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四庫全書総目提要

宋 · 张根 · 第1巻 / 8

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

呉園易解巻第一(上経 乾至履)

易経易学典籍

術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。

△《吳園易解》•九卷(湖北巡撫採進本)

《四庫全書総目》に著録す:《呉園易解》九巻、拠る所の底本は湖北巡撫が採集進呈した本子である。

宋張根撰。根字知常,德興人。年二十一登進士第。大觀中官至淮南轉運使,以朝散大夫終於家。事蹟具《宋史》本傳。是書末有其孫垓《跋》,稱為先祖太師者,其子燾孝宗時為參知政事追贈官也。根所撰述甚多,垓《跋》稱有宋朝編年數百卷,五經諸子皆為之傳注。

この書は宋代の張根が撰述した。張根は字を知常といい、饒州徳興県の人、二十一歳で進士に考中した。宋徽宗の大観年間、官は淮南転運使に至り、最後に朝散大夫の官階を以て家中に卒した。生平の事跡は《宋史》本伝に見える。書の末尾に彼の孫張垓の写した《跋》を附す。《跋》の裏は張根を「先祖太師」と称する。「太師」は張根の生前の官職にあらずして、彼の児子張燾が宋孝宗の時に官は参知政事に至り、朝廷が初めて張根に追贈した栄銜である。張根は一生著述が多く、張垓《跋》に拠れば、彼は几百巻の《宋朝編年》を写し、五経と諸子の書にもみなそれらの為に伝注を作った。

晁公武《讀書志》載有《春秋指南》十卷,今皆未見。惟此《易解》僅存,明祁承《火業》家有其本。此為徐氏傳是樓所鈔,自《說卦傳》“乾健也”節以下,蠹蝕殘闕。末有康熙壬申李良年《跋》,亦稱此本不易得。然《通志堂經解》之中遺而不刻,豈得本於刻成後耶?書中次第,悉用王弼之本。詮義理而不及象數,不襲河洛之談。註文簡略,亦無支蔓之弊。末有《序語》五篇,《雜說》一篇,皆論《繫辭》,於《經》義頗有發明。又《泰卦論》一篇,於人事天道倚伏消長之機尤三致意焉。蓋作於徽宗全盛時也。亦可云識微之士矣。

晁公武《郡斎読書志》は彼に《春秋指南》十巻ありと著録するも、如今これらの書はみな見えず。ただこの《易解》のみ保存して残る。明代蔵書家祁承㸁の家中にその本子を蔵す。眼下のこの一部は常熟徐乾学「伝是楼」の抄本にして、《説卦伝》の「乾健也」一節より下は、虫に蛀められ損壊して残缺少々あり。巻末に清康熙三十一年壬申の李良年の写した《跋》を附し、またこの本子は甚だ容易に得難しという。しかるに納蘭性徳が輯刻した《通志堂経解》の裏にはかえってそれを漏落して刊刻せず。豈に徐家がこの抄本を得た時には《通志堂経解》はすでに刻り成せりしか。書中の六十四卦の先後次序は、全く王弼の本子を採用す。それはただ義理を講じて象数に渉らず、また漢代以来の河図洛書のあの套の説法を沿襲せず。注文は簡明扼要に写されて、枝蔓蕪雑の毛病なし。全書の末尾に《序語》五篇・《雑説》一篇あり、みな《繋辞伝》を討論して、経文義理に対し頗る闡発あり。また《泰卦論》一篇あり、人事と天道の間の禍福相倚・消長交替の関鍵に対し、反復して意を致す。これおそらく宋徽宗の号して全盛と称すの時に写れたるか、また言うべくんば張根は一位の微細の処より征兆を看出し得る人なり。

呉園易解巻第一(上経 乾至履)

乾卦(乾下乾上)

上經:乾、坤、屯、需、訟、師、比、小畜、履。乾下乾上。乾:元,亨,利,貞。初九,潛龍勿用。伯夷之事。九二,見龍在田,利見大人。仲尼之事。九三,君子終日乾乾,夕惕若厲,無咎。文王之事。九四,或躍在淵,無咎。武王觀兵之事。九五,飛龍在天,利見大人。禹湯之事。上九,亢龍有悔。穆王之事。用九,見群龍無首,吉。堯舜之事。

上経の収する卦は乾・坤・屯・需・訟・師・比・小畜・履(ここの卦目は「蒙」卦を脱漏せり)。乾卦の卦体は、下卦が乾、上卦も乾。卦辞にいわく:乾は元・亨・利・貞の四種の徳性を具備す。初九爻辞にいわく:潜伏の龍、作為を施展する勿れ——張根がいわく、これは伯夷が隠居して仕えざるのあの類の事に相当す。九二爻辞にいわく:龍が田野の上に出現す、大人物を見るに宜し——これは孔子が徒を聚めて講学し徳望が初めて顕れるのあの類の事に相当す。九三爻辞にいわく:君子は整天勤勉して懈らず、夜に到るもなお警惕戒惧す。険境に処するも過ちなし——これは周文王が小心に殷商に事奉するのあの類の事に相当す。九四爻辞にいわく:あるいは騰躍して起り、あるいはなお深淵に退処す、いずれも過ちなし——これは周武王が孟津に兵を観て、時機が未熟なるを見て師を還すのあの類の事に相当す。九五爻辞にいわく:龍は天上に飛ぶ、大人物を見るに宜し——これは大禹・商湯が位に登りて道を行うのあの類の事に相当す。上九爻辞にいわく:極処に升った龍は悔恨あらん——これは周穆王が八駿を駕して遠遊し、ほとんど天下を失いかけたあの類の事に相当す。用九爻辞にいわく:一群の龍が出現してみな首領を争為せず、吉祥——これは堯・舜が禅譲し天下を以て私と為さざるのあの類の事に相当す。

彖曰:大哉乾元,萬物資始,乃統天。雲行雨施,品物流形。大明終始,六位時成,時乘六龍以御天。乾道變化,各正性命,保合太和,乃利貞。首出庶物,萬國咸寧。乾道無所不該,四徳特舉其應物之跡耳,故有人君之象。

《彖伝》にいわく:偉大なりや乾の元始の徳、万物はみなそれに靠って初めて開端あり、それは整个の天道を統攝す。雲気が流行し、雨沢が施布して、各類の物象は流動の中に自己の形体を成就す。太陽の光明は始終を貫穿し、六箇の爻位は時序に按じて依次に形成し、聖人は随時に六条の龍を駕するがごとく天道の運行を駕馭す。乾道は不断に変化して、万物をして各自に自己の天性と命分を端正せしめ、最も和諧の元気を保持し会合して、ここに利して貞正たり。それは衆物の上に高出して、天下万国はこれによってみな安寧を得。張根が解していわく:乾道は包むところなきなく、卦辞はただ元・亨・利・貞の四徳を挙出するのみ、過ぎずそれが万物に感応する時に留下した痕迹を挙出する而已。ゆえに乾卦に人君の象征あり。

象曰:天行健,君子以自強不息。帝之所興,王之所成,皆原於此。潛龍勿用,陽在下也。見龍在田,徳施普也。終日乾乾,反復道也。或躍在淵,進無咎也。飛龍在天,大人造也。亢龍有悔,盈不可久也。用九,天徳不可為首也。天為剛徳,猶不干時,況於人乎?

《大象伝》にいわく:天道は運行して剛健已まず、君子はそれに取法して、自ら振作して永遠に懈怠せず。張根が解していわく:帝者の興起する所以・王者の成功する所以は、根源はみなこの一句の上に在り。《小象伝》は逐爻に申説す:「潜龍勿用」は、陽気がなお最も下に処するがゆえに。「見龍在田」は、徳沢がすでに普及を開始したるがゆえに。「終日乾乾」は、正道上に反復行走するがゆえに。「或躍在淵」は、前に進行するも過錯を招来せざるがゆえに。「飛龍在天」は、大人物がすでに事業を成就したるがゆえに。「亢龍有悔」は、盈満の状態は長久の可能ならざるがゆえに。「用九」は、天の徳性は争先して首と為らざるに在り。張根がいわく:天は剛健の徳の代表にして、なお時序の前に抢じて妄動することを肯んぜず。いわんや人をや。

文言曰:元者,善之長也;亨者,嘉之會也;利者,義之和也;貞者,事之乾也。君子體仁足以長人,嘉會足以合禮,利物足以和義,貞固足以幹事。君子行此四徳者,故曰乾元亨利貞。四徳所配,惟乾為然。

《文言伝》にいわく:いわゆる「元」は、衆善の中の頭第一位。いわゆる「亨」は、各種の美好事物の会合。いわゆる「利」は、義理が調和して恰好好処。いわゆる「貞」は、事を弁成する骨干。君子は仁を以て自身の本体と為せば、衆人の表率を為すに足る。種種の美好を聚合すれば、礼に合するに足る。万物をして各々その利を得せしめば、義理を調和するに足る。正を守りて堅固なれば、事務を担当するに足る。君子は能くこの四種の徳性を実行行う。ゆえに卦辞に初めて「乾、元亨利貞」という。張根が解していわく:四徳がこう斉全に配することは、六十四卦の裏にただ乾卦のみが当たるに足る。

初九曰:潛龍勿用。何謂也?子曰:龍徳而者也。不易乎世,不成乎名,遁世無悶,不見是而無悶,樂則行之,憂則違之,確乎其不可拔,潛龍也。時命大謬而樂則行,此所以為聖人之。九二曰:見龍在田,利見大人。何謂也?子曰:龍徳而正中者也。庸言之信,庸行之謹,閒邪存其誠,善世而不伐,徳博而化。易曰:見龍在田,利見大人。君徳也。有君徳而無位,私淑艾者也。閒邪存其誠,是以能守其中庸;善世而不伐,徳博而化,是以無思不服。

《文言伝》が設問す:初九爻辞に「潜龍勿用」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:これは龍のごとき徳性ありて隠居して出ざる人を指す(「龍徳而」の下に原本は一「隠」の字を脱す)。彼は世俗風気によって自己を改変せず、名声を追求せず、世を避けて隠居するも煩悶せず、人に認可されざるも煩悶せず。意に合する事は則ちそれを行い、憂べき事は則ちそれを避ける。志向は堅定にして動揺する法なし。これがすなわち潜龍。張根が解していわく:時運と命遇とが大いに乖違するも、なお「楽則行之」を做到し得るは、これがまさに聖人の聖人と為る所以の処(この下に原本に脱文あり)。《文言伝》がまた問う:九二爻辞に「見龍在田、利見大人」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:これは龍のごとき徳性ありて位に中正に居る人を指す。彼は平常に説話に信用を講じ、平常に行事に謹慎にして、邪念を防閑し内心の誠を保全し、好事を為して世に有益にして自誇せず、徳行は広博にして能く人を感化す。《易》に「見龍在田、利見大人」というは、講ずるはまさに人君の徳性。張根がいわく:人君の徳を具備するも人君の位なきは、すなわち孟子の謂う所の「私淑艾」、私下に前賢に取法して自らその学を成す人に靠る。邪念を防閑し誠実を保全す。ゆえに中庸を守住し得。世に有益にして自誇せず、徳行は広博にして能く人を化す。ゆえに人心は帰服せざるなし。

九三曰:君子終日乾乾,夕惕若厲,無咎。何謂也?子曰:君子進徳修業。忠信所以進徳也,修辭立其誠所以居業也。知至至之,可與幾也;知終終之,可與存義也。是故居上位而不驕,在下位而不憂,故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。內文明所以進徳也,外柔順所以居業也。三分天下有其二,非幾而何?以服事商,非義而何?

《文言伝》が問う:九三爻辞に「君子終日乾乾、夕惕若厲、无咎」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:君子は不断に徳性を増進し功業を修治せんとす。忠誠守信は徳性を増進する途徑、言辞を修飭し誠実を確立するは功業を守住する途徑。到達すべき目標を知りて努力して到達せんとする、このごとき人は彼と「几」——すなわち事情の細微の征兆——を談論し得。終止すべき地方を知りて適時に終止する、このごとき人は彼とともに義理を守住し得。ゆえにこの種の人は身に高位に居りて驕矜せず、身に下位に処して憂懼せず、能く終日勤勉し随時に警惕して、処境は危険なれど過ちなからん。張根が解していわく:内心の文明は用いて徳を進め、外表の柔順は用いて業を守るなり。周文王はすでに天下の三分之二の人心を得たり。これはまさに几微を懂得するではないか。こうのごとき力量を握るもなお旧のごとく臣服して殷商に事奉するは、これはまさに義理を守住するではないか。

九四曰:或躍在淵,無咎。何謂也?子曰:上下無常,非為邪也;進退無恆,非離群也。君子進徳修業,欲及時也,故無咎。時哉不可失,何咎之有?九五曰:飛龍在天,利見大人。何謂也?子曰:同聲相應,同氣相求,水流溼,火就燥,雲從龍,風從虎,聖人作而萬物睹。本乎天者親上,本乎地者親下,則各從其類也。聖賢相須,然後可大有為於天下。

《文言伝》が問う:九四爻辞に「或躍在淵、无咎」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:忽ち上り忽ち下りて常態なきは、邪僻の事を為さんとするにあらず。忽ち進み忽ち退きて定則なきは、同類を脱離せんとするにあらず。君子が徳性を増進し功業を修治するは、時機に赶上せんが為め。ゆえに過錯なからん。張根が解していわく:時機が来れば錯過すべからず。こうすれば何れの処に過錯あらんや。《文言伝》がまた問う:九五爻辞に「飛龍在天、利見大人」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:声音が相同じきは互いに呼応し、気類が相同じきは互いに尋求す。水は潮湿の処に向かいて流れ、火は乾燥の処に向かいて焼く。雲は龍に随いて生じ、風は虎に随いて起る。聖人がひとたび興起せば、万物は則ちみな来りて瞻仰す。凡そ本源が天に出づるはみな上方に親附し、本源が地に出づるはみな下方に親附して、各自に自己の同類に跟従する而已。張根がいわく:聖君と賢臣は必ず互いに依靠せざればならず、然る後に初めて天下に大有作為し得。

上九曰:亢龍有悔。何謂也?子曰:貴而無位,高而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。潛龍勿用,下也。見龍在田,時舍也。終日乾乾,行事也。或躍在淵,自試也。飛龍在天,上治也。亢龍有悔,窮之災也。乾元用九,天下治也。變則通故。

《文言伝》が問う:上九爻辞に「亢龍有悔」というは、何の意思ぞ。孔子が答えていわく:地位は尊貴なれど実職なく、身は高処に居るも管すべき百姓なく、賢人はみな下位に在りて彼を輔佐する人なし。ゆえにひとたび挙動あれば則ち悔恨を招来す。《文言伝》がまた逐爻に申説す:「潜龍勿用」は、身が最下に処するがゆえに。「見龍在田」は、時機がなお暫且の停留を容許するがゆえに。「終日乾乾」は、勤勉に事を為す中に在り。「或躍在淵」は、自己が時機を試探するがゆえに。「飛龍在天」は、上位に居りて治理を施行するがゆえに。「亢龍有悔」は、窮極の処に走り至りて招来する災禍。「乾元用九」は、天下が治理を得るなり。張根が解していわく:これは窮極して能く変じ、一変すれば則ち通達する緣故なり。

潛龍勿用,陽氣潛藏。聖人所以在下。見龍在田,天下文明。所以時出而含。終日乾乾,與時偕行。所以行其能事。或躍在淵,乾道乃革。所以進而自試。飛龍在天,乃位乎天徳。所以居上而治。亢龍有悔,與時偕極。所以處窮為災。乾元用九,乃見天則。所以常治而不亂。葢功成名遂身退,天之道。

《文言伝》が第三次に各爻を申説す、張根は文に随いて解を作す:「潜龍勿用」は、陽気がなお潜伏隠蔵す——聖人はこれによって安く下位に処す。「見龍在田」は、天下が開始して文采光明あり——聖人はこれによって時に按じて顕露するもなお含蓄を知る(「含」の下に疑わしく脱文あり)。「終日乾乾」は、時勢と一同に前行す——聖人はこれによって自己の為し得る事を施展す。「或躍在淵」は、乾道がここに至りて変革を発生す——聖人はこれによってさらに一歩進みて自我を試探す。「飛龍在天」は、天徳に合乎する位置に居る——聖人はこれによって上位に在りて治理を施行す。「亢龍有悔」は、時勢と一同に極点に走り至る——聖人はこれによって窮途に処して災禍と為る。「乾元用九」は、天の法則を顕現す——ゆえに能く長治して乱れず。大概功名成就の後に身を抽いて退くは、初めて天の常道なり。

乾元者,始而亨者也。利貞者,性情也。乾始能以羙利利天下,不言所利,大矣哉。乾造始而萬物自亨,無一物不得其所而各正其性命之情,此其所以為大而人君法之也。大哉乾乎,剛健中正,純粹精也。六爻發揮,旁通情也。時乘六龍以御天也,雲行雨施,天下平也。具此七徳,是以能不息而首出,無所不利,為人君之象焉。

《文言伝》にいわく:いわゆる「乾元」は、万物をして開始してまた通達せしむる力量。いわゆる「利貞」は、講ずるは万物の本性と情実。乾は開端の処にして能く美好の利益を以て天下を利益し、しかるに自己が誰を利益したかを言わず。これは真に偉大なりや。張根が解していわく:乾は万物の開端を創造して、万物は則ち自然に通達し、一物もその所を得ざるなく、各自に自己の性命の実情を端正す。これがすなわちそれの偉大の処。人君はまさにそれを效法すべし。《文言伝》がまたいわく:偉大なりや乾、剛強・勁健・居中・守正にして、純粋にして精微。六箇の爻が交互に発揮して、旁通して万物の情状。随時に六条の龍を駕して天道を駕馭す。雲気流行し、雨沢施布して、天下太平。張根がいわく:乾はこの七種の徳性を具備す。ゆえに能く永遠に止息せずして衆物の上に高出し、往くところ利ならざるなし。まさに人君の象征なり。

君子以成徳為行,日可見之行也。潛之為言也,而未見,行而未成,是以君子弗用也。待時而動之謂。君子學以聚之,問以辨之,寛以居之,仁以行之。易曰:見龍在田,利見大人。君徳也。寛以居之,無慾速之謂;仁以行之,不欲一物失所之謂;學問以成之,寛仁以用之,此徳之所以博而施之所以普也。以此處下,元聖素王;以此處上,帝王天子之徳也。

《文言伝》にいわく:君子は養成したる徳性を以て行為に表現す、これは毎日に見える行為なり。いわゆる「潜」は、隠伏していまだ顕現せず、作為ありていまだ成就せず。ゆえに君子は暫く施展せず(「為言也」の下に原本は一「隠」の字を脱す)。張根が解していわく:これはすなわち時機を等待して後に行動するの意思。《文言伝》がまたいわく:君子は学習に靠って積累し、発問に靠って辨析し、寛厚に靠って自処し、仁愛に靠って行事す。《易》に「見龍在田、利見大人」というは、講ずるはまさに人君の徳性。張根がいわく:「寛以居之」は、速成を求めざるの意思。「仁以行之」は、任何の一物をも安頓を失わせたまわざるの意思。学と問を用いて自己を成就し、寛と仁を用いて人に施用す。これがすなわち徳性の広博なる所以・施予の普遍なる所以。あの套の本事を拿て下位に処すれば、すなわち聖人の実ありてその位なきの「元聖素王」。あの套の本事を拿て上位に処すれば、すなわち帝王天子の徳性なり。

九三重剛而不中,上不在天,下不在田,故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。徽柔懿恭,小心翼翼之謂。九四重剛而不中,上不在天,下不在田,中不在人,故或之。或之者,疑之也,故無咎。動以不得已之謂。

《文言伝》にいわく:九三のこの一爻は两重の剛爻が相畳しまた中位に居らず、上に往きて天位に及ばず、下に往きて田位に及ばず。ゆえに終日勤勉し随時に警惕を要し、こうすれば危境に処するも過ちなからん。張根が解していわく:これがすなわち《尚書》の虞舜を形容する「徽柔懿恭」・文王を形容する「小心翼翼」のあの種の態度なり。《文言伝》がまたいわく:九四のこの一爻もまた两重の剛爻が相畳して中位に居らず、上に往きて天位に及ばず、下に往きて田位に及ばず、居中に在りても人位に及ばず。ゆえに「或」という。いわゆる「或」は、すなわち遅疑して定まらず。まさに遅疑審慎なるがゆえに、過錯なからん。張根がいわく:これがすなわち已むを得ずして初めて行動するの意思。

夫大人者,與天地合其徳,與日月合其明,與四時合其序,與神合其吉凶。先天而天弗違,後天而奉天時。天且弗違,而況於人乎?況於神乎?所謂順乎天而應乎人。亢之為言也,知進而不知退,知存而不知亡,知得而不知喪。其唯聖人乎!知進退存亡而不失其正者,其唯聖人乎!持滿有道,天下所以常治而不亂也。

《文言伝》にいわく:いわゆる大人は、彼の徳性は天地と相合し、彼の光明は日月と相合し、彼の秩序は四時と相合し、彼の吉凶判断は鬼神と相合す(「与」の下に原本は一「鬼」の字を脱す)。彼が天に先んじて動く時は、天は彼に違背せず。彼が天に後れて動く時は、則ち天の時令を奉行す。天すらなお彼に違背せざれば、いわんや人をや。いわんや鬼神をや。張根が解していわく:これがすなわち《革卦・彖伝》の講ずる「順乎天而応乎人」なり。《文言伝》がまたいわく:いわゆる「亢」は、すなわち前進を知りて後退を知らず、生存を知りて敗亡を知らず、獲得を知りて喪失を知らず。能くこの層の道理を懂得するは、おそらくただ聖人か。進退存亡の分寸を懂得して正道を失わざるは、おそらくただ聖人か。張根がいわく:手に盈満の器を捧げて能く保ち得るは、方法あるなり。天下の長治して乱れざる所以は、道理はここに在り。

坤卦(坤下坤上)

坤下坤上。坤:元,亨,利牝馬之貞。君子有攸往,先迷後得主,利。西南得朋,東北喪朋,安貞吉。坤雖具四徳而所利己小,況屯、隨、臨、無妄、革一時一事者乎?案:易卦元亨利貞四徳全具者,自乾坤外惟屯、隨、臨、無妄、革五卦。原本多一賁卦,係傳寫之誤,今刪。故曰齊小大者存乎卦,此學易者所以當變而通之然後可也。

坤卦の卦体は、下卦が坤、上卦も坤。卦辞にいわく:坤に元・亨の徳あり、その利と貞は母馬のごとき柔順を以て限とす。君子が往く所有りて、先に抢ずれば則ち路に迷い、後に随従して初めて主人を找到して利を得。西南の方に往けば朋類を得、東北の方に往けば朋類を失う。正道を安守すれば吉祥。張根が解していわく:坤は四徳を具備するも、しかしそれの得る能くする利益はすでに小なり。いわんや屯・随・臨・无妄・革のこの幾卦は、四徳はただ一時一事の上に応ずるのみなるをや(四庫館臣校語:《易》の六十四卦の中に元亨利貞の四徳斉備するは、乾・坤の両卦を除く外にただ屯・随・臨・无妄・革の五卦のみ。原刻本は多く一箇の賁卦を列せるは、伝抄の誤なり。今は删去す)。ゆえに《繋辞伝》に「卦徳の大小を区別するは是哪一卦を看よ」という。学易の人はまさにこのゆえに、必ず卦に随いて変通を懂得せざるべからず。

彖曰:至哉坤元,萬物資生,乃順承天。此所以為坤而為人臣之象。坤厚載物,徳合無疆。隨天所覆。含□光大,品物咸亨。生育亭毒。牝馬地類,行地無疆。不爾不足以配天之健。柔順利貞,君子攸行。柔順而不正則小人之徒爾。先迷失道,後順得常。陰以從陽為正。西南得朋,乃與類行。巽離兌皆陰卦也。東北喪朋。坎艮震皆陽卦也。乃終有慶。陰以佐陽為功。安貞之吉,應地無疆。不安於正,其能無疆乎?人臣之道盡此矣。

《彖伝》にいわく:至極なりや坤の元始の徳、万物はみなそれに靠って初めて生養を得、それは順従して天の施予を承受す。張根が解していわく:まさにこうなるがゆえに、それは初めて其の坤と成り、人臣の象征と為る。《彖伝》にいわく:坤は深厚にして万物を承載す。その徳性は無辺無際と相合す。張根がいわく:これは天の覆蓋する範囲に随いて一同に伸展するなり。《彖伝》にいわく:それは包容弘大にして光明広大、各類の物象はみなこれによって亨通す(「含」の下に一字残缺、《周易》に拠れば「弘」と作るべし)。張根がいわく:これがすなわち万物を生養化育し安定成熟するなり。《彖伝》にいわく:母馬は地類に属して、大地上に行走して辺際なし。張根がいわく:こうあらざれば則ち天の剛健に匹配するに足らず。《彖伝》にいわく:柔順・有利・貞正は、君子の走るべき路なり。張根がいわく:ただ柔順にして端正ならざれば、則ちそれは小人の一流と成らん。《彖伝》にいわく:先に抢ずれば則ち正道に迷失し、後に随順すれば則ち常規を得。張根がいわく:陰は陽に順従するを以て正と為す。《彖伝》にいわく:「西南得朋」は、同類と同行するなり。張根がいわく:巽・離・兌はみな陰卦。《彖伝》にいわく:「東北喪朋」。張根がいわく:坎・艮・震はみな陽卦。《彖伝》にいわく:最終に喜慶あらん。張根がいわく:陰は陽を輔佐するを以て功と為す。《彖伝》にいわく:正道を安守するの吉祥は、大地の無辺と相応す。張根がいわく:正道に安んぜざれば、また無辺無際を做到し得んや。人臣たるの道理は、全てここに在り。

象曰:地勢坤。天動故言行,地靜故言勢。君子以厚徳載物。於國有不聞,於家有不見之謂。初六,履霜,堅冰至。象曰:履霜堅冰,陰始凝也。馴致其道,至堅冰也。罔不在初之義。六二,直方大,不習無不利。皋陶之事。象曰:六二之動,直以方也。不習無不利,地道光也。此所以為大。

《大象伝》にいわく:大地の形勢はすなわち坤。張根が解していわく:天は運動するなれば、ゆえに乾卦に「天行」という。地は静止するなれば、ゆえに坤卦に「地勢」という。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、深厚の徳性を用いて万物を承載す。張根がいわく:これがすなわち邦国の中に聞かざる所有り家門の内に見ざる所有る、寛容涵納の意思なり。初六爻辞にいわく:脚に寒霜を踏み上げれば、堅冰はまさに来らん。《小象伝》にいわく:霜を踏みて堅冰の至るを知るは、陰気が凝結を開始す。この路に順って発展し続けば、則ち堅冰を結成せん。張根がいわく:これがすなわち「无不在初」——患を防ぐは必ず最初に在るの意思なり。六二爻辞にいわく:正直・方正・宏大にして、刻意に学習せずとも往くところ利ならざるなし——これは皋陶が虞舜を輔佐して法を執りて天下服せしめたるのあの類の事に相当す。《小象伝》にいわく:六二の挙動は、また直にまた方。学習せずとも往くところ利ならざるは、地道の光明なり。張根がいわく:これがまさにそれの「大」と称する所以の緣故なり。

六三,含章可貞。可猶可卷而懐之之謂。或從王事,無成有終。大禹之事。象曰:含章可貞,以時發也。或從王事,知光大也。既明且哲之謂。六四,括囊,無咎無譽。微子之事。象曰:括囊無咎,慎不害也。坤道革故。六五,黃裳元吉。伊周之事。象曰:黃裳元吉,文在中也。上六,龍戰于野,其血黃。象曰:龍戰于野,其道窮也。后羿之事。用六,利永貞。象曰:用六永貞,以大終也。大而能終,伊周告歸之事。

六三爻辞にいわく:内に文采を含みて能く正を守る。張根が解していわく:この「可」の字は、《論語》の講ずる「可巻而懐之」のごとく、能く才華を収斂蔵起し得。爻辞が接続していわく:あるいは往きて王事に参与するも、その成に居らずして能く好結果あり——これは大禹が舜の為に水を治して功成りて居らざるのあの類の事に相当す。《小象伝》にいわく:内に文采を含みて能く正を守るは、時機を待って後に顕発せんとするなり。あるいは往きて王事に参与するは、彼の智慧が広大光明なるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち《詩経》の講ずる「既明且哲」なり。六四爻辞にいわく:口袋を扎緊するがごとく口を閉じて言わざれば、過ちなく、また称誉もなし——これは微子が殷末に緘黙して禍を避けたるのあの類の事に相当す。《小象伝》にいわく:口袋を扎緊して過ちなきは、謹慎なれば損害を受けざるなり。張根がいわく:坤道はこの一爻に至りて変革を発生せり。六五爻辞にいわく:黄色の下裳、大吉——これは伊尹・周公が臣位に居りてその美を尽くしたるのあの類の事に相当す。《小象伝》にいわく:黄裳大吉は、文采が裏面に蘊含するなり。上六爻辞にいわく:龍が野外に交戦して、流出する血は黄なり(「其血」の下に原本は一「玄」の字を脱す)。《小象伝》にいわく:龍が野に戦うは、それの路はすでに尽頭に走り至るなり。張根がいわく:これは后羿が臣を以て君に代わりて終に覆亡に至ったるのあの類の事に相当す。用六爻辞にいわく:長久に正を守るに利し。《小象伝》にいわく:用六が長久の正道を守持するは、宏大を以て収結を為すなり。張根がいわく:すでに宏大にして能く善終するは、これは伊尹・周公が功成の後に老を告げて政に帰ったるのあの類の事に相当す。

文言曰:坤至柔而動也剛,至靜而徳方,後得主而有常,含萬物而化光。坤道其順乎,承天而時行。不剛不方,不足以配天。然行之有時,必主於順而後可,往而不返,斯有至於龍戰者矣,此君子所以當辨早也。積善之家必有餘慶,積不善之家必有餘殃。臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故,其所由來者漸矣,由辨之不早辨也。易曰:履霜堅冰至。葢言順也。不辨故積習而不自知。辨者,察其善惡之謂。

《文言伝》にいわく:坤は極めて柔順なれど、ひとたび発動し起れば則ち甚だ剛強。極めて安静なれど、しかしその徳性は方正にして阿らず。後に随従して初めて主人を得、ここにおいて恒常の道あり。それは万物を包容して化育の功は広大なり。坤の道理はすなわち「順」か、天の施予を承接して時に按じて運行す。張根が解していわく:剛強ならず方正ならざれば、天に匹配するに足らず。ただし施行するは時を看るを要し、必ず順従を以て主と為さざればならず。若しひとえに前に往きて回頭を知らざれば、則ち「龍戦于野」のあの一歩に走り至らん。ゆえに君子は応に及早に分寸を辨明すべし。《文言伝》にいわく:善行を積累する人家は必ず多余の福慶あり、悪行を積累する人家は必ず多余の禍殃あり。臣子が君主を殺し児子が父親を殺すは、みな一朝一夕に形成するにあらず、その中の由来は逐漸に積累するなり。原因は則ち辨明すべき時に及早に辨明せざるに在り。《易》に「履霜、堅冰至」というは、おそらく講ずるはすなわちこの種の勢に順う積累。張根がいわく:辨明せざるがゆえに、積りて習気と成るも自己はなお察覚せず。いわゆる「辨」は、すなわち自己の善悪を省察するなり。

直其正也,方其義也。君子敬以直內,義以方外,敬義立而徳不孤。有敬以直內,然後可盡義以方外,不然能免於疑乎?不孤之謂大。直方大,不習無不利,則不疑其所行也。諫諍輔拂,人臣所以塞責,何疑之有?陰雖有羙,含之以從王事,弗敢成也。地道也,妻道也,臣道也。地道無成而代有終也。三公北面執璧而面槐,義取於此。

《文言伝》にいわく:「直」はそれの正を言い、「方」はそれの義を言う。君子は敬を用いて内心を正直ならしめ、義を用いて外行を方正ならしむ。敬と義と樹立せば、徳性は孤立せざらん。張根が解していわく:先ず能く敬を用いて内心を正直ならしめて、然る後に初めて尽力して義を用いて外行を方正ならしむに談ずるに足る。然らざれば、別人の猜疑を免れ得んや。いわゆる「不孤」は、まさに爻辞の裏のあの「大」の字なり。《文言伝》にいわく:正直・方正・宏大にして、刻意に学習せずとも往くところ利ならざるは、すなわち自己の為す所の事に疑慮なきなり。張根がいわく:進諫規勸して君主を匡正するは、本より人臣の分内の尽くすべき職責、何の疑慮すべきあらんや。《文言伝》にいわく:陰は美徳あるも、含蔵して往きて王事に参与して、敢えて成功に自居せず。これは地の道理、妻の道理、臣の道理なり。地道は自己が成功に居らずして、天に代わりて終結を完成す。張根がいわく:三公が北方に面向して手に玉璧を執りて三槐の位に面するは、取るはまさにこの意思なり。

天地變化,草木蕃;天地閉,賢人。陰道勝故。易曰:括囊,無咎無譽。葢言謹也。非盡言之時。君子黃中通理。逹權之謂。謹案:御纂周易折中引蔡氏清曰,黃中非通則無以應乎外,與逹權之義正合。原本作逺權,係傳寫之誤,今改正。正位居體,羙在其中而暢於四支,發於事業,羙之至也。功成治定,制禮作樂之謂。陰疑於陽必戰,為其嫌於無陽也,故稱龍焉。猶未離其類也,故稱血焉。明其為賊之謂。夫黃者,天地之雜也,天而地黃。各正其分。用六所以大而能終也。

《文言伝》にいわく:天地が交感変化すれば、草木は則ち繁盛す。天地が閉塞せば、賢人は則ち隠退す(「賢人」の下に原本は一「隠」の字を脱す)。張根が解していわく:これは陰の勢力が上風を占めたる緣故なり。《文言伝》にいわく:《易》の講ずる「括囊、无咎无誉」は、おそらく説くは謹慎なり。張根がいわく:あれは話を説き尽くすべき時にあらず。《文言伝》にいわく:君子は内に黄色の中和の徳を含みて文理に通達す。張根がいわく:これがすなわち権変に通達するの意思なり(四庫館臣按語:御纂《周易折中》が明代蔡清の話を引いていわく、内に中徳を含むも通達せざれば外物に応接する法なし、「達権」の説法と正相吻合す。原刻本は「遠権」と作るは伝抄の誤、今は改正す)。《文言伝》にいわく:正位に居りて本体に安く処し、美好が裏面に蘊含して四肢に流暢し、事業上に発用す。これは美の極点に至るなり。張根がいわく:これがすなわち功業が告成し天下が安定した後に礼を制し楽を作するの意思なり。《文言伝》にいわく:陰が盛んにして陽と疑似するに至れば、則ち必ず交戦せん。それが嫌いあたかもすでに陽なきを以て、ゆえに爻辞は「龍」と称す。またそれが到底陰の同類を脱離せざるを以て、ゆえに爻辞は「血」と称す。張根がいわく:これは上六がすでに篡逆の賊と成れるを点明す。《文言伝》にいわく:あの玄と黄は、天地の二色の錯雑にして、天色は玄にして地色は黄なり(「夫」の下と「天」の下に原本各々一「玄」の字を脱す)。張根がいわく:各自に自己の名分を端正す、「用六」の宏大にして善終し得る所以なり。

屯卦(震下坎上)

震下坎上。屯:元,亨,利,貞,勿用有攸往,利建侯。彖曰:屯,剛柔始交而難生。震坎皆陽而曰剛柔始交者,此論乾坤而不論卦,與損剛益柔之義同。動乎險中,大亨貞。雷雨之動滿盈。於物則利,於人則屯。天造草昧,宜建侯而不寧。無主益亂。象曰:雲雷屯,君子以經綸。拯危定難,固屬君子。

屯卦の卦体は、下卦が震、上卦が坎。卦辞にいわく:屯に元・亨・利・貞の四徳あり、ただし往く所有るに宜しからず、諸侯を建立するに宜し。《彖伝》にいわく:屯卦は剛と柔とが剛々交接して艱難がこれに随いて産生す。張根が解していわく:震と坎は実はみな陽卦に属するも、《彖伝》はかえって「剛柔始交」という。これは乾坤の両画について立論するにして、並びにこの二箇の経卦について立論するにあらず。《損卦》の講ずる「損剛益柔」の説法と一箇の路数なり。《彖伝》にいわく:険境の中に奮動して、大いに亨通して貞正。雷雨の鼓動は天地の間に布满す。張根がいわく:この種の鼓動は万物に対しては利にして、人に対してはかえって屯難なり。《彖伝》にいわく:上天はまさに混沌初開の局面を創造せんとして、応に諸侯を建立して自ら安逸を求むべからず。張根がいわく:共主なければ、ただ禍乱を加深するのみ。《大象伝》にいわく:雲が雷の上に在るはすなわち屯、君子はそれに取法して往きて天下を経緯治理す。張根がいわく:危局を拯救し禍難を平定するは、本より君子の分内の事なり。

初九,盤桓,利居貞,利建侯。象曰:雖盤桓,志行正也;以貴下賤,大得民也。應物則利,治亂則凶。案:初九雖係有為之才,然當屯難之初,伏處在下,未可出而治亂,故曰治亂則凶。原本作始亂,與卦義未協,今改正。六二,屯如邅如,乘馬班如,匪冦婚媾,女子貞不字,十年乃字。象曰:六二之難,乘剛也;十年乃字,反常也。歳寒然後知松柏,擾攘然後見君子。

初九爻辞にいわく:徘徊して進まず、安居して正を守るに宜しく、諸侯を建立するに宜し。《小象伝》にいわく:徘徊して進まざるも、志向の行う所は則ち正なり。尊貴の身を以て卑賎の下に屈居す、大いに民心を得。張根が解していわく:用いて事物に接応すれば則ち利あり、用いて禍乱を平定せんとすれば則ち凶険あり(四庫館臣校語:初九は能く作為ある人才なれど、まさに屯難の初起に当たり、ただ下位に潜伏するのみ、なお出でて乱を平ぐる能わず。ゆえに「治乱則凶」という。原刻本は「始乱」と作るは卦義に合せず、今は改正す)。六二爻辞にいわく:また困頓また徘徊して、馬に騎りて打转して前せず。あの来るは並びに強盗にあらずして、婚姻を求婚するを来るなり。女子は正を守りて嫁ぐを許さず、十年を等到して初めて出嫁す。《小象伝》にいわく:六二の艱難は、それが剛爻の上に凌駕するがゆえに。十年にして初めて嫁を許すは、常道に回復したるなり。張根がいわく:天が寒くなりて初めて松柏を認出し得、世道が扰攘して初めて君子を看出し得。

六三,即鹿無虞,惟入于林中,君子幾,不如舍,往吝。屯難之際,失位無應,進退之幾於是乎在,惟君子為能不俟終日也。象曰:即鹿無虞,以從禽也;君子舍之,往吝窮也。六四,乘馬班如,求婚媾。屯道革故。往吉,無不利。以貴求下,利孰大焉。象曰:求而往,明也。不失時故。九五,屯其膏,小貞吉,大貞凶。象曰:屯其膏,施未光也。人主病不廣大,況多難之時乎?上六,乘馬班如,泣血漣如。象曰:泣血漣如,何可長也。上下無交,志當益壯,而乃效兒女之悲,不足道矣。

六三爻辞にいわく:野鹿を追逐して山林に熟悉の虞人の引路なく、ただ一頭に樹林の深処に闖進するのみ。君子は苗头を看出して、捨棄して追わざるに如かず。ひとえに往けば則ち憾惜あらん。張根が解していわく:まさに屯難の時に当たり、六三はすでに位に当たらずまた応ずる人なし。進むか退くかの関鍵はすなわちここに在り。ただ君子のみ能く当機に立断して一天の過ぐるを待たず。《小象伝》にいわく:鹿を追いて虞人の帯路なきは、ひとえに禽獣を貪逐するなり。君子はそれを捨棄す、往けば則ち困境に走り入るがゆえに。六四爻辞にいわく:馬に騎りて打转して前せず、往きて婚配を求む。張根がいわく:屯難の道はここに至りて転変を発生せり。爻辞にいわく:往けば吉祥、利ならざる所なし。張根がいわく:尊貴の身を以て下位に向かいて賢を求む、また何がこれより利あるや。《小象伝》にいわく:賢を求めて後に往くは、明智なり。張根がいわく:時機を錯過せざるがゆえに。九五爻辞にいわく:恩沢を屯積して施し出さず、小事は正を守りて吉祥、大事は正を守りて凶険。《小象伝》にいわく:恩沢を屯積するは、施与がなお広大ならざるがゆえに。張根がいわく:君主たるの毛病は則ち広大し得ざるに在り。いわんやまさに多難の時に当たるをや。上六爻辞にいわく:馬に騎りて打转して前せず、哭いて血涙漣漣たり。《小象伝》にいわく:哭いて血涙漣漣たるは、これどうして長久し得ようか。張根がいわく:上下の間に交往なく、この時志気は本より応にいよいよ剛強なるべしに、かえって児女の悲啼を学起するは、提するに足らず。

蒙卦(坎下艮上)

坎下艮上。亨。匪我求童,童求我。初筮告,再三瀆,瀆則不告。利貞。彖曰:山下有險,險而止。險在下而止,所以為亨。以亨行時中也。直而溫,寛而栗之謂。匪我求童,童求我,志應也。初筮告,以剛中也。再三瀆,瀆則不告,瀆也。剛而無虐,簡而無傲之謂。蒙以養正,聖功也。守之以愚。

蒙卦の卦体は、下卦が坎、上卦が艮。卦辞にいわく:亨通。我が蒙昧の童子を求むるにあらずして、童子が来りて我を求むるなり。初次占問すれば則ち彼に告げ、一再に糾纏すれば則ちこれを涜瀆とし、涜瀆すれば則ちもはや彼に告げず。正を守るに利し(本書の拠る抄本はここに屡々「蒙」の字を脱し、卦名と「童蒙」とみな半辺のみ残る)。《彖伝》にいわく:山下に険あり、険に遇えば則ち停止す、これがすなわち蒙。張根が解していわく:険が下面に在りて人能く停住すれば、こそ亨通を得。《彖伝》にいわく:亨通の道を用いて施行するは、正に時宜の中道に合乎す。張根がいわく:これがすなわち《尚書》の教育を講ずる「直而温、寛而栗」なり。《彖伝》にいわく:我が童蒙を求むるにあらずして、童蒙が我を求むるは、彼此に志向が相応ずるがゆえに。初次占問すれば則ち彼に告ぐるは、九二が剛健にして中に居るがゆえに。一再に涜瀆すれば則ち彼に告げざるは、彼の態度が軽慢なるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち「剛而无虐、簡而无傲」の分寸なり。《彖伝》にいわく:蒙昧未鑿の状態を用いて正道を涵養するは、これは聖人を成就する功夫なり。張根がいわく:これがすなわち質朴を用いて彼を守護するなり。

象曰:山下出泉。初出於山,莫適所之,之始也;道之以道,可至於海,蒙之終也;不知所以道之,茫然無所歸宿,斯為下矣。君子以果行育徳。乃免於。初六,發,利用刑人,用說桎梏。發蒙之道以威為先,始雖甚艱,終乃甚福,治亦如之。以往吝。之始故。象曰:利用刑人,以正法也。正法所以警之,宥罪所以待之,不少假借之謂。

《大象伝》にいわく:山下に泉水が涌出す、すなわち蒙。張根が解していわく:泉水は剛に山裏より流出して、なお何れに向かうべきを知らず。これは蒙昧の開始。正道を用いてそれを引導すれば、一直に大海に流れ至るべし。これは蒙昧の終結。若しどう引導するかを懂得せざれば、それは茫茫然として帰宿なく、則ち下等に落至せん。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、果決の行動を用いて徳性を培育す。張根がいわく:こうして初めて蒙昧を免れ得(「免于」の下に一「蒙」の字を脱す)。初六爻辞にいわく:蒙昧を啓発するは、刑罰を施用して人を整肅するに宜しく、彼をして脚鐐手銬を解脱せしむ。張根がいわく:啓蒙の弁法は威を立つるを以て先と為す。開頭は甚だ難受なれど、最後はかえって大福気。国を治めるも同一の道理。爻辞が接続していわく:ひとえに放任し続けば則ち憾惜あり。張根がいわく:これは蒙昧の初なるがゆえに(この句に原本脱文あり)。《小象伝》にいわく:刑罰を施用して人を整肅するに宜しきは、法度を端正せんが為め。張根がいわく:法度を端正するは用いて彼を警戒し、罪過を寛宥するは用いて彼の改過を待つ、一分一毫も馬虎迁就せず。

九二,包,吉。善救之謂。納婦吉。勿庸疾怨之謂。子克家。象曰:子克家,剛柔接也。夫義婦徳,宜有子焉。六三,勿用取女,見金夫,不有躬,無攸利。此所以為。象曰:勿用取女,行不順也。六四,困,吝。象曰:困之吝,獨逺實也。自棄之謂。六五,童,吉。象曰:童之吉,順以巽也。成王之事。上九,擊。待之盡故。不利為寇,利禦寇。象曰:利用禦寇,上下順也。

九二爻辞にいわく:蒙昧を包容す、吉祥。張根が解していわく:これがすなわち善く人を救助するなり。爻辞にいわく:媳婦を接納す、吉祥。張根がいわく:これがすなわちひとえに嫌悪怨恨せざるの意思。爻辞にいわく:児子は家業を担当し得。《小象伝》にいわく:児子が家業を担当し得るは、剛と柔と相接するがゆえに。張根がいわく:丈夫が義に合し、妻子に婦徳あれば、自然に応に好児子あるべし。六三爻辞にいわく:この女子を娶る勿れ、彼女は銭ある男人を見れば則ち身を失う、好処あることなし。張根がいわく:これがすなわちそれの蒙たる所以の処(この句に原本脱文あり)。《小象伝》にいわく:この女子を娶る勿れは、彼女の行為が正道に順わざるがゆえに。六四爻辞にいわく:蒙昧に困す、憾惜あり。《小象伝》にいわく:蒙昧に困する憾惜は、それが孤零零として陽剛の実体を遠離したるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち自暴自棄。六五爻辞にいわく:童子のごとく蒙昧なれば、吉祥。《小象伝》にいわく:童蒙の吉祥は、柔順にして謙遜。張根がいわく:これは周成王が年幼にして位に即き周公に聴命したるのあの類の事に相当す。上九爻辞にいわく:蒙昧を撃去せよ。張根がいわく:蒙昧の尽除を待つを要するがゆえに。爻辞にいわく:強寇を為すに利せず、強寇を抵御するに利す。《小象伝》にいわく:強寇を抵御するに利するは、上下みな順従するがゆえに。

需卦(乾下坎上)

乾下坎上。需。交則為屯,不交則為解。有孚,光亨,貞吉,利渉大川。彖曰:需,須也,險在前也。剛健而不□,其義不困窮矣。所以異於蹇,二得之矣。需有孚,光亨,貞吉,位乎天位,以正中也。所以異於屯,五得之矣。利渉大川,往有功也。象曰:雲上於天,需,君子以飲食宴樂。萬物皆得故。

需卦の卦体は、下卦が乾、上卦が坎。張根が解していわく:坎と乾と交接すれば則ち屯卦と成り、交接せざれば則ち解卦と成る。卦辞にいわく:心に誠信を存し、光明亨通して、正を守りて吉祥、大河を渡るに宜し。《彖伝》にいわく:いわゆる需は、すなわち等待、険難がなお前頭に在るがゆえに。剛健にして陷落せず(「不」の下に一字残缺、《周易》に拠れば「陥」と作るべし)、理に按れば則ち困窮に陥らざらん。張根がいわく:これがまさに需卦の蹇卦と同じからざる処、九二の一爻が則ちこの意思を得着せり。《彖伝》にいわく:需卦は心に誠信を存し、光明亨通して、正を守りて吉祥は、九五が天位に居りて、また中また正なるがゆえに。張根がいわく:これがまさに需卦の屯卦と同じからざる処、九五の一爻が則ちこの意思を得着せり。《彖伝》にいわく:大河を渡るに宜しきは、往けば則ち功を建て得るがゆえに。《大象伝》にいわく:雲気が天上に升るはすなわち需、君子はそれに取法して、心を安くして飲食宴楽して時を待つ。張根がいわく:万物がみな各々その所を得たるがゆえに。

初九,需于郊,利用恆,無咎。處難之初故。象曰:需于郊,不犯難行也;利用恆無咎,未失常也。九二,需于沙,小有言,終吉。象曰:需于沙,衍在中也。乾之體故。雖小有言,以吉終也。義不勝故。九三,需于泥,致寇至。密邇於難故。象曰:需于泥,災在外也;自我致寇,敬慎不敗也。過剛不中,猶有待故。

初九爻辞にいわく:郊野に在りて等待す、常態を保持するに宜しく、過ちなし。張根が解していわく:それが険難の最初の階段に処するがゆえに。《小象伝》にいわく:郊野に在りて等待するは、険難を冒して前行せざるなり。常態を保持して過ちなきは、常規を失掉せざるがゆえに。九二爻辞にいわく:沙地の上に在りて等待す、稍や口舌あり、最終に吉祥。《小象伝》にいわく:沙地に在りて等待するは、寛綽として中位に居るなり。張根がいわく:それが乾体なるがゆえに。《小象伝》にいわく:稍や口舌あるも、最終にかえって吉祥を以て収場す。張根がいわく:道理を講じてそれに及ばざるがゆえに。九三爻辞にいわく:泥濘の裏に在りて等待す、強寇を招来せり。張根がいわく:それがすでに険難に緊挨着するがゆえに。《小象伝》にいわく:泥濘の裏に在りて等待するは、災禍はなお外面に在り。自己の招来したる強寇なれば、恭敬謹慎するさえすれば失敗せざらん。張根がいわく:九三は剛強に過ぎまた中に居らず、好いはなお等待を懂得するなり。

六四,需于血,出自穴。象曰:需于血,順以聽也。待傷而出,亦已晚矣。九五,需于酒食,貞吉。險難既平,徳澤既降,天下宴樂之時。象曰:酒食貞吉,以中正也。萬□庶民,惟中正之供耳。上六,入于穴,有不速之客三人來,敬之終吉。象曰:不速之客來,敬之終吉,雖不當位,未大失也。處卦之外,不與物爭,三陽彚進於己無嫌,能敬以待之,可無虞也。

六四爻辞にいわく:血泊の中に在りて等待す、坑穴の裏より脱身して出ず。《小象伝》にいわく:血泊の中に在りて等待するは、柔順に形勢を聴従するなり。張根が解していわく:傷を受けて後に初めて出ずるを待つは、もはや太く晩し。九五爻辞にいわく:酒食の中に在りて等待す、正を守りて吉祥。張根がいわく:これは険難すでに平息し恩沢すでに下降し、天下が安く宴楽を享くる時なり。《小象伝》にいわく:酒食して正を守りて吉祥は、九五がまた中また正なるがゆえに。張根がいわく:普天の下の百姓の需むるは、過ぎず一位の中正の君の供養のみ(「万」の下に一字残缺)。上六爻辞にいわく:坑穴の中に落入り、三位の請わざるに自来の客人到りて、恭敬に彼らを対待せば、最終に吉祥。《小象伝》にいわく:請わざるに自来の客人が到れば、恭敬に彼らを対待して最終に吉祥。爻位は当たらざるも、大なる過失なし。張根がいわく:上六は一卦の外に処して人と争わず、下面の三箇の陽爻が結伴して自己に向かい推進するも、それは並びに猜忌せず、能く恭敬に彼らを接待すれば、則ち憂患なかるべし。

訟卦(坎下乾上)

坎下乾上。訟:有孚窒惕,中吉,終凶。利見大人,不利渉大川。彖曰:訟,上剛下險,險而健,訟。此所以異於需。訟有孚窒惕,中吉,剛來而得中也;終凶,訟不可成也;利見大人,尚中正也;不利渉大川,入于淵也。訟之不可如此,故聖人反覆戒焉。象曰:天與水違行,訟。天左旋,水東注,此訟之端。君子以作事謀始。所以防訟。

訟卦の卦体は、下卦が坎、上卦が乾。卦辞にいわく:心裏に誠信ありて堵塞せられ、ここにおいて戒惧す。中途にて手を収むれば則ち吉祥、一直に争い終われば則ち凶険。大人物を見るに宜しく、大河を渡るに宜しからず。《彖伝》にいわく:訟卦は上面が剛強・下面が険陷にして、すでに険陷また剛健。ゆえに訟を成す。張根が解していわく:これがまさに訟卦の需卦と同じからざる処なり。《彖伝》にいわく:訟卦は誠信ありて窒塞せられここにおいて戒惧し、中途にて手を収むれば吉祥は、剛爻が下りて来りて中位に居るがゆえに。一直に争い終われば凶険は、争訟は争い出して結果を為すべからざるがゆえに。大人物を見るに宜しきは、中正を崇尚するなり。大河を渡るに宜しからざるは、深淵に陷入せんとするなり。張根がいわく:争訟はこの地步に為すべからず。ゆえに聖人は反復して告誡す。《大象伝》にいわく:天と水との運行方向が相背す、すなわち訟。張根がいわく:天は左に旋り、水は東に流る、これがすなわち争訟の起因なり。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、事を為すに一開始に先ず謀劃し清楚す。張根がいわく:これは用いて争訟を預防するなり。

初六,不永所事,小有言,終吉。猶所謂果而已,不敢取強焉。象曰:不永所事,訟不可長也;雖小有言,其辯明也。九二,不克訟,歸而逋,其邑人三百戶,無眚。象曰:不克訟,歸逋竄也;自下訟上,患至掇也。上有好者下必有甚,君無尤焉。六三,食舊徳,貞厲,終吉。或從王事,無成。食徳雖未至於訟,然有訟之端矣,為能從之,所以異於二而終吉也。以此從王事亦可以免。成,猶成事不說之成。象曰:食舊徳,從上吉也。非始事故。

初六爻辞にいわく:争端を拖長し続けず、稍や口舌あり、最終に吉祥。張根が解していわく:これは《論語》の言う「果而已矣」のごとく、了断し得れば則ち了断して、敢えて強を逞しせず。《小象伝》にいわく:争端を拖長し続けざるは、争訟は曠日持久すべからざるがゆえに。稍や口舌あるも、是非は到底やはり辨明せり。九二爻辞にいわく:争訟は打勝つ能わず、帰り来れば則ち躲れて蔵れ、彼の三百戸の采邑はこれによって灾殃なし。《小象伝》にいわく:争訟は打勝つ能わず、帰り来れば則ち逃匿躲蔵す。下位を以て上位と争訟するは、禍患は手を伸べて拾うがごとく容易に招来す。張根がいわく:上面に人ありてこの套を好めば、下面に必ず人ありて変本加厲す。ゆえに真に追究せんとせば、君主は並びに責任なきにあらず。六三爻辞にいわく:祖上の留下したる旧禄を享用し、正を守りて心に危惧を存せば、最終に吉祥。あるいは往きて王事に参与するも、その成に居らず。張根がいわく:旧禄を享用するはまだ争訟に鬧至らざるも、争訟の苗头はすでにあり。六三は能く上の者に順従す。ゆえに九二と同じからずして終に吉祥に帰す。この種の態度を用いて往きて王事に参与すれば、また禍を免れ得。この「成」の字は、《論語》の「成事不説」の「成」のごとし。《小象伝》にいわく:旧日の禄徳を享用して、上の者に順従すれば則ち吉祥。張根がいわく:自己より事端を挑起するにあらざるがゆえに。

九四,不克訟,復即命,渝,安貞吉。聞理而止,不遂而遁。象曰:復即命,渝,安貞,不失也。九五,訟元吉。中不取強,正則我直,訟之元吉孰大於是。象曰:訟元吉,以中正也。此天下所以利見而願質焉。上九,或錫之鞶帶,終朝三禠之。象曰:以訟受服,亦不足敬也。取強之辱如此。

九四爻辞にいわく:争訟は打勝つ能わず、頭を回りて正理を聴従し、態度を改変して、安くして正を守れば則ち吉祥。張根が解していわく:これはひとたび道理を聞けば則ち手を収めて、もはや一意孤行せずしてかえって退譲避開す。《小象伝》にいわく:頭を回りて正理を聴従し態度を改変して安くして正を守れば、過失なし。九五爻辞にいわく:訟を断じて大吉。張根がいわく:中に居れば則ち強を逞しせず、正を守れば則ち理直気壮す。訟を断ずる大吉はまたこれより大なるあらんや。《小象伝》にいわく:訟を断じて大吉は、九五がまた中また正なるがゆえに。張根がいわく:これがすなわち天下人の皆彼を見るを楽しみ彼を請いて曲直を評断せんと願う緣故なり。上九爻辞にいわく:あるいは争訟に得勝して一条の大帯を賞賜せらるるも、一箇の早上に則ち三度剥奪せらる。《小象伝》にいわく:官司を打って得来たる官服は、また別人の尊敬に値せず。張根がいわく:強を逞し好勝して招来する羞辱はすなわちこうなり。

師卦(坎下坤上)

坎下坤上。師:貞,丈人吉,無咎。彖曰:師,眾也;貞,正也。能以眾正,可以王矣。丈人之義如此。剛中而應,行險而順,以此毒天下而民從之,吉又何咎矣。感而後動之謂應,我直彼曲之謂順。兵凶器,惟如此然後可以免於咎,甚於訟故也。象曰:地中有水,師。伍法示仿焉。君子以容民畜眾。惟如此然後為有名。

師卦の卦体は、下卦が坎、上卦が坤。卦辞にいわく:出師は正を守るを要し、老成持重の長者に統率せしめば則ち吉祥、過ちなし。《彖伝》にいわく:いわゆる師は、すなわち衆。いわゆる貞は、すなわち正。能く大衆を率領して正道に走上せしめば、則ち王業を成就し得。張根が解していわく:「丈人」の含義はまさにここに在り。《彖伝》にいわく:九二は剛健にして中に居りて上下に相応じ、険難の中に行走してまた柔順なり。この種の方式を用いて天下をして一番の苦を受けしむるも、百姓はなお彼に跟従して、吉祥にしてまた何れの処に過錯あらんや。張根がいわく:感召を受けて初めて行動するを「応」と称し、我方が理直・相手方が理曲を「順」と称す。兵は凶器、ただこの歩まで做到して初めて過錯を免れ得。それは争訟の後果より厳重なること甚だしきがゆえに。《大象伝》にいわく:地中に水を蓄うるは、すなわち師。張根がいわく:これは人をして軍中の什伍編制の法度を效法せしむるなり。《大象伝》にいわく:君子はそれに取法して、百姓を容納し人衆を蓄養す。張根がいわく:ただこうして、出師は初めて師出の名あるを算す。

初六,師出以律,否臧凶。象曰:師出以律,失律凶也。師以嚴為貴,故初失律,三輿尸,四左次,五弟子,則皆凶,其有功者惟二而已;至上六則又以柔終焉,惡夫黷也。九二,在師中,吉,無咎,王三錫命。象曰:在師中吉,承天寵也。從順天討故。王三錫命,懐萬也。兼愛夫民故。

初六爻辞にいわく:出兵は紀律に靠るを要し、紀律が不好なれば則ち凶険。《小象伝》にいわく:出兵は紀律に靠るを要し、紀律を失掉すれば則ち凶険。張根が解していわく:軍を治めるは厳明を以て貴しと為す。ゆえに初六の律を失い、六三の屍を載せて帰り、六四の退避して駐扎し、六五の次子をして兵を統せしむる、これらの爻はみな凶なり。真に功あるはただ九二の一爻のみ。上六に至りては、また柔順を以て全卦を収束す。これは軽率に兵を用うるを厭悪するなり。九二爻辞にいわく:身が軍中に在りて能く中を持せば、吉祥、過ちなし、君王は三次に冊命を頒下して嘉奖す。《小象伝》にいわく:身が軍中に在りて中を持して吉は、上天の寵信を承受したるなり。張根がいわく:彼が天意に順応して討伐するがゆえに。《小象伝》にいわく:君王が三次に冊命を頒下するは、万邦を懐柔せんとするなり。張根がいわく:彼が百姓を兼愛するがゆえに。

六三,師或輿尸,凶。象曰:師或輿尸,大無功也。初,事之始,失律而已;三,事之成,故有輿尸之象焉。六四,師左次,無咎。象曰:左次無咎,未失常也。左次,不能用眾之謂。六五,田有禽,利執言,無咎。長子帥師,弟子輿尸,貞凶。象曰:長子帥師,以中行也;弟子輿尸,使不當也。田以教戰而已,執言問罪而已,故雖不剛無害。若夫欲用師,惟長子為可。何則?民素服其貴也,雖未必有功,然未有輿尸之患焉。上六,大君有命,開國承家,小人勿用。象曰:大君有命,以正功也;小人勿用,必亂也。賚之師是已。茍小人是用,則師復起矣。

六三爻辞にいわく:軍隊はあるいは屍体を車に拉して帰らん、凶険。《小象伝》にいわく:軍隊が屍を載せて帰るは、毫も戦功なきなり。張根が解していわく:初六は事情の開頭、過ぎず紀律を失掉するのみ。六三は事情がすでに做成せり。ゆえに屍を載せて帰るの象を出現す。六四爻辞にいわく:軍隊は後方に退守して駐扎す、過ちなし。《小象伝》にいわく:退守駐扎して過ちなきは、常規を失掉せざるがゆえに。張根がいわく:いわゆる「左次」は、すなわち大衆を使用する能力なきなり。六五爻辞にいわく:田裏に野獣ありて庄稼を糟蹋す、命を奉じて声討するに宜しく、過ちなし。年長の児子をして軍隊を統率せしめばよし、若し年幼の児子をして插手せしめば、則ち屍を載せて帰らん、正を守るも凶険。《小象伝》にいわく:長子が軍隊を統率するは、中道を以て行事するがゆえに。次子が屍を載せて帰るは、用人が当たらざるがゆえに。張根がいわく:田獵は過ぎず機を借りて作戦を訓練するのみ、声討は過ぎず罪状を問明するのみ。ゆえにたとい剛猛に足らずとも妨げなし。真に軍隊を動用するに至っては、ただ長子のみ可なり。なぜか。百姓は一向に彼の尊貴に服するがゆえに、たとい必ずしも戦功を立てざるも、また屍を載せて帰るの禍患あらざらん。上六爻辞にいわく:天子が命令を頒下して、諸侯を分封し卿大夫の家を承継せしむ、小人は任用すべからず。《小象伝》にいわく:天子が命令を頒下するは、功勲を論定せんが為め。小人は任用すべからず、用いれば必ず乱を生ぜん。張根がいわく:これがすなわち《詩経》の謂う所の「賚」、師を班りて功を論じ賞を行う。若し小人を任用せば、兵事は則ち重新に挑起せられん。

比卦(坤下坎上)

坤下坎上。比:吉。原筮元永貞,無咎。不寧方來,後夫凶。彖曰:比,吉也;比,輔也,下順從也。此所以吉。原筮元永貞無咎,以剛中也。此戒於私,不慎必爭。不寧方來,上下應也。非獨順從而已。後夫凶,其道窮也。所謂後服者必凶。象曰:地上有水,比。先王以建萬國,親諸侯。比孰大焉。

比卦の卦体は、下卦が坤、上卦が坎。卦辞にいわく:親比す、吉祥。本原を推究し再三に占問して、長久・正大・堅貞の結果を得、過ちなし。安寧ならざる邦国は紛紛として帰附に来り、来る最も晩きあの一箇は凶険。《彖伝》にいわく:比は吉なり。比はすなわち輔助、下の者はみな上の者に順従す。張根が解していわく:これがすなわちそれの吉祥なる緣故なり。《彖伝》にいわく:本を推り占問して元永貞を得て過ちなきは、九五が剛健にして中に居るがゆえに。張根がいわく:これは人に告誡して私心を懐くべからず、謹慎せざれば必然に争闘を引起こさん。《彖伝》にいわく:安寧ならざる邦国が紛紛として帰に来るは、上下が互相に呼応するがゆえに。張根がいわく:単方面の順従のみにあらず。《彖伝》にいわく:来る最も晩きの凶険は、彼の路はすでに走り絶えたるがゆえに。張根がいわく:これがすなわちいわゆる最後に帰服する人は必ず凶を招くなり。《大象伝》にいわく:地上に水あり、すなわち比。先王はそれに取法して、万国を建立し諸侯を親近せり。張根がいわく:親比の道はまたこれより大なるあらんや。

初六,有孚比之,無咎。有孚盈缶。虛中而質,誠應之象。終來有它吉。當比之初,無應乎外,然而上比於賢也,茍能強而附之,可以無咎,至誠而已,則終與之同升矣,故曰有它吉。因不失其親,亦可宗之謂乎。象曰:比之初六,有它吉也。六二,比之自內,貞吉。象曰:比之自內,不自失也。雖以陰居陰,然中正而應故吉。

初六爻辞にいわく:誠信を懐いて往きて親附すれば、過ちなし。爻辞がまたいわく:誠信が満つること装満の瓦缶のごとし。張根が解していわく:缶は中が空にして質朴、これは真誠を以て人に感応するの象なり。爻辞にいわく:最終に意外の吉祥あらん。張根がいわく:まさに親比の初に当たり、初六は外卦に正応なし。しかるにそれが上に向かいて親附するは賢者。ただ勉力して依附し去れば、則ち過錯を出さざるを得。憑るは過ぎず至誠のみ。最後に自ら賢者と一同に上進せん。ゆえに「有它吉」という。これおそらく《論語》の講ずる「因不失其親、亦可宗也」か。《小象伝》にいわく:比卦の初六は、意外の吉祥あらん。六二爻辞にいわく:内部より親附すれば、正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:内部より親附するは、自己を丢掉せざるがゆえに。張根がいわく:六二は陰爻を以て陰位に居るも、しかしすでに中また正にして九五と相応す。ゆえに吉祥。

六三,比之匪人。順乎上六故。象曰:比之匪人,不亦傷乎。君子所以居必擇鄉,遊必擇士。六四,外比之,貞吉。象曰:外比於賢,以從上也。水性趨下而四得位故。九五,顯比,王用三驅,失前禽,邑人不誡,吉。象曰:顯比之吉,位正中也。惟正中為能顯。舍逆取順,失前禽也。邑人不誡,上使中也。田有驅噪逐奔之義,邑人不誡,天下可知。葢中正以觀天下,不求於物而物自歸焉,莫不取於中正,區區上六何足為累乎?舜之舞干,葢得之矣。上六,比之無首,凶。象曰:比之無首,無所終也。

六三爻辞にいわく:親附する所は親附すべき人にあらず。張根が解していわく:それが順従するは上六なるがゆえに。《小象伝》にいわく:親附すべからざる人を親附したるは、甚だ可悲ならずや。張根がいわく:君子はこれによって居住は必ず郷里を選択し、交游は必ず士人を選択す。六四爻辞にいわく:外に向かいて親附すれば、正を守りて吉祥。《小象伝》にいわく:外に向かいて賢者に親附するは、上に在る九五に順従するがゆえに。張根がいわく:水性は下に向かいて流る、しかるに六四はまたその位を居得す。ゆえに如此。九五爻辞にいわく:光明正大に天下を親比し、君王は田獵にただ三面より駆逐し、迎面して逃走する禽獣を放走し、自己の封邑の人すら特意に告誡を必ずしもせず、吉祥。《小象伝》にいわく:光明に親比する吉祥は、九五の位置がまた正また中なるがゆえに。張根がいわく:ただ中正のみ能く光明にして隠なし。《小象伝》にいわく:逆向に逃走するを捨棄し順向に进来するを只取す。ゆえに迎面の禽獣を放走せり。邑人は告誡を必ずしもせざるは、上の者が中道を以て彼らを役使するがゆえに。張根がいわく:田獵は本より駆逐喧噪・奔獣を追逐するの一面あり。しかるに自己の邑中の人すら事先の告誡を必ずしもせざれば、天下の情形はまた想を推し知るべし。大概中正の道を以て天下を観照せば、並びに外物に強求せずして外物は自然に帰附し、人人はみな中正の上より則を取る。区区の一箇の上六はまた何れの処に拖累と為るに足らんや。虞舜が庭中に干羽を舞いて有苗が自ら服するは、おそらくこの道理を得着せるか。上六爻辞にいわく:親比して領頭なきは、凶険。《小象伝》にいわく:親比して領頭なきは、好結局あらざらん。

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