周書 酒誥第十二
王若曰:“明大命於妹邦。乃穆考文王肇國在西土。厥誥毖庶邦庶士越少正御事,朝夕曰:‘祀茲酒。惟天降命,肇我民,惟元祀。天降威,我民用大亂喪德,亦罔非酒惟行;越小大邦用喪,亦罔非酒惟辜。’文王誥教小子有正有事:無彝酒。越庶國:飲惟祀,德將無醉。惟曰我民迪小子惟土物愛,厥心臧。聰聽祖考之彝訓,越小大德。
王はこのように言った。「妹邦(衛地)にて大命を彰明せよ。汝の穆考文王は西土にて国家を開創した。彼は謹慎衆邦衆士と少正・治事の人を誥告し、朝夕曰く、『祭祀の時においてのみこの酒を用いよ。天は命を降下し、初めてわが人民を成就す。ただ大祀においてのみ。天は威罰を降下し、わが人民はこれにより大亂して徳を喪失す。これもまた酒の造成する行為にあらざるなし。大小の邦がこれにより喪亡するも、また酒の造成する罪過にあらざるなし』と。文王は子孫と有官有事の人に誥教す。常に酒を飲むなかれ。衆國に至るまで、酒を飲むはただ祭祀においてのみ、徳をもって扶持し、醉うなかれ。ただわが人民が子孫を引導して土産を愛惜せば、彼らの心は善なりと曰う。祖考の常訓と、小徳大徳を聰聽せよ。
小子惟一妹土,嗣爾股肱,純其藝黍稷,奔走事厥考厥長。肇牽車牛,遠服賈用。孝養厥父母,厥父母慶,自洗腆,致用酒。
(王が続けて言うには、)子孫はこの妹土にて專一せよ。繼續して汝らの股肱を為し、專一に黍稷を種植し、奔走して父親と長上に事奉せよ。初めて車牛を牽いて、遠處に至りて買賣を為す。父母を孝養し、父母が歡慶し、自ら豐盛を整治して、こそ酒を用いよ。
庶士有正越庶伯君子,其爾典聽朕教!爾大克羞耇惟君,爾乃飲食醉飽。丕惟曰爾克永觀省,作稽中德,爾尚克羞饋祀。爾乃自介用逸,茲乃允惟王正事之臣。茲亦惟天若元德,永不忘在王家。”
(王が続けて言うには、)庶士・有正と庶伯君子よ、汝らは常にわが教を聽け。汝らは大大に能く老人と君主を進養せば、汝らはこそ飲食醉飽しうる。汝らが能く永遠に觀察省察し、行事を考核して中德に合すればと曰えば、汝らはなお饋祀を進献しうる。汝らは自ら逸樂を限制せば、こそ確かに王の正事の臣なり。これもまた天が大徳に順從し、永遠に王家に忘記せられざらん。」
王曰:“封,我西土棐徂,邦君御事小子尚克用文王教,不腆於酒,故我至於今,克受殷之命。”
王は言った。「封よ、我が西土の輔助以往、邦君・治事の子孫はなお能く文王の教を用いて、酒に豐厚せず。ゆえに我は今に至りて、能く殷の命を接受した。」
王曰:“封,我聞惟曰:‘在昔殷先哲王迪畏天顯小民,經德秉哲。自成湯鹹至於帝乙,成王畏相惟御事,厥棐有恭,不敢自暇自逸,矧曰其敢崇飲?越在外服,侯甸男衛邦伯,越在內服,百僚庶尹惟亞惟服宗工越百姓里居,罔敢湎於酒。不惟不敢,亦不暇,惟助成王德顯越,尹人祗闢。’我聞亦惟曰:‘在今後嗣王,酣,身厥命,罔顯於民祗,保越怨不易。誕惟厥縱,淫泆於非彝,用燕喪威儀,民罔不衋傷心。惟荒腆於酒,不惟自息乃逸,厥心疾很,不克畏死。辜在商邑,越殷國滅,無罹。弗惟德馨香祀,登聞於天;誕惟民怨,庶群自酒,腥聞在上。故天降喪於殷,罔愛於殷,惟逸。天非虐,惟民自速辜。’”王:“封,予不惟若茲多誥。古人有言曰:‘人無於水監,當於民監。’今惟殷墜厥命,我其可不大監撫於時!予惟曰:“汝劼毖殷獻臣、侯、甸、男、衛,矧太史友、內史友、越獻臣百宗工,矧惟爾事服休,服採,矧惟若疇,圻父薄違,農夫若保,宏父定闢,矧汝,剛制於酒。’厥或誥曰:‘群飲。’汝勿佚。盡執拘以歸於周,予其殺。又惟殷之迪諸臣惟工,乃湎於酒,勿庸殺之,姑惟教之。有斯明享,乃不用我教辭,惟我一人弗恤弗蠲,乃事時同於殺。”
王は言った。「封よ、私は聞く、『昔、殷の先哲王は天の顯明と小民を畏懼引導し、徳を經營し明智を持守した。成湯の都より一直に帝乙に至るまで、王業を成就し、輔相と治事の人を敬畏し、彼らの輔助は恭敬あり、敢えて自ら閒暇安逸せず。いわんや敢えて飲酒を崇尚せんや。外服には侯甸男衛の邦伯、内服には百官庶尹・副職・任事の宗工と百姓里居の人、敢えて酒に沉湎する者なし。敢えてせざるのみならず、閒暇もまたなし。ただ王徳の顯揚を助成し、人民を治理し法度を敬慎す』と。私は聞くもまた曰く、『後來の嗣王に至りては、酣飲してその命を自らの事と為し、人民に向かい敬慎を彰明せず、怨に安んじて改めず。大肆して放縱し、非法の中に淫泆し、宴飲をもって威儀を喪失し、人民に痛心せざるなし。ただ荒廢して酒に沉湎し、不但自らその逸樂を停止せず、その心は疾恨狠毒にして、死を怕れること能わず。罪過は商邑に在り、殷国の滅亡に至るまでも、いまだ憂慮なし。徳の馨香なる祭祀が天に上聞するにあらず。ただ人民の怨、衆群が自ら酒を飲み、腥氣が上聞す。ゆえに天は喪亡を殷に降し、殷を愛せず。ただ逸樂のみ。天は暴虐にあらず、ただ人民が自ら罪過を召來す』と。」王は言った。「封よ、私は不但このように多多誥告す。古人に言あり、『人はただ水上にて自らを察看するなかれ、當に人民の身上にて察看すべし』と。今、殷はあの命を坠落した。我はどうして大いに監察し、この時を撫定せざるを得ん。私はただ曰く、汝は謹慎して殷の賢臣・侯・甸・男・衛を告誡し、いわんや太史の僚友・内史の僚友と賢臣百宗工、いわんや汝の執事・服休・服采の人、いわんや汝の同僚、圻父は違命を攻擊し、農夫は順從して民を保護し、宏父は法度を確定し、いわんや汝、剛強に酒を制止せよ。あるいは人ありて報告して曰く、『群れて酒を飲む』と。汝は放縱するなかれ。全部拘捕して周に送り、我は大概殺さん。また殷の引導する諸臣と百工、もし酒に沉湎せば、彼らを殺すを要せず、姑く彼らを教えよ。このような明白の勸勉ありて、なおわが教辭を用いざれば、我が一人は體恤せず寬免せず、あの行事はすなわち殺すべきと相同なり。」
王曰:“封,汝典聽朕毖,勿辯乃司民湎於酒。”
王は言った。「封よ、汝は常にわが謹慎の告誡を聽け。汝の管理する人民をして酒に沉湎せしめるなかれ。」
周書 梓材第十三
王曰:“封,以厥庶民暨厥臣達大家,以厥臣達王惟邦君,汝若恆越曰:我有師師、司徒、司馬、司空、尹、旅。”曰:‘予罔厲殺人。’亦厥君先敬勞,肆徂厥敬勞。肆往,奸宄、殺人、歷人,宥;肆亦見厥君事、戕敗人,宥。
王は言った。「封よ、庶民と臣下を通じて大家に通達し、臣下を通じて王と邦君に通達せよ。汝は常に曰うべし、我に衆官の長・司徒・司馬・司空・尹・旅ありと。曰く、『我は厲虐して人を殺さず』と。またあの君主は先に敬慎慰勞し、ゆえに往きて敬慎慰勞す。以往、内外の奸惡・人を殺す・牽連の人は、寬宥しうる。また君主の事を見て殘害敗壞する人は、寬宥しうる。
王啟監,厥亂為民。曰:‘無胥戕,無胥虐,至於敬寡,至於屬婦,合由以容。’王其效邦君越御事,厥命曷以?‘引養引恬。’自古王若茲,監罔攸闢!惟曰:若稽田,既勤敷菑,惟其陳修,為厥疆畎。若作室家,既勤垣墉,惟其塗塈茨。若作梓材,既勤樸斫,惟其塗丹雘。
(王が続けて言うには、)王は監國を設立し、その治理は民のためなり。曰く、『互いに殘害するなかれ、互いに虐害するなかれ、鰥寡を敬重するに至り、妾婦に至るまで、みな合して包容を加えよ』と。王は邦君と治事の人を考核せんと欲す。その命は何を憑るか。『引きて長くして養い、引きて長くして安んず』と。古より王はみなこのようで、監國に邪僻なし。ただ曰く、田を治するがごとく、すでに勤勞して開墾播種し、なお整治して、田界と溝畎を為す。室家を造るがごとく、すでに勤勞して墻を築き、なお塗泥して茅を蓋う。梓材を作るがごとく、すでに勤勞して毛坯を砍削し、なお朱紅の顏料を塗る。
今王惟曰:先王既勤用明德,懷為夾,庶邦享作,兄弟方來。亦既用明德,後式典集,庶邦丕享。皇天既付中國民越厥疆土於先王,肆王惟德用,和懌先後迷民,用懌先王受命。已!若茲監,惟曰欲至於萬年,惟王子子孫孫永保民。”
(王が続けて言うには、)今、王はただ曰く、先王はすでに勤勞して明徳を用い、招來して夾輔を為し、衆邦は來享し來作し、兄弟の國は一齊に來た。すでに明徳を用い、後來の人は法典を用いて會合し、衆邦は大大に來享す。皇天はすでに中國の人民と疆土を先王に付托した。ゆえに王はただ徳を用い、あの先後迷惑の民を和悅し、もって先王の所受の命を喜悅せしむ。ああ、このように監察して、ただ到達萬年を希望し、ただ王の子々孫々が永遠に人民を保有するを願うのみ。」
周書 召誥第十四
成王在豐,欲宅洛邑,使召公先相宅,作《召誥》。
成王は豐に在り、洛邑に住まんと欲し、召公をして先に居處を相看せしめ、《召誥》を作った。
惟二月既望,越六日乙未,王朝步自周,則至於豐。
二月既望、六日乙未を過ぎ、王は早晨周より步行出發し、ここに豐に至った。
惟太保先周公相宅,越若來三月,惟丙午朏。越三日戊申,太保朝至於洛,卜宅。厥既得卜,則經營。越三日庚戌,太保乃以庶殷攻位於洛汭。越五日甲寅,位成。
太保は周公に先んじて居處を相看し、這の來る三月に至り、丙午新月が出現した。三日戊申を過ぎ、太保は早晨洛に至り、居處を問卜した。すでに卜を得て、すなわち經營を開始した。三日庚戌を過ぎ、太保は衆殷民を用いて洛水の曲がる處に位子を攻治した。五日甲寅を過ぎ、位子は做成した。
若翼日乙卯,周公朝至於洛,則達觀於新邑營。越三日丁巳,用牲於郊,牛二。越翼日戊午,乃社於新邑,牛一,羊一,豕一。
明日乙卯に至り、周公は早晨洛に至り、ここに新邑の經營を遍觀した。三日丁巳を過ぎ、郊にて牲を用い、牛二頭。明日戊午に至り、ここに新邑にて社を祭り、牛一・羊一・豕一。
越七日甲子,周公乃朝用書命庶殷侯甸男邦伯。厥既命殷庶,庶殷丕作。
七日甲子を過ぎ、周公はここに早晨冊書を用いて衆殷の侯・甸・男邦伯に命令した。すでに殷衆に命令し、衆殷は大大に動工した。
太保乃以庶邦冢君出取幣,乃復入錫周公。曰:“拜手稽首,旅王若公誥告庶殷越自乃御事:嗚呼!皇天上帝,改厥元子茲大國殷之命。惟王受命,無疆惟休,亦無疆惟恤。嗚呼!曷其奈何弗敬?天既遐終大邦殷之命,茲殷多先哲王在天,越厥後王后民,茲服厥命。厥終,智藏瘝在。夫知保抱攜持厥婦子,以哀籲天,徂厥亡,出執。嗚呼!天亦哀於四方民,其眷命用懋。王其疾敬德!相古先民有夏,天迪從子保,面稽天若;今時既墜厥命。今相有殷,天迪格保,面稽天若;今時既墜厥命。今沖子嗣,則無遺壽耇,曰其稽我古人之德,矧曰其有能稽謀自天?嗚呼!有王雖小,元子哉。其丕能諴於小民。今休:王不敢後,用顧畏於民碞;王來紹上帝,自服於土中。旦曰:‘其作大邑,其自時配皇天,毖祀於上下,其自時中乂;王厥有成命治民。’今休。
太保はここに衆邦の大君とともに出でて幣を取り、再び入りて周公に賜与した。言った。「跪拜して叩頭し、王と公の誥告を衆殷と汝ら自己の治事人に陳説す。ああ、皇天上帝は、その元子・この大國殷の命を改換した。王は命を接受し、美に疆界なく、憂恤にもまた疆界なし。ああ、どうして敬せざるを得ん。天はすでに大邦殷の命を遠く終結した。この殷に多くの先哲王ありて天に在り。後來の王と後來の民に至りても、なおあの命を服した。終結に至りては、明智の人は隱藏し、病苦の人は位に在り。人々はただ自らの妻子児女を保護抱持するを知り、悲哀して天に呼吁し、走向して逃亡し、捉拿された。ああ、天もまた四方の人民を哀憐す。その眷顧の命はこれにより勉力して改換す。王は速やかに徳を敬すべし。古代の先民有夏を看よ。天は彼らを引導し、兒子のごとく保護し、彼らは面して天の順從を考求した。今すでにあの命を坠落した。今、有殷を看よ。天は引導感通保護し、彼らは面して天の順從を考求した。今すでにあの命を坠落した。今、年輕人は繼嗣す。年高の人を遺棄するなかれ、曰く、わが古人の徳を考求せん。いわんや能く天より考求謀画せんをや。ああ、王は小と雖も、元子なり。大いに能く小民を誠待すべし。今の美は、王は敢えて落後せず、よって人民の口嚴(非議)を顧念畏懼す。王は來て上帝を紹述し、自ら土中にて治理す。旦は曰く、『大邑を作らん。この時より皇天に配享し、上下を謹慎祭祀し、ここより中に居りて治理せん。王に既成の命ありて民を治む』と。今、美なり。
王先服殷御事,比介於我有周御事,節性惟日其邁。王敬作所,不可不敬德。
(召公が続けて言うには、)王は先ず殷の治事人に信服し、彼らに親近し、彼らをしてわが有周の治事人に介せしめ、性情を節制し、一天天に前進せよ。王は敬慎して處所を為し、徳を敬すべからざるなし。
我不可不監於有夏,亦不可不監於有殷。我不敢知曰,有夏服天命,惟有歷年;我不敢知曰,不其延。惟不敬厥德,乃早墜厥命。我不敢知曰,有殷受天命,惟有歷年;我不敢知曰,不其延。惟不敬厥德,乃早墜厥命。今王嗣受厥命,我亦惟茲二國命,嗣若功。
(召公が続けて言うには、)わらは有夏を察看すべからざるなし。また有殷を察看すべからざるなし。私は敢えて言わず、有夏が天命に服事するや、多少年ありや。私は敢えて言わず、あの命が延長せざるや。ただあの徳を敬せざるがため、こそ早々にあの命を坠落した。私は敢えて言わず、有殷が天命を接受するや、多少年ありや。私は敢えて言わず、あの命が延長せざるや。ただあの徳を敬せざるがため、こそ早々にあの命を坠落した。今、王は繼嗣してあの命を接受す。我もまたただこの兩國の命を思念し、あのごとき功を繼承す。
王乃初服。嗚呼!若生子,罔不在厥初生,自貽哲命。今天其命哲,命吉凶,命歷年;知今我初服,宅新邑。肆惟王其疾敬德?王其德之用,祈天永命。
(召公が続けて言うには、)王は初次の服事なり。ああ、子を生むがごとく、あの初生に在らざるなく、自ら明智の命を留遺す。今、天は大概明智を命予し、吉凶を命予し、暦年(所經歷の年数)を命予せん。今、わが初次の服事を知り、新邑に住す。ゆえに王は速やかに徳を敬すべし。王は徳を用い、天の永命を祈求せよ。
其惟王勿以小民淫用非彝,亦敢殄戮用乂民,若有功。其惟王位在德元,小民乃惟刑用於天下,越王顯。上下勤恤,其曰我受天命,丕若有夏曆年,式勿替有殷歷年。欲王以小民受天永命。”
(召公が続けて言うには、)王は小民をもって過度に非法を使用せざるを願い、また敢えて殄滅殺戮をもって人民を治理し、こそ功あらん。王が徳の首要に位せば、小民はこそ法度を天下に用い、王はすなわち顯揚せん。上下は憂恤に勤く、あれこそわが天命を接受し、大大に有夏の暦年のごとく、もって有殷の暦年を廢棄せざらんと言わん。王に願わくは小民をもって天の永命を接受せんことを。」
拜手稽首,曰:“予小臣敢以王之仇民百君子越友民,保受王威命明德。王末有成命,王亦顯。我非敢勤,惟恭奉幣,用供王能祈天永命。”
跪拜して叩頭し、言った。「わが小臣は敢えて王の仇民(殷民)百君子と友民を用い、王の威命明徳を保護接受せん。王は終に既成の命あり、王もまた顯揚せん。私は敢えて勤勞と言わず、ただ恭敬して幣帛を奉上し、もって王が能く天の永命を祈求するに供せん。」
周書 洛誥第十五
召公既相宅,周公往營成周,使來告卜,作《洛誥》。
召公はすでに居處を相看し、周公は往きて成周を營建し、人を遣して卜を報告せしめ、《洛誥》を作った。
周公拜手稽首曰:“朕復子明辟。王如弗敢及天基命定命,予乃胤保大相東土,其基作民明闢。予惟乙卯,朝至於洛師。我卜河朔黎水,我乃卜澗水東,瀍水西,惟洛食;我又卜瀍水東,亦惟洛食。伻來以圖及獻卜。”
周公は跪拜して叩頭し言った。「私は明君の位を汝に交還す。王はなお敢えて天の開始の命・確定の命に趕及せざるがごとし。私はここに太保に繼き大力して東土を相看し、あの基礎はまさに人民の明君を造就せんとす。私は乙卯に、早晨洛師に至った。私は河北の黎水を卜し、私はまた澗水以東・瀍水以西を卜したが、ただ洛地の兆のみ食(吉兆が接受される)なり。私はまた瀍水以東を卜すも、またただ洛地の兆のみ食なり。人を遣して地圖を送り來らせ、併せて卜を獻上せしむ。」
王拜手稽首曰:“公不敢不敬天之休,來相宅,其作周匹,休!公既定宅,伻來,來,視予卜,休恆吉。我二人共貞。公其以予萬億年敬天之休。拜手稽首誨言。”
王は跪拜して叩頭し言った。「公は敢えて天の美賜を敬せず、來て居處を相看す。これは周を作る匹配、美なるかな。公はすでに居處を定下し、人を遣して來らせ、來たり、我に卜を看せしめた。美にして常吉なり。わら二人は共同してこの吉に當たらん。公は我を帶いて万亿年天の美賜を敬せん。跪拜して叩頭し、教誨の言を接受す。」
周公曰:“王,肇稱殷禮,祀於新邑,鹹秩無文。予齊百工,伻從王於周,予惟曰:‘庶有事。’今王即命曰:‘記功,宗以功作元祀。’惟命曰:‘汝受命篤弼,丕視功載,乃汝其悉自教工。’孺子其朋,孺子其朋,其往!無若火始焰焰;厥攸灼敘,弗其絕。厥若彝及撫事如予,惟以在周工往新邑。伻向即有僚,明作有功,惇大成裕,汝永有辭。”
周公は言った。「王よ、初めて殷禮を舉行し、新邑にて祭祀し、みな次序に按って紊亂なし。私は百官を整齊し、彼らをして王に從いて周に至らしめ、私はただ曰く、『大概事あらん』と。今、王はすなわち下令して曰く、『功勞を記錄し、宗人は功勞に按って大祀を舉行せよ』と。また命令して曰く、『汝は命を受けて篤厚輔弼し、功勞の記載を大いに看よ。汝はみな自ら百工を教誨せよ』と。孺子は朋黨を慎すべし、孺子は朋黨を慎すべし。行け。火の初め燃ゆる微微のごとくするなかれ。その燒く所の次序は、それを斷絕せしむるなかれ。汝がもし常法に及び撫治政事して我のごとくあれば、ただ周の百工を用いて新邑に前往せしめよ。彼らをして職に趨就し、勉力して功ある事を為し、厚大して寬裕を成せしめば、汝はすなわち永遠に美辭あらん。」
公曰:“已!汝惟沖子,惟終。汝其敬識百辟享,亦識其有不享。享多儀,儀不及物,惟曰不享。惟不役志於享,凡民惟曰不享,惟事其爽侮。乃惟孺子頒,朕不暇聽。
公は言った。「ああ、汝はただ年輕人なり。終結を想到すべし。汝は敬慎して百君の享献を識別し、またあの享献せざる者を識別せよ。享献は禮儀に多く、禮儀が禮物に趕及せざれば、ただ能く不享と言うのみ。ただ心志を享に用いざれば、およそ人民はただ不享と曰い、政事はすなわち差錯輕慢せん。ここにただ孺子をして頒布せしめ、私は閒暇なし。
朕教汝於棐民,彝汝乃是不,乃時惟不永哉!篤敘乃正父罔不若予,不敢廢乃命。汝往敬哉!茲予其明農哉!彼裕我民,無遠用戾。”
(周公が続けて言うには、)私は汝に人民を輔助するを教え、常法汝がもしこのようにあらざれば、ここに長久せざらん。篤厚に汝の正父(官長)を排定せよ。我に似ざるなし。敢えて汝の命を廢棄せず。汝は往きて敬慎せよ。この時我は大概農事を明示せん。あの寬裕なるわが人民は、再遠もまた來らん。」
王若曰:“公!明保予沖子。公稱丕顯德,以予小子揚文武烈,奉答天命,和恆四方民,居師;惇宗將禮,稱秩元祀,鹹秩無文。惟公德明光於上下,勤施於四方,旁作穆穆,迓衡不迷。文武勤教,予沖子夙夜毖祀。”王曰:“公功棐迪,篤罔不若時。”
王はこのように言った。「公よ、明白に我が年輕人を保護せよ。公はきわめて顯赫の徳を稱揚し、我が小子をして文・武の功業を發揚せしめ、天命に奉答し、四方の人民を和恒し、京師に住す。宗族を厚く待し禮を奉行し、大祀の等次を舉行し、みな次序に按って紊亂なし。公の徳は上下に光明し、勤勞は四方に施行し、普く穆穆を作成し、衡平を迎受して迷惑せず。文・武は教化に勤く、我が年輕人は晝夜謹慎祭祀す。」王は言った。「公の功は輔助引導し、篤厚にしてこのごとくに似ざるなし。」
王曰:“公!予小子其退,即闢於周,命公後。四方迪亂未定,於宗禮亦未克敉,公功迪將,其後監我士師工,誕保文武受民,亂為四輔。”王曰:“公定,予往已。公功肅將祗歡,公無困哉!我惟無斁其康事,公勿替刑,四方其世享。”
王は言った。「公よ、我が小子はまさに退回して周にて君位に即かん。公に命令して後を留めしむ(一説に周公の後嗣を封ず)。四方の引導治理はいまだ安定せず、宗禮に在ってもまたいまだ撫定すること能わず。公の功は引導扶持に在り、此後わが士・師・工を監察し、文・武の所受の民を大保し、治理して四輔を為れ。」王は言った。「公は留まれ、我は行く。公の功は嚴肅に奉行し、敬慎歡洽せよ。公は困頓するなかれ。私はただあの安民の事に厭倦せざるのみ。公は表率を為るを廢棄するなかれ。四方はすなわち世世享有せん。」
周公拜手稽首曰:“王命予來承保乃文祖受命民,越乃光烈考武王弘朕恭。
周公は跪拜して叩頭し言った。「王は我に命令して來て汝の文祖の所受命の民を承保せしめ、また汝の光輝有功の先考武王を承保せしむ。わが恭敬を廣大せん。
孺子來相宅,其大惇典殷獻民,亂為四方新闢,作周恭先。曰其自時中乂,萬邦鹹休,惟王有成績。予旦以多子越御事篤前人成烈,答其師,作周孚先。’考朕昭子刑,乃單文祖德。
(周公が続けて言うには、)孺子は來て居處を相看し、まさに大大に殷の賢民を厚待し、治理して四方の新君を為り、周の恭敬の先導を作らんとす。曰く、ここより中に居りて治理せん。万邦はみな美にして、王はこそ成績あらん。我旦は衆卿大夫および治事の人とともに篤厚に前人の既成の功業を述し、あの民衆に答報し、周の誠信の先導を作らん。わが汝に昭示する法度を成就して、こそ文祖の徳を尽くさん。
伻來毖殷,乃命寧予以秬鬯二卣。曰明禋,拜手稽首休享。予不敢宿,則禋於文王、武王。惠篤敘,無有遘自疾,萬年厭於乃德,殷乃引考。王伻殷乃承敘萬年,其永觀朕子懷德。”
(周公が続けて言うには、)人を遣して殷民を謹慎せしめ、ここに秬鬯二卣をもって我を寧せしめた。明白に禋祭せよと説く。跪拜して叩頭し、美好に獻享す。私は敢えて隔夜に留めず、すなわち文王・武王に禋祭した。惠愛篤厚にして有序あり、自ら疾病に遭遇せず。萬年に汝の徳に滿足し、殷はこそ長久壽考せん。王は殷民をして次序を承受せしめ萬年、永遠にわが兒子を觀て徳を懷念せん。」
戊辰,王在新邑烝,祭歲,文王騂牛一,武王騂牛一。王命作冊逸祝冊,惟告周公其後。
戊辰、王は新邑にて冬祭し、歳祭し、文王は騂牛一頭を用い、武王は騂牛一頭を用いた。王は作冊逸に命令して祝冊を寫らせ、ただ周公の此後の事を禀告した。
王賓殺禋鹹格,王入太室,祼。王命周公後,作冊逸誥,在十有二月。惟周公誕保文武受命,惟七年。
王の賓客は牲を殺し禋祭してみな來至した。王は太室に進入し、祼祭を舉行した。王は周公に命令して後を留めしめ、作冊逸は誥命を發布した。十二月に在り。周公は文・武の所受の命を大保すること、是れ七年なり。
周書 多士第十六
成周既成,遷殷頑民,周公以王命誥,作《多士》。
成周はすでに建成し、殷の頑民を遷徙し、周公は王命を用いて誥告し、《多士》を作った。
惟三月,周公初於新邑洛,用告商王士。
三月、周公は初次に新邑洛に在り、もって商王の士に告諭した。
王若曰:“爾殷遺多士,弗吊旻天,大降喪於殷,我有周佑命,將天明威,致王罰,敕殷命終於帝。肆爾多士!非我小國敢弋殷命。惟天不畀允罔固亂,弼我,我其敢求位?惟帝不畀,惟我下民秉為,惟天明畏。
王はこのように言った。「汝ら殷の遺留の衆士よ。不善の旻天は、大喪を殷に降した。わが有周は天命を佑助し、天の明威を奉行し、王の懲罰を施行し、殷命が帝の處にて終結するを宣告した。ゆえに汝ら衆士よ、我が小國が敢えて殷命を奪取するにあらず。ただ天が誠信罔固の亂者に給えず、我を輔助せば、我はどうして位を求めんや。帝は他人に給えず、ただわが下方人民が作為を持守せば、天の明威は畏るべきなり。
我聞曰:上帝引逸,有夏不適逸;則惟帝降格,向於時夏。弗克庸帝,大淫泆有辭。惟時天罔念聞,厥惟廢元命,降致罰;乃命爾先祖成湯革夏,俊民甸四方。
(王が続けて言うには、)私は聞く、上帝は淫逸を制止し、有夏は逸樂を節制せず。ここに帝は感格を降下し、この時の夏に向いて。帝を用いること能わず、大肆して淫泆してなお振振有辭あり。この時天はもはや思念聽聞せず、ここに大命を廢除し、懲罰を降下した。ここに汝らの先祖成湯に命令して夏を變革せしめ、杰出の民を用いて四方を治理した。
自成湯至於帝乙,罔不明德恤祀。亦惟天丕建,保乂有殷,殷王亦罔敢失帝,罔不配天其澤。
(王が続けて言うには、)成湯より帝乙に至るまで、徳を彰明し祭祀を憂念せざるなし。また天が大大に建立し、有殷を保養治理し、殷王もまた敢えて帝を失わず、天の恩澤に配合せざるなし。
在今後嗣王,誕罔顯於天,矧曰其有聽念於先王勤家?誕淫厥泆,罔顧於天顯民祗,惟時上帝不保,降若茲大喪。惟天不畀不明厥德,凡四方小大邦喪,罔非有辭於罰。”
(王が続けて言うには、)後來の嗣王に至りては、大いに天に顯揚せず。いわんや能く先王の勤勞家国を聽聞思念せんや。大肆して淫泆し、天の顯明と人民の敬を顧みず。この時上帝は保佑せず、このような大喪を降下した。天はあの徳を彰明せざる人に給えず。およそ四方小大邦の喪亡は、言うべき有りてこそ懲罰せられざるなし。」
王若曰:“爾殷多士,今惟我周王丕靈承帝事,有命曰:‘割殷,’告敕於帝。惟我事不貳適,惟爾王家我適。予其曰惟爾洪無度,我不爾動,自乃邑。予亦念天,即於殷大戾,肆不正。”
王はこのように言った。「汝ら殷衆士よ、今、ただ我が周王のみ大大に善美に帝事を承奉し、命ありて曰く、『殷を割除せよ』と。帝に禀告敕正す。わが事に第二の對象なく、ただ汝ら王家のみがわが對象なり。我は大概曰かん、ただ汝らが大に法度なく、我は汝らを驚動せず、これは汝ら自己の邑より發生したと。我もまた天を思念し、殷の大罪戻に就きて、ゆえに常法に按って罪を治めず。」
王曰:“猷!告爾多士,予惟時其遷居西爾,非我一人奉德不康寧,時惟天命。無違,朕不敢有後,無我怨。
王は言った。「謀よ、汝ら衆士に告げん。我はこれにより汝らを遷して西邊に住ましむ。これは我が一人が徳を秉りて不安寧するにあらず、これはただ天命なり。違背するなかれ、我は敢えて滯後あらず、我を怨むるなかれ。
惟爾知,惟殷先人有冊有典,殷革夏命。今爾又曰:‘夏迪簡在王庭,有服在百僚。’予一人惟聽用德,肆予敢求爾於天邑商,予惟率肆矜爾。非予罪,時惟天命。”
(王が続けて言うには、)汝らは知る、殷の先人には冊あり典あり、殷が夏命を變革したを記載す。今、汝らはまた曰く、『夏は引導せられて王庭に選拔せられ、百官に職事あり』と。我が一人はただ有徳の人を聽用す。ゆえに我は敢えて天邑商より汝らを求取す。私はただ寛大して汝らを憐憫す。わが罪にあらず、これはただ天命なり。」
王曰:“多士,昔朕來自奄,予大降爾四國民命。我乃明致天罰,移爾遐逖,比事臣我宗多遜。”
王は言った。「衆士よ、昔、我は奄より歸り、我は大大に汝ら四國人民の命を降下した。我はここに明白に天の懲罰を施行し、汝らを遙遠の地方に移し、親近して事奉し、わが宗族に臣服せしめ、多く遜順たれ。」
王曰:“告爾殷多士,今予惟不爾殺,予惟時命有申。今朕作大邑於茲洛,予惟四方罔攸賓,亦惟爾多士攸服奔走臣我多遜。爾乃尚有爾土,爾用尚寧幹止,爾克敬,天惟畀矜爾;爾不克敬,爾不啻不有爾土,予亦致天之罰於爾躬!今爾惟時宅爾邑,繼爾居;爾厥有幹有年於茲洛。爾小子乃興,從爾遷。”
王は言った。「汝ら殷衆士に告げん。今、私はただ汝らを殺さざるのみ。我がこの時の命は重申する所有り。今、私はこの洛にて大邑を作る。我はこれにより四方に賓客の處所なきがため、またこれにより汝ら衆士に職事ありて奔走し、我に臣服して多く遜順せしむ。汝らはなお汝らの土地を有しうる。汝らはなお所事に安寧しうる。汝らが能く敬せば、天はすなわち汝らに憐憫を給えん。汝らが能く敬せざれば、汝らはただ汝らの土地を有せざるのみならず、我もまた天の懲罰を汝らの身に加えん。今、汝らはまさにこの時汝らの邑に住み、汝らの居處を繼續すべし。汝らはまさにこの洛にて事功あり・年歲あらん。汝らの子孫はこそ興起し、汝らに跟從して遷徙せん。」
王曰:“又曰時予,乃或言爾攸居。”
王は言った。「また曰く、我に順從せよと。我はあるいはなお汝らの居汝らの居處に說及せん。」
