六壬断案 · 第7巻
先生析曰;占人二十五歲,行年在寅見午,午為日之祿神,並干支旺相,故無恙。至二十八歲,其人為本土徐參議兜盡家財田宅,兜羅卷盡也。三十歲其人身亡。乃靖康元年也。愛圅以靖康元年,歲在丙午,從丙午逆計之,則三十歲乃係丁丑年生也。他書作戊寅生者誤也。今愛圅改正。其母守寡,其屋零落,不久必賣,何也?丁為日干見亥是日干絕氣也。支上見酉,又是支干之死神,故主此人不長。況三十歲行年在未,又見亥水,是身與年俱絕,所以死也。大凡占人不見死墓絕,未可言死,既見休囚死墓絕行年又臨此地,鮮有能外者矣。
邵先生が解釈して曰く。占者は二十五歳、行年は寅に在り、寅上に午を見、午はまさに丁日の禄神で、日干日支はまた皆旺相の気を得るので、眼下は恙なしです。二十八歳に至り、この人は本地の徐参議に家財田宅を全数兜盡されました——謂う所の「兜羅」は、すなわち搜し卷て一空にするの意です。三十歳の上に彼はすなわち身亡し、あの年はまさに靖康元年でした。愛圅が言います:靖康元年は歳丙午に在り、丙午より往前に逆推して三十年すれば、すなわち占者は当に丁丑年の生まれです。別の本子が戊寅年の生まれと写すは錯で、いま愛圅によって改正しました。彼の母親が寡を守り、房屋が零落し、久しからずして必ず売却するのは、何の道理ですか?丁は日干で、亥を見ればすなわち日干の絶気です。日支上に酉を見るは、また日干日支の死神なので、この人の寿数が長からざるを主ります。まして三十歳の行年は未に在り、未上にまた亥水を見るは、本身と行年が一斉に絶地に投入するので、死するを要します。大凡、人を占してもし死・墓・絶を見ざれば、なお死を断ずべからず。すでに休囚死墓絶を見、行年がまたこれらの処に臨めば、例外あり得るは稀です。
受圅析曰:邵公斷案,建炎年間多,宣和年間少,今得此案,不異隨珠卞璧也。
受圅が解釈して曰く:邵彦和先生の断案は、建炎年間に属するが多く、宣和年間に属するは少ない。いまこの一案を得たは、随侯の珠・卞和の璧のごとき珍宝を得るに亞がらず。
116)某占終身戊申年正月初一丙戌日子將未時,知一,斬關,不備。乙亥生三十四歲。 貴后 蛇戌亥子丑陰 朱酉 寅玄 六 常 常 蛇 財 甲申 六 初 六申 卯常 申 卯 卯 戌 子 己丑 陰 中 陳未午巳辰虎 卯 戌 戌 丙 兄 空午 龍 末 龍空
第一百一十六例:ある人が終身を占いに来ました。時は戊申年正月初一丙戌日で、子の月将を未の刻に加えて課を立てました。課名は三つ:「知一」「斬關」「不備」。占者は乙亥年の生まれで三十四歳。丙戌日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ちます。天盤は子将を未時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が戌に、朱雀が酉に、六合が申に、勾陳が未に、青竜が午に、天空が巳に、白虎が辰に、太常が卯に、玄武が寅に、太陰が丑に、天后が子に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に戌を見て螣蛇を乘じ、第二課は戌の上に卯を見て太常を乘じ、第三課は日支の戌の上に卯を見て同じく太常を乘じ——両課が重出するので「不備」と呼び、第四課は卯の上に申を見て六合を乘じます。三伝は申・丑・午:初伝の甲申は妻財爻で六合を乘じ、中伝の己丑は子孫爻で太陰を乘じ、末伝の午は旬空に落ち兄弟爻で青竜を乘じます。
邵先生曰:日上見戌作蛇,是支來墓干也。巳本蛇屬,與蛇夾一墓在中間,其人腹必有疾病,戌土主塊積。答曰:腹中果有一塊。
邵先生は言いました。日干上に戌を見て螣蛇を乘じる——これは日支が過ぎて来て日干を墓したのです。丙は巳に寄宮し、巳は十二属相の中に本は蛇で、天将の「螣蛇」と一前一後に一人の墓神を中に夾む——この人の腹内に必ず病あり。戌は土に属し、結塊積聚を主ります。その人が答えて言いました:腹中に果たして一塊の硬結あり。
先生析曰:原因感風起,因入喪家,遇食不化,遂成痞塊,不醫命必不久。問:何故?曰:初傳卯上見申作六合,合亦是卯,兩卯夾一申,卯為風,申為肺,風傳入肺臟也。卯為申金所克,遂奔戌上,戌上有太常為喪吊家,卯為風,亦為食,因傷素食久傷脾胃也。戌既為卯所克,走來墓於干上,二巳又夾一墓,墓乃堅牢。此病不能脫矣。是年占人年三十四歲,行年在亥,三十五歲遭官災,大有破費。蓋丙即巳,行年到子,巳受官鬼克,兼作天空,必主虛詐財物。丙祿在巳,祿即財,子水為地盤之鬼,天空克耗之故也。此年行年又遇巳,八月隨喪盡。八月火死土旺,前面便是戌,戌是墓,九月建戌,所以不過也。
邵先生が解釈して曰く。病根は風邪を感受したことに起り、また喪家に進んで物を食べて消化せず、ここにおいて痞塊を結成しました。医治しなければ性命は必ず長からず。人が問いました:どうして見出したのですか?答えます:初伝の卯上に申を見て六合を乘じ、六合は本身もまた卯に属し、二つの卯が一人の申を夾む——卯は風を主り、申は肺を主り、まさに風邪が肺脏に伝え入ったのです。卯は申金に剋され、ここにおいて戌の上に奔り、戌上に太常有り、太常は喪吊の家を主ります。卯はすでに風を主りまた飲食を主る——喪家において素食を傷い、日久してすなわち脾胃を傷いました。戌はすでに卯に剋されたので、奔って来て日干を墓し、二つの巳がまた一人の墓を中間に夾む——墓は最も堅牢なので、この病は脱げ得ません。この年、占者は三十四歳で、行年は亥に在り。三十五歳の上に官灾を遭い、大いに破費します。丙の寄宮はすなわち巳で、行年が子に走到し、巳は官鬼に剋され、また天空を乘じるので、必ず人に虚言して欺詐され財を失うを主ります。丙の禄は巳に在り、禄はすなわち財で、子水は地盤上の鬼で、さらに天空は剋耗を主るので、この応あり。この年、行年はまた巳に遇い、八月の裏にすなわち随いて喪盡します——八月は火が死して土が旺し、往前一步すればすなわち戌で、戌は墓で、九月の月建は正に戌に在るので、過ごすことができません。
117)或占平生,二月壬午日亥將酉時。(申酉空亡,戌亥落空),重審,間傳,勵德,九丑。 六陳 朱未申酉戌龍 蛇午 亥空 龍 六 陰 常 父 空申 六 初(空亡) 貴巳 子虎 戌 申 卯 丑 鬼 甲戌 龍 中(落空) 后辰卯寅丑常 申 午 丑 壬 兄 丙子 虎 末 陰玄
第一百一十七例:ある人が平生を占いに来ました。時は二月壬午日で、亥の月将を酉の刻に加えて課を立てました。壬午日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の戌・亥二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「間伝」(三伝の申・戌・子が位を隔てて順に行く)「励徳」「九丑」。天盤は亥将を酉時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に丑を見て太常を乘じ、第二課は丑の上に卯を見て太陰を乘じ、第三課は日支の午の上に申を見て六合を乘じ、第四課は申の上に戌を見て青竜を乘じます。三伝は申・戌・子:初伝の申は旬空に落ち父母爻で六合を乘じ、中伝の甲戌は官鬼爻で青竜を乘じまた空地に落ち、末伝の丙子は兄弟爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:申作合加宅發用,主遷宅改宅。六年內稱屋,造新宅。午為宅也。主二娶妻,戌加申乘龍主兒得解。子加戌作虎,明年主死小口二人,三年下狀爭田得勝,為丑加壬作常,丑田也。此課日上見類神,故得田也。
邵先生は言いました。申が六合を乘じて宅位の上に加臨し取って初伝と為す——住宅を搬遷改造することを主ります:六年の内に屋宇を添置し別に新宅を造ります——ここの午はすなわち宅です。また二回妻子を娶るを主ります。戌が申に加わって青竜を乘じるのは、息子が解送して挙に応ずるを得るを主ります。子が戌に加わって白虎を乘じるのは、明年に二つの小口を折損するを主ります。三年の上に状を遞して田を争って勝を得ることができ、丑が壬に加わって太常を乘じ、丑はまさに田地の象であるためです。この課は日干上にすなわち田の類神を見るので、田を得ることができます。
118)徐成局辛亥正月初一日子時生,占向後如何。己酉初一己卯日戌將寅時,(申酉空亡,辰巳落空),渉害,曲直,佚女,不備,魄化,飛魂。三十九歲。 空虎 龍丑寅卯辰常 陳子 巳玄 后 六 六 虎 兄 癸未 后 初 六亥 午陰 未 亥 亥 卯 鬼 己卯 虎 中 朱戌酉申未后 亥 卯 卯 己 財 乙亥 六 末(暗鬼) 蛇貴
第一百一十八例:徐成局は辛亥年正月初一日子時の生まれで、今後如何を占いに来ました。時は己酉年正月初一己卯日で、戌の月将を寅の刻に加えて課を立てました。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の辰・巳二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は六つ:「渉害」「曲直」(三伝の亥・卯・未が木局を合成する)「佚女」「不備」「魄化」「飛魂」。占者は三十九歳。天盤は戌将を寅時に加えて布定し、貴人が申に乘り、その下は螣蛇が酉に、朱雀が戌に、六合が亥に、勾陳が子に、青竜が丑に、天空が寅に、白虎が卯に、太常が辰に、玄武が巳に、太陰が午に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に卯を見て白虎を乘じ、第二課は卯の上に亥を見て六合を乘じ、第三課は日支の卯の上に亥を見て同じく六合を乘じ、両課が重出するので「不備」と呼び、第四課は亥の上に未を見て天后を乘じます。三伝は未・卯・亥:初伝の癸未は兄弟爻で天后を乘じ、中伝の己卯は官鬼爻で白虎を乘じ、末伝の乙亥は妻財爻で六合を乘じ暗に鬼を帯びます。
邵先生曰:承局服侍通判,豈可得犯上之課?此課支加干克干名上門亂首,傳得曲直,又名失友,主日後因犯官長,斷勒歸家。又與長上爭分,於爭分中又不合強淫尊輩,遂犯重罪,減等充軍於東海,與妻死在配所也。當年六月果因犯上責而遣歸,與叔爭分家產,而烝其叔母,叔知之,借他事告發,配在明州,娶後妻同死於配所。
邵先生は言いました。承局は通判に服侍する人で、どうして上を犯する課を起出し得ましょうか。この課は日支が日干の頭上に加わってまた日干を剋し、「上門乱首」と名づきます。三伝は「曲直」を成し、また「失友」と呼ばれ、日後に長官を冒犯したために、判決され勒令されて家に帰るを主ります。また尊長と家産を争分し、争分の中においてまた強行して尊輩を淫汚すべからざるを為し、ここにおいて重罪を犯し、等を減じて東海に充軍し、最後に妻子と一同に流しの地に死します。その年六月、彼は果たして上を犯して責を受けて遣送され家に帰りました。叔父と家産を争分し、また叔母と私通し、叔父はこれを知って、別の事を借りて彼を告発し、明州に発配されました。彼が續娶した後妻もまた彼と一同に配所に死しました。
先生析曰;大凡上門亂首,多是下犯上,春占木鬼貪旺而不發,至夏木休,其事將發,到秋木囚,則事乖張,便主爭競,冬有生氣,但存諸心,恐未形之口。經曰:旺相相生災未發,死囚刑剋便災臨是也。同日時有一行者,占得此課,先亂了禪堂及諸房後歸家,又擾兄弟,其身終無所歸,卻與一不正婦人苟合,中風而死。
邵先生が解釈して曰く。大凡「上門乱首」は、多くは下位の者が上位の者を冒犯します。春に占い得れば、木鬼は正に旺気を貪って発作しません。夏に至れば木気は休し、事は将に発作せんとします。秋に至れば木気は囚し、事はすなわち乖戾して張揚し、ここにおいて争鬥を起すを主ります。冬は木に生気あり、ただ心の裏に存するのみで、恐らくなお口に出していません。《経》に曰く「旺相相生すれば灾未だ発せず、死囚刑克すれば便ち灾臨む」——まさにこの意です。同日同じ時辰に、別に一人の行脚僧がこの課を占い得ました:彼は先に禅堂と各所の僧房を攪乱し、後に俗家に回帰し、また兄弟を攪擾し、自身は終じて安頓する処なく、却って一人の正派ならぬ婦人と苟合し、最後に中風して死しました。
119)韓監倉修職癸酉生三十七歲占平生,己酉年六月十五壬戌日未將巳時。(子丑空亡,寅卯落空),重審,間傳,勵德,向三陽。 六陳 朱未申酉戌龍 蛇午 亥空 玄 虎 陰 常 兄 空子 虎 初(空亡) 貴巳 子虎 寅 子 卯 丑 子 甲寅 玄 中(落空) 后辰卯寅丑常 子 戌 丑 壬 鬼 丙辰 蛇 末 陰玄
第一百一十九例:韓監倉は官階が修職郎で、癸酉年の生まれ、三十七歳、平生を占いに来ました。時は己酉年六月十五日壬戌日で、未の月将を巳の刻に加えて課を立てました。壬戌日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「間伝」「励徳」「向三陽」(三伝の子・寅・辰が位を隔てて順に行き、一路陽位に趨向する)。天盤は未将を巳時に加えて布定し、貴人が巳に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が未に、六合が申に、勾陳が酉に、青竜が戌に、天空が亥に、白虎が子に、太常が丑に、玄武が寅に、太陰が卯に、天后が辰に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の壬が亥宮に寄せられ、上に丑を見て太常を乘じ、第二課は丑の上に卯を見て太陰を乘じ、第三課は日支の戌の上に子を見て白虎を乘じ、第四課は子の上に寅を見て玄武を乘じます。三伝は子・寅・辰:初伝の子は旬空に落ち兄弟爻で白虎を乘じ、中伝の甲寅は子孫爻で玄武を乘じ空地に落ち、末伝の丙辰は官鬼爻で、底本は螣蛇を乘じると標すが、しかし盤中の辰上は実に天后を乘じるに拠り、ここに訛字あるを疑い、いま照録して改めず。
邵先生曰:此課雖曰向三陽,奈初中空亡,依舊不見陽光。四課間隔,事多阻滯,支內干外,支刑日上神,主孝服。
邵先生は言いました。この課は「向三陽」と呼ばれるものの、奈何せん初伝・中伝は皆空亡に逢い、依然として陽光を見ることができません。四課は彼此間隔して連ならないので、事事多く阻滞があります。日支は内に在りて日干は外に在り、日支はまた日干上神を刑剋するので、孝服の事あるを主ります。
愛圅析曰:太常破碎加干,亦主服。雖是空亡不死,人亦多是此句有訛錯。為何起棺而未葬,致亡者不安?傳進而子息落空,才生一子便死,非是過去空亡,庶不害現在子息也。現在子息臨宅,加於犬地而見虎,若見鼠咬衣服,小兒必有大災,宅內不合蓄水,若不開導,監倉自損,身亦難保矣。
愛圅が解釈して曰く。太常が「破碎」を帯びて日干の上に加わるも、また孝服を主ります。空亡に逢うて死に至らないものの、人は多く……(この句は底本の文字に訛脱あり、愛圅が自ら注して「この句は訛錯あり」と曰く、いま照録して補わず)。どうして棺木はすでに起出したのに遅遅として安葬せず、亡者を不安に致すのですか?三伝が前進して子息爻が空に落ちるので、ようやく一人の息子を生めばすなわち夭折します。ただそれは過去の空亡で、或いはいまの子息を傷るに至らないかもしれません。いまの子息は宅位の上に臨み、戌という犬地に加わってまた白虎を見るので、もし老鼠が衣服を咬破するを見れば、小児に必ず大きな灾あり。宅子の裏は水を蓄えるべからず、もし疏導して開かなければ、韓監倉は自身損を受け、性命もまた保ち難いです。
愛圅析曰:此斷多失誤,始錄在此,俟得善本改正。
愛圅がまた解釈して曰く:この一条の断語は多く失誤あり、姑くまずここに録し、好本を得てから再び改正を作すのを待つ。
流 年
120)劉監倉庚午生四十歲占年內事,己酉年正月庚辰日子將寅時。(申酉空亡,午未落空), 六朱 陳卯辰巳午蛇 龍寅 未貴 虎 龍 六 蛇 財 壬寅 龍 初 空丑 申后 子 寅 辰 午 父 庚辰 六 中 虎子亥戌酉陰 寅 辰 午 庚 鬼 戊午 蛇 末(落空) 常玄
第一百二十例:劉監倉は庚午年の生まれで四十歳、一年の内の事を占いに来ました。時は己酉年正月庚辰日で、子の月将を寅の刻に加えて課を立てました。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の午・未二支が正に空亡の宮位に壓します(底本はここに課名を標さず)。天盤は子将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に午を見て螣蛇を乘じ、第二課は午の上に辰を見て六合を乘じ、第三課は日支の辰の上に寅を見て青竜を乘じ、第四課は寅の上に子を見て白虎を乘じます。三伝は寅・辰・午:初伝の壬寅は妻財爻で青竜を乘じ、中伝の庚辰は父母爻で六合を乘じ、末伝の戊午は官鬼爻で螣蛇を乘じ空地に落ちます。
邵先生曰:日鬼傳歸宅上,宅上卻又生鬼,一防倉庫有火,二防當值人走或非理死,三防妻有暴亂之疾;正月小子防有飛災退失,二月因省墓起山林之擾,三月妻擾,四月官長追迫,五月當直人有失,六七月防火,八月因閒擾,九月進橫財,財中有失,十月婢妾陰私上有失,十一月僕走,十二月媳婦有服。
邵先生は言いました。日干の官鬼が宅位の上に伝え帰り、宅位は反転してまたこの鬼を生ず:一に倉庫の失火を防ぐべく、二に当直の人が逃走し或いは非命に死するを防ぐべく、三に妻子が暴急の疾を得るを防ぐべし。月を分かちて見れば:正月は小児に飛来の灾と退失あるを防ぎ、二月は墓を掃することによって山林上の糾擾を生出し、三月は妻子に擾あり、四月は長官に追迫されるを受け、五月は当直の人が事を出し、六月・七月は火を防ぎ、八月は閑事によって擾を受け、九月は一筆の横財を進めるも財の中に損失を帯び、十月は婢妾の陰私において損失あり、十一月は僕人が逃走し、十二月は媳婦の一房に孝服あり。
果本年七月倉鄰火發,竟燒倉。經曰:火鬼春歸午,夏月逐雞飛,三秋尋鼠穴,冬至免相期。今本身值火星,又傳從火上起,支上與末傳寅又生火也。五月一當值人差去捉人,暗中墮深坑死。三月妻偶中風遂成重疾。其餘十二月分,禍福悉應。蓋午為倉庫火鬼,來乘克身,故應。九月妻兄弟爭分,劉在官上請假半月,與分得財物二十餘緡,遣人往買米,為賊所掇,始信數有前定如此。
結果、この年七月、倉庫の隣舎が失火し、終じて倉まで焼き及びました。《経》に曰く:「火鬼は春は午に帰り、夏月は鶏を逐い飛び、三秋は鼠穴を尋ね、冬至は相い期するを免れん。」いま占者は本身が正に火星に当たり、三伝はまた火の上より起り、日支上と末伝の寅もまた来て火を生じます。五月の裏に一人の当直の人が人を捉えに差遣され、黒暗の中に深坑に墜入して死しました。三月の裏に妻子は偶然中風し、すなわち重病を成しました。その余の各月の禍福もまた一一皆応験しました。これは午がまさに倉庫上の火鬼で、前に来て乘臨して身を剋したため、応験しました。九月の裏に妻子の兄弟が家産を争分し、劉監倉は官署において半箇月の假を請いて帰り、財物二十余緡を分け得、人を遣わして米を買わせましたが、却って賊人に搶去されました——この時に至って彼はようやく信じ、命数は竟にこのように早已定まっていたことを。
121)唐丞務占一年事,戊申年庚辰日子將子時。(申酉空亡,申酉落空),伏吟,自任。 蛇貴 朱巳午未申后 六辰 酉陰 六 六 后 后 兄 空申 后 初(空亡)(落空) 陳卯 戌玄 辰 辰 申 申 財 戊寅 龍 中 龍寅丑子亥常 辰 辰 申 庚 鬼 辛巳 朱 末 空虎
第一百二十一例:唐丞務が一年の事を占いに来ました。時は戊申年庚辰日で、子の月将を子の刻に加えて課を立てました——月将と時辰が相同なので、天盤と地盤が完全に重合し、これで「伏吟」、日干の上神を取って発用し、また「自任」と呼びます。庚辰日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ちます。伏吟の下に天地が相合し、天盤の申・酉もまた正に空亡宮位に壓します。天盤は子将を子時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に申を見て天后を乘じ、第二課は申の上に申を見て天后を乘じ、第三課は日支の辰の上に辰を見て六合を乘じ、第四課は辰の上に辰を見て六合を乘じます。三伝は申・寅・巳:初伝の申は兄弟爻で天后を乘じすでに旬空に逢いまた空地に落ち、中伝の戊寅は妻財爻で青竜を乘じ、末伝の辛巳は官鬼爻で朱雀を乘じます。
邵先生曰:主喪妻又得妻,妻有財,後爭店事起訟,有四人遭刑;又主與尊長爭廚屋地基。其人當年三月喪妻,十一月再娶,乃客人之妻,甚有財產,遂以財開店,與原債人相打官司,四人杖二十,次年七月與叔爭廚屋地,卻得理。
邵先生は言いました。まず妻を喪い後にまた妻を得るを主り、新妻は銭財を帯びています。日後、店舗を争奪したことによって訟事を興起し、四人の人が刑を受けます。また尊長と厨屋の地基を争うを主ります。この人はその年三月に果たして妻を喪い、十一月に再娶し、娶ったは一人の客商の妻子で、甚だ財産があり、ここにおいてこの銭を用いて店舗を開き、もとの債主と官司を打ち起こし、四人の人が各々二十を杖責されました。第二年七月に叔父と厨屋の地基を争い、反転して理を占めました。
婚 姻
122)祝省元占婚,男戊辰生四十二歲,女己丑生二十一歲,己酉年二月己卯日戌將辰時。(申酉空亡,寅卯落空),反吟,無依,三交,九丑。 愛圅按:斷語中有血支在卯一言,則當是三月占,蓋血支正月在丑,順行十二支也。 貴后 蛇亥子丑寅陰 朱戌 卯玄 玄 六 龍 后 鬼 己卯 玄 初(落空) 六酉 辰常 卯 酉 未 丑 子 空酉 六 中(空亡) 陳申未午巳虎 酉 卯 丑 己 鬼 己卯 玄 末(落空) 龍空
第一百二十二例:祝省元が婚事を占いに来ました。男方は戊辰年の生まれで四十二歳、女方は己丑年の生まれで二十一歳。時は己酉年二月己卯日で、戌の月将を辰の刻に加えて課を立てました。愛圅の按語が曰く:断語の裏に「血支は卯に在り」の一句ある以上、当に三月に占ったべきで、血支は正月に丑より起り、此の後十二支に順い往いて下行するためです。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「反吟」(月将と時辰が相冲し、天地二盤の各支が互いに冲す)「無依」「三交」「九丑」。天盤は戌将を辰時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に丑を見て天后を乘じ、第二課は丑の上に未を見て青竜を乘じ、第三課は日支の卯の上に酉を見て六合を乘じ、第四課は酉の上に卯を見て玄武を乘じます。三伝は卯・酉・卯:初伝の己卯は官鬼爻で玄武を乘じ空地に落ち、中伝の酉は旬空に逢い子孫爻で六合を乘じ、末伝は依然として己卯で官鬼が玄武を乘じ同じく空に落ちます。
邵先生曰:此課占婚,何必有媒?私情久已通矣。其家房合廣闊,東西皆有小門,因婢子為腳,遂與人通。今所議之人,亦與姦淫,血支在卯,必非女身,主暗有退子。且男以克干為嗣,女以干生為子。
邵先生は言いました。この課を用いて婚を占うに、どうしてなお媒人を要しましょうか。男女の私情は早已通じています。女家の房舎は寛闊で、東西両辺に皆小門を開き、一人の婢女に憑って脚力と為し伝え遞し、ここにおいて人と私通しました。いま親を議するこの対象もまた彼女と奸情あり。血支は卯上に落ち、必ず処女の身でないことが見え、しかも暗にすでに胎を堕したことがあります。さらに言えば、男方は日干を剋する爻をもって後嗣と為し、女方は日干の生ずる所の爻をもって子女と為します。
愛圅析曰:此二句乃祿命家之言,今亦用之,何也?一土生二金,是退子也。女命上見日干青龍,是女先有其夫也。男年並日上見天后,是男先有其女也。女命乘男,男年乘女,婚姻豈有不成之理?酉乃婢,六合加之,為和合。又加玄武姦淫之神,更加酉上,婢子為引無疑。且門來加戶,戶又加門,是主門戶重迭,卯為宅,上見酉,故云小門在宅也。凡占婚,遇此等課,必然之應。卯酉為私門,六合天后元武皆淫佚之神,故斷私通。
愛圅が解釈して曰く。上の「男は剋干をもって嗣と為し、女は干生をもって子と為す」のこの両句は、本は禄命家の説法で、いま壬課の裏にまた持って来て用いるのは、何の道理ですか。一つの土が二つの金を生出すは、すなわち退子の象です。女方の本命上に日干と青竜を見るは、この女子が先にすでに彼女の男人あるです。男方の行年に日干上を連ねて天后を見るは、この男子が先にすでに彼の女人あるです。女方の命上に男象を乘せ、男方の行年上に女象を乘せたのは、この門の婚事に成らざる道理あらんや。酉は婢女を主り、六合がその上に加臨すれば、すなわち和合撮合です。さらに玄武という奸淫を主る天将を加え、また酉の上に壓すれば、婢女が中より牽引するは疑いなしです。まして門が戸に加わり、戸はまた門に加わるのは、門戸が重畳することを主ります。卯は宅で、宅上に酉を見るので、宅子上に別に小門を開くと説きます。凡そ婚を占してこの類の課体に遇えば、皆必然の応験です。卯と酉は私門で、六合・天后・玄武はまた皆淫佚の神なので、私通と断じました。
123)孔七公戊午生五十二歲占婚,己酉年十月癸巳日寅將亥時。(午未空亡,酉戌落空),重審,元胎,六儀,斬關。 空虎 龍申酉戌亥常 陳未 子玄 常 龍 陳 蛇 父 甲申 龍 初 六午 丑陰 亥 申 未 辰 兄 丁亥 常 中(丁神) 朱巳辰卯寅后 申 巳 辰 癸 子 庚寅 后 末 蛇貴
第一百二十三例:孔七公は戊午年の生まれで五十二歳、婚事を占いに来ました。時は己酉年十月癸巳日で、寅の月将を亥の刻に加えて課を立てました。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未に落ち、天盤の酉・戌二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「元胎」「六儀」「斬關」。天盤は寅将を亥時に加えて布定し、貴人が卯に乘り、その下は螣蛇が辰に、朱雀が巳に、六合が午に、勾陳が未に、青竜が申に、天空が酉に、白虎が戌に、太常が亥に、玄武が子に、太陰が丑に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の癸が丑宮に寄せられ、上に辰を見て螣蛇を乘じ、第二課は辰の上に未を見て勾陳を乘じ、第三課は日支の巳の上に申を見て青竜を乘じ、第四課は申の上に亥を見て太常を乘じます。三伝は申・亥・寅:初伝の甲申は父母爻で青竜を乘じ、中伝の丁亥は兄弟爻で太常を乘じまた「丁神」、末伝の庚寅は子孫爻で天后を乘じます。
邵先生曰:孔丈五十二歲,又做新郎,今日上方出墓尋生,其親必成也。此女清白輕盈,知書算,善治家,即生二子享福,但恐不久尊堂服動。孔咲曰:何以知之?
邵先生は言いました。孔丈は五十二歳の上にまた新郎を為さんとしています。いま日干上は正に墓の中より脱出して去り長生を尋ね往く——この門の親事は必ず成り得ます。この位の女子は清白にして軽盈で、文墨算数に通暁し、家を治めるに善し。門を過ぎればすなわち二つの息子を生み、福を享くることができます。ただ久しからずして尊堂の一房に孝服あるを怕れるのみ。孔七公は笑って言いました:あなたはどうして知ったのですか?
邵先生曰:課中自見,恨今人不習耳。蓋癸日見初傳申長生,主輕盈;金主清白,長生為學堂,主知書算,善治家。但亥乘丁臨長生之上,又乘常,故主服動。末寅為子孫,同天后加木之長生丁亥上,所以成親即有子息。巳與申合,寅與亥合,所以無不成就。四課三傳無空亡,所以終身享福也。
邵先生は言いました。これらの課の裏には本は皆見えるのに、ただ惜しむは今人が肯んじて工夫を下して研習しないのみです。癸日が初伝の申を見、申は癸水の長生なので、体态の軽盈を主ります。申は金に属し、金は清白を主ります。長生の位はまた学堂なので、文墨算数に通暁し家を治めるに善なるを主ります。ただ亥が「丁神」を乘じて長生の上に臨み、また太常を乘じるので、孝服が動くを主ります。末伝の寅は子孫爻で、天后を連ねて共に丁亥という木の長生の上に加わるので、一成親すればすなわち子息あり。巳と申は相合し、寅と亥は相合するので、樣樣皆成就できます。四課三伝は皆空亡に逢わないので、終身福を享くることができます。
孔公前妻李氏亡,續妻童氏,次年果即生子,五十八又生一子,而此婦於前夫處,亦有收拾,且能書算,家務全仗其照料,娶來未十四個月而母亡矣。
孔七公の前妻李氏はすでに過世し、續娶したのは童氏です。第二年に果たしてすなわち息子を生み、五十八歳の上にまた一人の息子を生みました。この婦人は前夫の彼方でも若干の積蓄を帯びて来て、しかも能く写し能く算し、家務は全て彼女に頼って照料しました。ただ娶りて門を過ぎて十四箇月に満たずして、孔家の老母親はすなわち去世しました。
124)李二伯乙酉生二十五歲占成親,己酉年十月庚子日寅將未時。(辰巳空亡,亥子落空),知一,比用。 貴后 蛇子丑寅卯陰 朱亥 辰玄 后 空 六 陰 父 戊戌 六 初 六戌 巳常 寅 未 戌 卯 官 空巳 常 中(空亡) 陳酉申未午虎 未 子 卯 庚 子 庚子 蛇 末(落空) 龍空
第一百二十四例:李二伯は乙酉年の生まれで二十五歳、成親を占いに来ました。時は己酉年十月庚子日で、寅の月将を未の刻に加えて課を立てました。庚子日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の亥・子二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は二つ:「知一」「比用」。天盤は寅将を未時に加えて布定し、貴人が丑に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が亥に、六合が戌に、勾陳が酉に、青竜が申に、天空が未に、白虎が午に、太常が巳に、玄武が辰に、太陰が卯に、天后が寅に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に卯を見て太陰を乘じ、第二課は卯の上に戌を見て六合を乘じ、第三課は日支の子の上に未を見て天空を乘じ、第四課は未の上に寅を見て天后を乘じます。三伝は戌・巳・子:初伝の戊戌は父母爻で六合を乘じ、中伝の巳は旬空に逢い官鬼爻で太常を乘じ、末伝の庚子は子孫爻で螣蛇を乘じ空地に落ちます。
邵先生曰:此課必成,恐成後再歸去生小口舌,兼難得子。蓋日上便見妻宮,妻宮上作天羅地網,兜牢不欲開去。子作蛇,名退子,縱生子不育。又主妻宮血風,從此成廢疾矣。蓋酉作勾故也。
邵先生は言いました。この門の親事は必ず成ることを能く、ただ成親の後に新婦が一趟娘家に回ればすなわち小小の口舌を生出し、しかも子息を得難いを怕れます。日干上にすなわち妻宮を見、妻宮上はまた天羅地網の中に落ち、兜縛して牢牢として放開を肯んぜないためです。子孫爻は螣蛇を乘じ、「退子」と名づき、便ち子を生下しても養い活かせません。また妻宮に血風の疾ありて、此より廃疾を成すを主ります——これは酉上に勾陳を乘せる故です。
胎産子息
125)白生占產婦,四十三歲,妻二十三歲,己酉年九月庚申日卯將寅時。(子丑空亡,丑寅落空),八專,帷簿,三奇。 貴后 蛇午未申酉陰 朱巳 戌玄 玄 陰 玄 陰 子 癸亥 常 初 六辰 亥常 戌 酉 戌 酉 兄 辛酉 陰 中 勾卯寅丑子虎 酉 申 酉 庚 兄 辛酉 陰 末 龍空
第一百二十五例:白生が臨産の妻子を占いに来ました。彼は四十三歳、妻子は二十三歳。時は己酉年九月庚申日で、卯の月将を寅の刻に加えて課を立てました。庚申日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の丑・寅二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「八専」(庚は申に寄宮し、日支の申と同じく一处に居り、四課がただ両課を成すのみ)「帷簿」「三奇」。天盤は卯将を寅時に加えて布定し、貴人が未に乘り、その下は螣蛇が午に、朱雀が巳に、六合が辰に、勾陳が卯に、青竜が寅に、天空が丑に、白虎が子に、太常が亥に、玄武が戌に、太陰が酉に、天后が申に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の庚が申宮に寄せられ、上に酉を見て太陰を乘じ、第二課は酉の上に戌を見て玄武を乘じ、第三課は日支の申の上に酉を見て太陰を乘じ、第四課は酉の上に戌を見て玄武を乘じます。三伝は亥・酉・酉:初伝の癸亥は子孫爻で太常を乘じ、中伝の辛酉は兄弟爻で太陰を乘じ、末伝は依然として辛酉で兄弟が太陰を乘じます。
邵先生曰:干支不分,人宅不辨,故不可曉。且庚為子,申為母,見酉為陰刃,乃面前陽刃也。太陰兼之尤甚。申母以酉為破碎,乃面前破碎也。夫行年兼之,是與妻子皆受破碎,女行年亥上見子乘虎,又洩氣,作大福方可保。夫干支中末,俱見陽刃破碎,又是自刑自害,必不利於子母也。白妾連生子皆不育,至壬戌生子,其子倒生,用刀破身方出,母幾不保。
邵先生は言いました。この課は日干と日支が一か所に合して分かれ開かず、人と宅もまた辨い清かでなく、だから旁人が見て明らかに白くできません。庚はここに取って子供と為し、申は取って母親と為し、酉を見ればすなわち陰刃、すなわち当面直ちに冲する羊刃です。これに太陰が同乘するのを加え、凶険はさらに重し。申という母親は酉をもって破碎とし、まさに当面の破碎です。丈夫の行年はまた併せてその上に在り、ここにおいて妻と子は皆破碎に傷られます。産婦の行年は亥に在り、亥上に子を見て白虎を乘じ、また泄気——福徳を大修しなければ保ち得ません。丈夫のこちらは日干日支と中伝末伝、至るところ皆羊刃と破碎を見、また自刑自害で、母子に必ず不利です。白生の妾は相次いで子を生むも皆養い活かせず、壬戌年に至って一人を生みましたが、子は倒れて出て来て、刀を用いて身体を剖き開いてようやく取出し、母親はほとんど保てませんでした。
先生析曰:公前後生子不育,皆此子作祟耳。今雖得兒,若不戒欲,必為他害。蓋干支見酉,皆陽刃破碎自刑,故先害身卻來害母耳。於是白生與妾分居,乃得免。
邵先生が解釈して曰く。あなたの前前後後に生んだ子供は皆養い活かせなかったのは、皆この一人の子が祟を為していたのです。いまこの息子を得たものの、もし房事を戒絶しなければ、必ずなお彼に害されます。日干日支上に皆酉を見て、全て羊刃・破碎・自刑なので、まず本身を害し、再び頭を回して母親を害します。ここにおいて白生は妾と房を分かちて居住し、これでようやく禍を免れました。
126)翁秀才占子息,二月丙申日戌將亥時。(辰巳空亡,卯辰落空),元首,退茹,斬關。 陳六 龍辰巳午未朱 空卯 申蛇 六 朱 空 龍 父 癸卯 空 初(落空)(暗鬼) 虎寅 酉貴 午 未 卯 辰 父 壬寅 虎 中 常丑子亥戌后 未 申 辰 丙 子 辛丑 常 末 玄陰
第一百二十六例:翁秀才が子息を占いに来ました。時は二月丙申日で、戌の月将を亥の刻に加えて課を立てました。丙申日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の卯・辰二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「元首」「退茹」(三伝の卯・寅・丑が逆行して相い連なる)「斬關」。天盤は戌将を亥時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に辰を見て青竜を乘じ、第二課は辰の上に卯を見て天空を乘じ、第三課は日支の申の上に未を見て朱雀を乘じ、第四課は未の上に午を見て六合を乘じます。三伝は卯・寅・丑:初伝の癸卯は父母爻で天空を乘じ空地に落ちまた暗に鬼を帯び、中伝の壬寅もまた父母爻で白虎を乘じ、末伝の辛丑は子孫爻で太常を乘じます。
邵先生曰:此課干支皆子息,而初中父母反克之,是上人墳墓不招也。況身上子孫並龍作空亡,是子息無分也。末傳子孫受下克,又不招也。宅上未並雀,子息可招。又被末傳丑來沖破,雖屢得子息,皆花而不實。若要得子,須移了艮山墳墓,使丑寅不來沖剋宅上之未,未臨申上,乃是長生,可招一子。
邵先生は言いました。この課は日干日支上が皆子息の神ですが、初伝・中伝の父母爻が反転してそれを剋する——これは祖上の墳墓が子嗣を招き来れないのです。まして本身上の子孫爻は青竜を連ねて一緒に空亡に落ち——すなわち子息と縁なしです。末伝の子孫爻はまた下神に剋され、これもまた招き来れません。宅位上の未は朱雀に連なり、本は子息はなお招き得られるのに、また末伝の丑が来て冲破するので、屡々子を得るものの、皆花を開いて果を結ばずです。もし兒子を要せば、必ず艮山上の墳墓を遷し去り、丑・寅をして再び宅上の未を冲剋せしめず——未が申に臨むはまさに長生の地で、このようにすればなお一人の息子を招き得られます。
先生析曰;蓋日上辰作青龍值空,夫宮自是孤虛,不得子息。惟宅上未作朱雀,妻宮可招子也。日為夫,支為妻,妻宮雖有子帶生,奈何被末傳丑來沖破,丑為墳墓,坐在丙日所生之神上,生日者,寅卯也,不合反來克子息,妻雖得子而不存也。除非移了艮山墳墓,不克妻宮,庶幾丙火生未土,土長生於申,子息所以存住也。
邵先生が解釈して曰く。日干上の辰は青竜を乘じ、青竜は本は嗣を求むる吉将なのに、偏に辰はまた正に空亡に逢い、吉将が空に落ち、夫位の本身は孤虚して実ならず、子息を得られません。所幸は宅位上の未が朱雀を乘じ、妻位のこちら辺はなお子を招き得ます。子息を占するは日干をもって夫とし日支をもって妻とします。妻位に子息の神あってしかも生気を帯びるものの、奈何せん末伝の丑が過ぎて来て冲破——丑と未は正に相冲します。丑は墳墓の象で、また丙日を生ずる神の上頭に坐します(丙火を生じ得るはまさに寅・卯の二つの木神)。本は反転して子息を剋しに往くべからざるなのに、いまそれは却ってこのように為したので、妻子は子を生出し得るものの存え留められません。艮方(丑寅の位)山上の墳墓を遷し去り、丑・寅をして再び妻位を冲剋せしめざるに非ざれば、すなわち丙火は便ち順順當當として未土を生じ往き、未土は申に臨んでまたまさに長生の地で、子息はこれでようやく留まり得ます。
127)何解元癸酉生三十六歲占子嗣,戊申年己未日巳將卯時。(子丑空亡,寅卯落空), 陳六 龍未申酉戌朱 空午 亥蛇 蛇 六 蛇 六 子 辛酉 六 初 虎巳 子貴 亥 酉 亥 酉 子 辛酉 六 中 常辰卯寅丑后 酉 未 酉 己 子 辛酉 六 末 玄陰
第一百二十七例:何解元は癸酉年の生まれで三十六歳、子嗣を占いに来ました。時は戊申年己未日で、巳の月将を卯の刻に加えて課を立てました。己未日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の寅・卯二支が正に空亡の宮位に壓します(底本はここに課名を標さず、下文の断語はこれを「独足」の課と称す)。天盤は巳将を卯時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が亥に、朱雀が戌に、六合が酉に、勾陳が申に、青竜が未に、天空が午に、白虎が巳に、太常が辰に、玄武が卯に、太陰が寅に、天后が丑に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の己が未宮に寄せられ、上に酉を見て六合を乘じ、第二課は酉の上に亥を見て螣蛇を乘じ、第三課は日支の未の上に酉を見て六合を乘じ、第四課は酉の上に亥を見て螣蛇を乘じます。三伝は酉・酉・酉:三伝は皆辛酉の子孫爻で、皆六合を乘じ、一支が底に到る——だから「独足」と呼びます。
邵先生曰:課名獨足,若傳飛散,便不應也。何兄此占,當有五女,若要得子,除非過房。行年在丑,酉為六合,而沖卯之玄武,畢竟男胎不成也。本身有腸風痔病,乃好色得之,不利成名,成名則不過四十八矣。
邵先生は言いました。この課の名は「独足」。倘若三伝が飛散して聚まらなければ、このようには応験しません。何兄のこの一占は、当に五つの女児あるべし。もし兒子を要せば、他人のを過継するに非ざればなりません。行年は丑に在り、酉上は六合を乘じ、また往って卯上の玄武を冲するので、終じて男胎を結成し得ません。あなた本身は腸風の痔疾あり——色を好んで得たものです。この課は功名に利あらず、真に名を成すとも、寿数は四十八歳を過ぎられません。
先生析曰;蓋身宅三傳俱是酉,酉為兌,兌為少女,六合乘酉,亦是女,三傳日辰俱見酉,故主五女也。行年上見卯,為震,為長男,酉來合丑,而卯相沖,上見玄武盜耗,所以不成胎也。酉金為大腸,又酉為血,故為腸風臟毒也。酉為脫氣,又為色慾,六合為女,故主好色也。酉六未八,乃六八四十八也。
邵先生が解釈して曰く。本身・宅位と三伝は全て酉です。酉は兌卦に属し、兌は少女と為します。六合が酉の上に乘るもまた女の象を取ります。三伝と日干日支に至るところ皆酉を見るので、五つの女児を生ずるを主ります。行年上に卯を見、卯は震卦に属し、長男です。酉が来て丑と相合するも、また卯と相冲し、卯上にまた玄武が盗耗を主るを見るので、男胎は結成し得ません。酉金は人身において大腸を主り、酉はまた血を主るので、腸風臓毒の病です。酉は脱泄の気を主り、また色欲を主り、六合はまた女象なので、色を好むを主ります。酉の数は六、未の数は八、六八相乗して正に四十八です。
同日張姓占遠行,亦得此課。以酉為兌澤,六合為船隻,利舟行,無足不利陸行,若行船獲利十倍。
同じ日に一人の姓張の人が遠行を占いに来て、またこの課を起し得ました。彼のこちら辺では、酉は兌卦の沢を取り作し、六合は船只を取り作すので、水路を走るに利あり。三伝は独足にして行くべき足なし——陸路を走るに利あらず。もし船を行けば、十倍の利を獲ることができます。
128)季官人己卯生三十一歲,占過房子息。己酉年九月十六辛酉日卯將午時。(子丑空亡,酉戌落空),元首,高蓋,勵德,三交。 六朱 陳寅卯辰巳蛇 龍丑 午貴 六 貴 朱 后 鬼 戊午 貴 初 空子 未后 卯 午 辰 未 財 乙卯 六 中 虎亥戌酉申陰 午 酉 未 辛 子 空子 空 末(空亡) 常玄
第一百二十八例:季官人は己卯年の生まれで三十一歳、過継子息の事を占いに来ました。時は己酉年九月十六日辛酉日で、卯の月将を午の刻に加えて課を立てました。辛酉日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ち、天盤の酉・戌二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「元首」「髙蓋」「励徳」「三交」。天盤は卯将を午時に加えて布定し、貴人が午に乘り、その下は螣蛇が巳に、朱雀が辰に、六合が卯に、勾陳が寅に、青竜が丑に、天空が子に、白虎が亥に、太常が戌に、玄武が酉に、太陰が申に、天后が未に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の辛が戌宮に寄せられ、上に未を見て天后を乘じ、第二課は未の上に辰を見て朱雀を乘じ、第三課は日支の酉の上に午を見て貴人を乘じ、第四課は午の上に卯を見て六合を乘じます。三伝は午・卯・子:初伝の戊午は官鬼爻で貴人を乘じ、中伝の乙卯は妻財爻で六合を乘じ、末伝の子は旬空に逢い子孫爻で天空を乘じます。
邵先生曰:此乃天網課,若討子,便是一個冤家入門,自後生出無限事。支干上午與未合,合起天網,妻卯加鬼上,必無親子,末子爻加妻爻上作天空,天空本家戌,即今日之辛,是己與妻皆空,何能有子?子本空,卻陰上酉作玄武,主妾生子,又非己出。因私成也。季子見先生不允過子,遂買一妾,兩年不生,因有季子妹夫鄭元益,時常往來,妾遂與私而得孕,季頗知,但記先生言不較,至乙居年生兒,實甲子年有孕。因酉加子,故子年乘玄武是偷合。先生析曰:將來妾子亦是取債人也。
邵先生は言いました。これは一つの天網課です。もし兒子を討養せんとすれば、それはすなわち一人の冤家を領いて門に入るに等しく、此より無窮の事端を生出します。日支と日干上の午と未が相合して、天網を合わせ起こしました。妻財爻の卯が官鬼の上に加わるので、必ず親生の息子がありません。末伝の子孫爻が妻財爻の上に加わって天空を乘じ、天空の本家は戌に在り、戌はまさに今日の辛金の寄宮——自己と妻子の両辺が皆空に落ちることが見え、どうして息子を生出し得ましょうか。子孫爻は本はすでに空に落ち、しかも太陰の臨む所の酉上にまた玄武を乘じ、妾室が子を生むも且つ自分の骨血に非ず、私通によって成ったを主ります。季官人は邵先生が過継を賛成しないを見て、すなわち一人の妾を買いましたが、二年生育せず。季家に一人の妹夫の鄭元益があり時々往来したため、妾は便ち彼と私通して孕を懐きました。季官人は多少知るところあり、ただ邵先生の言葉を記えて計較せず。乙丑のあの年に至り子供を生下しましたが、実は甲子年に懐き上げたもの——酉が子に加わるので、子年に応じ、玄武を乘じるはすなわち偷合の象です。邵先生が解釈して曰く:将来この妾の生んだ息子もまた、来て債を討つ者です。
129)郭彥和壬午生二十八歲占討一歲子過房,己酉年十月二十二丁酉日寅將子時。(辰巳空亡,午未落空),重審,間傳,不備,贅婿。 蛇貴 朱未申酉戌后 六午 亥陰 常 陰 陰 龍 財 丁酉 貴 初(丁神) 陳巳 子玄 丑 亥 亥 酉 鬼 己亥 陰 中 龍辰卯寅丑常 亥 酉 酉 丁 子 辛丑 常 末 空虎
第一百二十九例:郭彦和は壬午年の生まれで二十八歳、一人の一歳の子を討えて過継せんと占いに来ました。時は己酉年十月二十二日丁酉日で、寅の月将を子の刻に加えて課を立てました。丁酉日は甲午旬に属し、旬空は辰・巳に落ち、天盤の午・未二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は四つ:「重審」「間伝」「不備」「贅婿」。天盤は寅将を子時に加えて布定し、貴人が酉に乘り、その下は螣蛇が申に、朱雀が未に、六合が午に、勾陳が巳に、青竜が辰に、天空が卯に、白虎が寅に、太常が丑に、玄武が子に、太陰が亥に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丁が未宮に寄せられ、上に酉を見て貴人を乘じ(底本はここに誤って青竜を標すが、盤中の酉上は貴人を乘じるに拠り、三伝の初伝もまた酉が貴人を乘じると標す);第二課は酉の上に亥を見て太陰を乘じ、第三課は日支の酉の上に亥を見て同じく太陰を乘じ、両課が重出するので「不備」と呼び、第四課は亥の上に丑を見て太常を乘じます。三伝は酉・亥・丑:初伝の丁酉は妻財爻で貴人を乘じまた「丁神」、中伝の己亥は官鬼爻で太陰を乘じ、末伝の辛丑は子孫爻で太常を乘じます。
邵先生曰:三傳干支,皆是貴人,此子恐日後必不服,而心有回家之意。酉作貴人,內中有丁,終主動。宅上又作中傳,丁絕於亥,丑權住腳,似乎尊閫不看顧他,惟有老陰人撫卹,終老陰人之世,他必去也。然此子不貴,吾兄年三十二上,自有子,三傳貴人太多,所以貴多不貴,兩頭不得也。子就父作貴人,支投干作貴人,可見此子不合留。丁以酉為妻,妻後自有子,故不看管他。彼乃去也酉乃丁之妻,亥乃酉之子,亥加酉上,故曰妻有子,三十二歲行年到酉乃應也。
邵先生は言いました。三伝と日干日支上に至るところ皆貴人——この子はただ日後に必ず帰服するを肯んぜず、心の裏に総じて自己の家に回り往こうと想うを怕れます。酉上に貴人を乘せ、その中にまた「丁神」を夾むので、終じて動摇を主ります。宅位上の神はまた取って中伝と為し、丁火は亥において絶し、ただ一人の丑に頼って権且駐脚するのみ——主母は併せて彼を照看せず、ただ一人の年長の女眷が彼を撫恤するのが見えます。この年長の女眷が一たび過世すれば、彼は必ず走り去ります。ただこの子は将来併せて顕貴ではありません:あなたは三十二歳の上に自ずから親生の息子があります。三伝の裏に貴人が多すぎるので、貴多ければ反転して貴ならず、両頭ともに落ち着かずです。子は父に就着して貴人を乘じ、日支は日干に投向してまた貴人を乘じ——この子は留め置くべからざるが見えます。丁は酉をもって妻とし、妻子は日後に自ずから親生の息子があるので、すなわち再びこの養子を看管せず、彼もまた走り去ります。酉は丁の妻で、亥は酉の生ずる所の子で、亥が酉に加わるので、妻子は息子があると説きます。三十二歳に行年が酉に走到するは、まさに応期です。
然宅中有上穹像,不合觸穢,所以缺子。又兼主山不合造豬圈,辱主氣,故不得子也。果有干亥山來近相沖,正是右脅下,主婦人墮胎,故無子。蓋酉為貴人,一則支來就干,主子顯父母,二則遍地乃貴人,今亥為元穹,主觸穢;三乃鬼入宅,是主山來處不合豬圈汙穢,乃太陰為鬼也。丑為墓,加亥及干,丑乃丁之子孫,作土犯亥,故墓不利。若移了豬圈,及供上聖,自然有子矣。
さらに言えば、宅中には上天の神像を供え、汚穢に触犯あるべからず——これもまた子を缺くの一つの縁由です。これに主山の方位上に猪圏を蓋うべからざるを加え、それは主山の気脈を辱没するので、兒子を得られません。後に査看すれば、果たして乾亥方の山の近処に相い冲するあり、正に宅子の右脇の下に対し、婦人が胎を堕することを主るので、子嗣がありませんでした。ここに酉は貴人です:一来は日支が日干に就着して、息子が父母を顕耀し得るを主り。二来は満盤が皆貴人なのに、いま亥は上天を主るも、却って汚穢を犯し。三是鬼爻が宅に入る——すなわち主山の来脈する所に猪圏の汚穢あるべからず——これは太陰が化して鬼神を為したのです。丑は墓で、亥と日干の上に加わり、丑は本は丁の子孫爻で、土をもって亥を侵犯するので、墳墓上に不利です。もし肯んじて猪圏を遷し去り、再び上天神像を好く供奉すれば、自ずから息子あり。
130)某丁亥生,占產。七月丙辰日午將午時。(子丑空亡,子丑落空),伏吟,斬關,勵德。 虎常 空巳午未申玄 龍辰 酉陰 龍 龍 空 空 兄 丁巳 空 初(丁神) 陳卯 戌后 辰 辰 巳 巳 財 庚申 玄 中 六寅丑子亥貴 辰 辰 巳 丙 父 甲寅 六 末 朱蛇
第一百三十例:一人の丁亥年の生まれの人あり、生産を占いに来ました。時は七月丙辰日で、午の月将を午の刻に加えて課を立てました——月将と時辰が相同なので、天盤地盤が完全に重合し、これで「伏吟」。丙辰日は甲寅旬に属し、旬空は子・丑に落ちます。伏吟の下に天地が相い疊なり、天盤の子・丑もまた正に空亡宮位に壓します。課名は三つ:「伏吟」「斬關」「励徳」。天盤は午将を午時に加えて布定し、貴人が亥に乘り、その下は螣蛇が子に、朱雀が丑に、六合が寅に、勾陳が卯に、青竜が辰に、天空が巳に、白虎が午に、太常が未に、玄武が申に、太陰が酉に、天后が戌に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の丙が巳宮に寄せられ、上に巳を見て天空を乘じ、第二課は巳の上に巳を見て天空を乘じ、第三課は日支の辰の上に辰を見て青竜を乘じ、第四課は辰の上に辰を見て青竜を乘じます。三伝は巳・申・寅:初伝の丁巳は兄弟爻で天空を乘じまた「丁神」、中伝の庚申は妻財爻で玄武を乘じ、末伝の甲寅は父母爻で六合を乘じます。
邵先生曰:產必生女,子母無事,謂丙以巳為德神,又秋以辰為天喜,作龍入廟,中申為水土長生,日辰有德與長生,是厚德載物也。故生女。
邵先生は言いました。この胎は必ず女児を生み、母子は皆平安です。丙日は巳をもって徳神とし、秋季はまた辰をもって天喜とし、辰上は青竜を乘じて廟に入ります。中伝の申は水と土の長生の地です。日干日支はすでに徳神ありまた長生あり——まさに厚徳が物を載する象なので、女を生みます。
131)某占產七月乙丑日午將申時。(戌亥空亡,申酉落空),重審,間傳,時遁。 勾龍 六卯辰巳午空 朱寅 未虎 玄 后 貴 朱 父 空亥 后 初 蛇丑 申常 酉 亥 子 寅 鬼 癸酉 玄 中 貴子亥戌酉玄 亥 丑 寅 乙 財 辛未 虎 末 后陰
第一百三十一例:ある人が生産を占いに来ました。時は七月乙丑日で、午の月将を申の刻に加えて課を立てました。乙丑日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に落ち、天盤の申・酉二支が正に空亡の宮位に壓します。課名は三つ:「重審」「間伝」「時遁」。天盤は午将を申時に加えて布定し、貴人が子に乘り、その下は螣蛇が丑に、朱雀が寅に、六合が卯に、勾陳が辰に、青竜が巳に、天空が午に、白虎が未に、太常が申に、玄武が酉に、太陰が戌に、天后が亥に乘ります。四課は右から左へ:第一課は日干の乙が辰宮に寄せられ、上に寅を見て朱雀を乘じ、第二課は寅の上に子を見て貴人を乘じ、第三課は日支の丑の上に亥を見て天后を乘じ、第四課は亥の上に酉を見て玄武を乘じます。三伝は亥・酉・未:初伝の亥は旬空に逢い父母爻で天后を乘じ、中伝の癸酉は官鬼爻で玄武を乘じ、末伝の辛未は妻財爻で白虎を乘じます。
邵先生曰:主母死子存,母死者,后被丑克,傳元虎入內門,酉為內門,卯為前門。經曰:支是母兮干是兒,今丑克后,母發用,傳歸凶將,虎乘墓入內門,故母死。子存者,干是兒,乘寅為少陽作雀,乙日木旺火相,日干得旺相之氣,故兒存也。
邵先生は言いました。この課は母親が死して子は存活することを主ります。母親が死すると言うのは、天后が丑に剋され、三伝がまた玄武より白虎に伝じて内門に進入するためです——酉は内門、卯は前門です。《経》に曰く:「支はこれ母なり、干はこれ兒なり。」いま丑が天后を剋し、母親というこの神が発用して初伝を為し、末に至っては却って凶将に伝え帰り、白虎が墓神を乘じて内門に進入するので、母親は死するを要します。子が存活し得ると言うのは、日干が子供を表し、日干上は寅を乘じ、寅は少陽にして朱雀を乘じるためです。乙日は夏秋の交に木はなお気あり火は相を得、日干は旺相の気を承うので、子は存活します。
