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六壬断案 · 第5巻

宋 · 邵彦和 · 第5巻 / 12

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

邵先生曰:日上發傳,退入支上,又是顧祖,末又見本命入宅,須是差出,經過鄉里而有是非寅為驛馬,故主經過,又是本命,所以主自蒙差出,而後經鄉里也。不然須是有甚不到處,不合日上退歸本命入宅,為蛇所擾,又是共屋人之事。蓋主簿大族,被諸房分多,遂告臺部爭分,十一月文書下,令知州差人押歸,分折了去赴任。陳押歸,分未半,因房產又入狀監司,奏罷下獄,始分成。

邵先生は言いました。三伝が日干の上より発出して、却って日支の上に退け帰る——これは「顧祖」です。末伝にまた本命が宅位に入るのを見ます。このようにすれば必ず差遣されて出て事を辦し、家郷を路過して是非を生出します——寅は驛馬なので路過を主り、寅はまた本命なので、自ら差遣を奉じて後に郷里を経過したのです。さもなくば、何かの処で交代が明らかでないのです。日干上の気が本命に退け帰って宅位に入り、また螣蛇に攪擾されるべからず——それはなお同じ屋に住む人の事に渉ります。もともと陳主簿は大族の出で、各房に分家して多くを分け去られ、ここにおいて台部に告げて分を争いました。十一月に公文が下り、知州に人を遣わして彼を押送して郷に帰らせ、家産を分割し清くしてから赴任せよと命じました。陳主簿は押し帰され、家産がまだ半分も分かれないうちに、また房産の事で監司に状を遞したため、結果として奏請されて官を罷め獄に下され、これでようやく家産が分かれ盡きました。

先生析曰;蓋日上午為堂屋,又為官鬼乘龍加申為退鱗,歡中生悲,退財損身之兆。初午已是不好,奈中辰不歸午,末寅又生午火,只管克庚,命又戊寅,是我又去生火,畢竟自己不是,致令如此,況在任只要升轉,今初傳是上降下,又自外回家,豈不倒退?又名顧祖,夫復何疑?況庚以寅為財,是爭財也,本命作財,我與彼爭也,蛇在寅,我被撓也。行年乘夜貴,晝作天空閉口,是官未可告也。夜貴廢職也,未為眷屬,天空主爭,是因眷屬而爭也。

邵先生が解釈して曰く。日干上の午はすでに堂屋を表し、また官鬼です。それは青竜を乘じて申に加わり、「退鱗」の象を成します(竜鱗が倒退する)。歓喜のうちに悲事を生ずるを主り、退財して身を損する兆しです。初伝の午は本はすでに好くないのに、中伝の辰が午の上に帰ることができず、末伝の寅がまた反転して午火を生じ、ひたすら庚金を剋することを顧るのみです。彼の本命はまた戊寅で、自分もまた往って火を生ずるに等しい——帰根すれば結局自己が正しくなかったため、ようやくこの地步に落ちました。まして任上にあってただ升遷転官を求めるのに、いま初伝は却って上より降り下り、また外より家の中に退いて帰る——豈に倒退ならずや?課名はまた「顧祖」と呼ぶ、何の疑いがあらんや。さらに言えば、庚金は寅木をもって財と為す——これはすなわち財を争う。本命は恰もまた財爻なので、我が他人と争うのです。螣蛇が寅の上に落ちるので、我は人に糾纏されます。行年は夜貴を乘じ、昼に占えば化して天空を成して閉口の象を成すので、この官司は告げられません。夜貴は廃職を主り、未は眷属を表し、天空は争執を主るので、眷属によって争端を起こしたのです。

貴人閉口,無用也。

総括して一言:貴人はすでに閉口したので、派せて用場に遣うことができません。

75)徐通判戊午生五十一歲占赴任及前程,戊申年十二月壬辰日丑將午時。(午未空亡,丑寅落空),知一,不備,孤辰。 陳六 龍子丑寅卯朱 空亥 辰蛇 后 空 陳 后 財 空午 后 初(空亡) 虎戌 巳貴 午 亥 丑 午 鬼 己丑 陳 中(落空)(暗鬼) 常酉申未午后 亥 辰 午 壬 父 甲申 玄 末 玄陰

第七十五例:徐通判は戊午年の生まれで五十一歳、赴任と前程を占いに来ました。時は戊申年十二月壬辰日で、丑の月将を午の刻に加えて課を立てました。壬辰日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「知一」「不備」「孤辰」。天盤は丑将を午時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に午を見て天后を乘じ、第二課は午の上に丑を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の辰の上に亥を見て天空を乘じ、第四課は亥の上に午を見て天后を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の午は旬空に落ち妻財爻で天后を乘じ、中伝の己丑は官鬼爻で勾陳を乘じ空地に落ちまた暗鬼、末伝の甲申は父母爻で玄武を乘じます。

邵先生曰:課名亂首,日後因到官中取財,為僕所持,妻被僕姦淫,本身則死於僕手。其父墓玄武不垂頭,拒尸之故。若速移此墳,可保佑性命,否則戊午年必見凶也。

邵先生は言いました。この課の名は「乱首」で、下をもって上に犯します。日後あなたは任上にあって財物を収受したため、僕人に把柄を摑まれて挾制されます。妻子はまた僕人に奸淫され、あなた自身は最終に僕人の手のうちに死します。これはあなたの父の墳地の玄武(後山)が肯んじて頭を垂れて俯就せず、「拒屍」の凶格を形成したためです。もし急いでこの墳を遷し去れば、なお性命を保つことができます。さもなければ戊午年に必ず凶禍を見るでしょう。

徐辛亥赴任,權州事,有一婦人打死一婢,徐得二千貫,從輕發落,後新知州怪其用度過多,遂與不足,而徐有僕童吉,常持二十千以挾其主,遂奸其妻,夫知竟不敢明責。乙卯升池州,不帶此僕去,僕每恨之,戊午僕來池州,僕持刃刺徐於門。

後の応験:徐通判は辛亥年に赴任し、州事を代理しました。一人の婦人が一人の婢女を打ち死なせ、徐通判は二千貫の銭を収め、軽くして発落しました。後に新任の知州は彼の用度が過多なのを嫌い、両人はすなわち嫌隙を生じました。徐家に童吉という一人の僕人があり、常にこの二万銭の事をもって主人を挾制し、進んで主母を奸淫しました。徐通判はこれを知っても竟に公然と責問することを敢えてしませんでした。乙卯年に彼は池州に升り、この僕人を帯同せず、僕人はずっと恨を懐きました。戊午年に僕人は池州に趕い到り、刀を持って門口で徐通判を刺し死させました。

先生析曰;蓋其父墓坎山,元武七十餘丈,葬在六十丈,前面又有十餘丈,果不垂頭。亥加辰,乃自取亂首。天空僕犯主也。午為財,丑為鬼,丑鬼加午財上,故在任受財,午到亥,六陰終始,僕*其妻,壬乘午之故也。天后在上,主淫亂,壬以申為父,加丑是父墓,玄武長生而不垂頭為拒尸。午亥俱自刑,故僕傷,下犯上,亂首也。

邵先生が解釈して曰く。彼の父の墳は坎山に坐し、後の玄武山は七十余丈あるのに、墳は六十丈の処に葬り、前にはなお十余丈が残る——果たして玄武が頭を垂れません。亥が辰に加わるのは、自ら「乱首」の禍を取るものです。天空は僕役を主る——まさに僕人が主人を冒犯するのです。午は財爻で、丑は鬼爻で、丑鬼が午財の上に加わるので、任上で銭財を収受しました。午は亥に行って、六重の陰気が首尾相い接するので、僕人が主母を奸汚しました(底本はここに一字が漫漶するが、照録して補わず)。これもまた壬水が午を乘じる故です。天后が上位に居れば、淫乱を主ります。壬水は申をもって父母爻とし、申は丑に加臨して丑は父の墓庫です。玄武は長生の地に居りながら頭を垂れず——まさに「拒屍」です。午と亥は皆自刑するので、僕人に傷られました——下をもって上に犯す、まさに「乱首」です。

76)錢通判丁巳生五十三歲占前程,己酉年正月庚辰日子將巳時,(申酉空亡,卯辰落空),渉害,絕嗣,驀越。古本作十一月二十一日丑時生 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 虎 朱 六 陰 官 壬午 虎 初 六戌 巳常 午 亥 戌 卯 父 丁丑 貴 中(丁神)(暗鬼) 陳酉申未午虎 亥 辰 卯 庚 兄 空申 龍 末(空亡) 龍空

第七十六例:錢通判は丁巳年の生まれで五十三歳、前程を占いに来ました。時は己酉年正月庚辰日で、子の月将を巳の刻に加えて課を立てました(古本は彼が十一月二十一日丑時に生まれたと記す)。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「渉害」「絶嗣」(後がないを主る)「蓦越」。天盤は子将を巳時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に卯を見て太陰を乘じ、第二課は卯の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の辰の上に亥を見て朱雀を乘じ、第四課は亥の上に午を見て白虎を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の壬午は官星で白虎を乘じ、中伝の丁丑は父母爻で貴人を乘じすでに「丁神」でありまた暗鬼、末伝の申は旬空に落ち兄弟爻で青竜を乘じます。

邵先生曰:無祿課,雖受通判,必不能食祿。兼父母年高先亡,母后亡,父下來又有別差,將及瓜而止。末又是祿,乘空亡入墓,亡在乙丑年六十九上。又蔭不得子也。

邵先生は言いました。これは一課の「無禄」の課で、通判の職を授けられたものの、終じてこの一份の俸禄を食い得ません。これに父母の年事がすでに高いのを加え、母親が先に亡び、随いて父親もまた亡びます。これより後、別に別の差遣があり、任期が満ちんとする時にすなわち到頭です。末伝は禄神ではあるものの、空亡を乘じてまた墓に入るので、身亡は乙丑年・六十九歳の上にあります。しかも彼の官蔭はまた息子の身上に伝わりません。

錢乃奉議郎,受臨江軍通判,庚戌至任,至三月三日作寒食會,母醉死,壬子冬又差南康通判,甲寅又丁父憂,丁巳受江南安撫,己未避嫌,得台州崇道觀,壬戌再轉嶽州通判,乙丑五月喪本身矣。

後の応験:錢通判はもともと奉議郎で、臨江軍通判を受任し、庚戌年に到任しました。三月初三に至り寒食節の宴会を辦し、母親が酔後に去世しました。壬子年の冬にまた南康通判に差され、甲寅年に父親が去世して丁憂し、丁巳年に江南安撫の職を受け、己未年に回避によって改めて台州崇道観の祠禄閑職を得、壬戌年にまた岳州通判に転じ、乙丑年五月に本人が去世しました。

先生析曰;乙丑者死,乙祿在卯,卯絕在申,而天盤申去入墓在丑又空亡,且申乃今日之庚,便是我身,身上有卯,卯中有乙,申乃今日之庚墓丑,故乙丑年死,相次轉朝奉郎,止爭二日,不得萌子。

邵先生が解釈して曰く。乙丑年に死したのは、乙木の禄が卯にあり、卯は申において絶するためです。しかも天盤の申はまた丑において墓に入り、同時にまた空亡に落ちます。申はまさに今日の庚金、すなわち我が身です。身の上に卯があり、卯の中に乙を蔵します。申という庚金はまた丑の上に墓するので、乙丑年の身死に応じました。彼は続いて朝奉郎に転ずべきところ、ただ二日の差で及ばず、官蔭もまた息子に延び及ぶことを得ませんでした。

77)時監院庚午生四十歲占謀動遷轉,己酉年正月辛巳日子將酉時。(申酉空亡,亥子落空), 虎常 空申酉戌亥玄 龍未 子陰 玄 空 朱 后 兄 空申 空 初(空亡) 陳午 丑后 亥 申 辰 丑 子 乙亥 玄 中(落空) 六巳辰卯寅貴 申 巳 丑 辛 財 戊寅 貴 末 朱蛇

第七十七例:時監院は庚午年の生まれで四十歳、調動升遷を謀求するため占いに来ました。時は己酉年正月辛巳日で、子の月将を酉の刻に加えて課を立てました。辛巳日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。天盤は子将を酉時に加えて布定し、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に丑を見て天后を乘じ、第二課は丑の上に辰を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の巳の上に申を見て天空を乘じ、第四課は申の上に亥を見て玄武を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の申は旬空に落ち兄弟爻で天空を乘じ、中伝の乙亥は子孫爻で玄武を乘じて空地に落ち、末伝の戊寅は妻財爻で貴人を乘じます。

邵先生曰:此課守妻家,卒未能動身。今喜日墓帶丁,遂有變動之意。臨廟滿後,必得京局,監多是藥院之類。末傳寅在前引動墓,人遂得出去。又是夜貴人,乃久困之貴人,今得用於朝,因此可以遷之。若見廚灶煮麵,僕子為湯所傷,即是喜事到。又主小兒落佛堂外水坑亦應也。

邵先生は言いました。この課は妻家に守りて住し、一時は身を動かせないことを主ります。いま喜ぶべきは日干の墓神が丁神を帯びて、ここにおいて変動の意を有したことです。祠廟の差遣の任が満ちた以後、必ず京城の官局を得ることができ、監管する所は多分薬院の類です。末伝の寅が前にあって墓神を引動すれば、人はすなわち出て行くことを得ます。末伝はまた夜貴人で、それは久しく困った貴人で、いま朝廷に用いられるを得、これによって遷調できます。時に至って、もし廚房の裏で麺を煮るのを見、僕人が湯に燙傷されれば、それはすなわち喜信が到ったのです。また小児が佛堂の外の水坑に掉ち入ることを主り、これもまた応験です。

時自二十三上就舍妻家,是年欲謀動,占得此課,庚戌七月嶽祠滿,討得監和劑局,因他丈人徐侍郎在九宮觀,遂得差遣。所云夜貴久困是也。辛亥其女生日,廚下煮麵,僕子托面出,被人沖在身,而被湯傷。又家宴更深,親戚小兒戲佛堂外一小池中,次日早晨來催赴任。

後の応験:時監院は二十三歳よりすなわち妻家に住み、この年調動を謀求しようと思い、この課を占い得ました。庚戌年七月に岳廟の祠禄任が満ち、監和剤局の差事を討え得ました——彼の岳父の徐侍郎が九宮観に在職していたため、ようやくこの差遣を得たので、まさに「夜貴が久困して用を得」の言に応じました。辛亥年に彼の女児の生日に、廚房の裏で麺を煮て、僕人が麺を端にして出て来て、人に身上に撞かれ、湯に燙傷されました。その日家宴が深夜に及び、親戚の家の小児が佛堂の外の一つの小池で玩耍して水に落ちました。第二天の一早、すなわち人が来て彼に赴任を催しました。

先生析曰;丑加辛作墓神,天后又是滯神,丑中有旬丁為動,換申為醫藥加巳,巳為廚灶,申又為面,天空為僕,亥加申為元武,武乃水神為池,武又為墮水,辛以亥為水息,孩童墮此池中。末卻見貴人乘天門,便是赴任。

邵先生が解釈して曰く。丑が辛に加わるのは墓神で、天后はまた滞塞の神なので、まず動くことができません。しかも丑の中に旬丁を蔵し、丁は動を主るので、ここにおいて変動がありました。申は医薬を表し、それが巳に加わる——巳は厨灶で、申はまた麺食の象を取ることができ、天空はすなわち僕人を表します。合わせてまさに厨下で麺を煮て僕人が傷ついたのです。亥が申に加わって玄武を乘じています:玄武は水神で、水池の象を取ることができ、また落水を主ります。辛金は亥をもって子孫とし(水の中に生ずる所)、だから孩童がこの池に掉ち入ったのです。末伝に貴人が天門の位に乘臨するを見る——それは赴任の信号です。

78)陳上舍戊辰生四十二歲占科舉,己酉年正月己亥日子將未時,(辰巳空亡,酉戌落空),知一,鑄印,斬關,勵德。四月十六巳時生。 蛇貴 朱戌亥子丑后 六酉 寅陰 六 常 虎 貴 父 空巳 虎 初(空亡) 陳申 卯玄 酉 辰 巳 子 兄 戊戌 朱 中(落空) 龍未午巳辰常 辰 亥 子 己 鬼 癸卯 玄 末 空虎

第七十八例:陳上舎は戊辰年の生まれで四十二歳、科挙のため占いに来ました(四月十六日巳時の生まれ)。時は己酉年正月己亥日で、子の月将を未の刻に加えて課を立てました。己亥日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「知一」「鑄印」「斬關」「励徳」。天盤は子将を未時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に子を見て貴人を乘じ、第二課は子の上に巳を見て白虎を乘じ、第三課は日支の亥の上に辰を見て太常を乘じ、第四課は辰の上に酉を見て六合を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の巳は旬空に落ち父母爻で白虎を乘じ、中伝の戊戌は兄弟爻で朱雀を乘じて空地に落ち、末伝の癸卯は官鬼爻で玄武を乘じます。

邵先生曰:初末夾定日墓,又名引從,引既不起,從亦不動,前程只如此。巳戌卯鑄印格,乃貴人課;又貴人臨日,可謂吉矣;見壬子年方脫墓神之滯,終見及第,便持兩服;服滿得任,又不終矣。有坎山墳,白蟻遍食,所以前程不通。陳生當年不中,壬子得解及第,持母服;乙卯又持父服。丁巳年授浦江簿,庚申九月身亡。後開坎山墳,果得蟻食者矣。

邵先生は言いました。初伝と末伝が日干の墓神を中間に夾めている——これを「引従」と呼びます。ただ引の一頭はすでに起き得ず、従の一頭もまた動き得ず、前程はまたこれをもって止まります。巳・戌・卯は「鑄印」の格で、本は貴人の課に属します。まして貴人がまた日干に臨むので、吉と算えられます。壬子年に至るを待ってようやく墓神の滞塞を脱け得て、終じて登第できます。ただ随いてすなわち相次いで二度の喪を守り、服満して官任を得ても、また善終することができません。彼の家に一座の坎方に坐する墳があり、棺木は白蟻に蛀め遍されていたので、前程が通じませんでした。陳上舎はその年果たして中らず、壬子年に解を得て併せて登第し、随いて母親のために喪を守り、乙卯年にまた父親のために喪を守りました。丁巳年に浦江県主簿を授けられ、庚申年九月に身亡しました。後にあの坎山の墳を開掘すると、果たして白蟻に蛀食されていました。

先生析曰;夫引從之格,己見巳為絕,辰為墓,墓辰死卯,日上水子亦墓辰、絕巳、死卯,今反引出死墓絕及白虎元武夾定支干之墓,墓加宅,所以引起孝服。庚申年死者,行年又臨巳宮,乃是絕地。巳與申合,合起墓絕,所以死也。

邵先生が解釈して曰く。「引従」の格を講ずれば:己土は巳を見て絶と為し、辰を見て墓と為し、卯を見て死と為します。日干上の子水も同じく辰において墓し、巳において絶し、卯において死します。いま三伝は反転して死・墓・絶の三樣を一斉に引き出し、さらに白虎・玄武の二つの凶将が日干と日支の墓庫を夾み、墓神がまた宅位に加臨するので、孝服の事を引き出しました。庚申年に身死するに至っては、あの年の行年が巳宮に臨み、まさに絶地であるためです。巳と申が相合し、墓と絶を一同に合動させたので、死しました。

79)歐陽秘教戊寅生三十三歲占秋試,己酉年六月己卯日午將戌時。(申酉空亡,辰巳落空),渉害,曲直,佚女,不備,魄化,飛魂。 空虎 龍丑寅卯辰常 陳子 巳玄 后 六 六 虎 兄 癸未 后 初 六亥 午陰 未 亥 亥 卯 鬼 己卯 虎 中 朱戌酉申未后 亥 卯 卯 己 財 乙亥 六 末(暗鬼) 蛇貴

第七十九例:欧陽秘教は戊寅年の生まれで三十三歳、秋試のため占いに来ました。時は己酉年六月己卯日で、午の月将を戌の刻に加えて課を立てました。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は六つ:「渉害」「曲直」(三伝の亥卯未の木局)「佚女」「不備」「魄化」「飛魂」(後の二者は皆魂魄が寧まらず心神が摇動することを主る)。天盤は午将を戌時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に卯を見て白虎を乘じ、第二課は卯の上に亥を見て六合を乘じ、第三課は日支の卯の上に亥を見て六合を乘じ、第四課は亥の上に未を見て天后を乘じます。三伝は未・卯・亥:初伝の癸未は兄弟爻で天后を乘じ、中伝の己卯は官鬼爻で白虎を乘じ、末伝の乙亥は妻財爻で六合を乘じ暗に鬼を帯びています。

邵先生曰:上門亂首,不利有三:一者防犯諱字及時禁忌,二防場屋中有鬥爭,三防與尊長不足。第二場兼防汙塗(鬼在中傳也。)。己日得木局,且支克干,專主用傷,今年不是功名之年。若免得是非也,是幸事矣。後入試聚眾相爭喧鬧場屋,試官申學降罷。

邵先生は言いました。これは「上門乱首」の課で、三か所の不利があります:第一に、廟諱の字樣と当時の禁忌に触犯することを防ぐべきこと。第二に、考場の裏で鬭殴が発生することを防ぐべきこと。第三に、尊長と和しないことを防ぐべきこと。第二場の考試にはなお巻面の汚損を防ぐべきです(鬼爻が中伝に落ちるため)。己土の日干は木局を得、しかも日支が日干を剋するので、専ら用神が傷つくことを主り、今年は功名を取る年ではありません。もし是非を免れることができれば、万幸と算えます。後に彼は入場して応試し、果たして衆を聚めて争鬧し、考場を攪じて大乱と為し、主考官は学政に申報し、彼を降黜して罷考させました。

先生析曰;大凡上門亂首,不是犯家中尊長,自是占尊長不足。今行年上見馬,馬主動在外,而破碎元武,又是不正神,已是不利,不合本命又來刑了行年上巳,是刑了馬與破碎,扛起玄合,故生起是非犯上,況己日卯加巳,是克己,兼木局又從而助之,是聚眾來傷,勢不可遏也。更天后六合又乘三合,自然群眾,且白虎主斗,天后主朋友相識乎?然非年上駟馬引出,主內亂,不可專言外也。

邵先生が解釈して曰く。大凡「上門乱首」の課は、家中の尊長を冒犯するか、さもなくば占う所の事が尊長と和しないかです。いま行年上に驛馬を見、馬は外で走動することを主ります。さらに破碎・玄武のこれら不正の神があり、すでに不利です。不巧にも本命がまた来て行年上の巳を刑し、驛馬と破碎を一斉に刑動し、玄武と六合を皆擡げ起こしたに等しいので、是非を生出し尊上を冒犯しました。まして己土日に卯が巳に加わるに遇えば、まさに来て己身を剋し、木局はまた旁より勢を助ける——それはすなわち衆を聚めて来て我を傷り、その勢は挡えられません。さらに天后・六合がまた三合の局を乘じるので、自ずから一群人を聚成します。白虎は争鬥を主り、天后はまた朋友相識を主ります。ただ、もし行年上の駟馬が気を引き出さなければ、この課は本は内乱を主るので、ひとえに外事のみを説いてはなりません。

80)徐秀才丙子生三十四歲占秋試,己酉年壬戌日亥將申時。(子丑空亡,辰卯落空),遙克,蒿矢,稼穡,勵德,蕪淫。古本作十一月十六日寅時生。 陳龍 六申酉戌亥空 朱未 子虎 后 常 貴 玄 鬼 丙辰 后 初(落空) 蛇午 丑常 辰 丑 巳 寅 鬼 己未 朱 中(暗鬼) 貴巳辰卯寅玄 丑 戌 寅 壬 鬼 壬戌 龍 末 后陰

第八十例:徐秀才は丙子年の生まれで三十四歳、秋試のため占いに来ました(古本は彼が十一月十六日寅時に生まれたと記す)。時は己酉年壬戌日で、亥の月将を申の刻に加えて課を立てました。壬戌日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の辰・卯二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「遥剋」「蒿矢」「稼穡」(三伝の辰未戌が皆土)「励徳」「蕪淫」。天盤は亥将を申時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に寅を見て玄武を乘じ、第二課は寅の上に巳を見て貴人を乘じ、第三課は日支の戌の上に丑を見て太常を乘じ、第四課は丑の上に辰を見て天后を乘じます。三伝は辰・未・戌:初伝の丙辰は官鬼爻で天后を乘じて空地に落ち、中伝の己未は官鬼爻で朱雀を乘じまた暗鬼、末伝の壬戌は官鬼爻で青竜を乘じます。

邵先生曰:此課不可問試,防今年有風疾,似乎竣瘓之類;兼破碎位太常乘鬼入宅,若無疾則有服,碎臨空主外服,初墓加破上,雖空亦主婦人有血氣疾。甲寅旬寅加亥真閉口,三傳並宅四土塞之,氣血不行,榮衛不通,能早疏決,不致臃滯,可免癱瘓。當年三月因食菱成風,四肢不遂,狀如癱瘓,後雖無事,卻行履不得;六月喪妻母,九月又喪生母。

邵先生は言いました。この課はもって考試を問うべきではなく、却って今年に風疾を患うことを防ぐべきで、癱瘓の類の病のごとし。これに破碎の位に太常が鬼爻を乘じて宅の中に進入するのを加え、もし病を生ぜざれば喪服があります。破碎が空亡に臨むのは、外家の喪服を主ります。初伝の墓神が破碎の上に加わり、空亡に落ちたとはいえ、また家中の婦人に血気の疾あることを主ります。この課は甲寅旬に在り、寅が亥に加わるのは真の「閉口」です。三伝と宅位を連ねて共に四重の土が気を堵め死なせ、血気が運行できず、営衛が通じません。もし及早に疏通宣泄すれば、壅滞を致さず、なお癱瘓を免れることができます。後にその年三月、彼は菱角を食べたために中風し、四肢が行動できず、容子は癱瘓のごとくでした。後に大いに碍げはなかったものの、歩行は利索ではなくなりました。六月に岳母を喪い、九月にまた生母を喪いました。

先生析曰;蓋甲寅加癸亥真閉口,元又乘之,又是一重閉口,寅主風,元亦主風,寅與亥合,故主癱瘓。辰戌丑未重重臃塞,又兼閉口,便是血氣不調,所以主此病,要好決坤申水,通艮寅風,便可免此災,否則更甚,其人當年果不得試。(重點研讀此課例)樸記!

邵先生が解釈して曰く。甲寅が癸亥の上に加わるのは真の「閉口」です。玄武がまたその上に乘臨し、さらに一重の閉口を添えます。寅は風を主り、玄武もまた風を主り、寅と亥はまた相合するので、癱瘓を主ります。辰・戌・丑・未が重々に壅塞し、これに閉口を加えれば、すなわち血気が調わないので、この病を生じ出します。治し好くせんと思えば、西南坤申方の水を疏決し、東北艮寅方の風を通開すべきで、すなわちこの灾を免れることができます。さもなければ病勢はなお加重します。この人はその年果たして考試に参加できませんでした。(輯者附記:この課例は重ねて研読するに価します。朴記。)

81)何知錄丁丑生三十一歲占前程,戊申年五月丙戌日申將未時。(午未空亡,未申落空),進茹,重審,三奇。 陳六 龍午未申酉朱 空巳 戌蛇 后 貴 陳 龍 鬼 丁亥 貴 初(丁神) 虎辰 亥貴 子 亥 未 午 鬼 戊子 后 中 常卯寅丑子后 亥 戌 午 丙 子 己丑 陰 末 玄陰

第八十一例:何知録は丁丑年の生まれで三十一歳、前程を占いに来ました。時は戊申年五月丙戌日で、申の月将を未の刻に加えて課を立てました。丙戌日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「進茹」「重審」「三奇」。天盤は申将を未時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に午を見て青竜を乘じ、第二課は午の上に未を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の戌の上に亥を見て貴人を乘じ、第四課は亥の上に子を見て天后を乘じます。三伝は亥・子・丑:初伝の丁亥は官鬼爻で貴人を乘じまた「丁神」、中伝の戊子は官鬼爻で天后を乘じ、末伝の己丑は子孫爻で太陰を乘じます。

邵先生曰:吾兄今雖授台州知錄,然此任不能赴,必有阻也。將來食祿在江西,有刑法二字,次任湖南北,三任江東,四任近京為安撫司,恐此後雖授州郡之名,不得赴任也。當年乳母死,丁心喪不赴此任,後任江西湖南北,得提刑司簡,任滿又近京為安撫司,後除饒州,不赴任而死。

邵先生は言いました。老兄はいま台州知録を授けられたものの、こ の一任は却って往くことができず、必ず阻礙があります。将来俸禄を食むのは江西においてで、職務上に「刑法」の二字を帯びます。第二任は湖南・湖北に在り、第三任は江東に在り、第四任は京城に近づいて安撫司を為します。恐らくこれより後、州郡の職の名義はあっても、任に到ることができません。後の応験:その年彼の乳母が去世し、彼は乳母のために心喪を服して、この一任に赴くことができませんでした。この後果たして江西・湖南湖北を歴任し、提刑司の差遣を得ました。任満してまた京に近い地に到って安撫司を為し、最後に饒州を除授されましたが、まだ赴任しないうちに去世しました。

先生析曰;蓋日上午作龍乘刃為之退鱗,又是空亡也。午為心,所以不得赴任,而遭心喪。次任江西者,亥加戌,水受土制則為江,臨西故言江西。刑法二字,支干皆自刑,更法字從水從去,亥子丑順流而去,故為法字。子為江湖,又在此方,初中皆官相連,故江西與湖南北相連也。

邵先生が解釈して曰く。日干上の午は青竜を乘じてまた羊刃を帯び、「退鱗」の象を成し、しかも空亡に落ちています。午は人身において心を主るので、すでに任に赴くことができず、また乳母のために心喪を服するのです。第二任は江西に在ると言うのは、亥が戌に加わるためです:水が土に制約されればすなわち江を成し、しかも戌は西方に臨むので、江西と言います。職銜が「刑法」の二字を帯びると言うのは、日干・日支が皆自刑するためです。さらに「法」の字は水に従い去に従い、亥・子・丑が順に流れて往くのは、まさに一つの「法」の字に合します。子は江湖を表し、またまさにこの一方に在ります。初伝と中伝は皆官鬼が相い連なるので、江西と湖南湖北の両任もまた相い連接します。

又四任近京者,丁生人丙日占,丙丁皆寅為生地,父母之邦,故言京也。但與日遠,故不言都下,而言京西。末傳本命見太陰加子,丑土也,土為守土為太守,加在江湖地,依舊饒州也。授而不赴,太陰不顯也。既不顯安得赴?丙子年死,不出亥子丑也。丑是本命,乘陰不顯,便是死也。

第四任が京城に近いと言うに至っては、占者の生年が丁に属し占日が丙であるためで、丙・丁は皆寅をもって長生の地とし、寅は父母の邦なので、「京」と言います。ただそれは日干より離れて遠いので、京城の内と言わず、京西と言います。末伝は彼の本命で、太陰が子に加わるのを見、本命は丑土に属します。土は土を守る職を主り、すなわち太守で、それが江湖の地に加臨するので、依然として饒州です。官を授けられても赴き成らないのは、太陰が隠晦して顕れないことを主るためです。すでに顕れなければ、どうして赴任できましょうか。丙子年に死したのもまた、亥・子・丑のこの一路を脱しません——丑はまさに彼の本命で、太陰を乘じて顕揚を得ないのは、すなわち死んだのです。

秩九析曰:丑是本命,為午龍六害。又作官星制神,既害品制,官焉乎得顯?不顯自死矣。丑獨加子,故不出壬子年。

もう一人、秩九と名のる者の解釈が曰く。丑は彼の本命で、午上の青竜と六害を構成します。丑はまた官星を制伏する神を充当します。品級はすでに害され官星はまた制される——この官はどうして顕達できましょうか。顕達できなければ、自ずから死します。丑は単独で子に加わるので、応期は壬子年を出ません。

又曰:午得龍為官品,既空則此任虛慶矣。然脫此則就支上官星貴人,況更發用,三傳皆是,烏得不顯?故便從官貴上斷之。

また一説あり:午が青竜を乘じるのは官品を表し、すでに空に落ちたので、この一任は一場の空しい歓喜です。ただこの一層を脱ければ、なお日支上の官星と貴人の取るべきがあります。ましてそれはまたまさに発用の神で、三伝の上上下下は皆官貴——どうして顕達しないことがあろうか。だから官貴のこの一路より断じたのです。

82)童七占前程乙未日戌將巳時,(辰巳空亡,酉戌落空),知一,鑄印,度厄,勵德。愛圅曰:古本作己酉年三月十七日童學生占生於戊寅年正月丑日丑時二十六歲。 蛇貴 朱戌亥子丑后 六酉 寅陰 虎 貴 陰 六 子 空巳 虎 初(空亡) 陳申 卯玄 巳 子 寅 酉 財 戊戌 朱 中(落空) 龍未午巳辰常 子 未 酉 乙 兄 癸卯 玄 末 空虎

第八十二例:童七が前程を占いに来ました。日辰は乙未で、戌の月将を巳の刻に加えて課を立てました(輯者程愛圅が言う:古本は己酉年三月十七日に童学生の占ったものと作り、戊寅年正月丑日丑時の生まれで二十六歳)。乙未日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「知一」「鑄印」「度厄」「励徳」。天盤は戌将を巳時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に酉を見て六合を乘じ、第二課は酉の上に寅を見て太陰を乘じ、第三課は日支の未の上に子を見て貴人を乘じ、第四課は子の上に巳を見て白虎を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の巳は旬空に落ち子孫爻で白虎を乘じ、中伝の戊戌は妻財爻で朱雀を乘じて空地に落ち、末伝の癸卯は兄弟爻で玄武を乘じます。

邵先生曰:酉作六合,主生蓮花痔,因色中躁怒而得。色中何?酉為色也。何言躁也?酉克乙未木,木肝,肝主怒,非色中躁怒而何?正妻無子,必主偏生,三下賊上,前程未能興發。

邵先生は言いました。酉が六合を乘じるのは、蓮花痔(痔核が外翻して蓮の瓣のごとき一種の痔瘡)を生ずるを主り、房室の事のうちに躁怒の気を動かして得たものです。どうして女色に関わると見えますか?酉は本は色を主るからです。どうして躁怒と見えますか?酉金が乙・未の木を剋し、木は人身において肝に属し、肝は怒気を主ります——房事の中に怒を動かしたのでなくて何ですか?彼の正妻は男子を生まず、将来必ず庶出の子女です。四課の中に三か所で下神が上神を賊するので、前程は一時に興発できません。

初巳作虎,子息防水厄。初巳子爻,加於子水之上,作虎,虎凶將,又遭下克,先是以主乎水厄。中戌,戌陽乙陰,正妻也,加子爻空巳上,烏能生子?奈又作子爻之墓何?戌作雀,防妻有湯傷火厄。末卯作玄,防出入騎乘有傷手足,文書在盜氣上,前程難顯。宅上貴人六害,末財祿又入盜氣,更三十不意而死。

初伝の巳は白虎を乘じ、子女は水厄を防ぐべきです——巳は子孫爻で、子水の上に加わり、また白虎という凶将を乘じ、さらに下神に剋されるので、先に水厄と断じました。中伝の戌:戌は陽に属し乙は陰に属し、陰陽が相配すればすなわち正妻です。それが空に落ちた巳(子孫爻)の上に加わるのに、どうして息子を生出せましょうか。まして戌はまたまさに子孫爻の墓庫です。戌はまた朱雀を乘じるので、妻子が湯火に燙傷されることを防ぐべきです。末伝の卯は玄武を乘じるので、出入りに騎乘する時に手脚を傷つけることを防ぐべきです。文書の神が泄気の処に落ちるので、前程は顕達し難い。宅位上の貴人はまた六害に逢い、末伝の財と禄もまた泄気の中に落ち込んだので、さらに三十年を過ごせば意外に身故します。

先生析曰;日上酉作合,酉為血,合為蓮花來克身,故主蓮花痔。以巳為子息,巳乃旬空,又作虎,中妻又臨空,無子又妨妻,後辛亥年大水,子墮水幾死,丁巳妻醉後腳燒,乙卯騎馬入城,撲折左足,其言皆應也。六十二因侄分去產,不得意而死。

邵先生が解釈して曰く。日干上の酉が六合を乘じ——酉は血を主り、六合は蓮花の象を取り、それが来て身を剋するので、蓮花痔を生ずるを主ります。乙木は巳をもって子息とし、巳はすでに旬空に落ち、また白虎を乘じます。中伝の妻爻もまた空に臨むので、すでに子なくまた妻を妨げます。後に辛亥年に大水が発し、彼の息子は水に落ちほとんど溺死しました。丁巳年に妻は酒に酔い後に脚を燙傷しました。乙卯年に彼は馬に騎って城に入り、左脚を摔断しました——説いた言葉は全て応験しました。六十二歳に至り、姪に家産を分け去られたため、郁郁として意を得ずに死しました。

蓋乙以戌為財乘空,末又被元引將去,反失財也。卯六戌五,五六三十,故更三十死看驗處著著俱妙,邵先生亦未之反也。亥辛年,亥巳相沖,子動也。妻戌加巳,巳火戌足,足加火上,非燒足而燒何?巳上故巳年應之,卯驢本日祿,不可言凶。乘玄乃凶耳。驢馬類也。克戌是折足,陽左陰右。故折左足。

さらに一層を補します:乙木は戌をもって財とするのに、財は却って空亡を乘じ、末伝はまた玄武に引帯されて往くので、反転して財を失います。卯の数は六、戌の数は五、五に六を乘じて三十を得るので、さらに三十年を過ごして死すると言ったのです——一々験して見れば、至るところ精妙で、邵先生自身もまたこれを推翻するに由がありません。辛亥年に子女の厄に応じたのは、亥と巳が相冲し、子孫爻を冲動したためです。妻爻の戌が巳に加わります:巳は火に属し、戌は足の象を取ることができ、足が火の上に加われば、脚を焼傷したのでなくて何ですか?巳位に落ちたので、巳年に応じました。卯は本は乙日の禄神で、驢馬車乘を表し、本は凶と断ずべきではありませんが、ただ玄武を乘じたために凶を成しました。卯が来て戌を剋するのはすなわち足を折ることです。陽は左を主り陰は右を主るので、左脚を折断したと断じました。

愛圅析曰:卯乘元武,又受酉沖,故主騎乘而攫折。若無酉沖,或不至此。大抵卯為舟車戶輿騾驢,一遇酉沖,便主翻覆跌撲,予嘗得驗也。

輯者程愛圅が解釈して曰く。卯が玄武を乘じ、また酉の冲撃を受けるので、騎乘の際に肢体を摔断することを主ります。倘若酉が来て冲しなければ、或いはこのようには至らなかったでしょう。大抵、卯は舟車・門戸・轎輿・騾驢の類を表し、ひとたび酉の冲に遇えば、すなわち翻覆跌扑を主ります——私自身もまたかつて多く験しました。

83)蓋判院辛未生三十九歲,占前程。己酉年五月壬子日未將子時。(寅卯空亡,酉戌落空),重審,四絕,佚女。 朱蛇 六子丑寅卯貴 陳亥 辰后 蛇 常 朱 玄 財 丙午 玄 初 龍戌 巳陰 寅 未 丑 午 鬼 癸丑 朱 中 空酉申未午玄 未 子 午 壬 父 戊申 虎 末(暗鬼) 虎常

第八十三例:蓋判院は辛未年の生まれで三十九歳、前程を占いに来ました。時は己酉年五月壬子日で、未の月将を子の刻に加えて課を立てました。壬子日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「四絶」「佚女」。天盤は未将を子時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に午を見て玄武を乘じ、第二課は午の上に丑を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の子の上に未を見て太常を乘じ、第四課は未の上に寅を見て螣蛇を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の丙午は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の癸丑は官鬼爻で朱雀を乘じ、末伝の戊申は父母爻で白虎を乘じ暗に鬼を帯びています。

邵先生曰:此課動涉中皆有利害,又名四絕,偃蹇不通,身與初傳玄武入廟,中雀又害,末申作虎入墓,宅未作常六害,又兼四絕體,前程如此,主妻不足妻死,又主親戚入宅亦死。只因損掘艮方父母墳,所以前程不通也。蓋與妻果不和,辛亥妻死卻令姨母來家住,又死。因開墳,果如先生言。壬以申為父母,申墓於丑,是父母墳也。白虎主損壞,以致家敗身不榮也。

邵先生は言いました。この課は一挙一動のうちに皆利害を夾み、課名はまた「四絶」と呼ばれ、至るところ困頓して通じません。身位と初伝は玄武が廟に入り、中伝の朱雀はまた相害を構成し、末伝の申は白虎を乘じて墓に入り、宅位上の未は太常を乘じてまた六害を成し、これに「四絶」の課体を加えます——前程はすなわちこのような容子です。それはまた妻と和せず妻の亡に至るを主り、また親戚が門に入り居住してもまた死することを主ります。これら一切はただ東北艮方の父母の墳を損壊して挖動したために、前程が通じません。後に彼は妻と果たして和せず、辛亥年に妻が死しました。続いて姨母を家に来て同住させたところ、姨母もまた死しました。ここにおいて墳を開いて査看すると、果たして邵先生の説いたごとくでした。壬水は申金をもって父母爻とし、申は丑において墓する——まさに父母の墳地です。白虎は損壊を主るので、家道は敗落し本身もまた顕栄しません。

84)應解元辛未生三十八歲占前程,戊申年戊寅日子將午時。(申酉空亡,寅卯落空),反吟,無依,元胎,度厄。 龍空 陳亥子丑寅虎 六戌 卯常 虎 蛇 陰 陳 官 戊寅 虎 初(落空) 朱酉 辰玄 寅 申 巳 亥 子 空申 蛇 中(空亡) 蛇申未午巳陰 申 寅 亥 戊 官 戊寅 虎 末(落空) 貴後

第八十四例:應解元は辛未年の生まれで三十八歳、前程を占いに来ました。時は戊申年戊寅日で、子の月将を午の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。戊寅日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「無依」(依託する所なし)「元胎」「度厄」。天盤の布き方:貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に亥を見て勾陳を乘じ、第二課は亥の上に巳を見て太陰を乘じ、第三課は日支の寅の上に申を見て螣蛇を乘じ、第四課は申の上に寅を見て白虎を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の戊寅は官星で白虎を乘じて空地に落ち、中伝の申は旬空に落ち子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝はまた戊寅で、依然として官星・依然として白虎を乘じ・依然として空地に落ちます。

邵先生曰:此課主人脫空亂語,侮弄神道,絕德喪身,命將不久。汝急禱神修身,前程未料,不則喪無日矣。應疏狂,貪酒好色,家中姬妾最多,常攜妾於廟宇行淫,故先生止之,應見說,遂修身齋戒改過,後應死入冥中,冥以其修省放還。

邵先生は言いました。この課はこの人が話すに虚浮して実ならず、また神明を軽慢し戲侮することを顕します。このようでは自己の徳行を断絶し自己の性命を断送し、寿数は長くありません。あなたは急いで神明に禱告し、自身を修養すべきです。前程は何如かなお説き難いですが、さもなければ死期は眼前にあります。應解元は素より疏狂して放縦し、酒を貪り色を好み、家中の姫妾が最も多く、常に妾室を帯びて廟宇の裏に到り淫を行いました。だから邵先生は言を出して彼を制止しました。應解元はこの一番の言葉を聴いて、すなわち斎戒して身を修め、過を改め自ら新たにしました。後に彼は一たび気絶し、魂が冥間に入り、冥司は彼が確かに修省の実あるため、また彼を放して帰しました。

先生析曰:蓋戊德在巳,巳加絕,又受克,宅又受申克,申上又克寅,今何以言神道也?寅申為寺觀,申乃空亡,是空中神道來克我也。我去又遭彼克,是死無日矣。日上亥,亥乃天門,乘勾是勾追也,故主多凶。

邵先生が解釈して曰く。戊土の徳神は巳にあり、巳は却って絶地に加臨し、また剋制を受けます。宅位もまた申に剋され、申上はまた転じて寅を剋します。さて、何をもって神明の事を説くのですか?寅・申は皆寺観の象を取るためで、申はまさに空亡に落ちる——これはすなわち空中の神霊が来て我を剋するのです。我が彼の処に到ってまた反転してそれに剋されるので、死期が遠くないことが見えます。日干上は亥で、亥は天門で、上に勾陳を乘せています。勾陳は勾攝追捕を主るので、凶険が重々なるを主ります。

85)方縣尉己卯生占前程,庚戌年戊寅日申將辰時。(申酉空亡,子丑落空),昂星,虎視,三光,轉蓬,勵德。愛圅見古本作己酉年五月初一日辰時占。 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 六 虎 貴 陳 兄 丁丑 貴 初(落空)(丁神) 空未 寅后 戌 午 丑 酉 父 壬午 虎 中 虎午巳辰卯陰 午 寅 酉 戊 子 空酉 陳 末(空亡) 常玄

第八十五例:方県尉は己卯年の生まれで、前程を占いに来ました。時は庚戌年戊寅日で、申の月将を辰の刻に加えて課を立てました(輯者程愛圅の見た古本は己酉年五月初一日辰時に占ったと作る)。戊寅日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の子・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「昴星」「虎視」「三光」「転蓬」「励徳」。天盤は申将を辰時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に酉を見て勾陳を乘じ、第二課は酉の上に丑を見て貴人を乘じ、第三課は日支の寅の上に午を見て白虎を乘じ、第四課は午の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は丑・午・酉:初伝の丁丑は兄弟爻で貴人を乘じ空地に落ちまた「丁神」、中伝の壬午は父母爻で白虎を乘じ、末伝の酉は旬空に落ち子孫爻で勾陳を乘じます。

邵先生曰:日上空亡,到好處不中事。勾陳乘子息 ,乃是虛勾,時下有八年,且赴一任半,要特達須待五十四歲,方可言升遷。只做刑部官,長子中子俱不得蔭澤,下稍第三子受也。五十四上再十四年,得邊上太守,帶武職而終。方後果授溫州尉,任滿授饒州,十四月丁母憂歸。恰好八年矣。後五十三上,得台州黃岩縣,得奉朝請。長次子俱不得受恩,第三子受恩。

邵先生は言いました。日干上に空亡が落ちるので、好い処に走到しても事を辦し成せません。勾陳が子孫爻を乘じるのは、虚しく勾めた一場です。眼下はなお八年の数あり、ただ一任半の官を為すのみです。人頭を出て地に出ようと思えば、五十四歳に至るを待ってようやく升遷を談じ得て、しかもただ刑部の一路の官を為すのみです。長子・次子は皆官蔭の恩沢を得られず、末に至っては第三个の息子が蔭を受けます。五十四歳にさらに十四年を過ごせば、辺地の太守の職を得て、武官の銜を帯びて終局します。後に方県尉は果たして温州県尉を授けられ、任満して饒州職を授けられ、任に到って十四箇月で母喪に遇い郷に帰り、前後してちょうど八年でした。この後五十三歳に至り、台州黄岩県の差事を得、また奉朝請の銜を得ました。長子・次子は皆恩蔭を受けられず、ただ第三个の息子が受けました。

先生析曰;蓋行年在酉,從酉數至辰八位,故八年。又五十四上顯者,上酉六,辰上午九,六九五十四,在空亡內也。十四年又遷者,丑加酉,丑八酉六,得十四也。丑作貴加酉,虎視課,主邊郡兼武也。第三子受恩者,丑作貴人,季乃三也。從年數至辰,八位為八年。

邵先生が解釈して曰く。行年は酉にあり、酉から辰まで數えて共に八位なので、八年です。五十四歳に顕達すると言うのは、上の酉の数は六、辰上の午の数は九で、六に九を乘じて五十四を得、しかもこれらはまた皆空亡の中に在るためです。さらに十四年を過ごしてまた遷転を得ると言うのは、丑が酉に加わるためです:丑の数は八、酉の数は六、合して十四を為します。丑は貴人を乘じて酉に加わり、また「虎視」の課なので、辺郡の職を得て併せて武銜を帯びるを主ります。第三个の息子が恩を受けると言うのは、丑が貴人を乘じ、丑は四季のうち季(末)の位に属し、末はすなわち第三だからです。さらに行年から辰まで數えて共に八位なので、八年と定めました。

古本授黃岩縣後,又得提刑司干官,任滿得大理,因青龍在辰故也。寺正出知和州,兼淮上兵馬路鈐、朝請郎致仕。

古本はここにさらに一段の記載があります:方県尉は黄岩県職を授けられた後、また提刑司幹官を得、任満して大理寺の職を得ました——これは青竜が辰位に落ちる故です。後に大理寺正より外放して和州知州を為し、兼任して淮上兵馬路鈐轄を為り、最後に朝請郎の官銜をもって致仕しました。

86)儀上舍占前程,辛巳日申將寅時。(申酉空亡,寅卯落空),反吟,無依。 朱蛇 六亥子丑寅貴 陳戌 卯后 玄 六 陳 陰 鬼 辛巳 玄 初 龍酉 辰陰 巳 亥 戌 辰 子 乙亥 六 中 空申未午巳玄 亥 巳 辰 辛 鬼 辛巳 玄 末 虎常

第八十六例:儀上舎が前程を占いに来ました。日辰は辛巳で、申の月将を寅の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。辛巳日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「無依」。天盤の布き方:貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が子に、六合が亥に、勾陳が戌に、青竜が酉に、天空が申に、白虎が未に、太常が午に、玄武が巳に、太陰が辰に、天后が卯に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に辰を見て太陰を乘じ、第二課は辰の上に戌を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の巳の上に亥を見て六合を乘じ、第四課は亥の上に巳を見て玄武を乘じます。三伝は巳・亥・巳:初伝の辛巳は官鬼爻で玄武を乘じ、中伝の乙亥は子孫爻で六合を乘じ、末伝はまた辛巳で、依然として官鬼・依然として玄武を乘じ、首尾が往返し、まさに反吟に合します。

邵先生曰:此課日上見辰,乃濁氣所生,非秀麗也。長生陷入鬼地帶絕,此不是及第課,主三番讀書,四番廢業,少學無成,頭不應尾,五年後做東不成,又去做西,喪妻娶妻,十六年內家計蕩盡,妻嫁武官,子無頭尾。儀上舍發舉了,妻家以一莊贈,果己酉至乙卯如意,乙卯後不濟,試皆不利,喪妻飲酒無度,家計蕩盡,子留外家,後妻嫁一武進士。

邵先生は言いました。この課は日干上に辰を見、辰は濁気の生ずる所で、清秀の象ではありません。長生の神がまた鬼地に陷ち込んで絶気を帯びる——これは登第の課ではありません。この人が三番書を讀み四番荒廃し、少年の時学を求めて成せず、首尾が相い応じないことを主ります。五年の後、東へ往って事を為して成せず、また転じて西辺に往って為します。その間に妻を喪い再娶します。十六年の内に家業は蕩盡し、妻子は改嫁して武官に嫁ぎ、息子もまた落ち着き所がありません。後に儀上舎は挙に中り、妻家は彼に一座の荘園を送りました。己酉年から乙卯年に至るまで果たして事事意のごとくでしたが、乙卯年以後は濟まなくなり、歴次応試して皆利あらずでした。妻を喪った後、飲酒して度がなく、家業は蕩盡し、息子は外家に留まり、後妻は改嫁して一人の武進士に嫁ぎました。

先生析曰;大凡巳亥巳,惟壬日陽得便宜,他來我處絕,又是財。丙戊日我去克處逢絕,凡事不利。若辛巳日,辛生於巳,巳絕於亥,初臨尚可,末臨絕,長生尚自憂克絕,何望生乎我?即不可望生,卻就辰之生,為失十得一,豈不費力耶?

邵先生が解釈して曰く。大凡、三伝が巳・亥・巳のような往返の局を作すには、ただ壬のような陽日のみが占便宜を占めます——对方が来て我が此所に至り、ちょうど絶地に逢い、しかもそれはまた我の財です。もし丙日・戊日なら、それは我が往ってそれを剋する処に却って絶に遇い、凡事不利です。辛巳日に至っては:辛金は巳において長生するが、巳はまた亥において絶します。初伝が巳に臨むはなお可なりとするも、末伝は却って絶を受ける地に臨みます。長生の神は自身なお且つ剋され絶されることを憂えているのに、なおそれが来て我を生ずることを指望しましょうか。すでに指望し上げられなければ、ただ退いて辰土の生を取るしかなく、それは十分を失い一分のみを捞り帰るに過ぎず——豈に気力を白費ならずや。

87)毛主薄乙亥生三十四歲占前程,戊申年五月初四丁亥日申將午時。(午未空亡,申酉落空),重審,間傳,極陰。 六朱 陳未申酉戌蛇 龍午 亥貴 常 陰 貴 朱 財 乙酉 朱 初(落空) 空巳 子后 卯 丑 亥 酉 官 丁亥 貴 中(丁神) 虎辰卯寅丑陰 丑 亥 酉 丁 子 己丑 陰 末 常玄

第八十七例:毛主簿は乙亥年の生まれで三十四歳、前程を占いに来ました。時は戊申年五月初四日丁亥日で、申の月将を午の刻に加えて課を立てました。丁亥日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「間伝」「極陰」。天盤は申将を午時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に酉を見て朱雀を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て貴人を乘じ、第三課は日支の亥の上に丑を見て太陰を乘じ、第四課は丑の上に卯を見て太常を乘じます。三伝は酉・亥・丑:初伝の乙酉は妻財爻で朱雀を乘じて空地に落ち、中伝の丁亥は官星で貴人を乘じまた「丁神」、末伝の己丑は子孫爻で太陰を乘じます。

邵先生曰:日上酉為妻,雀乃文書,妻之恩澤也。日上破碎,大段破財。中官星又加破碎上,三傳遍地貴人,主薄在任須多差使,兼權攝。且九丑在宅,主淫亂,本命上丑見太陰,主貪色而死。末又見丑,加官星上,主在任死。毛鉅富,受妻恩澤,緣此結納四方,乃得此任。任中盡將家財用去,在任差使,更不得停,其家果淫亂,又好色,暱於婢妾,乙卯年死。

邵先生は言いました。日干上の酉は妻を表し、朱雀は文書を主るので、この一份の差事は妻家の恩沢が帯びて来たものです。ただ日干上はまた破碎を犯すので、大いにその財を破することを主ります。中伝の官星もまた破碎の上に加わります。三伝の満盤は皆貴人なので、主簿は任上にあって必ず差使が繁多し、さらに別の職務を兼攝します。これに九丑の煞が宅位に落ちるのを加え、家中の淫乱を主ります。本命上の丑がまた太陰を見るので、色を貪ることによって死することを主ります。末伝にまた丑を見て官星の上に加わるので、任上に死することを主ります。毛主簿はもともと巨富で、妻家の恩沢を受け、これを憑って四方と結交し、ようやくこの一任を得ました。任に到って後、家財を皆費やし盡し、任上で差使が絶えず、一刻も停まることを得ませんでした。彼の家は果たして淫乱で、彼自身もまた色を好み、婢妾を昵愛し、乙卯年に去世しました。

先生析曰;蓋乙卯年上有巳,卻會起巳酉丑,合起破碎九丑,日上死神兼與中亥相沖,沖起絕神,死與絕會,是以死也。邵先生每畏遍地貴人,又怕年上會起殺神,丁亥日有酉丑欠巳,至卯上見巳,不怕不死。

邵先生が解釈して曰く。乙卯のこの一年の年上に巳があるので、ここにおいて巳・酉・丑の三合金局を会合起こし、破碎と九丑の二つの凶煞を皆合動させました。日干上の死神はまた中伝の亥と相冲し、絶神を冲動しました。死神と絶神が一か所に会したので、身死しました。邵先生は向來最も満盤の貴人を怕れ、また流年上に煞神を会合起こすことを怕れます:丁亥のこの日はすでに酉・丑があるのに独り巳を缺き、卯年上に至って巳を見れば、彼が死なざるを怕れません。

88)王法司乙亥生三十四歲占前程,戊申年六月甲寅日未將戌時。(子丑空亡,酉戌落空),八專,寡宿,閉口。 陳六 龍寅卯辰巳朱 空丑 午蛇 后 常 后 常 財 空丑 空 初(空亡) 虎子 未貴 申 亥 申 亥 父 癸亥 常 中 常亥戌酉申后 亥 寅 亥 甲 父 癸亥 常 末 玄陰

第八十八例:王法司は乙亥年の生まれで三十四歳、前程を占いに来ました。時は戊申年六月甲寅日で、未の月将を戌の刻に加えて課を立てました。甲寅日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「八専」(日干と日支が同じく一宮に居り、四課がただ両課を成すのみ)「寡宿」「閉口」。天盤は未将を戌時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に亥を見て太常を乘じ、第二課は亥の上に申を見て天后を乘じ、第三課は日支の寅の上に亥を見て太常を乘じ、第四課は亥の上に申を見て天后を乘じます。三伝は丑・亥・亥:初伝の丑は旬空に落ち妻財爻で天空を乘じ、中伝の癸亥は父母爻で太常を乘じ、末伝は依然として癸亥で父母爻が太常を乘じます。

邵先生曰:亥是本命,加支干相生極好。只不合是旬末為閉口,主父母閉口,兼行年又在其上,而父母上見公婆,是父母見公婆也。空丑又乘天空作初傳,虛墓已動。更加辰為鍬鋤殺,當主十月亡母,次年正月亡父。本人須入學館,歷臺諫侍從,只不守土,至戊子年七十四或七十八死矣。王當年十月丁母憂,次年正月丁父憂,三十七得溫州法司,三十九得太常學錄,又遷司業正言,不曾守土。七十八卒。

邵先生は言いました。亥は彼の本命で、日干・日支に加臨して彼此相い生ずるので、本来極めて好いです。ただそれがまさに旬末に当たって「閉口」を成したのが宜しからず、父母のあの一頭が口を閉じて通ぜざるを主ります。まして行年もまたその上に圧し、しかも父母爻の上にまた公婆の輩の神を見る——それはすなわち父母が公婆(先人)を見に往くのです。空に落ちた丑がまた天空を乘じて初伝を作し、虚墓はすでに発動しました。これに辰が鍬鋤の煞であるのを加えるので、十月の裏に母親が亡故し、第二年正月に父親が亡故すると断じました。彼本人は将来学館に進んで任職し、歴任して台諫と侍従の官を為り、ただ地方の守土の官を為ることはありません。戊子年に至り、七十四歳あるいは七十八歳の上で去世します。王法司はその年十月に果たして母のために丁憂し、第二年正月に父のために丁憂しました。三十七歳に温州法司を得、三十九歳に太常学録を得、また国子司業・正言に遷り、ずっと地方の守令を為さず、七十八歳で去世しました。

先生析曰;此課旬末加旬首,父母加主父母亡,自身閉口,仕途不通。然既言七十四,又言七十八,何也?亥加寅,亥四寅七,乃七十四也。亥有四個,又添四數,七十八也。況甲與寅上兩個亥,故云。又云,亥乃父母爻,作真閉口,作太常,陰神又見申金乘後,而與亥六害,無惑乎父母之亡也。初丑,土也;空上乘空,故終身不能守土。亥乃天門,又是長生學堂,中末都是,所以入學館也。

邵先生が解釈して曰く。この課は旬末が旬首の上に加わり、父母爻が重畳して加臨するので、父母の亡故を主ります。本身はまた閉口に逢うので、仕途が通暢しません。さて、どうしてすでに七十四と言い、また七十八と言うのですか?亥が寅に加わります:亥の数は四、寅の数は七、合して七十四を成します。しかも課中に亥が四つあり、さらに四の数を添えれば、すなわち七十八です。まして甲の寄宮の寅の上下に共に二つの亥があるので、このように説きます。また言います:亥は父母爻で、真の閉口を成し、また太常を乘じます。その陰神の上に申金が天后を乘じるのを見、しかも申と亥はまさに六害を成す——父母が双亡したも無理ありません。初伝の丑は土に属すものの、それは空の上にまた天空を乘じるので、終身守土の官を為り成しません。亥は天門で、また長生と学堂の位で、中伝・末伝は皆亥なので、学館に進んで任職することができます。

89)趙監務丁丑生三十二歲占赴任,戊申年辛巳日子將辰時。(申酉空亡,辰巳落空),元首,炎上,愛圅曰:己酉正月初二日占,未交春,仍作戊申年。趙生於丁丑年九月十日丑時。 陳六 龍丑寅卯辰朱 空子 巳蛇 玄 龍 陳 貴 官 壬午 貴 初 虎亥 午貴 酉 丑 寅 午 財 戊寅 陳 中 常戌酉申未后 丑 巳 午 辛 父 甲戌 常 末 玄陰

第八十九例:趙監務は丁丑年の生まれで三十二歳、赴任のため占いに来ました。時は戊申年辛巳日で、子の月将を辰の刻に加えて課を立てました(輯者程愛圅が言う:実際は己酉年正月初二日に占ったもので、まだ立春を交えていないため、依然として戊申年と算す。趙某は丁丑年九月初十日丑時の生まれ)。辛巳日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の辰・巳二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「元首」「炎上」(三伝の寅午戌が火局を合成する)。天盤は子将を辰時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に午を見て貴人を乘じ、第二課は午の上に寅を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の巳の上に丑を見て青竜を乘じ、第四課は丑の上に酉を見て玄武を乘じます。三伝は午・寅・戌:初伝の壬午は官星で貴人を乘じ、中伝の戊寅は妻財爻で勾陳を乘じ、末伝の甲戌は父母爻で太常を乘じます。

邵先生曰:主今年二月上任,日上官星作貴,會火局,金被火逼,行年又來趕,必然動身。須防尊長病酒幾死,即應矣。宅上丁神已動了,臨交代之時,必有阻節,得十六個月遭父喪而回。趙因前任填補,遂於二月催赴任,二月二日父大醉幾死,六七日而文字來。八月交割,前任官要趙認欠,方得交代,次年十一月丁父憂歸。共十六個月也。

邵先生は言いました。今年二月にすなわち上任します。日干上の官星は貴人を乘じ、また火局を会成し、辛金は火に逼られ、行年はまた後ろにあって催赶するので、必ず身を動かします。ただ家中の尊長が酒によって病を致しほとんど命を喪うことを防ぐべし——これがすなわち眼前の応験です。宅位上の丁神はすでに発動し、職務を交接する時に至れば、必ず阻礙があります。任に到って十六箇月の上に父喪に遇い回ります。趙監務は前任の缺を填補するため、二月の裏にすなわち赴任を催されました。二月初二のあの日に彼の父親は大いに酔ってほとんど死に、六七日を過ごして公文がようやく到りました。八月の裏に交割を辦し、前任の官は趙監務に虧欠を承認させてからでなければ交接しませんでした。第二年十一月に父のために丁憂して郷に帰り、前後してちょうど十六箇月でした。

先生析曰;蓋平人怕官鬼來克,主有官事喪禍。官人赴任,須要官星旺,即赴任也。辛長生於巳,巳為父,巳加酉上見蛇,酉為酒,蛇撓之,所以為酒傷。巳午相連,巳應了午便應也。

邵先生が解釈して曰く。平民百姓は官鬼の来て剋するを怕れ、それは官司と喪禍を主ります。官を為る人が赴任するには、却って正に官星の旺なるを要し、官星が一たび旺すればすなわち赴任できます。辛金は巳において長生し、巳はここで父親を表します。巳が酉に加わってまた螣蛇を見ます:酉は酒の象を取り、螣蛇が来て攪擾するので、父親が酒に傷られるを主ります。巳と午は相い連なり、巳が先に応験し、午は随いてまた応じました。

90)趙知縣丁巳生五十二歲在任占前程,戊申年十一月乙未日寅將未時。(辰巳空亡) 后陰 貴子丑寅卯玄 蛇亥 辰常 六 陰 空 蛇 子 甲午 空 初 朱戌 巳虎 酉 寅 午 亥 財 辛丑 后 中(暗鬼) 六酉申未午空 寅 未 亥 乙 官 丙申 陳 末 陳龍

第九十例:趙知県は丁巳年の生まれで五十二歳、任上において前程を占いに来ました。時は戊申年十一月乙未日で、寅の月将を未の刻に加えて課を立てました。乙未日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ちます。天盤は寅将を未時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に亥を見て螣蛇を乘じ、第二課は亥の上に午を見て天空を乘じ、第三課は日支の未の上に寅を見て太陰を乘じ、第四課は寅の上に酉を見て六合を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の甲午は子孫爻で天空を乘じ、中伝の辛丑は妻財爻で天后を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の丙申は官星で勾陳を乘じます。

邵先生曰:甜處遭苦,樂里生憂,此課是也。亥來生乙,蛇來撓之。宅上寅作太陰,寅與亥合,因州中曹職吏人,暗讒而成不是。初是死地,午為心,見天空,主心間恍惚,又主子息暴病,妻宮產難幾死。蓋大閣壓中堂,任滿下稍難脫,有七日曹職之權,後得盧姓人而解任矣。趙果與判官不足,遂被何孔目間諜,因屢讒於太守,亦與趙不足,下心遂恍惚暴燥,子病幾死,妻次年產幾不得生;任滿權官,不能解任,值盧運使經過,與太守解絕,遂得歸。

邵先生は言いました。甜い処に偏って苦しみに遭い、楽しみの中に反転して憂いを生ず——この課はまさにこのごとしです。亥水は本は乙木を生ずるのに、螣蛇に攪擾されました。宅位上の寅は太陰を乘じ、寅はまた亥と相合するので、州裏の曹属の吏人が背後で讒を進めたために是非に落ちます。初伝は死地に落ち、午は人身において心を主り、また天空を乘じるので、心神が恍惚とするを主ります。さらに子女が暴病し、妻子が難産してほとんど命を喪うを主ります。このほか大いなる閣が中堂を壓する象があり、任満の後は一時に脱身し難いです。中間に七日間曹職を代攝する機会があり、最後に一人の姓盧の人に頼ってようやく卸任できました。趙知県は果たして判官と和せず、何孔目が中より挑撥し、屡々太守に讒を進め、太守もまた彼と嫌隙を生じました。彼は心の裏ここにおいて恍惚として暴躁しました。息子は病してほとんど死に、妻は第二年に生産してまたほとんど保てませんでした。任満の後、官職を代理し、一時に任を解くことができず、ちょうど盧運使が路過して、彼のために太守に調解してやり、ようやく郷に帰ることを得ました。

先生析曰;蓋乙本生於亥,亥不合蛇來撓,寅作太陰,寅為曹職吏人,午為子,子加父母上,自然不安也。乙以丑為妻,丑為產神,加今日六害上,故主產厄。末神七,申乃日鬼,入於深墓中,故能讒而不能脫。子作貴加巳,子為漕,巳為爐,主姓盧運使解紛也。

邵先生が解釈して曰く。乙木は本は亥において長生するのに、亥上に螣蛇が来て攪擾するのを奈何としません。寅は太陰を乘じ、寅は曹属の吏人の象を取ります。午は子孫爻で、子孫が父母爻の上に加われば、家中は自ずから安寧を得ません。乙木は丑をもって妻とし、丑はまた生産を主る神で、いま今日の六害の上に加わるので、産厄を主ります。末伝の神の数は七で、申はまた日干の鬼爻で、しかも深く墓の中に陷っているので、他人は讒を進めることができるのに彼は一時に身を脱することができません。子は貴人を乘じて巳に加わります:子は漕運を表し、巳は爐(盧)の象を取るので、姓盧の運使が出て来て争いを調解したと断じました。

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