Libo

第二十九章

西汉 · 韩婴 · 第5巻 / 8

德也者,包天地之大,配日月之明,立乎四時之周,臨乎陰陽之交。寒暑不能動也,四時不能化也。斂乎太陰而不溼,散乎太陽而不枯。鮮潔清明而備,嚴威毅疾而神。至精而妙乎天地之間者,德也。微聖人其孰能與於此矣!《詩》曰:“德輶如毛,民鮮克舉之。”

德は、天地を包羅するの大、日月に匹配するの明、四時の循環に立ち、陰陽の交接を臨視す。寒暑は動搖する能わず、四時は變化する能わず。太陰に收斂して濕らず、太陽に散布して枯れず。鮮潔清明にして完備し、嚴威剛毅迅疾にして神なり。至精にして天地の間に妙なるは、德なり。聖人に非ざれば誰かこれに參與せんや!『詩經』に曰く、「德は輕きこと毛のごとし、民はこれを擧げる能くする少なし」と。

第三十章

如歲之旱,草不潰茂。然天悖然興云,沛然下雨,則萬物無不興起之者。民非無仁義根於心者也,王政怵迫而不得見。憂鬰而不得出,聖王在被躧舄。視不出合,動而天下隨,倡而天下和。何如在此有以應哉?《詩》曰:“如彼歲旱,草不潰茂。”

年歲乾旱のごとき、草は潰爛茂盛せず。しかるに天は勃然として雲を興起し、沛然として雨を下せば、則ち萬物に興起せざるなし。民は仁義心に根ざるなきに非ず、王政急迫して顯現する能わざるなり。憂鬱悶にして出づる能わず、聖王は躧舄を穿着す。視線は合を出でず、一たび動けば天下跟隨し、一たび唱えれば天下應和す。なぜここに以て應和する有らんや?『詩經』に曰く、「あの歲旱のごとく、草は潰爛茂盛せず」と。

第三十一章

道者何也?曰:君之所道也。君者何也?曰:群也,能群天下萬物而除其害者,謂之君。王者何也?曰:往也。天下往之謂之王。曰:善生養人者,故人尊之。善辯治人者,故人安之。善顯設人者,故人親之。善粉飾人者,故人樂之。四統者具,而天下往之。四統無一,而天下去之。往之謂之王,去之謂之亡。故曰道存則國存,道亡則國亡。夫省工商,眾農人,謹盜賊,除奸邪,是所以生養之也。天子三公,諸侯一相,大夫擅官,士保職,莫不治理,是所以辯治之也。決德而定次,量能而授官,賢以為三公,以為諸侯,次則為大夫,是所以顯設之也。修冠弁衣裳,黼黻文章,琱琢刻縷,皆有等差,是所以粉飾之也。故自天子至於庶人,莫不稱其能,得其意,安樂其事,是所同也。若夫重色而成文,累味而備珍,則聖人所以分賢愚,明貴賤。故道得則澤流群生,而福歸王公,澤流群生則下安而和,福歸王公則上尊而榮。百姓皆懷安和之心,而樂戴其上,夫是之謂下治而通。下治而上通,頌聲之所以興也。《詩》曰:“降福簡簡,威儀昄昄。既醉既飽,福祿來反。”

道とは何か?曰く、是れ君の經由する所なり。君とは何か?曰く、是れ群なり、能く天下萬物を群聚してあの害を除去するを、君と謂う。王とは何か?曰く、是れ往なり。天下歸往するを王と謂う。曰く、善く人を生養する、ゆえに人は尊崇す。善く人を辨别治理する、ゆえに人は安定す。善く人を顯設する、ゆえに人は親近す。善く人を粉飾する、ゆえに人は快樂す。四統具備して、而して天下歸往す。四統は一樣もなく、而して天下離去す。歸往するを王と謂い、離去するを亡と謂う。ゆえに曰く道存在すれば則ち國存在し、道滅亡すれば則ち國滅亡すと。工商を減省し、農人を增多し、盜賊を謹慎して對待し、奸邪を除去するは、以て生養するなり。天子三公、諸侯一個の相、大夫は官職を專擅し、士は職分を保守し、治理せざるなし、是れ以て辨别治理するなり。德を決斷して等次を確定し、能を衡量して官を授け、賢は三公を爲し、諸侯を爲し、次等は則ち大夫を爲すは、是れ以て顯設するなり。冠弁衣裳を修飾し、黼黻文章、雕琢刻鏤は、みな等差あり、是れ以て粉飾するなり。ゆえに天子より庶人に至るまで、その能に稱せざるなく、その意を得、その事を安樂す、是れ相同じきなり。顏色を重疊して文を成し、滋味を累積して珍を備うるに至っては、則ち聖人の以て賢愚を分別し貴賤を顯明する所なり。ゆえに道當を得れば則ち恩澤は群生に流向し、而して福は王公に歸す、恩澤は群生に流向すれば則ち下は安定して和諧し、福は王公に歸すれば則ち上は尊貴して榮耀す。百姓はみな安和の心を懷きて、而してその上を擁戴するを樂しむ、これを則ち下治して通ずと謂う。下治して上通ずれば、頌聲の興起する所以なり。『詩經』に曰く、「降下する福盛大、威儀壯盛。すでに醉いすでに飽き、福祿は返回して來る」と。

第三十二章

聖人養性而御六氣,持一命而節滋味,奄治天下,不遺其小,存其精神,以補其中,謂之志。《詩》曰:“不競不絿,不剛不柔。”言得中也。

聖人は性を養い六氣を駕馭し、一命を持守して滋味を節制し、奄然として天下を治理し、あの小を遺漏せず、その精神を保存し、以てその中を補益す、これを志と謂う。『詩經』に曰く、「競争せず急躁せず、剛猛せず柔軟せず」と。是れ中を得るを言うなり。

第三十三章

朝廷之士為祿,故入而不能出。山林之士為名,故往而不能返。入而亦能出,往而亦能返,通移有常,聖也。《詩》曰:“不競不絿,不剛不柔。”言得中也。

朝廷の士は祿のために、ゆえに進入して出づる能わず。山林の士は名のために、ゆえに前往して返回する能わず。進入しても出づる能く、前往しても返回する能く、流通轉移に常規あるは、聖なり。『詩經』に曰く、「競争せず急躁せず、剛猛せず柔軟せず」と。是れ中を得るを言うなり。

第三十四章

孔子侍坐於季孫,季孫之宰通曰:“君使人假馬,其與之乎?”孔子曰:“吾聞君取於臣謂之取,不曰假。”季孫悟,告宰通,曰:“自今以往,君有取謂之取,無曰假。”故孔子正假馬之名,而君臣之義定矣。《論語》曰:“必也正名乎。”《詩》曰:“君子無易由言。”言名正也。

孔子は季孫の所に陪坐し、季孫の宰通は曰く、「君は人を派して馬を借らんと來る、彼に給えんか?」孔子は言った。「我は聞く、君は臣より取るを取と謂い、借と言わずと」と。季孫は覺悟し、宰通に告げて曰く、「今より後、君の取有るを取と謂え、借と言う勿れ」と。ゆえに孔子は馬を借るの名を端正し、而して君臣の義は則ち定まった。『論語』に曰く、「必ず名を端正せんか」と。『詩經』に曰く、「君子は輕易に發言する勿れ」と。是れ名端正なるを言うなり。

韓詩外傳卷第六

第一章

比干諫而死。箕子曰:“知不用而言,愚也。殺身以彰君之惡,不忠也。二者不可,然且為之,不祥莫大焉。”遂解髪佯狂而去。君子聞之曰:“勞矣箕子!盡精神,竭其忠愛。見比干之事免其身,仁知之至。”《詩》曰:“人亦有言,靡哲不愚。”

比干は進諫して死したり。箕子は曰く、「用いられざるを知りて却って説くは、愚なり。身を殺して君の惡を彰顯するは、忠に非ず。兩樣とも可ならずして、却って之を爲すは、不祥これより大なるなし」と。すなわち頭髮を解きて發狂を假裝して離去した。君子は聞きて後曰く、「勞累せるかな箕子!精神を用盡し、忠愛を竭盡す。比干の事を見て自身を免れたるは、仁智の極至なり」と。『詩經』に曰く、「人もまた言あり、哲人あらざれば愚を顯せず」と。

第二章

齊桓公見小臣,三往不得見。左右曰:“夫小臣國之賤臣也,君三往而不得見,其可已矣。”桓公曰:“惡!是何言也?吾聞之,布衣之士,不欲富貴,不輕身於萬乘之君。萬乘之君,不好仁義,不輕身於布衣之士。縱夫子不欲富貴可也,吾孬仁義不可也。”五往而得見也。天下諸侯聞之,謂桓公猶下布衣之士,而況國君乎?於是相率而朝,靡有不至。桓公之所以九合諸侯,一匡天下者,此也。《詩》曰:“有覺德行,四國順之。”

齊桓公は小臣を見に往き、三次往きて見る能わず。左右は曰く、「あの小臣は國の賤臣、君は三次往きて見る能わざれば、停止すべし」と。桓公は曰く、「可惡!これは何の言か?我は聞く、布衣の士は、富貴を欲せざれば、則ち萬乘の君に對して自身を看輕せず。萬乘の君は、仁義を愛好せざれば、則ち布衣の士に對して自身を看輕せず。たとい夫子は富貴を欲せざる可なり、我は仁義を好まざる可ならず」と。五次往きて始めて見るを得たり。天下の諸侯は聞きて、桓公はなお布衣の士に謙下す、まして國君においてをや?すなわち相繼いで來朝し、至らざるなし。桓公の九合諸侯し一匡天下する所以は、則ちこれなり。『詩經』に曰く、「正直の德行有りて、四國はこれに順從す」と。

第三章

賞勉罰偷,則民不怠。兼聽齊明,則天下歸之。然後明其分職,考其事業,較其官能,莫不治理,則公道達而私門塞,公義立而私事息。如是則得厚者進,而佞諂者止,食戾者退,而廉節者起。《周制》曰:“先時者死無赦。”人之事使,如耳目鼻口之不可相借也。故曰:職分而民不慢,次定而序不亂,兼聽齊明而事不留。如是則群下百吏,莫不修己,然後敢安仕。誠能然後敢受職。小人易心,百姓易俗,奸宄之屬莫不反愨。夫是之為政教之極,。則不可加矣。《詩》曰:“籲謨定命,遠猷辰告。敬慎威儀,惟民之則。”

賞は勉勵し罰は偷惰すれば、則ち民は怠慢せず。兼聽齊明すれば、則ち天下歸向す。然る後に職分を顯明し、事業を考覈し、官能を比較し、治理せざるなければ、則ち公道通達して私門堵塞し、公義樹立して私事止息す。このごとくなれば則ち惇厚は進用せられ、而して佞諂は停止し、貪戾は黜退せられ、而して廉節は興起す。『周制』に曰く、「時に先んずるは死して赦免せず」と。人の事使は、耳目鼻口の互相借用すべからざるがごとし。ゆえに曰く、職分あれば民は怠慢せず、等次定まれば次序亂れず、兼聽齊明して事滞留せずと。このごとくなれば則ち群下百吏は、修養自己せざるなく、然る後に敢えて仕に安んず。真誠能ありて然る後に敢えて職を受く。小人は心を改變し、百姓は俗を改變し、奸宄の類は樸實に返回せざるなし。これを則ち政教の極至と謂い、則ち再加すべからず。『詩經』に曰く、「大謀劃は命を確定し、遠猷は時に按じて宣告す。威儀を敬慎するは、是れ民の法則なり」と。

第四章

子路治蒲三年,孔子過之,入其境而善之,曰:“善哉!由恭敬以信矣。”入其邑,曰:“善哉1由忠信以寬矣。”至其庭,曰:“善哉!由明塞以斷矣。”子貢執轡而問曰:“夫子未見由,而三稱善,可得聞乎?”孔子曰:“我入其境,田疇甚易,草萊甚闢。此恭敬以信,故其民盡力。入其邑,墉屋甚尊,樹木甚茂。此忠信以寬,故其民不偷。入其庭,甚閒,故其民不擾也。”《詩》曰:“夙興夜寐,灑掃庭內。”

子路は蒲を治理すること三年、孔子は經過し、境內に入れば則ち善と稱し、曰く、「好しかな!由は恭敬して信有り」と。その邑に入れば、曰く、「好しかな!由は忠信して寬なり」と。その庭に至れば、曰く、「好しかな!由は明察して能く決斷す」と。子貢は轡を握りて問うた、「夫子はいまだ由を見ずして、三たび善と稱す、聽くべきか?」孔子は言った。「我は境內に入れば、田疇甚だ平整、草萊甚だ開闢せり。是れ恭敬して信有る、ゆえにその民は力を盡す。その邑に入れば、墻屋甚だ尊崇、樹木甚だ茂盛す。是れ忠信して寬なる、ゆえにその民は苟且せず。その庭に入れば、甚だ清閒、ゆえにその民は擾亂せられず」と。『詩經』に曰く、「早起晩睡し、庭內を洒掃す」と。

第五章

古者必有命民,民有能敬長憐孤,取捨好讓居事力者,命於其君,命然後得乘飾車駢馬。未得命者不得乘,乘者皆有罰。故其民雖有餘財侈物,而無禮義功德,則無所用。故其民皆興仁義而賤財利。賤財利則不爭,則強不陵弱,眾不暴寡,是唐虞之所以舉象刑,而民莫犯法。民莫犯法,而亂斯止矣。《詩》曰:“告爾人民,謹爾侯度,用戒不虞。”

古代は必ず命を受けた民あり、民に能く長者を尊敬し孤兒を憐憫し、取捨謙讓を喜好し、事に居りて力を盡す有れば、君に任命せられ、任命して然る後に能く裝飾の車・竝列の馬に乘る。任命を得ざるは乘る能わず、乘るはみな罰あり。ゆえにその民はたとい餘財侈物有るも、而して禮義功德なければ、則ち用處なし。ゆえにその民はみな仁義を興起して財利を看輕す。財利を看輕すれば則ち爭わず、則ち強は弱を欺凌せず、衆は寡を暴虐せず、是れ唐虞のただ象刑を用いて、而して民に法を犯す人なき所以なり。民に法を犯す人なく、而して亂は則ち止住す。『詩經』に曰く、「あなたの人民に告げ、あなたの侯の法度を謹慎し、以て意外を警戒せよ」と。

第六章

天下之辯有三至三勝,而辭直為下。辯者,別殊類,使不相害,序異端,使不相悖,輸志通意,揭其所謂,使人預知焉,不務相迷也。是勝者不失所守,不勝者得其所求,故辯可觀也。夫繁文以相假,飾辭以相悖,數譬以相移,外人之身使不得反其意,則論使然後害生也。夫不疏其指而弗知謂之隱,外意外身謂之諱,幾廉何跌謂之移,指緣謬辭謂之茍。四者君子所不為也,故理可同睹也。夫隱、諱、移、茍,爭言競為而後息,不能無害其為君子也,故君子不為也。《論語》曰:“君子於其言,無所茍而已矣。”《詩》曰:“無易由言,無曰茍矣。”

天下の辯論に三至三勝あり、而して辭直は下等なり。辯論は、同じからざる類を分別し、彼らをして相害せざらしめ、異端を排列し、彼らをして相悖せざらしめ、志向を輸送し意を通達し、説く所を揭示し、人をして預め知らしめ、務めて互相迷惑せず。ここを以て勝つは守る所を失わず、勝たざるは求むる所を得、ゆえに辯論は觀看すべし。繁文を以て互相假借し、飾辭を以て互相悖亂し、多數譬喻を以て互相轉移し、別人の身を外に置きて能くあの意に返回せざらしめば、則ち論説は使して然る後に害生出す。あの指意を疏通せずして知らざるを隱と謂い、意を外して身を諱と謂い、ほぼ廉潔にして跌落するを移と謂い、指意が謬誤の辭に緣るを苟と謂う。四樣は君子の爲さざる所、ゆえに理は以て一同に觀看すべし。隱・諱・移・苟は、爭い言い競い爲して然る後に止息す、君子を爲すに害なき能わず、ゆえに君子は爲さず。『論語』に曰く、「君子はその言に於いて、苟且なきのみ」と。『詩經』に曰く、「輕易に發言する勿れ、苟且を説く勿れ」と。

第七章

吾語子,夫服人之心,高上尊貴不以驕人,聰明聖知不以幽人,勇猛強武不以侵人,齊給便捷不以欺誣人。不能則學,不知則問。雖知必讓,然後為知。遇君則修臣下之義,出鄉則修長幼之義,遇長老則修子弟之義,遇等夷則修朋友之義,遇少而賤者則修告道寬裕之義。故無不愛也,無不敬也,無與人爭也,曠然而天地苞萬物也。如是,則老者安之,少者懷之,朋友信之。《詩》曰:“惠於朋友,庶民小子,子孫承承,萬民靡不承。”

我はあなたに告げん、人を服するの心は、高上尊貴は以て人に驕傲せず、聰明聖智は以て人を幽暗にせず、勇猛強武は以て人を侵陵せず、敏捷快速は以て人を欺騙せず。能わざれば則ち學び、知らざれば則ち問え。たとい知るとも必ず謙讓し、然る後に纔めて知と算す。君に遇えば則ち臣下の義を修養し、鄉を出でれば則ち長幼の義を修養し、長老に遇えば則ち子弟の義を修養し、同等に遇えば則ち朋友の義を修養し、年少にして賤なるに遇えば則ち告道寬裕の義を修養す。ゆえに愛せざるなく、敬せざるなく、人と爭うなく、曠然として天地の萬物を包裹するがごとし。このごとくなれば、則ち老いたるは安んじ、少なきは懷い、朋友は信任す。『詩經』に曰く、「朋友に惠及し、庶民小子、子孫は繼承し、萬民に承受せざるなし」と。

第八章

仁者必敬其人。敬其人有道,遇賢者則愛親而敬之,遇不肖者則畏疎而敬之。其敬一也,其情二也。故夫忠信端愨而不害傷,則無接而不然,是仁之質也。仁以為質,義以為理,開口無不可以為人法式者。《詩》曰:“不僭不賊,鮮不為則。”

仁者は必ずあの人を尊敬す。あの人を尊敬するに道あり、賢者に遇えば則ち愛親して尊敬し、不肖者に遇えば則ち畏疏して尊敬す。あの敬は一樣、あの情は兩樣なり。ゆえに忠信端謹して傷害せざれば、則ち交接こうでないはなし、是れ仁の質なり。仁を以て質と爲し、義を以て理と爲し、口を開きて人の法式と爲るべからざるなし。『詩経』に曰く、「差失せず賊害せず、法則を爲さざる少なし」と。

第九章

子曰:“不學而好思,雖知不廣矣。學而慢其身,雖學不尊矣。不以誠立,雖立不久矣。誠未著而好言,雖言不信矣。美材也,而不聞君子之道,隱小物以害大物者,災必及其身矣。”《詩》曰:“其何能淑,載胥及溺。”

孔子は言った。「學習せずして思を喜ぶは、たとい知るとも廣からず。學習して自身を怠慢するは、たとい學ぶとも尊からず。誠を以て立たざれば、たとい立つとも久しからず。誠いまだ顯著せずして説を喜ぶは、たとい説くとも信ぜられず。美材にして、而して君子の道を聞かず、小物を隱藏して大物を傷害するは、災は必ずその身に至らん」と。『詩經』に曰く、「それどうして能く善ならん、將にともに陷溺せん」と。

第十章

民勞思佚,治暴思仁,刑危思安,國亂思天。《詩》曰:“靡有旅力,以念穹蒼。”

民は勞累すれば則ち安逸を思念し、治理暴虐なれば則ち仁を思念し、刑罰危險なれば則ち安定を思念し、國亂れば則ち天を思念す。『詩經』に曰く、「衆力なく、以て蒼天を思念す」と。

第十一章

問者曰:“古之知道者曰先生,何也?”曰:“猶言先醒也。不聞道術之人,則冥於得失。不知治亂之所由,故世主有先生者,有後生者,有不生者。昔者楚莊王謀事而當,居有憂色。申公巫臣問曰:‘王何為有憂也?’莊王曰:‘吾聞諸侯之德,能自取師者王,能自取友者霸,而與居不若其身者亡。以寡人之不肖也,諸大夫之論莫有及於寡人,是以憂也。’莊王之德宜君人,威服諸侯,曰猶恐懼,思索賢佐,此其先生者也。昔者宋昭公出亡,謂其御曰:‘吾知所以亡矣。’御者曰:‘何哉?’昭公曰:‘吾被服而立,侍御者數十人,無不曰吾君麗者也。吾發言動事,朝臣數百人,無不曰吾君聖者也。吾外內不見吾過失,是以亡也。’於是改操易行,安義行道,不出二年而美聞於宋。宋人迎而復之,諡為昭。此其後生者也。昔郭君出郭,謂其御者曰:‘吾渴欲飲。’御者進清酒。曰:‘吾飢欲食。’御者進幹脯粱糗。曰:‘何備也?’御者曰:‘臣儲之。’曰:‘奚儲之?’御者曰:‘為君之出亡而道飢渴也。’曰:‘子知吾且亡乎?’御者曰:‘然。’曰:‘何以不諫也?’御者曰:‘君喜道諛而惡至言。臣欲進諫,恐先郭亡,是以不諫也。’郭君作色而怒曰:‘吾所以亡者,誠何哉?’御轉其辭曰:‘君之所以亡者,太賢。’曰:‘夫賢者所以不為存而亡者,何也?’御曰:‘天下無賢而君獨賢,是以亡也。’曰:‘嗟呼!夫賢人如此苦乎?’於是身倦力解,枕御膝而臥。御自易以備,疎行而去。身死中野,為虎狼所食。此其不生者。故先生者,當年而霸,楚莊王是也。後生者,三年而復,宋昭公是也。不生者,死中野,為虎狼所食,郭君是也。”《詩》曰:“聽言則對,誦言如醉。”

問う人は曰く、「古代は道を知るを先生と謂う、なぜか?」曰く、「先醒を説くがごとし。道術を聞かざる人は、則ち得失に於いて冥昧す。治亂の由來を知らず、ゆえに世主に先生の有り、後醒の有り、不醒の有り。昔楚莊王は事を謀劃して當を得、閑居して憂色あり。申公巫臣は問う、『王はなぜ憂有る?』莊王は曰く、『我は聞く、諸侯の德は、能く自ら老師を選取するは王と稱し、能く自ら朋友を選取するは覇と稱し、而して自身に如かざる人と同居するは滅亡すと。寡人の不肖を以て、諸大夫の議論は寡人に趕上するなく、ここを以て憂う』と。莊王の德は人君たるに適宜し、諸侯を威服し、なお恐懼し、賢佐を思索す、是れあの先醒なり。昔宋昭公は出亡し、駕車するに對して曰く、『我は滅亡する所以を知れり』と。駕車するは曰く、『なぜか?』昭公は曰く、『我は衣服を穿着して立つに、侍御數十人、吾君美麗と言わざるなし。我は言を發し事を爲すに、朝臣數百人、吾君聖明と言わざるなし。我は內外に我が過失を見ず、ここを以て滅亡せり』と。すなわち操守を改變し品行を改易し、義に安んじて道を實行し、二年を出でずして美名は宋に傳わった。宋人は迎接して彼を恢復し、諡號は昭と爲す。是れあの後醒なり。昔郭君は郭を出でて、駕車するに對して曰く、『我は渴きて飲まんと欲す』と。駕車するは淸酒を進上す。曰く、『我は餓えて食わんと欲す』と。駕車するは干脯粱糗を進上す。曰く、『なぜ預備した?』駕車するは曰く、『臣は儲備した』と。曰く、『なぜ儲備した?』駕車するは曰く、『君の出亡して路上饑渴するを以て』と。曰く、『あなたは我が將に滅亡せんを知ったか?』駕車するは曰く、『是れ』と。曰く、『なぜ進諫せざった?』駕車するは曰く、『君は諂諛を喜び直言を厭惡す。臣は進諫せんと欲すも、郭に先んじて滅亡するを怕り、ここを以て進諫せず』と。郭君は色を變じ怒りて曰く、『我の滅亡する所以は、究竟何か?』駕車するは辭を轉變して曰く、『君の滅亡する所以は、太だ賢なればなり』と。曰く、『賢者の保存せずして滅亡する所以は、なぜか?』駕車するは曰く、『天下に賢なくして君獨り賢なり、ここを以て滅亡せり』と。曰く、『嘆くべきかな!賢人はこう苦しむか?』すなわち身體疲倦し力氣鬆懈し、駕車するの膝を枕にして卧したり。駕車するは自ら預備を換上し、疏行して離去したり。身は野中に死し、虎狼に食われたり。是れあの不醒なり。ゆえに先醒は、當年に覇を稱す、楚莊王則ち是れ。後醒は、三年に恢復す、宋昭公則ち是れ。不醒は、野中に死し、虎狼に食わる、郭君則ち是れ」『詩經』に曰く、「話を聞きて則ち應答し、誦讀の言は醉のごとし」と。

第十二章

由常弒簡公,乃盟於國人曰:“不盟者死及家。”石他曰:“古之事君者,死其君之事。舍君以全親,非忠也。舍親以死君之事,非孝也。他則不能。然不盟是殺吾親也,從人而盟,是背吾君也。嗚呼!生乎亂世不得正行,劫乎暴人,不得全義。悲夫!”乃進盟以免父母,退伏劍以死其君,聞之者曰:“君子哉!安之命矣。”《詩》曰:“人亦有言,進退惟谷。”

田常は簡公を弑殺し、すなわち國人と結盟して曰く、「結盟せざるは死全家に及ぶ」と。石他は曰く、「古代君に事奉するは、君の事に死す。君を捨棄して親を保全するは、忠に非ず。親を捨棄して君の事に死するは、孝に非ず。彼は則ち能わず。しかるに結盟せざれば則ち我が親を殺す、人に跟って結盟するは、我が君を背叛す。嗚呼!亂世に生れて品行を端正する能わず、暴人に劫持せられて、義を保全する能わず。悲しきかな!」すなわち進みて結盟して以て父母を免れ、退きて劍に伏して以て君に死したり。聞く人は曰く、「君子かな!命に安んず」と。『詩經』に曰く、「人もまた言あり、進退みな山谷なり」と。

第十三章

《易》曰:“困於石,據於蒺藜,入於其宮,不見其妻,兇。”此言困而不見據賢者也。昔者秦繆公困於殽,疾據五羖大夫、蹇叔、公孫支而小霸。晉文公困於驪氏,疾據咎犯、趙衰、介子推而遂為君。越王勾踐困於會稽,疾據范蠡、大夫種而霸南國。齊桓公困於長勺,疾據管仲、甯戚、隰朋而匡天下。此皆困而知廣告據賢人者也。夫困而不知廣告據賢人而不亡地,未嘗有之也。《詩》曰:“人之雲亡,邦國殄瘁。”無善人之謂也。

『周易』に曰く、「石に困み、蒺藜に憑り、あの宮に入りて、妻子を見ず、凶」と。是れ困んで賢者を據守せざるを言うなり。昔秦繆公は殽に困み、急切に五羖大夫・蹇叔・公孫支を據守して小覇せり。晋文公は驪氏に困み、急切に咎犯・趙衰・介子推を據守して終に君と爲れり。越王勾踐は會稽に困み、急切に范蠡・大夫種を據守して南國に覇せり。齊桓公は長勺に困み、急切に管仲・寧戚・隰朋を據守して天下を匡正せり。これらはみな困んで賢人を據守するを知るなり。困んで賢人を據守するを知らずして滅亡せざるは、いまだかつて有らず。『詩經』に曰く、「人亡去せり、邦國困病す」と。言うは善人なきなり。

第十四章

孟子說齊宣王而不說。淳于髠侍。孟子曰:“今說公之君,公之君不說,意者其未知善之為善乎?”淳于髠曰:“夫子亦誠無善耳。昔者瓠巴鼓取長瑟而潛魚出聽,伯牙鼓琴而六馬仰秣。魚馬猶知善之為善,而況君人者也?”孟子曰:“夫電雷之起也,破竹折木,震驚天下,而不能使聾者卒有聞。日月之明,徧照天下,而不能使盲者卒有見。今公之君若此也。”淳于髠曰:“不然。昔者揖封生高商,齊人好歌。杞梁之妻悲哭,而人稱詠。夫聲無細而不聞,行無隱而不形。夫子茍賢,居魯而魯國之削,何也?”孟子曰:“不用賢,削何有也?吞舟之魚不居潛澤,度量之土不居汙世。夫蓻冬至必雕,吾亦時矣。《詩》曰:‘不自我先,不自我後。’非遭雕世者歟?”

孟子は齊宣王に游説して喜悅せられず。淳于髠は陪侍す。孟子は曰く、「今あなたの君に游説すれど、あなたの君は喜悅せず、恐らく彼はいまだ善の善なるを知らざるか?」淳于髠は曰く、「夫子もまた實に善なきのみ。昔瓠巴は瑟を鼓して潛魚は出でて聽き、伯牙は琴を鼓して六馬は頭を擡げて料を食えり。魚馬はなお善の善なるを知る、まして人君たるにおいてをや?」孟子は曰く、「電雷興起し、竹を破り木を折り、天下を震驚す、しかるに聾の人をして突然聞有らしむる能わず。日月の明は、遍く天下を照らす、しかるに盲の人をして突然見有らしむる能わず。今あなたの君は則ちこのごとし」と。淳于髠は曰く、「然らず。昔揖封は高商に生れ、齊人は歌唱を喜べり。杞梁の妻は悲哭して、而して人は傳誦せり。聲音に細微にして聞かれざるなく、行爲に隱微にして顯現せざるなし。夫子もし賢なれば、魯に住みて魯國削られたるは、なぜか?」孟子は曰く、「賢を用いず、削られたる何かあらん?舟を吞む魚は淺澤に住まず、度量有る士は汚世に住まず。草木は冬至に至れば必ず凋落す、我もまた時運なり。『詩經』に曰く、『我の前に在らず、我の後に在らず』と。凋落の世に遭遇するに非ずや?」

第十五章

孔子曰:“可與言終日而不倦者,其惟學乎。其身體不足觀也,勇力不足憚也,族姓不足稱也,宗宜不足道也,然而可以聞於四方,而昭於諸侯者,其惟學乎。”《詩》曰:“不愆不忘,率由舊章。”夫學之謂也。

孔子は言った。「彼と終日談論して疲倦せざるべきは、ほぼ學のみあらん。身體は以て觀看するに足らず、勇力は以て人を怕らしむるに足らず、族姓は以て稱道するに足らず、宗族は以て稱説するに足らず、しかるに以て四方に聞え、而して諸侯に昭著するは、ほぼ學のみあらん」と。『詩經』に曰く、「過失を愆らず忘れず、旧の章程に遵循せよ」と。言うは學なり。

第十六章

子曰:“不知命,無以為君子。”言天之所生,皆有仁義禮智順善之心。不知天之所以命生,則無仁義禮智順善之心。無仁義禮智順善之心,謂之小人。故曰:“不知命,無以為君子。”《小雅》曰:“天保定爾,亦孔之固。”言天之所以仁義禮智,保定人之甚固也。《大雅》曰:“天生蒸民,有物有則。民之秉彝,好是懿德。”言民之秉德以則天也。不知所以則天,又焉得為君子乎?

孔子は言った。「命を知らざれば、君子を爲す由なし」と。是れ天の生ずる所は、みな仁義禮智順善の心有りを言うなり。天の命生する所以を知らざれば、則ち仁義禮智順善の心なし。仁義禮智順善の心なくば、これを小人と謂う。ゆえに曰く、「命を知らざれば、君子を爲す由なし」と。『小雅』に曰く、「天はあなたを保佑安定し、また甚だ牢固なり」と。是れ天の仁義禮智を以て、人を保佑安定する甚だ牢固なるを言うなり。『大雅』に曰く、「天は衆民を生じ、物有り法則有り。民は常性を秉持し、こ美德を愛好す」と。是れ民が德を秉持して天を效法するを言うなり。天を效法する所以を知らざれば、またどこに能く君子を爲さんや?

第十七章

王者必立牧,方三人,使窺遠牧眾也。遠方之民有飢寒而不得衣食,有獄訟而不平其冤,失賢而不舉者,入告乎天子。天子於其君之朝也,捧揖而進之,曰:“噫,朕之政教有不得爾者耶?如何乃有飢寒而不得衣食,有獄訟而不平其冤,失賢而不舉?”然後其君退而與其卿大夫謀之。遠方之民聞之,皆曰:“誠天子也!夫我居之僻,見我之近也,我居之幽,見我之明也。可欺乎哉?”故牧者所以開四門,明四目通四聰也。《詩》曰:“邦國若否,仲山甫明之。”此之謂也。

王者は必ず牧を設立し、每一方三人、彼らをして遠方を窺看し衆を牧養せしむ。遠方の民に饑寒して衣食を得ざる有り、獄訟してあの冤を平反せざる有り、賢を失して挙用せざる有れば、朝に入りて天子に告ぐ。天子はあの君の朝見する時に、揖を捧げて進前し、曰く、「ああ、朕の政教に當を得ざる有るか?どうして饑寒して衣食を得ざる有り、獄訟してあの冤を平反せざる有り、賢を失して挙用せざる有らん?」然る後にあの君は退下してその卿大夫と謀劃す。遠方の民は聞きて、みな曰く、「眞に是れ天子かな!我は住むこと偏僻なるに、却って我を近く見る。我は住むこと幽暗なるに、却って我を明く見る。欺騙すべきか?」ゆえに牧は以て四門を開き、四目を明かにし四聰を通ずるなり。『詩經』に曰く、「邦國の好しきや不好きや、仲山甫はこれを顯明す」と。言うはこのことなり。

第十八章

楚莊王伐鄭。鄭伯肉袒,左把茅旌,右執鸞召,以進言於莊王,曰:“寡人無良邊陲之臣,以幹大禍使大國之君沛焉,遠辱至此。”莊王曰:“君之不令臣,是以使寡人得見君之玉面也,而微至乎此。”莊王受節,左右麾楚軍退舍七里。盜竊子重進諫曰:“夫南郢之與鄭,相去數千裡,大夫死者數人,廝役死者數百人。今克而弗有,無乃失民臣之力乎?”莊王曰:“吾聞古者杆者不穿,皮不蠹,不出於四方,以是見君子之重禮而賤財也,要其人,不要其土。人告以從而不捨,不祥也。吾以不祥立乎天下,災及吾身,何取之有?”既,晉之救鄭者至,曰:“請戰。”莊王許之。將軍子重進諫曰:“晉,強國也,道近兵銳,楚師奄罷,君其勿許。”莊王曰:“不可。強者我避之,弱者我威之,是寡人無以立乎天下也。”乃遂還師以逆晉冦。莊王援王桴而鼓之,晉師大敗,士卒奔者爭舟而指可掬也。莊王曰:“噫!吾兩君不相好,百姓何罪!”乃退楚師以佚晉冦。《詩》曰:“柔亦不茹,剛亦不吐,不侮鰥寡,不畏強禦。”莊王之謂也。

楚莊王は鄭を伐った。鄭伯は肉袒し、左は茅旌を持ち、右は鸞刀を持ち、進前して莊王に對して曰く、「寡人は善良の邊陲の臣なく、以て大禍を干犯し、大國の君をして沛然として遠くここに辱めしめたり」と。莊王は曰く、「君の不善の臣は、ここを以て寡人をして君の玉面を見るを得しめ、而して微賤ここに至れり」と。莊王は節を接受し、左右は楚軍を指揮して七里後退せしめた。將軍子重は進諫して曰く、「南郢と鄭は相距ること幾千里、大夫の死する有ること幾人、厮役の死する有ること幾百人。今攻克して占有せざれば、恐らく民臣の力を失去せんか?」莊王は曰く、「我は聞く、古代は棺は穿孔せず、皮は蟲蛀せられず、四方に往かず、ここを以て君子は禮を看重して財を看輕するを見ると。あの人を要約して、あの土を要らず。人はすでに順從したを告げて舍せざるは、不祥なり。我は不祥を以て天下に立てば、災は我が身に至る、これを取りて何かあらん?」隨後、晋の鄭を救うが至りて、曰く、「戰を請う」と。莊王は允許した。將軍子重は進諫して曰く、「晋は強國、道路近く兵器鋭利、楚師は忽然疲憊す、君はなお允許する勿れ」と。莊王は曰く、「不可。強きは我が躲避し、弱きは我が威を施加す、是れ寡人の天下に立つ由なし」と。すなわち師を回して晋寇を迎撃せんと往けり。莊王は鼓槌を持ちて鼓を撃ち、晋師大敗し、士卒の奔跑するは爭い船に上りて手指は捧げるべし。莊王は曰く、「ああ!我ら兩君は相好せず、百姓に何の罪あらん!」すなわち楚師を撤退して晋寇を安逸せしめた。『詩經』に曰く、「柔なるも吞まず、剛なるも吐かず、鰥寡を欺侮せず、強御を畏懼せず」と。言うは莊王なり。

第十九章

君子崇人之德,揚人之美,非道諛也。正言直行,指人之過,非毀疵也。詘柔順從,剛強猛毅,與物周流,道德不外。《詩》曰:“柔亦不茹,剛亦不吐,不侮矜寡,不畏強禦。”

君子は人の德を崇尚し、人の美を顯揚す、諂諛に非ず。正言直行し、人の過失を指出す、毀疵に非ず。屈柔順從し、剛強猛毅し、物とともに周流し、道德は外に在らず。『詩經』に曰く、「柔なるも吞まず、剛なるも吐かず、矜寡を欺侮せず、強御を畏懼せず」と。

第二十章

衛靈公晝寢而起,志氣益衰,使人馳召勇士公孫悁,道遭行人卜商。卜商曰:“何驅之疾也?”對曰:“公晝寢而起,使我召勇士公孫悁。”子夏曰:“微悁,而勇者若悁者可乎?”御者曰:“可。”子夏曰:“載我而反。”至,君曰:“至子召勇士,何為召儒?”使者曰:“行人曰:‘微悁,而勇若悁者可乎?’臣曰:‘可。’即載與來。”君曰:“諾,延先生上。趣召公孫悁。”俄而悁至,入門杖劍疾呼,曰:“商下!我存若頭。”子夏顧叱之,曰:“咄!內劍。吾將與若言勇。”於是君令悁內劍而上。子夏曰:“來!吾寒暑假與子從君而西見趙簡子,簡子披髪杖矛而見我君。我從十三行之後,趨而進曰:‘諸侯相見,不宜朝服。君不朝服,行人卜商將以頸血濺君之服矣。’使反朝服而見吾君者,子耶我耶?”悁曰:“子也。”子夏曰:“子之勇不若我一矣。又與子從君而東至阿,遭齊君重鞇而坐。吾君單鞇而坐。我從十三行之後,趨而進曰:‘禮,諸侯相見,不宜相臨以庶。’揄其一鞇而去之者,子耶我耶?”悁曰:“子也。”子夏曰:“子之勇不若我二矣。又與子從君於囿中,於是兩冦肩逐我君,拔矛下格而還之者,子耶我耶?”悁曰:“子也。”子夏曰:“子之勇不若我三矣。所貴為士者,上不攝萬乘,下不敢敖乎匹夫,外立節矜而敵不侵擾,內禁殘害而君不危殆,是士之所長而君子之所致貴也。若夫以長掩短,以眾暴寡,凌轢無罪之民,而成威於閭巷之間者,是士之甚毒而君子之所致惡也,眾之所誅鋤也。《詩》曰:‘人而無儀,不死何為!’夫何以論勇於人主之前哉!”於是靈公避席抑手曰:“寡人雖不敏,請從先生之勇。”《詩》曰:“不侮矜寡,不畏強禦。”卜先生之謂也。

衛靈公は晝に睡り起きて、志氣愈え衰弱し、人を派して車を馳せて勇士公孫悁を召し、路上行人卜商に遇えり。卜商は曰く、「なぜ驅ることこう急なる?」回答す、「公は晝に睡り起きて、我をして勇士公孫悁を召さしむ」と。子夏は曰く、「悁なくして、勇は悁のごときは可なるか?」駕車するは曰く、「可」と。子夏は曰く、「我を載せて返回せよ」と。至りて、君は曰く、「あなたの勇士を召しに至りて、なぜ儒を召した?」使者は曰く、「行人は曰く、『悁なくして、勇は悁のごときは可なるか?』臣は曰く、『可』と。則ち載せてともに來れり」と。君は曰く、「好し、先生に上らんことを請う。速やかに公孫悁を召せ」と。しばらくして悁至り、門に入りて劍を拄きて急呼して曰く、「商は下れ!我はあなたの頭を保存せん」と。子夏は回頭して叱責して曰く、「咄!劍を收めよ。我將にあなたと勇を談論せん」と。すなわち君は悁に命じて劍を收め上らしめた。子夏は曰く、「來れ!我はかつてあなたとともに君に跟從して西に趙簡子を見、簡子は髮を披き矛を拄きて我が君を見たり。我は十三行の後より、快步進前して曰く、『諸侯相見るは、朝服に適宜せず。君は朝服せず、行人卜商は將に頸血を以て君の衣服を濺がんとす』と。返回して朝服して吾君を見せしめたは、あなたか我か?」悁は曰く、「あなたなり」と。子夏は曰く、「あなたの勇は我に如かず是れ第一。またあなたとともに君に跟從して東に阿に至り、齊君は重疊の鞇を着て坐するに遇えり。吾君は單層の鞇を着て坐せり。我は十三行の後より、快步進前して曰く、『禮は、諸侯相見るは、庶人の禮を以て互相臨視するに適宜せず』と。其中一層の鞇を抽出して拿掉せしめたは、あなたか我か?」悁は曰く、「あなたなり」と。子夏は曰く、「あなたの勇は我に如かず是れ第二。またあなたとともに君に跟從して囿中に在りし時、當時兩寇は竝肩して我が君を追逐し、矛を拔き格鬪して還擊せしめたは、あなたか我か?」悁は曰く、「あなたなり」と。子夏は曰く、「あなたの勇は我に如かず是れ第三。士たるを看重する所は、上は萬乘を攝服せず、下は匹夫に對して傲慢せず、外は節矜を樹立して敵人侵擾せず、內は殘害を禁止して君危殆ならず、是れ士の擅長し君子の致力看重する所なり。長を以て短を掩蓋し、衆を以て寡を暴虐し、無罪の民を欺凌して、而して閭巷の間に威を成就するに至っては、是れ士甚だ毒にして君子の致力厭惡する所、衆人の誅鋤する所なり。『詩經』に曰く、『人と爲りて儀容なくば、死せずしてまた何を爲さん!』何を憑って人主の前に勇を談論せんや!」すなわち靈公は席位を離れ手を按じて曰く、「寡人はたとい聰敏ならずとも、先生の勇に跟從せんことを請う」と。『詩經』に曰く、「矜寡を欺侮せず、強御を畏懼せず」と。言うは卜先生なり。

第二十一章

孔子行,簡子將殺陽虎,孔子似之,帶甲以圍孔子舍。子路慍怒,奮戟將下。孔子止之曰:“由!何仁義之寡裕也。丘之罪也。若我非陽虎而以我為陽虎,則非丘之罪也。命也夫!歌予和若。”子路歌,孔子和之,三斚而圍罷。《詩》曰:“來游來歌。以陳盛德之和而無為也。

孔子は出行し、簡子は將に陽虎を殺さんとし、孔子は彼に似たり、甲を帶びて孔子の館舍を包圍せり。子路は慍怒し、戟を奮起して將に下らんとす。孔子は制止して曰く、「由!なぜ仁義こう寬裕少なき。是れ丘の罪なり。もし我は陽虎に非ずして我を以て陽虎と做さば、則ち丘の罪に非ず。是れ命かな!歌えば我はあなたに應和せん」と。子路は唱い、孔子は應和し、三巡にして包圍解除せり。『詩經』に曰く、「來游し來歌す」と。以て盛德の和諧にして無爲なるを陳列す。

第二十二章

《詩》曰:“愷悌君子,民之父母。”君子為民父母何如?曰:君子者,貌恭而行肆,身儉而施博,故不肖者不能逮也。殖盡於己,而區略於人,故可盡身而事也。篤愛而不奪,厚施而不伐。見人有善,欣然樂之,見人不善,惕然掩之,有其過而兼包之。授衣以最,授食以多。法下易由,事寡易為。是以中立而為人父母也。築城而居之,別由而養之,立學以教之。使人知親尊。親尊故父服斬縗三年,為民父母之謂也。

『詩經』に曰く、「和樂平易の君子は、是れ民の父母」と。君子が民の父母を爲すはどうか?曰く、君子は、容貌恭敬して行爲寬舒し、自身節儉して施予廣博す、ゆえに不肖の人は趕上する能わず。殖盡は自己に在り、而して區略は別人に在り、ゆえに以て身を盡して事奉すべし。篤愛して奪取せず、厚施して誇耀せず。人に善有るを見れば、欣然快樂し、人に不善有るを見れば、惕然として掩蓋し、あの過失有るを兼包す。衣を授くるに最も多きを用い、食を授くるに最も多きを用いる。法は下にて容易に遵循し、事少なくして爲し易し。ここを以て中立して人の父母を爲す。城を築きて彼らを住ましめ、田を分別して彼らを養い、學を設立して彼らを教う。人をして親尊を知らしむ。親尊する所以父に服斬縗三年するは、言うは民の父母を爲すなり。

第二十三章

事強暴之國難,使強暴之國事我易。事之以貨寶,則寶單而交不結。約契盟誓,則約定而反無日。割國之錙錘以賂之,則割定而欲無厭。事之彌順,其侵之愈甚,必致寶單國舉而後已。雖左堯右舜,未有能以此道免者也。故非有聖人之道,特以巧敏拜請畏事之,則不足以持國安身矣。故明君不道也。必修禮以齊朝,正法以齊官,平政以齊下,然後禮義節奏齊乎朝,法則度量正乎官,忠信愛利刑乎下。行一不義,殺一無罪,而得天下不為也。故近者競親而遠者致願。上下一心,三軍同力。名聲足以薫炙之,威強足以一齊之,則拱揖指麾,而強暴之國莫不趨使如赤子歸慈母者,何也?仁形義立,教誠愛深。故《詩》曰:“王猷允塞,徐方既來。”

強暴の國に事奉するは難し、強暴の國をして我に事奉せしむるは易し。貨寶を以て事奉すれば、則ち寶盡きて交情結ばれず。約契盟誓すれば、則ち約定して反悔するに日幾ばくもなし。國の錙鍾を割きて賄賂すれば、則ち割定して欲望滿足せず。事奉愈え順從すれば、侵奪愈え厲しく、必ず寶盡き國挙取せられて然る後に停止す。たとい左に堯右に舜あるも、能くこ道を以て免るるなし。ゆえに聖人の道なくば、ただ巧敏拜請畏懼を憑りて事奉すれば、則ち足らずして國を持ち身を安んず。『詩経』に曰く、「王の謀劃は誠に充實し、徐方はすでに到來せり」と。

第二十四章

勇士一呼而三軍皆避,出之誠也。昔者楚熊渠子夜行。見寢石以為伏虎,彎弓而射之,沒金飲羽,下視知其石也,因復射之,矢躍無跡。熊渠子見其誠心,心金石為之開,而況人乎?夫倡而不和,動而不僨,中心有不合者矣。夫不降席而匡天下者,求之己也。孔子曰:“其身正,不令而行,其身不正,雖令不從。”先王之所以拱揖指麾而四海賓服者,誠德之至也,色以形於外也。《詩》曰:“王猷允塞,徐方既來。”

勇士は一呼して三軍みな避開す、是れ誠より出づ。昔楚熊渠子は夜裏行走す。卧する石頭を見て以て伏する虎と爲し、弓を彎げてこれを射れば、金屬没入し箭羽飮入し、下りて看れば則ち石頭と知り、ここを以て又射れば、箭は跳起して痕迹なし。熊渠子はその誠心を見て、金石はこれがために開く、まして人においてをや?倡導して應和せず、動作して僨起せざれば、是れ中心に合せざる有り。席位を離れずして天下を匡正するは、己を求むるなり。孔子は言った。「自身端正なれば、令を下さずとも推行す、自身端正ならざれば、たとい令を下すとも跟從せず」と。先王の拱手作揖指揮して四海賓服する所以は、誠德の極至、神色は外に表現す。『詩經』に曰く、「王の謀劃は誠に充實し、徐方はすでに到來せり」と。

第二十五章

昔者趙簡子薨而未葬,而中牟畔之。既葬五日,襄子興師而攻之,圍未匝,而城自壞者十丈。襄子擊金而退之。軍吏諫曰:“君誅中牟之罪而城自壞,是天助也。君曷為而退之?”襄子曰:“吾聞之於叔向曰:‘君子不乘人於利,不厄人於險。’”使修其城然後攻之。中牟聞其義而請降,曰:“善哉!襄子之謂也。”《詩》曰:“王猷允塞,徐方既來。”

昔趙簡子薨していまだ安葬せず、而して中牟背叛せり。すでに安葬して五天、襄子は師を興して攻打し、包圍いまだ合圍せざるに、而して城は自ら壞るること十丈。襄子は金を擊ちて撤退せり。軍吏は進諫して曰く、「君は中牟の罪を誅討して城自ら壞る、是れ天助なり。君はなぜ撤退した?」襄子は曰く、「我は叔向より聞く、『君子は人の利有る時に乘機せず、人の危險の時に困厄せず』と」彼らをして城を修好して然る後に攻打せしめた。中牟はその義を聞きて投降を請い、曰く、「好しかな!言うは襄子なり」と。『詩經』に曰く、「王の謀劃は誠に充實し、徐方はすでに到來せり」と。

第二十六章

威有三術。有道德之威者,有暴察之威者,有狂妄之威者。此三威不可不審察也。何謂道德之威?曰:禮樂則修,分義則明,舉措則時,愛利則刑。如是,則百姓貴之如帝王,親之如父母,畏之如神明。故賞不用而民勸,罰不加而威行。是道德之威也。何謂暴察之威?曰:禮樂則不修,分義則不明,舉措則不時,愛利則不刑。然而其禁非也察,其誅不服也審,其刑罰繁而信,其誅殺猛而必,闇然如雷擊之,如牆壓之。百姓劫則致畏,怠則傲上,執拘則聚,遠間則散。非劫之以刑勢,振之以誅殺,則無以有其下。是暴察之威也。何謂狂妄之威?曰:無愛人之心,無利人之事,而日為亂人之道。百姓讙譁,則從而放執於刑灼。不知人心,悖逆無理,是以水旱為之不時,年穀以之不升。愁哀而無所告訴,比周憤潰以離上,傾覆滅亡,可立而待。是狂妄之威也。夫道德之威,成乎眾強。暴察之威,成乎危弱。狂妄之威,成乎滅亡。故威名同而吉凶之效遠矣。故不可不審察也。《詩》曰:“昊天疾威,天篤降喪,瘨我饑饉,民卒流亡。”

威に三種の術あり。道德の威あり、暴察の威あり、狂妄の威あり。こ三種の威は審察せざるべからず。何を道德の威と謂う?曰く、禮樂則ち修明し、分義則ち顯明し、舉措則ち時に按じ、愛利則ち形成す。このごとくなれば、則ち百姓は彼を看重すること帝王のごとく、彼を親近すること父母のごとく、彼を畏懼すること神明のごとし。ゆえに賞は用いずして民勸勉し、罰は加えずして威實行す。是れ道德の威なり。何を暴察の威と謂う?曰く、禮樂則ち修明せず、分義則ち顯明せず、舉措則ち時に按せず、愛利則ち形成せず。しかるに對ならざるを禁止する明察し、服從せざるを誅殺する審慎し、刑罰繁多して守信し、誅殺猛厲して一定し、暗然として雷擊のごとく、墻壓のごとし。百姓は劫せられれば則ち畏懼を致以し、怠慢すれば則ち上に傲慢し、拘捕せられれば則ち聚集し、遠隔すれば則ち離散す。刑勢に劫持せられず、誅殺に震動せられざれば、則ちその下を有する由なし。是れ暴察の威なり。何を狂妄の威と謂う?曰く、人を愛するの心なく、人を利するの事なく、而して每日亂人の道を爲す。百姓喧嘩すれば、則ち跟って放縱し刑灼に執着す。人心を知らず、悖逆無理にして、ここを以て水旱はここを以て時に按せず、年穀はここを以て成熟せず。愁哀して告ぐる處なく、黨を結び憤潰して上を離れ、傾覆滅亡は、立ちどころに待つべし。是れ狂妄の威なり。道德の威は、衆強に成就す。暴察の威は、危弱に成就す。狂妄の威は、滅亡に成就す。ゆえに威名相同じくして吉凶の效驗は相差ること甚だ遠し。ゆえに審察せざるべからず。『詩經』に曰く、「昊天は疾速に威を施加し、天は厚重に喪亂を降下し、我を饑饉せしめ、民は終に流亡す」と。

第二十七章

晉平公遊於西河而樂,曰:“安得賢士與之樂此也!”船人盍胥跪而對曰:“主君亦不好士耳。夫珠出於江海,玉出於崑山,無足而至者,猶主君之好也。士有足而不至者,蓋主君無好士之意耳。何患於無士乎?”平公曰:“吾食客門左千人,門右千人,朝食不足,夕收市賦,暮食不足,朝收市賦。吾可謂不好士乎?”盍胥對曰:“夫鴻鵠一舉千里,所恃者六翮爾。背上之毛,腹下之毳,益一把,飛不為加高,損一把,飛不為加下。今君之食客門左門右各千人,亦有文翮在其中矣。將皆背上之毛腹下之毳耶?”《詩》曰:“謀夫孔多,是用不就。”此之謂也。

晋平公は西河に游玩して快樂し、曰く、「どこに賢士を得て彼らとともにこれを快樂せん!」船人盍胥は跪下して回答す、「主君もまた士を好まざるのみ。珠は江海より出で、玉は昆山より出づ、足なくして到來するは、なお主君の愛好するを以てなり。士は足有りて到來せざるは、ほぼ主君の士を好む意なきのみ。何ぞ必ず士なきを憂慮せんや?」平公は曰く、「我が食客は門左千人、門右千人、朝食は足らざれば、夕に市賦を收め、夕食は足らざれば、朝に市賦を收む。我は以て士を好まずと稱すべきか?」盍胥は回答す、「鴻鵠は一擧千里、依靠する所は六翮のみ。背上の毛、腹下の細毛は、一把を增加すとも、飛ぶことこを以て更高からず、一把を減損すとも、飛ぶことこを以て更低からず。今君の食客門左門右各々千人、また文翮その中に在り。將にみな背上の毛腹下の細毛ならんか?」『詩經』に曰く、「謀劃する人多し、ここを以て成就する能わず」と。言うはこのことなり。

韓詩外傳卷第七

第一章

齊宣王謂田過曰:“吾聞儒者喪親三年,喪君三年,君與父孰重?”田過對曰:“殆不如父重。”宣王忿然,曰:“曷為士去親而事君?”田過對曰:“非君之土地無以處吾親,非君之祿無以養吾親,非君之爵無以尊顯吾親。受之於君,致之於親。凡事君,以為親也。”宣王悒然無以應之。《詩》曰:“王事靡盬,不遑將父。”

齊宣王は田過に對して曰く、「我は聞く、儒者は親人のために喪に服すること三年、君のために喪に服すること三年、君と父はどちらが更重?」田過は回答す、「ほぼ父ほど重からず」と。宣王は忿然として、曰く、「なぜ士は親を離れて君に事奉する?」田過は回答す、「君の土地に非ざれば我が親を安置する由なし、君の祿に非ざれば我が親を奉養する由なし、君の爵に非ざれば我が親を尊顯する由なし。君より接受して、親の所に送る。凡そ君に事奉するは、親のためなり」と。宣王は悒然として應答する由なし。『詩經』に曰く、「王事止息なく、父を奉養するに閑暇なし」と。

第二章

趙王使人於楚,鼓瑟而遺之,曰:“必如吾言,慎無失吾言。”使者受命,伏而不起,曰:“大王鼓瑟未嘗若今日之悲也。”王曰:“然,瑟固方調。”使者曰:“調則可記其柱。”王曰:“不可。天有燥溼,弦有緩隱,柱有推移,不可記也。”使者曰:“臣請藉此以喻。楚之去趙也千有餘裡,亦有吉凶之變,兇則吊之,吉則賀之,猶柱之有推移,不可記也。故明王之使人也,必慎其所使,既使之,任之以心,不任以辭也。”《詩》曰:“莘莘征夫,每懷靡及。”

趙王は人を派して楚に至らしめ、瑟を鼓して彼を送り、曰く、「必ず我の説くがごとくし、我が言を失うこと謹慎する勿れ」と。使者は命令を接受し、伏して起たず、曰く、「大王は瑟を鼓することかつて今日のごとく悲ならず」と。王は曰く、「是れ、瑟は本来正に調なり」と。使者は曰く、「調えば則ち以てあの柱を記すべし」と。王は曰く、「不可。天に燥濕あり、弦に緩急あり、柱に推移あり、記すべからず」と。使者は曰く、「臣はこれを借りて比喻せんことを請う。楚は趙を離るること一千余里、また吉凶の變化あり、凶なれば則ち吊唁し、吉なれば則ち祝賀す、柱に推移有るがごとく、記すべからず。ゆえに明王は人を派するに、必ず派する所を謹慎し、すでに派せば、心を以て拍任し、辭を以て拍任せず」と。『詩經』に曰く、「衆多の征夫、每每に趕上せざるを懷想す」と。

第三章

齊有隱士東郭先生梁石君。當曹相國為齊相也,客謂匱生曰:“夫東郭先生梁石君,世之賢士也。隱於深山,終不詘身下志以求仕者也。吾聞先生得謁曹相國,願先生為之先。臣裡婦與裡母相善。婦見疑盜肉,其姑去之,恨而告於裡母,裡母曰:‘安行。今令姑呼汝。’即束蘊請火去婦之家,曰:‘吾犬爭肉相殺,請火治之。’姑乃直使人追去婦還之。故里母非談說之士,束蘊請火,非還婦之道也,然物有所感,事有適可。何不為之先?”匱生曰:“愚恐不及。然請盡力為東郭先生梁石君束蘊請火。”於是乃見曹相國曰:“臣之裡有夫死三日而嫁者,有終身不嫁者。則自為娶,將何娶焉?”相國曰:“吾亦娶其終身不嫁者耳。”匱生曰:“齊有隱士東郭先生梁石君,世之賢士也。隱於深山,終不詘身下志以求仕。相國娶婦,欲娶其不嫁者,取臣獨不取其不仕之臣耶?”於是曹相國因匱生帛安車迎東郭先生梁石君,厚客之。《詩》曰:“既見君子,我心則降。”

齊に隱士東郭先生・梁石君あり。曹相國が齊相を爲すの時に當たり、客は匱生に對して曰く、「東郭先生・梁石君は、世上の賢士。深山に隱れ、終に身を屈し志を下して仕を求めず。我は聞く、先生は曹相國に謁見するを得と、先生に彼らのために先容せんことを願う。臣は里中の婦人は里母と相好し。婦人は肉を偷むを懷疑せられ、婆婆は彼女を趕走し、恨みて里母に告げ、里母は曰く、『慢慢に走れ。今婆婆をしてあなたを叫ばしめん』と。則ち亂麻を捆上して婦人の家に往きて火を借り、曰く、『我が狗は肉を爭い互相咬殺し、火を請いて以て處理せん』と。婆婆はすなわち直に人を派して趕走せられた婦人を追回せしめた。ゆえに里母は談説の士に非ず、亂麻を捆し火を借るは、婦を還すの道に非ず、しかるに物は感する所有り、事は適可する有り。なぜ先容せぬ?」匱生は曰く、「愚は恐らく趕上せざらん。しかし東郭先生・梁石君のために亂麻を捆し火を借らんことを盡力せんことを請う」と。すなわち曹相國を見て曰く、「臣の里に夫死して三天にして再嫁する有り、終身嫁せざる有り。則ち自ら娶らば、將にどちらを娶らん?」相國は曰く、「我もまたあの終身嫁せざるを娶るのみ」と。匱生は曰く、「齊に隱士東郭先生・梁石君あり、是れ世上の賢士。深山に隱れ、終に身を屈し志を下して仕を求めず。相國は婦を娶りて、あの嫁せざるを娶らんと欲す、臣を取りて獨りあの仕せざる臣を取らざるか?」すなわち曹相國は匱生を通じて帛安車を以て東郭先生・梁石君を迎接し、厚待して客と爲した。『詩經』に曰く、「すでに君子を見たり、我が心は則ち放下す」と。

第四章

孔子曰:“昔者周公事文王,行無專制,事無由己,身若不勝衣,言若不出口,有奉持於前,洞洞焉若將失之,可謂能子矣。武王崩,成王幼,周公承文武之業,履天子之位,聽天下之政,徵夷狄之亂,誅管蔡之罪,抱成王而朝諸侯,誅賞制斷,無所顧問,威動天地,振恐海內,可謂能武矣。成王壯,周公致政,北面而事之,請然後行,無伐矜之也,可謂能臣矣。故一人之身,能三變者,所以應時也。”《詩》曰:“左之左之,君子宜之,右之右之,君子有之。”

孔子は言った。「昔周公は文王に事奉し、行爲に專制なく、事に自己よりせず、身は衣服に承受する能わざるがごとく、話は説き出づる能わざるがごとく、奉持有りて前に在り、洞洞然として將に失わんとするがごとく、能く兒子を爲すと稱すべし。武王崩じ、成王年幼し、周公は文武の業を承接し、天子の位に踐み、天下の政を聽き、夷狄の亂を征討し、管蔡の罪を誅し、成王を抱きて諸侯を朝見し、誅賞制斷し、顧問するなし、威は天地を動かし、海內を振恐す、能く武を爲すと稱すべし。成王壯なり、周公は政を交還し、北面して事奉し、請示して然る後に實行し、誇耀驕傲なく、能く臣を爲すと稱すべし。ゆえに一人の身は、能く三次變化す、是れ以て時に應ずるなり」『詩經』に曰く、「左に左すれば、君子は適宜す。右に右すれば、君子は擁有す」と。

第五章

傳曰:鳥之美羽勾喙者,鳥畏之。魚之侈口垂腴者,魚畏之。人之利口贍辭者,人畏之。是以君子避三端:避文士筆端,避武士之鋒端,避辯士之舌端。《詩》曰:“我友敬矣!讒言其興。”

傳に記す:鳥の羽毛美しく喙彎曲するは、鳥はこれを畏懼す。魚の口大きく肚皮下垂するは、魚はこれを畏懼す。人の口利き辭贍なるは、人はこれを畏懼す。ここを以て君子は三端を避けん:文士の筆端を避け、武士の鋒端を避け、辯士の舌端を避く。『詩經』に曰く、「我が友ああ敬せよ!讒言將に興起せん」と。

第六章

孔子困於孫蔡之間,即三經之席,七日不食藜羹不糝,弟子有飢色,讀《詩》《書》習禮樂不休。子路進諫曰:“為善者,天報之以福。為不善者,天報之以禍。今夫子積德累仁,為善久矣。意者尚有遺行乎,奚居之隱也?”孔子曰:“由來!汝小人也,未講於論也。居吾語汝。子以知者為無罪乎,則王子比干何為刳心而死?子以義者為聽乎,則伍子胥何為抉目而懸吳東門?子以廉者為用乎,則伯夷叔齊何為餓於首陽之山?子以忠者為用乎,則鮑叔何為而不用,葉公子高終身不仕,鮑焦抱木而立,子推登山而燔?故君博學深謀,不遇時者眾矣。豈獨入哉?賢不肖者材也。遇者時也。今無有時,賢安所用哉?故虞舜耕於歷山之陽,立為天子,其遇堯也。傳說負土而版築,以為大夫,其遇武丁也。伊尹故有莘氏僮也,負鼎操俎調五味,而立為相,其遇湯也。呂望行年五十,賣食棘津,年七十屠於朝歌,九十乃為天子師,則遇文王也。管夷吾束縛自檻車,以為仲父,則遇齊桓公也。百里奚自賣五羊之皮,為秦伯牧牛,舉為大夫,則遇繆公也。虞丘名聞於天下,以為令尹,讓於孫叔敖,則遇楚莊王也。伍子胥前功多,後戮死,非知有盛衰也,前遇闔閭,後遇夫差也。夫驥罷鹽車,此非無形容也,莫知之也。使驥不得伯樂,安得千里之足?造父亦無千里之手矣。夫蘭茝身於茂林之中,深山之間,不為人莫見之故不蒼。夫學者非為通也。為窮而不困,憂而志不衰,先知禍福之終始,而心無惑焉。故聖人隱居深念,獨聞獨見。夫舜亦賢聖矣,南面而治天下,惟其遇堯也。使舜居桀紂之世,能自免於刑戮之中,則為善矣,亦何位之有?桀殺關龍逢,紂殺王子比干,當此之時,豈關龍逢無知,而王子比干不慧乎哉?此皆不遇時也。故君子務學,修身端行而須其時者也。子無惑焉。”《詩》曰:“鶴鳴九皋,聲聞於天。”

孔子は陳蔡の間に困み、三經の席に就き、七天藜羹に米を加えずして食せず、弟子に饑餓の顏色あり、『詩』『書』を讀み禮樂を習うこと停止せず。子路は進諫して曰く、「善を爲すは、天は福を以て報答す。不善を爲すは、天は禍を以て報答す。今夫子は德を積み仁を累ね、善を爲すこと久し。恐らくなお遺漏の品行有るか、なぜ處境こう隱微なる?」孔子は言った。「由、來れ!あなたは小人、いまだ講論せず。坐せ我はあなたに告げん。あなたは智なれば則ち罪なしと以爲すか、然らば王子比干はなぜ心を剖かれて死した?あなたは義なれば則ち聽從せらると以爲すか、然らば伍子胥はなぜ眼を挖られて呉の東門に懸けられた?あなたは廉なれば則ち用いらると以爲すか、然らば伯夷・叔齊はなぜ首陽山に挨餓した?あなたは忠なれば則ち用いらると以爲すか、然らば鮑叔はなぜ用いられず、葉公子高は終身官を爲さず、鮑焦は樹を抱きて立ち、子推は山に登りて燒かれた?ゆえに君子は博學深謀すれど、時に遇わざるは多し。どこにただ丘のみあらん?賢不肖は材なり。遇は時なり。今時なくば、賢はどこに用いられん?ゆえに虞舜は歷山の南面に耕田し、立ちて天子と爲りしは、是れ堯に遇えり。傅說は土を負い版築し、大夫を爲ししは、是れ武丁に遇えり。伊尹はもと有莘氏の僮、鼎を背し俎を拿し五味を調し、而して立ちて相と爲りしは、是れ湯に遇えり。呂望は行年五十、棘津に食を賣り、七十にして朝歌に屠宰し、九十にして始めて天子の老師と爲りしは、是れ文王に遇えり。管夷吾は捆綁せられ檻車より出で、仲父を爲ししは、是れ齊桓公に遇えり。百里奚は五張の羊皮を以て自ら賣り、秦伯のために牛を牧し、擧げられて大夫と爲りしは、是れ繆公に遇えり。虞丘は天下に名聞え、令尹を爲し、孫叔敖に讓りしは、是れ楚莊王に遇えり。伍子胥は前功多く、後に戮死せしは、智に盛衰有るに非ず、是れ前に闔閭に遇い、後に夫差に遇えり。驥は鹽車に疲憊す、此れ形容なきに非ず、是れ知る人なきなり。假令驥は伯樂を得ざれば、どこに千里の足を得ん?造父もまた千里の手なからん。蘭茝は茂林の中、深山の間に處り、人の見ざるの緣故を以て蒼翠ならざらず。學者は通達のために非ず。窮して困まざるため、憂えて志向衰えざるため、預め禍福の終始を知りて、而して心に迷惑なきためなり。ゆえに聖人は隱居深念し、獨り聞き獨り見る。舜もまた賢聖なり、南面して天下を治理す、ただ堯に遇えりを以てなり。假令舜は桀紂の世に處らば、能く自ら刑戮の中を免れんこと、則ち善なり、また何の位子かあらん?桀は關龍逢を殺し、紂は王子比干を殺せり、あの時に當たり、豈に關龍逢に知なく、而して王子比干慧ならざらんや?これらはみな時に遇わざるなり。ゆえに君子は務めて學び、身を修め品行を端正して時を待つ。あなたは迷惑する勿れ」『詩經』に曰く、「鶴は九皐に鳴叫し、聲音は天に傳わる」と。

第七章

曾子曰:“往而不可還者親也。至而不可加者年也。是故孝子欲養,而親不待也。木欲直,而時不待也。是故椎牛而祭墓,不如雞豚逮親存也。故吾嘗仕為吏,祿不過鍾釜,尚猶欣欣而喜者,非以為多也,樂其逮親也。既沒之後,吾嘗南遊於楚,得尊官焉,堂高九仞,轉轂百乘,猶北鄉而泣涕者,非為賤也,悲不逮吾親也。故家貧親老不擇官而仕。若夫信其志,約其親者,非孝也。《詩》曰:“有母之屍雍。”

曾子は曰く、「離去して還るべからざるは親なり。到來して增加すべからざるは年なり。ここを以て孝子は奉養せんと欲すれど、而して親は待たず。樹木は直ならんと欲すれど、而して時は待たず。ここを以て牛を椎きて墓を祭祀するは、雞豚が親の在るに趕上するに如かず。ゆえに我はかつて吏を爲し、祿は鍾釜を超えず、なお欣欣として喜悅せり、多きを以てするに非ず、親に趕上するを樂しむなり。すでに沒世の後、我はかつて南に楚に游び、尊官を得、堂高く九仞、轉轂百乘、なお北に向かい哭泣流淚せり、賤なるを以てするに非ず、是れ我が親に趕上せざるを悲痛すなり。ゆえに家貧く雙親老いれば官職を選擇せずして始めて官を爲す。志向を伸張し、親を困約せしむるに至っては、孝に非ず」『詩經』に曰く、「母親有りて熟食を陳列す」と。

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