罰せり。
第十二章
秦繆公將田,而喪其馬,求三日而得之於莖山之陽,有鄙夫乃相與食之。繆公曰:“此駁馬之肉,不得酒者死。”繆公乃求酒,徧飲之然後去。明年晉師與繆公戰,晉之右路石者圍繆公而擊之,甲已墮者六札矣。食馬肉者三百餘人,皆曰:“吾君仁而愛人,不可不死。”還擊晉之右路石,免繆公之死。
秦繆公は將に打獵せんとして、彼の馬を丟失し、三天求めて莖山の南面に得たり、鄙夫有りて正に互相に彼を吃す。繆公は曰く、「是れ駁馬の肉、酒を喝まざるは死せん」と。繆公はすなわち酒を求め、普遍に彼らに喝ましめて然る後に離去せり。第二年晋師は繆公と戰い、晋の右路石は繆公を圍困して擊打し、甲はすでに六層の札を墮壞せり。馬肉を吃した三百餘人は、皆曰く、「吾君は仁にして人を愛す、彼のために死せざるべからず」と。回擊して晋の右路石をし、繆公の死を免れしめたり。
第十三章
傳曰:卞莊好勇,母無恙時,三戰而北,交遊非之,國君辱之。卞莊子受命,顏色不變。乃母死三年,魯興師,卞莊子請從。至見於將軍曰:“前猶與母處,是以戰而北也,辱吾身。今母沒矣,請塞責。”遂走敵而鬬,獲甲首而獻之曰:“請以此塞一北。”又獲甲首而獻之,曰:“請以此塞再北。”將軍止之,曰:“足!”不止,又獲甲首而獻之,曰:“請以此塞三北。”將軍止之,曰:“足!請為兄弟。”卞莊子曰:“三北以養母也,今母歿矣,吾責塞矣。吾聞之,節士不以辱生。”遂奔敵,殺七十人而死。君子聞之曰:“三北已塞責,又滅世斷宗,士節小具矣,而於孝未終也。”《詩》曰:“靡不有初,鮮克有終。”
傳に記す:卞莊は勇を愛好し、母に恙なき時、三次作戰して敗北し、交游は彼を非議し、國君は彼を羞辱せり。卞莊子は命令を接受し、臉色は變えず。母が死して三年に及び、魯は師を興し、卞莊子は跟從せんことを請えり。至りて將軍を見て曰く、「先前はなお母と相處せり、こを以て作戰して敗北し、我が身を羞辱せり。今母は沒世せり、責を抵塞せんことを請う」と。すなわち敵に奔向して鬪い、甲首を獲得して獻上して曰く、「こを用いて一次の敗北を抵塞せんことを請う」と。また甲首を獲得して獻上し、曰く、「こを用いて再次の敗北を抵塞せんことを請う」と。將軍は制止して曰く、「足矣!」停止せず、また甲首を獲得して獻上し、曰く、「こを用いて三次の敗北を抵塞せんことを請う」と。將軍は制止して曰く、「足矣!兄弟を爲らんことを請う」と。卞莊子は曰く、「三次の敗北は母を養うがため、今母は沒世せり、我が責は抵塞せり。我は聞く、節士は受辱を以て活せずと」。すなわち敵に奔向し、七十人を殺して死せり。君子は聞きて後曰く、「三次の敗北はすでに責を抵塞せり、また世を滅し宗を斷ず、士節は小備せり、而して孝に對してはなお終結せず」と。『詩經』に曰く、「開始有らざるなく、終結有る能くする少なし」と。
第十四章
天子有爭臣七人,雖無道,不失其天下。昔殷王紂殘賤百姓,絕逆天道,至斮朝涉,刳孕婦,脯鬼侯,醢梅伯。然所以不亡者,以其有箕子比干之故。微子去之,箕子執囚為奴,比干諫而死,然後周加兵而誅之。諸侯有爭臣五人,雖無道,不失其國。吳王夫差為無道,至驅一市之民葬闔閭。然所以不亡者,有伍子胥之故也。胥以死,越王勾踐欲伐之。范蠡諫曰:“子胥之計策,尚未忘於吳王之腹心也。”子胥死後三年,越乃能攻之。大夫有爭臣三人,雖無道,不失其家,季氏為無道,僭天子,舞八佾,旅泰山以《雍徹》。孔子曰:“是可忍也,孰不可忍也!”然不亡者,以季路為宰也。故曰:“有諤諤爭臣者其國昌,有默默諛臣者其國亡。”《詩》曰:“不明爾德,以無陪側。爾德不明,以無陪無側。”言文王諮嗟,痛殷商無輔弼諫諍之臣而亡天下矣。
天子に爭臣七人有れば、たとい無道なりとも、天下を失わず。從前殷王紂は百姓を殘害し、天道を絶逆し、早晨涉水する人を砍斷し、孕婦を剖開し、鬼侯を脯と爲し、梅伯を醢と爲すに至れり。しかるに滅亡せざる所以は、是れ箕子・比干有るの緣故なり。微子は離去し、箕子は囚えられ奴と爲り、比干は進諫して死し、然る後に周は兵を加え誅殺せり。諸侯に爭臣五人有れば、たとい無道なりとも、國を失わず。吳王夫差は無道を爲し、一市の民を驅使して闔閭を安葬するに至れり。しかるに滅亡せざる所以は、是れ伍子胥有るの緣故なり。胥が死せば、越王勾踐は伐たんと欲す。范蠡は進諫して曰く、「子胥の計策は、いまだ吳王の腹心より忘れず」と。子胥が死して後三年、越は纔めて能く攻めたり。大夫に爭臣三人有れば、たとい無道なりとも、家を失わず、季氏は無道を爲し、天子を僭越し、八佾を舞い、泰山を旅祭して『雍徹』を用いたり。孔子は言った。「こは忍ぶべし、何を忍ぶべからざるや!」しかるに滅亡せざるは、是れ季路が宰を爲すの緣故なり。ゆえに曰く、「諤諤の爭臣有るはあの國は昌盛し、默默の諛臣有るはあの國は滅亡す」と。『詩經』に曰く、「あなたの德を顯明せず、こを以て陪從なく側近なし。あなたの德顯明ならず、こを以て陪從なく側近なし」と。是れ文王が咨嗟して、殷商に輔弼諫諍の臣なくして天下を失うを痛むを言うなり。
第十五章
齊桓公出遊,遇一丈夫襃衣應步,帶著桃殳。桓公怪而問之曰:“是何名?何經所在,何篇所居?何以斥逐,何以避餘?”丈夫曰:“是名戒桃。桃之為言亡也。夫日日慎桃,何患之有。故亡國之社以戒諸侯,庶人之戒在於桃殳。”桓公說其言,與之共載。來年正月庶人皆佩。《詩》曰:“殷監不遠。”
齊桓公は出游し、一丈夫が褒衣を穿着し應步し、桃殳を帶びるに遇えり。桓公は怪奇と覺えて問うた、「是れ何の名を叫ぶ?どの經に在り、どの篇に在る?なぜ斥逐し、なぜ我を避ける?」丈夫は曰く、「是れ名は戒桃と曰う。桃は言と爲すは亡なり。天天謹慎して桃に對待すれば、何の患か有らん。ゆえに亡國の社は以て諸侯を警戒し、庶人の警戒は桃殳に在り」と。桓公は彼の話を喜悅し、彼と一緒に車に乘れり。來年正月庶人は皆佩帶せり。『詩經』に曰く、「殷の鑑戒は遠からず」と。
第十六章
齊桓公置酒,令諸大夫曰:“後者飲一經程。”管仲後,當飲一經程。飲其一半,而棄其半。桓公曰:“仲父當飲一經程,而棄之何也?”管仲曰:“臣聞之,酒入口者舌出,舌出者言失,言失者棄身。與其棄身,不寧棄酒乎?”桓公曰:“善!”《詩》曰:“荒愖於酒。”
齊桓公は酒を設置し、諸大夫に命令して曰く、「後到するは一經程を飲め」と。管仲は後到し、該りて一經程を飲むべし。一半を喝み、而して一半を拋棄せり。桓公は曰く、「仲父は該りて一經程を飲むべし、却って拋棄するはなぜ?」管仲は曰く、「臣は聞く、酒は口に入れば舌頭は出で、舌頭出づれば話は失誤し、話失誤するは身を拋棄す。身を拋棄するより、酒を拋棄するに如かざるか?」桓公は曰く、「好し!」『詩經』に曰く、「酒に荒湛す」と。
第十七章
齊景公遣晏子南使楚。楚王聞之,謂左右曰:“齊遣晏子使寡人之國,幾至矣。”左右曰:“晏子,天下之辯士也。與之議國家之邊,則不如也。與之論往古之術,則不如也。王獨可以與晏子坐,使有司束人過王,王問之,使言齊人善盜,故束之。是宜可以困之。”王曰:“善。”晏子至,即與之坐。圖國之急務,辨當世之得失,再舉再窮,王默然無以續語。居有間,束徒以過之。王曰:“何為者也?”有司對曰:“是齊人善盜,束而詣吏。”王欣然大笑曰:“齊乃冠帶之國,辨士之化,固善盜乎?”晏子曰:“然。固取之。王不見夫江南之樹乎?名橘,樹之江北,則化為枳。何則?土地使然爾。夫子處齊之時,冠帶而立,儼有伯夷之廉,今居楚而善盜,意土地化使然爾。王又何怪乎?”《詩》曰:“無言不酬,無德不報。”
齊景公は晏子を派遣して南に楚に出使せしめたり。楚王は聞き、左右に對して曰く、「齊は晏子を派遣して寡人の國に出使せしむ、ほぼ到來せん」と。左右は曰く、「晏子は天下の辯士。彼と國家の邊を議論すれば、則ち如かず。彼と往古の術を論ずれば、則ち如かず。王は獨獨晏子と坐すべく、有司をして人を捆綁して王を經過せしめ、王は問い、彼をして齊人は盜竊を善くする、ゆえに捆綁すと言わしめよ。是れ適宜に以て彼を困住すべし」と。王は曰く、「好し」と。晏子は到り、則ち彼と坐せり。國の急務を謀劃し、當世の得失を辨別し、再擧して再窮盡し、王は默然として話を接續する由なし。過ぎること一會兒、捆綁の囚徒は經過せり。王は曰く、「是れ何を爲す?」有司は回答す、「是れ齊人の盜竊を善くする、捆綁して吏に送る」と。王は欣然として大笑して曰く、「齊は乃ち冠帶之國、辯士の敎化、本來盜竊を善くするか?」晏子は曰く、「是。本來こを取る。王は江南の樹を見ずや?名は橘と曰い、江北に種すれば、則ち枳に化す。なぜか?土地は然らしむるのみ。夫子は齊に處する時、冠帶して立ち、儼然として伯夷の廉有り、今楚に住んで盜竊を善くするは、恐らく是れ土地の敎化が然らしむるのみ。王はまた何を奇怪とせん?」『詩經』に曰く、「話に酬答せざるなく、德に報答せざるなし」と。
第十八章
吳延陵季子游於齊,見遺金,呼牧者取之。牧者曰:“何子居之高,視之下貌之君子,而言之野也!吾有君不臣,有友不友,當暑衣裘,吾豈取金者乎?”請問姓字。牧者曰:“子乃皮相之士也,何足語姓字哉!”遂去。延陵季子立而望之,不見乃止。孔子曰:“非禮勿視,非禮勿聽。”
吳延陵季子は齊に游び、遺落の金を見、牧者を呼叫して取りに行かしめたり。牧者は曰く、「なぜ您は居處高く、視線低下し、容貌は君子のごときにして、言語は粗野!我に君有りて臣事せず、友有りて結交せず、正當暑天に裘を穿着す、我はどこに金を取る人ならんや?」姓字を請問す。牧者は曰く、「您は是れ外表を看る士、どこに姓字を告ぐるに値せん!」すなわち離去せり。延陵季子は立ちて望み、見えざるに至りて纔めて停止せり。孔子は言った。「禮に非ざれば看る勿れ、禮に非ざれば聽く勿れ」と。
第十九章
顏淵問於孔子曰:“淵願貧如富,賤如貴,無勇而威,與士交通,終身無患難,亦且可乎?”孔子曰:“善哉回也!夫貧而如富,其知足而無慾也。賤而如貴,其讓而有禮也。無勇而威,其恭敬而不失於人也。終身無患難,其擇言而出之也。若回者,其至乎!雖上古聖人,亦如此而已。”
顏淵は孔子に問うた、「淵は願わくは貧にして富のごとく、賤にして貴のごとく、勇なくして威有り、士と交通し、終身患難なからん、亦た可なるか?」孔子は言った。「好しかな回!貧にして富のごときは、是れ足るを知りて欲望なし。賤にして貴のごときは、是れ謙讓にして禮有り。勇なくして威有るは、是れ恭敬にして人に對して失禮せず。終身患難なきは、是れ話を選擇して纔めて發出す。回のこのごときは、ほぼ極點に到れり!たとい上古聖人も、亦たこのごときのみ」と。
第二十章
齊景公出田,十有七日而不反。晏子乘而往。比至,衣冠不正。景公見而怪之曰:“夫子何遽乎?得無有急乎?”晏子對曰:“然,有急。國人皆以君為惡民所禽。臣聞之:魚鱉厭深淵而就幹淺,故得於釣網。禽獸深山而下於都澤,故得於田獵。今君出田十有七日而不反,不亦過乎?”景公曰:“不然。為賓客莫應待邪?則行人子牛在。為宗廟而不血食邪?則祝人太宰在。為獄不中邪?則大理子幾在。為國家有餘不足邪?則巫賢在。寡人有四子,猶有四肢也,而得代焉,不可患焉!”晏子曰:“然,人心有四肢而得代焉則善矣,令四肢無心,十有七日不死乎?”景公曰:“善哉言!”遂援晏子之手,與驂乘而歸。若晏子者,可謂善諫者矣。
齊景公は出でて打獵し、十七天返回せず。晏子は車を乘りて前往せり。至るに及び、衣冠は端正ならず。景公は見て怪奇と覺えて曰く、「夫子はなぜ急促?該りて急有らざらんか?」晏子は回答す、「是、急有り。國人は皆以て君は民の禽獲する所を厭惡すと爲す。臣は聞く:魚鼈は深淵に厭倦して乾涸淺處に至る、ゆえに釣網に獲られ。禽獸は深山を離開して都澤に下る、ゆえに田獵に獲られ。今君は出でて打獵し十七天返回せず、不もまた過分ならざらんか?」景公は曰く、「是れのごとくに非ず。是れ賓客に應答接待する人なきか?則ち行人子牛は在り。是れ宗廟に血食せざるか?則ち祝人太宰は在り。是れ獄に中正ならざるか?則ち大理子幾は在り。是れ國家に餘不足有るか?則ち巫賢は在り。寡人に四人有り、四肢有るがごとく、而して得て替代す、憂慮すべからず!」晏子は曰く、「是、人の心は四肢有りて得て替代すれば則ち好し、四肢をして心なからしめば、十七天死せざらんか?」景公は曰く、「好しかなこ話!」すなわち晏子の手を拉き、彼と驂乘して歸れり。晏子のごときは、以て善く進諫すると稱すべし。
第二十一章
楚莊王將舉師伐晉,告士大夫曰:“有敢諫者死無赦。”孫叔敖曰:“臣聞畏鞭棰之嚴而不敢諫其父,非孝子也。懼斧鉞之誅而不敢諫其君,其忠臣也。”於是遂進諫曰:“臣園中有楡,其上有蟬。蟬方奮翼悲鳴,欲飲清露,不知螳蜋之在後,曲其頸,欲攫而食之也。螳蜋方欲食蟬,而不知黃雀在後,舉其頸,欲啄而食之也。黃雀方欲食螳蜋,不知童子挾彈丸在楡下,迎而欲彈之。童子方欲彈黃雀,不知前有深坑,後有掘株也。此皆貪前之利,而不顧後害者也。非獨昆蟲眾庶若此也,人主亦然。君今知貪彼之土,而樂其士卒。”楚國不殆,而晉以寧,孫叔敖之力也。
楚莊王は將に師を擧げて晋を伐たんとし、士大夫に告げて曰く、「敢えて進諫する有るは死して赦免せず」と。孫叔敖は曰く、「臣は聞く、鞭箠の嚴を畏懼して敢えて父に進諫せざるは、孝子に非ず。斧鉞の誅を懼怕して敢えて君に進諫せざるは、忠臣に非ず」と。すなわち進諫して曰く、「臣の園中に榆有り、上に蝉有り。蝉は正に翼を奮い悲鳴し、清露を飲まんと欲し、螳螂が後に在るを知らず、頸を彎曲し、攫取して吃さんと欲す。螳螂は正に蝉を吃さんと欲するに、黄雀が後に在るを知らず、頸を擧げ、啄みて吃さんと欲す。黄雀は正に螳螂を吃さんと欲するに、童子が彈丸を挾みて榆下に在るを知らず、迎上して彈まんと欲す。童子は正に黄雀を彈まんと欲するに、前面に深坑有り、後面に掘出の樹樁有るを知らず。これらは皆前の利を貪り、而して後の害を顧みず。ただ昆蟲衆庶このごときのみならず、人主も亦たこのごとし。君は今あの土を貪るを知りて、而してあの士卒を樂しむ」と。楚國は危險ならず、而して晋はこを以て安寧す、是れ孫叔敖の力量なり。
第二十二章
晉平公之時,藏寶之臺燒,士大夫聞者,皆趨車馳馬救火。三日三夜,乃勝之。公子晏奉束帛而賀,曰:“甚善矣1”平公勃然作色曰:“珠玉之所藏也,國之重寶也,而天火之。士大夫皆趨車走馬而救之,子獨束帛而賀,何也?有說則生,無說則死。”公子晏曰:“何敢無說!臣聞之,王者藏於天下諸侯藏於百姓,農夫藏於囷庾,商賈藏於篋匱。今百姓乏於外,短褐不蔽形,糟糠不充口,虛耗而賦斂無已,收大半而藏之臺,是以天火之。且臣聞之,昔者桀殘賊海內,賦斂無度,萬民甚苦,是故湯誅之,為天下戮笑。今皇天降災於藏臺,是君之福也,而不自知變悟,亦恐君之為鄰國笑矣。”公曰:“善!自今已往,請藏於百姓之間。”《詩》曰:“稼穡維寶,代食維好。”
晋平公の時、寶を藏する臺は燒け、士大夫の聞きたるは、皆車を驅り馬を馳せて火を救えり。三天三夜、纔めて勝れり。公子晏は束帛を捧げて來り祝賀して曰く、「甚だ好し!」平公は勃然として色を變じて曰く、「珠玉の藏する所は、是れ國の重寶、而して天火は燒けり。士大夫は皆車を驅り馬を跑らせて救えり、您は獨獨束帛を用いて祝賀す、なぜか?説辭有れば活き、説辭なければ死せん」と。公子晏は曰く、「どこに敢えて説辭なからん!臣は聞く、王者は天下に藏れ、諸侯は百姓に藏れ、農夫は囷庾に藏れ、商賈は篋匱に藏ると。今百姓は外に匱乏し、短褐は形體を遮蔽せず、糟糠は口を充滿せず、虛耗して賦斂は停止せず、大半を收めて臺に藏る、こを以て天火は燒けり。且つ臣は聞く、從前桀は海內を殘害し、賦斂に限度なく、萬民は甚だ苦しみ、こを以て湯は彼を誅殺し、天下に殺戮嘲笑せられたり。今皇天は藏臺に災を降下す、是れ君の福、而して自ら改變覺悟せざるを知らず、亦た怕る君の鄰國に嘲笑せられんことを」と。公は曰く、「好し!今より以て後、百姓の間に藏るを請う」と。『詩經』に曰く、「稼穡は寶、替代の食は好し」と。
第二十三章
魏文侯問裡克曰:“吳之所以亡者何也?”裡克對曰:“數戰而數勝。”文侯曰:“數戰數勝,國之福也,其獨亡何也?”裡克對曰:“數戰則民疲,數勝則主驕。驕則恣,恣則極。物疲則怨,怨則極慮。上下俱極,吳之亡猶晚矣。此夫差所以自喪於幹遂。”《詩》曰:“天降喪亂,滅我立王。”
魏文侯は里克に問うた、「吳の滅亡する所以は何のため?」里克は回答す、「多次作戰して多次勝利す」と。文侯は曰く、「多次作戰して多次勝利するは、是れ國の福、而して獨獨滅亡するはなぜ?」里克は回答す、「多次作戰すれば則ち民は疲憊し、多次勝利すれば則ち主は驕傲す。驕傲すれば則ち放縱し、放縱すれば則ち極點に至る。物は疲憊すれば則ち怨み、怨めば則ち思慮を極盡す。上下皆極點に至れば、吳の滅亡はなお晚しと算す。是れ夫差が干遂に自ら喪亡する所以なり」と。『詩經』に曰く、「天は喪亂を降下し、我が立てし王を滅亡せしむ」と。
第二十四章
楚有士曰申鳴,治園以養父母,孝聞於楚。王召之,申鳴辭不往。其父曰:“王欲用汝,何謂辭之?”申鳴曰:“何舍為孝子,乃為王忠臣乎?”其父曰:“使汝有祿於國,有位於廷,汝樂而我不憂矣。我欲汝之仕也。”申鳴曰:“喏。”遂之朝受命,楚王以為左司馬。其年遇白公之亂,殺令尹子西、司馬子期,申鳴因以兵圍之。白公謂石乞曰:“申鳴,天下之勇士也,今將兵,為之奈何?”石乞曰:“吾聞申鳴孝子也,使人謂申鳴曰:“子與我,則與子分楚國,不與我,則殺乃父。”申鳴流涕而應之曰:“始則父之子,今則君之臣,已不得為孝子矣,安得不為忠臣乎?”援桴鼓之,遂殺白公。其父亦死焉。王歸賞之,申鳴曰:“受君之祿,避君之難,非忠臣也。正君之法,以殺其父,又非孝子也。行不兩全,名不兩立,悲夫!若此而生,亦何以示天下之士哉!”遂自刎而死。《詩》曰:“進退惟谷。”
楚に士有りて申鳴と曰い、園を治理して以て父母を奉養し、孝は楚に聞こえり。王は彼を召す、申鳴は推辭して前往せず。父は曰く、「王はあなたを用いんと欲す、なぜ推辭する?」申鳴は曰く、「なぜ孝子を爲るを捨棄して、纔めて王の忠臣を爲さん?」父は曰く、「あなたをして國に祿有り、廷に位子有らしめば、あなたは快樂して而して我は憂えず。我はあなたに官を爲さしめんと欲す」と。申鳴は曰く、「是」と。すなわち朝に至り命令を接受し、楚王は彼を用いて左司馬を爲さしめたり。あの年白公の亂に遇い、令尹子西・司馬子期を殺せり、申鳴はこを以て兵を用いて包圍せり。白公は石乞に對して曰く、「申鳴は天下の勇士、今將に兵を率いん、どうせん?」石乞は曰く、「我は聞く、申鳴は孝子、人を派して申鳴に曰わしめよ:『您は我に跟從すれば、則ち您と楚國を分けん、我に跟從せざれば、則ちあなたの父を殺さん』と。申鳴は淚を流して應答す、「開始は是れ父の兒子、今は是れ君の臣、すでに能く孝子を爲らず、どこに能く忠臣を爲らざらん?」鼓槌を拿過して鼓を擊ち、すなわち白公を殺せり。彼の父も亦た死せり。王は歸りて彼に賞し、申鳴は曰く、「君の祿を接受して、君の難を躲避す、是れ忠臣に非ず。君の法を端正して、こを以て父を殺せり、また孝子に非ず。品行は能く兩全せず、名は能く兩立せず、可悲かな!このごとく活着して、また何を憑りて天下の士に昭示せん!」すなわち自刎して死せり。『詩經』に曰く、「進退皆是れ山谷なり」と。
第二十五章
昔者太公望周公旦受封而見。太公問周公何以治魯。周公曰:“尊尊親親。”太公曰:“魯從此弱矣。”周公問太公曰:“何以治齊?”太公曰:“舉賢尚功。”周公曰:“後世必有劫殺之君矣。”後齊日以大,至於霸,二十四世而田氏代之。魯日以削,三十四世而亡。由此觀之,聖人能知微矣。《詩》曰:“惟此聖人,瞻言百里。”
從前太公望・周公旦は封を受けて相見えり。太公は周公に何を憑りて魯を治理するかを問えり。周公は曰く、「尊敬すべきを尊敬し、親すべきを親しむ」と。太公は曰く、「魯は此より弱けん」と。周公は太公に問うた、「何を憑りて齊を治理する?」太公は曰く、「賢を擧用し功を崇尚す」と。周公は曰く、「後世は一定に劫殺せらるる君有らん」と。後來齊は一天天大なり、以て稱覇するに至り、二十四世して田氏は取代せり。魯は一天天削弱し、三十四世して滅亡せり。此より以て看れば、聖人は能く微を知れり。『詩經』に曰く、「ただこ聖人のみ、言論を瞻望すること百里」と。
韓嬰小傳
韓嬰小傳
《漢書·儒林傳》云:韓嬰燕人也,孝文時為博士,景帝時至常山太傅。嬰推詩人之意而作《外傳》數萬言,其語頗與齊魯間殊,然歸一也。淮南賁生受之。燕趙間言《詩》者由韓生。韓生亦以《易》授人,推《意》而為之傳。燕趙間好,《詩》故其《易》微,惟韓氏自傳之。武帝時,嬰嘗與董仲舒論於上前,其人精悍,此事事分明,仲舒不能難也。後其孫商為博士,孝宣時涿郡韓生其後也。
『漢書・儒林傳』に記す:韓嬰は燕人、孝文帝の時に博士を爲し、景帝の時に常山太傅に至れり。嬰は詩人の意を推求して『外傳』數萬言を作り、あの話は頗る齊魯の間と殊なるも、しかるに歸宿は一なり。淮南賁生は承受せり。燕趙の間に『詩』を談論するは韓生に由れり。韓生は亦た『易』を以て人に授け、『意』を推求して彼のために傳を爲せり。燕趙の間は『詩』を愛好し、ゆえに彼の『易』は微弱にして、ただ韓氏のみ自ら傳授せり。武帝の時、嬰はかつて董仲舒と皇上面前に辯論し、あの人は精悍にして、事事分明、仲舒は責難する能わず。後に彼の孫商は博士を爲し、孝宣の時涿郡韓生は彼の後裔なり。
