大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経
大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経
仏家典籍
短いものは心経・金剛経・四十二章経・壇経から読み始められる。浄土は阿弥陀経・無量寿経・観経を見る。大乗の叙事と禅を見るなら、法華・維摩・楞厳・円覚・地蔵へ進む。
新印大佛頂首楞嚴經序
新印大仏頂首楞厳経序
前雄武軍節度推官許洞撰
前雄武軍節度推官許洞撰
楞嚴經者,括諸佛萬行之樞紐也。通幽洞微,非二乘所賾;開物成務,乃十地攸宗。其文曲而達,其旨隱而暢,入於至妙之域,出於無生之表,鏗鏘磅礴群彙率化,窮玄絕聖其在茲乎。是知大和無私雖幽必煦,至神無跡雖微必貫,玄功無宰雖遐必達,率由心絕有為而大千同照,道躋無作而至感必通。
『楞厳経』は、是れ諸仏万行を総括する枢要なり。幽微に通達するは、二乗の能く窮究する所に非ず;物を開き務を成すは、乃ち十地の宗とする所なり。其の文辞は曲折にして通達し、旨趣は隠微にして暢明なり、至妙の域に入りて、無生の表相を超え、鏗鏘磅礴として、群類皆之に随いて化し、玄妙を窮め聖位を超ゆるは、蓋し此に在らんか。之に由りて知る:至大なる者は私心無くして、幽暗なるも必ず照暖す;至神なる者は形跡無くして、微細なるも必ず貫通す;玄功なる者は主宰無くして、遥遠なるも必ず到達す。皆心有為を絶するが因りて、大千世界に同じく照見す;道は無作に進むが因りて、至極の感応は必ず相通ず。
如來謂斯經可以鼓吹乎群心、開決乎佛性,爰集大眾會於室羅筏城,天龍鬼神共覃斯教。嗚呼!三界以五欲而成,故摩登伽以宣淫為發題之始也;眾生以愛纏而起,故阿難以破惑為成道之基也。是以論有心則以無心為攝,悲有生則以無生為誘,談有相則破一切色境為主,示有作則脫一切煩惱為樂,此蓋覺虛妄而歸真實也。至若舉三十六地獄之因果、十鬼十類之緣業,此蓋昧真實而起虛妄也。不明實相無以煥菩提之心,不破妄塵無以悟眾生之性,是法微妙,知之者亦已鮮矣;能深究於此復廣其利於天下,餘見其。
如来は此の経を以て、群心を鼓蕩して仏性を開決すべしと為し、乃ち大衆を召して室羅筏城に会せしめ、天龍鬼神は共に此の教を深究せり。嗚呼!三界は五欲に因りて成る、故に摩登伽を以て淫欲を宣べて発題の始めと為す;衆生は愛纏に因りて起る、故に阿難を以て迷惑を破って成道の基と為す。是を以て、心有るを論ずれば、即ち心無きを以て収摂す;生有るを悲愍せば、即ち生無きを以て誘導す;相有るを談ずれば、即ち一切の色境を破るを主と為す;作有るを説けば、即ち一切の煩悩を離るを楽と為す:是れ虚妄を覚して真実に帰するなり。至るや三十六地獄の因果・十鬼十類の縁業を挙ぐるは、是れ真実に昧えて虚妄を生ずるなり。実相を明かにせざれば、菩提の心を煥発するに由無し;妄塵を破除せざれば、衆生の性を覚悟するに由無し。此の法微妙にして、知る者已に少し;能く此を深究して、更に広く天下を利せん——我は之を見る。(底本は此の処疑うべく脱文有り)
大佛頂如來萬行首楞嚴經序
大仏頂如来万行首楞厳経序
趙宋泉南沙門釋祖派述
趙宋泉南沙門釈祖派述
至心歸命禮南謨無見頂相首楞嚴王。圓如來之密因,具菩薩之萬行,真修行路,妙證悟門,大乘義以了明,一切事而究竟。爰自祇園休夏聖王延齋,紫金光聚耀十方,迦陵仙音流法界,恆沙薩埵鹹來諮決心疑,闔國王臣畢集願聞法要。教由緣起,阿難被溺於婬坊,道假人弘,師利承宣於秘呪。由是七處徵心,全是妄性淨元明;八還顯見,本來真覺圓常住。標迷悟之根本,令諸闡提而墮彌戾車;示同別之狂勞,俾一顛迦而摧惡叉聚。富樓那執相難性,四緣本紀於異同;波斯匿惑斷為常,一念元無於生滅。妙明覺體,非因非緣非自然;精真見元,不合不和不離即。以至六根虛妄無非菩提妙心,七大遍周盡是如來藏性。三緣永斷,不迷鏡裡之頭;二義斯明,頓悟衣中之寶;金鐘擊處,聲滅而聞自不消。華㲲綰時,六忘而一不可得。譬夫天王賜屋,二十五聖而各陳悟入之門;遠客遊方,十河沙眾而盡識歸還之路。勅文殊之揀選,誰當其根;指觀音之圓通,實從中入。而況三無漏學,真為修習之要機,四淨律儀,實號秉持之明誨。欲誦秘密之章句,須嚴清淨之壇場,無邊積業悉氷消,一切所求皆果遂。復乃開三門之漸次,是先佛之規模;立五品之名題,作將來之眼目。良由兩種之顛倒,遂成十二之類生,歷七趣之輪迴,織五重之渾濁。於是迴千光相攬七寶床,深憐恣客迷主人,痛念認賊為己子。洗心非正,五十重之魔境現前;覺際入交,四十四之聖心超越。而後慶喜欽承於妙誨,能仁宣發於真慈,窮五陰之妄源,勝十方之獻寶。貧人七錢而佈施,尚獲輪王;行者一念以流通,定登佛果。真乘奧典,秘字靈文,《大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經》甚深法藏。
至心に帰命して、南謨無見頂相首楞厳王を礼す。其は如来の密因を円満し、菩薩(菩提薩埵の略称、覚りを求めてまた衆生を度する者)の万行を具足す、是れ真修行の路、是れ妙証悟の門、大乗義は之に由りて了明し、一切事は之に由りて究竟す。祇園結夏・聖王設斎より始まりて、紫金光聚は十方を照曜し、迦陵仙音は法界に流布し、恒河沙数の菩薩は皆来たりて心疑を咨決し、全国の王臣は皆来たりて法要を聞かんと願う。教は因縁に由りて起りて、阿難は淫坊に陥れられ;道は人を借りて弘められて、文殊師利は命を承けて密呪を宣説す。是に於て七処の徴心、全是れ妄性中の浄元明なり;八還に於て見を顕すは、本来真覚円常住なり。迷悟の根本を標出して、諸の闡提をして弥戻車(辺地下賤)に堕せしめ;同別の狂労を開示して、一闡提をして悪叉聚を摧破せしむ。富楼那は相を執して性を難じ、四縁は本より異同を記す;波斯匿王は断滅を誤りて常と為すも、一念本来より生滅無し。妙明の覚体、因にも非ず・縁にも非ず・自然にも非ず;精真の見元、合せず・和せず・離れずして即是なり。乃至六根虚妄にして、菩提妙心ならざるは無し;七大遍周にして、尽く如来蔵性なり。三縁永く断えて、鏡の中の頭を復た迷わず;二義既に明かにして、頓に衣の中の宝を悟る。金鐘の撃たるる処、声滅して聞性自ら消えず。華曡(細棉布)を綰結する時、六根を忘じて一性不可得なり。たとえば天王の屋を賜えるが如く、二十五聖各々悟入の門を陳説す;遠客の方に遊ぶが如く、十恒河沙衆は皆帰皆帰還の路を識る。文殊に敕して揀選せしめ、誰か其の根機に当らん;観音の円通を指せば、実に中より入るなり。況んや三无漏学、真に修習の要機;四浄律儀、実に秉持の明誨と号す。秘密章句を誦さんと欲せば、必ず厳かに清浄の壇場を設けば、無辺の積業は皆氷の如く消え、一切の所求は皆果遂を得ん。又三門の漸次を開くは、是れ先仏の規模;五品の名題を立つるは、将来の眼目と為す。只だ両種の顛倒に因りて、遂に十二類生と為り、七趣の輪回を経歴して、五重の渾濁を織成す。是に於て千光の相を回転して七宝の牀を攬り、深く放縦の客の主人を迷失するを憐れみ、痛く賊を認めて自らの子と為すを念う。洗心若し正しからざれば、五十重の魔境現前す;覚際相交われば、四十四聖心は超越す。然る後阿難は妙誨を欽承し、能仁は真慈を宣発し、五陰の妄源を窮めて、十方の献宝に勝れり。貧人の七銭の布施も、尚転輪王を獲たり;行者の一念の流通は、定めて仏果に登らん。真乗の奥典、秘字の霊文、『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』甚深の法蔵なり。
大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経巻第一(一名中印度那蘭陀大道場経、灌頂部に於て別行を録出す)
大唐神龍元年龍集乙巳五月己卯朔二十三日辛丑中天竺沙門般剌蜜帝於廣州制止道場譯出
大唐神龍元年、歳は乙巳に在り、五月己卯朔二十三日辛丑、中天竺(今のインド中部)沙門般剌蜜帝は広州制止道場に於て訳出せり。
菩薩戒弟子前正諫大夫同中書門下平章事清河房融筆授
菩薩戒弟子、前正諫大夫、同中書門下平章事、清河人房融は筆受記録せり。
烏長國沙門彌伽釋迦譯語
烏萇国(今のパキスタン北部一帯)沙門弥伽釈迦は訳語せり。
如是我聞:
かくの如く我聞けり。
一時,佛在室羅筏城祇桓精舍,與大比丘眾千二百五十人俱,皆是無漏大阿羅漢——佛子住持,善超諸有,能於國土成就威儀;從佛轉輪,妙堪遺囑,嚴淨毘尼,弘範三界;應身無量,度脫眾生,拔濟未來,越諸塵累。——其名曰大智舍利弗、摩訶目犍連、摩訶拘絺羅、富樓那彌多羅尼子、須菩提、優波尼沙陀等而為上首。復有無量闢支無學,並其初心同來佛所。屬諸比丘休夏自恣,十方菩薩諮決心疑,欽奉慈嚴,將求密義。即時如來敷座宴安,為諸會中宣示深奧。法筵清眾得未曾有,迦陵仙音遍十方界。恆沙菩薩來聚道場,文殊師利而為上首。
ある時、仏は室羅筏城祇桓精舎に在りて、大比丘衆千二百五十人と倶に在り、皆無漏の大阿羅漢なり——仏子は住持して、善く諸有を超出し、能く国土に於て威儀を成ず;仏に従りて法輪を転じ、妙に遺嘱に堪え、厳浄に毘尼を行い、三界の弘範と為す;応身無量にして、衆生を度脱し、未来を抜済して、諸の塵累を超越す。——名字は大智舎利弗・摩訶目犍連・摩訶拘絺羅・富楼那弥多羅尼子・須菩提・優波尼沙陀等を上首と為す。又有る無量の辟支仏無学、初発心の者と併せて、同じく仏の所に来たれり。諸の比丘の結夏自恣に値い、十方の菩薩は心疑を咨決し、慈厳を欽奉して、密義を求めんと将にせんとす。即時如来は座を敷きて宴安して、会中に為に深奥を宣示したまう。法筵の清衆は未曾有を得たり、迦陵仙音は十方界に遍し。恒河沙数の菩薩は道場に来聚して、文殊師利を上首と為す。
時波斯匿王為其父王諱日營齋,請佛宮掖。自迎如來,廣設珍羞無上妙味,兼復親延諸大菩薩。城中復有長者、居士,同時飯僧,佇佛來應。佛勅文殊,分領菩薩及阿羅漢,應諸齋主。唯有阿難先受別請,遠遊未還,不遑僧次。既無上座及阿闍黎,途中獨歸,其日無供,即時阿難執持應器,於所遊城次第循乞。心中初求最後檀越以為齋主,無問淨穢、剎利尊姓及旃陀羅。方行等慈,不擇微賤,發意圓成一切眾生無量功德,阿難已知如來世尊訶須菩提及大迦葉,為阿羅漢心不均平。欽仰如來,開闡無遮,度諸疑謗。經彼城隍,徐步郭門,嚴整威儀,肅恭齋法。
爾の時波斯匿王は、其の父王の諱日が為に斎会を営辦して、仏を宮中に請う。親ら如来を迎えて、広く珍饌無上の妙味を設け、又親ら諸の大菩薩を延請せり。城中に又有る長者・居士、同時に僧を供して、仏の来たりて供を応じたまうを候せり。仏は文殊に敕して、分けて菩薩および阿羅漢を領せしめて、諸の斎主に応赴せしめたまう。唯だ阿難は先に別請を受けて、遠く遊びて未だ還らず、僧次に及ばず。既に上座および阿闍梨無く、途中に於て独り帰り来たり、其の日は供養無し。即時阿難は応器を執持して、遊ぶ所の城に於て因次に乞食せり。心中に初めて最後の檀越を求めて斎主と為さんと思いて、浄穢を問わず、刹利尊姓および旃陀羅を問わず、方に行平等の慈悲を行じて、微賤を揀択せず、意を発して一切衆生の無量功徳を円満成就せんと欲す。阿難已に如来世尊が須菩提および大迦葉を訶責したまえるを知れり、阿羅漢の心均平ならざるが為なり。欽仰して如来の無遮を開闡して、諸の疑謗を度脱したまうを仰ぐ。彼の城隍を経過して、徐歩して郭門を過ぎ、威儀を厳整して、斎法を粛恭せり。
爾時,阿難因乞食次,經歷婬室,遭大幻術摩登伽女,以娑毘迦羅先梵天呪攝入婬席,婬躬撫摩,將毀戒體。如來知彼婬術所加,齋畢旋歸,王及大臣、長者、居士,俱來隨佛,願聞法要。於時世尊頂放百寶無畏光明,光中出生千葉寶蓮,有佛化身結跏趺坐,宣說神呪。勅文殊師利將呪往護,惡呪銷滅,提㢡阿難及摩登伽歸來佛所。阿難見佛,頂禮悲泣,恨無始來一向多聞未全道力,殷勤啟請十方如來得成菩提、妙奢摩他、三摩、禪那最初方便。於時復有恆沙菩薩,及諸十方大阿羅漢、辟支佛等,俱願樂聞。退坐默然,承受聖旨。
爾の時、阿難は乞食に因りて、淫室を経過し、大幻術の摩登伽女に遭遇して、娑毘迦羅先梵天呪を以て淫席に攝入せられ、身体を以て撫摩して、将に戒体を毀壊せんとせり。如来は彼が淫術に加えられたるを知りて、斎を畢えて旋り帰り、王および大臣・長者・居士は倶に仏に随いて来たり、法要を聞かんと願う。是に於て世尊は頂上に百宝無畏の光明を放ちて、光の中に千葉の宝蓮を生じて、化仏有りて結跏趺坐して、神呪を宣説したまう。文殊師利に敕して呪を持して往きて救護せしめて、悪呪は消滅し、奨掖して阿難および摩登伽を提挈して仏の所に帰らしむ。阿難は仏を見て、頂礼悲泣して、无始より已来一向に多聞にして道力を全うせざるを恨めり。殷勤に十方の如来を啓請して、菩提・妙奢摩他・三摩・禅那の最初方便を成就し得たまわんことを。爾の時復た恒河沙数の菩薩、および諸の十方大阿羅漢・辟支仏等有りて、倶に願楽聞せり。退坐して黙然として、聖旨を承受せり。
佛告阿難:「汝我同氣,情均天倫,當初發心,於我法中見何勝相?頓捨世間深重恩愛!」
仏阿難に告げたまわく、「汝我は同気にして、情は天倫の如し、当に発心して、我が法の中に於て何の勝相を見て、即ち世間の深重の恩愛を頓に捨てたる」と。
阿難白佛:「我見如來三十二相勝妙殊絕,形體映徹猶如瑠璃。常自思惟:『此相非是欲愛所生。何以故?欲氣麁濁,腥臊交遘,膿血雜亂,不能發生勝淨妙明紫金光聚。』是以渴仰,從佛剃落。」
阿難仏に白して言さく、「我は如来の三十二相の勝妙絶妙、形体映徹して琉璃の如きを見たり。常に自ら思惟して曰わく、『此の相は是れ欲愛の生ずる所に非ず。何を以ての故ぞや。欲気は粗濁にして、腥臊交遘して、膿血雑乱にして、能く勝浄妙明の紫金光聚を生ずること能わず』と。是を以て渇仰して、仏に随いて剃髪出家せり」と。
佛言:「善哉!阿難!汝等當知:一切眾生從無始來生死相續,皆由不知常住真心性淨明體,用諸妄想,此想不真故有輪轉。汝今欲研無上菩提真發明性,應當直心詶我所問。十方如來同一道故出離生死,皆以直心!心言直故,如是乃至終始地位,中間永無諸委曲相。
仏言さく、「善哉!阿難!汝ら当に知るべし:一切衆生は无始より已来生死相続するは、皆常住真心・性浄明体を知らざるに因りて、諸の妄想を用うる、此の想真ならざるが故に輪転有り。汝いま無上菩提・真の発明の性を研窮せんと欲せば、当に直心を以て我が問う所に答うべし。十方の如来同一の道の、生死を出離する所以は、皆直心を用う!心と言と皆直なる故を以て、是の如く乃至終始の地位に至るまで、中間に永に諸の委曲の相無かるべし。
「阿難!我今問汝,當汝發心緣於如來三十二相,將何所見?誰為愛樂?」
(仏また説きていわく、)「阿難!我いま汝に問わん、当に発心して如来の三十二相に縁りて、何を以て見、誰が愛楽せる」と。
阿難白佛言:「世尊!如是愛樂,用我心目。由目觀見如來勝相,心生愛樂,故我發心,願捨生死。」
阿難仏に白して言さく、「世尊!是の如き愛楽は、我が心と眼とを用う。眼に由りて如来の勝相を観見して、心愛楽を生じて、故に我発心して、生死を捨てんと願う」と。
佛告阿難:「如汝所說真所愛樂因於心目,若不識知心目所在,則不能得降伏塵勞。譬如國王為賊所侵,發兵討除,是兵要當知賊所在。使汝流轉,心目為咎;吾今問汝,唯心與目,今何所在?」
仏阿難に告げたまわく、「汝が説く所の如く、真の愛楽の因は心と眼とに在り。若し心と眼との所在を識知せざれば、即ち能く塵労を降伏せざらん。たとえば国王、賊に侵されて、兵を発して討除するに、此の兵は須く賊の所在を知らざるべからず。汝を流転せしむるは、心と眼と是れ咎なり;我いま汝に問う:唯だ是の心と眼、いま何の処に在る」と。
阿難白佛言:「世尊!一切世間十種異生,同將識心居在身內;縱觀如來青蓮花眼,亦在佛面。我今觀此浮根四塵,秖在我面;如是識心,實居身內。」
阿難仏に白して言さく、「世尊!一切の世間十種の異生、同じく識心を身の内に居さしむ;縦く如来の青蓮華眼を観ずるも、亦仏面上に在り。我いま此の浮根四塵を観れば、只だ我が面上に在りて;是の如く、識心実に身の内に在り」と。
佛告阿難:「汝今現坐如來講堂,觀祇陀林今何所在?」
仏阿難に告げたまわく、「汝いま正しく如来の講堂に坐して、祇陀林を観ずるに、いま何の処に在る」と。
「世尊!此大重閣清淨講堂在給孤園,今祇陀林實在堂外。」
(阿難曰わく、)「世尊!此の大重閣清浄講堂は給孤独園に在りて、今祇陀林実に堂外に在り」と。
「阿難!汝今堂中先何所見?」
(仏問う、)「阿難!汝いま堂中に於て先ず何を見る」と。
「世尊!我在堂中先見如來,次觀大眾,如是外望方矚林園。」
(阿難曰わく、)「世尊!我は堂中に於て先ず如来を見、次に大衆を観て、是の如く外に向いて乃ち林園を見る」と。
「阿難!汝矚林園因何有見?」
(仏問う、)「阿難!汝林園を見るは、何に因りて見ること有る」と。
「世尊!此大講堂戶牖開豁,故我在堂得遠瞻見。」
(阿難曰わく、)「世尊!此の大講堂は戸窓開敞なれば、我堂中に在りて能く遥かに瞻見す」と。
爾時,世尊在大眾中,舒金色臂摩阿難頂,告示阿難及諸大眾:「有三摩提,名大佛頂首楞嚴王具足萬行、十方如來一門超出妙莊嚴路,汝今諦聽!」阿難頂禮,伏受慈旨。
爾の時、世尊は大衆の中に於て金色の臂を展げて阿難の頂を摩でて、阿難および諸の大衆に告げて言さく、「一の三摩提有りて、名を大仏頂首楞厳王と曰う、万行を具足して、十方の如来一門に於て超出する妙荘厳路なり、汝いま諦聴せよ」と。阿難は頂礼して、慈旨を伏受せり。
佛告阿難:「如汝所言『身在講堂,戶牖開豁,遠矚林園』,亦有眾生在此堂中,不見如來見堂外者?」
仏阿難に告げたまわく、「汝が説く所の如く『身は講堂に在りて、戸窓開敞にして、遥かに林園を瞻瞩す』に、亦有る衆生此の堂中に在りて、如来を見ずして能く堂外を見る者ありや」と。
阿難答言:「世尊!在堂不見如來,能見林泉,無有是處。」
阿難答えて言さく、「世尊!堂中に在りて如来を見ず、而も能く林泉を見るは、有るべき道理無し」と。
「阿難!汝亦如是。汝之心靈一切明瞭,若汝現前所明瞭心實在身內,爾時先合了知內身;頗有眾生先見身中,後觀外物?縱不能見心、肝、脾、胃、爪生、髮長、筋轉、脈搖、誠合明瞭,如何不知?必不內知,云何知外?是故應知,汝言『覺了能知之心住在身內』,無有是處。」
(仏また説きていわく、)「阿難!汝亦復かくの如し。汝が心霊は一切明了せり。若し汝が現前に明了する所の心実に身の内に在れば、爾の時先ず当に内身を了知すべし、豈に衆生有りて先ず身中を見て、後に外物を観ずること有らんや。縱いて心・肝・脾・胃を見ること能わずとも、爪の生じ・髪の長ずる・筋の転じ・脈の揺るるは、誠に当に明了すべし、何の故ぞや知らざる。必ず能く内知せざれば、云何にか外を知る。是の故を以て当に知るべし、汝が言う所の『覚了能知の心は身の内に住する』は、有るべき道理無し。」
阿難稽首而白佛言:「我聞如來如是法音,悟知我心實居身外。所以者何?譬如燈光然於室中,是燈必能先照室內,從其室門後及庭際。一切眾生不見身中獨見身外,亦如燈光居在室外,不能照室。是義必明,將無所惑;同佛了義,得無妄耶?」
阿難稽首して復た仏に白して言さく、「我は如来の是の如き法音を聞きて、悟りて我が心実に身の外に在るを知れり。何を以ての故ぞや。たとえば灯光の室中に燃ゆる、此の灯は必ず能く先ず室内を照して、室門より及び庭際に至る。一切の衆生は身中を見ずして只だ身外を見るは、亦灯光の室外に在りて、室を照らすこと能わざるが如し。此の義必ず明かならば、将に惑う所無からん;仏の了義に同じからば、該めて虚妄無からんや」と。
佛告阿難:「是諸比丘,適來從我室羅筏城循乞摶食,歸祇陀林,我已宿齋。汝觀比丘一人食時,諸人飽不?」
仏阿難に告げたまわく、「是の諸の比丘は適来我に従りて室羅筏城に於て循次に摶食を乞い取りて、祇陀林に帰りて、我已に斎を畢えり。汝観よ:一人の比丘食するの時、諸人は飽くや不飽や」と。
阿難答言:「不也,世尊!何以故?是諸比丘雖阿羅漢,軀命不同,云何一人能令眾飽?」
阿難答えて言さく、「不也、世尊!何を以ての故ぞや。是の諸の比丘は阿羅漢なりと雖も、軀命各々別なり、云何にか一人能く大衆をして咸く飽けしめんや」と。
佛告阿難:「若汝覺了知見之心,實在身外,身心相外,自不相干。則心所知,身不能覺,覺在身際,心不能知。我今示汝兜羅綿手,汝眼見時,心分別不?」
仏阿難に告げたまわく、「若し汝が覚了知見の心実に身の外に在れば、身心相い外に在りて、自ら相干らず。則なれば心の知る所は、身能く覚えず;身の辺に於て覚えて、心能く知らず。我いま兜羅綿手を汝に示さば、汝が目見るの時、心分別するや不や」と。
阿難答言:「如是,世尊!」
阿難答えて言さく、「是の如し、世尊!」
佛告阿難:「若相知者,云何在外?是故應知,汝言『覺了能知之心住在身外』,無有是處。」
仏阿難に告げたまわく、「若し相い知れば、云何にか外に在る。是の故を以て当に知るべし、汝が言う所の『覚了能知の心は身の外に住する』は、有るべき道理無し」と。
阿難白佛言:「世尊!如佛所言『不見內故,不居身內;身心相知,不相離故,不在身外』,我今思惟,知在一處。」
阿難仏に白して言さく、「世尊!仏の説かれる所の如く『内を見ざるが故を以て、身の内に在らず;身心相い知りて相い離れざるが故を以て、身の外に在らず』、我いま思惟して、一の処に在るを知れり」と。
佛言:「處今何在?」
仏言さく、「其の処はいま何の処に在る」と。
阿難言:「此了知心既不知內而能見外,如我思忖,潛伏根裡。猶如有人取瑠璃椀,合其兩眼,雖有物合而不留礙,彼根隨見隨即分別。然我覺了能知之心不見內者,為在根故;分明矚外無障礙者,潛根內故。」
阿難言さく、「此の了知の心は既に内を知らずして能く外を見るは、我が思忖するに、根中に潜伏せり。たとえば人有りて琉璃椀を取りて両の眼上に合せるが如く、物を合すと雖も障礙を遺さずして、彼の眼根は見るに随い随ち分別す。然るに我が覚了能知の心は内を見ざるは、根の中に在るが故を以て;分を分けて外を見て礙無きは、根内に潜在するが故を以て」と。
佛告阿難:「如汝所言『潛根內者猶如瑠璃』,彼人當以瑠璃籠眼,當見山河,見瑠璃不?」
仏阿難に告げたまわく、「汝が説く所の如く『根内に潜伏して琉璃の如し』、其の人は琉璃を以て眼を籠むれば、当に山河を見て、還りて琉璃を見るや不や」と。
「如是,世尊!是人當以瑠璃籠眼,實見瑠璃。」
(阿難曰わく、)「是の如し、世尊!此の人は琉璃を以て眼を籠むれば、実に琉璃を見る」と。
佛告阿難:「汝心若同瑠璃合者,當見山河,何不見眼?若見眼者,眼即同境,不得成隨;若不能見,云何說言『此了知心潛在根內如瑠璃合』?是故應知,汝言『覺了能知之心潛伏根裡如瑠璃合』,無有是處。」
仏阿難に告げたまわく、「汝が心若し琉璃に同じく合せば、当に山河を見て、何の故ぞや眼を見ざる。若し眼を見れば、眼は即ち境界に同じくして、随見と成るを成さず;若し見ること能わざれば、云何にか『此の了知の心は根内に潜在して琉璃を合せるが如し』と説かん。是の故を以て当に知るべし、汝が言う所の『覚了能知の心は根中に潜伏して琉璃を合せるが如し』は、有るべき道理無し」と。
阿難白佛言:「世尊!我今又作如是思惟:『是眾生身,府藏在中,竅穴居外;有藏則暗,有竅則明。』今我對佛,開眼見明,名為見外;閉眼見暗,名為見內。是義云何?」
阿難仏に白して言さく、「世尊!我いま又復た是の如く思惟す:『衆生の身は、臓腑は中に在り、孔竅は外に在り;蔵有れば則ち暗し、竅有れば則ち明し。』今我は仏に対して、眼を開きて明を見るは、名づけて外を見ると為し;眼を閉ぢて暗を見るは、名づけて内を見ると為す。此の義云何にせん」と。
佛告阿難:「汝當閉眼見暗之時,此暗境界為與眼對,為不對眼?若與眼對,暗在眼前,云何成內?若成內者,居暗室中無日月燈,此室暗中皆汝焦府?若不對者,云何成見?若離外見,內對所成,閤眼見暗,名為身中;開眼見明,何不見面?若不見面,內對不成。見面若成,此了知心及與眼根,乃在虛空,何成在內?若在虛空,自非汝體,即應如來今見汝面,亦是汝身。汝眼已知,身合非覺。必汝執言身,眼兩覺,應有二知,即汝一身應成兩佛!是故應知,汝言『見暗名見內』者,無有是處。」
仏阿難に告げたまわく、「汝が眼を閉ぢて暗を見るの時、此の暗の境界は眼と為に対するや、眼と為に対せざるや。若し眼と対せば、暗は眼前に在りて、云何にか内と成る。若し内と成らば、汝暗室に居りて日月灯無きに、此の室中の暗は皆汝が焦腑の臓腑ならんや。若し対せざれば、云何にか見と成る。若し外見を離れて、内より所対を成じて、眼を合せて暗を見るを名づけて身中と為さば;眼を開きて明を見るに、何の故ぞや己が面を見ざる。若し面を見ざれば、内対は成ぜず。若し面を見て成ずれば、此の了知の心および眼根は虗空に在りて、云何にか内と成る。若し虗空に在れば、自ら汝が体に非ず、即ち応に如来いま汝が面を見るも、亦是れ汝が身なり。汝が眼已に知りて、身は応に覚無からん。若し汝必定して身と眼と二つの覚有りと執せば、即ち当に二知有るべく、即ち汝一身は当に両の仏と為らん!是の故を以て当に知るべし、汝が言う所の『暗を見るを名づけて内を見ると為す』は、有るべき道理無し」と。
阿難言:「我常聞佛開示四眾:『由心生故種種法生,由法生故種種心生。』我今思惟:『即思惟體實我心性。隨所合處,心則隨有;亦非內、外、中間三處。』」
阿難言さく、「我常に仏が四衆に開示したまえるを聞く:『心生ずるが故に、種種の法生ず;法生ずるが故に、種種の心生ず。』我いま思惟す:『彼の思惟の体は実に即ち我が心性なり。随いて合する所の処、心は即ち随いて有らん;亦非ず内・外・中間の三の処なり。』」
佛告阿難:「汝今說言『由法生故種種心生,隨所合處心隨有』者,是心無體則無所合;若無有體而能合者,則十九界因七塵合,是義不然。若有體者,如汝以手自挃其體,汝所知心為復內出、為從外入?若復內出,還見身中;若從外來,先合見面?」
仏阿難に告げたまわく、「汝いま説く所の『法生ずるが故に種種の心生じ、随いて合する所の処、心は随いて有らん』、此の心若し体無ければ則ち合する所無し;若し体無くして能く合すれば、即ち十九界に因りて七塵と合するなり、此の義然らず。若し体有れば、汝が手を以て自ら汝が体を摎るが如く、汝が知る所の心は是れ内より出づるや、是れ外より入るや。若し内より出づれば、還りて当に身中を見るべし;若し外より来れば、先ず当に面を見るべしや」と。
阿難言:「見是其眼,心知非眼,為見非義。」
阿難言さく、「見るは是れ眼の能なり、心知は是れ眼に非ず、知を以て見と為すは、義成らず」と。
佛言:「若眼能見,汝在室中門能見不?則諸已死尚有眼存,應皆見物。若見物者,云何名死?阿難!又汝覺了能知之心,若必有體,為復一體?為有多體?今在汝身,為復遍體?為不遍體?若一體者,則汝以手挃一𨈛時,四𨈛應覺;若鹹覺者,挃應無在。若挃有所,則汝一體自不能成。若多體者,則成多人。何體為汝?若遍體者,同前所挃!若不遍者,當汝觸頭亦觸其足,頭有所覺,足應無知。今汝不然。是故應知,隨所合處心則隨有,無有是處。」
仏説きていわく、「若し眼能く見れば、汝室中に在りて、門能く見るや。然れば則ち諸の已死の人有りて、其の眼猶お在り、応に皆物を見るべし。若し物を見れば、云何にか死と名づくる。阿難!又汝が覚了能知の心、若し必ず体有るば、是れ一体か、是れ多体か。今汝が身に在りて、是れ遍体か、是れ不遍体か。若し一体ならば、則ち汝手を以て一の肢体を摎するの時——底本此の字は生僻字にて、「肢」と読むべし——四肢は応に皆覚あるべし;若し咸く覚有れば、摎るは応に所在無からん。若し摎るに所在有れば、汝の一体自ら成ぜざるを得ん。若し多体ならば、即ち多人と成らん。何の体か汝ぞや。若し遍体ならば、前に摎れたるに同じ!若し遍ざれば、当に頭を触るるも亦足を触るるに、頭覚有る所、足は応に知無からん。今汝然らず。是の故を以て当に知るべし、『随いて合する所の処、心即ち随いて有らん』は、有るべき道理無し」と。
阿難白佛言:「世尊!我亦聞佛與文殊等諸法王子談實相時,世尊亦言:『心不在內,亦不在外。』如我思惟:『內無所見,外不相知。內無知故,在內不成;身心相知,在外非義。今相知故,復內無見,當在中間。』」
阿難仏に白して言さく、「世尊!我亦仏が文殊等の諸の法王子と実相を談じたまえるを聞きて、爾の時世尊亦説きていわく、『心不在内、亦不在外』と。我が思惟するに:『内に於て見る所無くして、外に於て復た相い知らず。内に於て知無ければ、故に在ること成らず;身心相い知れば、在外の義又対らず。今相い知りて、復た内より見無し、応に中間に在らん。』」
佛言:「汝言中間,中必不迷,非無所在。今汝推中,中何為在?為復在處?為當在身?若在身者,在邊非中,在中同內。若在處者,為有所表?為無所表?無表同無,表則無定。何以故?如人以表表為中時,東看則西,南觀成北;表體既混,心應雜亂?」
仏言さく、「汝が言う所の中間、中は必ず不迷ならず、所在無きに非ず。今汝推求して中間と為すに、中は在りて何の処に在る。是れ在って処所に在るか、在って身上に在るか。若し身上に在れば、辺に在れば則ち非ず中、中に在れば即ち内に同じ。若し処所に在れば、是れ表する所有るか、是れ表する所無きか。無表なれば即ち無に同じ、有表なれば即ち無定なり。何を以ての故ぞや。たとえば人、表を以て中と標する時、東より見れば則ち西を成し、南より見れば北と成る;表の体既に雑乱せり、心は応に錯乱せんや」と。
阿難言:「我所說中,非此二種。如世尊言『眼、色為緣生於眼識』,眼有分別,色塵無知,識生其中則為心在。」
阿難言さく、「我が説く所の中は、非ず此の二種なり。世尊の説かれるが如く『眼と色と縁と為して眼識を生ず』、眼は分別有り、色塵は知無し、識其の中に生ずるは、即ち心の所在なり」と。
佛言:「汝心若在根、塵之中,此之心體為復兼二?為不兼二?若兼二者,物體雜亂。物非體知,成敵兩立,云何為中?兼二不成。非知不知,即無體性,中何為相?是故應知,當在中間,無有是處。」
仏言さく、「汝が心若し根塵の中に在れば、此の心の体は是れ二を兼ねるか、是れ二を兼ねざるか。若し二を兼ぬれば、物体雑乱なり。物は非ず能知の体、敵対して両立して、云何にか中を成す。兼二は成らず。是れ知にも非ず、是れ不知にも非ざれば、則ち体性無し、中は何を以て相と為す。是の故を以て当に知るべし、『中間に在るべし』と説くは、有るべき道理無し」と。
阿難白佛言:「世尊!我昔見佛與大目連、須菩提、富樓那、舍利弗四大弟子共轉法輪,常言『覺知分別心性,既不在內,亦不在外,不在中間,俱無所在;一切無著,名之為心』,則我無著,名為心不?」
阿難仏に白して言さく、「世尊!我昔仏が大目連・須菩提・富楼那・舎利弗四大弟子と倶に法輪を転じたまえるを見て、常に言わく、『覚知分別の心性は、既に不在内、亦不在外、不在中間、倶に所在無くて、一切無著を名づけて心と為す』と、則ち我が無著は、名づけて心と為すか」と。
佛告阿難:「汝言『覺知分別心性俱無在』者,世間虛空、水、陸、飛行諸所物象,名為一切。汝不著者,為在為無?無則同於龜毛、兔角,云何不著?有不著者,不可名無。無相則無,非無則相;相有則在,云何無著?是故應知『一切無著名覺知心』,無有是處。」
仏阿難に告げたまわく、「汝が言う『覚知分別の心性倶に所在無し』、世間の虗空・水・陸・飛行の諸の物象を所と為すを、名づけて一切と為す。汝の不著するは、是れ在るか是れ無か。無なれば則ち亀毛・兎角に同じくして、云何にか著せざる。著せざる所有れば、不可名づくる無なり。無相則ち無にして、非ず無なれば則ち相にして;相有れば則ち在りて、云何にか無著。是の故を以て当に知るべし『一切無著を名づけて覚知心と為す』は、有るべき道理無し」と。
爾時,阿難在大眾中,即從座起,偏袒右肩,右膝著地,合掌恭敬而白佛言:「我是如來最小之弟,蒙佛慈愛,雖今出家,猶恃憍憐,所以多聞未得無漏;不能折伏娑毘羅呪,為彼所轉,溺於婬舍,當由不知真際所詣。唯願世尊大慈哀愍,開示我等奢摩他路,令諸闡提隳彌戾車!」作是語已,五體投地。及諸大眾,傾渴翹佇,欽聞示誨。
爾の時、阿難は大衆の中に於て即座より起ちて、偏に右肩を袒り、右膝を地に著け、合掌恭敬して仏に白して言さく、「我は是れ如来最小の弟にて、仏の慈愛に蒙る、今出家せりと雖も、猶お憍怜を恃みて、故に多聞にして未だ無漏を得ざるなり;能く娑毘羅呪を折伏せずして、彼に転じられて、淫舎に溺れたるは、当に是れ真際の所在を知らざるに由らん。唯だ願わくは世尊大慈哀愍して、我らに奢摩他の路を開示して、諸の闡提をして弥戻車を壊すこと成らしめたまえ!」此の語を作し已りて、五体を地に投げたり。諸の大衆に及びて、渇仰して翹り首して、欽めて開示の教誨を聞かんとす。
爾時,世尊從其面門放種種光,其光晃耀如百千日,普佛世界六種震動。如是十方微塵國土一時開現,佛之威神,令諸世界合成一界。其世界中,所有一切諸大菩薩,皆住本國合掌承聽。
爾の時、世尊は面門より種種の光を放ちて、其の光晃耀して百千の日の如し、普く仏の世界は六種に震動せり。是の如く十方の微塵の国土は一時に開現して、仏の威神は諸の世界をして一界に合成せしめたまう。其の世界の中に在る一切の諸大菩薩は、皆本国に住して合掌して承聴せり。
佛告阿難:「一切眾生,從無始來種種顛倒,業種自然如惡叉聚。諸修行人,不能得成無上菩提乃至別成聲聞、緣覺,及成外道、諸天魔王及魔眷屬,皆由不知二種根本錯亂修習;猶如煮沙欲成嘉饌,縱經塵劫終不能得。云何二種?阿難!一者、無始生死根本,則汝今者與諸眾生用攀緣心為自性者。二者、無始菩提、涅槃元清淨體,則汝今者識精元明,能生諸緣緣所遺者。由諸眾生遺此本明,雖終日行而不自覺,枉入諸趣。
仏阿難に告げたまわく、「一切衆生は无始より已来種種の顛倒ありて、業種自然として悪叉聚(果実の聚りて生ず、業果の同時なるを喩う)の如し。諸の修行人の能く無上菩提を得成せざる、乃至別に声聞・縁覚を成じ、および外道・諸天魔王および魔眷属を成ずるは、皆不知二種の根本、錯乱修習せばなり;沙を煮て嘉饌を成さんと欲するが如く、縦い塵劫を経るも終に能く得ざらん。云何にか二種と為す。阿難!一には、无始の生死根本、則ち汝今の与の諸衆生、攀縁心を用いて自性と為す者。二には、无始の菩提・涅槃(煩悩止息して、復た生死に流転せざる境地)の元清浄体、則ち汝今の識精元明にして、諸の縁を生ぜしめて縁に遺せる者。諸衆生此の本明を遺せるに由りて、終日行ずると雖も自ら覚らず、枉げて諸趣に入る。
「阿難!汝今欲知奢摩他路,願出生死,今復問汝!」
(仏また説きていわく、)「阿難!汝いま奢摩他の路を知らんと欲して、生死を出せんと願う、今復た汝に問わん!」
即時如來舉金色臂,屈五輪指,語阿難言:「汝今見不?」
即時如来は金色の臂を挙げて、五輪の指を屈して、阿難に告げて言さく、「汝いま見るや不や」と。
