交易謀為
149)周氏占與羅氏交易,建火五年正月乙巳日亥將巳時。(寅卯空亡,申酉落空),反吟,無依,元胎。 貴后 蛇亥子丑寅陰 朱戌 卯玄 虎 蛇 常 朱 子 乙巳 虎 初 六酉 辰常 巳 亥 辰 戌 父 辛亥 蛇 中(暗鬼) 陳申未午巳虎 亥 巳 戌 乙 子 乙巳 虎 末 龍空
第一百四十九例:周氏が羅氏と交易を為すを占いに来ました。時は「建火」五年正月乙巳日(底本の紀年は「建火」と作るが、「建炎」の訛を疑い、いま照録して改めず)で、亥の月将を巳の刻に加えて課を立て、月将と時辰が相冲するので「反吟」です。乙巳日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の申・酉二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「反吟」「無依」「元胎」。天盤は亥将を巳時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に戌を見て朱雀を乘じ、第二課は戌の上に辰を見て太常を乘じ、第三課は日支の巳の上に亥を見て螣蛇を乘じ、第四課は亥の上に巳を見て白虎を乘じます。三伝は巳・亥・巳:初伝の乙巳は子孫爻で白虎を乘じ、中伝の辛亥は父母爻で螣蛇を乘じ暗に鬼を帯び、末伝は依然として乙巳の子孫爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:反吟體見凶將,必難成。又日上見財乘雀,必見爭鬧而後成。只是兩家俱有孝服,後來周姓果喪母,羅姓亦喪妻。又至後有三人來作鬧,丁丑日事成。其鬧者乃過房子也。蓋乙以巳為兒,巳中丙戌,二姓主過房子來爭也。
邵先生は言いました。反吟の課体にまた凶将を見——この桩の交易は必ず成り難し。日干上に財爻を見て朱雀を乘じるは、必ず一場吵闹してようやく談じ攏まることを要す。ただ両家ともに孝服あるを要す。後に周家は果たして母親が死し、羅家もまた妻子が死しました。さらに往後に三人の人ありて来て吵闹し、丁丑日に至って事情がようやく談じ成りました。来て吵闹したはまさに過継の息子——乙は巳をもって兒とし、巳の中には丙・戊を蔵すので、両家ともに過継の息子が出て来て相い争うを主りました。
150)曹將仕丙午生六十四歲占謀干,己酉年癸卯日寅將辰時。(辰巳空亡,寅卯落空)。渉害,極陰,間傳,循環。 蛇貴 朱卯辰巳午后 六寅 未陰 空 陳 常 空 官 辛丑 陳 初 陳丑 申玄 亥 丑 酉 亥 兄 己亥 空 中(暗鬼) 龍子亥戌酉常 丑 卯 亥 癸 父 丁酉 常 末(丁神) 空虎
第一百五十例:曹将仕は丙午年の生まれで六十四歳、事を謀り干求するを占いに来ました。時は己酉年癸卯日で、寅の月将を辰の刻に加えて課を立てました。癸卯日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「渉害」「極陰」「間伝」「循環」。天盤は寅将を辰時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が卯に、六合が寅に、勾陳が丑に、青竜が子に、天空が亥に、白虎が戌に、太常が酉に、玄武が申に、太陰が未に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に亥を見て天空を乘じ、第二課は亥の上に酉を見て太常を乘じ、第三課は日支の卯の上に丑を見て勾陳を乘じ、第四課は丑の上に亥を見て天空を乘じます。三伝は丑・亥・酉:初伝の辛丑は官星で勾陳を乘じ、中伝の己亥は兄弟爻で天空を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の丁酉は父母爻で太常を乘じまた「丁神」です。
邵先生曰:支上丑作勾陳,自宜用舊,未利謀新。況三傳四課皆陰,豈宜進干?若陽則宜進干,豈不聞《心鏡》曰:大吉臨干為死舊,天罡加日是生新。 《心鏡》全以陰陽二字,分別陽宜動,為生、為新、為德;陰宜靜,為殺、為舊、為刑也。
邵先生は言いました。日支上の丑は勾陳を乘じ、本は旧の路数を沿用すべく、別に新挙を謀るに利あらず。まして三伝四課は全て陰に属す——どうして身を進め干求するに適えんや。もし陽に属せば、当に往って身を進め干求すべし。豈に《心鏡》の上に説くを聞かざりしや:「大吉は干に臨めばすなわち死旧を為し、天罡は日に加わればすなわち生新を為す」(大吉はすなわち丑、天罡はすなわち辰)。《心鏡》の一書は通篇皆陰陽の二字を用いて分別す:陽に属するは動に宜しく、生を主り新を主り徳を主る。陰に属するは静に宜しく、殺を主り旧を主り刑を主る。
出行訪謁
151應秀才三十四歲占出行,己酉年九月癸亥日卯將酉時。(子丑空亡,午未落空),反吟,元胎,勵德。 六朱 陳亥子丑寅蛇 龍戌 卯貴 陳 陰 朱 常 財 丁巳 陰 初(丁神) 空酉 辰后 亥 巳 丑 未 兄 癸亥 陳 中 虎申未午巳陰 巳 亥 未 癸 財 丁巳 陰 末(丁神) 常玄
第一百五十一例:応秀才は三十四歳、出行を占いに来ました。時は己酉年九月癸亥日で、卯の月将を酉の刻に加えて課を立て、月将と時辰が相冲するので「反吟」です。癸亥日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の午・未二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「反吟」「元胎」「励徳」。天盤は卯将を酉時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に未を見て太常を乘じ、第二課は未の上に丑を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の亥の上に巳を見て太陰を乘じ、第四課は巳の上に亥を見て勾陳を乘じます。三伝は巳・亥・巳:初伝の丁巳は妻財爻で太陰を乘じまた「丁神」、中伝の癸亥は兄弟爻で勾陳を乘じ、末伝は依然として丁巳の妻財爻で太陰を乘じまた「丁神」です。
邵先生曰:此課出行,當主半路歸家。何也?蓋自支發出,少間復回,末又歸支,當主一骨肉有喪,遂遣人邀歸。應曰:何故?先生曰:初以巳發用,中傳復回,末傳又見巳,如何去得?應恐家中有事,先生曰:非也。應遂行,欲往袁州岳丈任中,次至撫州,卻有一親戚,乃伊親姐,在信州玉山縣,赴任病重,遂遣人趕應回,親姐死,應遂不得袁州。
邵先生は言いました。この課を拿って出行を占えば、半路に走るに至ってすなわち家に帰るを要すを主ります。どうして?初伝は日支上より発出したのに、多く久しからずしてまた転じ回りて来て、末伝は依然として日支に帰するので、一人の骨肉の親人が亡故し、家の裏が人を派して来て彼を請い帰らしむるを主るためです。応秀才が問いました:どう講じます?邵先生は言いました:初伝は巳をもって発用し、中伝はまた折り返して回り来り、末伝は再び巳を見——このようではどうして走り成すことを得んや。応秀才は家の裏に事出づるを擔心し、邵先生は言いました:家の裏に非ず。応秀才はここにおいて身を動かし、本は袁州の岳父の任所に往かんと想いました。撫州に走り至り、恰好一人の親戚あり——まさに彼の親姉——信州玉山県に赴任する途中において病が重し、ここにおいて人を派して駆け来りて彼を叫び帰らしめました。姉は死し、応秀才は終じて袁州に去り成ることができませんでした。
先生析曰;蓋宅上見巳,初末皆巳,巳乃癸之絕神,雖為絕神,卻是三層驛馬,又以旬丁,所以主動。但中即傳宅陰,所以半路歸也。日上未鬼作太常,主親戚眷屬之服。日主外故主外服,發用太陰,主陰人喪,所乘之巳為妻,是妻之祖也。巳火亥水去了又來,互換相沖,不得不動,既動彼此俱絕,所以止也。
邵先生が解釈して曰く。宅位上に巳を見、初伝末伝もまた皆巳です。巳は癸水の絶神で、絶神と為すも、却って三重の驛馬を疊ね、また旬中の「丁神」に逢うので、走動を主ります。しかるに中伝は随してすなわち再び宅上の陰神に伝え回るので、半路上にすなわち折り返して回りました。日干上の未は鬼爻にして太常を乘じ、親戚眷属の一方に孝服あるを主ります。日干は外を主るので、外姓の喪服です。初伝は太陰において発用し、女眷の亡故を主ります。太陰の乘じた巳はまた妻を代表し、あれは妻族のこちら辺の長輩です。巳火と亥水は去ってまた来り、互いに換えて相冲し、動かざる能わず。一たび動き起こせば却って彼此皆絶地に投入するので、半路に到ればすなわち止まりました。
152)李秀才占往元真觀訪紫衣張道士,十月庚辰日寅將午時。(申酉空亡,辰巳落空),重審,潤下,斬關,不備。 后陰 貴丑寅卯辰玄 蛇子 巳常 龍 蛇 蛇 玄 子 丙子 蛇 初(暗鬼) 朱亥 午虎 申 子 子 辰 父 空申 龍 中(空亡) 六戌酉申未空 子 辰 辰 庚 兄 庚辰 玄 末(落空) 陳龍
第一百五十二例:李秀才が元真観に往って紫衣張道士を拜訪するを占いに来ました。時は十月庚辰日で、寅の月将を午の刻に加えて課を立てました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の辰・巳二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「潤下」(三伝の申・子・辰が水局を合成する)「斬關」「不備」。天盤は寅将を午時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に辰を見て玄武を乘じ、第二課は辰の上に子を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の辰の上に子を見て同じく螣蛇を乘じ、両課が重出するので「不備」と呼び、第四課は子の上に申を見て青竜を乘じます。三伝は子・申・辰:初伝の丙子は子孫爻で螣蛇を乘じ暗に鬼を帯び、中伝の申は旬空に逢い父母爻で青竜を乘じ、末伝の庚辰は兄弟爻で玄武を乘じ空地に落ちます。
邵先生曰:此課占訪人,其人在本處水火之傍,造墨或為細務。因事未畢,必然不出見也。
邵先生は言いました。この課を拿って人を訪るを占えば、その人は正に自己の住處の水火の辺に在り、墨を造る一類の細致なる活計に忙しく、事情がまだ做えり終わらざるがために、一定に出て来て相見しません。
先生析曰;蓋子發用,雖與日辰三合,奈辰課不足,必主事務未畢也。且今日庚金,子水發用,庚落空亡,不能生子,子反畏日上天罡,所以主不出見。罡加孟,為在內,故言在家。言為生計者,庚為水之源,而生神后,神后加辰,神后北方也黑色,交合辰土,生計是造墨也。潤下卦,有蛇火神為用,故曰近水火之傍也。 李果訪之不見,後詢之,果因造墨未畢也。
邵先生が解釈して曰く。子が発用し、日辰と湊って三合を成すものの、奈何せん四課は残缺して備わらず——必ず事情がまだ做えり終わらざるを主ります。まして今日は庚金日で、子水が発用し、庚金は自ら空亡に落ち、子水を生じ動かせず。子水は反転して日干上の天罡(辰)を懼るので、肯んじて出て来て相見しないを主ります。天罡が孟位の上に加わるは内に在るなので、彼は家に在りと説きます。彼の生計に説き至れば:庚は水の源頭で、神后(子)を生じ得ます。神后は辰上に加わり、神后は北方に属して黒色を主り、辰土と交合す——生計はすなわち墨を造ることが見えます。これは潤下の卦なのに、却って螣蛇という火神をもって初伝の乘する所と為すので、彼は水火の辺に在りと説きます。李秀才は果たして往って彼を訪るも見るを得ず、後に打聴すれば、果たして墨がまだ造り完わらざるがためでした。
153)管學正辛酉占往宜興謁縣尹楊公,己酉年十月甲午日寅將戌時。(辰巳空亡,申酉落空),元首,炎上,佚女,勵德。 六陳 朱酉戌亥子龍 蛇申 丑空 虎 六 六 后 兄 壬寅 虎 初 貴未 寅虎 寅 戌 戌 午 子 甲午 后 中 后午巳辰卯常 戌 午 午 甲 財 戊戌 六 末 陰玄
第一百五十三例:管学正は辛酉年の生まれで、往って宜興に県尹楊公を謁見するを占いに来ました。時は己酉年十月甲午日で、寅の月将を戌の刻に加えて課を立てました。甲午日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の申・酉二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「元首」「炎上」(三伝の寅・午・戌が火局を合成する)「佚女」「励徳」。天盤は寅将を戌時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に午を見て天后を乘じ、第二課は午の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の午の上に戌を見て同じく六合を乘じ、第四課は戌の上に寅を見て白虎を乘じます。三伝は寅・午・戌:初伝の壬寅は兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の甲午は子孫爻で天后を乘じ、末伝の戊戌は妻財爻で六合を乘じます。
邵先生曰:詳課意,吾兄若欲行正道,則不必見之。若行邪道,見之不妨。愛圅曰:此四句當有訛錯。蓋寅午戌相習而為狂黨,天后六合不正之神,又為失友,主下稍埋怨不足,互相冤抑。夫甲日火局,十二分盜氣,支又來耗我,大有所費。吾兄縱有所得,左手得錢,右手便送娼家,被官知覺,亦輕視不肯惠矣。管笑曰:楊尹有書來,安得無利:遂往,楊尹大喜,所贈甚厚,管竟入娼家,楊察知之,曰:吾多方照顧,欲爾收拾養家,如此胡為,枉做人情矣。遂不想信,僅與盤纏而歸。
邵先生は言いました。細かくこの課の意思を看れば、あなたもし正路を走らんと要せば、すなわち彼に見えに往く必要なし。もし歪路を走らんと要せば、見えに往っても却って妨げなし(愛圅按:この四句は当に訛錯あるべし)。寅・午・戌が彼此串習して狂放の党羽を結成し、天后と六合はまた皆不正の神、此の課はまた「失友」と呼ばれ、末に到りて彼此埋怨して満たず、互いに怨懟するを主るためです。甲日は火局を結成し、これは十二分の盗泄の気で、日支はまた来て我を耗す——必ず大いに破費あり。あなたは縦しく得る所あるも、左手に銭を拿得すれば、右手はすなわち娼家に送り進れます。あの位の官長に察覚されれば、もはやあなたを看軽し、肯んじて再び恩惠を施しません。管学正は笑って言いました:楊県尹は書信ありて来て請う——どうして好処なからんや。ここにおいてすなわち去りました。楊県尹は見て大いに喜び、贈送は甚だ豊厚。管学正は却って径に娼家に進み入り、楊県尹は察覚した後に言いました:我が多方照顧するは、あなたに銭を積んで家を養わしめんと想う——このように胡来すれば、我がこの人情は白く做したと算うべし。此より再び彼を信任せず、ただ若干の盤纏を給して彼を打ち発って帰らしめました。
先生析曰;蓋炎上課,甲日自是不利,又午來蝕甲,天后六合皆不正之神,主酒色蠱惑,四課不足,雖厚本亦主消折,況赤手空拳乎:
邵先生が解釈して曰く。「炎上」の課は甲日において本はすでに不利で、また午火ありて来て甲木を蝕耗し、天后と六合は皆不正の神——酒色に迷惑せらるるを主ります。四課は残缺して備わらず、たとい厚い本銭を帯びるもまた蝕折するを要す。まして赤手空拳にして往けるをや。
154)史某占訪僧見否,乙酉日酉將辰時。(午未空亡,亥子落空),知一,不備,亂首,驀越。 蛇貴 朱戌亥子丑后 六酉 寅陰 龍 陰 陰 六 子 空未 龍 初(空亡) 陳申 卯玄 未 寅 寅 酉 父 戊子 貴 中(落空) 龍未午巳辰常 寅 酉 酉 乙 子 癸巳 虎 末 空虎
第一百五十四例:史某が往って一人の僧人を訪れ見るを得るや得ざるやを占いに来ました。時は乙酉日で、酉の月将を辰の刻に加えて課を立てました。乙酉日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「知一」「不備」「乱首」「蓦越」。天盤は酉将を辰時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に酉を見て六合を乘じ、第二課は酉の上に寅を見て太陰を乘じ、第三課は日支の酉の上に寅を見て同じく太陰を乘じ、第四課は寅の上に未を見て青竜を乘じます。三伝は未・子・巳:初伝の未は旬空に逢い子孫爻で青竜を乘じ、中伝の戊子は父母爻で貴人を乘じ空地に落ち、末伝の癸巳もまた子孫爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:和尚出門撞見,要回寺。又有一貴人來訪,僧高宴款待。吾兄不得豫也。史果至寺門相見,待欲留茶,俄有侍御來見,設席果不預宴。
邵先生は言いました。あの和尚は正に門を出んとして、門口において撞え当たる——随して寺裏に回り往かんと要す。また一人の貴人ありて来訪し、和尚は盛宴を設けて款待了せんと要す——あなたは席に入ることを得られません。史某は果たして寺門口において彼と相見し、和尚は正に彼を留めて茶を喫せしめんとするも、忽然として一人の侍御史ありて来訪し、酒席を擺し下し、史某は果たして席に入ることができませんでした。
先生析曰;蓋發用空傳,又貴為日之三合,故主一貴人來。未為酒食,原為此貴設也。酉來合乙得六合,故主寺門相見,酉為酒剋日,故雖有酒不宴我也。一云,史公不預宴者,貴人乘子,加未空亡上也。
邵先生が解釈して曰く。初伝は空亡において発用し、中伝の貴人はまた日干と湊って三合を成すので、一人の貴人の到来を主ります。未は酒食を主り、あの席の酒は本はこの貴人のために擺したのです。酉は来て乙と相合して六合を乘じるので、寺門口において相見するを主ります。酉はまた酒を主りて来て日干を剋するので、酒あるも席に入るに我に輪せず。もう一つの説は:史某が席に入ることができなかったは、貴人が子を乘じて空亡の未の上に加わったためです。
155)十月丙辰日卯將子時。(子丑空亡,卯辰落空),重審,元胎。用旦貴何也? 朱蛇 六申酉戌亥貴 陳未 子后 蛇 陳 貴 六 財 庚申 六 初 龍午 丑陰 戌 未 亥 申 官 癸亥 貴 中(暗鬼) 空巳辰卯寅玄 未 辰 申 丙 父 甲寅 玄 末 虎常
第一百五十五例:十月丙辰日、卯の月将を子の刻に加えて課を立てました。丙辰日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の卯・辰二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「元胎」。子時は本は夜貴を用うべきなのに、此の課は却って旦貴(昼貴)を用いた——底本は自ら一問を設く:これは何の道理か?盤中は貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に申を見て六合を乘じ、第二課は申の上に亥を見て貴人を乘じ、第三課は日支の辰の上に未を見て勾陳を乘じ、第四課は未の上に戌を見て螣蛇を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の庚申は妻財爻で六合を乘じ、中伝の癸亥は官星で貴人を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の甲寅は父母爻で玄武を乘じます。
邵先生曰:我欲占動靜,今申生於巳,亥生於申,寅生於亥,巳生於寅,宅上又是勾陳入廟,至辛亥年十月方得身動。日往當往東北,近二百里。又轉西北晚處,終於東北之上,年六十九矣。果辛亥十月十七辛巳起行,過婺州,自鄉里行一百八十里,壬子年過嚴州,自鄉中從東北過西北,癸丑又到婺州,終於衙中。
邵先生は言いました。我が占うと要するは動と静です。いま申は巳に生じ、亥は申に生じ、寅は亥に生じ、巳はまた寅に生じ、環環相い生ず。宅位上はまた勾陳が廟に入る——辛亥年十月に至るまで、人は動き得られる。此の去るに当に東北方に往くべく、将に二百里に近し。後にまた西北方に転じて身を安め、最終には依然として東北方に死す——享年は六十九歳。後に果たして辛亥年十月十七日辛巳に程を起こし、婺州を経過し、郷里より算えて起れば一百八十里を走りました。壬子年に厳州を経過し、郷中より往いて東北にさらに西北に転じました。癸丑年にまた婺州に到り、衙署の中に死しました。
先生析曰;蓋丙以申為妻,巳與申合,又作六合,更未作勾陳,在本家所以戀家,卒難脫解。至辛亥年巳亥相沖,而寅申又沖,十月又是亥月,三個亥沖巳,又寅馬加亥,得沖而動,所以能行動於東北者,乃寅馬合亥,雖脫得沖則行也。癸丑死者,老人五行投生方也。一曰,未加辰宅,辰加丑上,辰為歲之墓也。
邵先生が解釈して曰く。丙は申をもって妻とし、巳と申は相合し、申上にまた六合を乘じ、これに未が勾陳を乘じて本家に坐するを加う——だから彼は家に恋いて舎て難く、一時に身を脱け開くことができません。辛亥年に至り、巳と亥は相冲し、寅と申はまた相冲し、十月はまた亥月——三重の亥が来て巳を冲す。さらに寅は驛馬にして亥上に加臨し、冲激を得ればすなわち走動せんと要す。だから東北方に往って走動し得るは、寅の馬が亥と相合し、脱泄されるも冲激に遇えば依然として行くを要するためです。癸丑年に身死したは、老人の五行が生方に投向した縁故です。もう一つの説は:未が辰という宅位の上に加わり、辰はまた丑上に加わり、辰はまさに太岁の墓です。
156)某人丁巳生五十歲占出行,己酉年正月十五甲午日子將午時。(辰巳空亡,戌亥落空),反吟,渉害,無依,元胎。 蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 虎 蛇 后 龍 兄 壬寅 后 初 陳酉 辰玄 午 子 寅 申 鬼 丙申 龍 中 龍申未午巳常 子 午 申 甲 兄 壬寅 后 末 空虎
第一百五十六例:ある人は丁巳年の生まれで五十歳、出行を占いに来ました。時は己酉年正月十五日甲午日で、子の月将を午の刻に加えて課を立て、月将と時辰が相冲するので「反吟」です。甲午日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の戌・亥二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「反吟」「渉害」「無依」「元胎」。天盤は子将を午時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に申を見て青竜を乘じ、第二課は申の上に寅を見て天后を乘じ、第三課は日支の午の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に午を見て白虎を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の壬寅は兄弟爻で天后を乘じ、中伝の丙申は官鬼爻で青竜を乘じ、末伝は依然として壬寅の兄弟爻で天后を乘じます。
邵先生曰:主有三千里之動,七年八年方歸也。七月果隨一官員到廣,二千三百里,至八年方歸。蓋日上驛馬交馳,寅申各七數,故有七年之測。行年亥加巳,天門地足,主動必遠也。
邵先生は言いました。三千里の遠行あるを主り、七八年を要してようやく回り来れます。この年七月、あの人は果たして一人の官員に跟随して広南に到り、路程は二千三百里で、第八年に至ってようやく回って来ました。これは日干上に驛馬が往来して交馳し、寅と申の数は各々七を為すので、七年の期を推し得たのです。行年の亥は巳上に加わり、一頭は天門・一頭は地戸——動きを主れば必ず走ること遠し。
157)邵先生自占一人相訪去吉凶,戊辰日子將酉時。(戌亥空亡,丑寅落空),彈射,孤寡。 朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 六 貴 陳 蛇 財 空亥 陳 初(空亡) 后午 丑空 戌 未 亥 申 鬼 丙寅 虎 中(落空) 陰巳辰卯寅虎 未 辰 申 戊 父 己巳 陰 末 玄常
第一百五十七例:邵先生が自ら課を起し、一人の前に来て相訪する人の此行の吉凶を占いました。時は戊辰日で、子の月将を酉の刻に加えて課を立てました。戊辰日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の丑・寅二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「弾射」「孤寡」。天盤は子将を酉時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の戊が巳宮に寄せられ、上に申を見て螣蛇を乘じ、第二課は申の上に亥を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の辰の上に未を見て貴人を乘じ、第四課は未の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は亥・寅・巳:初伝の亥は旬空に逢い妻財爻で勾陳を乘じ、中伝の丙寅は官鬼爻で白虎を乘じ空地に落ち、末伝の己巳は父母爻で太陰を乘じます。
邵先生曰:其人是孤恤一身,蓋亥加申為用乃六害空亡,是真正孤辰寡宿課,故知其人單獨一人而已。
邵先生は言いました。この人は孤零零とした一人です。亥が申上に加わって取って初伝と為し、すでに六害にしてまた空亡に逢う——これは真の孤辰寡宿の課なので、彼はただ形単影只なるのみなりを知りました。
邵彦和大六壬案例集(貞集)
行人書信
158)黃秀才占行人,庚午生三十九歲,戊申年正月丁巳日亥將未時。(子丑空亡,辰巳落空),重審,從革。 蛇貴 朱酉戌亥子后 六申 丑陰 陰 朱 常 貴 財 辛酉 朱 初 陳未 寅玄 丑 酉 卯 亥 子 空丑 陰 中(空亡) 龍午巳辰卯常 酉 巳 亥 己 兄 丁巳 空 末(落空)(丁神) 空虎
第一百五十八例:黄秀才が行人の消息を占いに来ました。彼は庚午年の生まれで三十九歳。時は戊申年正月丁巳日で、亥の月将を未の刻に加えて課を立てました。丁巳日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の辰・巳二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「重審」「従革」(三伝の酉・丑・巳が金局を合成する)。天盤は亥将を未時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ(底本はここに日干を誤って「己」と書す——丁・己は同じく未宮に寄せられ、課式は影響を受けず)、上に亥を見て貴人を乘じ、第二課は亥の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の巳の上に酉を見て朱雀を乘じ、第四課は酉の上に丑を見て太陰を乘じます。三伝は酉・丑・巳:初伝の辛酉は妻財爻で朱雀を乘じ、中伝の丑は旬空に逢い子孫爻で太陰を乘じ、末伝の丁巳は兄弟爻で天空を乘じすでに空地に落ちまた「丁神」です。
邵先生曰:此課亥作貴人加丁,是絕神。亥又來克我,本主行人來,奈緣所幹事未遂,兼以宅上財作文書乘破碎,文書次第未備,尚有更改之意。行年在辰,辰上見申,亥水又生在申,絕神帶生,目下未歸,在三月子日至也。
邵先生は言いました。この課は亥が貴人を乘じて丁の寄宮の上に加わり、亥は丁火の絶神です。亥はまた過ぎて来て我を剋する——本は行人が回り来るを主るべし。奈何せん彼は外頭において弁ずると要する事がまだ弁じ成らず。さらに宅位上の財爻が文書に化して破碎の煞を乘ずるを加え——文書の頭緒がまだ斉備せず、眼下にまた改動の打算あり。占者の行年は辰に在り、辰上に申を見、亥水はまた申において長生する——絶神の裏に生気を帯びるので、眼下は回り来れず、三月の裏に子に逢う日に至ってようやく到ります。
黃占友人過浙幹事,行人是庚午命,午加寅,是行人腳下生氣,蹤跡不定,又過東北幹事也。亥為絕神臨日剋日,主必歸。行年上見申又來生,故不歸。又不合初傳自宅上發用出來,又歸今日支神,在東北上作末傳,宅神反出在彼,是二不歸。日上亥水,病於東北,巳乃水絕,支去彼絕,其人在彼,是三不歸也。後果於三月初九戊子至。 同是占行人,又是一樣論應期,乃是論三合在行年上下。
黄秀才が占ったは一人の朋友が浙中に到って事を弁じたです。この位の行人は庚午年の生まれの命で、午は寅に加わり、行人の脚底下に生気あり、行踪は定まらず、なお往って東北方に事を弁ぜんと要します。亥は絶神で、日干上に臨みまた日干を剋し、本は彼が必ず回り来るを主る。しかし行年上に申を見てまた来て亥を生ずるので、一時に帰らず。さらに初伝は偏に宅位上より発出したのに、末にはまた今日の日支の神に帰り、東北方の上に落ちて末伝を作す——宅神が反転して外方に出たは、これは第二重の不帰。日干上の亥水は東北において病し、巳はまさに水の絶地、日支があの辺に跑って往って絶に投ずれば、人もまたあの辺に在る——これは第三重の不帰。後に彼は果たして三月初九戊子日に家に到りました。同じく行人を占うに、ここに応期を推すはまた一種の法子——すなわち三合の関係が行年の上下に落ちるを看るです。
先生析曰;亥作貴,又作絕,加未即是加丁,是亥絕來克我。本主克干則行人來就我,奈緣所事未遂者,丁干為我,巳支為後,支亦為他,人則所干,為他人之事。巳臨丑位入陷,主事未成,兼以宅上加酉字,乘雀為文書。孟月酉為破碎,則文書不備。酉為干陰之卯所沖,尚有改意。行年在辰,辰上見申生亥水,絕神變生,現尚未歸,而申辰三合,只少子字,故此定辰月子日歸也。以申為太歲,主年內三合全逢即驗。
邵先生が解釈して曰く。亥はすでに貴人を乘じ、また絶神——未上に加わればすなわち丁の寄宮上に加わるに等しく、絶神が来て我を剋するです。凡そ日干を剋するは、本は行人が前来して我に就くを主ります。奈何せん彼の弁ずると要する事はまだ弁じ成らず——丁は日干にして我を代表し、巳は日支にして後方を代表し、日支はまた他人を代表す。だから彼が外において弁ずるはすなわち別人の事。巳は丑位上に臨みて陥地に入り、事情は弁じ成らざるを主ります。さらに宅位上に酉を加え、酉は朱雀を乘じて文書を為し、孟月の裏に酉はまた破碎——文書の残缺して備わらざるが見えます。酉はまた日干の陰神の卯に冲されるので、なお改動の意あり。行年は辰に在り、辰上に申を見て来て亥水を生じ、絶神は転じて生気を成し、眼下は仍お回り来らず。しかも申と辰は三合を湊めて、ただ一人の子を缺く——だから辰月に子に逢う日に帰来すると断じました。ここは申をもって太岁と為し、一年の内に三合が斉全すればすなわち応験するを主ります。
159)王知縣占新宰幾時至,己丑年十一月甲申日子將申時。(午未空亡,戌亥落空),元首,潤下,勵德,閉口,驀越。 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 玄 蛇 六 虎 財 壬辰 玄 初 空未 寅后 辰 子 戌 午 鬼 甲申 龍 中 虎午巳辰卯陰 子 申 午 甲 父 戊子 蛇 末 常玄
第一百五十九例:王知県が新任の県宰が何時に到るかを占いに来ました。時は己丑年十一月甲申日で、子の月将を申の刻に加えて課を立てました。甲申日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の戌・亥二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は五つ:「元首」「潤下」(三伝の辰・申・子が水局を合成する)「励徳」「閉口」「蓦越」。天盤は子将を申時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に午を見て白虎を乘じ、第二課は午の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の申の上に子を見て螣蛇を乘じ、第四課は子の上に辰を見て玄武を乘じます。三伝は辰・申・子:初伝の壬辰は妻財爻で玄武を乘じ、中伝の甲申は官鬼爻で青竜を乘じ、末伝の戊子は父母爻で螣蛇を乘じます。
邵先生曰:冬占潤下課,正及時也。新官今已至潤州,值水淺來遲耳。三日得信,雲已到潤州,水淺不能前。蓋發用辰加子作元,子江也。上得辰土克之,故淺。十二月至任者,甲日子加申,子乃十二月太陰,今在申,故主十二月。
邵先生は言いました。冬に「潤下」の課を占い得たは、まさに時に応じ令を得たり。新官はいまやすでに潤州に到り、ただ水浅きがために来ること遅し。三天の後に消息を得て、彼がすでに潤州に到り、水浅くして前に行くこと能わざると曰う。これは初伝が辰において発用し子に加わって玄武を乘じ、子はすなわち江河で、上頭に辰土が壓えて来てそれを剋するので、水浅し。十二月に任に到ると説くは、甲日に子が申に加わり、子はまさに十二月の太陰の神で、いま申に落ちるので、十二月を主るためです。
160)汀州府戴公諱儀占風聞朝廷有文字的否,戊戌年六月乙亥日未將巳時。(申酉空亡,戌亥落空),重審,間傳,寡宿,渉三淵。 陳六 龍未申酉戌朱 空午 亥蛇 玄 后 陳 空 官 空申 陳 初(空亡) 虎巳 子貴 卯 丑 申 午 財 甲戌 朱 中(落空) 常辰卯寅丑后 丑 亥 午 乙 父 丙子 貴 末 玄陰
第一百六十例:汀州府の戴公、名は儀、朝廷に文書の下り来るあると風声を聴いて、確実なるや否やを占問しました。時は戊戌年六月乙亥日で、未の月将を巳の刻に加えて課を立てました。乙亥日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の戌・亥二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「間伝」「寡宿」「渉三淵」。天盤は未将を巳時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に午を見て天空を乘じ、第二課は午の上に申を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の亥の上に丑を見て天后を乘じ、第四課は丑の上に卯を見て玄武を乘じます。三伝は申・戌・子:初伝の申は旬空に逢い官星で勾陳を乘じ、中伝の甲戌は妻財爻で朱雀を乘じ空地に落ち、末伝の丙子は父母爻で貴人を乘じます。
邵先生曰:七月內必有朝廷文字來,被蒿惱不意而動。果於七月癸巳日文字來,充替河州。蓋傳見勾陳乘歲馬作鬼,又雀太歲,末見貴人,月建前一辰為用。應七月,申是歲馬,帶鬼剋日,申為傳送,又為道路,鬼害故來速也。
邵先生は言いました。七月の内に必ず朝廷の文書が下り来て、それに攪擾されて意外に奔波せられます。七月癸巳日に至り、文書は果たして来り、彼を調して往って河州の差事を接替せしめました。これは三伝中に勾陳が太岁の驛馬を乘じて化して鬼を為すを見、朱雀はまた太岁上に落ち、末伝に貴人を見、月建の前一位の神を取って発用したためです。七月に応じたは、申がまさに太岁の驛馬で、鬼を帯びて来て日干を剋し、申はまた「伝送」にしてさらに道路を主り、鬼が来て相い害するので、来ること速やかです。
161)某秀才占赴省試,望得失之信,甲戌日酉將卯時。(申酉空亡,寅卯落空),反吟,斬關,元胎。 蛇貴 朱亥子丑寅后 六戌 卯陰 六 玄 后 龍 兄 戊寅 后 初(落空) 陳酉 辰玄 戌 辰 寅 申 官 空申 龍 中(空亡) 龍申未午巳常 辰 戌 申 甲 兄 戊寅 后 末(落空) 空虎
第一百六十一例:ある位の秀才が省城に赴いて試に応じ、得失の消息を盼って来て占いました。時は甲戌日で、酉の月将を卯の刻に加えて課を立て、月将と時辰が相冲するので「反吟」です。甲戌日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「反吟」「斬關」「元胎」。天盤は酉将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に申を見て青竜を乘じ、第二課は申の上に寅を見て天后を乘じ、第三課は日支の戌の上に辰を見て玄武を乘じ、第四課は辰の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は寅・申・寅:初伝の戊寅は兄弟爻で天后を乘じ空地に落ち、中伝の申は旬空に逢い官星で青竜を乘じ、末伝は依然として戊寅の兄弟爻で天后を乘じまた空地に落ちます。
邵先生曰:占求官、望文字,榜即至矣,恐在四十九名及第耳。果當日榜至,中四十九名。 先生析曰;蓋課傳俱馬,又乘青龍,作官星,祿又得後,故主得官。天罡加支,望事立至,用事嚴緊,故速來。
邵先生は言いました。この課を拿って官を求め文書を盼ぐを占えば、榜文はすなわち馬上到り、ただ名次は第四十九名の上に落ちるを怕れるのみ。果たして当日に榜文はすなわち到り、彼は第四十九名に中りました。邵先生が解釈して曰く:四課三伝は全て驛馬で、また青竜を乘じて化して官星を為し、禄神はさらに天后を得——だから官を得るを主ります。天罡(辰)は日支上に加わり、盼ぐ所の事は立刻に到り。用事の神は緊湊して厳密なので、来ること速やかです。
162)寺僧某占舉請長老,望州中文字到否,辛亥日申將巳時。(寅卯空亡,巳午落空),蒿矢,元胎,勵德。 六陳 朱申酉戌亥龍 蛇未 子空 后 常 陰 虎 鬼 乙巳 后 初(落空) 貴午 丑虎 巳 寅 辰 丑 兄 戊申 朱 中 后巳辰卯寅常 寅 亥 丑 辛 子 辛亥 龍 末 陰玄
第一百六十二例:某寺の僧人が挙薦して長老を延請する一事のために来て占い、州府の文書が到るか到らぬかを盼ぎました。時は辛亥日で、申の月将を巳の刻に加えて課を立てました。辛亥日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に落ち、天盤の巳・午二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「蒿矢」「元胎」「励徳」。天盤は申将を巳時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が未に、朱雀が申に、六合が酉に、勾陳が戌に、青竜が亥に、天空が子に、白虎が丑に、太常が寅に、玄武が卯に、太陰が辰に、天后が巳に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に丑を見て白虎を乘じ、第二課は丑の上に辰を見て太陰を乘じ、第三課は日支の亥の上に寅を見て太常を乘じ、第四課は寅の上に巳を見て天后を乘じます。三伝は巳・申・亥:初伝の乙巳は官鬼爻で天后を乘じ空地に落ち、中伝の戊申は兄弟爻で朱雀を乘じ、末伝の辛亥は子孫爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:定得文字,目下便至。蓋初傳日馬乘後,為恩澤神。又月建主州府文字。巳時為用,故不出時見之也。只是長老得了,自卻有災,宜保重。乃虎乘墓加身也。果當日文字至,長老交割了,卻謝州府,中路門轅拱柱顛下,手廢而成疾矣。
邵先生は言いました。文書は一定に拿得でき、眼下すなわち送り来らんとしています。初伝は日干の驛馬にして天后を乘じ、天后は恩沢の神、巳はまた月建にして州府の公文を主るためです。占時は正に巳時に当たり、取り用いた所はすなわちこの巳なので、この時辰を出でずして見ることを得ます。ただ長老は請じ得られたものの、他本人には灾あり——当に多く保重を加うべし。これは白虎が墓神を乘じて身上に加わったためです。果たして当日に文書はすなわち到り、長老は交割を弁じ完え、州府に去って道を謝し、半路上に門楼の拱柱の上より跌き下りて、手は残廃し、此より痼疾を成しました。
163)張一公占州中相論文字,二月辛卯日亥將寅時。(午未空亡,卯辰落空),昂星,龍戰,勵德。 后陰 貴寅卯辰巳玄 蛇丑 午常 龍 朱 陰 虎 子 戊子 朱 初 朱子 未虎 酉 子 辰 未 父 空未 虎 中(空亡) 六亥戌酉申空 子 卯 未 辛 子 戊子 朱 末 陳龍
第一百六十三例:張一公が州府の裏の公文を商議する一事のために来て占いました。時は二月辛卯日で、亥の月将を寅の刻に加えて課を立てました。辛卯日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の卯・辰二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「昂星」「竜戦」「励徳」。天盤は亥将を寅時に加えて布定し、貴人が寅に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が子に、六合が亥に、勾陳が戌に、青竜が酉に、天空が申に、白虎が未に、太常が午に、玄武が巳に、太陰が辰に、天后が卯に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に未を見て白虎を乘じ、第二課は未の上に辰を見て太陰を乘じ、第三課は日支の卯の上に子を見て朱雀を乘じ、第四課は子の上に酉を見て青竜を乘じます。三伝は子・未・子:初伝の戊子は子孫爻で朱雀を乘じ、中伝の未は旬空に逢い父母爻で白虎を乘じ、末伝は依然として戊子の子孫爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:文字今日必來,果應。蓋昴星課,卯日子加卯,朱雀臨門,主文字立至。又子卯相刑,主其來緊速也。又三傳俱在日辰之上,自主日下必然到也。
邵先生は言いました。文書は今日必ず送り到ります。後に果たして応験しました。これは「昴星」の課で、卯日の裏に子が卯に加わり、朱雀は正に門戸に臨み、文書は立刻に到るを主ります。子と卯はまた相い刑し、それの来ること急促なるを主ります。さらに三伝は皆日干日支の上に落ち、本は当日に必ず到達するを主ります。
疾 病
164)孟承務占幼童,己酉年二月壬午日戌將丑時。(申酉空亡,巳午落空),元首,元胎。 貴后 蛇寅卯辰巳陰 朱丑 午玄 六 貴 陰 虎 財 辛巳 陰 初(落空) 六子 未常 子 卯 巳 申 子 戊寅 蛇 中(暗鬼) 陳亥戌酉申虎 卯 午 申 壬 兄 乙亥 陳 末 龍空
第一百六十四例:孟承務が一人の幼童のために来て病を占いました。時は己酉年二月壬午日で、戌の月将を丑の刻に加えて課を立てました。壬午日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の巳・午二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「元首」「元胎」。天盤は戌将を丑時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が寅に、朱雀が丑に、六合が子に、勾陳が亥に、青竜が戌に、天空が酉に、白虎が申に、太常が未に、玄武が午に、太陰が巳に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に申を見て白虎を乘じ、第二課は申の上に巳を見て太陰を乘じ、第三課は日支の午の上に卯を見て貴人を乘じ、第四課は卯の上に子を見て六合を乘じます。三伝は巳・寅・亥:初伝の辛巳は妻財爻で太陰を乘じ空地に落ち、中伝の戊寅は子孫爻で螣蛇を乘じ暗に鬼を帯び、末伝の乙亥は兄弟爻で勾陳を乘じます。
邵先生曰:此課主病上熱下冷,上膈雖熱不渴,中間風氣相擊,下部不通,因食冷咸物損肺,遂上喘下痞,今宜補肺通腸。蓋曾寄出家,未曾還願之故。今若寄出家,可以免災,終是衰弱,二十一歲後狀如老人,皮消膚瘦,若癆病狀;二十八歲,不能過也。其子病症,果是上熱下冷,因食冷鯗魚湯與麻參,遂得此症。當初舍在淨安寺,繼而贖歸,遂不安,常若癆怯狀;寄在外祖家養育,瘦弱益甚,不曾娶妻,至紹興十六年四月三日病故,果二十八歲也。
邵先生は言いました。この課は病を主るは上熱下冷:上膈は発熱するも口渇せず、中間は風気ありて相い搏し、下部は通ぜず——起こりは冷たい鹹物を喫して肺を傷い、ここにおいて上頭は气喘し下頭は痞塞します。眼下は当に肺を補い腸を通ずべし。この子は従前かつて名を寄せて出家したるも、願を還さず——だから此に致しました。いまもし再び名を寄せて出家せば、灾を免れ得られます。ただ彼の体質は終じて衰弱し、二十一歳以降はすなわち老人のごとく、皮肉は消瘦し形は痨病に同じくなり、二十八歳の上に至ればすなわち過ぎ去ることができません。この子の病症は、果たして上熱下冷で、冷たい鮝魚湯と麻参を喫したために得ました。当初彼を净安寺に舎ておき、後にまた贖い回した——此よりすなわち安寧せず、常に痨怯の様子のごとく。外祖父の家に寄養され、瘦弱はさらに厳しくなり、妻を娶ることなく、紹興十六年四月初三日に至って病故し、果たして二十八歳でした。
先生析曰;夫日上長生是空亡,申為寺院,虛生是寄舍也。壬受申之虎生,卻去生寅木,木生巳火,巳火克申金,申金受克,走來壬上避之,非本意來生也,故終身瘦弱。申數七,亥數四,四七二十八也。初巳火主上熱,末亥水主下冷,上膈在熱而不渴,中間緣寅木,主風氣相擊,下部不通。又巳火傷申金,肺臟上喘必矣。 初傳論上部,中傳論中間,末傳論下部。就初傳論受子女耶?是就日干上下論耶:
邵先生が解釈して曰く。日干上の長生は正に空亡に逢い、申はまた寺院を主る——虚にして実ならざる長生はすなわち寄名して身を舎てるです。壬水は申上の白虎に生ぜられ、却って転じて去りて寅木を生じ、寅木はまた巳火を生じ、巳火は反転して来て申金を剋す。申金は剋を受け、壬のこちらに跑って来て躲避したので、本の心にて相い生じたに非ず——だから彼は終身瘦弱します。申の数は七、亥の数は四、四七二十八——まさに彼の寿数です。初伝の巳火は上部の発熱を主り、末伝の亥水は下部の発冷を主るので、上膈は熱するも渇せず。中間は寅木あるがために風気相い搏して下部は通ぜずを主り、巳火はまた申金を傷い、肺臓上の气喘は必然です。このほかに一説を附す:初伝は上部を論じ、中伝は中間を論じ、末伝は下部を論ず。初伝上に就いて子女を論ずるか、それとも日干の上下神に就いて論ずるか——この一層はなお推詳を待つ。
165)王縣丞甲戌生三十五歲占病,戊申年六月甲寅日未將卯時。(子丑空亡,辰巳落空),八專,帷簿,勵德。 六朱 陳酉戌亥子蛇 龍申 丑貴 六 虎 六 虎 鬼 庚申 龍 初(暗鬼) 空未 寅后 戌 午 戌 午 子 戊午 虎 中 虎午巳辰卯陰 午 寅 午 甲 子 戊午 虎 末 常玄
第一百六十五例:王県丞は甲戌年の生まれで三十五歳、病を占いに来ました。時は戊申年六月甲寅日で、未の月将を卯の刻に加えて課を立てました。甲寅日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の辰・巳二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「八専」(甲は寅に寄宮し、日支の寅と同じく一处に居る)「帷簿」「励徳」。天盤は未将を卯時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の甲が寅宮に寄せられ、上に午を見て白虎を乘じ、第二課は午の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の寅の上に午を見て白虎を乘じ、第四課は午の上に戌を見て六合を乘じます。三伝は申・午・午:初伝の庚申は官鬼爻で青竜を乘じ暗に鬼を帯び、中伝の戊午は子孫爻で白虎を乘じ、末伝は依然として戊午の子孫爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:此課日辰皆見午,甲寅二木,皆死於午,那堪中末又是午,初傳又是絕神,六月午為月病符,旺火蝕休木,本宮又克父母,既無父母,亦難為子息,及自身。幸行年在子上燒不盡,三十七行年到寅,鞏難。三十九行年到辰見申,尤難過矣。須先克了子,便乃心病,且作廢人也。王縣丞授邵武軍,是年遭喪男女四人,果成心病不赴任,恣狂而走,至三十七癲痴不知人事,亦不飲食,幾兩月方瘥。三十九上,又復如此,卻不死,四十歲上,太歲到寅死。
邵先生は言いました。この課は日干日支上に皆午を見、甲と寅の二つの木は皆午において死す。まして中伝末伝はまた皆午で、初伝の申はなお甲木の絶神。六月の裏に午は月病符で、旺火が来て休囚の木を蝕し、本宮はまた父母を剋す——すでに父母を傷えば、子息と自身を保ち難し。所幸は行年が子上に在り、まだ焼き盡されず。三十七歳に行年が寅に到るは、過ぎ難きを恐る。三十九歳に行年が辰に到りて申を見れば、さらに過ぎ難し。必ず先に兒女を剋し盡し、随して自ら心病を得、しかも一人の廃人を成すことを要す。王県丞は邵武軍の差遣を授けられ、この年果たして四人の兒女を折り、また果たして心病を得て赴任せず、狂を発して到る處乱走しました。三十七歳の上に癫癡して人事を省らず、ものを食さず、将に両箇月にしてようやく好し。三十九歳の上にまた一度発作するも、却って死せず。四十歳の上に太岁が寅に走り至り、死しました。
先生析曰;蓋上午、辰上午、中傳午、末傳午,共四午來蝕甲寅,是四個月病符、四個天鬼。天鬼常傳四仲神,建寅居酉逆相巡,行年日上如遭著,災禍刑傷病擾人。四個天地轉殺春卯夏午秋酉冬子、四個白虎,所以喪四子,午為心,遇虎故主顛狂。木死於午,故為廢人。天鬼多生於疫病,故死者非二四即五六也。
邵先生が解釈して曰く。日干の上に一つの午、日支の上に一つの午、中伝に一つの午、末伝に一つの午、都合四つの午が甲と寅を蝕耗する——すなわち四つの月病符、四つの天鬼です。天鬼の口訣に曰く:「天鬼常に四仲神を伝え、建寅は酉に居りて逆に相い巡る;行年・日上に遭えば、災禍刑傷に病が人を擾す。」四つの午はまた四つの天地転殺(春は卯に在り、夏は午に在り、秋は酉に在り、冬は子に在り)であり、さらに四つの白虎です。だから四人の児女を折りました。午は人身において心を主り、白虎に遇うので癲狂を主ります。木は午において死するので、廃人となりました。天鬼は多く疫病に応ずるので、死する人数は二四でなければ五六です。
用五月祿說神煞用六月以得節論。此處論生死,太歲到寅,上見午,為日之死神。 四午字,為死神、天鬼、病神、白虎加之,為脫耗日干甲木之休氣。午為心作昏迷煞,白虎為道路神,故狂而走。
別に推法を附します:禄を起こすには五月を用い、神煞を説くには六月を用い、いずれもすでに交った節気によって論じます。ここで生死を論ずるには、太歳が寅に走到して寅上に午を見、午はまさに日干の死神です。あの四つの午の字は、兼ねて死神・天鬼・病神を作し、また白虎の加臨があり、日干甲木のもともと休囚の気を脱耗し尽くしました。午は人身において心を主り、化して昏迷の煞を成します。白虎はまた道路を主る神なので、狂を発して外へ乱走しました。
166)徐孺人己卯生三十歲占病,戊申年五月癸巳日申將卯時。(午未空亡,亥子落空),重審,斬關,孤辰。 空虎 龍戌亥子丑常 陳酉 寅玄 陰 龍 空 蛇 財 空午 蛇 初(空亡) 六申 卯陰 卯 戌 亥 午 兄 丁亥 空 中(落空)(丁神) 朱未午巳辰后 戌 巳 午 癸 鬼 壬辰 后 末 蛇貴
第一百六十六例:徐孺人は己卯年の生まれで三十歳、病を占いに来ました。時は戊申年五月癸巳日で、申の月将を卯の刻に加えて課を立てました。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の亥・子二支が空亡の宮位を正しく押さえています。課名は三つ:「重審」「斬關」「孤辰」。天盤は申将を卯時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に午を見て螣蛇を乘じ、第二課は午の上に亥を見て天空を乘じ、第三課は日支の巳の上に戌を見て青竜を乘じ、第四課は戌の上に卯を見て太陰を乘じます。三伝は午・亥・辰:初伝の午は旬空に逢い妻財爻で螣蛇を乘じ、中伝の丁亥は兄弟爻で天空を乘じ空地に落ちまた「丁神」、末伝の壬辰は官鬼爻で天后を乘じます。
邵先生曰:日上午作蛇見空亡,為偏空。陰人所苦,遂至心下不足,遇飢則氣攻心胸,眼目昏暗,生子多但不實,內一子足多一趾。中年血海敗,五十左右則成血癭,不宜破,破則死矣。在五十四五之間。平生不宜養蠶,恐因蠶得病也。徐孺人之父有妾,即孺人乳母。父死隨孺人在徐司理家,常與司理不合,故孺人得病,以乳母故也。生子十一胎,存三人,內一子多趾。四十一血敗,三年成癭 ,五十四因養蠶夜出胃冷致疾,癭破出血數升而死。
邵先生は言いました。日干上の午が螣蛇を乘じて空亡に逢うのは「偏空」です。一人の女人に苦しめられ、心の下が足らず、ひとたび餓えれば気が心胸に攻して眼目が昏花することを主ります。生んだ子は多いのに養い留められず、その中に一人の息子は脚に一つの趾を多く生じました。中年に血海が敗壊し、五十歳頃に血癭を成し、弄破してはなりません。破れば死し、五十四五歳の間に応じます。一生蚕を養うに宜しからず、ただ蚕を養うことにより病を得ることを恐れます。徐孺人の父に一人の妾があり、すなわち孺人の乳母でした。父が死した後、孺人に随いて徐司理の家に住み、常に司理と合いませんでした。だから孺人が病を得たのは、まさにこの乳母のためです。彼女は都合十一胎を生み、三人が存活しました。その中の一人の息子は趾が一つ多かったです。四十一歳に血が敗れ、三年後に癭を成しました。五十四歳に蚕を養うため夜に外出し、胃裏に寒を受けて病を得て、癭が破れて血を数升流して死しました。
先生析曰;蓋日上見午為心,癸水滅午火又空亡,是心受制而不足,午為陰人,空則無位為妾,蛇在午上擾,故知為此陰人所苦。又午為目,蛇擾水制,又空亡,自然昏暗。飢痛者,己卯生人,祿在午,空則亂也。蛇擾故痛。戌土上見青龍,故主多趾。又戌為足也。血敗者,亥坐空亡,又乘天空故也。血癭者,辰加亥為天后,辰堅土,加血上,故為血癭。天后主厭穢,癸水入辰墓,故癭破而死也。
邵先生が解釈して曰く。日干上に午を見、午は人身において心を主ります。癸水が午火を滅し、午がまた空亡に逢うのは、心が制を受けて血気が不足するということです。午はまた女人を表し、空に逢えば名分のないもの、ゆえに妾です。螣蛇がまた午上で攪擾するので、彼女がこの女人に苦しめられていることが分かります。午はさらに眼目を主り、螣蛇に攪擾され水に制され、これに空亡を加えれば、眼目は自ずから昏花します。餓えれば痛むについては、彼女が己卯年の生まれで禄神が午にあり、午が空すれば禄が乱れ、螣蛇が攪擾するので痛むのです。戌土の上に青竜を見るので、趾が一つ多く生じることを主ります——戌は人身においても脚を主ります。血敗は、亥が空亡の上に坐してまた天空を乘じるためです。血癭は、辰が亥に加わって天后を乘じるものです:辰は堅実の土で、血神の上に加わるので、結んで血癭を成します。天后は汚穢を主り、癸水はまた辰の墓に入るので、癭が破れて血を流して死したのです。
167)伊秀才占父病,父丙辰生六十四歲,己酉年十月丙申日寅將寅時。(辰巳空亡,辰巳落空),伏吟,元胎,勵德,寡宿。 六朱 陳巳午未申蛇 龍辰 酉貴 蛇 蛇 陳 陳 兄 空巳 陳 初(空亡) 空卯 戌后 申 申 巳 巳 財 丙申 蛇 中 虎寅丑子亥陰 申 申 巳 丙 父 壬寅 虎 末(暗鬼) 常玄
第一百六十七例:伊秀才が父の病を占いに来ました。父は丙辰年の生まれで六十四歳。時は己酉年十月丙申日で、寅の月将を寅の刻に加えて課を立てました——月将と時辰が同じなので「伏吟」で、天盤と地盤が完全に重合しています。丙申日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ちます。伏吟の下、天地が相い疊なり、辰・巳もまた空亡宮を正しく押さえています。課名は四つ:「伏吟」「元胎」「励徳」「寡宿」。盤中は貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に巳を見て勾陳を乘じ、第二課は巳の上に巳を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の申の上に申を見て螣蛇を乘じ、第四課は申の上に申を見て螣蛇を乘じます。三伝は巳・申・寅:初伝の巳は旬空に逢い兄弟爻で勾陳を乘じ、中伝の丙申は妻財爻で螣蛇を乘じ、末伝の壬寅は父母爻で白虎を乘じ暗に鬼を帯びています。
邵先生曰:此課自本身傳歸妻宮,妻宮又傳歸父母,六旬向上人,占病不宜見父母。蓋父母既故,故是下世重見父母也。行年與本身並,愛圅曰:六十四歲行年在巳,巳既丙,丙為本身,故云行年與本身並。然則的是六十四歲。因財上及舊事不足,酉年以申財為病符,病符主舊事,的是己酉年占,其本命定丙午年。愛圅又識。以致傷心。中間又是財爻入課,必是財切,兼與妻不足,遂激成病。末傳生氣,此課本主未死,緣父母宮艮山墳,左邊地風吹骨轉,右邊白蟻又入棺,若急移墳,可以延年。否則歸冥矣。
邵先生は言いました。この課は本身から妻宮に伝わり、妻宮からまた父母に伝え帰ります。六十歳以上の人が病を占うには、最も父母爻を見ることを忌みます——父母はすでに亡故し、父母を見れば陰間に往って父母と重逢するに等しいからです。行年と本身が一か所に并んでいます(愛圅按:六十四歳は行年がちょうど巳にあり、巳はすなわち丙の寄宮で、丙は本身を表すので、行年と本身が并んだと言います。これによって確かに六十四歳であることが知れます)。病の由は銭財と旧事の上で心に称わないことです(愛圅また按:酉年は申をもって財とし、申はすなわち病符で、病符は旧事を主る。確かに己酉年に占ったことが知れ、彼の本命は丙午年のはずです)。これによって心を傷めました。中にまた財爻が課に入るので、必ず銭財の上で逼り迫られ、これに妻と不和なのを加えて、ここにおいて激して病を成しました。末伝は生気を帯び、この課は本来死を主りません。ただ父母の墳が艮山にあり、左辺に地風が骸骨を吹き転がし、右辺にまた白蟻が棺木に鑽入したからです。もし急いで墳を遷せば、なお年を延すことができます。さもなければ陰に帰ります。
伊父之病,因為子娶婦囊空,不順意、煩心,遂心熱致渴成病,日漸狼狽,兼子又無書舍,愈增煩悶。先生令其移墳,渠及移利方,移意遂決。及開棺視之,則地風吹棺中骸骨顛倒,白蟻滿棺,泥土淤塞,於是易棺移葬,病日漸退,從此安好。次年其子又得一好書舍,雍容而過,安樂八十歲方卒。
伊父の病は、起因すれば息子に嫁を娶ったために銭嚢を空にし、事事が順わず心の裏が煩躁し、ここにおいて心中が燥熱し渇して病を成し、日一日と狼狽して来ました。これに息子にまた読書の屋舎がないことを加えて、さらに煩悶を添えました。邵先生は彼に墳を遷せと言い、彼は吉い方位に遷ぼうとして、遷の意はここにおいて決まりました。棺を開けて見るを待てば、果たして地風が棺裏の骸骨を吹いて顛倒錯乱させ、白蟻が棺に満ち、泥土が淤塞していました。ここにおいて棺木を換えて改葬すると、病は日一日と退き去り、これによって好くなりました。第二年に彼の息子はまた一か所の良い書舎を得て、日子は従容寛裕となり、老人は安楽して八十歳まで存えて去世しました。
先生析曰;蓋丙日寅為父母爻,上見白虎,定是父母墳不安。六旬人見父爻,本不利。然寅為丙之長生,故得不死,而以父母墳斷也。白蟻之凶,乘白虎也。此伏吟上下皆父母,非他占可單用也。余按寅木主風,故云風吹骨轉。 因占病又占出墳墓不吉之論,論得病源由。說出墳墓之災。
邵先生が解釈して曰く。丙日は寅をもって父母爻とし、寅上にまた白虎を見れば、必ず父母の墳が安でないのです。六十歳以上の人が父母爻を見るのは、もともと不利です。ただ寅はまさに丙火の長生なので、まだ死に至りません。ここにおいて転じて父母の墳の上から断じました。白蟻というこの一層の凶象は、乘じる白虎の上から見出したのです。これは伏吟の課で、上上下下が皆父母爻なので、別の占例を単独で套用するものではありません。また按ずるに:寅木は風を主るので、地風が骸骨を吹き転がしたと言います。この例はもともと病を占ったのに、墳墓が不吉だという一番の議論を占い出し、中から病を得た根由を論じ、また墳墓の上の灾患を説き破ったのです。
168)張逸士庚戌生五十九歲占病,戊申年九月庚寅日辰將丑時。(午未空亡,酉戌落空), 朱六 蛇申酉戌亥陳 貴未 子龍 蛇 陰 虎 陳 兄 甲申 蛇 初 后午 丑空 申 巳 寅 亥 子 丁亥 陳 中(丁神)(暗鬼) 陰巳辰卯寅虎 巳 寅 亥 庚 財 庚寅 虎 末 玄常
第一百六十八例:張逸士は庚戌年の生まれで五十九歳、病を占いに来ました。時は戊申年九月庚寅日で、辰の月将を丑の刻に加えて課を立てました。課式は前の第一百三十五例の張公が店業を占ったものと完全に同じです。庚寅日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が空亡の宮位を正しく押さえています(底本はここに課名を標さず)。天盤は辰将を丑時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が酉に、六合が戌に、勾陳が亥に、青竜が子に、天空が丑に、白虎が寅に、太常が卯に、玄武が辰に、太陰が巳に、天后が午に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に亥を見て勾陳を乘じ、第二課は亥の上に寅を見て白虎を乘じ、第三課は日支の寅の上に巳を見て太陰を乘じ、第四課は巳の上に申を見て螣蛇を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の甲申は兄弟爻で螣蛇を乘じ、中伝の丁亥は子孫爻で勾陳を乘じまた「丁神」で暗に鬼を帯び、末伝の庚寅は妻財爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:此課大凶,上下俱脫,其病恐是洩瀉上得之,自後寒熱往來,必成五癆七傷。又兼翻胃吐食,況日上生水,金去生水,多主冷涎,支上見巳,木生虛火,必心下不寧,遂至此病。兼之白濁,死在二十八日,不然再歷二十八日,難過矣。此課始終見凶神,上下皆盜氣,巳亥俱四數,申數七,四七二十八,兩處皆見,五十六日也。日干為上部,支辰為下部。
邵先生は言いました。この課は大凶で、上上下下が皆脱泄の気です。彼の病は恐らく泄瀉の上から得たもので、これから後は寒熱が往来し、必ず五労七傷を成し、さらに翻胃吐食を兼ねます。まして日干上の神が去って水を生じ、金がひとえに水を生ずれば、多くは寒冷の痰涎を主ります。日支上に巳を見、木が虚火を生ずれば、心の下に必ず安寧を得ず、ここにおいてこの場の病を釀成しました。これに加えて小便が白濁すれば、死期はすなわち二十八日の上にあります。もしそうでなければ、さらに一つの二十八日を過ごしても、また挨え過ごし難いです。この課は始めから終わりまで皆凶神を見、上下がまた皆盗泄の気です。巳と亥の数は各々四を為し、申の数は七を為し、四七で二十八、両か所に見え、合わせて五十六日です。日干は上部を表し、日支は下部を表します。
