閔公
夏,六月,公會王人、晉人、宋人、齊人、陳人、蔡人、秦人,盟於翟泉。
夏六月、僖公、周王室の人・晋人・宋人・齊人・陳人・蔡人・秦人に會し、翟泉に盟す。
秋,衛殺其大夫元咺。稱國以殺,罪累上也,以是為訟君也。衛侯在外,其以累上之辭言之,何也?待其殺而後入也。
秋、衛、その大夫元咺を殺す。國を稱して殺を記するは、罪を上の者に累せしむるなり。この事を彼が國君と爭訟するに見做す。衛侯なほ外に在るに、上に累する辭を以て言うは何ぞや。彼元咺の殺されしを俟ちて後入れたればなり。
冬,天王使宰周公來聘。天子之宰,通於四海。
冬、周天子、宰周公をして來聘せしむ。天子の太宰は、政令四海に通ず。
公子遂如京師。遂如晉。以尊遂乎卑,此言不敢叛京師也。
公子遂、京師に往き、次いで晋に往く。尊處より卑處に次ぎて事を辦ず。これ京師を背叛せざる敢えなきを言うなり。
夏,四月,四卜郊。不從,乃免牲,猶三望。「夏,四月」,不時也。四卜,非禮也。免牲者,為之緇衣燻裳。有司玄端奉送,至於南郊。免牛亦然。乃者,亡乎人之辭也。猶者,可以已之辭也。
夏四月、郊祭を四卜す。從わず。すなわち犧牲を免じて、なほ望祭を三たび行う。「夏、四月」と書くは、時令に合せず。四卜するは、禮に合せず。謂うところの免牲は、彼に玄の上衣・纁の下裳を着せ、有司玄端を服して恭く送り、南郊に至る。免牛もまたかくのごとし。「乃」は人の意願に在らざるを言うの辭なり。「猶」は止むべきにしてなほ爲すを言うの辭なり。
冬,杞伯姬來求婦。婦人既嫁,不逾竟。杞伯姬來求婦,非正也。
冬、杞伯姬、婦を求め娶りに來る。婦人嫁して後、再び國境を出ずべからず。杞伯姬の婦を求め娶りに來る、正の道に合せず。
三十有三年春,王二月,秦人入滑。滑,國也。
三十三年春、王二月、秦人、滑に入る。滑は一國なり。
夏,四月辛巳,晉人及姜戎敗秦師於殽。不言戰而言敗,何也?狄秦也。其狄之,何也?秦越千里之險,入虛國,進不能守,退敗其師徒,亂人子女之教,無男女之別。秦之為狄,自殽之戰始也。秦伯將襲鄭,百里子與蹇叔子諫曰:「千里而襲人,未有不亡者也。」秦伯曰:「子之冢木已拱矣,何知!」師行。百里子與蹇叔子送其子而戒之曰:「女死,必於殽之巖唫之下。我將屍女於是。」師行,百里子與蹇叔子隨其子而哭之。秦伯怒曰:「何為哭吾師也?」二子曰:「非敢哭師也,哭吾子也。我老矣!彼不死,則我死矣!」晉人與姜戎要而擊之殽,匹馬倚輪無反者。晉人者,晉子也,其曰人,何也?微之也。何為微之?不正其釋殯,而主乎戰也。
夏四月辛巳、晋人・姜戎、殽に秦師を敗る。「戰」と書かずして「敗」と書くは何ぞや。秦を狄人と爲せばなり。何を以て狄人と爲すか。秦、千里の險阻を越えて、虛の國に入り、進んでは守る能わず、退けば部下をして戰に敗れしめ、人の子女の敎養を亂りて、男女の分別なし。秦の狄と爲さるるは、殽の戰いより始まる。秦伯、鄭を襲わんと將にす。百里子・蹇叔子、諫めて曰く、「千里を走りて人を襲うに、亡びざるはなし」と。秦伯曰く、「爾らの壟上の木、すでに拱抱すべし。何を知らんや」と。軍隊出發す。百里子・蹇叔子、その子を送りて誡めて曰く、「爾ら若し死せば、必ず殽の岩下に死せん。われあそこに於いて爾らの尸を收めん」と。軍隊行き去り、百里子・蹇叔子、その子に從いて哭く。秦伯怒りて曰く、「何を以てわが軍隊を哭するか」と。二人曰く、「敢えて軍隊を哭せず。われらの子を哭するなり。われら老いたり!彼ら死せざれば、すなわちわれら死せり」と。晋人・姜戎、殽に邀擊し、一隻の馬・一隻の輪も歸る者なし。謂うところの「晋人」は、實は晋子なり。經文「人」と稱するは何ぞや。彼を低微に書くなり。何を以て低微に書くか。彼が殯事を放下して戰事を主要と爲せるを滿とせざるなり。
隕霜不殺草。未可殺而殺,舉重也。可殺而不殺,舉輕也。
霜降りて草を凍死せず。いまだ凍死すべからざるに凍死せば、分量重きを擧げて言う。凍死すべきにして凍死せざれば、分量輕きを擧げて言う。
(闕文)
(闕文)
文公
元年春,王正月,公即位。繼正即位,正也。
元年春、王正月、文公卽位す。正に卒したる君の後に接ぎて卽位するは、正例なり。
天王使叔服來會葬。葬曰會,其志重天子之禮也。
周天子、叔服をして葬に會せしむ。葬に「會」と書きてこの事を記するは、天子の禮を重んずるなり。
夏,四月丁巳,葬我君僖公。薨稱公,舉上也。葬我君,接上下也。僖公葬而後舉諡,諡所以成德也。於卒事乎加之矣!
夏四月丁巳、我が君僖公を葬る。卒を「公」と稱するは、彼が上位の名分を擧げて言うなり。「葬我君」と書くは、上下皆接ぐるなり。僖公葬りて後、諡號を標出す。諡は彼が一生の名德を成すに用ゐ、喪事辦じ畢るを俟ちて加上す。
天王使毛伯來錫公命。禮,有受命,無來錫命。錫命,非正也。
周天子、毛伯をして文公に命服を賜はらしむ。禮に拠れば、ただ自ら往きて任命を受くる有りて、天子の上門して賜命するを聽かず。賜命、正の道に合せず。
冬,十月丁未,楚世子商臣弒其君髡。日髡之卒,所以謹商臣之弒也。夷狄不言正不正。
冬十月丁未、楚の太子商臣、その君髡を殺す。髡の死の日を記すは、商臣の君を弑するを鄭重に對するがためなり。夷狄に對しては、正と不正を談ぜず。
二年春,王二月甲子,晉侯及秦師戰於彭衙。秦師敗績。
二年春、王二月甲子、晋侯、秦師と彭衙に戰い、秦師敗績す。
丁丑,作僖公主。作,為也,為僖公主也。立主,喪主於虞。吉主於練,作僖公主,譏其後也。作主壞廟,有時日於練焉!壞廟,壞廟之道,易簷可也,改塗可也。
丁丑、僖公の神主を作す。「作」は爲すなり。僖公のために神主を爲すなり。神主を立つるや、喪の主は虞祭に立て、吉の主は練祭に立つ。この時に始めて僖公の神主を作するは、爲すこと遲きを譏刺するなり。神主を作し舊廟を遷毀するは、練祭に定期有り。舊廟を遷毀するの法、屋檐を換ふるは可なり、涂飾を改むるも可なり。
三月乙巳,及晉處父盟。不言公,處父伉也,為公諱也。何以知其與公盟?以其日也。何以不言公之如晉?所恥也。出不書,反不致也。
三月乙巳、晋の處父と盟す。「公」を書かざるは、處父、國君に匹敵するの架子を擺ければ、また文公のために隱諱するなり。如何にして國君と盟せしと知るや。日を記し出だせばなり。何を以て文公の晋に往けるを書かざるか。これを恥と爲せばなり。出づるを記さず、歸るも歸國を書かず。
夏,六月,公孫敖會宋公、陳侯、鄭伯、晉士谷,盟於垂斂。內大夫可以會外諸侯。
夏六月、公孫敖、宋公・陳侯・鄭伯・晋の士穀に會し、垂斂に盟す。魯の大夫、外の諸侯と會すを得るなり。
自十有二月不雨,至於秋七月。歷時而言不雨,文不憂雨也。不憂雨者,無志乎民也。
十二月より雨降らざること、秋七月に至る。幾季節を經て「不雨」を書くは、文公、雨なきを愁えざればなり。雨なきを愁えざれば、すなわち心に百姓を惦記せざるなり。
八月丁卯,大事於太廟,躋僖公。大事者何?大是事也,著祫嘗。祫祭者,毀廟之主。陳於太祖,未毀廟之主,皆升合祭於太祖。躋,升也,先親而後祖也,逆祀也。逆祀,則是無昭穆也。無昭穆,則是無祖也。無祖,則無天也。故曰:文無天。無天者,是無天而行也。君子不以親親害尊尊,此《春秋》之義也。
八月丁卯、太廟に大事を行い、僖公の神主を躋げ升る。「大事」は何ぞや。この事を大に書きて、合祭の祫嘗なるを點明す。祫祭は、すでに遷毀せし廟主を太祖廟に陳べ、いまだ遷毀せざる廟主も皆升りて、太祖に於いて合祭す。「躋」はすなわち升るなり。父を祖父の前に排するは、顚倒の祭祀なり。祭祀を顚倒すれば、すなわち昭穆なし。昭穆なければ、すなわち祖先なし。祖先なければ、すなわち天なし。ゆえに曰く、文公は天なし。天なきは、天なくしてなほ事を行うなり。君子、親親を以て尊尊を傷つけず。これ『春秋』の義なり。
三年春,王正月,叔孫得臣會晉人、宋人、陳人、衛人、鄭人伐沈。沈潰。
三年春、王正月、叔孫得臣、晋人・宋人・陳人・衛人・鄭人に會して沈を伐つ。沈國潰散す。
夏,五月,王子虎卒。叔服也,此不卒者也,何以卒之?以其來會葬,我卒之也。或曰以其嘗執重以守也。
夏五月、王子虎卒す。彼はすなわち叔服なり。これ本より卒を記すべからざる人なり。何を以て記すか。彼來りて葬に與りしがゆえに、魯、彼の死を記す。一説曰く、彼かつて重任を負い、王室に留守せしがためなりと。
雨螽於宋。外災不志,此何以志也?曰:災甚也。其甚奈何?茅茨盡矣!著於上,見於下,謂之雨。
螽、雨のごとく宋に落つ。外國の災害は、經文例により記さず。ここに記すは何ぞや。答えて曰く、災甚だ重し。重きこと何の地步に至るか。茅屋の頂をも食らい盡くす!先ず天上に顯れ、後に地下に落つるを見るを、「雨」と曰う。
晉陽處父帥師伐楚,救江。此伐楚,其言救江,何也?江遠楚近,伐楚所以救江也。
晋の陽處父、師を率いて楚を伐ち、江を救う。これ楚を伐つなり。何を以て江を救うと言うか。江國遠く、楚國近し。楚を伐つは、正に以て江を救うなり。
夏,逆婦姜於齊。其曰婦姜,為其禮成乎齊也。其逆者誰也?親逆而稱婦。或者公與,何其速婦之也?曰:公也。其不言公,何也?非成禮於齊也。曰婦,有姑之辭也;其不言氏,何也?貶之也。何為貶之也?夫人與有貶也。
夏、齊に往きて婦姜を逆え娶る。「婦姜」と稱するは、婚禮齊に於いて成れればなり。往きて逆うるは誰ぞ。自ら親迎すれども「婦」と稱す。國君なるか、何を以てかくも速やかに彼女を以て婦と爲すや。答えて曰く、國君なり。何を以て「公」を書かざるか。齊に於いて禮を成せしにあらざればなり。「婦」と稱するは、姑有るの辭なり。氏を書かざるは何ぞや。彼女を貶すなり。何を以て彼女を貶すか。夫人も併せて貶さる。
五年春,王正月,王使榮叔歸含且賵。含,一事也;賵,一事也;兼歸之,非正也。其曰且,志兼也。其不言來,不周事之用也。賵以早,而含己晚。
五年春、王正月、周天子、榮叔をして含玉を歸せしめ、併せて賵を歸せしむ。「含」は一事、「賵」は一事、合併して歸すは、正の道に合せず。「且」の字を用うるは、合併の事を記するなり。「來」を書かざるは、物派用に趕わざればなり。賵の來ること早く、含の來ることすでに遲し。
晉殺其大夫陽處父。稱國以殺,罪累上也。襄公已葬,其以累上之辭言之,何也?君漏言也。上洩則下暗,下暗則上聾。且暗且聾,無以相通,夜姑殺者也。夜姑之殺奈何?曰:晉將與狄戰,使狐夜姑為將軍,趙盾佐之,陽處父曰:「不可!古者君之使臣也,使仁者佐賢者,不使賢者佐仁者。今趙盾賢,夜姑仁,其不可乎?」襄公曰:「諾。」謂夜姑曰:「吾始使盾佐女。今女佐盾矣!」夜姑曰:「敬諾。」襄公死,處父主竟上事,夜姑使人殺之。君漏言也,故士造闢而言,詭辭而出,曰:「用我則可,不用我則無亂其德。」
晋、その大夫陽處父を殺す。國を稱して殺を記するは、罪を上の者に累せしむるなり。襄公すでに葬られたるに、なほ上に累する辭を以て言うは何ぞや。國君、話を漏洩せしがためなり。上漏洩すれば、下閉口す。下閉口すれば、上卽聾子と成る。又閉口し又耳聾すれば、相通ずるの法なし。彼を殺せしは夜姑なり。夜姑如何にして彼を殺せしか。答えて曰く、晋、狄と戰わんと將にして、狐夜姑を將軍と爲し、趙盾、彼を輔佐せしむ。陽處父曰く、「不可なり!古、國君臣下を使用するや、仁者をして賢者を輔佐せしめ、賢者をして仁者を輔佐せしめず。今趙盾賢にして、夜姑仁なり。かくのごとくは恐らく不可ならん」と。襄公曰く、「善し」と。夜姑に曰く、「われ初め盾をして汝を輔佐せしめんとせしが、今改めて汝をして盾を輔佐せしむ」と。夜姑曰く、「敬して命に從う」と。襄公死して後、處父、邊境の事を主り、夜姑、人をして彼を殺せしむ。これすなわち國君、話を漏洩せしなり。ゆえに士人、國君に近づきて言うに、出づれば含糊の辭に改めて曰く、「わが言を用ゐれば可なり。わが言を用ゐずとも、わが操守を攪亂するなかれ」と。
閏月不告月,猶朝於廟。不告月者,何也?不告朔也。不告朔,則何為不言朔也?閏月者,附月之餘日也,積分而成於月者也。天子不以告朔,而喪事不數也。猶之為言,可以已也。
閏月、告月を行わずして、なほ廟に朝す。不告月は何の謂いか。すなわち不告朔なり。不告朔、何を以て直に「朔」を書かざるか。閏月は、月に附する餘りの日にして、一點一點積みて始めて一月を成す。天子、閏月を以て告朔せず、喪事を辦ずるも閏月を算え入れず。「猶」の字は、止むべきにしてなほ爲すを言うなり。
七年春,公伐邾。三月甲戌,取須句。取邑不日,此其日,何也?不正其再取,故謹而日之也。
七年春、文公、邾を伐つ。三月甲戌、須句を取る。城邑を取るに本より日を記さず。ここに記すは何ぞや。彼の再び取るを滿とせず、故に鄭重に日を記す。
晉先蔑奔秦。不言出,在外也。輟戰而奔秦,以是為逃軍也。
晋の先蔑、秦に奔す。「出」を書かざるは、彼すでに外に在ればなり。戰いを停めて秦に奔る。これを逃軍と見做す。
秋,八月,公會諸侯、晉大夫,盟於扈。其曰諸侯,略之也。
秋八月、文公、諸侯・晋の大夫に會し、扈に盟す。「諸侯」と稱するは、彼らを簡略に書くなり。
公孫敖如莒蒞盟。蒞,位也。其曰位,何也?前定也。其不日,前定之盟不日也。
公孫敖、莒に往きて盟に莅む。「莅」はすなわち位に就くなり。何を以て位に就くと言うか。事先に約し定めたればなり。日を記さず。事先に約し定めたる盟は日を記さず。
冬,十月壬午,公子遂會晉趙盾,盟于衡雍。乙酉,公子遂會雒戎,盟於暴。
冬十月壬午、公子遂、晋の趙盾に會見し、衡雍に盟す。乙酉、公子遂、雒戎に會見し、暴に盟す。
公孫敖如京師。不至而復,丙戌,奔莒。不言所至,未如也。未如則未復也。未如而曰如,不廢君命也。未復而曰復,不專君命也。其如非如也,其復非復也。唯奔莒之為信,故謹而日之也。
公孫敖、京師に如く、至らずして復り、丙戌、莒に逃亡す。何處に至れりを書かざるは、彼實に往かざればなり。實に往かざれば、すなわち實に歸ることもなし。實に往かざるに「如」を書くは、國君の命を廢せざるなり。實に歸らざるに「復」を書くは、國君の命を以て自ら作主すべきと爲さざるなり。彼の「如」は真如にあらず、彼の「復」は真復にあらず。ただ莒に逃亡せるのみ確實なり。ゆえに鄭重に日を記す。
宋人殺其大夫司馬。司馬,官也。其以官稱,無君之辭也。
宋人、彼らの大夫司馬を殺す。司馬は官名なり。官名を以て稱呼するは、國君なきの辭なり。
宋司城來奔。司城,官也。其以官稱,無君之辭也。來奔者不言出,舉其接我也。
宋の司城、來奔す。司城は官名なり。官名を以て稱呼するは、國君なきの辭なり。來奔するに「出」を書かざるは、彼がわが魯と交接するの面を擧げて言うなり。
九年春,毛伯來求金。求車猶可,求金甚矣。
九年春、毛伯、金錢を求めに來る。車子を要るは猶ほ罷る。金錢を要るは太だ過ぎたり。
二月,叔孫得臣如京師。京,大也;師,眾也。言周,必以眾與大言之也。
二月、叔孫得臣、京師に往く。「京」は大なり、「師」は人衆なり。周を說くに、必ず人衆と高大を以て之を稱呼す。
辛丑,葬襄王。天子志崩不志葬,舉天下而葬一人,其道不疑也。志葬,危不得葬也。日之,甚矣!其不葬之辭也。
辛丑、襄王を葬る。天子は「崩」を記して葬禮を記さず。全天下この一人を葬るのみ、可疑の處なし。葬禮を記するは、時に按じて葬を報ずる能わざるを擔憂するなり。日を記すは、更に甚し。これ葬らざるに近きの辭なり。
三月,夫人姜氏至自齊。卑以尊致,病文公也。
三月、夫人姜氏、齊より至る。卑者を尊者歸國の寫法に按じて記するは、文公を責むるなり。
晉人殺其大夫士縠,及箕鄭父。稱人以殺,誅有罪也,鄭父累也。
晋人、彼らの大夫士縠と箕鄭父とを殺す。「某國人殺」と書くは、誅殺せるは罪有る人なるを表す。鄭父は牽連せられたるなり。
九月癸酉,地震。震,動也。地,不震者也;震,故謹而日之也。
九月癸酉、地震す。「震」はすなわち動なり。地は本より震うべからざるなり。震いたれば、故に鄭重に日を記す。
冬,楚子使萩來聘。楚無大夫,其曰萩,何也?以其來我,褒之也。
冬、楚子、萩をして來聘せしむ。楚國に命大夫なし。ここに「萩」と稱するは何ぞや。彼來りてわが魯と交接すれば、故に彼を褒獎す。
秦人來歸僖公、成風之襚。秦人弗夫人也,即外之弗夫人而見正焉。
秦人、僖公・成風の喪事に用ふべき衣被を贈りに來る。秦人、成風を以て夫人と爲さず。外の彼女を夫人と承認せざるに藉りて、正の道を顯出す。
自正月不雨,至於秋七月。歷時而言不雨,文不閔雨也。不閔雨者,無志乎民也。
正月より雨降らざること、秋七月に至る。幾季節を經て「不雨」を書くは、文公、雨なきを哀れまざればなり。雨なきを哀れまざれば、すなわち心に百姓を惦記せざるなり。
冬,十月甲午,叔孫得臣敗狄於鹹。不言帥師而言敗,何也?直敗,一人之辭也。一人而曰敗,何也?以眾焉言之也。傳曰:長狄也。兄弟三人,佚宕中國,瓦石不能害。叔孫得臣,最善射者也。射其目,身橫九畝,斷其首而載之,眉見於軾。然則何為不言獲也?曰:古者不重創,不禽二毛,故不言獲,為內諱也。其之齊者,王子成父殺之,則未知其之晉者也。
冬十月甲午、叔孫得臣、咸に狄人を敗る。師を率ゐるを書かずして「敗」を書くは何ぞや。これ一人の身にて敗りたるの辭なり。一人、何を以てもまた「敗」と稱するや。彼方の人衆に就きて言うがためなり。傳文曰く、これ長狄なり。兄弟三人、中原に放縱し、瓦石も彼らを傷害する能わず。叔孫得臣は最も射を善くする者なり。彼の目を射中て、身橫たわること九畝の長さ有り。頭を斫りて車に裝せば、眉毛なほ車軾の上に露出す。然らば何を以て「獲」を書かざるか。答えて曰く、古、傷口に再び一創を加えず、頭髮花白の人を擒拿せず。ゆえに「獲」を書かず。また魯のために隱諱するなり。あの齊に往きし者は、王子成父に殺されたり。あの晋に往きし者は、知るべからず。
二月庚子,子叔姬卒。其曰子叔姬,貴也,公之母姊妹也。其一傳曰:許嫁,以卒之也。男子二十而冠,冠而列丈夫;三十而娶。女子十五而許嫁,二十而嫁。
二月庚子、子叔姬卒す。「子叔姬」と稱するは、彼女貴く、文公の同母の姊妹なればなり。一の傳說曰く、すでに許嫁せしがゆえに、彼女の死を記すと。男子は二十にして冠禮を行い、冠禮を行えばすなわち丈夫の中に列す。三十にして妻を娶る。女子は十五にして許嫁し、二十にして出嫁す。
冬,十有二月戊午,晉人秦人戰於河曲。不言及,秦晉之戰已亟,故略之也。
冬十二月戊午、晋人・秦人、河曲に戰う。「及」を用ゐざるは、秦・晋の間の戰事すでに太だ頻繁なれば、故に簡略に書くなり。
季孫行父帥師,城諸及鄆。稱帥師,言有難也。
季孫行父、師を率い、諸と鄆とを築く。「帥師」と書くは、禍難有るを言うなり。
大室屋壞。大室屋壞者,有壞道也,譏不修也。大室猶世室也。周公曰「大廟」,伯禽曰「大室」,群公曰「宮」。禮,宗廟之事。君親割,夫人親舂,敬之至也。為社稷之主,而先君之廟壞,極稱之,志不敬也。
大室の屋壞る。大室の屋壞るるは、敗壞の理有るに於いて、彼らの修繕せざるを譏刺するなり。大室は世室のごとし。周公のを「大廟」と曰い、伯禽のを「大室」と曰い、その餘各位の國君のを「宮」と曰う。禮に拠れば、宗廟の事、國君自ら牲を割き、夫人自ら米を舂く。これ恭敬極まるなり。社稷の主と爲して、先君の廟壞る。最重の字を以て言うは、彼の不敬を記するなり。
十有二月己丑,公及晉侯盟,還自晉。還者,事未畢也。自晉,事畢也。
十二月己丑、文公、晋侯と盟し、晋より還る。「還」は事いまだ辦じ畢らざるを言う。「自晋」と書くは、事すでに辦じ畢れたるなり。
六月,公會宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許伯、曹伯、晉趙盾。癸酉,同盟於新城。同者,有同也,同外楚也。
六月、文公、宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許伯・曹伯・晋の趙盾に會す。癸酉、新城に同盟す。「同」は共の目標有るを言う。すなわち共に楚を抵禦するなり。
秋,七月,有星孛入於北斗。孛之為言猶茀也。其曰入北斗,鬥有環域也。
秋七月、孛星有りて北斗に入る。「孛」の意は「茀」のごとく、光芒亂生の星なり。「入北斗」と言うは、北斗に環繞の區域有ればなり。
晉人納捷菑於邾,弗克納。是郤克也,其曰人,何也?微之也。何為微之也?長轂五百乘,綿地千里,過宋、鄭、滕、薛,夐入千乘之國,欲變人之主。至城下,然後知。何知之晚也!弗克納。未伐而曰弗克,何也?弗克其義也。捷菑,晉出也;貜且,齊出也。貜且,正也;捷菑,不正也。
晋人、捷菑を邾に納れんと將にして、納るる能わず。この人は郤克なり。經文「人」と稱するは何ぞや。彼を低微に書くなり。何を以て低微に書くか。兵車五百乘、綿延千里、宋・鄭・滕・薛を經て、遙かに千乘有る國に入り、人の國君を改換せんと欲す。城下に至りて、後に明白す。明白すること何の遲きや!「弗克納」と書く。いまだ攻めざるに「弗克」と言うは何ぞや。彼義理に於いて勝る能わざるなり。捷菑は晋の女の生みしなり。貜且は齊の女の生みしなり。貜且は正支にして、捷菑は正支にあらず。
九月甲申,公孫敖,卒於齊。奔大夫不言卒,而言卒,何也?為受其喪,不可不卒也。其地於外也。
九月甲申、公孫敖、齊に於いて卒す。逃亡の大夫は例により卒を記さず。ここに記すは何ぞや。魯、彼の喪事を接受せば、記さざるを得ず。地を記すは、彼外國に死せればなり。
齊公子商人弒其君舍。舍未逾年,其曰君,何也?成舍之為君,所以重商人之弒也。商人其不以國氏,何也?不以嫌代嫌也。舍之不日,何也?未成為君也。
齊の公子商人、その君舍を殺す。舍いまだ年を過ごさざるに、何を以て「君」と稱するや。舍を以て國君と成すは、以て商人の君を弑するの罪を加重す。商人、何を以て國名を名の上に冠せざるか。一層の嫌疑を以て一層の嫌疑に代替せざるなり。舍の死、日を記さざるは何ぞや。彼いまだ正式の國君と爲らざればなり。
齊人執單伯。私罪也。單伯淫於齊,齊人執之。
齊人、單伯を執う。これ私罪なり。單伯、齊に於いて淫亂し、齊人彼を執う。
三月,宋司馬華孫來盟。司馬,官也。其以官稱,無君之辭也。來盟者何?前定也。不言及者,以國與之也。
三月、宋の司馬華孫、來りて盟す。司馬は官名なり。官名を以て稱呼するは、國君なきの辭なり。「來盟」は何の謂いか。事先に約し定めたるなり。「及」を用ゐざるは、國家を彼方に交托するなり。
