六壬断案 · 第4巻
蓋干支上各自刑,賓主不投;行年上申,申是箭,卻不得地。干見酉,支見午,名四勝殺,主各逞其能。陽刃午作青龍,僅得兵部垂顧,初戌作玄武,又六害,如何比得中?鄒後果屢試不中,得趙侍郎權兵部,乃與他一虛官銜。
これは日干・日支の上が各々刑を成し、主賓が相投合しないためです。行年上は申で、申は箭の象を取りますが、偏えに地を得ません。日干上に酉を見、日支上に午を見る——これを「四勝煞」と呼び、各方が皆強を逞し勝を鬬うことを主ります。陽刃の午は青竜を乘じるので、ただ兵部の一点の照顧を得るのみです。初伝の戌は玄武を乘じ、また六害を成します。これでどうして比試に中ることができましょうか。鄒大官人は後に果たして屢試して中らず、ただ趙侍郎が兵部の事務を代理した時、彼に一つの虚銜を与えただけでした。
先生析曰;蓋巳為弓,申為箭,今有馬有箭,而無弓,所以事終不成也。
邵先生が解釈して曰く。巳は弓の象を取り、申は箭の象を取ります。いま課中には馬があり箭があるのに、偏えに弓がありません。だからこの事は終に成すことができないのです。
57)龔縣尉辛巳生十二九歲,占前程。己酉年十月壬午日寅將寅時,(申酉空亡,申酉落空),伏吟,自任,杜傳。 六陳 朱巳午未申龍 蛇辰 酉空 六 六 常 常 兄 乙亥 常 初 貴卯 戌虎 午 午 亥 亥 財 壬午 六 中 后寅丑子亥常 午 午 亥 壬 兄 丙子 玄 末 陰玄
第五十七例:龔県尉は辛巳年の生まれ(底本は「十二九歳」と作るが、年数に訛字あり、照録して改めず)、前程を占いに来ました。時は己酉年十月壬午日、占時は寅の刻で、月将もまた寅です。将時が同位で「伏吟」を成しました。壬午日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の申・酉二支もまた空亡宮を正しく押さえています。ほかに課名は「自任」「杜伝」。天盤の布き方:貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は二つ二つ同じです:壬水の寄宮は亥にあり、第一課は亥が壬に加わり、第二課は亥が亥に加わり、いずれも太常を乘じ、第三課は日支の午が午に加わり、第四課は午が午に加わり、いずれも六合を乘じます。三伝は亥・午・子:初伝の乙亥は兄弟爻で太常を乘じ、中伝の壬午は妻財爻で六合を乘じ、末伝の丙子は兄弟爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:此課本身,現在戴祿,又兼太常,必有兼職之事,俸祿亦增。若論升轉則未。蓋干支自刑,日後因後其寵,遂做不廉之事,又因納一寵妾,貪色尋醫而治,欲解任不能,幸遇一外路監司懇告,遂得解任。伏吟時下未發,只等替時自見耳。
邵先生は言いました。この課は本身が正しく禄神を戴いており、また太常(俸禄の神)を兼ねているので、必ず別の職を兼攝する事があり、俸禄もまたこれに随って増えます。ただ升遷・転官と言えば、なお及びません。日干・日支が互いに自刑を成すので、日後に上司の寵信を受けたために清廉でない事を為します。また一人の寵妾を納れて、女色を貪恋したために医を尋ねて調治するに至ります。その時に辞職し卸任しようとしても辞すことができませんが、幸いに一人の外路の監司に遇い、彼に懇切に陳説して、ようやく卸任を得ました。伏吟の課は目下発動しません。ただ交替換任の時を待つと、自ずから分曉が見えます。
先生析曰;蓋干支自刑,主自滿月建前一辰,子上是玄武,乃為天醫,沖起行年上午之六合,晝貴又乘後,為干之偏財,乃妾也。上見武合後,故主貪色不正,子又為天醫,故主尋醫之兆。子午乃官員往來之所,道路神也。月建前神是外監司,必外除方解。
邵先生が解釈して曰く。日干・日支が自刑するのは、この人が自満自大であることを主ります。月建の前一位の子の上は玄武で、玄武はここで天医の神を充当し、それが行年上の午の六合を冲起します。昼貴はまた天后を乘じ、天后は日干の偏財、すなわち妾です。子上の玄武が天后と相合するので、色を貪り行為が正しくないことを主ります。子はまた天医なので、医を尋ね治を求める兆しがあります。子・午は官員の往来する所で、道路の神に属します。月建の前一位の神は外路の監司を表すので、必ず外任の官員が面に出てこそ職を解くことができます。
龔尉因主簿壞去,遂權其職,得太守寵,遂傍若無人,乃干支自刑,故自滿也。又納一妾,下稍元合,多不正,正餘言皆驗。亥祿重並,是兼職。
後の応験:龔県尉は主簿が事を犯して職を去ったため、すなわち主簿の職務を代理し、また太守の寵信を得て、ここにおいて旁若無人となりました——これはまさに日干日支が自刑して自満する応験です。彼はまた一人の妾を納れ、後に至り玄武と六合が相い并び、行事に多く正しからざることがあり、その余に断じたところもまた一々応験しました。亥という禄神が重畳して併せ見えたのは、ちょうど両職を兼攝したことに応じます。
58)郭巡轄本命寅,行年酉,占赴任,己酉年戊申日酉將子時。(寅卯空亡,亥子落空),元胎,比用,不備。郭生戊寅年六月十三日子時,三十二歲四月初一占。 陳六 龍寅卯辰巳朱 空丑 午蛇 龍 朱 常 龍 鬼 空寅 龍 初(空亡) 虎子 未貴 寅 巳 亥 寅 財 辛亥 常 中(落空) 常亥戌酉申后 巳 申 寅 戊 子 戊申 后 末 玄陰
第五十八例:郭巡轄は本命が寅に属し、行年は酉にあり、赴任のために占いに来ました。時は己酉年戊申日で、酉の月将を子の刻に加えて課を立てました(郭某は戊寅年六月十三日子時の生まれで三十二歳、四月初一日に占いに来ました)。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「元胎」「比用」「不備」。天盤は酉将を子時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に寅を見て青竜を乘じ、第二課は寅の上に亥を見て太常を乘じ、第三課は日支の申の上に巳を見て朱雀を乘じ、第四課は巳の上に寅を見て青竜を乘じます。三伝は寅・亥・申:初伝の寅は旬空に落ちて官鬼爻で青竜を乘じ、中伝の辛亥は妻財爻で太常を乘じて空地に落ち、末伝の戊申は子孫爻で天后を乘じます。
邵先生曰:大凡占官要見官,今寅值龍作官,奈何寅空,必不得也。卻就支宅上去作朱雀,乃戊祿臨支也,宅神申又加亥為末傳,此仕莫非虛度。蓋寅是官星,巳是祿位,寅乘龍不空,即當赴任,即空反作鬼論,鬼來逼日,去日加支,克支之神,主權攝不正。又戊祿在巳,巳與申合,祿在支,故正任不可望,卻乃食祿。內主陳姓久不足,且當西南上避嫌,待陳姓退去,方得正任。行年上午乘蛇臨行時主婦人纏繞也。
邵先生は言いました。大凡、官職を占うには最も官星を見ることを要します。いま寅木が青竜を乘じて官星を充当していますが、寅がちょうど空亡に落ちているので、この官は必ず得られません。官星が反転して日支の宅位の上に走って朱雀を乘じているのは、戊土の禄神が日支に臨んでいるからです。宅神の申がまた亥に加わって末伝を作すので、この一任の官はただ光陰を虚度するに過ぎないことが見えます。寅は本は官星で、巳は本は禄位です。寅がもし竜を乘じて空に落ちなければ、正式に赴任すべきでした。いま空に落ちた以上、反転して鬼として論じなければなりません:鬼が来て日干を逼り、日干がまた往って日支に加臨して、日支を剋する神を成したので、ただ他人の職事を代理して名分が正しくないことを主ります。また戊土の禄は巳にあり、巳は申と相合し、禄が日支の上に落ちるので、正式の任命は望めず、ただ一份の俸禄を食むことができるだけです。内に主なのは、ある陳姓の人が長期にわたり彼と合わないことで、目下西南の方へ往って回避すべきです。陳姓の者が退き去るのを待って、ようやく正式に補任を得ます。行年上の午は螣蛇を乘じて出行の時に臨むので、なお婦人の糾纏があることを主ります。
鄧果於當年十一月上任,因陳提刑與伊尊人有仇隙,故行至半途,遂不敢往,經過鄂州,素與太守有舊,遂令權公使及酒稅。至次年八月陳替去,鄧始得到任。
後の応験(底本はここで記す姓氏を「鄧」と作り、上文の「郭巡轄」と合わないが、照録して改めず):彼はその年の十一月に身を動かして任に赴きましたが、陳提刑が彼の父と旧怨があったため、半路に走ると敢えて前に進みませんでした。鄂州を路過した時、もともと鄂州太守と交情があったため、留められて公使庫と酒税の事を代理しました。第二年八月に至り、陳提刑が任満して調され去り、彼はようやく正式に到任を得ました。
59)徐學士戊辰年正月初四日寅時生,行年四十一歲,占前程。戊申年二月甲子日亥將巳時。(戌亥空亡,寅卯落空),反吟,元胎,渉害。 蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 蛇 虎 后 龍 兄 丙寅 后 初(落空) 陳酉 辰玄 子 午 寅 申 鬼 壬申 龍 中 龍申未午巳常 午 子 申 甲 兄 丙寅 后 末(落空) 空虎
第五十九例:徐学士は戊辰年正月初四日寅時の生まれで、行年は四十一歳、前程を占いに来ました。時は戊申年二月甲子日で、亥の月将を巳の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。甲子日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「元胎」「渉害」。天盤の布き方:貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に申を見て青竜を乘じ、第二課は申の上に寅を見て天后を乘じ、第三課は日支の子の上に午を見て白虎を乘じ、第四課は午の上に子を見て螣蛇を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の丙寅は兄弟爻で天后を乘じて空地に落ち、中伝の壬申は官鬼爻で青竜を乘じ、末伝はまた丙寅で、依然として兄弟爻・依然として天后を乘じ・依然として空地に落ち、首尾が往返して、まさに反吟に合します。
邵先生曰:此課庚戌年徐充解及第,其子治春秋亦及第,在五甲;本身及第,唱名在第三甲,其子則曰亦霑恩及第,在第五甲;銓試不中,六月授潭州司戶,七月病死。蓋日上見申,讀書人見之為無後,又是太歲來克身,當年可見不寧。何直至庚戌年及第方死耶?
邵先生は言いました。この課に照らして見れば、庚戌年に徐学士は充解の資格をもって第に登り、彼の息子は《春秋》を治めてまた第に登れるでしょう。五甲に名列します。本人は登第して唱名が第三甲にあり、息子は恩沢に沾って及第し、第五甲に列します。その後銓試に中らず、六月に潭州司戸を授けられ、七月に病死しました。これは日干上に申を見、読書人が申を見れば後嗣がないことを主るためです。申はまた太歳が来て本身を剋するので、その年に安寧でないことが見えます。さて、どうして偏えに庚戌年に登第してから後に死するのを待つのでしょうか?
先生析曰;蓋行年上子水生甲木,宅上午火制申金,且是催官使者,須見官而後死。及至庚戌年,行年在申,甲木絕於申,故死。初末寅作天后,兩重兩露恩神,在官星之上,官星加寅甲與寅皆承其恩澤。甲乃尊也,父也;寅乃卑也,子也。故俱霑恩。庚戌年身死,甲寅年子死,乃刑沖之故。又行年神克第三課,死神乘白虎入宅,為水所克,又甲木以午為子息,故子必受殃也。
邵先生が解釈して曰く。行年上の子水は甲木を生ずることができ、宅位上の午火はまた申金を制伏することができます。しかも午はなお官を催す使者なので、必ずまず官職を見てから後に死します。庚戌年に至ると、行年は申に走到し、甲木は申において絶するので、身が死します。初伝と末伝の寅は皆天后を乘じ、二重の恩沢の神が官星の上に圧します。官星がまた寅位に加臨するので、甲と寅とが皆この恩沢を承受します。甲は尊長であり父であり、寅は卑幼であり子なので、父子二人が共に恩に沾って登第します。庚戌年に本人が身死し、甲寅年に息子が死ぬのは、皆刑冲の致すところです。さらに行年の神が第三課を剋し、死神が白虎を乘じて宅位に入り、また水に剋されます。甲木は午をもって子息とするので、息子は必ず殃に遭います。
60)謝省元乙丑生四十五歲歲占赴省試,己酉年九月甲子日卯將寅時。(戌亥空亡,亥子落空),重審,進茹。 貴后 蛇午未申酉陰 朱巳 戌玄 龍 空 六 陳 財 戊辰 六 初 六辰 亥常 寅 丑 辰 卯 子 己巳 朱 中 陳卯寅丑子虎 丑 子 卯 甲 子 庚午 蛇 末(暗鬼) 龍空
第六十例:謝省元は乙丑年の生まれで四十五歳、省試に赴くために占いに来ました。時は己酉年九月甲子日で、卯の月将を寅の刻に加えて課を立てました。甲子日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「重審」「進茹」。天盤は卯将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に卯を見て勾陳を乘じ、第二課は卯の上に辰を見て六合を乘じ、第三課は日支の子の上に丑を見て天空を乘じ、第四課は丑の上に寅を見て青竜を乘じます。三伝は辰・巳・午:初伝の戊辰は妻財爻で六合を乘じ、中伝の己巳は子孫爻で朱雀を乘じ、末伝の庚午は子孫爻で螣蛇を乘じ、暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:謝省元三次到場,今次定不得,更五次不遂,不免受文學中心病而死,煩董兄與他說知之,異日亦要課驗,餘不敢面說也。蓋甲日迤邐生去,更不回顧,以此言之,無文學尚可,有則不利。蓋因亥加戌,亥乃甲之長生學堂,甲子旬亥戌空亡,學堂加空,而宅上日貴又乘天空,故虛名文學耳。中末傳巳午脫去,不意午之心病,見蛇病必死。謝果省試不中,後為文學不遂,遂納賄,又是五甲,甚不如意,歸來遂成心病,辛酉年十一月卒。
邵先生は言いました。謝省元はすでに三度考場に進みましたが、この次もまたきっと中ることはできません。さらに後へ五度も皆心愿に遂わず、ついに文学上で郁結して心病を成すことで死するを免れません。煩わしいですが董兄、私に代ってこの言葉を彼に転告してください——日後はいずれ課験に験すことになり、私自身は面と向かって言うことを敢えてしません。これは甲木の日干が一路順に生泄して往き、頭を回らないためです。このように講ずれば、この人は文才がない方が却って良く、文才があれば反転して不利です。原因は亥が戌に加わることに在ります:亥は本は甲木の長生と学堂の位なのに、甲子旬中では亥・戌がまさに空亡で、学堂が空地に加臨しています。宅位上の昼貴はまた天空を乘じているので、文学はただ虚名に過ぎません。中伝・末伝の巳・午は皆泄気して去ります。思いがけず午はまさに心病を主り、午はまた螣蛇を見るので、病を得れば必ず死します。謝省元は果たして省試に中らず、後に文学上で志を得ず、行賄して進を求めに行きましたが、結果はなお五甲で、とても意に称しませんでした。家に帰って後に心病を成し、辛酉年十一月に去世しました。
先生析曰;蓋甲木生巳午蛇雀諸火,木又隨火上火,又去南奔,本主便死。因背後有行年見亥,亥加戌,尚有虛名而未死耳。造化前定,所以不由人也。
邵先生が解釈して曰く。甲木が往って巳・午と螣蛇・朱雀という一路の火神を生じ、木がまた火気に随いて上へ升騰し、ひたすら南方へ奔って往くので、本来すぐに死すべきところです。ただ背後に行年が亥を見て、亥がまた戌に加わるので、なお一つの虚名を挂けて、しばらく死なずにいるだけです。造化はすでに早くから注定していて、人に由ることではありません。
61)趙公占子國子監試,其子戊子年正月十三日酉時生二十二歲,己酉年辛巳日子將亥時。(申酉空亡,酉戌落空),遙克,蒿矢,進茹。 龍空 陳午未申酉虎 六巳 戌常 龍 陳 陰 玄 鬼 壬午 陳 初 朱辰 亥玄 未 午 子 亥 父 癸未 龍 中 蛇卯寅丑子陰 午 巳 亥 辛 兄 空申 空 末(空亡) 貴後
第六十一例:趙公が息子のために国子監の考試を占いました。彼の息子は戊子年正月十三日酉時の生まれで二十二歳。時は己酉年辛巳日で、子の月将を亥の刻に加えて課を立てました。辛巳日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「遥剋」「蒿矢」「進茹」。天盤は子将を亥時に加えて布定し、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に亥を見て玄武を乘じ、第二課は亥の上に子を見て太陰を乘じ、第三課は日支の巳の上に午を見て勾陳を乘じ、第四課は午の上に未を見て青竜を乘じます。三伝は午・未・申:初伝の壬午は官鬼爻で勾陳を乘じ、中伝の癸未は父母爻で青竜を乘じ、末伝の申は旬空に落ちて兄弟爻で天空を乘じます。
邵先生曰:此課主洩精,否則小便腳手痠痛,四肢無力,二三月皆是病月,四月方安,官星臨廚,必入天廚。今年必高中,官星作幕貴也,癸丑及第寅貴加丑上之故,只是不享,終三十五歲矣。趙生自十九歲每患遺精,公因其病,以婢與之為伴,恐其未有房室也。當年發舉,癸丑及第,為司戶,三月丁巳再授司理,己未丁憂,癸亥三十五歲愛圅按此句當是己丑年生十月十二日死。
邵先生は言いました。この課は遺精の疾を主り、さもなくば小便不利・手脚痠痛・四肢無力です。二月・三月は皆病月で、四月に至ってようやく安です。官星が厨灶の位に臨むので、将来必ず天厨(膳食を掌る官署)に入ることができます。今年は必ず高く中ります。官星が幕後の貴を充当するからです。癸丑年に第に登るのは、寅位の貴人が丑の上に加わるためです。ただ福分が厚からず、寿数は三十五歳に止まります。趙家のこの公子は十九歳から常に遺精を患い、趙公は彼に病があるため、彼に一人の婢女を与えて伴を為させました。彼がまだ房室の事がなかったからです。その年に彼は挙に中り、癸丑年に第に登り、司戸を為しました。三月丁巳に司理を再授され、己未年に丁憂、癸亥年に三十五歳で去世しました(輯者程愛圅按:この句は己丑年の生まれ・十月十二日に死と作るべきです)。
先生析曰;蓋十月辛上見亥作元武,一金生二水,水主腎,自然遺洩,不合末又入空,空上又見天空,是得官徒空也。申七未八,空亡減半,平生為亥所苦,故又見癸亥年而死。
邵先生が解釈して曰く。十月のうち辛金の上に亥を見て玄武を乘じれば、一重の金が往って二重の水を生じます。水は人身において腎を主るので、自然に遺泄の疾があります。あいにく末伝がまた空亡の中に落ち込み、空亡の上にまた天空を見るので、官を得てもまた一場の空です。申の数は七で、未の数は八で、空亡に逢ったため半分に減じて計算します。彼の一生は亥水に苦しめられたので、また癸亥というこの年に身死に応じました。
62)邵二十一公占孫前程,同此數。邵公繫癸巳年四月十二日丑時生,七十六歲,其孫二十二歲愛圅按邵公之年歲當是戊申年占,其孫乃丁亥命也 龍空 陳午未申酉虎 六巳 戌常 龍 陳 陰 玄 官 壬午 陳 初 朱辰 亥玄 未 午 子 亥 父 癸未 龍 中 蛇卯寅丑子陰 午 巳 亥 辛 兄 空申 空 末(空亡) 貴後
第六十二例:邵二十一公が孫子のために前程を占い、得た課式は上一例と同じです。邵公は癸巳年四月十二日丑時の生まれで七十六歳、彼の孫は二十二歳(輯者程愛圅按:邵公の年歳から推算すれば、これは戊申年に占ったはずで、彼の孫は丁亥年の生まれのはずです)。課式はなお:貴人が寅に乘り、螣蛇が卯に、朱雀が辰に、六合が巳に、勾陳が午に、青竜が未に、天空が申に、白虎が酉に、太常が戌に、玄武が亥に、太陰が子に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に亥を見て玄武を乘じ、第二課は亥の上に子を見て太陰を乘じ、第三課は日支の巳の上に午を見て勾陳を乘じ、第四課は午の上に未を見て青竜を乘じます。三伝は午・未・申:初伝の壬午は官星で勾陳を乘じ、中伝の癸未は父母爻で青竜を乘じ、末伝の申は旬空に落ちて兄弟爻で天空を乘じます。
邵先生曰:課主虛洩,宅上火生土,土又生金,不獨前程不顯,尚有天喪之患。蓋連茹喜進不喜空亡,更四年腎病而死。邵公之孫果清瘦患遺洩,至壬子年十二月身死。夫辛金生二水,初鬼作勾,若女占即吉,男子未娶是克也。己酉娶妻後,成癆而卒。末傳同類空,諸孫皆前後喪。
邵先生は言いました。この課は虚損滑泄を主ります。宅位上で火が土を生じ土がまた金を生じるので、前程が顕達しないのみならず、夭折の憂いがあります。「連茹」の課は歩々前進するを喜び、最も空亡に落ちることを忌むからです。さらに四年を過ごせば、腎病により死するでしょう。邵公の孫は果たして清痩して遺泄の症を患い、壬子年十二月に身故しました。辛金が往って二重の水を生じ、初伝の鬼爻が勾陳を乘じています:もし女子が占いに来たなら、これは却って吉です。男子でまだ妻を娶っていなければ、身を剋する象です。彼は己酉年に妻を娶った後、すなわち癆病を成して死しました。末伝の同類の兄弟爻が空に落ちるので、幾人もの孫が前後して皆夭亡しました。
先生析曰;蓋亥加辛乃面前脫氣,午勾是日貴作鬼入宅,支干上皆自刑,自支上一陰至亥乃六陰也,一味行陰道,如何得久?更何問功名?愛圅曰,課同斷異因亥為本命而脫干,故其凶較甚。
邵先生が解釈して曰く。亥が辛に加わるのは、当面の泄気です。午が勾陳を乘じるのは、昼貴が化して鬼となって宅位に入るものです。日干・日支の上はまた皆自刑です。日支上の一重の陰気から一直に亥まで數えれば、共に六重の陰です。ひとえに陰道を走るので、どうして長久できましょうか。功名を問うまでもありません。輯者程愛圅が曰く:この課は上一例と課式が同じで断語が異なるのは、亥がまさに彼の孫の本命であり、亥がまた日干の気を泄すため、凶象が格別に重いのです。
63)何知丞丙寅二月三日酉時生,四十三歲,占赴任,戊申年十二月癸丑日丑將未時。(寅卯空亡,申酉落空),反吟,稼穡,勵德,遊子。 虎常 空亥子丑寅玄 龍戌 卯陰 常 朱 常 朱 鬼 丁未 朱 初(丁神) 陳酉 辰后 丑 未 丑 未 鬼 癸丑 常 中 六申未午巳貴 未 丑 未 癸 鬼 丁未 朱 末(丁神) 朱蛇
第六十三例:何知丞は丙寅年二月初三日酉時の生まれで四十三歳、赴任のために占いに来ました。時は戊申年十二月癸丑日で、丑の月将を未の刻に加えて課を立てました。将と時が相冲するので「反吟」を成します。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「稼穡」(三伝の丑未が皆土)「励徳」「游子」。天盤の布き方:貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に未を見て朱雀を乘じ、第二課は未の上に丑を見て太常を乘じ、第三課は日支の丑の上に未を見て朱雀を乘じ、第四課は未の上に丑を見て太常を乘じます。三伝は未・丑・未:初伝の丁未は官鬼爻で朱雀を乘じ「丁神」です。中伝の癸丑は官鬼爻で太常を乘じ、末伝はまた丁未で、依然として官鬼・依然として朱雀を乘じ・依然として丁神です。
邵先生曰:此課舊政上又見舊政,不知已有幾年。何曰:有三年。先生曰:以此觀之,第六年方得赴任。何以為不然。蓋何欲歸安縣,被吏部差一考,果六年至任。先生曰:知丞終此任矣。果六年至任,八年喪歸。
邵先生は言いました。この課は旧任の上にまた旧任を見るもので、あなたはすでに何年候いているのですか?何知丞は言いました:三年あります。邵先生は言いました。このように見れば、第六年に至ってようやく赴任できます。何知丞は然りとしませんでした。もともと彼は帰安県に上任しようと思っていましたが、吏部にまた一層の考核を加えられ、果たして第六年まで引き延ばされてから到任しました。邵先生はまた言いました:知丞のこの一任がすなわち最後の一任です。後に果たして第六年に到任し、第八年に身死して霊柩が郷に帰りました。
先生析曰;蓋戊申年未為舊政,初末日辰皆見,又十二月月建丑,又加於舊上,來往皆是舊人,故不能速。未八是八年,滿盤是鬼,丑為墓田,未與常加之故然。
邵先生が解釈して曰く。戊申というこの年、未はまさに旧任を表します。初伝・末伝と日・辰の上を連ねて至るところにそれを見ます。まして十二月の月建は丑で、丑がまた旧任の上に加わり、来来往往は皆旧人なので、事は快くなりようがありません。未の数は八なので、八年の数に応じます。満盤は皆鬼爻で、丑はまた墓田で、これに未が太常と相い臨むのを加えるので、彼がこの任に終わると断じたのです。
64)陳學諭辛未十二月二十八日生三十八歲,占前程,戊申年九月甲申日辰將亥時。(午未空亡,亥子落空),比用,鑄印。 陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 后 空 龍 貴 父 戊子 龍 初(落空) 蛇申 卯常 午 丑 子 未 子 癸巳 陰 中 貴未午巳辰玄 丑 申 未 甲 財 丙戌 六 末 后陰
第六十四例:陳学諭は辛未年十二月二十八日の生まれで三十八歳、前程を占いに来ました。時は戊申年九月甲申日で、辰の月将を亥の刻に加えて課を立てました。甲申日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「比用」「鑄印」。天盤は辰将を亥時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に未を見て貴人を乘じ、第二課は未の上に子を見て青竜を乘じ、第三課は日支の申の上に丑を見て天空を乘じ、第四課は丑の上に午を見て天后を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の戊子は父母爻で青竜を乘じて空地に落ち、中伝の癸巳は子孫爻で太陰を乘じ、末伝の丙戌は妻財爻で六合を乘じます。
邵先生曰:干支皆墓,主前程遲滯,凡事不通。今喜甲申旬未乃空亡,本身之墓既空,漸次脫去,次第亨通。初傳遇貴人六害,不利考試,偏堂太陰亦不利,旬末終為病擾妻宮,加子主無子,今年防被醫人所誤,行年上申為醫而為蛇鬼故耳,本命是木,墓在本身上,貴人又來空,乃是虛貴,宅上又帶墓,宅既不顯,人亦不興,三十發解便不濟,如處雲霧中,妻亦不利。
邵先生は言いました。日干・日支が共に墓に坐するので、前程が遅滞し諸事が通じないことを主ります。いま喜ぶべきは、甲申旬中に未がまさに空亡に落ちることです。本身の墓庫がすでに空に落ちれば、漸々脱け出て、一歩一歩亨通に転じます。ただ初伝が貴人の六害に遇うので考試に不利で、偏堂の太陰もまた利ありません。旬尾に至ってついに疾病に擾され妻宮に妨げがあります。子位に加臨すれば無子を主ります。今年は医師に誤治されることを防ぐべきです——行年上の申がすでに医師を主り、また化して螣蛇の鬼となったためです。彼の本命は木に属し、墓庫がすなわち本身の上に圧しています。貴人がまた空亡の中に落ちるのは虚貴です。宅位上にも墓を帯び、宅がすでに顕達できなければ、人もまた興旺できません。三十歳で郷薦に中っても事を済ません、至るところ雲霧の中に身を置くがごとくです。妻子の事もまた順利ではありません。
其人果受乳母之氣,得心痛疾,九年而卒,妻血病五年卒。本年患痢,醫人誤為熱症,幾死,庚申年亡。未為木墓。
後の応験:この人は果たして乳母の気を受け、心痛病を得て、九年後に去世しました。妻は血症を患い、五年後に去世しました。その年彼は痢疾を患い、医師が誤って熱症として治したので、ほとんど命を喪いました。庚申年に至り身亡しました。これは未がまさに木の墓庫だからです。
65)施主簿乙亥年七月初二日亥時生,三十四歲,占前程。戊申年九月十五丙申日辰將丑時。(辰巳空亡,未申落空),重審,元胎,不備,贅婿。 貴后 蛇申酉戌亥陰 朱未 子玄 虎 陰 陰 蛇 財 丙申 蛇 初(落空) 六午 丑常 寅 亥 亥 申 鬼 己亥 陰 中 陳巳辰卯寅虎 亥 申 申 丙 父 壬寅 虎 末(暗鬼) 龍空
第六十五例:施主簿は乙亥年七月初二日亥時の生まれで三十四歳、前程を占いに来ました。時は戊申年九月十五日丙申日で、辰の月将を丑の刻に加えて課を立てました。丙申日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の未・申二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「元胎」「不備」「贅婿」。天盤は辰将を丑時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に申を見て螣蛇を乘じ、第二課は申の上に亥を見て太陰を乘じ、第三課は日支の申の上に亥を見て太陰を乘じ、第四課は亥の上に寅を見て白虎を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の丙申は妻財爻で螣蛇を乘じて空地に落ち、中伝の己亥は官鬼爻で太陰を乘じ、末伝の壬寅は父母爻で白虎を乘じ暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:支來就干,為干所克,其人無正宅,多在寺觀及外處居住,或在妻家。蓋課名贅婿,所以無正居也。傳見蛇虎必多喪服,將來終於曹職。末傳寅作虎,終於水邊作州府職官而已。其後果丁父母四喪,果於甲子年授江陰軍知錄,己巳有事矣。
邵先生は言いました。日支が走って日干に就き、また日干に剋されるので、この人は自己の正宅がなく、多分は寺観か外地に住み、さもなくば妻家に住みます——課名が「贅婿」と呼ばれるのは、まさに正式の居所がないためです。三伝中に螣蛇・白虎を見るので、必ず喪服が多い。将来曹属の職上で終局します。末伝の寅は白虎を乘じるので、ただ水に臨んだ州府で一つの職官を為すに過ぎません。後に彼は果たして相次いで父母など四場の喪事に遭い、甲子年に江陰軍の知録を授けられ、己巳年に至って事が出ました。
先生析曰;蓋宅加日受克,宅上見亥,金反去生亥,安得正宅?末寅生於亥,丙生於寅,為水邊州府也。寅為曹職,今知錄亦然。大凡占官,寅申為遷轉之神,既為蛇虎所撓,故止於知錄。
邵先生が解釈して曰く。宅が日干に加臨して日干に剋され、宅位上にまた亥を見、申金が反転して往って亥水を生ずる——このようではどうして正式の宅第があり得ましょうか。末伝の寅は亥において長生し、丙火はまた寅において長生するので、水に臨んだ州府の任です。寅は曹属の職を表し、知録一職もまたまさにこれに属します。大凡、官職を占えば、寅・申は遷転を主る神です。いまそれらはすでに螣蛇・白虎に攪擾されているので、官位はただ知録に止まるのみです。
66)邵梓材戊寅三月初一辰時生,三十一歲,占前程。戊申年九月二十一壬寅日辰將酉時。(辰巳空亡,亥子落空),重審,六儀,四絕。 朱蛇 六子丑寅卯貴 陳亥 辰后 后 空 朱 玄 財 甲午 玄 初 龍戌 巳陰 辰 酉 丑 午 鬼 辛丑 朱 中 空酉申未午玄 酉 寅 午 壬 父 丙申 虎 末 虎常
第六十六例:邵梓材は戊寅年三月初一日辰時の生まれで三十一歳、前程を占いに来ました。時は戊申年九月二十一日壬寅日で、辰の月将を酉の刻に加えて課を立てました。壬寅日は甲辰旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「六儀」「四絶」。天盤は辰将を酉時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に午を見て玄武を乘じ、第二課は午の上に丑を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の寅の上に酉を見て天空を乘じ、第四課は酉の上に辰を見て天后を乘じます。三伝は午・丑・申:初伝の甲午は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の辛丑は官鬼爻で朱雀を乘じ、末伝の丙申は父母爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:此課名四絕,且干支自刑,又名六害,其不利者有三:一者居偏室無正位,二者妻宮不利,三者眼不明,因他父墳不利,皆是白蟻,左畔已虛空矣,前程非惟不遠,又且壽夭,九年將屋基作田園,家破碎,貴賤皆因酒而敗也。
邵先生は言いました。この課の名は「四絶」で、日干・日支はまた自刑し、さらに六害を構成しています。それが不利なところは三か所あります:第一に、偏屋に住むのみで正房がありません。第二に、妻宮が不利です。第三に、眼が見えません。これらは皆、彼の父の墳地が良くないためで、棺の中は皆白蟻で、左辺がすでに空虚塌陷しています。前程はただ遠くに往けないのみならず、寿数もまた短いです。九年の後に屋基を田園に改め、家業が破碎します。貴賤を問わず、皆酒によって敗落します。
邵解元聞先生言,欲啟父墳,因兄弟眾多不肯行,妻不生子,常有血氣,至辛亥年病眼武壬皆亥,夾克午,故主亥年而應,男女皆因酒而敗,乙卯年眾拆屋一半作田,一半作園。邵氏居於店屋水死於卯,又卯上得戌作鬼,故卯年應,戊午身喪,己未啟父墳,果骨為蟻食矣。
邵解元は邵先生の言葉を聴いて、もともと父墳を開啓して遷改しようと思いましたが、兄弟が众多で肯んじて同意しなかったため作しませんでした。彼の妻は男子を生まず、常に血気の病がありました。辛亥年に至り眼目の疾を患いました——玄武と壬水は皆亥に属し、両下で午火を夾剋し(午は目を主る)、だから亥年に応じました。家中の男女は皆酒によって敗落しました。乙卯年に衆人は房屋を拆し、半分を田に改め半分を園に改め、邵家はすなわち店屋に住みに往きました——壬水は卯において死し、卯上にまた戌を得て化して鬼を成すので、卯年に応じました。戊午年に彼本人が身死し、己未年に父墳を開啓すると、棺中の骨殖は果たして白蟻に蛀食されていました。
先生析曰;蓋壬以申為父,父在墓守白虎,主白蟻。日上午為目為妻,火絕於亥,故不利。丑加午六害,丑為田園,午為層,水克午而屋壞,土克水而以屋成田園,宅上見酉,壬敗於酉,故為所敗,又是破碎,主男婦皆因酒敗也。
邵先生が解釈して曰く。壬水は申金をもって父母爻とし、父母爻が墓の中に坐して白虎に守られています。白虎は白蟻を主ります。日干上の午はすでに眼目を表しまた妻子を表し、しかも火は亥において絶するので、両樣が皆不利です。丑が午に加わって六害を成します:丑は田園を表し、午は房屋層舎を表します。水が来て午を剋すれば房屋が損壊し、土が来て水を剋すれば房屋が田園に変じます。宅位上に酉を見、壬水は酉において敗するので、それに敗壊されました。酉はまた破碎の神なので、家中の男女が皆酒によって敗することを主ります。
67)鄧省干癸未年十月初七申時生二十六歲,戊申年九月二十一壬寅日辰將未時(辰巳空亡,丑寅落空),元首,元胎,不備,寡宿。占前程。 朱蛇 六寅卯辰巳貴 陳丑 午后 玄 空 貴 玄 財 空巳 貴 初(空亡) 龍子 未陰 申 亥 巳 申 子 壬寅 六 中(落空) 空亥戌酉申玄 亥 寅 申 壬 兄 己亥 空 末(暗鬼) 虎常
第六十七例:鄧省干は癸未年十月初七日申時の生まれで二十六歳、前程を占いに来ました。時は戊申年九月二十一日壬寅日で、辰の月将を未の刻に加えて課を立てました。壬寅日は甲辰旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「元首」「元胎」「不備」「寡宿」。天盤は辰将を未時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に申を見て玄武を乘じ、第二課は申の上に巳を見て貴人を乘じ、第三課は日支の寅の上に亥を見て天空を乘じ、第四課は亥の上に申を見て玄武を乘じます。三伝は巳・寅・亥:初伝の巳は旬空に落ち妻財爻で貴人を乘じ、中伝の壬寅は子孫爻で六合を乘じて空地に落ち、末伝の己亥は兄弟爻で天空を乘じ暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:此課與前課大不同,干支皆受上生,日上得申長生,卻即去生寅,初巳貴人作財,日上長生學堂,盡可取功名。但嫌貴空,又為玄所滯,只運司解發而不能及第。初任管銅鐵,次任管坑冶,三任水船官而止。鄧果初任鑄錢有功,再任坑冶司檢踏官,次得明州船塢,歸家而死。
邵先生は言いました。この課は前のあの課と大いに相同じません:日干・日支は皆上神の生を受け、日干上は申という長生の神を得、申はまた転じて寅を生じます。初伝の巳は貴人を乘じて財爻を充当し、日干上はまた長生と学堂の位で、全く功名を求取できます。ただ惜しいのは貴人が空に落ち、また玄武に滞らされたことで、だからただ転運司に由って送考・発解されるのみで、進士には中りません。彼の第一任は銅鐵を管し、第二任は坑冶を管し、第三任に水上の船務の官を為せばすなわち到頭です。鄧省干は後に果たして初任に鑄錢して功あり、再任に坑冶司の檢踏官を為し、続いて明州の船塢の職を得、家に帰って後に去世しました。
先生析曰;蓋申來生壬為長生學堂,故壬子年發解,初巳作貴為德神加學堂上,寅又加巳生貴生德,故終得前程。銅鐵者,申金也;坑冶司者,巳加申也,水船場者,江湖臨於寅上也。寅木未成船,而卯已成船,故主舡場修造也。
邵先生が解釈して曰く。申が来て壬水を生ずるのは、まさに長生と学堂の位なので、壬子年に発解を得られました。初伝の巳は貴人を乘じて徳神を作し、学堂の上に加わります。寅はまた巳に加わり、すでに貴人を生じまた徳神を生ずるので、終じて一份の前程を得られます。銅鐵を管すると言うのは、申が金に属するためです。坑冶司と言うのは、巳(爐冶の火)が申(金)の上に加わるためです。水上の船場と言うのは、江湖の水気が寅上に臨むためです——寅木はまだ船を作り成さず、卯に至ればすなわち船を成すので、船場のうちで修造を管することを主ります。
68)江司戶辛未年十二月廿一日午時生,三十八歲,戊申年十月戊午日卯將寅時,(子丑空亡,寅丑落空),別責,不備,六儀,占官職。 空虎 龍午未申酉常 陳巳 戌玄 虎 空 空 龍 官 甲寅 蛇 初(落空)(暗鬼) 六辰 亥陰 申 未 未 午 父 戊午 龍 中 朱卯寅丑子后 未 午 午 戊 父 戊午 龍 末 蛇貴
第六十八例:江司戸は辛未年十二月二十一日午時の生まれで三十八歳、官職のため占いに来ました。時は戊申年十月戊午日で、卯の月将を寅の刻に加えて課を立てました。戊午日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の寅・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「別責」(四課が全からず、別に干合か支の三合を取って発用する)「不備」「六儀」。天盤は卯将を寅時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に午を見て青竜を乘じ、第二課は午の上に未を見て天空を乘じ、第三課は日支の午の上に未を見て天空を乘じ、第四課は未の上に申を見て白虎を乘じます。三伝は寅・午・午:初伝の甲寅は官鬼爻で螣蛇を乘じ空地に落ちまた暗鬼、中伝の戊午は父母爻で青竜を乘じ、末伝は依然として戊午で父母爻が青竜を乘じます。
邵先生曰:司戶今無正位,必主上司責罰,而別有遷改,卯寅乃今日鬼,鬼生午火,午乃日陽刃殺,且是天鬼,在於中末傳,支上未與午合,亦憂宅眷人口有死者。後果病死三人,又為米倉事發,遂罷去也。
邵先生は言いました。司戸はいま正式の職位がなく、必ず上司の責罰を受け、別に遷調して改任します。卯・寅は今日の鬼爻で、鬼はまた去って午火を生じます。午はすでに日干の陽刃の煞であり、また天鬼で、それが中伝・末伝の上に落ちています。日支上の未は午と相合するので、さらに家眷のうちに死亡あることを憂えねばなりません。後に果たして三人が病死し、また米倉の事が敗露したため、すなわち罷免されました。
先生析曰;蓋寅乃日鬼,生三個午,十月建亥,合寅來生宅,犯丁神以未中有丁,非旬丁也,丁主動,天空主空屋,宅亦主空,是月困患時氣遂死三人。十月間米因提學檢踏常平倉敗事露,遂致敗斥。
邵先生が解釈して曰く。寅は日干の鬼爻で、それは去って三重の午火を生じます。十月の月建は亥で、亥は寅と相合して来て宅位を生じ、また丁神を犯しています——ここの丁は未の中に蔵する丁で、旬中の丁神ではありません。丁は動揺を主り、天空は空屋を主り、宅位もまた空虚を主るので、その月に家の中で時疫に染まり、相次いで三人が死しました。十月の間にまた提学が常平仓の存米を檢査して、事が敗露し、ここにおいて罷黜されました。
69)馮機宜丁亥生二十三歲占前程,己酉年十一月丙子日卯將戌時,(申酉空亡,丑寅落空),重審,鑄印,不備。愛圅曰:當是寅將酉時,不然即非十一月也。 朱六 蛇戌亥子丑陳 貴酉 寅龍 蛇 常 空 蛇 兄 辛巳 常 初 后申 卯空 戌 巳 卯 戌 子 甲戌 蛇 中 陰未午巳辰虎 巳 子 戌 丙 父 己卯 空 末 玄常
第六十九例:馮機宜は丁亥年の生まれで二十三歳、前程を占いに来ました。時は己酉年十一月丙子日で、卯の月将を戌の刻に加えて課を立てました(輯者程愛圅が言う:ここは寅将を酉時に加えるべきで、さもなければ十一月の月将ではありません)。丙子日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「鑄印」「不備」。天盤の布き方:貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に戌を見て螣蛇を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の子の上に巳を見て太常を乘じ、第四課は巳の上に戌を見て螣蛇を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の辛巳は兄弟爻で太常を乘じ、中伝の甲戌は子孫爻で螣蛇を乘じ、末伝の己卯は父母爻で天空を乘じます。
邵先生曰:主此人必見迴避,前程未通,卯來克戌,戌去墓丙,丙與巳遂走入宅,為宅所克,定是阻服,服滿得差。又合迴避所惱,尚有九年端坐,方得出頭,數已盡矣。此亂首自下犯上,照管堂上孺人,既有大災難治,皆自己命滯,所以如此。
邵先生は言いました。この人は必ず「回避」(親属が同官のため例によって職を避ける)に遇い、前程は一時通じません。卯木が来て戌土を剋し、戌土は去って丙火を墓し、丙と巳はすなわち宅位に逃れ入り、反転して宅に剋される——それは必ず喪服に阻まれたものです。服が満ちて後にようやく差遣を得ます。その後また回避の例に困まり、さらに端坐して閑居すること九年、ようやく出頭できますが、その時には寿数もまたすでに盡きます。この課は「乱首」で、下をもって上に犯すので、堂上の老太太に留意しなければなりません:すでに大灾あれば、医治し難いのです。これらは皆、彼自身の命運が滞塞しているため、かくのごとくなのです。
先生析曰;蓋丙火敗於卯,墓於戌,敗神逼克戌墓,戌墓遂來墓日,日遂奔入宅被克,去住不容。宅上巳四,日上戌五,共九年,故主九年。九年後卯主事敗,而加丙墓上,即是敗木,乃棺槨入墓,自然死也。然卯為今日之母,母先入墓,次及我身矣。
邵先生が解釈して曰く。丙火は卯において敗し戌において墓します。敗神が戌という墓庫を逼剋すれば、戌墓はすなわち頭を回らせて日干を墓します。日干はただ宅位に奔り入るしかなく、また宅に剋され、走るも可ならず留まるも可ならずです。宅位上の巳の数は四、日干上の戌の数は五、合わせて九なので、九年と断じました。九年の後、卯は事の敗壊を主り、しかもそれは丙火の墓庫の上に加わっている——それはすなわち敗朽の木です。敗木が墓に入るのは、まさに棺槨が土に入る象で、自ずから死します。ただ卯はまた今日の母親爻なので、母親が先に墓に入り、その後にようやく自身に輪が回るのです。
馮乃待制之子,授江州安撫,十二月母死阻服,癸丑年再授洪州,因妹丈除江西運使,遂迴避,得台州崇道觀,二十個月得病,戊午年死。
後の応験:馮機宜はある待制の息子で、江州安撫の職を授けられました。十二月に母親が去世し、喪服に阻まれました。癸丑年にまた洪州を授けられましたが、妹夫が江西転運使に任命されたため、例によって回避し、改めて台州崇道観の祠禄閑職を得ました。任上二十箇月で病を得、戊午年に去世しました。
70)劉運干丁卯生四十二歲占前程,戊申年十月乙卯日卯將未時。(子丑空亡,申酉落空),元首,曲直,佚女。 朱六 蛇丑寅卯辰陳 貴子 巳龍 虎 后 常 貴 財 己未 虎 初 后亥 午空 未 亥 申 子 兄 乙卯 六 中(祿神) 陰戌酉申未虎 亥 卯 子 乙 父 癸亥 后 末 玄常
第七十例:劉運干は丁卯年の生まれで四十二歳、前程を占いに来ました。時は戊申年十月乙卯日で、卯の月将を未の刻に加えて課を立てました。乙卯日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「元首」「曲直」(三伝の亥卯未が木局を合成し、木の曲直の義を取る)「佚女」。天盤は卯将を未時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が寅に、六合が卯に、勾陳が辰に、青竜が巳に、天空が午に、白虎が未に、太常が申に、玄武が酉に、太陰が戌に、天后が亥に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に子を見て貴人を乘じ、第二課は子の上に申を見て太常を乘じ、第三課は日支の卯の上に亥を見て天后を乘じ、第四課は亥の上に未を見て白虎を乘じます。三伝は未・卯・亥:初伝の己未は妻財爻で白虎を乘じ、中伝の乙卯は兄弟爻で六合を乘じまた禄神、末伝の癸亥は父母爻で天后を乘じます。
邵先生曰:此課身坐貴人,又來生日,三傳又是木局,乙木生亥、旺卯、庫未,自墓傳旺,自旺傳出亥,必由窮途漸至榮顯至侍從。先喪妻害眷屬,而先納兄弟一子,後一小妻大有財物,壽近九十矣。錢此時為朝議郎,辛亥喪妻,乙卯喪子,繼兄子為子,庚申又娶妻,其時年五十四,妻三十九,有數萬貫錢來嫁,後直至吏部侍郎,八十七而終。
邵先生は言いました。この課は身位が貴人に坐り、貴人がまた来て日干を生じます。三伝はさらに木局を合成します:乙木は亥において長生し、卯において帝旺し、未において庫に入ります。いま墓庫から帝旺に伝わり、また帝旺から伝え出して長生の亥に至るので、必ず困頓の境より漸々榮顕に走向し、ずっと侍従の臣にまで至ります。ただ先に妻を喪い眷属に損あり、先に兄弟の一人の息子を過継します。後に娶る小妻はとても財物があります。寿数は九十に近いです。後の応験(底本はここで記す姓氏を「錢」と作り、上文の「劉運干」と合わないが、照録して改めず):彼は当時朝議郎でした。辛亥年に妻を喪い、乙卯年に子を喪い、兄の息子を過継して嗣と為しました。庚申年に再娶し、その時彼は五十四歳、妻は三十九歳で、幾万貫の銭を帯びて嫁いで来ました。後にずっと吏部侍郎に至り、八十七歳で去世しました。
先生析曰;蓋乙卯皆本亥子並生,曲直又助,自墓傳生,一則有壽,二則自微至顯。末亥為天門,木局為持臺,故主侍郎也。此課本主父子同類作六合,是納兄弟之子,妻財空墓乘虎,主先喪偶,卯祿加未,末傳天后長生,歸於祿地,後妻乃未卯祿加之,是後妻財物旺也。又曰:天后是妻,歸卯地也。
邵先生が解釈して曰く。乙と卯は皆亥・子の水に由って一幷に生起され、曲直の木局がまた来て相助けます。三伝は墓庫から長生に向かって伝わり、一来すれば寿あるを主り、二来すれば微賤より顕達に至るを主ります。末伝の亥は天門で、木局はまた憲台省を持つの象を象るので、侍郎を為すに至るを主ります。この課は本来父子が同類で六合を乘じるので、兄弟の息子を過継するのです。妻財が空墓に落ちまた白虎を乘じるので、先に配偶を喪います。卯という禄神が未に加わり、末伝の天后はまた長生で、禄神の地に帰ります。後娶の妻はまさに未と卯禄の加臨の象なので、後妻の財物が豊厚です。また一説あり:天后はすなわち妻で、いま卯の地に帰りました。
愛圅析曰:未財為前妻,乘白虎,陰神卯木克之,故喪也。天后為後妻,為長生而臨日祿,故後妻財物旺也。
輯者程愛圅が解釈して曰く。未という財爻は前妻を表し、それは白虎を乘じ、陰神の卯木がまた来てそれを剋するので、前妻が亡故しました。天后は後娶の妻を表し、それは長生に坐して日干の禄神の位に臨むので、後妻の財物が豊厚です。
71)鄭子云乙亥生三十四歲,占前程。戊申年十月乙卯日卯將辰時。(子丑空亡,亥子落空),重審,退茹,三奇。 龍空 陳辰巳午未虎 六卯 申常 蛇 朱 朱 六 財 空丑 蛇 初(空亡) 朱寅 酉玄 丑 寅 寅 卯 父 空子 貴 中(空亡) 蛇丑子亥戌陰 寅 卯 卯 乙 父 癸亥 后 末(落空) 貴後
第七十一例:鄭子雲は乙亥年の生まれで三十四歳、前程を占いに来ました。時は戊申年十月乙卯日で、卯の月将を辰の刻に加えて課を立てました。乙卯日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「退茹」「三奇」。天盤は卯将を辰時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が寅に、六合が卯に、勾陳が辰に、青竜が巳に、天空が午に、白虎が未に、太常が申に、玄武が酉に、太陰が戌に、天后が亥に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に卯を見て六合を乘じ、第二課は卯の上に寅を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の卯の上に寅を見て朱雀を乘じ、第四課は寅の上に丑を見て螣蛇を乘じます。三伝は丑・子・亥:初伝の丑は旬空に落ち妻財爻で螣蛇を乘じ、中伝の子もまた旬空に落ち父母爻で貴人を乘じ、末伝の癸亥は父母爻で天后を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:此課主來年再舉,亥年及第高甲,迤邐在朝,更不外任,直至八座位了,卻貶降終不得地,無正宅而居。鄭子云二十九歲發解,三十五又發解,三十七登第,初任臨安教授,歷太學秘書郎司業、工刑二部,皆京官,因與秦檜一言不合而罷。
邵先生は言いました。この課は明年に再度応挙し、亥年に登第してしかも名を高甲に列することを主ります。これより後は一路朝において官を為し、再び外放せず、直に八座(尚書省の高位)にまで至ります。ただ最後に贬降に遭い、終じて安身の地を得ず、また一所の正式の宅第に住むこともありません。鄭子雲は二十九歳に発解し、三十五歳にまた発解し、三十七歳に登第しました。初任は臨安教授で、歴任して太学秘書郎・国子司業および工部・刑部の両部に至り、全て京官でした。後に秦檜と一つの言葉が合わなかったため罷免されました。
先生析曰;蓋乙祿在卯,迤邐歸亥長生之地,自亥至卯,一帶生旺,地支相連,祿神作太陽,朱雀作儀神,中末若不空,則五府之課,今既迤邐入近天門,故在朝八座也。子為紫微宮,亥為遠穹宮,亦主八座,退入空亡,主晚年謫降矣。
邵先生が解釈して曰く。乙木の禄は卯にあり、三伝は一路退いて帰り亥という長生の地に至ります。亥から卯までのこの一段は、全て生旺の気で、地支はまた彼此相い連なります。禄神は太陽を充当し、朱雀は儀神を充当します。中伝・末伝がもし空に落ちなければ、それは五府に位列する大課です。いま三伝は空に落ちたものの、一路退いて天門(亥)に近づく処に至るので、朝中に八座に位列することができます。子は紫微宮で、亥は遠穹宮で、皆八座の位を主ります。ただ最後に退いて空亡に入るので、晚年に贬降に遭うことを主ります。
72)何上舍乙巳年八月二十日午時生,四十歲,占前程,戊申年十月辛酉日卯將未時。(子丑空亡,申酉落空),知一,從革。 陳六 龍丑寅卯辰朱 空子 巳蛇 龍 蛇 陳 龍 官 丁巳 蛇 初(丁神)(暗鬼) 虎亥 午貴 丑 巳 寅 午 父 空丑 龍 中(空亡) 常戌酉申未后 己 酉 午 辛 兄 辛酉 玄 末(落空) 玄陰
第七十二例:何上舎は乙巳年八月二十日午時の生まれで四十歳、前程を占いに来ました。時は戊申年十月辛酉日で、卯の月将を未の刻に加えて課を立てました。辛酉日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の申・酉二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「知一」「従革」(三伝の巳酉丑が金局を合成する)。天盤は卯将を未時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に午を見て貴人を乘じます(底本はここで天将を誤って青竜と標す);第二課は午の上に寅を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の酉の上に巳を見て螣蛇を乘じ、第四課は巳の上に丑を見て青竜を乘じます(底本は第四課の下神の「巳」を「己」と訛るが、照録して改めず)。三伝は巳・丑・酉:初伝の丁巳は官鬼爻で螣蛇を乘じ、すでに「丁神」でありまた暗鬼です。中伝の丑は旬空に落ち父母爻で青竜を乘じ、末伝の辛酉は兄弟爻で玄武を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:官星臨日,初傳應之,謂之催官符,官星又作貴人,辛藏於戌,主庚戌年及第,及第後便丁父母服,服滿赴任,見祿而終酉加空亡故也。止於五十四矣。兄弟相害,因分爭而大生不足,又不得子息力,其旬丁作蛇,不云怪者,辛以巳為德神。子不得力者,空亡也。辛見午為官,巳又助之,名催官符。
邵先生は言いました。官星が日干の上に臨み、初伝がまたそれと相い応ずる——これを「催官符」と呼びます。官星は同時に貴人を充当します。辛金は戌の中に蔵れるので、庚戌年に登第することを主ります。登第した後すなわち父母のために服喪し、服満して赴任し、俸禄を見ればすなわち到頭です——これは酉が空亡に加臨するためで、寿数は五十四歳に止まります。兄弟の間は彼此相い害し、分家して産を争うことによって大いに和気を傷ります。子息の上でも助力を得られません。三伝中の旬丁が螣蛇を乘じれば、本は怪異を主るべきですが、ここで怪異を説かないのは、辛金が巳をもって徳神とするためです。子息が力を得られないと言うのは、空亡に落ちるためです。辛金は午を見て官星と為し、巳がまた来てそれを幇扶するので、「催官符」と名づけます。
果庚戌及第,壬子丁母憂,乙卯丁父憂,庚申赴利州推官,五十三歲卒。先是戊午年兄弟爭分四次,入官估札以死,子三人皆再娶生,巳為生方作旬丁,又作蛇,是丙丁也。
後の応験:庚戌年に果たして登第しました。壬子年に母親が去世して丁憂し、乙卯年に父親が去世して丁憂しました。庚申年に赴任して利州推官を為し、五十三歳で去世しました。これより前の戊午年に、兄弟は分家のため四回争い、官府に鬧ぎて估価して契を立ててからようやく罷み、彼の死に至るまで続きました。三人の息子は皆續娶の妻の生んだところです——巳は生方の位で旬丁を帯び、また螣蛇を乘じるので、まさに丙丁の火気の象です。
金日金局是兄弟爭也。三傳無子爻,故子不得力,五十三者,乃午九酉六,六九五十四也。
別に補注ありて曰く。金日にまた金局に逢い、同類が多すぎるのは、まさに兄弟相い争う象です。三伝のうちに子孫爻がないので、息子は力を得られません。五十三、四の歳に至っては、午の数は九・酉の数は六で、六に九を乘じて五十四を得るからです。
73)童七秀才壬申生三十七歲,占前程,戊申年六月丁巳日未將未時。(子丑空亡,子丑落空),伏吟,元胎,勵德。 虎常 空巳午未申玄 龍辰 酉陰 空 空 常 常 兄 丁巳 空 初(丁神) 陳卯 戌后 巳 巳 未 未 財 庚申 玄 中 六寅丑子亥貴 巳 巳 未 丁 父 甲寅 六 末 朱蛇
第七十三例:童七秀才は壬申年の生まれで三十七歳、前程を占いに来ました。時は戊申年六月丁巳日で、占時は未時、月将もまた未で、将と時が同位となって「伏吟」を成します。丁巳日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の子・丑二支もまた空亡宮を正しく押さえています。ほかに課名は「元胎」「励徳」。天盤の布き方:貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は伏吟のため両々相同じ:丁火は未宮に寄せられ、第一課は未が丁に加わり、第二課は未が未に加わり、皆太常を乘じ、第三課は日支の巳が巳に加わり、第四課は巳が巳に加わり、皆天空を乘じます。三伝は巳・申・寅:初伝の丁巳は兄弟爻で天空を乘じまた「丁神」、中伝の庚申は妻財爻で玄武を乘じ、末伝の甲寅は父母爻で六合を乘じます。
邵先生曰:此課主來年發解,行年到寅,寅卯同收,只是不及第,又妻為猿猴所迷,四年後移居妻家,因妻家子死,併為一家住。又合主科第,授推官將滿,喪妻,再授財賦,再至任七月而終於奴婢之手,不見子息,一邊動哀,一邊子息喜事至。
邵先生は言いました。この課は明年に発解することを主ります——行年が寅に走到し、寅・卯が一同に気を収めるので、ただまだ進士には中れません。また妻子が猿猴に迷惑されることを主ります。四年の後に妻家に搬りて住みます。妻家の息子が死したため、両家がすなわち一家に合成して同住するからです。後になお中科第し、推官の職を授けられ、任期が満ちんとする時に妻を喪い、さらに財賦を掌る官を授けられ、任に到って七箇月で奴婢の手中に死し、臨終に息子が側にいるのを見ません。その時、一辺ではまさに哀を挙げ、一辺では息子の喜信が伝わって来ました。
童果次年得解,至今赴省,其家近山,妻為猿猴所迷,終日歌咲不已,鄰人記得先生言治之而愈,四年遂移妻家居七年,妻父母止一子,亡,遂與童共居。戊辰科及第,授南安州司李,任滿妻葉氏亡,再授臨安樓務官,到任七月,二子歸秋試,童死。只有五六奴婢措置後事,及子息來扶喪,次子得第七名解矣。
後の応験:童七秀才は第二年に果たして解を得、続いて省城に赴いて応試しました。彼の家は山に近く、妻子が猿猴に迷惑され、終日歌を歌い傻笑して止みませんでした。隣居の人は邵先生が説いた言葉を記憶し、照りて治療してようやく痊癒しました。四年後に妻家に搬りて七年住みました——妻の父母はただ一人の息子がいて、息子が死したので、すなわち童家と合して住みました。戊辰科に登第し、南安州司理を授けられました。任満の時に妻の葉氏が去世し、さらに臨安楼務官を授けられ、任に到って七箇月の時に、二人の息子は郷に帰って秋試に参加していて、童七秀才はすなわち死し、ただ五六人の奴婢が彼のために後事を料理しました。息子たちが趕いて来て喪を扶けるを待ち、ようやく次子が解試第七名に中ったことを知りました。
先生析曰;蓋丁以末傳寅為學堂,末寅行年卯扶,故次年發解舉。又曰上常為職,初傳臨官天空,主聲譽也,充解。中傳妻宮,元武乘之,並光怪殺,申為猿,武為賊,主猿迷;歸妻家者,日止一丁,巳有兩丁,支上初傳也,皆生於寅。宅為妻,故主入妻家,丁生於寅,故同居,充解及第,皆末傳寅也。死不見子干,傳中無子爻也。
邵先生が解釈して曰く。丁火は末伝の寅をもって学堂とし、末伝の寅にはまた行年の卯が来て扶助するので、第二年に発解して挙に中りました。また言います:日干上の太常は職任を主り、初伝の臨官の位がまた天空を乘じて声名を主るので、解額を充つることができます。中伝は妻宮で、玄武が乘臨し、光怪の煞を幷せています——申は猿猴の象を取り、玄武は盗賊なので、猿猴が人を迷わすことを主ります。妻家に帰入すると言うのは:日干はただ一つの丁なのに、巳位の上には却って両重の丁(日支上と初伝)があり、皆寅において長生します。日支はすなわち妻なので、妻家に入贅することを主ります。丁はまた寅に長生するので、両家が同居します。充解と登第に至っては、皆末伝の寅に応じます。臨死に息子を見ないのは、三伝のうちに子孫爻がないためです。
74)陳主簿戊寅生三十二歲占官任吉凶,及問遷擢,己酉年十月庚辰日寅將辰時。(申酉空亡,午未落空),渉害,見機,間傳,顧祖。 六陳 朱卯辰巳午龍 蛇寅 未空 后 蛇 六 龍 官 壬午 龍 初(落空) 貴丑 申虎 子 寅 辰 午 父 庚辰 六 中 后子亥戌酉常 寅 辰 午 庚 財 戊寅 蛇 末 陰玄
第七十四例:陳主簿は戊寅年の生まれで三十二歳、任上の吉凶を占いに来て、併せて升遷を問いました。時は己酉年十月庚辰日で、寅の月将を辰の刻に加えて課を立てました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の午・未二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「渉害」「見機」(渉害課の中で四孟の上神を取って発用するは、機を見て作すことを主る)「間伝」「顧祖」(三伝が頭を回らせて本根を顧る)。天盤は寅将を辰時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に午を見て青竜を乘じ、第二課は午の上に辰を見て六合を乘じ、第三課は日支の辰の上に寅を見て螣蛇を乘じ、第四課は寅の上に子を見て天后を乘じます。三伝は午・辰・寅:初伝の壬午は官鬼爻で青竜を乘じて空地に落ち、中伝の庚辰は父母爻で六合を乘じ、末伝の戊寅は妻財爻で螣蛇を乘じます。
