巻首・題識
作盤ガイド: 奇門遁甲作盤
三奇六儀の位置を考め、九宫は時に因りて干支を起こす;天盤の九星は時干に随って飛び、人盤の八門は直使に從う。門の所迫に逢うは其の宮を看て、星の…
奇門遁甲典籍
排盤規則をまず明確にしないと格局の部分が落とし所を失う。歌訣を読むときは、同時に手で一盤を排して対照するのがよい。
奇門旨歸,楚北興國朱浩文星源述;漢陽關棠題。光緒十九年癸巳孟冬,匯源堂藏板。
本書は『奇門旨帰』と題し、楚北興国州(今の湖北陽新)の人・朱浩文、字は星源の撰述であり、書名の題簽は漢陽の人・関棠の手に成る。光緒十九年(癸巳年)初冬、匯源堂が彫版を收めて刊印した。「蔵板」とは刻み成した書版をその書坊に蔵置することをいい、この本はすなわちこの版に依って刷印されたものである。
巻首・徐家干叙
敘:奇門為三式之一,自黃帝以來,太公、雷侯、武侯、誠意伯,皆用行軍勝敵。傳而至於今日,則已名是實非,無論調壇閉戊、行籌返閉諸大端,幾為絕學,即一跳澗之法,亦各演布不同。往在苗疆,得友人奇門鈔本,亦曾究心尋討,曆數月日無所得,遂亦置之。既而隨軍入湘,偶一考索,仍屬茫然,知陰陽消長,其要旨固自有歸也。
「奇門」は太乙・六壬と併せて「三式」と称し、古代三大占算体系の一つである。黄帝より以下、姜太公・雷侯・諸葛武侯・明代の誠意伯劉基は、皆これを用いて行軍作戦し、敵に克ち勝利を制した。今日まで伝わり来たれど、すでに名存実亡:壇を設けて兵を調し、六戊の門を閉じ、籌を行い算を布き、返閉遁形するといったこれらの大なる関目は、ほとんど失伝の絶学と成り果てた。すなわち「跳澗」のごとき一つの具体的な推布法すら、各家の演算し出す結果は互いに異なる。私はかつて苗疆において兵を帯びた時、朋友より一部の奇門抄本を得て、かつて専心に钻研尋討したが、数か月を費やして一の得る所なく、已むを得ず擱置した。後に軍に随って湖南に入り、偶然また取り出して考究したが、依然として一片茫然であった。これに由って明白に悟った:陰陽消長の理、その精要主旨には自らその帰宿する処があるのであって、胡乱に書を繙けば摸到するものではない。
庚辰冬江華猺亂平,餘以軍暇赴長沙省親,適朱君星源造訪,慨論猺疆形勢曰:江華亂猺,吾知其不足平也。余曰:君寓省距江華九百里,身不臨敵,何以知之?曰:警報至,曾演奇門一局,得丙加庚,為熒入白格。經云:庚為太白、丙為熒,熒入白兮、賊即去,以是知賊不利。相與談主客之辨,甚詳其明。
光緒六年庚辰(一八八〇)の冬、湖南江華の瑤民の乱が平定され、私は軍中の閑を趁って長沙に親を訪ねたところ、ちょうど朱星源先生が来訪した。彼は慷慨として瑤疆の形勢を議論して言った:江華の乱を成す瑤人は、私が知るに平定し難くない。私は問うた:あなたは省城に住み、江華から九百里も離れ、人は前線に在らず、何を以てこのように断定するのか。彼は答えた:警報が伝わったあの日、私はかつて一局の奇門を起して、「丙加庚」、すなわち「熒入白」の格を得たのである。歌訣に言う「庚は太白を為し丙は熒を為し、熒が白に入らば、賊即ち去る」——「庚」は奇門の中で西方の肅殺の金を代表し、別号は太白で、賊寇の象である。「丙」は月奇の火で、別号は熒惑である。丙火が庚金の上に圧するは、我が方の火が賊方の金を制するので、賊勢が自ら退走するを主ず、故に賊人は利あらざるを知ったのである。我らはまた一同に「主」「客」を如何に分定するかの道理を討論し、彼の講説は極めて詳尽明白であった。
年受蘇子熙軍門聘參贊營幕,與共帷幄者兩年,日探秘奧,益有心得,或以緝捕事試之占輒驗。今編集起例,諸法皆各書所未詳,復本太公軍中應驗神符經七十二局,補演千八十局都為一書,顏曰:奇門旨歸。其隨太陽節氣,布門輪宮,飛星定局,一一如指諸掌,小而趨吉避凶,大而陳兵立壘,神明變化,功用無窮。
後に彼は提督蘇子熙の招聘に応じ、幕に入って軍務に参賛し、彼と共に中軍帳下で二年間事を共にし、日々奇門の深奥を探究して、心得は愈々精進した。緝捕盗賊の事を以て試みに彼に起課を請う者あり、毎回皆応験した。今彼は起例を編集して書と成し、その中の各種の推布法は皆他の書の講説し清楚ならざるものである。また姜太公『軍中応験神符経』の七十二局を本とし、補足推演して一千八十局とし、匯して一部の書と成し、題名を『奇門旨帰』とした。書中は太陽の行く節気に随って八門を分布し、九宮を輪転し、九星を飛布し、局数を判定す、条条清楚なること、自己の手掌を指して看るがごとし。小さくは則ち吉に趨き凶を避くべく、大きくは則ち兵を陳べ陣を布き、営を扎し塁を立つべく、変化神妙にして用無窮である。
六戊斗罡之機,六甲陰符之妙,亦何不可推而求焉。百戰經曰:為將者不知太乙、奇門、六壬,不可應敵而取勝。是書探奇門之奧,其亦足資為將者之取用乎,是可存以資世矣。光緒九年夏四月,義甯徐家干敘於長沙寓次。
六戊を閉じ、斗を踏み罡を歩むの機竅、六甲陰符の奥妙に至っては、この書の路子に順えば未だ嘗て推求し出せぬには及ばない。『百戦経』に言う:将を為す者は若し太乙・奇門・六壬の三式に通暁せざれば、敵に応え勝利を取る能わず。この書は奇門の深処を探究したから、大概もって兵を帯ぶる人に取用せしむるに足り、故に保存して世人に貢献するの値あり。光緒九年夏四月、義寧(今の江西修水)の人・徐家干、長沙の寓所においてこの叙を作る。
巻首・万際軒序
序:曩餘官京師,與富川易侍御柟舫友扇朝夕相遇。從柟舫嘗謂:餘鄉多宿學,其篤於行誼,知名當世,莫如萬清軒徵君;此外覃思詞翰,潛心經術類,皆文學選,而精於天人、輿地之學,則以朱星源司馬為最。徵君以敦品勵學,教授里門,舊悉於胡文忠奏牘;司馬素未識面,聞其言識而弗忘。
昔私が京城において官を為し、富川の人・侍御史易柟舫と朝夕相処し、交誼甚だ篤かった。柟舫はかつて私に言った:我らが家郷には飽学の士多く、その中に篤く道義を行い名を当世に重きする者は、万清軒徵君に比ぶるものなし。その他の深く文辞を思い潜く経学に心する人は、大抵文学の選であるが、真に精通して天人之学と輿地之学とを兼ねたるは、数えるに朱星源司馬を以て第一と為す。万徵君は品行を砥礪し勤勉に治学するを以て著しく、郷里において帳を設けて教え、その事跡は昔胡文忠公(胡林翼)の奏章の中にすでに見えた。朱司馬は私がかつて面会せざるなれど、ただこの番の話を聞いて便ち心に記し、ずっと忘れなかった。「徵君」とは朝廷の徴召に出仕せざる者の尊称で、「司馬」は同知のごとき官職の旧称である。
歲壬辰銜恤里居時,南豐包侯雲黼宰吾邑,司馬居幕府,晤於白伏官廨,一見如舊識,相得甚歡,與抗論天下時事,及諸經世務,具有根柢,乃嘆枏舫之言為不謬。嗣以包侯介為先,太恭人題栗主事竣,往謝,司馬出所著奇門旨歸見眎,為言其生平所致力,以弁言委,遜謝不獲,受而卒讀,慨然嘆曰:天下吉凶、順逆之理,竟若是其不爽乎。
壬辰の年、私は居喪して家に在り、南豊の人・包雲黼が来りて本県の知県と為り、朱司馬はちょうど彼の幕府の裡で事を弁じており、我らは白伏の官署において面会した。一見して便ち旧知のごとく、談ずること極めて投契した。彼と天下の時事と各種の経世実務とを縦論し、彼の議論は皆根柢あるを見、これに於て柟舫の当年の言は錯えらざるを嘆服した。後に包知県の紹介を経て、彼を請じて我が先母の神主の栗主を題写せしめ、事が済んで私は往きて謝し、朱司馬は彼の著したる『奇門旨帰』を取出して我に見せ、彼が一生用力する所を談起し、併せて序を作るの事を我に託した。私は推辞すること能わず、接し取りて読み終え、禁ず能わず感慨して言う:天下の吉凶順逆の道理、竟然としてこの地步に精準して絲毫も差わざるか。「栗主」とは栗木を以て作る神主牌位で、「太恭人」は亡母に対する尊称である。
自伏羲畫卦,包符秘洩陰陽,以生固萬物之所,聽命人事吉凶,順逆之所寄也。所謂開物成務,前民利用者,於是乎在羲聖,功用盡於此矣。黃帝氏作衣裳,漸啟征伐,亦興涿鹿之戰,蚩尤肆焰,爰與風后效天神所授符訣,參以天時人事,與夫治亂興衰之故,存亡禍福之機,演奇門千八十局,使陰陽對待,吉凶順逆之相反,顯然知所趨避。
伏羲が八卦を画きてより、符象の中に包蔵せる陰陽の秘理を人間に泄露してより、万物の生成に依憑する所の道理あり、人事の吉凶にも聴命し寄托する所の在るあり。『周易・繫辞』の言う「開物成務」「前民利用」——万物のために条理を開顕し、事務を成就し、百姓より一歩先んじて彼らのために利用の道を指し明かす——は、伏羲というこの聖人の上に落実し、彼の功用はここに尽くる。黄帝が衣裳を制作し漸く征伐の事を開くに至っても、かつて涿鹿において蚩尤と大戦した。蚩尤の気焰は囂張し、黄帝は便ち風后と共に、天神の授くる符訣に照らして之を為し、さらに天時人事を参酌し、治乱興衰の縁故・存亡禍福の関鍵を参酌し、推演出して奇門一千八十局とし、陰と陽とをして彼此対待し、吉と凶とをして順逆相反する格局を皆清楚明白に擺き置かしめ、人をして一望して便ち何処に趨き何処を避くべきかを知らしめた。
而帷幄之運籌決勝,不戰制人,即萬事之休咎,無不可前知預決。厥後大公、畱侯、武侯誠意,皆得力於此,胥用以建樹功業,為一代偉人,非信古有獲,深明古聖人陰陽之道,能若是乎!
かくのごとくなれば、中軍帳の裡において籌を運らし勝を決し、交戦せずとも相手を制服すること能く、乃至万事の吉凶禍福に、預知し事先に判定すること能わざるあらず。これより後、姜太公・留侯張良・武侯諸葛亮・誠意伯劉基は、皆この門の学問より得力し、全てこれに憑りて功業を建立し、成って各自のあの一代の偉人と為った。若し真に古人に信従して収穫する所有り、深切に古聖人の講ずる陰陽の道を明白にせずんば、豈にこの地步を為すことを得んや。
司馬好學,深思銳意搜討,遊歷所至,足跡幾遍天下。往歲從蘇子熙軍門出師黔湘,所向無前,以贊畫功,授今職。近又得古本而融會之,悟其大旨所歸,述以問世,是亦兵法家之左券也。雖玉函金匱,非下走所及知,而其嗜古之念、公世之心,有不容沒者,故不憚覶縷而為之序。光緒十有八年仲夏月長至日,潛陽愚弟萬際軒頓首拜譔。
朱司馬は学を好み、深く思い鋭意に搜求考訂し、遊歴の至る所、足跡はほとんど天下に遍い。先年は提督蘇子熙に随って貴州・湖南に出兵し、所向敵なし、軍務に参賛した功に憑りて、今の官職を授けらる。近頃また奇門の古本を得て、加えて融會貫通し、全書大旨の帰宿を悟り、写し出して世に公布す、これも亦た兵法家の手裡の一紙の凭據と謂うべし。「玉函金匱」のごとき深蔵の秘籍は、本より我がごとき人の解し得る所に非ざれど、彼の古学を嗜好する心念・心得を世人に公にする胸懐は、埋没せしむべきに非ず、故に私は辞費を憚らず、細々とこの篇の序を写下す。光緒十八年仲夏(五月)夏至のこの日、潜陽愚弟万際軒頓首拜撰。
巻首・梅郭田序
序:咸同間粵逆盜弄海內,十九戒嚴。益陽胡文忠公撫吾鄂,銳然以肅清自任,開賓賢館以廣招異能。有淦水某生來謁,自以奇門稱,公亦嘗耳其名,試令卜、亦參伍驗。會軍於武昌,公授以兵為大軍殿,輙敗衂罔效,其人亦以此潛逝。嗟乎!生殆未得奇門之真者歟,毋亦徒如葉公之好龍者耶。
咸豊・同治の年間、太平軍が起事して、天下を攪動し、十中八九の地方は皆戒厳した。益陽の人・胡文忠公(胡林翼)は湖北巡撫に出任し、鋭意を以て乱局を粛清することを自ら任とし、賓賢館を開設して広く一技之長ある異能の士を招致した。ある淦水より来た書生が来りて見を求め、自ら奇門に精通すと称した。胡公もまた早くより彼の名字を聞き及び、試みに彼に起課占算せしめたるに、結果は参互に験証してもまたなお霊験であった。武昌において会師するに及んで、胡公は彼に兵馬を撥し、彼をして大軍の殿後を為さしめたるに、彼は屡戦屡敗し、毫も効験なく、この人もまたこれに因って悄悄と溜走した。噫!この書生は大概奇門の真伝を得ず、ただ『新序』の中のあの葉公が竜を好むがごとき人に過ぎないであろう——口では竜を愛し、真竜が来れば却って嚇跑了る。
夫盈天地濛濛中,其大力包舉者,惟理與數而已。理數相輔而行,夫人能言之,夫人而不能明之。抑知言理即有數,言數即有理,此其中自有一定之旨在。自非聖神,不能撮其旨而為之作;亦非明粹之儒,不能得其正旨之所歸而為之述也。
天地の間に充満するあの一片の混沌の中、大力を以て万象を総括する能くするは、ただ「理」と「数」の両様のみ。理と数とは互相いに輔助して運行す、と言うは人人皆会して言えど、人人皆講明することが能わず。当に知るべし:理を説くに至れば、その中にすでに数を含み、数を説くに至れば、その中にもまた理を含む。この裏頭に自ら一個の確定不移の宗旨有り。若し聖人神明に非ざれば、この宗旨を提挈して出し而して法を創制する能わず。若し見識明徹純正の儒者に非ざれば、この正宗旨の帰宿する所を領会して之を述説する能わざるなり。
昔者羲皇一畫,爰肇機緘,八卦定位,前民利用,於是乎人知以理數而為趨吉避凶之券矣!軒轅氏作,大啟苞符,開上世文明之始。蚩尤悖逆,帝乃握靈珍,矢精默,遂感九天玄陰之姥,錫以祥微,而與風后作奇門焉。繁理賾數罔弗囊括,呼吸風雷,號召神鬼,遂使狂暴授首,而專車之暈以殄,功用溥矣哉。
昔伏羲が第一画を画き下して、天地運転の機関を開啓した。八卦が方位を定めて、百姓より一歩先んじて利用の道を指し明かし、人々はこれより理数に憑借して趨吉避凶の凭據と為すを懂得した。軒轅黄帝が興起するに至り、大いに符象を包蔵する秘蘊を開啓し、上古文明の開端を揭开した。蚩尤が悖逆して乱を作すに及んで、黄帝はここにおいて手に霊異の珍寶を握り、誓いを立てて精誠に黙祷し、終に九天玄女というこの陰徳の姥を感動せしめ、彼に祥瑞の徴兆を賜えり、ここにおいて風后と共に奇門を制作した。繁複の理・幽深の数は它に囊括せられざるなく、一呼一吸の間に風雷を駆使し鬼神に号令するを以てし、終に凶暴の蚩尤をして首を授けしめ、その載るに一車を満たすに足る頭顱の光焰をも消滅し尽くした——その功用は真に広大である。
而帝復以秘笈敷示,傳之無窮,殆猶是羲皇前民利用,俾民知趨避之至意也。自茲以往,在周則尚父受其傳於容成子,漢則子房受之赤松,三國則諸葛公受於其外舅黃承彥,世謂黃乃受於其壻誤矣!迄明劉青田以之事太祖,未知所受,類皆建立殊勳彪炳當代。降而年代湮遠,談者益哤,訛者益夥矣。
而して黄帝はまたこの部の秘笈を公開して伝示し、之をして流伝無窮ならしめた、大概は依然として伏羲のあの百姓に先んじて利用を指し明かし、百姓をして趨避を懂得せしむるの至深の用心である。これ以後、周代には尚父姜太公が从容成子のところより受伝し、漢代には留侯張良が赤松子に受伝し、三国には諸葛亮が彼の岳父黄承彦に受伝した——世人は反って黄承彦は女婿の諸葛亮のところより学んだと言う、これは言い反したるなり。明代の劉青田(劉基)に至りては它を拿りて太祖を輔佐す、師承はすでに考うべからず。これらの人は大抵顕赫一世の殊勲を建立した。後に年代久遠にして、講ずる人は愈々雑乱し、伝訛するもまた愈々多し。「哤」とは雑乱不純の意である。
而世之言奇門者,非詫為怪異靈奇之事,即譏為射覆術數之末。噫!後之人其欲聞前民利用之旨,以得理數趨避之歸,孰從而求之哉。予曩見坊本而好之,探索亦久,然未得師傳,其間如旬首、符頭,以超神接氣,究多囫圇莫辨,心竊疑焉,以為是必有真旨之所歸,不可以淺陋而臆度也,乃庋坊本於高閣,而潛心以求明哲焉。
世の中の奇門を談ずる人は、之を驚嘆して怪異靈奇の事と為すに非ざれば、之を譏笑して物を猜め覆を射るのごとき末流小術と為す。噫!後の人が「前民利用」の宗旨を聞かんと欲し、理数趨避の帰宿を得んと欲せば、また何処に往きて之を求めんや。我は昔坊間の刻本を見て便ち之を喜び、探索するもまた久しきなれど、ただ師承伝授を得ざるのみ。その中の「旬首」「符头」および超神・接気のごとき関目は、終に多くは囫囵一片にして辨明せず、心の裡に暗く疑を生じ、此の中に必ず真の宗旨の在る有るを認め、浅陋の見識を凭りて臆測する能わずと為し、ここにおいて坊本を束ねて高き閣に上げ、一心に明達の人を尋訪せんとす。
歲癸巳,吾友朱星源司馬以所著奇門旨歸見示,伏而讀之,不禁狂喜。書之奧義,君自序、凡例言之綦詳,毋庸鯫生贅也。然而原原本本合太公、畱侯、武侯誠意之精微,仍復黃帝一千八十局之舊,得其書者如指九逵,然其趨避而利用,亦何廣且顯耶。
癸巳のこの一年、我が友の朱星源司馬が彼の著す所の『奇門旨帰』を取りて我に見せ、我は案に伏して読み畢えり、禁ず能わず狂喜した。この書の深義は、作者が自序と凡例とにおいてすでに講じ極めて詳尽し、我がごとき小人物の再び贅述するを用いず。ただそれが原原本本として姜太公・留侯張良・武侯諸葛亮・誠意伯劉基の精微なる所に契合し、また黄帝の一千八十局の旧貌を恢復したことを言うのみ。この書を得る人は、通达九方の大路口に立つがごとく一目了然なり、則ちこれに依りて趨避利用すれば、亦た真に既に広大かつ顕明なり。「九逵」とは四通八達の大道を指す。
君之為人,所謂儒而君子者也。少習經史,而尤契於理學,弦誦之暇,博極天文、地輿,河洛理數,以逮太乙演禽、測算諸學;他如民生利病、水利農田、形勢險要,靡不究心有得,即筆之裒而為集。其先付剞劂者,如是書外,猶有歷代道學薪傳、皇極經世要旨、範數皇極要旨、小大學程家常必讀,共若干卷;他若觀星輯要、占象考驗,及皇朝中外山水道里提綱諸集,亦已成書,而將續付手民。
朱君の人と為りは、儒者の中の君子と言うべし。少時に経史を研習し、特に宋儒理学に契合す。講誦の余、広く天文・輿地・河洛理数を窮究し、以至太乙・演禽・測量算学等の各門の学問に及ぶ。その他の民生の利弊・水利農田・地勢の険要のごときも、亦た心を用いて钻研して得る所有るに非ざるなく、即ち筆録して匯集して書と成す。彼が先に刻工に交付して付印せしものは、この書の外、また『歴代道学薪伝』『皇極経世要旨』『范数皇極要旨』『小大学程家常必読』若干巻あり。また『観星輯要』『占象考験』および『皇朝中外山水道里提綱』等の書のごときも、亦た皆写し成し已り、将に続々と刻印に交付せんとす。「剞劂」とは書を刻る刀具で、刊刻を代指す。「手民」は即ち字を刻る工人である。
故身雖巳受職,而終不樂仕進,猶復隱居,日讀宋儒周邵程朱遺書弗倦。君固精於制藝科甲故物耳,徒以四方多故,以戰功授今職,榮三世。人有以君未獲償巍科聯高第,若不能不為君惜者,而君則曰:理數在則然,順受之而已矣!奚惜焉。是君不獨利民用其所決,於一己之利用,不亦明且大乎。
故に彼はすでに官職を受けたと雖も、終始仕進を楽しまず、仍りて隠居し、日々周敦頤・邵雍・程顥程頤・朱熹これら宋儒の遺著を読みて疲倦を知らず。朱君は本より八股制芸に精しく、科第功名は彼に対し不過ぎ旧日本分の事のみ、ただ四方の事多きに因りて、纔かに軍功に憑りて今の官職を授けられ、三代に栄及ぶを得たり。或る人は彼の巍科高第を考取する能わざりしを為して彼に替りて惋惜す、朱君は却って曰く:理数此のごとし、順い承けて受くれば已り、何の惜しむ所あらん。朱君はただ彼の判定せる道理を以て百姓を利益するのみに非ず、即ち自己の身に用いるも、亦た一様に通达して闊大なるを見るべし。
抑予嘗有言:奇門惟儒者可談,其他則必不許之談。何也?如朱君之書,演為千八十局,人人能用之,而於六戊斗罡、六甲陰符不肯輕述,用意良深矣。君學以理為歸,是集專以理數合參,而撮其要領,以神其妙用,夫豈世俗之苟嘗一臠、異言喧豗者所敢輕道哉。
我はまたかつて一つの説法有り:奇門はただ儒者のみ談ずべく、別の人は一概に談ずるを許さず。何を以ての故か。即ち朱君のこの書のごとき、推演出して一千八十局と為し、人人皆取用し得、ただ六戊を閉じ、斗を踏み罡を歩み及び六甲陰符のこれら法術に対しては軽々しく述説するを肯んぜず、用意は実に深遠である。朱君は学を治むるに「理」を以て帰宿と為し、この集は専ら理と数とを合わせて参照し、其の要領を提挈して、従って其の妙用をして愈々神明ならしむ。これ豈に世俗のあのただ一塊の肉を嘗めて便ち自ら以て味を知ると為し、七嘴八舌に乱れ喧々する人の敢て随に談論する所ならんや。「喧豗」とは喧鬧嘈雑の意である。
若某生之於葉公好龍者,更奚足論哉,而況詫為怪異、譏為小術者耶。彼殆徒見夫市頭設案,剌剌然盲者耳,籲可嗤也。予與朱君別廿年矣,今春始得晤渴慰之下,而又得是書以拔塞茅,樂何極耶。
前に言うたるあの葉公が竜を好むがごとき書生に至っては、更に一題に値せず、況んやそれらの奇門を驚為怪異し、譏為小術する人に於いてをや。彼らは大概ただ街頭に卦攤を擺き、滔々不絶にして而も実は両眼一抹黒なる江湖術士を見たのみ、噫、真に発笑すべし。我と朱君とは分別して二十年、今年の春に纔かに相見るを得、一たび渴望の情を慰め、またこの書を得、胸中の久しく塞がれる茅塞を抜き去り、快楽何等か無窮ならん。
今朝廷宏啟館舍,勤羅異材,吾知不日大府文章上剡,將有不使君終隱之事,其庶乎以理數之極致,而述其旨趣所歸,以助清時前萬民之利用,又不僅區區趨趨之為而已也。光緒十有九年癸巳冬月長至日,愚弟梅郭田頓首。
今朝廷は広く館舍を開き、勤めて異才を求む、我が料想するに久しからずして、上級衙門の薦挙文書は便ち送り上げられん、必ず朱君をして終に隠居に老せしめざらん。彼の時、彼は大概能く理数の極致造詣を以て、この門の学問旨趣の帰宿を述説して、以てこの清明の世を助けて万民より一歩先んじて利用の道を指し明かし、而してただ区区として個人の趨吉避凶のあの点の事のみに非ざらん。「上剡」とは薦挙文書を呈送し上げるを指す。光緒十九年癸巳冬月冬至のこの日、愚弟梅郭田頓首。
巻首・朱浩文自叙
自敘:奇門曷昉乎?昔黃帝戰蚩尤於涿鹿,兵苦未休,偶夢天神降授符訣,因命風后,爰立遁甲九宮、八卦、八門、三奇、六儀、九星、九神、值符、值使,陰陽順逆,輪飛三盤,以及四時節氣、旬首、符頭、三元定局、交承正授、超神接氣、折局、補局、閏局諸法,演成千八十局,千年萬載同論也。
奇門は何時より始まるか。昔黄帝が涿鹿において蚩尤と交戦し、兵事は久しく拖延して決せず、偶然天神が符訣を降すを夢見、ここにおいて風后に命じて此に依りて遁甲の整套の体例を建立起こさしむ:九宮・八卦・八門・三奇・六儀・九星・九神・値符・値使、陰遁陽遁の順行逆行、天・人・地の三盤の輪転飛布、および四時節気・旬首・符头・三元定局・交承正授・超神接気・折局・補局・閏局等の各種の方法、推演出して一千八十局と為す。この套の体例は千年万載皆同一個の道理を以て講ず、変わらず。
曰:遁甲者何?為甲為天干之首,有君帝之尊,對宮之庚,其性險毒,甲畏之而遁於六儀之下也。曰:九宮、八卦者何?一坎、二坤、三震、四巽、五中、六乾、七兌、八艮、九離也。曰:八門者何?休、死、傷、杜、開、驚、生、景也。
問う:何をか「遁甲」と謂う。答える:甲は十天干の首、君主帝王のごとき尊貴有り。之と相冲する庚金は、性情険毒、甲は庚を畏れ、故に隠遁して六儀の下に蔵身す、これを遁甲と謂う。問う:何をか九宮八卦と為す。答える:一宮坎・二宮坤・三宮震・四宮巽・五宮は中に居り・六宮乾・七宮兌・八宮艮・九宮離。問う:何をか八門と為す。答える:休門・死門・傷門・杜門・開門・驚門・生門・景門。
曰:三奇者何?乙為日奇、丙為月奇、丁為星奇,三光代臨,合制庚金,形成鼎足,甲固苞桑,先王之建萬國、親諸侯,準此義也。曰:六儀者何?戊、己、庚、辛、壬、癸,六甲遁為六儀也。曰:九星者何?蓬、芮、沖、輔、禽、心、柱、任、英也。
問う:何をか三奇と為す。答える:乙は日奇を為し、丙は月奇を為し、丁は星奇を為す、日月星の三光が輪番照臨し、力を合わせて庚金を制伏し、三者鼎足して立ち、甲木をして穏固にして苞桑の根に係るがごとくならしむ。古代の先王が万国を分封し諸侯を親近して以て王室を拱衛せしめたるは、正しくこの理を取ったのである。問う:何をか六儀と為す。答える:戊・己・庚・辛・壬・癸の六つの天干は、六甲が隠遁した後に化したる六儀である。問う:何をか九星と為す。答える:天蓬・天芮・天冲・天輔・天禽・天心・天柱・天任・天英。
曰:九神者何?值符、螣蛇、太陰、六合、陽勾陳、陰白虎、太常、陽朱雀、陰玄武、九地、九天也。曰:值符、值使者何?猶國家之有符節、璽書、職官使命也。符非得使無與奉行,使非得符無所憑據,天地符使原不相離也。曰:陰陽順逆者何?冬至陽遁順行,夏至陰遁逆布也。曰:輪飛三盤者何?上盤象天、中盤象人、下盤像地也。
問う:何をか九神と為す。答える:値符・螣蛇・太陰・六合、第五位は陽遁には勾陳を用い陰遁には白虎を用い、第六位は太常、第七位は陽遁には朱雀を用い陰遁には玄武を用い、さらに九地・九天を加う。問う:何をか値符・値使と謂う。答える:譬えば国家に符節・璽書有り、職官に命を奉じて事を行う有るがごとし。符有りて使無ければ、命令は便ち奉行する人無し。使有りて符無ければ、事を弁ずるに便ち凭據無し。天盤の値符と地盤の値使とは、本より相い分離せず。問う:何をか陰陽順逆と為す。答える:冬至以後は陽遁を用い、九宮は順行す。夏至以後は陰遁を用い、九宮は逆布す。問う:何をか輪飛三盤と為す。答える:上盤は天に象を取り、中盤は人に象を取り、下盤は地に象を取る。
曷言乎四時節氣?冬至、小寒、大寒、立春、雨水、驚蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小滿、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、處暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪二十四節氣也。曷言乎旬首、符頭?每遇六甲為旬首,每逢甲己為符頭也。曷言乎三元定局?每遇甲己符頭,以子午卯酉為上元,寅申巳亥中元,辰戌丑未為下元,每節氣十五日,五日換一元,各有上中下三元也。
所謂四時節気とは、冬至・小寒・大寒・立春・雨水・驚蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪のこの二十四節気を指す。所謂旬首・符头とは:六十甲子の中、毎に甲の字を以て頭と為すあの日に遇えば、すなわち一旬の首である。およそ干が甲あるいは己の日は、すなわち符头である。所謂三元定局とは:毎に甲・己の符头の日に遇えば、その地支に按じて元を分かつ——支が子午卯酉なるは上元に属し、支が寅申巳亥なるは中元に属し、支が辰戌丑未なるは下元に属す。毎の節気は十五天を管し、五天に一元を換え、因而各々上・中・下の三元有り。
曷言乎交承、正授?節氣此日交,符頭此日到也。曷言乎超神?節氣未到,符頭先到,謂之超,超者越過也。曷言乎接氣?節氣先到,符頭未到,借下元之局以接之,謂之接氣也。曷言乎折局?節氣既交,折去上節氣之局也。曷言乎補局?本節氣初交,有借局待交下節氣,仍補足也。曷言乎閏局?補足後餘時,則為閏也。
所謂交承・正授とは:節気が恰もこの日に交換し、符头もまた恰もこの日に到来し、節気と符头とが正しく相対すれば、これを正授と謂う。所謂超神とは:節気はまだ到らざるも、符头が先に到れば、これを「超」と謂い、超とはすなわち越過の意である。所謂接気とは:節気が先に到りて、符头はまだ到らざれば、便ち上一節気の下元の局を借用して以て銜接す、これを接気と謂う。所謂折局とは:節気はすでに交換したれば、便ち上一節気の局を折去して用いず。所謂補局とは:本節気が剛に交し、若し先前に別の局を借用したる有らば、要して下一節気の交接するを待ちてそれを補足す。所謂閏局とは:補足した後に剩余するこれらの時辰を、便ち算して閏局と為す。
曷言乎千八十局?陰陽二遁共十八局,每局各得小局六十也。繼而太公刪為七十二,獨取三奇,每奇得三八念四局也。子房撮為一十八,取陰九、陽九,二遁括之也。下逮武侯、誠意,皆承此一脈淵源用之,以建奇勳而成大業,亦非別詡奇能也。
所謂一千八十局とは:陰遁・陽遁合共十八個の大局、每一大局はまた各々六十個の時辰小局を含み、十八乗六十は正しく一千八十である。後に姜太公は之を刪減して七十二局と為し、ただ乙丙丁の三奇を取りて以て法を立つ、每一奇は三八二十四局を得、三奇合して七十二と為す。張子房はまた収攏して十八局と為し、ただ陰遁九局・陽遁九局を取り、両遁を用いて以て全部内容を概括し入れた。下って諸葛武侯・誠意伯劉基に至るまで、皆是れこの一脉の源流を承接して運用し、之に憑りて奇功を建立し大業を成就し、而して別に何らかの別の奇能を誇耀するに非ず。
浩文自束髮讀書,經史而外,天文、地輿、性命、河洛、太乙、演禽、測量算學,悉心講求,頗信有獲,惟奇門奧窔,每憾茫然。旁搜博訪,苦無所衷。近涉湖海,歷衡湘,遊蘇子熙軍門元春幕,偶得師傳古本,默會冥契,始悟正旨所歸。爰曆數寒暑,仍成茲集三十八卷,顏曰旨歸。
我が朱浩文は束髪就学より以来、経史の外、天文・輿地・性命之学・河図洛書・太乙・演禽および測量算学に対して、皆心を用いて講求し、自ら信ずるに頗る得る所有り。ただ奇門の深奥なる処に於ては、常常一片茫然たるを遺憾と為した。四処に搜求し広く訪問し、折衷して凭信すべき説法を得るに苦しんだ。近年江湖海隅に往来し、衡州・湘中の一帯を走り、提督蘇子熙(名は元春)の幕府に入り、偶然師門相伝の古本を得て、黙黙として体会し暗中に契合し、纔かに正宗旨趣の帰宿を悟出するを得たり。ここにおいて数個の寒暑を経過して、終にこの部三十八巻の集を編成し、題名を『旨帰』と為した。
是集也,天道之變,地道之亨,人物之安危,與夫得失興衷之理、存亡禍福之機,兵家之運籌決勝,人事之趨避吉凶,無不畢具。局內包藏,格中神而明之,皆可前知預決,捷於影響。且一年之時日,以至於千百萬年之時日,理一而已,無不同也,用功不綦溥歟。
この集の裡には、天道の変化・地道の通達・人和物の安危、および得失興衰の道理・存亡禍福の関鍵、兵家の運籌決勝・人事上の趨吉避凶、具備せざる無し。それらは皆一個一個の局の裡に包蔵され、一個一個の格局の中に蔵され、ただ能く神会して明察すれば、皆預知し事先に判定するを得、影の形体に跟い回響の声音に応ずるよりもまた速し。しかも一年之内の時日を論わず、千百萬年以後の時日を論わず、道理はただ一個、同じからざる無し、かくのごとき用功は豈に極めて広博に非ざらんや。
若夫六戊斗罡之術,六甲陰符之妙,風雷從其呼吸、鬼神聽其指揮,必口授符訣,設壇祭煉,而後有成。集內不敢預載,非秘密也,恐涉不經,轉茲誤也。故雖皆昉於黃帝,而於此又不得不視為天府石室之秘文也。時光緒九年癸未月仲春月,興國朱浩文星源氏撰於零陵毅新軍次。
六戊を閉じ、斗を踏み罡を歩むの法術、六甲陰符の奥妙、能く風雷をして呼吸に随って起こらしめ、鬼神をして指揮を聴きて動かしむるに至っては、それらは皆必ず師父の口授する符訣に由り、壇を設けて祭煉し、然る後に乃ち成就する能きなり。集の中には敢て予め載入せず、故に秘を保つに非ず、而して荒誕不經に渉入することを怕れ、反って人を害い事を誤らんことを恐るるなり。故にこれら法術は同じく黄帝に発端すると雖も、此処に到っては不得不之を天府石室の中の軽伝せざる秘文と看作せざるを得ず。光緒九年癸未仲春二月、興国人朱浩文星源氏、零陵毅新軍軍営において撰す。
巻首・凡例
凡例:一、奇門作用,專重時方。時方真正,捷於影響,無不應驗。如吉格在午時、午方,須較定午正,直向午方始為準的。若稍偏差,毫釐千里,禍福不定。
第一条:奇門の用事は、最も看重するは「時」と「方」の両項である。時辰と方位とを取ること準確なれば、応験の速きは影の形に随い回響の声に応ずるに勝り、霊験せざるあらざるなり。譬えば一つの吉格が午時・午方に出現すれば、必ず時刻を午正(正午)に校准し、身体を正しく午方に対して事を行いてこそ、纔かに真に対準したと算す。稍も偏差あれば、すなわち差之毫釐・謬以千里、吉凶禍福は便ち説き定むべからず。
二、奇門定局,節氣符頭最為緊要。蓋三元符頭有定,四時節氣無定,必須先明正受奇訣,而後用超神、接氣、折補、閏局之法以定之,始無差謬。然不知折補、閏局之法,則超接無憑;不知閏局合周天之所以然,則拆補亦謬。經云:千年萬載一同論者,總須先明閏局合周天之所以然,而後可知折補之法;知用折補之法,超接無俟他求矣。俗以芒種、大雪後講置閏,論超接,相隔天壤。
第二条:奇門の定局は、節気と符头のこの両様が最も関緊要である。三元符头の位置は固定するを以て、四時節気交接の時刻は固定せざるを以てなり、必ず先ず「正受」の要訣を明白にし、然る後に再び超神・接気・折局補局・閏局のこれら方法を用いて以て校定せばこそ、乃ち錯誤ならざらん。しかるに折補・閏局の方法を懂らざれば、超神接気は便ち凭據無し。閏局が如何にして周天の数と相合するかを懂らざれば、折補も亦た一様に算錯せん。経文に言う「千年万載、同一個の道理を按じて講ずべし」、総じて先ず閏局と周天相合の原理を明白にせばこそ、然る後に乃ち折補の法を懂るを得ん。折補の法を懂れば、超神接気は便ち別に求めざるに用いず。世俗の人は芒種・大雪の後に至って纔かに置閏を講じ超接を論ず、本書の説く所と相差して天壤に啻ならず。
三、奇門起例,最重九宮。凡三奇、六儀、八門、九星、九神、符使,皆隨其輪布,而天地人三盤格局,亦因之以成。俗以八宮可合八門,而不知九宮寄門之秘,紛哤無主,訛謬實深。四、奇門淵源,自黃帝制為千八十局,相傳愈久愈失其真,其間能用者,惟太公、子房、武侯誠意,的是一脈真傳,故有準驗。集內將干八十局均演布遁起,與太公畱存軍中應驗神符七十二局吻合無遺,一脈源流,顯有可據。
第三条:奇門の起例は、最も看重するは九宮である。およそ三奇・六儀・八門・九星・九神および値符値使は、皆九宮に随って輪転分布し、天・地・人の三盤の格局もまた此に由って成る。世俗はただ八宮が以て八門に配すべきを知るのみ、而して九宮の中の中五宮寄門の秘訣を懂らず、因而説法は雑乱にして主脳無く、訛誤実に深し。第四条:奇門の淵源は、黄帝が一千八十局を制成して以来、流伝する愈々久しきほど其の本真を失う。其の間に真能く之を用好せるは、ただ姜太公・張子房・諸葛武侯と誠意伯劉基のみ、彼らは確かに一脉真伝なり、故に推断準験す。本集は一千八十局を全部推布遁起し、姜太公の遺したる『軍中応験神符経』七十二局と完全吻合し、源流一脉相承して、顕然として據りて査する有り。
五、奇門兵事趨避甚多,凡三勝五不擊之外,又有太歲、月建俱不可擊。旺氣所在,亦宜避之,所謂春不東伐、秋不西征是也。外有亭亭白奸、三門四戶、私門、天馬、天罡方之類,俱須從歲月太陽查算,均有活法,不能預載,用者慎之。
第五条:奇門を兵事に用うるに、趨避を要する項目甚だ多し。「三勝」(値符・九天・生門の三宮)と「五不撃」(値符・値使・九天・九地・生門の五宮)の外、太歳と月建との所在する方位も一概に攻撃すべからず。当令旺気の所在する方位もまた回避すべく、すなわち所謂春は東に向かって征伐せず、秋は西に向かって出兵せずである。此の外また亭亭方と白奸方・天三門と地四戸・私門・天馬方・天罡方の類有り、皆必ず太歳・月将・太陽の所在より推算し、各々事に随って変通する活法有り、予め一々書に載する能わず、使用する人は要して謹慎すべし。
六、奇門最重格局,然有端宜之格,有宜此而不宜彼之格,宜隨事活看,詳審用之,不可拘泥。如龍回首、鳥跌穴吉矣,若逢庚格為值符,斷不可用;龍逃走、雀投江凶矣,為主者不害;虎倡狂、蛇夭矯凶矣,為客者不害。皆有活法,不可一例。
第六条:奇門は最も格局を重んず、然れど格局には一定の适宜有り、亦た此の事に宜しくして彼の事に不宜の有り、当に占む所の事に随って活に看待し、詳審した後に用い、死守して条文を執るべからず。譬えば「青龍回首」「飛鳥跌穴」は本より吉格なれど、若し庚金の構成する凶格に碰上して而して値符がまた彼の処に落ちれば、便ち断然として用いべからず。「青龍逃走」「朱雀投江」は本より凶格なれど、但し「主」を為す一方は其の害を受けず。「白虎猖狂」「螣蛇夭矯」は本より凶格なれど、但し「客」を為す一方は其の害を受けず。これらは皆活法有り、一概に論ずる能わざるなり。
七、奇門出兵動眾,臨敵交鋒,同是此時,全在主客動靜上臨機詳審,變化莫測,吉凶禍福轉移俄傾,皆在掌握,不可不愼。八、九遁之格,雖是皆吉,然亦視其端宜,如龍遁利水戰,風遁利火攻,神遁、鬼遁利埋伏、偷劫,總須因事變通,自然準驗,奇墓刑迫,亦須避忌。九、三詐謂之隱宮,兵家利用埋伏,無人知之,然必得奇門乃驗。
第七条:奇門を出兵動衆・臨陣交鋒に用うるに、同じ是の一個の時辰なれど、成敗は全て主与客・動与静の上に臨機詳察するに在り。変化は預測すべからず、吉凶禍福は頃刻の間に便ち転移し、全て自己の掌握に在り、謹慎せざるべからず。第八条:龍遁・虎遁等の九遁の格は皆吉格に属すると雖も、亦た何の事に用いてこそ合宜なるかを看るを要す:龍遁は水戦に利あり、風遁は火攻に利あり、神遁・鬼遁は埋伏と偸襲劫寨とに利あり、総じて須く事に随って変通し、自然に応験せん。若し三奇入墓・撃刑・門迫に碰上せば、仍お回避忌用すべし。第九条:真詐・重詐・休詐のこの「三詐」はまた隠宮と名づく、兵家は之を用いて埋伏し、別人は察覚するに由無し。不過必ず同時に奇と門とを得て配合してこそ乃ち霊験なり。
十、五假:假其氣以用事則吉,若悖其氣以用之則凶,尤忌墓迫。十一、奇門諸事選擇,最重要衰旺休困。如開門本吉,但其性屬金,如臨土宮金位,及當季夏三秋,所謂得時得地,時之最吉者也;如在春夏而臨於木火,金氣太衰,豈得為吉。八門皆然,三奇亦然。十二、五不遇,凡選擇作用,惟此煞為最凶,雖有門奇,亦不可用。
第十条:天假・地假・人假・鬼假・物假のこの「五假」は、あの一種の気を借りて以て之と相応する事を弁ずるもの、用いること対なれば則ち吉なり。若し其の気性に違背して之を用いれば、則ち凶にして、殊更に入墓と門迫とを忌諱す。第十一条:奇門を用いて各種の事の為に時を擇ぶに、最も要緊なるは衰・旺・休・困である。譬えば開門は本より吉門に属するも、但し它の五行は金に属す、若し土に属する宮或いは金に属する位の上に臨み、また正しく季夏と秋季の三箇月に当たれば、すなわち所謂時を得又た地を得る、是れ最も吉の時である。若し春夏の際に木・火の宮に臨み、金気太りに衰えれば、怎んぞ還た吉と算せんや。八門は皆是の道理、三奇も亦た一様なり。第十二条:時干が日干を克するを「五不遇時」と為す、およそ時を擇びて事を用うるに、この一個の煞は最も凶悪、即ち同時に吉門有り三奇有ると雖も、亦た用いべからざるなり。
十三、奇門陰陽選擇,淺學者但知以會合為上吉,不知陽宅須要宅主生命配合奇門之生旺,陰宅須要山頭化命配合門奇之生旺則吉。若天祿、天德、天貴、天馬、三合、六合之理,皆宜合參,斯為得之。
第十三条:奇門を用いて陽宅・陰宅の為に日を擇び方を擇ぶに、学ぶこと浅き人はただ奇門の会合を以て最も吉と為すを知るのみ、而して知らず:陽宅は要して宅主の本命生年を用いて以て奇門の生旺と配合し、陰宅は要して山頭の坐向と亡者の化命とを用いて以て門・奇の生旺と配合し、かくのごとくしてこそ乃ち吉と算す。此の外、日禄・天徳・天乙貴人・天馬および三合・六合のこれら道理のごときも、亦た皆合わせて参看してこそ、纔かに法を得たと算す。
十四、奇門占事,要分動靜。靜則只查值符、值使、時干、日干,看其生克衰旺如何;動則專看方向,蓋動者,機之先見者也。如聞南方之事則占離位,聞北之事則占坎位,如鴉鳴雀噪,東鳴則看震,此皆不能膠柱鼓瑟、刻舟求劍者也,諸占類此。
第十四条:奇門を用いて事を占うに、要して動と静の両種の情形を分かつ。静に属するは、ただ値符・値使・時干・日干を査し、彼らの彼此の生克と衰旺とが如何なるかを看る。動に属するは、便ち専ら方向を看る、「動」は事機の最も先に顕露する処なるを以てなり。譬えば聞く所は南方の事なれば、便ち離宮を占す。聞く所は北方の事なれば、便ち坎宮を占す。又如烏鴉の叫び、麻雀の噪ぎ、東辺に響けば便ち震宮を看る。これらは皆琴柱に膠ぎて弦を調し、船上に記号を刻みて剣を尋ぬるがごとき死板する能わず、各種の占法は皆この個の道理に照らして之を用いよ。
十五、集內占法已載百十餘種,其有未備者,須參看武侯玄機賦三篇,臨時會意,臨事變通,分定主客,詳看星門、奇儀、神宮三盤,生克、衰旺、休囚,格局吉凶,神而明之,靈機所發,觸處洞然,凡得失興衰之理、存亡禍福之機,無不可前知矣。
第十五条:本集の内にはすでに一百十余種の占法を載せたり、若し備へ到らざるの有らば、便ち『武侯玄機賦』の上中下三篇を参看し、臨時に其の意を体会し、事に遇えば機に随って変通すべし。先ず主客を分定し、再び詳しく九星・八門・三奇六儀・九神と九宮との此の三盤の間の生克・衰旺・休囚、および格局の吉凶を看て、能く心領神会して、靈機一たび発すれば、随処に皆看て透彻するを得、およそ得失興衰の道理・存亡禍福の関鍵は、預知する能わざるあらざるなり。
十六、茲集共成三十八卷,陽遁九局均在十四至二十二卷內,陰遁九局均在二十三至三十一卷內,陰陽二遁共一千零八十時局。其星神、奇儀、門宮上中下三盤格局,均演布遁起,列此十八卷之內。看格取用,又在首二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二、十三,及三十二至三十八等卷。凡欲占天時、人事、戰陣攻取,隨心所動,迎機報時,檢書查閱,不必另起,最為簡易。
第十六条:本集は共に三十八巻に編成す。陽遁九局は皆第十四乃至二十二巻の内に在り、陰遁九局は皆第二十三乃至三十一巻の内に在り、陰陽二遁は合共一千八十個の時局なり。每一時局の九星九神・三奇六儀・八門と九宮上中下の三盤格局は、皆已に推布遁起し、此の十八巻の中に排列せり。如何に格を看るか如何に取用するかに至っては、則ち巻首及び第二・三・四・五・六・七・八・九・十・十一・十二・十三巻、および第三十二乃至三十八巻の裡に講ず。およそ天時・人事・戦陣攻取を占わんと要せば、心一たび動けば、便ち此の時機に迎えて時辰を報出し、書を翻して査閲すれば即ち可なり、別に起局するを必せず、最も簡便なり。
假如冬至後甲子日乙丑時占事,甲為符頭,子為上元,即為冬至上陽一局,檢查第十四卷,陽一局甲己日乙丑時便是。又如夏至後甲子日乙丑日時占事,甲為符頭,子為上元,即為夏至上陰九局,檢查第二十三卷,陰九局甲己日乙丑時便是,餘皆仿此。按符頭節氣三元歌訣查看。
例を挙げて言えば:冬至以後の甲子日乙丑時に事を占うに、日干の甲は即ち符头、日支の子は上元に属し、それは即ち冬至上元陽遁一局、第十四巻を翻して、陽遁一局の裡の「甲己日乙丑時」のあの一条を尋ぬれば即ち是なり。又如夏至以後の甲子日乙丑時に事を占うに、甲は符头を為し、子は上元を為し、それは即ち夏至上元陰遁九局、第二十三巻を翻して、陰遁九局の裡の「甲己日乙丑時」のあの一条を尋ぬれば即ち是なり。其の余は皆この個の弁法に照らして類推せよ。具体的に帰属するは哪一局なるかは、符头・節気・三元の歌訣に按じて対照査看せよ。
十七、茲集書成已久,原不敢率爾問世。方今時事多艱,講求者眾,然或以起例紛繁,茫無所據;或以淵源無本,偽謬不真,每甚苦焉。此集所演千八十局,與太公軍中應驗神符經七十二局及武侯玄機賦上中下三篇俱能脗合,淵源既確,查閱尤便,天事、人事、兵事,屢占亦屢有準驗。故見此書者,如永安蘇子熙軍門、永新劉仙舫太史、湘潭朱卓夫太史、義甯徐稚生觀察,咸謂宜公諸世,不可秘也。予因不揣固陋,率付剞厥,以公同志。
第十七条:この部の書は写り成りて已久しく、本より敢て草率に取り出して世に問わんとせず。今時事は多艱にして、この道を講求する人多し、然れど或るものは起例の頭緒が繁雑なるに因りて、学者は茫然として依拠する無し。或るものは源流に根本無く訛偽失真なるに因りて、人々は常常此を苦悩と為す。本集の推演出せる一千八十局は、姜太公『軍中応験神符経』七十二局および『武侯玄機賦』上中下三篇と皆完全吻合する能く、源流は既に確鑿し、査閲は又た特別に方便なり、以て天時・人事・兵事を占い、屡々占験して亦た屡々準確なり。故にこの書を見たる人は、永安提督蘇子熙・永新翰林劉仙舫・湘潭翰林朱卓夫・義寧道員徐稚生のごとき、皆言うに当に之を世に公にすべし、私に秘蔵すべからずと。我はこれに因って浅陋を揣まず、径ちに印に付し、以て同好と共享せんとするなり。
