第二十章
出則為宗族患,入則為鄉里憂,《詩》曰:“如蠻如髦,我是用憂。”小人之行也。
出でれば則ち宗族の患、入れば則ち郷里の憂、『詩經』に曰く、「蛮のごとく髦のごとく、我はこれを以て憂う」と。是れ小人の品行なり。
第二十一章
有君不能事,有臣欲其忠。達則文而容,窮則約而詳。小人大心則慢而暴,小心則淫而傾,知則攫盜而漸,愚則毒賊而亂,喜則輕易而快,憂則挫而懾,達則驕而偏,窮則棄而累。其肢體之序與禽獸同節,言語之暴與蠻夷不殊,出則為宗族患,入則為鄉里憂。《詩》曰:“如蠻如髦,我是用憂。”
君ありて事奉する能わず、臣ありて却って彼の忠を欲す。顕達すれば則ち文飾して容納し、困窮すれば則ち簡約して詳密す。小人は大心なれば則ち怠慢して暴、小心なれば則ち淫して傾危、智なれば則ち攫盗して漸漬、愚なれば則ち毒賊して乱、喜べば則ち軽易して快意、憂えば則ち挫敗して懾懼、顕達すれば則ち驕傲して偏私、困窮すれば則ち拋棄して牽累す。彼の肢体の次序は禽獣と同一節度、言語の暴は蛮夷と異なることなし、出でれば則ち宗族の患、入れば則ち郷里の憂。『詩經』に曰く、「蛮のごとく髦のごとく、我はこれを以て憂う」と。
第二十四章
傳曰:愛由情出謂之仁,節愛理宜謂之義,致愛恭謹謂之禮,文禮謂之容。禮容之義生,以治為法。故其言可以為民道,民從是言也。行可以為民法,民從是行也。書之於策,傳之於志。萬世子子孫孫道而不捨。由之則治,失之則亂。由之則生,失之則死。今夫肢體之序與禽獸同節,言語之暴與蠻夷不殊,混然無道,此明王聖主之所罪。《詩》曰:“如蠻如髦,我是用憂。”
伝に記す:愛は情より出づるを仁と謂い、愛を節制し理当を得るを義と謂い、愛を極尽し恭敬謹慎するを礼と謂い、礼を文飾するを容と謂う。礼容の義は生れ、治理を以て法と為す。ゆえにその言は民の道と為るべし、民はこ言に跟従す。行為は民の法と為るべし、民はこ行為に跟従す。簡策の上に写し、志向の裏に伝う。万世の子孫は称道して捨棄せず。これを経由すれば則ち治まり、これを失えば則ち乱る。これを経由すれば則ち生き、これを失えば則ち死す。今肢体の次序は禽獣と同一節度、言語の暴は蛮夷と異なることなく、混然として道なし、是れ明王聖主の治罪する所なり。『詩經』に曰く、「蛮のごとく髦のごとく、我はこれを以て憂う」と。
第二十五章
客有說春申君者曰:“湯以七十里,文王百里,皆兼天下,一海內。今夫孫子者,天下之賢人也,君藉之百里之勢,臣竊以為不便於君,若何?”春申君曰:“善。”於是使人謝孫子。孫子去而之趙,趙以為上卿。客又說春申君曰:“昔伊尹去夏之殷,殷王而夏亡。管仲去魯入齊,魯弱而齊強。由是觀之,夫賢者之所在,其君未嘗不善,其國未嘗不安也。今孫子天下之賢人,何謂辭而去?”春申君又云:“善。”於是使使請孫子。孫子為書謝之曰:“鄙語曰:‘癘憐王’,此不恭之語也。雖然,不可不審也。此為劫殺死亡之生言者也。夫人主年少而放,無術以知奸,即大臣以奪斷圖私,以禁誅於己也。故舍賢長而立幼弱,廢正適而立不義,故《春秋》志之,曰:‘楚王之子圍聘於鄭,未出境,聞王病重,返問疾,遂以冠纓絞王而殺之,因自立。齊崔杼不許。欲自刃於廟,崔杼又不許。莊公走出,踰於外牆,射中其股,遂殺之,而立其弟景公。’近世所見,李兌用趙,餓主父於沙丘,百日而殺之。淖齒用齊,擢閔王之筋而懸之於廟梁,宿昔而殺之。上比遠世,未至絞頸射股也,下比近世,未至擢筋餓死也。夫劫殺死亡之主,心之憂勞,形之苦痛,必甚於癘矣。由此觀之,癘雖鄰王,可也。”因為賦曰:“琁玉瑤珠不知佩,雜布與錦不知異。閭娵子都莫之媒,嫫母力父是之喜。以盲為明,以聾為聰。以是為非,以吉為兇。嗚呼上天,曷為其同!”《詩》曰:“上帝甚蹈,無自瘵焉。”
客ありて春申君に游説して曰く、「湯は七十里を憑り、文王は百里を憑り、みな天下を兼有し、海内を統一せり。今あの孫子は天下の賢人、君は彼に百里の勢を借与す、臣は私に以て君に利あらずと為す、どうか?」春申君は曰く、「好し」と。すなわち人を派して孫子を辞謝せしめた。孫子は離れて趙に至り、趙は彼を用いて上卿と為した。客また春申君に游説して曰く、「昔伊尹は夏を離れて殷に至り、殷は王と称し夏は滅亡せり。管仲は魯を離れて斉に入り、魯は弱く斉は強し。これより観れば、賢者の在る所は、その君はかつて不善なく、その国はかつて不安ならず。今孫子は天下の賢人、なぜ辞謝して彼を離去せしむ?」春申君また曰く、「好し」と。すなわち使者を派して孫子を請うた。孫子は書を信じて辞謝して曰く、「俗語に曰く、『癩病は王を憐憫す』、是れ不恭敬の言。しかりといえども、審察せざるべからず。是れ劫殺死亡せられた主のために言う所なり。人主は年少にして放縱し、奸を知るの術なく、則ち大臣は専断を以て私を圖謀し、以て誅殺が己に加わるを禁止す。ゆえに賢長を捨棄して幼弱を立て、正嫡を廃棄して不義を立つ、ゆえに『春秋』は記載し、曰く、『楚王の子圍は鄭に聘問し、いまだ境を出でず、王の病重きを聞き、返回して疾を問い、すなわち冠纓を以て王を絞めて彼を殺し、ここを以て自立せり。斉崔杼は許可せず。廟にて自刎せんと欲し、崔杼また許可せず。荘公は走出して、外墻を越え、大腿を射中せられ、すなわち彼を殺して、その弟景公を立てたり』と。近世の見る所は、李兌は趙に用いられ、沙丘にて主父を餓えしめ、百日にして彼を殺せり。淖齒は斉に用いられ、閔王の筋を抽きて廟梁に懸掛し、宿を隔てて彼を殺せり。上は遠世に比ぶるに、いまだ絞頸射股に至らず。下は近世に比ぶるに、いまだ抽筋餓死に至らず。劫殺死亡せられた主の、心の憂労、形の苦痛は、必ず癩病に超過す。これより観れば、癩病はたとい王に隣近するも、また可なり」と。すなわち賦を作りて曰く、「美玉瑶珠は佩帯を知らず、雑布と錦は分別を知らず。閭娵・子都は人の媒を為すなく、嫫母・力父は却って喜愛せらる。盲を以て明と為し、聾を以て聡と為す。是を以て非と為し、吉を以て凶と為す。嗚呼上天、なぜ彼らと相同ずる!」『詩經』に曰く、「上帝は変動甚だ大、自ら病を招く勿れ」と。
第二十六章
南苗異獸之鞟猶犬羊也。與之於人猶死之藥也。安舊移質習貫易性而然也。夫狂者自齕,忘其非芻豢也,飯土而忘其非粱飯也。然則楚之狂者楚言,齊之狂者齊言,習使然也。夫習之於人微而者,深而固,是暢於筋骨,貞於膠漆。是以君子務為學也。《詩》曰:“既見君子,德音孔膠。”
南方苗地の異獣の皮革はなお犬羊のごとし。人に給与するはなお致死の薬のごとし。旧に安んじ質を改変し、習慣は性を改変して、始めてこのごとし。狂人は自ら咬囓し、それが芻豢に非ざるを忘れ、土を食いそれが粱飯に非ざるを忘る。然らば楚の狂人は楚話を説き、斉の狂人は斉話を説くは、習慣の然らしむるなり。習慣は人に於いて微にして顕著、深にして牢固、筋骨に暢達し、膠漆に堅貞す。ここを以て君子は務めて学を為す。『詩經』に曰く、「すでに君子を見たり、徳音甚だ牢固なり」と。
第二十七章
孟子曰:仁,人心也。義,人路也。舍其路弗由,放其心而弗求。人有雞犬放,則知求之。有放心而不知求,其於心為不若雞犬哉?不知類之甚矣。悲夫!終亦必亡而已矣。故學問之道無他焉,求其放心而已。《詩》曰:“中心藏之,何日忘之。”
孟子は曰く、仁は、人の心なり。義は、人の路なり。あの路を捨棄して走らず、あの心を放失して求めず。人は鶏犬の放失あれば、則ち求むるを知る。放失の心有りて求むるを知らざれば、彼は心に於いて豈に鶏犬に如かざらんや?類推を知らざること太だ過分なり。悲しきかな!終に必ず滅亡するのみ。ゆえに学問の道は他なく、あの放失の心を求め回るのみ。『詩經』に曰く、「中心に蔵し、いずれの日か忘れん」と。
第二十八章
道雖近,不行不至。事雖小,不為不成。暇日多者,出人不遠矣。夫巧弓在此手也,膠漆之和,即可以為萬乘之寶也,及其彼手而賈不數銖。人同材鈞而貴賤相萬者,盡心致志也。《詩》曰:“中心藏之,何日忘之。”
道は近しといえども、走らざれば至らず。事は小なりといえども、為さざれば成らず。空閑日子多きは、人に超出すること遠からず。巧弓はこ手に在り、膠漆調和すれば、則ち万乗の宝と為るべし、あの手に至りては数銖を売る能わず。人は同じ材、同じ均にして貴賤の相差は万倍、是れ尽心致志するの縁故なり。『詩經』に曰く、「中心に蔵し、いずれの日か忘れん」と。
第二十九章
傳曰:誠惡惡,知刑之本,誠善善,知敬之本。惟誠感神,達乎民心,知刑敬之本,則不怒而威,不言而信。誠德之主也,言之所聚也。《詩》曰:“鼓鍾於宮,聲聞於外。”
伝に記す:真誠に悪を厭悪するは、刑の根本を知る。真誠に善を喜好するは、敬の根本を知る。ただ誠のみ能く神を感動し、民心に通達し、刑敬の根本を知れば、則ち怒らずして威有り、言わずして人を信せしむ。誠は徳の主宰、言語の聚集する所なり。『詩經』に曰く、「宮裏に鐘を敲けば、声音は外面に伝わる」と。
第三十章
孔子見客。客去,顏淵曰:“客仁也?”孔子曰:“恨兮其心,顙兮其口,仁則吾不知也。”顏淵蹵然變色,曰:“變玉度尺,雖有十仞之土,不能掩其光。良珠度寸,雖有百仞之水,不能掩其瑩。夫形體之包心也,閔閔乎其薄也。茍有溫良在其中,則眉睫著之矣。疵瑕在其中,則眉睫亦不匿之。”《詩》曰:“鼓鍾於宮,聲聞於外。”言有諸中必形諸外也。
孔子は客人を接見す。客人は離去し、顔淵は曰く、「客人は仁か?」孔子は言った。「恨恨然としてその心、額然としてその口、仁なれば則ち我は知らず」と。顔淵は忽然として色を変じ、曰く、「美玉は一尺を過ぐるも、たとい十仞の土あるも、その光を掩蓋する能わず。良珠は一寸を過ぐるも、たとい百仞の水あるも、その瑩を掩蓋する能わず。形体は心を包裹し、閔閔然としてあれほど薄し。もし温良その中に在れば、則ち眉睫は則ち顕露す。疵瑕その中に在れば、則ち眉睫も能く隠藏せず」と。『詩經』に曰く、「宮裏に鐘を敲けば、声音は外面に伝わる」と。是れ内に在る有れば必ず外に表現するを言うなり。
第三十一章
偽詐不可長,空虛不可守,朽木不可雕,情亡不可久。《詩》曰:“鼓鍾於宮,聲聞於外。”言有中者必能見外也。
偽詐は長久すべからず、空虚は守るべからず、朽木は彫るべからず、実情亡失すれば久しきべからず。『詩經』に曰く、「宮裏に鐘を敲けば、声音は外面に伝わる」と。是れ内に在る有れば必ず能く外に表現するを言うなり。
第三十二章
所謂庸人者,口不能道乎善言,心不能知先王之法,動作而不知所務,止立而不知所定,日選於物而不知所貴,不知選賢人善士而托其身焉,從物而流,不知所歸,五鑿為政,心從而壞,遂不反。是以動而形危,靜則名辱。《詩》曰:“之子無良,二三其德。”
いわゆる庸人は、口は能く善言を説かず、心は能く先王の法を知らず、動作して務求する所を知らず、止立して定むる所を知らず、每日物の中に選択して看重する所を知らず、賢人善士を選択して以て自身を託付するを知らず、物に跟従して流動し、帰向する所を知らず、五竅は政を当たり、心はこれに跟って敗壊し、すなわち返回せず。ここを以て動けば則ち形体危うし、静なれば則ち名声辱を受く。『詩經』に曰く、「こ人に善良なく、徳行反反として復す」と。
第三十三章
客有見周公者,應之於門曰:“何以道旦也?”客曰:“在外即言外,在內即言內。入乎將毋?”周公曰:“請入。”客曰:“立即言義,坐即言仁。坐乎將毋?”周公曰:“請坐。”客曰:“疾言則翕翕,徐言則不聞。言乎將毋?”周公唯唯:“旦也喻。”明日與師而誅管蔡。故客為以不言之說,周公善聽不言之說。若周公可謂能聽微言矣。故君子之告人也微,其救人之急也婉。《詩》曰:“豈敢憚行,畏不能趨。”
客ありて来りて周公を見、門にて応答して曰く、「何を以て旦を教導せん?」客は曰く、「外に在れば則ち外を説き、内に在れば則ち内を説く。進入せんか、それとも否か?」周公は曰く、「進入せんことを請う」と。客は曰く、「立てば則ち義を説き、坐すれば則ち仁を説く。坐下せんか、それとも否か?」周公は曰く、「坐せんことを請う」と。客は曰く、「話の説くこと急なれば則ち翕翕、説くこと緩ければ則ち聞こえず。説かんか、それとも否か?」周公は連声して答应す、「旦は明白した」と。第二天師とともに管蔡を誅殺した。ゆえに客は以て言わざるの説法を為し、周公は善く言わざるの説法を聴く。周公のごときは能く微言を聴くと称すべし。ゆえに君子は人に告ぐるも微、人の急を救助するも委婉なり。『詩経』に曰く、「どこに敢えて走るを怕れん、快走する能わざるを怕る」と。
韓詩外伝巻第五
第一章
子夏問曰:“《關雎》何以為《國風》始也?”孔子曰:“《關雎》之至矣乎!夫《關雎》之人,仰則天,俯則地,幽幽冥冥,德之所藏,紛紛沸沸,道之所行,雖神龍化,斐斐文章。大哉《關雎》之道也,萬物之所繫,群生之所懸命也,河洛出《書圖》,麟鳯翔乎郊。不由《關雎》之道,則《關雎》之事將奚由至矣哉?夫六經之策,皆歸論汲汲,蓋取之乎《關雎》。《關雎》之事大矣哉!馮馮翊翊,自東自西,自南自北,無思不服。子其勉強之,思服之。天地之間,生民之屬,王道之原,不外此矣。”子夏喟然嘆曰:“大哉《關雎》,乃天地之基地。”《詩》曰:“鐘鼓樂之。”
子夏は問うた、「『關雎』はなぜ『國風』の開始と為す?」孔子は言った。「『關雎』は極に至れり!『關雎』の人は、仰看すれば則ち天、俯看すれば則ち地、幽幽冥冥として、徳の蔵する所。紛紛沸沸として、道の行く所、たとい神龍変化するも、斐斐として文章あり。大なるかな『關雎』の道は、万物の維繫する所、群生の性命を懸挂する所。河洛は『書圖』を出だし、麒麟鳳凰は郊に飛翔す。『關雎』の道を経由せざれば、則ち『關雎』の事は将にどこより到来せんや?六經の簡策は、みな急切に論説に帰向し、ほぼこれを『關雎』より取る。『關雎』の事は大なるかな!馮馮翊翊として、東より西より、南より北より、服従せざらんと欲するなし。あなたはなお努力し、服従を思念せよ。天地の間、生民の類、王道の本原は、これより外に非ず」と。子夏は慨然として叹息して曰く、「大なるかな『關雎』は、乃是れ天地の基地」と。『詩經』に曰く、「鐘鼓は彼を快楽せしむ」と。
第二章
孔子抱聖人之心,彷徨乎道德之域,逍遙乎無形之鄉,倚天理,觀人情,明終始,知得失。故興仁義,厭勢利,以持養之。於時周室微,王道絕,諸侯力政,強劫弱,眾暴寡,百姓靡安,莫之紀綱,禮儀廢壞,人倫不理。於是孔子自東自西,自南自北,匍匐救之。
孔子は聖人の心を懐抱し、道德の領域に彷徨し、無形の郷里に逍遥し、天理に倚靠し、人情を観察し、終始を明白にし、得失を知る。ゆえに仁義を興起し、勢利を厭棄し、以て畜養を持守す。当時周室衰微し、王道断絶し、諸侯は力を用いて政を為し、強きは弱きを劫奪し、衆きは寡きを暴虐し、百姓に安寧なく、綱紀する人なく、礼儀廃壊し、人倫理ならず。ここに孔子は東より西より、南より北より、爬りて往きて救えり。
第三章
王者之政,賢能不待次而舉,不肖不待須而廢,元惡不待教而誅,中庸不待政而化。分未定也,則有昭穆。雖公卿大夫之子孫也,行絕禮義,則歸之庶人。雖庶民之子孫也,積文學,正身行,能禮義,則歸之士大夫。反側之民,牧而試之,須而待之,安則畜,不安則棄。五疾之民,上收而事之。官施而衣食之,材行反時者,死無赦,謂之天誅。是王者之政也。《詩》曰:“人而無儀,不死何為!”
王者の政は、賢能は次序を待たずして挙用し、不肖は片刻を待たずして廢棄し、元悪は教導を待たずして誅殺し、中庸は政令を待たずして感化す。名分いまだ定まらざれば、則ち昭穆あり。たとい公卿大夫の子孫も、行為は礼義を絶棄すれば、則ち庶人に帰入す。たとい庶民の子孫も、文学を積聚し、自身の行為を端正し、能く礼義を行えば、則ち士大夫に帰入す。反側の民は、牧養して試用し、等待して対待し、安定すれば則ち畜養し、安定せざれば則ち拋棄す。五疾の民は、上は収納して彼らに事を為さしむ。官府は施予して彼らに衣食を給す、材行が時宜に違反するは、死して赦免せず、これを天誅と謂う。是れ王者の政なり。『詩經』に曰く、「人と為りて儀容なくば、死せずしてまた何を為さん!」
第四章
君者,民之源也。源清則流清,源濁則流濁。故有社稷者,不能愛其民,而求民親己愛己,不可得也。民不親不愛,而求為己用,為己死,不可得也。民弗為用,弗為死,而求兵之勁,城之固,不可得也。兵不勁,城不固,而欲不危削滅亡,不可得也。夫危削滅亡之情,皆積於此,而求安樂是聞,不亦難乎?是枉生者也。悲夫!枉生者不須時而滅亡矣。故人主欲強固安樂,莫若反己。欲附下一民,則莫若反之政。欲修政美俗,則莫若求其人。彼其人者,聯繫今之世,而志乎古之道。以天下之王公莫之好也,而是子獨好之。以民莫之為也,而是子獨為之也。抑好之者貧,為之者窮,而是子猶為之,而無是須臾怠焉。差焉獨明夫先王所以遇之者,所以失之者,知國之安危臧否,若別白黑,則是其人也。人主欲強固安樂,則莫若與其人用之,巨用之,則天下為一,諸侯為臣。小用之,則威行鄰國。莫之能御。若殷之用伊尹,周之遇太公,可謂巨用之矣。齊之用管仲,楚之用孫叔敖,可為小用之矣。巨用之者如彼,小用之者如此也。故曰:駁而霸,無一而亡。《詩》曰:“四國無政,不用其良。”不用其良臣而不亡者,未之有也。
君は、民の源頭なり。源頭清ければ則ち水流清く、源頭濁れば則ち水流濁る。ゆえに社稷有るは、能くその民を愛せずして、民の己を親近し己を愛するを求むるは、得べからず。民は親しまず愛せずして、己に用いられ己に死するを求むるは、得べからず。民は用いられず死せずして、兵強・城固を求むるは、得べからず。兵強からず、城固からずして、危削滅亡せざらんと欲するは、得べからず。危削滅亡の情况は、みなここに積聚す、而して安楽を求むるは聞説する、また難からずや?是れ枉生の人なり。悲しきかな!枉生の人は時辰を待たずして滅亡せり。ゆえに人主は強固安楽せんと欲すれば、己に返回するに如かず。下を親附し民を統一せんと欲すれば、則ちあの政に返回するに如かず。政を修め俗を美しくせんと欲すれば、則ちあの人を求むるに如かず。あの人は、当今の世に聯系し、而して志向は古の道に在り。天下の王公はこれを愛好するなく、而してこ人独り愛好す。民はこれを為すなく、而してこ人独り為す。愛好するは貧し、為すは窮し、而してこ人はなお為す、片刻の懈怠なし。差然として独り先王の遇合する所以、失誤する所以を明白にし、国の安危好壞を知ること白黒を分別するがごとく、則ちあの人なり。人主は強固安楽せんと欲すれば、則ちあの人とともに用いるに如かず。大に用いれば、則ち天下統一し、諸侯は臣と為る。小に用いれば、則ち威は隣国に行い、抵禦する能くするなし。殷の伊尹を用い、周の太公に遇うがごときは、大用と称すべし。斉の管仲を用い、楚の孫叔敖を用いるがごときは、小用と称すべし。大用するはあのごとく、小用するはこごとし。ゆえに曰く、駁雑して覇を称す、一様もなければ則ち滅亡すと。『詩經』に曰く、「四国に政なく、あの良臣を用いず」と。良臣を用いずして滅亡せざるは、いまだかつて有らず。
第五章
造父,天下之善御者矣,無車馬則無所見其能。羿,天下之善射者矣,無弓矢則無所見其巧。彼大儒者,善調一天下者也,無百里之地,四無所見其功。夫車固馬選而不能以致千里者,則非造父也。弓調矢直而不能射遠中微者,則非羿也。用百里之地而不能調一天下制四夷者,則非大儒也。彼大儒者,雖隱居窮巷陋室,無置錐之地,而王公不能與之爭名矣。用百里之地,則千里之國不能與之爭勝矣。棰笞暴國,一齊天下,莫之能傾,是大儒之勳也。其言有類,其行有禮,其舉事無悔,其持險應變曲當,與時遷徙,與世偃仰,千舉萬變,其道一也,是大儒之稽也。故有俗人者,有俗儒者,有雅儒者,有大儒者。耳不聞學,行無正義,迷迷然以富利為隆,是俗人也。逢衣博帶,略法先王而不足於亂世,術謬學雜,舉不知法先王而壹制度,不知隆禮義而殺《詩》《書》,其衣冠行為已同於世俗,而不知其惡也。言談議說已無異於老墨,而不知分。是俗儒者也。法先生,一制度,言行有大法,而明不能濟法教之所不及,聞見之所示至,知之為知之,不知為不知,內不自誣,外不誣人,以是尊賢敬法,而不敢怠傲焉。是雅儒者也。法先王依禮義,以淺持博,以一行萬。茍有仁義之類,雖鳥獸若別黑白。奇物變怪,所未嘗聞見,卒然起一方,則法統類以應之,無所疑作(下加心),援法而度之,奄然如合符節。是大儒者也。故人主用俗人,則萬乘之國亡。用俗儒,則萬乘之國存。用雅儒,則千里之國安。用大儒,則百里之地,久而三年,天下為一,諸侯為臣。用萬乘之國則舉錯而定,一朝而白。《詩》曰:“周雖舊邦,其命維新。”可謂白矣。文王亦可謂大儒已矣。
造父は、天下に善く駕馭する、車馬なくば則ちその能を顕現する処なし。羿は、天下に善く射る、弓矢なくば則ちその巧を顕現する処なし。あの大儒は、善く天下を調一する、百里の地なくば則ちその功を顕現する処なし。車堅固馬選択するも以て千里に到達する能わざれば、則ち造父に非ず。弓調い矢直きも能く遠く射て微小を中らざれば、則ち羿に非ず。百里の地を用いて能く天下を調一し四夷を制服せざれば、則ち大儒に非ず。あの大儒は、たとい窮巷陋室に隱居し、錐を插すの地なくとも、而して王公も彼と名を争う能わず。百里の地を用いれば、則ち千里の国も彼と勝を争う能わず。暴国を鞭笞し、天下を斉整し、傾覆する能くするなし、是れ大儒の功勳なり。彼の言は類あり、彼の行為は礼あり、彼の事を挙ぐるに悔なく、彼の険難を持守し変に応じ曲折当を得、時とともに遷移し、世とともに俯仰し、千挙万変するも、その道は一様なり、是れ大儒の考覈なり。ゆえに俗人あり、俗儒あり、雅儒あり、大儒あり。耳は学を聞説せず、行為に正義なく、迷迷然として富利を以て隆盛と做すは、俗人なり。寛衣博帶を穿着し、粗略に先王を效法するも亂世に應對するに足らず、術謬誤・学駁雑にして、舉動は先王を效法して制度を統一するを知らず、礼義を尊崇して『詩』『書』を貶抑するを知らず、衣冠行為すでに世俗と同じくして、あの悪を知らず。言談議論すでに老・墨と異なることなくして、分別を知らず。是れ俗儒なり。先王を效法し、制度を統一し、言行に大法あり、而して明智は法教の及ばざる所・聞見の至らざる所を補足する能わざるも、知れば則ち知るとし、知らざれば則ち知らずとし、内は己を欺騙せず、外は人を欺騙せず、ここを以て賢を尊び法を敬して、怠慢驕傲せざるを敢えてせず。是れ雅儒なり。先王を效法し礼義に依従し、浅を以て博を持守し、一を以て万を实行す。もし仁義の類あれば、たとい鳥獣も白黒を分別するがごとし。奇物變怪の、かつて聞見せざる所、突然一方に興起すれば、則ち法統類を以て應對し、疑滯なく、法を援引して度量し、奄然として符節の相合するがごとし。是れ大儒なり。ゆえに人主は俗人を用いれば、則ち萬乘の國滅亡す。俗儒を用いれば、則ち萬乘の國保存す。雅儒を用いれば、則ち千里の國安定す。大儒を用いれば、則ち百里の地、久しき三年に至り、天下統一し、諸侯臣と為る。萬乘の國を用いれば則ち舉措して定まり、一朝にして顯白す。『詩經』に曰く、「周は旧邦といえども、その命は維新なり」と。顯白と稱すべし。文王もまた大儒と稱すべし。
第六章
楚成王讀於殿上,而倫扁在下,作而問曰:“不審主君所讀何書也?”成王曰:“先聖之書。”倫扁曰:“此直先聖王之糟粕耳。”成王曰:“子何以言之?”倫扁曰:“以臣輪言之。夫以規為圓,矩為方,此其可付乎子孫者也。若夫合三木而為一,應乎心,動乎體,其不可得而傳者也。則凡所傳直糟粕耳。”故唐虞之法可得而考也。其喻人心不可及矣。《詩》曰:“上天之載,無聲無臭。”其孰能及之?
楚成王は殿上にて書を讀み、輪扁は下に在り、起身して問うた、「主君の讀む所の何の書か明白ならず?」成王は曰く、「先聖の書」と。輪扁は曰く、「これはただ先聖王の糟粕のみ」と。成王は曰く、「あなたは何を憑ってこう説く?」輪扁は曰く、「臣の輪を為すを以て説かん。規を以て円を為し、矩を以て方を為すは、これは子孫に傳うべし。三木を合して一と為すに至っては、心に應じ體に動く、これは得て傳うべからず。然らば凡そ傳うる所はただ糟粕のみ」と。ゆえに唐虞の法は考求すべし。あの人心を曉喻するは却って及ぶべからず。『詩經』に曰く、「上天の事は、声なく气味なし」と。誰か及び得んや?
第七章
孔子學鼓琴於師襄子而不進,師襄子曰:“夫子可以進矣。”孔子曰:“丘已得其曲矣,未得其數也。”有間,曰:“夫子可以進矣。”曰:“丘已得其數矣,未得其意也。”有間,復曰:“夫子可以進矣。”曰:“入已得其意矣,未得其人也。”有間,復曰:“夫子可以進矣。”曰:“入已得其人矣,未得其類也。”有間,曰:“邈然遠望,洋洋乎,翼翼乎,必作此樂也。黯然而黑,幾然而長,以王天下,以朝諸侯者,其惟文王乎。”師襄子避席再拜曰:“善!師以為文王之操也。”故孔子持文王之聲,知文王之為人。師襄子曰:“敢問何以知其文王之操也?”孔子曰:“然。夫仁者好韋,智者好彈,有殷懃之意者好麗。丘是以知文王之操也。”傳曰:聞其末而達其本者,聖也。
孔子は師襄子に鼓琴を学びて前進せず、師襄子は曰く、「夫子は前進すべし」と。孔子は言った。「丘はすでにあの曲子を得たり、いまだあの度數を得ず」と。しばらく過ぎて、曰く、「夫子は前進すべし」と。曰く、「丘はすでにあの度數を得たり、いまだあの意を得ず」と。しばらく過ぎて、また曰く、「夫子は前進すべし」と。曰く、「丘はすでにあの意を得たり、いまだあの人を得ず」と。しばらく過ぎて、また曰く、「夫子は前進すべし」と。曰く、「丘はすでにあの人を得たり、いまだあの類を得ず」と。しばらく過ぎて、曰く、「邈然として遠望し、洋洋かな、翼翼かな、必ずこ樂を作れるなり。黯然として黑、頎然として長、以て天下に王と稱し、以て諸侯を朝見せしむるは、ほぼ文王のみあらん」と。師襄子は席位を離れ再拝して曰く、「好し!老師は以て文王の琴曲と為す」と。ゆえに孔子は文王の声を持守し、文王の爲人を知る。師襄子は曰く、「何を憑って文王の琴曲と知ったかを請う」と。孔子は言った。「是れ。仁者は韋を喜び、智者は彈を喜び、殷勤の意有るは華麗を喜ぶ。丘はここを以て文王の琴曲と知れり」と。傳に記す:末梢を聞きて根本に通達するは、聖なりと。
第八章
紂之為主,戮無辜,勞民力,寃酷之令,加於百姓,憯悽之惡,施於大臣。群下不信,百姓疾怨,故天下叛而願為文王臣,紂自取之也。夫貴為天子,富有天下,及周師至而令不行乎左右,悲夫!當是之時,索為匹夫,不可得也。《詩》曰:“天謂殷適,使不俠四方。”
紂は君主を爲して、無辜を殺戮し、民力を勞累し、冤酷の命令は百姓に加わり、慘凄の惡は大臣に施加す。群下信任せず、百姓疾怨し、ゆえに天下は背叛して文王の臣と爲らんと願う、是れ紂の自ら取れるなり。貴く天子と爲り、富みて天下を有す、周師至るに及びて命令は左右にて實行せられず、悲しきかな!こ時に當たり、匹夫と爲らんことを求むるも、得べからず。『詩經』に曰く、「天は殷の嫡嗣に告げ、彼をして四方に俠義する能わざらしむ」と。
第九章
夫五色雖明,有時而渝。豐交之木,有時而落。物有成衰,不得自若。故三王之道,周則復始,窮則反本,非務變而已,將以止惡扶微,絀繆瀹非,調和陰陽,順萬物之宜也。《詩》曰:“亹亹我王,綱紀四方。”
五色は鮮明といえども、ある時改變す。豐茂交錯の樹木は、ある時落葉す。物に成有り衰有り、自ら如故に行う能わず。ゆえに三王の道は、循環すれば則ち重新開始し、窮盡すれば則ち根本に返回す、務めて變化するのみに非ず、將に以て惡を制止し微弱を扶持し、謬誤を貶斥し不對を洗濯し、陰陽を調和し、萬物の適宜に順わんとす。『詩經』に曰く、「勤勉の我王、四方を綱紀す」と。
第十章
禮者則天地之體,因人之情而為之節文者也。無禮,何以正身?無師,安知禮之是也?禮然而然,是情安於禮也。師云而云,是知若師也。情安禮,知若師,則是君子之道。言中倫,行中理天下順矣。《詩》曰:“不識不知,順帝之則。”
禮は天地の體を效法し、人情に順ってこれがために節制文飾するなり。禮なくば、何を憑って自身を端正せん?老師なくば、どこに禮の對なるを知らんや?禮いかにあれば則ちいかにするは、情の禮に安んずるなり。老師いかに説けば則ちいかに説くは、智の老師に似るなり。情は禮に安んじ、智は老師に似れば、則ち君子の道なり。言語は倫に合し、行爲は理に合すれば、天下順從せり。『詩經』に曰く、「識らず知らずして、帝の法則に順う」と。
第十一章
上不知順孝,則民不知反本。君不知敬長,則民不知貴親。禘祭不敬,山川失時,則民無畏矣。不教而誅,則民不識勸也。故君子修身及孝,則民不倍矣。敬孝達乎下,則民知慈愛矣。好惡喻乎百姓,則下應其上如影響矣。是則兼制天下,定海內,臣萬姓之要法也,明王聖主之所不能須臾而舍也。《詩》曰:“成王之孚,下土之式。永言孝思,孝思維則。”
上に在りて孝に順從するを知らざれば、則ち民は根本に返回するを知らず。君は長者を尊敬するを知らざれば、則ち民は親を看重するを知らず。禘祭敬せず、山川時を失えば、則ち民に畏懼なし。教導せずして誅殺すれば、則ち民は勸勉を知らず。ゆえに君子は身を修めて孝に達すれば、則ち民は背叛せず。敬孝は下に通達すれば、則ち民は慈愛を知る。好惡は百姓に曉喻すれば、則ち下の上に應答するは影と響のごとし。これは則ち兼ねて天下を制し、海内を安定し、萬姓を臣服するの要約の法、明王聖主の片刻も捨棄する能わざる所なり。『詩經』に曰く、「成王の誠信は、下土の法式。永遠に孝の思念を説けば、孝の思念は則ち法則なり」と。
第十二章
成王之時,有三苗貫桑而生,同為一秀,大幾滿車,長几充箱,民得而上諸成王。成王問周公曰:“此何物也?”周公曰:“三苗同為一秀,意者天下殆同一也。”比幾三年,果有越裳氏重九譯而至,獻白雉於周公。曰:“道路悠遠,山川幽深。恐使人之未達也,故重譯而來。”周公曰:“吾何以見賜也?”譯曰:“吾愛命國之黃髪,曰:‘久矣天之不迅風疾雨也,海之不波溢也,三年於茲矣。意者中國殆有聖人,盍往朝之。’於是來也。”周公乃敬求其所以來。《詩》曰:“於萬斯年,不遐有佐。”
成王の時、三苗ありて桑樹を貫穿して生れ、同じく一個の穗を成し、大なることほぼ車に滿充し、長なることほぼ箱に充滿し、民は得て成王に獻じた。成王は周公に問うた、「これは何の物か?」周公は曰く、「三苗同じく一個の穗を成すは、恐らく天下ほぼ同一ならんとす」と。將に三年にして、果して越裳氏ありて九次翻譯を經由して來り、周公に白雉を獻じた。曰く、「道路悠遠にして、山川幽深。使者の通達する能わざるを怕り、ゆえに重譯して來れり」と。周公は曰く、「我は何を憑ってこれを賜給せられん?」譯者は曰く、「我は國中の黃髮老人より命を受け、曰く、『久しきかな天は迅風疾雨せず、海は波濤氾濫せず、三年ここに在り。恐らく中國ほぼ聖人あらん、何ぞ前往して朝見せぬや』と。すなわち來れり」と。周公はすなわち恭敬して彼らの來たる所以の緣故を推求した。『詩經』に曰く、「千萬年に在り、遠からざるに輔佐あり」と。
第十三章
登高臨深,遠見之樂,臺榭不若丘山所見高也。平原廣望,博觀之樂,沼池不如川深所見博也。勞心苦思,從欲極好,靡財傷情,毀名損壽。悲夫傷哉!窮君之反於是道而愁百姓。《詩》曰:“上帝闆闆,下民卒癉。”
高きに登り深きに臨み、遠見の快樂は、臺榭は丘山の見る所の高きに如かず。平原廣望し、博觀の快樂は、沼池は川澤の深く見る所の廣きに如かず。心を勞し思を苦し、欲望を放縱し愛好を極盡し、財を浪費し情を傷害し、名を毀し壽を損す。悲しきかな傷むべきかな!窮困の君はこ道に違反して百姓を愁苦せしむ。『詩經』に曰く、「上帝は反常、下民は終に勞病す」と。
第十四章
儒者,儒也。儒之為言無也,不易之術也。千舉萬變,其道不窮,六經是也。若夫君臣之義,父子之親,夫婦之別,朋友之序,此儒者之所謹守,日切磋而不捨也。雖居窮巷陋室之下,而內不足以充虛,外不足以蓋形,無置錐之地,明察足持天下,大舉在人上,則王公之材也,小用使在位,則社稷之臣也,雖巌居穴處而王侯不能與爭名,何也?仁義之化存爾。如使王者聽其言,信其行,則唐虞之法可得而觀,頌聲可得而聽。《詩》曰:“先民有言,詢於蒭蕘。”
儒は、則ち儒なり。儒は言と爲して無、是れ改易すべからざる術なり。千舉萬變するも、その道窮盡せず、六經則ち是れ。君臣の義、父子の親、夫婦の分別、朋友の次序に至っては、是れ儒者の謹守する所、每日切磋して捨棄せざるなり。たとい窮巷陋室の下に住すとも、而して內は足らずして虛空を充滿し、外は足らずして形體を覆蓋し、錐を插すの地なく、明察足りて天下を持守し、大に舉げば人上に在りて、則ち王公の材、小に用いて彼を位に在らしめば、則ち社稷の臣、たとい巖居穴處するも王侯も彼と名を爭う能わず、なぜか?仁義の教化存するのみ。もし王者をしてその言を聽き、その行を信ぜしめば、則ち唐虞の法は觀看すべく、頌聲は聽聞すべし。『詩經』に曰く、「先民に言あり、樵夫に詢問せよ」と。
第十五章
傳曰:天子居廣廈之下,帷帳之內,旃茵之上,被躧舄,視不出閫,莽然而知天下者,以有賢左右也。故獨視不若與眾視之明也,獨聽不若與眾聽之聰也,獨慮不若與眾慮之工也。故明王使賢臣,輻湊並進,所以通中正而致隱居之士。《詩》曰:“先民有言,詢於蒭蕘。”此之謂也。
傳に記す:天子は廣廈の下、帷帳の內、旃茵の上に居り、躧舄を穿着し、視線は門檻を出でず、莽然として天下を知るは、賢の左右有るを以てなり。ゆえに獨り看るは衆人と看るに明白ならず、獨り聽くは衆人と聽くに聰敏ならず、獨り思慮するは衆人と思慮するに工巧ならず。ゆえに明王は賢臣を使い、車輻の湊集竝進するがごとく、以て中正を通達し隱居の士を招致す。『詩經』に曰く、「先民に言あり、樵夫に詢問せよ」と。言うはこのことなり。
第十六章
天設其高,而日月成明。來設其厚,而山陵成名。上設其道,而百事得序。自周室壞以來,王道廢而不起,禮義絕而不繼。秦之時,非禮義,棄《詩》《書》,略古昔,大滅聖道,專為茍妄,以欲速則不達利為俗,以告獵為化,而天下大亂。於是兵作而火起,暴露居外,而民以侵漁遏奪相攘為服習,離聖王光烈之日久遠,未嘗見仁義之道,被禮樂之風。是以嚚頑無禮,而肅敬日損,凌遲以威武相攝,妄為佞人,不避禍患,此其所以難治也。人有六情,目欲視好色,耳欲聽宮商,鼻欲嗅芬香,口欲嗜甘旨,其身體四肢欲安而不作,衣欲被文繡而輕暖。此六者,民之六情也。失之則亂,從之則穆。故聖王之教其民也,必因其情而節之以禮,必從其欲而制之以義。義簡而備,禮易而法,去情不遠,故民之從命也速。孔子知道之易行也。《詩》曰:“誘民孔易。”非虛辭也。
天はその高を設置し、而して日月は光明を成就す。地はその厚を設置し、而して山陵は名を成就す。上はその道を設置し、而して百事は次序を得たり。周室敗壞以來、王道は廢棄して興起せず、禮義は斷絶して接續せず。秦の時、禮義を非議し、『詩』『書』を拋棄し、古昔を忽略し、大いに聖道を滅し、專ら苟且妄爲を爲し、速ならんと欲して達せざるの利を以て習俗と爲し、告訐を以て教化と爲し、而して天下大亂せり。ここに兵作り火起り、暴露して外に住し、而して民は侵漁遏奪を用いて互相攘奪を習慣と爲し、聖王光烈の日を離るること久遠、かつて仁義の道を見ず、禮樂の風を承受せず。ここを以て愚頑にして禮なく、而して肅敬は一天天に減損し、陵夷にして威武を以て互相攝服し、妄りに佞人を爲し、禍患を躲避せず、是れ治め難き所以の緣故なり。人に六情あり、眼は美好の色を看んと欲し、耳は宮商を聽かんと欲し、鼻は芬香を嗅がんと欲し、口は甘旨を嗜まんと欲し、身體四肢は安にして勞せざらんと欲し、衣は文繡を披きて輕暖ならんと欲す。こ六樣は、民の六情なり。失えば則ち亂れ、順えば則ち和穆す。ゆえに聖王はその民を教導するに、必ず情に順って禮を以て節制し、必ず欲望に跟從して義を以て制約す。義簡にして完備し、禮易にして法あり、情を離るること遠からず、ゆえに民の命令に跟從するも速し。孔子は道の易く實行するを知れり。『詩經』に曰く、「民を誘導するは甚だ容易し」と。虛辭に非ず。
第十七章
繭之性為絲,弗得女工燔以沸湯,抽其統理,則不成為絲。卵之性為雛,不得良雞覆伏孚育,積日累久,則不成為雛。夫人性善,非得明王聖主扶攜,內之以道,則不成為君子。《詩》曰:“天生烝民,其命匪諶,靡不有初,鮮克有終。”言惟明王聖主然後使之然也。
繭の性は絲、女工の沸湯を以て煮て、統緒条理を抽出するを得ざれば、則ち絲と為る能わず。卵の性は雛、良雞の覆伏孵育するを得ざれば、日を積み久を累ねても、則ち雛と為る能わず。人の性善は、明王聖主の扶持携引するを得ざれば、道を以て內裏に納入しなければ、則ち君子と為る能わず。『詩經』に曰く、「天は衆民を生じ、あの命は誠信ならず、開始有らざるなく、終結有る能くする少なし」と。是れただ明王聖主のみ然る後に彼らをこのごとくせしむるを言うなり。
第十八章
智如泉源,行可以為表儀者,人師也。智可以砥礪,行可以為輔弼者,人友也。據法守職,而不敢為非者,人吏也。當前快意,一呼再喏者,人隸也。故上主以師為佐,中主以友為佐,下主以吏為佐,危亡之主以隸為佐。語曰:“淵廣者其魚大,主明者其臣慧。”相觀而志合,必由其中。故同明相見,同音相聞,同志相從,非賢者莫能用賢。故輔弼左右,所任使者,有存亡之機,得失之要也。可無慎乎?《詩》曰:“不明爾德,以無陪無側,爾德不明,以無陪無側。”
智は泉源のごとく、行為は以て表儀と為るべきは、人の老師。智は以て砥礪すべく、行為は以て輔弼と為るべきは、人の朋友。法に依据し職を守りて、而して敢えて對ならざるを爲さざるは、人の吏。當前快意し、一呼再喏するは、人の奴隸。ゆえに上主は老師を用いて輔佐と爲し、中主は朋友を用いて輔佐と爲し、下主は吏を用いて輔佐と爲し、危亡の主は奴隸を用いて輔佐と爲す。俗語に曰く、「淵廣きは魚大なり、主明るければ臣慧なり」と。互相觀察して志向相合すれば、必ずその中より來る。ゆえに明同じければ則ち互相見え、音同じければ則ち互相聞こえ、志同じければ則ち互相跟從す、賢者に非ざれば賢を用いる能わず。ゆえに輔弼左右の、任使する所は、存亡の機、得失の要約あり。能く謹慎せざらんや?『詩經』に曰く、「あなたの德を顯明せず、ここを以て陪從なく側近なし、あなたの德を顯明せず、ここを以て陪從なく側近なし」と。
第十九章
昔者禹以夏王,桀以夏亡。湯以殷王,紂以殷亡。故無常安之國,無恆治之民,得賢則昌,失賢則亡。自古及今,未有不然者也。夫明鏡者所以照形也,往古者所以知今也。夫知惡往古之所以危亡,而不襲蹈其所以安存者,則無以異乎卻行而求逮於前人也。鄙語曰:“不知為吏,視已成事。”或曰:“前車覆而後車不誡,是以後車覆了也。”故夏之所以亡者而殷為之,殷3之所以亡者而周為之。故殷可以鑑於夏,而周可以鑑於殷。《詩》曰:“殷監不遠,在百後之世。”
昔禹は夏に因りて王と稱し、桀は夏に因りて滅亡せり。湯は殷に因りて王と稱し、紂は殷に因りて滅亡せり。ゆえに常安の國なく、恒治の民なし、賢を得れば則ち昌盛し、賢を失えば則ち滅亡す。古より今に至るまで、こうでないはなし。明鏡は以て形を照らす用、往古は以て今を知る用。往古の危亡する所以を厭惡するを知りて、却って安存する所以を沿襲せざれば、倒れて走りて前の人に趕上せんと求むると異なることなし。俗語に曰く、「吏を爲すを知らざれば、すでに成就した事を看よ」と。あるいは曰く、「前の車は翻れて後の車は警戒せず、ここを以て後の車もまた翻る」と。ゆえに夏の滅亡する所以を殷は之を爲し、殷の滅亡する所以を周は之を爲す。ゆえに殷は以て夏を借鑑すべく、而して周は以て殷を借鑑すべし。『詩經』に曰く、「殷の鑑戒は遠からず、夏后の世代に在り」と。
第二十章
傳曰:驕溢之君寡忠,口惠之人鮮信。故盈把之木無合拱之枝,榮澤之水無吞舟之多。根淺則枝葉短,本絶則枝葉枯。《詩》曰:“枝葉未有害,本實先撥。”禍福自己出也。
傳に記す:驕溢の君は忠少なく、口頭施惠の人は信少なし。ゆえに滿把の樹木に合抱の枝なく、榮澤の水に吞舟の魚なし。根淺ければ則ち枝葉短く、根本斷絶すれば則ち枝葉枯る。『詩經』に曰く、「枝葉はいまだ害なく、根本は實に先に撥除せらる」と。禍福は自己より出づ。
第二十一章
水淵深廣,則龍魚生之。山林茂盛,則禽獸歸之。禮義修明,則君子懷之。故禮及身而行修,禮及國而政明。能以禮扶身,則貴名自揚,天下順焉,令行禁止,而王者之事畢矣。《詩》曰:“有覺德行,四國順之。”夫此之謂矣。
水淵深廣なれば、則ち龍魚はそこに生長す。山林茂盛なれば、則ち禽獸はそこに歸向す。禮義修明なれば、則ち君子はそこを懷念す。ゆえに禮は身に達して行爲修まり、禮は國に達して政治明なり。能く禮を以て身を扶持すれば、則ち貴名自ら顯揚し、天下順從し、令行禁止して、而して王者の事は則ち完備す。『詩經』に曰く、「正直の德行有りて、四國はこれに順從す」と。言うはこのことなり。
第二十二章
孔子曰:夫談說之術,齊莊以立之,端誠以處之,堅強以持之,闢稱以喻之,分別以明之,歡忻芬芳以送之,寶之珍之,貴之神之,如是則說恆無不行矣。夫是之謂能貴其所貴。若夫無類之說,不形之行,不讚之辭,君子慎之。《詩》曰:“無易由言,無曰茍矣。”
孔子は言った。談説の術は、斉整莊重を以て樹立し、端正誠信を以て相處し、堅強を以て持守し、譬稱を以て曉喻し、分別を以て顯明し、歡欣芬芳を以て送出し、これを寶貴しこれを珍惜し、これを看重しこれを神化すれば、このごとくなれば則ち説は常に實行せられざるなし。これを則ち能く看重する所を看重すと謂う。類なきの説法、形なきの行爲、贊助なきの辭に至っては、君子は謹慎して對待す。『詩經』に曰く、「輕易に發言する勿れ、苟且を説く勿れ」と。
第二十三章
夫百姓內不乏食,外不患寒,則可教御以禮義矣。《詩》曰:“蒸畀祖妣,以洽百禮。”百禮洽則百意遂,百意遂則陰陽調,陰陽調則寒暑均,寒暑均則三光清,三光清則風雨時,風雨時則群生寧。如是而天道得矣。是以不出戶而知天下,不窺牖而見天道。《詩》曰:“惟此聖人,瞻言百里。”“於鑈王師,遵養時晦。”言相養之至於晦也。
百姓は內裏食を缺乏せず、外面寒を擔心せざれば、則ち以て禮義教導駕馭すべし。『詩經』に曰く、「祖妣に進獻し、以て百禮に和洽せん」と。百禮和洽すれば則ち百意順遂し、百意順遂すれば則ち陰陽調和し、陰陽調和すれば則ち寒暑均平し、寒暑均平すれば則ち三光明澈し、三光明澈すれば則ち風雨時に按じ、風雨時に按ずれば則ち群生安寧す。このごとくにして天道は則ち得られたり。ここを以て門戸を出でずして天下を知り、窓戸を窺看せずして天道を見る。『詩經』に曰く、「ただこ聖人のみ、言論百里を瞻望す」「輝煌の王師、涵養に順って晦暗の時に處る」と。是れ互相畜養して晦暗の時に至るを言うなり。
第二十四章
天有四時,春夏秋冬,風雨霜露,無非教也。清明在躬,氣志如神,嗜慾將至,有開必先,天降時雨,山川出雲。《詩》曰:“嵩高維嶽,峻極於天。維嶽降神,生甫及申。維申及甫,維周之翰。四國於蕃,四方於宜。”此文武之德也。
天に四時あり、春夏秋冬、風雨霜露、教導ならざるなし。清明身に在り、氣志は神のごとく、嗜欲將に至らんとすれば、開啓有れば必ず先有り、天は時雨を降下し、山川は雲を生出す。『詩經』に曰く、「高大なるは岳、高峻にして天に達す。岳は神を降下し、甫と申を生出す。申と甫は、周の骨幹なり。四國は彼らを藩籬と爲し、四方は彼らを適宜と爲す」と。是れ文王武王の德なり。
第二十五章
三代之王也,必先其令名。《詩》曰:“明明天子,令聞不已。矢其文德,洽此四國。”此大王之德也。
三代は王と稱す、必ず先に美好の名声有り。『詩經』に曰く、「明明の天子、美好の聲聞停まらず。その文德を施行し、こ四國を和洽す」と。是れ太王の德なり。
第二十六章
藍有青,而絲假之青於藍。地有黃,而絲假之黃於地。藍青地黃,猶可假也。仁義之事,不可假乎哉?東海之魚名曰鰈,比目而行,不相得不能逩。北方有獸名曰婁,更食而更視,不相得不能飽。南方有鳥名曰鶼,比翼而飛,不相得不能舉。西方有獸名曰蟨,前足鼠,後足兎,得甘草必銜以遺蛩蛩距虛,其性非愛蛩蛩距虛,將為假足之故也。夫鳥獸魚猶知相假,而況萬乘之主乎?而獨不知假此天下英雄俊士與之為伍,則豈不病哉。故曰:以明扶明,則升於天。以明扶闇,則歸其人。兩瞽相扶,不觸牆木,不陷井穽,則其幸也。《詩》曰:“惟彼不順,往以中垢。”
藍に青色あり、而して絲はこれを借助して藍よりも青し。地に黃色あり、而して絲はこれを借助して地よりも黃し。藍青地黃は、なお借助すべし。仁義の事は、借助すべからざらんや?東海の魚の名を鰈といい、目を比べて行い、相得ざれば則ち奔る能わず。北方に獸ありて名を婁といい、輪流に食い輪流に看、相得ざれば則ち飽く能わず。南方に鳥ありて名を鶼といい、翼を比べて飛び、相得ざれば則ち擧る能わず。西方に獸ありて名を蟨といい、前足は鼠のごとく後足は兔のごとく、甘草を得れば必ず啣えて蛩蛩距虛に送る、その性は蛩蛩距虛を愛するに非ず、將に足を借助するの緣故のためなり。鳥獸魚はなお互相借助するを知る、まして萬乘の主においてをや?却って獨りこれら天下の英雄俊士と彼らと伙伴を爲すを借助するを知らず、豈に病まずや。ゆえに曰く、明を以て明を扶持すれば、則ち天に升る。明を以て暗を扶持すれば、則ちあの人に歸る。兩盲は互相扶持して、墻木に碰せず、井阱に陷らざれば、則ち幸運なりと。『詩經』に曰く、「ただあの順わざるのみ、中垢を帶びて前往す」と。
第二十七章
福生於無為,而患生於多欲。知足,然後富從之。德宜君人,然後貴從之。故貴爵而賤德者,雖為天子,不尊矣。貪物而不知止者,雖有天下,不富矣。夫土地之生物不益,山澤之出財有盡,懷不富之心而求不益之物,挾百倍之慾而求有盡之財,是桀紂之所以失其位也。《詩》曰:“大風有隨,貪人敗類。”
福は無爲の中より生出し、而して患は多欲の中より生出す。知足すれば、然る後に富は跟從す。德は人君たるに適宜すれば、然る後に貴は跟從す。ゆえに爵を看重して德を看輕するは、たとい天子を爲すとも、尊貴ならず。物を貪りて停止を知らざるは、たとい天下を有すとも、富まず。土地は物を生長して增益せず、山澤は財を出産して窮盡有り、富まざるの心を懷きて增益せざるの物を求め、百倍の欲望を挾帶して窮盡有るの財を求むるは、桀紂の位子を失去する所以の緣故なり。『詩經』に曰く、「大風に隨從有り、貪婪の人は同類を敗壞す」と。
第二十八章
哀公問於子夏曰:“必學然後可以安國保民乎?”子夏曰:“不學而能安國保民者,未之有也。”哀公曰:“然則五帝有師乎?”子夏曰:“巨聞黃帝學乎大塡,顓頊學乎祿圖,帝嚳學乎赤松子,堯學乎務成子附,舜學乎尹壽,禹學乎西王國,湯學乎貸子相,文王學乎錫疇子斯,武王學乎太公,周公學乎虢叔,仲尼學乎老耼。名號不能傳乎後世者也。《詩》曰:“不衍不忘,率由舊章。”
哀公は子夏に問うた、「必ず學習して然る後に國を安んじ民を保つべきか?」子夏は曰く、「學習せずして能く國を安んじ民を保つは、いまだかつて有らず」と。哀公は曰く、「然らば五帝に老師有りや?」子夏は曰く、「臣は聞く、黃帝は大墳に學び、顓頊は祿圖に學び、帝嚳は赤松子に學び、堯は務成子附に學び、舜は尹壽に學び、禹は西王國に學び、湯は貸子相に學び、文王は錫疇子斯に學び、武王は太公に學び、周公は虢叔に學び、仲尼は老聃に學べりと。名號は却って後世に傳わる能わざる所なり。『詩經』に曰く、『過失を愆らず忘れず、旧の章程に遵循せよ』」と。
