韓詩外傳巻第一
第八章(以下はしばらく注を録せず)
儒家典籍
初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。
韓詩外傳[漢]韓嬰
『韓詩外傳』〔漢〕韓嬰
第一章
曾子仕於莒,得粟三秉。方是之時,曾子重其祿而輕其身。親沒之後,齊迎以相,楚迎以令尹,晉迎以上卿。方是之提,曾子重其身而輕其祿。懷其寶而迷其國,不口與語仁。窘其身而約其親,不可與語孝。任重道遠者,不擇地而息。家貧親老者,不擇官而仕。故君子橋褐趨時,當務為急。傳云:不逢時而仕,任事而敦其慮,為之使而不入其謀,貧焉故也。《詩》曰:“夙夜在公,寔命不同。”
曾子は莒で官をして、粟三秉を得た。その時、曾子は俸禄を重んじて己の身を軽んじた。双親が亡くなって後、斉は迎えて相と為し、楚は迎えて令尹と為し、晋は迎えて上卿と為した。その時、曾子は己の身を重んじて俸禄を軽んじた。宝を懐に蔵して国を迷わす者には、ともに仁を語るべからず。己の身を困窮させて親を束縛する者には、ともに孝を語るべからず。任重く道遠き者は、処を擇ばずして休む。家貧しく親老いたる者は、官を擇ばずして仕う。ゆえに君子は粗褐を着て時勢に趨り、当前の事務が最も緊急なり。伝に記す:時に逢わずして官を為し、事を担任して思慮を加厚せられ、役使せられて謀に参せざるは、貧のゆえなり。『詩經』に曰く、「早朝より晩に至るまで公家の事に従い、この命運実に同じからず」と。
第二章
傳曰:夫《行露》之人許嫁矣,然而未往也。見一物不具,一禮不備,守節貞理,守死不往。君子以為得婦道之宜,故舉而傳之,揚而歌之,以絕無道之求,防汙道之行乎?《詩》曰:“雖速我訟,亦不爾從。”
伝に記す:あの『行露』の中の人はすでに嫁を許したも、なお往かず。一件の器物の斉わざるを見、一項の礼の完備せざるを見て、節を守り正理を堅持し、死を守っても往かざるなり。君子はこれを以て婦道の適宜を得たりと為し、ゆえに挙げて伝述し、宣揚して歌い、以て無道の求取を断絶し、汚穢の道の实行を防止せんとするか?『詩經』に曰く、「たとえ我を逼めて官司を打たしむとも、我は汝に従わず」と。
第三章
孔子南遊適楚,至於阿谷之隧,有處子偑璜而浣者。孔子曰:“彼婦人其可與言矣乎?”抽觴以授子貢,曰:“善為之辭,以觀其語。”子貢曰:“吾北鄙之人也,將南之楚。逢天之暑,思心潭潭,顧乞一飮,以表我心。”婦人對曰:“阿谷之隧,隱曲之汜,其水載清載濁,流而趨海,欲飮則飮,何問於婢子!”受子貢觴,迎流而挹之,奐然而溢之,從流而挹之,奐然而覺得之,坐置之沙上。曰:“禮固不親授。”子貢以告。孔子曰:“丘知之矣。”抽琴去其軫,以授子貢曰:“善為之辭,以觀其語。”子貢曰:“向子之言,穆如清風,不悖我語,和暢我心。於此有琴而無軫,願借子以調其音。”女人對曰:“吾野鄙之人也,僻陋而無心,五音不知,安能調琴?”子貢以告。孔子曰:“丘知之矣。”抽絺五兩以授子貢,曰:“善為之辭,以觀其語。”子貢曰:“吾北鄙之人也,將南之楚。於此有絺紘(右上加乂)五兩,吾不敢以當子身,敢置之水浦。”婦人對曰:“行客之人,嗟然永久,分其資財,棄之野鄙。吾年甚少,何敢受子?子不早去,今竊有狂夫守之者矣。”《詩》曰:“南有喬木,不可休思,漢有遊女,不可求思。“此之謂也。”
孔子が南游して楚に至り、阿谷の隧道に至るに、処女ありて璜を佩びて衣を浣っていた。孔子は言った。「あの婦人はともに言を為すべきか?」觴を抽き出して子貢に交えて曰く、「善く措辞して、彼女の言を観察せよ」と。子貢は言った。「我は北鄙の人、将に南行して楚に至らんとす。天気の暑熱に逢い、心思沉沉として、一口の飲を求めんと願い、以て我が心を表明せん。」婦人は答えた。「阿谷の隧道、隠曲の水辺、その水はあるいは清くあるいは濁り、流れて海に趨る、飲まんと欲すれば飲め、婢子に問うて何を為さん?」子貢の觴を接け取り、水流に迎えて舀えば奐然として満ち溢れ、水流に順って舀えば奐然として舀み得たと覚え、坐して沙上に置く。曰く、「礼は本より手を以て授受せず」と。子貢は孔子に告げた。孔子は言った。「丘は知った。」琴を抽き出して軫を去り、子貢に交えて曰く、「善く措辞して、彼女の言を観察せよ」と。子貢は言った。「さきほどのお言葉、和穆にして清風のごとく、我が言に违背せず、我が心を和暢せしむ。ここに琴ありて軫なし、願わくばあなたを借りてあの音を調せん。」女は答えた。「我は郊野の鄙陋の人、偏僻簡陋にして心思なく、五音を知らず、どうして琴を調えん?」子貢は孔子に告げた。孔子は言った。「丘は知った。」細葛布五両を抽き出して子貢に交えて曰く、「善く措辞して、彼女の言を観察せよ」と。子貢は言った。「我は北鄙の人、将に南行して楚に至らんとす。ここに細葛紘五両あり、我は敢えて以てあなたの身に当たらず、敢えて水辺に置かん。」婦人は答えた。「過路の客人、嗟叹して停留すること久し、資財を分出して郊野に拋棄す。我は年紀甚だ軽し、どうして敢えてあなたを受けん?あなた早く去らざれば、今や私に狂夫ありて我を守らん。」『詩經』に曰く、「南に高大の樹あり、しかもその下に休息すべからず。漢水に出游の女子あり、しかも求取すべからず」と。言うはこのことなり。
第四章
哀公問孔子曰:“有智者壽乎?”孔子曰:“然。人有三死而非命也者,自取之也。居處不理,飲食不節,佚勞過度者,病共人殺之。居下而好乾上,嗜慾無厭,求索不止者,刑共殺之。少以敵眾,弱以侮強,忿不量力者,兵共殺之。故有三死而非命者,自取之也。“《詩》曰:“人而無儀,不死何為。”
哀公は孔子に問うた。「智ある人は寿なるか?」孔子は言った。「是れなり。人に三種の死ありて命に非ず、自ら取るなり。居処を調理せず、飲食を節制せず、逸楽労累过度なるは、病一たび起りて彼を殺す。下に処りて上に干犯するを好み、嗜欲満足なく、求索停止せざるは、刑一たび起りて彼を殺す。少を以て衆に敵対し、弱を以て強を侮辱し、忿怒して力量を估量せざるは、兵一たび起りて彼を殺す。ゆえに三種の死ありて命に非ず、自ら取るなり。」『詩經』に曰く、「人と為りて儀容なくば、死せずしてまた何を為さん」と。
第五章
傳曰:在天者莫明乎日月,在地者莫明於水火,在人者莫明乎禮義。故日月不高則所照不遠,水火不積則光炎不博,禮義不加乎國家則功名不白。故人之命在天,國家命在禮,君人者降禮尊賢而王,重法愛民而霸,好利多詐而危,權謀傾覆而亡,《詩》曰:人而無禮,胡不遄死。
伝に記す:天に在りては日月より明なるなく、地に在りては水火より明なるなく、人に在りては礼義より明なるなし。ゆえに日月高からざれば照らす所遠からず、水火積聚せざれば光焰広博せず、礼義国家に加わらざれば功名顕白せず。ゆえに人の命は天に在り、国家の命は礼に在り。人君たるは、己を降下し礼を尊び賢を尊んで王と称し、法を重んじ民を愛して覇と称し、利を好み詐多くして危険、権謀傾覆して滅亡す。『詩經』に曰く、「人と為りて礼なくば、なぜ速やかに死せぬ」と。
第六章
君子有辯善之度,以治氣養性,則身後彭祖。修身自強則名配堯禹。宜於時則達,厄於窮則處,信禮者也。凡用心之術,由禮則理達,不由禮則悖亂。飲食衣服,動靜居處,由禮則和節,不由禮則墊陷生疾。容貌態度,進退趍步,由禮則雅,不由禮則夷固。故人無禮則不生,事無禮則不成,國無禮則不寧,王無禮則死亡無日矣。《詩》曰:“人而無禮,胡不遄死。”
君子には善を辨别する法度あり、以て気を治め性を養えば、身後に彭祖に比ぶべし。身を修め自強すれば名声は堯禹と并列す。時に適宜すれば顕達し、窮厄に困るれば安処す、是れ礼を信ずる人なり。およそ心を用いるの法は、礼に由れば理達し、礼に由らざれば悖乱す。飲食衣服、動静居処、礼に由れば和諧して節あり、礼に由らざれば下陥して病を生ず。容貌態度、進退快步、礼に由れば雅、礼に由らざれば鄙陋頑固。ゆえに人は礼なくば生ずる能わず、事は礼なくば成る能わず、国は礼なくば安寧ならず、王は礼なくば死亡すること日幾ばくもなからん。『詩經』に曰く、「人と為りて礼なくば、なぜ速やかに死せぬ」と。
第七章
傳曰:不仁之至忽其親,俞樾云:忽當作忍,字之誤也,忍其親與下倍其君欺其友文義相稱。字誤作忽,則無義矣。不忠之至倍其君,不信之至欺其友,此三者,聖人之所殺而不赦也,《詩》曰:“人而無禮,不死何為。”
伝に記す:不仁極まるは親に忍心を以てし、不忠極まるは君に背叛し、不信極まるは朋友を欺騙す。この三様は、聖人の殺して赦免せざる所なり。『詩經』に曰く、「人と為りて礼なくば、死せずしてまた何を為さん」と。
第八章
王子比干殺身以成其吣,尾生殺身以成其信,伯夷叔齊殺身以成其廉。此四子者,皆天下之通士也。四舊作三。豈不愛其身哉?為夫義之不立,名之不顯,則士恥之,故殺身以遂其行。由是觀之,卑賤貧窮,非士之恥也。夫士之所芷者,天下舉忠而士不與焉,舉信而士不與焉,舉信而士不與焉,舉廉而士不與焉。三者存乎身,名牛於世,與日月並而不息天不能殺,地不能生,當桀紂之世,不之能汙也。然則非惡生而樂死也。惡富貴好貧賤也,由其理尊貴及己而仕,不辭也。孔子曰:“富而可求也,雖執鞭之士,吾亦為之,如不可求,從吾所好。故阨窮而不憫,勞辱而不茍,然後能有致也。《詩》曰:“我心匪石,不可轉也,我心匪席,不可卷也。此之謂也。”
王子比干は身を殺してその忠心を成就し、尾生は身を殺してその信を成就し、伯夷・叔斉は身を殺してその廉を成就した。この数人は、みな天下の通達の士なり。豈に身を愛さざらんや?義立たず名顕れざれば、則ち士は以て恥と為すがゆえに、身を殺して品行を成就す。これより観れば、卑賎貧窮は士の恥に非ず。士の恥ずる所は、天下が忠を挙げて士その中に在らず、信を挙げて士その中に在らず、廉を挙げて士その中に在らざるなり。三様が身に存し、名が世に立ち、日月と并列して息まず、天は殺す能わず、地は生ずる能わず、桀紂の世に正しく当たるも、また汚穢する能わず。然らば生を厭悪して死を喜好し、富貴を厭悪して貧賤を愛好するに非ず、その道理に順えば、尊貴己に至りて官を為るも、辞せず。孔子は言った。「富はもし求められば、鞭を執るの士といえども、我もまた為す。もし求められざれば、我が愛好する所に従わん。ゆえに困窮して憂憫せず、労辱して苟且せず、然る後に能く成就する所有らん。」『詩經』に曰く、「我が心は石に非ず、転ずべからず。我が心は蓆に非ず、巻くべからず」と。言うはこのことなり。
第九章
原憲居魯,環堵之室,茨以蒿萊,蓬戶甕牗,揉桑而為樞,上漏下溼,匡坐而絃歌,子貢乘肥馬,衣輕裘,中紺而表素,軒車不容巷而往見之。原憲楮冠黎杖而應門,正冠則纓絕,振襟則肘見,納履則踵決,子貢曰:“嘻,先生何病也?”原憲仰而應之,曰:“憲聞之,無財之謂貧,學而不能之謂病,憲貧也,非病也,若夫希世而行,比周而友,學以為人,教以為己,仁義之匿,車馬之飾,衣裘之麗,憲不忍為之也。”子貢逡巡,面有慚色,不辭而去。原憲乃徐步曳杖歌商頌而反,聲滿於天地,如出金石。天子不得而臣也,諸侯不得而友也,故養身者忘家,養志者忘身。身且不愛,孰能忝之?”《詩》曰:“我心匪石,不可轉也,我心匪席,不可卷也。”
原憲は魯に住み、環堵の屋、蒿萊を以て頂を蓋い、蓬を門と為し瓮を窓と為し、桑を揉みて門枢と為し、上は漏り下は湿るも、端正に坐して弦歌す。子貢は肥馬に乗り、輕裘を着、裏は紺色外は素色、軒車は巷に容れずして往きて彼を見た。原憲は楮冠を戴き藜杖を拄きて門に応じ、冠を正せば帽纓断え、衣襟を抖せば肘露出し、鞋を穿けば脚跟裂開す。子貢は言った。「ああ、先生は何の病あるか?」原憲は頭を擡げて応答す。「憲は聞く、財なきを貧と謂い、学びて能く实行せざるを病と謂うと。憲は貧にして、病に非ず。世道に迎合して行い、党を結び友を交わり、学ぶは人に見せんがため、教うるは己のため、仁義の隠匿、車馬の修飾、衣裘の華麗なるに至っては、憲は為すに忍びず。」子貢は遅疑して後退り、面に慚色あり、辞せずして去った。原憲はすなわち徐々に歩み、杖を拖きて『商頌』を唱えて返り、声音は天地に充満し、金石より発するがごとし。天子も彼を臣服せしめ能わず、諸侯も彼と交友する能わず。ゆえに身を養う者は家を忘れ、志を養う者は身を忘る。身すらなお愛さず、誰か彼を辱没せん?『詩經』に曰く、「我が心は石に非ず、転ずべからず。我が心は蓆に非ず、巻くべからず」と。
第十章
傳曰:所謂士者,雖不能盡乎道術,必有由也。雖不能盡乎美善,必有處也。言不務多,務審其所謂,行不務多,務審其所由而已。行既已尊之,言既已由之,若肌膚性命之不可易也。《詩》曰:“我心匪石,不可轉也。我心匪席,不可卷也。”
伝に記す:いわゆる士とは、たとい道術を窮める能わずとも、必ず由来する所有り。たとい美善を窮める能わずとも、必ず安処する所有り。言説は多きを務求せず、務めて言う所を審察す。行為は多きを務求せず、務めて由来する所を審察するのみ。行為すでにそれを尊崇し、言説すでにそれに由来するは、肌膚性命の改易すべからざるがごとし。『詩經』に曰く、「我が心は石に非ず、転ずべからず。我が心は蓆に非ず、巻くべからず」と。
第十一章
傳曰:君子潔其身而同者合焉,善其音而類者應焉。馬鳴而馬應之,牛鳴而牛應之,非知也,其勢然也,故新沐者必彈冠,新浴者必振衣,莫能以己之皭皭容人之混澐然。《詩》曰:我心匪鑑,不可以茹。
伝に記す:君子は己を清潔にして同類の会合、声音を善くして同類の応和す。馬が叫べば馬が応和し、牛が叫べば牛が応和す、知に非ず、あの勢いがしかならしむ。ゆえに新たに髪を洗う者は必ず帽子を彈き、新たに洗浴する者は必ず衣服を抖う、人は能く己の潔白を以て人の混濁を容纳せざるなり。『詩經』に曰く、「我が心は鏡に非ず、含容すべからず」と。
第十二章
荊伐陳,陳西門壞,因其降民使修之,孔子過而不式,子貢執轡而問曰:禮過三人則下,二人則式。今陳之修門者眾矣,夫子不為式,何也?孔子曰:“國亡而弗知,不智也,知而不爭,非忠也,爭而不死,非勇也。修門者雖眾,不能行一於此,吾故弗式也。《詩》曰:“憂必悄悄,慍於群小”,小人成群,何足禮哉?
荊が陳を伐ち、陳の西門壊れれば、則ち投降の民を用いて彼らを修めしむ。孔子は経過して憑軾せず、子貢は轡を握りて問うた。「礼は三人を経れば下車し、両人なれば憑軾す。今陳の門を修める者多し、夫子は憑軾せず、なぜか?」孔子は言った。「国亡ぶを知らざるは、不智。知りて争わざるは、忠に非ず。争いて死せざるは、勇に非ず。門を修める者多しといえども、能くその中の一様を实行せず、我が憑軾せざる所以なり。」『詩經』に曰く、「憂心悄悄として、一群の小人に怨怒せらる」と。小人が群を成すは、どこに礼待するに値せんや?
第十三章
傳曰:喜名者必多怨,好與者必辱,唯滅跡於人,能隨天地自然,為能勝理而無愛名,名興則道不用,道行則人無位矣。夫利為害本,而福為禍先。唯不求利者為無害,不求福者為無禍,《詩》曰:“不忮不求,何用不臧。”
伝に記す:名を好む者は必ず怨多く、施予を愛好する者は必ず辱を受く。ただ人の中間に迹を滅し、能く天地自然に随従して、はじめて理に勝って愛名なくん。名が興れば道は用いられず、道が实行すれば人に位子なし。利は害の根本、福は禍の先導。ただ利を求めざるは害なく、福を求めざるは禍なし。『詩經』に曰く、「忌刻せず貪求せずば、為すこと何ぞ善ならざらん」と。
第十四章
傳曰:聽者耳聞,明者目見。聰明則仁愛著而廉恥分矣。故非其道而行之,雖勞不至。非其有而求之,雖強不得,故智者不為非其事,廉者不求非其有,是以害遠而名彰也,《詩》云:“不忮不求,何用不臧。”
伝に記す:聴く者は耳を以て聞き、明なる者は目を以て見る。聡明なれば仁愛顕著にして廉恥分別す。ゆえにあの道に非ずして实行するは、労苦すといえども到らず。彼の有するに非ずして求取するは、強求すといえども得られず。ゆえに智者は彼の事に非ざるを為さず、廉潔の人は彼の有するに非ざるを求めず、ここを以て害遠離して名顕彰す。『詩經』に曰く、「忌刻せず貪求せずば、為すこと何ぞ善ならざらん」と。
第十五章
傳曰:安命養性者不待積委而富,名號傳乎世者不待勢位而顯,德義暢乎中而無外求也,信哉,賢者之不以天下為名利也。《詩》曰:“不忮不求,何用不臧。”
伝に記す:命に安じ性を養う者は積蓄を待たずして富み、名号世に流伝する者は勢位を待たずして顕れ、徳義内に暢達して外求なし、信なるかな、賢者は天下を以て名利と為さず。『詩經』に曰く、「忌刻せず貪求せずば、為すこと何ぞ善ならざらん」と。
第十六章
古者天子左五鍾,右五鍾。將出,則撞黃鐘,而右五鍾皆應之,馬鳴中律,駕者有文,御者有數,立則磬折,拱則抱鼓,行步中規,折旋中矩。然後太師奏升車之樂,告出也。入則撞蕤賓,而左五鍾皆應之,以治容貌,容貌得則顏色齊,顏色齊則肌膚安。蕤賓有聲,鵠震馬鳴,及倮介之蟲,無不延頸以聽。在內者皆玉色,在外者皆金聲,然後少師奏升堂之樂,即席告入也。此言音樂相和,物類相感,同聲相應之義也。《詩》云:“鐘鼓樂之。”此之謂也。
古代の天子は左に五口の鐘、右に五口の鐘あり。将に出でんとすれば、則ち黄鐘を撞き、而して右の五口の鐘みな応和す。馬鳴は律に合し、駕車する者は文釆あり、御者は度数あり、立てば磬のごとく弯がり、拱手すれば鼓を抱くがごとく、歩きは規に合し、轉弯は矩に合す。然る後に太師は升車の楽を奏し、出でたりと報告す。入れば則ち蕤賓を撞き、而して左の五口の鐘みな応和し、以て容貌を整治す。容貌当を得れば顔色斉整し、顔色斉整すれば肌膚安定す。蕤賓に声音あれば、鵠震動し馬鳴叫し、および裸露甲ある虫は、頸を伸ばして聴かざるなし。内に在るはみな玉色、外に在るはみな金声、然る後に少師は升堂の楽を奏し、席に就きて入りたりと報告す。是れ音楽相和し、物類相感じ、同声相応ずるの道理を言うなり。『詩經』に曰く、「鐘鼓は彼を楽しましむ」と。言うはこのことなり。
第十七章
枯魚銜索,幾何不蠹?二親之壽,忽如過客。樹木欲茂,霜露不使。賢士欲養,二親不待,故曰:家貧親老,不擇官而仕也。《詩》曰:“雖則尾(左加火),父母孔邇。”此之謂也。
干魚を繩子に穿つ、还能く幾久しく虫に蛀まれざらん?双親の寿命は、忽然として過客のごとし。樹木は茂盛せんと欲すれど、霜露は許さず。賢士は奉養せんと欲すれど、双親は待たず。ゆえに曰く、家貧しく親老いたれば、官を擇ばずして仕うと。『詩經』に曰く、「事急迫するといえども、父母近し」と。言うはこのことなり。
第十八章
孔子曰:君子有三憂,弗知可無憂與?知而不學,可無憂與?學而不行,可無憂與?《詩》曰:“未見君子,憂心惙惙。”
孔子は言った。君子に三種の憂あり、知らざるは憂うべからざるか?知りて学ばざるは、憂うべからざるか?学びて实行せざるは、憂うべからざるか?『詩經』に曰く、「いまだ君子を見ず、憂心惙惙たり」と。
第十九章
魯公甫文伯死,其母不哭也。季孫聞之曰:“公甫文伯之母,貞女也,子死不哭,必有方矣。使人問焉,對曰;昔是子也,吾使之事仲尼,仲尼去魯,送之不出魯郊,贈之不與家珍,病不見士之來視者,死之日,宮女縗絰而從者十執行,此不足於士而有餘於婦人也,吾是以不哭也。《詩》曰:“乃如之人兮,德音無良。”
魯公甫文伯が死したるに、彼の母は哭せず。季孫は聞きて後曰く、「公甫文伯の母は貞女、子死して哭せず、必ず縁故あらん」と。人を遣りて彼女に問えば、答えて曰く、「昔この子は、我彼をして仲尼に事えしめた。仲尼が魯を離るるや、彼を送るに魯郊を出でず、彼に贈るに家中の珍宝を給せず。病めば士の前来して探視するを見ず、死するの日、宮女が喪服を穿着して随従する者十人あり。是れ士に足らずして婦人に余あるなり、我これを以て哭せず」と。『詩經』に曰く、「竟に是れのごとき人かな、徳音好からず」と。
第二十章
傳曰:天地有合,周廷寀云:說苑辨物篇合上有德字,1禮記樂記篇云:天地欣合,則生氣有精矣。陰陽消息,則變化有時矣。時得則治,時失則亂,故人生而不具者五,目無見,不能食,不能行,不能言,不能施化,三月微盷而後能見,八月生齒而後能食,朞年臏就而後能行,三年鹸(右為頁)合而後能言。十六精通在後能施化,陰陽相反,陰以陽變,陽以陰變。故男八月生齒,八歲而齔齒。十六而精化小通。女生七月生齒,七歲而齔齒,十四而精化小通。是故陽以陰變,陰以陽變,故不肖者精化始具,而生氣感動,觸情縱慾,反施亂化。是以年壽亟夭而性不長也。《詩》曰:乃如之人兮,懷婚姻也,太無信也,不知命也,賢者不然,精氣闐溢而後傷,時不可過也。不見道端,乃陳情慾,以歌道義。《詩》曰:“靜女其姝,俟我乎城隅,愛而不見,搔首躊躇。瞻彼日月,遙遙我思。道之雲遠,曷雲能來!”急時之辭也。甚焉故稱日月也。
伝に記す:天地に合あれば、生気に精あり。陰陽消長すれば、変化に時あり。時当を得れば治まり、時当を失えば乱る。ゆえに人生まれて完備せざる五様あり:目は見えず、食う能わず、走る能わず、言を能くせず、施化する能わず。三箇月に目微かに開けて然る後に能く見、八箇月に牙を長じて然る後に能く食い、一周年に髕骨長成して然る後に能く走り、三年に囟門合して然る後に能く言い、十六歳に精気貫通して然る後に能く施化す。陰陽相反し、陰は阳に因りて変じ、阳は陰に因りて変ず。ゆえに男は八箇月に牙を長じ、八歳に歯を換え、十六歳に精化小通す。女は七箇月に牙を長じ、七歳に歯を換え、十四歳に精化小通す。ここを以て阳は陰に因りて変じ、陰は阳に因りて変ず。ゆえに不肖の人は精化剛て具備し、生気感動し、情に触れて欲を縦し、反りて施乱化す。ここを以て年寿は速やかに夭折して性は長ぜず。『詩經』に曰く、「竟に是れのごとき人かな、婚姻を思いて、あまりに信なく、命を知らず」と。賢者は然らず、精気充満して然る後に傷感す、時は過ごすべからず。道の端緒を見ず、すなわち情欲を陳述し、以て道義を歌唱す。『詩經』に曰く、「嫻静の女子は何と美しきか、城隅にて我を待つ。隠蔽して見えず、頭を搔きて躊躇す。あの日月を看るに、我が思念遥かなり。道路あれほど遠し、どうして来らん!」是れ急ぐ時の辞なり。あまりに急ぐがゆえに日月を称説す。
第二十一章
楚白公之難,有莊之善者,辭其母,將死君。其母曰:“棄母而死君可乎?”曰:“吾聞事君者,內其祿而外其身,今之所以養母者,君之祿也,請往死之。”比至朝,三廢車中。其僕曰:“子懼,何不反也?”曰:“懼,吾私也,死君,吾公也。吾聞君子不以私害公。”遂往死之。君子聞之曰:“好義哉,必濟矣夫。”《詩》云:“深則厲,淺則揭。”此之謂也。
楚の白公の災難に、荘之善という人あり、母を辞別し、将に君のために死せんとす。母は曰く、「母を拋棄して君のために死す、可なるか?」曰く、「我は聞く、君に事えるは、内はその禄を受け外は己の身を献出すと。今以て母を養うは、君の禄なり、請う往きて彼のために死せん」と。朝に至るに及び、三たび車中より落下す。僕人は曰く、「あなた怕れる、なぜ返回せぬ?」曰く、「怕れるは我が私、君のために死するは我が公。我は聞く、君子は私を以て公を害せざると」すなわち往きて難に死す。君子は聞きて後曰く、「義を好むかな、必ず成らん」と。『詩經』に曰く、「水深ければ衣を連ねて淌り過ぎ、水浅ければ衣裳を提起す」と。言うはこのことなり。
第二十二章
晉靈公之時,宋人殺昭公,趙宣子請師於靈公而救之。靈公曰:“非晉國之急也。”宣子曰:“不然,夫大者天地,其次君臣,所以為順也,今殺其君,所以反天地,逆人道也,無必加災焉。晉為盟主而不救,無罰懼及矣。《詩》云:“凡民有喪,匍匐救之。而況國君乎?”於是靈公乃與師而從之。宋人聞之,儼然感說,而晉國日昌,何則?以其誅逆存順。《詩》曰:“凡民有喪,匍匐救之。”趙宣子之謂也。
晋霊公の時、宋人は昭公を殺し、趙宣子は霊公に軍隊を請い往きて救わんとす。霊公は曰く、「晋国の急務に非ず」と。宣子は曰く、「然らず。大なるは天地、其の次は君臣、以て順を成す所なり。今その君を殺すは、以て天地に反し人道に逆らうなり、さらに災を加うるを必とせず。晋は盟主を為して救わざれば、懲罰の懼れ至らん。『詩經』に曰く、「およそ民に丧事あれば、爬りて往きて救う」と。まして国君においてをや?」すなわち霊公ははじめて軍隊を給して彼を従えしめた。宋人は聞きて、儼然として感悦し、而して晋国は日に日に昌盛した。なぜか?逆を誅討し順を保存するを以てなり。『詩經』に曰く、「およそ民に丧事あれば、爬りて往きて救う」と。言うは趙宣子なり。
第二十三章
傳曰:水濁則魚喁,令苛見民亂,城峭則崩,岸峭則陂。故吳起峭刑而車裂,商鞅峻法而支解,治國者譬若乎張琴然,大弦急則小弦絕矣,故急轡銜者,非千里之御也,有聲之聲不過百里,無聲之聲延及四海。故祿過其功者削,名過其實者損,情行合而名副之,禍福不虛至矣。《詩》云:“何其處也,必有與也。何其久也,必有以也。”故惟其無為,能長生久視,而無累於物矣。郝懿行云:“故惟其無為”以下,疑他篇錯簡在此。維遹案:下第二十四章詩辭末,說苑修文篇有“惟有以者,為能長生久視而無累於物也”十六字。今本下章無,蓋即郝氏所本。
伝に記す:水濁れば魚は向上して嘴を露わにし、政令苛刻なれば民乱れ、城陡峭なれば崩れ、岸陡峭なれば傾斜す。ゆえに呉起は刑罰峭刻にして車裂せられ、商鞅は法令峻厳にして肢解せられた。国を治むるは琴を張るに比す、大弦急なれば小弦断える。ゆえに轡衘急なるは、千里の駕馭に非ず。声ある声は百里を超えず、声なき声は四海に延及す。ゆえに禄が功を超過するは削られ、名が実を超過するは損なわれ、情行相合い名相副えば、禍福は凭空に来らず。『詩經』に曰く、「なぜ安処せん、必ず与う所あらん。なぜ長久せん、必ず所以あらん」と。ゆえにただその無為、能く長生久視して、物に牽累せられず。
第二十四章
傳曰:衣服容貌者,所以說目也,應對言語者,所以說耳也。好惡去就者,所以說心也。故君子衣服中,容貌得,則民之目悅,言語遜,應對給,則民之耳悅矣。就仁去不仁,則民之心悅矣。三者存乎身,雖不在位,謂之素行。故中心存善,而日新之,則獨居而樂,德充而形。《詩》曰:“何其處也,必有與也。何其久也,必有以也。”
伝に記す:衣服容貌は以て目を悦ばしむる所、応対言語は以て耳を悦ばしむる所、好悪去就是以て心を悦ばしむる所なり。ゆえに君子は衣服適中、容貌得当なれば、則ち民の目は喜悦す。言語謙遜、応対敏捷なれば、則ち民の耳は喜悦す。仁に趨就不仁を去れば、則ち民の心は喜悦す。三様身に存すれば、たとい位子に在らずとも、素行と謂う。ゆえに中心に善を存して日日更新すれば、則ち独居して楽しみ、徳充実して顕現す。『詩經』に曰く、「なぜ安処せん、必ず与う所あらん。なぜ長久せん、必ず所以あらん」と。
第二十五章
仁道有四,磏為下。有聖仁者,有智仁者,有德仁者,有磏仁者。上知天能用其時,下知地能用其材,中知人能安樂之,是聖仁者也。上亦知天能用其時,下知地能用其材,中知人能使人肆之,是智仁者也。寬而容眾,百姓信之,道所以至,弗辱以時,是德仁者也,廉潔直方,病亂不治,惡邪不匡,雖居鄉里,若坐塗炭,命入朝廷,如赴湯火,非其民不使,非其食弗嘗,疾亂世而輕死,弗顧弟兄,以法度之,比於不祥,是磏仁者也。傳曰:山銳則不高,水徑則不深,仁磏則其德不厚,志與天地擬者其人不祥。是伯夷、叔齊、卞隨、介子推、原憲、鮑焦、袁旌目、申徒狄之行也,其所受天命之度,適至是而止,弗能改也,雖枯槁弗舍也。《詩》云:“亦已焉哉,天實為之,謂之何哉!”磏仁雖下,然聖人不廢者,匡民隱括,有在是中者也。
仁道に四等あり、廉は下等なり。聖仁あり、智仁あり、徳仁あり、廉仁あり。上は天を知りて能く天時を用い、下は地を知りて能く地材を用い、中は人を知りて彼らを安楽せしむる能くす、是れ聖仁。上もまた天を知りて能く天時を用い、下は地を知りて能く地材を用い、中は人を知りて人をして力を尽さしむる能くす、是れ智仁。寛にして衆を容纳し、百姓信任し、道の至る所、時を以て侮辱せず、是れ徳仁。廉潔正直方正、病乱を治理せず、邪を厭悪して匡正せず、たとい郷里に住むも塗炭に坐するがごとく、朝廷に入るを命ぜられれば湯火に赴くがごとく、彼の民に非ざれば役使せず、彼の食に非ざれば品嚐せず、乱世を痛恨して死を看輕し、弟兄を顧みず、法度を以て衡量し、不祥に比す、是れ廉仁。伝に記す:山尖鋭なれば高からず、水直流すれば深からず、仁にして廉なれば徳厚からず、志向天地と比擬するあの人は不祥なりと。是れ伯夷・叔斉・卞随・介子推・原憲・鮑焦・袁旌目・申徒狄の品行、彼らの受ける所の天命の限度、正好ここに至りて止む、改むる能わず、たとい枯槁するも捨棄せず。『詩經』に曰く、「また已むのみか、天実にこのごとく為す、これを何と謂わん!」廉仁は下等といえども、しかし聖人は廃棄せず、是れ民を匡正し隠括を矯正するに、あの中間に在るがゆえなり。
第二十六章
申徒狄非其世,將自投於河。崔嘉聞而止之曰:“吾聞聖人仁之於天地之間也,民之父母也,今為濡足之故,不救溺人,可乎?”申徒狄曰:“不然。昔桀殺關龍逢,紂殺王子比干,而亡天下,吳殺子胥,陳殺洩冶,而滅其國。故亡國殘家,非無聖智也,不用故也。”遂抱石而沉於河。君子聞之曰:“廉矣。如仁與智,則吾未之見也。”《詩》曰:“天實為之,謂之何哉!”
申徒狄はその世道を非議し、将に自ら河に投ぜんとす。崔嘉は聞きて制止して曰く、「我は聞く、聖人仁人は天地の間に在り、是れ民の父母、今や脚を湿すの縁故を以て、溺水の人を救わざるは、可なるか?」申徒狄は曰く、「然らず。昔桀は関龍逢を殺し、紂は王子比干を殺して天下を丢失した。呉は子胥を殺し、陳は泄冶を殺してその国を滅亡した。ゆえに亡国残家は、聖智なきに非ず、用いざるの縁故なり」と。すなわち石を抱きて河に沉んだ。君子は聞きて後曰く、「廉潔なり。仁和智に至っては、則ち我見ず」と。『詩經』に曰く、「天実にこのごとく為す、これを何と謂わん!」
第二十七章
鮑焦衣弊膚見,挈畚捋蔬,遇子貢於道。子貢曰:“吾子何以至於此也?”鮑焦曰:“天下之遺德教者眾矣,吾何以不至於此也?吾聞之,世不己知而行之不已者,是爽行也。上不己用而幹之不止者,是毀廉也。行爽廉毀,然且弗舍,惑於利者也。”子貢曰:“吾聞之,非其世者,不生其利。汗其君者,不履其士。今吾子汙其君而履其土,非其世而捋其蔬,其可乎?《詩》曰:“‘溥天之下,莫非王土。’此誰之有哉?”鮑焦曰:“於戲!吾聞賢者重進而輕退,廉者易愧而輕死。”於是棄其蔬而立槁於洛水之上。君子聞之曰:“廉夫剛哉!夫山銳則不高,水徑則不深,行磏者其德不厚,志與天地擬者其為人不祥。鮑焦可謂不祥矣。其節度淺深,適至於是矣。”《詩》云:“亦已焉哉。天實為之,謂之何哉!”
鮑焦は衣服破れ皮膚露出し、畚を提げて蔬を捋みに行き、路上にて子貢に遇う。子貢は曰く、「あなたはなぜこの歩に至った?」鮑焦は曰く、「天下に徳教を遺棄する者多し、我はなぜこの歩に至らざらん?我は聞く、世道が己を知らずして行為停止せざるは、品行に违背するなり。上に在る者が己を用いずして求進停止せざるは、廉潔を毀壞するなり。品行违背し廉潔毀壞して、しかもなお捨棄せざるは、利に迷惑せられた者なり」と。子貢は曰く、「我は聞く、あの世道を非議する者はそれに靠りて生利せず、あの君を汚穢する者はその土を踏まざると。今あなたは君を汚穢してその土を踏み、世道を非議して蔬を捋みに行く、可なるか?『詩經』に曰く、『普天の下、王の土に非ざるなし』と。是れ誰の所有か?」鮑焦は曰く、「嗚呼!我は聞く、賢者は進用を重んじて退を看輕し、廉潔の人は羞恥し易く死を看輕す」と。すなわち蔬菜を拋棄し、立ちて洛水の上に枯死した。君子は聞きて後曰く、「廉潔剛強かな!山尖鋭なれば高からず、水直流すれば深からず、行為廉潔の人は徳厚からず、志向天地と比擬するは、彼の做人は不祥なり。鮑焦は不祥と称すべし。その節度の浅深は、正好ここに至りて止めり」と。『詩經』に曰く、「また已むのみか。天実にこのごとく為す、これを何と謂わん!」
第二十八章
昔者周道之盛,邵伯在朝,有司請營邵以居。邵伯曰:“嗟!以吾一身而勞百姓,此非吾先君文王之志也。”於是出而就蒸庶於阡陌隴畝之間而聽斷焉。邵伯暴處遠野,廬於樹下,百姓大說,耕桑者倍力以勸。於是歲大稔,民給家足。其後,在位者驕奢,不恤元元,稅賦繁數,百姓睏乏,耕桑失時。於是詩人見邵伯之所休息樹下,美而歌之。《詩》曰:“蔽茀甘棠,勿剗勿伐,召伯所茇。”此之謂也。
昔周道の興盛の時、召伯は朝に在り、有司は営建して召地を彼の居住に給せんと請うた。召伯は曰く、「ああ!我が一身のために百姓を労するは、是れ我先君文王の志向に非ず」と。すなわち出でて、阡陌田畝の間に至りて衆庶に靠近して獄訟を聴断した。召伯は暴露して遠野に処り、樹下に廬を搭り、百姓は非常に喜悦し、耕桑の人は力を加倍して勤勉した。すなわち年成大熟し、民給え家足れり。後、位に在る者は驕奢にして、百姓を体恤せず、税賦繁多にして、百姓困乏し、耕桑時を失えり。すなわち詩人は召伯の休息した所の樹下を見て、赞美して歌った。『詩經』に曰く、「茂盛の甘棠、剪る勿れ伐る勿れ、召伯ここに住みし」と。言うはこのことなり。
韓詩外伝巻第二
第一章
楚莊王圍宋,有七日之糧,曰:“盡此而不克,將去而歸。”於是使司馬子反乘闉而窺宋城。宋使華元乘闉而應之。子反曰:“子之國何若矣?”華元曰:“憊矣。易子而食之,片(左加木)骸而爨之。”子反曰:“嘻,甚矣憊!雖然,吾聞圍者之國,箝馬而秣之,使肥者應客。今何吾子之情也?”華元曰:“吾聞君子見人之困則矜之,小人見人之困則幸之。吾望見吾子似於君子,是以情也。”子反曰:“諾,子其勉之矣。吾軍有七日糧爾。”揖而去。子反告莊王,莊王曰:“若何?”子反曰:“憊矣。易子而食之,片(左加木)骸而爨之。”莊王曰:“嘻,甚矣憊·今得此而歸爾。”子反曰:“不可,吾已告之矣。曰:軍亦有七日糧爾。”莊王怒曰:“吾使子視之,子曷為而告之?”子反曰:“區區之宋猶有不欺之臣,可以楚國而無乎?吾是以告之也。”莊王曰:“雖然吾今得此而歸爾。”子反曰:“王請處此,臣請歸耳。”王曰:“子去我而歸,吾孰與處乎此?吾將從子而歸。”遂引師而歸。君子善其平乎己也。華元以誠告子反,得以解圍,全二國之命。《詩》云:“彼姝者子,何以告之?”君子善其以誠相告也。
楚荘王が宋を囲み、ただ七日の糧あり、曰く、「これらを用尽してもなお攻克せざれば、将に去りて帰らん」と。すなわち司馬子反をして土山に登りて宋城を窺看せしめた。宋は華元を遣りて土山に登りて応答せしめた。子反は曰く、「あなたの国はどうなった?」華元は曰く、「疲憊した。子を交換して食い、骸骨を劈きて火を焼く」と。子反は曰く、「ああ、疲憊することあまりに甚だしい!然りといえども、我は聞く、囲まれたる国は、馬の嘴を鉗して後料を飼い、肥えたるを出して客に応ずと。今あなたはなぜ実情を我に告ぐる?」華元は曰く、「我は聞く、君子は人の困窘を見れば憐憫し、小人は人の困窘を見れば慶幸すと。我はあなたが君子に似たるを望見し、ゆえに実情を説く」と。子反は曰く、「良し、あなたはなお努力せよ。我が軍はただ七日の糧あるのみ」と。揖を作して去った。子反は荘王に告げ、荘王は曰く、「どうか?」子反は曰く、「疲憊した。子を交換して食い、骸骨を劈きて火を焼く」と。荘王は曰く、「ああ、疲憊することあまりに甚だしい。今これを得て帰らん」と。子反は曰く、「不可、我はすでに彼に告げた。曰く、軍もまたただ七日の糧あるのみと」と。荘王は怒りて曰く、「我はあなたをして看に往かしめた、あなたはなぜ彼に告げた?」子反は曰く、「小小の宋になお欺かざる臣あり、楚国はあって然るべからざらんや?我これを以て彼に告げた」と。荘王は曰く、「然りといえども、我は今これを得て帰らん」と。子反は曰く、「王にここに留まらんことを請う、臣は帰らんことを請う」と。王は曰く、「あなたが我を離れて帰れば、我は誰とともにここに処らん?我将にあなたに随いて帰らん」と。すなわち軍隊を帯領して帰った。君子は彼らが自ら平息を求めたを許す。華元は誠を以て子反に告げ、囲困を解除し、両国の命を保全し得たり。『詩經』に曰く、「あの美好の人、何を以て彼に告げん?」君子は彼らが誠を以て相告げしを許すなり。
第二章
魯監門之女嬰相從績,中夜而泣涕。其偶曰:“何謂而泣也?”嬰曰:“吾聞衛世子不肖,所以泣也。”其偶曰:“衛世子不肖,諸侯之憂也。子曷為泣也?”嬰曰:“吾聞之,異乎子之言也。昔者宋之桓司馬得罪於宋君,出奔於魯,其對佚而展(右加馬)吾園,而食吾園之葵。是歲,吾聞園人亡利之半。越王勾踐起兵而攻吳,諸侯畏其威。魯往獻女,吾姊與焉。兄往視之,道畏而死。越兵威者吳也,兄死者,我也。由是觀之,禍與福相及也。今衛世子甚不肖,好兵,吾男弟三人,能無憂乎?”《詩》曰:“大夫跋涉,我心則憂。”是非類與乎?
魯国の監門の女嬰は同伴とともに麻を績むに、半夜に哭泣流涙す。同伴は曰く、「なぜ哭く?」嬰は曰く、「我は聞く、衛世子不肖、ゆえに哭く」と。同伴は曰く、「衛世子不肖は、諸侯の憂慮。あなたはなぜ哭く?」嬰は曰く、「我が聞く所は、あなたの説く所と同じからず。昔宋の桓司馬は宋君に罪を得て、出奔して魯に至り、その車馬は放逸して我が園を馳騁し、我が園の葵を食った。この年、我は聞く、園人は一半の利を損失すと。越王勾践は兵を起して呉を攻め、諸侯はその威を畏懼した。魯は往きて女を献じ、我が姉もまたその中に在り。兄は前往して彼女を見るに、路上にて畏懼して死した。越兵が威を施加するは呉、兄が死するは我。これより観れば、禍と福は互相牽連す。今衛世子甚だ不肖にして、用兵を喜ぶ、我に三つの弟弟あり、能く憂えざらんや?」『詩經』に曰く、「大夫跋涉すれば、我が心則ち憂う」と。是れ同類の事に非ずや?
第三章
高子問於孟子曰:“夫嫁娶者非己所自親也。衛女何以編於《詩》也?”孟子曰:“有衛女之志則可,無衛女之志則怠。若伊尹於太甲,有伊尹之志則可,無伊尹之志則篡。夫道二,常之謂經,變之謂權。懷其常道而挾其變權,乃得為賢。夫衛女行中孝,慮中聖,權如之何?”《詩》曰:“既不我嘉,不能旋反。視我不臧,我思不遠。”
高子は孟子に問うて曰く、「嫁娶は己に親しく主を為す能わざるなり。衛女はなぜ『詩經』に編入せられた?」孟子は言った。「衛女の志向あれば可、衛女の志向なくば怠慢なり。伊尹の太甲に対するがごとき、伊尹の志向あれば可、伊尹の志向なくば篡なり。道に両種あり、平常を経と謂い、権変を権と謂う。常道を懐きて変権を挟帯して、はじめて賢と為る能し。衛女は行為孝に合し、思慮聖に合す、権変はまたどうせん?」『詩經』に曰く、「すでに我を嘉許せざれば、即座に返回する能わず。我を不善と看るも、我が思念遠からず」と。
第四章
楚莊王聽朝罷晏。樊姬下堂而迎之,曰:“何罷之晏也,得無飢倦乎?”莊王曰:“今日聽忠賢之言,不知飢倦也。”樊姬曰:“王之所謂忠賢者,諸侯之客歟?國中之士歟?”莊王曰:“則沈令尹也。”樊姬掩口而笑。王曰:“姬之所笑者何等也?”姬曰:“妾得侍於玉,尚湯沐,執巾櫛,振衽席,十有一年矣。然妾未嘗不遣人之梁鄭之間,求美人而進之於王也。與妾同列者十人,賢於妾者二人。妾豈不欲擅王之愛,專王之寵哉?不敢以私願蔽眾美也,欲王之多見,則知人能也。今沈令尹相楚數年矣,未嘗見進賢而退不肖也,又焉得為忠賢乎?”莊王旦朝,以樊姬之言告沈令尹。令尹避席而進孫叔敖。叔敖治楚三年,而楚國霸。楚史援筆而書之於策曰:“楚之霸,樊姬之力也。”《詩》曰:“百爾所思,不如我所之。”樊姬之謂也。
楚荘王は聴朝の結束すること甚だ晚し。樊姫は堂を下りて迎接し、曰く、「なぜ結束することこのごとく晚き、該らず饑餓疲倦せざらんや?」荘王は曰く、「今日忠賢の言を聴き、饑餓疲倦を知らず」と。樊姫は曰く、「王の言う所の忠賢は、諸侯の賓客か、それとも国中の士か?」荘王は曰く、「則ち沈令尹」と。樊姫は口を掩い笑う。王は曰く、「姫の笑う所は何か?」姫は曰く、「妾は得て王に侍奉し、湯沐を進上し、巾櫛を持ち、衽席を整理す、十一年なり。しかるに妾は人を梁・鄭の間に派せざるなく、美人を訪求して王に進献せり。妾と同位なる者十人あり、妾に勝る者両人あり。妾は豈に王の愛を独占し王の寵を専有せんと欲せざらんや?敢えて私願を以て衆美を遮蔽せず、王をして多く見しめ、則ち能く人を知らんと欲す。今沈令尹は楚相を為すこと数年、かつて彼が賢人を進用し不肖を黜退するを見ず、またどうして忠賢と算えん?」荘王は第二天朝会し、樊姫の言を沈令尹に告げた。令尹は席位を離れて孫叔敖を進荐した。叔敖は楚を治むること三年、楚国は覇を称した。楚国の史官は筆を提げて簡策に写す、「楚の覇を称するは、樊姫の力量なり」と。『詩經』に曰く、「あなたらの想う所百様、我が前往する所に如かず」と。言うは樊姫なり。
第五章
閔子騫始見於夫子,有菜色,後有芻豢之色。子貢問曰:“子始有菜色,今有芻豢之色,何也?”閔子曰:“吾出蒹葭之中,入夫子之門。夫子內切瑳以孝,外為之陳王法,心竊樂之。出見羽蓋龍旗,旃裘相隨,心又樂之。二者相攻胸中而不能任,是以有菜色也。今被夫子之教寖深,又賴二三子切瑳而進之,內明於去就之義,出見羽蓋龍旗,旃裘相隨,視之如壇土矣,是以有芻豢之色。”《詩》曰:“如切如瑳,如錯如磨。”
閔子騫は剛て夫子を見る時、菜を食うの臉色あり、後に肉を食うの臉色あり。子貢は問う、「あなたは起初菜を食うの臉色あり、今肉を食うの臉色あり、なぜか?」閔子は曰く、「我は蒹葭の中より出で、夫子の門に入る。夫子は内に孝を以て切磋し、外に彼に王法を陳説し、心私に快楽す。出でて羽蓋龍旗・旃裘相随を見れば、心また快楽す。両様胸中にて相攻して承受する能わず、ここを以て菜を食うの臉色あり。今夫子の教を承受すること愈え深く、また諸位の切磋に靠りて前進し、内に去就の義を明白し、出でて羽蓋龍旗・旃裘相随を見れば、それらを看待すること壇上の土のごとし、ここを以て肉を食うの臉色あり」と。『詩經』に曰く、「切るがごとく磋ぐがごとく、錯るがごとく磨ぐがごとし」と。
第六章
傳曰:雩而雨者何也?曰:無何也,猶不雩而雨也。星墜木鳴,國人皆恐,何也?是天地之變,陰陽之化,物之罕至者也。怪之可也,畏之非也。夫日月之薄蝕,怪星之黨見,風雨之不時,是無世而不嘗有也。上明政平,是雖並至無傷也。上闇政險,是雖無一無益也。夫萬物之有災,人妖最可畏也。曰何謂人妖?曰枯耕傷稼,枯耘傷歲,政險失民,田穢稼惡,糴貴民飢,道有死人,寇賊並起,上下乖離,鄰人相暴,對門相盜,禮義不修,牛馬相生,六畜作妖,臣下殺上,父子相疑,是謂人妖。妖是生於亂。傳曰:天地之災,隱而廢也,萬物之怪,書不說也。無用之變,不急之察,棄而不治。若夫君臣之義,父子之親,男女之別,切瑳而不捨也。《詩》曰:“如切如瑳,如錯如磨。”
伝に記す:雨を求めて雨降るは、何のためか?曰く、何の縁故もなし、求めずとも雨降るがごとし。星墜落し樹木鳴叫すれば、国人みな恐懼す、なぜか?是れ天地の変化、陰陽の変化、物の少なく出現するなり。奇怪と覚ゆるは可、害怕するは然らず。日月薄蝕し、怪星偶然出現し、風雨時に按せざるは、どの世代にもかつて有らざるなきなり。上に在る者明にして政治平和なれば、これらたとい一起に来るも傷なし。上に在る者暗にして政治険悪なれば、これらたとい一様なくとも益なし。万物に災あり、人妖最も可怕なり。問う、何を人妖と謂う?曰く、枯耕は庄稼を傷害し、枯耘は年成を傷害し、政治険悪は民を失い、田地荒穢は庄稼悪く、粮価貴く民饑餓し、路上に死人あり、寇賊并び起り、上下乖離し、隣人互相暴虐し、門を対して互相盗竊し、礼義修めず、牛馬互相に異類を生出し、六畜妖を作し、臣下上を殺し、父子互相懐疑す、是れを人妖と謂う。妖は乱より生出するなり。伝に記す:天地の災は、隠微にして廃棄す。万物の怪は、書は解説せず。用なき変化、急ならざる審察は、拋棄して治理せず。君臣の義、父子の親、男女の分別に至っては、切磋して捨棄せず。『詩經』に曰く、「切るがごとく磋ぐがごとく、錯るがごとく磨ぐがごとし」と。
第七章
孔子曰:“口欲味,心欲佚,教之以仁。心欲安,身欲勞,教之以恭。好辯論而畏懼,教之以勇。目好色,耳好聲,教之以義。”《易》曰:“艮其限,列其殥(改歹為月),厲燻心。”《詩》曰:“吁嗟女兮,無與士耽。”皆防邪禁佚,調和心志。
孔子は言った。「口は味道を欲し、心は安逸を欲す、仁を以て教導せよ。心は安を欲し、身は労を欲す、恭を以て教導せよ。弁論を喜びて畏懼するは、勇を以て教導せよ。眼は色を喜び、耳は声を喜ぶ、義を以て教導せよ。」『周易』に曰く、「腰部を止住し、脊肉裂開し、危険心を燻す」と。『詩經』に曰く、「嘆くべきかな女子、男子とともに耽溺する勿れ」と。みな邪僻を防止し安逸を禁止し、心志を調和するなり。
第八章(以下はしばらく注を録せず)
高牆豐上激下,未必崩也。降雨興,流潦至,則崩必先矣。草木根荄淺,未必撅也。飄風興,暴雨墜,則撅必先矣。君子居是邦也,不崇仁義,尊其賢臣,以理萬物,未必亡也。一旦有非常之變,諸侯交爭,人趨車馳,迫然禍至,乃始愁憂,幹喉焦唇,仰天而嘆,庶幾乎望其安也,不亦晚乎?孔子曰:“不慎其前而悔其後,嗟乎!雖悔無及矣。”《詩》曰:“惙其泣矣,嗟何及矣!”
高墻は上部豊厚にして下部峻急なるも、未必しも崩塌せず。降雨興り流潦至れば、則ち崩塌は必ず先に発生す。草木は根浅きも、未必しも拔起せられず。飄風興り暴雨落下すれば、則ち拔起は必ず先に発生す。君子はこの邦に住み、仁義を崇尚せず、賢臣を尊崇せずして、万物を治理すれば、未必しも滅亡せず。一旦有す非常の変故、諸侯交相争奪し、人奔跑し車馳騁し、禍迫然として来れば、はじめて愁憂し、喉嚨乾き嘴唇焦げ、天を仰ぎて叹息し、差不多安定を求めんと希望す、また晚からずや?孔子は言った。「謹慎せず前にして后悔せり後に、嘆くべきかな!后悔するも以及ばざらん。」『詩經』に曰く、「抽泣せり、嘆くもどこに以及ばん!」
第九章
曾子曰:“君子有三言,可貫而佩之。一曰無內踈而外親,二曰身不善而怨他人,三曰患至而後呼天。”子貢曰:“何也?”曾子曰:“內疏而外親,不亦反乎?身不善而怨他人,不亦遠乎?患至而後呼天,不亦晚乎?”《詩》曰:“惙其泣矣,嗟何及矣!”
曾子は言った。「君子に三句の言あり、貫通して佩带すべし。一は内裏疏遠にして外面親近する勿れ、二は自身不善にして人を怨む勿れ、三は禍患至りて然る後に天を呼ぶ勿れ。」子貢は曰く、「なぜか?」曾子は曰く、「内裏疏遠にして外面親近するは、また相反せざるか?自身不善にして人を怨むるは、また遠からざるか?禍患至りて然る後に天を呼ぶは、また晚からざるか?」『詩經』に曰く、「抽泣せり、嘆くもどこに以及ばん!」
第十章
夫霜雪雨露,殺生萬物者也,天無事焉,猶之貴天也。執法厭文,治官治民者,有司也,君天事焉,猶之尊君也。夫闢土殖穀者后稷也,決江疏河者禹也,聽獄執中者皋陶也。然而有聖名者堯也。故有道以御之,身雖無能也,必使能者為己用也。無道以御之,彼雖多能,猶將無益於存亡矣。《詩》曰:“執轡如組,兩驂如舞。”貴能御也。
霜雪雨露は、万物を殺生するなり、天は事を為さず、なお天を尊貴す。執法は条文に満足し、官を治理し民を治理するは、有司なり、君は事を為さず、なお君を尊崇す。土地を開辟し谷を種植するは后稷、江を決開し河を疏通するは禹、獄を聴き中を執るは皋陶なり。しかるに聖名あるは堯なり。ゆえに道ありて駕馭すれば、自身たとい能なくとも、必ず能ある者をして己のために用いられしむ。道なきに駕馭すれば、あの人らたとい能多くとも、存亡に対してはなお益なし。『詩經』に曰く、「轡を執るは織組のごとく、両驂は舞蹈のごとし」と。貴ぶべきは能く駕馭するなり。
第十一章
傳曰:孔子云:美哉顏無父之御也,馬知後有輿而輕之,知上有人而愛之。馬親其正而愛其事,如使馬能言,彼將必曰:“樂哉!今日之騶也!”至於顏淪,少衰矣。馬知後有輿而輕之,知上有人而敬之。馬親其正而敬其事,如使馬能言,彼將必曰:“騶來,其人之使我也!”至於顏夷而衰矣。馬知後有輿而重之,知上有人而畏之。馬親其正而畏其事,如使馬能言,彼將必曰:“騶來!騶來!女不騶,彼將殺女。”故御馬有法矣,御民有道矣。法得則馬和而歡,道得則民安而集。《詩》曰:“執轡如組,兩驂如舞。”此之謂也。
伝に記す:孔子は言った。美好かな顔無父の駕馭、馬は後ろに車あるを知りて輕と覚え、上に人あるを知りて彼を愛す。馬はその正を親しみその事を愛す、もし馬能く言わば、それは必ず曰わん、「快楽かな!今日の馳駆!」と。顔淪に至れば、稍や衰減した。馬は後ろに車あるを知りて輕と覚え、上に人あるを知りて彼を敬う。馬はその正を親しみその事を敬う、もし馬能く言わば、それは必ず曰わん、「馳駆来れり、あの人は我を役使せん!」と。顔夷に至れば則ち衰減した。馬は後ろに車あるを知りて重と覚え、上に人あるを知りて彼を怕る。馬はその正を親しみその事を怕る、もし馬能く言わば、それは必ず曰わん、「馳駆来れり!馳駆来れり!汝馳駆せざれば、彼は汝を殺さん」と。ゆえに馬を駕馭するに法あり、民を駕馭するに道あり。法当を得れば則ち馬和諧して歓喜し、道当を得れば則ち民安定して聚集す。『詩經』に曰く、「轡を執るは織組のごとく、両驂は舞蹈のごとし」と。言うはこのことなり。
