六壬断案 · 第1巻
邵彦和大六壬案例集(元集)・天時
大六壬典籍
まず起課と三伝を発する機械的な流れを確実にしてから、課体と神煞に入る。起課を飛ばして断語だけ読んでも、書中の例を自分で再現できない。
六壬斷案
弁言
邵彥和先生,宋人也。據其自占動靜一數而推之,生於英宗治平二年乙巳,歿於高宗紹興三年癸丑,似浙江之太末人。(按:斷語中有云,日後動於東北,近二百里,果辛亥年十月過婺州,自鄉里行一百八十里。然則在婺州之西南方也。婺州西南一百八十里,是為太末人。雲壬子年過嚴州,自鄉中東北過西北,然則在嚴州之東南方也。嚴州東南亦太末也。)
邵彦和先生は宋の人です。先生が自ら占った「動静」の一課から割り出した年数を遡って推すと、およそ宋の英宗治平二年乙巳(西暦1065年)に生まれ、高宗紹興三年癸丑(西暦1133年)に没したことになり、籍は浙江の太末(現在の龍游あたり)だったと思われます。(編者の程銓自注:斷案の中に「これから東北の方へ出向くことになり、道のりはほぼ二百里」という一条があり、後に果たして辛亥年十月に婺州を通り、郷里からちょうど百八十里を行きました。これで見ると、彼の家は婺州の西南にあるはずです。婺州の西南百八十里は、まさに太末です。また「壬子年に嚴州を通り、郷里の東北から西北へ向かった」という一条があります。これで見ると、家はまた嚴州の東南にあり、嚴州の東南もまた太末です。二条が互いに印証し合うので、彼が太末の人であると断定したのです。)
先生精於六壬,占無不中,且言忠教孝,規過勸善,各因人而施,是知為年高德劭之耆英,非徒以六壬見長也。所存斷案,蓋及門諸子所編,委曲詳明,以詔後之學者。奈歷年既久,率多散逸,緣後人各憑己見,互有去取於其間,於是原本渺不可得矣。嘗讀凌福之先生《畢法賦》序,知在理宗寶慶以前已有將先生之案分析措辭而興販利者。何況由南宋至今,歷六百七十餘年之久哉?
邵先生は大六壬に精通し、占断して中らぬことはありませんでした。しかも口を開けば必ず人に忠を尽くし孝を行うよう勧め、過ちを戒め善に努めさせ、相手によって言い方を変えました。ここから、彼が年齢高く徳の重い長老であり、単に六壬の術に長じただけの人ではないことが分かります。現存する断案は、おそらく門下の弟子たちが編集したもので、記事は委曲詳細、説理は明白で、後の学人を教えるためのものです。ただ年代があまりに古く大半は散逸し、後人がそれぞれ己の見解でその間に取捨増削を加えたため、原本はもはや渺として得られません。かつて凌福之先生の《畢法賦》序を読み、宋の理宗寶慶年間以前に、すでに邵先生の断案を切り分け言葉を換えて売りさばく者がいたことを知りました。まして南宋から今日まで六百七十余年も隔たっているのです。転々として真を失ったのも不思議ではありません。
餘自弱冠之前愛習,凡見先生斷案,便錄而珍藏之,三十年來,僅得五本。其一為前明萬曆年間夢醒頭陀所鈔,附於《捷要》一書中也;一則《口鑑》中之注也;一則《前知書》中所引者也;一則方仰松先生所購於武林者也。方仰松先生自記云:乾隆五十一年三月初二日,余遊武林,遍求六壬書,於市中無有可觀者,最後得此冊於肆中,缺其首尾不全,然其古者之官銜,元明以後所無,知為宋人之遺書也。其斷驗神妙,出吾家之上。真六壬中之秘本,書雖不全,然舉隅三反,所得為不少矣!
私は二十歳に満たない頃からこの術を愛好し、邵先生の断案を見るたびに書き写しては秘蔵してきましたが、三十年の間にわずか五つの写本を得たのみです。その一つは前朝・明の万暦年間に夢醒頭陀が写したもので、《捷要》という書に附されています。一つは《口鑑》中の注文です。一つは《前知書》に引用されているものです。もう一つは方仰松先生が武林(杭州)で購い求めたものです。方仰松先生自身の記録に曰く:乾隆五十一年三月初二日、私は杭州に遊び、あちこち六壬の書を探し求めたが、市中に見るべきものは一つもなく、最後に書肆でこの一冊を得た。首尾が欠けて完全ではないが、書中に記された古い官銜は元・明以降にはないもので、宋人の遺書と知れた。その占断の応验は神妙で、わが家の旧蔵を上回る。まさに六壬の中の秘本である。書は全きを欠くが、一隅を挙げて三隅を反れば、得るところ少なくない、と。
其一則宋人原書,僅有己酉年元旦起至六月十六日止一冊也。凡茲五本,多寡不齊,語句亦異,乃細心考訂,擇其理長者,分類編次之,共得二百一十六例。天時三,宅墓三十九,前程仕進五十八,終身一十六,流年二,婚姻三,胎產子息七,財產一十二,一課二事各斷式三,交易二,出行訪謁七,行人音信六,病症一十七,六畜九,亡盜一十四,官訟一十二,雜占六。以為六壬之鈐式。然先生享年將及古稀,詎止於此?此固據餘之所見者也,倘有同志君子,惠餘所未見者焉,行將補成全璧,是則餘之所厚望者矣!古歙槐塘程銓愛圅氏輯
最後の一冊は宋人の原書で、己酉年の正月初一から六月十六日までの一冊しか残っていません。この五本は条数の多少も揃わず、文句も互いに異なるので、私は心を込めて考訂し、理の通ったものを選んで分類編次し、あわせて二百十六例を得ました。内訳は:天時三例、宅墓三十九例、前程仕進五十八例、終身十六例、流年二例、婚姻三例、胎産子息七例、財産十二例、一課二事各断式三例、交易二例、出行訪謁七例、行人音信六例、病症十七例、六畜九例、亡盗十四例、官訟十二例、雑占六例です。これらを六壬を学ぶための法式の型としました。ただ邵先生は享年がほぼ七十に及んだのですから、一生の占断がこれだけの筈がありません。ここにあるのは私の目が及んで見たものに過ぎません。もし同好の君子がいて、私の見たことのない本を恵んでくださるなら、補い綴じて完璧な一部にできるでしょう。これこそ私が深く望むところです。古歙県槐塘の人・程銓(字は愛圅)謹んで輯録す。
邵彦和大六壬案例集(元集)・天時
01)韓太守占祈雪,建炎三年己酉歲十一月初四己卯日寅將酉時,(申酉空亡,丑寅落空),鑄印,乘軒,知一,勵德。 六陳 朱戌亥子丑龍 蛇酉 寅空 龍 貴 玄 陳 父 辛巳 玄 初 貴申 卯虎 丑 申 巳 子 兄 甲戌 朱 中(暗鬼) 后未午巳辰常 申 卯 子 己 鬼 己卯 虎 末 陰玄
第一例:韓太守が雪を祈るために占いました。時は南宋建炎三年己酉年十一月初四日、日辰は己卯で、寅の月将を酉の刻に加えて課を立てました。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉の二位に落ちます。天盤の丑・寅二支がちょうど空亡の宮位を押さえているので「丑寅落空」と言います。この課には四つの課名があります:「鑄印」(三伝が熔金して印を鋳るがごとく、謀事の成ること・名分の定まることを主る)、「乘軒」(貴人が車に乘る象で、昇進顕達を主る)、「知一」(複数の課に剋がある時、日干と同類のものを取って比用し、事に専一の主のあることを主る)、「勵德」(貴人が身に臨み、自ら省み德を修めて後に吉となることを主る)。天盤の布き方:貴人が申に乘り、その下は順に螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ並べます:第一課は日干の己の上に子を見て勾陳を乘じ、第二課は子の上に巳を見て玄武を乘じ、第三課は日支の卯の上に申を見て貴人を乘じ、第四課は申の上に丑を見て青竜を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の辛巳は父母爻で玄武を乘じ、中伝の甲戌は兄弟爻で朱雀を乘じ、暗にまた鬼爻となり、末伝の己卯は官鬼爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:數日來,天氣和暖,宛如三九月,州縣雖然祈雪,皆無響應,今得此課,明日天色必變,巳時風起轉寒,未時有雨,亥時作雪,厚有七寸。眾官皆嘆曰:今日晴暖,雪從何來?當日已晚,次早眾官在壇,待至巳時,果然風起。霎時雲合,未時微雨,眾官散後,北風大作,甚冷,二更後下雪,至次日未時方止,果積七寸。
邵先生は言いました。この数日は天候が暖かく、まるで三月や九月のようです。州県では壇を設けて雪を祈りましたが、少しの感応もありません。今この一課を占ったところ、明日は必ず天色が変わります。巳の刻(午前九時から十一時)に風が起こり冷え込み、未の刻(午後一時から三時)に雨が降り、亥の刻(夜九時から十一時)には雪に変わり、積雪は七寸の厚さになるでしょう。居合わせた役人たちは皆「今日これほど晴れて暖かいのに、雪がどこから来るものか」と感嘆して疑いました。当日はすでに夕方に近く、翌朝、役人たちは祈雪の壇に行って待ちました。巳の刻になると果たして風が起こり、瞬く間に雲が合わさり、未の刻に小雨が降り始めました。役人たちが散った後、北風が激しく吹いて一気に冷え込み、二更(夜九時すぎ)に雪が降り出し、翌日の未の刻まで降り続いて止みました。積雪は果たして七寸で、断った通り寸分違わぬものでした。
先生析曰;蓋此課,火伏於下,水升乎上,不拘占雪占雨,皆當日有。況申為夜貴,正是權柄。日上又見天河之水,騰運乎上,必流乎下。初傳巳火臨子被克,上見玄武,變成大風雪。蓋巳戌卯鑄印,春夏秋必雨,冬必雪。末傳卯作白虎,與申皆是白色,申乃空亡,正是空中降下,乃造化之所生也。夫火伏於下,水騰乎上,一雨也;申子為水,加臨日辰,二雨也;三傳順行,三雨也;卯為雷,雷過西方為虎所制,雖冬月無雷,豈深冬無雪乎?子作勾陳,占雨主連綿、主雪,主深厚。凡鑄印課,占天時必大雨雪。
邵先生が解釈して曰く。この課の格局は、火気が下に伏し水気が上に昇る形です。雪を占うにも雨を占うにも、その当日に即座にあることを主ります。まして申金は己日の夜間の貴人で、まさに事を主る権柄を表しています。日干の上にまた子水を見ています——子は天河の水で、すでに上へ騰り昇ったからには、必ず傾き流れ下りるのです。初伝の巳火が子水の上に加わって水に剋され、その上に玄武(水神・暗昧の神)を乘じているので、大風雪に化します。巳・戌・卯の三伝が「鑄印」の格を成すため、この課は春・夏・秋の三季に占えば必ず雨があり、冬に占えば必ず雪があります。末伝の卯木は白虎を乘じ、白虎と申金はともに白色に属します。しかも申はちょうど空亡に当たり、空亡は空中から降り下る象です——これがまさに造化が自然に生み出す雪です。さらに「雨兆」から数えます:火が下に伏し水が上に騰るのが第一重の雨象、申・子がともに水に属して日辰の上に加わるのが第二重の雨象、三伝が順に次いで行くのが第三重の雨象です。卯は雷ですが、雷が西方へ行けば白虎(金)に制されます。冬月にはもともと雷はないと言っても、深い冬に雪のないことがありましょうか。子水が勾陳を乘じているので、雨を占えば連綿と続くことを主り、雪を占えば深く積もることを主ります。おおよそ「鑄印」課は、天時を占うのに用いれば必ず大雨・大雪となります。
02)十二月戊申日子將申時,(寅卯空亡,午未落空),元首,潤下,勵德,六儀,占晴雨。 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄 蛇 貴 陳 兄 甲辰 玄 初(暗鬼) 空未 寅后 辰 子 丑 酉 子 戊申 龍 中 虎午巳辰卯陰 子 申 酉 戊 財 壬子 蛇 末 常玄
第二例:ある年の十二月戊申日に晴雨を占い、子の月将を申の刻に加えて課を立てました。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ちます。天盤の午・未二支が空亡の宮位に落ちています。課名は四つ:「元首」(四課の中にただ一か所、上神が下神を剋するところがあり、それを取って発用とし、事体の正大・条理あることを主る)、「潤下」(三伝の申・子・辰が水局を合成し、水の下へ潤うように行くことを主る)、「勵德」、「六儀」(課中に旬首の儀を帯び、凶に逢っても解けることを主る)。天盤の布き方:貴人が丑に乘り、順に螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊の上に酉を見て勾陳を乘じ、第二課は酉の上に丑を見て貴人を乘じ、第三課は日支の申の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に辰を見て玄武を乘じます。三伝は辰・申・子:初伝の甲辰は兄弟爻で玄武を乘じ、兼ねて暗鬼をなし、中伝の戊申は子孫爻で青竜を乘じ、末伝の壬子は妻財爻で螣蛇を乘じています。
邵先生曰:潤下課,元臨子作用,中傳龍又乘申,末又是夜青龍。若春占主水漲,今冬占必有大雪。果辛亥日雨,丙辰日大雪,戊午日晴而起風。
邵先生は言いました。これは「潤下」課で、初伝の辰が子水の上に加わって発用し、中伝はまた青竜が申金を乘じています(申は水の長生で、青竜はもともと雨師の神)。末伝の子水も依然として夜占青竜の一路の水気の中にあります。このような課は、春に占えば江河の増水を主ります。今は冬に占ったのですから、必ず大雪があるでしょう。後に果たして応验しました:辛亥日に雨が降り、丙辰日に大雪が降り、戊午日に晴れて風が起こり、前後が一つ一つ符合しました。
03)庚辰日浙江大旱,九月十五日癸丑日辰將辰時,(寅卯空亡,寅卯落空),伏吟,亂首,勵德,遊子,稼穡,州官占雨。斷語遺失。 后陰 貴巳午未申玄 蛇辰 酉常 陳 陳 陳 陳 鬼 癸丑 陳 初 朱卯 戌虎 丑 丑 丑 丑 鬼 庚戌 虎 中 六寅丑子亥空 丑 丑 丑 癸 鬼 丁未 陰 末(丁神) 陳龍
第三例:庚辰の年、浙江が大干ばつに見舞われ、九月十五日癸丑日に、州官が雨を求めて占いに来ました。辰の月将を辰の刻に加えて課を立てました。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の寅・卯二支もまた空亡宮を押さえています。月将と占時が同じ位にあるため、天盤と地盤が完全に重なり合うので「伏吟」課です(万事が伏して動かない)。また「乱首」(上下が相凌ぎ尊卑の序を失う)、「勵德」、「游子」(漂泊して他所へ行くことを主る)、「稼穡」(三伝が辰戌丑未の土局で、田土・稼穡の事を主る)を兼ねています。この条の断語は流伝の中ですでに散逸し、底本には課式だけが残って邵先生の判詞はありません。天盤の布き方:貴人が巳に乘り、順に螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は伏吟のため全て同一です:癸日の寄宮は丑にあり、日干上・日支上に得るものはいずれも丑で、四課とも丑が丑に加わり、一律に勾陳を乘じます。三伝は丑・戌・未:初伝の癸丑、中伝の庚戌、末伝の丁未はいずれも土で、癸水の日干に対して全て官鬼爻であり、それぞれ勾陳・白虎・太陰を乘じます。末伝の丁未はまた「丁神」(動揺・遷改を主る)です。
宅 墓
04)張九翁戊午生五十一歲,占宅。戊申年九月庚寅日辰將未時。(午未空亡,卯辰落空),元首,元胎。 朱六 蛇寅卯辰巳陳 貴丑 午龍 虎 陰 蛇 陳 鬼 癸巳 陳 初 后子 未空 申 亥 寅 巳 財 庚寅 蛇 中 陰亥戌酉申虎 亥 寅 巳 庚 子 丁亥 陰 末(丁神)(暗鬼) 玄常
第四例:張九翁は戊午年の生まれで五十一歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年九月庚寅日で、辰の月将を未の刻に加えて課を立てました。庚寅日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の卯・辰二支が空亡宮に落ちています。課名は「元首」(一か所の上剋下で発用)、「元胎」(事が孕育・萌芽の中にあることを主る)。天盤の布き方:貴人が丑に乘り、順に螣蛇が寅に、朱雀が卯に、六合が辰に、勾陳が巳に、青竜が午に、天空が未に、白虎が申に、太常が酉に、玄武が戌に、太陰が亥に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚の上に巳を見て勾陳を乘じ、第二課は巳の上に寅を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の寅の上に亥を見て太陰を乘じ、第四課は亥の上に申を見て白虎を乘じます。三伝は巳・寅・亥:初伝の癸巳は官鬼爻で勾陳を乘じ、中伝の庚寅は妻財爻で螣蛇を乘じ、末伝の丁亥は子孫爻で太陰を乘じ、「丁神」であると同時に暗に鬼気を伏せています。
邵先生曰:干支皆受上神來生,利宅不利人。干上發用歸傳支,末傳亥脫今日之干而生今日之支,因充役費用,又與姓陳吏人不和,尊長末後為兒娶婦,所費盡壞家計;十一年間陰人守寡,是時家產四分矣。張九翁果先好,後因充役,大有所費;又為妻叔與陳姓吏人作鬼,因來動店內物,卻乃爭訟;後二年又與子娶婦,倍陪女家;後五年因弟有事,遂作四分分也。
邵先生は言いました。日干と日支の上神がいずれも日干・日支を生じに来ています。これは宅に利して人に利かざる格局です。発用は日干の上から起こり、三伝は日支(宅)に帰ります。末伝の亥水は今日の庚金の気を泄脱し、却って今日の寅木の日支を生じます。ゆえに官府のために差役を務めて財貨を破費することを主ります。また陳という姓の吏人と気が合わなくなるでしょう。家中の尊長は最後に息子のために嫁を娶り、その費用の大きさは家業を傾けるに足ります。十一年の間に婦人が寡を守ることになり、その時には家産はすでに四分に分かれています。後に張九翁は果たしてまず家道が順調でしたが、その後差役に充てられて破費が甚だしくなりました。また妻の叔父と陳姓の吏人が間で横やりを入れ、彼の店の貨物を動かしに来たため、官司になりました。さらに二年後に息子のために嫁を迎え、女家に賠う財礼は倍になりました。また五年後、弟の出事によって家産が四分に分かれ、すべて断った通りになりました。
先生析曰;蓋庚生於巳,寅生於亥,庚脫於亥,寅脫於巳,干支俱受生而互受脫,是先興旺而後衰敗也。亥數四、寅數七,乃十一年也。亥脫今日干,則耗洩我矣,故主費財。亥為支之長生,生宅脫我,豈不是為宅舊役累而費用乎?宅上亥乃脫神,從宅發出,為末傳,又來脫我,亥為婦人,故曰為子娶婦費壞也。上加太陰,為老陰人,故又主陰人守寡,中傳寅為吏人,上為蛇撓,又為今日絕神,且寅又為今日財神,陰人得亥為脫氣,故主因妻與吏人爭訟也。
邵先生が解釈して曰く。庚金は巳に長生し、寅木は亥に長生します。反対に、庚金は亥水に遇えば泄脱し、寅木も巳火に遇えば泄脱します。日干・日支がそれぞれ生を得ながら、互いに泄し合う——これがまさに先に興り後に衰える象です。亥の成数は四、寅の成数は七で、四と七を足せばちょうど十一になるので、十一年の上に定めたのです。亥水が我が庚金の気を泄すのは、我を耗損するということなので、財貨の破費を主ります。亥はまた日支(宅)の長生で、宅を生じて我を泄す——これこそ宅の上の旧差役に累を引かれて破費するのではありませんか。宅上の亥はもともと脱神で、宅位から発して末伝に落ち、回り回ってまた我を泄します。亥は人事の上で婦人を表すので、息子のために嫁を娶って家業を使い尽くすと言ったのです。亥の上に太陰を乘じ、太陰は年長の婦人なので、また婦人の守寡を主ります。中伝の寅木は吏人を表し、寅の上に螣蛇を乘じるので、纏わりつき乱すことを主ります。寅はまた庚金の絶地であり、同時に今日の財爻でもあります。妻財の一路の陰人が亥水に遇えば泄気となるので、妻家の縁故で吏人と争訟することを主るのです。
05)葉助教戊午生五十一歲占宅,戊申年正月辛卯日子將未時。(午未空亡,亥子落空),重審,勵德,不備,斫輪,贅婿。 龍空 陳戌亥子丑虎 六酉 寅常 虎 朱 朱 玄 財 辛卯 玄 初 朱申 卯玄 丑 申 申 卯 兄 甲申 朱 中 蛇未午巳辰陰 申 卯 卯 辛 父 己丑 虎 末 貴後
第五例:葉助教は戊午年の生まれで五十一歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年正月辛卯日で、子の月将を未の刻に加えて課を立てました。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮に落ちています。課名は五つ:「重審」(下神が上神を賊して発用し、事が内から起こり、重ねて審察すべきことを主る)、「勵德」、「不備」(四課が全からず三課のみ成り、事物の残欠して周ならざることを主る)、「斫輪」(《荘子》の輪扁斫輪の義を取り、老手でなければ事を成せないことを主る)、「赘婿」(日支が日干に就きに来て日干に制されるのは、入赘の婿のごとく、宅が人に就き外から依附することを主る)。天盤の布き方:貴人が午に乘り、順に螣蛇が未に、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛の上に卯を見て玄武を乘じ、第二課は卯の上に申を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の卯の上に申を見て朱雀を乘じ、第四課は申の上に丑を見て白虎を乘じます。三伝は卯・申・丑:初伝の辛卯は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の甲申は兄弟爻で朱雀を乘じ、末伝の己丑は父母爻で白虎を乘じています。
邵先生曰:此課支來就干為干所制,名曰贅婿。太歲入宅克宅,宅來就人又被人克,六年中家破屋拆,遂成墓地,必葬尊長在內。六年之前,四分五裂,門戶分張,主外姓或還俗僧人入撓,遂宅破矣。
邵先生は言いました。この課は日支が駆け寄って日干に就きながら、また日干に制伏されます。課名を「赘婿」と言います。その年の太歳が宅位に入って宅を剋し、宅はまた反って人に就き、人に就いた後もなお人に剋されます。このようでは六年以内に必ず家が破れ屋が壊れ、宅基はついに墳地に変わり、しかも必ず尊長がその中に葬られるでしょう。六年に満たないうちに、家中はすでに四分五裂して門戸が分かれて別々に暮らすようになります。また外姓の人あるいは還俗した僧が入り込んで攪乱し、宅はこうして敗壞します。
先生析曰;蓋末傳丑為辛日之墓神,臨太歲上,太歲為其所墓,遂來宅上而克宅,宅被克,走回日上,又為日所克,宅既不留,屋何存立?又自身上發傳入宅,又逢太歲來加,又太歲上見今日之墓神丑,丑土生申金,是申金之尊長,庚辛墓於丑,是尊長葬埋之處。卯數六,故不出六年。申為僧,辛與申同類,還俗僧也。或乙酉見辛卯,或辛酉見乙酉,皆係還俗僧。乙為沙門,辛為僧舍也。卯上見元武,故主門戶分張。後癸丑年其叔死,遂殯於內。叔有三子,一子為僧,還族歸分家產,助教不肯,經官斷定作諸子分家,與叔共五子,助教亦得一分,作六分分矣。戊申至癸丑乃六年,當年又死一男一女,乃太歲克宅故也。其經官者,亦太歲入宅克宅也。卯為沙門,申為僧之申與辛同類,今從外退回宅上,是僧還俗也。乙亦沙門,辛為僧舍,申,辛之兄也。
邵先生が解釈して曰く。末伝の丑土は辛金日干の墓神で、太歳の申の上に臨んでいますが、太歳が却ってそれに墓されます。この墓神はまた宅位に転じて宅を剋します。宅は剋されるや、日干位に走り戻るしかないのですが、また日干に剋されます——宅が留まることができないのに、房屋がどうして存立できましょうか。さらに発用が本身(日干)の上から起こって宅位に伝入するのを見ると、太歳の加臨に遭い、しかも太歳の上に偏いに今日の墓神である丑が見えます。丑土は申金を生ずることができる、すなわち申金の尊長です。庚・辛はともに丑に墓するので、ここはまさに尊長が安らかに葬られるところです。卯の数は六なので、六年を出ないと断じました。申は人事において僧を主り、辛と申は同じく金に属して同類です。合わせれば還俗した僧です。乙酉が辛卯を見るにせよ、辛酉が乙酉を見るにせよ、いずれも還俗僧を主ります——乙は沙門、辛は僧舎です。卯の上に玄武を乘じているので、門戸が分かれて各自別立することを主ります。後に癸丑年、彼の叔父が亡くなり、宅内に殯葬されました。叔父には三人の息子があり、その一人の子は出家して僧になっていたのが、還俗して宗に帰り家産を分けようとしました。葉助教が肯んじなかったので、官府の判定を経て、諸子に従って分家しました。叔父の家を合わせて全部で五人の息子がおり、助教自身も一分を得て、全部で六分に分かれました。戊申年から癸丑年まで数えてちょうど六年です。その年、家の中でまた男女一人ずつが死にましたが、まさに太歳が宅を剋した故です。官府にまでもつれたのも、太歳が宅に入って宅を剋したのに拠るのです。卯は沙門、申は僧で、申と辛は同類です。今、申が外から宅上に退き返ったのは、まさに僧が還俗する象です。乙もまた沙門を主り、辛は僧舎を主り、申は辛の兄輩です。幾重もの取象が皆同じ一事を指しています。
06)邵三翁癸亥生,四十六歲,占宅。戊申年八月辛巳日辰將亥時。(申酉空亡,丑寅落空),重審,斬關,勵德,不備,斫輪,亂首。 六朱 陳戌亥子丑蛇 龍酉 寅貴 后 陳 空 后 財 己卯 后 初 空申 卯后 卯 戌 申 卯 兄 空申 空 中(空亡) 虎未午巳辰陰 戌 巳 卯 辛 父 丁丑 蛇 末(落空)(丁神)(暗鬼) 常玄
第六例:邵三翁は癸亥年の生まれで四十六歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年八月辛巳日で、辰の月将を亥の刻に加えて課を立てました。辛巳日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮に落ちています。課名は六つ:「重審」、「斬関」(関を越えて行き、遷動・出入に宜しいことを主る)、「勵德」、「不備」、「斫輪」、「乱首」(上下が相凌ぎ尊卑の序を失う)。天盤の布き方:貴人が寅に乘り、順に螣蛇が丑に、朱雀が子に、六合が亥に、勾陳が戌に、青竜が酉に、天空が申に、白虎が未に、太常が午に、玄武が巳に、太陰が辰に、天后が卯に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛の上に卯を見て天后を乘じ、第二課は卯の上に申を見て天空を乘じ、第三課は日支の巳の上に戌を見て勾陳を乘じ、第四課は戌の上に卯を見て天后を乘じます。三伝は卯・申・丑:初伝の己卯は妻財爻で天后を乘じ、中伝の申は旬空に落ちて遁干を寄せることができず、天空を乘じ、末伝の丁丑は父母爻で螣蛇を乘じ、空地に落ちると同時に「丁神」であり、さらに暗に鬼気を蔵しています。
邵先生曰:此課乃妻為主,日去加辰,夫去脫妻,妻為長,夫反為少也。然汝之妻,本兄之妻,而汝得之,日後只得九年相守。第八年因作生地,與兄弟不足,生難得此地,而死不得葬也。目下主喪妻,緣是磨壓東門,所以有再娶之患也。
邵先生は言いました。この課は妻をもって事を主る神とします。日干が日支の上に走って行くのは、夫が却って妻を泄脱に行く形です。妻が尊長の位に居り、夫が却って幼小の方になります。しかもあなたの現在の妻は、もともとあなたの兄の妻で、後になってあなたに帰したものです。これから二人が守り合えるのは九年だけです。第八年には、生圹(生前に修める墓地)を営造することで兄弟と不和になります。生きている間はこの地を争い取ることができず、死んでからもそこに葬ることができません。目下のところ妻を失うことを主りますが、課中に磨石が東門を圧する象があるので、もう一度再娶する応验があります。
先生析曰;申為磨,中卯為壓東門也。辛以卯為妻,上見天后,妻為主。干又就支,反致勾留,上見勾陳故也。申加卯上作天空,申乃今日之同類,而加妻上,是兄之妻也。申同類為兄,加卯妻爻上,是為兄之妻。然不加申酉空亡,又作天空,必兄已亡過,遂有其妻,所以邵公敢開此口。若申不空,則不可亂斷。末丑,辛之墓;加於同類之上,並蛇丑八數,是以八年因開生地,與兄弟不和,丑土生申金,乃生地也。九年死者,戌加巳,上五下四,共九數也。
邵先生が解釈して曰く。申金は磨石を象り、中伝の卯木は東方にあるので、磨石が東門を圧する象です。辛金は卯木をもって妻財とし、卯の上に天后(女宿の神)を乘じているので、この課が妻を主とすると断じました。日干がまた日支に就きに行って却って牽絆されるのは、日支の上に勾陳(勾留の神)を乘じている故です。申金が卯木の上に加わって天空を乘じています:申は今日の辛金の同類であり、同類が妻爻の上に加わるのは、すなわち兄の妻です。同類は兄で、卯という妻爻の上に加わるのは、まさに「兄の妻」です。ただ、ちょうど申・酉がまた旬空に落ち、申の上にさらに天空(虚耗の神)を乘じているので、兄がすでに亡くなり、弟がその妻を受け継いだと分かります。邵先生はこの故に敢えて言い切ったのです。もし申が空に落ちなければ、このように断ずることはできません。末伝の丑は辛金の墓庫で、同類の申金の上に加わっています。さらに螣蛇と丑の数を合わせると、共に八を得るので、第八年に生圹を開鑿することで兄弟と不和になると断じました。丑土は申金を生ずることができる、まさに「生地」の象です。九年に妻が死ぬというのは、戌が巳の上に加わり、戌の数は五、巳の数は四で、上五下四を合わせて九の数を成すからです。
07)邵秀才癸丑年生五十七歲占宅及父母,己酉年二月乙巳日戌將亥時。(寅卯空亡,丑寅落空),邵秀才名百一,閏月十二日辰時生。 六朱 陳辰巳午未蛇 龍卯 申貴 龍 陳 空 龍 財 甲辰 陳 初 空寅 酉后 卯 辰 寅 卯 兄 空卯 龍 中(空亡) 虎丑子亥戌陰 辰 巳 卯 乙 兄 空寅 空 末(空亡)(落空) 常玄
第七例:邵秀才は癸丑年の生まれで五十七歳、住宅と父母のことで占いに来ました。時は己酉年二月乙巳日で、戌の月将を亥の刻に加えて課を立てました。乙巳日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の丑・寅二支が空亡宮に落ちています。原注の補記:邵秀才の名は百一といい、閏月十二日の辰時に生まれました。天盤の布き方:貴人が申に乘り、順に螣蛇が未に、朱雀が午に、六合が巳に、勾陳が辰に、青竜が卯に、天空が寅に、白虎が丑に、太常が子に、玄武が亥に、太陰が戌に、天后が酉に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙の上に卯を見て青竜を乘じ、第二課は卯の上に寅を見て天空を乘じ、第三課は日支の巳の上に辰を見て勾陳を乘じ、第四課は辰の上に卯を見て青竜を乘じます。三伝は辰・卯・寅:初伝の甲辰は妻財爻で勾陳を乘じ、中伝の卯は旬空に落ちて兄弟爻で青竜を乘じ、末伝の寅も旬空に落ち、また空地に居って同じく兄弟爻で天空を乘じます。
邵先生曰:凡傳用,若干支陰陽已先據其位,只以不備推測,不可重複取用。今第一課卯加辰,卯木辰內乙亦木不克,第二課寅加卯第三課辰加巳俱不克,第四課卯加辰,乙已為干先據,何得重傳?是支課不足用也,當以日遙克為用,卦名彈射,如此占之主應,術人多以第四課發用為元首,傳用已差,占何得應?皆由用術不精,反雲六壬不靈,豈不誣哉?
邵先生は言いました。およそ三伝の発用を取る時、もし日干・日支の陰神・陽神がすでに先に或る位置を占めていれば、ただ「不備」課に従って推測するほかなく、同じ位置を重ねて取って用いることはできません。目下のこの課では:第一課は卯が辰に加わり、卯は木で、辰の中に蔵する乙もまた木で、同類は互いに剋しません。第二課は寅が卯に加わり、第三課は辰が巳に加わり、いずれも剋を成しません。第四課はまた卯が辰に加わりますが、この位置は乙木の日干がとっくに先に占めてしまっています。どうしてまたこれを取って伝を発することができましょうか。ここから分かるように、支上の諸課はいずれも発用の資格が足りません。改めて「日遥剋」を取って用とすべきで、課名は「弹射」(弾丸が遠く射るがごとく、事が遠い所から応じて来ることを主る)と言います。この通りに占ってこそ応验するのです。ところが術家の多くは第四課を取って発用とし、「元首」課としてしまいます——発用の一歩がすでに誤っているのに、占断がどうして応ずることがありましょうか。これは皆、術を用いることが精でない故で、却って六壬が霊でないと言うのは、六壬を冤枉するではありませんか。
先生析曰;此課乙木克土,卯來害日,宅不容人。初傳辰,自宅上傳出,中仍歸卯位,此乃奪父之財祿,三傳不離支干,乙以卯為祿,寅為同類,必有兄弟出去了,後復歸來。辰為勾陳主爭訟,課中不見父母,止同類自相吞併,占者與父母各居十六七年,至五十九、六十,行年到亥子,上見父母,則有服矣。後分毫不爽。(此課必須仔細研讀,裡面有六壬要義)
邵先生が解釈して曰く。この課は乙木が土を剋するのに、卯木がまた来て日干を害するので、宅が人を容れられない象です。初伝の辰土は宅位から伝え出され、中伝はまた卯木の位に帰ります——これが父の財禄を奪い取るという意味です。三伝は終始、日干・日支の二か所を離れません:乙木は卯をもって禄神とし、寅をもって同類の兄弟とするので、必ず兄弟がまず家を離れて出て行き、後にまた戻って来ることになります。辰の上に勾陳を乘じるので争訟を主ります。しかも課中には終始、父母爻が見えず、同類が互いに呑併するだけです。そこで、占者は父母と別れて別居すること十六七年となり、五十九・六十歳の上、流年が亥・子に行き至ると、その時初めて上に父母爻が見え、喪服の事があるだろうと断じました。後に応验して分毫も違いませんでした。(編者附記:この課は必ず仔細に研読すべきで、中に六壬の緊要な義理を含んでいます。)
08)邵巡檢癸亥生,四十六歲,占宅。戊申年六月二十七庚辰日午將寅時,(申酉空亡,子丑落空)。元首,潤下,不備,勵德,閉口。 六陳 朱酉戌亥子龍 蛇申 丑空 龍 蛇 玄 龍 父 庚辰 玄 初 貴未 寅虎 子 申 辰 子 兄 空申 蛇 中(空亡) 后午巳辰卯常 申 辰 子 庚 子 丙子 龍 末(落空)(暗鬼) 陰玄
第八例:邵巡検は癸亥年の生まれで四十六歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年六月二十七日庚辰日で、午の月将を寅の刻に加えて課を立てました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の子・丑二支が空亡宮位に落ちています。課名は五つ:「元首」「潤下」(三伝の申子辰が水局)「不備」(四課が全からず)「勵德」「閉口」(貴人が亥に臨むか課体が壅塞し、言葉が口に出し難く事の分説し難いことを主る)。天盤は午将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚の上に子を見て青竜を乘じ、第二課は子の上に辰を見て玄武を乘じ、第三課は日支の辰の上に申を見て螣蛇を乘じ、第四課は申の上に子を見て青竜を乘じます。三伝は辰・申・子:初伝の庚辰は父母爻で玄武を乘じ、中伝の申は旬空に落ちて兄弟爻で螣蛇を乘じ、末伝の丙子は子孫爻で青竜を乘じ、空地に落ちると同時に暗に鬼気を伏せています。
邵先生曰:金日得水局,三傳日辰皆子孫,脫處見青龍,生年見元武,臨官上見螣蛇,一生被子息作吵,一個死了,一個又來,且生得好取盡父母氣力了方休,家計亦被子孫磨滅。此宅十二年後出怪,住不得,必別遷。初受任日,兵卒不合,末後卻吉。後任必得巡檢水陸之處,更後在水邊屯,三任六十三難過也。邵娶宗女為妻,得被恩澤,前後生八子,或三歲、二歲、一歲即死。及婢生三子,亦然,再納一妾,又生二男一女,前後委被子息壞盡精氣。先生初不與巡檢相識,便知其詳如此。及巡檢任滿,果授英州水陸巡檢,本州島駐箚。至紹興十五年乙丑四月初三作古,果年六十三矣。
邵先生は言いました。庚金の日干が申子辰の水局を得てしまい、三伝と日・辰の上神が全て子孫爻です。泄気のところに偏いに青竜が乘り、本命の年支の上にはまた玄武が見え、臨官の地にはまた螣蛇が見えます。このような格局は、一生、子女に攪乱されて安らかでないことを主ります:一人死ねばまた一人が来て、しかも生まれる子が良ければ良いほど、父母の気力を吸い尽くさなければ止もうとせず、家業も子孫に少しずつ磨り減らされます。この宅は十二年住むと怪異が出て住めなくなり、必ず別に移り住むことになります。初めて赴任した時には兵卒と不和になり、後になって吉に転じます。これからの任職では必ず水陸を管轄する巡検の役職を一つ得て、さらに後には水辺に駐屯します。三つの任を務め終え、六十三歳の関は過ごし難いでしょう。邵巡検は宗室の娘を妻に娶ったため朝廷の恩沢を受け、前後して八人の息子を生みましたが、あるものは三歳、あるものは二歳、あるものは一歳で夭折しました。婢女が生んだ三人の息子も同様でした。さらに妾を一人納めてまた二男一女を生みました。前後して確かに子息に精気を耗され尽くしました。邵先生はもともとこの巡検と知り合いではなかったのに、課を見るや否や彼の家の状況をこれほど詳しく言い当てました。巡検が任満になると、果たして英州の水陸巡検に授けられ、本州に駐屯しました。紹興十五年乙丑の四月初三日に亡くなり、果たして六十三歳でした。
先生析曰;蓋金日得潤下局,及干支上神各為脫氣,庚以子為真氣,子息乘青龍脫氣,又有元武螣蛇二凶,兼青龍三個皆水獸,只管盜其真氣,故一子死,一子又來。辰臨日作蛇,日申七數,辰五數,湊成十二年。螣蛇變龍,所以怪出擾害,遂遷寺中居住。六十三上死者,蓋子加申,子九數,申七數,七九共六十三也。
邵先生が解釈して曰く。庚金の日干が申子辰の潤下水局に遇し、日干の上神と日支の上神がまた共に我を泄す気です。庚金は子水をもって生ずる所の真気とするのに、今、子孫爻が青竜を乘じて泄しに来ます。さらに玄武・螣蛇という二つの凶将を加え、青竜と併せて全部で三つの水属の獣が、ただ彼の真気を盗み取ることばかりしています。だから一人の息子が死ねば、また一人が来るのです。日支の辰が日干の上に臨んで螣蛇を乘じています:申の数は七、辰の数は五で、七に五を足して十二を成すので、十二年に怪異が出ると断じました。螣蛇はもともと怪異を主り、また青竜の位に変入するので、怪異が生じて人家を擾害し、後にやむを得ず寺院に移り住みました。六十三歳に身が故するのは、子が申の上に加わるからです:子の数は九、申の数は七で、七に九を乗じて六十三を得ます。
09)任三翁庚午生三十九歲占宅,戊申年十一月壬寅日丑將申時,(辰巳空亡,酉戌落空),知一,退茹,斬關。 空虎 龍戌亥子丑常 陳酉 寅玄 虎 朱 陳 后 兄 庚子 虎 初 六申 卯陰 子 未 酉 辰 財 空巳 貴 中(空亡) 朱未午巳辰后 未 寅 辰 壬 鬼 戊戌 龍 末(落空)(暗鬼) 蛇貴
第九例:任三翁は庚午年の生まれで三十九歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年十一月壬寅日で、丑の月将を申の刻に加えて課を立てました。壬寅日は甲辰旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「知一」(比用して一つを取る)「退茹」(三伝が連位して後退し、茹草が牽連して退くがごとく、事が歩々倒縮することを主る)「斬関」(関を衝いて動くに宜しい)。天盤は丑将を申時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬の上に辰を見て天后を乘じ、第二課は辰の上に酉を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の寅の上に未を見て朱雀を乘じ、第四課は未の上に子を見て白虎を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の庚子は兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の巳は旬空に落ちて妻財爻で貴人を乘じ、末伝の戊戌は官鬼爻で青竜を乘じ、空地に落ち、また暗鬼です。
邵先生曰:此課占宅,而身宅居墓無氣,因婢妾相爭,遂出其婢,而後再歸,卻與宅又合。又常被子息及兄弟作擾,又門戶上口舌不足,只喜末空亡,又是絕鄉,下稍口舌擾亂俱絕無矣。何以知婢再歸?
邵先生は言いました。この課は宅を占ったものですが、人身と宅舎がともに墓地に落ちて少しの生気もありません。婢女と妾室が争い騒いだので、主人は婢女を追い出しましたが、後にこの婢女はまた戻って来て、しかも戻ってから宅と相い合います。また常に子女と兄弟に攪乱され、門戸にも口舌の不和があります。幸いに末伝が空亡に落ち、またちょうど絶地に当たるので、後に至って口舌と攪乱は皆消散に帰します。では、何をもって追い出された婢女がまた戻ると知るのでしょうか。
先生析曰;蓋天盤酉之陰神,卻乃寅加酉,又是宅也。兼酉加辰與辰合,天將勾陳夾住,勾陳為牙人,故主辰日其婢再還也。又辰為日上神故也。大凡隔七八局,三傳回環,只是發用與宅六害,故事多阻。巳既絕地,故至甲辰乙巳日自絕也。果一一如占。
邵先生が解釈して曰く。天盤の酉の陰神は、まさに寅が酉の上に加わるところで、寅はまた日支、すなわち宅位です。さらに酉が辰の上に加臨し、辰と酉はちょうど六合です。二か所がともに勾陳に挟まれており、勾陳は人事において牙人(間に立って説合する仲人)なので、辰の日にあの婢女が人の説合によって戻ると断じたのです。まして辰はまたちょうど日干の上神で、人と相親しみます。およそ天地盤が七・八の位を隔てて三伝の首尾が回環する課は、発用と宅位が六害を構成するため、事に多くの阻碍があります。巳は壬水の絶地なので、甲辰・乙巳の日に至れば、これらの擾攘は自然に絶えます。後に果たして一つ一つ占いの通りになりました。
10)邵伯達占宅基,己酉年十月十五庚寅日寅將酉時,(午未空亡,亥子落空),鑄印,知一,驀越。 陳龍 六戌亥子丑空 朱酉 寅虎 龍 貴 后 空 子 戊子 龍 初(落空) 蛇申 卯常 子 未 午 丑 官 癸巳 陰 中 貴未午巳辰玄 未 寅 丑 庚 父 丙戌 六 末(暗鬼) 后陰
第十例:邵伯達が宅基の購入を占いました。時は己酉年十月十五日庚寅日で、寅の月将を酉の刻に加えて課を立てました。庚寅日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「鑄印」「知一」「蓦越」(三伝が位を越えて跳躍し、事が意外に出て突如其来することを主る)。天盤は寅将を酉時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚の上に丑を見て天空を乘じ、第二課は丑の上に午を見て天后を乘じ、第三課は日支の寅の上に未を見て貴人を乘じ、第四課は未の上に子を見て青竜を乘じます。三伝は子・巳・戌:初伝の戊子は子孫爻で青竜を乘じて空地に落ち、中伝の癸巳は官鬼爻で太陰を乘じ、末伝の丙戌は父母爻で六合を乘じ、暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:大凡占求宅基,以日為人,辰為宅,須看支辰,合支上空亡,是宅不可得而圖也。本身近基且近宅,何以得移?初傳脫氣,雖得青龍,又在空地,亦是暫住,尚未有定論也。中傳巳,巳為店業,太陰為婦人。巳加子作太陰,庚生於巳,是買得老婦人店業,便是宅基,其婦人幹辦,是本人親族,事皆由他。伯達以兄弟眾多,伯叔共住,欲謀遷外居,累求未許,其婦人店屋,是伊房叔母,因無生計與彼當門戶,卻要設計買得店屋,遂與彼私增價買之,至丁巳年方才造此宅也。
邵先生は言いました。およそ宅基の謀求を占うには、日干をもって人を表し、日支をもって宅を表し、必ずまず日支を見なければなりません。もし日支の上神が空亡に落ちていれば、それは宅基が求められず図謀が成らないことです。今、問卜する人の身はこの基地にも現住の宅にも近いのですから、どうして遷移と言えましょう。初伝は我を泄す気で、青竜を乘じてはいるもののまた空地に落ちているので、たとえ住んでも仮住まいに過ぎず、まだ定局ではありません。中伝は巳で、巳は店鋪の産業を表し、太陰は婦人を表します。巳が子の上に加わって太陰を乘じ、庚金はまた巳に長生するので、年長の婦人の店屋を買い取り、その店屋が彼の欲する宅基になると断じたのです。そして手続きを取り仕切るその婦人は彼の本家の親族で、事はすべて彼女が主裁しました。邵伯達は兄弟が多く、伯父・叔父と一つの宅に同住していたため、外へ出て別に住むことを謀りたかったのですが、度々請うても許されませんでした。あの婦人の店屋は、まさに彼と同じ房の叔母の所有でした。叔母は生計がなかったため彼の家と共に門戸を守っており、彼はこの店屋を買い取る方法を設け、こっそり価を上乗せして買い成し、丁巳年に至ってやっとこの地に宅を建てました。
先生析曰;夫宅要看支,支上空,是未有宅基也。卻見中傳長生,便就長生上言,況求新宅,看何方生旺即是。巳為店,加子為北方,太陰為婦人,未戌屬土,生今日之庚,乃是尊長作干人。戌又為僕,乃干僕也。六合則成就也。
邵先生が解釈して曰く。宅を占うには日支を見るのです。日支の上神が空に落ちていれば、まだ宅基がないことです。しかし中伝に長生の神が見えるなら、長生から立論するのです。まして新宅を求め置くのは、もともとどちらの方が生旺するかを見て、どちらの方に着落があるかを定めるものです。巳は店鋪を表し、子の上に加わり、子は北方に属するので、宅基は北面にあります。太陰は婦人を表すので、婦人の産業です。未・戌はともに土に属して今日の庚金を生ずることができるので、尊長の輩が経手人となります。戌はまた奴僕を主るので、合わせれば人のために事務を幹弁する人です。末伝は六合を乘じ、六合は成合の神なので、この売買はついに談じ成すことができます。
11)童保儀丁巳生五十二歲占宅,戊申年六月初七丁巳日未將酉時(子丑空亡,戌亥落空),重審,不備,間傳,極陰,寡宿,贅婿。 虎常 空卯辰巳午玄 龍寅 未陳 陰 空 空 常 子 空丑 陳 初(空亡) 陳丑 申丑 丑 卯 卯 巳 鬼 癸亥 朱 中(落空)(暗鬼) 六子亥戌酉貴 卯 巳 巳 丁 財 辛酉 貴 末 朱蛇
第十一例:童保儀は丁巳年の生まれで五十二歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年六月初七日丁巳日で、未の月将を酉の刻に加えて課を立てました。丁巳日は甲申旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の戌・亥二支が空亡宮位に落ちています。課名は六つ:「重審」「不備」「間伝」(三伝が位を隔てて伝わる)「極陰」(三伝が皆陰支に臨み、陰気が極に至る)「寡宿」(孤単で偶が少ないことを主る)「赘婿」。天盤は未将を酉時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が亥に、六合が子に、勾陳が丑に、青竜が寅に、天空が卯に、白虎が辰に、太常が巳に、玄武が午に、太陰が未に、天后が申に乘ります(底本の盤図で未・申二位に標された天将および第四課の天将にはいずれも訛字があり、今は原文をそのまま写して改めない。読者は天将の次第と三伝の注に依って自ら訂正してほしい)。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に巳を見て太常を乘じ、第二課は巳の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の巳の上に卯を見て天空を乘じ、第四課は卯の上に丑を見て勾陳を乘じます。三伝は丑・亥・酉:初伝の丑は旬空に落ちて子孫爻で勾陳を乘じ、中伝の癸亥は官鬼爻で朱雀を乘じ、空地に落ち、また暗鬼、末伝の辛酉は妻財爻で貴人を乘じます。
邵先生曰:此課六陰相繼,更無陽神,更六月建未,又是陰月,丁巳又是陰,命從此衰敗不振;兼婢不測,殞命於廁;丁巳二火,自旺方遞歸死絕之地,宅前有大樹枯朽,若不去之,閒事相擾;主有一子患腹氣,又不合將後閣為豬圈,豬盛克人;四年敗,六年敗盡也。
邵先生は言いました。この課は六つの陰神が連なり下るばかりで、陽神が一つもありません。まして六月の月建は未にあり、もともと陰月で、日辰の丁巳もまた陰に属します。命運はここから衰えて振るわなくなります。さらに婢女が思いがけない災いに遭い、便所の中で死ぬことがあります。丁と巳はともに火で、火の旺方から一路伝わり行き、最後に死絶の地に帰します。宅の前に一本の枯れ朽ちた大樹があり、もし伐らなければ、閑事が絶えず攪しに来ます。また一人の息子が腹中の気疾を患うことを主ります。また後閣を豚圈に改作してはなりません。豚が旺えれば旺えるほど、家人を剋し傷つけます。四年目に衰敗し始め、六年目に敗れ尽くします。
童保儀因地方寇發,遂得名目,自後成家興旺;及先生與占,卻雲四年敗,六年敗盡也,彼不深信。本年十月一婢上廁,不覺墜死廁中。宅前有二百年大楓樹,已枯朽大半,繫族人祖墳。閱此更妙,卯陰上得丑為墓,日治得朱,暮治得勾,且又發用,是以主閒事相擾。十二月外鄉一人來樹下自縊。其第二子常患疝氣,其家屋寬,兄弟分出,去後無人居住,遂以後閣養豬。第四年拆四邊屋賣,六年果敗盡。僅存五口,移出店屋居住。
童保儀は当初、地方に盗寇が起こったとき功名を立てて役職を得たことから、家を成し栄えました。邵先生が彼のために課を占った時、「四年で衰敗し六年で敗尽する」と言ったのを、彼は深く信じませんでした。まさにその年の十月、一人の婢女が便所に行き、誤って厠の中に転落して溺死しました。宅前の二百年の大楓樹は大半がすでに枯れ朽ちており、樹下はまさに一族の祖墳でした。課象に照らし合わせて見ると一層神妙です:卯の陰神の上に丑を得て墓庫となり、昼の占には朱雀、夜の占には勾陳を用いますが、それが偏いにまた発用しているので、閑事が纏まり絶えないことを主ります。十二月に、外郷の人が一人駆けて来てこの樹下で首を縊りました。彼の二男は常に疝気を患いました。彼の家は房屋が広く、兄弟が分家して出て行った後は住む人がいなかったので、後閣を豚を飼うのに用いました。第四年に四周の房屋を壊して売り、第六年に果たして敗れ尽くし、家中に残ったのはわずか五口で、店屋に移って住みました。
先生析曰;大凡丑亥酉卯此四支,先生皆以極陰;丁巳日又傳歸陰方絕地,宅上卯,末傳酉,俱六數,故主六年敗盡。此斷家宅,故取宅上神,酉為歸計門,是以取此二處決之也。加於巳亥上,亦四年之數。甲寅旬乙卯為真木一作卯加巳為真木,故有大樹在門。天空主朽;丑為閣,亥加丑上,故養豬;酉加亥為今日死神,酉為婢,亥為廁,故主婢死於廁也,丑為墳墓,卯為門樹,亥是樓閣。
邵先生が解釈して曰く。およそ丑・亥・酉・卯の四つの地支は、邵先生は皆、極陰の神と算えます。丁巳日の三伝はまた陰方の絶地に帰ります。宅上は卯で、末伝は酉で、両者の数はともに六なので、六年に敗尽すると断じました。この課は家宅を断ずるので、宅上の神を取って論じます。酉はまた「帰計」の門(収束して帰結するところ)なので、宅上と末伝のこの二か所を取って決断したのです。それらはそれぞれ巳・亥の上に加わり、また四年の数を合成します。甲寅旬中の乙卯は真木(一説には卯が巳に加わるのを真木とする)なので、門前に大樹があります。天空の神は朽壊を主り、まさに樹がすでに枯れ朽ちたことに応じます。丑は楼閣を表し、亥が丑の上に加わるので、後閣を豚圈に改作した事があります。酉が亥の上に加わるのは今日の死神です。酉は婢女を表し、亥は便所を表すので、婢女が厠中で死ぬことを主ります。このほか丑はまた墳墓を表し、卯は門前の樹を表し、亥は楼閣を表し、取象が層々と合致します。
12)鄭宣義占宅,八月癸丑日巳將丑時,(寅卯空亡,午未落空)渉害,從革。 虎常 空酉戌亥子玄 龍申 丑陰 空 朱 空 朱 父 己酉 空 初(暗鬼) 陳未 寅后 酉 巳 酉 巳 鬼 癸丑 陰 中 六午巳辰卯貴 巳 丑 巳 癸 財 乙巳 朱 末 朱蛇
第十二例:鄭宣義が住宅を占いに来ました。時はある年の八月癸丑日で、巳の月将を丑の刻に加えて課を立てました。癸丑日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の午・未二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「渉害」(数か所が互いに剋し、渉害の最も深い者を取って発用とし、事が艱難を歴て後に定まることを主る)「従革」(三伝の巳酉丑が金局を合成し、金の従革できる義を取る)。天盤は巳将を丑時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に巳を見て朱雀を乘じ、第二課は巳の上に酉を見て天空を乘じ、第三課は日支の丑の上に巳を見て朱雀を乘じ、第四課は巳の上に酉を見て天空を乘じます。三伝は酉・丑・巳:初伝の己酉は父母爻で天空を乘じ、暗に鬼を帯び、中伝の癸丑は官鬼爻で太陰を乘じ、末伝の乙巳は妻財爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:此課人盛宅狹,人與宅替;不出四年,必主修造酒房,廚下一婢酒中死;不要買叔婆之產,必有退悔;又主有三所店,先開二所見財,後開一所主敗;宅前不合置淘鍋,主八年內淘鍋屋下必停喪,是時其家四分矣。鄭兄弟十人,共四十餘口,未曾分;至辛亥年,公果造酒房;十二月婢盜酒飲,醉死。己酉年與叔婆交易,叔婆有子二人,年幼不曾預名,後果退悔。又丙辰戊午二年兩店興旺,己丑又開淘鍋,正對門前,至乙卯二月弟婦死,殯於內。
邵先生は言いました。この課は人丁が盛んで宅舍が狭小で、人と宅が互いに替代消長します。四年を出ずに必ず酒坊を修造します。厨房では一人の婢女が酒で死にます。叔婆の産業を買ってはなりません。買えば必ず翻悔して返還します。また家に三か所の店鋪があることを主ります:先に開いた二か所は財を得ますが、後に開いた一か所は亏敗します。宅前に淘鍋(穀物を淘洗する作業場)を安置してはなりません。八年以内に、淘鍋屋の下に必ず霊柩を停放することを主り、その時には家産はすでに四分に分かれています。鄭家の兄弟は十人で、合わせて四十余口、ずっと分家していませんでした。辛亥年に至り、鄭公は果たして酒坊を造りました。その年の十二月、一人の婢女が酒を盗んで飲み、酔って死にました。己酉年に叔婆と産業の取引をし、叔婆には二人の息子がいて年がまだ幼く、あらかじめ名分を議定していなかったため、後に果たして翻悔して返しました。丙辰・戊午の二年に二か所の店鋪が興隆しました。己丑年にまた淘鍋作場を開き、ちょうど大門に向かい合いました。乙卯年二月に至り、弟嫁が亡くなり、そこに霊を停めました。
先生析曰;蓋謂人盛者,癸日遇巳酉丑,八月旺金來生也。宅狹宅替者,丑為宅,值金局而脫氣也。丑為八月死氣,加於酉婢之上,丑上見巳,巳為廚灶,癸水見酉,乃酒也,故主婢死於酒房廚下。三店者,日上、支上、傳上見三個巳,巳為店業。一所敗者,癸水絕於巳故也。又為巳為鍋,值癸水乃淘鍋也。八年者,雙巳四數也。
邵先生が解釈して曰く。「人盛」と言うのは、癸水の日干が巳酉丑の金局に遇い、しかも八月はちょうど金気が旺に当たり、旺金が来て日干を生ずるからです。「宅狭宅替」と言うのは、丑が宅を表し、今、丑が金局の中に裹み込まれ、土気が金に泄されて衰えるからです。丑は八月においてちょうど死気に当たり、また婢女を表す酉の上に加わります。丑の上に巳が見え、巳は厨灶です。癸水と酉金が相遇するのは、酒の象を取ります。だから婢女が酒坊の厨下で死ぬと断じました。三か所の店鋪というのは、日干上・日支上・三伝上に合わせて三つの巳が見え、巳は店鋪の産業を表すからです。そのうち一か所が敗れるのは、癸水の絶地がちょうど巳にあるからです。巳はまた鍋の象を取ることができ、癸水を配すれば淘鍋の作場となります。八年の数は、二つの巳がそれぞれ四の数を作して相合するのから来ています。
先生附論:支上巳,末傳巳,皆為日財,故二所見財。日上巳獨不以財爻論,乃絕神加日也,故主敗,丑為宅,上加巳,是必宅前置淘鍋也。又一人論曰:癸絕於巳,似矣。然予猶有說焉,丑生於申,寧不絕於巳乎?則絕巳云云者,非其至也。其或癸水克巳,巳為店受克,則自敗。庶幾近是。愛圅曰,此二論不知何人之筆,附錄於此,以便對考。要知先開二所見財,似指干支上二巳而言也。後開一所主敗,似指末傳上巳而言也。末傳為歸計,不宜逢絕之意歟?
別に附論があって曰く。日支上の巳と末伝の巳は、癸日にとっていずれも財爻なので、あの二か所の店鋪は財を見ることができます。ただ日干上の巳のみが財爻と論じられません。それは絶神が日干に加臨しているからで、だから亏敗を主ります。丑は宅で、丑の上に巳が加わるので、宅前に必ず淘鍋が安っていることが分かります。また一人の論ずるに:癸水が巳に絶すると言うのは一理あるようだ。しかしなお言うべきことがある——丑土は申に長生するが、巳に絶しないことがあろうか。然らばただ「巳に絶す」と講ずるだけでは、まだ根本に至っていない。あるいは、癸水が巳火を剋し、巳はすでに店鋪を表しながら剋を受けるので、店鋪が自然に亏敗する、と言うべきか。これが比較的妥当である。編者の程愛圅が曰く:この二段の議論はどなたの手筆に出たものか知らないが、ここに附録して読者が対照して参考にするに供する。要するに「先に開いた二か所で財を見る」は、日干上・日支上のあの二つの巳を指すらしい。「後に開いた一か所が敗を主る」は、末伝上の巳を指すらしい。末伝は一課の帰結するところであり、おそらく「帰計の地は絶に遇うべからず」の意を取ったのであろうか。
13)王德卿辛酉生四十八歲占宅,戊申年十月壬子日卯時卯將,(寅卯空亡,寅卯落空),伏吟,勵德,三奇,杜傳。 后陰 貴巳午未申玄 蛇辰 酉常 龍 龍 空 空 兄 辛亥 空 初 朱卯 戌虎 子 子 亥 亥 兄 壬子 龍 中 六寅丑子亥空 子 子 亥 壬 子 空卯 朱 末(空亡) 陳龍
第十三例:王德卿は辛酉年の生まれで四十八歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年十月壬子日、占時は卯の刻で、月将も卯です。将と時が同じ位にあり、天盤と地盤が完全に重合します。壬子日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の寅・卯二支もまた空亡宮を押さえています。課名は四つ:「伏吟」(万事が伏して動かず)「勵德」「三奇」(課中に三奇の神を帯び、険に逢っても濟うことを主る)「杜伝」(三伝が壅塞して通ぜず、事が詰まることを主る)。天盤の布き方:貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は伏吟のため二つ二つ同じです:壬水の寄宮は亥にあり、第一課は亥が壬に加わり、第二課は亥が亥に加わり、いずれも天空を乘じ、第三課は日支の子が子に加わり、第四課は子が子に加わり、いずれも青竜を乘じます。三伝は亥・子・卯:初伝の辛亥は兄弟爻で天空を乘じ、中伝の壬子は兄弟爻で青竜を乘じ、末伝の卯は旬空に落ちて子孫爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:此課財祿極穩,但自有膀胱氣及陰腫水氣之擾。宅上帝旺,財物興隆。今年進子又添孫,中傳及支子也。子邊作亥,乃孫字也。末傳卯乘朱雀,主門戶不寧,戶役事擾。堂上不合安符,主家中無一時安靜,家資得地,池塘之利,必然大發。尚有二十六年壽,主水腫而亡。王乃士人,善治家,只是受膀胱病累,本年三月生子,十二月又添孫,常為戶役聒吵。堂上掛一天師,自此夢寐不安,怪異影響,遂去之,果無事。其家池塘最盛,一年有數萬魚利,越十六年果死。
邵先生は言いました。この課は財と禄がともに極めて穏当ですが、本人に膀胱の疾と下部が浮腫み水気が化しない持病があります。宅位はちょうど帝旺に当たるので、財物は興隆します。今年は息子も添えれば孫も添えます——中伝は子で、日支上も子で、二重の子象です。そして「子」の傍らに「亥」を配すれば、合わせてちょうど一つの「孫」の字です。末伝の卯木が朱雀を乘じているので、門戸が安寧を得られず、官府の差役の事で煩扰を受けます。厅堂に符籙を供安してはなりません。安てれば家中が一刻も清静を得ないことを主ります。家産は地を得て、池塘の養魚の利が必ず大いに発します。この人はなお二十六年の陽寿があり、最後に水腫によって亡くなります。王德卿は読書人で、よく家を治めましたが、ただ膀胱病に累を引かれました。この年の三月に息子を生み、十二月にまた孫を添えました。また常に戸役の事で争い騒ぎが絶えませんでした。彼の厅堂には一張の天師符が掛かっていました。これ以来、睡夢が安らかでなく、怪異の事に影があり響きがありました。符を除いた後は果たして何事もありませんでした。彼の家の池塘の経営は最も良く、一年に数万銭の魚利がありました。十六年を過ぎて、果たして亡くなりました。
先生析曰;蓋壬子日十月亥子水旺,又壬祿居亥,而旺於子,亥四數,課中四個亥,四四一十六年也。此非先生意,乃及門諸子增入之辭也。何則?課傳止二亥,亥為旺氣,當倍進,即曰伏吟,斷少則二亥八年,又不可云十六年矣。且亥乃日祿,何反之決死?是此說之謬可知矣。按邵公之意,或用越十六年而行年在辰,辰為壬日之墓,流年太歲在亥,太歲乘空臨身,所謂當頭立也。太歲即臨身而行年又入墓地,故主十六年而亡耳。邵公之意,毋乃在此乎?
旧本の解析に曰く。壬子日は十月で、亥・子の水がちょうど旺に当たります。壬水の禄は亥にあり、旺は子にあります。亥の数は四で、課中に四つの亥があり、四に四を乗じて十六年を得ます。——この一段は邵先生の本意ではなく、門下の弟子が後になって添えた言葉です。どうしてそう言うか? 課と伝の中には実際には二つの亥しかありません。亥は旺気ですが、伏吟の課は倍数をもって推進するとして、多くても二亥を合わせて八年で、どうしても十六年は得られません。まして亥は日干の禄神です。どうして却ってそれを取って死期を断ずることができましょうか。この説の謬りであることが分かります。邵先生の原意に按ずるに、おそらく:十六年を過ぎた時、行年がちょうど辰に行き至り、辰は壬日の墓庫です。そしてその年の太歳は亥にあり、太歳が空亡を乘じて本身に臨むのは、いわゆる「当頭立」です。太歳がすでに身に臨み、行年がまた墓地に入るので、十六年に亡くなると断じたのです。邵先生の意は、おそらくここにあったのでしょうか。
14)童得松丁巳生五十三歲占宅,己酉年六月壬戌日未將丑時。(子丑空亡,午未落空),反吟,元胎,勵德,斬關。 六朱 陳亥子丑寅蛇 龍戌 卯貴 龍 后 陳 陰 財 丁巳 陰 初(丁神) 空酉 辰后 戌 辰 亥 巳 兄 癸亥 陳 中 虎申未午巳陰 辰 戌 巳 壬 財 丁巳 陰 末(丁神) 常玄
第十四例:童得松は丁巳年の生まれで五十三歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年六月壬戌日で、未の月将を丑の刻に加えて課を立てました。将と時が相い沖するので「反吟」を成します(天地盤が互いに沖し、動蕩・反復を主る)。壬戌日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の午・未二支が空亡宮位に落ちています。ほかに課名は「元胎」「勵德」「斬関」。天盤の布き方:貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に巳を見て太陰を乘じ、第二課は巳の上に亥を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の戌の上に辰を見て天后を乘じ、第四課は辰の上に戌を見て青竜を乘じます。三伝は巳・亥・巳:初伝の丁巳は妻財爻で太陰を乘じ、「丁神」です。中伝の癸亥は兄弟爻で勾陳を乘じ、末伝はまた丁巳で、依然として妻財爻・依然として太陰を乘じ・依然として丁神です。首尾が往返し、まさに反吟の象に合します。
邵先生曰:此課德喪神消,人亡家破。何以言之?
邵先生は言いました。この課の格局は、德がすでに喪われ神がすでに消えたもので、人口の傷亡・家業の破敗を主ります。何をもってこう言うのでしょうか。以下に一つずつ解説します。
先生析曰;蓋壬德在亥,亥為閉口,無德可言,是謂德喪。愛圅竊謂亥德臨絕地為德喪。身命臨亥,火被水克,是謂神消。生氣受克而死氣為主,是謂人亡。辰來破宅,又為干支之墓,是謂家破。一為宅水不通,二為灶廁不便。巳為灶,亥為廁,巳亥相加為不便。我去彼絕,彼來此絕,墓來剋日,是為凶課。童聞先生之方,遂遷店居住,其戶遂寧,而禍亦解。
邵先生が解釈して曰く。壬水の德神は亥にあるのに、亥がこの課ではちょうど閉口の位に落ちて、德を施すところがありません。これを「德喪」と言います。(編者の程愛圅は私の考えでは、亥德が絶地に臨むのを德喪と言うべきだと思います。)本命と身位がともに亥の上に落ちて、火が反って水に剋されます。これを「神消」と言います。生気が剋を受けて、死気が却って事を主る者となりました。これを「人亡」と言います。辰が来て宅位を破壞し、辰はまた日干・日支に共通の墓庫です。これを「家破」と言います。具体的な宅象に至っては:一つは宅中の水道が通じず、二つは灶と厠の位置が不便です——巳は灶を表し、亥は厠を表し、巳と亥が相い加わるのは、まさに灶厳の相冲・格局の不便です。我が彼の処に往けば絶し、彼が我の処に来ても絶し、墓神がまた反って日干を剋します。ゆえにこれは一課の凶象です。童得松は邵先生の指し示した方法を聴き、店屋に移って住み、門戸はここから安寧となり、災禍もまた化解しました。
15)徐八公甲寅生五十五歲占宅,戊申年六月初十癸亥日未將酉時。(子丑空亡,戌亥落空),遙克,蒿矢,間傳,不備。 蛇貴 朱卯辰巳午后 六寅 未陰 陰 常 常 空 鬼 己未 陰 初(暗鬼) 陳丑 申玄 未 酉 酉 亥 財 丁巳 貴 中(丁神) 龍子亥戌酉常 酉 亥 亥 癸 子 乙卯 雀 末 空虎
第十五例:徐八公は甲寅年の生まれで五十五歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年六月初十日癸亥日で、未の月将を酉の刻に加えて課を立てました。癸亥日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の戌・亥二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「遥剋」(四課に剋がなく、日干と神が遥かに相剋する者を取って発用とする)「蒿矢」(神が遥かに日を剋するのは蒿草の矢のごとく、事が遠方から来て力が軽いことを主る)「間伝」「不備」。天盤は未将を酉時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に亥を見て天空を乘じ、第二課は亥の上に酉を見て太常を乘じ、第三課は日支の亥の上に酉を見て太常を乘じ、第四課は酉の上に未を見て太陰を乘じます。三伝は未・巳・卯:初伝の己未は官鬼爻で太陰を乘じ、また暗鬼、中伝の丁巳は妻財爻で貴人を乘じ、「丁神」、末伝の乙卯は子孫爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:癸亥是六甲極日,陰長陽消,而此課又為六陰相繼,宅勢到此極矣。然物極必變,今宅中現在六分共居,而甲寅人多是從門側出入。本命寅,天上寅,卻作合,為私門。又在卯側,故主從門側出入。來年有陰人死,各自東西南北去,必升進,頗勝於前。時有陰貴人,乃守缺貴人,後時必做成家計也。其子又好,必晚年亨福,壽又高,得貴家陰人力,做成家業也。徐八公弟兄六分共居,果是窄狹,常從便路出入到店,多是後邊過。次年太孺人故,八公即出外去住。
邵先生は言いました。癸亥は六甲の一巡の尽きる日で、陰気が漸く長じ陽気が漸く消えます。この課はまた六つの陰神が連なり下るので、宅の気勢はここで極に至りました。しかし物極まれば必ず反します。目下、宅中には六房の人が合わせ住んでおり、甲寅年生のこの人は平素、多く便門から出入しています——彼の本命は寅で、天盤上の寅がまたそれと相合し、「私門」の象を成しました。私門がまた卯(正門)の傍らに緊く接しているので、門の側から出入することを主ります。明年、家中に一人の女性の尊長が亡くなり、衆人はここから各自東西南北に奔り、却って必ずそれぞれ升進があり、先よりもなお良くなります。目下乘じているのは陰貴人で、「守缺貴人」(残欠を守って時を待つ)に属し、後日必ず一つの家業を成すことができます。彼の息子もまた良く、晚年は必ず福を享け、寿数も高く、また貴家の女眷の力を得て家業を成就します。徐八公は兄弟六房が合わせ住み、果たして狭窄で、平素店鋪への出入は常に便道を通り、多くは後ろから通りました。第二年、老太夫人が亡くなり、八公は外に移って住みました。
先生析曰;蓋癸亥是極日,亥來加癸,又極。卻自北復轉至西,自西投東南,見卯,自半夜亥至黃昏酉,自酉至未,自未至巳接卯,謂之迎陽課。中末傳見貴人,用並太陰,故徐公續娶,得某先待制之妾,帶二千貫財物嫁來。蓋癸以巳為妻財,而太陰作貴人之側室,故有龐人嫁他。其子又乘夜貴臨日貴人財上,卯子息爻,乘夜貴加巳妻財之上,則上子為待制妾所生可知。徐公委其管干,自此發跡,終身享福,八十四壽終。言六分者,酉為破碎入宅,而敗癸水,酉乃六數也。
邵先生が解釈して曰く。癸亥はもともと一巡の極の日で、今、亥がまた癸の上に加臨し、陰が極に至りました。しかし気機は北方(亥)から西方(酉)に転じ、さらに西方から東南に投じて卯を見ます。夜半の亥から黄昏の酉へ走り、酉から未へ、未から巳へ走りて卯に接する——こうして一路、陰から陽に返るので、「迎陽課」と言います。中伝・末伝の上に貴人を見て、発用がまた太陰を併せているので、徐公は後妻を娶り、ある前の待制官の妾室を得、二千貫の財物を携えて嫁いで来ました。癸水は巳をもって妻財とし、太陰はまさに貴人の身辺の側室の象なので、このような寵妾が彼に嫁いだのです。彼の息子はまた夜貴を乘じて日貴人の財爻の上に臨んでいます:卯は子息爻で、夜貴を乘じて巳の妻財の上に加わるので、この息子はまさにあの待制の妾の生んだ子です。徐公は家業を彼女に委ねて掌管させ、ここから発跡し、終身福を享けて八十四歳で善終しました。「六房」と言うのは、酉が破碎の神で宅位に入って癸水を敗壞し、酉の数がちょうど六だからです。
16)劉將仕庚午生四十歲占宅,己酉年五月戊申日未將卯時。(寅卯空亡,午未落空),元首,潤下,勵德,六儀,戊申乃六月朔,因未交小暑,故言五月也。 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄 蛇 貴 陳 兄 甲辰 玄 初(暗鬼) 空未 寅后 辰 子 丑 酉 子 戊申 龍 中 虎午巳辰卯陰 子 申 酉 戊 財 壬子 蛇 末 常玄
第十六例:劉将仕は庚午年の生まれで四十歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年五月戊申日で、未の月将を卯の刻に加えて課を立てました(編者注:戊申は実は六月初一だが、まだ小暑の節に交わっていないので、なお五月として論じる)。戊申日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の午・未二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「元首」「潤下」「勵德」「六儀」。天盤は未将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊の上に酉を見て勾陳を乘じ、第二課は酉の上に丑を見て貴人を乘じ、第三課は日支の申の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に辰を見て玄武を乘じます。三伝は辰・申・子:初伝の甲辰は兄弟爻で玄武を乘じ、また暗鬼、中伝の戊申は子孫爻で青竜を乘じ、末伝の壬子は妻財爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:即戀一舊妾,又討一新妾,精氣衰耗,漸不支持。三傳皆財為家賊所偷,宅上子作螣蛇,主子外橫,乃宅中水不合被長生耗去,故多招是非,常不安妥。今年太歲值水敗尚可,明年不利;本身有臟毒,終為所苦,溝渠為土淤塞,子作溝渠,上加辰作武,故主土注淤塞,坤申方有澗水來克,子必不肖,而婢為宅主也。
邵先生は言いました。この主人は一人の旧妾に恋着しながら、また新たに一人の妾を娶り、精気が日々衰耗して、だんだん支えきれなくなっています。三伝は全て財爻ですが、その財は家中の窃賊に盗まれてしまいます。宅位上は子が螣蛇を乘じており、子女が外に横生する枝節を主ります。これは宅中の水気が長生の神に耗泄されてはならないのにされているので、多く是非を招き、家宅が常に安穏でなくなります。今年の太歳は水の敗地に遇ってまだ過ごせますが、明年は利がありません。本人は臓毒(下部の癰疽の疾)を患っており、ついにそれに苦しめられます。溝渠は泥土に淤塞します——子は溝渠を表し、子の上に辰が加わってまた玄武を乘じるので、泥沙が灌注して淤塞することを主ります。西南の坤申の方に山澗の水が沖して来て相剋し、息子は必ず成器せず、却って婢女がこの宅の主人となります。
先生析曰;劉將仕果有新舊二龐,蓋因酉作勾陳加行年又在日上,是有兩婢也。破碎來勾,主舊事擾攘。戊日局局,財氣太盛,自庫傳出,又傳出去。只因庫中有鬼賊,辰比劫財,又元盜神故也。所以偷去。子作蛇加申,主子息非理廢用。至丁巳年退至八分,庚申年退盡。巳上見酉為破碎,故丁巳退八分。申上見子作蛇撓之,故退盡。辛酉年四月臟毒死矣。蓋酉為臟毒,臨巳為四月,又遇酉年,破碎重見故也。
邵先生が解釈して曰く。劉将仕には果たして新旧二人の寵妾がありました。これは酉が勾陳を乘じて、また行年と日干の上に加わるので、二名の婢妾があるのです。破碎の神が来て勾陳に会するので、旧事が纏まって解れないことを主ります。戊土日干の局中は財気があまりに盛んで、財は庫の中から伝え出され、また一路に伝え出されてしまいます。ただ庫の中に鬼賊が蔵しているが故に——辰は比劫奪財の神であり、また元盗の神です——だから財が盗まれます。子が螣蛇を乘じて申の上に加わるので、子女が胡乱に花費し端なく敗用することを主ります。丁巳年に至って家産は八成退去し、庚申年に退尽します:巳の上に酉を見るのは破碎なので丁巳年に八分退し、申の上に子を見てまた螣蛇に攪扰されるので庚申年に至って退尽します。辛酉年四月、主人は臓毒によって死にました——酉はまさに臓毒を主り、巳に臨むのは四月で、また酉年に逢い、破碎の神が重ねて現れたので、この時に応じました。
17)何丞務丁巳生五十三歲占宅,己酉年二月戊子日戌將巳時。(午未空亡,亥子落空),重審,鑄印,斬關,愛圅得古本作丁未生六十二歲,蓋未交生日故也。 朱蛇 六戌亥子丑貴 陳酉 寅后 六 常 陰 六 父 癸巳 常 初 龍申 卯陰 戌 巳 卯 戌 兄 丙戌 六 中 空未午巳辰玄 巳 子 戌 戊 鬼 辛卯 陰 末 虎常
第十七例:何丞務は丁巳年の生まれで五十三歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年二月戊子日で、戌の月将を巳の刻に加えて課を立てました(編者の程愛圅が得た古本は「丁未生・六十二歳」と作り、おそらくまだ誕生日に至っていなかった故であろう)。戊子日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡宮位に落ちています。課名は三つ:「重審」「鑄印」「斬関」。天盤は戌将を巳時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に戌を見て六合を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て太陰を乘じ、第三課は日支の子の上に巳を見て太常を乘じ、第四課は巳の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は巳・戌・卯:初伝の癸巳は父母爻で太常を乘じ、中伝の丙戌は兄弟爻で六合を乘じ、末伝の辛卯は官鬼爻で太陰を乘じます。
邵先生曰:此課日往加辰,是人廣而宅狹也。宅上發用,傳出日上,是宅居不得許多人而後出也。末傳歸第二課,又見宅不納人。然非宅克人,是人多欲自出也。若移出各人自為活計,將因太陰擾動而興詞訟,太陰乘卯為今日鬼,故就卯上論之,在末傳,故至十三年後。十三年後見之後,人財亦興旺。
邵先生は言いました。この課は日干が日支の上に走って行き、人が多く宅が狭小な象です。発用は宅位から起こり、また日干の上に伝わる——まさに宅がこれほど多くの人を容れきれず、人が外に遷出する形です。末伝が第二課に帰るのは、再び宅が人を納れないという意味を現しています。しかしこれは宅が人を剋するのではなく、人口が多すぎて自分から出て行こうとするのです。もし各人が出て行って自ら生計を謀れば、将来は太陰の一路の攪動によって詞訟が興ります。太陰は卯を乘じ、卯は今日の官鬼なので、卯に就いて立論します。卯は末伝に落ちているので、十三年後に応じます。十三年後にこの官司が過ぎれば、人丁と財物もそれに従って興ります。
先生析曰;何居祖宅,狹仄人眾,此是日來加宅相逼,又作破碎也。本年十一月移出店房居住,自做經營,亦應初傳巳為店業,妙!妙!前原是兄嫂家掌家,後十三年,歲在甲子,果因家財爭訟,是以加子,人宅相剋也。巳四子九,併成十三年也。其壬戌年有卯制,故不動。癸亥年天罡壓之,亦不動。甲子年人宅相逼,所以至此方爭也。訟起於甲子之春,至乙丑四月方止,宅上見祿神,尚自興旺,人財尚可旺發也。
邵先生が解釈して曰く。何家が住むのは祖宅で、房屋は狭窄で人口は衆多です。これはまさに日干が宅上に加わって相い逼り、また破碎の神を帯びた象です。その年の十一月、彼は店房に移って住み、自ら営生を経営しました。これもまたちょうど初伝の巳が店鋪産業を表すのに応じたので、実に巧妙です。従来、家務はもともと兄嫁が掌管していました。十三年後、歳次が甲子になると、果たして家財をめぐって官司になりました——巳が子の上に加わり、人と宅が相剋するからです。巳の数は四、子の数は九で、四に九を足して十三年を成します。その間、壬戌年には卯が来て制伏したので発作せず、癸亥年には天罡(辰)に圧えられたのでこれも発作しませんでした。甲子年に至って人と宅が正面から相い逼り、やっと争い騒ぎ始めました。官司は甲子年の春に起こり、乙丑年の四月にやっと了結しました。幸いに宅位上に禄神が見えたので、家業は依然として興隆し、人丁財物もなお引き続き発達できました。
18)任太公甲午生七十五歲占宅,戊申年正月丙戌日子將辰時。(午未空亡,寅卯落空),彈射,從革。 六陳 朱丑寅卯辰龍 蛇子 巳空 六 虎 陰 朱 財 乙酉 陰 初 貴亥 午虎 寅 午 酉 丑 兄 癸巳 空 中(暗鬼) 后戌酉申未常 午 戌 丑 丙 子 己丑 朱 末 陰玄
第十八例:任太公は甲午年の生まれで七十五歳、住宅を占いに来ました。時は戊申年正月丙戌日で、子の月将を辰の刻に加えて課を立てました。丙戌日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の寅・卯二支が空亡宮位に落ちています。課名は二つ:「弹射」(四課に剋がなく、日に遥かに剋する神を取って発用とする。弾丸が遠く射るがごとし)「従革」(三伝の巳酉丑が金局)。天盤は子将を辰時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に丑を見て朱雀を乘じ、第二課は丑の上に酉を見て太陰を乘じ、第三課は日支の戌の上に午を見て白虎を乘じ、第四課は午の上に寅を見て六合を乘じます。三伝は酉・巳・丑:初伝の乙酉は妻財爻で太陰を乘じ、中伝の癸巳は兄弟爻で天空を乘じ、また暗鬼、末伝の己丑は子孫爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:此課干支六害,一主牛馬自傷,戌以丑為刑神,作朱雀,是害牛也。何不言田而言牛?春丙火相氣相生,主息,牛乃生息之物也。午為屋、為馬,言馬不言屋也,因午空亡,乃不實之物,且正月天馬在午故也。作空亡而入墓乘虎,是害馬也。
邵先生は言いました。この課は日干と日支が互いに六害を成すので、これに拠って五つの事を断ずることができます。第一は、牛馬が自ら傷を受けることを主ります。戌は丑をもって刑神とし、丑の上にまた朱雀を乘じています。これは牛を傷つける象です。なぜ田と言わずに牛と言うのでしょうか。春には丙火が相気を得て生扶され、生息・繁衍を主り、牛はまさに生息に用いられる牲口だからです。午は房屋をも表し、馬をも表しますが、ここで馬と言い屋と言わないのは、午が空亡に落ちて、屋が不实の物だからです。まして正月の天馬はちょうど午位にあります。午は空に落ち、また墓に入り、さらに白虎を乘じています。これは馬を傷つける象です。
二主婦人失明,蓋午為婦人,午乃離,為目,入墓是失明也。 三主自身有淫婢,而婢從淫僭。蓋以巳加酉,巳即丙,午為丙身,以申為妻,酉以酉為婢。巳加酉是寵婢也。天空為奴,從而加之,是僕僭亂有*也。 四主老婦血疾成癆,蓋初傳太陰與酉一體。太陰為老婦,從革體也。
第二は、家中の婦人の眼が失明することを主ります。午は婦人を表し、午は卦において離に属し、離は目です。今、午が墓庫に入るので、失明の象です。第三は、本人に淫乱な婢女があり、しかも婢女がこれに従って放纵・僭越することを主ります。これは巳が酉の上に加わるからです:巳はすなわち丙(丙は巳宮に寄せられる)、午は丙の身位、申は妻室を表し、酉は婢女を表します。巳が酉の上に加わるのは、まさに婢女を寵幸する象です。天空の神は奴僕を表し、従って加わって来れば、僕役が僭越して乱を作すことです(底本のここに一字が漫漶して弁ずべからず、そのまま写して補わない)。第四は、家中の年長の婦人が血疾を患って労病となることを主ります。これは初伝が太陰を乘じるからです。太陰と酉はもともと一体で、太陰は老年の婦人を表し、三伝が従革の金局を成すので、金は血疾の象を主ります。
五主山地有爭,乃末傳丑是也。春占巳上見丑,是相氣,火生丑土,丑遇生氣本牛也。然至末傳則是秋冬,非丙火旺可以生丑土言也。故曰山地,朱雀主爭,子主池塘,行年上見子加辰,又乘蛇,主爭必失理也。
第五は、山地をめぐって争いが起こることを主り、末伝の丑の上に応じます。春に占う課で、巳の上に丑を見れば、丑は相気を得ます。丙火は丑土を生ずることができ、丑が生気に遇えばもともと牛の象を取ります。しかし末伝まで推すと時節はすでに秋冬に入っており、丙火が旺盛で丑土を生ずることができるという立論はもう取れません。ゆえに山地と言い改めるのです(丑はもともと田土・山園を主る)。朱雀は争訟を主り、子は池塘を主ります。行年の上に子が辰の上に加わるのを見て、また螣蛇を乘じているので、この争いは必ず理が屈して負けると断じました。
19)王解元辛未生三十九歲占宅,己酉年三月癸巳日戌將未時。(午未空亡,酉戌落空),重審,元胎,六儀,斬關。 陳龍 六申酉戌亥空 朱未 子虎 空 六 朱 后 父 甲申 六 初 蛇午 丑常 亥 申 未 辰 兄 丁亥 空 中(丁神) 貴巳辰卯寅玄 申 巳 辰 癸 子 庚寅 玄 末 后陰
第十九例:王解元は辛未年の生まれで三十九歳、住宅を占いに来ました。時は己酉年三月癸巳日で、戌の月将を未の刻に加えて課を立てました。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡宮位に落ちています。課名は四つ:「重審」「元胎」「六儀」「斬関」。天盤は戌将を未時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に辰を見て天后を乘じ、第二課は辰の上に未を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の巳の上に申を見て六合を乘じ、第四課は申の上に亥を見て天空を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の甲申は父母爻で六合を乘じ、また本旬の旬首の儀神、中伝の丁亥は兄弟爻で天空を乘じ、「丁神」、末伝の庚寅は子孫爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:此課利宅不利人,若占病訟,真閉口卦也。日上墓作天后,主遲滯,時運未通。蓋天后滯神,更見墓,愈見遲滯也。幸得宅之六儀長生而引進,又與宅合,主進人口,婦人懷胎;然終不安,幸長生可以保全。亥作天空乘丁,主移動缸甕。末傳子息,因溼感風,西南西北二角,不可修動。田遭水患,行年在申,主內事訟。得一道士解和。王自發解後,皆不利,疑其宅生災,故占之。身乘墓作天后,辰雖月建,主興訟,旺卻是墓神滯神,目下如何發得?
邵先生は言いました。この課は宅に利して人に利しません。もし疾病や官司を占うのに用いれば、まさに一課が閉口して通じない卦です。日干上に墓神を見てまた天后を乘じているので、事が遅滞し時運が通じないことを主ります——天后はもともと滞澁の神で、さらに墓庫を加えれば、なお一層遅滞します。幸いに宅位上の旬首の儀神がちょうど長生に当たり、生気を引き入れることができ、また宅と相合するので、家中に人口が添えられ婦人が懐胎することを主ります。ただし終始して十分な安穏は得られませんが、長生の気があるので保全できるのが幸いです。亥が天空を乘じてまた丁神を帯びているので、缸甕の類の器物を動かすことを主ります。末伝は子孫爻で、小児が潮湿を受けて風寒に感ずることを主ります。西南・西北の二つの隅は土を動かし修造してはなりません。田地は水患に遭います。行年が申の上に落ちるので、家内の事が争訟を引き起こし、後に一人の道士が出面して調停し和息させました。王解元は解元に中ってから事事不利になり、宅に災いが生じたのではと疑って占いに来ました。身位が墓を乘じてまた天后をなしています:辰は当月の月建であるとはいえ、訟事の興起を主るだけで、一見旺相のようですが、実は墓神・滞神です。目下どうして発達できましょうか。
