第八章
趙簡子有臣曰周舍,立於門下三日三夜。簡子使人問之,曰:“子欲見寡人何事?”周舍對曰:“願為諤諤之臣,墨筆操牘,從君之後,司君之過而書之,日有記也,月有成也,歲有效也。”簡子居則與之居,出則與之出。居無幾何,而周舍死。簡子如喪子。後與諸大夫飲於洪波之臺,酒酣,簡子涕泣。諸大夫皆出走,曰:“臣有罪而不自知也。”簡子曰:“大夫皆無罪。昔者吾友周舍有言,曰:‘千羊之皮不若一狐之腋,眾人之唯唯不若直士之諤諤。昔者商紂默默而亡,武王諤諤而昌。’今自周舍之死,吾未嘗聞吾過也。吾亡無日矣。是以寡人泣也。”
趙簡子に臣ありて周舍と曰い、門下に立つこと三天三夜。簡子は人を派して問い、曰く、「あなたは寡人を見んと欲して何事か有る?」周舍は回答す、「諤諤の臣を爲さんことを願う、墨筆を持ち牘を操り、君の後に跟從し、君の過失を伺察して書き下さん、日に記錄有り、月に成就有り、年に功效有らん」と。簡子は閑居すれば則ち彼と閑居し、出でれば則ち彼と出でたり。過ぐることほどなく、周舍死したり。簡子は兒子を喪失するがごとし。後に諸大夫と洪波の臺に飲酒し、酒酣なり、簡子哭泣せり。諸大夫はみな出走し、曰く、「臣は罪有りて自ら知らず」と。簡子は曰く、「大夫はみな罪なし。從前我が友周舍に言あり、曰く、『千隻の羊の皮は一狐の腋に如かず、衆人の唯唯は直士の諤諤に如かず。從前商紂は默默として滅亡し、武王は諤諤として昌盛せり』と。今周舍死してより、我はかつて我が過失を聞かず。我の滅亡は日幾ばくもなし。ここを以て寡人は哭す」と。
第九章
傳曰:齊景公問晏子:“為國何患?”晏子對曰:“患夫社鼠。”景公曰:“何謂社鼠?”晏子曰:“社鼠出竊於外,入托於社,灌之恐壞牆,燻之恐燒木。此鼠之患。今君之左右,出則君以要利,入則托君,不罪乎亂法,君又並覆而有之。此社鼠之患也。”景公曰:“嗚呼,豈其然!”“人有市酒而甚美者,置表甚長,然至酸而不售。問里人其故。里人曰:‘公之狗甚猛,而人有持器而欲往者,狗輒而齧之,是以酒酸不售也。’士欲白萬乘之主,用事者迎而齧之,亦國之惡狗也。左右者為社鼠,用事者為惡狗,此為國之大患也。”《詩》曰:“瞻彼中林,侯薪侯蒸。”言朝廷皆小人也。
傳に記す:齊景公は晏子に問うた、「國を治むるに何を擔憂する?」晏子は回答す、「あの社鼠を擔憂す」と。景公は曰く、「何を社鼠と謂う?」晏子は曰く、「社鼠は出でて外にて偷窃し、入りて社に依托し、これを灌げば墻を壞さんを怕り、これを熏れば木を燒かんを怕る。是れ鼠の患なり。今君の左右は、出でれば則ち君を以て利を求め、入れば則ち君に依托し、亂法に對して罪なく、君はまた一幷に覆蓋して彼らを有す。是れ社鼠の患なり」と。景公は曰く、「嗚呼、豈に是れのごとからん!」「酒を賣る者有りて酒甚だ美しく、招牌を設置すること甚だ長し、しかるに變酸するに至りても賣掉せず。里人に緣故を問えば、里人は曰く、『あなたの狗甚だ猛く、而して人に器皿を持ちて往かんとする有れば、狗は則ち彼を咬む、ここを以て酒酸く賣掉せず』と。士は萬乘の主に向かい表白せんと欲すれど、用事する人は迎え上りて彼を咬む、亦た國の惡狗なり。左右は社鼠、用事するは惡狗、是れ國を治むるの大患なり」と。『詩經』に曰く、「あの林中を看よ、是れ薪是れ蒸なり」と。是れ朝廷みな小人なるを言うなり。
第十章
昔者司城子罕相宋,謂宋君曰:“夫國家之安危,百姓之治亂,在君之行賞罰。夫爵賞賜與,人之所好也,君自行之。殺戮刑罰,民之所惡也,臣請當之。”君曰:“善。寡人當其美,子受其惡,寡人自知不為諸侯笑矣。”國人知殺戮之刑專在子罕也,大臣親之,百姓畏之。居不期年,子罕遂劫宋君而奪其政。故老子曰:“魚不可脫於淵,國之利器不可以示人。”《詩》曰:“胡為我作,不即我謀?”
從前司城子罕は宋相を爲し、宋君に對して曰く、「國家の安危、百姓の治亂は、君の賞罰を實行するに在り。爵賞賜與は、人の愛好する所、君は自ら實行せよ。殺戮刑罰は、民の厭惡する所、臣は擔當せんことを請う」と。君は曰く、「好し。寡人はあの美を擔當し、あなたはあの惡を接受せよ、寡人は自ら諸侯に嘲笑せられざるを知る」と。國人は殺戮の刑が專ら子罕に在るを知り、大臣は彼を親近し、百姓は彼を畏懼せり。過ぐること一年に至らず、子罕はすなわち宋君を劫持してその政を奪取せり。ゆえに老子は曰く、「魚は淵を脫離すべからず、國の利器は以て人に看せしむべからず」と。『詩經』に曰く、「なぜ我がために事を興起し、我に就着て我と謀劃せざる?」と。
第十一章
衛懿公之時,有臣曰弘演者,受命而使。未食,而狄人攻衛。於是懿公欲興師迎之。其民皆曰:“君之所貴而有祿位者,鶴也。所愛者,宮人也。亦使鶴與宮人戰。餘安能戰!”遂潰而皆去。狄人至,攻懿公於熒澤,殺之。盡食其肉,獨舍其肝。弘演至,報使於肝。辭畢,呼天而號。哀止,曰:“若臣者,獨死可耳。”於是遂自刳,出腹實,內懿公之肝,乃死。桓公聞之,曰:“衛之亡也,以無道也。今有臣若此,不可不存。”於是復立衛於楚丘。如弘演,可謂忠士矣。殺身以捷其君,非徒捷其君,又令衛之宗復立,祭祀不絕,可謂有大功矣。《詩》曰:“四方有羨,我獨居憂。民莫不穀,我獨不敢休。”
衛懿公の時に、臣ありて弘演と曰い、命を受けて出使す。いまだ食せざるに、而して狄人は衛を攻めたり。すなわち懿公は師を興して迎戰せんと欲せり。あの民はみな曰く、「君の看重して祿位有るは、鶴なり。愛する所は、宮人なり。なお鶴と宮人とをして戰わしめよ。我らはどうして能く戰わん!」すなわち潰散してみな離去せり。狄人至りて、熒澤に於いて懿公を攻め、彼を殺せり。肉をみな食盡し、ただ肝を留めたり。弘演至りて、肝に向かいて出使を報告す。辭説完畢し、天を呼び號哭せり。哀止まりて、曰く、「臣のごときは、獨り死すれば則ち可なり」と。すなわち自ら刳開し、腹中の物を拿出し、懿公の肝を納入して、始めて死せり。桓公は聞きて、曰く、「衛の滅亡は、是れ無道を以てなり。今臣のこのごとき有れば、保存せざるべからず」と。すなわち楚丘に於いて衛を重新に立てたり。弘演のごときは、忠士と稱すべし。身を殺して以てその君を成就す、ただその君を成就するのみならず、また衛の宗をして重新に立ち、祭祀絶えざらしめ、大功有りと稱すべし。『詩經』に曰く、「四方に羨餘有り、我は獨り憂に處る。民に善ならざるなく、我は獨り敢えて休息せず」と。
第十二章
孫叔敖遇狐丘丈人。狐丘丈人曰:“僕聞之,有三利必有三患,子知之乎?”孫叔敖蹵然易容曰:“小子不敏,何足以知之。敢問何謂三利?何謂三患?”狐丘丈人曰:“夫爵高者,人妬之。官大者,主惡之。祿厚者,怨歸之。此之謂也。”孫叔敖曰:“不然。吾爵益高,吾志益下。吾官益大,吾心益小。吾祿益厚,吾施益博。可以免於患乎?”狐丘丈人曰:“善哉言乎!堯舜其猶病諸。”《詩》曰:“溫溫恭人,如集於木。惴惴小心,如臨於谷。”
孫叔敖は狐丘丈人に遇見せり。狐丘丈人は曰く、「僕は聞く、三利有れば必ず三患有り、あなたは知るか?」孫叔敖は忽然として顏色を變じて曰く、「小子は聰敏ならず、どこに足りて知らんや。何を三利と謂うかを請問す。何を三患と謂う?」狐丘丈人は曰く、「爵高きは、人は妒忌す。官大ききは、主は厭惡す。祿厚きは、怨は彼に歸向す。言うはこのことなり」と。孫叔敖は曰く、「然らず。我が爵愈え高ければ、我が志向愈え低下す。我が官愈え大なれば、我が心愈え小さし。我が祿愈え厚ければ、我が施與愈え廣博す。以て患を免るべきか?」狐丘丈人は曰く、「好しかなこ言!堯舜もなおこれを怕る」と。『詩經』に曰く、「溫溫として恭敬の人、樹上に聚集するがごとし。惴惴として小心し、山谷に臨近するがごとし」と。
第十三章
孔子曰:“明王有三懼。一曰處尊位而恐不聞其過,二曰得志而恐驕,三曰聞天下之至道而恐不能行。昔者越王勾踐與吳戰,大敗之,兼有南夷。當是之時,君南面而立,近臣三,遠臣五,令諸大夫曰:‘聞過而不以告我者為上戮。’此處尊位而恐不聞其過也。昔者晉文公與楚戰,大勝之,燒其軍,火三日不息。文公退而有憂色。侍者曰:‘君大勝楚而有憂色,何也?’文公曰:‘吾聞能以戰勝而安者惟聖人。若夫詐勝之徒,未嘗不危,吾是以憂也。’此得志而恐驕也。昔者齊桓公得管仲隰朋,辯其言,說其義,正月之朝,令具太牢,進之先祖。桓公西面而立,管仲隰朋東面而立。桓公曰:‘吾得二子也,吾目加明,吾耳加聰。不敢獨擅,進之先祖。’此聞天下之至道而恐不能行者也。由桓公、晉文、越王、勾踐觀之,三懼者,明君之務也。”《詩》曰:“溫溫恭人,如集於木。惴惴小心,如臨於谷。戰戰兢兢,如履薄冰。”此言文王居人上也。
孔子は言った。「明王に三樣の懼あり。一は尊位に處りて過失を聞かざるを怕る、二は志を得て驕傲するを怕る、三は天下の至極の道を聞きて能く實行せざるを怕る。從前越王勾踐は呉と戰い、大いに呉を敗り、南夷を兼有せり。あの時に當たり、君は南面して立ち、近臣三人、遠臣五人、諸大夫に命令して曰く、『過失を聞きて我に告げざるは上戮なり』と。是れ尊位に處りて過失を聞かざるを怕るなり。從前晋文公は楚と戰い、大いに勝ち、あの軍を燒きて、火は三天熄えず。文公は退下して憂色あり。侍者は曰く、『君は大いに楚に勝ちて却って憂色有るは、なぜか?』文公は曰く、『我は聞く、能く戰勝を以て安定するはただ聖人のみ。詐を以て勝を取るの類に至っては、かつて危險ならざるなく、我はこを以て憂う』と。是れ志を得て驕傲するを怕るなり。從前齊桓公は管仲・隰朋を得、彼らの言を辨别し、彼らの義を喜悅し、正月朝會して、太牢を具備して、先祖に進獻すを命じたり。桓公は西面して立ち、管仲・隰朋は東面して立ちたり。桓公は曰く、『我は二人を得て、我が眼は愈え明らかに、我が耳は愈え聰なり。敢えて獨り專擅せず、先祖に進獻す』と。是れ天下の至極の道を聞きて能く實行せざるを怕るなり。桓公・晋文・越王勾踐より以て看れば、三懼は、是れ明君の事務なり」『詩經』に曰く、「溫溫として恭敬の人、樹上に聚集するがごとし。惴惴として小心し、山谷に臨近するがごとし。戰戰兢兢として、薄冰を踩むがごとし」と。是れ文王が人の上に處るを言うなり。
第十四章
楚莊王賜其群臣酒。日暮酒酣,左右皆醉。殿上燭滅,有牽王后衣者。後扢冠纓而絕之,言於王曰:“今燭滅,有牽妾衣者,妾扢其纓而絕之。願趣火視絕纓者。”王曰:“止!”立出令曰:“與寡人飲,不絕纓者,不為樂也。”於是冠纓無完者,不知王后所絕冠纓者誰。於是王遂與群臣歡飲,乃罷。後吳興師攻楚,有人常為應行合戰者,五陷陣卻敵,遂取大軍之首而獻之。王怪而問之曰:“寡人未嘗有異於子,子何為於寡人厚也?”對曰:“臣先殿上絕纓者也。當時宜以肝膽塗地。負日久矣,未有所效。今幸得用於臣之義,尚可為王破吳而強楚。”《詩》曰:“有漼者淵,雚葦渒渒。”言大者無不容也。
楚莊王は群臣に酒を賜えり。日暮れ酒酣なり、左右みな醉えり。殿上の燭滅び、人ありて王后の衣を牽きたり。后は扢ちて冠纓を斷ち、王に對して曰く、「今燭滅び、人ありて妾の衣を牽けり、妾は扢ちて彼の纓を斷てり。願わくは速やかに火を點じて斷纓の人を看ん」と。王は曰く、「停下せよ!」即刻出令して曰く、「寡人と飲酒して、纓を斷たざるは、快樂と算せず」と。すなわち冠纓に完好なるなく、王后の斷たる冠纓は誰かを知らず。すなわち王は則ち群臣と歡飲して、始めて罷めたり。後に呉は師を興して楚を攻め、人ありて常に行に應じ合戰し、五次陣に陷りて敵を打退し、すなわち大軍の首級を取りて獻上せり。王は怪奇と覺えて問うた、「寡人はかつてあなたに對して特異なく、あなたはなぜ寡人に對して厚き?」回答す、「臣は則ち先前殿上の斷纓せし者なり。當時は膽肝を地に塗るに當たれり。日子を虧負すること久しく、效力する所なし。今幸いに臣の義に用いられて得、なお以て王のために吳を破り楚を強くすべし」と。『詩經』に曰く、「深き淵有りて、萑葦は茂盛す」と。是れ大は容納せざるなきを言うなり。
第十五章
傳曰:伯奇孝而棄於親。隱公慈而殺於弟。叔武賢而殺於兄。比干忠而誅於君。《詩》曰:“子慎無辜。”
傳に記す:伯奇は孝なるに親に拋棄せられたり。隱公は慈なるに弟弟に殺害せられたり。叔武は賢なるに哥哥に殺害せられたり。比干は忠なるに君に誅殺せられたり。『詩經』に曰く、「あなたは謹慎して辜なし」と。
第十六章
紂殺王子比干,箕子被髪佯狂。陳靈公殺洩冶,鄧元去陳以族從。自此之後,殷並於周,陳亡於楚,以其殺比干、洩冶,而失箕子、鄧元也。燕昭王得郭隗而鄒衍樂毅以齊魏至。於是興兵而攻齊,棲閔王於莒。燕度地計眾,不與齊均也。然所以信意至於此者,由得士也。故無常安之國,無恆治之民,得賢者昌,失賢者亡,自古及今,未有不然者也。明鏡者,所以照形也。修往古者,所以知今也,知惡往古之所以危亡,而不務襲蹈其所以安存,則未有以異乎卻走而求逮前人也。太公知之,故舉微子之後而封比干之墓。夫聖人之於賢者之後,尚如是其厚也,而況當世之存者乎?《詩》曰:“昊天太憮,予慎無辜。”
紂は王子比干を殺し、箕子は髮を披きて發狂を假裝せり。陳靈公は泄冶を殺し、鄧元は陳を離れ族人を帶びて跟從せり。これより後、殷は周に兼幷せられ、陳は楚に滅亡せらる、比干・泄冶を殺して、箕子・鄧元を失去するを以てなり。燕昭王は郭隗を得て鄒衍・樂毅は齊魏より到來せり。すなわち兵を興して齊を攻め、閔王を莒に棲止せしめたり。燕は地を度量し衆を計算して、齊と均しからず。しかるに意を伸展してこの地步に至る所以は、士を得るに由るなり。ゆえに常安の國なく、恒治の民なし、賢を得るは昌盛し、賢を失うは滅亡す、古より今に至るまで、こうでないはなし。明鏡は、以て形を照らすなり。往古を修習するは、以て今を知るなり。往古の危亡する所以を厭惡するを知りて、却って安存する所以を沿襲するを務めざれば、倒れて跑りて前の人に趕上せんと求むると異なることなし。太公はこれを知り、ゆえに微子の後裔を擧用し比干の墓を培修せり。聖人は賢者の後裔に對して、なおこのごとく厚し、まして當世に在るにおいてをや?『詩經』に曰く、「昊天は非常に憮然、我は謹慎して辜なし」と。
第十七章
宋玉因其友見楚襄王,襄王會之無以異,乃讓其友。其友曰:“夫薑桂因地而生,不因地而辛。女因媒而嫁,不因媒而親。子之事王未耳,何怨於我?”宋玉曰:“不然。昔者齊有狡兔,曰東郭鵕(右為兔),蓋一日而走五百里。於是齊有良狗曰韓盧,亦一日而走五百里。使之瞻見指注,雖良狗猶不及眾兔之塵。若攝纓而縱紲之,則狡兔亦不能離也。今子之屬臣也,攝纓縱紲與?瞻見指注與?”其友曰:“僕人有過,僕人有過。”《詩》曰:“將安將樂,棄予如遺。”
宋玉はその朋友を通じて楚襄王を見たり、襄王は彼を會見して特異なく、すなわちその朋友を責備せり。朋友は曰く、「姜桂は地に因りて生じ、地に因りて辛からず。女子は媒に因りて嫁ぎ、媒に因りて親しまず。あなたは王に事奉していまだ極點に至らざるのみ、なぜ我を怨む?」宋玉は曰く、「然らず。從前齊に狡兔あり、東郭鵕と曰い、ほぼ一日に五百里を跑る。すなわち齊に良狗ありて韓盧と曰い、亦た一日に五百里を跑る。彼をして遠望して指點せしむれば、たとい良狗もなお衆兔の塵土に趕上せず。もし纓を攝りて牽繩を放たば、則ち狡兔もまた離れる能わず。今あなたは臣に囑託す、是れ纓を攝り牽繩を放つか?それとも遠望して指點するか?」朋友は曰く、「僕人に過有り、僕人に過有り」と。『詩經』に曰く、「將に安んじ將に樂しまんとし、我を拋棄すること遺失のごとし」と。
第十八章
宋燕相齊見逐,罷歸之舍,召門尉陳饒等二十六人,曰:“諸大夫有能與我赴諸侯者乎?”陳饒等皆伏而不對。宋燕曰:“悲乎哉!何士大夫易得而難用也!”陳饒對曰:“非士大夫易得而難用也,君弗能用也。君不能用,則有不平之心。是失之己而責諸人也。”宋燕曰:“夫失諸己而責諸人者何?”陳饒對曰:“三鬥之稷不足於士,而君雁鶩有餘粟,是君之一過也。果園梨栗,後宮婦人以相提擲,而士不曾得一嘗,是君之二過也。綾紈綺縠,靡麗於堂,而士曾不得以為緣,是君之三過也。且夫財者,君之所輕也。死者,士之所重也。君不能行君之所輕,而欲使士致其所重,譬猶鉛刀畜之,而干將用之,不亦難乎?”宋燕面有慚色,逡巡避席曰:“是燕之過也。”《詩》曰:“或以其酒不以其漿。”
宋燕は齊相を爲して驅逐せられ、罷歸して館舍し、門尉陳饒等二十六人を召して、曰く、「諸大夫に能く我と奔赴して諸侯に往く者有るか?」陳饒等はみな伏して回答せず。宋燕は曰く、「悲しむべきかな!なぜ士大夫は得ること易くして用いること難き!」陳饒は回答す、「士大夫は得ること易くして用いること難きに非ず、是れ君が用いる能わざるなり。君が用いる能わざれば、則ち不平の心有り。是れ過失は自己に在りて却って別人を責備す」と。宋燕は曰く、「過失は自己に在りて却って別人を責備するとは何か?」陳饒は回答す、「三斗の稷は士に給するに足らず、而して君の雁鶩は餘粟有るは、是れ君の第一の過なり。果園の梨栗は、後宮婦人が以て互相投擲す、而して士はかつて一嘗を得ず、是れ君の第二の過なり。綾紈綺縠は、堂上に靡麗す、而して士はかつて以て衣緣を爲すを得ず、是れ君の第三の過なり。且つ財は君の看輕する所。死は士の看重する所。君は能く君の看輕する所を實行せずして、却って士をしてその看重する所を獻出せしめんと欲す、好比して鉛刀を以て畜養し、却って干將を爲して用いる、不もまた難きか?」宋燕は顏に慙色有り、遲疑して席位を離れて曰く、「是れ燕の過失なり」と。『詩經』に曰く、「あるいはその酒を用い、その漿を用いず」と。
第十九章
傳曰:善為政者,循情性之宜,順陰陽之序,通本末之理,合無人之際。如是則天氣奉養而生物豐美矣。不知為政者,使情壓性,使陰乘陽,使末逆本,使人詭天,氣鞠而不信,鬰而不宣。如是則災害生,怪異起,群生皆傷,而年穀不熟。是以其動傷德,其靜亡救。故緩者事之,急者弗知,日反理而欲以為治。《詩》曰:“廢為殘疾,莫知其尤。”
傳に記す:善く政を爲すは、情性の適宜に遵循し、陰陽の次序に順い、本末の理を通達し、天人の際を和合す。このごとくなれば則ち天氣は奉養して生物は豐美なり。政を爲すを知らざるは、情をして性を壓せしめ、陰をして陽を凌駕せしめ、末をして本を逆せしめ、人をして天を詭詐せしめ、氣は屈曲して伸展せず、鬱悶して宣泄せず。このごとくなれば則ち災害生じ、怪異起こり、群生みな傷つき、而して年穀成熟せず。ここを以て彼は動けば則ち德を傷害し、彼は靜ければ則ち救いなし。ゆえに緩慢は事奉し、急迫は知らず、每日理に違反して以て治理せんと欲す。『詩經』に曰く、「廢棄して殘疾と爲り、あの過失を知らず」と。
第二十章
魏文侯之時,子質仕而獲罪焉,去而北遊,謂簡主曰:“從今已後,吾不復樹德於人矣。”簡主曰:“何以也?”質曰:“吾質樹堂上之士半,吾所樹朝廷之大夫半,吾所樹邊境之人亦半。今堂上之士惡我於君,朝廷之大夫恐我以法,邊境之人劫我以兵,是以不復樹德於人也。”簡主曰:“噫!子之言過矣。夫春樹桃李,夏得陰其下,秋得食其實。春樹蒺藜,夏不可採其葉,秋得其刺焉。由此觀之,在所樹也。今子之所樹,非其人也,故君子先擇而後種也。”《詩》曰:“無將大車,惟塵冥冥。”
魏文侯の時に、子質は官を爲して罪を獲、離れて北に游び、簡主に對して曰く、「今より後、我は再び人に對して德を樹立せじ」と。簡主は曰く、「なぜか?」子質は曰く、「我の樹立した所の堂上の士は一半、我の樹立した所の朝廷大夫は一半、我の樹立した所の邊境の人もまた一半。今堂上の士は君の所にて我を厭惡し、朝廷大夫は法律を以て我を恐嚇し、邊境の人は兵を以て我を劫持す、ここを以て再び人に對して德を樹立せず」と。簡主は曰く、「ああ!あなたの言は錯えり。春に桃李を種すれば、夏に樹下の蔭を得、秋に果實を得。春に蒺藜を種すれば、夏に葉を采るべからず、秋に刺を得。此より以て看れば、樹立する所に在り。今あなたの樹立した所は、あの人に非ず、ゆえに君子は先に選擇して然る後に種す」と。『詩經』に曰く、「大車に扶る勿れ、ただ塵土冥冥のみ」と。
第二十一章
正直者順道而行,順理而言,公平無私,不為安肆志,不為危揚行。昔衛獻公出走,反國及郊,將班邑於從者而後入。太史柳莊曰:“如皆守社稷,則孰負羈縶而從?如皆從,則孰守社稷?君反國而有私也,無乃不可乎?”於是不班也。柳莊正矣。昔者衛大夫史魚病且死,謂其子曰:“我數言蘧伯玉之賢而不能進,彌子瑕不肖而不能退。為人臣生不能進賢而退不肖,死不當治喪正堂,殯我於室足矣。”衛君問其故。其子以父言聞。君造然召伯玉而貴之,而退彌子瑕,徙殯於正堂,成禮而後去。生以身諫,死以尸諫,可謂直矣。《詩》曰:“靜恭爾位,好是正直。”
正直の人は道に順って行走し、理に順って言説し、公平して私なく、安樂のために志向を放縱せず、危險のために品行を顯揚せず。從前衛獻公は出走し、國に返回して郊に至り、將に封邑を跟從するに頒かんとして然る後に入らんとせり。太史柳莊は曰く、「もしみな社稷を守れば、則ち誰か羈絷を負いて跟從せん?もしみな跟從すれば、則ち誰か社稷を守らん?君は國に返回して私有れば、恐らく可ならざらんか?」すなわち頒賜せず。柳莊は正直なり。從前衛大夫史魚は病んで將に死せんとし、その子に對して曰く、「我は數たび蘧伯玉の賢を説くも能く進用せず、彌子瑕の不肖を能く黜退せず。人臣と爲りて生きて能く賢を進め不肖を退けざれば、死して正堂に喪を治むるに當たらず、室裏に殯せば則ち足れり」と。衛君は緣故を問えり。その子は父の言を以て告げたり。君は忽然として伯玉を召して彼を貴ばしめ、而して彌子瑕を黜退し、殯を正堂に遷し、禮を完成して然る後に離去せり。生きては身を以て進諫し、死しては屍を以て進諫す、直と稱すべし。『詩經』に曰く、「安靜恭敬にあなたの位子を守り、こ正直を愛好せよ」と。
第二十二章
孔子閒居,子貢侍坐,請問為人下之道奈何。孔子曰:“善哉!爾之問也。為人下,其猶土乎。”子貢未達。孔子曰:“夫土者,掘之得甘泉焉,樹之得五穀焉,草木植焉,鳥獸魚鱉遂焉。生前立焉,死則入焉,多功不言,賞世不絶。故曰:能為人下者,其惟上乎?”子貢曰:“賜雖不敏,請事斯語。”《詩》曰:“式禮莫愆。”
孔子は閑居し、子貢は陪坐して、人の下を爲すの道はどうかを請問したり。孔子は言った。「好しかな!あなたの問。人の下を爲すは、ほぼ土のごときかな」と。子貢はいまだ通達せず。孔子は言った。「土は、挖掘すれば甘泉を得、種植すれば五穀を得、草木はそこに種植し、鳥獸魚鱉はそこに順遂す。生きてはその上に立ち、死しては則ちそこに入り、功多くして言わず、賞賜は世代絶えず。ゆえに曰く、能く人の下を爲すは、ほぼただ土のみかな」と。子貢は曰く、「賜はたとい聰敏ならずとも、こ言を實行せんことを請う」と。『詩經』に曰く、「禮を以て愆過なし」と。
第二十三章
傳曰:南假子過程本子,本子為之烹鱺魚。南假子曰:“吾聞君子不食鱺魚。”本子曰:“此乃君子不食也,我何與焉?”假子曰:“夫高比所以廣德也,下比所以狹行也。比於善者,自進之階。比於惡者,自退之原也。且《詩》不云乎:‘高山仰止,景行行止。”吾豈自比君子哉?志慕之而已矣。”
傳に記す:南假子は程本子を拜訪し、本子は彼に鯡魚を烹じ與えたり。南假子は曰く、「我は聞く、君子は鯡魚を食せずと」本子は曰く、「是れ君子の食せざる所、我はそれと何の關係あらん?」假子は曰く、「上に向かいて比するは以て德を廣くし、下に向かいて比するは以て品行を狭隘す。善に比するは、是れ自己前進の階。惡に比するは、是れ自己後退の源。且つ『詩經』は言わざらんや:『高山を仰望し、大道を行走す』と。我はどこに自ら君子に比せんや?志向は仰慕するのみ」と。
第二十四章
子貢問大臣。子曰:“齊有鮑叔,鄭有子皮。”子貢曰:“否。齊有管仲,鄭有東里子產。”孔子曰:“然。吾聞鮑叔之薦管仲也,子皮之薦子產也,未聞管仲子產有所薦也。”子貢曰:“然則薦賢賢於賢。”曰:“知賢,智也。推賢,仁也。引賢,義也。有此三者,又何加焉?”
子貢は大臣を問えり。孔子は言った。「齊に鮑叔あり、鄭に子皮あり」と。子貢は曰く、「然らず。齊に管仲あり、鄭に東里子産あり」と。孔子は言った。「是れ。我は聞く、鮑叔は管仲を擧薦し、子皮は子産を擧薦せり、かつて管仲・子産の擧薦する所有るを聞かず」と。子貢は曰く、「然らば擧薦は賢に勝れり」と。曰く、「賢を知るは、是れ智なり。賢を推擧するは、是れ仁なり。賢を引進するは、是れ義なり。こ三樣有れば、また何を加えんや?」
第二十五章
孔子游於景山之上,子路、子貢、顏淵從。孔子曰:“君子登高必賦。小子願者,何言其願。丘將啟汝。”子路曰:“由願奮長戟,蕩三軍,乳虎在後,仇敵在前,蠡躍蛟奮,進救兩國之患。”孔子曰:“勇士哉!”子貢曰:“兩國構難,壯士列陣,塵埃漲天,賜不持一尺之兵,一斗之養,解兩國之難。用賜者存,不用賜者亡。”孔子曰:“辯士哉!”顏回不願。孔子曰:“回何不願?”顏淵曰:“二子已願,故不敢願。”孔子曰:“不同,意各有事焉。回其願,丘將啟汝。”顏淵曰:“願得小國而相之。主以道制,臣以德化,君臣同心,外內相應。列國諸侯,莫不從義響風,壯者趨而進,老者扶而至。教行乎百姓,德施乎四蠻,莫不釋兵,輻輳乎四門。天下鹹獲永寧,蝖飛蠕動,各樂其性。進賢使能,各任其事。於是君綏於上,臣和於下,垂拱無為,動作中道,從容得禮。言仁義者賞,言戰鬥者死。則由何進而救?賜何難之解?”孔子曰:“聖士哉!大人出,小子匿。起,賢者伏。回與執政,則由賜焉施其能哉!”《詩》曰:“雨雪麃麃,咽晛聿消。”
孔子は景山に上りて游び、子路・子貢・顏淵は跟從せり。孔子は言った。「君子は高く登れば必ず詩を賦す。小子に願望有れば、あの願望を説け。丘は將にあなたらを啓發せん」と。子路は曰く、「由は願わくは長戟を奮起し、三軍を掃蕩し、乳虎は後に在り、仇敵は前に在り、蠡躍蛟奮し、進前して兩國の患を救助せん」と。孔子は言った。「勇士かな!」子貢は曰く、「兩國は患難を構成し、壯士は陣を列し、塵埃は天に漲り、賜は一尺の兵器を持たず、一斗の糧食を持たず、兩國の難を解除せん。賜を用いれば保存し、賜を用いざれば滅亡す」と。孔子は言った。「辯士かな!」顏回は願望なし。孔子は言った。「回はなぜ願望なき?」顏淵は曰く、「二人はすでに願望を説けり、ゆえに敢えて願望せず」と。孔子は言った。「同じからず、意は各々事有り。回はなお願望を説け、丘は將にあなたを啓發せん」と。顏淵は曰く、「願わくは小國を得て相を爲さん。主は道を以て制約し、臣は德を以て感化し、君臣同心し、外內相應じ、列國諸侯は、義に跟從し風氣に響應せざるなく、壯なるは奔赴して前來し、老いたるは扶えて到來す。教導は百姓に實行し、德は四蠻に施加し、兵器を放下せざるなく、車輻が四門に聚集するがごとし。天下はみな永寧を獲得し、蝖飛蠕動して、各々あの性を樂しむ。賢を進用し能を使用して、各々あの事を擔當す。すなわち君は上に安綏し、臣は下に和諧し、垂拱無爲して、動作は中道に合乎し、從容して禮を得。仁義を説くは賞し、戰鬪を説くは死す。則ち由はどこより進前して救助せん?賜は何の難か解除すべき?」孔子は言った。「聖士かな!大人出でれば、小子は隱匿す。起きよ、賢者は伏下す。回は執政に參與せば、則ち由・賜はどこにその能を施用せんや!」『詩經』に曰く、「雨雪は盛密に、陽光は一たび出でれば則ち消融す」と。
第二十六章
昔者孔子鼓瑟,曾子子貢側門而聽。曲終,曾子曰:“嗟乎!夫子瑟聲殆有貪狼之志,邪僻之行,何其不仁趨利之甚?”子貢以為然,不對而入。夫子望見子貢有諫過之色,應難之狀,釋瑟而待之。子貢以曾子之言告。子曰:“嗟乎!夫參,天下賢人也,其習知音矣。郷者丘鼓瑟,有鼠出遊,狸見於屋,循梁微行,造焉而避,厭目曲脊,求而不得。丘以瑟淫其音。參以丘為貪狼邪僻,不亦宜乎!”《詩》曰:“鼓鍾於宮,聲聞於外。”
從前孔子は瑟を鼓し、曾子・子貢は門側に聽きたり。曲子終了し、曾子は曰く、「嘆くべきかな!夫子の瑟聲はほぼ貪狼の志向、邪僻の品行あり、なぜ不仁趨利こう厲しき?」子貢は以て對と爲し、回答せずして進入せり。夫子は望見して子貢に進諫過失の神色、應答責難の情狀有るを見て、瑟を放下して待ちたり。子貢は曾子の言を以て告げたり。孔子は言った。「嘆くべきかな!あの參は、是れ天下の賢人、彼は知音を熟習せり。さきほど丘は瑟を鼓し、老鼠出でて游び、狸は屋上に出現し、梁に順いて微行し、そこに至りて躲避し、眼を瞇め脊を彎げ、求めて得ず。丘は瑟を以てあの音を放縱せり。參は以て丘を貪狼邪僻と爲す、不もまた適宜なるか!」『詩經』に曰く、「宮裏に鐘を敲けば、聲音は外に傳わる」と。
第二十七章
夫為人父者,必懷慈仁之愛,以畜養其子。撫及其有識也,必嚴居正言,以先導之。及其束髪也,授明師以成其技。十九見志,請賓冠之,足以成其德。血脈澄靜,娉內以定之,信承親授,無有所疑。冠子不詈,髦子不笞,聽其微諫,無令憂之。此為人父之道也。《詩》曰:“父兮我我,母兮鞠我。拊我畜我,長我育我,顧我復我,出入腹我。”
人の父を爲すは、必ず慈仁の愛を懷きて、以てその子を畜養す。撫育して彼に識有るに至れば、必ず莊嚴に居處し言語を端正して、以て先導引す。束髮に及べば、明師を授與して以てその技能を成就す。十九歲にして志向を表明し、賓客を請い冠禮を行い、足りてその德を成就す。血脈澄靜し、聘娶して以て安定し、誠信して親人授受を承受し、懷疑なし。冠後の子は罵らず、髦年の子は笞せず、彼の微諫を聽き、彼をして憂せしむる勿れ。是れ人の父を爲すの道なり。『詩經』に曰く、「父よ我を生み、母よ我を養えり。我を撫し我を畜し、我を長じ我を育て、我を顧み我を反復し、出入して我を懷抱せり」と。
韓詩外傳卷第八
第一章
越王勾踐使廉稽獻民於荊王。荊王使者曰:“越,夷狄之國也。臣請欺其使者。”荊王曰:“越王,賢人也,其使者亦賢,子其慎之。”使者出見廉稽,曰:“冠則得以俗見。不冠不得見。”廉稽曰:“夫越亦周室之列封也,不得處於大國,而處江海之陂,與魭鱣魚鱉為伍,文身翦髪而後處焉。今來至上國,必曰冠得俗見,不冠不得見,如此,則上國使適越,亦將劓墨文身翦髪而後得以俗見,可乎?”荊王聞之,披衣出謝。孔子曰:“使於四方,不辱君命,可謂士矣。”
越王勾踐は廉稽を派して荊王に民を獻せしめたり。荊王の使者は曰く、「越是れ夷狄の國。臣はあの使者を欺騙せんことを請う」と。荊王は曰く、「越王は賢人、その使者もまた賢なり、あなたはなお謹慎せよ」と。使者は出でて廉稽を見て、曰く、「冠を戴けば則ち以て習俗に按じて見るべし。冠を戴かざれば見るを得ず」と。廉稽は曰く、「越もまた周室の列封、大國に處る能わずして、而して江海の陂に處り、魭鱣魚鱉と伙伴を爲し、文身剪髮して然る後にそこに住す。今上國に來るに、必ず冠を戴き習俗に按じて見よと説き、冠を戴かざれば見るを得ずと、このごとくなれば、則ち上國の使者が越に至らば、亦た將に劓墨文身剪髮して然る後に習俗に按じて見ん、可なるか?」荊王は聞きて、衣を披きて出でて道歉せり。孔子は言った。「四方に出使して、君命を辱沒せざれば、士と稱すべし」と。
第二章
人之所以好富貴安樂,為人所稱譽者,為身也。惡貧賤危辱,為人所謗毀者,亦為身也。然身何貴也?莫貴於氣。人得氣則生,失氣則死。其氣非金帛珠玉也,不可求於人也。非繒布五穀也,不可糴買而得也。在吾身耳,不可不慎也。《詩》曰:“既明且哲,以保其身。”
人が富貴安樂を愛好し、人に稱譽せられる所以は、是れ身のためなり。貧賤危辱を厭惡し、人に謗毀せられるは、亦た身のためなり。しかるに身はなぜ貴き?氣より貴きはなし。人は氣を得れば則ち生じ、氣を失えば則ち死す。あの氣は金帛珠玉に非ず、人に向かいて求むべからず。繒布五穀に非ず、籴買して得べからず。我が身に在るのみ、謹慎せざるべからず。『詩經』に曰く、「すでに明かにすでに哲なり、以て自身を保全せん」と。
第三章
吳人伐楚,昭王去國,國有屠羊說從行。昭王反國,賞從者。及說,說辭曰:“君失國,臣所失者屠。君反國,臣亦反其屠。臣之祿既厚,又何賞之?”辭不受命。君強之,說曰:“君失國,非臣之罪,故不伏其誅。”君反國,非臣之功,故不受蔶賞。吳師入郢,臣畏寇避患。君反國,說何事焉?”君曰:“不受則見之。”說對曰:“楚國之法,商人慾見於君者,必有大獻重質,然後得見。今臣智不能存國,節不能死君,勇不能待寇,然見之,非國法也。”遂不受命,入於澗中。昭王謂司馬子期曰:“有人於此,居處甚約,論議甚高,為我求之。願為兄弟,請為三公。”司馬子期舍車徒求之,五日五夜,見之,謂曰:“國危不救,非仁也。君命不從,非忠也。惡富貴於上,甘貧苦於下,,意者過也。今君願為兄弟,請為三公,不聽君,何也?”說曰:“三公之位,我知其貴於刀俎之肆矣。萬鍾之祿,我知其富於屠羊之利矣。今見爵祿之利,而忘辭受之禮,非所聞也。”遂辭三公之位,而反乎屠羊肆。君子聞之曰:“甚矣哉!屠羊子之為也。約己持窮而處人之國矣。”說曰:“何謂窮?吾讓之以禮而終其國也。”曰:“在深淵之中而不援彼之危,見昭王德衰於吳,而懷寶絕跡,以病其國,欲獨全己者也。是厚於己而薄於君,狷乎非救世者也。”“何如則可謂救世矣?”曰:“若申伯仲山甫,可謂救世矣。昔者周德大衰,道廢於厲,申伯仲山甫輔相宣王,撥亂世反之正,天下略振,宗廟復興。申伯仲山甫乃並順天下,匡救邪失,喻德教,舉遺士,海內翕然向風。故百姓勃然詠宣王之德。《詩》曰:‘周邦鹹喜,戎有良翰’,又曰:‘邦國若否,仲山甫明之。夙夜匪懈,以事一人。’如是可謂救世矣。”
吳人は楚を伐ち、昭王は國を離れ、國中に屠羊説ありて出行に跟從せり。昭王は國に返回し、跟從するに賞す。説に輪に至りて、説は推辭す、「君は國を失い、臣の失う所は屠なり。君は國に返回し、臣もまたあの屠に返回す。臣の祿はすでに厚し、また何を賞せん?」推辭して命令を受けず。君は彼を強め、説は曰く、「君は國を失うは、臣の罪に非ず、ゆえにあの誅に伏さず。君は國に返回するは、臣の功に非ず、ゆえに賞を受けず。吳師は郢に進入し、臣は寇を畏懼し患を躲避せり。君は國に返回す、説に何事かあらん?」君は曰く、「受けざれば則ち接見せん」と。説は回答す、「楚國の法は、商人にして君を見んと欲するは、必ず大獻重質有りて、然る後に見るを得。今臣は智は能く國を保存せず、節は能く君のために死せず、勇は能く寇に對待せず、而して接見するは、國法に非ず」と。すなわち命令を受けず、澗中に入りたり。昭王は司馬子期に對して曰く、「ここに人有り、居處甚だ簡約し、論議甚だ高し、我のために彼を求めよ。願わくは兄弟を爲さん、三公を爲さんことを請う」と。司馬子期は車徒を舍てて往きて求め、五天五夜、彼を見て、曰く、「國危くして救わざるは、仁に非ず。君命に跟從せざるは、忠に非ず。上の富貴を厭惡し、下の貧苦に甘んずるは、恐らく過失ならん。今君は願わくは兄弟を爲し、三公を爲さんと請う、君を聽かざるは、なぜか?」説は曰く、「三公の位子は、我は刀俎の肆より貴きを知る。萬鍾の祿は、我は屠羊の利より富めるを知る。今爵祿の利を見て、而して辭受の禮を忘るるは、聞いたる所に非ず」と。すなわち三公の位子を推辭し、而して屠羊肆に返回せり。君子は聞きて後曰く、「太だ甚し!屠羊子の爲す所。自己を約束し窮を持守して人の國に處れり」と。説は曰く、「何を窮と謂う?我は禮讓を以て終にあの國を全うす」と。曰く、「深淵の中に在りて却ってあの危を援救せず、昭王の德が吳に衰敗せらるを見て、而して寶を懷き跡を絶ち、以てあの國を病ましむるは、是れ獨り自己を保全せんと欲するなり。是れ自己に厚くして君に薄く、狷介にして救世に非ず」「どうして乃ち救世と稱すべき?」曰く、「申伯・仲山甫のごときは、以て救世と稱すべし。從前周德は大いに衰え、道は厲王の時に廢棄し、申伯・仲山甫は宣王を輔相し、亂世を撥きて正に返回し、天下は略微振興し、宗廟は復興せり。申伯・仲山甫はすなわち一幷に天下に順從し、邪失を匡救し、德教を曉喻し、遺士を擧用し、海內は翕然として風氣に趨向せり。ゆえに百姓は勃然として宣王の德を歌詠せり。『詩經』に曰く、『周邦はみな喜悅し、戎は良翰有り』、また曰く、『邦國の好しきや否や、仲山甫はこれを顯明す。早く起き晚くして懈怠せず、以て一人に事奉せん』と。このごときは以て救世と稱すべし」と。
第四章
齊崔杼弒莊公。荊蒯芮使晉而反,其僕曰:“崔杼弒莊公,子將奚如?”荊蒯芮曰:“驅之。將入死而報君。”其僕曰:“君之無道也,四鄰諸侯莫不聞也。以夫子而死之,不亦難乎?”荊蒯芮曰:“善哉而言也。早言我,我能諫。諫而不用,我能去。今既不諫,又不去。吾聞之,食其食,死事其。吾既食亂君之食,又安得治君而死之?”遂驅車而入死。其僕曰:“人有亂君,猶必死之。我有治長,可無死乎?”乃結轡自刎於車上。君子聞之,曰:“荊蒯芮可謂守節死義矣。僕伕則無為死也,猶飲食而遇毒也。”《詩》曰:“夙夜匪懈,以事一人。”荊先生之謂也。《易》曰:“不恆其德,或靜電屏蔽之羞。”僕之謂也。
齊崔杼は莊公を弑殺せり。荊蒯芮は晋に出使して返回す、僕人は曰く、「崔杼は莊公を弑殺せり、あなたは將にどうせん?」荊蒯芮は曰く、「車を驅れ。將に入りて死して以て君に報答せん」と。僕人は曰く、「君の無道は、四鄰諸侯に聞かざるなし。夫子を憑りて彼のために死するは、不もまた難きか?」荊蒯芮は曰く、「好しかなあなたの言。早く我に告げば、我は能く進諫せん。進諫して用いられざれば、我は能く離去せん。今既に進諫せず、また離去せず。我は聞く、あの食を食えば、あの事に死すと。我はすでに亂君の食を食えり、またどこに治君を得て彼のために死せんや?」すなわち車を驅りて入りて死せり。僕人は曰く、「人は亂君有りて、なお必ず彼のために死す。我は治長有りて、彼のために死せざるべからんや?」すなわち轡を結びて車上に自刎せり。君子は聞きて、曰く、「荊蒯芮は以て節を守り義に死すると稱すべし。僕夫は則ち彼のために死する道理なく、なお飲食して毒に遇うがごとし」と。『詩經』に曰く、「早く起き晚くして懈怠せず、以て一人に事奉せん」と。言うは荊先生なり。『周易』に曰く、「あの德を恒守せざれば、あるいは羞辱を承受せん」と。言うは僕なり。
第五章
遜而直,上也。切次之。謗諫為下。懦為死。《詩》曰:“柔亦不茹,剛亦不吐。”
遜讓して直なるは、是れ上等。切直は其次。謗諫は是れ下等。懦弱は是れ死。『詩經』に曰く、「柔なるも吞まず、剛なるも吐かず」と。
第六章
宋萬與莊公戰,獲乎莊公。莊公散舍諸宮中,數月,然後歸之,反為大夫於宋。宋萬與閔公博,婦人皆側。萬曰:“甚矣,魯侯之淑,魯侯之美也!天下諸侯宜為君者,惟魯侯耳。”閔公矜此婦人,妬其言,顧曰:“爾虜,焉知魯侯之美惡乎?”宋萬怒,博閔公絕脰。仇牧聞君弒,趨而至,遇之於門,手劍而叱之。萬臂摋仇牧,碎其首,齒著乎門闔。仇牧可謂不畏強禦矣。《詩》曰:“惟仲山甫,柔亦不茹,剛亦不吐。”
宋萬は莊公と戰い、莊公に俘獲せられたり。莊公は彼を宮中に散處し、幾個月、然る後に彼を放ちて歸らしめ、返回して宋に於いて大夫を爲せり。宋萬は閔公と博戲す、婦人はみな旁邊に在り。萬は曰く、「太だ甚し、魯侯の善、魯侯の美!天下諸侯に君を爲すに適宜するは、ただ魯侯のみ」と。閔公はこれら婦人に對して矜誇し、妬忌して彼の言を、回頭して曰く、「あなたはこ俘虜、どこに魯侯の美惡を知らんや?」宋萬は發怒し、博擊して閔公の頸を扭斷せり。仇牧は君の弑せられたるを聞きて、快步に至り、門に於いて遇い、劍を手持して叱責せり。萬は臂を以て仇牧を擊ち、彼の頭を打碎し、牙齒は門闔に附著せり。仇牧は以て強御を畏懼せずと稱すべし。『詩經』に曰く、「ただ仲山甫のみ、柔なるも吞まず、剛なるも吐かず」と。
第七章
可於君,不可於父,孝子弗為也。可於父,不可於君,君子亦弗為也。故君不可奪,親亦不可奪也。《詩》曰:“愷悌君子,四方為則。”
君に對して可にして、父に對して可ならざるは、孝子は爲さず。父に對して可にして、君に對して可ならざるは、君子もまた爲さず。ゆえに君は奪取すべからず、親もまた奪取すべからず。『詩經』に曰く、「和樂平易の君子は、四方は法則と爲す」と。
第八章
黃帝既位,施惠承天,一道修德,惟仁是行,宇內和平,未見鳳凰,惟思其象。夙寢晨興,乃召天老而問之曰:“鳳象何如?”天老對曰:“夫鳳之象,鴻前而麟後,蛇頸而魚尾,龍文而龜身,燕頷而雞啄,戴德負仁,抱中挾義。小音金,大音鼓。延頸奮翼,五彩備明。舉動八風,氣應時雨。食有質,飲有儀。往即文始,來既嘉成。惟鳯為能通天祉,應地靈,律五音,覽九德。天下有道,得鳯象之一,則鳯過。得鳯象之二,四鳯翔之。得鳯象之三,則鳯集之。得鳯象之四,則鳯春秋下之。得鳯祝願之五,則鳯沒身居之。”黃帝曰:“於戲,允哉!朕何敢與焉!”戴黃冕,致齋於中宮。鳯乃蔽日而至。黃帝降於東階,西面,再拜稽首曰:“皇天降祉,敢不承命!”鳯乃止帝東園,集帝梧桐,食帝竹實,沒身不去。《詩》曰:“鳳凰于飛,翽翽其羽,亦集爰止。”
黃帝は位に即き、惠を施して天を承受し、一に道を修め德を專らにし、ただ仁を實行し、宇內和平す、いまだ鳳凰を見ず、ただあの形象を思念す。早睡晨起し、すなわち天老を召して問うた、「鳳の形象はどうか?」天老は回答す、「鳳の形象は、鴻は前にして麟は後、蛇頸にして魚尾、龍紋にして龜身、燕頷にして雞啄、德を戴き仁を背負い、懷抱中に義を挾帶す。小音は金のごとく、大音は鼓のごとし。頸を伸長し翅を奮起し、五彩完備鮮明す。舉動は八風し、氣は時雨に應和す。吃に質有り、飲に儀有り。前往すれば則ち文を以て開始し、到來すれば則ち嘉を以て成就す。ただ鳳のみ能く天祉に通達し、地靈に應和し、五音を律し、九德を覽る。天下に道有れば、鳳象の一を得れば、則ち鳳は經過す。鳳象の二を得れば、則ち鳳は飛翔す。鳳象の三を得れば、則ち鳳は聚集す。鳳象の四を得れば、則ち鳳は春秋下來す。鳳象の五を得れば、則ち鳳は終身居住す」と。黃帝は曰く、「嗚呼、確かなりかな!朕はどうして敢えて參與せん!」黃冕を戴き、中宮に致齋せり。鳳はすなわち太陽を遮蔽して到來せり。黃帝は東階より下り、西面し、再拜叩頭して曰く、「皇天は福祉を降下す、敢えて命を承受せざらんや!」鳳はすなわち帝の東園に停まり、帝の梧桐に聚集し、帝の竹實を吃し、終身離去せず。『詩經』に曰く、「鳳凰は飛ぶ、翙翙たるあの羽、亦た停まる所に聚集す」と。
第九章
魏文侯有子曰擊,次曰訴,訴少而立之以為嗣。封擊於中山,三年莫往來。其傅趙蒼唐諫曰:“父忘子,不不可忘父。何不遣使乎?”擊曰:“願之,而未有所使也。”蒼唐曰:“臣請使。”擊曰:“諾。”於是乃問君之所好與所嗜。曰:“君北犬,嗜晨鴈。”遂求北犬晨鴈齎行。蒼唐至,曰:“北蕃中山之君,有北犬晨鴈,使蒼唐再拜獻之。”文侯曰:“嘻!擊知吾好北犬,嗜晨鴈也。”則見使者。文侯曰:“擊無恙乎?”蒼唐唯唯而不對。三問而三不對。文侯曰:“不對何也?”蒼唐曰:“臣聞諸侯不名君。既已賜弊邑,使得小國侯,君問以名,不敢對也。”文侯曰:“中山之君無恙乎?”蒼唐曰:“今者臣之來,拜送於郊。”文侯曰:“中山之君長短若何矣?”蒼唐曰:“問諸侯,比諸侯。諸侯之朝,則側者皆人臣,無所比之。然則所賜衣裘幾能勝之矣。”文侯曰:“中山之君亦何好乎?”對曰:“好《詩》。”文侯曰:“於《詩》何好?”曰:“好《黍離》與《晨風》。”文侯曰:“《黍離》何哉?”對曰:“彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心搖搖。知我者謂我心憂,不知我者謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉!”文侯曰:“怨乎?”曰:“非敢怨也,時思也。”文侯曰:“《晨風》謂何?”對曰:“‘鷸彼晨風,鬰彼北林。未見君子,憂心欽欽。如何如何,忘我實多。’此自以忘我者也。”於是文侯大悅,曰:“欲知其子親其母,欲知其人視其友,欲知其君視其所使。中山君不賢惡能得賢?”遂廢太子訴,召中山君以為嗣。《詩》曰:“鳳凰于飛,翽翽其羽,亦集爰止。藹藹王多吉士,惟君子使,媚於天子。”君子曰:“夫使非直敝車罷馬而已,亦將喻誠信,通氣志,明好惡,然後可使也。”
魏文侯に兒子ありて擊と曰い、其次は訴と曰い、訴は年少なるに彼を立てて嗣と爲せり。擊を中山に封じ、三年往來なし。その傅趙蒼唐は進諫して曰く、「父は子を忘れ、子は父を忘るべからず。なぜ使者を派遣せざる?」擊は曰く、「願う、しかるにいまだ派すべきなし」と。蒼唐は曰く、「臣は出使せんことを請う」と。擊は曰く、「好し」と。すなわち君の愛好する所と嗜好する所を問えり。曰く、「君は北犬を愛好し、晨雁を嗜好す」と。すなわち北犬晨雁を求めて帶びて行けり。蒼唐至りて、曰く、「北蕃中山の君は、北犬晨雁有り、蒼唐を派して再拜獻上せしむ」と。文侯は曰く、「嘻!擊は我が北犬を愛好し、晨雁を嗜好するを知れり」と。則ち使者を接見せり。文侯は曰く、「擊は恙なきか?」蒼唐はただ應諾して對せず。三問して三たび對せず。文侯は曰く、「對せざるはなぜか?」蒼唐は曰く、「臣は聞く、諸侯は君の名を稱せずと。すでに弊邑に賜與し、小國侯と爲さしめ、君は名を以て問う、敢えて對せず」と。文侯は曰く、「中山の君は恙なきか?」蒼唐は曰く、「今臣の來る時、郊に拜送せり」と。文侯は曰く、「中山の君の長短はどうか?」蒼唐は曰く、「諸侯を問うは、諸侯と比す。諸侯の朝は、則ち旁邊みな人臣、比すべきなし。然らば賜う所の衣裘はほぼ能く勝任せん」と。文侯は曰く、「中山の君もまた何を愛好する?」回答す、「『詩』を愛好す」と。文侯は曰く、「『詩』に對して何を愛好する?」曰く、「『黍離』と『晨風』を愛好す」と。文侯は曰く、「『黍離』とは何か?」回答す、「あの黍は離離、あの稷の苗。行走遲遲、中心搖搖。我を知るは我が心憂と言い、我を知らざるは我は何を求むと言う。悠悠たる蒼天、是れ何の人か!」文侯は曰く、「怨むか?」曰く、「敢えて怨まず、是れ時時思念す」と。文侯は曰く、「『晨風』は何を説く?」回答す、「『疾飛の晨風、郁茂の北林。君子を見ず、憂心欽欽。如何如何、我を忘るる實に多し』と。是れ自ら以て我を忘れたると爲すなり」と。すなわち文侯は非常に喜悅し、曰く、「子を知らんと欲すればその母を看よ、人を知らんと欲すればその朋友を看よ、君を知らんと欲すればその派する所を看よ。中山君賢ならざればどこに能く賢を得ん?」すなわち太子訴を廢棄し、中山君を召して嗣と爲せり。『詩經』に曰く、「鳳凰は飛ぶ、翙翙たるあの羽、亦た停まる所に聚集す。藹藹たる王に吉士多し、ただ君子の役使に、天子に取媚せん」と。君子は曰く、「出使はただ車を破り馬を疲れさすのみならず、亦た將に誠信を曉喻し、氣志を通じ、好惡を顯明し、然る後に乃ち派すべし」と。
第十章
子賤治單父,其民附。孔子曰:“告丘之所以治之者。”對曰:“不齊時發倉廩,振困窮,補不足。”孔子曰:“是小人附耳,未也。”對曰:“賞有能,招賢才,退不肖。”孔子曰:“是士附耳,未也。”對曰:“所父事者三人,所兄事者五人,所友者十有二人,所師者一人。”孔子曰:“所父事者三人,足以教孝矣。所兄事者五人,足以教弟矣。所友者十有二人,足以祛壅蔽矣。所師者一人,足以慮無失策,舉無敗功矣。昔者堯舜清微其身,以聽觀天下,務來賢人。夫舉賢者,百福之宗也,而神明之主也。惜乎不齊之所為者小也。為之大功,乃與堯舜參矣。”《詩》曰:“愷悌君子,民之父母。”子賤其似之矣。
子賤は單父を治理し、あの民は親附せり。孔子は言った。「丘に治理する所以を告げよ」と。回答す、「不齊は時時倉廩を打開し、困窮を賑濟し、不足を補足す」と。孔子は言った。「是れ小人の親附するのみ、いまだ有らず」と。回答す、「能有るを賞し、賢才を招き、不肖を黜退す」と。孔子は言った。「是れ士の親附するのみ、いまだ有らず」と。回答す、「父と當てて事奉する三人、兄長と當てて事奉する五人、朋友と當てる十二人、老師と爲す一人」と。孔子は言った。「父と當てて事奉する三人は、足りて孝を教うべし。兄長と當てて事奉する五人は、足りて悌を教うべし。朋友と當てる十二人は、足りて壅蔽を祛除すべし。老師と爲す一人は、足りて思慮に失策なく、舉動に敗功なからしむべし。從前堯舜は清微自身して、以て天下を聽觀し、務めて賢人を招來せんと求めたり。賢を擧用するは、是れ百福の宗にして、神明の主なり。惜しむべし不齊の爲す所の小なり。大功を爲せば、則ち堯舜と竝列せむ」と。『詩經』に曰く、「和樂平易の君子は、是れ民の父母」と。子賤はほぼこのごとし。
第十一章
度地圖居以立國,崇摁溥利以懷眾,明好惡以正法度,學校庠序以立教,事老養孤以化民,升賢賞功以觀善,懲奸絀失以醜惡,講御習射以防患,禁奸止邪以除害,接賢連友以廣智,宗親族附以益強。《詩》曰:“愷悌君子。”
土地を度量し居處を規劃して以て國を立て、恩惠を崇尚し溥利して以て衆を懷柔し、好惡を顯明して以て法度を端正し、學校庠序して以て教を立て、老に事奉し孤を奉養して以て民を感化し、賢を升進し功を賞して以て善を觀察し、奸を懲治し失を貶斥して以て惡を羞恥せしめ、御射を講習して以て患を防ぎ、奸を禁止し邪を制止して以て害を除き、賢に交接し友を連結して以て智を廣め、宗を親しみ族に附して以て強を增益す。『詩經』に曰く、「和樂平易の君子」と。
第十二章
齊景公使使於楚,楚王與之上九重之臺,顧使者曰:“齊亦有臺若此者乎?”使者曰:“吾君有治位之堂,土階三等,茅茨不翦,採掾不斵,猶以謂為之者勞,居之者泰。吾君惡有臺若此者乎?”於是楚王蓋悒如也。使者不可謂不辱君命,其能專對矣。
齊景公は使者を派して楚に至らしめ、楚王は彼と九重の臺に上り、回頭して使者に對して曰く、「齊もまた臺のこのごとき有るか?」使者は曰く、「吾君は位を治理する堂有り、土階三等、茅茨は修剪せず、柞木の椽は斫削せず、なお以て爲す人は勞累し、住む人は安泰と爲す。吾君はどこに臺のこのごとき有らんや?」すなわち楚王はほぼ悒然たり。使者は以て君命を辱沒せずと稱すべからず、彼は能く專對せり。
第十三章
傳曰:予小子使爾繼邵公之後。受命者必以其祖命之。孔子為魯司寇,命之曰:“宋公子弗甫何孫,魯孔丘,命爾為司寇。”孔子曰:“弗甫敦及厥闢將不堪。”公曰:“不妄。”傳曰:諸侯之有德,天子錫之。一錫車馬,再錫衣服,三錫虎賁,四錫樂器,五錫納陛,六錫朱戶,七錫弓矢,八錫鈇鉞,九錫秬鬯,謂之“九錫”也。《詩》曰:“釐爾圭瓚,秬鬯一卣。”
傳に記す:予小子はあなたに召公の後を繼承せしむ。命を受くるは必ずその祖を以て彼を命ず。孔子は魯司寇を爲し、彼を命じて曰く、「宋公子弗甫何の孫、魯孔丘は、あなたを命じて司寇を爲さしむ」と。孔子は言った。「弗甫敦はあの君に及び將に堪えざらん」と。公は曰く、「妄ならず」と。傳に記す:諸侯に德有れば、天子は彼に賜う。一に車馬を賜い、再に衣服を賜い、三に虎賁を賜い、四に樂器を賜い、五に納陛を賜い、六に朱戸を賜い、七に弓矢を賜い、八に斧鉞を賜い、九に秬鬯を賜う、これを「九錫」と謂う。『詩經』に曰く、「あなたに圭瓚を賜い、秬鬯一卣を賜う」と。
第十四章
齊景公謂子貢曰:“先生何師?”對曰:“魯仲尼。”曰:“仲尼賢乎?”曰:“聖人也,豈直賢哉!”景公嘻然而笑曰:“其聖何如?”子貢曰:“不知也。”景公悖然作色。曰:“始言聖人,今言不知,何也?”子貢曰:“臣終身戴天,不知天之高也。終身踐地,不知地之厚也。若臣之事仲尼,譬猶渴操壺杓,就江海而飲之,腹滿而去,又安知江海之深乎?”景公曰:“先生之譽,得無太甚乎?”子貢曰:“臣賜何敢甚言,尚慮不及耳。臣譽仲尼,譬猶兩手捧土而附泰山,其無益亦明矣。使臣不譽仲尼,譬猶兩手杷泰山,無損亦明矣。”景公曰:“善!豈其然?善!豈其然?”《詩》曰:“民民翼翼,不測不克。”
齊景公は子貢に對して曰く、「先生は誰を以て師と爲す?」回答す、「魯仲尼」と。曰く、「仲尼は賢か?」曰く、「是れ聖人、どこにただ賢のみあらん!」景公は嘻然として笑い曰く、「彼の聖はどうか?」子貢は曰く、「知らず」と。景公は勃然として色を變ぜり。曰く、「始めは聖人と言い、今は知らずと言う、なぜか?」子貢は曰く、「臣は終身天を頂き、天の高きを知らず。終身地を踩み、地の厚きを知らず。臣の仲尼に事奉するがごときは、好比して渴きて壺杓を持ち、江海に至りて飲み、腹滿ちて離去す、またどこに江海の深きを知らんや?」景公は曰く、「先生の稱譽は、該りて太だ過分ならざらんか?」子貢は曰く、「臣賜はどうして敢えて過分に説かん、なお趕上せざるを擔心するのみ。臣が仲尼を稱譽するは、好比して兩手に土を捧げて泰山に附着す、益處なきも明らかなり。假令臣が仲尼を稱譽せざれば、好比して兩手に泰山を杷す、損なきも明らかなり」と。景公は曰く、「好し!豈に是れのごとからん?好し!豈に是れのごとからん?」『詩經』に曰く、「勉勉翼翼、測るべからず勝ぐべからず」と。
第十五章
一谷不升謂之兼(左加食),三谷不升謂之饉,四谷不升謂之荒,五穀不升謂之大侵。大侵之禮,君食不兼味,臺榭不飾,道路不除,百官補而不制,鬼神禱而不祠,此大侵之禮也。《詩》曰:“我居御卒荒。”此之謂也。
一種の穀成熟せざるを歉と謂い、三種の穀成熟せざるを饉と謂い、四種の穀成熟せざるを荒と謂い、五種の穀成熟せざるを大侵と謂う。大侵の禮は、君は飯を食して兼味せず、臺榭は修飾せず、道路は清除せず、百官は缺を補して新制せず、鬼神は祈禱して祠祀せず、是れ大侵の禮なり。『詩經』に曰く、「我は終に荒に處る」と。言うはこのことなり。
第十六章
古者天子為諸侯受封,謂之采地。百里諸侯以三十里,七十里諸侯以二十里,五十里諸侯以十五里。其采地不絀,使子孫賢者守其地,世世以祠其始受封之君。《書》曰:“茲予大享於先王,爾祖其從與享之。”
古代天子は諸侯のために封を受くるを、采地と謂う。百里諸侯は三十里を用い、七十里諸侯は二十里を用い、五十里諸侯は十五里を用いる。あの采地は貶黜せず、子孫の賢なるにその地を守らしめ、世世來りてあの開始封を受けし君を祠祀す。『尚書』に曰く、「今我は大いに先王を享け、あなたらの祖は跟從してともに享く」と。
第十七章
梁山崩,晉君召大夫伯宗。道逢輦者,以其輦服其道。伯宗使其右下,欲鞭之。輦者曰:“君趨道豈不遠矣,不如捷而行。”伯宗喜,問其居。曰:“絳人也。”伯宗曰:“子亦有聞乎?”曰:“梁山崩,壅河,顧三日不流,是以召子。”伯宗曰:“如之何?”曰:“天有山,天崩之。天有河,天壅之。伯宗將如之何?”伯宗私問之。曰:“君其率群臣素服而哭之,既而祠焉,河斯流矣。”伯宗問其姓名,弗告。伯宗到,君問伯宗。以其言對。於是君素服率群臣而只有之,既而祠焉,河斯流矣。君問伯宗何以知之,伯宗不言受輦者,詐以自知。孔子聞之曰:“伯宗其無後。攘人之善。”《詩》曰:“天降喪亂,滅我立王。”又曰:“畏天之威,於時保之。”
梁山崩塌し、晋君は大夫伯宗を召せり。路上輦を推すに遇い、その輦を以て道路を堵塞せり。伯宗は右邊の人を下らしめ、鞭打せんと欲せり。輦を推すは曰く、「君は路を趕ける豈に遠からざらん、近道を抄りて走るに如かず」と。伯宗は喜悅し、彼に住む處を問えり。曰く、「絳人」と。伯宗は曰く、「あなたもまた聞有るか?」曰く、「梁山崩塌し、河を壅塞し、ほぼ三天流れず、ここを以てあなたを召す」と。伯宗は曰く、「どうせむ?」曰く、「天に山有り、天はこれを崩せしむ。天に河有り、天はこれを壅せしむ。伯宗は將にどうせむ?」伯宗は私下に問えり。曰く、「君はなお群臣を率領し素服を穿着して哭し、隨後祠祀せば、河は則ち流れん」と。伯宗は姓名を問う、告げず。伯宗至りて、君は伯宗に問えり。彼の言を以て回答す。すなわち君は素服を穿着して群臣を率領して哭し、隨後祠祀せり、河は則ち流れたり。君は伯宗に何を憑りて知りしかを問う、伯宗は輦を推すより受けしを言わず、詐りて自ら知ると稱せり。孔子は聞きて後曰く、「伯宗はほぼ後なからん。別人の善を攘取せり」と。『詩經』に曰く、「天は喪亂を降下し、我が立てし王を滅亡せしむ」と。また曰く、「天の威を畏懼し、すなわちこれを保守せん」と。
第十八章
晉平公使範昭觀齊國之政。景公錫之宴。晏子在前,範昭趨曰:“願君之倅樽以為壽。”景公顧左右曰:“酌寡人樽獻之客。”範昭已飲,晏子曰:“徹去樽。”範昭不說,起舞,顧太師曰:“子為我奏成周之樂,吾為子舞之。”太師對曰:“盲臣不習。”範昭起出門。景公謂晏子曰:“夫晉,天下大國也,使範昭來觀齊國之政,今子怒大國之使者,將奈何?”晏子曰:“範昭之為人也,非陋而不知禮也,是欲試吾君臣,嬰故不從。”於是景公召太師而問之曰:“範昭使子奏成周之樂,何故不調?”對如晏子。於是範昭歸報平公曰:”齊未可並也。吾試其君,晏子知之。吾犯其樂,太師知之。”孔子聞之曰:“善乎晏子,不出俎豆之間,折沖千里之外。”《詩》曰:“實右序有周,薄言振之,莫不震疊。”
晋平公は范昭を派して齊國の政を觀察せしめたり。景公は彼に宴を賜えり。晏子は前に在り、范昭は快步して曰く、「願わくは君の副樽を以て祝壽せん」と。景公は回頭して左右に對して曰く、「寡人の樽を斟みて客に獻よ」と。范昭すでに飲み、晏子は曰く、「樽を撤去せよ」と。范昭は高興せず、起身して跳舞し、回頭して太師に對して曰く、「あなたは我のために成周の樂を奏せよ、我はあなたのために跳舞せん」と。太師は回答す、「盲臣は熟習せず」と。范昭は起身して門を出でたり。景公は晏子に對して曰く、「晋は天下の大國、范昭を派して來りて齊國の政を觀察せしめ、今あなたは大國の使者を激怒せしめ、將にどうせん?」晏子は曰く、「范昭の人と爲るは、鄙陋にして禮を知らざるに非ず、是れ吾君臣を試探せんと欲するなり、嬰の跟從せざる所以なり」と。すなわち景公は太師を召して問うた、「范昭はあなたに成周の樂を奏せんことを命じ、なぜ調せざった?」回答は晏子のごとし。すなわち范昭は歸りて平公に報告して曰く、「齊はなお兼幷すべからず。我はあの君を試探せば、晏子は知れり。我はあの樂を冒犯せば、太師は知れり」と。孔子は聞きて後曰く、「好しかな晏子、俎豆の間を出でずして、千里の外に折衝す」と。『詩經』に曰く、「實に有周を佑助し、すなわち振起し、震驚懾服せざるなし」と。
第十九章
三公者何?曰司馬,司空,司徒也。司馬主天,司空主土,司徒主人。故陰陽不知,四時不節,星辰失度,災變非常,則責司馬。山陵崩竭,川穀不流,五穀不植,草木不茂,則責之司空。君臣不正,人道不和,國多盜賊,下怨其上,則責之司徒。故三公典其職,憂其分,舉其辯,明其德,此三公之任也。《詩》曰:“濟濟多士,文王以寧。”又曰:“明陽有周,式序在位。”
三公とは何か?説くは司馬、司空、司徒。司馬は天を主管し、司空は土を主管し、司徒は人を主管す。ゆえに陰陽不和し、四時節せず、星辰度を失い、災變非常なれば、則ち司馬を責備す。山陵崩塌枯竭し、山谷流れず、五穀種植せず、草木茂盛せざれば、則ち司空を責備す。君臣端正せず、人道和せず、國に盜賊多く、下は上を怨めば、則ち司徒を責備す。ゆえに三公はあの職を主管し、あの分を憂慮し、あの辨别を擧用し、あの德を顯明す、是れ三公の責任なり。『詩經』に曰く、「濟濟たる多士、文王はこを以て安寧す」と。また曰く、「昭明の周、位に在るを次序に排列す」と。
第二十章
夫觀君之治也,溫良而和,寬容而愛,刑清而省,喜賞而惡罰。移風崇教,生而不殺,布惠施時空,仁不偏與。不奪民力,役不踰時,百姓得耕,家有收聚,民無凍餒,食無腐敗。士不造無用,雕文不粥於肆。斧斤以時入山林。國無佚士,皆用於世。黎庶歡樂衍盈,方外遠人歸義,重譯執贄,故得風雨不烈。《小雅》曰:“有弇悽悽,興雲祁祁。”以是知太平無飄風景雨明矣。
君の治理を觀察するに、溫良にして和諧し、寬容して愛あり、刑淸くして減省し、賞を喜び罰を厭惡す。風を移し教を崇尚し、生じて殺さず、惠を布き施與は時に適い、仁は偏私して與えず。民力を奪取せず、役使は時を超えず、百姓は耕を得、家は收聚有り、民に凍餒なく、食に腐敗なし。士は用なきを制造せず、雕文は市上に賣らず。斧斤は時に按じて山林に入る。國に佚士なく、みな世に用いらる。黎庶は歡樂充盈し、方外遠人は義に歸向し、翻譯を經て贄を持ち、ゆえに風雨猛烈せざるを得たり。『小雅』に曰く、「弇有り凄凄、雲を興起すること祁祁」と。ここを以て太平に飄風暴雨なきを知るは明らかなり。
