Libo

大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経

唐 · 般刺蜜帝译 · 第2巻 / 13

阿難言:「見。」

阿難言さく、「見れり」と。

佛言:「汝何所見?」

仏言さく、「汝何を見る」と。

阿難言:「我見如來舉臂屈指為光明拳,曜我心目。」

阿難言さく、「我は如来の臂を挙げ指を屈して、光明拳を成して、我が心目を照耀するを見たり」と。

佛言:「汝將誰見?」

仏言さく、「汝誰を将てて見る」と。

阿難言:「我與大眾同將眼見。」

阿難言さく、「我と大衆とは倶に眼を将てて見る」と。

佛告阿難:「汝今答我:如來屈指為光明拳,耀汝心目,汝目可見,以何為心當我拳耀?」

仏阿難に告げたまわく、「汝いま我に答えん:如来が指を屈して光明拳を成して、汝が心目を耀かすに、汝が眼目は可見なり、将て何を以て心と為して我が拳の耀に対当せん」と。

阿難言:「如來現今徵心所在,而我以心推窮尋逐,即能推者我將為心。」

阿難言さく、「如来はいま心の所在を徴問したまうに、而我心を以て推窮尋逐すれば、即ち能推する者、我之を將てて心と為す」と。

佛言:「咄!阿難!此非汝心!」

仏言さく、「咄!阿難!此れ汝が心に非ず!」

阿難矍然,避座、合掌,起立白佛:「此非我心,當名何等?」

阿難は驚愕して、座を避け合掌して、起立して仏に白して言さく、「此れ我が心に非ざれば、当に何と名づくべし」と。

佛告阿難:「此是前塵虛妄相想,惑汝真性!由汝無始至於今生,認賊為子,失汝元常,故受輪轉。」

仏阿難に告げたまわく、「此れ是れ前塵虚妄の相想にして、汝が真性を迷惑せり!汝が无始より今生に至るまで、賊を認めて子と為して、汝が本常を失いて、故に輪転を受くるに由れり」と。

阿難白佛言:「世尊!我佛寵弟,心愛佛故,令我出家;我心何獨供養如來,乃至遍歷恆沙國土承事諸佛及善知識,發大勇猛行諸一切難行法事,皆用此心;縱令謗法永退善根,亦因此心。若此發明不是心者,我乃無心同諸土木,離此覺知更無所有,云何如來說此非心?我實驚怖,兼此大眾無不疑惑,唯垂大悲開示未悟!」

阿難仏に白して言さく、「世尊!我は是れ仏の愛弟にて、心に佛を愛するに因りて、我をして出家せしむ;我が心は仏を供養するに止まらず、乃至遍く恒河沙の国土に歴りて諸仏および善知識に承事し、大勇猛を発して諸の一切の難行法事を行ずるも、皆此の心を用う;縱い法を謗じて永く善根を退するも、亦此の心に因れり。若し此の発明は心に非ざれば、我は乃ち心無くて、土木に同じくして、此の覚知を離れて更に所有無し、云何にか如来は此れ心に非ずと説く。我実に驚怖して、兼ねて此の大衆に於て疑ざる無し、唯だ願わくは大悲を垂れて未だ悟らざる者に開示したまえ!」

爾時,世尊開示阿難及諸大眾,欲令心入無生法忍。於師子座摩阿難頂而告之言:「如來常說諸法所生,唯心所現。一切因果、世界、微塵,因心成體。阿難!若諸世界一切所有,其中乃至草葉縷結,詰其根元鹹有體性;縱令虛空亦有名貌;何況清淨妙淨明心、性一切心而自無體?若汝執悋分別覺觀所了知性必為心者,此心即應離諸一切色、香、味、觸諸塵事業別有全性。如汝今者承聽我法,此則因聲而有分別。縱滅一切見、聞、覺、知,內守幽閑,猶為法塵分別影事。我非勅汝執為非心,但汝於心微細揣摩,若離前塵有分別性,即真汝心;若分別性離塵無體,斯則前塵分別影事。塵非常住,若變滅時此心則同龜毛、兔角,則汝法身同於斷滅,其誰修證無生法忍?」即時阿難與諸大眾,默然自失。

爾の時、世尊は阿難および諸の大衆を開示して、欲して心に無生法忍を入れしめんとして。師子座に於て阿難の頂を摩でて之に告げて言さく、「如来常に説きていわく:諸法の生ずる所は、唯心の現ずる所なり。一切の因果・世界・微塵は、心に因りて体を成す。阿難!若し諸の世界の一切の所有、其の中乃至草の葉の縷結に至るまで、其の根元を詰して皆体性有り;縱い虗空も亦名貌有り;何況んや清浄妙浄明の心・性一切の心、自ら反りて体無からん。若し汝は必ず分別覚観の了知せる性を將てて心と為すを執吝せば、此の心は即ち当に一切の色・香・味・触の諸の塵の事業を離れて別に全体の性有るべし。汝がいま我が法を承聴するが如く、此れ声に因りて分別有り。縱い一切の見・聞・覚・知を滅して、内に幽閑を守るも、猶お法塵分別の影事なり。我は汝に非心と執せよと敕するに非ず、但だ要するに汝に対して心を微細に揣摩せしめんが為:若し前塵を離れて還りて分別性有れば、即ち是れ真の汝が心なり;若し分別性塵を離れて体無ければ、此れ即ち是れ前塵分別の影事なり。塵は非常住にして、若し変滅するの時は此の心は即ち亀毛・兎角に同じくして、則ち汝が法身は斷滅に同じくして、誰が修証して無生法忍せん」と。即時阿難と諸の大衆と、黙然として自失せり。

佛告阿難:「世間一切諸修學人,現前雖成九次第定,不得漏盡成阿羅漢,皆由執此生死妄想,誤為真實。是故汝今雖得多聞,不成聖果。」

仏阿難に告げたまわく、「世間の一切の諸の修学人、現前に雖も九次第定を成すも、漏尽を得ずして阿羅漢を成ぜざるは、皆此の生死妄想を執して、誤りて真実と為すに由れり。是の故に汝今多聞を得ると雖も、聖果を成ぜず」と。

阿難聞已,重復悲淚,五體投地,長跪合掌而白佛言:「自我從佛發心出家,恃佛威神,常自思惟:『無勞我修,將謂如來惠我三昧,不知身心本不相代,失我本心;雖身出家,心不入道,譬如窮子捨父逃逝。今日乃知雖有多聞,若不修行與不聞等,如人說食終不能飽。』世尊!我等今者二障所纏,良由不知寂常心性,唯願如來哀愍窮露,發妙明心,開我道眼!」

阿難は聞き已りて、復た悲涙して、五体を地に投げ、長跪合掌して仏に白して言さく、「我仏に従りて発心出家してより已来、仏の威神を恃みて、常に自ら思惟す:『我を修習することを勞せざるに足る、將に以て如来は三昧を我に惠えんと為さんと、身心本より能く相い代えざるを知らず、我が本心を失えり;身出家すと雖も、心は道に入らず、たとえば窮子の父を捨てて逃逝するが如し。今日方に知る、雖も多聞有るも、若し修行せざれば不聞と等しく、人の食を説いて終に能く飽かざるが如し。』世尊!我らいま二障に纏えられて、良に寂常の心性を知らざるに由り、唯だ願わくは如来哀愍して窮露を発明して、妙明心を開きて、我が道眼を開きたまえ!」

即時如來從胸卍字湧出寶光,其光晃昱有百千色。十方微塵普佛世界一時周遍,遍灌十方所有寶剎諸如來頂,旋至阿難及諸大眾。告阿難言:「吾今為汝建大法幢,亦令十方一切眾生獲妙微密性淨明心,得清淨眼。

即時如来は胸中の卍字より宝光を湧出して、其の光晃昱として百千の色有り。十方の微塵普く仏の世界に一時に周遍し、遍く十方の所有の宝刹の諸の如来の頂に灌ぎて、旋り回りて阿難および諸の大衆に至りて。阿難に告げて言さく、「我いま汝が為に大法幢を建て、亦十方の一切衆生をして妙微密の性浄明心を獲得して、清浄眼を得せしめん。

「阿難!汝先答我見光明拳,此拳光明因何所有?云何成拳?汝將誰見?」

(仏また説きていわく、)「阿難!汝先に我に答えて光明拳を見たりと、此の拳の光明は何に因りて所有なり。云何にか拳を成す。汝誰を將てて見る」と。

阿難言:「由佛全體閻浮檀金,赩如寶山,清淨所生,故有光明;我實眼觀;五輪指端屈握示人,故有拳相。」

阿難言さく、「仏の全体は閻浮檀金に由りて、赤光は宝山の如くして、清浄の生ずる所にして、故に光明有り;我実に眼を以て観る;五輪の指端は屈握して人に示すに由りて、故に拳相有り」と。

佛告阿難:「如來今日實言告汝:諸有智者要以譬喻而得開悟。阿難!譬如我拳,若無我手不成我拳,若無汝眼不成汝見;以汝眼根例我拳理,其義均不?」

仏阿難に告げたまわく、「如来今日実言を以て汝に告ぐ:諸の智者有りて、譬喩を以て方に開悟を得べし。阿難!たとえば我が拳、若し我が手無ければ即ち我が拳を成さず、若し汝が眼無ければ即ち汝が見を成さず;汝が眼根を以て我が拳の義に比ぶれば、其の義均ぽうや」と。

阿難言:「唯然!世尊!既無我眼,不成我見;以我眼根例如來拳,事義相類。」

阿難言さく、「唯なり、世尊!既に我が眼無ければ、即ち我が見を成さず;我が眼根を以て如来の拳に比ぶれば、事義相い類せり」と。

佛告阿難:「汝言相類,是義不然。何以故?如無手人,拳畢竟滅;彼無眼者,非見全無。所以者何?汝試於途詢問盲人:『汝何所見?』彼諸盲人必來答汝:『我今眼前唯見黑暗,更無他矚。』以是義觀,前塵自暗,見何虧損?」

仏阿難に告げたまわく、「汝が言う相い類すは、此の義然らず。何を以ての故ぞや。手無き人は、拳は畢竟に滅す;彼の眼無き人は、非ず見の全く無きなり。何を以ての故ぞや。汝試みに途に於て盲人に詢ねよ:『汝何を見る』と。彼の盲は必ず汝に答えん:『我今眼前に只だ黒暗を見て、更に他の所覩無し』と。此の義を以て観れば、前塵自ら暗きに、見何の損有らん」と。

阿難言:「諸盲眼前唯覩黑暗,云何成見?」

阿難言さく、「諸の盲は眼前に只だ黒暗を見る、云何にか見を成す」と。

佛告阿難:「諸盲無眼唯觀黑暗,與有眼人處於暗室,二黑有別、為無有別?」

仏阿難に告げたまわく、「諸の盲は眼無くて只だ黒暗を見るは、眼有る人の暗室に処するに、二種の黒は分別有るか、分別無きか」と。

「如是,世尊!此暗中人與彼群盲,二黑校量,曾無有異。」

(阿難曰わく、)「是の如し、世尊!此の暗中の人と彼の群盲と、二種の黒を校量するに、曽て異有らず」と。

「阿難!若無眼人全見前黑,忽得眼光,還於前塵見種種色名眼見者;彼暗中人全見前黑,忽獲燈光,亦於前塵見種種色應名燈見。若燈見者,燈能有見,自不名燈。又則燈觀,何關汝事?是故當知,燈能顯色,如是見者是眼非燈;眼能顯色,如是見性是心非眼。」

(仏また説きていわく、)「阿難!若し眼無き人、全く前の黒を見て、忽ち眼光を得て、還りて前塵の種種の色を見ば、名づけて眼見と為す;彼の暗中の人、全く前の黒を見て、忽ち灯光を獲て、亦前塵の種種の色を見ば、応に名づけて灯見と為すべし。若し是れ灯見ならば、灯は能く見有れば、自ら名づけて灯と為さず。又則ち灯は観るに在りて、何の汝が事に関らん。是の故を以て当に知るべし、灯は能く色を顕し、是の如き見は是れ眼にして灯に非ず;眼は能く色を顕して、是の如き見性は是れ心にして眼に非ず」と。

阿難雖復得聞是言,與諸大眾口已默然,心未開悟。猶冀如來慈音宣示,合掌清心佇佛悲誨。

阿難は雖も復た此の言を聞くを得たるも、諸の大衆と口已に默然として、心は未だ開悟せず。猶お冀う如来の慈音を宣示せんを、合掌して清心して仏の悲誨を候せり。

爾時,世尊舒兜羅綿網相光手,開五輪指,誨勅阿難及諸大眾:「我初成道,於鹿園中,為阿若多五比丘等及汝四眾言:『一切眾生不成菩提及阿羅漢,皆由客塵煩惱所誤。』汝等當時因何開悟,今成聖果?」

爾の時、世尊は兜羅綿網相光の手を舒開して、五輪の指を開きて、阿難および諸の大衆を教敕して曰わく、「我初めて道を成し、鹿園の中に於て、阿若多五比丘等および汝ら四衆に説きて曰わく、『一切の衆生は菩提および阿羅漢を成せざるは、皆客塵煩悩に誤られるに由れり』と。汝ら當時何に因りて開悟して、今聖果を成じたる」と。

時憍陳那起立白佛:「我今長老,於大眾中獨得解名,因悟客塵二字成果。世尊!譬如行客投寄旅亭,或宿或食,食宿事畢,俶裝前途,不遑安住;若實主人,自無攸往。如是思惟:『不住名客,住名主人,以不住者名為客義。』又如新霽,清暘昇天,光入隙中,發明空中諸有塵相;塵質搖動,虛空寂然。如是思惟:『澄寂名空,搖動名塵,以搖動者名為塵義。』」

爾の時憍陳那是起立して仏に白して言さく、「我今長老にして、大衆の中に於て独り『解』と名づくるを得るは、客・塵の二字を悟るに因りて果を成果なり。世尊!たとえば行客の旅亭に投寄して、或いは宿食して、宿食の事畢えて、整裝して前行し、暇あらずして安住せん;若し是れ真の主人ならば、自ら往く所無し。是の如く思惟す:『不住を名づけて客と為し、住を名づけて主人と為す、不住を以て名づけて客義と為す。』又新晴の如く、清陽天に昇りて、光は隙中より入りて、空中の諸の有塵の相を発明す;塵の質は揺動して、虗空は寂然せり。是の如く思惟す:『澄寂を名づけて空と為し、揺動を名づけて塵と為す、揺動を以て名づけて塵義と為す。』」

佛言:「如是。」

仏言さく、「是の如し」と。

即時如來於大眾中,屈五輪指,屈已復開、開已又屈,謂阿難言:「汝今何見?」

即時如来は大衆の中に於て、五輪の指を屈して、屈し已りて又開き、開き已りて復た屈して、阿難に告げて言さく、「汝いま何を見る」と。

阿難言:「我見如來百寶輪掌,眾中開合。」

阿難言さく、「我は如来の百宝輪掌が衆の中に於て開合するを見たり」と。

佛告阿難:「汝見我手眾中開合,為是我手有開有合?為復汝見有開有合?」

仏阿難に告げたまわく、「汝見る我が手衆の中に於て開合するは、是れ我が手開合有るか、是れ汝が見開合有るか」と。

阿難言:「世尊寶手眾中開合,我見如來手自開合,非我見性自開自合。」

阿難言さく、「世尊の宝手は衆の中に於て開合せり、我は如来の手が自ら開合するを見て、非ず我が見性が自ら開きて自ら合するなり」と。

佛言:「誰動誰靜?」

仏言さく、「誰が動く誰が静か」と。

阿難言:「佛手不住,而我見性尚無有靜,誰為無住!」

阿難言さく、「仏手は住せずして、而我が見性は尚お静無し、誰か復た無住せん」と。

佛言:「如是。」

仏言さく、「是の如し」と。

如來於是從輪掌中,飛一寶光在阿難右,即時阿難迴首右𥌊;又放一光在阿難左,阿難又則迴首左𥌊。佛告阿難:「汝頭今日何因搖動?」

如来是に於て輪掌の中より一道の宝光を飛出して阿難の右に在りて、即時阿難は首を回りて右を看る——底本此の字は生僻字にて、「看」と読むべし;又一道の光を放ちて阿難の左に在りて、阿難又首を回りて左を看る。仏阿難に告げたまわく、「汝が頭今日何に因りて揺動する」と。

阿難言:「我見如來出妙寶光來我左右,故左右觀,頭自搖動。」

阿難言さく、「我は如来の妙宝光を放ちて我が左右に至るを見て、故に左右に看て、頭自ら揺動せり」と。

「阿難!汝𥌊佛光左右動頭,為汝頭動?為復見動?」

(仏問う、)「阿難!汝が仏光の左右に動くを看るは、是れ汝が頭動くか、是れ見が動くか」と。

「世尊!我頭自動,而我見性尚無有止,誰為搖動!」

(阿難曰わく、)「世尊!我が頭自ら動く、而我が見性は尚お止無し、誰か復た動かん」と。

佛言:「如是。」

仏言さく、「是の如し」と。

於是如來普告大眾:「若復眾生,以搖動者名之為塵,以不住者名之為客;汝觀阿難頭自動搖,見無所動。又汝觀我手自開合,見無舒捲。云何汝今以動為身?以動為境?從始洎終念念生滅遺失真性,顛倒行事,性心失真,認物為己;輪迴是中,自取流轉!」

是に於て如来は普く大衆に告げて曰わく、「若し復た衆生有りて、揺動を以て名づけて塵と為し、不住を以て名づけて客と為す;汝ら阿難の頭自ら動揺するを看て、見動く所無し。又汝ら我が手自ら開合するを看て、見舒巻無し。云何に汝ら如今動を以て身と為す。動を以て境と為す。終始に従りて念念生滅して、真性を遺失し、顛倒して事を行い、性心は真を失いて、物を認めて己と為す;此の輪回の中に於て、自ら流転遷変を取る」と。

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