六壬断案 · 第6巻
91)韓省干乙亥生,三十四歲,占赴任及歲中事。己酉元旦庚辰日子將亥時。(申酉空亡,酉戌落空),蒿矢,進茹,麗明。己酉元旦尚未交春,仍作戊申年占。 貴后 蛇午未申酉陰 朱巳 戌玄 蛇 朱 玄 陰 官 壬午 蛇 初 六辰 亥常 午 巳 戌 酉 父 癸未 貴 中 陳卯寅丑子虎 巳 辰 酉 庚 兄 空申 后 末(空亡) 龍空
第九十一例:韓省干は乙亥年の生まれで三十四歳、赴任とこの一年中の事を占いに来ました。時は己酉年元旦庚辰日で、子の月将を亥の刻に加えて課を立てました(元旦はまだ立春を交えていないので、依然として戊申年の占いと算す)。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「蒿矢」「進茹」「麗明」(光明に附麗する象)。天盤は子将を亥時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に酉を見て太陰を乘じ、第二課は酉の上に戌を見て玄武を乘じ、第三課は日支の辰の上に巳を見て朱雀を乘じ、第四課は巳の上に午を見て螣蛇を乘じます。三伝は午・未・申:初伝の壬午は官星で螣蛇を乘じ、中伝の癸未は父母爻で貴人を乘じ、末伝の申は旬空に落ち兄弟爻で天后を乘じます。
邵先生曰:支干夾定三傳,更三四課及初傳俱是鬼,有官人慾赴任,為催官符,上任必在三月盡四月初。奈何末祿卻空亡,上任不久,必主尊堂服動,子又病。蓋日辰夾定,凡事皆緊,只不合夾鬼與空亡耳。韓乃運使之子,授得鹽倉,果於三月文字來催,四月赴任,韓記先生言不去,六月十七丁母憂,二月子大病。
邵先生は言いました。日干と日支が三伝を中間に夾み、しかも第三課・第四課に初伝を連ねて全て鬼爻です。官を為る人が赴任せんとするのに、これを「催官符」と呼び、上任は必ず三月の底四月の初めです。奈何せん末伝の禄神が空亡に落ちたので、上任して久しからず、必ず堂上の老母の喪服が発動し、息子もまた病することを要します。日・辰が三伝を夾むのは本来凡事が緊要にして力あるのに、ただ夾んだ所が偏に鬼爻と空亡であるのが宜しからず。韓省干は運使の息子で、塩倉の差事を授けられました。三月の裏に果たして公文が来て催し、四月に赴任しました。韓省干は邵先生の言葉を記えて往きませんでした。六月十七日にすなわち母のために丁憂し、二月の裏に息子もまた一場の大病をしました。
先生析曰;《玉成歌》曰“日鬼加臨辰兩位,門中官病兩相侵”,占赴任人,卻名催官符,只不合日辰夾住,又空亡臨身,太陰乘之,所以喪母。干支乘天羅地網,主丁憂。庚以子為子息,又加子息亥上,為虎所逼,幸不刑傷,所以不死只病也。大凡日辰夾定有鬼,鬼應有空,空應雙,有則俱應矣。
邵先生が解釈して曰く。《玉成歌》は講じて「日鬼が辰の両位に加臨すれば、門中に官と病とが両相い侵す」と曰く。もし赴任する人のために占えば、これを「催官符」と呼びます。ただ日・辰がそれを夾んだのが宜しからず、さらに空亡が身位に臨みて太陰が乘臨するので、母を喪いました。日干・日支が天羅地網を乘じるのは、丁憂して制を守るを主ります。庚金は子水をもって子息とし、子息はまた亥に加わり、白虎に逼られました。所幸は刑傷がなかったので、ただ病するのみで死には至りませんでした。大凡、日・辰が夾んでその中に鬼があれば、鬼はすなわち応験すべく、夾んだ所がもし空亡なら、空亡もまた応験すべく、両樣ともにあれば、すなわち両樣ともに応じます。
92)伊知縣丙寅生四十四歲占赴任及前程,己酉年六月癸亥日未將亥時。(子丑空亡,申酉落空),渉害,曲直,勵德。六月十六日占。 蛇貴 朱丑寅卯辰后 六子 巳陰 貴 常 陰 空 鬼 己未 常 初(暗鬼) 陳亥 午玄 卯 未 巳 酉 子 乙卯 貴 中 龍戌酉申未常 未 亥 酉 癸 兄 癸亥 陳 末 空虎
第九十二例:伊知県は丙寅年の生まれで四十四歳、赴任と前程を占いに来ました。時は己酉年六月十六日癸亥日で、未の月将を亥の刻に加えて課を立てました。癸亥日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「渉害」(上下に多重の相克があり、害の渉る深き者を取って用と為す)「曲直」(三伝の亥卯未が木局を合成する)「励徳」。天盤は未将を亥時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に酉を見て天空を乘じ、第二課は酉の上に巳を見て太陰を乘じ、第三課は日支の亥の上に未を見て太常を乘じ、第四課は未の上に卯を見て貴人を乘じます。三伝は未・卯・亥:初伝の己未は官鬼爻で太常を乘じ暗中之鬼であり、中伝の乙卯は子孫爻で貴人を乘じ、末伝の癸亥は兄弟爻で勾陳を乘じます。
邵先生曰:公既貪女色,又貪男色,若能調攝,可以赴任。若不節慾,必入泉鄉。近日飲酒不得,漸欲嘔吐,伊曰:果然。先生曰:此乃醉飽之後,鬱氣積聚,五臟走作,故嘔逆也。子息加太陽,公子清貴過於公。伊曰:得子強我尤妙,但我壽若何?先生曰:壽盡於今年八月,因公避妻並母,在灶後與婢行淫,灶君申奏於天,遂折公壽矣。伊大驚泣曰:為之奈何?何以懺悔否?先生曰:須是露天謝罪,如此七夜方可少延也。伊遂每夜拜天謝過,不入寢室,八月初一夢神告知曰:汝知過修德,增壽一紀。伊後竟不仕,至庚申年八月十六日而歿。有三子,長早喪,次子戊辰科及第,少子甲戌科及第。
邵先生は言いました。あなたはすでに女色を貪恋し、また男色を貪恋します。もし節制して調養できれば、なお往って赴任できますが、もし欲を節さなければ、必ず黄泉に下るでしょう。近来あなたはすでに酒を飲み下すことができず、漸く嘔吐せんとしています。伊知県は言いました:果たしてそのごとし。先生は言いました:これは酔飽の後に鬱結の気が積聚し、五臓が錯乱するので、ここにおいて反胃して嘔逆するのです。子孫爻が太陽に加臨するので、令郎の将来の清貴はなおあなたに勝るでしょう。伊知県は言いました:息子が私に勝るのはなお妙ですが、ただ私の寿数は何如ですか?先生は言いました:寿数は今年八月に盡きます。あなたが妻子と母親を避けて、灶台の後ろで婢女と淫を行ったため、灶君がこの事を天に奏報し、ここにおいてあなたの寿命を折損しました。伊知県は大いに驚き、泣いて言いました:これをどうしましょうか。なお懴悔できましょうか。先生は言いました:必ず天に露せて罪を謝し、七夜を連ねて行わなければ、ようやく僅かに寿を延ぶることができます。伊知県はここにおいて毎夜天を拜して過を謝し、再び卧室に進みませんでした。八月初一の夜、神人が彼に告げる夢を見ました:あなたは過を知り徳を修めたので、寿を一紀を増す。伊知県は後に終じて出仕せず、庚申年八月十六日に去世しました。彼には三つの息子があり:長子は早く亡び、次子は戊辰科に中第し、幼子は甲戌科に中第しました。
先生析曰;蓋癸上見酉作天空,干支皆敗於酉,陰陽俱敗,故主女色男色。酉為色故也。癸見酉為酒,天空主吐逆,故漸不納酒。此課六陰俱備,且癸亥為六甲極日,癸亥俱敗於酉,死於卯,那更水日又得木局。陰中逢脫,自然暗消。內既空虛,外徒形體。巳為丁神而臨行年,又作太陰,巳為灶,太陰為陰私,酉為婢,是於灶間行淫,以致酉來敗損。況又是破碎,破碎者,色與酒病俱發也。水日木局,故主子位,太陽發傳,又子爻加太陽之上,故顯。 愛圅析曰:巳為日德,故改過修德,而可延年也。
邵先生が解釈して曰く。日干癸の上神は酉で天空を乘じ、日干と日支は皆酉において敗を受け、陰陽両面が一斉に敗壊するので、女色・男色の両樣を皆貪るを主ります——酉は本は色の象を取るからです。癸が酉を見てまた酒の象を取り、天空は吐逆を主るので、漸く酒を飲み下せなくなります。この課は六陰が俱に具わり、まして癸亥は六十甲子の中の最末の一日で、癸と亥は皆酉において敗し卯において死します。これに水日にして木局を得たのを加え、陰気の中にまた脱泄に逢うので、元気は自ずから暗に消耗します。裏面はすでに空虚し、外面に残るはただ一副の躯殻のみです。巳は「丁神」にして正に行年に臨み、また太陰を乘じています:巳は灶の象を取り、太陰は陰私を主り、酉は婢女の象を取り、合わせてすなわち灶間において淫を行い、酉が来てその身を敗損するに至ったのです。まして酉はまた「破碎」の煞を帯びています——破碎が一たび動けば、酒病と色病が一斉に発作します。水日にして木局を得たので、子孫の位を主ります。太陽が発用して伝出し、子孫爻がまた太陽の上に加わるので、息子は顕貴です。 程愛圅が解釈して曰く:巳はまた癸日の日徳なので、彼が過を改め徳を修め、年を延ぶることができました。
93)童巡檢丁卯生四十三歲占前程,己酉年八月丁未日午將子時。(寅卯空亡,申酉落空),反吟,八專,井欄射,勵德。 六陳 朱亥子丑寅龍 蛇戌 卯空 陰 陳 陰 陳 兄 乙巳 常 初 貴酉 辰虎 未 丑 未 丑 子 癸丑 陳 中(暗鬼) 后申未午巳常 丑 未 丑 丁 子 癸丑 陳 末(暗鬼) 陰玄
第九十三例:童巡検は丁卯年の生まれで四十三歳、前程を占いに来ました。時は己酉年八月丁未日で、午の月将を子の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。丁未日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「八専」(日干の丁は未に寄宮し、日支の未と同じく一处に居り、四課がただ両課を成すのみ)「井欄射」「励徳」。天盤は午将を子時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に丑を見て勾陳を乘じ、第二課は丑の上に未を見て太陰を乘じ、第三課は日支の未の上に丑を見て勾陳を乘じ、第四課は丑の上に未を見て太陰を乘じます。三伝は巳・丑・丑:初伝の乙巳は兄弟爻で太常を乘じ、中伝の癸丑は子孫爻で勾陳を乘じ暗に鬼を帯び、末伝は依然として癸丑で子孫爻が勾陳を乘じ同じく暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:一火生四土,行年雖有木,又不得地,如何救我?次第須有舊事牽絆。初驛馬動,便見起程,不是六十里,即一百二十里,後來降官壞任之憂,不是一件,定是二件。若止一件,必有大災,只願壽永也。是大幸不可別圖遷擢也。重重丑土作勾,豈是一件可了?童十月起程,過信州,果一百餘里,驀見追回,究前任不了事,遂不赴任,被拘四個月,得赦回家,方欲再去,被差保正。及分析了,又被侄兒爭分,留連半年,竟失此任。又過母墳,被山人誑開穴犯地道,次年六月遂死。 蓋火生四土四勾,豈不脫氣?丑為舊事,又為今日子孫勾,主後必被諸事脫耗財物也。
邵先生は言いました。一点の丁火が四重の土を生ぜんとし、行年上には木があるものの、また地利を得ず、どうして我を救い得ましょうか。次序に照らして見れば、まず旧日の公案が来て牽絆することを得ます。初伝の驛馬が発動し、眼の前にすなわち起程し、路程は六十里でなければ一百二十里です。これより後、降官して任を壊する憂患があり、しかも一件に止まらず、必ず二件です。もし一件のみなら、それは却って必ず大きな灾があって、ただ性命の長久を保つことを求めるのみです。能くこのようであればすでに大きな幸いで、再び別に升遷を図るべきではありません。丑土は重々として皆勾陳を乘じるのに、どうして一件の事で了結できましょうか。童巡検は十月に起程し、信州を過ぎ、果たして一百余里を走り、忽然として追い返され、前任の未了結の公事を追究され、ここにおいて赴任することができず、四箇月拘押され、赦に遇い家に帰りました。剛し再び往こうとして、また保正に差充され、この一桩の分派が終わるを待って、また姪児に家産を争分され、半年遷延し、終じてこの官職を失いました。彼はまた母親の墳地を経過し、術士に誘騙されて穴を開き、地道に冲犯し、第二年六月にすなわち死しました。 一点の火が四重の土・四重の勾陳を生ぜんとするに、豈に元気を脱泄せざるを得んや。丑は旧事を表し、また今日の子孫爻が勾陳を乘じるので、この後必ず種種の事情に財銭を脱耗することを主ります。
94)應汝言癸巳生二十九歲占前程,己酉年丁未日卯將寅時。(寅卯空亡,卯辰落空),重審,進茹。 朱蛇 六午未申酉貴 陳巳 戌后 貴 蛇 貴 蛇 財 丙申 蛇 初 龍辰 亥陰 酉 申 酉 申 財 丁酉 貴 中(丁神) 空卯寅丑子玄 申 未 申 丁 子 戊戌 后 末 虎常
第九十四例:應汝言は癸巳年の生まれで二十九歳、前程を占いに来ました。時は己酉年丁未日で、卯の月将を寅の刻に加えて課を立てました。丁未日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「重審」(下が上を賊して取用する)「進茹」(三伝の申酉戌が順に進み相い連なる)。天盤は卯将を寅時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に申を見て螣蛇を乘じ、第二課は申の上に酉を見て貴人を乘じ、第三課は日支の未の上に申を見て螣蛇を乘じ、第四課は申の上に酉を見て貴人を乘じます。三伝は申・酉・戌:初伝の丙申は妻財爻で螣蛇を乘じ、中伝の丁酉もまた妻財爻で貴人を乘じまた「丁神」、末伝の戊戌は子孫爻で天后を乘じます。
邵先生曰:若問功名難許,問財即富家矣。身宅初傳皆財,中傳上下皆財,財多宜以財營運,必因妻財起家。須把穩不可狂圖,下稍主婢僕上耗費。蓋末傳是火庫,非財庫,丁以金為財,若是金庫財收住。今見火庫反熔壞財矣。蛇主非橫,所以自婢僕生出事來。因此破財,不意而死。 汝言此時尚未有妻,次年成親,頗有嫁資,遂得此營運,十餘年成富翁,四十二典錢,四十七八愈厚,五十一歲癸酉年因婢僕通姦,汝言責之,僕縊死,被告首,入官費用,財產一空,得罰贖而歸,甲戌年死。
邵先生は言いました。もし功名を問うなら、彼に許し難いです。もし銭財を問うなら、それは富家を成すでしょう。身位・宅位と初伝は皆財で、中伝の上下もまた皆財です。財多ければすなわち銭を持って経営運作すべきで、必ず妻家の銭財に憑って家を起こします。ただ把穩するを要し、狂妄に図謀してはなりません。晩景に至れば、婢僕の身上において耗費して財を破ることを主ります。末伝の戌は火庫であって財庫ではないためです:丁火は金をもって財とし、もし金庫なら、財は収め得ます。いま見る所は火庫で、反転して財を熔壞しました。螣蛇は意外の横禍を主るので、事は婢僕のあそこより生出し、これによって財を破し、また人の意表に出でて命を送りました。 應汝言はこの時まだ妻を娶らず、第二年に成親し、妻家の陪嫁は甚だ豊かで、ここにおいて本銭を有して経営し、十余年にして富翁を成しました。四十二歳の上に当舗を開き債を放し、四十七八歳に家業はさらに厚くなりました。五十一歳のあの年は癸酉年で、婢女が僕人と通奸したため、應汝言は彼らを責罰し、僕人は上弔して死に、家の中は人に告発され、官司を打って花費が甚だ多く、財産は一空し、最後に罰金を交して罪を贖い家に帰り、甲戌年に去世しました。
95)姜子安壬申年三十八歲己酉年己酉日卯將子時。(寅卯空亡,巳午落空),蒿矢,斬關。 后陰 貴申酉戌亥玄 蛇未 子常 龍 常 虎 陰 官 空卯 龍 初(空亡) 朱午 丑虎 卯 子 丑 戌 父 丙午 朱 中(落空) 六巳辰卯寅空 子 酉 戌 己 子 己酉 后 末 陳龍
第九十五例:姜子安は壬申年の生まれで三十八歳。時は己酉年己酉日で、卯の月将を子の刻に加えて課を立てました。己酉日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の巳・午二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「蒿矢」(遥剋して取用し、剋力が蒿草の矢のごとく虚しくして実ならず)「斬關」。天盤は卯将を子時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に戌を見て太陰を乘じ、第二課は戌の上に丑を見て白虎を乘じ、第三課は日支の酉の上に子を見て太常を乘じ、第四課は子の上に卯を見て青竜を乘じます。三伝は卯・午・酉:初伝の卯は旬空に落ち官星で青竜を乘じ、中伝の丙午は父母爻で朱雀を乘じまた空地に落ち、末伝の己酉は子孫爻で天后を乘じます。
邵先生曰:吾丈闇昧,亦不永遠。惟令郎好,與老陰人可享此。今則福謝災生,身宮不明,何望顯達?須管一有福之子,喪則君不祿矣。況初中空亡,惟末撞在日之後,作敗神,主酒色傷身夭壽,三年半期,恐難過也。姜子安好奇異,聞言哂而不信。至壬子年一子果死,其子溫厚。姜氏悲愴,日夜追思,相繼而亡。果三年半也。
邵先生は言いました。あなたのこの課は暗昧にして明らかならず、寿数もまた長遠ではありません。却って令郎が好く、彼は家中の年長の女眷とこの一份の福気を享受できます。いまは福気が謝盡し灾殃が叢生し、身宮は明らかでなく、なお何の顕達を指望しましょうか。眼下必ず一人の福ある子を折損し、あの子が一たびなくなれば、あなたはすなわち禄しません。まして初伝・中伝は皆空亡に落ち、ただ末伝が日干の後に撞ち当たり、また敗神を作すので、酒色によって身を傷り寿を折るを主り、三年半の期限は恐らく熬え過ごし難いです。姜子安は一向に奇を好み異を好み、この言葉を聴いてただ冷笑するのみで、併せて信じませんでした。壬子年に至り、果たして一人の息子が死にました——あの子は性情が温厚でした。姜家の上下は悲痛し、姜子安は日夜追念し、随いてまた去世し、前後して果たして三年半でした。
先生析曰;蓋己酉日見支前之太陰,是闇昧也。宅上子作常,己以子為財,財來此敗,太常己未土,亦隨此敗。初上見卯,土死於卯,卯又空亡,是空亡死也。初中即空,只在末酉,又在日後。 愛圅析曰:日干之後也。己日在未,申為前,而午為後,酉加午,故曰在日後也。夫太常到酉上敗,是進敗也。酉在日後,是退敗也。太陰即酉,又來日上敗我,進亦敗,退亦敗,現在亦敗,豈得不死?壬子年子上卯宅自子引入本宮,己土至彼敗且死,人寧不亡歟?
邵先生が解釈して曰く。己酉のこの日、日支の前の位置上に太陰を見る——これはすなわち暗昧の象です。宅位上の子は太常を乘じています:己土は子水をもって財とし、財がここに来て正に敗地に逢います。太常は本身己未の土に属し、随いて一緒に敗します。初伝の上神は卯で、土は卯において死し、卯はまた空亡に逢う——これはすなわち既に空にしてまた死です。初伝・中伝はすでに皆空なので、倚仗すべきはただ末伝の酉を残すのみなのに、偏に酉がまた日干の後に落ちます。 程愛圅が解釈して曰く:謂う所の「日後」は、日干に就いて言います。己日は未に寄宮し、申を前とし午を後とします。酉は午上に加臨するので、それが日の後に在ると言います。太常が酉に行って敗を受けるのは「進敗」で、酉がまた日の後に落ちるのは「退敗」です。太陰はすなわち酉で、それはなお日干の頭上に来て我を敗します:進むもまた敗、退くもまた敗、眼下もまた敗——どうして死なざるを得ましょうか。壬子年に至り、宅上の卯が子位より本宮に引き入れられ、己土は彼の処に到って既に敗し且つ死す——人はどうして亡びざるを得ましょうか。
96)童知丞乙亥生三十五歲占在任吉凶,己酉年十一月己卯日寅將丑時。(申酉空亡,酉戌落空),重審,進茹,斬關。 蛇貴 朱午未申酉后 六巳 戌陰 六 陳 后 貴 兄 庚辰 陳 初 陳辰 亥玄 巳 辰 酉 申 父 辛巳 六 中 龍卯寅丑子常 辰 卯 申 己 父 壬午 朱 末 空虎
第九十六例:童知丞は乙亥年の生まれで三十五歳、任上にあって吉凶を占いました。時は己酉年十一月己卯日で、寅の月将を丑の刻に加えて課を立てました。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「進茹」(三伝の辰巳午が順に進む)「斬關」。天盤は寅将を丑時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に申を見て貴人を乘じ——申はまさに己土の長生の地、第二課は申の上に酉を見て天后を乘じ、第三課は日支の卯の上に辰を見て勾陳を乘じ、第四課は辰の上に巳を見て六合を乘じます。三伝は辰・巳・午:初伝の庚辰は兄弟爻で勾陳を乘じ、中伝の辛巳は父母爻で六合を乘じ、末伝の壬午もまた父母爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:此課因禍成福,本路除一監司,合主迴避,迴避中卻有好處,終久此貴人不歷此任,而我已加除了。童曰:何等貴人?曰:必提刑與知丞是親,來此得請職,因得周旋文字改官。初六害,勾亦辰,所以滯許多時;中驛馬乘龍,飛騰豹變;末祿在馬上,主坑冶干官之屬也。巳午為爐,六合為模範,乘馬不定,往來東南。次日妻父除提刑,遂迴避,得提點坑冶司鑄錢,即受職而提刑罷官而去。庚戌年又差諸路鹽司,辛亥改官。
邵先生は言いました。この課は禍によって福を成すです。本路に新任の一人の監司が要され、例に拠ればあなたは回避すべきです。ただ回避の中に却って好い処があり、到頭すればあの貴人はこの一任を為し満さず、しかもあなたはすでに別に除授がありました。童知丞が問いました:どのような貴人ですか?先生は言いました:来るのは必ず提刑で、しかも知丞のあなたと親戚です。あなたは彼の処に到って職事を請託すれば、すなわち一紙の公文に憑って官を改めることができます。初伝は六害を犯し、勾陳もまた辰に落ちるので、滞留して久しいです。中伝は驛馬にして竜を乘じ、飛騰変化して豹の毛を改むるがごときを主ります。末伝の禄神が驛馬の上に落ちるので、坑冶司幹官の類の差事を得るを主ります。巳・午は爐の象を取り、六合は模範の象を取り、また驛馬を乘じて動蕩して定まらないので、東南の一帯を往来します。第二天に彼の岳父は果たして提刑を除授され、童知丞はここにおいて回避し、提点坑冶司鑄銭の差事を得ました。剛し職を受けたところ、あの提刑は官を罷め去りました。庚戌年にまた諸路塩司に差せられ、辛亥年に官を改めました。
先生析曰;蓋日上貴人長生,乃尊長屬。乘空亡是前妻父也。不久罷去,亦空亡也。行年丑作虎,丑乃丁神,虎乘丁是極動。又虎為道路神,宅見辰作勾六害,是久滯也。中馬巳,丑合起,其勢必動。午祿神,又臨馬上,其職不停。巳為爐冶,午為雀並之,故文書職事在爐冶中。日上貴人長生,故得此周旋文字改官,必竟空亡脫氣,所以此任合當迴避。
邵先生が解釈して曰く。日干上は貴人を乘じてまた長生の地なので、尊長の輩の親属の身上に応じました。この位置はまた空亡に逢う——指す所は前妻の父です。彼は久しからずしてすなわち官を罷め去りましたが、また正に空に落ちたためです。行年は丑に在りて白虎を乘じ、丑はまた「丁神」で、白虎が丁神を乘じるのは、動くことの極に至るです。白虎はまた道路の神です。宅位上は辰を見て勾陳を乘じて六害を帯びるので、久しく滞って行き難いです。中伝の巳は驛馬で、丑に合動させられ、その勢い必ず動きます。午は禄神で、また驛馬の上に臨むので、職事が一刻も停まりません。巳は爐冶の象を取り、午上にまた朱雀が併せて臨むので、文書職事は皆爐冶鑄銭のこの一路に落ちました。日干上の貴人が長生に居るので、請託の公文に憑って官を改めることができ、ただ終じて空亡して気を脱するので、この一任は理当回避すべきでした。
97)趙主簿丙子生三十四歲占前程,己酉年辛亥日卯將巳時。(寅卯空亡,子丑落空),元首,間傳,顧祖。 朱蛇 六卯辰巳午貴 陳寅 未后 后 玄 貴 陰 鬼 丙午 貴 初(暗鬼) 龍丑 申陰 未 酉 午 申 父 甲辰 朱 中 空子亥戌酉玄 酉 亥 申 辛 財 空寅 陳 末(空亡) 虎常
第九十七例:趙主簿は丙子年の生まれで三十四歳、前程を占いに来ました。時は己酉年辛亥日で、卯の月将を巳の刻に加えて課を立てました。辛亥日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の子・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「元首」(上が下を剋して取用し、吉課の首と為す)「間伝」(三伝の午辰寅が位を隔てて退く)「顧祖」。天盤は卯将を巳時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に申を見て太陰を乘じ、第二課は申の上に午を見て貴人を乘じ、第三課は日支の亥の上に酉を見て玄武を乘じ、第四課は酉の上に未を見て天后を乘じます。三伝は午・辰・寅:初伝の丙午は官鬼爻で貴人を乘じ暗中之鬼、中伝の甲辰は父母爻で朱雀を乘じ、末伝の寅は旬空に落ち妻財爻で勾陳を乘じます。
邵先生曰:主簿美差不能赴,自是岳廟,兩次二任岳廟,後雖授美差,不得赴而丁憂,服滿更授差遣,下稍喪妻,以妾為主,貪酒中風而死。庚戌年當赴任,因新任運使是姑丈,遂迴避就岳廟,二任既滿,受烏江丞,丁父母憂,服滿授壽昌令,諸賓作賀,醉後不幸中風而死。
邵先生は言いました。主簿は美差を得たものの赴き成らず、ただ岳廟の祠官を為るのみ、しかも一連して両任ともに岳廟です。後に美差を授けられたものの、まだ赴任しないうちに喪事に遭い制を守り、服満して後に再び差遣を授けられます。晩景に至り妻を喪い、妾室が家を当ります。酒を貪ったために中風して死します。庚戌年は本は赴任すべきでしたが、新任の運使が彼の姑丈であるため、例に拠り回避し、ここにおいて岳廟の差事に就きました。両任が期満し、烏江県丞を受け、随いて父母のために丁憂し、服満して後に寿昌県令を授けられました。賓客たちは皆来て道賀し、彼は酔後不幸にも中風して去世しました。
先生析曰;蓋初傳日貴,傳歸夜貴,自治事終反不治事。日上申作太陰,申為神佛,太陰管陰私,寅為廟,艮為山嶽,自日歸夜,自然監廟,又是顧祖,何能赴任?自宅上一帶引去,直至東南而止潭州岳廟,正在東南上也。一味投絕,又自日傳夜,所以如此。
邵先生が解釈して曰く。初伝が乘じるは昼貴人で、伝えて末に至っては却って夜貴人に帰す——本は事を治める官なのに、終じて反転して事を治めない閑職を為りました。日干上の申は太陰を乘じています:申は神仏の象を取り、太陰は専ら陰私の事を管します。寅は廟の象を取り、艮卦はまた山岳を主ります。昼より夜に帰すれば、自ずから祠廟を監管しに往きます。まして課名はまた「顧祖」で、三伝は頭を回して祖気を顧戀する——どうしてなお赴任できましょうか。宅位上より一路牽引して出て、一直に東南方に走到してようやく停まりました——彼が監した潭州の岳廟は、まさに東南の方向に在りました。三伝はひとえに絶地に投向し、また昼貴より夜貴に伝え入るので、結局はこのごとくでした。
98)陳殿院占謫官衢州甲申秋壬辰日巳將子時。(午未空亡,亥子落空),重審,亂首。 陳六 龍戌亥子丑朱 空酉 寅蛇 蛇 空 空 后 子 庚寅 蛇 初 虎申 卯貴 寅 酉 酉 辰 鬼 空未 常 中(空亡) 常未午巳辰后 酉 辰 辰 壬 兄 戊子 六 末(落空)(暗鬼) 玄陰
第九十八例:陳殿院は官を貶めて衢州の一事のため占いに来ました。時は甲申年の秋の壬辰日で、巳の月将を子の刻に加えて課を立てました。壬辰日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「重審」「乱首」(下が上を剋して尊卑が序を失う)。天盤は巳将を子時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に辰を見て天后を乘じ、第二課は辰の上に酉を見て天空を乘じ、第三課は日支の辰の上に酉を見て天空を乘じ、第四課は酉の上に寅を見て螣蛇を乘じます。三伝は寅・未・子:初伝の庚寅は子孫爻で螣蛇を乘じ、中伝の未は旬空に落ち官鬼爻で太常を乘じ、末伝の戊子は兄弟爻で六合を乘じすでに空地に落ちまた暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:寅作蛇加酉為用,蛇入雞穴而破腸,未加寅為中傳,是鬼宿入鬼門,子加未作末傳乘六合,是勢害也。那又辰加壬作天后,刑勝德,此課三不吉。內有天后乘喜為恩神,雖帶恩動而過多,加官不起,後謫官編官柳州而死。經曰:魁罡若向日辰遊,貶出天涯地角頭,此之謂也。
邵先生は言いました。寅が螣蛇を乘じて酉に加わり取って発用と為す——これは螣蛇が鶏の巣に钻り入って肚腸を啄み破られたのです。未が寅に加わって中伝を作す——これは鬼宿が鬼門に闯入したのです。子が未に加わって末伝を作して六合を乘じる——これは形勢が相い害するのです。まして辰が壬に加臨して天后を乘じ、刑剋が徳気を壓し過ぎました——この課には三か所の不吉があります。課中には天后が喜神を乘じて恩神を成すがあるものの、帯びて来る恩気は動きて過盛で、反転して官職を托し上げられません。後に彼は果たして貶謫され、柳州に編管されて死しました。経文に曰く「魁罡若し日辰に游ばば、天涯地角の頭に貶出せん」——講ずる所はまさにこの種の情形です。
99)李大夫占憂銀網事,鞏罷官,己丑年十二月甲子日子將戌時。(戌亥空亡,子丑落空),重審,不備,斬關,狡童,登三天。 后陰 貴未申酉戌玄 蛇午 亥常 六 龍 蛇 六 財 戊辰 六 初 朱巳 子虎 辰 寅 午 辰 子 庚午 蛇 中 六辰卯寅丑空 寅 子 辰 甲 癸 壬申 后 末 勾龍
第九十九例:李大夫は銀網一案・鞏某が官を罷めたことの事を憂慮して占いに来ました。時は己丑年十二月甲子日で、子の月将を戌の刻に加えて課を立てました。甲子日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の子・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「重審」「不備」(四課が全からず)「斬關」「狡童」「登三天」。天盤は子将を戌時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に辰を見て六合を乘じ、第二課は辰の上に午を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の子の上に寅を見て青竜を乘じ、第四課は寅の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は辰・午・申:初伝の戊辰は妻財爻で六合を乘じ、中伝の庚午は子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の壬申は天后を乘じ、六親の欄は原文「癸」と作るが、当に「鬼」の字の訛——甲木が申金を見るはまさに官鬼です。
邵先生曰:登三天主有撓,中午作蛇,五月末沖替可知。末申作後,六月初有赦。寅作龍入宅,明年三月必轉官。果然寅年正月朝廷差兩浙提刑,三月轉官,五月末沖替,六月赦。蓋明年者,歲上發用也。五月替者,蛇入中傳也。六月赦者,太陽交午,申為午作天后也。寅作龍入宅,寅為天吏,故主升轉。 愛圅析曰:以上兩課恐非邵公斷案,存考。
邵先生は言いました。「登三天」の課は攪擾あるを主ります。中伝の午は螣蛇を乘じ、五月末に人に冲替されることが知れます。末伝の申は天后を乘じ、六月初めに当に赦令あるべし。寅は青竜を乘じて宅位に進入し、明年三月に必ず転官します。後に果たして:寅年正月に朝廷は彼を差して両浙提刑に任じ、三月に転官し、五月末に冲替され、六月に赦に遇いました。謂う所の「明年」は、発用の神がまさに太岁の上に在るためです。五月に冲替すると言うのは、螣蛇が中伝に落ちるためです。六月に赦あると言うのは、太陽が行て午位に交り、しかも申は午の天后であるためです。寅は青竜を乘じて宅に入り、寅はまた天吏の神なので、升遷転官を主ります。 程愛圅が解釈して曰く:以上の両課は恐らく邵公の断案ではなく、姑く疑いを存して考を待ちます。
100)姜伯達丁卯生四十三歲占前程,己酉年六月初六日癸丑日未將寅時。(寅卯空亡,未申落空),重審課,此課與葉助教占宅課相同,然彼是亥將午時,故邵公之斷語不同。今將宋本改正,程氏愛圅識。 陳六 龍戌亥子丑朱 空酉 寅蛇 陳 玄 陳 玄 財 丙午 玄 初 虎申 卯貴 亥 午 亥 午 兄 辛亥 陳 中 常未午巳辰后 午 丑 午 癸 官 甲辰 后 末 玄陰
第一百例:姜伯達は丁卯年の生まれで四十三歳、前程を占いに来ました。時は己酉年六月初六日癸丑日で、未の月将を寅の刻に加えて課を立てました。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は「重審」。輯者程愛圅はここに注を明らかにします:この課は前面の葉助教が宅を占った課式と相同ですが、あの課は亥将午時なので、邵公の断語は一樣でなく、いま宋本に依って改正します。天盤は未将を寅時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に午を見て玄武を乘じ、第二課は午の上に亥を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の丑の上に午を見て玄武を乘じ、第四課は午の上に亥を見て勾陳を乘じます。三伝は午・亥・辰:初伝の丙午は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の辛亥は兄弟爻で勾陳を乘じ、末伝の甲辰は官星で天后を乘じます。
邵先生曰:吾子平生有三苦:一為屋苦,二為妻苦,三為心所苦。初午被癸克,婦人常患心血不寧;中亥為同類,臨屋上,主官訟爭產;愛圅析曰:勾陳主爭也。此惟夜貴則乘勾,若作亥將午時,則用晝貴,亥乃乘天空,何從而斷其官訟爭屋乎?末墓作天后,主女人血氣之災。自身隨傳入墓,必是公姑干亥山之墳內,有泥水侵棺,走獸入內為穴,所以前程不通。九年心病,又四年遭同族爭產,又五年死。若不動移,必然喪身也。
邵先生は言いました。あなたのこの一生に三樣の苦あり:一は房屋の苦、二は妻子の苦、三は心病の苦。初伝の午は癸水に剋され、家中の婦人が常に心血寧まらざるを患うを主ります。中伝の亥は日干と同類で、また屋宅の上に臨むので、官司して産を争うを主ります。(程愛圅が解釈して曰く:勾陳は正に争訟を主る。これはただ夜貴人を用いる時にのみ亥が勾陳を乘じる。もし亥将午時に照らして課を立てれば、用いるは昼貴人で、亥上に乘じるは天空を成す——またどこより官司して屋を争うと断出せましょうか。)末伝は墓に入って天后を乘じ、女人の血気の類の灾病を主ります。本身が三伝に随いて一同に墓に入る——それは必ず公婆が乾亥の方位の墳の裏に葬られ、棺中に泥水が浸入し、さらに野獣が钻り入って窩を為したため、前程が通じません。頭の九年は心病、さらに四年で同族と産を争い遭い、さらに五年で身死します。もしあの墳を遷動しなければ、必ず命を喪います。
伯達乃士人,占課之時,殊不為意,其後宅宇摧損,拆而再造畢,遂心氣發作,日夜呻吟,財物耗散,妻亦心血不安,此九年午所管也。第十年兄弟日夜爭吵,或塞東廁,或開西庫,又爭三處店房,遂致興訟,此四年亥所管也。末辰卻管五年,二年女人血病死,三年自身大病,遂移公婆之墳,啟攢視之,泥土淤塞,除泥改喪,後乃安寧。 先生析曰;蓋午受癸克,走回本家,又受亥克,雖虎賁之勇,亦不能當,所以見諸般不利。午為目、為屋、為妻,故皆不安也。
姜伯達は一人の讀書人で、課を占う時は全く意に介しませんでした。後に房屋が損壊し、拆いて重ねて造りました。造り終わるとすなわち心気の病を犯し、日夜呻吟し、銭財は耗散し、妻子もまた心血寧まらず——これは初伝の午が管する九年です。第十年の上に兄弟の間で日夜争吵し、一時に東辺の厠所を堵め、一時にまた西辺の庫房を開き、さらに三か所の店房を争奪し、終じて官司を打つに鬧り至りました——これは中伝の亥が管する四年です。末伝の辰は最後の五年を管します:第二年に家中の女人が血病によって去世し、第三年に彼自身は一場の大病をし、ここにおいて公婆の墳を遷移し、攅厝を開いて見ると、果たして泥土が淤塞していました。積泥を清除し重ねて安葬して、此の後ようやく安寧を得ました。 邵先生が解釈して曰く。午は癸水の剋を受け、本家に退け帰り、また亥水に来て剋されます。縱に虎賁の士の勇力があるといえども扛げ耐えられないので、諸事不利です。午はこの課の中においてすでに眼目を主り、また房屋を主り、さらに妻子を主るので、この三樣が皆安寧を得ません。
101)馮幹辦丁卯年八月十七日辰時生,占前程,民政局酉年正月甲午日子將午時。(辰巳空亡,戌亥落空),反吟,無依,渉害,元胎。 蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 虎 蛇 后 龍 兄 壬寅 后 初 陳酉 辰玄 午 子 寅 申 鬼 丙申 龍 中 龍申未午巳常 子 午 申 甲 兄 壬寅 后 末 空虎
第一百零一例:馮幹辦は丁卯年八月十七日辰時の生まれで、前程を占いに来ました。時は己酉年正月甲午日で(原文の「民政局酉年」は「己酉年」の訛字)、子の月将を午の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。甲午日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の戌・亥二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「無依」「渉害」「元胎」。天盤は子将を午時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に申を見て青竜を乘じ、第二課は申の上に寅を見て天后を乘じ、第三課は日支の午の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に午を見て白虎を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の壬寅は兄弟爻で天后を乘じ、中伝の丙申は官鬼爻で青竜を乘じ、末伝は依然として壬寅で兄弟爻が天后を乘じ、首尾が往返し、まさに反吟の象に合します。
邵先生曰:此課德絕祿喪,婦人主家,干支盡傷,病符臨身,不久主癱瘓風疾之憂,生氣作蛇入宅,主生男子,見此子後,其病便生,須是珍重,不可貪色也。甲寅年尤甚,其宅十八年變為溪溝也。馮受轉運司幹辦公事,有三年缺,上任一歲中風,自後癱瘓更不動,止因壬子得子,賀喜過飲,遂成風疾,解任歸日,食自費兩千餘,雖臥病不起,其食自倍。至甲子歲大水,宅為水所沖損壞,果作溪溝矣。
邵先生は言いました。この課は徳神が断絶し禄神が喪失し、家事は婦人によって主に為さるべきです。日干・日支は皆傷を受け、病符はまた身位に臨むので、久しからずしてすなわち癱瘓の風疾の憂いがあります。生気が螣蛇を乘じて宅位に進入し、男の子を生ずるを主ります。この息子を見て後、病もまた随いて来るので、必ず自ら珍重して、色を貪るべからず。甲寅年には病勢が尤其として重く、あの一軒の宅子は十八年後に一条の溪溝に変じます。馮幹辦は転運司幹辦公事の差遣を受け、任期は三年でした。上任して一年にすなわち中風し、此より癱瘓して動くことができませんでした。起因はまさに壬子年に息子を得、賀喜するに飲酒が量に過ぎ、ここにおいて風疾を成しました。任を解き家に帰るあの日、飲食の一项のみで二千余を費やしました。病に卧して起き得ないものの、飯量は却って倍加しました。甲子年に至り大水が発し、宅子は水に冲壊され、果たして溪溝に変じました。
102)鄧十八官人乙酉年二月十二日亥時生,占漕試,己酉年四月初一戊申日酉將丑時。(寅卯空亡,戌亥落空),潤下,斬關。 虎常 空丑寅卯辰玄 龍子 巳陰 龍 玄 朱 空 財 壬子 龍 初 陳亥 午后 子 辰 酉 丑 子 戊申 蛇 中 六戌酉申未貴 辰 申 丑 戊 兄 甲辰 玄 末(暗鬼) 朱蛇
第一百零二例:鄧十八官人は乙酉年二月十二日亥時の生まれで、漕試のため占いに来ました。時は己酉年四月初一戊申日で、酉の月将を丑の刻に加えて課を立てました。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の戌・亥二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「潤下」(三伝の申子辰が水局を合成する)「斬關」。天盤は酉将を丑時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に丑を見て天空を乘じ、第二課は丑の上に酉を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の申の上に辰を見て玄武を乘じ、第四課は辰の上に子を見て青竜を乘じます。三伝は子・申・辰:初伝の壬子は妻財爻で青竜を乘じ、中伝の戊申は子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の甲辰は兄弟爻で玄武を乘じ暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:土日得財局,須是用財為之卻吉。漕司正是申子辰水局也。既以漕司為財,須費己財為佳。身上是晝貴作天空,主簾幕貴人,馳聲於我,我遂得功名也。宅作元武,是本局作賊,須三換名字,及換卷子,並令人代之,此所以不正中也。甲辰旬十日,皆是魁星,此乃為魁首也。但不知何以有,即日東方江邊魚鹽之職也。鄧宅雖是積世武官,大有錢穀,申子辰正是漕司之局。戊用水為財,所費不可言。知有關節,又聞有易卷之說,不知何如也。末傳歸宅是辰,卻是甲辰旬之魁首也。作本經魁,次年雖省試不中,卻試了弓馬。得明州象山縣稅務。 先生析曰;蓋戊土以辰為庫。辰土生於申,乃真庫也。凡墓與庫二名而同體,何以分別?蓋生處為庫,殆囚為墓。今辰生於辰,實真庫,天罡為魚鹽之物,故鹽務兼煎鹽,故實大驗也。
邵先生は言いました。土日にして財局を得たので、必ず銭を舎てて打点才ればすなわち吉です。漕司のこの一路は正に申子辰の水局に応じます:すでに漕司をもって財と為す以上、自分の銭を舎てて花うべきです。身位上は昼貴人にして天空を乘じ、考場の簾幕の内の貴人が我のために名声を張揚し、我はこれによって功名を得たを主ります。宅位上に玄武を乘せたのは、あの本局の中に盗賊が出たので、三回名字を更換し卷子を更換し、さらに人を請いて代考せしめるべし——これが謂う所の正道に由らないです。甲辰のこの一旬の十日は皆魁星に属するので、魁首を得ることができます。ただ何を憑って有り得るかを知らず、眼下まず東方の江辺に一份の魚鹽の差事があります。鄧家はすでに幾代の武官で、銭粮は甚だ多く、申子辰はまた正に漕司の局です。戊土は水をもって財とし、花費の多さは言い難いほどです。彼に関節の通ずべきありと聴き、また換卷の事ありと聴きますが、究竟何如は知ることを得ません。末伝が宅位に帰するは辰で、まさに甲辰一旬の魁首なので、本経の経魁を為りました。第二年の省試は中らなかったものの、弓馬は考え過ぎ、明州象山県税務の差事を得ました。 邵先生が解釈して曰く。戊土は辰をもって庫とし、辰土は申において長生する——これこそ真の庫です。大凡「墓」と「庫」は二つの名目にして同一の实体で、どうして分別しましょうか。生旺の処を庫と呼び、衰囚の処を墓と呼びます。いま辰は辰において長生し、確かに真の庫です。辰はまた天罡と名づき、魚鹽の物を主るので、得た所は鹽務を兼ねた煎鹽の差事で、応験の極めて准なりでした。
103)劉干運丙寅生四十四歲占前程,己酉年六月戊申日未將寅時。(寅卯空亡,未申落空),元首,斬關。 陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后 空 常 六 鬼 空卯 常 初(空亡) 蛇申 卯常 午 丑 卯 戌 子 戊申 蛇 中(落空) 貴未午巳辰玄 丑 申 戌 戊 兄 癸丑 空 末 后陰
第一百零三例:劉幹運は丙寅年の生まれで四十四歳、前程を占いに来ました。時は己酉年六月戊申日で、未の月将を寅の刻に加えて課を立てました。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「元首」「斬關」。天盤は未将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に戌を見て六合を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の申の上に丑を見て天空を乘じ、第四課は丑の上に午を見て天后を乘じます。三伝は卯・申・丑:初伝の卯は旬空に落ち官鬼爻で太常を乘じ、中伝の戊申は子孫爻で螣蛇を乘じまた空地に落ち、末伝の癸丑は兄弟爻で天空を乘じます。
邵先生曰:此課無造化,戊以卯為官星,甲辰旬空亡也。戊以申為長生學堂,入在空亡,只有末傳是丑,丑又來刑日上戌,且作天空,晝貴人空耗,是貴而無位也。晚年孤獨,只與奴婢過殘生,俱不見妻子續。後果然。
邵先生は言いました。この課には造化の言うべきがありません。戊土は卯をもって官星とするのに、偏に卯は甲辰旬の中にまさに空亡です。戊土はまた申をもって長生と学堂の位とするのに、申もまた空亡の裏に落ち込みました。残るはただ末伝の丑のみですが、丑は却って来て日干上の戌を刑し、しかも天空を乘じ、昼貴人は白々しく耗散する——これが謂う所の貴気あって実位なしです。だから晩年は孤独で、ただ奴婢と一緒に残生を打発するのみで、妻子児女は皆指望し上げられません。後に果たしてそのごとくでした。
邵彥和大六壬案例集(利集)·終 身
104)何三公丙午生六十三歲占終身,戊申年六月丙寅日未將寅時。(戌亥空亡,卯辰落空),比用,乘軒,鑄印,察微。 朱六 蛇戌亥子丑陳 貴酉 寅龍 六 陰 空 蛇 鬼 甲子 六 初 后申 卯空 子 未 卯 戌 兄 己巳 常 中 陰未午巳辰虎 未 寅 戌 丙 子 空戌 蛇 末(空亡) 玄常
第一百零四例:何三公は丙午年の生まれで六十三歳、終身を占いに来ました。時は戊申年六月丙寅日で、未の月将を寅の刻に加えて課を立てました。丙寅日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「比用」(両課が俱に剋し、日干と比和する者を取って用と為す)「乘軒」「鑄印」「察微」。天盤は未将を寅時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に戌を見て螣蛇を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の寅の上に未を見て太陰を乘じ、第四課は未の上に子を見て六合を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の甲子は官鬼爻で六合を乘じ、中伝の己巳は兄弟爻で太常を乘じ、末伝の戌は旬空に落ち子孫爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:干支帶墓,第四課見子鬼發動,卻又傳歸日上,六月死神在戌作蛇,主有伏尸,帶迷惑殺,殃及於人,因宅中皆是舊墓,前後俱有尸骸,鬼入四課,在內之鬼也。傳出日上,漸次侵害於人也。主不出八年,癆病來纏,當死五人,中傳雖有生氣,受克化為鬼,是以不利。戌年戌月難以救也。何三公宅內原是舊冢,聞先生之言,乃掘之,共掘得十四穴,皆無主之墓。庚戌年九月未日,何公不祿,七年之中,果喪五人。
邵先生は言いました。日干と日支は皆墓気を帯び、第四課の上に子水の鬼爻が発動するのを見、また伝え帰って日干の頭上に至ります。六月の死神は戌に在りて螣蛇を乘じ、宅中に伏蔵する尸骨があって、また迷惑の煞を帯び、活人に殃を及ぼすを主ります。これは宅子の底が皆旧墳で、前前後後に皆尸骸を埋めているためです。鬼爻が四課に進入するのは屋内の鬼で、また伝出して日干の上に至れば、すなわち一歩一歩家人を侵害せんとします。八年を出でず、癆病が身に纏わり、五口の人が死するを断じます。中伝に生気はあるものの、剋を受けたために化して鬼を成したので、不利です。戌年戌月に至れば救い難いです。何三公の宅子の裏はもともと旧墳で、先生の言葉を聴いてすなわち往って挖掘し、一共に十四座の穴を挖出し、皆主なき墓でした。庚戌年九月の未日に何公は去世し、七年の中に果たして五口の人が死しました。
105)袁知鎮癸酉命三十六歲占終身,戊申年十一月戊戌日丑將卯時。(辰巳空亡,寅卯落空),重審,勵德,極陰。 六陳 朱卯辰巳午龍 蛇寅 未空 龍 虎 貴 雀 兄 辛丑 貴 初 貴丑 申虎 午 申 丑 卯 財 己亥 陰 中 后子亥戌酉常 申 戌 卯 戊 子 丁酉 常 末(丁神) 陰玄
第一百零五例:袁知鎮は癸酉年が本命で三十六歳、終身を占いに来ました。時は戊申年十一月戊戌日で、丑の月将を卯の刻に加えて課を立てました。戊戌日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「励徳」「極陰」(三伝の丑亥酉が逆行して極陰の地に入る)。天盤は丑将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に卯を見て朱雀を乘じ、第二課は卯の上に丑を見て貴人を乘じ、第三課は日支の戌の上に申を見て白虎を乘じ、第四課は申の上に午を見て青竜を乘じます。三伝は丑・亥・酉:初伝の辛丑は兄弟爻で貴人を乘じ、中伝の己亥は妻財爻で太陰を乘じ、末伝の丁酉は子孫爻で太常を乘じまた「丁神」。
邵先生曰:此極陰課,戊土死於卯,敗於酉,初傳貴人,享父之福;中傳臨官加丑,亦秉父之財。丑為父母類神,貴人加之更的,故曰享父之福。末傳酉為日敗,又是本命,而加於亥,主自身自敗壞矣。中水末酉,必因酒色也。又乘陰常,丑土歸西北而傾,必因酒色而成癆病。亥四酉六,主四十六歲亡。後又因有服尊長為主,凡事盡決於他。蓋以宅上見申,戊土生於申,故為有服尊長也。後俱應。 先生析曰;占身命及醫與病,丑將卯時以本命上下斷死數。
邵先生は言いました。これは一課の極陰の局です。戊土は卯において死し酉において敗します。初伝は貴人を乘じ、父輩の福蔭を享くるを主ります。中伝は臨官の位にして丑に加わり、また父輩の銭財を承受するです。丑は本は父母の類の類神で、さらに貴人が加臨すればさらに確鑿なので、父の福を享くると説きます。末伝の酉は日干の敗地で、またまさに彼の本命で、さらに亥に加わるので、自身が自ら敗壊することを主ります。中伝は水に属し末伝は酉で、それは必ず酒色によるものです。また太陰・太常を乘じ、丑土は西北に傾向するので、必ず酒色によって癆病を成します。亥の数は四、酉の数は六なので、四十六歳の上に亡故することを主ります。これより後、また一人の服内の尊長が家を当り、凡事は皆彼によって決断されます——これは宅位上に申を見、戊土は申において長生するので、服ある尊長の身上に応じました。後に一一応験しました。 邵先生が解釈して曰く。凡そ身命および医薬疾病を占するには、丑将を卯時に加えて課を立てれば、すなわち本命の上下の神を見て死期の数を断じます。
106)王解元辛丑年九月二十八日辰時生,六十八歲戊申年正月丁亥日子將寅時,(午未空亡,辰巳落空),彈射,間傳,占終身。 虎常 空卯辰巳午玄 龍寅 未陰 陰 貴 空 常 財 乙酉 貴 初 陳丑 申后 未 酉 卯 巳 子 空未 陰 中(空亡) 六子亥戌酉貴 酉 亥 巳 丁 兄 癸巳 常 末(落空)(暗鬼) 朱蛇
第一百零六例:王解元は辛丑年九月二十八日辰時の生まれで六十八歳、終身を占いに来ました。時は戊申年正月丁亥日で、子の月将を寅の刻に加えて課を立てました。丁亥日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「弾射」「間伝」(三伝の酉未巳が位を隔てて退く)。天盤は子将を寅時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に巳を見て太常を乘じ、第二課は巳の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の亥の上に酉を見て貴人を乘じ——亥は天門、これはまさに「貴人登天門」、第四課は酉の上に未を見て太陰を乘じます。三伝は酉・未・巳:初伝の乙酉は妻財爻で貴人を乘じ、中伝の未は旬空に落ち子孫爻で太陰を乘じ、末伝の癸巳は兄弟爻で太常を乘じすでに空地に落ちまた暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:主外人有服入分,覆蓋被他所撓,我入不明之地,而受太陰之抑,酉作貴登天門,乃夜貴用事。又是不明。酉即太陰,太陰即酉,互相掩蔽,終於失理。行年上太陰門戶亦主分破,況身宅三傳行年皆在陰上,正是不利之年。七十歲必死也。
邵先生は言いました。この課は外姓にして服ある人が差し入って来て家産を分け、家事が彼に遮盖して攪擾されるを主ります。我自己は不明の地に落ち込み、また太陰の圧抑を受けます。酉は貴人を乘じて天門に登臨し、用事するは夜貴人——これもまた不明の象です。酉はすなわち太陰の本位で、太陰はまた正に酉の上に落ち、彼此遮掩して、到頭すれば道理を皆失いました。行年上に太陰に遇い、門戸もまた分裂破損を主ります。まして身位・宅位・三伝と行年は全て陰神の上に落ち——まさに不利の年份です。七十歳の上に必ず死します。
先生析曰;何以見外人有服入?宅主破碎,作事乘馬故也。太常己未土入本家,乃家人也。丁,我也。丁被巳乘馬逼身,而未遂加酉,托於今日陰貴人用事,陰貴人入宅,卻又作破碎,反為他破,未作太陰入酉,是為他所蔽,陰翳不明也。托用事貴人,卻臨陽貴人上,為今日鬼又不明也。又自陽貴人上發傳,終歷陰貴人,末又歸我身上,依舊支破,當主爐灶敗壞。巳之本家,又見卯作天空,主門戶分破。王有一弟少年與人了,次年父死,乘服未滿歸宗。六月入狀爭分,托鄉中徐通判料理,盡為徐所用。然後復分與他,門戶中門折斷,作兩處廚灶皆壞。此事戊申何故不發,至己酉四月方發耶?蓋戊申陽年雖六陰全而不能舉,己酉陰年故發也。
邵先生が解釈して曰く。何をもって外姓にして服を帯びた人が差し入って来ると見えますか?宅位の主が破碎の煞を犯し、事を為すにまた驛馬を乘じるためです。太常は本は己未の土に属し、本家に進入すれば、それはすなわち家の中の人です。丁は、すなわち課を問う我自己です。丁は巳に驛馬を乘じられて身の上に逼られ、しかも未は随いてすなわち酉の上に加臨し、今日用事する夜貴人に托庇しました。夜貴人が宅位に進み、偏にまた破碎を犯し、反転して彼に破られました。未は太陰を乘じて酉の裏に落ち込み——すなわち彼に遮蔽され、陰影は重々として明らかならずです。托した所の用事貴人はまた昼貴人の上に臨み、今日の鬼を成し、同じく不明です。三伝はまた昼貴人の上より発出し、中間は夜貴人を歴経し、末伝は再び我自身に回帰し、依然として日支が破られるので、爐灶が敗壊することを主ります。巳の本家位の上にまた卯が天空を乘じるのを見、門戸の分裂を主ります。王解元に一人の弟があり、少年の時に他人に過継されました。第二年に父親が去世し、弟は喪を服し満たずしてすなわち本宗に帰り、六月の裏に状子を遞して家産を争分し、郷里の徐通判に托して料理せしめましたが、結果として全て徐通判に便宜を占められ、此の後依然として弟に一份を分けました。家中の中門は折断し、両か所の厨房灶台もまた皆毀壊しました。この事は戊申年にどうして発作せず、己酉年四月に至ってようやく発したか?戊申は陽年で、六陰が俱に具わるものの挙発して動かせませんでした。己酉は陰年なので、ようやく発しました。
107)邵木匠乙丑年六月六日未時生,四十四歲占本身。戊申十一月一日壬子日卯將丑時。(寅卯空亡,辰巳落空),重審,勵德,間傳,六儀,佚女,登三天。 龍空 陳未申酉戌虎 六午 亥常 蛇 后 貴 陰 鬼 甲辰 蛇 初(落空) 朱巳 子玄 辰 寅 卯 丑 財 丙午 六 中 蛇辰卯寅丑陰 寅 子 丑 壬 父 戊申 龍 末(暗鬼) 貴後
第一百零七例:邵木匠は乙丑年六月初六日未時の生まれで四十四歳、自身を占いに来ました。時は戊申年十一月初一壬子日で、卯の月将を丑の刻に加えて課を立てました。壬子日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は六つ:「重審」「励徳」「間伝」(三伝の辰午申が位を隔てて順に行く)「六儀」「佚女」「登三天」。天盤は卯将を丑時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に丑を見て太陰を乘じ、第二課は丑の上に卯を見て貴人を乘じ、第三課は日支の子の上に寅を見て天后を乘じ、第四課は寅の上に辰を見て螣蛇を乘じます。三伝は辰・午・申:初伝の甲辰は官鬼爻で螣蛇を乘じて空地に落ち、中伝の丙午は妻財爻で六合を乘じ、末伝の戊申は父母爻で青竜を乘じ暗に鬼を帯び——申はまたまさに壬水の長生の位です。
邵先生曰:登三天本是至高至危之象,今細微中出入人,卻能顯煥又富貴也。蓋身宅皆居西北極地,迤邐出東南來,將來必做富人。中傳見財,末長生,有財有壽,長生入財位,子先死,孫送終矣。長生能害子孫故也。邵仁占課時,四十四歲正窘,與人工作,後七年與城山寺造殿,從此興旺。六十左右,家典錢,連喪三子。丙寅喪一子,辛未癸酉又喪二字,是時六十九矣。後七孫送終,壽七十七,充保正,至甲午年死。 先生析曰;蓋壬子皆西北方,至幽至陰之地,轉出東南旺方,宅上有寅,寅為子息空初亡,辰為鬼,又臨寅地,中午為財,末申為長生,故有財有壽,而難為子息也。邵公蓋取中午為孫。
邵先生は言いました。「登三天」は本は至髙にしてまた至危の象です。いまこの人は出身が微賤で、却って顕耀して発達して富貴を致すことができます。彼の身位と宅位が皆西北の極陰の地に居り、一路迤邐として東南に転じて来るので、将来必ず富人を為ります。中伝に財を見、末伝は長生なので、財あり寿ありです。ただ長生が財位に落ち込んだので、息子は先に死し、最後に孫子が終を送ります——長生の神は本はすなわち子孫を害し得るのです。邵木匠(名は仁)は課を占う時四十四歳で、まさに窘迫に当たり、人に替わって工を為していました。此の後第七年に城山寺のために大殿を造り、此より興旺しました。六十歳のころ家の裏に当舗を開き債を放ちましたが、却って相次いで三つの息子を死なせました:丙寅年に一人死し、辛未・癸酉年にまた二人死し、あの時彼はすでに六十九歳でした。後に孫子が終を送り、享年は七十七、さらに保正を充てて、甲午年に至って去世しました。 邵先生が解釈して曰く。壬と子は皆西北に属し、最も幽にして最も陰の地で、いま転出して東南の旺方に至りました。宅位上に寅があり、寅は子息の神なのに空に落ちて初めに亡びました。辰は鬼で、また寅の地に臨みます。中伝の午は財、末伝の申は長生なので、財あり寿ありにして、難は子息に在り。邵公は大概中伝の午を取って孫の輩として看たのでしょう。
108)傅清卿壬申年三十八歲占平生,己酉年丁亥日辰將丑時。(午未空亡,酉戌落空),昂星,斬關,炎上。 貴后 蛇申酉戌亥陰 朱未 子玄 陳 虎 常 后 兄 空午 六 初(空亡) 六午 丑常 巳 寅 丑 戌 子 丙戌 后 中(落空) 陳巳辰卯寅虎 寅 亥 戌 丁 父 庚寅 虎 末 龍空 邵先生曰:自有隨身庫,何必求財?傅曰:隨身庫所主何也?曰:只利書會,此隨身庫,餘不利。蓋父母在鬼鄉,又作虎,才討生涯,便生不足。初祿加卯又空,不獨不利,終身亦只書會為活耳。
第一百零八例:傅清卿は壬申年の生まれで三十八歳、平生を占いに来ました。時は己酉年丁亥日で、辰の月将を丑の刻に加えて課を立てました。丁亥日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「昂星」「斬關」「炎上」(三伝の寅午戌が火局を合成する)。天盤は辰将を丑時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に戌を見て天后を乘じ、第二課は戌の上に丑を見て太常を乘じ、第三課は日支の亥の上に寅を見て白虎を乘じ、第四課は寅の上に巳を見て勾陳を乘じます。三伝は午・戌・寅:初伝の午は旬空に落ち兄弟爻で六合を乘じ、中伝の丙戌は子孫爻で天后を乘じまた空地に落ち、末伝の庚寅は父母爻で白虎を乘じます。邵先生は言いました:あなた自身は随身の庫を帯びているのに、どうしてさらに財を求めましょうか。傅清卿が問いました:随身庫は何を主るのですか?先生は言いました:ただ書会の裏において生計を謀るに利あり——これが謂う所の随身庫で、そのほかは皆利あらず。父母爻が鬼郷に落ちまた白虎を乘じるので、ようやく手を動かして営生を為せばすなわち不足が出ます。初伝の禄神は卯に加わってまた空亡に逢うので、ただ眼下に利なきのみならず、終身もただ書会に憑って過活するのみです。
109)葉七秀才丁卯生四十二歲占平生,戊申年十二月辛卯日丑將寅時。(午未空亡,巳午落空),重審,天獄,勵德。 六陳 朱辰巳午未龍 蛇卯 申空 后 貴 空 虎 父 己丑 后 初 貴寅 酉虎 丑 寅 申 酉 子 戊子 陰 中 后丑子亥戌常 寅 卯 酉 辛 子 丁亥 武 末(丁神)(暗鬼) 陰玄
第一百零九例:葉七秀才は丁卯年の生まれで四十二歳、平生を占いに来ました。時は戊申年十二月辛卯日で、丑の月将を寅の刻に加えて課を立てました。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の巳・午二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「天獄」「励徳」。天盤は丑将を寅時に加えて布定し、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に酉を見て白虎を乘じ、第二課は酉の上に申を見て天空を乘じ、第三課は日支の卯の上に寅を見て貴人を乘じ、第四課は寅の上に丑を見て天后を乘じます。三伝は丑・子・亥:初伝の己丑は父母爻で天后を乘じ、中伝の戊子は子孫爻で太陰を乘じ、末伝の丁亥もまた子孫爻で玄武を乘じまた「丁神」にして暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:你堂上所葬,乃丑加寅,艮山地也。水便陡瀉自西北上出去,庚上有一石山,其形甚丑,必主人要錢而死。你因妻起家妻財作貴之故,不是六年是七年喪妻,自此退耗。一則男女債,二乃子不成器,三有水壞田,九年大退,十三年當患氣而卒。葉母艮山坤向丑上乘天后,故主乎母,水從脅下流去西北,庚上有一山,生來皆是怪石。壬子年妻弟來家相訪因要錢入城,中途腹痛而死。甲寅年喪妻,年內賣產嫁女,長子賭錢好色,卯年大水,溪邊田盡壞。丙辰十一月疝氣而亡。
邵先生は言いました。あなたの堂上の尊長の葬られた墳は、丑が寅の上に加臨し、艮山の地脈に属します。水は西北方より陡然として瀉き出て行き、庚方の上に一座の石山があり、形状は甚だ醜悪で、必ず人が銭を討えて死するを主るべし。あなたは妻子に憑って家を起こした——これは妻財爻が貴人を乘じる故です。六年でなければ七年の上に妻を喪い、此より家道は退敗します。一は男女の債累あり、二は息子が器を成さず、三は水に田を冲壊されるあり。九年の上に大いに退き、十三年の上に気疾を患うて死します。葉秀才の母親の墳はまさに艮山坤向で、丑上は天后を乘じるので、母親の身上に応じました。水は墳側より西北に流向し、庚方の上に一座の山があり、天生に皆怪石です。壬子年に彼の妻弟が家に来て探訪し、銭を討えんがため城に入り、半路の上に腹痛して死しました。甲寅年に妻を喪い、あの一年の内に産業を売り女児を嫁がせました。長子は銭を賭けまた色を好みました。卯年に大水が発し、溪辺の田は全て冲壊されました。丙辰年十一月、彼は疝気によって去世しました。
先生析曰;蓋丑土生辛金,故為母。辛以寅為妻,故因妻起家。寅艮方,丑加之,故艮山墳地。金絕於寅,故主妻死。傳見子亥,金水相生,傳見退脫,是以退也。辛以子為子,亥為女,太陰男不明,元武女多賠耗,亥四子九,四九三十六,亥為腎,元武主疝氣,金死於子,故十三年疝氣而亡。沈曰:丑為辛墓,又是父母,是以主堂上墳。然不發用,不可亂斷。水便陡瀉,自西北上出去者,子亥逆入西北,是以言陡瀉也。
邵先生が解釈して曰く。丑土は辛金を生じ得るので、母親の象を取ります。辛金は寅木をもって財とするので、妻に因って家を起こしたと説きます。寅は艮方に在り、丑はまたその上に加臨するので、艮山の墳地です。金は寅において絶するので、妻子の死亡を主ります。三伝に子と亥を見、金水が相い生じ、一路は退行脱泄の象なので、家道は退敗します。辛は子をもって兒子とし、亥をもって女児とします。太陰は男を主るも明らかならず、玄武は女を主るも多く耗費します。亥の数は四、子の数は九、四九三十六です。亥は人身において腎を主り、玄武は疝気を主り、金はまた子において死するので、十三年の上に疝気によって亡しました。沈氏が曰く:丑は辛金の墓で、また父母爻なので、堂上の尊長の墳を主ります。ただそれは発用していないので、乱れて断ずべからず。謂う所の水が陡然として瀉き出て西北方より出て行くは、子・亥が逆行して西北に入るため、「陡瀉」と言います。
110)傅大祿己巳生四十歲,占平生。己酉年正月十五甲午日子將卯時。(辰巳空亡,丑寅落空),遙克,蒿矢,元胎,傅生於十一月初三日午時。 朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 后 朱 虎 陰 鬼 丙申 虎 初 后子 未空 子 卯 申 亥 子 空巳 陳 中(空亡) 陰亥戌酉申虎 卯 午 亥 甲 兄 壬寅 蛇 末(落空) 玄常
第一百一十例:傅大禄は己巳年の生まれで四十歳、平生を占いに来ました(彼は十一月初三日午時の生まれ)。時は己酉年正月十五日甲午日で、子の月将を卯の刻に加えて課を立てました。甲午日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「遥剋」「蒿矢」「元胎」。天盤は子将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に亥を見て太陰を乘じ、第二課は亥の上に申を見て白虎を乘じ、第三課は日支の午の上に卯を見て朱雀を乘じ——卯はまさに甲木の羊刃、第四課は卯の上に子を見て天后を乘じます。三伝は申・巳・寅:初伝の丙申は官鬼爻で白虎を乘じ、中伝の巳は旬空に落ち子孫爻で勾陳を乘じ、末伝の壬寅は兄弟爻で螣蛇を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:此課亥來生日,是官星垂顧,太陰神佑之象,但羊刃作雀入宅,乃本家之朱雀,恐目下本家有事起,初虎作鬼,亡祟暗害,是家中人所為,從此遂自生事,末寅加巳,遠則四年,近則四月,被事牽纏。若見金司年入訟,其身不便無疑。傅後與弟不足,挾恨告其子違法事,巳乃子也,第四年八月配英州死。 先生析曰;蓋第四年太歲在子,子上得酉,乃己酉太歲得助,故為禍百端,八月者復助酉也。同日同時,又有何子重一數,前增入王知縣數後。
邵先生は言いました。この課は亥水が来て日干を生ずる——官星が垂顧し太陰神明が保佑する象です。ただ羊刃が朱雀を乘じて宅位に進入する——これは自家の朱雀で、恐らく眼下本家にすなわち事端を生出せん。初伝は白虎を乘じて鬼爻を作す——亡魂が祟を為して暗に加害し、家裏の人の手より出ます。此より便ち自ら事を惹き出します。末伝の寅は巳に加わり、遠くは四年・近くは四月に、官司に牽纏されます。もし金に属する年份に逢って訟に入れば、彼自身は必ず不便——これは疑いなしです。傅大禄は後に弟と和を失い、弟は恨を懐き、彼の息子の違法の事を告発しました——巳はまさに子孫爻です。第四年八月、彼は英州に発配されて死しました。 邵先生が解釈して曰く。第四年の太岁は子に在り、子上は酉を得、まさに己酉の太岁が助力を得たので、禍端は百出しました。八月に発作したのは、八月が再び一度酉を助け起こしたためです。同日同時に起した課は、別に何子重の一例があり、前にすでに王知県のあの一例の後に増補しました。
111)王知縣己未生五十歲占身位,戊申年四月甲申日申將丑時。(午未空亡,丑寅落空),知一,羅網,鑄印。 空虎 龍子丑寅卯常 陳亥 辰玄 六 常 玄 朱 財 丙戌 六 初 六戌 巳陰 戌 卯 辰 酉 子 癸巳 陰 中 朱酉申未午后 卯 申 酉 甲 父 戊子 龍 末 蛇貴
第一百一十一例:王知県は己未年の生まれで五十歳、身位を占いに来ました。時は戊申年四月甲申日で、申の月将を丑の刻に加えて課を立てました。甲申日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「知一」「羅網」(日干日支が天羅地網を乘じる)「鑄印」。天盤は申将を丑時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に酉を見て朱雀を乘じ、第二課は酉の上に辰を見て玄武を乘じ、第三課は日支の申の上に卯を見て太常を乘じ、第四課は卯の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は戌・巳・子:初伝の丙戌は妻財爻で六合を乘じ、中伝の癸巳は子孫爻で太陰を乘じ、末伝の戊子は父母爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:日上乘破碎,作鬼克身,主與陰人興訟,官位不明。來年或八月事起,必相擾。干支羅網,不可愛財,定被事貶謫。更老陰人因一子不成器,用度不足,心中怏怏,但難開口,四月十一日必進人口,來年己酉太歲防謫為曹屬也。庚戌則大數莫逃矣。王知縣次年受鄉中徐知府長子錢五百緡,知府恭人所揭,王被責劾。蓋徐長子乃義子,與次子爭分,次子乃親子也。王受賄判與長子,故至此。庚戌在任,不意而終。
邵先生は言いました。日干上は破碎の煞を乘せ、また鬼爻を作して身を剋し——女眷の一方と訟事を興起し、官位もまた含糊にして明らかならざるを主ります。明年あるいは八月の裏に事情が発作し、必ず相い擾します。日干日支は天羅地網の中に落ち、銭財を貪愛すべからず——さもなくば必ず事によって貶謫されます。このほか家中にまた一人の年長の女眷がおり、一人の息子が器を成さず用度が足りないために心の裏に怏怏として樂しまざるも、また口を開き難いです。四月十一日に必ず人口を添進すべく、明年の己酉太岁の上に、曹属の類の属吏に貶められることを防ぐべし。庚戌年に至れば、大限はすなわち躲れられません。王知県は第二年に郷里の徐知府の長子の五百緡銭を収め、知府夫人に揭发され、彈劾問責に遭いました。もともと徐家の長子は義子で、次子と家産を争分し、しかも次子こそ親生でした。王知県は賄を受けて家産を長子に判したので、このごとき地步に落ちました。庚戌年に彼はなお任上に在りましたが、人の意表に出でて去世しました。
先生析曰:蓋陽日陰官作雀,故本身有訟,官位不明。酉為兌,兌為澤,故恩澤受財。初傳在日之前,甲克戌為財,卯與戌合,又得六合,是暗受財。被追擾者,干支羅網,不可脫也。己酉遭責,是酉克甲也。酉加寅上,故曰曹屬。庚戌年死者,巳加戌,乃甲申旬末,故閉口不能言也。庚戌行年在巳之本宮,為子所克,反加戌又入墓,又是極末,故閉口而死也。 又云,一老陰人因不子息不足,中心怏怏者,王知縣有弟不才而窘,母深惜之,不王垂顧,嘗怏怏不足。蓋巳為閉口,乘太陰故怏怏不言也。巳下人者,甲以巳為子弟也。
邵先生が解釈して曰く。甲は陽日で、官星は却って陰金にして朱雀を乘じるので、本身に訟事があり、官位もまた明らかならずです。酉は兌卦に属し、兌は沢と為し、沢はすなわち恩沢なので、恩沢を借りて財を受けたのです。初伝は日干の前に落ち、甲木が戌土を剋して財と為し、卯はまた戌と相合し、さらに六合が乘臨するを得——これはすなわち暗中に賄を受けたのです。追究攪擾されたのは、日干日支が天羅地網の中に落ちて、身を脱することを得なかったためです。己酉年に責罰に遭ったのは、酉金が甲木を剋したためです。酉はまた寅の上に加わるので、曹属に貶められたと説きます。庚戌年に身死したのは、巳が戌の上に加わり、ちょうど甲申一旬の末に当たるので、口を閉じて言い出すことができませんでした。庚戌年の行年は正に巳の本宮に在り、子水に剋され、反転して戌の上に加わってまた墓に入り、しかも三伝の最末なので、口を閉じて死しました。 また言います:謂う所の一人の年長の女眷が子息の不濟によって心中怏怏たるは、王知県に一人の弟があり成材せずして窘迫し、母親が深く彼を怜惜するも、また王知県に向かって口を開くを肯んぜず、常に郁郁として足らなかったを指します。巳は閉口を主り、また太陰を乘じるので、ただ怏怏として声を出さざるのみです。巳が下輩の人と言うに至っては、甲木が巳をもって子弟とするためです。
112)何子重辛酉生四十八歲占平生,己酉年正月十五日甲午子將卯時。(辰巳空亡,丑寅落空),遙克,蒿矢,元胎。 朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 后 朱 虎 陰 鬼 丙申 虎 初 后子 未空 子 卯 申 亥 子 空巳 陳 中(空亡) 陰亥戌酉申虎 卯 午 亥 甲 兄 壬寅 蛇 末(落空) 玄常
第一百一十二例:何子重は辛酉年の生まれで四十八歳、平生を占いに来ました。時は己酉年正月十五日甲午日で、子の月将を卯の刻に加えて課を立てました——上の一例の傅大禄と同日同時なので、課式は完全に一樣です。甲午日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「遥剋」「蒿矢」「元胎」。天盤は子将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に亥を見て太陰を乘じ、第二課は亥の上に申を見て白虎を乘じ、第三課は日支の午の上に卯を見て朱雀を乘じ、第四課は卯の上に子を見て天后を乘じます。三伝は申・巳・寅:初伝の丙申は官鬼爻で白虎を乘じ、中伝の巳は旬空に落ち子孫爻で勾陳を乘じ、末伝の壬寅は兄弟爻で螣蛇を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:來年行年到寅,因人喪亡,水邊得物,十有一年之寬餘,往後依舊不足,犯刑,刑後做爐匠,被姓陳人壞了。次年果有一僧過水而死,身邊有銀四錠,被何子重拾得,作小買賣,果有十一年寬餘。第十二年又在此溪邊,卻因傷人受刑,後作坑冶匠人,未足四年,被陳生人告搶踏作賊,配池州。巳四加亥七,乃十一年也。 先生析曰;巳四加亥七有誤。當是申七加亥四。
邵先生は言いました。明年、行年が寅に走到し、他人の喪亡によって水辺で財物を拾い得、此より十一年の寛裕な日子があります。往後は依然として足らず、また刑を犯すべし。刑を受けた後、爐匠を為し、最終に一人の姓陳の人に敗壊されます。第二年に果たして一人の僧人が水を渡り淹死し、身上に四錠の銀子を帯び、何子重に拾い得られ、持って小売買を為し、果たして十一年の寛裕な日子を過ごしました。第十二年に彼はまたこの溪辺に在りましたが、却って人を傷つけたために刑を受けました。後に坑冶の匠人を為り、四年に満たずして、一人の姓陳の書生に強盗として賊を為したと告発され、池州に発配されました。この十一年の数は、巳の数四に亥の数七を加えて得たものです。 邵先生が解釈して曰く。「巳四に亥七を加う」と言うは誤りで、当に申の数七に亥の数四を加うべきです。
113)姜子庚午生四十歲占向後如何,己酉年己酉日卯將丑時。(寅卯空亡,辰巳落空),元首,不備,間傳,閉口,出戶。 貴后 蛇未申酉戌陰 朱午 亥玄 虎 玄 玄 后 兄 癸丑 虎 初 六巳 子常 丑 亥 亥 酉 鬼 空卯 龍 中(空亡) 陳辰卯寅丑虎 亥 酉 酉 己 父 乙巳 六 末(落空)(暗鬼) 龍空
第一百一十三例:姜子は庚午年の生まれで四十歳、今後如何を占いに来ました。時は己酉年己酉日で、卯の月将を丑の刻に加えて課を立てました。己酉日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「元首」「不備」「間伝」(三伝の丑卯巳が位を隔てて順に行く)「閉口」「出戸」。天盤は卯将を丑時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に酉を見て天后を乘じ——酉はまさに己土の敗地、第二課は酉の上に亥を見て玄武を乘じ、第三課は日支の酉の上に亥を見て玄武を乘じ、第四課は亥の上に丑を見て白虎を乘じます。三伝は丑・卯・巳:初伝の癸丑は兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の卯は旬空に落ち官鬼爻で青竜を乘じ、末伝の乙巳は父母爻で六合を乘じすでに空地に落ちまた暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:支來加干敗,又作天后,一主不能讀書,二不得妻子力,三宅氣衰敗,走失財物,四墳中滿棺是水,又有泥並白蟻。吾丈又貪色,夫妻一味嬌態,不管家務,今六陰皆備,不即日為泉下人矣。若改干亥山向,決宅水東流,戒酒色,猶可延,否則死無日矣。姜好酒色,後月餘吐紅,遂成反胃,小腸刺痛,大腸結,十月死矣。
邵先生は言いました。日支が日干の頭上に加わって正に敗地に当たり、また天后を乘じています:一に書を讀んで上進できないを主り、二に妻子の力を得られないを主り、三に宅気が衰敗し財物を走失するを主り、四に墳中の満棺が皆水で、また淤泥と白蟻あるを主ります。あなたはまた女色を貪恋し、夫妻はひとえに嬌縦して態を作し、家務を理しません。いま六陰が俱に具わり、眼の前にすなわち泉下の人を為さんとしています。もし乾亥の山向に改め、宅子の水を東流に疏導し、さらに酒色を戒めば、なお延べ延べることができます。さもなければ死期はすなわち旦夕に在り。姜子は酒色を好み、一箇月余の後に血を吐き、ここにおいて反胃の症を成し、小腸は刺痛し大腸は燥結し、十月の裏にすなわち去世しました。
先生析曰;大凡六陰,自是不利,自夜傳出日尚可,日傳入夜,其陰愈甚。今干生支酉,酉金生亥水,更行年上未,六陰俱全,本命又見脫盜,且迄邐傳出寅卯,自敗傳死,自死傳絕,行年又加絕上,即是巳祿本身與行年,相繼投絕,安得不喪?日上酉為血,天后厭穢,自內傳出,是吐血也。武亥加血上,亥本宮被丑克,故反胃。丑作虎,故小腸痛,大腸結也。巳作六合,絕處入廟鎖定,兼六陰相繼,所以不通,傳絕而死。
邵先生が解釈して曰く。大凡、六陰の局は本は不利です:もし夜神より昼神に伝向するはなお可なりとするも、もし昼神より夜神に伝入すれば、陰気はさらに重し。いま日干は日支の酉を生じ、酉金はまた亥水を生じ、これに行年が未に在るのを加え、六陰は斉備しました。本命の上にまた脱耗盗泄を見、しかも三伝は一路迤邐として寅・卯に伝向し、敗地より死地に伝え、再び死地より絶地に伝え、行年はまた絶地の上に加わる——これはすなわち巳中の禄神・本身と行年が接続して絶郷に投入するので、どうして亡びざるを得ましょうか。日干上の酉は人身において血を主り、天后はまた汚穢を主り、内より伝出するので、血を吐くです。玄武の乘じた亥は血神の上に加わり、亥の本宮はまた丑に剋されるので、反胃を成しました。丑は白虎を乘じるので、小腸は刺痛し大腸は燥結しました。巳は六合を乘じ、絶の処にまた廟に入って鎖定され、これに六陰が接続して相い逼るのを加えるので、気機は通ぜず、絶地に伝えて死しました。
114)顏孔目甲子生四十六歲占平生,己酉年己未日卯將寅時。(子丑空亡,丑寅落空),八專,帷簿。 蛇貴 朱午未申酉后 六巳 戌陰 后 貴 后 貴 兄 己未 蛇 初 陳辰 亥玄 酉 申 酉 申 子 庚申 貴 中 龍卯寅丑子常 申 未 申 己 子 庚申 貴 末 空虎
第一百一十四例:顔孔目は甲子年の生まれで四十六歳、平生を占いに来ました。時は己酉年己未日で、卯の月将を寅の刻に加えて課を立てました。己未日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「八専」(日干の己は未に寄宮し、日支の未と同じく一处に居り、四課がただ両課を成すのみ)「帷簿」。天盤は卯将を寅時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に申を見て貴人を乘じ、第二課は申の上に酉を見て天后を乘じ、第三課は日支の未の上に申を見て貴人を乘じ、第四課は申の上に酉を見て天后を乘じます。三伝は未・申・申:初伝の己未は兄弟爻で螣蛇を乘じ、中伝の庚申は子孫爻で貴人を乘じ、末伝は依然として庚申で子孫爻が貴人を乘じ——申はまさに己土の長生の地です。
邵先生曰:己去就祿,便就上作初傳,若貴人相委財賦,須是仔細,不得走作財物,及非理飲酒,與親戚婦人交往,交主杖責,杖責了卻得垂顧帶去,終有名目相呼,此長生貴人垂顧之力也。顧緣初太守委提點財賦,後用官錢失檢,杖八十,月餘又與婦人在酒店飲酒,被仇人翁中達理論,太守勘無贓,杖一百,又二月鄭仕郎上任,顧甚得龐,遂成家計,得本州島參軍,後隨鄭去五年,大得意歸。
邵先生は言いました。己土は前に往って禄に就き、禄神の在る所はすなわち直ちに取って初伝と為します。もし貴人が彼に委派して財賦を掌管せしめば、必ず格外仔細にして、財物を挪動走失してはならず、また節制なく飲酒し親戚の家の婦人と往来してはなりません——一旦往来すれば、すなわち杖責を挨けねばなりません。ただ杖責を挨け過ぎた後、反転して貴人の垂顧提携を得、終じて一名目ありて相称せらる——これは長生の貴人が垂顧する力です。顧孔目(原文ここは「顧」と作り、篇首の「顔孔目」と姓氏が一ならず)は起先太守に委派されて財賦を提点し、後に官銭を動用して檢点を失い、八十を杖られました。一箇月余の後、また婦人と酒店において飲酒し、仇家の翁中達に官に告げられて理論せられ、太守は査験して併せて贓物なく、依然として一百を杖しました。また二箇月を過ごし、鄭仕郎が上任し、顧孔目は甚だ彼の寵信を得、ここにおいて家業を置き起こし、本州参軍の職を得ました。後に鄭仕郎に跟随して五年を去り、十分に意を得て帰りました。
先生析曰;蓋己祿在午,刃在未作蛇,主非橫得罪,未為眷屬酒漿,蛇主棒,故見之,且不合在初傳也。中末皆長生貴人,可以立身。鄭貪賄,顧與他經畫,因得意。蓋土生金,申又作貴,為日長生,中末皆是故以此終。
邵先生が解釈して曰く。己土の禄は午に在り、羊刃は未に在りて螣蛇を乘じるので、意外の横事によって罪を獲るを主ります。未はまた親眷と酒浆の象を取り、螣蛇は杖棒を主るので、両樣ともに遭いました。ましてそれは偏にまた初伝に落ちました。中伝・末伝は皆長生の上に貴人を乘じ、これを憑って立身できます。鄭仕郎は財を貪り賄を受け、顧孔目は彼のために経営籌劃したので、意を得ました。これは土が金を生じ得、申はまた貴人を乘じてまさに日干の長生の地で、中伝・末伝は皆この申なので、結局はこのごとくでした。
115)宣和三年十二月二十七丁巳日子將申時,(子丑空亡,辰巳落空),重審,從革。丁丑人二十五歲占終身。 蛇貴 朱酉戌亥子后 六申 丑陰 陰 朱 常 貴 財 辛酉 朱 初 陳未 寅玄 丑 酉 卯 亥 子 空丑 陰 中(空亡) 龍午巳辰卯常 酉 巳 亥 丁 兄 丁巳 空 末(落空)(丁神) 空虎
第一百一十五例:宣和三年十二月二十七日丁巳日、子の月将を申の刻に加えて課を立てました。丁巳日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の辰・巳二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「従革」(三伝の酉・丑・巳が金局を合成する)。占いに来た人は丁丑年の生まれで二十五歳、終身を占問しました。天盤は子将を申時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に亥を見て貴人を乘じ、第二課は亥の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の巳の上に酉を見て朱雀を乘じ、第四課は酉の上に丑を見て太陰を乘じます。三伝は酉・丑・巳:初伝の辛酉は妻財爻で朱雀を乘じ、中伝の丑は旬空に落ち子孫爻で太陰を乘じ、末伝の丁巳は兄弟爻で天空を乘じすでに空地に落ちまた「丁神」です。
邵先生曰:丁日見亥,是鬼貴人,切不可近,當為貴人所害。丁火絕在亥也。支為宅,見破碎,又作陰貴人,乘朱雀。丁巳二火,皆以酉為財,財即破碎,又是陰貴人,切忌與貴人交財,日後宅子及財物皆為人所有,當主為陰人所壞。中傳丑作太陰加酉上,丑是空亡,中間家資必喪盡。有老陰人守寡,田地皆盡。末傳巳即宅神,臨丑下,是空亡,田園安能存留也?三十歲其不免乎?後果一一不爽。人問其故,先生曰:予與此人占時,乃宣和三年十二月二十七日,十二月十十一日立春,則作壬寅歲占也愛圅以曆法推之,果不錯誤,蓋知非後人之託名也。
邵先生は言いました。丁日が亥を見る——これは鬼位の上に坐する貴人で、切に親近すべからず、日後必ず貴人に害されます——丁火が正に亥において絶するためです。日支は宅で、宅上に「破碎」の煞を見、また陰貴人と朱雀を乘じます。丁と巳は同じく火に属し、皆酉金をもって財とするのに、この財はまさに破碎の在る所で、また陰貴人の臨む所なので、最も貴人と財物を往来することを忌みます。日後、宅子と財物は皆他人の手裏に帰し、しかも女眷の一方に敗壊されます。中伝の丑は太陰を乘じて酉に加わり、丑はまた空亡に逢うので、中途に家産は必ず喪盡し、一人の年長の婦人が寡を守り、田地もまた皆蕩盡します。末伝の巳はすなわち宅神で、丑の下に臨んで空に落ちる——田園はどうしてなお保ち得ましょうか。三十歳の上に至れば、ただ一死を免れざるのみです。後に一桩一桩果たして分毫も差わず。人に其中の緣故を問われ、邵先生は言いました:我がこの人のために課を起した時は、宣和三年十二月二十七日で、しかも十二月某十一日にすでに立春していたので、壬寅年を按じて断ずべきです(底本はここの紀日を「十十一日」と作るが、当に脱訛の字あるべく、いま照録して補わず)。愛圅は暦法を按じて推算し、果たして錯ならず、これによってこれは後人の假托の作ではないことが知れます。
