大仏頂萬行首楞厳経巻第一
大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経巻第二(一名中印度那蘭陀大道場経、灌頂部に於て別行を録出す)
唐天竺沙門般剌蜜帝譯
唐代天竺沙門般剌蜜帝訳。
爾時,阿難及諸大眾聞佛示誨,身心泰然。念無始來失卻本心,妄認緣塵分別影事,今日開悟,如失乳兒忽遇慈母。合掌禮佛,願聞如來顯出身心真妄虛實,現前生滅與不生滅二發明性。
爾の時、阿難および諸の大衆は仏の開示教誨を聞きて、身心泰然たり。无始より已来本心を失いて、妄りに縁塵分別の影事を認めたるを念い、今日開悟して、たとえば失乳の幼児の忽ち慈母に遇うが如し。合掌して仏を礼して、願わくは如来の身心の真妄虚実を顕出して、現前生滅および不生滅の二種の発明の性を聞かんとす。
波斯匿王起立白佛:「我昔未承諸佛誨勅,見迦旃延、毘羅胝子,鹹言:『此身死後斷滅,名為涅槃。』我雖值佛,今猶狐疑。云何發揮,證知此心不生滅地?今此大眾諸有漏者,鹹皆願聞。」
波斯匿王は起立して仏に白して言さく、「我昔未だ諸仏の教敕を承けざるの時、迦旃延・毘羅胝子を見るに、倶に言わく、『此の身死後斷滅して、名づけて涅槃と為す』と。我雖も仏に値遇せるも、今猶お狐疑せり。云何にか発揮して、此の心の不生滅の地を証知せん。今此の大衆の諸の有漏の人、咸く願くは聞かんことを」と。
佛告大王:「汝身現存,今復問汝:汝此肉身為同金剛常住不朽?為復變壞?」
仏大王に告げたまわく、「汝が身は現在還りて在り、今再び汝に問わん:汝此の肉身は是れ金剛に同じく常住朽壊せざるか、将に変壊せんか」と。
「世尊!我今此身終從變滅。」
(王曰わく、)「世尊!我今此の身終に変滅せん」と。
佛言:「大王!汝未曾滅,云何知滅?」
仏言さく、「大王!汝未だ滅せずして、云何にか滅を知る」と。
「世尊!我此無常變壞之身雖未曾滅,我觀現前念念遷謝,新新不住;如火成灰,漸漸銷殞,殞亡不息,決知此身當從滅盡。」
(王曰わく、)「世尊!我此の無常変壊の身は雖も未だ滅せざるも、我観る現前の念念遷謝して、新新にして住せず;たとえば火の灰と成るが如く、漸々に銷殞して、殞亡止息せず、決して知る此の身は当に滅尽に従るべしと」と。
佛言:「如是,大王!汝今生齡已從衰老,顏貌何如童子之時?」
仏言さく、「是の如し、大王!汝今生齢已に衰きを従りて、顔貌は童子の時に比ぶれば云何に」と。
「世尊!我昔孩孺,膚腠潤澤,年至長成血氣充滿,而今頹齡迫於衰耄,形色枯悴,精神昏昧,髮白麵皺,逮將不久,如何見比充盛之時!」
(王曰わく、)「世尊!我昔孩孺にして、肤腠は潤沢にして、年長成に至りて血気充満せり;而今頽齢にして衰耄に迫りて、形色は枯悴して、精神は昏昧し、髪は白み面は皺みて、將に久しからざるに近し、云何にか充盛の時に比べんや」と。
佛言:「大王!汝之形容應不頓朽?」
仏言さく、「大王!汝が形容は応に頓に朽壊せざらんか」と。
王言:「世尊!變化密移,我誠不覺,寒暑遷流,漸至於此。何以故?我年二十雖號年少,顏貌已老初十年時;三十之年又衰二十;於今六十又過於二,觀五十時宛然強壯。世尊!我見密移,雖此殂落其間流易且限十年。若復令我微細思惟:『其變寧唯一紀二紀,實為年變;豈唯年變,亦兼月化;何直月化,兼又日遷。』沈思諦觀,剎那剎那、念念之間不得停住,故知我身終從變滅。」
王言さく、「世尊!変化は密かに移りて、我実に覚らず、寒暑の遷流に漸々に此に至れり。何を以ての故ぞや。我年二十は雖も年少と号するも、顔貌は已に最初十年の時に老いたり;三十之年は又二十に衰え;如今六十は又二歳を過ぎて、五十の時を看れば宛然として強壮なり。世尊!我密移を見るに、雖も此の殂落に、其の間の流易は且つ十年を以て限りと為す。若し復た我をして微細に思惟せしめば:其の変は豈に一紀二紀のみならん、実に是れ年々に変りて;豈に年変のみならん、亦兼ねて月化せり;何ぞ月化のみならん、又兼ねて日遷す。沈思諦観して、刹那刹那、念念の間に停住を得ず、故に知る我が身は終に変滅に帰せんことを」と。
佛言:「大王!汝見變化遷改不停,悟知汝滅;亦於滅時,知汝身中有不滅耶?」
仏言さく、「大王!汝変化遷改して停まらざるを見て、汝が当に滅せんを悟知せり;亦滅の時に於て、汝が身の中に不滅の在るを知るや不や」と。
波斯匿王合掌白佛:「我實不知!」
波斯匿王は合掌して仏に白して言さく、「我実に知らず」と。
佛言:「我今示汝不生滅性。大王!汝年幾時見恆河水?」
仏言さく、「我今汝に不生滅性を指示す。大王!汝幾歳にして恒河水を見たる」と。
王言:「我生三歲,慈母攜我謁耆婆天,經過此流,爾時即知是恆河水。」
王言さく、「我生れて三歳、慈母我を攜えて耆婆天に拜謁して、此の河を経過せり、爾の時即ち知る是れ恒河水なりと」と。
佛言:「大王!如汝所說,二十之時衰於十歲,乃至六十,日月歲時念念遷變;則汝三歲見此河時,至年十三其水云何?」
仏言さく、「大王!汝が説く所の如く、二十の時は十歳に衰え、乃至六十に至るまで、日月歳時は念念に遷変せり;則ち汝三歳の時此の河を見るに、年十三に至るまで、其の水云何に」と。
王言:「如三歲時宛然無異;乃至於今年六十二,亦無有異。」
王言さく、「三歳の時の如く宛然として異無し;乃至今年六十二に於ても、亦異無し」と。
佛言:「汝今自傷髮白麵皺,其面必定皺於童年;則汝今時觀此恆河,與昔童時觀河之見,有童耄不?」
仏言さく、「汝今自ら傷みて髪白み面皺みたりと、其の面は必定して童年に皺きたり;則ち汝今時此の恒河を観看して、昔日童時の河を観るの見に、童と老との分別有るや不や」と。
王言:「不也,世尊!」
王言さく、「不也、世尊!」
佛言:「大王!汝面雖皺,而此見精性未曾皺!皺者為變,不皺非變;變者受滅,彼不變者元無生滅,云何於中受汝生死?而猶引彼末伽梨等,都言此身死後全滅!」
仏言さく、「大王!汝が面は雖も皺みたれど、而此の見精の性は曽て皺まず!皺めば是れ変り、皺まざるは是れ変らず;変るは滅を受けて、彼の変らざるは元来生滅無し、云何にか中に於て汝が生死を受けん。而も還りて彼の末伽梨等を引くは、皆言う此の身死の後都く滅尽すと!」
王聞是言,信知身後捨生趣生,與諸大眾踴躍歡喜,得未曾有。
王は此の言を聞きて、信じて知る身死後に生を捨てて生に趣くことを、諸の大衆と踊躍歓喜して、未曾有を得たり。
阿難即從座起,禮佛合掌,長跪白佛:「世尊!若此見聞必不生滅,云何世尊名我等輩遺失真性,顛倒行事?願興慈悲洗我塵垢!」
阿難は即座より起ちて、仏を礼して合掌し、長跪して仏に白して言さく、「世尊!若し此の見聞必ず不生滅ならば、云何にか世尊は我らに真性を遺失して、顛倒して事を行ずると説く。願わくは慈悲を興して我が塵垢を洗いたまえ!」
即時如來垂金色臂,輪手下指,示阿難言:「汝今見我母陀羅手為正為倒?」
即時如来は金色の臂を垂れて、輪手は下に指さして、阿難に指示して言さく、「汝いま我が母陀羅手(印手)を見るに、是れ正か是れ倒か」と。
阿難言:「世間眾生以此為倒,而我不知誰正誰倒。」
阿難言さく、「世間の衆生は此を以て倒と為す、而我知らず誰が正か誰が倒か」と。
佛告阿難:「若世間人以此為倒,即世間人將何為正?」
仏阿難に告げたまわく、「若し世間の人此を以て倒と為せば、即ち世間の人は何を將てて正と為す」と。
阿難言:「如來竪臂,兜羅綿手上指於空,則名為正。」
阿難言さく、「如来が臂を堅げ、兜羅綿手を空に上指すれば、即ち名づけて正と為す」と。
佛即竪臂,告阿難言:「若此顛倒首尾相換,諸世間人一倍瞻視,則知汝身與諸如來清淨法身比類發明;如來之身名正遍知,汝等之身號性顛倒。隨汝諦觀汝身、佛身,稱顛倒者,名字何處號為顛倒?」
仏即ち臂を堅げて、阿難に告げて言さく、「若し此の顛倒は首尾を相い換えて、諸の世間の人は倍く瞻視して、即ち汝が身と諸の如来の清浄法身と比類発明を知らん;如来の身を名づけて正遍知と為し、汝らの身を号して性顛倒と為す。汝に随いて諦観して汝が身と仏の身とに、顛倒と称するは、名字は何の処に在りて号して顛倒と為す」と。
於時阿難與諸大眾,瞪矒瞻佛目精不瞬,不知身心顛倒所在。佛興慈悲,哀愍阿難及諸大眾,發海潮音遍告同會:「諸善男子!我常說言:『色心諸緣及心所使、諸所緣法,唯心所現。』汝身、汝心,皆是妙明真精妙心中所現物。云何汝等遺失本妙圓妙明心寶明妙性、認悟中迷?晦昧為空;空晦暗中結暗為色;色雜妄想,想相為身;聚緣內搖,趣外奔逸,昏擾擾相以為心性。一迷為心,決定惑為色身之內,不知色身外洎山河虛空大地,鹹是妙明真心中物。譬如澄清百千大海,棄之、唯認一浮漚體目為全潮,窮盡瀛渤。汝等即是迷中倍人!如我垂手等無差別,如來說為可憐愍者。」
爾の時阿難と諸の大衆と、瞠りて仏の目睛を瞻って瞬かずして、身心顛倒の所在を知らず。仏は慈悲を興して、阿難および諸の大衆を哀愍して、海潮音を発して遍く同会に告げて曰わく、「諸の善男子!我常に説きていわく:『色心の諸縁および心の使う所、諸の縁法の所は、唯心の現ずる所なり。』汝が身と汝が心と、皆是れ妙明真精妙心の中に於て現ずる物なり。云何に汝ら本妙円妙明心・宝明妙性を遺失して、悟の中の迷を認むる。晦昧は空と為る;空の晦暗中に於て暗を結んで色と為る;色は妄想を雑えて、想相は身を成す;緣を聚めて内に於て揺動して、外に奔逸して、昏擾擾の相を將てて心性と為す。一迷して心と為りて、決定して惑い色身の内に在らんと為し、知らず色身の外より山河虗空大地に至るまで、皆是れ妙明真心の中の物なり。たとえば百千の大海を澄清せるを棄てて、唯だ一の浮漚の体を認めて全潮と為して、瀛渤を窮めんとするが如し。汝らは即ち迷中の倍人なり!我が垂手の如く等しく差別無きに、如来は為に可憐愍と説く」と。
阿難承佛悲救深誨,垂泣叉手而白佛言:「我雖承佛如是妙音,悟妙明心元所圓滿常住心地,而我悟佛現說法音,現以緣心,允所瞻仰;徒獲此心,未敢認為本元心地。願佛哀愍宣示圓音,拔我疑根歸無上道!」
阿難は仏の悲救深誨を承けて、垂泣叉手して仏に白して言さく、「我雖も仏の是の如き妙音を承るも、妙明心の元来円満常住の心地を悟り得るも、而我が仏の現前の説法の音を悟るは、現前に縁心を用いて、允に当に瞻仰する所なり;徒らに此の心を獲て、未だ敢て本元心地と認めざるなり。願わくは仏哀愍して円音を宣示して、我が疑根を抜きて無上道に帰せしめたまえ!」
佛告阿難:「汝等尚以緣心聽法,此法亦緣,非得法性。如人以手指月示人,彼人因指當應看月,若復觀指以為月體,此人豈唯亡失月輪,亦亡其指。何以故?以所標指為明月故。豈唯亡指,亦復不識明之與暗。何以故?即以指體為月明性,明暗二性無所了故。汝亦如是,若以分別我說法音為汝心者,此心自應離分別音、有分別性。譬如有客寄宿旅亭,暫止便去,終不常住;而掌亭人都無所去,名為亭主。此亦如是,若真汝心,則無所去,云何離聲無分別性?斯則豈唯聲分別心,分別我容,離諸色相無分別性;如是乃至分別都無,非色非空,拘舍離等昧為冥諦,離諸法緣無分別性,則汝心性各有所還,云何為主?」
仏阿難に告げたまわく、「汝等は猶お縁心を以て法を聴すれば、此の法も亦縁にして、非ず法性を得るなり。たとえば人指を以て月を人に示すが如く、彼の人は当に指に因りて月を看るべし、若し復た指を観て以て月の体と為せば、此人は豈に月輪を亡するのみならん、亦其の指を亡す。何を以ての故ぞや。以て所標の指を將てて明の月と為さばなり。豈に指を亡するのみならん、亦明と暗とを識らず。何を以ての故ぞや。即ち指の体を將てて月明の性と為して、明暗の二性は了知する所無ければなり。汝亦如是なり。若し分別を以て我が説法の声を將てて汝が心と為せば、此の心は自ら当に分別の声を離れて、別に分別性有るべし。たとえば客有りて旅亭に寄宿して、暫く止まりて便ち去りて、終に常住せず;而るに亭を掌る者は都く去らずして、名づけて亭主と為す。此も亦是の如し、若し真の汝が心ならば、則ち去る所無し、云何にか声を離れて分別性無からん。此れ豈に声の分別心のみならん、我が容貌を分別するも、諸の色相を離れて分別性無し;如是乃至分別都く無くて、非色非空にして、拘舎離等は冥諦に昧えり、諸の法縁を離れて分別性無ければ、則ち汝が心性は各々還る所有りて、云何にか主と為る」と。
阿難言:「若我心性各有所還,則如來說妙明元心,云何無還?唯垂哀愍為我宣說!」
阿難言さく、「若し我が心性は各々還る所有れば、則ち如来の説く所の妙明元心は、云何にか還る所無き。唯だ願わくは哀愍を垂れて我が為に宣説したまえ!」
佛告阿難:「且汝見我見精明元,此見雖非妙精明心,如第二月;非是月影。汝應諦聽!今當示汝無所還地。阿難!此大講堂,洞開東方,日輪昇天則有明耀;中夜黑月,雲霧晦暝,則復昏暗;戶牖之隙則復見通;牆宇之間則復觀擁;分別之處則復見緣;頑虛之中遍是空性;欝𡋯之象則紆昏塵;澄霽斂氛又觀清淨。阿難!汝鹹看此諸變化相,吾今各還本所因處。云何本因?阿難!此諸變化,明還日輪;何以故?無日不明,明因屬日,是故還日。暗還黑月;通還戶牖;擁還牆宇;緣還分別;頑虛還空;欝𡋯還塵;清明還霽。則諸世間一切所有,不出斯類。汝見八種見精明性,當欲誰還!何以故?若還於明,則不明時無復見暗。雖明暗等種種差別,見無差別,諸可還者自然非汝;不汝還者非汝而誰?則知汝心本妙明淨,汝自迷悶喪本受輪,於生死中常被漂溺,是故如來名可憐愍。」
仏阿難に告げたまわく、「且つ汝が我を見るの見精明元、此の見は雖も妙精明心に非ざるも、第二月の如くして;月影に非ず。汝当に諦聴すべし!今当に汝に無還の地を指示せん。阿難!此の大講堂は、洞開して東方に向い、日輪天に昇れば則ち明耀有り;中夜の黒月、雲霧晦暝の時は、則ち復た昏暗せり;戸牖の隙には則ち復た通を見る;墻宇の間には則ち復た壅塞を見る;分別の処には則ち復た縁を見る;頑虗の中には遍く空性有り;鬱勃塵埃の象——底本此の字は生僻字にて、塵霧の鬱積と読むべし——には則ち紆回にして昏塵なり;澄霽にして氛を収むれば又清浄を見る。阿難!汝咸く此の諸の変化相を看るに、我今各々本の因る所に還らしむ。云何にか本因と為す。阿難!此の諸の変化、明は日輪に還る;何を以ての故ぞや。日無ければ則ち明ならざれば、明の因は日に属す、故に日に還る。暗は黒月に還る;通は戸牖に還る;壅は墻宇に還る;縁は分別に還る;頑虗は空に還る;鬱勃は塵に還る;清明は霽に還る。則ち諸の世間の一切の所有は、此の類を出でず。汝見る八种の見精明性、還らんと欲して誰に還らん。何を以ての故ぞや。若し明に還せば、則ち不明の時は復た暗を見ず。雖も明暗等の種種の差別有るも、見は差別無し、諸の還る可き者は自然として汝に非ず;汝に還らざるは汝に非ずして而も誰ぞや。則ち知る汝が心は本より妙明浄なり、汝自ら迷悶して根本を喪失して輪回を受け、生死の中に於て常に漂溺せり、是の故を以て如来は為に可憐愍と名づく」と。
阿難言:「我雖識此見性無還,云何得知是我真性?」
阿難言さく、「我雖も此の見性の還る所無きを識るも、云何にか能く知らん是れ我が真性なりと」と。
佛告阿難:「吾今問汝:今汝未得無漏清淨,承佛神力見於初禪,得無障礙;而阿那律見閻浮提,如觀掌中菴摩羅菓;諸菩薩等見百千界;十方如來窮盡微塵清淨國土無所不矚;眾生洞視不過分寸。阿難!且吾與汝觀四天王所住宮殿,中間遍覽水陸空行,雖有昏明種種形像,無非前塵分別留礙。汝應於此分別自他,今吾將汝擇於見中,誰是我體?誰為物象?阿難!極汝見源,從日月宮是物非汝,至七金山周遍諦觀,雖種種光亦物非汝;漸漸更觀雲騰、鳥飛、風動、塵起、樹木、山川、草芥、人畜,鹹物非汝。阿難!是諸近遠諸有物性,雖復差殊,同汝見精清淨所矚。則諸物類自有差別,見性無殊。此精妙明,誠汝見性。若見是物,則汝亦可見吾之見。若同見者名為見吾,吾不見時,何不見吾不見之處?若見不見,自然非彼不見之相。若不見吾不見之地,自然非物,云何非汝?又則汝今見物之時,汝既見物,物亦見汝;體性紛雜,則汝與我並諸世間不成安立。阿難!若汝見時,是汝非我;見性周遍,非汝而誰?云何自疑汝之真性,性汝不真,取我求實!」
仏阿難に告げたまわく、「我今汝に問わん:今汝未だ無漏清浄を得ざるも、仏の神力に承けて能く初禅を見て、障礙無し;而るに阿那律は閻浮提を見るに、掌中の菴摩羅果を観るが如し;諸の菩薩等は百千の界を見;十方の如来は窮尽して微塵の清浄国土を看て看る所無し;衆生の洞視は分寸を過ぎず。阿難!且つ我と汝と四天王の住する所の宮殿を観看して、中間に遍く水陸空行を覽ずるに、雖も昏明の種種の形像有るも、非ずや前塵分別の留礙。汝当に此に於て自他を分別すべし、今我將に見の中に於て汝が為に揀択せん、誰が是れ我が体、誰が物象と為す。阿難!汝が見の根源を極むれば、日月宮より是れ物にして汝に非ず、七金山に至るまで周遍に諦観するに、雖も種種の光有るも亦是れ物にして汝に非ず;漸々に更に観る、雲騰・鳥飛・風動・塵起・樹木・山川・草芥・人畜、咸く是れ物にして汝に非ず。阿難!是の近遠の諸の有物性、雖も差殊有るも、同じく是れ汝が見精の清浄なる所看なり。則ち諸の物類は自ら差別有りて、見性は差異無し。此の精妙明は、実に是れ汝が見性なり。若し見是れ物ならば、則ち汝亦我が見を見るべし。若し同見を名づけて我が見と為せば、我が見ざるの時は、何の故ぞや我が不見の処を見ざる。若し不見を見れば、自然として彼の不見の相に非ず。若し我が不見の地を見ざれば、自然として物に非ずして、云何にか汝に非ざらん。又則ち汝如今物を見るの時、汝既に物を見ば、物亦汝を見らん;体性紛雑して、則ち汝と我とおよび諸の世間は立つこと成らん。阿難!若し汝が見の時は、是れ汝にして我に非ず;見性周遍なれば、是れ汝に非ずして而も誰ぞや。云何にか自ら汝が真性を疑いて、性は汝なりて而も真ならずとして、我を取りて実を求むる」と。
阿難白佛言:「世尊!若此見性必我非餘,我與如來觀四天王勝藏寶殿,居日月宮,此見周圓遍娑婆國;退歸精舍只見伽藍,清心戶堂但瞻簷廡。世尊!此見如是,其體本來周遍一界,今在室中唯滿一室,為復此見縮大為小?為當牆宇夾令斷絕?我今不知斯義所在,願垂弘慈為我敷演!」
阿難仏に白して言さく、「世尊!若し此の見性は必ず我にして其の余に非ざれば、我と如来と四天王の勝蔵宝殿を観看し、日月宮に居して、此の見は周円に娑婆国に遍し;退りて精舎に帰れば只だ伽藍(寺院)を見、清心の戸堂は只だ檐廊廡を瞻るのみ。世尊!此の見是の如し、其の体は本来一界に周遍して、如今室中に在りて只だ一室に満つ、是れ此の見は大を縮めて小と為すか、是れ墻宇に夾まれて令断絶せしむるか。我今此の義の所在を知らず、願わくは弘慈を垂れて我が為に敷演したまえ!」
佛告阿難:「一切世間大小、內外諸所事業,各屬前塵,不應說言見有舒縮。譬如方器中見方空,吾復問汝,此方器中所見方空,為復定方?為不定方?若定方者,別安圓器空應不圓;若不定者,在方器中應無方空。汝言不知斯義所在,義性如是,云何為在?阿難!若復欲令入無方圓,但除器方。空體無方,不應說言更除虛空方相所在。若如汝問『入室之時縮見令小』,仰觀日時,汝豈挽見齊於日面?若築牆宇能夾見斷,穿為小竇,寧無續跡?是義不然。一切眾生從無始來迷己為物,失於本心,為物所轉;故於是中觀大、觀小。若能轉物,則同如來身心圓明,不動道場,於一毛端遍能含受十方國土。」
仏阿難に告げたまわく、「一切の世間の大小・内外の諸の事業、各々前塵に属して、不応説く見は舒縮有りと。たとえば方器の中に於て方空を見るが如く、我復た汝に問わん、此の方器の中に見る所の方空は、是れ定方か、是れ不定方か。若し定方ならば、別に円器を安んずれば空は応に円ならざるべし;若し不定ならば、方器の中に於て応に方空無からん。汝が説く此の義の所在を知らずとは、義性是の如し、云何にか在と為す。阿難!若し復た欲して無方円に入らしめば、但だ器の方を除くのみ。空の体は方無きに、不応説く更に虗空の方相の所在を除くと。若し汝が問うが如く『室に入るの時、見を縮めて小ならしむ』と、仰いで太陽を観るの時、汝豈に見を日面に拉ぎ齊えんや。若し墻宇を築いて能く見を夾断せば、小洞を穿てば、豈に接続の迹無からんや。此の義然らず。一切の衆生は无始より已来己を迷いて物と為し、本心を失いて、物に転ぜらる;是の故を以て中に於て大を観じ小を観ず。若し能く物を転ずれば、即ち如来の身心円明に同じくして、不動の道場に於て、一の毛端に遍く能く十方の国土を含受す」と。
阿難白佛言:「世尊!若此見精必我妙性,今此妙性現在我前,見必我真,我今身心復是何物?而今身心分別有實,彼見無別分辨我身。若實我心,令我今見,見性實我而身非我,何殊如來先所難言『物能見我』?唯垂大慈,開發未悟!」
阿難仏に白して言さく、「世尊!若し此の見精は必ず我が妙性なれば、今此の妙性は現前に我が前に在りて、見は必ず我が真なり、我が今身心は又是れ何の物ぞや。而今身心は分別して実有りて、彼の見は別に我が身を分辨せず。若し実に是れ我が心にして、我今見るを令せば、見性は実に我にして身は我に非ずは、如来先前の難ぜし『物は能く我を見る』と何の殊有らん。唯だ願わくは大慈を垂れて、未だ悟らざるを開発したまえ!」
佛告阿難:「今汝所言『見在汝前』,是義非實。若實汝前,汝實見者,則此見精既有方所,非無指示。且今與汝坐祇陀林,遍觀林渠及與殿堂,上至日月,前對恆河。汝今於我師子座前,舉手指陳是種種相——陰者是林,明者是日,礙者是壁,通者是空,如是乃至草樹纖毫——大小雖殊,但可有形無不指著。若必有見現在汝前,汝應以手礭實指陳何者是見?阿難當知,若空是見,既已成見,何者是空?若物是見,既已是見,何者為物?汝可微細披剝萬象,析出精明淨妙見元,指陳示我,同彼諸物分明無惑。」
仏阿難に告げたまわく、「今汝が説く所の『見は汝が前に在り』は、此の義是れ実に非ず。若し実に汝が前に在れば、汝実に能く見れば、則ち此の見精は既に方所有りて、非ず指示無し。且つ今汝と倶に祇陀林に坐して、遍く林渠および殿堂を観て、上は日月に至り、前は恒河に対す。汝今我が師子座の前に於て、手を挙げて指陳して此の種種の相——陰は林、明は日、礙は壁、通は空、如是乃至草樹の纎毫——大小は雖も同じからざれど、但だ形有りて指せざる無し。若し必ず見有りて現前に汝が前に在れば、汝当に手を以て実に指陳して何者か是れ見ぞや。阿難当に知るべし、若し空是れ見ならば、既に已に見と為れる、何者か是れ空ぞや。若し物是れ見ならば、既に已に見なれば、何者か物と為す。汝可に微細に万像を披剥して、精明浄妙の見元を析出して、指陳して我に示せ、彼の諸の物の分明にして惑無きに同じからん」と。
阿難言:「我今於此重閣講堂,遠洎恆河、上觀日月,舉手所指、縱目所觀,指皆是物,無是見者。世尊!如佛所說,況我有漏初學聲聞,乃至菩薩亦不能於萬物象前剖出精見離一切物別有自性!」
阿難言さく、「我今此の重閣講堂に於て、遠く恒河に至り、上は日月を観て、手を挙げて指す所、目を縦ぶて観る所、指す所皆是れ物にして、是れ見有る無し。世尊!仏の説かれる所の如く、況んや我有漏初学の声聞に於てをや、乃至菩薩も亦能く万物の象の前に於て精見を剖出して、一切の物を離れて別に自性有ること能わず!」
佛言:「如是,如是!」
仏言さく、「是の如し、是の如し!」
佛復告阿難:「如汝所言『無有精見離一切物別有自性』,則汝所指是物之中無是見者。今復告汝,汝與如來坐祇陀林,更觀林苑乃至日月種種象殊,必無見精受汝所指;汝又發明此諸物中何者非見?」
仏復た阿難に告げたまわく、「汝が説く所の如く『精見有りて一切の物を離れて別に自性有る無し』、則ち汝の指す所の是れ物の中に於て是れ見無し。今復た汝に告ぐ、汝と如来と祇陀林に坐して、更に林苑乃至日月の種種の象殊を観ずるに、必ず見精有りて汝の指す所を受けざらん;汝復た発明して此の物の中に於て、何者か是れ見に非ずや」と。
阿難言:「我實遍見此祇陀林,不知是中何者非見。何以故?若樹非見,云何見樹?若樹即見,復云何樹?如是乃至若空非見,云何為空?若空即見,復云何空?我又思惟:『是萬象中微細發明無非見者!』」
阿難言さく、「我実に遍く此の祇陀林を見るに、其の中の何者か是れ見に非ざるを知らず。何を以ての故ぞや。若し樹是れ見に非ざれば、云何にか樹を見る。若し樹即ち是れ見ならば、又云何にか樹と為す。如是乃至若し空是れ見に非ざれば、云何にか空と為る。若し空即ち是れ見ならば、又云何にか空と為す。我又思惟す:『是の万像の中に微細に発明して非ずや見ならざるは無し!』」
佛言:「如是,如是。」
仏言さく、「是の如し、是の如し」と。
於是大眾非無學者,聞佛此言,茫然不知是義終始,一時惶悚,失其所守。如來知其魂慮變慴,心生憐愍,安慰阿難及諸大眾:「諸善男子!無上法王是真實語!如所如說不誑不妄,非末伽梨四種不死矯亂論議。汝諦思惟,無忝哀慕。」
是に於て大衆の中に於て非ず無学の人、仏の此の言を聞きて、茫然として此の義の終始を知らずして、一時に惶悚して、其の守る所を失えり。如来は彼らの魂慮の震慴せるを知りて、心に怜愍を生じて、阿難および諸の大衆を慰安して曰わく、「諸の善男子!無上法王は是真実語なり!其の説く所の如く誑らず妄らず、非ず末伽梨の四种不死の矯乱論議なり。汝ら諦に思惟せよ、哀慕を辜くこと勿れ」と。
是時,文殊師利法王子愍諸四眾,在大眾中即從座起,頂禮佛足,合掌恭敬而白佛言:「世尊!此諸大眾,不悟如來發明二種精見色空、是非是義。世尊!若此前緣色空等象,若是見者,應有所指;若非見者,應無所矚。而今不知是義所歸,故有驚怖,非是疇昔善根輕尠。唯願如來大慈發明,此諸物象與此見精元是何物,於其中間無是非是。」
是の時、文殊師利法王子は諸の四衆を愍れて、大衆の中に於て即座より起ちて、仏の足に頂礼して、合掌恭敬して仏に白して言さく、「世尊!此の諸の大衆は、如来の二種の精見色空・是と非是との義を発明したまえるを悟らず。世尊!若し此の前縁の色空等の象は、若し是れ見ならば、当に指する所有るべし;若し是れ見に非ざれば、当に看る所無からん。而今此の義の帰する所を知らずして、故に驚怖有りて、非ず往昔の善根軽微なり。唯だ願わくは如来大慈に発明して、此の諸の物象と此の見精と元来是れ何の物ぞや、其の中間に於て非是を無からしめたまえ」と。
佛告文殊及諸大眾:「十方如來及大菩薩,於其自住三摩地中,見與見緣並所想相,如虛空花本無所有;此見及緣,元是菩提妙淨明體,云何於中有是非是?文殊!吾今問汝,如汝文殊,更有文殊是文殊者?為無文殊?」
仏文殊および諸の大衆に告げたまわく、「十方の如来および大菩薩は、其の自ら住する所の三摩地の中に於て、見と見縁と併せて想われる相とは、虗空華の如く本来所有無し;此の見および縁は、元来是れ菩提妙浄明体なり、云何にか中に於て是非是有らん。文殊!我今汝に問わん、汝文殊の如く、更に文殊有りて是れ文殊なるか。将た文殊無きか」と。
「如是,世尊!我真文殊,無是文殊。何以故?若有是者,則二文殊。然我今日非無文殊,於中實無是非二相。」
(文殊曰わく、)「是の如し、世尊!我真に是れ文殊にして、『是れ文殊』無し。何を以ての故ぞや。若し『是』有れば、即ち是れ二つの文殊なり。然るに我今日は非ず文殊無し、中に於て実に是非の二相無し」と。
佛言:「此見妙明與諸空塵,亦復如是。本是妙明無上菩提淨圓真心,妄為色空及與聞見,如第二月,誰為是月?又誰非月?文殊!但一月真,中間自無是月、非月。是以汝今觀見與塵種種發明,名為妄想,不能於中出是非是。由是精真妙覺明性,故能令汝出指非指!」
仏言さく、「此の見妙明と諸の空塵と、亦復かくの如し。本是れ妙明無上菩提の浄円真心にして、妄りに色空および聞見と為る、第二月の如くして、誰が是れ月、又誰が月に非ず。文殊!只だ一月真にして、中間に自然として是れ月・非れ月無し。是の故に汝今観る見と塵との種種の発明は、名づけて妄想と為して、能く中に於て是非是を出さず。此の精真妙覚明性に由りて、故に能く汝をして指に非ざる指を出でしむる!」
阿難白佛言:「世尊!誠如法王所說,覺緣遍十方界湛然常住,性非生滅;與先梵志娑毘迦羅所談冥諦,及投灰等諸外道種說有真我遍滿十方,有何差別?世尊亦曾於楞伽山為大慧等敷演斯義——彼外道等常說自然,我說因緣非彼境界。——我今觀此覺性自然,非生非滅,遠離一切虛妄顛倒,似非因緣與彼自然;云何開示,不入群邪,獲真實心妙覺明性?」
阿難仏に白して言さく、「世尊!誠に法王の説かれる所の如く、覚縁は十方界に遍くして湛然として常住し、性は非生滅なり;先梵志娑毘迦羅の談ずる所の冥諦、および投灰等の諸の外道種の説く所の真我十方に遍満するに与え、何の差別有らん。世尊亦嘗て楞伽山に於て大慧等が為に此の義を敷演したまえり——彼の外道等は常に自然を説き、我は因縁を説きて彼の境界に非ずと。——我今此の覚性の自然を観ずるに、非生非滅にして、一切の虚妄顛倒を遠離して、以て因縁と彼の自然とに非ざらんと似たり;云何にか開示して、群邪に入らずして、真実心の妙覚明性を獲得せん」と。
佛告阿難:「我今如是開示方便,真實告汝,汝猶未悟,惑為自然。阿難!若必自然,自須甄明有自然體。汝且觀此妙明見中,以何為自?此見為復以明為自?以暗為自?以空為自?以塞為自?阿難!若明為自,應不見暗?若復以空為自體者,應不見塞?如是乃至諸暗等相以為自者,則於明時見性斷滅,云何見明?」
仏阿難に告げたまわく、「我今如是の方便を開示して、真実を汝に告ぐるに、汝猶お未だ悟らずして、自然と惑う。阿難!若し必ず自然ならば、自ら須く甄明して自然体有るべし。汝且つ此の妙明見の中を観よ、何を以て自と為す。此の見は是れ明を以て自と為すか。暗を以て自と為すか。空を以て自と為すか。塞を以て自と為すか。阿難!若し明を以て自と為せば、応に暗を見ざるべし;若し復た空を以て自体と為せば、応に塞を見ざるべし;如是乃至諸の暗等の相を將てて自と為せば、則ち明の時に於て見性は斷滅して、云何にか明を見ん」と。
阿難言:「必此妙見性非自然,我今發明是因緣性。心猶未明,諮詢如來,是義云何合因緣性?」
阿難言さく、「必ず此の妙見性は自然に非ず、我今発明して是れ因縁性なり。心猶お未だ明かならず、如来に諮問す、此の義云何にか因縁性に合せん」と。
佛言:「汝言因緣,吾復問汝,汝今因見,見性現前,此見為復因明有見?因暗有見?因空有見?因塞有見?阿難!若因明有,應不見暗,如因暗有,應不見明;如是乃至因空、因塞,同於明、暗。復次,阿難!此見又復緣明有見?緣暗有見?緣空有見?緣塞有見?阿難!若緣空有,應不見塞;若緣塞有,應不見空;如是乃至緣明、緣暗,同於空、塞。當知如是精覺妙明,非因、非緣,亦非自然、非不自然;無非、不非,無是、非是;離一切相,即一切法。汝今云何於中措心,以諸世間戲論名相而得分別!如以手掌撮摩虛空,只益自勞;虛空云何隨汝執捉?」
仏言さく、「汝が言う因縁、我復た汝に問わん、汝今見に因りて、見性現前せり、此の見は是れ因明に見有るか。因暗に見有るか。因空に見有るか。因塞に見有るか。阿難!若し明に因りて有れば、応に暗を見ざるべし;如し暗に因りて有れば、応に明を見ざるべし;如是乃至空に因り・塞に因るも、明・暗に同じ。復た、阿難!此の見は又是れ縁明に見有るか。縁暗に見有るか。縁空に見有るか。縁塞に見有るか。阿難!若し空に縁りて有れば、応に塞を見ざるべし;若し塞に縁りて有れば、応に空を見ざるべし;如是乃至明に縁り・暗に縁るも、空・塞に同じ。当に知るべし是の如き精覚妙明は、非因・非縁にして、亦非自然・非不自然なり;无非・不非、无是・非是なり;一切相を離れて、即ち一切法なり。汝今云何にか中に於て心を措いて、諸の世間の戯論名相を以て分別を得ん。たとえば手掌を以て虗空を撮摩するが如く、只だ自己の労苦を増益す;虗空云何にか汝に随いて執捉せられん」と。
阿難白佛言:「世尊!必妙覺性非因非緣,世尊!云何常與比丘宣說見性具四種緣——所謂因空、因明、因心、因眼,是義云何?」
阿難仏に白して言さく、「世尊!必ず妙覚性は非因非縁なり。世尊!云何にか常に比丘に宣説して、見性は四种の縁を具すと曰う——所謂因空・因明・因心・因眼、此の義云何に」と。
佛言:「阿難!我說世間諸因緣相,非第一義。阿難!吾復問汝,諸世間人說我能見,云何名見?云何不見?」
仏言さく、「阿難!我が説く世間の諸の因縁相は、非ず第一義なり。阿難!我復た汝に問わん、諸の世間の人は我は能く見ると説く、云何にか名づけて見と為し、云何にか名づけて不見と為す」と。
阿難言:「世人因於日、月、燈光見種種相,名之為見。若復無此三種光明,則不能見。」
阿難言さく、「世人は日・月・灯光に因りて種種の相を見て、名づけて見と為す。若し復た此の三种の光明無ければ、即ち見ること能わず」と。
「阿難!若無明時名不見者,應不見暗;若必見暗,此但無明云何無見?阿難!若在暗時,不見明故名為不見;今在明時,不見暗相還名不見;如是二相俱名不見?若復二相自相𣣋奪,非汝見性於中暫無;如是則知二俱名見,云何不見?是故阿難!汝今當知,見明之時,見非是明;見暗之時,見非是暗;見空之時,見非是空;見塞之時,見非是塞,四義成就。汝復應知,見見之時,見非是見,見猶離見,見不能及,云何復說因緣自然及和合相?汝等聲聞狹劣無識,不能通達清淨實相。吾今誨汝,當善思惟,無得疲怠妙菩提路!」
(仏また説きていわく、)「阿難!若し明無きの時は名づけて不見と為せば、応に暗を見ざるべし;若し必ず暗を見れば、此れ只だ明無きにして、云何にか見無からん。阿難!若し暗の時に於て、明を見ざるが因りて名づけて不見と為さば;如今明の時に於て、暗相を見ざれば還りて名づけて不見と為す;如是二相倶に名づけて不見と為さんか。若し二相自ら相い陵奪す——底本此の字は生僻字にて、陵奪と読むべし——非ず汝が見性中に於て暫時無し;如是なれば則ち知る二俱に名づけて見と為すを、云何にか不見。是の故に阿難!汝今当に知るべし、明を見るの時は、見は是れ明に非ず;暗を見るの時は、見は是れ暗に非ず;空を見るの時は、見は是れ空に非ず;塞を見るの時は、見は是れ塞に非ず、四義成就せり。汝還りて当に知るべし、見に見るの時は、見は是れ見に非ず、見は還りて見を離れて、見は能く及ばず、云何にか復た因縁自然および和合相を説かん。汝ら声聞は狭劣にして識無く、能く清浄実相に通達せず。我今汝に教誨す、当に善く思惟して、妙菩提路に於て疲怠すること勿れ!」
阿難白佛言:「世尊!如佛世尊為我等輩宣說因緣及與自然,諸和合相與不和合,心猶未開;而今更聞見見非見,重增迷悶。伏願弘慈施大慧目,開示我等覺心明淨!」作是語已,悲淚頂禮,承受聖旨。
阿難仏に白して言さく、「世尊!仏世尊が我らが為に因縁および自然を宣説したまえるが如く、諸の和合相および不和合、心猶お未だ開かず;而今更に見が見に見るに見に非ずを聞きて、重ねて迷悶を増せり。伏して願わくは弘慈に大慧目を施して、我らに覚心明浄を開示したまえ!」此の語を作し已りて、悲涙して頂礼して、聖旨を承受せり。
爾時,世尊憐愍阿難及諸大眾,將欲敷演大陀羅尼諸三摩提妙修行路,告阿難言:「汝雖強記,但益多聞,於奢摩他微密觀照,心猶未了。汝今諦聽!吾當為汝分別開示,亦令將來諸有漏者獲菩提果。阿難!一切眾生輪迴世間,由二顛倒分別見妄,當處發生,當業輪轉。云何二見?一者、眾生別業妄見,二者、眾生同分妄見。
爾の時、世尊は阿難および諸の大衆を憐愍して、將に大陀羅尼(総持、善を持して失わざるを得る呪または法門)の諸の三摩提妙修行路を敷演せんとして、阿難に告げて言さく、「汝雖も強記するも、只だ多聞を増益す、奢摩他の微密観照に於ては、心猶お未だ了わず。汝今諦に聴くべし!我当に汝が為に分別開示して、亦将来の諸の有漏の人をして菩提果を獲せしめん。阿難!一切の衆生は世間に輪回するは、二種の顛倒分別の見妄に由りて、当の処に於て発生して、当の業に於て輪転す。云何にか二見と為す。一には、衆生別業妄見、二には、衆生同分妄見なり。
「云何名為別業妄見?阿難!如世間人目有赤眚,夜見燈光別有圓影五色重疊。於意云何?此夜燈明所現圓光,為是燈色?為當見色?阿難!此若燈色,則非眚人何不同見,而此圓影唯眚之觀。若是見色,見已成色,則彼眚人見圓影者名為何等?復次,阿難!若此圓影離燈別有,則合傍觀屏帳、几筵有圓影出。離見別有,應非眼矚,云何眚人目見圓影?是故當知色實在燈,見病為影;影、見俱眚,見眚非病。終不應言『是燈是見,於是中有非燈非見』,如第二月非體非影。何以故?第二之觀,揑所成故。諸有智者不應說言『此揑根元,是形非形,離見非見』,此亦如是,目眚所成,今欲名誰是燈、是見?何況分別非燈、非見!
(仏また説きていわく、)「云何にか名づけて別業妄見と為す。阿難!たとえば世間の人、目に赤翳を生ぜれば、夜に於て灯光を見て、別に五色重畳の円影有り。汝云何にか見る。夜の灯光明亮の時に現ずる所の円光は、是れ灯の色か、是れ見る本身の色か。阿難!若し此是れ灯の色ならば、翳の病無き人は何の故ぞや見ざる、而るに此の円影は只だ翳有る人の見る所なり。若し此是れ見の色ならば、見は已に色と為れる、則ち彼の翳有る人が円影を見るは、当に何と名づくべし。復た、阿難!若し此の円影は灯を離れて別に有れば、傍ら屏帳・几筵を看るも応に円影有るべし。若し見を離れて別に有れば、即ち応に眼の看る所に非ざるべし、翳有る人云何にか眼を以て円影を見る。是の故を以て当に知るべし:色は実に灯に在りて、見の病は乃ち影と為る;影と見とは倶に翳にして、翳を見る那一分は非ず病なり。終に不応説く『此是れ灯・此是れ見、於是の中に於て又有る非灯非見』と、第二月の如くして、非ず体にして非ず影なり。何を以ての故ぞや。第二月の観は、是れ目を捏するが為に致す所なり。智有る人は不応説く『此の捏の根元は、是れ形か是れ形に非ず、是れ見を離るるか是れ見に非ず』。此も亦是の如し、是れ目翳の成ずる所にして、今猶お欲して指名せん誰が是れ灯・誰が是れ見を;況んや復た分別して非灯・非見を!」
「云何名為同分妄見?阿難!此閻浮提,除大海水,中間平陸有三千洲。正中大洲,東西括量,大國凡有二千三百;其餘小洲,在諸海中,其間或有三兩百國,或一或二,至於三十、四十、五十。阿難!若復此中有一小洲,只有兩國。唯一國人同感惡緣,則彼小洲當土眾生,覩諸一切不祥境界,或見二日,或見兩月,其中乃至暈蝕珮玦、彗勃飛流、負耳虹蜺。種種惡相,但此國見;彼國眾生,本所不見,亦復不聞。阿難!吾今為汝以此二事進退合明。
(仏また説きていわく、)「云何にか名づけて同分妄見と為す。阿難!此の閻浮提は、大海水を除きて、中間の平陸に三千洲有り。正中の大洲は、東西に括量して、大国は倶に二千三百なり;其の余の小洲は、諸の海中に在りて、其の間或いは三两百国、或いは一或いは二、乃至三十・四十・五十に至る。阿難!若し復た此の中に一小洲有りて、只だ両国なり。唯だ一国の人は同じく悪縁を感ずれば、則ち彼の小洲の当土の衆生は、諸の一切の不祥の境界を見る、或いは二日を見、或いは両月を見、其の中乃至暈蝕佩玦・彗孛飛流・負耳虹霓に至るまで。種種の悪相は、只だ此の国に於て見る;彼の国の衆生は、本より見る所無くて、亦聞かず。阿難!我今汝が為に此の二事を以て進退に合明せん。
