Libo

隠公

战国 · 穀梁赤 · 第1巻 / 13

(此の段は《春秋》「元年、春、王正月」を解す)この年は記すべき事がなくとも、必ず「正月」を書き挙げるのは、始まりを謹み重んじるためである。な…

儒家典籍

初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。

雖無事,必舉正月,謹始也。公何以不言即位?成公志也。焉成之?言君之不取為公也。君之不取為公,何也?將以讓桓也。讓桓正乎?曰:不正。《春秋》成人之美,不成人之惡。隱不正而成之,何也?將以惡桓也。其惡桓,何也?隱將讓而桓弒之,則桓惡矣;桓弒而隱讓,則隱善矣。善則其不正焉,何也?《春秋》貴義而不貴惠,信道而不信邪。孝子揚父之美,不揚父之惡。先君之慾與桓,非正也,邪也;雖然,既勝其邪心以與隱矣。己探先君之邪志,而遂以與桓,則是成父之惡也。兄弟,天倫也。為子受之父,為諸侯受之君。己廢天倫,而忘君父,以行小惠,曰小道也。若隱者,可謂輕千乘之國。蹈道,則未也。

(此の段は《春秋》「元年、春、王正月」を解す)この年は記すべき事がなくとも、必ず「正月」を書き挙げるのは、始まりを謹み重んじるためである。なぜ隠公の「即位」を記さないのか。隠公の志を成し遂げさせるためである。どうしてそれが志を成すことになるのか。隠公自身が国君になろうとは思わなかったことを示すのである。君位を取ろうとしなかったのはなぜか。桓公に譲ろうとしたからである。桓公に譲るのは正しいことか。答えて曰く、正しくない。《春秋》は人の美を成し、人の悪を成さない。隠公が正しくないのにこれを成したのはなぜか。桓公の悪をあらわにするためである。どうして桓公の悪をあらわにするのか。隠公が譲ろうとしたのに桓公がこれを弑したれば、桓公は悪となる。桓公が弑し、隠公が譲らんとしたれば、隠公は善となる。善であるのになぜ正しくないとするのか。《春秋》は義を貴んで恵を貴ばず、道を信じて邪を信じない。孝子は父の美を揚げ、父の悪を揚げない。先君が位を桓に与えんと欲したのは正ではなく邪である。とはいえ、既にその邪心に勝ちて隠に与えたのである。隠公が先君の邪志を探り、遂に桓に与えんとするは、すなわち父の悪を成すことである。兄弟は天倫である。子たる者は父よりこれを受け、諸侯たる者は君よりこれを受ける。己が天倫を廃し君父を忘れて小恵を行うは、小道というのみ。隠のごときは、千乗の国を軽んずるというべきか。道を蹈むには至らざるなり。

及者何?內為志焉爾。儀,字也。父,猶傅也,男子之美稱也。其不言邾子,何也?邾之上古微,未爵命於周也。不日,其盟渝也。眛,地名也。

(此の段は《春秋》「三月、公及び邾儀父、眛に盟す」を解す)「及」とは何か。この事は魯の側から求めて為したことを示す。「儀」はその字である。「父」は「傅」に当たり、男子の美称である。なぜ「邾子」と称さないのか。邾国は上古に地位が微しく、未だ周の天子より爵命を受けていなかったからである。日を記さないのは、この盟が後に毀棄されたからである。眛は地名である。

克者何?能也。何能也?能殺也。何以不言殺?見段之有徒眾也。段,鄭伯弟也。何以知其為弟也?殺世子母弟目君,以其目君,知其為弟也。段,弟也,而弗謂弟;公子也,而弗謂公子

(此の段は《春秋》「夏五月、鄭伯、段を鄢に克つ」を解す)「克」とは何か。「よくす」である。よく何をするか。よく彼を殺すのである。なぜ直に「殺」と書かないのか。段の手下に党与があって、殺すのが容易でなかったことをあらわにするためである。段は鄭伯の弟である。どうして弟と知るのか。およそ太子または同母弟を殺すときは、経文は国君の名分を挙げて記す。ここに「鄭伯」の名分を挙げているゆえ、段がその弟と知れるのである。段は明らかに弟なのに経文は「弟」と称せず、明らかに公子なのに「公子」と称さない――

貶之也。段失子弟之道矣,賤段而甚鄭伯也。何甚乎鄭伯?甚鄭伯之處心積慮,成於殺也。於鄢,遠也,猶曰取之其母之懷中而殺之云爾,甚之也。然則為鄭伯者宜奈何?緩追逸賊,親親之道也。

――これは彼を貶めるのである。段はすでに子たり弟たるの本分を失っているゆえ、経文は段を賤しめ、鄭伯への責めをより重くする。なぜ鄭伯への責めが重いのか。鄭伯が心を積み慮り、弟を殺しうるに至るまで待ったからである。「于鄢」と書くのは、遠くまで追い及んだということで、母の懐より弟を奪い出して殺したに等しいといい、これはこの事を一層重く言うのである。然らば鄭伯たる者はどうすればよかったのか。追うときは歩を緩め、逃げる者を遁れさせるのが、親を親とするの道である。

秋,七月,天王使宰咺來歸惠公、仲子之賵。

秋七月、周の天子は宰咺を遣わして、恵公と仲子の喪に用いる車馬を贈らしめたり。

母以子氏,仲子者何?惠公之母、孝公之妾也。禮,賵人之母則可,賵人之妾則不可。君子以其可辭受之,其志,不及事也。賵者,何也?乘馬曰賵,衣衾曰襚,貝玉曰含,錢財曰賻。

母は子の氏号に随って称せられる。仲子とは何者か。恵公の母にして孝公の妾である。礼によりて、人の母の喪に車馬を贈るは可なり、人の妾の喪に車馬を贈るは不可なり。君子はその通るべき面を取りて物を受けたり。経文がこの条を記すのは、物が届いたとき喪は既に過ぎていたからである。「賵」とは何か。車馬を贈るを賵といい、衣被を贈るを襚といい、珠玉を贈るを含といい、財貨を贈るを賻という。

及者何?內卑者也。宋人,外卑者也。卑者之盟不日。宿,邑名也。

(此の段は《春秋》「九月、宋人と宿に盟す」を解す)「及」とは誰を指すか。魯の側の地位の微しい者を指す。「宋人」は宋の側の地位の微しい者である。微しい者が盟を結ぶとき、経文は日を記さない。宿は地名である。

來者,來朝也,其弗謂朝,何也?寰內諸侯,非有天子之命,不得出會諸侯,不正其外交,故弗與朝也。聘弓鍭矢,不出竟埸。束脩之肉,不行竟中。有至尊者,不貳之也。

(此の段は《春秋》「冬、十有二月、祭伯來る」を解す)「來」は朝見に來たことをいう。なぜ直に「朝」と言わないのか。王畿の内の諸侯は天子の命なくして境外に出で外の諸侯と会することを得ず。経文はこの私の外交を認めざるがゆえ、彼に「朝」の言を与えないのである。聘問の礼に用いる弓矢は国境を出ることを許されず、一束の乾肉のごとき薄礼も畿内に私相往来することを許されない。上に至尊の天子あるがゆえ、臣下は二心あるべからず。

會者,外為主焉爾。知者慮,義者行,仁者守。有此三者,然後可以出會。會戎,危公也。

(此の段は《春秋》「二年春、公、戎と潜に会す」を解す)「会」の字を用うるは、この相会が相手の求めによることを示す。智ある者は謀慮し、義ある者は行い、仁ある者は守る。三つを具えて、然る後に境を出で人と会すべし。隠公が戎と会するに往きしを、経文はかく書きて彼のために危ぶむのである。

入者,內弗受也。極,國也。茍焉以入人為志者,人亦入之矣。不稱氏者,滅同姓,貶也。

(此の段は《春秋》「無駭、師を帥い極に入る」を解す)「入」の字を用うるは、相手が受け入れざるを示す。極は一国なり。もし人が一心に他国の土に入らんことのみを思わば、人もまたその国の土に入らん。経文が無駭の氏を書かざるは、彼が滅ぼしたるが同姓の国なるがゆえ、彼を貶む。

逆女,親者也。使大夫,非正也。以國氏者,為其來交接於我,故君子進之也。

(此の段は《春秋》「九月、紀裂繻、來たりて女を逆ぐ」を解す)新婦を迎うるは、本より夫君自ら行くべきなり。大夫をして來らしむるは正にあらず。経文が国名をその名に冠して「紀裂繻」と称するは、彼が我が魯国と交接するに來れるがゆえ、君子これを一等挙げて重んずるなり。

禮:婦人謂嫁曰歸,反曰來歸。從人者也。婦人在家,制於父;既嫁,制於夫;夫死,從長子。婦人不專行,必有從也。「伯姬歸於紀」,此其如專行之辭,何也?曰:非專行也。吾伯姬歸於紀,故志之也。其不言使,何也?逆之道微,無足道焉爾。

礼によりて、婦人が嫁ぐを「歸」といい、遣られて実家に返るを「來歸」という。彼女は人に従う者なればなり。婦人は未嫁のときは父に命を聴き、嫁して後は夫に聴き、夫死せば長子に従う。婦人は自ら主張せず、常に従うところあり。経文に「伯姬、紀に歸く」と書くは、彼女が自ら主を為すがごとく聞こゆるはなぜか。答えて曰く、自ら主を為すにあらず。我が魯国の伯姬が紀国に嫁ぐゆえ、ここにこの条を記すなり。なぜ紀国の人を遣わして迎娶せしむると書かざるか。この迎親の格が甚だ低く、言うに足らざればなり。

或曰紀子伯,莒子而與之盟,或曰年同爵同,故紀子以伯先也。

(此の段は《春秋》「紀子伯・莒子、密に盟す」を解す)一説に、紀子が諸侯の長たりしゆえ莒子が彼と盟したといい、別の説に、二人の年相同じく爵位相同じきゆえ、紀子は「伯」という長者の名分をもって前に列したるという。

夫人薨,不地。夫人者,隱之妻也。卒而不書葬,夫人之義,從君者也。

(此の段は《春秋》「十有二月乙卯、夫人子氏薨ず」を解す)夫人の死に、経文は地を記さず。この夫人は隠公の妻なり。その死を記して葬を記さざるは、夫人の名分は国君に随うがゆえなり(隠公自ら正の国君とならざりしかば、彼女もまた正の夫人とならざりき)。

言日不言朔。食,晦日也。其「日有食之」,何也?吐者外壤,食者內壤;闕然不見其壤,「有食之」者也。「有」,內辭也,或外辭也。「有食之」者,內於日也。其不言食之者,何也?知其不可知,知也。

(此の段は《春秋》「三年春、王二月己巳、日これを食すあり」を解す)経文は日を記して「朔」を記さず。この日食は晦日、すなわち月の末に起これり。なぜ「日これを食すあり」と書くか。譬えていわば、吐き出したるものは屑を外に落とし、食い入れたるものは屑を内に留む。日の面が一塊欠けたれど、欠けたる部分のどこに落ちたか見えざるゆえ、「ものこれを食えり」と言うなり。「有」という字は、あるときは内について言い、あるときは外について言う。「これを食すあり」と言うは、日面の内について言うなり。なぜ何物かこれを食えりと明言せざるか。この事の知るべからざるを知る、これ正に明なるがゆえなり。

高曰崩,厚曰崩,尊曰崩。天子之崩,以尊也。其崩之,何也?以其在民上,故崩之。其不名,何也?大上,故不名也。

(此の段は《春秋》「三月庚戌、天王崩ず」を解す)高きものの倒るるを「崩」といい、厚きものの壊るるを「崩」といい、尊き人の去世をも「崩」という。天子の去世に「崩」を用うるは、尊貴の一層を取るなり。なぜ「崩」の字を用うるか。彼が万民の上に高居すれば、山の崩るるをもって彼を言うなり。なぜその名を書き出さざるか。彼は至りて尊大にして、尊大にして名を称するに及ばざればなり。

尹氏者,何也?天子之大夫也。外大夫不卒,此何以卒之也?於天子之崩為魯主,故隱而卒之。

(此の段は《春秋》「夏四月辛卯、尹氏卒す」を解す)尹氏とは何者か。周の天子の大夫なり。外国の大夫の死は、《春秋》は例により記さず。ここになぜその死を記すか。天子の去世のとき、彼が魯国のために弔喪の事を主り、魯国これを哀痛せしゆえ、その死を記すなり。

武氏子者,何也?天子之大夫也。天子之大夫,其稱武氏子,何也?未畢喪,孤未爵;未爵使之,非正也。其不言使,何也?無君也。歸死者曰賵,歸生者曰賻。曰歸之者,正也;求之者,非正也。周雖不求,魯不可以不歸;魯雖不歸,周不可以求之。求之為言,得不得,未可知之辭也。交譏之。

(此の段は《春秋》「秋、武氏子、來たりて賻を求む」を解す)武氏子とは何者か。周の天子の大夫なり。天子の大夫たるに、なぜただ「武氏子」と称するか。先王の喪期未だ満たず、嗣王は喪中にありて、未だ臣下に爵を授くるに及ばず。爵を授けずして彼を出使せしむるは正にあらず。なぜ「天王使」と書かざるか。喪期の中は未だ正の君なければなり。死者に送るを「賵」といい、生者に送るを「賻」という。人が自ら送り來るは正道に合し、口を開きて讨うは正道に合せず。周室たとえ來りて讨わずとも、魯国は送らざるべからず。魯国たとえ送らずとも、周室は口を開きて讨うべからず。「求」という字自体に「讨い得るや得ざるや未定なり」の意を帯ぶ。経文は両方を併せて譏刺するなり。

冬,十有二月,齊侯、鄭伯盟於石門。癸未,葬宋繆公。

冬十二月、斉侯と鄭伯、石門に会盟す。癸未の日、宋繆公を葬る。

四年春,王二月,莒人伐杞,取牟婁。傳曰:言伐言取,所惡也。諸侯相伐、取地於是始。故謹而志之也。

四年春、周歴二月、莒国の人杞国を伐ち、牟婁を取る。伝文に曰く、「伐」を書きまた「取」を書くは、憎悪を示すなり。諸侯の互いに攻伐し土地を侵奪するは、この一事より始まる。ゆえに経文はこれを鄭重に記したり。

戊申,衛祝籲弒其君完。大夫弒其君,以國氏者,嫌也。弒而代之也。

戊申の日、衛国の祝吁、その君完を弑す。大夫がその君を弑するに、経文はかえって国名「衛」をその名に冠するは、ここに指し示すべき一層の嫌疑あるがゆえなり――彼が君を弑して後、自らこれに代わりたるなり。

夏,公及宋公遇於清。及者,內為志焉爾。遇者,志相得也。

夏、隠公、宋公と清の地に遇う。「及」の字を用うるは、これが魯の側の主動なるを示す。「遇」の字を用うるは、双方の心意の投合するを示す。

秋,翬帥師會宋公、陳侯、蔡人、衛人伐鄭。翬者,何也?公子翬也。其不稱公子,何也?貶之也。何為貶之也?與於弒公,故貶也。

秋、翬、軍を帥い、宋公・陳侯・蔡国の人・衛国の人に会して鄭国を伐つ。翬とは何者か。公子翬なり。なぜ「公子」と称せざるか。彼を貶むるなり。なぜ貶むるか。彼が隠公を殺す事に与りしゆえ、貶むるなり。

九月,衛人殺祝籲於濮。稱人以殺,殺有罪也。祝籲之挈,失嫌也。其月,謹之也。於濮者,譏失賊也。

九月、衛国の人、濮の地に祝吁を殺す。「某国の人殺す」と書くは、殺されたる者が罪あるを示す。ここに「祝吁」を単に挙げて直にその名を呼ぶは、彼の篡位の嫌疑は既に再び指すを要せざればなり。月を記し出すは鄭重に事を為すなり。濮の地に在りと明らかに書くは、衛国がこの乱賊を外に走らせて後、ようやく捕えたるを譏刺するなり。

冬,十有二月,衛人立晉。衛人者,眾辭也。立者不宜立也。晉之名惡也,其稱人以立之,何也?得眾也,得眾則是賢也。賢則其曰不宜立,何也?《春秋》之義:諸侯與正而不與賢也。

冬十二月、衛国の人、公子晋を立てて君と為す。「衛人」は衆人の言を示すなり。「立」の字を用うるは、この人本より立つべからざるを示す。直に「晋」の名を呼ぶは、是とせざるを示すなり。然りと雖も、なぜまた衆人彼を立てりと言うか。彼が衆人の擁護を得たればなり。衆人の擁護を得るは、彼の賢なるを説明す。賢なるに、なぜまた立つべからずと言うか。《春秋》の義例は、諸侯の継位はただ名分の正を認め、賢不賢を認めざるなり。

五年春,公觀魚於棠。傳曰:常事曰事,非常曰觀。禮:尊不親小事,卑不屍大功。魚,卑者之事也,公觀之,非正也。

五年春、隠公、棠の地に至りて魚捕りを観る。伝文に曰く、例の事は「事」と書き、常規に合せざる事をば「観」と書く。礼によりて、尊貴なる者は自ら小事を管せず、卑下なる者は大功を担わず。魚捕りは卑下の者の為す事にして、隠公自ら往きて観るは正道に合せず。

秋,衛師入郕。入者,內弗受也。郕,國也。將卑師眾曰師。

秋、衛国の軍、郕国に入る。「入」の字を用うるは、相手が受け入れざるを示す。郕は一国なり。兵を帯ぶる将の地位低くして人馬衆多なるをば「師」と称す。

九月,考仲子之宮。考者,何也?考者,成之也,成之為夫人也。禮:庶子為君。為其母築宮,使公子主其祭也。於子祭,於孫止。仲子者,惠公之母,隱孫而修之,非隱也。

九月、仲子の廟落成す。「考」とは何か。「考」はすなわち完成、ここは仲子の名分を夫人と為し成すをいう。礼によりて、庶子が国君たるを為せば、その母のために別に廟を立て、公子にこの祭祀を主らしめ、子の輩に至るまで祭り、孫の輩に至れば止む。仲子は恵公の母にして、隠公は既にその孫輩なるに、なお彼女のために廟を修むるは、隠公の為すべきにあらず。

初獻六羽。初,始也。穀梁子曰:「舞《夏》,天子八佾,諸公六佾,諸侯四佾。初獻六羽,始僭樂矣。」屍子曰:「舞《夏》,自天子至諸侯,皆用八佾。初獻六羽,始厲樂矣。」

初めて六行の羽舞を用う。「初」はすなわち開始なり。穀梁子曰く、「《夏》の舞を踊るに、天子は八佾を用い、公は六佾を用い、諸侯は四佾を用う。魯国の初めて六羽を用うるは、すなわち楽制を僭越するの始めなり」と。尸子曰く、「《夏》の舞を踊るに、天子より諸侯に至るまで皆八佾を用う。魯国の初めて六羽を用うるは、すなわち楽制を削減するの始めなり」と。

冬,十有二月辛巳,公子彄卒。隱不爵命大夫,其曰公子彄,何也?先君之大夫也。

冬十二月辛巳、公子𫸩卒す。隠公は大夫に爵命を授けず、ここに彼を「公子𫸩」と称するはなぜか。彼は先君在世の時既に命を受けたる大夫なればなり。

宋人伐鄭,圍長葛。伐國不言圍邑,此其言圍,何也?久之也。伐不逾時,戰不逐奔,誅不填服。苞人民、毆牛馬,曰侵;斬樹木、壞宮室,曰伐。

宋国の人、鄭国を伐ち、長葛を囲む。一国を攻むるに、経文は例によりその城邑を囲むと書かず。ここに「囲」を書けるはなぜか。囲みの久しきをあらわにせんがためなり。規矩によりて、兵を出すは一季を過ぎず、戦うは逃兵を追わず、討つは既に降服せる者に加えず。百姓を擄掠し牛馬を駆り去るを「侵」といい、樹木を砍伐し房屋を毀壊するを「伐」という。

六年春,鄭人來輸平。輸者,墮也。平之為言,以道成也。來輸平者,不果成也。

六年春、鄭国の人、來りて旧約を毀棄す。「輸」はすなわち毀堕なり。「平」という字は、双方正道によりて和を講ずるをいう。「來輸平」と言うは、この講和はついに成らざりしをいう。

冬,宋人取長葛。外取邑不志,此其志,何也?久之也。

冬、宋国の人、長葛を取る。外国の間に城邑を奪取するは、《春秋》例により記さず。ここに記せるはなぜか。囲みの久しきがゆえなり。

七年春,王三月,叔姬歸於紀。其不言逆,何也?逆之道微,無足道焉爾。

七年春、周歴三月、叔姬、紀国に嫁ぐ。なぜ紀国の來りて親を迎うと書かざるか。この迎親の格が甚だ低く、言うに足らざればなり。

夏,城中丘。城,為保民為之也。民眾城小,則益城。益城無極。凡城之志,皆譏也。

夏、中丘に城を築く。城を築くは百姓を保護せんがために為すなり。百姓多くして城小さければ拡建すべしと雖も、拡建に止境なし。およそ《春秋》が城を築く事を記すは皆譏刺なり。

齊侯使其弟年來聘。諸侯之尊,弟兄不得以屬通。其弟雲者,以其來接於我,舉其貴者也。

斉侯、その弟年を遣わして魯国に聘問せしむ。諸侯は地位尊貴なれば、兄弟の間は親属の名分をもって相称えず。ここに「其弟」と称するは、彼が我が魯国と交接するに來れるがゆえ、その最も尊貴なる身分を挙げて言うなり。

冬,天王使凡伯來聘,戎伐凡伯於楚丘以歸。凡伯者,何也?天子之大夫也。國而曰伐,此一人而曰伐,何也?大天子之命也。戎者,衛也;戎衛者,為其伐天子之使,貶而戎之也。楚丘,衛之邑也。以歸,猶愈乎執也。

冬、周の天子、凡伯を遣わして魯国に聘問せしめ、戎人、楚丘に凡伯を攻撃してこれを擄えて帰りぬ。凡伯とは何者か。天子の大夫なり。「伐」は本より一国に対して用うる字なるに、ここに一人に対しても「伐」を用うるはなぜか。天子の使命を尊大ならしめんがためなり。ここに言う「戎」は実は衛国なり。衛国を戎と称するは、それが天子の使臣を攻撃せしゆえ、これを貶めて戎狄として遇するなり。楚丘は衛国の城邑なり。「以帰」と書くは、「執」と書くよりなお稍勝れり。

八年春,宋公、衛侯遇於垂。不期而會曰遇。遇者,志相得也。

八年春、宋公と衛侯、垂の地に遇う。約なくして相会うを「遇」という。「遇」の字を用うるは、双方の心意の投合するを示す。

三月,鄭伯使宛來歸邴。名宛,所以貶鄭伯,惡與地也。

三月、鄭伯、宛を遣わして邴の地を交還せしむ。直に宛の名を呼ぶは、鄭伯を貶め、彼が私に土地を人に送るを憎むるを示すに用う。

庚寅,我入邴。入者,內弗受也。日入,惡入者也。邴者,鄭伯所受命於天子,而祭泰山之邑也。

庚寅の日、我が魯国、邴の地に入る。「入」の字を用うるは、相手が受け入れざるを示す。日を記し出すは、この入った者を憎むるなり。邴は本より鄭伯が天子より命を受け、泰山の祭の費に供するための城邑なり。

夏,六月己亥,蔡侯考父卒。諸侯日卒,正也。

夏六月己亥、蔡侯考父卒す。諸侯の去世に日を記し出すは、常規に合するなり。

辛亥,宿男卒。宿,微國也。未能同盟,故男卒也。

辛亥、宿男卒す。宿は小国なり。それ未だ人と同盟せざりしかば、ただ「男」の爵称によりてその死を記すなり。

秋,七月庚午,宋公、齊侯、衛侯盟於瓦屋。外盟不日,此其日,何也?諸侯之參盟於是始,故謹而日之也。誥誓不及五帝,盟詛不及三王,交質子不及二伯。

秋七月庚午、宋公・斉侯・衛侯、瓦屋に会盟す。外国の間の盟会は、経文は日を記さず。ここに日を記せるはなぜか。三国の共に盟するはこの一回より始まるがゆえ、鄭重に日を記し出すなり。誥誓をもって人を約束するは五帝の時になく、盟誓の詛咒をもって人を約束するは三王の時になく、互いに人質を交換するは斉桓・晋文の二霸主の前になし。

九月辛卯,公及莒人盟於包來。可言公及人,不可言公及大夫。

九月辛卯、隠公、莒国の人と包來に会盟す。経文は「公某国の人に及ぶ」と書くべく、「公某国の大夫に及ぶ」と書くべからず――国君は別国の大夫と並列しえざればなり。

冬,十有二月,無侅卒。無侅之名,未有聞焉。或曰隱不爵大夫也,或說曰故貶之也。

冬十二月、無侅卒す。直に無侅の名を書くはなぜか、確かなる説を聞かず。一説に隠公が大夫に爵を授けざるといい、別の説に意をもって彼を貶むという。

九年春,天王使南季來聘。南,氏姓也。季,字也。聘,問也。聘諸侯,非正也。

九年春、周の天子、南季を遣わして魯国に聘問せしむ。「南」はその氏にして、「季」はその字なり。「聘」はすなわち問候なり。天子が人をして諸侯に聘問せしむるは正にあらず。

三月癸酉,大雨,震電。震,雷也。電,霆也。

三月癸酉、大雨降り、また雷霆し電光す。「震」はすなわち雷、「電」はすなわち霹靂なり。

庚辰,大雨雪。志疏數也。八日之間,再有大變,陰陽錯行,故謹而日之也。雨月,志正也。

庚辰、大雪降る。この条を記すは二度の天変の相隔たる疏密をあらわにせんがためなり。八日の内に相続いで二度の大きな変異あらわれ、陰陽の運行錯乱せしかば、鄭重に日を記し出すなり。雨に至ってはただ月を記すは、常例に合する書き方なり。

俠卒。俠者,所俠也。弗大夫者,隱不爵大夫也。隱之不爵大夫,何也?曰:不成為君也。

侠卒す。この「侠」は、すなわちあの侠という名の人なり。彼を大夫と称せざるは、隠公が大夫に爵を授けざればなり。隠公なぜ大夫に爵を授けざるか。答えて曰く、彼自ら正の国君と為さざればなり。

六月壬戌,公敗宋師於菅。內不言戰,舉其大者也。

六月壬戌、隠公、菅の地に宋国の軍を敗る。およそ魯国自らの战事は、経文は「戦」と書かず、分量のより重き一面を挙げて書く。

辛未取郜,辛巳取防。取邑不日,此其日,何也?不正其乘敗人而深為利,取二邑,故謹而日之也。

辛未の日郜邑を取り、辛巳の日防邑を取る。城邑を奪取するは本より日を記さず、ここに記せるはなぜか。彼が人を敗るに乗じて大いに利を捞い、一連に二つの城邑を拿下したるに満たざるゆえ、鄭重に日を記し出すなり。

宋人、蔡人、衛人伐載,鄭伯伐取之。不正其因人之力而易取之,故主其事也。

宋国の人・蔡国の人・衛国の人、載国を攻め、鄭伯これに随いて兵を出してこれを拿下せり。経文は彼が人の力を借りて軽々しく手に入れたるに満たざるゆえ、この事の主責を彼の身に帰すなり。

冬,十月壬午,齊人、鄭人入郕。入者,內弗受也。日入,惡入者也。郕,國也。

冬十月壬午、斉国の人・鄭国の人、郕国に攻入る。「入」の字を用うるは、相手が受け入れざるを示す。日を記し出すは、これら入った者どもを憎むるなり。郕は一国なり。

十有一年春,滕侯、薛侯來朝。天子無事,諸侯相朝,正也。考禮修德,所以尊天子也。諸侯來朝,時正也。特言,同時也。累數,皆至也。

十一年春、滕侯・薛侯、魯国に來り朝見す。天子に征伐の事なきとき、諸侯の互いに朝見するは正道に合す。彼此礼儀を考校し德行を砥礪するは、正に天子を尊崇するに用うるなり。諸侯の來朝は季によりて記すは常例に合す。一人一人分かちて言うは、彼らの同時に至りしを示す。連ねて数え下すは、彼らの皆到りたるを示す。

冬,十有一月壬辰,公薨。公薨不地,故也。隱之,不忍地也。其不言葬,何也?君弒賊不討,不書葬,以罪下也。隱十年無正,隱不自正也;元年有正,所以正隱也。

冬十一月壬辰、隠公卒す。国君の去世は本より地を記すべきに、ここに記さざるは、彼の死に変故あるがゆえなり。彼を哀憐して、彼のどこに死せしかを書き出すに忍びず。なぜ安葬を記さざるか。国君弑されて凶手討たれざれば、経文は葬礼を記さず、もって臣下に罪を帰するなり。隠公在位十年皆「正月」を書かざるは、隠公自ら名分を正さざりしかばなり。ただ元年のみ「正月」を書けり、これは隠公のために名分を正さんとするなり。

(闕文)

(闕文)

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