閔公
元年春,王正月。繼弒君不言即位,正也。親之非父也,尊之非君也,繼之如君父也者,受國焉爾。
元年春、周歴正月。弑されたる国君の後に接するに、経文は「即位」を書かず、これ正例なり。親を論ずればあの人は彼の父にあらず、尊を論ずればあの人はなお彼の国君にあらず。しかるに君父を待遇するがごとく彼を継承するは、国家が彼より受け來れればなり。
夏,六月辛酉,葬我君莊公。莊公葬而後舉諡,諡所以成德也,於卒事乎加之矣。
夏六月辛酉、我が魯国の君莊公を安葬す。莊公安葬して後に乃ち諡号を標出す。諡は彼の一生の名徳を成就するに用い、喪事弁じ畢るを待ちて乃ち加え上ぐ。
秋,八月,公及齊侯盟於洛姑。盟納季子也。
秋八月、閔公、斉侯と洛姑に会盟す。この会盟は、季子を接し帰らんがためなり。
季子來歸。其曰季子,貴之也。其曰來歸,喜之也。
季子、国に帰り來る。彼を「季子」と称するは、彼を抬擧するなり。「來歸」と書くは、彼のために喜ぶなり。
冬,齊仲孫來。其曰齊仲孫,外之也。其不目而曰仲孫,疏之也。其言齊,以累桓也。
冬、斉国の仲孫來る。「斉仲孫」とかく書くは、彼を外人と為すなり。いずれの一位なるかを點明せずただ「仲孫」と称するは、彼を疏遠するなり。「斉」を點出するは、この事を斉桓公の身に牽累するなり。
夏,五月乙酉,吉禘於莊公。吉禘者,不吉者也。喪事未畢而舉吉祭,故非之也。
夏五月乙酉、莊公のために吉禘を行う。「吉禘」と言うも、実は不吉なり。喪事未だ弁じ畢らざるに吉祭を行う。ゆえにこの事を責む。
秋,八月辛丑,公薨。不地,故也。其不書葬,不以討母葬子也。
秋八月辛丑、閔公卒す。地を記さざるは、彼の死に変故あるがゆえなり。安葬を記さざるは、「既に母を討伐せり」をもって子の葬礼を弁まざるがためなり――母の罪未だ清算せられざれば、子のために葬を書くこと能わず。
九月,夫人姜氏孫於邾。孫之為言猶孫也。諱奔也。
九月、夫人姜氏、邾国に逃げ往く。「孫」の意は「遜」のごとく、彼女の実は出奔なるを隠諱するなり。
公子慶父出奔莒。其曰出,絕之也,慶父不復見矣。
公子慶父、莒国に逃亡す。「出」を書くは、彼を断絶するなり。慶父これより再びあらわれず。
冬,齊高子來盟。其曰來,喜之也。其曰高子,貴之也。盟立僖公也,不言使,何也?不以齊侯使高子也。
冬、斉国の高子、來りて結盟す。「來」を書くは、彼のために喜ぶなり。彼を「高子」と称するは、彼を抬擧するなり。この会盟は僖公を立定せんがためなり。なぜ「斉侯使」と書かざるか。斉侯が高子を使嗾するがごとく書きたからざればなり。
鄭棄其師。惡其長也,兼不反其眾,則是棄其師也。
鄭国、自らの軍隊を棄てたり。その将を憎み、加うるに部下を帰さざれば、すなわち自らの軍隊を棄てたるなり。
(闕文)
(闕文)
僖公
齊師、宋師、曹師次於聶北,救邢。救不言次,言次非救也,非救而曰救,何也?遂齊侯之意也。是齊侯與?齊侯也。何用見其是齊侯也?曹無師。曹師者,曹伯也,其不言曹伯,何也?以其不言齊侯,不可言曹伯也。其不言齊侯,何也?以其不足乎揚,不言齊侯也。
斉国の軍隊・宋国の軍隊・曹国の軍隊、聶北に駐扎して邢国を救いに往く。人を救うは本より「次」を書かず、「次」を書けばすなわち真の救にあらず。真の救にあらざるに「救」と書き成すはなぜか。斉侯の心意を成就せんがためなり。ここに言うところは斉侯か。斉侯なり。何を凭じて斉侯と見出すか。曹国に「師」と称しうる軍隊なし。「曹師」と称するは実は曹伯なり。なぜ曹伯と書かざるか。斉侯を書かざれば、曹伯をも書くこと能わず。なぜ斉侯を書かざるか。彼の功労がなお称揚に足らざれば、斉侯を書かざるなり。
夏,六月,邢遷於夷儀。遷者,猶得其國家以往者也。其地,邢復見也。
夏六月、邢国、夷儀に遷る。「遷」と言うは、なお自らの国家を保有して去りしという情形なり。地点を記し出すは、邢国が後になお再びあらわるべきがゆえなり。
齊師、宋師、曹師城邢。是向之師也,使之如改事然,美齊侯之功也。
斉国の軍隊・宋国の軍隊・曹国の軍隊、邢国のために城を築く。これなお先前のあの軍隊なるに、経文はかえって別に一事を為せしがごとく書くは、斉侯の功労を賛美せんがためなり。
秋,七月戊辰,夫人姜氏薨於夷。夫人薨不地。地,故也。
秋七月戊辰、夫人姜氏、夷の地にて卒す。夫人の去世は本より地を記さず。ここに地を記せるは、死に変故ありしがゆえなり。
齊人以歸。不言以喪歸,非以喪歸也。加喪焉,諱以夫人歸也。其以歸,薨之也。
斉国の人、彼女を帶し帰る。「喪を帶し帰る」と書かざるは、喪礼によりて送り帰せしにあらざればなり。経文に「薨」の字を加うるは、斉国の夫人を帶し去りしを隠諱するなり。「以歸」と書くは、実は彼女これがために死せり。
八月,公會齊侯、宋公、鄭伯、曹伯、邾人於檉。
八月、僖公、斉侯・宋公・鄭伯・曹伯・邾国の人に会合して柽の地に在り。
九月,公敗邾師於偃。不日,疑戰也。疑戰而曰敗,勝內也。
九月、僖公、偃の地に邾国の軍隊を敗る。日を記さざるは、これ約束なき遭遇戦なればなり。約束なくして「敗」と書き成すは、勝利の魯国の側に在るを示す。
冬,十月壬午,公子友帥師,敗莒師於麗。獲莒挐。莒無大夫,其曰莒挐,何也?以吾獲之目之也。內不言獲,此其言獲,何也?惡公子之紿。紿者奈何?公子友謂莒挐曰:「吾二人不相說,士卒何罪?」屏左右而相搏。公子友處下。左右曰:「孟勞。」孟勞者,魯之寶刀也。公子友以殺之。然則何以惡乎紿也?曰:棄師之道也。
冬十月壬午、公子友、軍隊を帥いて麗の地に莒国の軍隊を敗り、莒挐を俘獲せり。莒国に命の大夫なし。ここに「莒挐」と称するはなぜか。我が魯国が彼を俘獲せしがゆえ、彼を點出するなり。魯国自らの战事は例により「獲」を書かず。ここに書けるはなぜか。公子友の欺騙を用いしを憎めばなり。どう欺騙せしか。公子友、莒挐に対して曰く、「我ら二人彼此相い合わず、士兵何の罪かあらん」と。左右を退けて二人搏斗す。公子友、下風に落ちたり。左右喊びて曰く、「孟労」と。孟労は魯国の宝刀なり。公子友これをもって莒挐を殺せり。然らばなぜこの欺騙を憎むか。答えて曰く、これ自らの軍隊を棄てるの做法なり。
十有二月丁巳,夫人氏之喪至自齊。其不言姜,以其殺二子,貶之也。或曰為齊桓諱殺同姓也。
十二月丁巳、夫人氏の霊柩、斉国より至る。「姜」を書かざるは、彼女が二人の子を殺せしゆえ彼女を貶む。別の説に、斉桓公のために彼が同姓を殺せしを隠諱するなりと。
二年春,王正月,城楚丘。楚丘者何?衛邑也。國而曰城;此邑也,其曰城,何也?封衛也。則其不言城衛,何也?衛未遷也。其不言衛之遷焉,何也?不與齊侯專封也。其言城之者,專辭也。故非天子不得專封諸侯,諸侯不得專封諸侯。雖通其仁,以義而不與也。故曰:仁不勝道。
二年春、周歴正月、楚丘を修築す。楚丘とは何か。衛国の城邑なり。一国に対して乃ち「城」を用う。ここは城邑なるに、なぜまた「城」を用うるか。衛国のために改めて封建するなり。然らばなぜ「衛を城む」と書かざるか。衛国未だ遷り往かざればなり。なぜ衛国の遷都を書かざるか。斉侯の擅に諸侯を封建するを賛成せざればなり。「某を城む」と書き成すは、独自作主の措辞なり。ゆえに曰く、天子にあらざれば擅に諸侯を封建することを得ず、諸侯もまた擅に諸侯を封建することを得ず。たとえ彼の仁心を承認すとも、義によりては賛成せず。ゆえに曰く、仁は道に勝たず。
虞師、晉師滅夏陽。非國而曰滅,重夏陽也。虞無師,其曰師,何也?以其先晉,不可以不言師也。其先晉,何也?為主乎滅夏陽也。夏陽者,虞、虢之塞邑也,滅夏陽而虞、虢舉矣;虞之為主乎滅夏陽,何也?晉獻公欲伐虢。荀息曰:「君何不以屈產之乘,垂棘之璧,而借道乎虞也?」公曰:「此晉國之寶也。如受吾幣而不借吾道,則如之何?」荀息曰:「此小國之所以事大國也。彼不借吾道,必不敢受吾幣。如受吾幣而借吾道,則是我取之中府,而藏之外府;取之中廄,而置之外廄也。」公曰:「宮之奇存焉,必不使受之也。」荀息曰:「宮之奇之為人也,達心而懦,又少長於君。達心則其言略,懦則不能強諫,少長於君,則君輕之。且夫玩好在耳目之前,而患在一國之後,此中知以上,乃能慮之。臣料虞君,中知以下也。」公遂借道而伐虢。宮之奇諫曰:「晉國之使者,其辭卑而幣重,必不便於虞。」虞公弗聽,遂受其幣而借之道。宮之奇諫曰:「語曰:『唇亡則齒寒』,其斯之謂與!」挈其妻子以奔曹。獻公亡虢,五年而後舉虞,荀息牽馬操璧而前曰:「璧則猶是也,而馬齒加長矣。」
虞国の軍隊・晋国の軍隊、夏夏陽を滅ぼす。一つの国家にあらざるに「滅」を用うるは、夏陽を甚だ重く見るなり。虞国に「師」と称しうる軍隊なきに、経文かえって「師」と称するはなぜか。それが晋国の前に書かれりしかば、「師」と称せざるべからず。なぜ晋国の前に書くか。それが夏陽を滅ぼすの主謀なればなり。夏陽は虞国・虢国の要塞なり。夏陽を滅ぼせば、虞国・虢国は皆手の中に拿げらる。虞国を夏陽を滅ぼすの主謀と言うはなぜか。晋献公、虢国を攻めんと欲す。荀息曰く、「君王何ぞ屈地の出産する馬・垂棘の璧を取りて、虞国に路を借らざるや」と。献公曰く、「これ晋国の宝物なり。もし彼らが我が礼物を収めて路を借さざらば、如何せん」と。荀息曰く、「小国の大国に事うるは、これらを赖りとす。彼ら若し路を借さざれば、必ず敢えて我が礼物を収めず。若し礼物を収めまた路を借さば、ただ我が内庫より取り出し外庫に蔵め、内厩より牽き出して外厩に放つのみ」と。献公曰く、「宮之奇彼処に在り、必ず国君をして収めしめざらん」と。荀息曰く、「宮之奇の人となり、心は明白なれど性格懦弱にして、また小より国君の長ずるを看て大となれり。心明白なれば、話は簡略に言い出でん。懦弱なれば、強諫すること能わず。小より国君の長大を看れば、国君は彼を軽視せん。況んや玩好は耳目の跟前に擺れど、禍患は一国の後に在り。これ中以上の見識の人をして思慮せしむべし。我料るに虞君は中以下の見識の人なり」と。献公、ここに路を借りて虢を伐つ。宮之奇、勧諫して曰く、「晋国の使者、言辞谦卑にして礼物甚だ重し、必ず虞国に不利あらん」と。虞公聴かず、礼物を収め、路を彼らに借せり。宮之奇また勧諫して曰く、「俗に『唇亡びて歯寒し』と言うは、このことを言うか」と。ここに妻子児女を帶して曹国に逃げたり。献公、虢を滅ぼし、五年後に虞を打下せり。荀息、馬を牽き璧を持ちて前に走上りて曰く、「璧はなおあの璧なれど、馬の歯は加長せり」と。
秋,九月,齊侯、宋公、江人、黃人盟於貫。貫之盟,不期而至者,江人、黃人也。江人、黃人者,遠國之辭也。中國稱齊、宋,遠國稱江、黃,以為諸侯皆來至也。
秋九月、斉侯・宋公・江国の人・黄国の人、貫の地に会盟す。貫の地のこの会盟に、事前の約束なきに至れるは江国の人・黄国の人なり。「江人」「黄人」と称するは、遠方の国を称呼する措辞なり。中原は斉・宋を挙げ、遠方は江・黄を挙げ、これをもって諸侯の皆到りたるを示す。
夏,四月,不雨。一時言不雨者,閔雨也。閔雨者,有志乎民者也。
夏四月、雨降らず。一季の内にただ「不雨」と書くは、雨なきを哀憐するなり。雨なきを哀憐するは、すなわち心に百姓を念うなり。
六月,雨。雨雲者,喜雨也。喜雨者,有志乎民者也。
六月、雨降る。かく「雨」と書くは、雨降るを喜ぶなり。雨降るを喜ぶは、すなわち心に百姓を念うなり。
秋,齊侯、宋公、江人、黃人會於陽穀。陽穀之會,桓公委端搢笏而朝諸侯,諸侯皆諭乎桓公之志。
秋、斉侯・宋公・江国の人・黄国の人、陽穀に相会す。陽穀のこの会に、桓公は玄端を著し笏板を插して諸侯に朝見す。諸侯皆桓公の心意を明白せり。
冬,公子季友如齊蒞盟。蒞者位也。其不日,前定也。不言及者,以國與之也。不言其人,亦以國與之也。
冬、公子季友、斉国に至りて盟会に出席す。「莅」はすなわち就位するなり。日を記さざるは、事あらかじめ約せしがゆえなり。「及」を用いざるは、国家を相手方に交托するなり。相手方の人を書き出さざるも、また国家を相手方に交托するなり。
四年春,王正月,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯侵蔡。蔡潰。潰之為言,上下不相得也。侵,淺事也。侵蔡而蔡潰,以桓公為知所侵也。不土其地,不分其民,明正也。遂伐楚,次於陘。遂,繼事也。次,止也。
四年春、周歴正月、僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯に会合して蔡国に侵入す。蔡国潰散す。「潰」は上下相い得ざるを言う。侵入は浅き事なり。蔡国に侵入して蔡国すなわち潰散す、桓公のどこに侵入すべきかを知れるを見べし。その土地を占領せず、その百姓を分割せず、これ端正の做法なるを顯す。続いて楚国を攻め、陘に駐扎す。「遂」は続きて事を弁ずるなり。「次」はすなわち停止するなり。
夏,許男新臣卒。諸侯死於國,不地;死於外,地。死於師,何為不地?內桓師也。
夏、許男新臣卒す。諸侯が本国に死するは地を記さず、国外に死するは地を記す。軍中に死するに、なぜ地を記さざるか。桓公の軍隊を自己人と為せばなり。
楚屈完來盟於師,盟於召陵。楚無大夫,其曰屈完,何也?以其來會桓,成之為大夫也。其不言使,權在屈完也,則是正乎?曰:非正也。以其來會諸侯,重之也。來者何?內桓師也。於師,前定也。於召陵,得志乎桓公也。得志者,不得志也,以桓公得志為僅矣。屈完曰:「大國之以兵向楚,何也?」桓公曰:「昭王南征不反,菁茅之貢不至,故周室不祭。」屈完曰:「菁茅之貢不至,則諾,昭王南征不反,我將問諸江。」
楚国の屈完、軍中に來りて結盟し、盟約を召陵に訂す。楚国に命の大夫なし。ここに「屈完」と称するはなぜか。彼が來りて桓公と会するがゆえ、彼を大夫と為すなり。「使」を書かざるは、権柄屈完の手に在るがゆえなり。然らばこれ正道に合するか。答えて曰く、合せず。彼が來りて諸侯と会するがゆえ、彼を重く書く。「來」とは何の意か。桓公の軍隊を自己人と為すなり。「師にて」と書くは、事あらかじめ約せしなり。「召陵にて」と書くは、桓公の志を得たりと言うなり。彼の志を得たりと言うは、実は彼の真に志を得たるにあらずと言うにして、桓公のこの得志を僅かこれのみと見なすなり。屈完曰く、「大国、軍隊を取りて楚国に対するはなぜか」と。桓公曰く、「昭王南征して帰らず、菁茅の貢品も送り届かず、周室これがために祭祀すること能わず」と。屈完曰く、「菁茅の貢品届かざるは、これ我ら許諾す。昭王南征して帰らざるは、我江水に向かいて問わん」と。
齊人執陳袁濤塗。齊人者,齊侯也,其人之,何也?於是哆然外齊侯也。不正其逾國而執也。
斉国の人、陳国の袁濤塗を捉う。「斉人」は実は斉侯なるに、彼を「人」と書き成すはなぜか。この時に至りて、人々已に口を敞きて彼を外人として看れり。彼が別国を越えて人を捉えしに満たざればなり。
秋,及江人、黃人伐陳。不言其人及之者何?內師也。
秋、江国の人・黄国の人と陳国を攻む。誰なるかを書き出さずただ「及」を用うるはなぜか。魯国自らの軍隊なればなり。
八月,公至自伐楚。有二事偶,則以後事致。後事小,則以先事致。其以伐楚致,大伐楚也。
八月、僖公、楚を伐つ軍より帰る。二つの事連なり合えば、後の一事に按じて回国を書く。後の一事小なれば、前の一事に按じて回国を書く。ここに「楚を伐つ」に按じて回国を書くは、楚を伐つを更大に見ればなり。
冬,十有二月,公孫茲帥師,會齊人、宋人、衛人、鄭人、許人、曹人,侵陳。
冬十二月、公孫茲、軍隊を帥い、斉国の人・宋国の人・衛国の人・鄭国の人・許国の人・曹国の人に会合して陳国に侵入す。
五年春,晉侯殺其世子申生。目晉侯斥殺,惡晉侯也。
五年春、晋侯、その太子申生を殺す。「晋侯」を點出し直に「殺」と書くは、晋侯を憎むるなり。
杞伯姬來朝其子。婦人既嫁,不逾竟;逾竟非正也。諸侯相見曰朝,伯姬為志乎朝其子也。伯姬為志乎朝其子,則是杞伯失夫之道矣!諸侯相見曰朝,以待人父之道待人之子,非正也。故曰「杞伯姬來朝其子」,參譏也。
杞伯姬、子を帶して來り朝見す。婦人は出嫁して後は再び国境を出でるべからず。国境を出ずるは正道に合せず。諸侯相見するを乃ち「朝」と言う。伯姬は心に子をして朝見せしめんと存せり。伯姬が心に子をして朝見せしめんと存せば、すなわち杞伯は丈夫たるの道理を失えり。諸侯相見するを乃ち「朝」と言うに、人の父を待遇する礼をもって人の子を待遇するは正道に合せず。ゆえに「杞伯姬來りてその子を朝す」と書き成すは、三つの方面を併せて譏刺するなり。
公及齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯,會王世子於首戴。及以會,尊之也。何尊焉?王世子云者,唯王之貳也。雲可以重之存焉,尊之也。何重焉?天子世子世天下也。
僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯と、首戴に周の天子の太子に会見す。先に「及」を書き再び「会」を書くは、彼を尊崇するなり。何を尊崇するか。「王世子」と称するは、彼が天子唯一の副貳なればなり。彼の甚だ重き托付を担负しうるを言う。ゆえに彼を尊崇す。重きはどこに在るか。天子の太子は世代天下を承受すべきなり。
秋,八月,諸侯盟於首戴。無中事而復舉諸侯,何也?尊王世子,而不敢與盟也。尊則其不敢與盟,何也?盟者,不相信也,故謹信也。不敢以所不信而加之尊者,桓諸侯也。不能朝天子,是不臣也。王世子,子也,塊然受諸侯之尊己,而立乎其位,是不子也。桓不臣,王世子不子,則其所善焉何也?是則變之正也。天子微,諸侯不享覲。桓控大國,扶小國;統諸侯不能以朝天子,亦不敢致天王。尊王世子於首戴,乃所以尊天王之命也。世子含王命會齊桓,亦所以尊天王之命也。世子受之可乎?是亦變之正也。天子微,諸侯不享覲。世子受諸侯之尊己,而天王尊矣,世子受之可也。
秋八月、諸侯、首戴に会盟す。中間に別に一事を立てざるに、再び「諸侯」を挙げ出すはなぜか。天子の太子を尊崇して、彼を盟誓に参与せしむるを敢えてせず。彼を尊崇せりと雖も、なぜまた彼を盟誓に参与せしむるを敢えてせざるか。盟誓は彼此相い信任せざるがゆえ、鄭重に信を求むるなり。敢えてこの不信任を尊者の身に加えず。桓公は諸侯なり。天子に朝見しに往くこと能わざるは、これ臣に似ず。天子の太子は子なるに、安然と諸侯の彼に対する尊崇を接受してあの位子に立つは、これ子に似ず。桓公子に似ず、太子臣に似ずと言うべく――然らば経文の彼らを賛成するは何か。これすなわち変通の中の正道なり。天子衰微にして、諸侯は進貢朝見せず。桓公は大国を控制し小国を扶持し、諸侯を統領するも彼らを帶して天子に朝見すること能わず、また天子を召し來るを敢えてせず。首戴に天子の太子を尊崇するは、正に天子の命令を尊崇するに用うるなり。太子、王命を帶して來りて斉桓公に会するも、また天子の命令を尊崇するに用うるなり。太子、これらを接受して可なりや。これもまた変通の中の正道なり。天子衰微にして、諸侯は進貢朝見せず。太子、諸侯の彼に対する尊崇を接受せば、天子かえって更に尊崇せらる。太子の接受するは可なり。
楚人滅弦,弦子奔黃。弦,國也;其不日,微國也。
楚国の人、弦国を滅ぼし、弦子、黄国に逃げたり。弦は一国なり。日を記さざるは、それ小国なればなり。
冬,晉人執虞公。執不言所於地,縕於晉也。其曰公,何也?猶曰其下執之之辭也。其猶下執之之辭,何也?晉命行乎虞民矣。虞、虢之相救,非相為賜也。今日亡虢,而明日亡虞矣!
冬、晋国の人、虞公を捉う。人を捉うるに地点を書き出さざるは、彼既に晋国の内に陥り在ればなり。彼を「公」と称するはなぜか。彼の下の人が彼を捉え起したるがごとき措辞なり。なぜ下の人の彼を捉えしに似たるか。晋国の命令已に虞国の百姓の中間に施行せられりしかばなり。虞国・虢国、互いに救援するは、彼此好処を贈送するにあらず。今日虢を滅ぼせば、明日すなわち虞を滅ぼさんとす。
夏,公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、曹伯伐鄭,圍新城。伐國不言圍邑,此其言圍,何也?病鄭也。著鄭伯之罪也。
夏、僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・曹伯に会合して鄭国を攻め、新城を包囲す。一国を攻むるに、経文例によりその城邑を囲むと書かず。ここに「囲」を書けるはなぜか。鄭国を責め、鄭伯の罪を顯し出さんがためなり。
冬,公至自伐鄭。其不以救許致,何也?大伐鄭也。
冬、僖公、鄭を伐つ軍より帰る。なぜ「許を救う」に按じて回国を書かざるか。鄭を伐つを更大に見ればなり。
鄭,殺其大夫申侯。稱國以殺大夫,殺無罪也。
鄭国、その大夫申侯を殺す。国名をもって大夫を殺すを記すは、殺されたる者が罪なきを示す。
秋,七月,公會齊侯、宋公、陳世子款、鄭世子華,盟於寧母。衣裳之會也。
秋七月、僖公、斉侯・宋公・陳国の太子款・鄭国の太子華に会合して寧母に会盟す。これ衣裳の会なり。
八年春,王正月,公會王人、齊侯、宋公、衛侯、許男、曹伯、陳世子款,盟於洮。王人之先諸侯,何也?貴王命也。朝服雖敝,必加於上;弁冕雖舊,必加於首;周室雖衰,必先諸侯。兵車之會也。
八年春、周歴正月、僖公、周王室の人・斉侯・宋公・衛侯・許男・曹伯・陳国の太子款に会合して洮の地に会盟す。王室の人を諸侯の前に書くはなぜか。天子の命令を尊貴するなり。朝服はたとえ破れたるとも必ず身に加え、弁冕はたとえ旧きとも必ず頭に加え、周室はたとえ衰微せるとも必ず諸侯の前に書く。これ兵車の会なり。
鄭伯乞盟。以向之逃歸乞之也。乞者,重辭也,重是盟也。乞者,處其所而請與也。蓋汋之也。
鄭伯、盟会に参加せんことを請う。彼の先前逃げ帰りしあの事に就きて請うなり。「乞」は分量甚だ重き字にして、この盟会を甚だ重く見るなり。「乞」は人なお自らのところに在りて、自らを参加せしむるを請うなり。おそらく人に斟酌されて拉し入れられたるなり。
秋,七月,禘於太廟。用致夫人。用者,不宜用者也。致者,不宜致者也。言夫人必以其氏姓。言夫人而不以氏姓,非夫人也,立妾之辭也,非正也。夫人之,我可以不夫人之乎?夫人卒葬之,我可以不卒葬之乎?一則以宗廟臨之而後貶焉,一則以外之弗夫人而見正焉。
秋七月、太廟に禘祭を行い、夫人を廟に送り入れて祭祀を享受せしむ。「用」の字を用うるは、正に用うべからざるを示す。「致」の字を用うるは、正に送り入るべからざるを示す。夫人を称するに必ず氏姓を帶すべし。夫人を称して氏姓を帶せざれば、すなわち夫人にあらず、妾を立てて夫人と為すの措辞にして正道に合せず。既に彼女を夫人と為せば、我なお彼女を夫人と為さざるべきか。夫人死せば卒を記し葬を記す、我なお彼女に卒を記し葬を記さざるべきか。一方に彼女をして宗廟に面対せしめ、然る後に彼女を貶め、一方に外が彼女を夫人と承認せざるに借りて、正道を顯し出すなり。
夏,公會宰周公、齊侯、宋子、衛侯、鄭伯、許男、曹伯於葵丘。天子之宰,通於四海,宋其稱子,何也?未葬之辭也。禮:柩在堂上,孤無外事。今背殯而出會,以宋子為無哀矣!
夏、僖公、宰周公・斉侯・宋子・衛侯・鄭伯・許男・曹伯と葵丘に会す。天子の太宰は、政令四海に通ず。宋君を「子」と称するは何ぞや。いまだ葬らざるの辞なり。礼に拠れば、柩なほ堂上に在るときは、孤子に外の事なし。今、殯の事を捨てて出でて会す。経文は宋子を哀痛なき者と見做せるなり。
秋,七月乙酉,伯姬卒。內女也,未適人不卒,此何以卒也?許嫁笄而字之,死則以成人之喪治之。
秋七月乙酉、伯姬卒す。彼女は魯の女にして、いまだ嫁がざれば、例に卒を記さず。ここに記するは何ぞや。すでに許嫁し、笄礼を行い、字を取り、死せば成人の喪礼を以てこれを処す。
九月戊辰,諸侯盟於葵丘。桓盟不日,此何以日?美之也。為見天子之禁,故備之也。葵丘之會,陳牲而不殺,讀書加於牲上,壹明天子之禁,曰:毋雍泉,毋訖糴,毋易樹子,毋以妾為妻,毋使婦人與國事。
九月戊辰、諸侯、葵丘に盟す。桓公の主せし盟会は本より日を記さず。ここに記するは何ぞや。彼を美とするなり。天子の禁令を顕わさんがため、書き具えたり。葵丘のこの会は、犠牲を陳べて殺さず、盟書を犠牲の上に加え、もっぱら天子の禁令を申明す。曰く、泉を壅塞するなかれ、糴を禁ずるなかれ、すでに立てたる太子を易うるなかれ、妾を以て妻と為すなかれ、婦人をして国事に干らしむるなかれ、と。
冬,晉裡克殺其君之子奚齊。其君之子云者,國人不子也。國人不子,何也?不正其殺世子申生而立之也。
冬、晋の里克、その君の子奚斉を殺す。「其君之子」と称するは、国中の人、彼を子と為さざるがためなり。国中の人、何を以て彼を子と為さざるか。晋侯、太子申生を殺してこの人を立つるに、人の心服せざるがためなり。
晉裡克弒其君卓,及其大夫荀息。以尊及卑也,荀息閒也。
晋の里克、その君卓とその大夫荀息とを殺す。先ず尊者を書き、次いで「及」を以て卑者に及ぼす。荀息は、中に横はりて君を衛る者なり。
晉殺其大夫裡克。稱國以殺,罪累上也。裡克弒二君與一大夫,其以累上之辭言之,何也?其殺之不以其罪也。其殺之不以其罪,奈何?裡克所為弒者,為重耳也。夷吾曰:「是又將殺我乎?」故殺之,不以其罪也。其為重耳弒,奈何?晉獻公伐虢,得麗姬,獻公私之。有二子,長曰奚齊,稚曰卓子。麗姬欲為亂,故謂君曰:「吾夜者夢夫人趨而來,曰:『吾苦畏。』胡不使大夫將衛士而衛冢乎?」公曰:「孰可使?」曰:「臣莫尊於世子,則世子可。」故君謂世子曰:「麗姬夢夫人趨而來曰『吾苦畏』,女其將衛士而往衛冢乎?」世子曰:「敬諾。」築宮。宮成,麗姬又曰:「吾夜者夢夫人趨而來,曰:『吾苦飢。』世子之宮已成,則何為不使祠也?」故獻公謂世子曰:「其祠。」世子祠。已祠,致福於君。君田而不在,麗姬以酖為酒,藥脯以毒。獻公田來,麗姬曰:「世子已祠。故致福於君。」君將食,麗姬跪曰:「食自外來者,不可不試也。」覆酒於地而地賁,以脯與犬,犬死。麗姬下堂而啼呼曰:「天乎!天乎!國子之國也,子何遲於為君?」君喟然嘆曰:「吾與女未有過切,是何與我之深也!」使人謂世子曰:「爾其圖之。」世子之傅裡克謂世子曰:「入自明。入自明,則可以生;不入自明,則不可以生。」世子曰:「吾君已老矣,已昏矣。吾若此而入自明,則麗姬必死。麗姬死,則吾君不安。所以使吾君不安者,吾不若自死。吾寧自殺以安吾君。」以重耳為寄矣,刎脰而死。故里克所為弒者,為重耳也。夷吾曰:「是又將殺我也。」
晋、その大夫里克を殺す。国を称して殺を記するは、罪を上の者に累せしむるなり。里克、二君と一大夫とを殺したるに、上に累する辞を以て言うは何ぞや。彼を殺すこと、その罪に拠りて殺したるにあらざればなり。如何にしてその罪に拠りて殺すにあらざるか。里克の彼らを殺さんとしたる所以は、重耳のためなり。夷吾曰く、「この人またわれを殺さんとするか」と。故に彼を殺したるは、その罪に拠るにあらざるなり。彼、重耳のために殺したりと言うは、如何なるか。晋献公、虢を伐ちて麗姫を得、献公これを寵愛す。彼女二子を生む。長は奚斉といい、次は卓子という。麗姫乱を為さんと欲し、すなわち君に曰く、「われ夜にあの夫人の歩み疾く来たるを夢見、曰く『われ懼るること甚し』と。大夫に衛士を率いさせて陵墓を守らしめんには如何」と。献公曰く、「誰をか遣るべき」と。彼女曰く、「臣の中に太子より尊きはなし。太子行けば可なり」と。ここにおいて君、太子に曰く、「麗姫、あの夫人の歩み疾く来たりて『われ懼るること甚し』と曰うを夢見たり。汝、衛士を率いて陵墓を守れ」と。太子曰く、「敬して命に従う」と。すなわち一宮を修む。宮成りて、麗姫また曰く、「われ夜にあの夫人の歩み疾く来たるを夢見、曰く『われ飢るること甚し』と。太子の宮すでに成れり。彼をして祭らしめざるは何ぞや」と。ここにおいて献公、太子に曰く、「往きて祭れ」と。太子祭り畢り、祭肉・祭酒を君に進献す。君、狩りにて在らず。麗姫、鴆を酒に入れ、また毒を脯に塗る。献公、狩りより帰り、麗姫曰く、「太子すでに祭りたり。ゆえに福食を君王に進献す」と。君まさに食せんとす。麗姫跪きて曰く、「外より送り来たる食物、試みざるべからず」と。酒を地に注げば、地墳起り、脯を犬に与えれば、犬死す。麗姫、堂を下りて哭呼びて曰く、「天なるかな!天なるかな!国はもと子の国なり。子、何ぞ遲遲として君と為らざるか」と。君長嘆して曰く、「われ汝と未だかつて刻薄なることなし。汝、何ぞわれと結ぶことの深きや」と。人をして太子に曰はしめて曰く、「汝自ら圖れ」と。太子の傅里克、太子に曰く、「入りて自ら明らめよ。入りて明らむれば、すなわち生くべし。入りて明らめざれば、生くるべからず」と。太子曰く、「わが君老いたり。すでに昏けり。われ若しこのごとく入りて明らめば、麗姫必ず死せん。麗姫死せば、わが君安からざらん。君をして安からざらしむるは、われ自ら死するに如かず。われ自ら殺して以て君を安んぜんと欲す」と。彼、後事を重耳に托し、頸を割きて死す。ゆえに里克の殺さんと欲せし者は、重耳のためなり。夷吾曰く、「この人またわれを殺さんとするか」と。
十有一年春,晉殺其大夫丕鄭父。稱國,以殺罪累上也。
十一年春、晋、その大夫丕鄭父を殺す。国を称して殺を記するは、罪を上の者に累せしむるなり。
秋,八月,大雩。雩,月正也。雩,得雨曰雩,不得雨曰旱。
秋八月、大雩を行う。雩祭、月を以て記するは正例なり。雨を求めて雨を得るを「雩」と曰い、雨を求めて雨を得ざるを「旱」と曰う。
夏,楚人滅黃。貫之盟,管仲曰:「江、黃遠齊而近楚,楚為利之國也。若伐而不能救,則無以宗諸侯矣!」桓公不聽,遂與之盟。管仲死,楚伐江、滅黃,桓公不能救。故君子閔之也。
夏、楚人、黄を滅ぼす。貫のあの盟にて、管仲曰く、「江・黄、斉に遠く楚に近し。楚はこれを利の国と視るなり。往きて伐ちて斉救う能わざれば、諸侯の宗主と為るの資格なし」と。桓公聽かず、ついに彼らと盟す。管仲死したる後、楚、江を伐ち黄を滅ぼし、桓公救う能わず。ゆえに君子この事を哀れむ。
公會齊侯、宋公、陳侯、衛侯、鄭伯、許男、曹伯於鹹。兵車之會也。
僖公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・鄭伯・許男・曹伯と咸に会す。これ兵車の会なり。
十有四年春,諸侯城緣陵。其曰諸侯,散辭也。聚而曰散,何也?諸侯城,有散辭也。桓德衰矣。
十四年春、諸侯、緣陵を築く。「諸侯」と称するは、散れるの辞なり。人明らかに聚まるに、何を以て散れるの辞を用うるか。諸侯城を築きて散れるの言を用うるは、桓公の德すでに衰えたればなり。
