第十八章
齊桓公設庭燎,為士之慾造見者。朞年而士不至。於是東野鄙人有以九九見者。桓公使戲之,曰:“九九足以見乎?”鄙人曰:“臣不以九九足以見也。君設庭燎以待士,朞年而士不至。夫士之所以不至者,君,天下之賢君也,四方之士皆自以為不及君,故不至也。夫九九,薄能耳,而君猶禮之,況賢於九九者乎?夫太山不讓礫石,江海不辭小流,所以成其大也。《詩》曰:‘先民有言,詢於芻蕘。’言博謀也。桓公曰:“善。”乃因禮之。四方之士相導而至矣。《詩》曰:“自堂徂基,自羊來牛。”言以內及外,以小成大也。
斉桓公は庭燎を設置し、来り進見せんと欲する士のためなり。満一年にして士至らず。ここに東野の鄙人ありて九九の術を以て進見せんとする。桓公は人をして彼を戯弄せしめて曰く、「九九は足りて進見すべきか?」鄙人は曰く、「臣は以て九九が足りて進見すべきと為すに非ず。君は庭燎を設置して士を待つ、満一年にして士至らず。士の至らざる所以は、君が天下の賢君なるを以て、四方の士みな自ら以て君に比べざると為し、ゆえに至らず。九九は、浅薄の技能のみ、而して君はなお彼を礼待す、まして九九に勝るにおいてをや?太山は砾石を拒絶せず、江海は小流を推辞せず、ゆえにその大を成就す。『詩經』に曰く、『先民に言あり、樵夫に詢問す』と。是れ広く謀劃するを言う」と。桓公は曰く、「好し」と。すなわちここを以て彼を礼待した。四方の士は互相引導して到来した。『詩經』に曰く、「堂より基址に至り、羊より牛に至る」と。是れ内より外へ、小より大を成就するを言うなり。
第十九章
太平之時,民行役者不踰時,男女不失時以偶,孝子不失時以養。外無曠夫,內無怨女。上無不慈之父,下無不孝之子。父子相成,夫婦相保。天下和平,國家安寧。人事備乎下,天道應乎上。故天不變經,地不易形,日月昭明,列宿有常。天施地化,陰陽和合,動以雷電,潤以風雨,節以山川,均其寒暑。萬民育生,各得其所,而制國用。故國有所安,地有所主。聖人刳木為舟,剡木為檝,以通四方之物,使澤人足乎木,山人足乎魚,餘衍之財有所流。故豐膏不獨樂,磽确不獨苦。雖遭凶年饑歲,禹湯之水旱,而民無凍餓之色。故生不乏用,死不轉屍。《詩》曰:“於鑈王師,遵養時晦。”
太平の時は、民の行役に服するは時限を超過せず、男女は時節を失わずして匹配し、孝子は時節を失わずして奉養す。外に曠夫なく、内裏に怨女なし。上に不慈の父なく、下に不孝の子なし。父子互相成就し、夫婦互相保全す。天下和平、国家安寧す。人事は下にて完備し、天道は上にて応和す。ゆえに天は経常を改変せず、地は形状を改易せず、日月昭明し、列宿に常規あり。天は施予し地は変化し、陰陽和合し、雷電を以て発動し、風雨を以て潤沢し、山川を以て節制し、寒暑を均平す。万民生育し、各々その所を得、而して国用を制定す。ゆえに国は安んずる所有り、地は主たる所有り。聖人は木を挖空して舟を作り、木を削尖して楫を作り、以て四方の物を流通し、沢人をして木に満足せしめ、山人をして魚に満足せしめ、剩余の財は流通する所有り。ゆえに豊肥膏腴の地は独り快楽せず、瘠薄の地は独り苦しまず。たとい凶年飢歳に遭遇し、禹湯の水旱に逢うも、而して民に凍餓の臉色なし。ゆえに生きるは用に缺乏せず、死するは輾転屍を棄てず。『詩經』に曰く、「輝煌の王師、涵養に順って晦暗の時に処る」と。
第二十章
能制天下,必能養其民也。能養民者,為自養也。飲食適乎藏,滋味適乎氣,勞佚適乎筋骨,寒暖適乎肌膚,然後氣藏平,心術治,思慮得,喜怒時,起居而遊樂,事時而用足。夫是之謂能自養者也。故聖人不淫佚侈靡者,非鄙夫色愛財用也。養有適,過則不樂,故不為也。是以夏不數浴,非愛水也。冬不頻焬,非愛火也。不高臺柎非無土木也。不大鐘鼎,非無金錫也。不沉於酒,不貪於色,非闢醜也。直行情性之所安,而制度可以為天下法矣。故用不靡財,足以養其生,而天下稱其仁也。養不害性,足以成教,而天下稱其義也。適情闢餘,不求非其有,而天下稱其廉也。行成不可掩,息刑不可犯,執一道而輕萬物,天下稱其勇也。四行在乎民,居則婉愉,怒則勝敵。故審其所以養而治道具矣。治道具而遠近畜矣。《詩》曰:“於鑈王師,遵養時晦。”言相養者之至於晦也。
能く天下を制服するは、必ず能くその民を養う。能く民を養うは、自ら己を養うなり。飲食は儲蔵に適合し、滋味は気に適合し、労逸は筋骨に適合し、寒暖は肌膚に適合し、然る後に気蔵平和し、心術治理し、思慮得当し、喜怒適時し、起居して游楽し、事は時に按じて用充足す。これを則ち能く自己を養う人と謂う。ゆえに聖人は淫佚侈靡せず、声を鄙視し財用を愛惜するに非ず。養に適合の限度あり、超過すれば則ち快楽せず、ゆえに為さず。ここを以て夏は頻繁に沐浴せず、水を愛惜するに非ず。冬は頻繁に火を烤らず、火を愛惜するに非ず。高台榭を建設せず、土木なきに非ず。大鐘鼎を鋳造せず、金錫なきに非ず。酒に沈溺せず、色を貪らず、醜を躲避するに非ず。直に情性の安処する所を实行して、而して制度は天下の法と為るべし。ゆえに用度は財を浪費せず、足りてその生を養い、而して天下はその仁を称す。養は性を傷害せず、足りて教化を成就し、而して天下はその義を称す。情性を調適し多余を避け、彼の有するに非ざるを求めず、而して天下はその廉を称す。行為成就して掩蓋すべからず、刑罰止息して冒犯すべからず、一道を執守して万物を看輕し、天下はその勇を称す。四様の品行は民に存し、閑居すれば則ち和悦し、怒れば則ち敵人に戦勝す。ゆえに養う所以を審察すれば則ち治道は具備す。治道具備して遠近みな畜養せらる。『詩經』に曰く、「輝煌の王師、涵養に順って晦暗の時に処る」と。是れ互相畜養する人が晦暗の時に至るを言うなり。
第二十一章
公儀休相魯而嗜魚。一國人獻魚而不受。其弟諫曰:“嗜魚不受,何也?”曰:“夫欲嗜魚,故不受也。受魚而免於相,則不能自給魚。無受而不免於相,長自給於魚。”此明於為己者也。故《老子》曰:“後其身而身先,外其身而身存。非以其無私乎,故能成其私。”《詩》曰:“思無邪。”此之謂也。
公儀休は魯相を為して魚を嗜好す。一国の人は魚を献ずるも接受せず。彼の弟弟は勧諫して曰く、「魚を嗜好して接受せずは、なぜか?」曰く、「まさに魚を嗜好せんと欲するがゆえに、ゆえに接受せず。魚を接受して相位を免去せられれば、自ら魚を供給する能わず。接受せずして相位を免去せられざれば、能く長久に自ら魚を供給す」と。是れ明白に己のための人なり。ゆえに『老子』に曰く、「己を後ろに置けば身はかえって前に在り、己を度外に置けば身はかえって保存する能し。正に私なきを以てに非ずや、ゆえに能くその私を成就す」と。『詩經』に曰く、「思想に邪僻なし」と。言うはこのことなり。
第二十二章
傳曰:魯有父子訟者,康子欲殺之。孔子曰:“未可殺也。夫民不知父子訟之為不義久矣,是則上失其道。上有道,是人亡矣。”訟者聞之,請無訟。康子曰:“治民以孝。殺一人以僇不孝,不亦可乎?”孔子曰:“否。不教而聽其獄,殺不辜也。三軍大敗,不可誅也。獄讞不治,不可刑也。上陳之教而先服之,則百姓從風矣。躬行不從,然後俟之以刑,則民知罪矣。夫一仞之牆,民不能踰,百仞之山,童子登遊焉,凌遲故也。今世仁義之陵遲久矣,能謂民無踰乎?《詩》曰:‘俾民不迷。’韮之君子,道其百姓不使迷,是以威厲而不試,刑措而不用也。故形其仁義,謹其教道,使民目晣焉而見之,使民耳晣焉而聞之,使民心晣焉而知之,則道不迷而民志不惑矣。《詩》曰:‘示我顯德行。’故道義不易,民不由也。禮樂不明,民不見也。《詩》曰:‘周道如砥,其直知矢’,言其易也。‘君子所履,小人所視’,言其明也。‘睠焉顧之,澘焉出涕’,哀其不聞禮教而就刑誅也。夫散其本教而待之刑辟,猶決其牢而發以毒矢也,亦不哀乎!故曰未可殺也。昔者先王使民以禮,譬之如御也。刑者,鞭策也。今猶無轡銜而鞭策以御也。欲馬之進,則策其全國,欲馬之退,則策其前,御者以勞而馬亦多傷矣。今猶此也。上憂勞而民多罹刑。《詩》曰:‘人而無禮,胡不遄死。’為上無禮,則不免乎患。為下無禮,則不免乎刑。上下無禮,胡不遄死!”康子避席再拜曰:“僕雖不敏,請承此語矣。”孔子退朝,門人子路難曰:“父子訟,道邪?”孔子曰:“非也。”子路曰:“然則夫子胡為君子而免之也?”孔子曰:“不戒責成,虐也。慢令致期,暴也。不教而誅,賊也。君子為政,避外三者。且《詩》曰:‘載色載笑,匪怒伊教。’”
伝に記す:魯に父子争訟する者あり、康子は彼らを殺さんと欲した。孔子は言った。「なお殺すべからず。民は父子争訟が不義なるを知らざることすでに久し、これは則ち上に在る者の道を失うなり。上に道あれば、この種の人はなからん。」争訟の人は聞きて、再び争訟せざるを請うた。康子は曰く、「孝を以て民を治理す。一人を殺して不孝を羞辱するは、また可ならずや?」孔子は言った。「不可。教導せずして彼らの獄を聴くは、無辜を殺すなり。三軍大敗すれば、誅殺すべからず。獄訟治理する能わざれば、刑を用いべからず。上に在りて教導を陳列して自ら先ず实行すれば、則ち百姓は風気に跟従す。親身に实行してなお跟従せざれば、然る後に刑を以て待てば、則ち民は罪を知る。一仞の墻は、民は越える能わず。百仞の山は、児童は登りて游玩す、是れ坡度平緩なるを以て。今世の上は仁義の陵夷なること久し、民に越えぬと言う能くせんや?『詩經』に曰く、『民をして迷惑せしめず』と。昔の君子は、その百姓を引導して彼らを迷惑せしめず、ここを以て威厳猛厲なるも試用せず、刑罰は擱置して用いず。ゆえに仁義を顕現し、教導の道を謹慎し、民の目をして明白に見せしめ、民の耳をして明白に聞かしめ、民の心をして明白に知らしめれば、則ち道は迷惑せずして民の志向は惑乱せず。『詩経』に曰く、『顕明の徳行を我に指示せよ』と。ゆえに道義容易ならざれば、民は経由せず。礼楽顕明ならざれば、民は見ず。『詩経』に曰く、『周道は磨刀石のごとく、その直は箭のごとし』と、是れ容易を言う。『君子の走る所は、小人の看る所』と、是れ顕明を言う。『眷然として回頭して看れば、潸然として涙を流下す』と、是れ彼らが礼教を聞かずして刑誅に走向するを哀傷するなり。根本の教導を散失して刑辟を以て待つは、牢欄を決開して毒箭を以て発射するがごとく、また哀傷ならずや!ゆえに曰くなお殺すべからずと。昔先王は礼を以て民を役使す、駕馭に比す。刑は、鞭策なり。今や轡衘なきに鞭策を以て駕馭するがごとし。馬を前進せしめんと欲すれば、則ちその後ろを鞭策し、馬を後退せしめんと欲すれば、則ちその前を鞭策す、駕馭する人はここを以て労累して馬もまた多く傷を受く。今やこのごとし。上に在りて憂労して民は多く刑を遭受す。『詩經』に曰く、『人と為りて礼なくば、なぜ速やかに死せぬ』と。上に在りて礼なくば、則ち患を免れず。下に在りて礼なくば、則ち刑を免れず。上下礼なくば、なぜ速やかに死せぬ!」康子は席位を離れて再拝して曰く、「僕はたとい聡敏ならずとも、この言を接受せんことを請う」と。孔子は朝を退く、門人子路は責難して曰く、「父子争訟は、道か?」孔子は言った。「非ず。」子路は曰く、「然らば夫子はなぜ君子を以て彼らを赦免した?」孔子は言った。「告誡せずして責成するは、虐。法令を怠慢して期限するは、暴。教導せずして誅殺するは、賊。君子が政を為すは、外面のこ三様を避く。況んや『詩經』に曰く、『和顔を帯び笑容を帯び、怒るに非ずして教導す』と。」
第二十三章
當舜之時,有苗氏不服。其不服者,衡山在南,文(上加山)在北,左洞庭之波,右彭澤之水,由此險也。以其不服,禹請伐之,而舜不許,曰:“吾喻教猶未竭一。久喻教,而有苗氏請服。”天下聞之,皆薄禹之義,而美舜之德。《詩》曰:“載色載笑,匪怒伊教。”舜之謂也。問曰:然則禹之德不及舜乎?曰:非然也。禹之所以請伐者,欲彰舜之德也。故善則稱君,過則稱己,臣下之義也。假使禹為君,舜為臣,亦如此而已矣。夫禹可謂達乎人臣之大禮也。
舜の時に当たり、有苗氏は帰服せず。彼らが帰服せざるは、衡山南に在り、岐山北に在り、左は洞庭の波、右は彭沢の水、これらの険阻を以てなり。彼らが帰服せざるを以て、禹は討伐を請うも、而して舜は許可せず、曰く、「我が曉喻教導はいまだ一分を尽さず。長久に曉喻教導して、而して有苗氏は帰服を請う」と。天下は聞きて、みな禹の義を看輕し、而して舜の徳を赞美した。『詩經』に曰く、「和顔を帯び笑容を帯び、怒るに非ずして教導す」と。言うは舜なり。ある人が問う、然らば禹の徳は舜に比べざるか?曰く、こうではない。禹が討伐を請うた所以は、舜の徳を彰顕せんと欲す。ゆえに善なれば則ち君を称説し、過失なれば則ち自己を称説す、是れ臣下の義なり。もし禹が君を為し舜が臣を為さば、またこのごとくなるのみ。禹は人臣たるの大礼に通達したと称すべし。
第二十四章
季孫之治魯也,眾殺人而必當其罪,多罰人而必當其過。子貢曰:“暴哉治乎!”季孫聞之,曰:“吾殺人必當其罪,罰人必當其過,先生以為暴,何也?”子貢曰:“夫奚不若子產之治鄭?一年而負罰之過省,二年而刑殺之罪亡,三年而庫無拘人。故民歸之如是就下,愛之如孝子敬父母。子產病將死,國人皆吁嗟曰:‘誰可使代子產死者乎?’及其不免死也,士大夫哭之於朝,商賈哭之於市,農夫哭之於野。哭子產者,皆如喪父母。今竊聞夫子疾之時,則國人喜,活則國人皆駭。以死相賀,以生相恐,非暴而何哉?賜聞之,托法而治謂之暴,不戒致期謂之虐,不教而誅謂之賊,以身勝人謂之責。責者失身,賊者失臣,虐者失政,暴者失民。且賜聞居上位行此四者而不亡者,未之有也。”於是季孫稽首謝曰:“謹聞命矣。”《詩》曰:“載色載笑,匪怒伊教。”
季孫は魯を治理し、多く人を殺して必ずその罪に符合し、多く人を罰して必ずその過に符合した。子貢は曰く、「治理は暴虐かな!」季孫は聞きて後曰く、「我は人を殺すに必ずその罪に符合し、人を罰するに必ずその過に符合す、先生は以て暴虐と為す、なぜか?」子貢は曰く、「なぜ子産が鄭を治理したがごとくせぬか?一年にして負罰の過減少し、二年にして刑殺の罪なくなり、三年にして府庫に拘禁せられた人なし。ゆえに民は彼に帰向すること水の下に就くがごとく、彼を愛すること孝子の父母を敬うがごとし。子産は病将に死せんとして、国人みな叹息して曰く、『誰か彼をして子産に代わりて死なしめんや?』死を免れざるに及び、士大夫は朝に哭き、商賈は市に哭き、農夫は野に哭く。子産を哭くは、みな父母を喪失するがごとし。今私に聞く、夫子が生病の時は、則ち国人喜悦し、生きれば則ち国人みな驚駭す。死を以て互相祝賀し、生を以て互相恐懼す、暴虐に非ずしてまた何か?賜は聞く、法に依托して治理するを暴と謂い、告誡せずして期限するを虐と謂い、教導せずして誅殺するを賊と謂い、自身を以て人に勝るを責と謂うと。責は自身を失い、賊は臣を失い、虐は政を失い、暴は民を失う。況んや賜は聞く、上位に居りてこ四様を实行して滅亡せざるは、いまだかつて有らずと」すなわち季孫は叩頭して罪を謝して曰く、「恭敬して命令を聞いた」と。『詩經』に曰く、「和顔を帯び笑容を帯び、怒るに非ずして教導す」と。
第二十五章
問者曰:夫智者何以樂於水也?曰:夫水者緣理而行,不遺小間,似有智者。動而之下,似有禮者。蹈深不疑,似有勇者。障防而清,似知命者。歷險致遠,卒成不毀,似有德者。天地以成群物以生,品物以正。此智者所以樂於水也。《詩》曰:“思樂泮水,薄採其茆。魯侯戾止,在泮飮酒。”樂水之謂也。
問う人は曰く、智者はなぜ水を楽しむ?曰く、水は理に順って行走し、小さき間隙を遺漏せず、智あるがごとし。動けば則ち下に向かう、礼あるがごとし。深きに踏入して懐疑せず、勇あるがごとし。障防せられても清澈、命を知るがごとし。険阻を経歴して遠方に至り、最終に成就して毀壞せず、徳あるがごとし。天地はここを以て成就し、群物はここを以て生長し、品物はここを以て端正す。是れ智者が水を楽しむ所以なり。『詩經』に曰く、「快楽の泮水を思い、あの蓴菜を採りに往く。魯侯到来し、泮宮にて飲酒す」と。言うは水を楽しむなり。
第二十六章
問者曰:夫仁者何以樂於山也?曰:夫山者萬民之所瞻仰也。草木生焉,萬物植焉,飛鳥集焉,走獸休焉,四方益取與焉。出雲道風嵷乎天地之間。天地以成,國家以寧,此仁者所以樂於山也。《詩》曰:“太山巌巌,魯邦所瞻。”樂山之謂也。
問う人は曰く、仁者はなぜ山を楽しむ?曰く、山は万民の瞻仰する所なり。草木はそこに生長し、万物はそこに種植し、飛鳥はそこに聚集し、走獣はそこに休息し、四方はそこより取与す。雲を生出し風を引導し、天地の間に聳立す。天地はここを以て成就し、国家はここを以て安寧す、是れ仁者が山を楽しむ所以なり。『詩經』に曰く、「太山高峻、魯邦の瞻仰する所」と。言うは山を楽しむなり。
第二十七章
傳曰:晉文公嚐出亡,反國,三行賞而不及陶叔狐。陶叔狐謂咎犯曰:“吾從君而亡十有一年,顏色黯黑,手足胼胝。今反國三行賞而我不與焉。君其忘我乎?其有大過乎?子試為我言之。”咎犯言之文公,文公曰:“噫!我豈忘是子哉?高明至賢,志行全成,說我以仁,變化我行,昭明我名,他我為成人者,吾以為上賞。恭我以禮,防我以義,藩援我,使我不為非者,吾以為次。勇猛強武,氣勢自御,難在前則、處前,難在後則處後,免我於危難之中者,吾又以為次。然勞苦之士次之。”《詩》曰:“率禮不越,遂視既。”今不內自訟過,不悅百姓,將何錫之哉?
伝に記す:晋文公はかつて出亡し、国に返回し、三たび賞を行いて陶叔狐に到らず。陶叔狐は咎犯に対して曰く、「我は君に随従して出亡すること十一年、臉色黯黑にして、手脚に繭を長じた。今国に返回して三たび賞を行いて我その中に在らず。君は我を忘れたか?それとも大過失あるか?あなたは試みに我のために言え」と。咎犯は文公に告げ、文公は曰く、「ああ!我はどこにこの人を忘れんや?高明至賢にして、志向品行完備し、仁を以て我を説服し、我が品行を変化し、我が名を昭明し、我を化して成人と為すは、我は以て上賞と為す。礼を以て我を恭敬せしめ、義を以て我を防止し、藩籬援助して、我をして対ならざるを為さしめざるは、我は以て次等と為す。勇猛強武にして、気勢自ら駕馭し、難が前に在れば則ち前に処り、難が後に在れば則ち後に処り、我をして危難の中を免れしむるは、我はまた以て次等と為す。労苦の士に至っては則ちその次なり。『詩經』に曰く、『礼に遵循して越えず、すなわちすでに实行するを看る』と。今内に自ら訟過せず、百姓を喜悦せず、将に何を以て彼に賜わん?」
第二十八章
夫詐人者曰,古今異情,其所以治亂異道。而眾人皆愚而無知,陋而無度者也,於其所見猶可欺也,況乎千歲之後乎?蝕詐人者,門庭之間猶挾欺,而況千歲之上乎?然則聖人何以不可欺也?曰:聖人以己度人者也。以心度心,以情度情,以類度類,古今一也。類不悖,雖久同理。故性緣理而不迷也。夫五帝之前無傳人。非無賢人,久故也。五帝之中無傳政。非無善政,久故也。虞夏有傳政,不如殷周之察也。非無善政,久故也。夫傳者久則愈略,近則愈詳。略則舉大,詳則舉細。故愚者聞其大不知其細,聞其細不知其大。是以久而差。三王五帝,政之至也。《詩》曰:“帝命不違,至於湯齊。”
欺詐の人は説く、古今の情况同じからず、ゆえに治乱の道同じからずと。而して衆人はみな聡明にして知なく、浅陋にして法度なく、見る所に対してはなお欺騙すべし、まして千年の後においてをや?欺詐の人は、門庭の間になお欺を挟帯す、まして千年の上においてをや?然らば聖人はなぜ欺騙すべからざる?曰く、聖人は己を以て人を度量するなり。心を以て心を度量し、情を以て情を度量し、類を以て類を度量す、古今は一様なり。類は违背せず、たとい久遠なるも同じ理なり。ゆえに性は理に順って迷惑せず。五帝の前に流伝の人なし。賢人なきに非ず、久遠なるを以てなり。五帝の中に流伝の政なし。善政なきに非ず、久遠なるを以てなり。虞夏に流伝の政あり、殷周の詳察に如かず。善政なきに非ず、久遠なるを以てなり。流伝する物は久遠なれば則ち愈え簡略し、近ければ則ち愈え詳細す。簡略なれば則ち大を挙げ、詳細なれば則ち細を挙ぐ。ゆえに愚の人は大を聞きて細を知らず、細を聞きて大を知らず。ここを以て久しければ則ち差失あり。三王五帝は、政の極至なり。『詩經』に曰く、「帝命は违背せず、湯に至りて斉一す」と。
第二十九章
舜生於諸馮,遷於負夏,卒於鳴條,東夷之人也。文王生於岐周,卒於畢郢,西夷之人也。地之相去也,千有餘裡,世之相後也千有餘歲,然得志行乎中國,若合符節。孔子曰:“先聖後聖,其揆一也。”《詩》曰:“帝命不違,至於湯齊。”
舜は諸馮に生れ、負夏に遷り、鳴條に死す、是れ東夷の人。文王は岐周に生れ、畢郢に死す、是れ西夷の人。地の相離るること一千余里、世の相隔たること一千余年、しかるに志を得て中国に实行するは、符節の相合するがごとし。孔子は言った。「先聖後聖、その法度は一様なり。」『詩經』に曰く、「帝命は违背せず、湯に至りて斉一す」と。
第三十章
孔子觀於周廟,有欹器焉。孔子問於守廟者曰:“此謂何器也?”對曰:“此蓋為宥座之器。”孔子曰:“吾聞宥座之器,滿則覆,虛則欹,中則正,有之乎?”對曰:“然。”孔子使子路取水試之,滿則覆,中則正,虛則欹。孔子喟然而嘆曰:“嗚呼!惡有滿而不覆者哉!”子路曰:“敢問持滿有道乎?”孔子曰:“持滿之道,抑而損之。”子路曰:“損之有道乎?”孔子曰:“德行寬裕者,守之以恭,土地廣大者,守之以儉。祿位尊盛者,守之以卑。人眾兵強者,守之以畏。聰明睿智者,守之以愚。博聞強記者,守之以淺。夫是之謂抑而損之。”《詩》曰:“湯降不遲,聖敬日躋。”
孔子は周廟に観看す、欹器あり。孔子は廟を守る人に問う、「これを何の器物と謂う?」回答す、「これはほぼ宥座の器物」と。孔子は言った。「我は聞く、宥座の器物は、満ちれば則ち翻覆し、空なれば則ち傾斜し、適中なれば則ち端正すと、こ事あるか?」回答す、「是れ」と。孔子は子路をして水を取りて試験せしむれば、満ちれば則ち翻覆し、適中なれば則ち端正し、空なれば則ち傾斜した。孔子は慨然として叹息して曰く、「嗚呼!どこに満ちて翻覆せざるあらん!」子路は曰く、「満を保持するに道あるかを請う」と。孔子は言った。「満を保持するの道は、抑制して減損す。」子路は曰く、「減損に道あるか?」孔子は言った。「徳行寛裕なるは、恭を以て守る。土地広大なるは、倹を以て守る。禄位尊盛なるは、卑下を以て守る。人多く兵強きは、畏懼を以て守る。聡明叡智なるは、愚を以て守る。博聞強記なるは、浅を以て守る。これを則ち抑制して減損すと謂う。」『詩經』に曰く、「湯降臨して遅緩せず、聖敬一天天に上升す」と。
第三十一章
周公踐天子之位七年,布衣之士所執贄而師見者十人。所友見者十二人,窮巷白屋所先見者四十九人。時進善者百人,教士者千人,官朝者萬人。當此之時,誠使周公驕而且吝,則天下賢士至者寡矣。成王封伯禽於魯,周公誡之曰:“往矣!子其無以魯國驕士。吾文王之子,武王之弟,成王之叔父也,又相天子,吾於天下亦不輕矣。然一沐三握髪,一飯三吐哺,猶恐失天下之士。吾聞德行寬裕,守之以恭者,榮。土地廣大,守之以儉者,安。祿位尊盛,守之以卑者,貴。人眾兵強,守之以畏者,勝。聰明睿智,守之以愚者,哲。博聞強記,守之以淺者,智。夫此六者,皆謙德也。夫貴為天子,富有四海,由此德也。不謙而失天下亡其身者,桀紂是也,可不慎歟!故《易》有一道,大足以守天下,中足以守其國家,小足以守其身,謙之謂也。夫天道虧盈而益謙,地道變盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。是以衣成則必缺袵,宮成則必缺隅,屋成則必加措,示不成者,天道然也。《易》曰:‘謙亨,君子有終吉。’《詩》曰:‘湯降不遲,聖敬日躋。’誡之哉!子其無以魯國驕士也。”
周公は天子の位に践むこと七年、布衣の士が贄礼を持ちて老師の礼を以て進見する者十人、朋友の礼を以て進見する者十二人、窮巷白屋先に接見せられた者四十九人。当時善言を進献する者百人、教を受くる士千人、官に在りて朝見する者万人。この時に当たり、もし周公をして驕傲にして且つ吝嗇ならしめば、則ち天下の賢士の到来するは少なからん。成王は伯禽を魯に封じ、周公は告誡して曰く、「往け!あなたは魯国を憑って士に驕傲する勿れ。我は文王の子、武王の弟、成王の叔父、また天子を輔相す、我は天下に在りても軽からず。しかるに一たび頭を洗えば三たび頭髪を握住し、一頓の飯を食えば三たび口裏の食物を吐出す、なお天下の士を失うを怕る。我は聞く、徳行寛裕、恭を以て守るは、栄耀。土地広大、倹を以て守るは、安定。禄位尊盛、卑下を以て守るは、貴。人多く兵強、畏懼を以て守るは、勝利。聡明叡智、愚を以て守るは、明智。博聞強記、浅を以て守るは、智慧。この六様は、みな謙徳なり。貴く天子と為り、富みて四海を有するは、こ徳を以てす。謙ならずして天下を失い自身を滅亡するは、桀紂則ち是れ、能く謹慎せざらんや!ゆえに『周易』に一道あり、大は足りて天下を守り、中は足りてその国を守り、小は足りてその身を守る、言うは謙なり。天道は盈満を虧損して謙を補益し、地道は盈満を改変して謙に流向し、鬼神は盈満を損害して謙を福佑し、人道は盈満を厭悪して謙を愛好す。ここを以て衣服を作成すれば必ず衣襟を缺き、宮を作成すれば必ず角落を缺き、屋を作成すれば必ず撑柱を加う、未だ完成せざるを表示す、天道は則ちこのごとし。『周易』に曰く、『謙は亨通し、君子は好結果吉利あり』と。『詩經』に曰く、『湯降臨して遅緩せず、聖敬一天天に上升す』と。警戒せよ!あなたは魯国を憑って士に驕傲する勿れ」と。
第三十二章
傳曰:子路盛服以見孔子,孔子曰:“由疏疏者何也?昔者江於濆,其始出也,不足以濫觴。及其至乎江之澤也,不方舟,不避風,不可渡也。非其下流眾川之多歟?顏色充滿,天下有誰加汝哉?”子路趨出,改服而入,蓋揖如也。孔子曰:“由志之。吾語汝。夫慎於言者不譁,慎於行者不伐。色知而有長者小人也。故君子知之為知之,不知為不知,言之要也。能之為能之,不能為不能,行之要也。言要則知,行要則仁。既知且仁,又何加哉?《詩》曰:‘湯降不遲,聖敬日躋。’”
伝に記す:子路は盛服を穿着して孔子を見に来たり、孔子は言った。「由、疏疏然とするは何のためか?昔江は源頭より噴涌して出づ、剛て出ずる時、以て酒杯を浮起するに足らず。江の大沢に至るに及び、船を并せず、風を避けずば、渡るべからず。それが下流にて衆川多きを以てに非ずや?臉色充満せば、天下に誰かあなたを超えん?」子路は快步して出で、衣服を改換して進入す、ほぼ揖譲礼あり。孔子は言った。「由は記せ。我あなたに告げん。言語を謹慎するは喧嘩せず、行為を謹慎するは誇耀せず。臉色に知るを顕出して長あるは小人なり。ゆえに君子は知れば則ち知るとし、知らざれば則ち知らずとす、是れ言語の要約。能くすれば則ち能くすとし、能わざれば則ち能わずとす、是れ行為の要約。言語要約なれば則ち智、行為要約なれば則ち仁。すでに智にして且つ仁なれば、また何を加えん?『詩經』に曰く、『湯降臨して遅緩せず、聖敬一天天に上升す』と。」
第三十三章
君子行不貴茍難,說不貴茍察,名不貴茍傳,惟其當之為貴。夫負石而赴河,此行之難為者也,而申徒狄能之。君子不貴者,非禮義之中也。山淵平,天地比,齊秦襲,入乎耳,出乎口,鉤有須,卵有毛,此說之難持者也,而鄧片(右加木)惠施能之。君子不貴者,非禮義之中也。盜跖吟口,名聲若日月,與舜禹俱傳而不息。君子不貴者,非禮義之中也。故曰君子行不貴茍難,說不貴茍察,名不貴茍傳,惟其當之為貴。《詩》曰:“不競不絿,不剛不柔。”言當之為貴也。
君子の行為は苟且艱難を以て貴と為さず、学説は苟且明察を以て貴と為さず、名声は苟且流伝を以て貴と為さず、ただ得当あるのみを以て貴と為す。石を負いて河に投ず、是れ行為の為し難き、而して申徒狄は能く為す。君子は以て貴と為さず、礼義の中に非ざるを以て。山淵一様に平、天地并列し、斉秦相合し、耳より入りて口より出づ、鉤に鬚鬢あり、卵に毛あり、是れ学説の持守し難き、而して鄧析・恵施は能く持守す。君子は以て貴と為さず、礼義の中に非ざるを以て。盗跖は口頭吟詠し、名声は日月のごとく、舜禹とともに流伝して息まず。君子は以て貴と為さず、礼義の中に非ざるを以て。ゆえに曰く君子の行為は苟且艱難を以て貴と為さず、学説は苟且明察を以て貴と為さず、名声は苟且流伝を以て貴と為さず、ただ得当あるのみを以て貴と為すと。『詩經』に曰く、「競争せず急躁せず、剛猛せず柔軟せず」と。是れ得当あるを貴と為すを言う。
第三十四章
伯夷叔齊目不視惡色,耳不聽惡聲。非其君不事,非其民不使。橫政之所出,橫民之所止,弗忍居也。思與鄉人居,若朝衣朝冠,坐於塗炭也。故聞伯夷之風者,貪夫廉,懦夫有立志。至柳下惠內則不然。不羞汙君,不辭小官。進不隱賢,必由其道。阨窮而不憫,遺佚而不怨。與鄉人居,愉愉然不去也。雖袒裼裸裎於我側,彼安能浼我哉?故聞柳下惠之風者,鄙夫寬,薄夫厚。至乎孔子去魯,遲遲乎其行也,可以去而去,可以止而止,去父母國之道也。伯夷,聖人之清者也。柳下惠,聖人之和者也。孔子,聖人之中者也。《詩》曰:“不競不絿,不剛不柔。”中庸和通之謂也。
伯夷・叔斉は目は悪色を看ず、耳は悪声を聴かず。彼の君に非ざれば事奉せず、彼の民に非ざれば役使せず。暴政の出ずる所、暴民の停まる所は、忍びて住まず。郷人と住まんと欲するは、朝衣朝冠を穿着して塗炭の上に坐するがごとし。ゆえに伯夷の風気を聞く者は、貪婪の人は廉潔し、懦弱の人は自立の志有り。柳下恵に至っては則ちこのごとくあらず。汚穢の君を以て羞恥と為さず、小官を推辞せず。進用して賢能を隠瞞せず、必ずあの道を経由す。困窮して憂憫せず、遺棄せられて怨恨せず。郷人と住むに、愉愉然として離れず。たとい身体を袒露して我の辺に在るも、彼はどうして我を汚染せんや?ゆえに柳下恵の風気を聞く者は、鄙陋の人は寛大し、刻薄の人は厚道す。孔子の魯を離るるに至っては、遅遅然としてその行走、離るべければ則ち離れ、留まるべければ則ち留まる、是れ父母の国を離るるの道なり。伯夷は、聖人の中の清。柳下恵は、聖人の中の和。孔子は、聖人の中の中正。『詩經』に曰く、「競争せず急躁せず、剛猛せず柔軟せず」と。言うは中庸和通なり。
第三十五章
王者之法,等賦正事,田野什一,關市譏而不徵,山林澤梁,以時入而不禁。相地在衰正,理道而致貢,萬物群來,無有流滯,以相通移,近者不隱其能,遠者不疾其勞,雖幽間僻陋之國,莫不趨使而安樂之。夫是之謂王者之法,等賦正事。《詩》曰:“敷政優優,百祿是遒。”
王者の法は、賦税を均等し事務を端正し、田野は十分に一を取り、関市は稽查して征稅せず、山林沢梁は、時に按じて入りて禁止せず。土地の好壞を察看して徴収し、道路を治理して貢を送来し、万物は群を成して到来し、滞留なく、以て互相流通転移し、近きはその能を隠瞞せず、遠きはその労を厭悪せず、たとい幽僻簡陋の国も、趨使して安楽せざるなし。これを則ち王者の法と謂い、賦税を均等し事務を端正す。『詩經』に曰く、「施政寛和、百禄聚集す」と。
第三十六章
孫卿與臨武君議兵於趙孝成王之前。王曰:“敢問兵之要。”臨武君曰:“夫兵之要,上得天時,下得地利,後之發,先之至。此兵之要也。”孫卿曰:“不然。夫兵之要,在附親士民而已。文馬不和,造父不能以致遠。弓矢不調,羿不能以中微。士民不親附,湯武不能以戰勝。由此觀之,要在於附親士民而已矣。”臨武君曰:“不然。夫兵之用,變故也。其所貴,謀詐也。善用之者猶脫兔,莫知其出。孫吳用之無敵於天下。由此觀之,豈必待附親士民而後可哉?”孫卿曰:“不然。君之所道者,諸侯之兵,謀臣之事也。臣之所道者,仁人之兵,聖王之事也。彼可詐者,怠慢者也。君臣上下之際,奐然有離德者也。夫以蹠而詐桀,猶有工拙焉。以桀而詐堯,如以指撓沸,以卵投石,抱羽毛而赴烈火,入則燋也。夫何可詐也?且夫暴國將孰與至哉?彼其所與至者必其民,民之親我也,芬若椒蘭,歡如父子。彼反顧其上,如憯毒蜂蠆。人之情,雖桀蹠豈肯為其所至惡,賊其所至愛哉?是猶使人之子孫自賊其父母也。彼則先覺其失,何可詐哉?且仁人之兵,聚則成卒,散則成列。延居則若莫邪之長刃,嬰之者斷。銳居則若莫邪之利鋒,當之者潰。圓居則若丘山之不可移也,方居則若盤石之不可拔也,觸之摧角折節而退爾,夫何可詐也?《詩》曰:‘武王載發,有虔秉鉞,如火烈烈,則莫我敢遏。’此謂湯武之兵也。”孝成王避席抑手曰:“寡人雖不敏,請依先生之兵也。”
孫卿と臨武君は趙孝成王の面前にて用兵を議論す。王は曰く、「用兵の要約を請う」と。臨武君は曰く、「用兵の要約は、上は天時を得、下は地利を得、後発して先到す。是れ用兵の要約」と。孫卿は曰く、「然らず。用兵の要約は、士民を親附するに在るのみ。車馬和諧せざれば、造父も以て遠方に到達する能わず。弓矢調わざれば、羿も以て微小を射中する能わず。士民親附せざれば、湯武も以て戦勝する能わず。これより観れば、要約は士民を親附するに在るのみ」と。臨武君は曰く、「然らず。用兵の用処は、変故なり。看重する所は、謀詐なり。善く用いるは脱逃の兔子のごとく、人はその出処を知るなし。孫呉はこれを用いて天下に敵なし。これより観れば、どこに必ず士民を親附して然る後に可なるを待たんや?」孫卿は曰く、「然らず。君の言う所は、諸侯の兵、謀臣の事なり。臣の言う所は、仁人の兵、聖王の事なり。あの欺詐すべきは、怠慢なるなり。君臣上下の間、涣然として離散の徳あるなり。跖を以て桀を欺詐するは、なお工拙あり。桀を以て堯を欺詐するは、手指を以て開水を攪り、卵を以て石頭に投じ、羽毛を抱きて烈火に奔赴するがごとく、入れば則ち烧焦す。何の欺詐すべきかあらん?況んや暴国は将に誰とともに来らんや?彼の与に来るは必ずその民、民は我に親附し、芬芳は椒蘭のごとく、歓喜は父子のごとし。彼らは回頭してその上を看れば、惨毒蜂蠆のごとし。人の情は、たとい桀跖といえども豈にその最も厭悪する所のために、その最も親愛する所を残害せんと肯んずるや?これは人の子孫に自ら父母を残害せしむるに似たり。彼らは先にあの過失を察覚す、何の欺詐すべきかあらん?況んや仁人の兵は、聚集すれば則ち卒を成し、分散すれば則ち列を成す。延長して居処するは莫邪の長刃のごとく、触碰するは斬断せらる。鋭利にして居処するは莫邪の利鋒のごとく、抵当するは潰散す。円形にして居処するは丘山のごとく移すべからず、方形にして居処するは盤石のごとく拔くべからず、それに触碰すれば則ち頭角節肢を摧折して退くのみ、何の欺詐すべきかあらん?『詩経』に曰く、『武王は旌旗を載せ、虔敬に鉞を持ち、火のごとく猛烈にして、則ち人の敢えて我を遏止するなし』と。言うは湯武の兵なり」と。孝成王は席位を離れ手を按じて曰く、「寡人はたとい聡敏ならずとも、先生の用兵に依従せんことを請う」と。
第三十七章
受命之士,正衣冠而立,儼然人望而信之。其次,聞其言而信之。其次,見其行而信之。既見其行,而眾皆不信,斯下矣。《詩》曰:“慎爾言矣,謂爾不信。”
命を受けた士は、衣冠を端正して立ち、荘厳して人の望見すれば則ち信任す。その次は、彼の言を聞きて信任す。その次は、彼の行為を見て信任す。すでに彼の行為を見たれど、衆人みな信任せざれば、これ低下なり。『詩經』に曰く、「あなたの言を謹慎せよ、あなたを信ずべからずと言う」と。
第三十八章
昔者不出戶而知天下,不窺牖而見天道者,非目能視乎千里之前,非耳能聞乎千里之外,以己之度度之也。以了之情量之也。己惡飢寒焉,則知天下之慾衣食也。己惡勞苦焉,則知天下之慾安佚也。己惡意象乏焉,則知天下之慾祠足也。知此三者,聖王之所以不降席而匡天下。故君子之道,忠恕而已矣。夫飢渴苦血氣,寒暑動肌膚,此四者民之大害也。大害不除,未可教御也。四體不掩,則鮮仁人。五藏空虛,則無立士。故先王之法,天子親耕,后妃親蠶,先天下憂衣與食也。《詩》曰:“父母何嘗?心之憂矣,子之無裳。”
昔門戸を出でずして天下を知り、窓戸を窺看せずして天道を見たるは、目が千里の前を見る能くするに非ず、耳が千里の外を聞く能くするに非ず、己の法度を以て度量するなり。己の情を以て估量するなり。己は饑寒を厭悪すれば、則ち天下の衣食を欲するを知る。己は労苦を厭悪すれば、則ち天下の安逸を欲するを知る。己は匱乏を厭悪すれば、則ち天下の充足を欲するを知る。こ三様を知るは、聖王が席位を離れずして天下を匡正する所以なり。ゆえに君子の道は、忠恕のみ。飢渴は血気を傷害し、寒暑は肌膚を打動す、この四様は民の大害なり。大害除去せざれば、教導駕馭すべからず。四肢遮掩せざれば、則ち仁人少なし。五蔵空虚なれば、則ち自立の士なし。ゆえに先王の法は、天子親しく田を耕し、后妃親しく蠶を養い、天下に先んじて衣と食を憂慮す。『詩經』に曰く、「父母は何を嘗めんや?心憂慮せり、児子に衣裳なし」と。
韓詩外伝巻第四
第一章
紂作炮格之刑,王子比干曰:“主暴不諫,非忠也。畏死不無言,非勇也。見過即諫,不用即死,忠之至也。”遂諫,三日不去朝。紂囚而殺之。《詩》曰:“昊天大憮,予慎無辜。”
紂は炮格の刑を制作し、王子比干は曰く、「主は暴虐にして進諫せざれば、忠に非ず。死を怕りて言わざれば、勇に非ず。過失を見て則ち進諫し、用いざれば則ち死すは、忠の極至なり」と。すなわち進諫し、三天朝を離れず。紂は囚禁して彼を殺した。『詩經』に曰く、「昊天は甚だ怃然、我は謹慎して辜なし」と。
第二章
桀為酒池,可以運舟,糟丘足以望十里,一鼓而牛飮者三千人,關龍逢進諫曰:“古之人君,身行禮義,愛民節財,故國安而身壽。今君用財若無窮,殺人若恐弗勝。君若弗革,天殃必降,而誅必至矣。君其革之。”立而不去朝。桀囚而殺之。君子聞之曰:“天之命矣。”《詩》曰:“昊天大憮,予慎無辜。”
桀は酒池を作り、舟船を運転すべし、糟丘は足りて十里を瞭望し、一たび鼓を撃てば牛のごとく飲む者三千人あり。関龍逢は進諫して曰く、「古代の人君は、自身礼義を实行し、民を愛し財を節し、ゆえに国安くして自身長寿なりき。今君は財を用うること窮尽なきがごとく、人を殺すこと勝能わざるを怕るがごとし。君もし改変せざれば、天殃は必ず降下し、而して誅殺は必ず至らん。君はなお改変せよ」と。立ちて朝を離れず。桀は囚禁して彼を殺した。君子は聞きて後曰く、「是れ天の命なり」と。『詩經』に曰く、「昊天は甚だ怃然、我は謹慎して辜なし」と。
第三章
有大忠者,有次忠者,有下忠者,有國賊者。以道覆君而化之,是謂大忠也。以德調君而輔之,是謂次忠也。以諫非君而怨之,是謂下忠也。不恤乎公道達義,偷合茍同以之持祿養交者,是謂國賊也。若周公之於成王,可謂大忠也。管仲之於桓公,可謂次忠也。子胥之於夫差,可謂下忠也。曹觸龍之於紂,可謂國賊也。皆人臣之所為也。吉凶賢不肖之效也。《詩》曰:“匪其止恭,惟王之卭。”
大忠なるあり、次忠なるあり、下忠なるあり、国賊なるあり。道を以て君を覆い彼を感化するを、これを大忠と謂う。徳を以て君を調和し彼を輔助するを、これを次忠と謂う。諫を以て君の非を糾正し彼を怨むを、これを下忠と謂う。公道通達の義を体恤せず、倫合苟同して以て俸禄を持守し私交を豢養するは、これを国賊と謂う。周公の成王に於けるがごときは、大忠と称すべし。管仲の桓公に於けるは、次忠と称すべし。子胥の夫差に於けるは、下忠と称すべし。曹触龍の紂に於けるは、国賊と称すべし。みな人臣の為す所なり。吉凶賢不肖の効験なり。『詩經』に曰く、「彼の恭敬に止まるに非ず、ただ君王の疾病なり」と。
第四章
哀公問取人。孔子曰:“無取健,無取佞,無取口讒。健,驕也。佞,諂也。口讒,誕也。故弓調,然後求勁焉。馬服,然後求良焉。士信愨,而後求知焉。士不信愨而又多知,譬之豺狼與,其難以身近也。《周書》曰:‘無為虎傅翼,將飛入邑,擇人而食。’夫置不肖之人於位,是為虎傅翼也。不亦殆乎?”《詩》曰:“匪其止恭,惟王之卭。”言其不恭其職事,而病其主也。
哀公は人を選取するを問うた。孔子は言った。「強健好勝を選取する勿れ、佞媚を選取する勿れ、口讒を選取する勿れ。強健好勝は、驕なり。佞媚は、諂なり。口讒は、誕妄なり。ゆえに弓は調い好し、然る後に強勁を求む。馬は馴服し、然る後に良を求む。士は誠信樸実、然る後に智を求む。士が誠信樸実ならずして又智多きは、豺狼に比す、身体を以て靠近し難し。『周書』に曰く、『虎に翅膀を加うる勿れ、将に城邑に飛入り、人を選択して食わんとす』と。不肖の人を位子に置くは、則ち虎に翅膀を加うるなり。また危険ならずや?」『詩經』に曰く、「彼の恭敬に止まるに非ず、ただ君王の疾病なり」と。是れ彼が職事を恭敬せずして、その主を病せしむるを言うなり。
第五章
齊桓公獨與管仲謀伐莒,而國人知之。桓公謂管仲曰:“寡人獨為仲父言,而國人知之何也?”管仲曰:“意者國中有聖人乎?今東郭牙安在?”桓顧曰:“在此。”管仲曰:“子有言乎?”東郭牙曰:“然。”管仲曰:“子何知之?”曰:“臣聞君子有三色,是以知之。”管仲曰:“何謂三色?”曰:“歡忻愛說,鐘鼓之色也。愁悴哀憂,衰絰之色也。猛厲充實,兵革之色也。是以知之。”管仲曰:“何以知其莒也?”對曰:“君東南面而指,口張而不掩,舌舉而不下,是以知其莒也。”桓公曰:“善。”東郭先生曰:“目者,心之符也。言者,行之指也。夫知者之於人也,未嘗求知而後能知也。觀容貌,察氣志,定取捨,而人情畢矣。”《詩》曰:“他人有心,予忖度之。”
斉桓公は独り管仲と莒を伐つを謀劃し、而して国人はこれを知った。桓公は管仲に対して曰く、「寡人は独り仲父に対して言うに、而して国人は知る、なぜか?」管仲は曰く、「恐らく国中に聖人あらんか?今東郭牙はどこに在る?」桓公は回頭して曰く、「ここに在り」と。管仲は曰く、「あなたに言うことあるか?」東郭牙は曰く、「是れ」と。管仲は曰く、「あなたはどうして知った?」曰く、「臣は聞く、君子に三種の神色あり、ここを以て知ったり」と。管仲は曰く、「何を三種神色と謂う?」曰く、「歓欣愛悦は、鐘鼓の神色。愁悴哀憂は、喪服の神色。猛厲充実は、兵革の神色。ここを以て知ったり」と。管仲は曰く、「何を以て莒と知った?」回答す、「君は東南に面向して指し、口は張開して上を掩わず、舌頭は挙げて下さず、ここを以て莒と知ったり」と。桓公は曰く、「好し」と。東郭先生は曰く、「目は、心の符験。言語は、行為の指向。智者は人に対して、かつて知を求めて然る後に能く知るに非ず。容貌を観察し、気志を審察し、取捨を決定して、而して人情は則ち完備す」と。『詩經』に曰く、「他人に心あれば、我はそれを忖度す」と。
第六章
今有堅甲利兵,不足以施敵破虜,弓良矢調,不足射遠中微,與無兵等爾。有民不足強用嚴敵,與無民等爾。《詩》曰:“維南有箕,不可以簸揚。維北有鬥,不可以挹酒漿。”
今堅固の甲鋒利の兵ありて、敵に施加し虜寇を攻破するに足らず、弓好し矢調うも、遠く射て微小を中るに足らずは、兵器なきと相等しきのみ。民ありて強力使用し敵を厳待するに足らずは、民なきと相等しきのみ。『詩經』に曰く、「南方に箕星あり、簸揚すべからず。北方に斗星あり、酒漿を舀うべからず」と。
第七章
傳曰:舜彈五絃琴,以歌《南風》,而天下治。周公酒餚不離於前,鍾石不解於懸,以輔成王,而宇內亦治。匹夫百畝一室,不遑啟處,無所移之也。夫以一人而兼聽天下,其日有餘而治不足,使人為之也。夫擅使人之權,而不能制眾於下,則在位者非其人也。《詩》曰:“維南有箕,不可以簸揚。維北有鬥,不可以挹酒漿。”言有位無其事也。
伝に記す:舜は五弦琴を弾じ、以て『南風』を歌唱し、而して天下治理す。周公は酒肴面前を離れず、鐘石は懸掛する所より解下せず、以て成王を輔助し、而して宇内もまた治理す。匹夫は百畝一室、暇なく安処し、移るべき地方なし。一人を以て兼ねて天下を聴くに、日は余りて治理の事は足らず、是れ人をして為さしむるなり。専擅して人を役使するの権ありて、能く下に衆を制服せざれば、則ち位に在るはその人に非ず。『詩經』に曰く、「南方に箕星あり、簸揚すべからず。北方に斗星あり、酒漿を舀うべからず」と。是れ位子ありてその事なきを言うなり。
第八章
齊桓公伐山戎,其道過燕,燕君送之出境。桓公問管仲曰:“諸侯相送,固出境乎?”管仲曰:“非天子不出境。”桓公曰:“然則燕君畏而失禮也。寡人不可使燕君失禮。”乃割燕君所至之地以與之。諸侯聞之皆朝於齊。《詩》曰:“靜恭爾位,好是正直。神之聽之,介爾景福。”
斉桓公は山戎を伐ち、道路は燕を経過し、燕君は彼を送りて境を出でたり。桓公は管仲に問う、「諸侯は相送るに、本来境を出ずるか?」管仲は曰く、「天子に非ざれば境を出でず」と。桓公は曰く、「然らば燕君は畏懼して礼を失えり。寡人は燕君をして礼を失わしむべからず」と。すなわち燕君の到った地を割きて彼に給えた。諸侯は聞きてみな斉に朝した。『詩經』に曰く、「安靜にあなたの位子を恭敬し、こ正直を愛好せよ。神はこれを聴き、あなたに大福を助けん」と。
第九章
《韶》用干鏚,非至樂也。舜兼二女,非達禮也。封黃帝之子十九人,非法義也。往田號泣,未盡命也。以人觀之,則是也。以法量之,則未也。《禮》曰:“禮儀三百,威儀三千。”《詩》曰:“靜恭爾位,正直是與。神之聽之,式谷以女。”
『韶』は干戚を用いるも、極至の楽に非ず。舜は二女を兼有するも、通達の礼に非ず。黄帝の子十九人を封ずるも、法義に非ず。田里に至りて号哭するは、命を尽さざるなり。人を以て看れば、則ちこのごとし。法を以て衡量すれば、則ちいまだ至らず。『礼』に曰く、「礼儀三百、威儀三千」と。『詩經』に曰く、「安靜にあなたの位子を恭敬し、正直とともに在れ。神はこれを聴き、善を以てあなたに対せん」と。
第十章
禮者治辯之極也,強國寫本也,威行之道也,功名之統也。王公由之,所以一天下也。不由之,所以隕社稷也。是故堅甲利兵不足以為武,高城深池不足以為固,嚴令繁刑不足以為威,由其道則行,不由其道則廢。昔楚人蛟革犀兕以為甲,堅如金石,宛鉅鐵釶,慘若蜂蠆,輕利剽疾,卒如飄風。然兵殆於垂沙,唐子死,莊蹻起,楚分為三四者,此豈無堅甲利兵也哉?其所以統之者非其道故也。汝淮以為險,江漢以為池,緣之以方城,限之以鄧林,然秦師至於鄢郢,舉若振槁然。是豈無固塞限險也哉?其所以統之者非其道故也。紂殺比干而囚箕子,為炮格之刑,殺戮無時,群下愁怨,皆莫冀其命,然周師至而令不行乎左右。其豈無嚴令繁刑也哉?其所以統之者非其道故也。若夫明道而均分之,誠愛而時使之,則下之應上如影響矣。有不由命者,刑一人而天下服,下不非其上,知罪在己也。是以刑罰競渻而威行如流者,無他,由是道故也。《詩》曰:“自東自西,自南自北,無思不服。”如是則近者歌謳之,遠者赴趨之,幽間僻陋之國莫不趨使而安樂之,若赤子之歸慈母者,何也?仁刑義立,教誠愛深,禮樂交通故也。《詩》曰:“禮義卒度,笑語卒獲。”
礼は辨别を治理するの極至、国を強くするの根本、威行の道、功名の統緒なり。王公はこれを経由す、ゆえに天下を統一す。これを経由せず、ゆえに社稷を隕落す。ここを以て堅甲利兵は以て武と為すに足らず、高城深池は以て固と為すに足らず、厳令繁刑は以て威と為すに足らず、あの道を経由すれば則ち实行し、あの道を経由せざれば則ち廃棄す。昔楚人は蛟革犀兕を以て甲を為し、堅固なること金石のごとく、宛地の钜鉄矛は、惨烈なること蜂蠆のごとく、軽利剽疾にして、突然たること飄風のごとし。しかるに兵は垂沙に敗れ、唐子は死し、荘蹻は起事し、楚は三四に分かれたり、これ豈に堅甲利兵なからんや?統領する所あの道に非ざるの縁故なり。汝淮を以て険と做し、江漢を以て池と做し、方城を以て囲繞し、鄧林を以て限制す、しかるに秦師は鄢郢に至り、攻取すること枯葉を振落するがごとし。これ豈に固塞険限なからんや?統領する所あの道に非ざるの縁故なり。紂は比干を殺して箕子を囚禁し、炮格の刑を作り、殺戮に定時なく、群下愁怨し、みな人の命を保たんと欲するなし、しかるに周師至りて命令は左右にて实行せられず。これ豈に厳令繁刑なからんや?統領する所あの道に非ざるの縁故なり。明らかに道を顕して分を均しくし、真誠に愛して時に按じて役使すれば、則ち下の上に応答するは影と響のごとし。命令に遵従せざる有れば、一人を刑して天下服従し、下は上を非議せず、罪が己に在るを知る。ここを以て刑罰は競い減少して威行は流水のごとし、他なく、こ道を経由するの縁故なり。『詩經』に曰く、「東より西より、南より北より、服従せざらんと欲するなし」と。このごとくなれば則ち近きは歌唱し、遠きは奔赴し、幽僻簡陋の国は趨使して安楽せざるなく、赤子の慈母に帰向するがごとし、なぜか?仁形成し義樹立し、教導誠にして愛深く、礼楽交通するの縁故なり。『詩經』に曰く、「礼義は終に度に合し、笑語は終に当を得たり」と。
第十一章
君人者以禮分施,均徧而不偏。臣以禮事君,忠順而不解。父寬惠而有禮,子敬愛而致恭。兄慈愛而見友,弟敬詘而不慢。夫照臨而有別,妻柔順而聽從。若夫行之而不中道,即恐懼而自竦。此道也,徧立則亂,具立則治。請問兼能之奈何?曰審禮。昔者先王審禮以惠天下,故德及天地,動無不當,夫君子恭而不難,敬而不鞏,貧窮而不約,富貴而不驕,應變而不窮,審之禮也。故君子於禮也,敬而安之。其於事也,經而不失。其於人,寬裕寡怨而弗阿。其於儀也,修飾而不危。其應變也,齊給便捷而不累。其於百官伎藝之人也,不與爭能,而致用其功。其於天地萬物也,不說其所以然而謹裁其盛。其待上也,忠順而不解。其使下也,均遍而不徧。其於交遊也,緣類而有義。其於鄉曲也,逧而不亂。是故窮則有名,通則有功。仁義兼覆天下而不窮,明通天地,理萬變而不疑。血氣平和,志意廣大,行義塞天地,仁知之極也。夫是之謂先王審之禮也。若是,則老者安之,少者懷之,朋友信之,如夫子之歸慈母也。曰:仁刑義立,教誠愛深,禮樂交通故也。《詩》曰:“禮義卒度,笑語卒獲。”
人君たるは礼を以て施予を分別し、均遍して偏私せず。臣は礼を以て君に事奉し、忠順して懈怠せず。父は寛恵にして礼あり、子は敬愛して恭を極む。兄は慈愛して友愛を表現し、弟は敬屈して怠慢せず。夫は照臨して分別あり、妻は柔順して聴従す。实行して中道に合せざるに至っては、則ち恐懼して自ら肅敬す。こ道は、偏立すれば則ち乱れ、全立すれば則ち治まる。みな能く為さばどうすべきかを請う。曰く、礼を審察せよと。昔先王は礼を審察して以て天下に惠及し、ゆえに徳は天地に達し、動作は当を得ざるなし。君子は恭して難を畏れず、敬して恐懼せず、貧窮して卑屈せず、富貴して驕傲せず、変に応じて窮尽せず、是れ礼を審察するなり。ゆえに君子は礼に於いては、敬して安処す。事に於いては、経営して失わず。人に於いては、寛裕にして怨少なく阿諛せず。儀に於いては、修飾して高危せず。変に応じては、敏捷快速にして牽累せず。百官技藝の人に於いては、彼らと能を争わずして、その功を尽用す。天地万物に於いては、所以然を解説せずして謹慎してあの盛を裁成す。上に対待するは、忠順して懈怠せず。下を役使するは、均遍して偏私せず。交游に於いては、類に順って義あり。郷曲に於いては、和睦して乱れず。ここを以て困窮すれば則ち名あり、通達すれば則ち功あり。仁義は兼ねて天下を覆いて窮尽せず、明は天地に通じ、万変を治理して疑わず。血気平和し、志意広大にして、義を行うこと天地に充満す、是れ仁智の極至なり。これを則ち先王の審察する礼と謂う。このごとくなれば、則ち老いたるは安んじ、少なきは懐い、朋友は信任し、赤子の慈母に帰向するがごとし。曰く、仁形成し義樹立し、教導誠にして愛深く、礼楽交通するの縁故なりと。『詩經』に曰く、「礼義は終に度に合し、笑語は終に当を得たり」と。
第十二章
晏子聘魯,上堂則趨,授玉則跪。子貢怪之,問孔子曰:“晏子知禮乎?今者晏子來聘魯,上堂則趨,授玉則跪,何也?”孔子曰:“其有方矣。待其見我,我將問焉。”俄而晏子至,孔子問之。晏子對曰:“夫上堂之禮,君行一,臣行二。今君行疾,臣敢不趨乎?今君之授幣也卑,臣敢不跪乎?”孔子曰:“善!禮中又有禮。賜寡使也,何足以識禮也!”《詩》曰:“禮義卒度,笑語卒獲。”晏子之謂也。
晏子は魯に聘問し、堂に上れば則ち快步し、玉を授ければ則ち跪下した。子貢は奇怪と覚え、孔子に問うた、「晏子は礼を知るか?今晏子は来りて魯に聘問し、堂に上れば則ち快步し、玉を授ければ則ち跪下す、なぜか?」孔子は言った。「彼は道理あるなり。彼が我を見るを待ち、我将に問わん」と。しばらくして晏子至り、孔子は彼に問うた。晏子は回答す、「堂に上るの礼は、君は一步走り、臣は両步走る。今君の走ること速し、臣敢えて快步せざらんや?今君は幣を授くること低下し、臣敢えて跪下せざらんや?」孔子は言った。「好し!礼の中にまた礼あり。賜は出使経験を缺少する、どこに足りて礼を識別せんや!」『詩經』に曰く、「礼義は終に度に合し、笑語は終に当を得たり」と。言うは晏子なり。
第十三章
古者八家而井田。方里為一井。廣三百步,長三百步為一里,其田九百畝。廣一步,長百步為一畝。廣百步,長百步為百畝。八家為鄰,家得百畝。餘夫各得二十五畝。家為公田十畝,餘二十畝共為廬舍,各得二畝半。八家相保,出入更守,疾病相憂,患難相救,有無相貨,飲食相招,嫁娶相謀,漁獵分得,仁恩施行,是以其民和親而相好。《詩》曰:“中田有廬,壃場有瓜。”今或不然。令民相伍,有罪相同,有刑相舉,使構造怨仇,而民相殘,傷和睦之心,賊仁恩,害上化,所和者寡,欲啟者多,於仁道泯焉。《詩》曰:“其何能淑,載胥及溺。”
古代は八家にして井田を实行す。方一里を一井と為す。寛三百步、長三百步を一里と為し、その田九百畝。寛一步、長百歩を一畝と為す。寛百歩、長百歩を百畝と為す。八家を鄰と為し、每家は百畝を得。余夫は各々二十五畝を得。每家は公田十畝を為し、余下二十畝は共同して廬舎を作り、各々二畝半を得。八家は互相保全し、出入は輪流に守望し、疾病は互相憂慮し、患難は互相救助し、有無は互相借貸し、飲食は互相招呼し、嫁娶は互相謀劃し、漁獵は所得を分配し、仁恩施行せられ、ここを以てその民は和親して互相友好す。『詩經』に曰く、「田中に廬あり、疆場に瓜あり」と。今あるいはこのごとくあらず。民に命じて伍を編成せしめ、罪有れば相同じく、刑有れば互相検挙し、怨仇を構造せしめ、而して民は互相残害し、和睦の心を傷害し、仁恩を賊害し、上の教化を損害し、和する所少なく、争端を開啓せんと欲する多く、仁道泯滅せり。『詩經』に曰く、「それどうして能く善ならん、将にともに陷溺せん」と。
第十四章
天子不言多少,諸侯不言利害,大夫不言得喪,士不通財貨,不賈於道。故駟馬之家不恃雞豚之息,伐冰之家不圖牛羊之入,千乘之君不通貨財,冢卿不修幣施,大夫不為場哺,委積之臣不貪市井之利,是以貧窮有所歡,而孤寡有所措其手足也。《詩》曰:“彼有遺秉,此有滯穂,伊寡婦之利。”
天子は多少を談論せず、諸侯は利害を談論せず、大夫は得喪を談論せず、士は財貨を流通せず、道路上にて売買を為さず。ゆえに駟馬の家は鶏豚の利息を依仗せず、伐冰の家は牛羊の収入を謀求せず、千乗の君は貨財を流通せず、冢卿は貨幣施予を治理せず、大夫は場圃飼養を為さず、委積の臣は市井の利を貪らず、ここを以て貧窮は歓喜する所有り、而して孤寡は手足を安置する地方あり。『詩経』に曰く、「あちらに遺落の禾把あり、こちらに滞留の穗あり、是れ寡婦の利なり」と。
第十五章
人主欲得善射,及遠中微,則懸貴爵重賞以招致之。內不阿子弟,外不隱遠人,能中是者取之。是豈不謂之大道也哉?雖聖人弗能易也。今欲治國馭民,調一上下,將內以固城,外以拒難,治則制人,人弗能制,亂則危削滅亡可立待也。然而求卿相輔佐獨不如是之公,惟便辟親比己者之用,是豈不謂過乎?故有社稷,莫不欲安,俄則危矣。莫不欲存,俄則亡矣。古之國千餘,今無數十,其故何也?莫不失於是也。故明主有私人以百金名珠玉,而無私人以官職事業者,何也?曰:本不利於所私也。彼不能而主使之,是闇主也。臣不能而為之,是詐臣也。主闇於上,臣詐於下,滅亡無日矣。俱害之道也。故惟明主能愛其所愛,闇則必危其所愛。夫文王非無便辟親比己者,超然乃舉太公於舟人而用之,豈私之哉?以為親邪,則異族之人也。以為故耶?則未嘗相識也。以為姣好耶?則太公年七十二,齳然而齒墮矣。然而用之者,文王欲立貴道,欲白貴名,兼制天下,以惠中國,而不可以獨,故舉是人而用之。貴道果立,貴名果白,兼制天下。立國七十一,姬姓獨居五十二。周之子孫,茍不狂惑,莫不為天下顯諸侯。夫是之謂能愛其所愛矣。故曰:惟明主能愛其所愛,闇主則必危其所愛,此之謂也。《大雅》曰:“貽厥孫謀,以燕巽子。”愛其所愛之謂也。《小雅》曰:“死喪無日,無幾相見。”危其所愛之謂也。
人主は善く射るを得たりと欲すれば、遠く射て微小を中るに、則ち貴爵重賞を懸掛して以て招致す。内は子弟を偏私せず、外は遠人を隠瞞せず、能くこれを中るは則ち取用す。これ豈に大道と謂わざらんや?たとい聖人も能く改易せず。今国を治め民を駕馭し、上下を調一し、将に内は城を鞏固し外は患難を抗拒せんと欲す、治まれば則ち能く人を制服し、人は制服する能わず、乱れば則ち危削滅亡は立ちどころに待つべし。しかるに卿相の輔佐を求むるに独りこのごとく公正ならず、ただ便嬖己に親近するを用いるのみ、これ豈に過失と謂わざらんや?ゆえに社稷有るは、安定せざらんと欲するなく、しばらくにして危殆す。保存せざらんと欲するなく、しばらくにして滅亡す。古代の国は一千余箇、今は数十箇なし、縁故は何か?みなこの上にて失誤せざるなし。ゆえに明主は百金名珠玉を人に私給する有るも、官職事業を人に私給するはなし、なぜか?曰く、根本上私する人に利せざるなりと。彼能わざるも主は彼を役使するは、昏暗の主なり。臣能わざるも却って為すは、欺詐の臣なり。主は上に昏暗し、臣は下に欺詐すれば、滅亡は日幾ばくもなからん。みな害を受くるの道なり。ゆえにただ明主のみ能くその愛する所を愛し、昏暗なれば則ち必ずその愛する所を危害す。文王は便嬖己に親近するなきに非ず、超然として舟人の中より太公を挙用す、どこに私あらん?以て親と為すか、却是れ異族の人。以て故旧と為すか?却ってかつて相識らず。以て姣好と為すか?則ち太公は七十二歳、牙齒脱落せり。しかるに彼を用いるは、文王は貴道を樹立せんと欲し、貴名を顕明せんと欲し、兼ねて天下を制し、以て中国に惠及せんと欲し、而して独り為すべからず、ゆえにこの人を挙げて用いたり。貴道は果して樹立し、貴名は果して顕明し、兼ねて天下を制したり。国を立つること七十一、姬姓は独り五十二を占む。周の子孫は、狂惑せざるのみ、天下の顕赫諸侯と為らざるなし。これを則ち能くその愛する所を愛すと謂う。ゆえに曰く、ただ明主のみ能くその愛する所を愛し、昏暗の主は則ち必ずその愛する所を危害す、言うはこのことなりと。『大雅』に曰く、「孫児に謀劃を留め、以て子孫を安燕せん」と。言うはその愛する所を愛するなり。『小雅』に曰く、「死喪は日幾ばくもなく、多少相見るなし」と。言うはその愛する所を危害するなり。
第十六章
問楛者不告,告楛者勿問。有諍氣者勿與論。必由其道至,然後接之。非其道,則避之。故禮恭然後可與言道之方,辭順然後可與言道之理,色從然後可與言道之極。故未可與言而言謂之瞽,可與言而不與之言謂之隱。君子不瞽不隱,《詩》曰:“彼交匪紓,天子所予。”言必交吾志然後予。
粗悪を問うに告げず、粗悪を告ぐるに問う勿れ。争競の気有るは彼と談論する勿れ。必ずあの道を経由して到来し、然る後に接待す。あの道に非ざれば、則ち避開す。ゆえに礼恭しき然る後に彼と道の方向を談論すべし、辞順なる然る後に彼と道の理を談論すべし、神色順従する然る後に彼と道の極至を談論すべし。ゆえに彼と談すべからずして談ずるを瞽と謂い、彼と談ずべきに彼と談ぜざるを隠と謂う。君子は瞽せず隠せず、『詩經』に曰く、「あの交往怠緩せず、是れ天子の給与する所」と。是れ必ず我の志向と相交りて然る後に給与するを言うなり。
第十七章
子為親隱,義不得正。君誅不義,仁不得愛。雖違仁害義,法在其中矣。《詩》曰:“優哉柔哉,亦是戾止。”
子は親人のために隠瞞し、義は端正を得ず。君は不義を誅殺し、仁は愛を得ず。たとい仁に違背し義を傷害するも、法はその中に在り。『詩經』に曰く、「悠閑かな柔和かな、またここに至りて止住す」と。
第十八章
齊桓公問於管仲曰:“王者何貴?”曰:“貴天。”桓公仰而視天。管仲曰:“所謂天,非蒼莽之天也。王者以百姓為天。百姓與之則安,輔之則強,非之則危,倍之則亡。”《詩》曰:“民之無良,相怨一方。”民皆居一方,而怨其上,不亡者未之有也。
斉桓公は管仲に問うた、「王者は何を看重する?」曰く、「天を看重す」と。桓公は頭を擡げて天を看た。管仲は曰く、「いわゆる天は、蒼莽の天に非ず。王者は百姓を以て天と做す。百姓は親附すれば則ち安定し、輔助すれば則ち強し、非議すれば則ち危うし、背叛すれば則ち滅亡す」と。『詩經』に曰く、「民に善良なく、互相怨恨して一方に在り」と。民はみな一方に処りて、その上を怨恨す、滅亡せざるはいまだかつて有らず。
第十九章
善御者不忘其馬。善射者不忘其弓。善為上者不忘其下。誠愛而利之,四海之內,闔若一家。不愛而利之,子或殺父,而況天下乎?《詩》曰:“民之無良,相怨一方。”
善く駕馭するはその馬を忘れず。善く射るはその弓を忘れず。善く上を為すはその下を忘れず。真誠に愛して彼らに利有れば、四海の内は、合せて一家のごとし。愛せずして彼らに利あれば、子あるいは父を殺す、まして天下においてをや?『詩經』に曰く、「民に善良なく、互相怨恨して一方に在り」と。
