Libo

準頭横列八位

五代 · 王朴 · 第3巻 / 8

號令主號令之位,端浄分眀者主施設號令眾數咸伏,若無出令人終慢之。一名壽部,長而美重而分主壽髙逺。上灶主宅舍之位,平滿主好宅舍,陷缺無屋可住。宮室主人房室之位,天子曰掖庭,色惡及缺陷者主妻婦病厄,宮室則主嬪妃疾厄。

「號令」位發號施令の權威を主る:此處端正潔淨・界限分明のは、命令を發布すれば衆人皆服從す。此處形を成さざるは、即使命令を發出すも、別人終究怠慢にして聽かず。它又た「壽部」と叫ぶ:長にして美・厚重にして界限分明のは、壽高にして長遠を主る。「上竈」位住宅を主る:此處平滿のは好房子住む有り。凹陷缺有るは屋子無くして住む可し。「宮室」位人の居室を主り、天子に於て則ち「掖庭」(後宮)と叫ぶ:此處氣色惡或いは凹陷缺有るは、妻室病厄有るを主る。帝王に於て則ち嬪妃疾厄有るを主る。

典御主僕使之位,□奴婢多少,平滿一生不乏奴婢,陷缺枯燥一生無奴婢。囷倉主食祿之位,平滿主有祿食,缺陷飢餓死,發青色者主憂官災。後閣主寄居之位,骨肉豐起一生不寄住,缺陷定他鄉之館也。中門主富祿之位,平滿無黒痣者主家道富,缺陷一生無祿而貧。兵人主兵使之位,平滿者有兵驅使,缺陷急惡無兵使用也。

「典御」位僕役差使を主り、此處を看れば便ち奴婢多少を知る(底本一字を缺く):平滿のは一生奴婢を缺かず。凹陷缺有りて又た枯燥のは、一生奴婢無し。「囷倉」位食祿を主る:此處平滿のは祿有り食有り。凹陷缺有るは餓死する會。此處青色を發出するは、官司の災を擔心するを要す。「後閣」位人の籬下に寄るを主る:此處骨肉豐起のは、一生別人家に寄居するを必とせず。凹陷缺有るは、注定他鄉の客館裏に住むを要す。「中門」位富祿を主る:此處平滿にして黑痣無きは、家道富足す。凹陷缺有るは一生無祿にして貧なり。「兵人」位統兵差遣を主る:此處平滿のは兵驅使す可く供する有り。凹陷缺有り・氣色急躁惡濁のは、兵用ふ可き無し。

人中横列八位

井部主田宅之位,平滿者宜田宅,缺陷者一生無宅居止,有黒子溺死。帳子主帳廚之位,豐潤主有廚帳,窄狹主乏廚帳。細廚主飲食之位,平滿者足,陷缺乏饍,發惡色為食死,白色咽酒食致死,黒痣餓死,黃色暴死。

「井部」田宅を主る:此處平滿のは田宅を置くに宜し。凹陷缺有るは一生住處無し。黑痣を生ずるは溺水して死す。「帳子」帷帳廚竈(家中日用供給)を主る:此處豐滿潤澤のは、家中廚帳充足す。窄狹のは、廚帳匱乏す。「細細廚」飲食を主る:此處平滿のは飲食豐足す。凹陷缺有るは膳食を缺少す。惡色を發出するは飲食に因りて死す。白色を現ずるは酒食を吞咽して死を致す。黑痣を生ずるは餓死す。黃色を現ずるは暴死す。

內閣主闈閣之位,豐滿者闈合深逺,色惡閨閣淺穢,缺陷亦然。小吏主□多少有無。妓堂主妓樂多少、女妾有無之數。媵妾主妾媵多少,平滿家足妓妾之樂。嬰門主醫學之位,若缺陷□翳,亦不喜服藥。

「內閣」內室門戶を主る:此處豐滿のは、內室門庭深邃莊重なり。氣色惡のは、內室淺陋汙穢なり。凹陷缺有るも亦た一樣なり。「小吏」位家中僮僕小吏の多少有無を主る(底本一字を缺く)。「妓堂」位歌舞聲樂の多少・姬妾の有無を主る。「媵妾」位妾室の多少を主る:此處平滿のは、家中姬妾の樂を享け得。「嬰門」位醫藥の事を主る:此處若し凹陷缺有り・氣色晦翳なれば(底本一字を缺く)、亦た服藥を宜とせず。

正口横列八位

□璧主珍寶之位,髙峻色美家蓄金玉,色惡缺陷金玉散失矣。門閨主閨闈之事,亦主閨閣深淺,色惡者閨幃有變。比鄰主鄰宅之位,平滿色好者良鄰,陷色惡者有黒痣多鄰有惡人。惡巷主里巷之位,如惡色發者出入被刼,骨肉起者無賊害。

「某璧」位(底本一字を缺く)珍寶を主る:此處高聳にして氣色美のは、家中金玉を收藏す。氣色惡或いは凹陷缺有るは、金玉散失す。「門閨」位內室の事を主り、亦た閨門の深淺を主る:此處氣色惡のは、家中婦女變故を出づる要す。「比鄰」位鄰居宅舍を主る:此處平滿にして氣色好きは、能く好鄰居に遇ふ。凹陷・氣色惡或いは黑痣を生ずるは、鄰里多是れ惡人なり。「惡巷」位所居里巷を主る:此處惡色を發出するは、出入劫搶を遭ふ會。骨肉隆起のは、賊害無し。

客舍主賓客之位,平滿端好者好賓客,缺陷者不喜見人。兵闌主走使之位,陷缺者家無走使。家食主榖食之位,平滿色美足糧食,缺陷色惡虛名。商旅主興販好惡。山頭主路之位,平滿者出入無險難,缺陷者多災也。

「客舍」位賓客往來を主る:此處平滿端正のは、賓客を款待するを喜ぶ。凹陷缺有るは、人を見るを喜ばず。「兵闌」位奔走使喚の人を主る:此處凹陷缺有るは、家裏跑腿聽差の人無し。「家食」位穀物糧食を主る:此處平滿にして氣色美のは、糧食充足す。凹陷缺有り・氣色惡のは、空に虛名有りて實無し。「商旅」位經商販運の成敗好壞を主る。「山頭」位道路を主る:此處平滿のは、出入險阻災難無し。凹陷缺有るは、出門多災なり。

承漿横列六位

祖舍主父母田宅,平滿光澤者足祖業,陷缺者無田宅,有黒痣主棄祖移居。外院主牛馬荘田,平滿足莊田牛馬,缺陷者無,色惡者牛馬損矣。下墓主墓田之位,平滿色潤主有墓,陷缺色枯者積代不。野土主雞犬豬羊多少、子孫進益之類。荒丘主外國之類,平滿光澤者宜外國遊行。天子巷此中平滿主外國來朝。欽庫主車行之位,方滿主宜乗車,缺陷乗車騎有厄。

「祖舍」位父母遺留の田宅を主る:此處平滿にして光澤有るは、祖業充足す。凹陷缺有るは田宅無し。黑痣を生ずるは祖居を離棄して別處に遷往する會。「外院」位牛馬莊田を主る:此處平滿のは、莊田牛馬皆有り。凹陷缺有るは無し。氣色惡のは、牛馬折損す可し。「下墓」位墳塋墓田を主る:此處平滿にして色澤潤のは、家に祖墳有り。凹陷缺有り・氣色枯槁のは、累世興旺を得ず(原字は底本異體)。「野土」位雞犬豬羊の多少及び子孫の增益を主る。「荒丘」位外國の事を主る:此處平滿光澤有るは、外國に出でて遊歷するに宜し。「天子巷」此の一位平滿のは、外國來朝の事有るを主る。「欽庫」位車駕出行を主る:此處方正飽滿のは、車を乘ずるに宜し。凹陷缺有るは、車を乘り馬を乘れば事を出づる會。

地角横列七位

下舍主外宅多少,平滿多外宅,缺陷有黒痣者貧而無外宅也。奴婢主奴婢之位,平滿者多奴婢,缺陷黒痣一生奴婢乏使。碓磨主碓磑磨坊之位。坑塹主厄難之位,有痣者主墮坑險死。陂塘主池塘之數,平滿者足陂澤,缺陷者無田湖,有黒痣主涉江湖而死,發惡色者憂口舌。鵝鴨主蓄禽養之利,□多少之數。大海主水死之位,赤色溺死,黒色失尸,黃色宜涉江湖矣。

「下舍」位別業外宅の多少を主る:此處平滿のは外宅多し。凹陷缺有りて又た黑痣を生ずるは、貧窮にして外宅無し。「奴婢」位奴僕婢女を主る:此處平滿のは奴婢多し。凹陷缺有り或いは黑痣を生ずるは、一生使喚す可き人を缺少す。「碓磨」位米を舂くの碓・碾磨の磨坊(家中農事器業)を主る。「坑塹」位厄難を主る:此處痣を生ずるは、坑塹に墜入して險難に死するを主る。「陂塘」位池塘水利の多寡を主る:此處平滿のは、陂池水澤充足す。凹陷缺有るは、田地湖澤無し。黑痣を生ずるは、江湖を渡る時溺死す。惡色を發出するは、口舌是非を擔心するを要す。「鵝鴨」位家禽を畜養の利を主り、此處を看て其の多少を定む(底本一字を缺く)。「大海」位水厄に死するを主る:此處赤色を現ずるは溺死す。黑色を現ずるは溺死後屍首も亦た找り到らず。黃色を現ずるは江を渡り湖を涉るに宜し。

二儀相應

肅肅出乎天,赫赫發乎地,兩者交通已成和而萬物生焉,此乾坤二儀之應也。故能富萬物,盛徳大業,無所不至矣。且人之二儀者,亦有像焉:以頭為天,以頦為地;又以天庭像天,地角像地。此兩位欲得豐滿相朝、上下相應,故亦能富貴福祿矣。

《莊子》說く至陰之氣肅肅然として天より出、至陽之氣赫赫然として地より發す。兩者交互貫通し、湊りて和氣を成し、萬物便ち此に由りて生長す――此れ即ち乾坤二儀(天地兩儀)の感應なり。故に天地能く萬物を富有らしめ、盛大の德行・廣大の功業至らざる所無し。人身上も亦た此の「二儀」の象有り:頭天を象徵し、下頦地を象徵す。再び細分すれば、則ち天庭(額頂)は天を象り、地角(下巴尖)は地を象る。此の兩個の部位皆生じて豐滿にして彼此朝拱し・上下互相呼應するを要し、此樣の人も亦た便ち能く富貴にして福祿を享く。

五岳

五嶽者,上應天之五星,下鎮地之五方,髙峻敦厚,所以卓然立於乾坤之內者,以其相資而成天地之大也。人亦有所像焉:故額為衡嶽,欲得方而廣;頷為恆嶽,欲得圓而厚;左顴為泰嶽,右顴為華嶽,左右欲得圓而正;鼻為嵩嶽,欲得髙而峻。故五嶽須要豐隆而相朝,髙峻而不陷,乃相之貴矣。

所謂「五岳」は、天上に於て五顆の行星に對應し、地上に於て五個の方位を鎭守す。它等高峻敦厚、能く卓然天地の間に屹立するは、是れ彼此資助配合して天地の廣大を成就せしが爲なり。人の面相も亦た此れに於て象を取る:額頭是れ南岳衡山、生じて方正にして寬廣を要す。下頦是れ北岳恆山、生じて圓潤にして厚實を要す。左顴是れ東岳泰山、右顴是れ西岳華山、左右生じて圓にして端正を要す。鼻子是れ中岳嵩山、生じて高にして峻拔を要す。故に五岳必ず豐滿隆起にして互相朝拱し・高峻にして塌陷せざるを須し、才に是れ貴相なり。

四瀆

地之四瀆者,所以相朝以接其流通。人之形貎亦有像焉:且鼻為濟,目為淮,耳為江,口為河。故四瀆欲得端直清大、眀浄流暢、涯岸成就者,則應於神,故貴而多智也。若夫丑而不端,則為愚人;毀而陷者,則為賤類也。

大地上の「四瀆」(江・河・淮・濟四條の大川)は、是れ彼此朝會承接して水流を通暢せしむ。人の形貌も亦た此れに於て象を取る:鼻子是れ濟水、眼睛是れ淮水、耳朵是れ長江、嘴巴是れ黃河なり。故に此の四處皆生じて端正挺直・淸朗寬大・明淨流暢を要し、并且邊緣輪廓(好比河の堤岸)完整成形す。此樣なれば便ち內在神氣と相應し、故に人既に貴且多智なり。若し生じて醜陋不端正なれば、便ち是れ愚人なり。破損塌陷のは、便ち下賤の類に屬す。

五官

五官者,目為鑑察官,鼻為審辨官,口為出納官,耳為採聽官,眉為保壽官。五者欲得清而秀、豐而隆。或一官好則貴十年,或有缺陷者及醜惡者□。六府:兩目上為二府,兩輔角為四府,兩顴骨為六府。六府者欲得平滿,光而瑩。若一府好乃富十年,或有缺陷疵瘢黒痣者□也。

所謂「五官」:眼睛是れ「鑑察官」(觀照分辨を負責す)、鼻子是れ「審辨官」(氣味事理を審別を負責す)、嘴巴是れ「出納官」(言語進食を負責す)、耳朵是れ「采聽官」(聽聞采納を負責す)、眉毛是れ「保壽官」(壽元に關乎)なり。此の五官皆生じて淸秀にして豐隆を要す。一官生じて好ければ、便ち能く貴十年。若し缺陷或いは醜惡有れば、便ち相反す(底本一字を缺く)。再び說く「六府」:兩眼上方は上二府、兩側輔角は中二府(合して四府と爲す)、兩顴骨は下二府(合して六府と爲す)なり。六府皆生じて平滿・光潔にして瑩潤を要す。一府生じて好ければ、便ち能く富十年。若し缺陷・疵痕・瘢疤・黑痣有れば、便ち相反す(底本一字を缺く)。

五行所生

木為仁,主英華茂秀,定貴賤也。火為禮,主勢威猛烈,定剛柔也。金為義,主誅伐刑法、厄難災危,定壽夭也。水為智,主聰慧眀敏,定賢愚也。土為信,主徳載萬物,定貧富也。五臟所出:肝出為眼,又主筋脈爪甲;心出為舌,又主血氣毛髮;肺出為鼻,又主皮膚喘息;脾出為唇,又主肉;腎出為耳,又主骨齒也。五表所屬之方:耳屬北方壬癸水,眼屬東方甲乙木,舌屬南方丙丁火,鼻屬西方庚辛金,面屬中央戊已土。

(本篇篇題底本一「五」字を脱す、當に「五行所生」と作るべし。)木仁を主り、其の氣是れ英華茂盛秀發、以て貴賤を判定す。火禮を主り、其の氣是れ威勢猛烈、以て性情剛柔を判定す。金義を主り、其の氣是れ誅伐刑法・厄難災危、以て壽夭を判定す。水智を主り、其の氣是れ聰慧明敏、以て賢愚を判定す。土信を主り、其の德能く萬物を承載し、以て貧富を判定す。「五臟所出」是れ說く五官各々一臟に由りて生ず:肝氣外出して眼を成し、又た筋脈與指甲を主る。心氣外出して舌を成し、又た血氣與毛髮を主る。肺氣外出して鼻を成し、又た皮膚與呼吸を主る。脾氣外出して脣を成し、又た肌肉を主る。腎氣外出して耳を成し、又た骨骼與牙齒を主る。「五表所屬之方」是把五官五方干支に配到す:耳北方壬癸水に屬し、眼東方甲乙木に屬し、舌南方丙丁火に屬し、鼻西方庚辛金に屬し、面中央戊己土に屬す。

五行相生歌

耳有垂珠鼻有梁,金水相生主大昌。眼眀耳好多神氣,若不為官富更強。口方鼻直人湏貴,金土相生紫綬郎。唇方眼黒木生火,為人志氣多財糧。舌長唇厚火生土,此人有福中年昌。眼長眉秀足風流,身坐金章朝省堂。

耳朵垂珠有り・鼻子挺梁有り:耳水に屬し・鼻金に屬す(一說土)、金水相生、大發達を主る。眼睛明亮・耳朵生じて好く、神氣充足、此種の人即使官を做らず、財を發するも亦た更强なり。嘴形方正・鼻梁挺直の人必貴なり:鼻金(土)に屬し・口土(水)に屬し、金土相生、紫綬を佩ぶるの高官を做る可し。嘴脣方正・眼珠烏黑:脣木に屬し・眼火に屬し、木火を生じ、爲人志氣高にして錢糧豐足す。舌頭長・嘴脣厚:舌火に屬し・脣土に屬し、火土を生じ、此種の人福有り、中年昌盛す。眼形長・眉毛秀、風流倜儻、能く金印を佩びて朝廷官署之中に坐す。

五行相克歌

耳大唇薄水克火,衣食貧寒空有智。唇大耳薄亦如然,此相之人終不貴。鼻大眼小金克木,一世貧寒受孤獨。眼大鼻小難為成,雖有資財壽命促。舌小耳大水克火,急性孤獨區人我。耳小舌大亦不仁,慳貪心惡多災禍。舌大鼻小火克金,錢財方盛禍來侵。鼻大舌小招貧苦,壽長無子送郊林。眼大唇小木克土,相此之人終不富。唇大眼小貴難求,到老貧寒死無墓。五行比和相應:耳反須貼肉,鼻仰山根足,眼露黒精多,唇反齒如玉,臉近於眼口,必主公卿福,只恐壽不延,性氣剛難伏。

耳大にして脣薄:耳水に屬し・脣火に屬す(此れ本書別配に依る)、水克火、雖も智慧有れど亦た衣食貧寒なり。脣大にして耳薄も亦た一樣、此種の相終究不貴なり。鼻大にして眼小:鼻金に屬し・眼木に屬し、金克木、一世貧寒孤獨なり。眼大にして鼻小は、事業成り難く、縱有資財も亦た壽命短促なり。舌小にして耳大は、水克火、性子急躁・孤僻にして人我を計較す。耳小にして舌大も亦た不仁厚、吝嗇貪心・心地不善、多く災禍を招く。舌大にして鼻小は、火克金、錢財剛に興旺すれば禍事便ち來侵す。鼻大にして舌小は貧苦を招致し、即使長壽も亦た終を送る子無く、只能郊野林間に葬る。眼大にして脣小は、木克土、此種の相終究不富なり。脣大にして眼小は、富貴求め難く、到老貧寒、死後墳墓も亦た無し。至於「五行比和相應」(五行勻稱配合)の相:耳雖反れど肉に貼し、鼻雖仰ぐれど山根豐足、眼雖露れど黑眼珠多く、脣雖反れど牙齒潔白して玉のごとく、臉頰與眼・口相稱貼近――此種の人必有公卿之福、只怕壽元長からず、因爲性情剛硬して馴服し難し。

四學堂位

一曰眼為官學堂,欲得長而秀、清、黒白分眀,主有官職。二曰當門兩齒為內學堂,欲得白而平正、宻而瑩大者,主有忠信徳行。三曰額為祿學堂,欲得方而廣、瑩而峻,主爵祿富貴。四曰耳門之前為外學堂,欲得平滿光瑩,主聰眀學識也。

第一、眼睛を「官學堂」と叫び、生じて細長にして秀麗・淸澈・黑白分明を要し、官職有るを主る。第二、正當門牙の兩顆の齒を「內學堂」と叫び、生じて潔白にして平正・緊密にして瑩潤寬大を要し、人忠厚誠信・德行有るを主る。第三、額頭を「祿學堂」と叫び、生じて方正にして寬廣・光潔にして高峻を要し、爵位俸祿與富貴を主る。第四、耳門前面那の一塊を「外學堂」と叫び、生じて平滿にして光潤を要し、聰明學識有るを主る。

三輔學堂

上輔學堂者,身自天中至印左右橫列十位,謂之二分部。光潤全起,成就平如徑寸,主大貴,出□入相,官至二品。更若中輔全者,位極人臣,一品之職。上輔有一部缺陷,仍以中下輔參之;此而不成就,止主參領權務、出納主命,官至二品。

所謂「上輔學堂」は、是れ天中(額頂正中)より印堂に到る此の一段を指し、連同左右横排の十個の部位、合稱「二分部」。此の一片若し光潤飽滿・通體隆起、長じて平整方正して如同一寸見方なれば、大貴を主り、可く出爲將・入爲相、官至二品なり。若し再加上「中輔」も亦た完備なれば、那便ち位人臣に極まり、一品の職を做到す。上輔若し一個の部位缺陷有れば、還た中輔・下輔を參看して定むるを要す。若し此の幾處も亦た成就不せざれば、便ち只能一些の參領權務・王命を傳達の差事を主管し、官位も亦た二品に到る可し。

或中下全陷無部應得,主給承郎、武侯。更東西嶽起、地角髙額相應之時節,□方面。或中輔更一分應之,必為真宰之位,當榮極旺二十年,早遂中限,當秉生殺。若下輔二分應者,亦無缺陷,當主大權。然下輔主繁冗之職,即不能久居相府,當鎮方郡,必建旌旗。若下二分與上輔全備,即使相矣。

若し中輔・下輔皆塌陷し、一個の部位も能く相應する無ければ、那便ち只能給事郎・武侯一類の低職を做る。再び東岳(左顴)・西岳(右顴)是否隆起・地角與高額是否互相呼應を看て、若し配合得當なれば(底本一字を缺く)、便ち能く獨當一面す。倘若中輔又た一分之と相應有れば、必定真宰相の位に坐上し、可享二十年極盛の榮、中年運限早早得志、生殺大權を掌握す。若是下輔兩分相應、而且缺陷無ければ、亦た能く大權を主掌す。不過下輔の主る所是れ事務繁雜の職位、能く長く相府に居らず、多半一方州郡に出鎮し、旗を建て府を開くを要す。若し下輔二分與上輔皆完備なれば、那便ち是れ使相(節度使兼宰相銜)の位なり。

若上合一分、中輔一分全者,亦主內制清要之位;或只相部合一分五釐,餘別無應,形足炁清,必給評御史之職;更中輔五釐應之,必殊常要之位,才名挺動四方。中輔二分全者,應為成就,主卿監丞相兵□之權;或東西嶽起、地角朝厚,武官主侯伯之封。中上三分全好者,大權一為,皆少通無滯,一為旺二十年,所謂蘭膏成就,學堂寛博,真貴人也。若學堂或圓或方,五分俱起,統攝萬邦,助國王侯伯之相。以上若一位枯乾、惡色、亂紋、痕壓,皆為破陷,雖郡城職位,多滯迍邅也。

若し上輔一分を合得し・中輔も亦た完整の一分有れば、亦た內制(翰林學士內命を掌る)一類の淸要の位を主る。若し只有面相中の某一部合して一分五厘を成し、其餘各部皆相應せず、但し形體充足・氣淸爽なれば、亦た必定給事・評事・御史一類の職位を得る能くし。若し再有中輔五厘之と相應有れば、必定非常緊要の位に居る(原字は底本異體)、才氣名望四方を震動す。中輔兩分に够りて完整のは、算是れ成就、卿監・丞相・兵權(底本一字を缺く)之類の權柄を執掌するを主る。若し再加上東岳西岳(左右顴)隆起・地角朝上にして厚實なれば、武官便ち侯伯之封を得る可し。中輔與上輔合起來三分皆好きは、是れ大權を掌る人、一生少有滯阻、能く二十年興旺す――此れ即ち所謂「蘭膏成就」(美膏のごとく燈を點し、光焰明潤)・學堂寬闊廣博、是れ眞正の貴人なり。若し學堂部位或いは圓或いは方、五分齊備隆起せば、便ち能く萬邦を統攝し、是れ國家を輔佐の王侯公伯の相なり。以上各處、只要一個の部位枯乾・氣色惡濁・亂紋交錯・瘢痕壓住せば、皆破陷と算す。即使郡城の官職を得るも、亦た多半滯礙にして行ひ難し。

中輔學堂者,自山根下至準上、兩眼、正口並額骨六位,謂之一分位。若位豐隆,或若紅紫色光澤,無斷紋痕翳黶黒痣,主都察臺閣清資;不然兵刑之位,一生少滯無災有聲名。更下輔一家全應,必為四品蔭深正郎之職。若下輔二分全與中輔俱好,即三公尚書侍郎,不入兩府有威權,重名動朝野;武臣則建節方外,將帥之權。

所謂「中輔學堂」は、是れ自山根以下到準頭以上・兩眼・口部連同額骨此の六個の部位を指し、合稱「一分位」。此れらの部位若し豐滿隆起、或いは紅紫色の光澤を現出し、斷紋・瘢痕・晦翳・黑斑黑痣無ければ、御史台・都察院・台閣一類の淸貴の職務を主任す。否則も亦た兵部・刑部に任職し、一生少滯阻・無災禍にして名聲有り。若し再加上下輔全部相應なれば、必定四品・門蔭深厚の正郎の職を做到す。若し下輔兩分完備にして中輔も皆好ければ、那便ち是れ三公・尚書・侍郎一級なり。即使中書・樞密兩府に入らず、亦た威權有り、重名朝野を震動す。若是武臣、便ち外に在りて節を建て府を開き、將帥之權を掌る。

其下輔成,其中輔有五釐不成就,亦主卿監四品官。若中輔全就而龍虎外起,並主三品之位。如形神端靜,部位相稱,骨氣清秀,頭角深長,髙入髮際,主給諌清要之職。其氣昏濁,部位不眀,疵瘢黒痣,是謂缺陷;有破乃一生少權無聲多滯,官職歇滅。凡相人宜細詳消息,則不失矣。

若し下輔成就し、中輔還た五厘不成就有れば、亦た卿監一級の四品官を主る。若し中輔完全成就にして、而して龍角虎角又た向外隆起せば、皆三品の位を主る。倘若形貌神氣端莊安靜、各部位彼此相稱、骨氣淸秀、頭角深長にして高く髮際に插入せば、給事中・諫議大夫此の類の淸要の職を主任す。反つて、氣色昏濁・部位不分明・又た疵痕瘢疤黑痣有るは、便ち「缺陷」と叫ぶ。一有破損、一生少權・無名聲・多滯阻、連已有之官職も亦た廢黜する要す。凡是人を相する、皆應該細細此れらの消息を推詳すれば、便ち看錯する會ず。

下輔學堂者,自□壁下至頥額四位,謂之二分位。二位豐滿眀澤光潤而全成就者,主卿監正郎、兵將藩府繁劇要務之任;如武臣則防團刺史守邉之職。如二分俱備,只左右破陷四釐者,可取準頭應之,亦主員五品三品職官,武則諸司使副之位,然須多滯,晚年方逹者。下輔毎分即有五釐,兩處共成一分者,京官幕職而已。

所謂「下輔學堂」は、是れ自懸壁(底本一字を缺く)以下到下頦・腮頰此の四個の部位、合稱「二分位」。此の兩分豐滿明潤・光澤にして完全成就のは、卿監・正郎、及び帶兵・藩鎮府署裏繁重要緊の職務を主任す。若是武臣、則ち防禦使・團練使・刺史・守邊一類の職位を任ず。若し兩分皆具備し、只是れ左右四厘を破陷せば、可く準頭を取りて相應補足せしめ、亦た五品到三品の職官を主り、武職則ち是れ諸司使・副使之位なり。不過要多く滯阻を經、晚年才に顯達す。下輔每一分只有五厘、兩處合起來才に一分を成すは、亦た就是個の京官或いは幕府差遣而已。

若中輔兼得二釐光潤平滿,亦可位至員郎。或上輔兩三部中相應,合成一分七釐者,主正郎聲望清顯。其上中下三輔合得八釐者,文主令錄幕府之官,武當借職班行之位。若三兩處毎處二三釐,合成一分者,雖無官職,亦主衣食自足。若上部一分學堂,員郎之位;二分學堂,兩眉分制;或中下學堂應之,則將相資財職。上部學堂二分,共三分者,不入兩府,主兵將之權;共得四分者,出將入相;五分全就者,總攝四方,貴不可言也。上左右十位二分,中六位一分,下四位二分,都計五分此也。

若し中輔又た兼得二厘光潤平滿せば、亦た可く員外郎・郎中一級を做到す。或いは上輔兩三個の部位互相呼應有り、合して一分七厘を成すは、正郎を做りて聲望淸高顯達を主る。上・中・下三輔合起來只得八厘のは、文職縣令・錄事・幕府一類の官を做り、武職則ち是れ借職・班行一類の低階なり。若是三兩處の地方每處只二三厘、合起來才に一分のは、雖も官職無けれど、亦た衣食自足を主る。若し上部一分學堂有れば、是れ員外郎の位なり。有二分學堂は、兩眉制誥之職を分掌す。若し中輔・下輔も亦た相應なれば、便ち將相の資歷・財富與官職有り。上部學堂二分、加起來共に三分のは、雖も兩府に入らず、亦た兵將之權を掌る。合起來四分を得るは、出爲大將・入爲宰相なり。五分全都成就のは、四方を總攝し、貴不可言なり。上輔左右十位算二分、中輔六位算一分、下輔四位算二分、總計便ち是れ此の五分なり。

太淸神鑑卷三

心術論

形不勝貌,心不昧術,久昧者不明也。為物所役,故屈於用心;為事所奪,故謬於擇術。卒至凶咎悔吝之及也,然後怨天尤人,比比皆是,每一念想,未嘗不為太息。然臨事制物,正心術而可取者有七,乖心術而不可取者亦有七。

形體容貌の重要に比ぶに如かず、容貌又た心術の重要に比ぶに如かず。心術數に蒙蔽せらるる能わざる才に好く、蒙蔽すること久しければ人便ち糊塗不明なり。人外物に驅使せらる、於是用心處處委屈す。事務に牽奪せらる、於是方法を選擇する時屢々出錯す。終於凶禍・災咎・悔恨・羞吝一齊に頭に臨むに弄到り、此れ才に天を怨み人を尤む――此樣の人比比皆然なり。每に此の一層を想到れば、之が爲に長嘆せざる無し。然而人臨事處物の際、心術端正にして可取の七種有り、心術乖戾にして不可取のも亦た七種有り。

所可取者何?一曰忠孝,二曰平等,三曰寛容,四曰純粹,五曰施恵,六曰有常,七曰剛直。其不可取者:一曰陰惡,二曰邪穢,三曰苛察,四曰矜誇,五曰奔競,六曰諂□,七曰茍且。此皆出心術之不同而感於異也,此古人有論心擇術之戒也。

可取は哪七種。一是れ忠孝、二是れ人を待て平等、三是れ寬容、四是れ心地純粹、五是れ樂於施惠、六是れ言行有常、七是れ剛正耿直なり。不可取の七種是れ:一是れ陰險歹毒、二是れ邪僻汙穢、三是れ苛刻挑剔、四是れ自矜自誇、五是れ奔走鑽營、六是れ諂媚逢迎(底本一字を缺く)、七是れ苟且偷安なり。此れら皆是れ由於心術不同にして感發出ずる不同の相貌氣象――此れ正是れ古人「心を論じ術を擇ぶ」の告誡なり。

或曰:心術之不可取與所可取者,各有此於形可得乎?曰:貌端氣和者忠孝,骨正色靜者平等,眉開眼大者寛容,氣和閒暇者純粹,面開凖黃者施惠,鼻直神定者有常,形肅貌古者剛直,有是七者在所取也。

有る人問ふ:心術の可取與不可取、各々形貌上看得來る能くや。回答曰く:容貌端正・氣息平和の人は、是れ忠孝なり。骨相端正・氣色沉靜の人は、人を待て平等なり。眉毛舒展・眼睛開大の人は、寬容なり。氣息和順・神態閑適の人は、心地純粹なり。面部開闊・準頭黃潤の色を帶ぶる人は、樂於施惠なり。鼻梁挺直・神情安定の人は、言行有常なり。形容莊肅・相貌古樸の人は、剛正耿直なり。此の七樣有るは、皆可取之列に在り。

眼凶神露者險惡,眼下嫩色者邪穢,眼深肉橫者苛察,眼有忿氣者矜誇,眼急色雜者奔競,視流容笑者謟□,氣麄身搖者茍且,有此七者為心術在所不取也。如眼下肉生、龍宮福堂黃氣盤繞,是有陰徳之人也。夫徳物無心,臨事無物,體道而出,體道而入,世間種種一無干吾之靈臺,果何心術之有哉?所謂心術者,乃以勉人之不及而已;懼而行之,亦可以同歸乎善而受道也。

眼神凶狠・神氣外露のは、心地險惡なり。眼下嫩紅の色一層を浮ぶるは、邪僻汙穢なり。眼窩深陷・面肉橫生のは、苛刻挑剔なり。眼中忿忿之氣を帶ぶるは、自矜自誇なり。眼神急躁・氣色駁雜のは、奔走鑽營なり。眼光流轉・面假笑を帶ぶるは、諂媚逢迎なり(底本一字を缺く)。氣息粗濁・身子搖晃不定のは、苟且偷安なり。此の七樣有るは、心術不正、皆不可取之列に在り。反つて、若し眼下肉豐滿、「龍宮」(眼眶)與「福堂」黃潤之氣有りて盤繞環繞せば、那便ち是れ陰德を積有る人なり。眞正有德の人は、德を物に施して心に功を邀るを存せず、事に臨んで外物に動かされず、一擧一動皆道に合乎、世間種種皆其の心(靈台)に干擾し到らず、那還た甚麽心術を談ぜん。所謂「心術」は、不過是れ用ひて還た做到らざる它等の人を勉勵する而已。心敬畏を存して照著て去做れば、亦た一樣に可く同じく善に歸して道を受く。

德を論ず

徳為義大矣哉!天之有大徳也,四時行而長處高;地之有至徳也,萬物生而長處厚;人之有徳也,亦若是矣。故天道佑之,人心歸之,享長生之榮。且能孝於親,能忠於君,能和於人,能濟於物,為徳之先,為行之表,雖未陽賞,必獲陰報;未及其身,必及子息。

「德」此の個字の意義太大了なり。上天大德有り、故に四季運行不息にして永く高に處る。大地至德有り、故に萬物生長不已にして永く厚に處る。人德有れば、道理も亦た一樣なり。因此天道它を保佑し、人心它に歸向し、它をして長久興盛の榮耀を享有せしむ。能く雙親に孝順し・能く君上に忠し・能く人と和睦し・能く萬物を周濟す、此れ德行中最も緊要、亦た是れ行爲の表率なり。此樣の人縱然一時明面上の獎賞を得ず、亦た必定冥冥中の回報を得。報應即使自己身上に落らず、亦た一定子孫身上に落る。

是以善相者先察其徳而後相其形。故徳美而形惡,無妨為君子;形善而行凶,不害為小人。荀子曰:相形不如相心,論心不如論徳。此勸人為善也,又言其徳為先矣。夫形者譬之匠也,材既美矣,匠拙則棄之,乃為不材之木也。人之形美矣,茍無徳,則形以虛美而天禍人損,遭之凌辱無疑也。是知徳在形先,形居徳後,乍可有徳而形惡,不可形善而無徳矣。

故に善く人を相するは、先に其の德行を考察し、然る後才に其の形貌を看る。因此德行美好にして形貌醜陋のは、妨礙せず它是れ君子なり。形貌端好にして行爲凶惡のは、照樣是れ小人なり。《荀子・非相》說く:形貌を看るは內心を看るに如かず、內心を論ずるは德行を論ずるに如かず。此れ人を勸めて善に向かはしめ、亦た是れ說く德を第一位に擺るを要すと。形貌好比木材、德行好比工匠なり:木材再好、工匠拙劣なれば便ち它を丟棄し、它亦た便ち無用の木頭と成る。人の形貌縱然生じて美、若し德無ければ、那麽此の副の形貌不過是れ虛有其美、上天禍を降さんと要し・別人它を損さんと要し、凌辱を遭受する是れ毫無疑問なり。由此知る可し德形之先に在り、形德之後に在る。寧ろ德有りて形貌醜、不可形貌好にして德無し。

死生論

古之至人以生為勞佚,以死為休息,是以知來去非我,而可以生可以死也。將獨立乎萬物之上,斡旋乾坤於太虛之中,果何得死生而相耶?此鄭之神巫見帶人子,始以其子不可復治,終則未死而老也。

古代の至人把活著看作勞作與安逸の交替、把死看作歇息、因此明白生來死去皆不由「我」作主、也就可生可死・無所挂礙。此樣の人萬物之上に獨立し、太虛之中に於て乾坤を斡旋す、哪裏還談得上用死生之相去相它せん。《莊子・應帝王》裏鄭國の神巫季咸壺子に相を看る便ち是れ此樣(底本此處文字訛誤有り):它起初壺子已に病入膏肓・救治する能わざるを斷定し、結果壺子並びに死せず、反つて安然如故なり。

徒下愚而不知道,汨沒世事,認已為有,認物為我,以生為可悅,以死為可惡,內焉所蔵於心,思慮縈縈,妄意一生,面目乃變,使人得以相之。故神昏者死,神亂者死,神浮者死,神雜者死,以此言談動止俱失當,不過數旬而死矣。須更看淺深而斷,然不可拘也。嗚呼死生亦大矣,世之迷者改頭換面,沉溺苦海,不知究也。胡不斷所寂滅,觀相識本來面目,證果大事者?而不然,未免流轉死生之途而受苦惱也。

只有那些愚昧不明道理の人、世俗事務裏に沉溺し、自己を當て實有と爲し、外物を當て自我と爲し、以爲活著可喜・死了可惡。心裏此れらの念頭を藏着し、思慮纏繞不休、一輩子妄想不斷、於是面目便ち之に隨ひて改變し、別人才に相可看る有り。故に神氣昏沉の會死、神氣散亂の會死、神氣浮動の會死、神氣駁雜の會死。再加上言談舉止皆分寸を失せば、幾十天を出でずして便ち要死す。當然還た此種徵兆の深淺を看て判斷するを要し、可く一概拘泥せず。唉、死生も亦た大事啊。世上迷惑の人改頭換面・輪回不已、苦海之中に沉溺し、卻て根源を追究するを知らず。爲甚麽不斷除妄念・歸於寂滅、返觀自照・認識自己の本來面目、去成就證果此件大事せん。若し不此樣なれば、便ち免不了生死之途上に流轉し、種種苦惱を受く。

神を論ず

神之為道,出而不可見,隠而不可求,故虛而無形也,則是索之於心;隠而無象也,則可測之於形。昭昭然見於眉目之上,幽幽然運於五臓之裡。故人云:晤盡則神逰於眼,六徳則神思於心。是神出處於形而為之表,猶日月之光外照萬物而其神隠於日月之內也。

「神」作爲一種存在、顯出來時看不見、隱起來時求不着。它虛にして無形、只能心上に到りて尋。它隱にして無象、卻て可く形貌上より測度す。它明明白白眉眼之上に顯現し、又た幽幽隱隱五臟之中に運行す。故に古人說く:人淸醒覺悟到極處、神便ち眼裏に游動す。六種善念(六德)生起時、神便ち心中に思慮す。見る可し神本來形より出でて又た形の外在表現作爲と爲す、便ち日月の光向外萬物を照亮し、而して日月之神卻て日月の本體之內に隱藏すがごとし。

且夫人之眼明則神清,昏則神濁;清則六徳多、六昧少,濁則六昧多、六徳少。夫夢之境界,葢神逰於心而所逰逺,亦出五臓六腑之間,與夫耳目視聴之內也。其所逰之象與所見之事,或因想而成,或遇事而至,亦吾一身所自有也。故夢中所見之事,乃在吾一身之中,非出吾一身之外矣。

人の眼睛明亮、神便ち淸し。眼睛昏暗、神便ち濁し。神淸のは、善念(六德)多くして昏昧(六昧)少なし。神濁のは、昏昧多くして善念少なし。至於夢の境界、是れ神心に游動して游し得遠、也不過五脏六腑之間・耳目視聽之內に出入す。夢中所游の景象・所見の事情、有るは是れ因爲白天所想に形成し、有るは是れ碰上某事に引發し、總歸是れ自己一身本來就有の東西なり。故に夢中所見の事、還た是れ自己一身之中に在り、並びに一身之外に跑到らず。

故白眼禪師說夢有五境:一曰虛境,二曰實境,三曰過去境,四曰見在境,五曰未來境。是神躁則境生,神靜則境滅,則知是境也由人動靜而生者也。夫望其形而灑然而清,或翹然而秀,或皎然而明,或凝然而瑩,眉目聳動,精彩射人,皆由神發於內而見於表也。

故に白眼禪師說く夢五種の境界有り:一是れ虛境(虛妄之夢)、二是れ實境(實事對應有る之夢)、三是れ過去境、四是れ現在境、五是れ未來境なり。神躁動、夢境便ち產生す。神安靜、夢境便ち消滅す――見る可し夢境是れ人心の動靜に隨ひて生滅す。一個人の形貌を看るに、有るは灑脫にして淸、有るは挺拔にして秀、有るは皎潔にして明、有るは凝定にして瑩潤なり。眉眼之間神采聳動、光彩逼人:此れら皆是れ神裏面より發出來して外表上に顯現せし。

其神清而和明而徹者,富貴之象也;昏而濁柔而怯者,貧薄之相也。實而靜者其神和,《玉管》云:詳而靜者其神安,虛而急者其神躁。故於君子善養其性者,無暴其氣,其氣不暴則形安,形安而神不全者,未之有也。

神氣淸にして和順・明にして透徹のは、是れ富貴の象なり。神氣昏にして混濁・軟にして怯懦のは、是れ貧薄の相なり。神氣充實にして安靜のは、其の神必ず和なり。《玉管照神局》說く:從容詳審にして安靜のは、其の神安定なり。虛空にして急促のは、其の神躁動なり。故に君子善く本性を涵養のは、從不自己の氣を暴烈に變さしむ。氣暴ならず、形體便ち安定す。形體安定にして神卻て不完足のは、是れ從來無しの事なり。

又云:氣者陰陽之移,人無寒暑之故,不其難乎?髣髴之間,變則有氣,神則同乎氣而有所主也;及乎氣變而有形,神止乎形而有寓也。變而有生,神則未嘗生;變而有死,神則未嘗死。古之得道者,不染塵埃,不役於事為,知神之妙與太虛同體,知神之□與造化同用,則為聖人、至人、神人。

又た說く:氣是れ陰陽二者の推移變化、人身上若し無寒暑往來那樣の氣機機變化、豈不是很難成形せん。恍惚仿佛之間、一有變化便ち氣を產生し、神便ち氣と同在して主宰有る所有す。等到氣再變して形を成し、神便ち形體中に止息して寄托を有り。變化して生有り、神其實並不曾生。變化して死有り、神其實並不曾死。古代得道の人は、塵俗に沾染せず、事務に役使せられず、神の微妙與太虛同爲一體を懂得し、神の妙用(底本一字を缺く)與造化同其功用を懂得す、此樣の人便ち是れ聖人・至人・神人なり。

為用如此,是形在人世間者,神則蔵於心,發現於眉目之間,猶未失其本真。則以古為上,清次之,蔵次之,媚又次之。如流散昏濁,是其從迷至迷,一至如此,不足論也。聳然不動,視之有威,謂之古;澄然瑩徹,視之可愛,謂之清;怡然灑落,視之難舍,謂之媚。各得其體格神氣而賦之,未有不為公卿,達而上則神仙矣。媚雖有貴,乃阿□謟佞之人,雖在朝廷,身之進退亦何足數。似明不明,似峻不峻,謂之流散;似醉不醉,似困不困,謂之昏濁。嗚呼,人之喪精失靈,不知神之所謂,以至為萬物同出入於機,不知覺也。

神の作用既然如此、那麽人雖然形體人世間に在り、只要神心裏に藏り・眉眼之間に顯現せば、便ち還だ無失掉本來の眞性。神の品第:「古」を以て上と爲し、「淸」次之、「藏」再次之、「媚」又再次之。至於「流散」「昏濁」、那便ち是れ迷惑より更深之迷惑に走向、到了此個地步便ち一提に值せず。甚麽叫「古」。神情聳然不動、看上去自有威嚴なり。甚麽叫「淸」。神光澄澈瑩亮、看上去可親可愛なり。甚麽叫「媚」。神態怡然灑脫、看上去人をして捨不得眼を移開せしむ。此の幾種若し各自相稱の體格與神氣を得て配合せば、無不做到公卿、再上一層便ち是れ神仙なり。不過「媚」此の一格雖也能貴、多半是れ阿諛諂佞の人(底本一字を缺く)、即使身在朝廷、其の升降進退も亦た稱道に足らず。似明不明・似峻不峻のは、叫「流散」。似醉不醉・似困不困のは、叫「昏濁」。唉、世人喪失了精氣靈明、「神」究竟指甚麽を知らず、以至於和萬物一樣在造化の機括中出出入入、自己卻て毫無覺察す。

神有餘を論ず

神之有餘者,眼色清瑩,顧盼不斜,眉秀而長,精彩聳動,容貌澄徹,舉止汪洋,灑然逺視若秋月之照霜天,巍然近矚似和風之動春蘤,臨事剛毅如猛獸而步深山,處眾逸超似丹鳯而翔雲路。其坐也若介石不動,其臥也如棲鳥不揺,其形也洋洋然如平水之流,昻昻然如孤峰之聳。言不妄發,性不妄躁,喜怒不動其心,榮辱不易其操,萬態紛錯於前而心恆一,斯皆謂神有餘也。神餘者皆為上貴之相,凶災難入,天祿永保其終矣。

所謂「神有餘」は、是れ指眼神淸澈瑩亮、人を看る時目光端正不斜なり。眉毛秀麗修長なり。神采聳動有光なり。容貌澄淨通透なり。舉止寬宏大度なり。遠看灑脫明淨、像秋月照在結霜の夜空。近看巍然可親、像和風吹動春花。遇事剛毅果斷、如同猛獸行走深山。處在衆人之中飄然出衆、如同丹鳳翱翔雲路。他坐着之時候、像磐石一樣紋絲不動。躺着之時候、像棲息之鳥一樣安穩不搖。他之形貌、舒展時如平靜之水面流淌、挺立時如孤峰高聳。說話不輕率、性情不浮躁。喜怒不能動搖他之心、榮辱不能改變他之操守。千百種情勢紛紛擾擾擺在面前、他之心始終如一。此れら皆叫「神有餘」。神有餘之人、都是上等貴相、凶災進不了身、天賜之祿位可以保全到最後。

神不足を論ず

神之不足者,不醉似醉,常如病酒;不愁似愁,常如憂慽;不睡似睡,如睡才覺;不笑似笑,忽如驚忻;不嗔似嗔,不喜似喜,不驚似驚,不痴似痴,不畏似畏;容止昏濁,似染顛癎;神色慘愴,常如有失;恍惚愴惶,常如恐懼;言語澀縮,似羞隠蔵;體貌低摧,如遭凌辱;色初鮮而後暗,語先快而後訥。此皆謂神不足也。神不足者多招牢獄枉厄,有官亦主失位矣。

所謂「神不足」は、是れ指:無喝醉卻像醉り、總像宿酒未醒。無有發愁卻像發愁、總像心裏有憂戚。無有睡卻像在睡、又像剛睡醒。無有笑卻像在笑、忽然又像受驚而喜。無有生氣卻像生氣、無有歡喜卻像歡喜、無有受驚卻像受驚、不癡呆卻像癡呆、不害怕卻像害怕。神情舉止昏沉渾濁、像得了癲癇。神色淒慘悲愴、總像丟了甚麽。恍恍惚惚・慌慌張張、總像在害怕。說話吞吞吐吐、像有甚麽羞於出口而藏着。身形佝僂低垂、像剛受過凌辱。氣色起初鮮明而後來轉暗、說話起先流利而後來結巴。此れら皆叫「神不足」。神不足之人、多招牢獄與冤枉之災。即使有官職、亦た主丟官失位。

氣を論ず

論一人之至好,御二氣以成徳,交通而和也則萬物遂其性命,乖戾不調也則萬物失其理,此乃天地之氣見乎變化也。石蘊玉而山輝,淵藏珠而川媚,由夫至精之寳見乎山川也。萬物之情美,莫不發乎氣而見乎色矣。夫形者質也,氣者用也,氣所以充乎質,質所以運乎氣,是以由氣以保形,由形以安氣。

就一個人最要緊處而論、他是駕馭陰陽二氣來成就自己の德性之。二氣交通而調和、萬物就各遂其性命。二氣乖戾而失調、萬物就失去它之條理――此れ是天地之氣在變化中顯現出來之道理。石頭裏含着玉、整座山就有光輝。深淵裏藏着珠、整條川就顯嫵媚:此れ是最精粹之寶物借山川顯現出來。萬物內在之美好、無有不是發自「氣」而顯現於「色」之。形體是質地、氣是作用。氣用來充實質地、質地用來運行氣。故要靠氣來保養形體、也要靠形體來安頓氣。

故質宏則氣寛,神安則氣靜,得失不足以動其氣,喜怒不足以驚其神,則於徳為有容,於量為有度,是謂厚重有福之相也。形如材,有松栢荊棘之異;氣有規矩準繩之工,隨材而成器,隨形而制體。故君子以形為善惡之地,以氣為騏驥之馬,善御之而得其道也。

故質地宏大、氣就寬舒。神情安定、氣就沉靜。得失動搖不了他之氣、喜怒驚擾不了他之神、那麽在德行上就有容量、在器量上就有法度――此れ就叫厚重有福之相。形體好比木材、有松柏與荊棘之分別。氣好比工匠手裏之規・矩・準・繩、按木材之性質做成器物、按形體之條件製成體統。故君子把形體當作善惡生長之地方、把氣當作駕馭此匹良馬之繮轡、善於駕馭它、就得著相法之正道り。

是以善人之氣,不急不暴,不亂不躁,寛能容物若大海之洋洋,和能接物類春風之習習,剛而能制萬態不足動其操,清而能潔千塵不足汙其色。小人反是,則不寛而隘,不和而戾,不剛而懦,不清而濁,不正而偏,不舒而急。但視其氣之淺深,察其色之躁靜,則君子小人可辨矣。

所以善人の氣は、急促せず・暴烈せず、散亂せず・浮躁せず:寬厚にして萬物を容納するを得、像大海のごとく浩瀚なり。和順にして衆人を接待するを得、像春風のごとく和煦なり。剛强にして能く自ら制し、千變萬化の情勢も其の操守を動搖し得ず。淸明にして能く自ら潔し、千般の塵俗も其の氣色を污染し得ず。小人恰恰相反す:不寬にして狹隘、不和にして暴戾、不剛にして懦弱、不淸にして混濁、不正にして偏邪、不舒緩にして急躁なり。只だ其の氣の深か淺かを看、其の氣色の躁か靜かを察すれば、君子與小人便ち分辨せらる。

氣長而舒和,寛裕而不暴者,為福壽之人;急促而不勻,暴然見乎色者,為薄淺之相也。且氣之為道,又發乎顏表而為吉凶之兆也。其散如毛髮,其聚如黍米,望之有形,按之無跡,出入一面之部位,又應人之禍福。若氣呼吸無聲,耳不自聞,或臥而不喘者,謂之息,壽相也;其或呼吸氣盈而動者,乃為夭死之人。孟子不顧萬鍾之祿,以善養其氣者也;爭升合之利而悻悻然戾其色、暴其氣者,何足道哉!

氣悠長にして舒緩和順・寬裕にして不暴烈のは、是れ福有り壽有るの人なり。氣急促にして不勻・暴戾之狀臉上に顯在のは、是れ薄淺の相なり。再び說く氣の道理、它還た面部に發露して吉凶の先兆と成る會:散開すれば細きこと毛髮のごとく、聚攏すれば小さきこと黍米のごとし。望上げて似たる形狀有り、手を用ゐて按せば卻て痕迹無し。它一面之上各個部位に出出入入し、又た皆人の禍福に對應す。若し呼吸聲音無く、自己の耳朵も亦た聽こえず、或いは睡着時喘氣せざるは、此れ「龜息」と叫ぶ(原字は底本異體、即ち「龜」)、是れ長壽の相なり。反つて呼吸氣盛にして胸腹起伏震動のは、便ち是れ短命の人なり。孟子能く萬鐘の厚祿を看重せざる、正是れ因爲它善く自己の氣を涵養す。至於一升一合の小利の爲に便ち氣衝衝として臉色を變へ・其の氣を暴戾する人、哪裏一提に值せん。

氣之所以養形,在五臓六腑之間,因七情而斂散,故發於五嶽四瀆之上,有六氣之變,能清濁以無餘。湛然寂如,固山水之淵,非六氣可得而取也。青龍之氣如祥雲襯月,朱雀之氣如朝霞暎水,勾陳之氣如黑風吹云,螣蛇之氣如草木將灰,白虎之氣如凝脂塗油,□武之氣如膩煙和霧。六氣之中惟青龍為吉,其它或主破散,或主憂驚,或主哭泣,或主陰賊。

氣之所以形を養ふ能くするは、是れ因爲它五臟六腑之間に藏り、喜怒憂思悲恐驚此の「七情」に隨ひて收斂或いは發散す、故に五岳四瀆(面部各要所部位)之上に顯發す。氣の變化「六氣」有り、淸濁を分辨して毫釐も遺漏無し。至於那種湛然寂靜・深固して山水の深淵のごとき氣象は、便ち不是六氣の所能範圍なり。六氣の形狀:「青龍」之氣祥雲が月亮を托するがごとし。「朱雀」之氣朝霞が水上に映ずるがごとし。「勾陳」之氣黑風が烏雲を吹動するがごとし。「螣蛇」之氣草木が將に灰燼に化せんとするがごとし。「白虎」之氣凝固の油脂を面上に塗抹するがごとし。「玄武」之氣(底本一字を缺く)油膩の煙が霧と混るがごとし。六氣之中只有青龍是れ吉、其餘は或いは破財離散を主り、或いは憂愁驚恐を主り、或いは哭泣喪事を主り、或いは陰謀暗害を主る。

如骨形不入格,終身為所累;如形骨正,當得數,然後氣散名顯也。亦看所賦之深淺而消息之。人有異相不貴,由為雜氣所繞,如逺山竒峰秀嶂,小為雲霧所蔽,不可得而見也。一遇匝地清風、當天皎月,奇峰秀嶂非特可覽於目前,必使留戀難舍也。

若し骨相形局本來不入格なれば、此れらの惡氣便要拖累它一輩子。若し形骨端正、等到(原字は底本異體)氣數該到の時候、惡氣自然消散・名聲自然顯達す。此れも亦た它稟賦の深淺を看て斟酌するを要す。有る人明明奇異の相有れど不貴、是れ因爲駁雜之氣に纏繞せられ住む、好比遠山の奇峰秀嶺、稍稍雲霧に一遮れば便ち看不見。一旦滿地淸風・當空皓月に遇上せば、那奇峰秀嶺不但淸淸楚楚眼前に呈在し、還會人をして流連難舍せしむ――人の相も亦た此樣、雜氣一去、貴氣自ら現れん。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.