Libo

第二十一章

西汉 · 韩婴 · 第7巻 / 8

昨日何生?今日何成?必念歸厚,必念治生。日慎一日,遠如金城。《詩》曰:“我日斯邁,而月斯徵。夙興夜寐,無忝爾所生。”

昨日は何を生出した?今日は何を成就した?必ず歸向厚きを思念し、必ず生計を治理するを思念せよ。一日比一日謹慎し、遠きこと金城のごとくせよ。『詩經』に曰く、「我は日に邁進し、あなたは月に遠行す。早起き晩睡し、あなたの生じる所を辱沒する勿れ」と。

第二十二章

官怠於有成,病加於小愈,禍生於懈惰,孝衰於妻子。察此四者,慎終如始。《易》曰:“小狐汔濟,濡其尾。”《詩》曰:“靡不有初,鮮克有終。”

官は成就有るに怠惰し、病は稍愈するに加重し、禍は懈惰より生出し、孝は妻子に衰微す。こ四樣を察看し、終結を謹慎すること開始のごとくせよ。『周易』に曰く、「小狐は將に渡り盡さんとして、尾巴を沾濕せり」と。『詩經』に曰く、「開始有らざるなく、終結有る能くする少なし」と。

第二十三章

孔子燕居,子貢攝齊而前曰:“弟子事夫子有年矣,手竭而智罷,倦於學問,不能進,請一休焉。”孔子曰:“賜也欲焉休乎?”曰:“賜欲休於事君。”孔子曰:“《詩》云:‘夙夜匪懈,以事一人。’為之若此其不易也,若之何其休也!”曰:“賜欲休於事父母。”孔子曰:“《詩》云:‘孝子不匱,永錫爾類。’為之若此其不易也,如之何其休也!”曰:“賜欲休於事兄弟。”孔子曰:“《詩》云:‘妻子好合,如鼓瑟琴。兄弟既翕,和樂且耽。’為之若此其不易也,如之何其休也!”

孔子は燕居し、子貢は衣襟を提起して進前して曰く、「弟子は夫子に事奉して年有り、手は竭き智は疲れ、學問に對して疲倦し、前進する能わず、休息一下せんことを請う」と。孔子は言った。「賜はどこに休息せんと欲する?」曰く、「賜は君に事奉するに休息せんと欲す」と。孔子は言った。「『詩經』に曰く、『早く起き晚くして懈怠せず、以て一人に事奉せん』と。これを爲すことこう容易ならず、どうして能く休息せん!」曰く、「賜は父母に事奉するに休息せんと欲す」と。孔子は言った。「『詩經』に曰く、『孝子は匱乏せず、永遠にあなたの同類に賜う』と。これを爲すことこう容易ならず、どうして能く休息せん!」曰く、「賜は兄弟に事奉するに休息せんと欲す」と。孔子は言った。「『詩經』に曰く、『妻子は和好し、瑟琴を鼓するがごとし。兄弟はすでに和合し、和樂して且つ耽樂す』と。これを爲すことこう容易ならず、どうして能く休息せん!」

第二十四章

魯哀公問冉有曰:“凡人之質而已,將必學而後為君子乎?”冉有對曰:“臣聞之,雖有良玉,不刻鏤則不成器,雖有美質,不學則不成君子。”曰:“何以知其然也?”夫子路,卞之野人也。子貢,衛之賈人也。皆學問於孔子,遂為天下顯士。諸侯聞之,莫不尊敬。卿大夫聞之,莫不親愛。學之故也。昔吳楚燕代,謀為一舉而欲伐秦。姚賈,監門之子也,為秦往使之,遂絕其謀,止其兵。及其反國,秦王大悅,立為上卿。夫百里奚,齊之乞者也,逐於齊西,無以進,自賣五羊皮,為一軛車。見秦繆公,立為相,遂霸西戎。太公望少為人壻,老而見去,屠牛朝歌,賃於棘津,釣於磻溪,文王舉而用之,對於齊。管仲親射桓公,遂除報讎之心,立以為相,存亡繼絶,九合諸侯,一匡天下。此四子者,皆嘗卑賤窮辱矣,然其名聲馳於後世,豈非學問之所致乎?由此觀之,土必學問,然後成君子。《詩》曰:‘日就月將。’”於是哀公嘻然而笑曰:“寡人雖不敏,請奉先生之教矣。”

魯哀公は冉有に問うた、「凡人は資質あれば則ち可なり、なお必ず學習して然る後に君子を爲すか?」冉有は回答す、「臣は聞く、たとい良玉有るとも、刻鏤せざれば器物を成さず、たとい美質有るとも、學習せざれば君子を成さずと」曰く、「何を憑りて是れのごときを知る?」夫子路は、是れ卞の野人。子貢は、是れ衛の賈人。みな孔子に向かいて學問し、すなわち天下の顯士と爲れり。諸侯は聞きて、尊敬せざるなし。卿大夫は聞きて、親愛せざるなし。是れ學の緣故なり。從前吳楚燕代は、一擧を謀劃して秦を伐たんと欲せり。姚賈は、是れ監門の兒子、秦のために往きて出使し、すなわちあの謀劃を斷絶し、あの兵を制止せり。國に返回するに及び、秦王は非常に喜悅し、立てて上卿と爲せり。百里奚は、是れ齊の乞丐、齊に驅逐せられて西に向かい、進用する由なく、五張の羊皮を以て自ら賣り、一軛車を爲せり。秦繆公を見て、立てて相と爲し、すなわち西戎に稱覇せり。太公望は少時人に女婿を爲し、老いて趕走せられ、朝歌に牛を屠り、棘津に賃工し、磻溪に魚を釣り、文王は彼を擧用し、齊に封じたり。管仲は親ら桓公を射て、すなわち報仇の心を除去し、彼を立てて相と爲し、滅亡を保存し斷絶を接續し、九合諸侯し、一匡天下せり。こ四人は、みなかつて卑賤窮辱せり、しかるに名声は後世に馳騁す、豈に學問の致す所に非ずや?此より以て看れば、士は必ず學問し、然る後に君子を成す。『詩經』に曰く、『日に成就有り月に進有り』と」すなわち哀公は嘻然として笑い曰く、「寡人はたとい聰敏ならずとも、先生の教を奉行せんことを請う」と。

第二十五章

曾子有過,曾晳引杖擊之。仆地,有間乃蘇,起曰:“先生得無病乎?”魯人賢曾子,以告夫子。夫子告門人:“參來勿內也。”曾子自以為無罪,使人謝夫子。夫子曰:“汝不聞昔者舜為人子乎?小棰則待,大杖則逃。索而使之,未嘗不在側,索而殺之,未嘗可得。今汝委身以待暴怒,拱立而去,汝非王者之民邪?殺王者之民,其罪何如?”《詩》曰:“優哉柔哉,亦是戾矣。”又曰:“載色載笑,匪怒伊教。”

曾子に過失有り、曾晳は杖を拿して擊打せり。仆倒して地に就き、しばらくして始めて蘇醒し、起身して曰く、「先生は該りて病まざらんか?」魯人は以て曾子賢と爲し、夫子に告げたり。夫子は門人に告げて曰く、「參が來れば彼を進入せしむる勿れ」と。曾子は自ら以て罪なしと爲し、人を派して夫子に謝せり。夫子は曰く、「あなたはかつて聞かざらんや從前舜の人子を爲すを?小棰なれば則ち等待し、大杖なれば則ち逃ぐる。使喚を求めれば、かつて旁邊に在らざらず、殺害を求めれば、かつて得べからず。今あなたは身を委ねて以て暴怒を等待し、拱手して立ちて離去せず、あなたは王者の民に非ずや?王者の民を殺すは、あの罪はどうか?」『詩經』に曰く、「悠閒かな柔和かな、亦たここに至りて止住す」と。また曰く、「和顏を帶び笑容を帶び、發怒せずして教導す」と。

第二十六章

齊景公使人為弓,三年乃成。景公引弓而射,不穿一札。景公怒,將殺弓人。弓人之妻往見景公,曰:“蔡人之子,弓弓之妻也。此孔者,太山之南,鳥號之柘,燕牛之角,荊麋之筋,河魚之膠也。四物者,天下之練材也,不宜穿札之少如此。且妾聞公之車,不能獨走,莫耶雖利,不能獨斷,必有以動之。夫射之道,左手若拒石,右手若附枝,掌若握卵,四指如斷短杖,右手發之,左手不知,此蓋射之道。”景公以其言為儀而射之,穿七札。蔡人之夫立出矣。《詩》曰:“好是正直。”

齊景公は人をして弓を爲らしめ、三年にして始めて成れり。景公は弓を拉いて射れば、一層の札を穿透せず。景公は發怒し、將に弓人を殺さんとせり。弓人の妻子は往きて景公を見て、曰く、「蔡人の子は、是れ弓人を爲すの妻。こ弓は、太山南面、鳥號の柘、燕牛の角、荊麋の筋、河魚の膠。四物は、是れ天下の精練の材、札を穿つことこう少なきに當たらず。且つ妾は聞く、公の車は、能く獨り走る能わず、莫邪はたとい鋭利なりとも、能く獨り斷る能わず、必ず以て發動する有らん。射の道は、左手は拒石のごとく、右手は附枝のごとく、掌は卵を握るがごとく、四指は短杖を斷るがごとく、右手は發射し、左手は知らず、是れほぼ射の道なり」と。景公は彼女の言を用いて儀度と爲して射れば、七層の札を穿ったり。蔡人の夫は立刻に放出せられたり。『詩經』に曰く、「こ正直を愛好せよ」と。

第二十七章

齊有罪於景公者。景公大怒,縳置之殿下,召左右肢解之,敢諫者誅。晏子左手持頭,右手磨刀,仰而問曰:“古者明王聖主,其肢解人,不審從何肢始也?”景公離席曰:“縱之!罪在寡人。”《詩》曰:“好是正直。”

齊に景公に對して罪有る者あり。景公は大いに怒り、捆綁して殿下に置き、左右を召して肢解せしめ、敢えて進諫するは誅殺す。晏子は左手に頭を持ち、右手に刀を磨き、頭を擡げて問うた、「古代の明王聖主は、人を肢解す、どの肢より開始するかを明らかにせず」と。景公は席位を離れて曰く、「彼を放て!罪は寡人に在り」と。『詩經』に曰く、「こ正直を愛好せよ」と。

第二十八章

傳曰:居處齊則色姝,食飮齊則氣珍,言語齊則信聽,思齊則成,志齊則盈。五者齊,斯神居之。《詩》曰:“既和且平,依我聲聲。”

傳に記す:居處が整齊なれば則ち神色は美好、飲食が整齊なれば則ち氣は珍貴、言語が整齊なれば則ち信は聽かれ、思が整齊なれば則ち成就し、志向が整齊なれば則ち充滿す。五樣が整齊なれば、神は居る。『詩經』に曰く、「すでに和諧し且つ平和、我が磬聲に依從す」と。

第二十九章

魏文侯問狐卷子曰:“父賢足恃乎?”對曰:“不足。”“子賢足恃乎?”對曰:“不足。”“兄賢足恃乎?”對曰:“不足。”“弟賢足恃乎?”對曰:“不足。”“臣賢足恃乎?”對曰:“不足。”文侯勃然作色而怒曰:“寡人問此五者於子,一一以為不足者何也?”對曰:“父賢不過堯,而丹朱放。子賢不過舜,而瞽瞍拘。兄賢不過舜,而象放。弟賢不過周公,而管叔誅。臣賢不過湯武,而桀紂伐。望人者不至,恃人者不久。君欲治,從身始。人何可恃乎?”

魏文侯は狐卷子に問うた、「父が賢なるは依頼するに足るか?」回答す、「足らず」「兒子が賢なるは依頼するに足るか?」回答す、「足らず」「哥哥が賢なるは依頼するに足るか?」回答す、「足らず」「弟弟が賢なるは依頼するに足るか?」回答す、「足らず」「臣が賢なるは依頼するに足るか?」回答す、「足らず」文侯は勃然として色を變じて怒り曰く、「寡人はあなたにこ五樣を問う、一一として足らざると爲す、なぜか?」回答す、「父の賢は堯に過ぎず、而して丹朱は放逐せられたり。兒子の賢は舜に過ぎず、而して瞽瞍は拘禁せられたり。哥哥の賢は舜に過ぎず、而して象は放逐せられたり。弟弟の賢は周公に過ぎず、而して管叔は誅せられたり。臣の賢は湯武に過ぎず、而して桀紂は伐たれたり。人に指望するは到らず、人に依頼するは久しからず。君は治理せんと欲すれば、自身より開始せよ。人はどこに依頼すべからんや?」

第十三章

湯作《護》,聞其宮聲,使人溫良而寬大。聞其商聲,使人方廉而好義。聞其角聲,使人惻隱而愛仁。聞其徵聲,使人樂養而好施。聞其羽聲,使人恭敬而好禮。《詩》曰:“湯降不遲,聖敬日躋。”

湯は『護』を作り、あの宮聲を聞けば、人をして溫良にして寬大ならしめ、あの商聲を聞けば、人をして方正廉潔にして義を愛好せしめ、あの角聲を聞けば、人をして惻隱にして仁を愛せしめ、あの徵聲を聞けば、人をして養に樂しみ施を愛好せしめ、あの羽聲を聞けば、人をして恭敬にして禮を愛好せしむ。『詩經』に曰く、「湯の降臨は遲緩ならず、聖敬は一天天上升す」と。

第三十一章

孔子曰:“《易》先《同人》後《大有》,承之以《謙》,不亦可乎?”故天道虧盈而益謙,地道盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。謙者,抑事而損者也。持盈之道,抑而損之,此謙德之於行也。順之者吉,逆之者兇。五帝既沒,三王既衰,能行謙德者,其惟周公乎。周公以文王之子,武王之弟,成王之叔父,假天子之尊位七年,所執贄而師見者十人,所還質而友見者十三人,窮巷白屋之士所先見者四十九人,時進善者百人,宮朝者千人,諫臣五人,輔臣五人,拂臣六人,戴干戈以至於封侯,異族九十七人,而同姓之士百人。孔子曰:“猶以為周公為天下黨,則以同族為眾,而異族為寡也。”故德行寬容而守之以恭者榮,土地廣大而守之以儉者安,位尊祿重而守之以卑者貴,人眾兵強而守之以畏者勝,聰明睿智而守之以愚者哲,博聞強記而守之以淺者不隘。此六者皆謙德也。《易》曰:“謙亨君子有終吉。”能以此終吉者,君子之道也。貴為天子,富有四海,而德不謙,以亡其身,桀紂是也,而況眾庶乎?夫《易》有一道焉,大足以治天下,中足以安安家國,近足以守其身者,其惟謙德乎。《詩》曰:“湯降不遲,聖敬日躋。”

孔子は言った。「『周易』は先ず『同人』に後『大有』、接續して『謙』を用う、不もまた可ならざるか?」そもそも天道は盈滿を虧損して謙を補益し、地道は盈滿して謙に流向し、鬼神は盈滿を損害して謙を福佑し、人道は盈滿を厭惡して謙を愛好す。謙は、事を抑制して減損するなり。盈滿の道を持守し、抑制して減損す、是れ謙德の品行に對するなり。順從のは吉利し、違逆のは凶なり。五帝はすでに沒世し、三王はすでに衰微し、能く謙德を實行するは、ほぼ周公のみか。周公は文王の兒子、武王の弟弟、成王の叔父を以て、天子の尊位を假りること七年、贄を持ちて老師の禮を以て進見する十人、質を還して朋友の禮を以て進見する十三人、窮巷白屋の士の先ず接見せられし四十九人、當時善言を進獻する百人、宮朝する千人、諫臣五人、輔臣五人、拂臣六人、干戈を帶びて以て侯に封ぜられし、異族九十七人、而して同姓の士百人。孔子は言った。「なお以て周公は天下のために結黨し、同族を以て衆と當て、異族を以て寡と當つと」そもそも德行は寬容にして恭を用いて守るの榮、土地は廣大にして儉を用いて守るの安、位尊く祿重くして卑下を用いて守るの貴、人多く兵強くして畏懼を用いて守るの勝、聰明睿智にして愚を用いて守るの明智、博聞強記にして淺を用いて守るの隘塞ならず。こ六樣はみな謙德なり。『周易』に曰く、「謙は亨通し、君子は好き結果有りて吉利す」能くこを以て終に吉利するは、是れ君子の道なり。貴きこと天子を爲し、富みて四海を有し、而して德は謙ならず、こを以て自身を滅亡するは、桀紂是れなり、何を況んや衆庶をや?『周易』に一道有り、大は足りて天下を治理し、中は足りて家國を安定し、近は足りて自身を守るは、ほぼ謙德のみか。『詩經』に曰く、「湯の降臨は遲緩ならず、聖敬は一天天上升す」と。

第三十二章

昔者由子方出,見老馬於道,喟然有志焉,以問於御者曰:“此何馬也?”御曰:“故公家畜也,罷而不為用,故出放之也。”由子方曰:“少盡其力,而老棄其身,仁者不為也。”東帛而贖之。窮士聞之,知所歸心矣。《詩》曰:“湯降不遲,聖敬日躋。”

從前田子方は出でて、路上に老馬を見、慨然として志向有り、駕車するに問うた、「是れ何の馬か?」駕車するは曰く、「本是れ公家の畜、疲憊して用いられず、ゆえに放出せり」と。田子方は曰く、「年輕き時その力を用盡し、而して年老いてその身を拋棄す、仁者は爲さず」と。束帛を用いて贖回せり。窮士は聞きて、歸向する所の心を知れり。『詩經』に曰く、「湯の降臨は遲緩ならず、聖敬は一天天上升す」と。

第三十三章

齊莊公出獵,有螳舉足將搏其輪,問其御曰:“此何蟲也?”御曰:“此是螳蜋也。其為蟲,知進不知退,不量力而輕就敵。”莊公曰:“此為人必為天下勇士矣。”於是回車避之,而勇士歸之。《詩》曰:“湯降不遲,聖敬日躋。”

齊莊公は出でて打獵し、螳螂有りて足を擧げ將に車輪を搏擊せんとす、駕車するに問うた、「是れ何の蟲か?」駕車するは曰く、「是れ螳螂。蟲と爲す、進を知りて退を知らず、力量を估量せずして輕易に敵に就く」と。莊公は曰く、「こ人を爲れば必ず天下の勇士ならん」と。すなわち車を回して避け、而して勇士は彼に歸向せり。『詩經』に曰く、「湯の降臨は遲緩ならず、聖敬は一天天上升す」と。

第三十四章

魏文侯問李克曰:“人有惡乎?”李克曰:“有。夫貴者則賤者惡之,富者則貧者惡之,智者則愚者惡之。”文侯曰:“善。行此三者,使人勿惡,亦可乎?”李克曰:“可。臣聞貴而下賤,則眾弗惡也。富而分貧,則窮士弗惡也,智而教愚,則童蒙者弗惡也。”文侯曰:“善哉言乎!堯舜其猶病諸。寡人雖不敏,請守斯語矣。”詩曰:“不遑啟處。”

魏文侯は李克に問うた、「人に厭惡せらるる有るか?」李克は曰く、「有り。貴なるは則ち賤なるに厭惡せられ、富めるは則ち貧なるに厭惡せられ、智なるは則ち愚なるに厭惡せらる」と。文侯は曰く、「好し。こ三樣を實行し、人をして厭惡せざらしむ、亦た可なるか?」李克は曰く、「可なり。臣は聞く、貴にして賤に對して謙下すれば、則ち衆は厭惡せず。富みて貧に分給すれば、則ち窮士は厭惡せず。智にして愚を敎導すれば、則ち童蒙は厭惡せず」と。文侯は曰く、「好しかなこ言!堯舜もなおこれを怕る。寡人は聰敏ならざるも、こ言を守るを請う」と。『詩經』に曰く、「閒暇なく安處す」と。

第三十五章

有鳥於此,架巢於葭葦之顛,天喟然而風,則葭折而巢壞,何也?其所託者弱也。稷蜂不攻,而社鼠不燻,非以稷蜂社鼠之神,其所託者善也。故聖人求賢者以自輔,夫吞舟之魚大矣,蕩而失水,則為螻蟻所制,失其輔也。故《詩》曰:“不明爾德,爾德不明,以無陪無側。”

ここに鳥有り、葭葦の頂端に巢を架す、天は喟然として風すれば、則ち葭は折斷して巢は壞る、なぜか?依託する所の弱きなり。稷蜂は攻めず、而して社鼠は薰らず、稷蜂社鼠の神なるが故に非ず、是れ依託する所の善きなり。ゆえに聖人は賢者を求めて以て自己を輔助す、舟を吞む魚は大なり、動蕩して水を失えば、則ち螻蟻の制服する所と爲る、是れ輔助を失うなり。ゆえに『詩經』に曰く、「あなたの德を顯明せず、あなたの德顯明ならず、こを以て陪從なく側近なし」と。

韓詩外傳 卷第九

第一章

孟子少時誦,其母方織。孟子輟然中止,乃復進。其母知其諠也,呼而問之曰:“何為中止?”對曰:“有所失復得。”其母引刀裂其織,以此誡之。自是之後,孟子不復諠矣。孟子少時,東家殺豚。孟子問其母曰:“東家殺豚何為?”母曰:“欲啖汝。”其母自悔失言。曰:“吾懷紝是子,席不正不坐,割不正不食,胎教之也。今適有知而欺之,是教之不信也。”乃買東家豚肉以食之,明不欺也。《詩》曰:“宜爾子孫承兮。”言賢母使子賢也。

孟子は年少時誦讀し、母は正に織りておりたり。孟子は忽然として中止し、纔めてまた前進す。母は彼の喧嘩して分心せるを知り、叫來して問うた、「なぜ中止した?」回答す、「失う所有りてまた得たり」と。母は刀を拿して織る所を割裂し、こを用いて告誡せり。此より以て後、孟子は再び喧嘩して分心せず。孟子は年少時、東家は豚を殺せり。孟子は母に問うた、「東家が豚を殺すは何を爲す?」母は曰く、「あなたに吃さしめんと欲す」と。母は自ら失言を後悔す。曰く、「我はこ孩子を懷き、席正しからざれば坐せず、割正しからざれば吃せず、是れ胎敎なり。今剛く知有るに欺くは、是れ彼に不信を敎うなり」と。すなわち東家の豚肉を買いて彼に吃さしめ、欺かざるを表明せり。『詩經』に曰く、「あなたの子孫が繼承するに適宜ならんや」と。是れ賢母が兒子を賢ならしむを言うなり。

第二章

由子為相,三年歸休,得金百鎰奉其母,母曰:“子安得此金?”對曰:“所受俸祿也。”母曰:“為相三年不食乎?治官如此,非吾所欲也。孝子之事親也,盡力致誡,不義之物,不入於館。為人臣不忠,是為人子不孝也。子其去之。”由子愧慚走出,造期還金,退請就獄。王賢其母,說其義,即舍田子罪,令復為相,以金賜其母。《詩》曰:“宜爾子孫承承兮。”言賢母使子賢也。

田子は相を爲し、三年歸休し、金百鎰を得て母に奉給す、母は曰く、「あなたはどこよりこ金を得た?」回答す、「受くる所の俸祿」と。母は曰く、「相を爲すこと三年飯を食わざるか?官を治理するがこのごとく、我が欲する所に非ず。孝子の親に事奉するは、力を盡くし誠を致し、不義の物は、館舍に進入せず。人臣を爲して忠ならざれば、則ち人子を爲して孝ならず。あなたはなお離去せよ」と。田子は慚愧して走出し、期に按じて金を還し、退下して獄に就くを請えり。王は彼の母を賢と爲し、あの義を喜悅し、則ち田子の罪を赦免し、重新に相を爲すを命じ、金を彼の母に賜えり。『詩經』に曰く、「あなたの子孫が繼承するに適宜ならんや」と。是れ賢母が兒子を賢ならしむを言うなり。

第三章

孔子出,聞哭聲甚悲。孔子曰:“驅之驅之!前有賢者。”至則皋魚也,被褐擁鎌,哭於道旁。孔子闢車與之言,曰:“子非有喪,何哭之悲也?”皋魚曰:“吾失之三矣。少而好學,周遊諸侯,以歿吾親,失之一也。高尚吾志,簡吾事,不事庸君,而晚事無成。失之二也。與友厚而中絕之,失之三矣。夫樹欲靜而風不止,子欲養而親不待,往而不可追者年也,去而不可得見者親也。吾請從此辭矣。”立槁而死。孔子曰:“弟子識之,足以誡矣。”於是門人辭歸而養親者十有三人。

孔子は出行し、哭聲の甚だ悲しきを聞けり。孔子は曰く、「車を驅れ車を驅れ!前面に賢者有り」と。至れば却是れ皐魚、褐を披き鐮を抱き、道旁に哭す。孔子は下車して彼と說話し、曰く、「あなたは喪事有るに非ず、なぜこう悲しく哭す?」皐魚は曰く、「我は三樣を失えり。年少にして學を愛好し、諸侯を周游し、こを以て父母は去世せり、是れ失うの第一。我が志向を高尚にし、我が事を簡約にし、庸君に事奉せず、而して晚年事は成就せず。是れ失うの第二。朋友と厚くして中途斷絶す、是れ失うの第三。樹は靜まらんと欲すれど風は停止せず、兒子は奉養せんと欲すれど親は到來せず、離去して追うべからざるは年、離去して得て見べからざるは親なり。我は此より辭別せんことを請う」と。立ちて枯死せり。孔子は曰く、「弟子記住せよ、足りて告誡すべし」と。すなわち門人の辭歸して親を奉養する十三人有り。

第四章

子路曰:“有人於斯,夙興夜寐,手足胼胝而面目黧黑,樹藝五穀以事其親,而無孝子之名者,何也?”孔子曰:“意者身未敬邪?色不順邪?辭不遜邪?古人有言曰:‘衣歟醪歟,曾不爾聊。’子勞以事其親,無此三者,何為無孝之名?意者所友非仁人邪?坐,吾語汝。非無力也,勢不便也。是以君子入則篤孝,出則友賢,何為其無孝子之名?”《詩》曰:“父母孔邇。”

子路は曰く、「人ありてここに在り、早く起き晩く睡り、手腳に繭長じ面目黧黑し、五穀を種植して以て親に事奉すれど、孝子の名なく、なぜか?」孔子は言った。「恐らく自身敬わざるか?神色順わざるか?辭遜らざるか?古人に話有り:『衣服よ酒醪よ、竟にあなたに依賴せず』あなたは力を用いて親に事奉す、こ三樣なく、なぜ孝の名なき?恐らく交る所の友は仁人に非ざるか?坐せ、我はあなたに告げん。力なきに非ず、是れ勢の便ならざるなり。こを以て君子は入れば則ち切實に孝し、出でれば則ち友愛して賢し、なぜ孝子の名なき?」『詩經』に曰く、「父母は甚だ近し」と。

第五章

伯牙鼓琴,鍾子期聽之。方鼓琴,志在太山。鍾子期曰:“善哉鼓琴,巍巍乎如太山!”莫景之間,志在流水。鍾子期曰:“善哉鼓琴,洋洋乎若江河!”鍾子期死,伯牙擗琴絕弦,終身不復鼓琴,以為為世無足與鼓琴也。非獨鼓琴如此,賢者亦有之。茍非其時,則賢者將奚由得遂其功哉?

伯牙は琴を鼓し、鍾子期は聽く。正に琴を鼓し、志向は太山に在り。鍾子期は曰く、「好しかな琴を鼓す、巍巍として太山のごとし!」片刻の間、志向は流水に在り。鍾子期は曰く、「好しかな琴を鼓す、洋洋として江河のごとし!」鍾子期死せば、伯牙は琴を破り弦を絶ち、終身再び琴を鼓せず、以て世上に足りて彼と琴を鼓するなしと爲せり。ただ琴を鼓するこのごときのみならず、賢者もまた有り。若しあの時候に非ざれば、則ち賢者は將にどこより以て功を成就せん?

第六章

秦攻魏,破之,少子亡而不得。令魏國曰:“有得公子者賜金千斤,匿者罪至十族。”公子乳母與俱亡。人謂乳母曰:“得公子者賞甚重,乳母當知公子處而言之。”乳母應之曰:“我不知其處。雖知之,死則死,不可以言也。為人養子,不能隱而言之,是畔上畏死。吾聞忠不畔上,勇不畏死。凡養人子者務生之,非務殺之也。豈可見利畏誅之故,廢義而行詐哉?吾不能生而使公子獨死矣。”遂與公子俱逃澤中。秦軍見而射之,乳母以身蔽之,著十二矢,秦王聞之,饗以太牢,且爵其兄為大夫。《詩》曰:“我心匪石,不可轉也。”

秦は魏を攻め、攻破せり、少子は逃亡して得られず。魏國に命令して曰く、「公子を得る有るは金千斤を賜い、藏匿するは罪は十族に及ぶ」と。公子の乳母は彼と一緒に逃亡せり。人は乳母に對して曰く、「公子を得るの賞は甚だ重し、乳母は該りて公子の處所を知りて言うべし」と。乳母は應答す、「我は處所を知らず。たとい知るとも、死すれば則ち死す、言うべからず。人のために子を養う、隱瞞せずして言う能わざるは、是れ上を背叛し死を怕るなり。我は聞く、忠は上を背叛せず、勇は死を怕れずと。凡そ人の兒子を養うは務めて彼を生かさんことを求め、務めて彼を殺さんことを求めるに非ず。豈に利を見誅を怕るの緣故を以て、義を廢棄して詐を實行すべからんや?我は能く活着して公子を獨り死せしめず」と。すなわち公子と一緒に澤中に逃れり。秦軍は見て射れば、乳母は身體を用いて遮蔽し、十二箭を中たり、秦王は聞き、太牢を用いて饗祭し、併せて彼女の哥哥を封じて大夫を爲さしめたり。『詩經』に曰く、「我が心は石頭に非ず、轉動すべからず」と。

第七章

子路曰:“人善我,我亦善之。人不善我,我不善之。”子貢曰:“人善我,我亦善之。人不善我,我則引之進退而已耳。”顏回曰:“人善我,我亦善之。人不善我,我亦善之。”三子所持各異,問於夫子。夫子曰:“由之所持,蠻貊之言也。賜之所持,朋友之言也。回之所持,親屬之言也。”《詩》曰:“人而無良,我以為兄。”

子路は曰く、「人は我に善ければ、我もまた彼に善し。人は我に善からざれば、我もまた彼に善からず」と。子貢は曰く、「人は我に善ければ、我もまた彼に善し。人は我に善からざれば、我は則ち彼を引導して進退するのみ」と。顏回は曰く、「人は我に善ければ、我もまた彼に善し。人は我に善からざれば、我もまた彼に善し」と。三人の持する所は各々同じからず、夫子に問えり。夫子は曰く、「由の持するは、是れ蠻貊の話。賜の持するは、是れ朋友の話。回の持するは、是れ親屬の話」と。『詩經』に曰く、「人にして善良なくば、我は彼を以て兄と爲さん」と。

第八章

齊景公縱酒,醉而解衣冠,鼓琴以自樂。顧左右曰:“仁人亦樂此乎?”左右曰:“仁人耳目猶人,何為不樂乎!”景公曰:“駕車以迎晏子。”晏子聞廿,朝服而至。景公曰:“今者寡人此樂,顧與大夫同之。請去禮。”晏子曰:“君言過矣。自齊國五尺已上,力皆能勝嬰與君,所以不敢亂者,畏禮也。故自天子無禮則無以守社稷,諸侯無禮則無以守其國。為人上無禮則無以使其下,為人下無禮則無以事其上。大夫無禮則無以治其家,兄弟無禮則不同居。人而無禮,不若遄死。”景公色媿,離席而謝曰:“寡人不仁,無良左右,淫湎寡人,以至於此。請殺左右以補其過。”晏子曰:“左右無過。君好禮,則有禮者至,無禮者去。君惡禮,則無禮者至,有禮者去。左右何罪乎?”景公曰:“善哉!”乃更衣而坐,觴酒三行。晏子辭去。景公拜送。《詩》曰:“人而無禮,胡不遄死!”

齊景公は酒を縱し、醉いて衣冠を解開し、琴を鼓して以て自己を快樂す。回頭して左右に對して曰く、「仁人もまたこを快樂すか?」左右は曰く、「仁人の耳目はなお人、なぜ快樂せざらん!」景公は曰く、「車を駕して晏子を迎接せよ」と。晏子は聞き、朝服を穿着して到來せり。景公は曰く、「今寡人のこ快樂、願わくは大夫と一同せん。禮を去掉せんことを請う」と。晏子は曰く、「君の話は錯えり。齊國の五尺以上より、力は皆能く嬰と君に勝れり、敢えて亂せざる所以は、是れ禮を畏懼するなり。ゆえに天子に禮なくば則ち社稷を守る由なく、諸侯に禮なくば則ちあの國を守る由なし。人の上を爲して禮なくば則ち下を役使する由なく、人の下を爲して禮なくば則ち上に事奉する由なし。大夫に禮なくば則ち家を治める由なく、兄弟に禮なくば則ち同居せず。人を爲して禮なくば、速やかに死するに如かず」と。景公は神色慚愧し、席位を離れて謝罪して曰く、「寡人は仁ならず、善良の左右なく、寡人をして淫湎せしめ、以て此に至れり。左右を殺して以て過失を補わんことを請う」と。晏子は曰く、「左右に過なし。君が禮を愛好すれば、則ち禮有るのは到來し、禮なきのは離去す。君が禮を厭惡すれば、則ち禮なきのは到來し、禮有るのは離去す。左右に何の罪かあらん?」景公は曰く、「好しかな!」すなわち衣服を換えて坐下し、觴酒は三次行われり。晏子は告辭して離去す。景公は拜送せり。『詩經』に曰く、「人を爲して禮なくば、なぜ速やかに死せざる!」

第九章

傳曰:堂衣若扣孔子之門曰:“丘在乎?丘在乎?”子貢應之曰:“君子尊賢而容眾,嘉善而矜不能,親內及外,己所不欲,勿施於人。子何言吾師之名為?”堂衣若曰:“子何少言之絞!”子貢曰:“大車不絞則不成其任,琴瑟不絞則不成其音。子之言絞,是以絞之也。”堂衣若曰:“吾始以鴻之力,今徒翼耳。”子貢曰:“非鴻之力,安能舉其翼?”《詩》曰:“如切如瑳,如錯如磨。”

傳に記す:堂衣若は孔子の門を敲いて曰く、「丘は在るか?丘は在るか?」子貢は應答す、「君子は賢を尊んで衆を容納し、善を嘉許して不能を憐憫し、親近內して外に達し、自己の欲せざる所は、人に施加する勿れ。您はなぜ吾師の名を稱する?」堂衣若は曰く、「您はなぜ話こう少なくして急切!」子貢は曰く、「大車は絞緊せざれば則ちあの任を成さず、琴瑟は絞緊せざれば則ちあの音を成さず。您の話は急切、ゆえに急切を以て對待す」と。堂衣若は曰く、「我は起初以て鴻の力と爲せり、今はただ翅膀のみ」と。子貢は曰く、「鴻の力に非ざれば、どこに能く翅膀を擧げん?」『詩經』に曰く、「切るがごとく磋るがごとく、錯るがごとく磨るがごとし」と。

第十章

齊景公出弋昭華之池,使顏斵聚主鳥而亡之。景公怒而欲殺之。晏子曰:“夫斵聚有死罪四,請數而誅之。”景公曰:“諾。”晏子曰:“斵聚!汝為吾君主鳥而亡之,使吾君以鳥之故而殺人,是罪二也。使四國諸侯聞之,以吾君重鳥而輕士,是罪三也。天子聞之,必將貶絀吾君,危其社稷,絕其宗廟,是罪四也。此四罪者,故當殺無赦,臣請加誅焉。”景公曰:“止1此吾過矣。願夫子為寡人敬謝焉。”《詩》曰:“邦之司直。”

齊景公は昭華の池に射獵し、顏斵聚をして鳥を主管せしむるに丟失せり。景公は發怒して彼を殺さんと欲せり。晏子は曰く、「斵聚に死罪四樣有り、數說して誅殺せんことを請う」と。景公は曰く、「好し」と。晏子は曰く、「斵聚!あなたは吾君のために鳥を主管して丟失せり、是れ第一罪。吾君をして鳥の緣故を以て人を殺さしむ、是れ第二罪。四國諸侯をして聞かしめ、以て吾君は鳥を看重して士を看輕すと爲さしむ、是れ第三罪。天子聞き、必ず將に吾君を貶黜し、社稷を危害し、宗廟を斷絶せん、是れ第四罪。こ四罪は、該りて殺して赦免せざる所以、臣は誅殺を加えんことを請う」と。景公は曰く、「停下せよ!是れ我が過失なり。願わくは夫子は寡人に替わりて恭敬に道歉せよ」と。『詩經』に曰く、「邦國の正直を主持する」と。

第十一章

魏文侯問於解狐曰:“寡人將立西河之守,誰可用者?”解狐對曰:“荊伯柳者賢人,殆可。”文侯曰:“是非子之讎也?”對曰:“君問可,非問讎也。”於是將以荊伯柳為西河守。荊伯柳問左右:“誰言我於吾君?”左右皆曰:“解狐。”荊伯柳往見解狐而謝之曰:“子乃寬臣之過也,言於。謹再拜謝。”解狐曰:“言子者公也,怨子者私也。公事已行,怨子如故。”張弓射之,走十步而沒,可謂勇矣。《詩》曰:“邦之司直。”

魏文侯は解狐に問うた、「寡人は將に西河の守を立てん、誰を以て用ゆべき?」解狐は回答す、「荊伯柳は賢人、ほぼ可なり」と。文侯は曰く、「是れあなたの仇人に非ずや?」回答す、「君は可用を問う、仇を問うに非ず」と。すなわち將に荊伯柳を用いて西河守を爲さしめんとせり。荊伯柳は左右に問うた、「誰が吾君のところに我を稱説した?」左右は皆曰く、「解狐」と。荊伯柳は前往して解狐を見て謝罪して曰く、「您は竟に臣の過失を寬免し、君に向かいて稱説せり。謹んで再拜して謝す」と。解狐は曰く、「あなたを稱説するは公、あなたを怨むは私。公事はすでに實行せり、あなたを怨むはなお從前のごとし」と。弓を拉開して彼を射れば、十步走りて沒入す、以て勇と稱すべし。『詩經』に曰く、「邦國の正直を主持する」と。

第十二章

楚有善相人者,所言無遺策,聞於國中。莊王召見而問焉。對曰:“臣非能相人也,能相人之友者也。觀布衣者,其友皆孝弟,篤謹畏令,如此者家必日益,而身日安,此所謂吉人者也。觀事君者,其友皆誠信,有行好善,如此者措事日益,官職日進,此所謂吉臣者也。觀人主也,朝臣多賢,左右多忠,主有失,皆敢交爭正諫,如此者國日安,主日尊,名聲日顯,此所謂吉主者也。臣非能相人也,能觀人之友者也。”王曰:“善!”其所以任賢使能而霸天下者,殆遇之於是也。《詩》曰:“彼己之子,邦之彥兮。”

楚に善く人を相する有り、説く所に遺漏の策なく、國中に聞こえり。莊王は召見して問えり。回答す、「臣は能く人を相するに非ず、是れ能く人の朋友を相するなり。布衣を觀察すれば、彼の友は皆孝悌にして、篤謹にして法令を畏懼す、こごときの家は一定に一天天增益し、而して身は一天天安定す、是れを吉人と謂う。君に事奉するを觀察すれば、彼の友は皆誠信にして、品行有りて善を愛好す、こごときの措事は一天天增益し、官職は一天天進む、是れを吉臣と謂う。人主を觀察すれば、朝臣は賢多く、左右は忠多く、主に過失有れば、皆敢えて交相爭辯して正諫す、こごときの國は一天天安定し、主は一天天尊貴し、名聲は一天天顯著す、是れを吉主と謂う。臣は能く人を相するに非ず、是れ能く人の朋友を觀察するなり」と。王は曰く、「好し!」彼の賢を任し能を使して天下に稱覇する所以は、ほぼここに遇上せり。『詩經』に曰く、「あの人よ、是れ邦國の美士なり」と。

第十三章

孔子出遊少源之野,有婦人中澤而哭,其音甚哀。孔子怪之,使弟子問焉,曰:“夫人何哭之哀?”婦人曰:“在亡吾蓍簪,吾是以哀也。”弟子曰:“刈蓍薪而亡蓍簪,有何悲焉?”婦人曰:“非傷亡簪也,吾所以悲者,蓋不忘故也。”《詩》曰:“代馬依北風,飛鳥揚故巢。”皆不忘故之謂也。。

孔子は出游して少源の野に、婦人有りて澤中に哭す、聲音甚だ哀なり。孔子は怪奇と覺え、弟子をして問わしめて曰く、「夫人はなぜこう哀しく哭す?」婦人は曰く、「我が蓍簪を丟失せり、我はこを以て哀す」と。弟子は曰く、「蓍薪を割りて蓍簪を丟失す、何の悲しむべきか有る?」婦人は曰く、「簪を丟失するを傷むに非ず、我が悲しむ所以は、ほぼ故舊を忘れざるなり」と。『詩經』に曰く、「代馬は北風に依戀し、飛鳥は故巢に飛向す」と。皆是れ故舊を忘れざるを言うなり。

第十四章

傳曰:君子之聞道,入之於耳,藏之於心,察之以仁,守之以信,行之以義,出之以遜,故人無不虛心而聽也。小人之聞道,入之於耳,出之於口,茍言而已,譬如飽食而嘔之,其不惟肌膚無益,而於志亦戾矣。《詩》曰:“胡能有定。”

傳に記す:君子は道を聞き、耳に入り、心に藏れ、仁を用いて察し、信を用いて守り、義を用いて實行し、遜を用いて發出す、ゆえに人に虛心して聽かざるなし。小人は道を聞き、耳に入り、口より出づ、苟且に説くのみ、好比して飽食して嘔吐す、ただ肌膚に對して益なきのみならず、而して志向に對しても違背せり。『詩經』に曰く、「どうして能く定有らん」と。

第十五章

孔子與子路子貢顏淵遊於戎山之上,孔子喟然嘆曰:“二三子者各言爾志,予將賢焉。由爾何如?”曰:“得白羽如月,赤羽如日,擊鐘鼓者,上聞於天,旌旗翩飜,下蟠於地,惟由為能。”孔子曰:“勇士哉!賜爾何如?”對曰:“得素衣縞冠,使於兩國之間,不持尺寸之兵,升斗之糧,使兩國相親如兄弟。”孔子曰:“辯士哉!回爾何如?”對曰:“鮑魚不與蘭茝同笥而藏,桀紂不與堯舜同時而治。二子已言,回何言哉?”孔子曰:“回有鄙之心。”顏淵曰:“願得明王聖主為之相,使城郭不治,溝池不鑿,陰陽和調,家給人足,鑄庫兵以為農器。”孔子曰:“大士哉!由來,區區治何攻?賜來,便便治何使?願得衣冠為子宰焉。”

孔子と子路・子貢・顏淵は戎山の上に游び、孔子は慨然として嘆息して曰く、「諸位各々あなたらの志向を説け、我は將に以て賢と爲さん。由あなたはどうか?」曰く、「白羽は月のごとき、赤羽は日のごときを得、鐘鼓を擊つのは、上は天に聞こえ、旌旗翩翻は、下は地に盤す、ただ由は能し」と。孔子は曰く、「勇士かな!賜あなたはどうか?」回答す、「素衣縞冠を得、兩國の間に出使し、尺寸の兵器、升斗の糧食を拿らず、兩國をして相親くして兄弟のごとくせしむ」と。孔子は曰く、「辯士かな!回あなたはどうか?」回答す、「鮑魚は蘭茝と同箱に收藏せず、桀紂は堯舜と同時に治理せず。二人はすでに説けり、回は何を説かん?」孔子は曰く、「回は鄙陋の心有り」と。顏淵は曰く、「願わくは明王聖主を得て彼のために相を爲し、城郭を修治せず、溝池を開鑿せず、陰陽和調し、家給人足して、庫中の兵器を鎔鑄して農器を爲さしむ」と。孔子は曰く、「大士かな!由來れ、區區として何を攻打し治理せん?賜來れ、便便として何を出使し治理せん?願わくは衣冠を得てあなたらの宰を爲さん」と。

第十六章

賢士不以恥食,不以辱得。《老子》曰:“名與身孰親?身與貨孰多?得與亡孰病?是故甚愛必大費,多藏必厚亡。知足不辱,知止不殆,可以長久。大成若缺,其用不敝。大盈若沖,其用不窮。大直若詘,大辯若訥,大巧若拙,其用不屈。罪莫大於多欲,禍莫大於不知足,咎莫憯於欲得。故知足之足常足矣。”

賢士は羞恥を以て吃せず、受辱を以て得ず。『老子』に曰く、「名と身はどちらが更に親しい?身と貨はどちらが更に多い?得と失はどちらが更に病む?こを以て太だ愛すれば必ず大いに費やし、多く藏すれば必ず厚く亡す。足るを知れば辱を受けず、止まるを知れば危險ならず、以て長久すべし。大成は缺のごとく、その用は敝えず。大盈は虛のごとく、その用は窮まらず。大直は屈のごとく、大辯は訥のごとく、大巧は拙のごとく、その用は屈せず。罪は多欲より大なるなく、禍は足るを知らざるより大なるなく、咎は得たしと欲するより慘なるなし。ゆえに足るを知るの足は常常に足れり」と。

第十七章

孟子妻獨居,踞。孟子入戶視之,白其母曰:“婦無禮,請去之。”母曰:“何也?”曰:“踞。”其母曰:“何知之?”孟子曰:“我親見之。”母曰:“乃海無禮也,非婦無禮。《禮》不云乎:‘將入門,問孰存。將上堂,聲必揚。將入戶,視必下。’不掩人不備也。今治往燕私之處,入戶不有聲,令人居而視之,是汝之無禮也,非婦無禮也。”於是孟子自責,不敢去婦。《詩》曰:“採葑採菲,無以下禮。”

孟子の妻子は獨居し、蹲踞せり。孟子は戸に進み見て、母に告げて曰く、「婦人は禮なし、休去せんことを請う」と。母は曰く、「なぜ?」曰く、「蹲踞せり」と。母は曰く、「どうして知る?」孟子は曰く、「我は親ら見たり」と。母は曰く、「是れあなたの禮なき、婦人の禮なきに非ず。『禮』に説くではないか:『將に門に進まんとせば、誰在るかを問え。將に堂に上らんとせば、聲音は必ず揚げよ。將に戸に進まんとせば、視線は必ず下げよ』人を掩い不備にせざるなり。今往きて燕私の處に、戸に進みて聲なく、人をして居處せしめて看るは、是れあなたの禮なき、婦人の禮なきに非ず」と。すなわち孟子は自ら責備し、敢えて婦を休せず。『詩經』に曰く、「葑を采り菲を采り、根部を以てすな勿れ」と。

第十八章

孔子出衛之東門,逆姑布子卿,曰:“二三子使東避。有人將來,必相我者也。志之。”姑布子卿亦曰:“二三子引車避。有聖人將來。”孔子下步,姑步子卿迎而視之五十步,從而望之五十步,子貢曰:“是何為者也?”子貢曰:“賜之師也,所謂魯孔丘也。”姑布子卿曰:“是魯孔丘歟?吾固聞之。”子貢曰:“賜之師何如?”姑布子卿曰:“得堯之顙,舜之目,禹之頸,皋陶之喙。從前視之,盎盎乎似有土者。從後視之,高肩循固得之轉廣一尺四寸,此惟不及四聖者也。”子貢籲然。姑布子卿曰:“子何患焉?汙面而不惡,葭喙而不藉,遠而望之,羸喪家之狗。子何患焉?”子貢以告孔子。孔子無所辭,獨辭喪家之狗耳,曰:“丘何敢乎?”子貢曰:“汙面而不惡,葭喙而不藉,賜以知之矣。不知喪家狗,是何足辭也?”子曰:“賜,汝獨不見夫喪家之狗歟?既斂而槨,布席而祭。顧望無人,意欲施之。上無明王,下無賢方伯,王道衰,政教失,強陵弱,眾暴寡,百姓縱心,莫之綱紀。是人固以丘為欲當之者也。丘何敢乎!”

孔子は衛の東門を出で、迎面して姑布子卿に遇い、曰く、「諸位は車を讓りて東に避けよ。人將に到來せん、必ず我を相する。記住せよ」と。姑布子卿もまた曰く、「諸位は車を引き避けよ。聖人將に到來せん」と。孔子は下車して走り、姑布子卿は迎上して看ること五十步、跟隨して望むこと五十步、曰く、「是れ何を爲す?」子貢は曰く、「賜の老師、説く所の魯孔丘」と。姑布子卿は曰く、「是れ魯孔丘か?我本來聞けり」と。子貢は曰く、「賜の老師はどうか?」姑布子卿は曰く、「堯の額頭、舜の眼睛、禹の頸脖、皐陶の喙を得たり。從前より看れば、盎盎然として土有るのごとし。後より看れば、肩高く循固し、轉廣一尺四寸、是れただ四聖に趕上せず」と。子貢は吁然とせり。姑布子卿は曰く、「您は何を擔心する?污面して而して惡ならず、葭喙して而して藉せず、遠遠に望去、瘦すること喪家の狗のごとし。您は何を擔心する?」子貢は孔子に告げたり。孔子は別のを推辭せず、ただ喪家の狗を推辭し、曰く、「丘はどこに敢えてか?」子貢は曰く、「污面して而して惡ならず、葭喙して而して藉せず、賜はすでに知れり。喪家狗を知らず、是れ何の推辭に値する?」孔子は曰く、「賜、あなたは獨獨あの喪家の狗を見ずや?すでに殮入して椁し、布席して祭せり。回頭して望めば人なく、意念は施與せんと欲す。上に明王なく、下に賢方伯なく、王道は衰え、政敎は失い、強は弱を欺凌し、衆は寡を暴虐し、百姓は心を放縱し、人の來りて綱紀するなし。こ人は固より以て丘はこを擔當せんと欲すと爲す。丘はどこに敢えて!」

第十九章

修身不可不慎也。嗜慾侈則行虧,讒毀行則害成。患生於忿怒,禍起於纖微。汙辱難湔灑,敗失不復追。不深念遠慮,後悔何益?徼倖者,伐性之斧也。嗜慾者,逐禍之馬也。謾誕者,趨禍之路也。毀於人者,困窮之舍也。是故君子去徼倖,節嗜慾,務忠信,無毀於一人,則名聲常存,稱為君子矣。《詩》曰:“何其處也,必有興也。”

身を修むるは謹慎せざるべからず。嗜欲が奢侈すれば則ち品行は虧損し、讒毀が實行すれば則ち害は成就す。患は忿怒より生出し、禍は纖微より興起す。污辱は洗濯し難く、敗失は再び追回せず。深く念い遠く慮らざれば、後悔して何の益か有らん?徼幸は、是れ性を砍伐する斧。嗜欲は、是れ禍を追逐する馬。謾誕は、是れ禍に趨向する路。人に毀るるは、是れ困窮の舍。こを以て君子は徼幸を去掉し、嗜欲を節制し、務めて忠信を求め、一人に毀られざれば、則ち名聲は常に存して、君子と稱せらる。『詩經』に曰く、「なぜ安處せん、必ず興起する所有らん」と。

第二十章

君子之居也,綏如安裘,晏如覆杅。天下有道,則諸侯畏之。天下無道,則庶人易之。非獨今日,自古亦然。昔者范蠡行遊,與齊屠地居,仁義沉浮,湯湯慨慨,天地同憂。故君子居之,安得自若。《詩》曰:“心之憂矣,其誰知之!”

君子の居處は、綏然として安穩の裘のごとく、晏然として覆蓋の杅のごとし。天下に道有れば、則ち諸侯は畏懼す。天下に道なくば、則ち庶人は看輕す。ただ今のみならず、自古よりもこのごとし。從前范蠡は出行して游び、齊屠と居住し、仁義は沉浮し、湯湯慨慨として、天地と一同に憂えり。ゆえに君子の居處は、どこに能く自行して故のごとくせん。『詩經』に曰く、「心裏憂えり、誰か知らん!」

第二十一章

田子方之魏,魏太子從車百乘而迎之郊。太子再拜,謁田子方,田子方不下車。太子不說,曰:“敢問何如則可以驕人矣?”田子方曰:“吾聞以天下驕人而亡者有矣,以一國驕人而亡者有矣。由此觀之,則貧賤可以驕人矣。夫志不得,則授履而適秦楚耳,安往而不得貧賤乎?”於是太子再拜而後退。田子方遂不下車。

田子方は魏に至り、魏太子は車百乘を帶びて郊に迎接せり。太子は再拜し、田子方を謁見す、田子方は下車せず。太子は高興せず、曰く、「請問、どうすれば則ち人に對して驕傲すべきか?」田子方は曰く、「我は聞く、天下を用いて人に對して驕傲して滅亡する有り、一國を用いて人に對して驕傲して滅亡する有り。此より以て看れば、則ち貧賤は以て人に對して驕傲すべし。志向得られざれば、則ち鞋を提げて秦楚に至るのみ、どこに至りて貧賤を得ざらん?」すなわち太子は再拜して然る後に後退せり。田子方は終に下車せず。

第二十二章

戴晉生弊衣冠而往見梁王。梁王曰:“前日寡人以上大夫之祿要先生,先生不留,今過寡人邪?”戴晉生欣然而笑,仰而永嘆曰:“嗟乎!由此觀之,君曾不足與遊也。君不見大澤中雉乎?五步一噣,終日乃飽,羽毛悅澤,光照於日月,奮翼爭鳴,聲響於陵澤者何?彼樂其志也。援置之囷倉中,常噣梁粟,不旦時而飽,然猶羽毛憔悴,志氣益下,低頭不鳴。夫食豈不善哉?彼不得其志故也。今臣不遠千里而從君遊者,豈食不足?竊慕君之道耳。臣始以君為好士,天下無雙,乃今見君不好,明矣。”辭而去,終不復往。

戴晋生は破衣冠を穿着して前往して梁王を見たり。梁王は曰く、「前日寡人は上大夫の祿を用いて先生を邀請せり、先生は留下せず、今寡人を經過するか?」戴晋生は欣然として笑い、頭を擡げて長歎して曰く、「可歎かな!此より以て看れば、君は竟に彼と交游するに足らず。君は大澤中の雉を見ずや?五步して一啄し、整天して纔めて飽き、羽毛は悅澤し、光は日月を照らし、翼を奮い爭鳴し、聲は陵澤に響く、なぜか?彼はあの志向に樂しむなり。捉え來りて囷倉中に置けば、常常に粱粟を啄み、早晨に至らずして飽く、しかるになお羽毛は憔悴し、志氣は愈加低下し、頭を低くして鳴かず。食は豈に善ならざらん?彼はあの志向を得ざるの緣故なり。今臣は千里を遠しとせずして君に跟從して交游す、豈に食の足らざらん?私下に君の道を仰慕するのみ。臣は起初以て君は士を好み、天下に雙なしと爲せり、今君の好まざるを見、顯明なり」と。告辭して離去し、終に再び前往せず。

第二十三章

楚莊王使使齎金百斤聘北郭先生。先生曰:“臣有箕箒之使,願入計之。”即謂婦人曰:“楚欲以我為相,今日相,即結駟列騎,食方丈於前,如何?”婦人曰:“夫子以織屨為食,食粥毚履,無怵惕之憂者何哉?與物無治也。今如結駟列騎,所安不過容膝,食方丈於前,所甘不過一肉。以容膝之安,一肉之味,而殉楚國之憂,其可乎?”於是遂不應聘,與婦去之。《詩》曰:“彼美淑姬,可與晤言。”

楚莊王は使者を派して金百斤を帶びて北郭先生を聘せしめたり。先生は曰く、「臣に箕帚の妻有り、願わくは進入して彼女と計議せん」と。則ち婦人に對して曰く、「楚は我を用いて相を爲さんと欲す、今相を爲れば、則ち駟を結び騎を列ね、面前に方丈の食を吃す、どうか?」婦人は曰く、「夫子は屨を織るに靠りて飯を吃し、粥を喝し粗鞋を穿ち、怵惕の憂なきは、なぜか?物と糾葛なきなり。今駟を結び騎を列ぬるがごときは、安處する所は容膝に過ぎず、面前に方丈の食を吃するは、甘美する所は一塊の肉に過ぎず。容膝の安、一塊の肉の味を用いて、而して楚國の憂に殉ず、可なるか?」すなわち則ち聘を接受せず、婦人と離去せり。『詩經』に曰く、「あの美善なる淑姬よ、以て彼女と交談すべし」と。

第二十四章

傳曰:昔戎將由余使秦,秦繆公問以得失之要,對曰:“古有國者未嘗不以恭儉也,失國者未嘗不以驕奢也。”由余因論五帝三王之所以衰,及至布衣之所以亡。繆然之,於是告內史王廖曰:“鄰國有聖人,敵國之憂也。由余聖人也,將奈之何?”王廖曰:“夫戎王居僻陋之地,未嘗見中國之聲色。君其遺之女樂以淫其志,亂其政,其臣下必疎。因為由余請緩期,使其君臣有間,然後可圖。”繆公曰:“善。”乃使王廖以女樂二列遺戎王,為由余請期。戎王大悅,許之。於是張酒聽樂,日夜不休,終歲淫縱,牛馬多死。由余歸,數諫不聽,去之秦。秦繆公迎而拜之上卿。遂並國十二,闢地千里。

傳に記す:從前戎將由余は秦に出使し、秦繆公は得失の要約を問えり、回答す、「古代國有るはかつて恭儉を以てせざらず、國を失うはかつて驕奢を以てせざらず」と。由余はすなわち五帝三王の衰える所以、及び布衣に到るの滅亡する所以を論述せり。繆公は以て對と爲し、すなわち內史王廖に告げて曰く、「鄰國に聖人有り、是れ敵國の憂。由余は聖人、將にどうせん?」王廖は曰く、「戎王は僻陋の地に居り、かつて中國の聲色を見ず。君はなお女樂を送りて以て彼の志向を淫亂せしめ、彼の政を擾亂し、彼の臣下は一定に疏遠せん。こを以て由來のために緩期を請求し、彼の君臣に間隙有らしめ、然る後に以て圖謀すべし」と。繆公は曰く、「好し」と。すなわち王廖をして女樂二列を用いて戎王に送らしめ、由余のために延期を請求せしめたり。戎王は非常に喜悅し、允許せり。すなわち酒を張設し樂を聽き、日夜不休し、終年淫縱し、牛馬は多く死せり。由余は歸り、屢次進諫するに聽かれず、離開して秦に至れり。秦繆公は迎接して彼を拜して上卿を爲さしめたり。すなわち國十二個を兼幷し、地千里を開闢せり。

第二十五章

子夏過曾子,曾子曰:“入食。”子夏曰:“不為公費乎?”曾子曰:“君子有三費,飲食不在其中。君子有三樂,鐘磬琴瑟不在其中。”子夏曰:“敢問三樂。”曾子曰:“有親可畏,有君可事,有子可遺,此一樂也。有親可諫,有君可去,有子可怒,此二樂也。有君可喻,有友可助,此三樂也。”子夏曰:“敢問三費。”曾子曰:“少而學,長而忘之,此一費也。事君有功,而輕負之,此二費也。久交友而中絕之,此三費也。”子夏曰:“善哉!謹身事一言,愈於終身之誦,而事一士,愈於治萬民之功。夫知人者不可以不知,何也?吾嘗蓾焉吾田,朞歲不收。土莫不然,何況於人乎?與人以實,雖疎必密。與人以虛,雖戚必疎。夫實之與實,如膠如漆。虛之興虛,如薄冰之見晝日。君子可不留意哉!”《詩》曰:“神之聽之,終和且平。”

子夏は曾子を拜訪し、曾子は曰く、「進入して飯を吃せよ」と。子夏は曰く、「公家のを浪費せざらんか?」曾子は曰く、「君子に三費有り、飲食はその中に在らず。君子に三樂有り、鐘磬琴瑟はその中に在らず」と。子夏は曰く、「三樂を請問す」と。曾子は曰く、「親有りて敬畏すべく、君有りて事奉すべく、子有りて遺留すべし、是れ第一樂。親有りて進諫すべく、君有りて離開すべく、子有りて怒責すべし、是れ第二樂。君有りて曉喻すべく、友有りて幫助すべし、是れ第三樂」と。子夏は曰く、「三費を請問す」と。曾子は曰く、「年少にして學習し、長大して忘るる、是れ第一費。君に事奉して功有り、而して輕易に辜負す、是れ第二費。長久交友して而して中途斷絶す、是れ第三費」と。子夏は曰く、「好しかな!自身を謹慎して一句話に事奉するは、終身誦讀に勝過し、而して一士に事奉するは、萬民を治理する功に勝過す。人を知るは知らざるべからず、なぜか?我はかつて我が田を蕪穢し、滿一年收穫なし。土はこのごとくならざるなく、何を況んや人をや?實を用いて人に給與すれば、たとい疏遠なりとも必ず親密す。虛を用いて人に給與すれば、たとい親近なりとも必ず疏遠す。實と實は、膠のごとく漆のごとし。虛と虛は、薄冰の白日を見るがごとし。君子は能く留意せざらんか!」『詩經』に曰く、「神は聽きて、終に和諧し且つ平和なり」と。

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